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風水ネタ?? 投稿者:毅岳 投稿日:10月25日 22時10分

 おぉ!ラブホの立地条件で話が盛り上がっている様子ですね。ラブホは、インターチェンジ近隣、川辺や海辺など、「なるほど〜」と頷ける場所ですよね。
 赤線街(古いかな・笑)の老舗は、今も昔も同じ観ですよね。
 さて、風水上、良いのか、悪いのか。僕は、逆に悪いと思います。だって、そうした場所というのは、人の情念が渦巻く場所でしょ??その情念が篭れば、ヤバイですよー笑。「君子危うきに近寄らず」で、あまり関わり合わない方が、良い場所です。
 風水上、四神相応の場所なら、ある程度、そのマイナスのパワーを跳ね除けるでしょうが、まぁ、そんな場所には、神社やお寺、はたまた豪邸などがありますよね。四神相応のラブホがあるなら、一度、ご利益を頂きたいものです・核爆。
  • 便乗 投稿者:江良 投稿日:10月25日 22時50分

    流行のラブホ街は良地(風水的)だと思いますが,他面
    地方にポツリとある川沿いのラブホは悪地のような気が
    します。否マロン話で書けば法律と土地の価格が理由と
    思われます。川沿いの土地は利用価値が低い為にラブホ
    等の宿泊地くらいしか使えないような気が...
     
    ラブホは建築費が安いのも理由かも?東京の某ラブホの
    安普請を担当者から聞いて寒イボ出た記憶あります。
     
    毅岳様 旧平安京の中のホテルは四神相応の地の中です
    から,ありがたーい御利益あるかもしれませんよ?
     
    のりちゃん様 つまらんネタですみません。
  • 谷九にこだわる 投稿者:テェタレ 投稿日:10月25日 23時30分

    >人の情念が渦巻く場所
    千日前通りってのは、危ない場所でね。昔、遊郭があって、火事で燃えて、遊女が沢山亡くなって、その跡に千日前デパートが出来て、また火事で沢山のデパガが死んで、その怨念が渦巻いてる。だから、通りを渡った向かいにお地蔵さんがいて救いの場所になっていたりする。
     
    で、谷九は、その通りを東に向かって、上町台地の断層にぶち当たるところにある。
     
    手塚治虫の火の鳥って漫画に示されている輪廻転生の世界観ってのに沿っていうと、人は死んで、魂が分離して、それがいつしか宇宙の共同生命体の中に取り込まれていく。やがて、生命の誕生に際して、その共同生命体の一部から分離した(過去の人格を引きづった)エネルギーがその生命に注ぎこまれて(引っ張りこまれて)、赤ちゃんが生まれる。
     
    だから、千日前を漂う霊魂は、その入れ物を探して、地の力の強い上町方面に向かっているのだと思うのだよね。そんなのに憑依されちゃったらさ、厨房だってその気になる、のかも知れないなんて思うわけ。
     
    案外、生魂神社が、その触媒になってるのかもね(笑)
  • 風水説では 投稿者:テェタレ 投稿日:10月25日 23時34分

    龍脈にも陰と陽があってね。山を伝って来る「陽」の気脈の他に、水を介在する「陰」の気があるんだよね。川沿いは(確かに地価が安いことは否めないが)、そう言った陰の気が通っているので、陰の気に共鳴する現象が具現化する、と思うわけ。
     
    例えば、銀橋。京橋に近くて、OBPもあるし、けっして地価は安くはないと思うけど、あれだけのラブホ街だものね。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月26日 08時00分

    私は霊感とかオカルトとかは、苦手・・・というか、好きか嫌いかで言えば、はっきりと嫌いで、霊感があるとかないとかいう話からは極力逃げたいタチなんですが、
    「言霊」や、「思いの力」みたいなものは信じるんですよね。
    もちろん、「神」「仏」という、大きな存在は信じていますし。
     
    ただ、それを、訳知り顔に、「こういうモノ」という風に解説されちゃうと、ひきまくるけど・・・(^^ゞ
     
    で、霊感は関係なく、誰かが誰かの幸せを願うということには、それなりの力があると思っています。
    情念がやばいかどうか、はようわからんのですけどね(^^ゞ
    ま、とりあえず、人の悪意には「トゲ」がある・・・とか、そういう感覚はあるんですよね。
    旦那なんかは、そういう話をすると、鼻で笑いますが。
     
    ちょっと前のニュースだけど、不倫相手の奥さんを殺そうとして闇のサイトの依頼したため、逮捕された女性がいて、調べていくうちに、どうやら黒幕は、その不倫相手の男性自身じゃないか・・・てな事件がありましたよね。
     
    これ見た時、「うわ〜、トゲトゲな事件だよ〜」と思いました。
    なんつぅか、暗い情念湧きまくりっ!というか。
     
    で、四神相応のラブホは知りませんが、「房中術」ってなもんもありますよね。
     
    でも、ちらっと見たところでは、アクロバティックすぎ(爆)
     
    あちらを立てればこちらが立たずってやつですか(←なんのこっちゃ(笑))
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月26日 08時01分

    寒イボでるほどの安普請ってどんなん(^^ゞ???
    とりあえず、地震が来そうなときにはラブホに行くなってことでしょうか(笑)
     
    川沿いの地は利用価値が低い。
    なるほどね〜・・・。
     
    ところで、現在の平安京は、すでに四神相応じゃなくなってますよ。
    南の池がもうなくなってるはず。
     
    それより、江戸はどうなってます?
    江戸湾はまだあるだろうし、山は当然消えてないはずだから、街道とか川の流れが変わってさえなければ、東京のラブホはすべて、風水好地にあることに。
    ・・・なるのかぁ?
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月26日 08時03分

    千日前、一緒に周ったのは、もう3年以上前でしたっけ?
    私自身は、あそこで怖い思いをしたことはありませんが、悲しい過去をひきずる場所であることは間違いありませんよね。
     
    で、オカルトが嫌い嫌いと言いつつ、私は輪廻転生はあるんじゃないか、と思ってます。
    それは、道端で轢かれている子供の動物などを見た時に、
    「この子に、再チャレンジの機会がないというのはあんまりにも不公平だよな〜」
    と思うからなんですけどね。
    生れて間もなく死ぬ子供もいるわけだし、そもそも死産する子どももいるわけで。
    そういう「命」に、再チャレンジの場がない、とはなんとな〜く思えない、と、そういう理由で、輪廻転生はあるんじゃないかと思うわけなんです。
     
    そう言うと、旦那は、
    「精神が脆弱や」
    と言いますけどね〜(^^ゞ
     
    龍脈。
    川は水だから、陰ってことでいいんでしょうか?
    陰陽の考えが日本に入ったのはいつなんだろう、と、思いますね。
    川沿いに鎮座している神社ってあるでしょう?
    それは勿論、雨乞いの神社などは、それ相応の意味があって、川沿いにあるんでしょうが。
     
    割と古くから、「川沿いは陰の気が通っている」という考え方があったのだとしたら、その場所に神社を建てる人達の意図はなんだったのか、とね。
     
    「陰の気を封じるため」?
    「陰の気を積極的に使うため」?
     
    オニを持ってオニを制すという考え方を持ち出すならば、陰の気は、陰を制すという考え方もあったかも。
     
    昔の人は、どういう感覚だったんでしょうね?
  • 真面目に考察 投稿者:江良 投稿日:10月26日 21時30分

    歓楽街の発達は,いくつかのパターンがあります。
    一,以前からの継続(門前町・商業地等)
    二,戦後のドサクサに不法占拠からの発達
    三,行政関与で造られた新都市
     
    一のケースに風水的発達の可能性があります。二,三は
    ケース・バイ・ケース。
    でも,簡潔に書けば法律が最大の理由です。一番厳しい
    区画は,住居以外ほとんど造る事ができません。歓楽街
    等ほど法律が緩い区画です。全国的な法律+各地方自治
    体の法律も加わります。必然的に「ラブホ」等が固まっ
    て出来る理由が法律からの考察で理解できると思います
    が...ただ流行るエリアなどは風水の影響がある可能性は
    否定できません。
     
    のりちゃん様 そうか,京都の四神相応は壊れています
    ね。忘れていました。
     
    東京の四神相応 四神の装置は壊れていないんでしょう
    が,東京の四神は疑問符があります。どうしても北の装
    置の「山」が不明なんです。加門七海女史の説明が一番
    理屈が通るのでしょうが,つっこみも入れ易いですね。
     
    東京のラブホ街 自分が知ってる場所は,全て陰気です
    。よほどの覚悟か目的(ムフフ?)が無ければ普通の人
    は立ちいる事が難しい場所ばかりです。
     
    寒イボ 某有名ラブホが立替をする時の予算が九億円計
    上したのに,実際は三億数千万円で工事を終わらせたん
    です。関係者から,そのホテルは絶対使うなと言われた
    んですよ。
     
    テェタレ様 風水というより,土地土地に記憶があり,
    似たような発展をすると考えた方が無難の考え方じゃな
    いでしょうか?それに,地域・産業の推移による変化が
    街を変化させる...なんて感じじゃないでしょうか?
    個人的に風水に興味がありますが,現状の風水議論は,
    曖昧模糊な点がありませんか?(テェタレ様の話じゃな
    いですよ)小説・コミックの流行以降,陰陽・風水の本
    など増えましたが,中国の風水理論を書いた本が多いよ
    うな気がします。日本の風水と中国の風水の発展のしか
    たが異なりますよね。日本の都市建設に,どれだけ風水
    を利用されたか現段階では不明ですよね。その辺りを考
    慮に入れた理論を読んでみたいです。
     
    テェタレ様にお聞きしたいのですが,どのような職種・
    人種が日本の「風水」などを担っていたのでしょうか?
    レイ・ラインとかの存在は信じているのですが,誰が
    造ったのか不明なので,気になっていたんですよね。
     
    長々と失礼いたしました。
  • こんばんは。 投稿者:毅岳 投稿日:10月26日 22時14分

     友人が、某ラブホを利用した時の話。隣で大喧嘩が始まり、刃傷沙汰になる一歩手前まで発展したそうです・笑。友人カップルは、「それどころ」じゃなくて、「怖いなぁー」ってヒト事のように壁にそば耳を立てていたそうです・笑。普通のカップル、不倫、商売、と色んな人が利用する場所、それがラブホなので、そこに蠢く煩悩(情念)は、面白いものがあります。因みに友人カップルは、本能に基づく楽しみから、人間の興味心からの楽しみを優先させて、そのひと時を過ごしたそうです。まぁ、そういう楽しみもあるかもしれません。
     日々、神さんに向き合う生活をしていると、こうした欲望(情念)を剥き出しにする場面に出くわすと、「おもろいなぁー」とつい思ってしまいます・笑。人間として生きている限り、情念(欲望)と上手くお付合いせんといかんのですわ。そのお付合いが下手になると、刃傷沙汰になったり、友人のラブホ話になったりするんですよね。そのお付合いが上手な人が集まる場所とそうでない場所、それが良い場所であったり悪い場所であったりするんでしょうね。 
  • 昨今流行の 投稿者:テェタレ 投稿日:10月27日 01時11分

    コパなんつうのは、本来の風水じゃありませんから。念のため。
     
    おいらの師匠によると、風水には天地人とがあって、天は国家経営や都市計画にかかる風水、地は家相など、生活に気を取り込むための風水、人はいわゆる経絡で、人体のツボや気功なんかに係わるもの。
     
    それぞれのレベルは違うけど、通底する原理は共通している、ってことらしいです。
     
    日本の風水と言ってもよく分かりませんが、少なくとも沖縄では陰宅と陽宅の両方があって、風水的には一番面白いかも。ちなみに、京都の風水を調整したのは秦氏と言われていますが、その実態は分かりません。
     
    風水の教科書で、私の好きなのは渡邊欣雄さんかな。理論的です。あと風水じゃないけどオギュスタン=ベルクさんなんても風土論なんですけど、風水の香りもがしますねぇ。
     
    土地土地の記憶、というよりか、その土地の持つ文脈をゲニウス・ロキと言いますが、その辺の研究をしています。
     
    >南
    巨椋池は干拓されましたが、まだ淀川三川があります。南の水は気を溜めるのですが、今や、京都南インターが巨大ラブホ街ですね(笑)
  • テェタレ様 投稿者:江良 投稿日:10月27日 02時07分

    ゲニウス・ロキ その言い方の方が正しいですね。
     
    沖縄風水 沖縄の方が原中国風水に近くて,調べがいが
    あるそうですね。日本本土には,ほぼ無いと思われる陰
    宅までありますからね。
     
    竜穴(字違います?)が人体のツボで,ツボとツボを結
    ぶ脈?を龍脈と呼ぶんですよね。それらを調製するのが
    風水師になるのかな?
     
    京都南 水場がラブホ街は納得。昔,栗本慎一郎氏が福
    岡の歓楽街を説明するのに「水」をキーワードにしてい
    ましたね。
     
    渡邊欣雄氏 友人から読めと言われた記憶が...
     
    うーん結局,日本の風水は,どんな人達が携わっていた
    のでしょうね。明治以降なら疑っている人物が複数いる
    のですが,明治以前は,皆目検討がつきませんね。
    テェタレ様は,専門家ですから噂とか聞いた事ありませ
    んか?
     
    眠いので落ちます。
  • ラブホネタ?! 投稿者:海老珍 投稿日:10月27日 15時07分

    ラブホネタなんでひいていたんですけど…(嘘ぴよーん、ガハハ)っていうか、これってしのだうどんから続いてるんでしょ、みなさんほんと面白いですねー。
     
    テェタレ様はじめまして。
    うち、京都南なんですよ。だから城南宮さんの氏子圏なんです。巨椋池が無くなっても、三川合流があるというのには妙に納得いたしました。
     
    冬になると木津川、宇治川、桂川の温度差で合流する天王山あたりで霧が発生するんですね。主人の実家が樟葉にあるので夜の帰り道何度か霧に遭遇したことがありますが、けっこう神秘的です。ウイスキーはそういう霧の出るところが良いらしくって、だからそこにサントリーの山崎工場があるのだとか。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時45分

    なんか、法律的にもいろいろあるみたいですよね。
    何メートル以上の建物は不可、の土地とか(ここらへんはテェタレさんが専門ですけど。こないだのオフに持っていった本に、テェタレさんが寄稿してはったんですが・・・読むヒマなかったですよね(^^ゞすいませんm(__)m)。
    そこらへんを利用した詐欺事件もあったみたいで。
     
    じ・・・じつは・・・。
    祖父が戦死した後、祖母が離縁される時に土地をもらったらしいんですわ。
    その事情については、孫の私にも詳しく話してもらえないんですけどね。
     
    で・・・その土地ですが・・・。
    広さは結構あるらしいです。
    でも、周囲がラブホだらけになってしまってて、ラブホ建てる以外に利用価値がないようですわ(笑)
    まぁ、祖母は、「この土地は、私が死んだら葬式出してもらうために売る」と言ってるんで、私達にはなんの関係もありませんけどね。
     
    風水的にはどうなんだろ。
    三重県の田舎町ですけどね。
     
    東京の玄武は、不明なんですね。
    確かに、関東平野は広いからなぁ・・・。
    以前、筑波山に登ったとき、東京湾まで見通せたのにはびっくりしました。
     
    >九億円が三億数千万
    その差額はどうなったんでしょ(^^ゞ??
    いろいろ怖いなぁ。
     
    >中国の風水理論
    私が読んだ風水関係の本は、
    デレク・ウォルターズ著(翻訳は荒俣宏)の「必携風水学」という本なんですが、確かに、そもそも風水学って、科学的にも理由があることが多いように思うんですよ。
    南側の斜面がいい・・ってのは、実際日当たりが良さそうですしね。
     
    そういう意味では風水って、勉強すればタメになりそうですが。
    それこそ、「黄色い財布がいい」なんて出所のわからない話が、日常レベルで溢れてますよね(笑)
     
    で、風水を担う人々については、難しそうですね。
    日本における民間陰陽師や聖と呼ばれる人々は、風水を知っていたんでしょうか?
    どういう風に広まったんでしょうね?
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時46分

    わははははは!!
    確かにね。
    実際のところ、普通のお付き合いってのは、結構難しいな、と感じます。
    うちは、近所づきあいがかなり密なので、治安はものすごくいいです。
     
    でも、反面、近所づきあいが苦手な人には大変かもしれません。
     
    私が浮気なんかしようもんなら(いや、しませんけども)、す〜〜〜〜〜ぐ噂になりそうなのが、うちの町内ってやつですわ。
     
    ラブホの隣の部屋の会話ってのは、その対面に属する話ですよね、多分(笑)
    聞かれても、個人が特定されないから、際どい話が出来る。
    その分、本性が出るかも〜〜〜。
     
    自分の情欲も他人も、まじめにお付き合いするのは、大変かもしれません。
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時47分

    コパ氏にしても、細木氏にしても、受ける占い師さんの条件は、「分かり易い」ってことと「即効性がある」ことかな〜とか思ったりします。
    でも、普通に考えたら、即効性のある占いとかおまじないって、却って怖いと思うんだけど(^^ゞ
     
    人体のツボも風水になるというのは、知りませんでした。
    いや、昔、一度、鍼灸院のHPを作ったことがあって、その時、いろいろお話を伺ったんですが、人間の体・感覚・病は、すべて、五行に属する・・・という話を1時間くらい聞いたんですが、五行と風水の区別がつかなかったです(^^ゞ
     
    >秦氏
    最近、ちょっとツボです(笑)
    以前かかったカイロの先生から、「秦氏と土師氏はがっちりくっついてた・・・という説を読んだことがあるけど原典忘れた・・・」と聞いてから、その原典を探してるんですけど、見つからない〜(T_T)
     
    >南の水
    あ、残ってるんですね。
    気を溜めるのか・・・。
     
    しかし、考えてみたら、風水を意識して建てられたお城って多いかも。
    確か、姫路城は、風水好地に建てられてると、姫路城の展示に書いてあった記憶があります。
     
    そう考えれば、城下町なんかは風水好地が多いかもしれませんね。
    そういや、城下町には、遊郭も多いかも。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 17時00分

    ラブホネタちゃうがな、風水ネタやがな(嘘こけ?)
     
    関係ないけど、ラブホの内装た設備って、文化が反映されてるのかも。
    人から聞いた話ですけど〜、プラネタリウムがあったりするでしょ?
    カラオケとかテレビゲームがあったりとか。
    ラブホ=ムンムンムラムラ・・・だけではなくなってきてるってことでしょうね。
    単に二人になりたいとか、それだけで利用してる人もいるのかも。
    実際問題、旅行先でホテルが取れなくて、ラブホを利用したという話も聞くし。
    個人的には、私はユニットバスのシャワーカーテンが嫌いで、ラブホのゆったりしたお風呂(話に聞くところによると広いらしい)のがいいな〜と思うことも。
    ただまぁ、壁の薄いラブホだと、ものすご〜い惨めな気分になるそうですが。そりゃそうか。
     
    >霧
    濃霧の中にいるのはちょと怖いけど、かすむ程度の霧はいいですね。ちょっとセンチメンタルで(話題をひきずる奴σ(^^))。
    今回の山でも、多少霧ってたけど、山の中の霧はまたちょっとセンチメンタルの次元が違うように思いました。
    妖怪センチメンタルっていうか(笑)
    霧の向こうから下駄の音が聞こえそうで(~_~)
  • センチメンタル 投稿者:海老珍 投稿日:10月27日 21時54分

    妖怪センチメンタル・・・おもろすぎ(爆)
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月28日 00時06分

    三重ですかぁ...田舎のラブホは変ですよね。神奈川に
    津久井湖という場所がありまして(徐福伝説や某アイド
    ルが堀●を落ちて,この近辺の高校に入学という素晴ら
    しい場所)のラブホの前に監視小屋がありまして大変利
    用しずらい場所でした...三重に全然関係無い。三重に
    行く事多いのですか?自分は行った事ないので来年行こ
    うと思っています。
     
    消えた数億円 いくらかは,会社の赤字の穴埋めと工作
    費用(関係者等に)に消えましたが,残りの三億円以上
    が闇に消えたそうです...
     
    コパ氏 彼の経歴等は完全なインチキですが(学位を金
    で買った事はばれました)財布に何色等は気学などの応
    用です。気学・陰陽五行の理論を,物凄く簡略して出し
    た結論です。正式に風水・気学を学んだ人達から見たら
    ハイパー・インチキでしょうね。
     
    秦氏 京都の愛宕神社あるじゃないですか,あそこの元
    社は場所が違うんですよ。もし愛宕の移動に秦氏が関与
    していたら,テェタレ様の言う通り京都の風水は「秦氏
    」の関与の可能性が高いですね。なんで,こんな事いう
    のかというと,蚕の社の三鳥居の方角に関係があります。
     
    海老珍様 この板は,けっして「ラブホ」の話では,あ
    りません。真面目に風水と愛について語る板です。その
    証拠に行者様も参加していますからね...
    山崎の工場が京都とは,知りませんでした。あの辺りは
    良水の場でしたね(石清水八幡近いですよね?)
    妖怪センチメンタルに醸される「山崎」美味でしょう。
    京都行きたいなぁ。強行スケジュールで行ったんですけ
    ど楽しかったなぁ。
  • AB珍様 投稿者:テェタレ 投稿日:10月28日 00時24分

    >実家が樟葉
    おお、樟葉は継体天皇が最初に宮を置いたところ。
    川と琵琶湖をつないで、越前から来たのねぇ。
    継体、実は修験道との係わりもあると踏んでるのです。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時15分

    こちらも、
    新スレ 風水???
    に移動します。

 

お疲れ様でした 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月22日 22時17分

皆様お疲れ様でした。
 
特に、一日、皆に気を配っていただき、案内してくださった、かまどさん、どうもありがとうございました。
丹生津姫神社の神主さんのお話もとても興味深く、三谷坂の登山もとても楽しく経験させていただきましたm(__)m
 
これからも、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。
 
これからも、どうぞうどうぞ厳しいツッコミを入れさせていただきますよう、よろしくお願いいたします・・・
 
つぅか、自分でもさすがに、ちょっとやりすぎたか、と、おばちゃん根性を見直すべく反省している所存ですが、どうせまた次の機会には、またおばちゃん根性発揮しまくることでしょう。わっはっはぁああ!!!!!・・・・。
 
その他、私達女性陣より若い殿方諸兄には、お疲れ様でございました(笑)いろんな意味で(←反省しろって??)
 
1時間半ほどののぼりでしたが、筋肉を休めて、今日はゆっくりお休みくださいませ。
 
ではまた!
  • 早っ!笑。 投稿者:毅岳 投稿日:10月22日 23時44分

     のりちゃん御夫婦様をはじめ、皆様方、お疲れ様でした。久々の山道、楽しかったですよー。で、何年もお参りし損ねていた丹生津姫神社へも参拝できましたし。
     かまど様、今回は、本当にお疲れ様でした。掲示板では、あまりピンと来ないことでも、現地でのかまど様の説明で理解が深まりました。ありがとうございました。
  • ただいま! 投稿者:海老珍改めクロ 投稿日:10月23日 00時09分

    みなさまおつかれ様です。雨降らせてしまい失礼いたしました。
    かまど様には普段絶対に出来ない経験をさせていただいて感謝しております。
     
    やっとこさ帰って参りました。
    私はのりちゃんご夫妻に柏原まで乗せて頂きました。直接大阪まで行ける電車には乗れなかったので、結局行きと同じ環状線乗り換えコースになりました。
    そしたら弁天町で、一本前の電車が人身事故との情報…と。おおお〜(T_T)
    帰りが遅くなることを主人の携帯に電話したら、まだ会社におりました。それがちょうどうまい具合に主人の会社ってその駅の近くなんですよ。はは、だから降りて迎えに来てもらって車で帰ったのです。
    ほんま、うまい具合。
     
    江良様の置き土産っていうか、借りパチになってしもうたライター。困ったのとちゃいます?あとは私が江良様と思って、ううぅ(涙)「エラいこっちゃのエライター」と名付け大切に使わさせていただきます〜。
  • どもどもでした。 投稿者:あかがね 投稿日:10月23日 00時11分

    のりちゃん様、かまど様をはじめ、皆々様大変お世話様でした。
     
    先月お遍路に行った時の膝の痛みが残っていて結構こたえました。
    次までにはもちっと鍛えておこうと思います。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月23日 12時47分

    三谷坂は、見晴らしの良い道から、木々が鬱蒼とした山深い道に続く、わくわくする登山道でしたね。
    丹生津姫神社への参拝が叶ったことも、よろしゅうございました。
    そういうのも多分、ご縁なんでしょうね。
    これからも良いご縁が結ばれますように(#^.^#)
  • クロ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月23日 12時49分

    ごめん。うちに帰って確認したら、祈雨には黒駒。止雨には白駒やった・・・。
    ま、結果的にそれほど雨が降らなかったから、良いよね、ね?
     
    ということで、次のオフからは、「HNシロ」で、参加してください(笑)
     
    で、海老さんを駅に降ろした後、旦那が、
    「あ、この車の時計、遅れてるんやった!!電車、間に合わへんわぁ、あぁ〜」
    と言い出しまして・・・。
    「間に合ってないやろな〜」
    ・・・と思っておりましたm(__)m
     
    でも、旦那様とのタイミングは合ったのね。これも、ご縁ご縁(笑)
     
    >エラいこっちゃのエライター
    だはははははは!!
    関東からわざわざ夜行で来てくださった江良さんには、
    「関西人ってテンション高〜〜い」
    と思われてるような気がしますが・・・。
     
    ま、あれがいつもの私達ということで(笑)
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月23日 12時50分

    今回も、厳しく的確なツッコミの数々、お世話になりました(笑)
    しかし、回を重ねるごとに、ツッコミが冴えて行くように思うんですが・・・。
     
    次までに、ツッコミの方はあんまり鍛えないでおいてください(爆)
  • 凄かった 投稿者:江良 投稿日:10月23日 14時11分

    みなさんありがとさんでした。
    あそこで帰った自分は、真の負け組みでした。
    日常会話に「あづない」が出てくる宴会は、凄い。
     
    時間の流れが違うような天野は、印象的でした。
    山登りを除けば、何度も行きたい場所でした。
    また、遊びましょう。
  • ただいま帰還 投稿者:江良 投稿日:10月23日 17時02分

    やっと自宅ですぅ。山と深夜バスおそろしや...
     
    かまど様 例の本のコピーお願いします。
     
    黒様 我がライターも喜んでおります。
     
    他の方々にも感謝です。山では,迷惑かけました。自分
    &かまど様...運動しましょう。
     
    また,何かありましたら参加させてください。楽しい場
    所を提供してくれた「のりちゃん」様に大感謝。
  • みなさまお疲れ様でした。 投稿者:かまど 投稿日:10月23日 19時25分

    ただいま無事福岡の家に帰還致しました。
    ほんと、雨もなんとか大降りにならず、怪我もなく、途中のススメバチにも教われることなく、無事完走できてなりよりでした。ただ、運悪くあまりにも寒かったので皆様が風邪を引いてないか心配ではありますが。あと欲を言えば、蟹さん以外に、リスとか鹿とかかわいい動物なんかが出てくると良かったんですがね。
     
    のりちゃん様
    >これからも、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。
    いえいえこちらこそ。
    もしかして、オフ会ごとにパワーアップしていってませんか?お○ちゃんパワー、いやいやm(_ _)m
    久々にこてこての大阪の女性を見たような気がします。
     
    毅岳様
    >何年もお参りし損ねていた丹生津姫神社へも参拝できましたし。
    お疲れ様でした。ばたばたバスに乗ったので、後で「そういやあ、毅岳さんの笛の奉納演奏忘れてたー」と。寒かったので完全に忘れてましたm(_ _)m
     
    海老様
    >やっとこさ帰って参りました。
    いやー、やっとこさ、うーん懐かしい響きですなー。やっとこさ、やっとこさ。だんだん関西のこてこての方言を聞いても、まず頭の中で標準語に翻訳して考えるようになってきました。つまり!だんだんつっこみの反応が鈍くなってきてるのだー!やばい。
    でも、今回海老さまが雨女であることが証明されて良かったですね。
     
    あかがね様
    >先月お遍路に行った時の膝の痛みが残っていて結構こたえました。
    えーっ!!そうだったんですかー?顔色変えずに歩かれてたんで、あいかわらずすごいなあーって思ってたんですが。ってことは完治したら、三谷坂走って登れたりして?(笑)
     
    江良様
    >日常会話に「あづない」が出てくる宴会は、凄い。
    いえいえ、分かる江良様も同類です。
    >例の本のコピーお願いします。
    了解しましたー!
    >自分&かまど様...運動しましょう。
    ほんとですね。体力が落ちていることを痛感しました。健康のために歩かねばと最近つくづく思っております。中性脂肪が高いんですよねー。490もあるんですよねー。危ない!切実な問題です。
     
    のりちゃん様
    >祈雨には黒駒。止雨には白駒やった・・・。
    ということは今回の雨はのりちゃん様のせい?海老様と相乗効果?でも小雨でしたからねえー。それをも吹き飛ばす晴れ男6人衆のおかげと言うことで。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月23日 23時27分

    何事もなく,帰れてよかったですね。こっちは中部地方
    は豪雨に近い状態でした。関東に入ったら止んでいたよ
    うですが...
     
    かまど様のおかげで和歌山大好きになりましたよ。これ
    も,かまど様の丁寧な説明のおかげです。友人達にも和
    歌山薦めときました。これも丹生津姫様のおかげ!
    新たな疑問等でてきたので,これからも色々襲えて下さ
    い。そうそう,武蔵国に丹生神社が複数ありますよね,
    その場所を書いてある資料を知っていたら教えて下さい
     
    sola☆様 ひこまろさんに似ている...ボディ・ブロー
    のように効いて来ました。やせてやるぅと心に誓いまし
    たよ。友人にも笑われました...
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月24日 14時02分

    お疲れ様でした。
    二日連続夜行バスの疲れは取れました?
     
    宴会のノリはともかくとして、天野とのご縁が結ばれたこと、お喜びします(~_~)
    山登りは、自分のペースで、息があがらない速さで登れば、それほどしんどくなかったと思うのですが、雨が降りそうだったもので、ついつい早いペースで登っちゃって、すいませんでした。
     
    是非、また、参加してくださいね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月24日 14時02分

    本当に、良い道中で、感謝ですm(__)m
    何から何まで気を使っていただいて、いや〜〜〜、私が恥ずかし(^^ゞ
     
    >こてこての大阪の女性
    これ、絶対褒め言葉じゃないとは思うんだけど、そういわれて嬉しいのが、大阪のおばちゃんの性なんだな(笑)
    かまどさん、大阪から離れて長いでしょう?
    大阪が恋しくなったら言ってください。いつでも大阪のおばちゃんパワーを発揮して見せますよぅ!(いらんって???くすん(T_T))。
     
    で、パワーアップしてるんじゃなくて、少しずつ「地」が見えてきてるんです(^^ゞ
    でも、これで大体「素」ですから、これ以上パワーアップしないと思います。
    だから・・・逃げないで〜〜、逃げないで〜〜〜(>_<)
     
    今回は、かまどさんが案内してくださったので、その分の疲れも加わっちゃったと思いますが、次の時はもう少し休みながら行けるようにしましょう。
    息が上らないペースで登れるように。
     
    これからもどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
  • おかげさまで絶好調です 投稿者:江良 投稿日:10月24日 18時34分

    バスを降りて友人宅に押しかけ,仮眠を取ってから自宅
    に帰還。その後も遊びに行きました。「山登り」以外
    バッチ来ーいです。友人に山登りのコツを聞いたら役に
    立つ代物では,ありませんでした。のりちゃん様のアド
    ヴァイスが一番良かったですね。
     
    山がなければ丹生オフしたいと思うくらい楽しかったで
    すね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月25日 14時47分

    山登りのコツ。
    私は、
    「息が上らないペースをキープすること」
    これが一番だと思ってるんですが、それ以外にも、蜂などの虫や蛇のいない季節を選ぶとか、熊に注意するとか、いろいろありますよね。
     
    でも、山登りは、クセになりますよ(~_~)
    なんとなく精神的にぐだぐだになった時なんかに、
    「山に行きたいっ!!藪を扱ぎたい!」
    って思うんですよね(^^ゞ
    血かしら・・・。
  • 質問です 投稿者:江良 投稿日:10月25日 23時06分

    一,丹生都姫神社の「鏡の池?」の中に小さな社があり
    ましたよね。御祭神は,どなたでしょうか?
     
    二,蟻通神社の社家は,なんという家名なのでしょう?
     
    三,これは「クロ」様向け(読んでます?)一番好きな
    女神の話で「クロ」様が,かんぱつ入れずに「大食津姫
    」と答えていましたよね。あれが気になって...理由教え
    てくれますか?
     
    のりちゃん様 やはり「山登り」は必須スキルでしょう
    か?神社フリークには必要なんでしょうね...よっしゃ
    「山登り」覚えちゃる。次にお会いする時には「あかが
    ね」様の五分の一程度の人間になるように努力します。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月26日 23時27分

    鏡池の小さな社はなんなんでしょうね?八百比丘尼かなと思っていましたが、実際調べたこと無いです。調べてみます。
    蟻通神社の社家は知りません。これも調べてみますね。
  • かまど様感謝です 投稿者:江良 投稿日:10月26日 23時46分

    ありがとうございます。八百比丘尼が稚姫の鏡を捨てた
    話は興味あるんですよ。社誌には稚姫の鏡とは,書いて
    いなかったですね。家の本&ネットでも不明で...困った
    時の「かまど様」です。
     
    子の権現は「坂上氏」の関係のようですね。秩父にも関
    係があり面白くなってきましたよ。
     
    かまど様にお聞きしたい事が複数ありますが,暇な時に
    教えてください。
  • どもども、 投稿者:海老珍(クロ) 投稿日:10月27日 14時40分

    いやぁ、ココ続いてたんですね(笑)ラブホのばっか見てましたわ。
     
    江良様  
    そうですよ、山は必須かもしれませんぜ。江良様ってお寺はどうなんです?お寺って山なとこ多いやないですか、私はお寺にもよく行くので、つもりじゃなくても結果的に登山やった。ぬを〜!ということがよくあります。
    登山メインの達成感を得たい登山はあんまりしたことはないんですが、そこが歴史ゆかりの山だったり伝説があったら行ってみたいですねー。
     
    間髪いれずにオオゲツさんでしょ(笑)そうなんですよ、せっかく聞いてもらっているのにうまく説明しにくいです。たぶんすごく長くなって、まわりまわってオオゲツさんに至るのです。なので今は漠然としたことしか言えませんが、私の思うオオゲツヒメは女性そのものであり、多くの女神はオオゲツヒメの特性に由来するという考えをもっています。そんな私も女の端くれとしてオオゲツさんに由来すると思っていて、そこの部分に自分の存在価値を置いているんですけどね(笑)また頭で整理できたら聞いてください!
     
    鏡池の小さな社の御祭神、ほんまですねー、適当に厳島社かなと思ってましたけど(だいたいああいう感じで厳島社ってありません?)…だけど、丹生都比売神社の場合、第四殿に厳島明神が祀られてあるんですもんね。
    あと、ああいう感じで思い浮かぶのって、弁天さんとか、あ、それとか京都の神泉苑の善女龍王、とか。
  • かまど様・江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時24分

    横からすいません。
    坂上氏って、田村麿公の坂上氏ですか?
     
