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おばけ文庫 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時37分

図書館へ行ってきました。
 
おばけ文庫は全12冊のシリーズで、
府立図書館では、第五巻「よいさよいさ」だけが、欠巻してます。
で・・・この第五巻が、「海のおばけ」を集めた巻だったようで。。。
 
ということで、念のため他の巻をすべて調べましたが、やはり、「魚女房」はありませんでした。
 
近くの図書館に行かれる際は、「おばけ文庫 よいさよいさ」がないかどうか、を是非調べてくださいm(__)m
 
んで、あれば、「魚女房」の内容チェックをお願いしますm(__)m
 
で、魚女房はありませんでしたが、「べとべとさん」と題された第三巻に、丹生に関する話しが載っていました。
 
那賀地方にある丹生明神には、「トリ石」と呼ばれる石があるとか。
 
弘安の役の時、丹生明神は鶏に乗って風を吹かせ、蒙古の船を沈めたとされるそうで、その鶏が石に変じたのが「トリ石」。
 
毎年、元日には、この鶏が一声高くないて、石段を登っていくのが見られるとか。
また、この声を聞くと長生きできるという話があるとか。
 
丹生明神と鶏。
興味深いですね。う〜む。
 
で、業務連絡です。
 
ポケモンの新作ゲームが出ました。
私は、ゲーマーではない・・・というより、ポケモン以外のゲームはほとんどやりませんが、ポケモン(というよりピカチュウ)だけは特別。
 
ということで、連絡が滞ることがあれば、
「ゲームやっとんねんな」
と思っておいてください。
決して、病気なわけじゃございません(^^ゞ
  • ざんねーん 投稿者:海老珍 投稿日:11月18日 00時27分

    「よいさよいさ」や「べとべとさん」って面白いタイトルがついてるんですね。なんか可愛らしい。
    私も図書館に行った折に五巻を探してみますね。
     
    鶏に乗るなんてそんな無茶な(笑)っても思いますが、でも鶏ってのもこれまた!なんですよねー。
    のりちゃんのピカチュウ好きは常々聞かせてもらっておりますが、確かにやつはひたむきで愛らしい。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 13時02分

    多分、「町の図書館」の方が置いてるかもしれません。
    私もあちこちの図書館、覗いてみますね。
     
    で、鶏。
    これって、両面ある動物だと思いません?
    一つは、「魔を祓う動物」。
    地蔵浄土では、鬼は鶏の声を聞いて逃げ出しますよね。
    他にも、鶏が鳴いたら、魔が逃げるという話しは結構あるかと。
     
    で、もう一つは、「夜を終わらせてしまう動物」。
    一夜の再会を楽しんでいたが、鶏が鳴いたから、別れなくてはならなくなってしまったので、その地方では、鶏を食べることを禁忌としている、という話しは、結構残ってませんか?
    河内道明寺では、菅公とその伯母の話しとして残ってるし、出雲では、事代主命の話しになってますよね。
    泉州ではなんと、豊玉姫と玉依姫の話しになってたりして、面白いです。
     
    どうも、「鬼」とされる人々は、鶏を嫌ったんですかね??
  • 鶏インフルエンザ 投稿者:海老珍 投稿日:11月18日 15時09分

    じゃないけれど、それから鶏を食べないってやつでしょ。
    「金鶏伝説」ですね。私は『地名の古代史・近畿篇』谷川健一・金達寿)の中に書いてあることで知ったんですけど、「菅原道真と鶏の関係」ってところに興味深いことがたくさん載ってました。
    墳墓を決めるときに鶏を連れて行って鳴いたところに柩を埋めたらしい。鶏も一緒に。って。埴輪の鶏はそれを意味してるんちゃうか、って。古墳の築造に関わった土師氏の話としてすんごい興味深いですよね。
     
