- お遍路さんに行ってきましたよ。 投稿者:あかがね 投稿日:09月24日 20時13分
- 先週の三連休を利用して四国八十八ヶ所の最初のほうを回ってきました。
特に大きな悩みを抱えているわけでもなく(少しは悩め!という声も聞こえてきそうですが…)ひたすら歩き倒したかっただけなんですが。信心の方も相当に怪しく朱印集めのスタンプラリーの様な歩き旅でした。 到達できたのは12番札所まで。 殆ど何も考えずに、岡山から近いからというだけで飛び出したのですが、お遍路さんも弘法大師関連の聖地なんですよね。 今度のオフにも関係なくもないなと。 オフまでに司馬遼太郎の「空海の風景」位読んで勉強します。
- あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:09月24日 23時22分
- >ひたすら歩き倒したかっただけなんですが。
歩いたんですか?すごい。是非最後まで歩ききってください。それと朱印は朱印帳?それとも羽織?それとも掛け軸?どれにとられているんですか?私も回りたいと思ってるんですけど、なかなか行けてません。うらやましいー! >今度のオフにも関係なくもないなと。 88箇所回ったら、最後に高野山で朱印をもらって終了なんですが、このとき是非丹生津姫神社に参ってください。高野山に参って丹生津姫神社に参らないことを片参りといいます。もし三つ巴の袈裟をして歩かれてるなら是非m(_ _)m 丹生津姫が道中お守り下さっております。
- いやいや。 投稿者:あかがね 投稿日:09月24日 23時48分
- >かまど様
とりあえず歩き遍路の真似事をしてみたく、飛び出してみました。 しかし、一番の難路とされる11番→12番(六時間程度の完全な山道。途中で日が暮れて山中の庵のベンチで露営の羽目となりました)を歩いたことだし、残りは自転車でいいんじゃなかろうかと自分では思ってました。 会社員が休日だけで歩ききるには限界がありますんで。 格好は完全な登山装束?なんですよ。杖・笠・袈裟どころか数珠すら持たずに歩いてました。いろんな人がいましたがどれか一つは持っておられますね。 笠は実用的な意味からも持ってた方が良いかもしれません。思いっきり首を日焼けでやられてしまいました。 …というわけで朱印は朱印帳にして頂きました。 軸だとちょっと割高なんですよね。
- あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月25日 09時52分
- あかがねさんが、歩きとおしても、12番までですか。んで、難所もある、と。
としたら、普通の人間が88番まで行こうと思えば、1ヶ月くらい見た方がいいかな? 装束には意味があるんでしょうね。 昔は、山道を歩いていれば、危険なこともあったろうから、杖は必要だったんだろうし。 笠は雨や太陽から身を守るため。 でも、現代だと、それほど危険もないし、合羽や日傘もあるし。 装束を調えずとも大丈夫なのかも。 つぅか、今の時期、瀬戸内の魚はうまいんじゃないですか? 私がお遍路さんするなら、ウニの時期に、ウニ三昧かなぁ・・・って、少しは悩め(笑)?? 私も空海の風景くらい、読み直そうかと思いつつ。 読まなきゃいけない本が山積み(T_T) あ、でも、「隠れ里」は読みましたよ〜。
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月25日 09時53分
- お話を聞いていると、思い切って休みをドン、と取らないと、なかなか全部廻るのは難しそうですね。
四国に住んでいる方ならば、ちょこちょこ休みの度に・・・ということも出来そうですが、それ以外の地域の人間は、四国まで渡るのに、まず時間がかかりそうですし。 大変そう。 ご朱印は、羽織や掛軸に頂く方もおられるんですね。 でも、羽織に頂いたとしたら、洗えないですよね?? そんじゃ、着れないし。 う〜ん・・・どう使うんだろ??