    狩場明神と田村麿公の関係を指摘している説があるって、かまどさんから教えていただきましたが、少なくとも、坂上氏と天野とは関係があるってことかもしれないですね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時32分

    すいません(^^ゞ
    レス一つ抜けてました(^^ゞ
     
    山登りは、割と必須科目ですね。
    修験も山が基盤となってますし、山上の神社も結構ありますし。
    昔、近畿はかなりの範囲までが海の底でしたから、有力な部族ほど山の上に居を構えてたんじゃないでしょうか。
    だから、昔の山の頂上は、今よりもずっと「都会」だったんだとおもうんですよね。
     
    だから、古代の姿を見ようと思えば、わり〜と標高の高い場所に行かないとあかんかもしれません。
     
    そんなこんなで、近畿で古代史に目を向けてると、わりと山に登ってますね〜。
     
    でも・・・まだ神社ハンターはいいです。
     
    山城ハンターはすごいっすよ。
    山城の失われた石垣や廓を求めて、藪をこぐ、漕ぐ!!!道なき道を一直線!!ですわ(笑)
     
    anne猫さんの関係で、2度ほど山城ハンターさんと山に入りましたが・・・。
    まじめに、死ぬかと思いました(笑)
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 16時40分

    私もチェックできてなかった(^^ゞ
     
    山は、古墳があったり、神社があったり、いろいろありますから、気付いたら山に登ってた!てなことも結構ありますよね(^^ゞ
     
    で、オオゲツヒメの話、私も初耳?!
    オオゲツヒメが「殺される」というのは、なんとも抽象的で、意味深だと私はおもってるのだけれど、女性の根元というのはわかる気がする。
     
    私は、オオゲツヒメの名を聞くと、即座にハイヌウェレを思い出してしまうんだけど、彼女は、「与える存在」なんよね。一方的に与える存在。
     
    そしたら、女はなんでも与え続けなきゃならんのか〜〜?!と怒られたら、
    「いや、そういう意味じゃないですぅう」
    って言い訳せにゃならんけども、なんというか、この「与え続ける」という感覚が、私は大事だとおもってます。
     
    そういう意味で、日本神話において、太陽神が女性なのは、持統天皇の陰謀だとかなんだとかそういう話もあるけれども、それだけではなく、「太陽」が、女性的なものであると古代の日本人は看破していた、と思いたいですね、マロン主義者としては。
  • 神社→山登り 投稿者:あかがね 投稿日:10月27日 16時59分

    >江良様
    神社を歩いていると好むと好まざるとにかかわらず山登りの機会は多いと思うんですが。
    私も最初は普通の石段で死にそうになってました。
    それが最初は関西(実家)だと畝傍山とか日吉神社の奥宮(ともに20分程度)、関東(実家)でも茨城の神峯山とか。身近な神社を回っているうちにいつの間にか里山になじんでおりました。
    それがいきなり鳥海山とか富士山の奥宮やら奥駆道になってしまったわけですが…。
    今では本末転倒で歩くことの方が楽しくなってたりして。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月27日 17時06分

    あ、里山からいきなり奥駆道へ行ったんですか(^^ゞ
    冒険者や〜〜。
    しかも、一人ででしょ?
     
    ベテランに連れていってもらうところから入る人は多いと思うんだけど(~_~)
     
    遭難しなくて、ほんっとによかった(^^ゞ
    自力給水くらいですんで、ほんっとによかった!!
  • みなさま感謝 投稿者:江良 投稿日:10月27日 19時13分

    海老珍様(クロ様かな?)うーん面白い話ですね。海老
    様のイメージにあいますよ(凄い誉め言葉)オオゲツ姫
    を女性の宿命性...世辞抜きで目から鱗!もっと聞かせて
    ください。
     
    のりちゃん様 その坂上氏ですよ。別のスレタイにもな
    っている「子の権現」も坂上氏です。丹生都姫神社の社
    誌が凄く役に立っています。
     
    あかがね様 素直に尊敬しています。鳥海山&富士山...
    自分も登ってみたいです。海老珍様&のりちゃん様&あ
    かがね様...山登り頑張ります。
     
    そうそう,海老珍様 お寺は,あまり行ってません。来
    年は,真言宗系の寺は行く予定です。京都の寺にも行き
    たいですね。今まで平地を選んで出かけていました。
  • あかがね様 投稿者:江良 投稿日:10月27日 19時32分

    東京近辺で初心者にお勧めの山ありますか?高尾山は,
    せいはしています(情けない...)武甲山にほ,登らさ
    れそうで鬱です。
  • オホゲツ教 投稿者:海老珍 投稿日:10月27日 21時50分

    みなさんビール飲む時やお好み焼くときはオオゲツさんのホトに感謝してくださいね〜、ホトですよ〜(笑)
     
    のりちゃん様、ハイヌウェレの場合、少女っていうだけにせつないんですよねー(ToT)
    確かにオオゲツさんの神話はハイヌウェレ神話の系統であるといえますよね。
     
    だけど私のハイヌウェレのイメージは『丹後国風土記』の奈具社のトヨウカノメなんです。
    多くの女神はオオゲツヒメの特性い由来すると書きましたが、トヨウカノメはそれが解りやすいと思います。
    トヨウカが酒を醸したというのは、きっとオオゲツさんのようにきっとどっかの穴から出してますから…(こんな言い方しかできんのか)っていうか、噛み噛みブェ〜かもしれないけど、なんしか急にあのジジィとババァが冷たくするんですよね。・・・それってなんでやと思います?
    絶対、見たんですよ、噛み噛みブェ〜のところを。そんなことはこの物語には書いていないけど、おそらく酒を醸すところは見ないで下さい、っていう「見るなのタブー」があったんやと思いますわ。
     
    それからアカルヒメも「常に種々の珍つ味を設けて、恒にその夫(アメノヒボコ)に食はしめき」…ってあるから、怪しい。どっかの穴から出しとる。間違いない。
     
    そんで、あんのじょうヒボコは罵るわけですわ。
     
    物語の別でストーリ展開が違いますけど、そう思って見てたら他にもけっこういますでしょ、どうも穴から出しよったな、というのが。
     
    なんかね、トヨウカもアカルヒメもハイヌウェレも全然悪くない。すっごい無邪気に排泄するんですよね、うううぅ(涙)
     
    そうそう、私って子供産んだ時、乳の出があんまりよくなかったんですが、産院で友達になった子のお乳はすぐにパパンパンになって捨てるぐらい出るんですね。
    その子がすんごい面白い奴で、「こないださー、乳捨てるのもったいないから旦那に内緒でシチューに入れたったー、わはは〜」って(ーー;)
    「ええっ!どないして入れたん?」って聞いたら想像通りです。鍋に向かって乳出して直接入れたとか。
     
    ひーーーーっ、オオゲツさんやーー!!って思いました。
     

  • みなさま 投稿者:かまど 投稿日:10月27日 23時03分

    >海老珍(クロ)
    のりちゃん様の間違いだったからクロ改めシロの方がいいのでは?
     
    のりちゃん様
    >坂上氏と天野とは関係があるってことかもしれないですね。
    知れないではなく、関係はありますよ。狩場明神との関わりは証拠となりそうなものが名前だけなのでとりあえず置いといて。
    空海が高野に来てから坂上氏はこの地域に勢力を伸ばしてきました。比叡山もそうですが当時の武士や公家が寺院と結びつきを求めるのはステイタスみたいなものだったんでしょうね。氏長者と言う役職ですね。お金もってたんでしょうね。1200年ごろまでは、丹生津姫神社の人事権は仁和寺が持っていました。高野山が仁和寺から独立するぐらいから?か神馬相論で確か神社の役職からはずされたと思います。ちなみに、高野山真言宗が独立してからは丹生津姫神社の人事権は高野山が持つようになります。
     
    シロ様
    >あと、ああいう感じで思い浮かぶのって、弁天さんとか、あ、それとか京都の神泉苑の善女龍王、とか。
    シロ様なかなか鋭いですねー。というか、私も同じようなことを考えてました。でもそれが正しいかはまだ分かりませんけどね。ちなみに、酒殿神社の裏の小山のてっぺんに弁天さんがあるんですよ。
     
    シロ様
    >噛み噛みブェ〜
    昔のお酒ってほとんど唾液ですかねー?
  • オオゲツ教... 投稿者:江良 投稿日:10月27日 23時37分

    うどんに始まり,ラブホと風水,そしてオオゲツ姫...
    この流れ,海老珍様のおかげ。
     
    豊受姫の話 爺婆が急に意地悪になる話は,見てしまっ
    た神話(正確な表現忘れました)かぁ...可能性がありま
    すね。豊受大神は稲荷・オオゲツ姫・ウケモチと同神説
    ありますよね。豊受トリビア一つ,豊受の父親は丹波道
    主説あり。丹波道主の八人の娘の中の一人が豊受大神に
    なった話もあります...こんなネタじゃ海老珍様に勝てな
    い!今日も自分の器の小ささを確認しました。
     
    かまど様 噛み噛みブェ〜を飲むと言っていましたが,
    実行したら感想は,メールで教えてください。
     
    豊受トリビア 豊受=散飯鬼(天照のお毒見役)で訶梨
    帝母との解釈もあります。
     
    乳シチュー オオゲツ・プレイと命名します(合掌)
     
    のりちゃん様 すみません・すみません・すみません。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時14分

    新スレ オオゲツ・ニュウ・ヤマ
    に移動します。

 

新スレ 子ノ日権現信仰3 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時30分

明日はオフなので、早めにレスしときます。
 
この手の話題は、ROMってる方々に不快感を与える可能性が高いので、なるべく慎重に書きます。
 
私は、性欲自体は、決して不潔なものでも「劣」情でもなく、それ自体、伸びやかで美しいものだと思っています。それを人間がどう発現するか、が、問題なだけで。
恋人・夫婦間の情愛に、性欲は無関係ではないでしょうし、性犯罪にも性欲は深く関係しています。
性犯罪てのは、自分より弱い者に、弱いことを見越して行うもので、
例えば、他の犯罪の場合、義賊が強い者から盗み、弱い者に分け与える的な(その行為の是非は別として)、逆転が有り得ますが、性犯罪は、そういった逆転はあり得ず、美しくしようがない犯罪なため、なんだか性欲そのものが、醜いものだと感じられちゃう、という面もあると思います。
しかし、性犯罪は性欲と関係があっても、性欲自身の価値まで、性犯罪と一緒に引きずり落とされるべきじゃないでしょう。
 
歓楽街の存在も非常に微妙なもんだと思います。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時31分

    人は、「死を知り恐れる知性」と「滅亡する体」という、深刻で重大なアンチノミーを抱えた存在です。
    だから、長い歴史の中で、人は、楽園を自らの手で作ろうとあがいてきたのでしょう。
    弱者を強者が守り、支え、すべての人が、平等に幸福を追求することができる世の中。
    弱肉強食の自然にあって、人はそんな難しい楽園を実現しようとしているのです。
     
    人が人らしくあるということは、そもそもが自然の方向に逆らっているのではないでしょうか。
     
    「世の中は悪くなる一方だ」などと私は思いません。
    確かに、新手の犯罪は増えていますが、世の中が変われば、人のありようが変わるのは当然のこと。
    犯罪が様変わりするのは、その一環でしょう。
    犯罪自体が増えているとは、私には思えません。
     
    世の中が悪くなったのではなく、人が思い描く楽園と、現実のギャップが大きくなっただけだと思います。
     
    現在の私達が「享受して当然」と思っている、「弱者が幸福を追求できる世の中」「安全な世の中」は、いつ頃から、「当然」なことになったんでしょう?
     
    人が悪くなったのではなく、「理想」が、人の成熟する速さの何倍もの速さで成長しているのでしょう。
     
    そのダイナミズムに耐えられるほど人が強いとは思いません。でも、人は、その「理想」に向って、一歩ずつ前進しようとしているのですよね?そのために、世の中を変えようと(結果的に後退したとしても)あがいているわけです。
     
    私はそう思います。
     
    さて、歓楽街です。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時32分

    性犯罪が増えるのは、もちろんいろんな事情があるでしょうが、「性欲があるのに捌け口がない」というところに一因があるわけですよね。
    もちろん、人が死ぬのを見て興奮する人間の捌け口を用意するすべはありませんが、性欲を性行為によって発散できる人ならば、なるべくその性欲に見合った捌け口を用意することは出来るはずです。
     
    もちろん、私は、「だから歓楽街はなくしてはいけない」なんていう足踏み的意見を言うつもりはありません。
     
    そもそも、縄文時代、今のような性道徳はなかったでしょう。
    「みちのく夜這い物語」という本を読むと、女は好いた男を何人でも受け入れ、男は好いた女に自由に言い寄り、その結果できた子供は、「みなこ(みんなの子)」として育てられたなどという話が載っていました。
    これは、村社会がしっかりしていたから出来たことで、そういうことが出来る村社会とは小さくまとまらねばならないでしょう。そして、そういう「村社会」は、「村八分」を生み出すことにもなり、その中から平等な世の中を作り出すのは難しい。
    そんなこともあって、「平等を求める人々」は、夜這いではなく、一夫一婦制の社会を作ったということもあるのでしょう。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時33分

    思う人と思うままに交わるということ、それを欲するということは、それ自体、決して悪いことでも、恥ずべきことでもない、と私は思います。
    そういう「性」は、不自然なものではなく、もしかしたら、「本能」においてはそれが正しいのかもしれません。
     
    ただ、今の社会では、伴侶を悲しませるという点において、「自由な交わり」は悪ですけどね。
    そして、理想に向って進もうとしている中では、逆行となるのでしょう。
     
    ただでさえ、「理想」が「成熟」を上回るスピードで成長している中、人がこれ以上逆行していたら、楽園は遠ざかるばかりです。
     
    「赤線を禁止にしたから性犯罪が増えたんだ」と主張する方もおられますが、それよりは、雑誌などの「モテる男(女)になるために」という特集記事のがよっぽど前向きだと思います。
    結局、人が自分の身の丈を知り、自分なりの魅力を前向きに発揮できる世の中を実現するように、一歩でも前向きに努力する、それがより前進的な「性犯罪撲滅方法」なんじゃないかと、私は思っています。
    私達が思い描いている楽園が実現した時、性犯罪は、自然になくなっているでしょう。
    楽園の実現に向けて努力することが、性犯罪をなくすことの一助になる。
    ・・・即効性は全くありませんが。
    ・・・そして、理想論です(笑)
     
    現実に歓楽街があるのは、今はまだ、そう、今はまだ、仕方のないことなんだろうなと思います。
    もちろん、略取するように、その世界に連れ込まれる人がいる(もしかしたら多い)という問題は、別のもので、歓楽街の存在とは別の次元で論じるべきだとは思いますが。
    ただ、歓楽街の存在そのものを、無理やり全廃させようとしても、無理でしょう。
    それよりも、「楽園の実現」に向けて努力すれば、1万年後ぐらいには・・・歓楽街もなくなっているかもしれません。
     
    そして、人は、悪くなっているのではなく、楽園の実現に向けて、確実に前向きに進んでいると私は信じています。
     
    私はこういう風に考えている、と前置きをした上で、次の発言に行きます。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時34分

    そっちの発想、思いつきもせんでしたわφ(..)
    信太という土地に、歓楽街が出来たのはいつごろなんでしょう。
    男の世界の側に女の世界が出来るというのは、古代も近代も変わらないですよね、多分。
    ですから、信太に・・・例えば鉱山があれば、古くから、そこに歓楽街があった可能性はありますよね。
    そして、その歴史が古いのならば、「信太妻」という言葉に違う意味が見えるかも。
    そうならば、信太狐とは???
     
    また、妄想が(笑)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時39分

    絵画の発展。
    稲生物怪録なんかの挿絵は、今見ても、迫力ありますしね〜。
     
    トラツグミにしても、青鷺にしても、夜行性の鳥は、な〜んか禍々しい感じをかもし出してるんですよね。
    鳥が悪いわけじゃないんだけども。
     
    うちは、近所に山ほど古墳があるという土地柄で、古墳の森に、青鷺が群れなしてるんですよ。
     
    夜側を通ると、「んぎゃぁ」とか鳴きやがるし。
    朝その前を通ると、群れなして羽ばたいてやがるし。
     
    妖怪と思う人の気持もわかります(T_T)
     
    近くで見たら、可愛いんですよ、可愛いんだけど・・・ただ、「怖いよ〜」と思う気持も、やっぱしわかります(笑)
     
    >四天王
    渡辺綱も興味深いですよね。
    渡辺の津とは、清めの人形が流れ着く「津」であった、という論文を読んだことがあります。
     
    多田満仲公の墓が足柄にあるのは知りませんでしたわ。
    多田神社は、池田(海老さん曰く、鉱山があるそうな)ですけど・・・。
    なんかあるのかもしれませんね〜。
     
    大将軍神社の話は知りませんでした。
    陰陽道と稲荷の関係も。
    これは、メモだ!
     
    で、鵺塚は、大阪にもあるんですよ。
     
    http://www.norichan.jp/mailist/reposakura.htm
    に写真載せてます。
     
    鵺が見たら怒りそうな形をしています(笑)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月21日 13時40分

    鋳成りとしたら、秦伊呂具の話も違う意味に読めるかも。
    「餅の的」ではなく、「鉄の的」なんだとしたら・・・。
    的が飛び去ったのは、「不埒な態度に怒って飛び去った」ではなく、「呪的作法を受けて、鉱脈に向けて飛び立っ
     
    た」とか・・・飛びすぎですね(笑)
     
    さて、私は、新世界の方に行ったことがあります。
    何も知らずに見れば、
    「千と千尋の神隠し」の世界を思い出す雰囲気。
    「油屋(湯屋)」に、神様がつかれを癒しにやって来られる、というテーマも、「巫女」「生贄」などと合わせて
     
    考えれば、もっと深いのかもしれませんね・・・ってまた、飛びすぎですね(笑)
  • 出かける準備 投稿者:江良 投稿日:10月21日 14時42分

    昨日デジカメを借りる事いがい何もしていない事に気が
    ついてしまった江良です。
     
    のりちゃん様 鵺が哀れです。みなさんの容赦ない,つ
    っこみが余計に哀れを誘う...
     
    渡辺綱 渡辺家は「水の一族」ですよね。正確には「水
    を管理」する一族です。どこかの一宮が渡辺家の神社で
    したよね。流れ着く「津」...意味深ですね。その話は
    読んでみたいですね。渡辺家の本家は親戚付き合いが厳
    しいらしいです。ちょっとした親戚程度では,お呼ばれ
    されないらしい(どうでもいい話でしたね)
     
    稲生物怪録は名作ですね。絵も話も怖い。平田篤胤翁が
    夢中になった気持ち,よーくわかります。
     
    恥ずかしながら,トラツグミ&青鷺の鳴き声を聞いた事
    がありません。おかげで頭でっかちで...鳥の鳴き声等
    の,ぞっとするモノからイメージを喚起して妖怪・幽霊
    とかを想像したのでしょうね。
     
    「巫女」「生贄」 傀儡師・白拍子等と結びつけると面
    白いですよ。室町以降はリアリティがありすぎてお勧め
    しませんけどね(余計なお世話でした)
  • 陰陽道トリビア 投稿者:江良 投稿日:10月21日 15時18分

    陰陽道は「安部」「賀茂」の独占と云われていますが,
    白川院政時代あたりから,大中臣,中原(清原じゃない
    かね?),惟宗,伴(大伴),大江などが造詣を深め影
    響力を持ち始めるとあります。
     
    あと,忌部の子孫の方が「陰陽道」の大家は「安部」「
    賀茂」そして「忌部」で陰陽道三大家と申しておりまし
    た。このネタの真偽は不明ですが...上の氏族は本当です
    よ。
     
    こんどこそ準備を...それでは,みなさん,現地で会いま
    しょう。
  • …。 投稿者:あかがね 投稿日:10月21日 15時39分

    つまらない書き込みで波紋を広げてしまい申し訳ないです。
     
    信太に歓楽街が出来たのは陸軍が駐屯地を作ってからじゃないでしょうかね。
    全国(世界中?)どこでも軍と歓楽街はセットといいますし。
     
    江戸時代だと刑場のそばとか言いますよね。
    大阪だと飛田。東京だと吉原が小塚っ原の近所のようで。
    何でだか分かりませんが。
  • 横やり 投稿者:江良 投稿日:10月21日 22時07分

    他所からの書き込みです。
     
    あかがね様 想定外の変化球が思わぬ「ネタ」を生
    みだす可能性がありますよ。歓楽街は、広い意味で
    の「辺境」にあることが多いですよ。
    刑場・坂・川辺等です。もしかしたら「渡来」の多
    くいる場所の可能性もあります。伏見の歓楽街は、
    蓬莱橋を渡ってから歓楽街に入る仕組みになってい
    ました。異界・他界を意識させる装置がありました
    。他にはも傀儡師関連で意外な場所が初期歓楽街の
    ような場所もあります。
     
    ね、おもしろいでしょ...つまらない、失礼いたしま
    した。もう少しで出発です。
     
    のりちゃん様 板汚し失礼いたしました。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月22日 05時50分

    渡辺の津については、中公新書 高橋昌明氏著「酒呑童子の誕生」という本に書かれてあるようです。
    私は、本じゃなくて、「民間信仰共同研究会」が出している報告書にその中の一文が引用されてるのを読んだんですけどね(^^ゞ
     
    この報告書に、テェタレさんが寄稿してはるんですよ。
    オフに持っていきますわ・・・って、もう、これ見るの、オフが終わってからでしょうが(笑)
     
    渡辺家の親戚付き合いが厳しいというのは、何か秘密事項があるとか。
    なにか理由があるんでしょうね。
     
    私もトラツグミの声は知らないんですよね。
    青鷺の鳴き声は、
    「んぎゃぁ!」
    これです。
    せめて、「ちゅるっぴ〜」なんていう可愛い声なら怖くないのに、なんでもって「んぎゃぁ!」なんだかもう。
     
    で、巫女・生贄・傀儡子・白拍子ですか。
    音楽や舞などは、神に捧げるものでもあり、そういう意味では、巫女も生贄も傀儡子も白拍子も、「神への供物」であったと云う言い方もできますかね。
    「徹饌」を人を頂いたこともあったかも・・・ってな話じゃなくて???
     
    陰陽道については、ま〜〜〜ったく知識がないんですが、
    をこに大中臣・忌部氏が関わってくるのは、むしろ自然な気がしますね。
     
    また、教えてください。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月22日 05時51分

    いやいや、とんでもない。
    古代史見てたら、この手の話しは必ず出てくることだし、微妙な話なんで、どっかでちゃんと立場表明しとこうと思ってたんで、いい機会でした。
     
    で、信太は古いもんじゃないんですね・・・折角の妄想が(笑)
     
    しかし、刑場の側って言われるんですね。
     
    江良さんが書いてる内容と重なりますが、吉原は、川柳などでは、「ありんす国」と呼ばれてました。
    花魁が使う「〜〜〜でありんす」という言葉をもじってるわけですね。
    こういう独特の言葉遣いも、「異界」を意識させる作用をしたでしょうね。
     
    こないだ、劇団新感線のお芝居「吉原御免状」を見てきたんですが、まさに、「傀儡子」「山の民」が、吉原を「自分達のための最後の砦」として作り上げた・・という内容でした。
     
    こういった話は、おおっぴらに話そうと思えば、表現や自分の気持を注意して確かめてからにしないと、不用意に人を傷つけてしまうことはあります。
    でも、だからと言って口をつぐんでしまうと、発展もしないんですよね。
    自分の考えを、注意深く言葉にするのは大変なことですが、できれば、ここは、それが出来る場にしたいと思ってます。
    理想としては(笑)
     
    力不足だけど(^^ゞ。
  • おは 投稿者:海老珍 投稿日:10月22日 06時05分

    あと30分程したら家でますん。
     
    >自分の考えを、注意深く言葉にするのは大変なことですが、できれば、ここは、それが出来る場にしたいと思ってます。
    理想としては(笑)
     
    なるほど、そういうことですね。
    いやぁ、こっちはうどんからの展開にビックリしておりましたで(笑)
     
  • さぁ出発だ 投稿者:匿名希望 投稿日:10月22日 06時24分

    >のりちゃんさま
    「ありんす」言葉は様々な地方から集められた太夫(とか)の出自を隠すための「作られた言語」であると聞いたことがあります。
    結果として確かに異界を現出させる効果があったでしょうね。
    司馬遼太郎の「峠」で触れられてた記憶が。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月22日 06時44分

    微妙な天気をありがと〜(まだ海老さんが雨女と決まったわけじゃないけど(゜.゜))。
     
    しかし、びっくりしてたんや。
    はっはっは〜。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月22日 06時47分

    確かに、あれは、「作られた言葉」なんでしょうね。
    「〜でございます」が「〜ざ〜ます〜」に変化するのは理解できるけど、
    「ありんす〜」てな風に変化する言葉って想像つかないし(笑)
     
    てなことで、私も出発の準備だ〜!
  • お久しぶりです。 投稿者:テェタレ 投稿日:10月23日 23時16分

    皆さんオフ会おつかれさま。
    のりちゃんに名前を呼ばれた気がして、出てきましたよぉ(笑)
     
    >渡辺の津
    渡辺氏は摂津源氏流れで、特に「綱」のような名前が一字のいわゆる渡辺の一字名って言われている一族が支配していたのが渡辺の津です。
    今の地名では、渡辺橋から八軒屋あたりになります。
     
    摂津源氏の主流は川西の多田神社を中心とした多田氏ですが、渡辺氏はどちらかというと武辺の氏で、また、河川舟運を中心に物流や商業にも手を出していたみたいですね。例えば楠木正成などの「悪党」みたいな、武将でもあり商売もし運送もする、ってな感じの。
     
    渡辺氏の末裔に平戸の松浦党(いわゆる和冦の根拠地となった)がいますから、ま、半分陸に上がった海賊って言ってもよいかも知れません。
     
    で、面白いのは、この渡辺氏と座摩神社(いかすりじんじゃ)の関係です。八軒屋浜の近くに座摩神社の御旅所があるんですが、元来はこの地が本地だったようです。で、太閤さんの大坂入りとか、いろいろあって今は本町あたりの久太郎町4丁目なんですが、町中の住居表示には「久太郎町4丁目(渡辺町)」ってなってるんですよぉ。
     
    で、御祭神は生井・福井・綱長井・波比祇・阿須波の5柱。
  • 渡辺(つづき) 投稿者:テェタレ 投稿日:10月23日 23時26分

    この神様。日本神話にはあまりでてきませんが、実は福井県福井市の足羽神社の御祭神と同じです。そんで、足羽神社の主は、ご存じ継体天皇ですから、色々と想像が膨らんじゃいますね。
     
    継体天皇について語ると長くなるんでやめますが(ちなみに福井にも丹生山地ってのがあるんですよぉ)、座摩神社は、一時は摂津一宮の住吉大社とも覇を競っていたってぐらいですから、なかなか由緒があるんですね。
     
    で、八軒屋の座摩神社の行宮。中に神功皇后の腰かけ岩なるものが鎮座しておるのですが、神功皇后と言えば住吉大社ですから、なにげにライバル意識の欠けらを見せられたようで、なんともおかしいです。
     
    渡辺の津は、淀川と大和川(昔はこっちに流れていた)が流れ着くところですので、京都や奈良で祓われたあらゆる「穢れ」の最終地点です。と言うわけで渡辺にはその穢れを背負い込む差別された人々もいたと言われています。その集落は、神社の移転とともに南に移り、さらに久太郎町4丁目の渡辺町の発展にともなって南の方へ移転しているのだそうです。これはさる渡辺さんから教えたもらったこと。
  • 遊郭 投稿者:テェタレ 投稿日:10月23日 23時39分

    さて、飛田、信太ときて、九条を忘れていませんかぁ。いずれも年季と風情を感じる場所じゃありませんか(笑)
     
    遊郭の立地については、歴史や経緯や行政当局の思惑などがあって、必ずしも場所の文脈が連続しているとは思わないのですが、最近面白いと思うのは、いわゆるラブホの分布。
     
    のりちゃんの書込にあるように、古来、「歌垣」なんてのは、祭りの夜の御乱交ですが、いわば「神事」に属することですよね。なんつうか、生命の誕生にかかる仕儀でありますから、そこに「気」は必ず介在するはず。
     
    んで、わたくしの主張ですが、風水で言う龍脈や龍穴のような「気の流れ」の多いところに出来たラブホは発展するのではないか、つうことです。勿論、必要性の原則から、高速のインター付近なのに多いのは致し方ないのですが、例えば断層と通りの交差する地点であるとか、川が合分流するようなところ、交通利便性では説明が付かないようなところに、ラブホ街が形成されるって事例が多いのではないか、って思いませんか?(笑)
     
    大阪でいえば、上町断層ぞい、生駒西縁断層沿い、大川と寝屋川(昔だったら大和川だ)の合流点、などなど。
     
    やっぱり、「気のよい場所」では「気も行きやすい」のでは、、失礼しましたっ、、、、、、、
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月24日 14時04分

    転勤で遠くへ行ってしまったのは寂しいけど、ネットに復帰されたことは嬉しいなぁ。
     
    渡辺の一字名という言葉は知りませんでした。
    運送業をしていた、「水の民」は、全国的に分布していたでしょうけど、どれくらい広い範囲までその勢力範囲はあったんでしょうね。
    私は地理が全くダメなんで、トンチンカンなことを考えてしまうんですが、潮流によっては、陸路を行くよりも海路を行くほうがよっぽど近い場所とかもあったりするようで。
     
    つまり、海の民である方が、遠くまで移動しているだろうと思うんですよ。陸の民ならば、一つの地を追われたら、次に安住の地は、前にいた場所よりすこしはなれた場所・・・となりそうですが、海の民ならば、海を渡って、離れた土地へ移動できるだろうな。
     
    例えば、千葉には、四国から繊維織物の民が多く移動してきているようですが、これも絶対、海からの移動だと思うんですよね。
     
    で、継体天皇に繋がるわけですね(笑)
    座摩神社と住吉大社の関係は全く知りませんでした〜。
    なんとなく、「真水の神」と「海水の神」とか思ってしまった(^^ゞ
     
    この二つの勢力は、「全く違う民」だったから張り合ったのか、「同族」だったから張り合ったのか、どっちなんでしょう。
     
    神功皇后は、「海の民」だったと思ってるんですけど、それ以外にも注目してる人なんですよね。
    清め祓いと関係が深いような気がしてるんです。
    まさに、「気が」ですが(笑)
  • 歌垣 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月24日 14時05分

    つげ義春なんかを読むと、祭りの夜のご乱交は、つい最近まで残ってたように書かれてますよね。
    そもそも、古来から「祭り」ってのは、性と深く関係してたんだとは思います。
    ハイヌウェレ神話も、「男達に贈物を渡す役の女性がいた」なんて書いてますが、ここらへんも、意味深なような。
    「血が騒ぐ」なんて言いますが、祭りも性の儀式も「血が騒ぐ」状態だと思うです。それが「気」とどう関係するかまではわからないけど、「血を騒がせる」ものが「気」なのならば、間違いなく、「気」は重要なファクターでしょうね。
    でも、「気」がわかんないんだよ〜〜(T_T)
     
    で、ラブホですが、確かに、「なんでこんなとこに・・・」と思う場所に集中して建設されてること、よくありますよね。
    断層はどこに走ってるかわからないけど、川(分岐点じゃないにしても)沿いに多いのは、確かかも。
    これに関しては、「眺めがいいから」という理由じゃないですよね。大概ああいう建物って、窓がないし。
     
    でも、「気が良い」のかなぁ?
    多少「気が悪い」方が、燃えるような人が集まってきません?ああいう場所って。
    なにしろ、「秘め事」だも〜ん・・・ってことないでしょうか??
  •  投稿者:テェタレ 投稿日:10月25日 00時02分

    >海の民
    網野善彦さんなんて読むと、海の民の歴史って、実はよく分かっていないんだなって思います。(この方も亡くなったしまいましたけど。)
    少なくとも、古代にあっては、日本海と瀬戸内海(山陽側)は、海の道の方がメインストリートだったはずです。
     
    太平洋側でも、例えば、千葉の地名と和歌山の地名が共通するものが多いことは、わりと有名ですよね。
     
    >多少「気が悪い」方が、燃えるような人が集まって
    そう。
    例えば千日前から生魂さんにかけて、とかね。
    「気が悪い」けど「気は強い」(笑)
    谷9辺り、ありゃなんだぁ(笑)
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月25日 14時48分

    陸にあっては移動跡に遺跡が残ってたりするかも・・・だけど、海じゃそれも残らないでしょうしね(^^ゞ
    千葉と和歌山に共通する地名があるのは、知らなかったかも。
    ただ、個人的に、茨城と和歌山あたりは共通する地名が多いように思ってました。
     
    「那賀(なが)」という地名、結構あちこちに見つかるんだけど、この地名にひっかかってます。
     
    丹波の「那賀」は、鉄鋼に関係があったけど、他の那賀はどうだろう。
    茨城の那賀は港町でした。おいしそうな魚を売っているのを見かけたけど、その日は、ものすげ〜暑い日で、その後2時間ほど炎天下をさまよう予定だったんで、購入は諦めました。
     
    >谷九
    OL時代、発明協会ってとこにおつかいに行くために、谷九あたりを通ったんですよ。
    夏休になんかなるとね、もう、
    「あんたらどう見ても、中学生やろ!!」
    とか言うのが、ピンクの闇に消えていくわけですよ。
     
    おばちゃんは、重い資料を持って汗だくになってるっつぅのにもう。
  • ちゃりんこに乗って 投稿者:テェタレ 投稿日:10月25日 23時16分

    >那賀
    「なが」はナーガなので蛇ではないか、なんつうと吉野裕子さんみたいで、イイでしょ(笑)
     
    那珂っての同音異字だと思うのだけど、茨城の那珂川、福岡にも那珂川ってのがあるよ。それと四国徳島じゃ那賀川で、これは大仏構造線の南を東西に流れているのね。
     
    茨城の那珂湊、これからはサンマが安くてうまいけどなぁ。
     
    >「あんたらどう見ても、中学生やろ!!」
    自転車で来るのよね。それもニケツで(笑)
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月26日 07時57分

    長くなったことだし、毅岳さんの「風水ネタ??」スレに移動します〜。

 

那賀(別スレにしてすんません) 投稿者:加賀見 投稿日:10月25日 21時03分

こちらでは、おひさでございますm(^^)m
那賀の地名と製鉄なんで、しゃしゃりでました(^^;
今回、のりちゃん達がオフで廻った和歌山の葛城郡
伊都の近辺だったか、中央構造体有田川沿いに「那賀」
という地名が、しっかりあります。
以前、ちゃうとこで話題にあげた錬金術師としての
空海や密教を研究されてされてる佐藤任氏(河内長野の
観心寺まえ阿修羅窟という茶店のオーナーさんでもあります)
の著作でも、那賀という地名と製鉄、鉱脈の関連は指摘
されてるのですが、中身は忘れた(爆)
 
異界、境界、気場、性と聖、という話題はここのとこ
はまってる分野だったりするのだけど、これも長く
なりそうだなぁ・・・
もう少し、書き込みたいんだけど、PC新しくしたんで
キータッチが慣れてなくてやりづらいのよ(--;
  • 加賀見様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月26日 07時56分

    そうなんです。
    和歌山にも那賀があります。
     
    それにしても、那賀という地名と製鉄の関連は、すでに指摘されてるんですね・・・。
     
    那賀という音は「長」とも関わるでしょうし、いろいろな連想は深まるんですが、全く手が回らない状態です。

 

新スレ 子ノ日権現信仰2 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 17時04分

江良様
 
やはし、島津に行きましたね!
そう。倒幕の先鋒となったのも毛利&島津ならば、
最後まで大阪(豊臣)方に組したのも、毛利&島津、そして、真田。
 
う〜む、オモロイ。
 
と、思いつつ、あまりにもトンデモ風味だったので控えてました(笑)
 
それが、毛利=土師氏で、島津=秦氏・・・となると、妄想がゆんゆん(笑)
 
そうなると、豊臣秀吉とはなに?という話までつながりませんか?
 
日吉丸で、猿ですからね(笑)
日吉大社や、下鴨・上賀茂のご神紋は、葵。二つの葉の葵ですよね?
 
徳川は、三つの葵。そこに呪術的要素があったりはしなかったのだろうか?
 