    出雲のは、その話は美保神社が出所なん?鶏が間違えて鳴くんでしたっけ。そんで慌てて舟を漕ぐやつ落としてしまって、足でかきかきしたら鰐に足ヤラレタ。ってやつでしょ。なんでそんな慌てるん??正体バレたらあかんから?
    おお、なんだか三輪の大物主さんみたいだね。おお、その事大主さんのお相手ってミゾクイ姫やん、おお、繋がりますなぁ。
     
    その泉州のっていうやつ、また教えてください!
  •  投稿者:海老珍 投稿日:11月18日 15時31分

    事大じゃなくて事代主でしゅ。
  • ちょっと横槍 投稿者:江良 投稿日:11月18日 23時07分

    埋めた黄金の鶏が三度鳴き,そこを掘ると黄金が出る...
    これが土師氏の資金源説です。御存知なら,おじゃまで
    した。
     
    のりちゃん様 丹生の話,暇な時にアップしてください
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 12時25分

    出雲の神話は、未来社ってとこから出してる「日本の民話 出雲」ってのに載ってたんですが、原典どこでしょう?
    で、内容はその通り。
    これって、武塔天神の話しとも近いパターンなかったでしたっけ??
     
    岸和田市のサイトにあるんですが、トップページ以外リンク禁止ってなってるんで、
    http://www.city.kishiwada.osaka.jp/index.html
    の右上のサイト内検索で、
    「臼」
    を検索してみてください。
    「轟川・天の川周辺の話」
    ってのがヒットするでしょ?
     
    それの、3番目
    「夜疑(やぎ)神社と唐臼(からうす)」
     
    っていう話し、朝を告げるのは、臼を撞く音と、鶏の声ってなってるでしょ?
     
    で・・・すいません(^^ゞ
    玉依姫じゃなく、布留多摩命となってましたわ。
     
    で、菅原道真公と、鶏って、大いに関係してるんですね。
    知らなかった。
     
    牛と鶏・・・う〜〜〜む、鍋にいいですな。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 12時26分

    いやいや、これで全部です>丹生の話し
    子供向けの本なんで、すごく「ダイジェスト」なんですよ(笑)
     
    しかし、鶏が三回鳴く・・・ですか。
    以前、こういうサイトを教えてもらったんですよ。
     
    http://www.komiyama.gr.jp/treasure.htm
     
    これを見ると、いろんな「財宝隠しの暗号」が出てきますが、共通点多いですよね。
    朝日・夕日・・・そして、なぜか、うつぎ。
    う〜〜む、面白い(#^.^#)
  • 岸和田昔話 投稿者:海老珍 投稿日:11月20日 09時31分

    夜疑神社ありがとうございます。見ましたよー。
    この場合は姫なんですねー。慌てて帰ったのは夜が明けると帰る手立てを失うからでしょうか。
     
    江良様、横槍、後ろから前からどうぞ〜♪
    (by畑中ヨーコヤリッ)
  • 股,横槍 投稿者:江良 投稿日:11月20日 14時29分

    海老珍様 故金達寿氏も好きな場所で読んだと思います
    が,高速増殖炉もんじゅの側の白木にある白木神社の氏
    子というか住民は鶏も食べないし,鶏の卵も食べません
    。自分達は新羅の末裔だと信じています。
    でも,黄金伝説ないですね,白木村には。
    故金達寿氏が,この村を例に土師も渡来氏族と書いてい
    るのは愛嬌ですね。
     
    鶏つながりネタでした。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月20日 18時48分

    >朝日・夕日・・・
    確かにそんなこと聞いた気がします。どこかの本でも読んだような。
    丹生大明神告門に「朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、常世の宮に静まりませと申す」とありますが、埋蔵金の話はありません。
  • あら素敵な横槍 投稿者:海老珍 投稿日:11月20日 22時58分

    そう、江良様!戦前までは鶏食べなかった。卵も食べなかった。ってやつ。すんなり出てこなかったです。そっか、新羅の始祖は卵から生まれてるから、って、ですね。
    あ、アカルヒメが玉から生まれるのも、あれはある意味卵なんですね。
     