- いやいや。(2) 投稿者:あかがね 投稿日:09月25日 13時29分
- 私でも…って、もう二年山登りからは遠ざかってますから。
んで毎日のようにハードリカーを飲んで。息切れがします(爆)。 本当は13番さんまで行きたかったんですよね。 標準コースタイムよりは無理をしてなおかつ阿波一ノ宮の大麻比古神社へも寄り道はしましたが目的とする13番までは行けませんでした。 11番までは市街地で一応平地です。間隔も短い。11→12が完全な山道で大して標高はないのですが、登っては下りてが結構あって結局は1,100m位標高差を登るようなんですね。 そして12→13が延々下りで7h位の行程。時間の都合と膝を痛めたこともあって見送らざるを得ませんでした。 次再開するときは12番からでなくて13番からだな。ずっと下りはさすがにつまらないのでずるさせて頂きます。12番自体が辺鄙なところにあってバス停から随分歩かされるんですよ。 大体全部歩くと4〜50日かかるそうです。 大阪からだとフェリーで行けば速いんじゃないでしょうかね。
- あかがね様 投稿者:かまど 投稿日:09月25日 19時51分
- >11番→12番(六時間程度
>結局は1,100m位標高差を登るようなんですね。 そんなに歩くんですか!!!この前の高野山オフ会が標高差800mほどでしょっ。それよりもまだ高いんですか。歩けん(T^T) >朱印は朱印帳にして頂きました。 朱印もらうのってお金いるんですか?変な話してすいません。
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:09月25日 20時00分
- >う〜ん・・・どう使うんだろ??
羽織はね、死んだ時に棺の中に入れてもらうんです。 そう言えば、話し変わって申し訳ないのですが、真田と丹生との関係ってないのかと、のりちゃん様から以前質問ありましたよね。思い出したんですが、大阪の鎌八幡寺の伝承に、真田幸村が鎌をさしたのが始まりのようなことが書かれていたように思います。と言う事は、鎌八幡宮(丹生酒殿神社裏)がそれより以前からあったこと、真田幸村が丹生酒殿神社まで徒歩30分のところに住んでいたことを考えると、真田幸村が丹生酒殿神社裏の鎌八幡宮にならって、大阪の戦の祈願で、大阪の鎌八幡寺の木に鎌をさしたのかも知れませんね。 真田幸村なら四国遍路何日で回るだろうか?
- あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月26日 15時30分
- >1,100m位標高差
ぐぇ。 そういや、西日本一高い山は四国にあるんでしたっけ。 4〜50日か・・・。 普通のサラリーマンには、かなりキツイですね。
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月26日 15時31分
- そういえば、思い出しました。
鎌八幡に、幸村公が祈願したんでしたよね。 寺務所の方に、 「どの鎌が、幸村公の刺した鎌ですか?」 と聞いて、 「残ってると思う〜????」 と呆れ顔をされたことまで思い出しました(T_T) 確かに、その繋がりを考えると、幸村公と丹生の関わりにも光が(笑) 「竜馬が行く」 で、坂本竜馬は、京都と長州を、え〜〜っと、すごい速さで行き来したんだ、ということが書かれてたと思います。 昔の人は、今の人間とは比べ物にならないほど健脚だったかもしれないですね。
- いやいや(3) 投稿者:あかがね 投稿日:09月26日 17時27分
- >かまど様
朱印代はどこでも300円でした。これは多分88ヶ所で示し合わせていると思いますが、全国でも相場ですね。 ものすごい観光地(日光とか)だと500円とか例外もあります。 富士山頂の浅間大社奥宮は確か1,000円取られたような記憶があります。 ちなみに私は朱印代以外はどこの寺でも一円のお賽銭も出しませんでした。自販機でジュース買ったんで多めに見て下さい…って具合で(汗)。 >標高差 厳密な用語は分からないのですが、要は登り下り登り下り…とあるうち登りの部分だけを足した数字だと思います。 町石道はスタートが94mでゴール?が815mだそうなので登り返しを足すと結構行くんじゃないでしょうか。 ちなみに十二番札所焼山寺も大体800m位に位置するようです。 >のりちゃんさん そういえば岩崎弥太郎が親父が危篤とかで江戸から16日で土佐まで帰ったらしいですね。徒歩で…。 大阪(長堀の方に藩邸があったはず)からは船なんでしょうが。無茶です。
- あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:09月27日 14時50分
- >お賽銭
私も、お守りなどをいただいた場合は、お賽銭は、「勘弁してくだせ〜」ってこと多いです(^^ゞ あと、ご由緒書が、200円とかした場合は、もう・・・。 ご朱印が300円ってのも高いか安いかは、個々の感覚次第ですね。 >江戸から土佐 かなりの距離ですよね(なんて大雑把な把握の仕方(笑))。 直線距離にして700キロくらいですかね? とすると、1日44キロほど歩くわけですね。 平地なら(当時の道の悪さを考えれば)時速4キロくらい?? 山道ならば、3キロくらいと考えて、平均して、3.5キロと考えれば、12.6時間くらい歩き続けることになる・・・のかな? ・・・16日間、12時間歩く。 こりゃキツイや。 やっぱ、昔の人は、健脚なんだと思いますですね。
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