あ〜、妄想が止らない(^^ゞ
 
三輪高宮家系図というのを、以前、南朝ファンの友人からもらったんですが、それによると、大己貴命の子孫に、豊臣秀次の名があるんですよ(^^ゞ
 
土師氏と秦氏。
確かにぶっとんでますが、なにかしら、惹かれることは確かですね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 17時04分

    太平記を読んでいたら、とりあえず、あの時代の戦は、大将が自分の命をかけて戦ってますね。
    後陣に構えて、守られてる「王将」的な存在ではないようで。
     
    鉄砲が出来て、そして爆弾が出来て、戦はかなり様変わりしたのでしょうね。
     
    正成公については、自分が死んだ(落城した)と思わせておいて、姿をくらませたことが、当時の「武士」には、「そんな恥ずかしげもないことができるなんて!」と驚くことだったようで。
    そういうのは卑怯だと思われたのかもしれませんね。
     
    これも、大江時親の伝授した戦法だったのか。
    そう考えるとマロンが・・・(まだ言う)
  • 貴方にマロン 投稿者:江良 投稿日:10月17日 18時32分

    のりちゃん様も島津家を考えていましたか...
    ここで島津家の電波講釈少々。島津家は,惟宗姓を名乗
    っていますが,当初は,源頼朝「ご落胤」説を信じても
    らいたかったようです。この場合の母親は「丹後の局」
    (比企能員の妹)です。
    そして,ここからがマロン話。北条政子による殺害の恐
    れがあったので,丹後の局は密かに鎌倉を脱出し大阪の
    住吉神社で産気づき,狐火に照らされながら出産。そこ
    に住吉詣に来ていた関白近衛基通が「丹後の局」と「忠
    久」をみつけ,話を聞いて同情した関白が面倒をみて,
    後に親子共々鎌倉に戻ります。その後は,はしょります
    が「丹後の局」は丹党に近い人物と再婚し,「忠久」は
    薩摩に派遣されます。
     
    ちなみに,島津家の氏神は「稲荷大明神」で,理由は
    丹後局が雨の降る夜更けに住吉神社の境内で狐の火を借
    りて島津忠久を無事に出産しとことに由来します。
    (住吉が氏神でもいいような気がしますが?)
     
    徳川の葵(別名 カモアオイ)を家門にした理由は,家
    来の本田氏?が賀茂社の人間で家門が葵だったのを羨ん
    で譲るように強要したのですが,断られたのですが,天
    下人になったのを気に勝手に葵門を使用するようになっ
    たそうです(マロン無くて,つまんないです)
  • 前に出たネタなんですが 投稿者:江良 投稿日:10月17日 21時05分

    空海の手紙 空海が大名草彦の裔...これ分からないんで
    す。空海は佐伯氏で(空海は佐伯直で本流ではない)大
    伴氏とは大変近い家柄ですよね。佐伯は大伴金村の弟の
    歌(歌連)を直接の祖にしていますね。別説では,九州
    の大神氏族緒方氏後裔説・稲背入彦命の後裔で針間(播
    磨)国造家説の三つですが,紀伊国の大名草彦に結びつ
    かないんです(自分の無知?)
    やはり,空海の大名草彦の裔説は,高野山取得のための
    方便なんですかね?
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月17日 22時25分

    >毛利=土師氏で、島津=秦氏・・・となると、妄想がゆんゆん
     
    毛利元就は長州(山口)ってイメージが強いですか?
    もともとは毛利氏の祖先は確か関東から広島に移住してきたと記憶しております。毛利元就は広島駅から車で1時間半から2時間程度の山の中に住んでいたんですよ。この地は壬生た丹比などの地名があり、水分の地でもあります。丹生系の地なんです。今でも刀鍛冶がいるようです。
    で、毛利元就のもともとの居城は多治比猿掛城って言うんですよ。怪しいでしょ。
    でもって、一山越えて日本海側に出ると、石見銀山のある尼子氏の領地です。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月17日 22時30分

    >空海の大名草彦の裔説は,高野山取得のための方便なんですかね?
    多分・・・。ただその知恵を誰が教えたのか?あるいはどこで知ったのか?また、丹生氏に出した手紙なのか、紀氏に出した手紙なのか?疑問の多い手紙です。
  • 江良様、海老様 投稿者:かまど 投稿日:10月17日 22時40分

    妙寺駅までに道順分かりますか?
    JR新大阪で地下鉄御堂筋線の天王寺行きに乗り換え、難波駅でおります。階段を上がっていくとそこは南海難波駅。高野山極楽橋行き、あるいは橋本行きの特急にのりますと50分程度で橋本駅でございます。南海橋本駅とJR和歌山線橋本駅は一緒の駅です。そこで和歌山行きに乗り換え(単線ですので、急行、快速などと言うものはございません)、紀伊山田→高野口→中飯降(なかいぶり)→妙寺となります。くれぐれも王子あるいは五条行きには乗りませんように。奈良に行ってしまいます。
    では、ご無事に着かれる事を祈っております。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月17日 23時55分

    自分は,梅田から妙寺駅に行きます。大阪駅から新今宮
    から橋本に行って,最後に妙寺駅です。間違えないよう
    に気をつけます。大阪から和歌山が意外と遠いのが驚き
    でした。
     
    毛利...一応我家系の怨敵。戦国大名も面白いですね。
    石見銀山の側...石見銀山といえば大久保長安。だめだ
    電波が止まらなくなるのでストップ。毛利家は賢い一族
    ですね。あれだけ,徳川と敵対しながら最終的に打ち勝
    つんですからね。面白い祭りとかもあるのですが,ここ
    では関係無いのでパス。中国・九州も腰をすえて調べた
    いですね。その時は,かまど様にもんでもらいましょ。
     
    空海 誰がネタを提供したのか?紀氏は漂泊民の代表氏
    族ですから(他には,秦氏・小野氏)空海が雑密を学ぶ
    ために山野・市井に出たときの人脈かな?これだと考証
    不可能だから今一つですね。空海が学生の頃に大伴家が
    失脚していたんですね。この事件は空海の感情に何か
    影響を与えたのかな?空海もマロン一杯の人物ですね。
    調べ直しだぁ。
  • かまど様U 投稿者:江良 投稿日:10月18日 00時23分

    ネタ提供 空海の十大弟子の真済。二十五歳で伝法阿闍
    梨になった人です。空海の「聖霊集」の編纂に関与して
    います。こんで真済さんは「紀氏」です。
     
    空海の手紙を送った相手 紀朝臣百継なんていかが?
    百継は,当時の紀氏の中では出世頭です。最終的に参議
    まで上り詰めた人物です。紀氏は大伴氏とともに「応天
    門の変」で没落していきますね。運命的ですね。
     
    と,ネットを数分やって出した案だから安直なんですが
    ,偶然にも真済は,しつこく調べていた時期がありまし
    た。紀氏の出とは忘れていました。
  • 応天門の変 (おまけ) 投稿者:江良 投稿日:10月18日 00時38分

    応天門の変 処分者
    十五人中九人が伴氏(旧,大伴氏)四人が紀氏,残り二
    人が伴善男の従者の生江恒山と卜部田主です。
     
    伴氏と紀氏ばかりなのは,この両家が親しいからなのか
    ,他に選択の余地がない妥協の連合だったのか?詳しい
    人教えてください。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月18日 18時42分

    島津家と住吉&狐火の話しは初耳です。
    住吉大社に狐とのご縁を説く話しは聞かないですが、住吉大社のすぐ側に、安倍晴明神社がありますよね。
    安倍晴明は、葛の葉狐の子供という伝説があるのは周知の通り。
    「出産」「狐」というキーワードが共通してますね。
    住吉大社というよりは、「阿倍野」には、二つの狐伝説の基盤となるような、何か伝承があるのかもしれません。
     
    そして、その丹後の局が丹党と再婚したわけですね。
     
    ・・・丹生と、ほんのりつながるじゃないの(笑)
     
    葵のご紋については、残念ですが、家康は、なんで、葵ご紋を羨ましがったんでしょう?
    と、あくまでも食い下がって見る(笑)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月18日 18時44分

    つながりますね、本当に。
    水分っていうのも、現代では、イマイチよくわからないですが、古代では、重要だったんでしょうね。
    楠木正成公の水分信仰は、よく言われますが、「水運」だけが問題なのかどうか。
    銀(水銀と違うのがミソ?)が絡むというのが、やはり怪しいですね(笑)
     
    で、「猿(日吉丸?)」がでてきた〜〜〜!!(←大喜び。妄想なのに)
     
    いろいろなことがつながりますね。
  • 難しいですね 投稿者:江良 投稿日:10月18日 22時57分

    過去ログを読むと,のりちゃん様は加門七海女史の本を
    投げ出した話を書いていましたよね。自分,徳川という
    か江戸時代が苦手で,最近読んだ江戸時代の話は,その
    加門七海女史の本だけなんですよ。本とネットで調べて
    も,いいネタなし...かわりに賀茂神社のトリビア・ネ
    タで勘弁です。
     
    倭姫後世記の原本て,どこにあったと思います?山城国
    賀茂神社権禰宜の蔵にあったんですよ。けっこう不思議
    じゃありません?そんなことない...
     
    次いこ。住吉の側に安倍晴明神社がありますね。晴明生
    誕の地と云われていますね。信太森も近いのですか?
    阿部野・住吉・信田が近いと面白いんですけどね。伏見
    の一番奥に「晴明の滝」があったような記憶が...
    住吉と稲荷は,なかなか結びつかないですね。
    初代島津の忠久の元服の時の烏帽子親が畠山忠重で,こ
    の人が丹党の人です。
    否マロン話としては,晴明の母「葛葉」を難波キシ(渡
    来系氏族)の娘と桜井市の観光課が書いていました。
     
    真田家のルーツは諸説ありますが,一番有力な話は,清
    和天皇から派生した滋野氏系と云われていますが,もう
    一つの説が海野氏です。海野氏は,信濃の牧を管理して
    いた氏族で大伴氏の出と云われています。
  • かまど様 投稿者:海老珍 投稿日:10月19日 07時17分

    お気遣いありがとうございます。
     
    江良様が一番遠くから?
    関西では「きつねうどん」を「しのだ」って書いてるお店がちらほらあります(^^)
    巻き寿司とおいなりで「助六」っていうのと同じノリですね。
     
    このスレにつける内容なんか、と悩んでしまううちにえーい返信プッシュ!
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月19日 15時07分

    加門七海氏については、「噂の神仏」は面白く読んだ覚えがあります。
    「魔方陣シリーズ」で、投げ出したんだったっけ・・・ちょっと忘れてしまいました(^^ゞ
     
    ちなみに、私達夫婦の間の定番ボケに、
    「うわ、大変な発見をしてしまった!○○神社と、▽▽神社と、□□神社を線で結ぶと三角形になる!!」
    というものがあります(笑)
     
    江戸時代については、「耳袋」が面白いです。
    この時代の風俗というか、感覚が、今昔の時代とは随分違うのだ、と感じます。
    割と際どい話もありますよ。
    平凡社ライブラリーから出ているので(絶版になってなければ)、お勧めですよ。
     
    倭姫については、マロンをかきたてられますね。
    山城国賀茂神社ですか。
    玉依姫が秦氏であるという、謡曲「賀茂」と合わせて考えると、わくわくしますね。
    向日神社のご由緒や、日吉大社の摂社を見るに、山城国賀茂神社と、大山咋命との関係は無視できませんし。
     
    いや〜〜、マロンだわ。
     
    で、安倍晴明神社(住吉大社)と、信太の森ですが・・・。
     
    私が持っている地図では、ページが分かれてるので、分かりづらいですが、大体10キロほどの距離ってとこでしょうか?
    遠いといえば遠いですが、近いといえば近いのでは。
     
    葛の葉が、難波吉士ですか。
    難波吉士について、鵲森宮神社のご由緒には、
    「鉄鋼業の祖」
    と注釈がついてました。
     
    推古天皇の時代に、鉄鋼業の「祖」ってことはないやろ、ほんだら、それ以前には鉄鋼業がなかったんかい!!!・・・と思いつつも、なかなか面白いと思います。
    いや、そこに葛の葉狐が絡むところがね(笑)
     
    真田家のルーツは、不明だ、と思ってました(いい加減)。
     
    大伴氏関連なら、高野山との関係が、また興味ひかれますね。
     
    で、残念なお知らせです(笑)
    大江時親を始祖とする毛利氏と、豊臣方で最後まで戦った、毛利勝永は、別系統だ、とanne猫さんに教わりました。
     
    教えてもらったURL

    http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/mori/b-mori-katu.html
     
    ちと残念(^^ゞ
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月19日 15時08分

    思いがけない話題から、発見が!!
    てなこともあるんで、思いついたら何でも書いて、書いて!!
     
    でも、私は「きつねうどん」を「しのだ」って書いてるのは、あまり見たことないんですわ。
    地域性があるのだろうか?
    河内では、きつね=しのだ(葛の葉)狐・・・という感覚はないのかも。
  • 残念 投稿者:江良 投稿日:10月19日 19時08分

    のりちゃん様 毛利氏の話は,残念でした。妄想ときつ
    い現実からマロンは作られるのですね(自分で書いてて
    意味わかんない)
     
    「耳袋」読んでみます。自分は「新耳袋」しか読んだこ
    としかなくて...ダメだ今日の自分,いつも以上に変!
    江戸時代の風俗等も面白いですもんね。今の幽霊や妖怪
    話は江戸時代に造られた話ですからね。
     
    「噂の神仏」大好きですよ。半端ないドジっぷりは芸の
    領域でしたもんね。でも神仏に対する畏敬の念を感じさ
    せる七海女史は凄いなぁ。
     
    倭姫は面白いですよね。腰をすえて調べたい人物です。
     
    そうそう難波吉士でした吉士の字を思い出せなかった。
    あんたらが,「鉄鋼業の祖」...うーん,つっこみどころ
    満載ですが,何かあるのでしょう(こればっか)
     
    海老様 はじめまして。のりちゃん様のやさしさに甘え
    て電波マロンまきちらして,すみません(電波マロン...
    凄く不味そうな食べ物みたい)
    きつねうどん=「しのだ」初耳です。関東では,陰陽道
    や晴明の話は荒俣博氏の「帝都物語」からの流行話です
    。大阪(一部)では「信田妻」の話が現役話なんですね
    。やはり関西は面白そうです。
    オフ当日は,よろしくおねがいします。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月20日 16時51分

    今の妖怪や幽霊って、江戸時代に作られたんですか?
    っていうか、多分、江戸時代にイメージが確定したってことでしょうか。
    だって、ある意味、「ヤマタのオロチ」も、妖怪ってことになるでしょうしね(笑)
     
    あと、ほら、「鵺」なんかも。
     
    鵺といえば、タヌキ・ヘビ・タカなど、えらくバラバラな動物のキマイラですよね。
    あれが何を意味するのか、というのも追求すれば面白そうです。
     
    私としては、退治したのが、多田満仲公の子孫であるというのが面白いですけどね〜。
    化け物退治の家系ですから。
     
    で、葛の葉狐が、難波吉士の子孫だとしたら、葛の葉狐と鉄鋼との関係がある、という意味かもしれませんよね。
  • ひとりごと 投稿者:あかがね 投稿日:10月20日 18時11分

    私も実家関西、現在岡山の人間ですが「しのだ→うどん」というのは見たことがないです。
     
    というか「しのだ」というと全く別のアイコンというかイメージがありますね。
    昔は陸軍、今は自衛隊の駐屯地が近くにあってそれを慰撫する為の(以下自主規制)。
  • そうです 投稿者:江良 投稿日:10月20日 18時53分

    のりちゃん様 おっしゃるとおり,江戸時代にイメージ
    が固まるが正しい日本語でした。九十九神は,室町時代
    からの妖怪ですもんね。絵画の発展と怪談話の流行が原
    因かも?
     
    鵺...鵺が鳴く夜は恐ろしい(古い)つまならいことを書
    けばツグミ科のトラツグミのことででね。(激つまらん
    )万葉集に出てきますね。舞台の「鵺」は世阿弥作と云
    われています。四天王も全員怪しいですよね。金太郎な
    んか人間じゃないですもんね。(関東に妖怪に優しい金
    太朗伝説あります)多田満仲の墓は足柄にありますね。
    何か関係あるのですかね?
     
    あかがね様 はじめまして。自主規制おおいにきになり
    ます...
     
    今からデジカメ借りてきまーす。当然オフのため。
  • すいませんでした 投稿者:江良 投稿日:10月20日 21時58分

    我ながら,上の文は酷過ぎですねぇ。
     
    葛の葉狐と安部家 陰陽道の大家と鉄鋼の関係が気にな
    りますね。もう一つ「稲荷」も加えていいと思います。
    陰陽道と関係の深い「大将軍神社」は,伏見稲荷の札を
    売る権利(許可)があり,かなり財を成したと聞きます
    ね。もう一つ,名田庄の藤田氏が安部家は「朱(朱銀)
    」が収入源だったと云っていたそうです。稲荷も製鉄と
    関係の深い神社なので,鉄鋼は安部家(陰陽師)の力の
    源泉だったのかもしれませんね。
     
    鵺 混合物を一つ一つ調べて,何のシンボルか調べたい
    ですね。京都に「鵺塚」ありましたよね?どんな意味が
    あるのでしょう?四天王も気になります。あるいみ全員
    が否人間(性格ではなく)の集まりにも思えますよね。
    やはり鬼は,鬼にしか退治できないのですかね。
  • あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:10月21日 00時35分

    関西人の私、大昔に1度行った事あったりして・・・。
    これ以上はノーコメントで。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月21日 00時38分

    稲荷は「稲成り」とも「鋳成り」とも推量されてますもんね。
  • かまど様だぁ 投稿者:江良 投稿日:10月21日 00時56分

    お仕事乙(お疲れ様)です。あかがね様の自主規制は,
    のりちゃん様から教えてもらっただ!
    稲荷=鋳成り。伏見稲荷社では,「ふいご祭り」は健在
    でしたよね。
     
    そうそう,大伴家持が多治比嶋の孫と云われる理由が分
    かりましたよ。大伴旅人の妻(大伴郎女)の正体が複数
    の説があるんですね。一般的には,巨勢郎女が大伴郎女
    とされています。もう一人が石川郎女です。でも,伴氏
    系図に「多比等女」になっています。
    ここからは,他人の説なのですが,家持の妹に「留女之
    女郎」がいます。彼女は,子供のころに丹比家に居住し
    ていたらしい事が歌から推測する学者さんがいるそうで
    す。これらを考えて,大伴旅人の妻は,大宰府で親交の
    あった「多治比県守」の娘の可能性があります。
    旅人が多治比県守に送った歌は好きです。
     
    明日の深夜バスで,そちらに向かいます。
  • 参加資格を疑われる… 投稿者:あかがね 投稿日:10月21日 08時12分

    >江良様
    私は今は岡山ですが前任地は茨城県でした。
    北関東だと土浦にあたりますね…。
     
    それはそうと私は大阪では美原町内(今は堺市に統合)多治比の隣村に長らく暮らしていました。
    丹比神社とかごく近所で。
    …なのにそっち方面つっこめないなぁ(爆)。
    そういや生まれも泉大津で信太山近いのにこんな書き込みばっかしで…(反省)。

 

オフについて具体的なお知らせ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月06日 16時10分

かまどさんが詳細な計画を組んでくださいましたんで、連絡します。
 

10時     JR妙寺駅集合出発(改札は1つです)
          *橋本駅からでしたら9:43着と10:10着があります。
            橋本駅→妙寺駅 所要時間14分
 
10時30分  竃門神社横通ります。ちらっと見れます。
          *個人宅なので入れません。
 
10時40分  丹生酒殿神社着 (和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷)  
          *鎌八幡、巡寺八幡講の絵など、および説明。
          *話題は多いですが見るところは少ないです。
            よって、見所の多い丹生津姫神社の方に
            時間をとりましょう。
 
11時10分    丹生酒殿神社出発
 
11時15分    勅使道(三谷坂)へ。宮滝見学  5分程度
 
11時40分頃   笠石着 特に話題ありません。見るだけ。
 
12時頃      頬切地蔵着 5分〜10分程度
 
12時30分    丹生津姫神社着  (和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野)  
            *昼食・散策
 
15時       丹生津姫神社出発
            *多分すぐ見終わってしまうので、
             その時はもう少し早く出発。
 
16時       狩場明神の矢根研石着
 
17時       七尋滝着  
            *丹生津姫降臨の滝です。降りれないのですぐ見終わってしまいます。
            *木祭(もくさい)の滝祭りではここで神事をしていたようです。
            *酒殿神社まで10分のところです。
            *丹生津姫神社からバスで戻られる場合は、
             天野に上る前に見学しましょう。
 
17時40分    JR妙寺駅着 
            *駅にみやげ物やあります(マルシェ)
 
17時48分    妙寺駅発
 
18時 8分    JR橋本駅着
 
18時10分    居酒屋さん(大吉)着
 

時間的に、呑み会の参加は無理とおっしゃる方は、連絡くださ〜い。
よろしくお願いしますm(__)m
  • ポイント 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月06日 16時12分

    さて、今までのかまどさんの書き込みの中で、私が個人的に、
    「ここ、ポイント(^^)b」と思うところを抜き出し、かまどさんにチェックしてもらいました。
    ご参考までに、も一度目を通しておいてください。
     

    ・三谷(丹生津姫神社界隈だがちょっと離れた場所)には先着の大伴氏がいた。
    ・大伴氏が祭っていたのが、オクツヒコ・ヒメの竃神である。
    ・そこへ、「神功皇后にこの土地いただきました〜。お邪魔します〜」とやってきたのが、丹生氏。
    ・その後、大伴氏は丹生氏と婚姻を結ぶなどして、自らを丹生化させるも、(※注1)後世になって、「やっぱしわしら、大伴やし」という動きがあったようだ(※注2)。
    ・で、丹治氏は、丹生総家(そもそもの丹生氏のこと??)が、丹治家信を養子としたことから、ここに関わってくる。
    ・ちなみに、なぜ、家信を跡継ぎとして迎えたか、については、謎が多い(※注3)。
    ・空海は、丹生氏に、「仏教広めたいから土地ちょうだい」という手紙を送っていて(※注4)、その後高野山に落ち着いている。
    ・つまり、丹治の人々に、丹治家信を紹介されたのではないか(※注5)。
     

    かま注1:1280年ごろ大伴常家を丹生総神主家の嫡男として迎えました。つまりそれ以後は表向きは丹生総神主、でも中身は大伴氏。
     
    かま注2:丹生氏が2つに分かれることに成ったとき、中身大伴ですから、三谷に残ったほうは、大伴が祭っていたもともとの地主の神の名前をとって、丹生から竃門に名前を変えた(多分江戸時代)ということです
     
    かま注3:古文書では、家信は丹生照元の甥であったため養子にしたとの記述があります。(しかし、私は少し疑問があって、後世話若干変えてない?と思っています。本当に甥だったの?ってことです)
     
    かま注4:丹生氏と紀氏の共通の祖先である大名草彦は、空海の祖先でもあるとの手紙を送り、高野山開創の協力を依頼しました。
     
    かま注5:あるいは、家信は丹生氏の養子になる前にすでに空海と会っているとか。
  • 訂正おば。 投稿者:かまど 投稿日:10月06日 22時45分

    >かま注4:丹生氏と紀氏の共通の祖先である大名草彦は、空海の祖先でもあるとの手紙を送り、高野山開創の協力を依頼しました。
     
    空海が丹生氏か紀氏に、「私の祖先は(紀氏、丹生氏の祖先である)大名草彦のわかれであるので協力してほしい」という手紙を出しています。→本屋さんで売ってます。
     

    本日とうとう食欲がなくなってきました。結構やばいかも。と言う事で本日はこれにて就寝です。おやすみなさい。
     

    >かま注5:あるいは、家信は丹生氏の養子になる前にすでに空海と会っているとか。
     
    空海と会っているかも。(推定です)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月07日 12時30分

    あわわ。すいません。
     
    空海も謎が多いですね。
    丹生氏との関係は単なる口実の可能性があるとしても、丹治氏との関係は、何かあるということですよね。
    ここが面白いですね。
     
    ゆっくり休んでください。
    食欲のない時は、生姜などの胃を暖めるものが良いですよ!
    消化の良いものをね。
  • おひさです! 投稿者:海老珍 投稿日:10月07日 18時22分

    すんません、参加者なのについついヨソ事しておりました。
    かまど様お仕事大変なんですね。オフの日までにはバッチグー!よろしくですよ(^_-)-☆
    行程計画拝見いたしました。とにかく遅刻せんように行きます。
    土曜はお気楽主婦なんで最後まで付き合いたいです!
  • バ,バーム 投稿者:江良 投稿日:10月07日 20時35分

    かまど様 充分な休息が取れないときは,バ■ムお勧め
    です。勤め人は必要な時に休養が取れないケースがあり
    ますんで...
     
    竃門(竃)神て不思議ですね。大伴氏特有の神様では,
    ないのですが記紀の時代から荒神という表現があり,各
    学者さんが解釈を発表していますが,よくわからないで
    すよね。九州の英彦山が竃門神の総本山という記述を見
    つけたのですが,英彦山と紀伊の大伴氏に関係あるんで
    すかね?
     
    かまど様 とにかく身体には気をつけて下さい。
     
  • 九州の英彦山が竃門神 投稿者:かまど 投稿日:10月07日 22時09分

    こんばんは、丹生マニア改め、丹生おたくの「電車男」、いやいや「神社男」です!うまい!(^^;)
    皆様にはご心配かけております。2日で2KG体重減りました。いいダイエットで喜んでおります。
     

    >荒神
    竃の神様ですね(仏教的な神様?)。あるいは元いた神様のたたりを恐れて祭ったものです。荒ぶる神ですね。
     
    >英彦山と紀伊の大伴氏に関係あるんですかね?
    英彦山(今住んでるところから行ける距離)と大伴というよりも、九州と大伴と隼人のキーワードで調べています。竃門神社も2系列あり、1つは太宰府天満宮の竃門神社(玉依姫、神功皇后、応神天皇)と、もう1つは火明命、奥津彦、奥津姫を祭る竃門神社です。前者と丹生は繋がりが見れますが、後者と丹生は、今のところ三谷の竃門でしかつながりません。
     
    九州の丹生
    九州には大分市に丹生の地名、神社、川などあり、水銀も取れていたようです。気になる方は邦光史郎著「古代史の謎 朱の伝説」(集英社)¥1,400をご覧下さい。ここには戦国時代大友宗麟という名将がいました。このご先祖様で大友能直(よしなお)と言う人がいます。本では大伴能直になっていますが、インターネットでは大友ばかりです(関東の大伴郷出身?)。さてこの人が豊後に下向するとき、船が台風で難破し(1255年)、丹生津姫の導きで難を逃れ、以後社殿を造営したりし、崇敬したようです。
    また、熊本市には丹生宮と言う地名があります。これは「空海がこの地にきたから」ってのが理由らしいのですが、どうして空海がきただけで丹生になったのかは不明。この地には丹部という姓が多いとのこと。これも先ほどの「朱の伝説」に書かれています。
    温泉で有名な嬉野にも丹生神社が数箇所あります。
    以外と九州にも丹生で調べないといけないところがたくさんあるんですよ。
  • 参加します。 投稿者:毅岳 投稿日:10月07日 22時41分

     こんばんは。当日は、よろしくお願いします。今から、ワクワクしてます。今回は、御朱印を頂ける時間がありそうで、嬉しいです。この頃、千社参りが滞っているので。のりちゃんさんを始め、かまどさんにもお会いできて、今回は、居酒屋までご一緒できそうなのが、更に嬉しいです。
  • 長いけどご免なさい 投稿者:江良 投稿日:10月07日 23時20分

    かまど様 九州に竃門神社が二つの系統...そそるネタ
    ですね。お暇な時に,その火明命・奥津彦・奥津姫を祭
    る竃門神社の住所を教えてください。
    かまど様が「神社男」なら,自分は「電波男」に改名し
    ようかな。あと本は買います。
     
    のりちゃん様 書き込みに気がつかなかったです。すい
    ません。ヤマトタケルの系譜は,自分も知らないんです
    よ。物部氏・海部部・尾張氏・弥彦神社の系譜とニラメ
    ッコしてたんですよ。ネットと本の両方を調べた記憶が
    あります。
     
    梁塵秘抄 この部分が原文ですので,自分のインチキ
    文章で我慢してくださいね。(本当に無知なんです)
     
    天孫本記
    宇摩志麻治命土月(しもつき)丙子の朔庚寅の初斎瑞寶
    奉為帝后鎮祭御魂
    祈請ことわき祚其鎮魂祭自此而始まり。
    詔宇摩志麻治命に曰く汝の先の孝饒速日尊自天受未
    天璽瑞寶(十種是也)以此為鎮毎年仲中(しもつきなか
    の)寅為例有司行事永為よる鎮祭(しずめまつり)矣所
    謂る御鎮祭る
    是厥鎮祭之日は猿女君主等ら主(つかさど)り其神楽其
    言大(太かも?)謂一つ・二つ・三つ・四つ・五つ・
    六つ・七つ・八つ・九つ・十と而神楽を歌い舞いは最も
    縁瑞寶に蓋し謂斯与欠(与と欠の二文字を一つの漢字に
    してください)天の神の・御祖(みおや)詔授天璽瑞寶
    十種所謂(いわゆる)瀛都鏡(奥津鏡)一つ・辺都鏡一
    つ・八握の剣一つ・生玉一つ・死反玉一つ・足玉一つ・
    道返玉一つ・蛇比礼一つ・蜂比礼一つ・品物比礼一つ是
    也。
    天の神は御祖教詔日若(も)し痛処有ればこの十宝を一
    ・二・三・四・五・六・七・八・九・十と言って布留部
    由良止布留部。
    如此為之者死人返生興(最後の字は自信ないです)
    是則所謂る布留之言(こと)の本(もと)矣所謂る
    鎮魂祭是縁起。
     
    ほぼ原文です。天孫本記とあるから先代旧事本記からの
    ネタかもしれません。鎮魂祭は白河天皇の時代から始ま
    る(もしくは,改良された)そうです。
     
    PS 自分もオフ会参加していいのでしょうか?
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月08日 16時22分

    よっしゃ、最後まで参加ですね!
    大吉は、結構うまかったですよ。楽しみましょう!
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月08日 16時23分

    あ、ごめんなさい。
    もちろん、参加していただくつもりでおりました。
    はっきり返事してなかったですね(^^ゞ
    すんません。
     
    竃神というと、私がまず思い浮かぶのは、吉備津神社にある、温羅の釜ですね。
    こないだ岡山に行ったところなのですが、「鬼退治」「猿神退治」と、「退治」の多い土地柄なんですよね。
    そして、鬼を退治したのは、犬(養)を連れた吉備津彦。猿神を退治したのは、犬を連れた猟師。
    ちょっと狩場明神との関係を疑ってもいます。
     
    ヤマトタケルの、系譜については、いろいろ調べないとわからなさそうですね。
    注意してみておきます。
     

    梁塵秘抄ありがとうございます。
    これは・・・頭に入らん(^^ゞ
    でも、保存しときますφ(..)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月08日 16時23分

    そういえば、九州の神社のお話も以前教えていただきましたね。
    玉依姫・神功皇后・応神天皇は丹生と関係があるけど、
    火明命、奥津彦・奥津姫は、丹生氏とは関係ないにしても、奥津彦・奥津姫は、大伴氏とは関係ありありですよね?
    そして、火明命が、饒速日尊のことだとしたら、多治比は、饒速日尊の系列・・・。
     
    九州のかまど神社は、丹生氏系と、大伴氏&多治比系に別れてる・・・という見方は乱暴すぎますか??
     
    九州の丹生も、かなり奥深いんですね。
    しかし、九州は、行ってみたいなぁ〜〜〜!!!
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月08日 16時24分

    お、居酒屋まで一緒できますか?
    やったぁ!!
    楽しみにしてますので、よろしく!
  • 感謝記念 投稿者:江良 投稿日:10月08日 17時08分

    よっしゃー。のりちゃん様ありがとうございます。
    今日は悪友二人が自分を置いて楽しいイベントに行って
    て,自分だけ調べ事...ブルーな一日だと思っていたの
    ですが,これで気分爽快です。
     
    かまど様 竃門神社は九州・大伴・隼人で調べている...
    久米じゃないですか?久米は隼人出身説と安曇氏出身説
    がありますよね(他にもありますが)
    それと大伴家持の歌の「大久米主...」とありますよね
    。九州に何かありますね。家持の祖父が多治比嶋なんで
    すね。さっき知りました。
     
    のりちゃん様 温羅の釜ですか。共通していえるのは
    怖い神様ですね。竃門神は荒神ですし,温羅は梁塵秘抄
    で「うしとらみさきおそろしや...」と歌われていますし
    ね。吉備津神社は都市伝説で怖い話を聞いた事があって
    興味ありますね。
     
    丹生都姫様のペアになるのは,蟻通神社だけでなく住吉
    の可能性もありますね。長くなったので失礼します。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月08日 23時24分

    >その火明命・奥津彦・奥津姫を祭る竃門神社の住所を教えてください。
    おおっ!すいません私もそういう記憶があってインターネットで検索して見つけたんです。また見ときます。
     
    >久米じゃないですか?
    大伴というキーワードの中にもちろん久米も含んでおります。
     
    >家持の祖父が多治比嶋なんですね。さっき知りました。
    ええっ!そうなんですか?知りませんでした。多治比と大伴がつながるなんて。
     
    江良様、当日お会いできるのを楽しみにしております。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月08日 23時47分

    >ちょっと狩場明神との関係を疑ってもいます。
    開山伝承には犬や猟師が出て来るものが多いようです。どこかの本にかかれてました。そのため、高野山も狩場明神の話から、他の山の開山伝承と同様のパターンであるとのことです。
     
    >鬼を退治したのは、犬(養)を連れた吉備津彦。
    物語では「鬼が島」ですが、これは実は山で、確か岡山に地名が残っていたと思います。鬼の城(きのじょう)だったかな?TVでは鉄の争奪戦だったのではといってた様な記憶があります。
    物語は変わるんですよ。例えば、桃から生まれた桃太郎。そんなはずはない!そんな大きな桃はないし、桃を切ったら桃太郎も切れるかもしれないじゃないか!桃太郎の物語は元来、年老いた夫婦が、川?から拾ってきた桃を食べて若返り、子供ができた、というものだったんだそうです。
     
    >火明命、奥津彦・奥津姫は、丹生氏とは関係ないにしても、奥津彦・奥津姫は、大伴氏とは関係ありありですよね?
    そうですね。まだまだ証拠は少ないですがね。
     
    >九州のかまど神社は、丹生氏系と、大伴氏&多治比系に別れてる・・・という見方は乱暴すぎますか??
    乱暴ではないと思います。
     
  • どんどん 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月09日 16時24分

    新スレに以降します。
    参加者の皆さんは、日程メモっといてくださいね!
  • 上げます。 投稿者:毅岳 投稿日:10月16日 20時32分

     試験一週間前!違った・・・。オフ会一週間前なので、上げておきますねー。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 16時58分

    上げ、ありがとう。
    参加者のみなさん、待ち合わせ時間などのチェックよろしく。
     
    レスは、新スレにお願いしますm(__)m
  • 皆様 投稿者:かまど 投稿日:10月19日 16時20分

    ご連絡が。
    丹生津姫神社さんに確認したら、ゴミは持ち帰りだそうですのでご注意下さい。なにせ山なもんで、ゴミ回収の回数が少ないんです。ご理解よろしくお願いいたします。
     
    では、上げときます。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月20日 16時50分

    ゴミは、持ち帰り。
    基本的なルールですよね。
    でも、念を入れて気をつけます!
     
    いよいよですね!
    よろしくお願いしますm(__)m

 

予告最終回 投稿者:かまど 投稿日:10月15日 23時45分

いよいよオフ会実行まで1週間となりました。
予告も今回で最終回。今までたくさん書いてしまって分かりにくくしてしまったかと反省しております。
こちらの掲示板でだいたい書き尽くしてしまいましたので、当日は景色を見ながらのんびりと歩きましょう!
 