    夜疑神社の先のコメントでは私、豊玉姫が慌てて帰ったのを帰る手立てがなくなるから?と思いましたが、いやいや、よくよく考えたら、姫自身が鰐なんですもん、見られたら困るワケですね。
    そしたら、その前の同じく鶏が間違えるやつの事代主さんも、鰐に足やられるとかだけど、そういえば本人さんが鰐って話も。
    鰐も卵から生まれますねー。
     
    その白木や常宮さんのあのへんに産小屋の慣習が残ってたんですよね。
     
    岸和田の昔話。豊玉姫が会いに来てたのも産んだ子供を布留多摩姫に托したからかなぁ。のりちゃんこの夜疑神社は海の近くですか?周辺にどんな遺跡があるのかなど、気になってきました。のりちゃんの神社紹介も見させてもらいますねー。
     
    唐臼、って精米だけじゃなくて、例えば鉱石を砕く。こっちのラインで考えても面白いかも。
     

  • 鶏さん 投稿者:江良 投稿日:11月20日 23時36分

    かまど様 丹生大明神告門の,その文は興味深いですよ
    ね。鶏の別名が常世の長鳴鳥。那賀の鶏と関係あるので
    すかね?
     
    海老珍様 やはり押えていますね。白木は遠くて行けな
    かったんですよ。海老珍様は行けました?
    赤留姫も卵生神話ですよね。
     
    常宮の産小屋は1970年ごろまでありましたよね。写真で
    見たんですけどノスタルジックな気分になれます。原発
    建設の道路が出来てから,ちゃんと病院で出産するよう
    になったんですよね。因果な話で道路拡張の話で常宮と
    電力会社が喧嘩していますね。
     
    赤留姫で気になるのが風土記で,通る者の半分を殺傷す
    るって話が気になるんですよ。丹生津姫も似た文章が
    空海の遺言にあります。赤留姫も丹生津姫も住吉の部類
    神ですよね。何か共通項でもあるのですかね?
    他にも荒神が通行人を殺傷する話があるから関係ないん
    ですかね?
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:11月21日 00時03分

    >丹生津姫も似た文章が空海の遺言にあります。
    確かにそんな記述は記憶しています。それが空海が本当にいったのか、空海の名を借りて書いたものなのか知りたいところです。後世かかれたものでも、それが作り話とは限りません。作り話でもそこには何か伝えたいこと、作者の言いたいことがあるはずだと思っています。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 18時19分

    姫なんですわ。
    しかし、姫を夜が明ける前に家に帰すってのも、乱暴な話しで、誰か送ってったらんかい、んであわよくば、送り狼にでもなったらんかい!
    と思いますが、これもまた思いっきり勘ぐれば、姫は鬼の世界に属する人・・・ということかもしれませんね。
    ま、「鰐」と言うてますが、「わに」「おに」。
    言われて見れば似てます(う〜む、怪しい意見だ)。
     
    夜疑神社・・・という社名もまた意味深。
    で、ご祭神は、物部氏との関係を感じますよね。
     
    卵ね。
    卵って、言うてみれば、「うつろ船」でしょ?
    うつろ舟フリークの私としては、惹かれます。
    なんや入り組んでますなぁ。
     
    夜疑神社の位置、海、近いっすよ。
    現代でも近いですが、古代はもっと近かったでしょう。
    布留多摩姫と玉依姫が同一神かどうか、はちょっとわかりませんが、重なる気がしますよね。
     
    臼の役割、鉱石を砕く。
    おもろいですね。
    岸和田あたりも、採鉄場があるようですし。
     
    菅公と鉄鋼の関係、どうやら要注目ですなぁ。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 18時19分

    つまり、鶏を食べないのは土師氏・・・と、金達寿さんはおっしゃってると?
    確かに、事代主命も、土師氏との関係は深いかもしれませんが。
     
    金達寿氏は、うちの近所も詳細に周っておられるようですね。
    私は読んでませんが、旦那が、そう言うておりました。
    うちから歩いて5分ほどのところに、「日本の神々」でも執筆されている歴史研究家さん(という表現が正しいのかどうかわかりませんが?)がおられるんですが、金達寿さんの本で、その方に詳しく取材されてるそうな。
     
    で、空海の遺言?
    空海って、まだ生きておられるんじゃなかったっけ(笑)??
     
