- オフ会の忘れ物 投稿者:かまど 投稿日:11月05日 21時29分
- こんばんは。
先日のオフ会の後、のりちゃん様が作って下さったレジメに目を通していると、あっ!掲示板で「当日お話します」と書いて言うの忘れてた。 ということで。 丹生津姫と高野明神(狩場明神)は親子と言う説と、夫婦と言う説があります。なぜかははっきり言って分かりません。でも、こんなことかなあって話はあるんです。 親子説 高野山と言うお山は、骨のぼりと言う風習に代表されるように、遺髪や爪など死者の一部を納めた所なんです。この風習がいつからあったかがポイントなんですが、熊野でもこの風習があるという事は、空海が高野山に来る以前よりあったのではないかと思われます。となると、高野山は地元の人々の祖霊が眠る場所だったんです。空海は高野山を開創するにあたりそういった祖霊を高野明神として、もともとの地主の神様である丹生明神と一緒に祭ったのではないかと思います。いくら地主の神である丹生明神を祭るからと言って、自分たちの先祖の遺品を葬ったところに寺を建てられて地元の人はいい気はしませんよね。つまり、高野明神は祖霊なんだと思います。という事は、地元の人々にとって丹生明神は母神様であると考えれば、高野明神は子供達となるわけです。 私の考えなので正しいと思わないで下さいね。そういう風にも考えられるということで。 夫婦説 高野明神は別名狩場明神と言われます。これは同神異名と考えているかも知れません。しかし、私は違うと思っています。それは、先ほど書いたように高野明神はもともと祖霊を祭った名前であると思われるからです。では、狩場明神は?私は狩場明神は空海の時代、丹生津姫神社の総神主であった丹生家信(丹治より養子で来た人)だと思っています。ある部分この人も死ねば祖霊ですから、高野明神に含まれるわけなのですが。高野明神と関連する事象が、丹生家信の命日と関係しているのは、その裏づけになるかも知れません。 さて、なぜ夫婦かという話に戻しましょう。 空海の時代、丹生氏には女の子しかいませんでした。照千代ちゃんです。彼女は25,6歳で家信と結婚するんですが、当時の25,6と言うと多分遅い結婚だったと思うんです。という事は父の丹生照元も神事の継承を照千代に伝授していたかも知れません。また、養子に入った家信も養子に入って2年で総神主になるのですが、どこまで伝授されていたかも疑問です。 伝説の中に空海への丹生明神からの神託なるものがあります。これは巫女からされるのですが、先ほどの背景から考えると、神事伝承された照千代ちゃんが巫女となり丹生明神の神託をした可能性があります(本当なら家信が神託を聞かないといけないのですが)。つまり、照千代ちゃんは丹生明神みたいに見られ、その旦那の家信くんは空海から狩場明神の名前をもらった訳です。でもって、丹生明神と狩場明神は夫婦と当時は見られたのかも知れませんね。 いやあー、忘れててすんませんでした。あははは・・・(^0^;)
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時29分
- なるほど、親子と言っても、「みんなのお母さん」が丹生明神、「お母さんの子供達が亡くなって神になった」が高野明神。
という、非常に広義での親子ではないかってことでよろしかったでしょうか(←この表現、初めて聞いた時すっごい違和感感じたんですが、今は平気になったなぁ)。 高野明神とは、非常に広い範囲を指す神・・・というより、まさしく「祖霊」なんですね。 狩場明神は、丹治家信公を神格化した神である、と。 ところで、今日、高野山の日野西眞定さんの講義を拝聴したんですが、その中で、「金剛峯山建立修業縁起」(『密教文化研究所紀要』第十一号・武内孝善)を引用されていました。 そこには、「大和国宇知郡偶一人ノ〜」とあり、 赤くて身長が八尺あり、青衣を着て、骨高くて筋が太く、弓矢を持ち、大小の黒犬を従える人物が和尚(空海?)を案内した。 となっているんです。 この空海を案内した人物は、狩場明神と重なりますが、大和国宇知郡の出? えええ? という感じでした。 丹治家信が大和宇知の出だっていう話って、ありましたっけ? 聞いたのに忘れてるのかしら(^^ゞ??