では予告最終回どえーす!
天野と言う地は、空海さんがこられてから、悪い言葉になりますが仁和寺や高野山に支配されてきました。しかし、支配とはいえ行政的なものであって、庶民を苦しめていた訳ではありません。高野山と天野はお互い助け合い共存しながら神仏習合の中でも独自の文化を生んできました。以下丹生津姫神社誌より。
 
西行法師の妻子の墓
西行は俗名佐藤義清といい、1140年に出家。家系は藤原氏で俵藤太秀郷を10代前の祖とし、平泉の藤原氏とは同族。
*妻子は女人禁制の高野山に登れないため、天野にすまわったようです。
 
鏡池と八百比丘尼
若狭の国の八百比丘尼が当社に詣でての切、池のほとりに立ち、水面に浮かぶ己は姿をみて、八百歳にしてそのあまりの美しさ、若々しさをなげき悲しみ、懐中にした鏡(わかひるめの御宝鏡を取り出し、己が水面に投げつけたと言われる。
 
横笛の恋塚
建礼門院の官女であった横笛が、花見の宴で「春鶯囀」(春の鶯がさえずる?)を舞った。それをみた平清盛の嫡子重盛に仕えていた斉藤滝口時頼は、恋慕の情にとらわれ、夫婦の約束までしてしまう。
しかし、当時身分・家柄の相違から父に反対された時頼は出家し、高野山へ。それを知った横笛も出家し、高野山の上り口の1つである天野に草庵を結び、会える日をまった。しかし、会えぬまま病で19歳の若さでなくなる。死ぬ前の歌が、
やよや君 死すれば登る高野山
   恋も菩提の 種とこそなれ
と歌ったそうな。
死んだ横笛は鶯となり、時頼のいる寺に飛んでいったそうな。
 
といった、高野山にまつわる話がたくさん伝えられています。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 00時21分

    ありがとうございます。
    かまどさんのこれまでの予告は、コピーして、当日皆さんにお配りできるように準備しとります。
     
    しかし、高野山という土地は、女人禁制ということから、どうも悲恋の物語が多いですね。
     
    横笛の話は有名ですが、実際そういう話は山ほどあったんでしょうね。
     
    そういう目で高野山を歩くのも、また乙かもしれません・・・けど、今回の女性メンバーに、そういうセンチメンタルな人はいないや〜〜(笑)
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月16日 01時18分

    なんか自分が,かまど様をかき回したような気がします
    。お詫び申し上げます。
    丹生という言葉の響き以上に興味深い事象が天野の地に
    残されている事を知ったのは,かまど様のおかげでした
    。自分が探していながら,よくわからずモヤモヤしたモ
    ノが幾つも氷解していく感覚も楽しめました。いくら感
    謝しても足りないくらいです。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 18時53分

    関西と関東という土地の違いもありますから、当日、かまどさんの案内を聞けば、もっとびっくりすることもあるかも。
     
    私も、江良さんの話を聞いてて、「あ・・・私やっぱり、えらい狭い範囲のことしか知らんのやわ」と思いました(笑)
  • こんばんは 投稿者:毅岳 投稿日:10月16日 20時34分

     かまど様、のりちゃん様、当日は、よろしくお願いします。
  • ただいま! 投稿者:海老珍 投稿日:10月16日 21時21分

    実家から帰ってきたとこなんですが、どうしてもコレだけ。
    センチメンタルやてー!
    わははははははは。
     
    みなさま、よろしくお願いします。
     
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 17時00分

    こちらこそ、よろしくm(__)m
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 17時01分

    同類項〜同類項〜〜〜(笑)
    やもんね。
     
    当日よろしく。

 

新スレ 子ノ日権現信仰 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月13日 15時50分

江良様
腕立て二回と腹筋三回?
んなもん、うちの文鳥のチュッチュでも朝飯前にやります〜〜〜っ!(←嘘だけど)
 
さて、鶏鳴伝説っていうのは、
菅原道真公が太宰府左遷の折、道明寺の尼であった伯母・覚寿尼に挨拶に来るんですね。
で、夜を明かして語っていたところ、鶏の声が。
「朝が来てしもた」
と、泣きながら叔母に別れを告げた道真公。
「あぁ、鶏さえ鳴かなければ、もっとゆっくり話せたのに」
ということで、道明寺の人々は、鶏を嫌い、食べるのをやめました(現実には、道明寺天満宮のすぐ側に鶏肉屋があったりする(笑))。
という話が、和漢三才図会に載ってます。
 
これについては、
http://www.norichan.jp/jinja/benkyou2/yagi.htm
にくだくだと書いてますんで、良ければどうぞ。
 
つまり、朝を嫌うのは、鬼ばっかじゃないってことですね。
しかし・・・菅原氏は土師氏。
土師氏と鬼も、キーワードが絡みますね、言われてみれば。
 
ほんまやわ。
 
九州地方の、記紀とはかけ離れた伝承、教えてください。
「惟賢比丘筆記」に出てくる、神功皇后とアカル姫説話とが重なる話(太陽により妊娠して流された)にも興味持ってるんですが。
 
現物ってどっかで読めるのかなぁ???
 
んで、秦河勝公と、天狗については、単に、
「能楽師」というキーワードで繋がるよな〜・・・ということ。
 
あとは、むっちゃ長くなるのと(薄いくせに)、微妙な話も含むので、また機会見て話しますね(~_~)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月13日 15時54分

    家系図を作るのが、流行った時期があると聞いたことがあります。
     
    戦国期・下克上でなりあがった武将が、自らの家柄を誇示するために作ったパターンが、一つ。
     
    家康公も自分が征夷大将軍になるために、源氏であると主張した(事実の可能性も勿論ありますが)・・・と習いましたし。
     
    あとは、明治時期に豪農の間で、家系図が流行ったと聞きました。
     
    実は、うちの父の実家にも、平是盛(だっけ?いい加減(^^ゞ)の子孫であるという家系図が残ってたりします。
    でも、平氏って、その末路が不明のことが多いじゃないですか。そりゃ源平の戦いで滅んでるわけだから。
    でも、滅んでいるとはいえ、平氏を祖とするといえば、それなりのハクが付く。
     
    そんなわけで、
    家系図を作らなくてはいけないのだけれど、その氏について過去を辿れない場合、
    「とりあえず、先祖は平氏ということにしといたれ〜」
    という感じだったとも聞くわけでございます(笑)
     
    というわけで、私はあんまりアテにしてないんですけどね(^^ゞ
     
    >長生き&秩父
    やはり、地元の方からゆっくりお話伺いたいですよね。
    そうしたら、短期滞在ではなく、長期にゆっくりと交流を深めたいですよね。
    でもま、長生きはしましょう。御互いに(#^.^#)
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月13日 15時56分

    牛神については、いろいろ言われてますよね。
    ほんと、あちこちに祠があるし。
     
    そういや、信貴山は、寅・寅・寅でしたね。
    で、重複する日にお祭をするというのは、例えば、節句の日がそうですよね。
    3月3日は桃の節句。5月5日は端午の節句。7月7日は星の節句。9月9日は重陽の節句。
    重なる日は良くないので、厄除けに祀った、と言う人もおられて、ここらへん面白いです。
     
    宗教はルサンチマンだ・・・なんていう考え方は、なんだかセコイっ!!
    と思うのですが、ある種正解で、恐れや不平不満が、信仰に繋がる面は必ずありますもんね。
     
    だから、陰陽のバランスが大きく崩れる日に、何か大きな祝い事を当てて、それで、吉凶のバランスをとろうとした、というのは、現代の感覚では、ありえるようにも思います。
    でも、古代の人達はどうだったんでしょうね?
  • 文鳥以下です... 投稿者:江良 投稿日:10月13日 19時18分

    風邪引いて本当に文鳥以下の江良です。
     
    のりちゃん様 土師氏と鶏を結ぶ話を谷川健一氏の本で
    何度か読んだ事があります...思い出せない。一時期,
    土師と秦にハマッテ凄い氏族だなぁと思った事がありま
    すよ。楠木正成に兵法を教えた人物が土師の後裔でした
    ね。大江氏だっけな?
     
    九州の話は本で読んだり,ネットでみましたね。探しと
    きます。神功皇后が香春か宇佐で死んだ伝承や,宮崎に
    ニニギの随行神のなかに瀬織津姫がいたりとか(宮崎に
    二ヶ所,瀬織津姫の墓があります)神功皇后とアカル姫
    の共通話は新羅等の話に似ていますね。あと鹿児島の天
    照大神が震旦国の姫なんて話もありましたよね。
     
    秦河勝 能楽師。なるほどです。翁で猿楽等と結びつき
    ますね。その先の話も待っていますよ。
     
    家系図 家の実家にもあるんですよ。偽家系図が。話に
    よると毛利氏に恨みがあるはずなのですが,一度,毛利
    の本家の新年会に呼ばれる程度の親戚の方に会った事が
    あるんですよ(新年会だけだそうですが...)何も無か
    ったんで,家の家系図は偽物だぁと笑った記憶がありま
    す。元々偽家系図と思ってたので問題ないのですけど。
    かまど様が調べる家系図は資料性が高いモノですから,
    自分のような家系図と比較するのも問題外ですけどね。
    武蔵七党は四十五家族でしたよね。(厳密には,もっと
    多い)の直系の家系図が微妙に違うのは研究者にとって
    こまったちゃんですね。こりゃ一発かまど様の研究で
    正解だして欲しいですね。
  • 江良様 投稿者:毅岳 投稿日:10月13日 23時11分

     初めまして〜。毅岳と申します。和泉国犬鳴山にて、行者をしております。ダメ行者なので、あまりその方面には弱いです・笑。
     縁日の話。干支を元にした縁日は、すごい執念を感じますねぇ・笑。吉凶が極端に出るだけに、人の思いを感じざる終えません。卯・卯・卯の話ですよね。うーん、陰陽五行では、読み取れませんね〜。卯について、書き込みします。卯は、五行では陰の木、季節は新暦で3月、方位は真東、本地物は、金剛手菩薩となります。因みに本地仏は、経典によって異なります。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月14日 16時26分

    風邪、お大事に。
     
    ちゃ〜んと休養とって、オフまでに治しなさいや。
    と、チュッチュが言うとります。
     
    土師氏の末裔に大江氏がいるというのも、ちょっと前知ってかなり興奮しました。
    和泉式部も大江氏。その夫が、大江山の酒呑童子を退治した四天王の一人・藤原保昌。
    やっぱ鬼が絡むんやな〜って。
     
    で、楠木正成公に兵法って話は、初耳ですよ!!
    それって、どこに載ってますか??
     
    >震旦国。
    大陸の名称って、ころころ変わるから、この国が、いつの時代のどこらへんなのか、ようわかりませんが(^^ゞ
    アカル姫も、惟賢比丘筆記に出てくる八幡神の母親(=神功皇后。大ヒメとなってたと思います)も、大陸から渡ってきたという話ですから、鹿児島の天照大神伝承も、ここと絡みそうですね。
     
    >家系図
    あははははは!!
    しょっぱなから、「偽」って言わんでも。
     
    個人が作った家系図は、「希望的」なものが多いかもしれませんね。
     
    で、秦氏について。
     
    おばちゃん達で集まって、MLを作ったり、出かけたりしてるんですよ。
    そこで、もらったネタ。
     
    謡曲「賀茂」では、玉依姫が秦氏であることになっている。
     
    早速検索してみましたが、賀茂の全文が読めるサイトは見つかりませんでした。
     
    が、
    http://tanto.sunnyday.jp/kyoku/032kamo.htm
    を見ると、確かに、秦氏女が別雷神を生んだとなってるようですね。
    で、丹塗りの矢じゃなくて、白羽の矢(笑)
     
    作者が金春禅竹ってことで、秦河勝公へのある種の信仰が絡んでくる可能性もありますが、とりあえず、横流し(笑)
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月14日 16時30分

    いやいや、ダメ行者なんて・・・。
    破戒行者の方が近いんじゃない??・・・とか言うてる場合じゃないですね(笑)
     
    卯は、陰ですか。
    五行ってよくわからないんですけど、「東」なのに「陰」ってのが、ピンと来なかったりして。
    卯の花なんて花もありますが、あれは、色が兎色だからなんでしょうか?
     
    本地仏は経典によって異なるんですね。
    土地によっても違ってきそうですし。
    かなり複雑ですね。
  • 良薬は口に苦し 投稿者:江良 投稿日:10月14日 19時21分

    おかげさまで,風邪は,ほとんど治りました。
    風邪を引いて,まず煙草を吸います。一言「良薬は口に
    苦し」と言います。それで風邪とはサヨナラです。
     
    毅岳様 方角にも,本地物・本地仏があるのですね。初
    耳でした。お手数でなければ方位の本地仏も教えて下さ
    い。卯・卯・卯は五行では解けませんか...神功皇后と
    住吉の話を調べなおします。
    犬鳴山は葛城の基本道場なんですね。てっきり葛城か吉
    野が基本道場だと思っていました。お聞きしたいのです
    が,犬鳴山の行者の滝は,不動明王が祀られています?
    滝神=不動明王が祀られている理由がわかんないんです
    よ。毅岳様ご存知でしたら教えて下さい。
     
    のりちゃん様 これは毅岳様の説明を待つ方がベターで
    すが,簡単に書きます。五行には陰陽ありまして,5(五
    行)×2(陰陽)で10になりますよね。これが干支の十干
    になります。この十干と十二支を組み合わせて暦法がつ
    くられます。細かい事は毅岳様に期待しましょう。
     
    楠木正成公に兵法を授けたのは「大江時親」です。彼と
    滝覚坊が楠木正成に影響を与えた二人です。この三人は
    楠木家代々の菩提寺である観心寺で出会ったそうです。
    観心寺の寺伝の中に,「正成八歳の時より来寓し,院生
    滝覚坊につき文学を修め,院を距る一里余なる加賀田の
    郷士大江時親に兵法,武芸を学び,日々通勤して十五歳
    に至れり」とあります。
    これ友人がネットで拾ってきたものです。後でメールで
    送りましょうか?
    ちなみに,大江家が持っていた兵法書(虎の巻)は「戦
    闘経」という物騒な本です。 
    長いので,いったん休憩します。
  • コーヒー・ブレイク 投稿者:江良 投稿日:10月14日 19時52分

    しょっぱなから謝罪。大江家の古書は「戦闘経」では,
    なくて「闘戦経」です。おわびに序文コピペ
     
    闘戦経序
    闘戦経のすべては,日本の兵家の奥義を極めたもので,
    我が家に伝わる古書である。鬼に勝ち,神に勝つ智,陰
    に勝ち陽に勝つ機会は,この書でなければ得られない。
    この書によって,奥羽の後三年の役で,源義家が雁の列
    が急に乱れたのを見て伏兵が潜んでいるのを察知したり
    ,源実朝が鶴岡八幡宮に参詣したとき,お宮鳩が急に落
    ちてきたので,刺客の異変を予感したのである。
     
    この後は,虫食い,鼠に噛まれて本(闘戦経)が読めな
    い部分があり,これを書いている大江某が推測や言い伝
    えを書いて終わります。
     
    源頼朝の参謀も大江(大江広元)なんですね。優秀な一
    族であることがわかりますね。
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月14日 20時35分

    秦氏 この話の元ネタは,山城国風土記でしたっけ?そ
    れとも秦氏本系帳でしたっけ?とにかく秦氏と賀茂氏は
    関係が深い話として,多くの人が取り上げていますね。
    行った事ないんですけど下賀茂神社摂社の河合神社は,
    秦氏の神社と云われていますね。上賀茂神社に行ったの
    に,時間の関係で行けなかったんです(悲しいなぁ)
     
    神功皇后・アカル姫・大ヒルメの話は,興味がつきない
    ですね。八幡神も不思議ですね。宇佐八幡の神様の配列
    をみると姫大神が最も重要な神様のようですが,正体不
    明ですしね。宗像三神と言い伝えがあるそうですが,よ
    くわかんないですね。
     
    かまど様 大伴旅人が多治比県守に送った歌とかあるん
    ですね。大伴氏と多治比氏が親しい関係だったのですね
    。万葉集から人間関係を調べるのも面白いですね。
    関係無いですけど,柿本人麻呂の自身の挽歌(自ら傷み
    て)の返歌は丹比真人が歌っていましたね。この丹比真
    人は名称不詳の理由は不明ですが,一説には,大伴氏の
    没落に関係があると書いている人もいますね。本当なら
    面白いんですけど,考証は難しいですね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月15日 21時40分

    >万葉集から人間関係を調べるのも面白いですね
    万葉集には弱いんですが、万葉集からはいろいろなことが分かるから勉強しておいたほうがいいって言われた事があります。
    紀氏、大伴氏、葛城氏が密な関係だったって書かれている人がおられますが、そこに、丹生氏や多治比氏も入ってくるんでしょうね。
     
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 00時12分

    >観心寺の寺伝
    そんなんがあるんですね。
    楠木正成公に関しては、伝承が多すぎて、確実なことはいえないと思いますが、なんにせよそこに大江氏の名が出てくるのは、非常に興味深いです。
     
    大江時親。
    で、大江家が兵法書を持っていた、と。
    闘戦経というんですね。
     
    武士として、かなりの実力があった氏族だったのかも。
     
    武士といえば、もののふ=物部との絡みも気になったりして(^^ゞ
     
    十干の話・・・。「ひのえ」「ひのと」「みずのえ」「みずのと」っていうあれですね?
    なるほど、ということは、木の陰とは、「きのと」なんですね?
     
    五行の知識もある方が、いろいろな見方ができますね(^^ゞ
     
    易経は通し読みだけしたんですけどね〜(~_~)
     
    謡曲「賀茂」の元ネタは、山城国風土記逸文ですよね。
    でも、「丹塗りの矢」が「白羽の矢」に変わっているなど、興味深い変異点があるように思います。
    なぜ、こう変わったか、が、秦氏に関係あるとしたら、これまた・・・う〜〜〜ん(こればっか)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 00時13分

    万葉集は、多分、鑑賞するだけでも楽しい書物だと思うんですが・・・。
    なかなか、こう、鑑賞眼がなくて(^^ゞ
    機会を見つけて読んでみたいですね。
  • のりちゃん様&かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月16日 00時46分

    自分苦手なんです。万葉集...家持の歌だけは,熱心に
    読んでいますが他は苦手。でも人間関係が素直に出るの
    で勉強になりますね。万葉集だから発見できる話もあり
    ますしね。
     
    楠木正成は,伝承が多く,どれが真実か見極める事が難
    しいですよね。たぶん,彼の戦上手と大江家を結びつけ
    た話じゃないでしょうか?大江家は代々,文章博士を独
    占してきたので,その中の一つが兵法なんでしょう。
    「闘戦経」は歴代の中国兵法や独自の理論の混合で,似
    ているものがあるとすれば,日本古武道の秘伝書等でし
    ょう(自分も二冊くらいしか読んだことないですけど,
    似ている気がします)まぁ,大江家も興味深い一族には
    違いないですね。
     
    秦氏 この一族は難しいですね。調べる人によって結論
    が変わる一族ですからね。「白羽の矢」...意味深です。
    国学四大人の一人の荷田春満も稲荷社の社家で,秦氏の
    後裔ですよね。独自の理論があるらしく,これが秦氏の
    理論だとしたら謎は深まりますね。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 18時52分

    江良様
    万葉集は、詠んだ人の性格を垣間見るのには大切な資料なんでしょうね。
    ただ、当時と現在では、状況やら習慣が違うので、現在の目で、当時の状況を判断はできないということもあるようで。
     
    例えば、額田大王と大海人皇子の、
    「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる」
    「むらさきの におえるいもを にくくあらば ひとづまゆえに われこいめやも」
     
    という歌の応酬も、私が学制の頃は、人目を忍ぶ、切ない恋人同士のやりとりだ、と習いましたが、現在では、
    「ほな、なんでそんな歌が残ってるねん。誰が聞いて、残してん?」
    という疑問からか、宴会の中での座興だった、という話もあるようで。
     
    やっぱり、万葉集を読むならそれ相応の時間をかけないとあかんようですね。
     
    大江家と楠木正成公の伝承は、架空のものである可能性はありますが・・・早速行ってきました。
    大江時時邸跡!
     
    いやいや、書いてましたわ。
    楠木正成公の軍学兵法の師である、と。
    しかも、毛利の始祖だとな??
     
    毛利といえば、大阪夏の陣で最期まで大阪方から寝返らなかった武将。
    しかも、幕末、尊皇攘夷を擁護した(というわけではないのかもしれませんが)長州の殿様も毛利。
     
    ひゃ〜〜〜、むっちゃオモロい発見だぁ!
    ありがとうございましたぁm(__)m
     
    秦氏についても・・・。
    独自の理論があるんですね。
     
    以前、かかってたカイロプラクティックの先生に、菅原道真公が九州に左遷されたのは、九州の秦氏との関係があるからだ、と聞いたんですよ。
    二つの氏は製鉄絡みでがっちりくっついてた、と。
     
    菅原氏も土師氏ですしね。
    なんか、こう、かなりトテツモナイ話になりそうです。
  • 貴方に電波 投稿者:江良 投稿日:10月16日 22時42分

    万葉集 確かに,子供の時に,何でこんな歌残ってる?
    ていうか,何の為に残した?みたいな歌がたくさんあり
    ますね。当時の状況を細かく分析しないと答えは出ない
    ですね。自分未読なんですが,日本最古の歌集「懐風藻
    」は宴会の時の漢詩が多いような事を読んだ記憶があり
    ます。宴会で怒り狂って槍(矛?)を抜いた大海部皇子
    に天智天皇が処罰しようとしたけど,中臣鎌足が諌めた
    なんて話がありましたね。
     
    大江時時邸跡に行きましたか...羨ましい。神奈川の自分
    には出来ない芸当です。そして毛利氏に!
    今回の電波 毛利氏と共に倒幕をはたした島津氏ですが
    ,祖先は,何と秦氏の可能性があります。島津氏の祖は
    「源氏」「藤原」もあるのですが,一番有力なのが「惟
    宗氏」なんです。
    「惟宗氏」とは?秦氏の裔たる秦宿禰永厚など19人に
    惟宗朝臣姓を賜うに始まるとあります。惟宗氏は代々明
    法,典薬として名高いとあります。
     
    倒幕は土師氏の後裔と秦氏の後裔の連合体なんて電波な
    解釈もできます。偶然とはいえ,面白い話ですね。
  • 毛利氏 投稿者:かまど 投稿日:10月17日 03時02分

    武将の中では毛利元就が結構好きです。智将ですね。
    戦略戦術にたけた人ですね。部分的には敵から卑怯と思われた所もあったとは思いますが(敵の武将を寝返らせるなど)。
    源義経や楠木正成の時代の戦は1つの文化だったようですね。正々堂々戦う。「やーやーわれこそは・・・」ってやつです。義経や正成も智将ですが、彼等が悪く言われるのは、この時代では卑怯と言われる戦略も用いたためみたいですね。決して正々堂々ではない。時代によって、戦にもルール(武士道)が違うんですね。鉄砲が出てくると確かに明らかに変わってしまいましたね。義経や正成が戦国時代に出ていたならだれも彼等を卑怯者と言う人はいなかったと思います。
    そんな目で見ると戦もまた面白いものです。ちなみに大学の講義でかじった程度の話です。
     
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:10月17日 17時00分

    新スレ 子ノ日権現信仰2に移行します

 

丹生行程 投稿者:ぷ 投稿日:10月10日 22時01分

かまど様
ご無沙汰しております。
丹生都比売神社に行くまでに矢根研石と七尋滝を見て、丹生都比売神社の後に蟻通神社に参拝することはできませんか?
  • ぷ様 投稿者:かまど 投稿日:10月11日 00時27分

    ご無沙汰しております。
    車であれば可能ですが、その時は勅使道(三谷坂)を通らずに(車ではいけない道なので)、丹生津姫神社まで行き、その途中で矢根研石と七尋滝が見れます。蟻通神社へは歩きでは時間がかなりかかるのでいけません。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月11日 18時13分

    ありがとうございます。
    もし、雨が降って、車での行程になったら、考えられるかもしれませんね。
     
    でも、晴れて欲しい(笑)
     
    ということで、「ぷ(ぷ、は、私の夫(ぷ)です)」今回は、諦めましょう〜。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月11日 22時48分

    >ぷ、は、私の夫(ぷ)です
    一瞬はずかしって思ってしまいました。お、おならじゃないですよ。勘違いしないで下さいよ!
    なんか、「ぷは私一人のものよ」ってな感じに読んでしまいました。他人事だけど顔が赤くなってしまいました。ぷ様はのりちゃん様一人のものなんですけどね。
    すんませんでした、あねご!!!m(_ _)m
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 12時57分

    そ・そ・そういう意味じゃありましぇ〜〜〜んっ(なぜか赤面)
    いや、今回の参加者の中の一人ですよ〜、という意味で(^^ゞ
     
    そんな乙女なことを私が・・・??
    ひぇ〜〜〜〜、想像するだけで恥ずかし〜〜〜!!!
    どひゃ〜〜〜、夢に見そう〜〜、ひぇ〜〜〜(←うるさい)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 22時35分

    土日の仕事は11月になったので22日(土)は大丈夫になりました!
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月13日 15時48分

    やった〜〜〜!!!
    嬉しい〜〜〜ヽ(^。^)ノ
     
    あとは、天気ですね。
     
    晴れろ〜、晴れろ〜〜〜、晴れろ〜〜〜〜!!!!
  • きわどかった(^^;) 投稿者:かまど 投稿日:10月15日 21時48分

    本日土曜日も仕事でした。29日(土)も仕事なんですよね。その次の土曜も仕事で。
    オフ会のある土曜日は心配してましたが、うまく仕事が入らなかったです。よかったー。
    運がいいと言うか、これも女神様のお導きでしょうか。そう思っておくと神秘的なので、きれいにそうまとめときましょう。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月16日 00時16分

    おおおおおお!!
    でも、本当に、不思議な巡り合わせってあるもんですよね。
     
    ご縁に感謝です。
     
    ・・・そして、お仕事お疲れ様です。
    そして、多分、わざわざご足労いただくことになったということだと思うので、その分、感謝を込めて、楽しませていただこうと思います(←ヲイ!)

 

どんどん新スレ 丹生オフ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時46分

かまど様
おおおお!
社史は、絶対購入させていただきます!!
住吉との関係が深いんですね。
 
しっかし、「白羽の矢」って、何が原典でしょうねぇ。
それこそ、「しっぺい太郎(猿神退治)」でも、生贄の娘の家に白羽の矢が立つし。
奈良県高市郡の大仁保神社も、「邇保」の音を持ちますね。
ここは、仁徳天皇がご祭神。
ただ、蘇我氏との関係も指摘されてたりして・・・。
仁徳天皇も蘇我氏も丹生津姫と関係がなさそうですが・・・。
 
広島は、宮島もありますし、ここも一度ゆっくり行きたいよ〜〜(T_T)
 
んで、ガガイモ。
 
角川の解説では、
「ガガイモ科の蔓草。ガガイモ。その果実は莢であり、割れると白い毛のある果実が飛ぶ。」
とあります。
ので、芋とは違うようかも。
ホウセンカみたいな感じでしょうか???
 
>鉄神は犬が嫌い
反対に、蛇神は鉄が嫌いじゃありませんか?
蛇婿のいくつかのパターンに、針を投げつけられて死んでしまうというようなものがあったように思います。
 
犬>鉄>蛇???
 
まぁ、そんな単純な図式ではないと思いますが、なんか面白いですね。
 
しかし、俵藤太が、大伴氏ですか・・・。
藤太は、鐘も関係してるしなぁ。
銅鐸と鐘って、全く関係ないと思います?
私は、あると思ってます。
銅鐸の使途は不明ですが、丹後半島や、福井に行くと、「鐘を海に沈めたらアラシが起きる」というものがあるんです。
これは、銅鐸の使途を暗に後世に残しているんではないか、と思ってるんですね。
あてずっぽうですが。
あと、「つかずの鐘伝承」は、日本だけでなく韓国にもあるようです。
つまり、鐘を鋳造する時、どうしてもうまくいかないのです。
で、なんらかの理由(鐘鋳造のための寄附を求められた母親が、『そんならうちの子を寄附しますわ』と言ってしまい、本当にその子供が行方不明になる、というパターンは、成相寺の鐘に見られます)で、子供を溶鉄の中に放り込んだところ、見る見る鉄が溶けて、見事な鐘が鋳上った、というわけです。
で、鐘を撞こうとすると、アラシが来るとかね。
藤太の伝承と、これらの伝承は全く絡み合わないかもしれませんが、なぜか心が惹かれました。
 
で、子の神神社って、私はまだ、未踏です。
そういう神社もあるんですね。
 
大国主の使役動物=鼠
確かに古事記では、鼠が大国主命を助けてますね。
ダイコク鼠ってのもいますし(~_~)
 
で、大黒鼠ってのもいるし(笑)
 
ネタのある方は教えてくださいm(__)m
 
で、ツッコミ代行ども。
私のボケにも、同じ程度の強さでツッコむようにお願いしますよ(@_@)。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時53分

    チャットも作ろうかと思ったことはあるんですが、
    チャットって、次々消えていくでしょ(そりゃそうせんと、すごい容量になるだろし)、折角参考になる話を教えていただいても、それじゃあ絶対忘れちゃうな、ということで、やめました。
    ってことで、掲示板をチャットのように利用していただくのは、管理人としては、全く無問題です。
     
    陰陽思想。
    これ、クセモンだと思うんでうすよね〜〜〜。
    これが、日本に入ったのは、いつなんでしょう?
    それまであった、日本の文化に、後着の思想が上塗りされたという経緯は、枚挙の暇がないほどあるとは思うんです。
    でも、陰陽思想は日本に馴染みすぎたため、それまであった「原型」をあまりにも自然な形で変形させてしまった。
    そんな感じがしております。
     
    酒呑童子伝説については、私は、土師氏との関係で興味持ってるんですけどね。
    以前も書いたことがありますが、和泉式部って、大江氏なんですね。
    で、その夫は、酒呑童子退治の源頼光の四天王である、藤原保昌。
     
    大体、今昔の時代の武士って、ものすごく微妙な立場だったと思うんですよね。
     
    でも、江良さんがおっしゃるとおり、皇国化(伊勢神道かどうかはわかんないんだけど)との関係ももちろん考えてます。
    というより、吉備津彦が大和朝廷側の人間とは、わたしゃ思えんっす。
     
    >かぐや姫
    私は、本当にいい加減に流しただけなんです。
    「中将姫とかぐや姫」とか言う題の本でした。
    でも、結論は同じようでした(笑)
    藤原氏に対する嫌味だとかなんとか(笑)
     
    >秦河勝
    明宿集(ですよね?河勝公がうつろ舟で)では、翁についての説明で、
    「第一、住吉ノ大明神ナリ」
    って書いてますよね?
     
    大避神社はね、社門の両側(外側向け・内側向け)両方に仁王・・というか、門守りの神が配置されてるんです。
     
    祭神に向けて門守り。
    まるで封じ込められているように。
    あれは、なんとなく興味深かったです。
     
    あと、兵庫の人に聞いたんですが、赤穂は、山を越えた向こうにあるため、文化が独特なんですってね。
    方言も、少し違うとか。
     
    そこに秦河勝が流れ着いたというのが、妙に興味深いです。
     
    大阪豊中市の、服部天神宮のご由緒書きに、
    「外来部族であった秦氏は、外来神であり医薬の祖神である『少彦名命』を尊崇していましたので」
    って書いてありましたよ(#^.^#)
     
    面白いですよね。
     
    中部地方の話も、どんどん続けてください。
  • のりちゃん様U 投稿者:江良 投稿日:10月10日 15時29分

    皇国化=伊勢神道は,誤解される記述でした。なんで,
    このような事を思ったかというと,倭姫巡行ルート(複
    数ありますね)と地図をニラメッコしていて,こいつは
    四道将軍と関係あるぞという電波説を思いつき(これだ
    と東側の美濃・尾張の説明がつかないんですけど)
    倭姫巡行の西瑞は吉備神社より少し東側にあるはずと思
    って調べると,やはり想像通りの場所にあったので,つ
    いつい皇国化=伊勢神道と短絡的に書いたのです。
    倭姫巡行ルートは,伊勢の記念館の方が書いた伊勢神宮
    の神領を繋ぎ合わせて創作した話というのが一番無難で
    すけどマロンいやいやロマンがないですからね。
     
    吉備津彦が大和朝廷側の人間とは、わたしゃ思えんっす
    そうですね。読んでいないのですが,吉備王国論のよう
    な本もあるし,雄略記でしたっけ,吉備を討伐した話も
    ありますしね。ただ,吉備津彦が大和朝廷に近い可能性
    もあります。箸墓の被葬者と考えられる倭迹迹日百襲姫
    は系譜上は吉備津彦に近いですよね(伯父と姪でしたっ
    け?)数年前に箸墓の考古学の調査をしたら吉備製の副
    葬品が大量に発見されたそうです。この結果から記紀の
    系譜は,ある程度信用できる結果と思われます(個人的
    には記紀の記述信じていますよ)
     
    煙草が切れた...煙草が切れると駄目人間からハイパー
    駄目人間になるので,煙草買って来ます。
  • のりちゃん様V 投稿者:江良 投稿日:10月10日 16時21分

    ふーなんとか駄目人間のままですみました。
     
    阿智使主の後裔が東(倭と書く場合もあり)漢氏で,
    王仁博士の系統が西漢氏になります。簡単に書けば,両
    家を漢人と表現するのでしょう。この両家が皇室の祭祀
    に影響を与えた可能性を感じています。大祓は,まず
    この両家が道教風の祭文を唱える事から始まりますよね
    ?凄く不思議な話だなと思った事があります。
     
    陰陽思想 個人的に尊敬する政治学者の方が「日本は陰
    陽思想に支配されていた」論をウェブで掲載されていて
    少し調べたのですが,決定的な説は,みなかったです。
    聖徳太子の時代ですか,陰陽理論が入ってきたのは?
    あと天武天皇が式占をやっていましたね。天武天皇が始
    めた「廣瀬・龍田」の祭祀は陰陽思想の匂いがしますね
    。個人的には,天武天皇からではなく,母親の皇極天皇
    が陰陽思想(道教ですかね?)に興味を持っていたよう
    な気がします。皇極天皇の時代に道教の寺と云われる
    両槻宮を造ったり,彼女を含め子供達の墳墓の形は八角
    形で道教の影響を感じます(保守派の人達に怒られそう
    な話ですねぇ)
     
    秦河勝 変な話ですけど,天狗とは何ぞや?という事を
    ダラダラ調べていると時に秦河勝に行きついたんです。
    大避神社が河勝さんを封じているような配置という話は
    たいへんありがたい話ですね。
     
    少名彦命 秦氏の系列と云われる忍者で有名な服部氏
    (秦氏の後裔とする説もありますが,部民だと思う)は
    伊賀の一宮・敢國神社がありますね。元々は金山姫の神
    社でしたが,江戸時代までは少名彦命が主神でしたね。
    敢國神社の祭りに服部氏だけで行われる祭りがあるそう
    ですね。内容は知らないのですが興味わくなぁ。
     
    長い電波すんませんでした。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月11日 18時19分

    倭姫巡行ルートと四道将軍
    全く気付きませんでした(^^ゞ
    本当〜に地理音痴だから。
    なるほど・・・一度地図と首ぴきで見てみる必要がありそうですね。
     
    >吉備津彦が大和朝廷に近い可能性
    確かに。
    箸墓のことは考えていませんでしたが、吉備において、
    「そんじゃ、吉備津彦命は、吉備土着の人かい?」
    と自分自身に問うたところ、そうもそういう気もしませんね。
     
    龍田・廣瀬が陰陽というのは、確かにそうかも。
    龍田が風の神で、陽。
    廣瀬が忌の神で、陰。
    でしょうか?反対?
     
    確かに、陰陽で考えるのは、整理しやすいですよね。
    その分かりやすさが、日本で陰陽道を流行らせた原因ということなんでしょうね。
     
    >秦河勝と天狗。
    つながりましたか?
    ものすごくうす〜い根拠なら私にもありますよ(笑)
     
    天狗と修験者の関係は、言うまでもないと言っていいですよね?
    河内に住んでて、修験者というと、南朝の忠臣・楠木正成公が思い浮かびます。
    で、楠木正成公の甥が観阿弥。
    猿楽師・能楽師の祖とされるのが、秦河勝。
    とまぁそういうことなんですけど、
    修験者・猿楽師・能楽師は、忍者が化けるとされる職業の一つでもありますよね。
     
    てなことを考えてます。
     
    そこで、服部(忍者)ともつながりました(笑)
     
    で、「部民」って?
    「○○部」の人達ということ?
    とすると、「服」を作ることを生業としていたということでしょうか?
     