    しかし、
    「人を食う」
    という伝承があるのは、かなり興味深いです。
     
    人を食う。
    しかも、半数も?
     
    「食う」とは何を暗示してるんでしょうね?
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 18時20分

    朝日が輝き、夕日が光る場所。
    それを具体的に想像すれば、やっぱ、山の上でしょうか?
    それとも、「輝く」「光る」というイメージは、やっぱ水銀から来るもの?
    埋蔵金はなくても、豊富な鉱脈はある・・・と考えたら、ちょっと発展しすぎでしょうか(笑)?
  • 見つけてきました 投稿者:江良 投稿日:11月21日 19時39分

    のりちゃん様 空海が生きている説は,遅くても平安末
    期には成立している話ですが...一応,空海も遺言を残
    しているんですよ。「遺告諸弟子」普通は,「御遺告」
    と云われています。東寺第一の阿闍梨以外は所有(写本
    とかで)を禁止されているブツです。空海が入定する六
    日前に弟子・信徒の為に残された二十五ヶ条の遺言です
     
    高野山の裏の路の辺に女神あり。名を丹生の高野という
    。その社のまわりに十町許の沢あり,もし人,至れば,
    即時に傷害せらる...(引用,荒俣博氏訳)
    て感じなんですよ。これがアカル姫と結びつくのかな?
    と電波を思いついたのですよ。
    天野の人達にとって丹生津姫は水銀の神という発想は,
    なかったと思いますが,空海,もしくは真言宗の人達は
    丹生津姫=水銀という発想は,あったのでしょうね。
    土砂加持や空海入定神話で五穀を一つづつ減らして水銀
    を食べたという話がありますので...
    ただ,この「御遺告」が何時のモノか不明です。
     
    土師 中部の土師が支配した場所で鶏を食べない話があ
    りましたよ。故金達寿氏は,本当にいろんな場所を回っ
    ていますね。納得のいかない結論も多数ありますが,面
    白い話もあります。
     
    朝日・夕日=鉱脈 偶然にも,その手の本を読んでいま
    す。キーワードは「長者」「朝日」「藤」「炭焼き」だ
    そうです。
  • 江良様 投稿者:海老珍 投稿日:11月22日 01時15分

    赤留姫が通るものの半分を殺傷?「風土記」?え、どこどこですか?
    「播磨国風土記」には意此川 ってところで品太天皇の御世に出雲の御陰の大神が枚方の里の神尾山におられて、いつもここを通る人をさえぎり、半数を殺し、半数は生かした。っていうのがありますが…
    この出雲の御陰の大神っていうのがちょっとよくわからないです。でもこのあとに続くのがこの祈願に屋形を屋形田に作り…ってあるんですね。なんだか、これ古墳っぽいんです。
    ただそれで思うのは、イザナキ、イザナミのお別れシーン、これは両神が殺すと生かすを宣言しますが、この黄泉比良坂っていうのもまた、なにか横穴式石室を彷彿させるんですよね。
    だから、トンデモかもしれませんが、先に見る出雲の御陰の大神っていうのはイザナミっぽいなぁ、と私は思ってるんですね。
    で、です。イザナキが訪ねてきた時イザナミは言いました。「ヨモツヘグイ」をしてしもたから会えんのやと。でもちょっと待っといて、ヨモツカミと話合ってくるから、って。
    この時はまだイザナミさんは黄泉津大神やないんです。
    そう、ここで言ってる黄泉神っていうのが、私が思うにどうもオオゲツさんではないかな、って、そんなことを考えてるわけです。あんのじょうといいますか、イザナミさんもあのパターンを使うてはりますよね。「見たまひそ」
    見るなのタブーです。それから最後はイザナミ本人が黄泉大神になっちゃうと。
    もしかしたら、半分殺す、っていうのも「オホゲツプレイ」のひとつなのかもしれません。
    赤留姫にもその話があるのなら、どの場所か、是非知りたいです。風土記はどこに何があるのか…ダァー!ってなります。おねむの意識朦朧で書いたんですが、伝わってます?(笑)
     