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月06日 11時30分
- >非常に広義での親子ではないかってことでよろしかったでしょうか
そーでーーす。だから何の神様でもいいのです。祈る人が農家なら農業の神様ですし、鉱山師なら鉱山の神様です。自分達を守ってくれる母なる神と私は思っています。母は偉大なんです! >今日、高野山の日野西眞定さんの講義を拝聴 おおーっ!なかなか拝聴できないのですが、そうですか。うらやましいー。高野山の重鎮ですね。偉い方です。今も維那(ゆいな)かな?高野山の最高位になるのではないでしょうか。高野山関連の本によく出てきますね。 >「金剛峯山建立修業縁起」 日野西先生はよく引用されるようですね。 >そこには、「大和国宇知郡偶一人ノ〜」とあり、 「南山の犬飼」と出てきませんでした?南山とは高野山。これより空海を案内したのは犬飼の神とし、高野山では狩場明神と同一神としています。確かに奈良県五条の犬飼という所で出会ったとされていますね。 >この空海を案内した人物は、狩場明神と重なりますが、大和国宇知郡の出? 南山の犬飼と名乗っていますので、紀ノ川より南に住んでいたと見るのがいいかと思っています。吉野もそうですが、紀ノ川(吉野川)より南は北とは文化が違い、紀伊半島という広大な範囲の文化となります。山人と言われる人々の文化です。 >丹治家信が大和宇知の出だっていう話って、ありましたっけ? ありません。出身は大和国志摩庄、つまり今の奈良県明日香村島庄です。ここからどのルートで三谷まで行き来したかですが、丹生谷?などを出て紀ノ川沿いに大和宇知を通り、どこかで紀ノ川を渡ったんだと思います。出会いではなく私は大和宇知で待ち合わせしたのではと思っています。確か現国道24号線は空海当時も東西のメインストリートだったと思います。 丹治氏系図には好犬山って出てくるようです。これは高野山なのかと思っているのですが。ちなみに高野山は昔々は姑射山とも言ったみたいですね。となると丹生家信の行動範囲は奈良明日香から吉野・高野山という事になります。 日野西先生はどちらかと言うと、家信=狩場明神説派と認識してたのですが、違うのかな?どんなお話されてました?
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月06日 20時55分
- 学術会員になられたんですね。ビックリ!
あれって資格とかいらないの? で、のりちゃん様は皆さんの前で発表されたの?どんな発表されたの?
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月07日 08時00分
- なるほど。
丹生津姫命は、言葉通り、「母なる神」。 母という言葉は意味深いです。 さて、日野西眞定さんの講義、山岳修験学会の学術大会における研究発表という形で拝聴したんですよ。 なので、その時間は、20分ほど。 テーマは高野山の葛城入峯ということで、狩場明神についての言及は、「大和と高野は関係が深い」という文脈で軽く触れられたにとどまってました。 ただ、引用された文章を見て、一人で興奮してたというワケで(^^ゞ で、確かに、「南山の犬飼」と出てきます。 明日香村島庄という具体的な地名までわかっているんでしたっけ。 そういえば、明日香というのは、以前教わりましたね。 そうか・・・待ち合わせしただけか(^^ゞ ところで、好犬山とは面白い地名ですね。 昨日、学術大会が開催されたのは、犬鳴山ですが、この犬は、可哀想な最期を遂げてます。 ご存知でしょうが、飼い主を蛇害から守るために吠え、それがために飼い主に殺されたというものです。 この犬と飼い主の話しは、日本各地に残るようですが、狩場明神は、犬を大事にされた・・だから、好犬山・・・とか(^^ゞ? で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ?? えぇっと、学会によると思いますが、私が参加させていただいてる山岳修験学会は、特に資格については言われませんでした。 私が発表したのは、「一言主神と葛城修験」というようなタイトルの、ごくごくうすっぺら〜〜〜〜〜〜いものです。 正直、 「折角参加するなら、なんかせんかったらもったいないやんか!」 というだけのことで参加したので、本当に、やっつけ内容です。 が、あまりのレベルの違いに、却って肩に力が入りようがなく、中身が薄いのに、態度はでかいという(笑) 最期の懇親会で、いろいろな方とお話させていただいたのはすごく楽しかったです。 勉強しよ〜〜〜っと。
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月07日 20時38分
- >丹生津姫命は、言葉通り、「母なる神」。
私の勝手なイメージですので、のりちゃん様はのりちゃん様の丹生津姫大神をイメージされて下さいね。 >テーマは高野山の葛城入峯 天野社の話出てきませんでした?高野山オフ会でお渡しした資料は日野西先生の公演の時のものですが、そんな話ではなかったです? >明日香村島庄という具体的な地名までわかっているんでしたっけ。 推定です。丹治氏系図(太田亮氏著「姓氏家系大辞典」より)に家信の祖父家景の時、大和国志摩庄にゆえありて籠居す、とあります。現在の地図で調べてみると明日香村に島庄と言う地名が残っています。その前に何かの本で調べたんですが忘れました。ただ、その子家義が豊前に赴任したと言う話もあり、また丹治氏系図自体の信憑性も本当は考えないといけないのですが。 >そうか・・・待ち合わせしただけか(^^ゞ いえいえ、私がそう思っているだけで・・・。 >狩場明神は、犬を大事にされた・・だから、好犬山・・・とか(^^ゞ? おおっ、そのような発想はありませんでした。なるほど! >で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ?? 実は私もその場にいたんです・・・。うそです。何故分かったかはちょっと考えるとなーんだって分かりますよ。自分の胸に手をあてて考えて見ましょう! >私が発表したのは、・・・ えーっ、どんな内容ですか?聞きたかったなあー。HPにアップされないんですか?質問とかされました?