    ただ、秦氏といえば、絹織りですから、秦氏の末裔が「服部」となったとしても、そんなに違和感ないかも。
  • こんばんは。 投稿者:毅岳 投稿日:10月11日 21時22分

     皆さん、すごく博学ですねー。中々、中に入ることができませんでした・爆。でも、幾つかは、修験道に重なることがあるので、書き込みしまーす。
     まず、淡島神社について。もちろん、住吉神社とは縁の深い神社です。伝記は、周知の通りですが、修験道の流れを組む話では、淡島神社の元宮は、友が島の「神島」にあると考えられています。主祭神は、少彦名命ですよね。国作りの神話の最後で、粟の穂に弾いて飛ぶ様の下りがありますよね。あの話は、神島から現在の淡島神社まで飛んだ、という話が、修験道にはあるそうです。そして、この淡島神社の祭神こそが、友が島に住む悪龍を退治するために、神剣を役行者に与えた神様だそうです。また、友が島には、、深沙池という行場があります。これは、深沙大王という仏教での神様に由来します。伝記には、この深沙大王が、悪龍であるとか、この大王が、淡島神社の本地仏だとか、諸説があるようです。
     陰陽道について。今日では、殆ど衰退して形を見ないですが、正月や節句などにその名残が残っています。もちろん、修験道にもその影響は大きいものが、あります。例えば、修験道護摩の結界には東西南北に五色の御幣を立てます。これは、正に陰陽道の流れですし、コアな祈祷を掛ける時には、暦を頼ります。
     修験道と能楽の関わりについて。これは密接な関係があります。入峰修行を終えて、下山した時に、「精進落し」或いは「直会」として、麓の町で宴を催したそうです。その時に、山伏芸能として発達したのが、猿楽などの能の元になった芸能なんです。例えば、金峰山寺の「蛙飛び」なんかの行事も、その名残です。もちろん、その主体者は、山伏です。芸能に関連するかどうか分かりませんが、修験道は、錫杖、太鼓、法螺などの「鳴り物」が、頻繁に使用されています。
     「子」ネタじゃないですが。大黒天について。元々、インドの大悪魔でした。人の肝を食っていた鬼神です。或いは、ダキニ天(垂迹神は稲荷神)を仏法に帰依させるために、大日如来が化身して現れたお姿だ、という話もあります。「ダイコク」繋がりで「大国主命」と習合することになったようです。本来の大黒天は、三面六ピで片手にヤギの頭を掴み、もう一方の手に人の髪を掴む、正に鬼神の姿です。因みに、大黒天の縁日は、甲子の日とされています。この「子」は、大国主命の方から来ているんだと思います。
  • まずは江良さんのレス 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 13時02分

    毅岳様 
    はじめまして(ペコリ)淡嶋様の元社の,友が
    島の「神島」とは,どこにある場所なのですか?修験道
    と淡嶋が関係があることを始めて知りました!
    修験道は,中世日本以降の信仰形態を最も厳格に守る信
    仰だと思います。だから「宝の山」だと思うので,色々
    教えて下さい。今まで修験の本で面白い本は,一冊しか
    読んだ事がないので,何も知らないんです。よろしくお
    ねがいします。
     
    ***
     
    つぅことで、他のスレッドにあったものを、ここに再録しときます。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 13時03分

    ありがとうございます!
    淡島神社と神島に、そんな伝承があるんですね。
    日本書紀一書(第六)では、少彦名命は、出雲の熊野の岬から常世に去った、もしくは、粟島にいって粟茎のよじ上って弾かれて常世郷へ・・・とありますが、淡島神社の伝承では、「神島へ行って、粟に弾かれた」のですね。
    そして、「常世」に該当するのが、淡島神社ということになる、と。
    友が島に、悪龍伝説があるというのも初耳でした。
     
    友が島っていう名前はどういう由来があるんでしょう?
     
    大己貴命と少彦名命が友達だから・・・とか。
    もしくは、友というより鞆とか。
    というより、広島の鞆が浦との関係が気になったり(^^ゞ
    鞆が浦の場合は、神功皇后が鞆を預けたとかそんな話でした。
     
    能楽と山伏との関係。
    そうすると、楠公さんと観阿弥が深い関係を持っていることは、なんら不自然ではありませんね。
     
    で、鳴り物。
    修験のお祭での、真言の合唱と、錫杖の音、あれ、ほんまに酔いますわ〜〜〜。
    あれをCDにしたら、結構売れるんじゃないかと思いますけど・・・。
    商売にしたらいかんのでしょうね(^^ゞ
     
    大黒天の話。
    これもまたややこしいですよね。
    大黒天やダキニ天は、仏教ということになるんでしょうが、実際は、ヒンズーに近いと思いますし。
     
    縁日についても、注目してみたら、結構面白そう・・・でも、あんまりあっちこっちに注目しまくってたら、大変ですね(笑)

 

子ノ日権現信仰 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 00時26分

埼玉県飯能市の天竜寺の「子ノ権現縁起」には、
往昔紀伊国天野の里に、阿字長者と申す人いました。この人60歳まで子供がいませんでした。ある夜枕に菩薩が立ち、「願わくばしばし胎内を借り、出生しようと思うのだがどうだ」と言われ、了承したそうな。そして、淳和天皇天長九年壬子の年、子の月、子の日、子の刻に、やすやすと男子が誕生した。この男の子は天野にある寺で出家し、天野の聖あるいは子の聖といいました。・・・
子の権現の分布は関東に多いようです。一般的には子の神は、大貴巳尊(大国主尊)が祭られており、子ノ権現は、足腰の病にご利益があるとしているが、子の社か、子ノ権現か判然としない社もあり、お互いに関連しあい現在に至っている社もあると言う。
 
と丹生津姫神社の冊子には書かれていました。
天野出身者(坂上氏?)であるようですが、丹生津姫との関わりはあまりないように感じます。聖ですから高野山との関係を強く感じます。
  • かまど様 大感謝です 投稿者:江良 投稿日:10月10日 00時36分

    始めてみました。家の近所に子ノ神という地名だけ残っ
    ています。(神社はないみたいです)
    質問続きで申しわけないのですが,天野出身者(坂上氏
    )とは,東漢氏の坂上氏ですか?
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 01時01分

    後漢霊帝の胤阿智使王の子孫の坂上氏です。坂上氏は丹生津姫神社の氏長者という役職も持っていました。阿字長者の「阿字」は「阿智」で「長者」は「氏長者」から来ているのかも知れませんね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時37分

    >阿字
    なんか、「あち」「あじ」という音が気になりますね。
    私が読んだホツマでは、思兼命は、「アチヒコ」という名前になってるんです。
    http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya01.html
    私は「阿智使主」との関係を考えても見ませんでしたが、ここらへんに絡んでくるのだとしたら、何かあるのかも。
     
    紀の国で、菩薩の奇蹟により生れた聖が、埼玉でお寺を開基しているということですね。
     
    で、それが、「子」である。
     
    神功皇后は、卯・卯・卯ですね(この日に三韓から帰ってきたんでしたっけ?)
    菅原道真公は、丑・丑・丑でしたね(この日に左遷されたとか諸説あるようですけど)
     
    寅・寅・寅の日に将来を占う「寅待ちの火」という風習が広島あたりに残ってるとか。
     
    で、子・子・子は、子の権現なんですね。
    今すぐに何かが思いつくわけじゃないけど、何気に気になりますね・・・こればっかや(^^ゞ
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時38分

    漢氏は、阿智使主の流れでしたっけ?
    あと、王仁博士の流れが、日本に土着して、大きい氏系統になってませんでしたっけ?
    ここらへんもちゃんと整理しないといけないところなんですが・・・。
    重要なとこですよね(^^ゞ?
  • やはり(興奮をおさえつつ) 投稿者:江良 投稿日:10月10日 13時46分

    のりちゃん様 昨晩は板乱用してすみませんでした。か
    まど様の話は興奮もので連発しちゃいました。
    神宮皇后の卯・卯・卯と菅原道真の寅・寅・寅の話は,
    面白いですね。くわしくおしえてください。
     
    かまど様 坂上氏は丹生津姫神社の氏長者という役職も
    持っていました...丹生都姫神社と坂上氏がどうように
    して結びついたか由来等をご存じないですか?
     
    もし自分の仮説通りなら,武蔵七党の丹党の由来がわか
    るかも?まぁ電波ですけどね。お暇なら,かまってくだ
    さいなっと。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 15時24分

    >丹生都姫神社と坂上氏がどうようにして結びついたか由来等をご存じないですか?
    詳しく調べてないのではっきりとは断定できませんが、根来寺(高野山より離脱;新義真言宗?)にうつった覚鑁という有名なお坊様が残した古文書の中で、坂上氏はもともと、三谷や天野の土豪ではないとかかれています。
    また一般に書かれているのは、700年ごろお隣の橋本市を拠点としていた武士で、一族で有名なのは坂上田村麿です。10世紀中葉に丹生津姫神社に関わってきたと言われています。
     
    恐らく、空海が高野山に進出し、そのあたりから勢力を伸ばしてきたのでしょう。空海死後その資金源を生かし仁和寺や高野山真言宗との関係を強め、氏長者や神馬係と丹生津姫神社の役職を務めるようになりました。高野山も空海死後火災にあったりとかで荒廃しましたので、うまく両者の思惑が一致したんでしょうね。
    丹生都姫神社は空海が高野山に来て以後、仁和寺の管轄になります。1200年ごろ高野山真言宗が仁和寺より独立して以降は丹生津姫神社は高野山の支配下に入ります。そのような勢力図ですから、坂上氏も丹生津姫神社や高野山と関係を持つことは、他の武士や公家が比叡山と関係を持とうとするように、政治的なメリットがあったんだと思います。
    しかし、1200年代末ごろ?坂上氏は高野山と神馬相論なるものを起こし、丹生津姫神社の役職を外されました。高野山と鎌倉幕府が親密になった事と何か関係あるかも知れませんね。
  • かまど様大感謝ですぅ 投稿者:江良 投稿日:10月10日 16時38分

    ありがとうございます。おかげでピースが埋まりました
    。丹生都姫様と思兼命の話で一つ書かない話(よくわか
    らなかったので)があったのですが,自分なりに仮説(
    電波ね)が出来ました。かまど様のおかげで色々知識が
    増えて,本当に感謝です。
    高野山と鎌倉幕府が親密になった事と坂上氏が役職が外
    された?興味深い話ですね。高野山の話も興味津々です
    。特に智山派に興味があるんですよ。でも,真言宗その
    ものに対して無知なので,かまど様の説明を楽しみにし
    ています。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 17時49分

    >自分なりに仮説
    公表できるようになったら教えて下さいね。
  • かまど様・江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月11日 18時11分

    え〜っと、
    神功皇后と卯・卯・卯は、住吉大社の縁起に登場します。
    で、よくよく確認したら、もっとダイレクトに、「住吉神がこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政十一年辛卯歳の卯月の上卯の日」ということですね。
     
    で、菅原道真公の丑・丑・丑は、もっと根拠が曖昧です。
     
    天満宮には牛さんがおられるでしょう?
    なで牛とか言って。
    あれは、なぜなのか、と調べていたら、
    丑の年・丑の月・丑の日に何かがあった(左遷が多かったと思います)という説に何度かぶち当たりました。
     
    北野天満宮のサイトには、
    http://www.kitanotenmangu.or.jp/ryoko/
    「道真公は、承和十二年(845)六月二十五日、すなわち乙丑年、丑月、丑日、そして丑刻のお誕生であることにより」
    としてますね。
     
    コジツケのような気もしますが、確かに、ちょっと面白いです。
     
    寅・寅・寅は、
    http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/yoshino_mikumari.htm
    の後記にあるとおり、ちょっと怖い、未来占いです。
     
    どれもこれも、こじつけっぽいといえばいえるんですが、
    なぜ、その動物になったかに注目すると面白いかもしれませんね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月11日 23時19分

    丹党について、少し。
    丹党家系図では、家信の時代中絶と書かれています。これは丹生氏へ養子としていったと考えればおかしくはありません。問題はその後です。家信の次に武信がいるのですが、この両者の間が長いんです。これは無理やりならいろいろと説明はつくんですが、筋の通った説明はできないんです。実物の丹党の系図を見ないと分かりませんが、丹生氏の系図では家信は弘仁十年か十三年に亡くなっています(出先なもんでうろ)。
    憶測すると
    @丹党が丹治氏の家系を買った。
    A武信は家信50才ごろの時に生まれた。側室の子?
    あくまでも、丹生氏の家系図が正しい、偽作でないと仮定した場合です。
    秩父にいけないので、数年前からこの考えは止まったままになっています。本当のことを調べるには、本で調べられる領域を越えているので、秩父へ現地調査しないといけないと思っています。
    仕事やめたらですけどね(^^;) ああ先なが!
  • 反省に忙しく 投稿者:江良 投稿日:10月12日 00時22分

    ええ,のりちゃん様にお叱りを受けたので,どのように
    すれば反省できるか考えた結果PS2を立ち上げて封印して
    いた大作RPGに手を出していました。これが楽しくて...
    いや大変で大変で...
     
    ジョークは,さておき,神功皇后の話は,意味深ですね
    。何か意味があるのでしょうね。こうゆう暗号のような
    感じのネタで頭使うの大好きです。神功皇后と住吉の関
    係を調べるのに良いネタですね。
    菅原道真は,俗説の匂いがしますね。なんで道真公の使
    役動物が牛なのか,納得いく説って知らないんですよ。
    のりちゃん様は,道真公と牛さんの関係を御存知です?
    あと眉唾話なんですが,友人から聞いた話なんですけど
    道真公が崇り神になったのではなくて,道真公の御付き
    の秦か土師の者が崇り神になったって話を聞いた事があ
    りますよ。雷神だけに眉唾ですけどね。
     
    かまど様
    自分も未読なのですが,埼玉の豪族等の系譜が収められ
    ている「埼玉叢書」をお読みになりました?古い系譜が
    いくつも掲載されているので,微妙にツジツマが合わな
    いようですね。武信の父として今継,貞峯または峯成,
    そして家信ですね。家信のケースが丹生氏・丹治氏の
    ケースになるのですよね?(ネットで読んだだけなので
    自信ないです)とにかく,将門の乱あたりの人物あたり
    から丹念に探るしかないですよね。将門の伯父である平
    良兼の部下に多治良利の名が見えるそうですね。
    そうそう,かまど様@丹党が丹治氏の家系を買った説に
    乗りたいですね。
    もう一つ同じサイトで見つけたネタなんですけど,紀伊
    の天野祝家(丹生直姓)の支族が,九世紀の武蔵の国司
    に任じた...とあったのですが,これは誰なのですか?
    本当に無知ですみません。よろしくお願いします。
     
    毅岳様 はじめまして(ペコリ)淡嶋様の元社の,友が
    島の「神島」とは,どこにある場所なのですか?修験道
    と淡嶋が関係があることを始めて知りました!
    修験道は,中世日本以降の信仰形態を最も厳格に守る信
    仰だと思います。だから「宝の山」だと思うので,色々
    教えて下さい。今まで修験の本で面白い本は,一冊しか
    読んだ事がないので,何も知らないんです。よろしくお
    ねがいします。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 12時58分

    先はまだまだ長そうで、長生きしましょうね!
     
    家信とその息子(武信)の間が長い。
    その手の不自然さは記紀にもありますが・・・。
     
    秩父に行くとしたら、1ヶ月くらい逗留する予定・・・にできれば一番いいんでしょうね。
    あぁ、宝くじあたらないかなぁ(先長どころか、夢見がち(笑))
  • 江〜〜〜良〜〜〜〜〜〜様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 13時01分

    毅岳さんあてのレスは、毅岳さんが書き込んだ、
    「どんどん新スレ 丹生オフ」
    スレに書いてくれんと、スレがめちゃめちゃになります〜〜〜(-"-)!!!!!!
     
    これをつけかえるのは、あまりにもめんどいので、向こうのスレに、このまま転記しますね。
     
    さて、
    神功皇后の卯に関して、他の神社でも同じことを言っておられるのかどうかはわかりません。
    ただ、住吉大社と縁が大変深い、河内二ノ宮「恩智神社」にもなで兎がちょこんと座っておられまして、恩智神社では、神功皇后と卯の関係を買っておられるようですね。
    恩智神社と住吉大社の関係は、玉祖神が、住吉神に土地を欲しいと願ったら、「恩智神がたくさん土地を持っておられるから、頼んでみなさい」と言った、という伝承からも伺えます。
    また、相互の神輿を一つところに合わせるという祭りもあったようで、二つの神社の方向が、ちょうど東北に並ぶ・・・ならば、「卯」は、方角のことかもしれませんね。
     
    菅原道真公と牛。
    泉州に、菅原道真公の荘園であった「桑原」があります。
    で、ここには「牛神信仰」というものがありました。
    今でも、少し道を歩くと、牛神と呼ばれる祠があったりします。
     
    それと、「雷様が落ちてきて捕まえられた」という伝承が、あちこちに残ってたりします。
    毅岳さんに聞いた話ですが、泉州は、気候的に雨が少なく、水不足になりがちだったとか。
    それで、雷が落ちてくる、という伝承が残されたのかもしれない、と思ってはいるのですが。
    そして、「鶏鳴伝承」も残ってます。
    ゆっくりしたいのに、鶏が鳴いたから、早く出なくてはいけなくなったので、鶏を嫌うという内容が、豊玉姫と玉依姫の伝承として残ってるようです。
     
    つまり、菅原道真公に関係の深い伝承が、違う内容で残されています。
     
    そんなわけで、泉州の伝承が、菅原道真公に付加された可能性は考えてます。
     
    なんか、マロン・・・いや、ロマンがないですけどね(このネタ、笑いになるまでひきずってやる)
  • また,やってもうた 投稿者:江良 投稿日:10月12日 20時33分

    のりちゃん様 すいません・すいません・すいません。
    腕立て二回と腹筋三回やるんで許してください。
    はしょって書いちゃダメですね。
     
    菅原道真公(通称 みっちゃん)は,九州で亡くなった
    話と地元,大阪の話が混同,もしくは意図的に付会され
    た可能性のある話ですね。今まで聞いた中で説得力があ
    るような気がします。
    「鶏鳴伝承」も初耳です。よく聞く話としては,鬼が鶏
    の泣き声を聞いて出て行くという話は何度か聞いたり読
    んだりした事があります。豊玉姫と玉依姫も鬼?(罰当
    たり)この手の話大好きなので,ネタあったら書いてく
    ださいね。
     
    神功皇后 玉祖神?玉造部の祖神ですか?自分恥ずかし
    ながら大阪の神社に無知なんで,この話も初耳です。
    卯=方角は,ありそうな話ですよね。住吉と恩智神社は
    深い関係がありそうですね。自分の地元の一宮と二宮は
    仲が悪いという伝承があって,それを現す祭りがありま
    す。恩智神社のこと調べてみます。
    神功皇后はマロンが一杯あるから楽しいですよね。
    九州の方には,記紀とはかけ離れた伝承ありますよ。
     
    そうそう,のりちゃん様,秦河勝天狗の薄ーい根拠も
    教えて下さいよ。全然薄くない可能性もありますんで。
    のりちゃん様の情報量と感性信じてますんで。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 22時27分

    >「埼玉叢書」をお読みになりました?
    あっ、読んだことないですー。メモメモ!
     
    >武信の父として今継,貞峯または峯成,そして家信ですね。
    そうなんですよねー。丹党家系図っていろいろあるんですよねー。こういうパターン武士に多いようですね。
     
    >将門の乱あたりの人物あたりから丹念に探るしかないですよね
    うーん、かなりやっかいそうですね。
     
    >家信のケースが丹生氏・丹治氏のケースになるのですよね?
    そうみたいですね。
     
    >紀伊の天野祝家(丹生直姓)の支族が,九世紀の武蔵の国司に任じた...とあったのですが,これは誰なのですか?
    どこのサイトですか?もしよろしければ教えてください。可能性としては丹生直ではなく、丹生祝の家系図で1つだけ(丹治)家陰の名前が連なっているものがあります。丹生一麿家から出たものだと思うのですが詳細不明。私は疑問符なんですが。
    丹生祝真人→丹生祝照元・丹治家陰
    照元と家陰が兄弟となっているものです。
    余談ですが、インターネットでまともな丹生氏の家系図は見たことありません。なぜかと言うと、大体書店で売られている豪族家系大全?を参考にしているからだと思うのですが、それ自体が間違っているからです。まともなのは、丹生廣良氏の著書か松田文夫氏の著書だけだと思います。これらでも2点注意必要です。1つは家信が「家作」になっている。丹生総神主家の家系図を写すときに間違ったんでしょう。もう1つは、兄弟すべて縦につながっていること。全員総神主になったわけではないということです。これらの点に注意して見ると完璧です。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 22時32分

    >先はまだまだ長そうで、長生きしましょうね!
    そうですね。長生きしたいものです。
     
    >秩父に行くとしたら、1ヶ月くらい逗留する・・・にできれば一番いいんでしょうね。
    そうですね。最低1ヶ月と思っています。温泉でもつかって、おいしいものを食べながらながらのんびりと。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 22時59分

    >紀伊の天野祝家(丹生直姓)の支族が,九世紀の武蔵の国司に任じた...とあったのですが,これは誰なのですか?
     
    こちらのHPですね。↓
    http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keijiban/titibu1.htm
  • 白熱してますねー 投稿者:毅岳 投稿日:10月12日 23時10分

     牛神様について。この泉州地区は、牛神を祀る祠や社が多くあります。その由来は、判りません・爆。菅原公の影響があるかもしれません。のりちゃん様が、カキコしている通り、泉州地区は、元々雨の少ない地域なので、祭神に弁才天や八大竜王をお祀りしている所が多くあります。
     縁日について。干支を元にした縁日は、陰陽道の影響が感じられますね。例えば、犬鳴山の倶利伽羅大龍不動明王様は、酉の年の酉の月の酉の日が、一番の縁日ですし、信貴山の毘沙門天様も、寅の月の寅の日の寅の刻に大祭をされるようです。五行で見ると、こうした重複した干支は、五行のバランスが悪くて、吉凶の差が激しいと見ます。それをあえて犯してまで、その干支の重複に拘るのは、きっとその願掛けに対する思入れが強いことだと感じます。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 23時19分

    紀州天野の丹生直ではなく、やはり丹生祝の間違いですね。
     
    >九世紀の武蔵の国司に任じた
    任じた形跡がないと言うことですね。丹生氏でもその形跡はありません。
    上述の丹生祝真人→丹生祝照元・丹治家陰の出所は調べないといけないと思っていますが、今のところありません。ただ、古文書で家信を養子にした理由として「家信は照元の甥だから」というのがあります。甥というと丹治家陰が照元と兄弟とも見れますが、照元の妹か姉が丹治家陰に嫁いだという可能性もあるかなと思っています。ただ、この古文書には少し疑問符があります。丹生氏家系図でも家信を義家の弟としている
    ものがありますが、竃門氏家系図では、「本姓宣化天皇九代の後、従三位宮内丹治家義の男なり。・・・丹治の系譜別に之有り也」となっていますので、家信を義家の子供と見れるかと思っています。家義と家信は兄弟なのか親子なのかはっきりしたいところです。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月12日 23時25分

    子ノ権現の神社は、
    群馬  4
    茨城  4
    千葉  4
    埼玉 18
    東京 15
    神奈川23
    新潟 19
    静岡  7
    山梨  6
    和歌山 4
    合計108 子の神信仰の神社としては331社
    だそうです。
  • 正解ですよ,かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月13日 00時19分

    かまど様 さすがですね。天野直ではなく,天野祝なん
    ですね。資料が少ないから,みなさん同じ間違いをする
    んですね。系譜にかんしていえば太田亮氏の本をベース
    にしたものをサイト上では,見る事が多いような気がし
    ますね。中世の神社縁起をみると子供が出来なくて神社
    に願掛けをして子供を産むという説話が凄く多いのです
    が,かまど様の話を読んで婿入り等の話が多い事に気が
    つきました。これが系譜をややこしくする原因の一つで
    すね。自分は未だに丹生氏と丹治氏を混同するときがあ
    ります。
     
    子の神神社の情報ありがとうございました。予想通り自
    分の地元の神奈川が一番多いですね。それにしても331社
    もあることが驚きです。同時に関東には丹生神社もある
    わけですから,相当量の丹生関連社が関東にも多く存在
    していることがわかりました。精進して調べます。
     
    毅岳様 あらためて初めまして。のりちゃん様に二連発
    で怒られたうっかり者の江良です。雷が多い少ないは,
    地形等で分かるそうですね。和泉地区と同じく雷が多い
    群馬県は,水神も祀りますが火神・雷神そのものも祀る
    ケースが多いみたいです。関西などと違うのが雷神・天
    神=道真公というのは,あまり多くないですね。道真公
    も人気者ですけど学問の神としてですね。
     
    縁日=陰陽説は賛成です。重複した干支は吉凶が激しく
    ...関係無いですけど「帝都物語」が猪・猪・猪で関東
    大震災を引き起こす話でしたね。よほど強い念があるの
    ですね。毅岳様は卯・卯・卯とした場合は,どのような
    イメージを持ちます?兎?方角?etc...
    大国様や深沙大王の事もお聞きしたいので,また,かま
    ってやってください。失礼します。
  • 新スレへ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月13日 15時45分

    移動しましょ〜

 

江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月07日 22時56分

余談ですが丹生に関する参考書一覧です。
 
中田法寿著「高野山文化史 第1集(開創已然の高野山)」(高野山史談会)
*もっとも古く、もっともフィ−ドワークし、地元の伝承をもっとも用いている本。その論説が正しいかはわかりません。
五来重著「高野山と真言密教の研究」(名著出版)
高木、元著「弘法大師の書簡」(法蔵館)
大井田好古「続紀伊風土記(第2集)」(臨川書店)
杜山悠著「播磨風土記の旅」(新国民社)
松田寿男著「丹生の研究」(早稲田大学出版部)
松田文夫著「紀州史の豪族」
松田文夫著「続紀州史の豪族」
「かつらぎ町史(近世史料編)」
「かちらぎ町史(古代・中世史料編)」
丹生廣良著「丹生神社と丹生氏の研究」(きのくに古代史研究会)
五来重著「空海の足跡」(角川選書)
本田不二雄著「弘法大師空海読本」(原書房)
竹内信夫著「空海入門」(ちくま新書)
佐藤任著「空海のミステリー」(出帆新書)
佐藤任・堀井順次・本城清一・柚木伸一・若尾五雄著「真言密教と古代金属文化」(東方出版)
邦光史郎著「古代史の謎 朱の伝説」(集英社)
白洲正子著「かくれ里」(講談社文芸文庫)
「宗教民俗研究 第11号」(日本宗教民俗学研究会)
「紀伊国天野郷現地調査報告書」(和歌山大学中世荘園調査会)
松田文夫著「紀州天野・丹生神社史料」
大山源吾著「天河への招待 吉野三山から弥山まで」(駸駸堂)
田中八郎著「大和誕生と水銀 土ぐもの語る古代史の光と影」(彩流社)
 
番外で、
太田亮著姓氏家系大全?
司馬遼太郎著「空海の風景 下」(中公文庫)
榊獏山著「空海書韻」(美術公論社)
日根輝己著「謎の画像鏡と紀氏」(燃焼社)
*画像鏡→三角縁神獣鏡
海士光朗著「日本古代史発見 紀北にあった女王国」(麻布文庫)
*和歌山邪馬台国説の本です。
夢枕獏編著「空海曼荼羅」(日本出版社)
岡野玲子著(原作夢枕獏)「陰陽師 4勾陣」(白泉社)
寺林俊著「空海 高野山開山」(学陽書房)
有吉佐和子著「紀ノ川」(新潮文庫)
  • 忘れ物 投稿者:かまど 投稿日:10月07日 23時37分

    一冊書き忘れ。
    真弓常忠著「古代の鉄と神々」(学生社)
    この本にはオオナムチの神、物部氏と弓削部、伊福部臣氏、尾張氏と火明命、海部氏などのキーワードが見られます。
  • こでは... 投稿者:江良 投稿日:10月07日 23時50分

    かまど様ありがとうございます。この量は...一年くらい
    かけて読めますね。とり急ぎお聞きしたいのは
    丹生廣良著「丹生神社と丹生氏の研究」(きのくに古代
    史研究会)
    「かつらぎ町史(古代・中世史料編)」
    の二冊は,先々月くらいにネットで散々探したのですが
    見つけることができませんでした。
    この二冊は,どのようにしたら入手できるか教えて下さ
    い。現地じゃないと駄目なんですかね?
     
    自分が読んだのは真弓常忠氏と故白洲正子女史の二冊だ
    けです。もっと精進します。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月08日 09時26分

    >丹生廣良著「丹生神社と丹生氏の研究」(きのくに古代史研究会)
    県立図書館では見たことあるのですが、確か和歌山市内の書店(宮井書店?和歌山では大きい書店)で買ったような?丹生総神主家、丹生相見家の家系図を見るのならこの本しかありません。丹生廣良氏は丹生相見家ですので、読んだ感じ丹生総神主についてはあまり触れてません。やや飛躍してる部分ありますがとても参考になる本です。
     
    >「かつらぎ町史(古代・中世史料編)」
    小さいころから家にあったのでどこで購入したらいいかわからないのですが、多分かつらぎ町役場に行けばあるのではと思います。事前にあるか電話してみたほうがいいと思います。送ってくれるかも知れませんしね。
  • 追加質問です 投稿者:江良 投稿日:10月08日 15時28分

    松田文夫著「紀州天野・丹生神社史料」
    これも出版社含めてわかりません。かまど様,どのよう
    にすれば購入できるか教えて下さい。
     
    ps 田中八郎氏と五来重氏(一冊)読んでいました。
    ps2 相見家は二の祝でしたっけ?友家が総神主家で
    したよね?
  • 本 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月08日 16時25分

    この中で、かくれ里だけ読みました。なんとか。
    空海の風景は、20年ほど前に・・・ので、覚えてないので、時間があれば、読み直します!
    丹生都姫神社の社務所でしか購入できない本を何冊か、私も購入させていただくつもりでおります。
    やはり、社史は、はずせないですね!
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 00時30分

    >松田文夫著「紀州天野・丹生神社史料」
    私は和歌山市内ほ宮井書店?にて購入しました。たまたま見つけて即購入です。この本は丹生関係の古文書を集めてまとめたものです。実物の古文書が見れないので、とっても大切にしている本の1つです。
    さて、問題はどう購入するかです。出版社や連絡先が書かれていないので、これは個人が出版したものだと思います。という事は和歌山でも置かれている本屋さんは限られているかも知れません。多分和歌山県立図書館には置いてあると思います。和歌山県立図書館のHPから書庫検索できますので、まずはインターネットでこの本が図書館にあるか調べてみてはいかがでしょうか?
    余談ですが、東京大学史料編纂所?のHPには丹生で検索すると、丹生関係が記載されている古文書のページがダウンロードでき、読むことができます。ほんと最近は便利になりましたね。
    余談の余談ですが、この本にも丹生氏の家系図が載せられています。おそらく、丹生廣良著「丹生神社と丹生氏の研究」(きのくに古代史研究会)を参考にしたのだと思います。なぜなら同じ間違いをしているからです。ちなみに家信を家作と書いています。
     

    >ps2 相見家は二の祝でしたっけ?友家が総神主家でしたよね?
    以前同じような間違いをされていた方が他にもおられましたので、少し説明しますね。
     
    一の祝 = 丹生一麿家 = 丹生総神主家 =丹生祝  
    二の祝 = 丹生相見家 = 丹生直 
     
    一麿や相見は屋号みたいなものなんでしょうね。竃門家もあります。例えば、古文書見ると竃門新五郎とかかれていますが、竃門家では神主を継げばみな新五郎
    なんです。これ調べるときとってもややこしい。どの時代の新五郎なのかをまず調べ、過去帳でその年代から実際の名前を割り出すと言う作業が必要となります。
     
    友家は名前です。丹生氏の家系図でいいますと、
    則道→則真→友家→常家→経光→・・・
    です。
     
    基本的に一の祝家の古文書の多くは燃えてなくなっている可能性があります。それは丹生津姫神社?自宅?の2度の火災のためです。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 00時36分

    >丹生都姫神社の社務所でしか購入できない本を何冊か、私も購入させていただくつもりでおります
     
    確か6〜7冊ほどあったと思います。全部そろえたら7〜8千円ぐらいだったような???冊子なのでそんな分厚くはないですから持ち帰るのもさほど重くならないです。
     
    >やはり、社史は、はずせないですね!
    そうですね。私も丹生関係の神社や寺に参ったときは必ず本などがないか聞いて、あれば買って帰ります。
  • ただいま徹夜中 投稿者:江良 投稿日:10月09日 02時10分

    かまど様 丹生家も難しいですね。屋号のようなもの...
    このへんを注意して調べる必要がありますね。
    「紀州天野・丹生神社史料」ますます欲しくなりました
    和歌山の本屋さんをうろついてみようかな?
    社史も全部買いますよ。
    「丹生神社と丹生氏の研究」これいくらの本ですか?
    べらぼうな値段でなければ買います。
     
    夜明けから神社巡りです。その調べ事でカンテツ...
    大変眠いです。寝ればよかった。みなさまも健康には
    注意してください。
  • 釈迦に説法でした 投稿者:江良 投稿日:10月09日 04時05分

    かまど様 久米の話は釈迦に説法でした。すみません。
     
    のりちゃん様 寝ないために,ここの過去ログ読んでい
    ました。いろんなネタが出てて楽しいですね。おかげで
    サンドマンに負けませんでした。
     
    かまど様 自分も当日お会いする事を楽しみにしていま
    す。いっちょもんでください。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 10時32分

    >「丹生神社と丹生氏の研究」これいくらの本ですか?
    私が持っている本を見たら、知人からかもらったものでした。で、それで気づいたのですが、購入方法わかりました。本の最後にかかれてました。もっと早く気づけばよかったです。すいません。
    定価 1.500円  送料200円 ←新しく改訂してると思うので、若干変わってるかもしれません。
    発行所 宮井平安堂 
    TEL 0734−31−1331(代)
    ここに電話すれば買えるのではと思うのですが。
     
    >和歌山の本屋さんをうろついてみようかな?
    宮井平安堂がいいと思います。今はわかりませんが、昔は和歌山市で一番大きな本屋さんだったと記憶しております。
     
    >夜明けから神社巡りです。
    そんな早くから!お気をつけて。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 10時39分

    水銀関係でしたら、以下の本が面白いです。
     
    松田寿男著「丹生の研究」(早稲田大学出版部)
    佐藤任・堀井順次・本城清一・柚木伸一・若尾五雄著「真言密教と古代金属文化」(東方出版)
    邦光史郎著「古代史の謎 朱の伝説」(集英社)
     

  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月09日 16時23分

    そうですね。
    社史は、買わずに帰って、後悔するよりは、なるべく購入するようにしています。
    ただ・・・本当に本格的な社史で、財布が許さないこともあったりして・・・。
     
    ところで、以前にも同じことを聞いてしまったかもしれませんが、
    >丹生祝
     
    神功皇后紀に出てくる「天野祝」とは、全く関係ないんでしょうか?
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月09日 16時25分

    カンテツお疲れ様。
    私は江良さんより、ほんの少し年上なだけですが、貫徹は無理ですわ。
    たとえ30分でも寝ます(笑)
     
    どんな神社に参拝されたんですか?
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 20時02分

    >本当に本格的な社史で、・・・
    そうなんですよねー。2冊組みになってて、2冊セットでないと売ってくれないところもありますしねー。係りの人がいい人で助かったんですけどね。お金はかかるは、重いわで大変な時もありますよねー。
     
    >神功皇后紀に出てくる「天野祝」とは、全く関係ないんでしょうか?
    天野祝=天野(地名)の神主で、確か今のところ天野祝=丹生祝が通説になっていたと思います。ですからそこで出てくる小竹(しの)祝の小竹も地名と見られていたと思います。
  • ただいま帰還 投稿者:江良 投稿日:10月09日 20時47分

    かまど様 丹生関連は財布が許す範囲で買います。
     
    のりちゃん様 自分も年でした。今日は秩父国造関連の
    遺跡と神社を巡回してきました。今日ほど勘が働かない
    神社巡りは初めてでした。普段なら電波な仮説ぐらい思
    いつくのに,今日は三人で出かけたのですが,三人とも
    智恵がでない。成果は天然氷で作ったカキ氷が想像以上
    に美味でした。それと金崎神社奥宮(ぬかるんで壊れた
    石段が二百段以上あった)という神社で軽ーいオカルト
    めいた事があったことぐらいでした(泣けるね俺達)
    帰りの電車で二時間以上の爆睡でした。
     
    ps 宮井平安堂に行く事を決定しました。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 21時53分

    >軽ーいオカルト
    えっ!怖い話ですか?どんなどんな?
     