  • のりちゃん様 投稿者:海老珍 投稿日:11月22日 01時39分

    神社紹介・夜疑神社拝見しました。
    あたりに「牛」が多いんですか、「牛神公園」そそる名前の公園ですね。ぷ様も大活躍でした。
    牛に鶏に卵って、他人丼に親子丼やん〜。
    卵!ほんまや、「うつろ舟」ですよね。のりちゃんワールド!ほんと入り組んでるけど面白いです。
     
    そうですか、海に近いですか。それに採鉄場ありですか。気になりますね。
     
    朝日・夕日
    これは東西の意識なんでしょうか。のりちゃんの言われた、埋蔵金はなくても豊富な鉱脈、中央構造線って東西ですよね。そういうことなんでしょうか。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月22日 11時48分

    新スレ 半分殺すに移動します。

 

丹生津姫神社誌 投稿者:かまど 投稿日:11月19日 19時46分

のりちゃん様、江良様
いつもお世話になっております。
さて、コピー完了しましたので、江良様の分まとめてのりちゃん様に送らせていただきます。
遅くなりましたがご査収の程宜しくお願い申し上げます。
                     敬具
  • ありがとうございます 投稿者:江良 投稿日:11月19日 20時45分

    かまど様 ありがとうございます。コピー代と輸送代ど
    うしましょう。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 07時48分

    拝啓 初雪が待たれる時節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
    コピーの件、ありがとうございます。お手数をおかけいたしました。
    朝晩冷え込みます。お体ご自愛くださいませ。
    かしこ
     
    ・・・この「かしこ」っていう〆の言葉が使ってみたくて、普通の友達に対しする手紙も、
    「前略」
    とか、
    「拝啓」
    から始めるわたくしでございました。
     
    「かしこ」
    って、なんかいいと思いません?
    ちょっと「おすまし」って感じで。
    「かしこ」
    う〜ん、いい。
  • 手紙 投稿者:海老珍 投稿日:11月20日 09時14分

    ああ、長いこと手紙書いてないなぁ、
    前略はごめんくださいまし。を後につけると吉本の末成由美ネェを思い出し、「前略ごめんくださいやしてごめんやし」と書きたくなります。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 18時17分

    末成ギャグはあんまし出てこないけど(好きだけど)、桑原和男の、
    「ごめんください、どちらさまですか、桑原さんちの和男ちゃんです、おお、お入りください、ありがとう」
    は、素ぅで出るなぁ。
    あぁ、遺伝子のどっかに、「吉本」って組み込まれてるんかもねぇ?

 

新スレ 青 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時27分

江良様
青海神社だけでなく、日本海側の神社は、何か、独特のしっとりとした雰囲気があったように思います。
丹後半島〜福井は、なかなか情緒を感じましたよ。
 
飯豊皇女は、「人もすなる性交というものも吾もしてみたが、あんましええもんでもなかったわい」とおっしゃってまして、これが、なんとも、キャッチー(笑)
 
記紀編纂者は、なんでこんなことを彼女に言わせたのか。
 
ま、普通に考えたら、彼女に子供がいないことの言い訳・・・ってのが妥当だとは思うんですけどね。
 
多神社は参拝してますよ。
でも、飯豊皇女の話しは全く知りませんでした。
多氏も、興味深い氏ですよね。
多氏というか、多氏の祖とされる神八井耳命は、興味深いです。
神話では・・・情けないんだけど、その子孫は、多岐に渡っている。
 