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月08日 15時46分
- 日野西先生の講演は、ほんと勿体無いくらい時間が短かったので、空海が葛城に足をはこんだとかそういう資料がほとんどでした。
で、質問もしたかったのですが、講演が時間オーバーだったので、質問タイムはありませんでした(T_T) 天野社も葛城との関係を明示するものあります? でも、資料は、かまどさんから頂いたものと、多少重なってました。 >明日香村島庄 一度訪ねてみますね。 明日香は興味深い土地ですね、本当に。 で、ふと思い出したんですが、 林羅山の著作に、本朝神社考ってのがありますよね。 これの、中之四『富士山』。 これねぇ、一応、本を持ってますが、漢文そのままの上に、筆書きしたものをコピーしたような感じなんで、ちょっと意味を取りづらいんですが、たまたま、これを子供用に平易な文章にしたものを図書館で見つけたので、それに従うと、竹取の翁媼の住まいは大綱村となっています。そして、翁は鷹を媼は犬を飼っていた、と。 で、かぐや姫が去った後、富士山を浅間の大神と号し、翁は愛鷹明神・媼は飼犬明神と祭られた、なんて話しになってるんですね。 犬飼という言葉がここでも出てきたので、興味を惹かれました。 鷹も犬も狩猟の友ですよね。 狩場明神と直接の関係はないと思いますが、面白いな、と思います。 で、発表の内容ですが・・・。 ほんと浅いというか、常識的に、日本書紀・古事記・日本霊異記、続日本紀の中から、一言主神・役優婆塞についての記述を抜き出して、なぜ、一言主神が、「一言」にこだわるのか。なぜ、一言主神は、他ならぬ子孫である役優婆塞によって縛られたのか・・・という話しなんですが、結論はとってもトンデモなので、次にお会いした時に、笑われないように、睨みを利かせながらお話させていただきますわ・・・。 文章だけでは、迫力だされへんもん(笑)
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月08日 23時06分
- >日野西先生の講演は、
日野西先生は五来重氏のお弟子さんになるんだったかな?高野山のお坊様でありますので、各寺院の空海の書物や天野などの地元を徹底的にフィールドワークされた方であります。そのため、この方のお話や書物は他の方の者と比べると格段の差を感じます。論文を全部集めたいぐらいです。 >天野社も葛城との関係を明示するものあります? 先日のオフ会で、寒さのあまり実は行き忘れてた所があります。それは葛城修験の碑伝(ひで)?です。高野山オフ会の時お渡ししたのがその資料です。丹生都姫神社で購入の冊子にも記述があります。高野山No.2のお坊さんが参加するほどの、2ヶ月におよぶ廻峰行です。天野社を出発し、かつらぎ山脈の西の加太?から東へ東へ二上山あたりまで歩きます。丹生都姫が葛城修験の親神様と言われる由縁であります。 >>明日香村島庄 >一度訪ねてみますね。 確か石舞台があったと思います。天野まで歩いたとき気づかれました?天野近辺も石文化なんです。何か共通点がないかと思っています。私もいづれ行こうと思っています。そうそう、確か空海が天皇から高野への行く途中の宿舎として賜った弘福寺(川原寺)がその近くの方にあったと思いますよ。 >一言主神・役優婆塞についての記述を抜き出して なかなか真っ向勝負ですね。私なら突っ込まれるのがいやなので、人が調べないようなところを発表しちゃいます。でもって、うまく新発見なんかあればラッキーなんて、そうはうまくはいかないですよね。 >犬飼という言葉がここでも出てきたので、興味を惹かれました。 犬飼ってつけやすいですよね。多分ここほれワンワンの飼い主も犬飼と言っていいですよね。狩してる人はみんな犬飼でしょうし。坂上氏も名前が犬飼だからといわず、犬を飼っていたから犬飼と言ったほうが説得力があると思うのですが・・・。丹生氏も犬にまつわる神事や伝承が多いですよ。紀氏は酒殿神社で白犬を供えますし、丹生氏は天皇に犬を献上してますし、狩人ですしね。丹生家信なんかは犬山師であったとかかれていますから。 >で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ?? なんでか分かりましたか? ヒント 私は「映画マスク」に出てくる犬に似てると思います。 もうー、答えいっちゃったかな。これで分からなければ、のりちゃん様は以外と鈍感ですよ。がんばって考えて見てくださいね。ふふふ・・・
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月09日 13時19分
- そんじゃ、学会報に、日野西先生の論文が発表されたら、なんらかの形で、お渡ししますね。