    >ps 宮井平安堂に行く事を決定しました。
    一度電話されて、本があるか、場所がどこか確認されてみて下さい。私の見た本は昭和52年ごろなので、上述した電話番号が変わってるかも知れません。
     
    丹生津姫・丹生氏を調べるのに注意点が何点かあります。今回の予告編で大体書きつくしたと思います。今までの書籍では丹生総神主家の伝承などについて、知らなかったのか、調べられなかったのか、気づかなかったのか、あまり触れられていません。そのため、ややずれた記述があったり、??って言う記述があったり。だから、先日書いたと思うのですが、丹生氏についての研究はこれからなんです。まだ始まったばかりなんです。丹生津姫神社関係の方々ががんばっておられますので、その結果を楽しみに待ちましょう!!
  • 本当に軽いですよ 投稿者:江良 投稿日:10月09日 22時25分

    金崎神社奥宮は無人の社で,ぬかるんで壊れた石段が二
    百段以上ある場所です。社を回って色々見て回っている
    と下の階段を昇ってくる音が聞こえました(その時に自
    分達は本殿の横にいました)そして鈴を鳴らす音が聞こ
    えたので見に行くと誰もいませんでした。隠れる場所も
    ないので確実に誰もいません。自分達は,この手の話が
    大好きなので,探し回ったのですがダメでした。みんな
    言いたい放題で,「やっと面白くなってきた」とか「埼
    玉の幽霊はパンチがない」とか言ってたのですが,その
    後は,何事もなく残念でした。ね,軽いでしょ。
     
    丹生津姫神社関係の方々ががんばっておられますので,
    その結果を楽しみに待ちましょう!!
    楽しみです。そんで,かまど様の解説が付けば完璧です
    自分は丹生都姫様・瀬織津姫・天津甕星命のような広い
    範囲で祀られながら実体が伝わらない神様フリークなの
    で,楽しみでウズウズします。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 22時58分

    >鈴を鳴らす音が・・・
    楽しそうですね。神様が歓迎してくれたのかも知れませんよ。
     
    丹生津姫神社で販売されている冊子のいいところは、天野の民俗(風習や習慣)などにもつっこんでいることです。歴史を調べる時証拠・手がかりとなるのは、古文書と民俗なんです。例えば、長野と天野でも共通した民俗があったりします。詳しく調べたわけではないので、1つしかまだ見つかっていませんが、他にも無いかと、その冊子を見ながら思っています。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時31分

    そそ。高いし、重いし、読むのが大変だし(ヲイヲイ)
     
    で、天野祝と丹生祝は、ほぼ同義と考えていいんですね。
    そうすると、丹生一麿家=丹生総神主家についても、要注意ですね。
     
    鈴の音って、確かに、歓迎していただいているような気がしますね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時33分

    私はオカルト関係はさ〜〜〜っぱりわからんです。
    そもそも、「私(僕)、霊感あるんですぅ〜」という人は、ちょと苦手〜・・・な人間なんで、あんまりそっち系の知り合いはいないんですが、たまに、「信頼できるな」という人と巡りあい、そういう方に、
    「サイトの写真の何枚かに、写り込んでるね」などといわれたりするのですが、まじまじと見直しても、やっぱりさっぱりわかりません(笑)
     
    ただ、夏、ペルセウス座流星群が来る頃、旦那が天河へ連れていってくれるんです。夜に。
    んで、真夜中、天河弁才天のところでぼ〜〜〜っと星空を見ていたら、浴衣姿の一団がやってきたです。
    誰かが鈴を身につけてるらしく、「チリン・チリン・チリン」という音だけが聞こえて、話し声はない。
    なんか幻想的で。
    「狐が通ったかな?」
    なんてね。
     
    ほんまそれくらい。
    でも、天河の夜は良い感じでしたよ(#^.^#)
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月10日 14時21分

    オカルト関係はヤバイ気をつけろ,間違いない(古い)
    自分何故か山のようにオカルト関係者を知っていますが
    危険ですよ。信用できる人も,ある日をさかいに危険人
    物になったり...のりちゃん様のスタンスが正しいです。
     
    関東には,関西ほどの面白い神社はないのですが,独自
    の信仰があって,それなりに面白いです。
    子ノ神神社・千勝神社(関西だと白髭神社と同じ系列)
    ・第六天神社(本居宣長翁か平田篤胤翁が第六天は別天
    神の面足命と惶根命との説を出してから,それに従う神
    社がほとんどです)・ダイシ信仰などです。
    第六天神社は織田信長が信奉し数が増えたけど,天下人
    の豊臣秀吉が何故か第六天神社を次々に廃社させさとす
    る逸話が残っています。
    ダイシ信仰は弘法大師との関係で説明する人達もいます
    が,まったく関係無いようです。どうもダイダラボッチ
    や子沢山の女神といったマレビト信仰だとおもうんです
    けど,よくわかりませんね。
     
    天河 ここはオカルト人達の憧れの地らしいですね。
    角川の前の社長さんやユーミンなどがよく訪れる話を聞
    いた事があります。でも天河の神主さんてオカルトが大
    嫌いと聞いて大笑いした記憶があります。
  • 書き忘れ 投稿者:江良 投稿日:10月10日 17時02分

    陰陽思想の広がりですが,陰陽道研究家の間でもコンセ
    ンサスが出来ているのか不明ですが,平安時代以降の朝
    廷が人員確保が難しくなり,当然陰陽寮の陰陽師達も市
    井に係るようにして陰陽思想が広まった説を荒俣博氏や
    加門七海女史ともう一人誰かが書いていた記憶がありま
    すよ。陰陽道は密教以上にシステマティックなので色ん
    な階層に受け入れられたのでしょう。あとは,日本人に
    坐りが云いように陰陽師達が改良したのではないんでし
    ょうか?今となっては高知物部村の「いざなぎ流」や
    播磨に昭和の初期まで残った陰陽道の流れから推測する
    事しか出来ないでしょう。
  • これだけ! 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 17時24分

    江良さん!!スレッドがばらばらになってます(^^ゞ
     
    陰陽思想の話題は、
    「どんどん新スレ 丹生オフ」
    のスレッドにある、「のりちゃん様U」の続きなのですが、なぜこういう行き違いが起きたかというと、
     
    「のりちゃん様U」の書き込みが、このスレッドにあったのを、過去ログ保存中の私がたまたま見つけて、
    「この話題は、『どんどん新スレ 丹生オフ』の話題だよな」
    とスレッドを付け替えたのと、江良さんが書き込んだのが、入れ違いになったからだと思われます。
     
    が、この掲示板、管理人でさえ、内容の訂正ORスレの付け替えは、かなりめんどい(データファイルに落として、データファイルを開いて、記号で訂正して、データファイルをCGIに変換して、FTP)ので、この話題は、このままここに残しておきます。
    すんませんm(__)m
     
    スレッドがバラバラになると、今は良くても、過去ログに落とした際、また、他の人が見た場合、非常にややこしいんで、
    スレッドの確認、よろしく!
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 17時45分

    >天野祝と丹生祝は、ほぼ同義と考えていいんですね。
    そうです。もっと詳しく説明しますと、
    天野祝=丹生祝=丹生総神主家=一の祝 → 江戸時代?に丹生一麿家と竃門家に分かれます。
  • すいません 投稿者:江良 投稿日:10月10日 17時54分

    自分も返信した後に気がついてオロオロしていました。
    あれ文が繋がらないと思って探したら別のスレでした。
    これから気をつけます。ハイ。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月11日 18時08分

    あ、なんとなくつながりました。
    江戸時代に分かれた竃門家が、そもそもの大伴氏・・・かな。
    いろいろな理由があって分かれたのでしょうね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月11日 18時09分

    いや、本当は、編集&削除機能のついた掲示板に変えればいいんですけどね(^^ゞ
    あれは確か3年前の私の誕生日。
     
    「誕生日プレゼントに、掲示板のCGIを書き換えて、編集&削除機能つけたるわな」
    と言ったのは、うちの旦那でございます。
     
    それが、
    「パスワード制御がうまくいかへん」
    「排他処理がうまくいかへん」
    とつまづきまくって、早3年。
     
    いつになったら、追加機能がつくのやら・・・あぁ、つくのやら、つくのやら!!!!
     
    ・・・という状態なので、あと・・・3年くらい待ってください。
     
    それまでに、私もいい加減待ちくたびれて、新しい掲示板に移行すると思います(笑)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月11日 22時56分

    >江戸時代に分かれた竃門家が、そもそもの大伴氏・・・かな。
    鎌倉時代に丹生総神主家は大伴常家を嫡男にしていますので、江戸時代にわかれた時は、丹生も竃門も大伴ですね。どちらが直系かは分かりませんが・・・。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月12日 12時56分

    そっか。それじゃ、大伴に復帰した人々と、丹生に留まった(ちょっと変な表現ですけど)人々がおられた、というほうがいいのですね。
    いろいろな事情があったんでしょうね。

 

まだまだ新スレ 丹生オフ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月09日 16時28分

江良様
中国地方の地図を見ると、「艮神社」があちこちに目につきますよね。
この「艮」は、温羅のことでしょうか?
 
「うしとら」の、まんなかを取ったら・・・「うら」!!
・・・・・そうだったのか・・・・・(←ほらほら、ツッコミどころですよっ!)
 
吉備津神社は、都市伝説じゃなく、「雨月物語」でも登場しますよね。
「吉備津の釜」
吉備津神社に参拝したとき、
「野尻抱影氏の本によると、中国地方では、かんむり座のことを、鬼の釜と呼ぶそうですが(と、人からもらったネタのくせに、自分の発見のような発言をしたお調子者σ(^^))、これは、吉備津神社の釜のことでしょうか?」
と質問したんですが、あんまり肯定的な感じのお答えではありませんでした。
いろいろなお話をゆっくり聞かせていただいたんですが、神職さんは、温羅を「怖い神」とは見ておられないようです。
怒れる神も、ちゃんと祀れば善神になる、というのは、神道のおおらかさの一つですよね。
 
ちなみに、野尻氏の「日本の星」という本によると、鬼の釜という呼び名を報告してこられたのは、岡山県の方で、やはり吉備津の釜を連想した、と書いてあります。
 
多治比嶋って、かぐや姫の「石作皇子のモデル」と言われてますよね。
一番ケチョンパに描かれてるのがこの皇子だと思いますが(^^ゞ
なんでそこまで、嫌われたのでしょう?
 
その嶋の孫が大伴に繋がってくるというのも、面白いですね。
かぐや姫では「大伴」の名がありますが、彼は自分で努力して、龍を倒そうとした、割と頑張りやさんに描かれてますね。
 
最後に、丹生津姫と住吉。
これも、かなりそそられます。
何かそういう事象はあります?
住吉といえば、神功皇后と縁が深いですし。
神功皇后と丹生津姫の関係も、興味そそられます。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月09日 16時32分

    開山伝承に、犬と猟師の組み合わせが多い、というのもφ(..)
     
    鬼が城も登りました。
    でも、あれが温羅の城というのは、あくまでも伝承みたいで、実際は天智帝時代の建造物だそうです。
    ただ、矢喰神社など、温羅関係の史蹟は「磐」が多くて、岩山に城を構えてたという連想は自然に涌いてきちゃいますね。
     
    で、桃太郎伝承ですが、確かに、おじいさんおばあさんが桃を食べて若返って・・・というバージョンもあって、なんかそれが最古だという話もあるようですね。
    岩波の「日本の昔ばなし」に収録された、「桃太郎」「桃の子太郎」では、二つとも、桃をひろってきたおばあさんが桃を棚にしまっておくと、しばらくして、棚から鳴き声が・・・というパターンになってます。
    やっぱり、桃太郎が入っている桃に包丁入れるのは、勇気入りますよね(笑)
     
    ただ、私としては、「桃から生れた子供」という話は、かなり古くからあったんじゃないかと考えています。
    それが、「英雄・桃太郎の出生譚」とくっついたのかも。
     
    というのは、いわゆる「うつろ」から生れた子供の話は全く珍しくありません。
     
    瓜子姫も、かぐや姫も、人間の胎内以外の「うつろ」から生れています。
    うつろ舟漂着伝承も、各地にあるようですが、これも重層になっているように感じるんです。
    ただ、「うつろ舟漂着伝承」を見ると、その中に乗っているのは、
    「病気のため」「罪のため」閉じ込められて流された人物。
    例えば、有名ところで、兎園小説に出てくるうつろ舟話がありますが、これは、(古文なので読み間違えてるかもしれませんけど)不倫の恋をした王族の娘が、閉じ込められて流されたんだ、と推理されてます。
     
    ただ、スクナヒコナ命が乗っていた、ガガイモの船は、「うつろ舟」といえないこともないようで。
    そして、スクナヒコナ命は、国造りの英雄と言えるわけで。
     
    うつろ舟の中にいるのは、英雄か罪(病)人か。なんだか極端ですよね。
     
    >九州のかまど神社
    いろいろな視点があるでしょうね。
    九州には本当に、ゆっくり参拝旅行に行きたいもんです・・・老後になるかなぁ(^^ゞ
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 21時07分

    >何かそういう事象はあります?
    丹生津姫神社誌に結構かかれてますよ。確か丹生津姫神社の発行物の中で一番初めに作られた本だと思います。この本について個人的には、無難な論法だが最もまとまっており、各研究者の見解もあり、神社の立場も考慮されており、著者の個人的な私見を強く出さず、本当にすばらしい本だと感じています。人によっては物足りないかもしれませんが、私はこれを作った方々のセンスのすばらしさを感じています。ぼろぼろになってるぐらいよく読み返しています。保存用で私もオフ会の時1冊買おうと思っています。
     
    >神功皇后と丹生津姫の関係も、興味そそられます。
    広島市に邇保姫神社があります。神功皇后が三韓征伐の帰りにここに泊まり、白矢を放ち刺さったところに神社を建てたのが始まりのようです。
    http://www.hicat.ne.jp/home/nihohime/
    神主さんのお話をお聞きしている限りでは、高野山との関係はなさそうでした。
    爾保都姫=丹生都姫と見られてますね。爾保→にほ→にお→丹生→にう ??
    保は昔のアイドル河合奈保子も保を「お」って発音してましたしね。丹生を「にお」って読んでる地域もありますし、以外と可能性あるかなあーと感じてます。
     
    >ガガイモの船は、「うつろ舟」
    勉強になります。うつろって言葉あるんですね。ガガイモってやっぱり芋??
  • いや自分若い(カンニング風) 投稿者:江良 投稿日:10月09日 21時48分

    二時間の列車睡眠で元気になったので俺若い。
     
    艮は,温羅のことでしょうか?のりちゃん様こうゆう
    ネタ大好き。温羅に係る血生臭い地名由来が吉備に何箇
    所かありますね。艮は陰陽思想の広まりと関係があるの
    じゃないでしょうか?諸説あるのですが艮(日若宮)よ
    り北西(日没宮)を畏れるのが原(プレ)日本風水とす
    る説を荒俣博氏をはじめ数人が書いているのを読んだ事
    があります。酒呑童子伝説は王城の北西の大枝山の話は
    北西の恐れとする説を読んだ事があります(個人的に賛
    成の論理でした)
    温羅の話は皇国化=伊勢神道との結びつきで考えていま
    す。
     
    温羅の釜 小松和彦氏のかかわる妖怪データ・ベースに
    吉備の妖怪だそうですね。野尻抱影氏の着眼点に敬意を
    表したいですね。
     
    丹生都姫様と住吉の組み合わせは,最低三ヶ所あります
    。(もっとあるはずです)正確には玉津島と住吉です。
     
    かぐや姫 以前に「かぐや姫」の作者探しの本を読んで
    面白いなぁとおもました(あれ内容わすれてる)結論は
    日本最初の政治風刺小説という結論だったような?
    多治比嶋って,そんなに悪人でしたっけ?
     
    かまど様 故犬養毅首相が犬飼部の後裔と云われていま
    すね。丹生都姫様で不思議だったのは,他の鉄神は犬が
    嫌いという説話が多く伝わっていますね(弥彦の天香語
    山・金屋子神その他)丹生都姫様は犬と関係が深く鉄神
    というより開拓神の性格が多く出ているような気がしま
    す。
     
    うつろ舟は二律背反で面白いですね。たしかに英雄か
    罪人・病人ですよね。ただ英雄の場合も怨念を持った
    英雄が「うつろ舟」に乗せられるような感じがします。
    秦河勝が「うつろ舟」で流されて,後に崇りまくった話
    は興奮して調べた記憶があります。
     
    長文失礼しました。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 22時27分

    >他の鉄神は犬が嫌いという説話が多く伝わっていますね
    「真言密教と古代金属文化」という本には、鉱山師(近代)の人の禁忌などにも触れられており、犬は鉱山の神の使いであったり、犬は神様を守っておるなどから、口笛を吹かないとかいろいろ書かれています。
     
    >金屋子神
    もしかしたら「古代の鉄と神々」を読まれたんですか?
    金屋子神が白鷺となって羽を休めていると、安部氏の祖正重が犬をあまた引き連れて毎夜狩に来ていたので、発見されてしまった。そして鉄を作る神託をして、宮を立て、正重が神主となり、神様自信が鍛冶となったという金屋子神降臨伝説のことですか?
     
    本読んでると、鉱山関係の伝説には蛇や百足や犬や猿や白鷺やと、この5つの動物よく出てきますね。
  • 丹生都姫様と住吉 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 22時47分

    ざざっと!詳しくは丹生津姫神社誌にて。
     
    @丹生津姫神社の末社十二王子
    皮張、皮付、土公神、大将軍、八王子、八幡、熊野、金峯、白山、住吉、信田、恵美須宮の十二王子。
    A住吉大社神世記では「紀伊国名草丹生津姫」を部類神とていますね。もしかしたらこれから玉津島と住吉と言われているのですか?
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月09日 23時09分

    「古代の鉄と神々」読みましたよ。著者は神主さんです
    けど学者としても優秀な方ですね。でも最初に読んだの
    は「日本民俗文化大系3 稲と鉄」だったような気が...
    金屋子神社の禰宜,安部正哉氏の本を探し回ったけど
    見つけられませんでした。そうです,その金屋子神です
     
    関東で(正確には関西の滋賀県)で百足と蛇といえば
    藤原秀郷が大伴氏の出なんですよね。かまど様の影響で
    大伴氏を調べていて気が付きました。藤原秀郷って昔か
    ら調べていたのに盲点でした。
     
    かまど様に質問です。加門七海女史の「黄金結界」とい
    う本で丹生関連の神社は丹生都姫神社で,関東の丹生関
    連の社は子の神神社がという記述があったんですよ。子
    の神神社の祭神は大国主といわれることが多く,子=鼠
    は大国主の使役動物というのが理由だそうです。いくら
    調べてもソースが見つからないんですよ。かまど様この
    ネタ聞いた事あります?
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月09日 23時54分

    >藤原秀郷が大伴氏の出なんですよね。
    えっ!そうなんですか?知りませんでした。
     
    >加門七海女史の「黄金結界」
    そんな本があったんですか。探してみます。
     
    >いくら調べてもソースが見つからないんですよ。
    子之神社のことですね。丹生都姫神社で販売しております「高野山麓 天野の文化と民俗 1993 第1号(No.2)」に詳しく書かれています。別スレで。
  • 電波発射 投稿者:江良 投稿日:10月09日 23時56分

    のりちゃん様&他の常連様方々,板乱用お許しください
    。かまど様とのチャット状態楽しすぎるので(かまど様
    すいませんね)
     
    丹生都姫様(この場合は玉津島だから稚日女尊)と住吉
    の話は,思兼命と丹生都姫様以上に根拠のない電波です
    が,勘弁して下さい。かまど様の冷静・的確な論理とは
    違いますので...あと,他人の説を複数繋ぎ合わせただ
    けのフランケンシュタイン理論ですので,そのへんを考
    慮してください。
     
    一 これは,埼玉県の楡山神社さんのブログに掲載され
    ていた話なので,丸写しは出来ないので要点を
    峠の神の伝説と歌の神
    福島県と栃木県の県境に「境の明神」という神社があり
    栃木県那須郡那須町寄居に,「玉津島神社 通称 境
    明神」があり,奥州街道の下野と奥州の境の南北に2つ
    の「境の明神」という小祠があるらしいのです(これを
    「二所の関」と云います。栃木の県境は玉津島神社と住
    吉が並んでいるそうです。福島県側には「福島県側が玉
    津島神社,栃木県側が住吉神社」と書かれており逆に栃
    木県側には「栃木県側が玉津島神社,福島県側が住吉神
    社」と書かれているそうです。どちらにせよ玉津島神社
    と住吉神社がセットになっております。結論はヤマト猛
    と紀貫之が境(境界)を抜けるときに歌を詠んだ事と関
    連づけています。
     
    紀貫之が蟻通神社を通る時に馬が動かなくなったときに
    歌を詠んだそうです(残念ながら,ここの蟻通神社の祭
    神は思兼命ではなくアメノコヤネでしょう)
     
    かき曇りあやめも知らぬ大空に有りとほしをば
    思ふべしやは  紀貫之
     
    この歌を詠んだら馬が動き出した話ですね。
     
    長いので続きます。
  • 電波続き 投稿者:江良 投稿日:10月10日 00時30分

    ソースあるんですね。丹生都姫神社で買います。「黄金
    結界」面白いんですけど,隠し財宝の話で,かまど様に
    あうか不明ですよ。
     
    二 武蔵七党児玉党 児玉党は埼玉県児玉郡の一派です
    。児玉郡に児玉党の祖を祀る「有氏神社」がありますが
    祭神は不明です。奇怪な話がありますが,ここではパス
    宝治元年,源頼朝の命で児玉党,小代重俊が創建し弁智
    上人を招いて開山とした「浄業寺」が熊本県にあります
    。この寺の境内に武蔵野国児玉党の領袖,有道惟行とそ
    の祖霊を有氏大明神として祭り,それが各地に発展して
    行き,後世有明社とも称するようぬ成った...
    この話が何故に玉津島神社と住吉神社がペアなのか?
    荒尾の有明社が玉津島宮(別名 住吉神社)なんですよ
    。(この社が有明海の語原由来だそうです)
    意味がわからないけど面白い話だと思います。
     
    三 住吉大伴神社
    京都の神社ですよね。ここは元々が大伴神社だったもの
    を藤原氏が住吉神社を勧請して住吉大伴神社になったよ
    うですよね。そして後世に玉津島神社も一緒に祭祀され
    たそうです。
     
    一つ前に書いた境界と和歌としての玉津島神社と住吉神
    社のセットは丹念に探せば,もう少しあるような気がし
    ます。
     
    まぁ,どれも和歌三神(玉津島神社・住吉神社・柿本神
    社)という俗説から派生した民間伝承とするのが無難な
    解釈だと思いますが...それを言ったら電波が出来ぬ!
    と開き直った考えです。この程度のネタですみません。
     
    藤原秀郷 自分も驚きました。相模国足柄郡から派生し
    たとありましたよ。
     
    住吉大社神世記は未読です。何所かで読めないかな?
    ネットで一部分を読んだ時,タジカラオの記述をみて
    水銀の話に結びつくなぁ,なんて思った事がありました
    ね。住吉も調べがいがありそうですね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 00時36分

    >峠の神の伝説と歌の神
    なんか全国的な話になってきてびっくりしています。
    玉津島も住吉も海岸線ですが、栃木と福島ということは、山の中なんでしょうか?もしそうならちょっと不思議です。両社の縁起わかると面白いですね。
  • 山の中です 投稿者:江良 投稿日:10月10日 00時51分

    栃木の方は友人の出身地なので,話をきいたことありま
    すけど,山の中です。うーん由来知りたいですよね。
    行く機会があれば調べてきます。
     
    藤原秀郷にしても,そうなんですけど全国規模ですよね
    。以前に丹生都姫様を調べた時に中央構造線沿いに丹生
    神社がありマロンがあるなぁと思いましたね。
     
    そうそう,以前に書いた信濃国阿智郡も山のなかですが
    ,そこにも住吉神社があります。「ホツマツタエ」関連
    で調べたいという人達から連絡があるそうです。このネ
    タを書いた地元の人も山の中なのに何で住吉神社がある
    のか不思議と書いていました。境界と和歌で考えれば,
    そんなに不思議じゃないかもしれません。残念なのは阿
    智郡に丹生都姫様もしくは稚日女尊が祀られていないん
    ですよ(ただ水神のミヅハを祀る社は数社あるので調べ
    たら何かでてくるかもしれません)
     
    さすがに眠いです。落ちます。かまど様,又,暇ならば
    かまってください。かまど様のしっかりしたデータと論
    理は読んでて気持ちがいいので...おやすみなさい。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 00時52分

    よく調べられてるんですね。これだけでも学者さんですよ。面白いですね。
    丹生津姫神社誌には「住吉信仰が攝津の住吉大社の上にだけ眼を注ぐべきでなく、紀伊の紀ノ川にまで、眼を見開くべきであるという広い意味が含まれている」と書かれていたのをふと思い出しました。また次のような事も書かれていました。
    「終戦後、住吉大社宮司であった○○氏が縁あって一時紀州伊都郡の丹生津姫神社宮司を兼務されていたことも、決して偶然のことでない。」
    それと、こんな事も、
    「神戸市東灘区住吉町に本住吉神社並びに同東灘区音羽に丹生神社の鎮座されていることも・・・」
    以外と丹生津姫神社誌って話題の宝庫なのかも?って思ってしまいました。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月10日 01時07分

    >中央構造線沿いに丹生神社がありマロンがあるなぁと思いましたね。
    そうそう、中央構造線沿いには今の季節おいしいマロンが・・・、なんでやねん!(のりちゃん様の代わりに突っ込ませてもらいました<(._.)> )
     
    >信濃国阿智郡
    なんか、キーワードが良く出てきますね。
     
    >さすがに眠いです。落ちます。
    寝不足だったのにありがとうございます。
    私もそろそろ寝ます。ではまた明日。
  • んでは 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月10日 13時33分

    新スレに行きます!

 

まだまだ新スレ 丹生オフ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月04日 14時16分

江良様
いや、興味深かったです。
だいたい、稚拙なネタを否定したら、うちのサイトが成り立ちません( ̄^ ̄)。
 
さて、アメノムラクモのミコトは、饒速日尊(火明命)の孫なんですね。
メールでツッコミをもらってしまいました(^^ゞ
読み返してみたら、確かに、巻第五 天孫本紀に、
「孫 天村雲命(亦名は天五多底)」
ってありますね。
でも、確かに、私が持っている旧事本紀(大野七三氏編纂)には、度会氏の祖神とは書いてないですね。
 
しかし、渡会氏が、天村雲命を祖としたがっているとしたら、ひいては、饒速日尊を祖としたがってるということですよね?
饒速日尊を祖とする氏の中で、一番知られているのは、物部ですよね?
物部は、八十物部と言われるくらいで、多分、各地に散ばっていると思うんですが、度会氏も、物部の一党である、と、自らそう表明されているということでしょうか。
 
物部神道については、いろいろな研究書も出ていると思いますが、現在残っているいわゆる「神道の秘儀」には、密接に関係しているというイメージがありますから、そのことと関係してるのでしょうか?
それとも、もっと違う意味が?
 
多治比氏と大友氏の関係、何かわかったら、是非、教えてください。
ここも、とても興味のあるところです。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月04日 14時19分

    え〜〜!!
    仕事のこととはいえ、しょんな〜!!
    でも、その後、関西に転勤ということになる可能性もあるわけで。
    万事塞翁が馬。
    長くお付き合いください。
     
    なんにせよ、お盆とか、年末には帰ってこられるんですよね?
    今回見たいな、お出掛けオフは無理だけど、なじみの仲間で集まって食事会(という名の呑み会)くらいなら出来るんでしょうか?
    まぁ、大概のことは、なんとかなる。なるようになる。んで、がっかりはしないでおきます(~_~)
     
    さて、丹生神社には、「高野山勢力の範囲」の標として創建されたものもあるわけですね。
     
    以前、和歌山の野上八幡神社で宮司さんとお話をさせていただいた時も、同じような話を聞きました。
    「この辺に八幡神社が多いのは、高野山勢力を抑えるためなんですよ〜」
    って。
    それだけ高野山の力は大きかったんでしょうね・・・ということは、その高野山勢力の旗印とされた(?)丹生神社の数が多いのも当然ってことですね(^^ゞ
     
    で、京都から和歌山へ行く道に、蟻通神社や丹生神社がぽつぽつある・・・とは、泉佐野市の蟻通神社の宮司さんの弁なんですが、私は何しろ地理音痴で・・・。
     
    どこが京から和歌山に通じる道なのか、が、まずわからなくて、未検証です(笑)
    ・・・こういうことを書いたら、旦那にツッコまれるんだなぁ・・・「この前行ったとこが、その道で、蟻通神社あったやろ!」とかなんとか・・・ちぇ。
     
    で、大伴氏のうち、三谷に住んでいた大伴氏は、かまど神を祀ってた。
    もし、他の大伴氏がかまど神について祀っているということがないのなら、なぜ、三谷の大伴氏だけ?という疑問も涌いてきますね。
     
    かまど神は、いろんな氏が祀っておられたでしょうが、それにしても、気になってきました。
     
    で、ホツマツタヱですが、私は、上述した現代語訳しか読んでないので、それを要約すると、
     
    最高神アマテル神は男性。その奥さんがセオリツ姫。
    アマテル神の妹がワカヒメ。
    ワカヒメは、父母の厄年の昼間に生れたのでヒルコと名付けられ、一旦、川に流されます。
    そして、川下で待ち構えていたスミヨシ神により、幼少期を育てられ、「厄を落としてから」父母の元に戻されます。
    そして、和歌が上手だったので、名前を「ワカヒメ」と改めました。
     
    ワカヒメが一目惚れしたのが、オモイカネ。
    熱烈な恋文(和歌)を送り、オモイカネのハートを射止めました。
     
    こんな感じでした。
    全体的な印象としては、記紀の物語を筋が通るように説明した物語・・・という感じで、そんなにトンデモだとも思わないんですが・・・。まぁ、どれほど古いものかは、まだまだ調べる余地はあるんでしょうね。
  • のりちゃん様&かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月04日 22時27分

    今日は,最低でした。虫歯を抜くは,歯医者さんの女の
    子達に心配されて笑われるは...最低キャラです。
     
    かまど様 鎌倉幕府、高野山真言宗、紀氏の視点から見
    てしまうのですが...どれも苦手なので,これからも
    その手の視点での書き込み期待しています。
    自分は,記紀,風土記,伝承,偽書での電波理論しか書
    けないので正統派の理論展開を楽しみにしています。
     
    のりちゃん様 天村雲命面白いですよね。自分も,のり
    ちゃん様と同じで遠回しに渡会氏=物部系と云ってる気
    がします。個人的に物部とホツマツタエは,避けて通る
    つもりだったのですが,無視するわけいかないですね。
    物部は,八十物部と言われるくらいで...有名な神社でも
    熊野神社・住吉大社・真清田神社・弥彦神社等の社家で
    すもんね。もの凄く影響力あったんですね。
     
    物部神道 皇室の鎮魂祭のネタ持ってます?梁塵秘抄に
    掲載されているネタは面白かったですよ。あと,東北の
    物部氏の本は面白いんですけど,何度読んでも頭に入ん
    ですよ。ちょっと不思議系な話。これも麻酔の影響とい
    うことで勘弁してください。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月05日 17時28分

    あ〜〜〜〜〜、虫歯の治療でしたか。
    ど〜〜〜んなニヒルな男前でも絶世の美女でも、歯科医の前では形無しですよね(~_~)
    大口開けさせられて、のどちんこまで見せるわけですから(笑)
     
    さて。
    自分で書き込んでおいてなんですが、
     
    渡会氏=物部。
    つまり、伊勢祭神・天照大神=天照国照火明饒速日尊・・・という説を導き出すという可能性を全く考えてませんでした。
    でも、これって、割とよく言われる話ですよね。
     
    旧事本紀にある饒速日尊の系統をじっくり見ると、いろいろ発見がありそうです。
     
    そのくせ、物部については、あんまり・・・いや、全然知らないんですよ。
    熊野三山の社家が物部なんですか?
    住吉大社も??・・・げ、そういえば、
    第五巻天孫本紀の中で、
    五世 孫 建箇草命 健額赤命の子・多治比連・津守連・・・
    ってなってましたね、思いっきりスルーしてました(^^ゞ
     
    個人的に、私は、スクナヒコナ命(私の中では≒淡島様≒神功皇后≒中将姫)に興味津々なので、住吉大社(一寸法師は住吉大社の申し子)が物部絡みというのは、非常に面白いです。
     
    物部神道は、深いですね(^^ゞ
    皇室の鎮魂祭のネタは知らないです。
    どんなお話ですか?
    梁塵秘抄も、図書館で探してみます・・・でも、今んとこ読みたい本が山積みなんで、オフまでに読むのは無理かも(T_T)
     
    以前、矢田坐久志玉比古神社の宮司さんから、「十種の神宝とは、医学的な道具だ」という意見を教わったことがあります。
    鏡は手術の道具だし・・云々という話でした。
    でも、どれがどうだったか、すっかり覚えてないんですけどね。
    ヒレはなんだったかな?麻酔だっけ?
     
    と、話が横道にそれまくりますんで、このくらいで(笑)
  • かまど様来ないですねぇ? 投稿者:江良 投稿日:10月05日 21時42分

    昨日は取り乱していました。スイマセンでした。
    かまど様仕事が忙しいのですけねぇ?
     
    伊勢祭神・天照大神=天照国照火明饒速日尊...自分も
    最近まで無視していましたが,間接的なネタは,ありま
    すよね。疑惑の氏族物部氏ですね。
    熊野の社家は穂積氏です(本宮でしたっけ?)穂積氏の
    系譜を見ると饒速日から九代後の十代目,穂積臣から始
    まります。饒速日・宇摩志麻治の系統です。
     
    淡島様=少名彦説は,ありますね。傀儡師とも関係が深
    い神様で,何層にも重なっていて面白いですね。個人的
    に少名彦の結びつきはあると思います。
     
    梁塵秘抄の中に鎮魂祭のことが書いています。鎮魂祭は
    新嘗祭の前日に行われる祭儀ですよね。天岩戸話から鎮
    魂祭が造られたと云われていますね。梁塵秘抄の中では
    宇摩志麻治が十種神宝で天皇と皇后の長寿を祈ると書い
    てあるんですよ。何故か,その部分が原文だから読みに
    くいんです。
     
    話が長くなりそうなので,このぐらいで。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月06日 00時09分

    すいません、出張続きでかなりへばりぎみ&睡眠不足。
    また日曜日に。すみませんm(_ _)m
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月06日 16時06分

    かまどさんがいらっしゃれない日は、私が相手で我慢ください。
     
    ま、「いや!」といわれても、私はいっこうに平気な人間ですが(笑)
     
    穂積氏って、今まであんまり出くわしたことのない氏です。
    なにしろパッと思い浮かぶのが、積み木くずしなくらいで。
    ウマシマジの系統ならば、本流ですね。
     
    淡島様を「粟島」と書き換えると、少名彦説も納得行くと思うんですよ。
    粟島から常世に旅立ったわけで。
    が、本当に、何層にも重なってると感じます。
     
    天神社の元の御祭神(現在は、ご存知菅原道真公)が、少名彦神であることも少なくなく、土師氏の大祟り神・菅原道真公との関連を考えると、これまた惹かれますしね。
     
    で、鎮魂祭について、物部神道とのかかわりが疑われる・・・と、そういうことでしょうか。
    十種の神宝ということは、やっぱり、フルの祝詞が唱えられたんでしょうか?
     