子孫とされる氏の一つに、志紀がありますよね。
志紀も、楠木正成公と関係が深い。
志貴県主神社・志紀長吉神社共に、楠木正成公の崇敬深かった神社ですし、何より、楠公さんは、志紀の山=信貴山で生まれ、幼少期を過ごしている。
 
すいません、また、話しが逸れたかも(^^ゞ
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時28分

    牛の舌は知らないんだけど、犬の舌なら、↓
    http://www.norichan.jp/jinja/benkyou/kadofusa.htm
     
    門僕神社って曽爾高原のそばにある神社なんだけど、ここもまた、人身御供の名残か?ってなお祭が残ってます。
    頭に鶏頭の花を載せたりして、「可愛い女の子」を強調してるような気がする(笑)
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時28分

    修験堂ってたくさんあるんでしょうね。
    立川流って、流行したのは、役行者より随分後でしょう?
    立川が修験のエッセンスを持ってても、そんなに不思議ではない気もしますが。
    でも、興味ありますよね(~_~)
  • 正成公にもつながる... 投稿者:江良 投稿日:11月17日 23時02分

    のりちゃん様 多氏の後裔(神八井耳命)が正成公に結
    びつくのは,気が付きませんでした。多氏,大好きです
    ね。本家の多氏は宮廷の雅楽のトップでしたよね。系譜
    上の親戚なら熊本の火氏,長野にもいましたね。神八井
    耳命は神話では「へたれ」でしたけど,子孫はクールで
    すよ。
     
    北陸,特に福井の神社はムードが良いというか...ツボ
    に入りましたよ。新潟まで行くと雰囲気変りますよ。
    弥彦以外は,廃れた感じ...でも新潟って日本で一番神
    社が多いんですよね。
     
    飯豊皇女 彼女のNO SEX宣言は,面白おかしく感じる
    人が多いような気が...のりちゃん様の意見が正しいと
    思います。ウガッタ見方をすると,彼女は子供を作る事
    を拒絶したか,子供を作る事を許されない話ならドラマ
    ティックですよね。飯豊皇女は「夫」ありと記載されて
    いますが,この夫の詳細が一切書かれていないから,つ
    いつい電波妄想しちゃいます。
     
    毅岳様 葛城山の「役行者堂」です。「男女陰陽和合図
    」だそうです。何か情報ありましたら教えて下さい。
     
    海老珍様 現在でも「青」を「おお」と読むケースが
    残っているのですね。感激です。
     
    それにスケベ大事ですよ。男の三種の神器は「優秀」
    「寛容」「スケベ」ですから。一つでも欠けると凡人
    になります...自分ですか?...ただのスケベです。
     
    今日の自分のネタって,全部エロ...最後にまともなネ
    タを一つ。以前,泰澄=秦氏ネタを書きましたが,元
    ネタわかりました「白山大鏡」です。鎌倉時代に書かれ
    た本で,白山修験の秘伝の書みたいな本です。こんど
    国会図書館で探してきます。
     
  • 葛城と立川流 投稿者:毅岳 投稿日:11月17日 23時45分

     立川流が流行った時代が、鎌倉末期から南北朝時代にかけてなんですよ。つまり、楠木正成が敗走して葛城修験が壊滅する時期に重なるんです。人間、負け込むと、とんでもない方向へ向かうので、立川流へ傾いたのかなぁ、と思ったんですわ。しかし、修験道と立川流は、殆ど接点が無いような気もするんで、その辺りが新鮮というか、面白いな、と思いました。
  • カミングアウト? 投稿者:海老珍 投稿日:11月18日 01時27分

    「一女の道を知りぬ。又安にぞ異なるべけむ。終に男に交はむことを願せじ。」
     
    そう、書き下しと現代語訳では受ける印象が違うんですよね。確かに、最初この文章を現代語訳で見たときは、おお、突然なんちゅうことを言い出す・・・とポカーンとしてしまいました。
    これが事実、ほんとうにそう言うたのなら、そうなんだろうけど、のりちゃんの言わはるように
    >記紀編纂者は、なんでこんなことを彼女に言わせたのか。・・・なら。
    しかも最後に小さく「此に夫有といへること未だ詳ならず」をあえてつけるのか。
    江良様、私も今すごい妄想しておりますです。江良様、只のスケベやなんてそんなご謙遜、「甘党のスケベ」これで行きましょ!
     