どういう順番で論文が発表されるかは知らないんで、もしかしたら、発表されることがない可能性もあるのかもしれませんが・・・(^^ゞ >2ヶ月におよぶ廻峰行 やはりかつらぎ山脈と関係が深いんですね。 葛城二十八宿でも、加太が一番・・・だっけ、かなんかなようですし。 二上山が最終地点というのも興味深いです。 石舞台のあたりは、わりとよく通ります。 あのあたりが島庄なんですね。 >真っ向勝負 いや〜〜〜、なんというか、誰にでも分かるように、自分の考えをまとめた方がいいのか、と勘違いしてまして(^^ゞ 実際他の人の発表聞いて、 「ひぃ〜〜〜えぇえええええ」 って感じでした(笑) まぁ、そもそもは、「とりあえず、顔を覚えてもらお」くらいのつもりだったんで、そういう意味では、まずまずの成功と言ってもいいかも(~_~) 人が調べないことを調べるのは意義のあることだと思うんですが、人気のある分野で発表すると、いろいろ教えていただけるので、勉強になりますよ。 私は、菊水紋について少し言及したんですが、 「菊水紋の分布をご存知ですか?」 と質問をいただきました。 その方は、ご自身の家紋が菊水紋ということで、分布を調べられたそうです。 千葉あたりまで分布しているとか。 惜しいのは、懇親会で詳しくお話を伺おうと思ってたら、その方は懇親会に出席されなかったんですよ〜〜。 あ〜〜〜〜〜、こんなことなら、休み時間に名刺交換だけでもしとくんだった!!あああああああ!!! >犬飼 探してみたら、「犬飼」という名称はどれくらいメジャーなんでしょうね。 >紀氏は酒殿神社で白犬を供えますし これは、生贄なんですか? 狩場明神が連れていたという犬とは関係ないんでしょうか? もし、関係あるとしたら、狩場明神のお供である犬を殺しちゃうというのは不思議ですから、狩場明神とは関係ないんでしょうね? 犬を供えるっていうのもあるんだ・・・。 天野には「犬」が深く関係してそうですね。 >家系図 こんなサイトもあるんですね。 へぇえええええ。 うまいこと、かまどさんの家系図には行き当たりませんでしたが(検索の仕方が下手なのだろうか(T_T))、うちの母方の実家も珍名なんですよね〜。 googleで検索しても、3つくらいしかヒットしない。 ここで調べられないだろうか・・・。 で、発表のこと、どこで分かったか、分かりました。 はっはっは(^^ゞ
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月09日 20時02分
- >そんじゃ、学会報に、日野西先生の論文が発表されたら、
是非是非宜しくお願いいたします。 >「菊水紋の分布をご存知ですか?」 うーん、菊水丸なら・・・。 >探してみたら、「犬飼」という名称はどれくらいメジャーなんでしょうね。 以外と地名なんかにあるのでは?大分にも丹川、丹生神社などある近くに犬飼という土地があります。 >で、発表のこと、どこで分かったか、分かりました。 さすが、のりちゃん様。ではお体お大事に!
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月10日 13時42分
- 菊水紋は、楠木正成公の家紋ということで有名なんです。
http://www.matie.jp/kiku04.html こんなの、見たことありませんか? この家紋は、葛城では古くからよく使われてた家紋なんだそうなんです。 んでまぁ、役行者と楠木正成公との関係を示す一つの証拠として、提示したんですね(^^ゞ >丹生の側に犬飼 かまどさんから、犬と鉱山師の関係を教えていただきましたよね。 丹生と鉱山の関係は、強そうですし・・・。 鉱山と犬の関係に絞っても面白そうですね。 一眠りして、汗をかいたら、すっきり治りました。 いやぁ、若いなぁ(・・・すいません)。
- のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月12日 21時46分
- >こんなの、見たことありませんか?
ごめんなさい。ありませーん。 菊水紋ってほんとに、菊と水の紋なんですね。なんかきれいな紋ですね。結構好きになりそうなご紋でございます。 >>明日香村島庄 石舞台があり、丹治=石文化のイメージと繋がってしまうのですが、丹治氏の始祖とされる宣化天皇の子供に石媛っているんですね。だからといって何もないのですが石繋がりで書き込んでみました。
- かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時21分
- 菊と水の意匠は結構あるようですが、どれも綺麗ですよね(#^.^#)
是非、好きになってください。 丹治と石の関係。 そういや、「石」と名に入る姫は結構いらっしゃるかもしれませんね。 仁徳天皇の奥さんにも石姫っていらっしゃいますし。 こちらは、葛城の出だとなっていますが・・・。 葛城も、石の文化を感じます。
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