    う〜む。
    詳しく聞きたいですが、話がそれますんで、また、別の機会に、是非。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月06日 16時07分

    すいません(^^ゞ
    疲れてはるところに、添削頼んじゃって・・・。
    栄養あるもん食べて、ゆっくり寝てください。
    3連休、ゆっくりできたらいいですね〜。
  • あわわ 投稿者:江良 投稿日:10月06日 19時52分

    のりちゃん様に不満などありませんよ。
     
    かまど様おつかれさまです。研究家でビジネスマン...
    かっこいいです。暇なときかまって下さい。
     
    十種神宝 唱えますよ。猿女と物部で例の呪文を唱えま
    す。そのうち原文書きましょうか?
     
    穂積氏は日本で有数に多い家名の鈴木の元祖です。
    穂積臣の父は弟橘姫の兄・大木別垂根です。つまり物部
    ・尾張氏の系統です。
  • 江良様、のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月06日 22時34分

    ちょっと時間できた。
    なかなか難しい話題ですね。私にはついていけませーん!
    おふたりともすごいですね。
     
    >3連休、ゆっくりできたらいいですね〜。
    ゆっくりとも休んでいられないんですよー(T^T)
    仕事(事務処理)があって2日は仕事でつぶれます。でも休日に家でするので、睡眠時間はとれます。1ヶ月ぶりぐらいの休日?です。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月07日 12時25分

    あ、いやいや、私の言うことに、あんまり深い意味はないんで(笑)
    どっちかというと、「ツッコミ待ち」なので、次からは、そっち方向でよろしく(~_~)
     
    梁塵秘抄原文、急ぎませんが、よろしくお願いします。
    できれば、解説も。
    というより、解説してください。そうじゃないと、多分さっぱりわからん気が(^^ゞ
     
    ところで、弟橘姫の系譜って、どこかに出てきましたっけ。
    記紀では、「妾」とか「妃」という風にしか書かれてなかったんですが、・・・旧事本紀でしょうね?
    自分で探せばいいんですが、何巻あたりに出てきます?
    一応、旧事本紀も通して読んでるんですが、ストーリーを追うのが精一杯で。
     
    しかし・・・弟橘姫が尾張氏となると、別のことが気になります。
     
    弟橘姫を生贄にしといて、その親戚にあたる宮簀姫と結婚した。
    弟橘姫に命を救われて、宮簀姫に命を損なわれた(もしも、武尊の死が血のケガレに触れたことの報いだとするならば)。
     
    この妙な因果関係は、なに??
     
    ・・・すんません、逸れまくりますね(^^ゞ
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月07日 12時30分

    お仕事お疲れ様m(__)m
    どうぞ無理なさいませんよう。
    しかし、三連休も仕事・・・しかも、持ち帰りですか?
    うううううう(T_T)きつい〜〜。
     
    体がゆっくり休まったら、また、相手してくださいね。
    いろいろ質問したいこともあるんで元気になってもらわなくちゃぁ(←鬼?)

 

もっと新スレ 丹生オフ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 15時56分

かまど様
しゅいません。重なってました・・。気付かなかった。しかも勝手に話進めてたりして(^^ゞ
 
思兼命と丹生津姫の関係は、以前から謎に思ってました。
丹生と、思兼命が一対になってることが多いと思ってたんです。
 
・・・で、夏、丹生川上神社・中社に参拝して、神職さんにそのお話をしたら、
「あ、中社が丹生川上に比定されたのは、それが理由ですよ」
と、簡単に肯定されちゃいました(^^ゞ
 
中社は、もともと「蟻通神(思兼神)」を祀る神社だったようですね。
その関係から、丹生川上神社と比定されたとか。
 
でも・・・関係ありませんが、淡島神社参拝の帰り、加太港を歩いていたら、穴の空いた石がいろいろ転がっていました。
 
調べてみると、貝と波が作用して石に穴が開くんだとか。
 
「石笛」と呼ばれるんですね(吹いても音は出ませんでしたが)。
 
穴の空いた石は、いろいろな場面で出てきて、しかも、神事に深く関係してるかもしれませんね。
 
>宣化天皇を29代と間違っている
面白いですね。
「間違ってる」のか、「これが本当は正しい」のか。
 
で、天野への移住は、まず、神に鎮座いただいて、神社支配が高野山に変わってから人々が移った、と2段階になってるんですね。
なるほど・・・。
昔は、天野は「神の座する場所」であり、なぜそこが選ばれたのか、ということですね。
ということは、決して、住むのに良い場所だから、天野が選ばれたわけではないと。
あくまでも、丹生津姫のために選ばれた場所である、と。
 
む〜〜〜。
当日、神社へ行って、そういう思いで、周囲の景色を見回してみたいと思います。
 
>邇保→丹穂→赤米
ん?んんん???
なんか、似た(?)ような話を聞いたような・・・。
えぇっと、ちょっと待ってくださいね。えぇっと・・・。
あ、あった。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/ibonimasu.htm
龍野市にある、粒坐天照神社の社伝が、「米がご神体(というわけではないかもしれませんが)」「赤米」と、かまどさんの想像と、なんか交差しません?
 
これは、さっき、教えてもらったんですが、
http://www.y-morimoto.com/saigoku/saigoku03a.html
不思議な霊光が降りてきて・・・というところも、粒坐天照神社の社伝と似てます。
粉河寺と丹生都姫は、あんまり関係ないかもしれませんが、ここも猟師さんが・・・ってなってますね(と教えてもらった(^^ゞ)
 
天照国照彦火明命は、謎の多い神様ですが、天照大神以前の太陽神だという話もありますよね。
告門で、天照大神の妹神と書かれている、丹生津姫との関係は、全くないんでしょうか?
 
>「生贄の乙女」とか、「棚機女」のキーワード
まず、丹生津姫が、稚姫である、と考えれば、日本書紀の神代紀に、「神衣の機織の最中に」「スサノオの乱暴により命を落とした」というわけで、棚機女、生贄と直接的ではないにしろ、関係があるんじゃないか、という考えは、以前からうっすらあったんです。
 
で、沢と言うと、精査したことはないんですけど、わりと各地に、「機織の乙女が沢(滝壺ということも)」に住む神(龍・妖怪のことも)に魅入られて、水に沈んだ。
今でも、時折、水底から機織の音が・・・。
そういう話が分布していると思います。
 
・・・な〜んていう、乱暴な連想なんですけどね(^^ゞ
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 15時59分

    >尾田の吾田節の淡郡に住む神
    すいません。わかりました。
    神功皇后に託宣があって、審神者(中臣烏賊津使主・・・あらためて見ると、この人物も、意味深な名前)神の名を問うた時、二番目に出てくる神ですね。しかも、神名が書かれていない。
     
    岩波文庫では、この神を稚姫と注釈されてたんですね。
    確かに、戦に向うときは、稚姫の名が出てこないのに、凱旋のあと、戦の後押し(先導も)してくださった神々を各地に鎮座いただくとき、突然、稚姫の名前が出てきますよね。
     
    だから、この、尾田の吾田節の淡郡に住む神が、稚姫だという考えは、突飛ではないと思います。
     
    で、「尾田の吾田節の淡郡」というのが、伊雑宮か、建布都神社である、と。
     
    で、玉柱屋姫というお名前は初めて拝見しました。
    調べてみたら、圧倒的に愛知県で祭られている神様なんですね。
    手持ちの「神名辞典」には、「系統不詳」と書かれていました。
    伊謝波止美命の妻で、天日別命の母。
    伊謝波・・・「いざわ」・・・なのですね。んで、天日別命は度会氏の祖。
    なるほど、土着の神様っぽいですね。
     
    私、伊雑宮には一度参拝したいと思いつつ、まだ叶ってないんです。
    これは、頭に入れておけてよかった。φ(..)
     
    で、玉柱屋姫は、記紀には登場しないと思いますので、神功皇后の西征にも参加してないと思います。確かに。
     
    ちょっと興味を持ったのが、三重県にある、高茶屋神社。
    玉柱屋姫を主祭神とし、通称は「あわしまさま」。
     
    淡島信仰と神功皇后の関わりは・・・私は、「ある」と思ってるのですが、これもまたややこしいところなので、当日にでも。
     
    >丹生都姫様=稚日女尊説
     
    稚姫という名前は、「若い姫」という意味にもなりますから、固有名詞っぽくないですよね。
    ので、ある「稚姫」は、丹生都姫のことで、他の「稚姫」は、別の神のこと・・・と考えるのが、一番私の感覚に合ってます。
    つまり、複数の「稚姫」が存在する、と。
     
    で、日本書紀で、天照大神の神衣を織っている時に、素戔鳴尊の乱暴により命を落とした稚姫と丹生都姫は、どこかかぶっている、という印象があります。
    神功皇后の戦を守護した稚姫は、丹生都姫のことだ、と考えるほうがしっくりきます。
    私の頭の中で、神功皇后と丹生都姫は、かなり近い関係に思えるんです・・・確信ないけど。
     
    ちなみに、兵庫県にある生田神社のご由緒では、命を落とした稚姫と、神功皇后の戦を守護した稚姫は、同一の神とされていたと思います。
     
    ということで、また、いろいろ教えてください。
    特に、玉柱屋姫については、初耳ながら、興味津々です。
  • 玉柱屋姫 あやしいネタどうぞ 投稿者:江良 投稿日:10月02日 18時28分

    他の常連様の方々,いくつも書いて申し訳ありません。
     
    玉柱屋姫は,記紀に登場しない神様ですが,伊勢神道
    (渡会神道)五部書に天日別命の娘神と記載されていま
    すね。話がそれますが渡会氏は天牟良雲命を祖神にした
    いようですが...
     
    玉柱屋姫の別伝承があります。ソースは大変あやしい本
    なんですが近江雅和氏の記紀解体の中に
    伊勢津彦の娘or孫娘という伝承があるそうです。
    伊勢津彦は名前と違い伊勢の土着の神ではない可能性の
    神様です。播磨国風土記では伊和大神(大国主)の御子
    神で別名,出雲の神の子・出雲建子命・櫛玉命とも呼ば
    れていますね。伊勢・志摩に出雲系がいる理由は不思議
    ですが,こんな電波に近い説もあります。
     
    そういえば,渡会の地名由来も大国主に似た名前の神様
    と天日別が出会ったので渡会という地名になった説話が
    ありましたね。
     
    のりちゃん様 生田神社の由緒で稚姫様が亡くなって...
    この話は知りませんでした。できれば詳しく教えていた
    だけませんか。
  • のりちゃん様&かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月02日 19時41分

    のりちゃん様 メールのスケジュールの件は了解です。
    かまど様 丹生都姫様を書いてある本で推薦できる本は
    ございませんか?
     
    かまど様が書かれた秩父神社に犬と狼は関係ない可能性
    が高いです。民俗学者の野本寛一氏と直良信夫氏の調査
    (別々の調査)で荒川水系の山犬・狼信仰の社と分布を
    細かく調査したところ二十数社ありましたが,秩父神社
    は,山犬・狼信仰を持っていない事が記載されていまし
    た。秩父神社の使役する動物は一説には梟と云われてい
    ます。西洋で智恵の象徴とされる梟が日本の智恵の神の
    思金命の使役動物なんて面白い偶然ですね。
     
    荒川水系には,もう一つ面白い信仰がありまして,千勝
    神社・千方神社などとあります。これは,武蔵七党の丹
    党とも関係が深い高麗神社の社家で渡来氏族である高麗
    若光(玄武若光)と関係があるようですが,この話題は
    丹生都姫様と関係がないのでカットします。
     
    また,後で巡回にきます。失礼します。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 19時43分

    >・・・で、夏、丹生川上神社・中社に参拝して、神職さんにそのお話をしたら、「あ、中社が丹生川上に比定されたのは、それが理由ですよ」と、簡単に肯定されちゃいました(^^ゞ
     
    うーん、神主さん「丹生と思兼が一対」っていってました?「丹生と蟻通が一対」って言ってました?
    もし、そこで丹生川上神社の本を買っておられたら再度ごらん下さい。高野山の関係で、和歌山の蟻通神社の名前を使い、丹生神社から蟻通神社と名前を変えたとあります。多分主祭神は思兼ではないと思います。
    和歌山の蟻通神社は、もしかしたら丹治氏が持ち込んだ神ではないかと思っています。
     

    >兵庫県にある生田神社のご由緒では、
    生田神社の山奥?丹波?丹生山?に丹生神社があり、そのことから、生田神社の稚姫と丹生津姫の関係を言っている方もおられます(丹生津姫神社誌より)。
     
    >天野への移住は、まず、神に鎮座いただいて、神社支配が高野山に変わってから人々が移った、と2段階になってるんですね。なるほど・・・。昔は、天野は「神の座する場所」であり、なぜそこが選ばれたのか、ということですね。
     
    その通りでーす。その理由に何が想像できますか。いろいろ想像できます。昔々では斜面では田んぼはできませんよね。沢から水を引いたとか。神様を象徴する何かが(鉱脈とか)あったとか。
     
    >粉河寺と丹生都姫は、あんまり関係ないかもしれませんが
    いえいえ、結構関わり深いんですよ。大伴氏はここに丹生津姫を勧請してますよ。孔子古か船主かどちらかの時に。のりちゃんが書かれてる粉河寺のサイトの一番最後に
    父母(ちちはは)の恵みも深き粉河寺ほとけの誓いたのもしの身や
    って歌がありますよね。多分この「たのもしの身や」は「たのもしの宮」にかけたものではないでしょうか?粉河寺にある丹生津姫を祭った神社の通称が「たのもしの宮」だったような気がします。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 19時59分

    >丹生都姫様を書いてある本で推薦できる本はございませんか?
    そういわれてみると、パッと思いつかないものですね。丹生津姫神社で売っている丹生津姫神社誌でしょうか。水銀という部分では松田教授著「丹生の研究」(早稲田大学出版部)なんかも良いのでは。
  • 丹生都姫様と蟻通神社 投稿者:江良 投稿日:10月02日 23時18分

    かまど様ありがとうございます。松田教授の本「古代の
    朱」は,今週知人から借りれます。丹生都姫神社誌は,
    通販とかあれば読みたいですねぇ。
     
    のりちゃん様 自分も丹生都姫様と思兼神が夫婦神だと
    面白いなぁと思っているんです(かまど様ごめんね)
    薄ーい根拠ならあるんですよ。他の人のサイトのネタな
    ので丸写しは出来ませんが,必要な部分を抜き取ればこ
    んな感じです。
     
    吉備国の阿賀郡には丹部郷があり丹治氏がいました。こ
    の阿賀郡には倉敷市の阿智町には阿智神社があり,この
    阿智神社の里人達は,信濃の阿智村からの移住です。
    丹治比氏流丹党系図の中に志麻が真人姓を給わり左大臣
    になります。この家系から空海を高野山に導く武蔵守家
    影を輩出しています。
     
    信濃の阿智は,思兼神が最初に降臨した地との伝承があ
    ります。思兼神の御子神の表上春命との系列が阿智の人
    々です。表上春命の弟神と思われる天下春命が秩父国造
    家になります。秩父国造家(秩父神社を祀る家系)は十
    代ほどで消えます。その後に平氏や丹党(丹治氏と仮定
    させていただきます)が秩父に乗り込んできます。
     
    吉備・信濃の阿智・秩父を結びつけるモノは丹や銅の財
    と思金神でしょう。
     
    本当に薄ーい根拠ですが,このような事象があったため
    に丹生都姫様と思金神が夫婦神と考える人達がいたのか
    もしれませんね。
     
    あと禁断のホツマツタエがありますね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月03日 01時36分

    >吉備国の阿賀郡には丹部郷があり丹治氏がいました・・・空海を高野山に導く武蔵守家影を輩出しています。
     
    どこかで聞いた話ですね。どこだったかな?どこかの掲示板で昔に話題に上っていたのを覚えてます。
    丹治家陰(大和国志摩庄に籠居)→家義→家信→武信ですね。丹治氏も家系図がたくさんあって微妙に違ってるんですよね。高野山に引導したのが家陰であったり家義であったり。空海の時代の嵯峨帝の時の人は家信となっていたり。とってもややこしくしています。
     
    >あと禁断のホツマツタエがありますね。
    以前のりちゃん様に教えて頂いたのですが、途中で断念してそのままであります。
     
    吉備、秩父はまだ調べていないのですが、紀伊と信濃は風俗が似ているような気がします。
     
    >丹生都姫神社誌は通販とかあれば読みたいですねぇ
    オフ会で是非購入ください。ほかにも4冊ほど冊子がありますよ。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月03日 17時12分

    神道五部書は、やっと倭姫命世記を流し読みした程度なので、その中に玉柱屋姫の名が出てきたかは、記憶にありません。
     
    やはり、渡会氏にとっては大変重要な神様なようですね。
     
    しかし、天牟良雲命というお名前も初耳です(^^ゞ
     
    アメノムラクモノミコトとお読みするんでしょうか。
    剣と関係が?
     
    何かいろいろ事情があるんでしょうね。
     
    そして、伊勢津彦命。
    この神について読み直そうと思って、風土記をめくってたら・・・。
     
    あぁ、伊勢国風土記逸文では、伊勢津彦が先住民。
    後からやってきたのが、神武天皇の勅を受けた天日別命なわけですね。
     
    そして、伊勢津彦は大風を起こし、太陽のように輝きながら退場。
    伊勢津彦が出雲系の神なのならば、それ以前の土着の神はどなたなのでしょう。
     
    それが、天牟良雲命??
    それとも、神話では、土着と新着が逆転してるのでしょうか?
     
    で、度会の地名由来で出てくるのは、大国玉命ですね。
    日本書紀 一書(第六)によれば、大国主命の別名。
     
    出雲と、伊勢(度会)。
    どうやら、無関係ではなさそうですね。
     
    で、生田神社のご由緒については、
    http://www.norichan.jp/jinja/renai/ikuta.htm
    にすべて引用してますので、ご一読ください。
     
    誤解を招く表現になってしまってたかもしれませんが、つまり、
    素戔鳴尊の乱暴により命を落とした機織姫であるところの「稚姫」と、
    神功皇后外遊の時に登場するところの「稚姫」は、
    ともに、生田神社のご祭神であるところの「稚姫」である。
     
    という風に書かれています。
     
    そして、そのご由緒によれば、稚姫のお名前は、稚く瑞々しい日神を表すとのことも書いてあります。
    つまり、天照大神の妹ではなく、天照大神の幼名という判断かと。
     
    >丹生津姫・思兼命夫婦説。
    丹治比真人志麻って、かぐや姫では、石造の皇子と比定されてますよね。
    仏の石鉢をとってくるように言われた・・・という話は、かまどさんとしてたわけですが、この人物の流れに狩場明神がおられるわけですね。なるほど。
     
    私自身も、蟻通と丹生津姫がペアになってると感じたことはありまして。
    泉佐野にある蟻通神社に参拝したとき、「まさかこの側に丹生津姫が鎮座されているということは・・・」と探したら、「天野神社」があったんでございます。
    いつも手前味噌ですが↓
    http://www.norichan.jp/jinja/benkyou/aritoshisenshuamano.htm
     
    ホツマツタヱは、偽書とされてますが、物語自体は、それほど突飛じゃないと思うんですよ。
    私は、もっぱら、
    http://www.hotsuma.gr.jp/
    で訳されたものしか読んでないので(一応、アワ文字で書かれたものも持ってますが・・・読めるかぁ!!)、間違ってるのかもしれませんが、太陽神の妻が清らかな流れの神である、とありますよね。
     
    いくつかの神社(敏馬神社・和伎座天乃夫岐賣神社など)で、ご祭神を「天照大神」としながら、「清らかな水」を祀っていると感じますし。
     
    まだまだいろいろなとっかかりがありますね(^^ゞ
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月03日 17時13分

    すいません。
    丹生と一対なのは、蟻通・・・という考えから、名前は全く記憶していませんが、一人の学者さんが、「この蟻通社が、丹生川上神社ではないか?」という説を出され、いろいろあったあげく採用されたという話でした。
     
    本は残念ながら買ってません。ありましたっけ(T_T)
     
    で、その資料には、もともとは丹生神社だったのが、蟻通になり、そして、また丹生川上になった、と書かれてたんですね。
    う・・・中途半端なことしか知りませんでした〜〜〜(>_<)
     
    >生田神社
    生田も、「丹生」と関係が深いのですね。
    神功皇后は、兵庫とは関係の深い女神。
    このあたりも興味深いです。ものすごく。
     
    >二段階移住の謎
    神聖なる地に鉱脈(もしかしたら水脈)があった、というのは十分考えられることですよね。
    水脈というか川が流れていたのならば、独り占めを防ぐために、少しずつ分散して居住した・・・とか。
     
    >粉河寺
    「たのもしの宮」とは・・・。
    でも、大伴氏は、そもそもは、かまど神を斎祭っておられたのですよね?
    その大伴氏が、かまど神ではなく、丹生津姫。そして、その宮の名が「たのもし」。
     
    ・・・頭がこんがらがってきました(T_T)
     
    ・・・で、すいません。
    旧事本紀によれば、多治比連って、饒速日尊の子孫だとなってるんですね??
     
    第五巻天孫本紀
    五世 孫 建箇草命 健額赤命の子・多治比連・津守連・若倭部連・葛木厨直の祖。
     
    で、注釈で、「多治比連」を見ると、
     
    「姓氏録」右京神。別下に「多治宿禰、火明命三世孫天忍男命之後也」とある。
     
    とあります。
     
    旧事本紀・新撰姓氏録で、多治比が饒速日尊の系列とあるのならば、まじで、関係ありません?
    粒坐天照神社と。
     
    この神社の鎮座地は、丹波・・・いや、播磨かな?
    丹生山の繋がりでしょうか?
    ぞくぞくっ!
  • おじゃまします 投稿者:江良 投稿日:10月03日 20時47分

    稚拙なネタですみませんでした。
    かまど様 丹生姫神社誌欲しいですね。
    のりちゃん様 天牟良雲命の読み方は正しいです。
    皇室のレガリア 草薙剣の旧名と同じ読み方なのは偶然
    ですかね。名前から読むと水神でしょう。
    渡会が何故この神を祖神としたがるのかは不明です。
    「先代旧事本紀」は,各地で見つかっていますが,伊勢
    本(伊勢で見つかった先代旧事本紀)以外の天牟良雲命
    に渡会の祖神という注釈が書いていないんですよ。伊勢
    本だけが渡会の祖神と書いていて渡会の操作と考えられ
    ます。
     
    玉柱屋姫は倭姫後世記の中ですと,こうなります。
    伊雑宮一座(天牟羅雲命裔,天日別命子玉柱屋姫命是也
    )本文には,伊佐波登美神の名前で神田から稲穂を抜く
    話がありますね。伊雑宮は日本有数の田祭りがあること
    と関係あるのかもしれませんね。
     
    かまど様 旧吉備は,面白そうですよ。自分も少ししか
    調べていないのですが,鉄関係で色々ありそうです。
     
    多治比氏と大友氏は,想像以上に古くから縁があるかも
    しれなくて,これから調べてみようかと思います。
     
    のりちゃん様 生田神社の話は了解しました。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月03日 21時17分

    予告編等再読させていただきましたゾクゾクする話ばか
    りですね。一番気になった話は,丹生都姫神社の池に魚
    を放す...これって宇佐八幡の放生会を思い出しますね。
    宇佐八幡の放生会は,隼人との戦いで殺生の罪を悔いた
    八幡神が,仏教に救いを求めたことに起因しています。
    諸説ありますが,宇佐八幡が日本最初の神仏習合の地と
    云われていますね。丹生都姫神社も神仏習合の聖地だか
    らかもしれませんね。
    想像をたくましくすれば,三韓征伐に疲れた丹生都姫様
    が仏教に救いを求めたのかもしれないですね。
    (水銀確認も好きな考えですけど)
     
    鎌の話や,何故に丹生都姫様が天野の地に降臨したのか
    興味は尽きないですね。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月03日 23時38分

    >一人の学者さんが、
    森口奈良吉翁ですね。
    丹生神社の場合は、高野山真言宗のお寺の近くの場合は要注意。それはこの地域は高野山の勢力範囲を表す誓約的に勧請された丹生神社です。丹生神社を考える時まず始めに行うのがこの作業です。純粋な丹生神社か真言宗の影響のある丹生神社かを選別します。実はこれはとっても難しい。丹生神社が先にあったのか、お寺が先にあったのか。
     
    >本は残念ながら買ってません。ありましたっけ(T_T)
    持ってますよー。お貸ししましょうか? 
     
    >大伴氏は、そもそもは、かまど神を斎祭っておられたのですよね?
    大伴氏といっても、和歌山だけでも各地に点々としてるのでいかんとも言いがたいです。丹生総神主を継いだ大伴氏(丹生川上)はかまど神を祭っていたと言う事です。
     
    のりちゃん様京都から和歌山に行く道に丹生神社や蟻通神社が点在してるんですね。個人的にはどうしても鎌倉幕府、高野山真言宗、紀氏の視点から見てしまうのですが、ホツマツタヱと言う視点から見るとどうなんでしょうかね?なんか気になってきました。
     
    余談ですが、今後会社の会議が火曜になるかも知れません。そうなるとオフ会どころか和歌山にも帰れなくなっちゃいます。(T^T)ううううっ!
    もしかしたら、今回が最後のオフ会参加になるかも。
  • 寝る前に覗いてみたら 投稿者:江良 投稿日:10月04日 00時10分

    かまど様 会社の事情ですか...ショックです。まだ決定
    ではないのですよね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月06日 22時36分

    >まだ決定ではないのですよね。
    まだ決定じゃないです。決定になると結構つらいかも。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月07日 12時18分

    そうならないよう、全身全霊こめて祈ってます(~_~)

 

オフの参加について 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 00時36分

最近、メールなどでも、「楽しそうなので、オフに参加したいんですが」という問い合わせをいただきます。
 
管理人としては、大変光栄なことで、嬉しいのですが、他スレで述べたように、ネット上のいろいろな事件を鑑みるに、能天気に、「誰でも参加してくださ〜い」とは言いづらい状況です。
そこで、ここで、ある程度の、参加条件を作っておこうかと思います。
 

「まずは、掲示板で常連になってください」
 

もちろん、常連さんが「この人、今回の企画において、こういうことしたいらしい」と紹介してくださる分には、お断りする理由はありません。
 
でも、全く知己のない方は、
 
「まず、掲示板で知り合いになりましょう」
 

・・・・・とお答えすると、
 
「掲示板の話題には付いていけない」
とおっしゃる方もいらっしゃるのですが・・・。
 
考えてみてください。
 
掲示板の話題は、何度も読み返すことが出来ます。
読みながら調べることもできます。
 
その話題についていけないとおっしゃる方が、オフで私達が興奮気味に話す内容を楽しんでいただけるとは思えないんですわ(~_~)
 
私は、本当〜に、研究書などを読めていません。
そんな人間が管理している掲示板のことです。
 
初歩的なこと・・・記紀をざ〜〜〜っと読む程度・・・で、多分、掲示板の内容は、うっすらとでも、だいたい飲み込めると思います。
 
記紀の内容を全部覚えられるわけもありません。
 
大体頭に入っていれば、話題の大部分はなんとなくでもわかるか、と。
 
なんとなくわかれば質問も出てくるでしょうし、質問をいただくことにより、新しい発見があることもよくあります。
 
ってことで、オフ会参加希望の皆さん、まずは、掲示板で仲間になりましょう。
 
お待ちしておりますm(__)m
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 01時10分

    そう言えば、のりちゃんずの掲示板って、歴史の話ではない話の方が多かったりするときありますよね。難しい話ばかりではないし、適度にまた難しく。単純に神社めぐりが好きな人もいたりなんかして。
  • 結論書き忘れててた! 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 01時16分


    神社めぐりが好きで、神社の由緒を調べるようになり、そうするとここの話題にもついてこれるようになると思います。好きこそものの上手なれ?でしたっけ?分からないことはここで質問すれば、親切にだれかが教えてくれますしね。
  • 常連ですが・・・ 投稿者:毅岳 投稿日:10月02日 01時33分

     浅学非才な奴ですが、この掲示板で可愛がってもらってます・笑。まぁ、キャラで乗り切っているだけの人間です・爆。でも、このキャラが大事だと思います。勉強不足でも、この掲示板はフォローしてくれますし、みんな心根の優しい人ばかりです。その雰囲気に馴染める人は、オフ会でも馴染めると思いますよ。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 16時00分

    質問していただくと、今まで、「これでええんや」と思いこんでたことに、自分でも疑問を持って、勉強しなおすことも・・・私は、こういうパターンがむちゃくちゃ多いんですが・・・あるので、質問もありがたいんですよね。
    これからも、どんどん意見交換、お願いしますm(__)m
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 16時01分

    いやいや、毅岳さんには、修験についていつも教えていただいております。
    全く分野が違っても、何かを熱心に追求しておられる方の話は勉強になります。
     

    ・・・ということで、しばらく目立つところに置いときます(~_~)

 

新スレ 丹生オフ 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月28日 13時00分

>かまど様
 
>鎌八幡に関するサイト↓
http://www.koyasan.or.jp/reihokan/various/cultural/yushi/hachiman.htm
 
ふむふむ・・・。
宇佐の八幡神が老比丘の姿で・・・ほほ〜〜。
宇佐も鉄鋼と関係深いですよね、確か。
 
そんでもって、八幡神の神器が丹生酒殿神社にひっかかったと。
 
しかも、熊手は長鈎鈎といわれる武器?
忍者の手裏剣を思い浮かべてしまう。
 
いや〜〜〜ん。おもしろすぎ〜〜〜〜〜!!!!
 
狩場明神=皮張(かわはり)明神ってのもまた。
狩場明神が、皮と関係深いなら、タンニンを分泌するイチイをご神木とする鎌八幡も、狩場明神との関係を見てとれますよね。
 
いや〜、目が覚めました(笑)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月29日 02時47分

    >イチイをご神木とする鎌八幡も、狩場明神との関係を見てとれますよね。
    鋭い!!!
    ここでは書けないのでメールにて! 
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月29日 19時57分

    メール楽しみにしてます。
    しかし、丹生・高野は、歴史が長いし、かなりのことが、重層化してて、微妙なことも多いんでしょうね。
  • こんばんは。 投稿者:毅岳 投稿日:09月29日 21時29分

     少しズレる話なんですが、「イチイの木」の話。お公家さんが、持っている「錫(シャク)」(漢字、合ってたかな?汗)は、このイチイの木から作られたそうです。この木の名前は、貴族階級の「一位」とかいう階級に由来するそうです。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月30日 15時59分

    なんか、神官が持っておられる勺(こっちの字かな?)も、この一位から作られたみたいですね。
     
    それから、御柱祭りで有名な、諏訪大社の「秋宮」は、イチイが神木なんですよね。
     
    なんだか曰くありげですね!
     
    毅岳さんに言われるまで、すっかり忘れてました(^^ゞ
  • そうそう! 投稿者:毅岳 投稿日:09月30日 23時04分

     「錫」じゃなくて、「勺」ですよね!諏訪大社の「秋宮」のご神木も「イチイ」なんですか。ほう、面白いですね。ご神木、ってどれくらい種類が、あるんですかねぇ?ふと、そんなことを考えてしまいました。
  • ご神木 投稿者:かまど 投稿日:10月01日 01時09分

    >ご神木、ってどれくらい種類が、あるんですかねぇ?
    うーん、難しいのは、木の種類の場合と、木の形の場合と、伝説による場合など多種多様にわたっていることですね。杉やイチョウ、イチイ、楠木、が多いのでしょうか?大きい木が多いかも??
    人々がその木をどうみるかで決まるのかも知れませんね。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月01日 14時22分

    ご神木になるためには、まず、そこそこでかくないとダメな気もしますね。
    日本古来からある木って何種類くらいあるんでしょ?
    メタセコイアはなかったでしょうから、ご神木にはなってないでしょうね(笑)
    バオバブとか・・・えぇっと、ほかはなにがあるかな・・・ってもういい??
     
    諏訪大社の「春宮」は、杉がご神木だったと思います。
     
    イチイと杉は、同属だったかと思いますが、やはり、「大きくてまっすぐ伸びてる樹木」は、人間に憧れに近い気持を抱かせるかもしれないですね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月01日 14時23分

    確かに、ご神木になるまでには、いろいろな経緯がありそうですね。
     
    楠木の場合は、腐敗しづらいらしく、船を操っていた民が「ご神木」としたのは、至極当然な気もしますし。
     
    大三島にある大山祇神社のご神木も、楠木でした。
     
    かまどさんが挙げてくださった樹木以外では、「むくろじ」も神聖なものとして見られていますね。
     
    実が数珠になることと、「無患子」という漢字をあてはめられていることが原因なのと、やはり、まっすぐな大木になることも大きいかと思いました。
     
    面白いですね。
  • あのー 投稿者:江良 投稿日:10月01日 18時52分

    部外者の者ですけど,オフ会に参加できるのでしょうか?
    返事をいだければ幸いです。
  • 江良 様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月01日 21時02分

    はじめまして。
     
    今までは、特に制限を設けてませんでした。
     
    が、このところ、いろいろとネット上での問題が発生してます。
     
    そんなわけで、ある程度、気心の知れた方に参加していただこうと考えているんです。
    一応、未婚の女性も参加しますし(^^ゞ
     
    もちろん、江良さんのことを疑っているというわけではないのです。
    これだけはわかってくだいね。
     
    でも、
    「誰でも参加してください」
    といいづらいのが、現在のネットの状況です。
    管理人としては、心苦しいのですが。
     
    また、なんと言いましても、趣味の集まりなんで、ある程度、話題が通じる方でないと、参加されても、楽しくないと思うのです。
    あと、古代史は、正解がない世界であり、そして、こだわる方はものすごくこだわられるのです(なにしろ自分の先祖に関係することですから)。
    ですから、微妙な問題も発生することがあります。
     
    あと、体力面。
    うちのサイトのオフは、割と歩きます。
     
    参加ご希望ということは、多分、江良さんも、古代史について、興味をお持ちなんですね。
    また、以前のオフレポもきっとご覧いただいているでしょうから、体力にも自信をお持ちなんだろうな、と思うんです。
     
    ということで、これから、江良さんに掲示板の話題に参加していただいて、ある程度、どのような方か、皆とお互いにわかるようになってから・・・次のオフくらいの参加ではいかがでしょうか?
     
    丹生関係にとても興味をお持ちですか?
    ならば・・・う〜〜〜〜〜ん、
    「どうしてもダメ」
    とは言いづらいんですが・・・。
     
    こんな感じです。
    どうでしょう?
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月01日 21時27分

    いらっしゃいませ。かまどと申します。
     
    のりちゃん様のおっしゃる通りで、もしよろしければまず動機、あるいは何か疑問・興味なんかがあればそれをカキコしてみてはいかがですか?
    ここでおしゃべりしてみませんか?
  • 忘れてた・・・ 投稿者:かまど 投稿日:10月01日 21時32分

    >一応、未婚の女性も参加しますし(^^ゞ
    一応未婚の男性も何名か・・・
  • 予告編第8弾 投稿者:かまど 投稿日:10月01日 22時06分

    みなさま、こんばんは。
    オフ会もあと3週間に迫りました。
    そろそろ予告編もクライマックスの丹生津姫神社編へ。残すはあと2回!
     
    今回、丹生酒殿神社から勅使道(三谷坂)と呼ばれる道を歩き、丹生津姫神社のある、隠れ里あるいは女人高野と呼ばれる天野の里へ参ります。この道は丹生神主が三谷より年数回神事で天野行くときに上った道であり、空海が来る以前のメインストリートとしての生活の道でもあります。途中、笠石や頬切地蔵などあります。約1時間の歩きです。坂は急ですがまっすぐと天野に向かっている道です。
    丹生津姫神社がなぜ天野に立てられたのか?今なおわかっていません。丹生津姫が巡行して最後に天野に鎮座したと言うことは、そこに何かあったんだと思います。水銀?水?肥えた土地?狩場?
    「いくつかの沢があり、その1つに丹生津姫神社を立てた」との古文書があります。それは何を意味するのか?また、住んでいる地より1時間も歩かなければいけない地に丹生津姫を祭ったのか?疑問はたくさんありますが、おのおのいろいろと推理して下さい。正解がないので申し訳なのですが、そういう歩きも面白いかと思います。
    丹生津姫神社は神仏分離で仏教系の建物は壊され、その規模は半減あるいはそれ以下に小さくなってしまいました。北条正子が立てた御影堂なんかもあったようです。行者が修行した場所なんかも。そして、これらに安置されていた仏像など宝物が高野山だけでなく、各地に散らばりました。
    丹生津姫神社はかつらぎ修験の2ヶ月におよぶ廻峰行のスタートの地であり、その碑がいくつか立っています。まさに神仏習合の地だったんだと感じます。
     
  • お騒がせしました 投稿者:江良 投稿日:10月01日 23時47分

    丁寧なご返事ありがとうございます。説明不足で申し訳
    ありませんでした。
    古代史に興味はあります。丹生都姫様は朱(水銀)の神
    様と思っていたのですが,かまどさんの色々な説明で認識
    を変える必要があると思いBBSに書き込み&参加希望を
    書かせていただきました。
    長文になりましたので,又書かせていただきます。
    PS 当方は独身の男です。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 00時03分

    >お騒がせしました 
    お騒がせしてないですよー。
     
    >丹生都姫様は朱(水銀)の神様と思っていたのですが
    そうですね。一般には水銀の神とか水の神とか言われてますね。丹生から今では水銀の方が有名でしょうね。童話?児童書?で「丹生津姫(におつひめ)」って本読んだことありますけど、それは吉野が舞台で水銀の神様って感じだったかなあー?
    神様にお祈りするのって、「水銀が取れますように!」とは祈らないですよね、多分。「水銀取るときに事故がないように!」って祈ると思うんですよね。丹生津姫が鏨とハンマーを持って洞窟の前に立ち、その前に高野明神らしき人物が斧をもって座っている
    絵なんかも残ってるんですよ。
  • 書き忘れました 投稿者:江良 投稿日:10月02日 00時03分

    動機ですが,興味のある事は伊勢神宮・神功皇后などで
    神功皇后記の尾田の吾田節の淡郡の神様の話で岩波文庫の
    注釈に稚日女尊と書いてあったことが丹生都姫様に興味
    をもったきっかけです。
    あと,武蔵七党の丹党と秩父神社に丹生都姫様が関係して
    いる可能性を感じているので今回オフ会に参加させていた
    だきたいと思ったきっかけでした。
    他にも理由がありますが,長くなるのでこれぐらいで
    では失礼します。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 00時20分

    そういえば、未婚男性も・・・(^^ゞ
    忘れてました。
     
    さて、丹生津媛が、天野に鎮座したか。
    丹生津媛を奉祀する人々が、どうして、天野に留まったか、と言い換えても良いわけですよね?
     
    身も蓋もない考えだと、「何か、役得があったから」ということになりそうですが・・・。
     
    しかし、「水銀」の存在は無視できないですね。
     
    そして、「沢」の中から、場所を選んだとなると、「水」が重要な意味を持ってくることに。
     
    ここまで来て、「えらい飛ぶなぁ」と言われそうですが、私個人としては、沢と言われると、「生贄の乙女」とか、「棚機女」のキーワードが突如として浮かんできたりして(^^ゞ
    とんでもだわ!!!
     
    ま、それは良いとして(よくないか?)
     
    そんなことを考えながらの丹生路は、わくわくしますね。
     
    詳しい内容(待ち合わせ時間とか場所とか)を決めていきたいので、また明日にでもメールしますね。
    ここんとこの経緯を見て、早めにレスしたかったので、今日は取り急ぎm(__)m
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月02日 00時30分

    お、面白そう!!
    >神功皇后記の尾田の吾田節の淡郡の神様の話
    ごめんなさい。
    この話って、日本書紀のどこにありましたっけ?
    岩波文庫ですか。岩波から古事記が出てるのは記憶にあります。
    私が持っているのは、日本書紀は講談社学術文庫の現代語訳、古事記は角川文庫のものなので、多少違うかもしれませんが、詳しい内容を教えていただけますか?
     
    武蔵七党の丹党と丹生都姫様との関係も、興味深い話です。
    丹党については、どこからやってきたかは諸説あるようですが、それだけに、関係があるという意見には惹かれます。
     
    良ければ、是非、詳しく話していただけませんか?
    長くなっても、是非(書いてくださる江良さんは大変ですが)。
     
    興味あることなら、どんなに長くても、教えていただきたいと思うもんでして(^^ゞ
    (頭に入るかどうかは別として)
     
    ただし、この掲示板の特性上、あまり長いと、反映されません(アラシ対策のため)。
    ので、大変お手数ですが、何回かに分けて書き込んでください。
     
    そして、ここまで深い興味をお持ちならば・・・。
    今回のオフに参加していただけるよう、早めにお知り合いになっておきたいものだと思います。
    オフまで、あと、20日ほど。
    掲示板上だけでのやりとりではありますが、密にやりとりさせていただくことは出来ますか?
    お忙しいとは思いますが。
    そして、ちょっとバタバタしますが。
     
    また、私宛に、メールをいただけませんか?
    特徴などを何も知らずに待ち合わせをするのは、不安なので。
    また、掲示板上で、特徴を書いていただくのも不安ですしね。
     
    よろしくお願いいたします。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 00時35分

    >武蔵七党の丹党と秩父神社に丹生都姫様が関係して
    いる可能性を感じているので
     
    武蔵には22箇所の丹生神社があります。祭神は丹生津姫であったり、丹治義家であったりします。
    丹治氏は丹治家信の時代に中絶。この家信は丹生氏の養子となり、空海の高野開山に協力したことから死後狩場明神と崇められました。ですから丹生氏と丹治氏は親戚なんです。家信の後、丹治氏は武信が秩父に配流され、武蔵七党の丹党が生まれます。
    でもって、秩父神社ですかね。犬かオオカミが関係してましたっけ?祭神は思意金でしたね。丹生酒殿神社より車で15分程度のところに蟻通神社があります。丹生津姫神社の第3殿と言われた神社です。確かのりちゃんずに掲載されているのではと思います。この神社も思意金の神なのです。これを「重い金」つまり重金属の神と解釈されている方もおられます。その伝説に、石の穴に蟻を通す話があるんですが、そのような穴のある石は鉱物に違いないと言う説もあるんですよ。
    それと丹治氏は犬山師といいます。インターネットで調べてみると、「犬山」とは犬を使った猟をする人のことのようです。丹生も丹治も犬(動物?鉱山師?)にまつわる氏族です。紀氏も紀伊国造に新任されたときは、その報告のため、丹生酒殿神社で神事を行い、白犬を供えます。
     
    ちなみに江良様は丹生津姫神社や丹生酒殿神社、蟻通神社にはいかれたことありますか?
  • のりちゃん様,板乱用すいません 投稿者:江良 投稿日:10月02日 00時57分

    あわわ!凄いレス。
    かまど様&のりちゃん様ありがとうぞざいます。
    以前は,丹生都姫様=水銀。水銀そのものと考えていま
    した。金屋子神の伝承を読んでから素材神は違うなぁと
    思っていました。精錬のための水神?より良い製品が精
    錬するための神(金屋子神は,このタイプですね)
    かまど様の「安全のため」これは納得しました。水銀の
    危険性は古代も現代も同じですよね。
    丹生都姫様は水神でもありますよね。水神=機織でもあり
    危険な水銀とは相容れないなぁと思っていたのですが,
    水銀を精錬する人たちを守る神様ならば納得できます。
     
    のりちゃん様のメールフォーム何所ですか?
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 01時03分

    >丹党については、どこからやってきたかは諸説あるようですが、
    そうですね。実態がつかめませんね。丹生氏も丹治氏も主張しているのは、丹治氏は宣化天皇の末裔だと言うことです。それもどちらも家系図では宣化天皇を29代と間違っているところも興味深いです。宣化天皇の宮は檜隈廬入野宮と言いまして、奈良の高市あたりと言われているようです。この檜隈あたりは渡来人が多く住んでいた地域でもあり、丹治氏渡来人説などもあるかも知れませんね。丹治氏が支配下においていた渡来人が、後世丹治氏を名乗った可能性ってないのかなあ?入谷とかも近くにあるようですよ。確か丹生神社もあったと思います。
     
    >丹生津媛を奉祀する人々が、どうして、天野に留まったか、と言い換えても良いわけですよね?
    留まったと書くと天野に住んでいたとなるので違います。人々は三谷に住んでいました。1280年ごろ丹生津姫神社が仁和寺の支配から高野山の支配に変わったころから、丹生津姫神社の行事が増えました。でもって、三谷に住んでいた神社に携わる人々は、みんな天野に移住したようです。
     
    >「沢」の中から、場所を選んだとなると、「水」が重要な意味を持ってくることに。
    そうですね。例えば、丹生酒殿神社の丹生津姫のご神体は稲穂のようです。稲には水が必要ですので水の神かも知れませんし、稲作の神との説もあります。丹生氏の神事に早苗降ってのもそういやあるなあー。邇保都姫の邇保には「水のあつまるところ」と言う意味があるって書いてた本もあったなあー。私は邇保→丹穂→赤米って連想も面白いと思うんですが。
     
    >「生贄の乙女」とか、「棚機女」のキーワードが
    どうしてそれらの言葉が浮かんだんですか?
  • 日本書紀 投稿者:江良 投稿日:10月02日 01時17分

    連投すみません。今手元にないので詳しく書けないのです
    が,岩波版の日本書紀は戦前に発行してたのですが古事記
    と違い,なかなか再販されなかった記憶があります。
    数年前にやっと再販されたような気がします。その中の
    記述です。
    尾田の吾田節の淡郡に住む神は,伊雑宮(志摩国一宮)
    か阿波国の建布都神社です。建布都神社の祭神は武甕槌神・經津主神の二柱で,伊雑宮の祭神は天照大神ですが
    自分は,玉柱屋姫説です。武甕槌神・經津主神・玉柱屋
    姫は神功皇后記に参加していないですよね(記憶違い?)
    岩波版の注釈に稚日女尊と書いてあった記憶がします。
    これには,ビビッときて(何か秘密があると感じてから)
    丹生都姫様に興味を持ちました。
     
    かまど様,丹生都姫神社・丹生酒殿神社・蟻通神社行った
    ことありません。もう興味津々です。
  • 何度も書き忘れ すいません 投稿者:江良 投稿日:10月02日 01時43分

    尾田の吾田節の淡郡に住む神は...は神功皇后の夫である
    仲哀天皇が神の託宣で三韓(新羅かも)を攻め込めと云われたのに無視を決め込んだら死んじゃったので,神功皇后
    や武内宿禰などで(日本書紀と古事記で参加者が違います
    )仲哀天皇にお告げをした神様を調べた時に出てくる神様
    です。
     
    ところでお聞きしたいのですが,丹生都姫様=稚日女尊説
    をどうのようにお考えですか?個人的には賛成なのですが
    丹生都姫様の末裔の方々やお膝元にお住まいの方もいらっ
    しゃるようなので,意見をおきかせください。
     
    では,おやすみなさい。
    また書き忘れ のりちゃん様 メールフォーム見つけました。ちゃんとみればありますね。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月02日 13時18分

    >丹生都姫様=稚日女尊説をどうのようにお考えですか?
    可能性は十分あると思います。丹生大明神告門(のりと)に「いざなぎ、いなざみの命の御児、天の御陰日の御陰丹生津姫の大御神と大御名を顕し給いて」とあります。天照に対する月読(=のような稚日女尊)のイメージが思い浮かびます。
    丹生津姫神社では丹生津姫=稚日女尊の立場をとってます。また、和歌山市にある玉津島神社では稚日女尊を祭っていますが、ここも丹生津姫=稚日女尊の立場をとってますね。
    もし、丹生津姫が水銀に携わる人々の神であったなら、歴史の表には出てこない、歴史の陰で活躍する人々の神であったとも想像できます。だから天照(日)に対して月読(=稚日女尊;陰)をイメージさせられるわけです。吉野や和歌山と言うのは丹生の地であり、その山奥の人々は歴史には出てきません。しかし、南北朝でも、応仁の乱?でも吉野や和歌山の吉野との境あたりによみがえりを期待し、逃げてきます。敵に対抗できる何かがあったのかも知れませんね。
    あとこの地が伊都という地名であるのも調べないといけないですね。邪馬台国(日)に対して伊都国(陰)のような関係はないのかなど。どなたかが、丹生津姫から「和歌山邪馬台国説」を書かれていましたね。本の題名忘れました。
     
    まあ、丹生津姫はなぞの多い神様ということですね。
  • ホッとしました 投稿者:江良 投稿日:10月02日 15時04分

    かまど様ありがとうございます。丹生都姫=稚日女尊は
    正しい可能性があるんですね。
     
    かまど様の言葉に気になる言葉がいくつかありますね。
    @天照(日)に対する月読(=稚日女尊;陰)
    A邪馬台国(日)に対して伊都国(陰)
    月読といえば畿外で有名な社としては,壱岐の月読社で
    すが,他に九州から山城に移住した隼人の人達も月読を
    崇めていましたね。
    和歌山邪馬台国説は初耳です。伊都国は九州にもありま
    すね。
    どちらも九州に関係する可能性があります。それだけ
    丹生都姫様は,古い神格な気がします。
     
    丹生大明神告門詞で気になるのは「常世の宮に静まり坐
    せと申す」という最後の部分ですね。自分が知っている
    範囲で常世がつく神様は,思兼神・少名彦命・丹生都姫
    様の三柱ですね。何かあるような気がします。
     
    武蔵七党と秩父神社も何時か書かせていただきます。

 

かまど様、オフ会! 投稿者:毅岳 投稿日:09月16日 22時27分

 かまど様、オフ会の日程が決まったようですね。10月22日ですね。丁度、ナイスっ!な日取りです・笑。1週ずれたら、友が島入峰修行があり、23日は、中学校で「うどん教習」の予定が入っていました・爆。
 それでは、当日、よろしくお願いします。そうそう、今回は、ゆっくりと神社を参拝できるんですよね!?高野山町石道のオフ会の時、朱印を頂ける時間が無くて・涙。まぁ、その時は、荷物になるなぁ、と思って朱印帳を家に置いてきたんですがね・爆。
  • かまど様、オフ会!! 投稿者:海老珍 投稿日:09月17日 09時22分

    行けます!行けます!私にもナイスな日取りですっ!
    わーい、楽しみですぅ〜。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月17日 17時05分

    おお!!
    みなタイミングが合いそうですね?
     
    当日、十分勉強し、楽しみましょうね!
     
    しかし・・・うどん教習・・・。私も出たいなぁ。
     
    そういや、毅岳さん、ご朱印、どれくらい溜まりました?
    また見せてくださいね。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月17日 17時06分

    よっしゃよっしゃぁ!!
    当日、バリバリ運動(?)しましょ〜ね!
  • 皆様 投稿者:かまど 投稿日:09月17日 18時05分

    ご都合合ってよかったです。m(_ _)m
    あとは、この日に仕事が入らないことを神様に祈っておきます。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月18日 17時00分

    かまど様に仕事が入らないよう、毎日、心がけをよくして当日をお待ちしております。
    どうぞよろしくヽ(^。^)ノ
  • 予告第7弾 投稿者:かまど 投稿日:09月18日 22時34分

    今回のメインは丹生都姫神社ではなく丹生酒殿神社ですが、ここには鎌八幡宮という鎌がたくさんささったイチガシの木があります。このご神体は熊手です。この熊手にはいろいろな説があります。空海を追いかけて四国より飛んできたとか。この熊手は鎌を高いところにさすための道具であったとか。たたらで鉄を取り出すための道具であったとか。しかし、いづれの時代にか、それはご神体となり、高野山の60か寺(行人方)による巡寺八幡講と言う大きな行事となりました。この地にも神仏習合の痕跡を見る事ができます。
    余談ですが、麻酔で有名な華岡青洲が寄進した灯篭があるらしいです。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月19日 11時39分

    以前、イチガシの木に、鎌を砥ぐ作用があるんじゃないか、という話になりませんでしたっけ?
     
    そういや、竃と鎌の音が似ていることも少し気になりますね。
     
    以前、海老珍さんが教えてくださった滋賀の、老蘇の森。
     
    「崇神天皇の代に四道将軍吉備津彦が宮殿を設け、奥津比古命、奥津比売命の二座を
    祀って武運息災を祈り、応神天皇の代に吉備津彦の後胤賀佐朝臣が相殿に日本武尊、
    橘比売命の二座を祀って水火息災の加護神としたという。
     
    ・・・という経緯。それから
     
    本殿の諸神は、火除竈神であり竈大明神、釜大明神などと称されたがのち鎌の字があ
    てられ、鎌宮神社と称された。」
     
    という話を、今思い出しました。
     
    これは、竃→鎌の変化が見てとれますが、
    丹生酒殿神社での、竃と鎌の関わり、おもしろそうですね。
     
    んで、麻酔か・・・。
    麻酔って、一歩間違えたら、とっても危険なもの。
    信仰と結びつき易いキーワードですよね。
     
    古代にも、麻酔の概念はあったのかなぁ。
    あったんでしょうね。
     
    今まで考えたこともなかったや(@_@)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 03時09分

    >崇神天皇の代に四道将軍吉備津彦が宮殿を設け、
    そんな話があるんですね。奥津彦奥津姫を祭って武運息災を祈るって、やっぱり単純にごはん炊く竃の神様だけではないのかも知れませんね。昔はどういう役割の神様として見られてたんでしょうね。
     
    >竃→鎌の変化が見てとれますが
    竃より鉄を作り、それを釜や鎌に、っという連想はどうでっしゃろ。思い付きですm(_ _)m
    鉄って不思議なんですよ。トンテンカントンテンカンとたたくと不純物が出ていって、硬く?なるんですよ。確か?
  • 鎌! 投稿者:海老珍 投稿日:09月24日 09時00分

    うわ!…の一言でわかってくれるよね、のりちゃん。鎌は別の話題だったのに、こんなところでも繋がってきたことに正直驚いておます。…いやいや、繋がってるのかまではわからないけど最近の話に「鎌」や「釜」「竃」が出てきますね〜。
    今日のお昼は釜あげうどんにしようかな〜(^^)
     
    あ、そうそう、今、ふと思い出したんですが、
    うちね、実家が鉄鋼関係なんですね、それで、以前父親が何に使うやつかはわからないんですが、鉄の部品の表面を磨いてたんです。サンドペーパーみたいな鉄の粉が張りつた紙で。それで、粗いのから細かいのに紙の番号をだんだん変えていくんです。そしたら最後にはホント鏡みたいにピカピカ。ちゃんと顔が映るんです。
    その時に父が、「これをもっとツルツルに仕上げるんやったら「朱」を使うんやけど…」って言ってた…ような記憶があるんですよ。
    その時は、普通にへぇ〜って聞いてたんで、曖昧なんですけどね。
     
    …どうなんでしょう、そういう朱の使いかたって古代もしていたのかなぁ、例えば鏡を磨いていたとか…。
    ほんと、これ書きもって思い出したんで、それ以上の情報もないんですけどね、・・・また実家帰ったときにでも父に確認してみよーと。
     

     

     

     

     
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 11時14分

    >以前、イチガシの木に、鎌を砥ぐ作用があるんじゃないか、という話になりませんでしたっけ?
    そうでしたっけ??私が書けるとしたら、皮から革になめすときにイチイガシの樹液が使われるってことだけかなあー。
     
    >古代にも、麻酔の概念はあったのかなぁ。
    どうなんでしょうねー。でも麻酔のない世界って痛そうですね。これって難しいのはその量なんですよ。華岡青洲は世界で始めて麻酔を実用化した人だったかな???「華岡青洲の妻」ってNHKでやってたけど(木村よしの主演)そういやあ見なかったなあ。麻酔を完成させるのに、誰かが実験台にならないといけない。そのときに青洲の母や妻が実験台になって、どちらかが目が見えなくなったって話だったような。
  • 海老様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 11時17分

    >朱の使いかたって古代もしていたのかなぁ、例えば鏡を磨いていたとか…。
    鏡を作るときに使っていたってのは聞きますね。ただ、それが研磨材としてなのか、メッキするためなのか不明なんですが。
    海老様のところで使われてたのであれば、研磨材としてかも知れませんね。
  • 1ポイントレッスン 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 11時45分

    今度オフ会の時たぶん「行人」って言う言葉が多く出てくるかも知れませんので、この場を借りてご説明しておきますね。
    高野山の組織には学侶方と行人方があります。簡単に説明すると学侶方は勉強を重きをおき、行人方は修行に重きを置く人です。
    行人は、高野山のお坊様の世話やお堂に花を供える地元の人が元だったようです。これから山人や鉱山師などの人をイメージされています。実はお花を供える人は花衆(夏衆かも)といって、これも修行の一種です。この行人方はその後実力をつけ、高野山の権力を握ります。
    こういった人が、巡寺鎌八幡講を行ったわけです。こういった背景を覚えておいてください。丹生津姫神社との関わりがさらにわかりやすくなると思います。
     

    結構予告編書きましたね。掲示板があるとこういったとき助かる事がわかりました。事前に解説できると当日はゆっくり見物できますもんね。これ当日解説してたら、解説ばかりになって楽しくないと思うんですよね。それと私もここまで書いたのは初めてです。結構突っ込んだところまで書いてます。それはやはり掲示板だからです。直接関係ない方々だからここまでかけていますが、関係者がいたら書けないですもんね。なぜって?それは関係者の方は持論や立場があるからで、私もまだどこまで話していいのか顔色を伺いながら小出しに話をしている状況です。何せまだ「わかぞう」ですから。
     
    さて、オフ会まで1ヶ月をきりました。予告編もネタ切れ寸前。言い換えればそろそろクライマックスの丹生津姫神社編に突入です。
     
  • 参加希望! 投稿者:あかがね 投稿日:09月24日 15時32分

    10/22なら問題なく参加できそうです。
    数に入れて下さいな。
     
    雨だと大変ですね。
    ちなみに私は土砂降りの雨の中を10時間ほど歩いたことがあります。その日の宿である避難小屋で靴を脱いだときに靴から湯気が立ってたりして。
    (吉野から山上ヶ岳への縦走でした。)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月24日 17時57分

    老蘇の森については、海老さんがフィールドワークされてるんで、当日十分お話する機会があるかと。
    海老さんも、どんどん話が広がるタイプなんで(「あんたもやろ」とツッコミが入りそうだな)、多分、話し始めると、かなりおもしろいかと(笑)
    私も横からチャチャ入れさせていただきます。うふふ。
     
    竃より鉄を作り。
    なるほど。
    一連の流れを同じ「カマ」という音で表現している、とか?
    としたら、「カマ」という音の持つ意味ということも考えなきゃいけないかも?
    カマ→カミ・・・とか・・・・・・・。
    いやいやいや。
     
    ただ、「K」「M」という子音のものって、なんか意味深な気がするんですよね。
     
    オオカミの「カミ」でしょ?
    「カモ」「クマ」「カメ」「ケモノ」「キモ」「クモ」そして、「カマ」。
     
    鉄を叩くと不純物が出て行くってのは、刀の鍛え方を見てると、なんとなく納得です。
    叩いてるもんなぁ〜。
     
    学侶方と行人方についての解説もありがとうございます。
    お花を供えるのも修業の一つなんですね。
    「お花」と一言で言っても、なんか意味深だ・・・。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月24日 17時58分

    釜あげうどんは、おいしかったですか???
     
    しかし、本当にリンクしますよね〜。どっかで繋がってるのかも。
     
    その上、実家が鉄鋼関係とは!
    鉄をツルツルに仕上げるのに朱が一役買うというのもおもしろいですね。
     
    昔、田舎にあった鏡を分解したら、裏に朱色が塗ってあったような記憶があるんですよね・・・。
    あれは、丹とは全く関係ないのかなぁ?
     
    当日、楽しみにしとります。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月24日 17時59分

    よっしゃぁ!!
    また、賑やかになりそうですね。
    当日、雨にならないよう、祈りましょう。
     
    私、晴れ女なんですけどね・・・。
  • あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 18時52分

    お待ちしておりま〜す!
     
    >雨だと大変ですね。
    おおーっ!考えていませんでしたー!!!それは大変大変。晴れの日に上ったときに、峠付近のコンクリートの道がちょっとしめっていたんです。そのときは滑って滑って大変でした。雨なんか降ったらどうなるんだろうー??雨の時の計画も立てなきゃね。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 19時10分

    >「お花」と一言で言っても、なんか意味深だ・・・。
    高野山に刈萱堂ってのがあって刈萱童子のお話が有名です。この物語の絵にも花かごをもったお坊様が描かれています。こういった夏衆は比叡山でもあったはずです。そしてその花を育てていた場所が花園なんていう地名になったりします。
     
    >鉄を叩くと不純物が出て行くってのは、刀の鍛え方を見てると、なんとなく納得です。
    もっと身近にこのような鉄を使っているところがあるんですよ。それはテレビ(ブラウン管タイプ)です。叩いた鉄を薄く延ばして、ブラウン管の電子ビームが通るスリットを作るんです。かみそりの刃もそうだったかな?
     

  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月25日 09時53分

    刈萱堂は、去年だったか、参りました。
    絵も見たと思うのですが、お花を持ったお坊さんは気付きませんでした。
     
    花を育てた「花園」。
     
    「命の花」なんていう表現もしますし、花は「魂」の意味があったりしませんでしょうか?
     
    ブラウン管って鉄なんですか?
    わたしゃまた、ガラスだとばかり・・・。
    いや〜〜、恥ずかしい(^^ゞ
    結構、身近なところに、勉強する素材があるもんですね。

 

お遍路さんに行ってきましたよ。 投稿者:あかがね 投稿日:09月24日 20時13分

先週の三連休を利用して四国八十八ヶ所の最初のほうを回ってきました。
特に大きな悩みを抱えているわけでもなく(少しは悩め!という声も聞こえてきそうですが…)ひたすら歩き倒したかっただけなんですが。信心の方も相当に怪しく朱印集めのスタンプラリーの様な歩き旅でした。
到達できたのは12番札所まで。
 
殆ど何も考えずに、岡山から近いからというだけで飛び出したのですが、お遍路さんも弘法大師関連の聖地なんですよね。
今度のオフにも関係なくもないなと。
オフまでに司馬遼太郎の「空海の風景」位読んで勉強します。
  • あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 23時22分

    >ひたすら歩き倒したかっただけなんですが。
    歩いたんですか?すごい。是非最後まで歩ききってください。それと朱印は朱印帳?それとも羽織?それとも掛け軸?どれにとられているんですか?私も回りたいと思ってるんですけど、なかなか行けてません。うらやましいー!
     
    >今度のオフにも関係なくもないなと。
    88箇所回ったら、最後に高野山で朱印をもらって終了なんですが、このとき是非丹生津姫神社に参ってください。高野山に参って丹生津姫神社に参らないことを片参りといいます。もし三つ巴の袈裟をして歩かれてるなら是非m(_ _)m 丹生津姫が道中お守り下さっております。
     
  • いやいや。 投稿者:あかがね 投稿日:09月24日 23時48分

    >かまど様
    とりあえず歩き遍路の真似事をしてみたく、飛び出してみました。
    しかし、一番の難路とされる11番→12番(六時間程度の完全な山道。途中で日が暮れて山中の庵のベンチで露営の羽目となりました)を歩いたことだし、残りは自転車でいいんじゃなかろうかと自分では思ってました。
    会社員が休日だけで歩ききるには限界がありますんで。
    格好は完全な登山装束?なんですよ。杖・笠・袈裟どころか数珠すら持たずに歩いてました。いろんな人がいましたがどれか一つは持っておられますね。
    笠は実用的な意味からも持ってた方が良いかもしれません。思いっきり首を日焼けでやられてしまいました。
     
    …というわけで朱印は朱印帳にして頂きました。
    軸だとちょっと割高なんですよね。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月25日 09時52分

    あかがねさんが、歩きとおしても、12番までですか。んで、難所もある、と。
    としたら、普通の人間が88番まで行こうと思えば、1ヶ月くらい見た方がいいかな?
     
    装束には意味があるんでしょうね。
    昔は、山道を歩いていれば、危険なこともあったろうから、杖は必要だったんだろうし。
    笠は雨や太陽から身を守るため。
    でも、現代だと、それほど危険もないし、合羽や日傘もあるし。
    装束を調えずとも大丈夫なのかも。
     
    つぅか、今の時期、瀬戸内の魚はうまいんじゃないですか?
    私がお遍路さんするなら、ウニの時期に、ウニ三昧かなぁ・・・って、少しは悩め(笑)??
     
    私も空海の風景くらい、読み直そうかと思いつつ。
    読まなきゃいけない本が山積み(T_T)
     
    あ、でも、「隠れ里」は読みましたよ〜。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月25日 09時53分

    お話を聞いていると、思い切って休みをドン、と取らないと、なかなか全部廻るのは難しそうですね。
    四国に住んでいる方ならば、ちょこちょこ休みの度に・・・ということも出来そうですが、それ以外の地域の人間は、四国まで渡るのに、まず時間がかかりそうですし。
    大変そう。
     
    ご朱印は、羽織や掛軸に頂く方もおられるんですね。
    でも、羽織に頂いたとしたら、洗えないですよね??
    そんじゃ、着れないし。
     
    う〜ん・・・どう使うんだろ??
  • いやいや。(2) 投稿者:あかがね 投稿日:09月25日 13時29分

    私でも…って、もう二年山登りからは遠ざかってますから。
    んで毎日のようにハードリカーを飲んで。息切れがします(爆)。
    本当は13番さんまで行きたかったんですよね。
    標準コースタイムよりは無理をしてなおかつ阿波一ノ宮の大麻比古神社へも寄り道はしましたが目的とする13番までは行けませんでした。
    11番までは市街地で一応平地です。間隔も短い。11→12が完全な山道で大して標高はないのですが、登っては下りてが結構あって結局は1,100m位標高差を登るようなんですね。
    そして12→13が延々下りで7h位の行程。時間の都合と膝を痛めたこともあって見送らざるを得ませんでした。
    次再開するときは12番からでなくて13番からだな。ずっと下りはさすがにつまらないのでずるさせて頂きます。12番自体が辺鄙なところにあってバス停から随分歩かされるんですよ。
     
    大体全部歩くと4〜50日かかるそうです。
    大阪からだとフェリーで行けば速いんじゃないでしょうかね。
  • あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:09月25日 19時51分

    >11番→12番(六時間程度
    >結局は1,100m位標高差を登るようなんですね。
    そんなに歩くんですか!!!この前の高野山オフ会が標高差800mほどでしょっ。それよりもまだ高いんですか。歩けん(T^T)
     
    >朱印は朱印帳にして頂きました。
    朱印もらうのってお金いるんですか?変な話してすいません。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月25日 20時00分

    >う〜ん・・・どう使うんだろ??
    羽織はね、死んだ時に棺の中に入れてもらうんです。
     
    そう言えば、話し変わって申し訳ないのですが、真田と丹生との関係ってないのかと、のりちゃん様から以前質問ありましたよね。思い出したんですが、大阪の鎌八幡寺の伝承に、真田幸村が鎌をさしたのが始まりのようなことが書かれていたように思います。と言う事は、鎌八幡宮(丹生酒殿神社裏)がそれより以前からあったこと、真田幸村が丹生酒殿神社まで徒歩30分のところに住んでいたことを考えると、真田幸村が丹生酒殿神社裏の鎌八幡宮にならって、大阪の戦の祈願で、大阪の鎌八幡寺の木に鎌をさしたのかも知れませんね。
    真田幸村なら四国遍路何日で回るだろうか?
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月26日 15時30分

    >1,100m位標高差
    ぐぇ。
    そういや、西日本一高い山は四国にあるんでしたっけ。
    4〜50日か・・・。
    普通のサラリーマンには、かなりキツイですね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月26日 15時31分

    そういえば、思い出しました。
    鎌八幡に、幸村公が祈願したんでしたよね。
    寺務所の方に、
    「どの鎌が、幸村公の刺した鎌ですか?」
    と聞いて、
    「残ってると思う〜????」
    と呆れ顔をされたことまで思い出しました(T_T)
     
    確かに、その繋がりを考えると、幸村公と丹生の関わりにも光が(笑)
     
    「竜馬が行く」
    で、坂本竜馬は、京都と長州を、え〜〜っと、すごい速さで行き来したんだ、ということが書かれてたと思います。
     
    昔の人は、今の人間とは比べ物にならないほど健脚だったかもしれないですね。
  • いやいや(3) 投稿者:あかがね 投稿日:09月26日 17時27分

    >かまど様
    朱印代はどこでも300円でした。これは多分88ヶ所で示し合わせていると思いますが、全国でも相場ですね。
    ものすごい観光地(日光とか)だと500円とか例外もあります。
    富士山頂の浅間大社奥宮は確か1,000円取られたような記憶があります。
     
    ちなみに私は朱印代以外はどこの寺でも一円のお賽銭も出しませんでした。自販機でジュース買ったんで多めに見て下さい…って具合で(汗)。
     
    >標高差
    厳密な用語は分からないのですが、要は登り下り登り下り…とあるうち登りの部分だけを足した数字だと思います。
    町石道はスタートが94mでゴール?が815mだそうなので登り返しを足すと結構行くんじゃないでしょうか。
    ちなみに十二番札所焼山寺も大体800m位に位置するようです。
     
    >のりちゃんさん
    そういえば岩崎弥太郎が親父が危篤とかで江戸から16日で土佐まで帰ったらしいですね。徒歩で…。
    大阪(長堀の方に藩邸があったはず)からは船なんでしょうが。無茶です。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月27日 14時50分

    >お賽銭
    私も、お守りなどをいただいた場合は、お賽銭は、「勘弁してくだせ〜」ってこと多いです(^^ゞ
    あと、ご由緒書が、200円とかした場合は、もう・・・。
     
    ご朱印が300円ってのも高いか安いかは、個々の感覚次第ですね。
     
    >江戸から土佐
    かなりの距離ですよね(なんて大雑把な把握の仕方(笑))。
    直線距離にして700キロくらいですかね?
    とすると、1日44キロほど歩くわけですね。
    平地なら(当時の道の悪さを考えれば)時速4キロくらい??
    山道ならば、3キロくらいと考えて、平均して、3.5キロと考えれば、12.6時間くらい歩き続けることになる・・・のかな?
     
    ・・・16日間、12時間歩く。
    こりゃキツイや。
    やっぱ、昔の人は、健脚なんだと思いますですね。

 

SMAPは神懸かり 投稿者:にわか神道 投稿日:09月21日 23時41分

SMAPは神懸かりでブログ立てました。香取神社の項の一部借ります。
  • にわか神道 様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月22日 16時09分

    ブログ拝見しました。
    なるほど・・・木村氏は行司さん・・・。納得(笑)
     
    SMAPのメンバーの苗字に関しては、同じことを考える方が多いようですね。
    確かに、5人の中に草薙・香取という苗字が入っているということもおもしろいですし、
    「アイドルグループ」が、あんなに長持して・・・というより、多分、トップであり続けているというのもすごいことなんでしょうね。
    いや、私は、芸能人に疎いので、トップかどうかは、心元ないんですけど。
     
    ご連絡ありがとうございました。
  • ありがとう! 投稿者:弥一(やいっち) 投稿日:09月23日 14時23分

    はじめまして!
    そして
    ありがとう!
    戴いた情報、早速、使わせてもらいました。きっと、スマップのファンだったなら、もっと詳しく調べているのでしょうね:
     http://moon.ap.teacup.com/hudo/50.html
     それにしても、オフ会をしばしば持たれているのですね。前向きなパワーを感じます。
     これからも宜しくお願いします。
  • 弥一 様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月23日 16時50分

    SMAP神事関連説を唱えた3人がここに終結(笑)
    ネットのご縁って不思議ですよね。
     
    ネットの上ならば、検索サイトにキーワードパコパコのポン、で同じ興味の人と知り合うことができますが、
    普通に生活してたら、絶対知り合うことはできなかったと思います。
     
    ひょんなご縁ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。