    そうそう、飯豊さんの御陵ってね、宮内庁の看板「飯豊天皇」って書いてる。どういうつもりやろ宮内庁。
     
    のりちゃん様、ここは犬の舌ですか。人身御供につながっても興味深いですねー。
    そういえば銅鐸?鐸の中に下がってるのって「舌」ゼツっていうんですよねー。だから?なんですが・・・。
     
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 13時04分

    九州にも長野にもいる・・・という話は、こないだ、ひくもんから教わったんですわ。
    どうも、その二氏が、彼の興味のある氏らしく・・・と、ちゃんと理解してないんで、要約はできないんですけどね。
    神八井耳命は、なんか、面白い。
    神話で、情けない兄として描かれているのは、意図的でしょうか?
    権威を貶めるため・・・とか。
     
    飯豊皇女の話しもなんか割と辻褄合わないですよね(笑)
    リアルに想像したら、彼女の夫は、彼女が「もう、性交なんかやだ!」って言ったとしても、
    「いやいや、痛いのは最初だ(以下自粛)」
    とかなんとか言わなかったのか、と。
    それで黙って引き下がるようなことはないやろ、とか、そういう想像しちゃいますもんね?
    ・・・って私だけ(^^ゞ???
     
    >三種の神器
    スケベというか、フロイトのいう、「リビドー」っていうやつでしょうか?
    強い衝動というかなんというか。
     
    女の三種の神器はなんでしょうね?
    「機転」「寛容」「スケベ」
    かな(笑)
     
    >「白山大鏡」
    調査お待ちしてます。
    国会図書館に行ったら、一応、「おばけ文庫」も捜してみてください(^^ゞ
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 13時04分

    南朝と立川流・・・っていうか、確か後醍醐天皇が、それに傾倒してたと聞いたような気が???
    あれ?
    今度、南朝好きさんと会うので、確認しときますわ。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 13時05分

    私、これと同じくらいポカーンとしたセリフがあるんですよ。
     
    八坂入彦の娘・弟媛。
    景行天皇のお召しに対して、
    「私、性交嫌いですねん」
    って、そんなあからさまな!!!!!
     
    しかも、
    「それに私、不細工ですから〜」
    つうて、姉を差し出すとは、なんちゅうやっちゃ(笑)
     
    んでまた、天皇も、それに従って、妹諦めて、姉を召すし・・・って、それまでの執心はなんやってん、て話しですよね(~_~)
     
    >飯豊さんの御陵
    えええええっ!!
     
    なんか、最近、「天皇陵の比定はやり直す必要がある」とか言うてはりますよね。
    なんか、柔らかくなったんかなぁ?宮内庁??
     
    >舌
    あ、そうそう。
    銅鐸も「舌」ですよね。
     
    オバケはよく舌を出してますよね。
    荒俣氏などによれば、あれは、「赤」に魔除けの意味があるからだ、ということになってますが、どうも、色だけじゃなく、「舌」に意味があるのかもしれませんね?
  • ポカーン 投稿者:海老珍 投稿日:11月18日 15時51分

    八坂入彦の娘・弟媛
    ほんとや。これも言っちゃってるよ。こっちはヤル前から(あら、下品な言い方で失礼!)あからさまですな(笑)
     
    そういうのとはちょっと違うけど、私がポカーンとしたのは『古事記』で神武天皇が七人の乙女の中にイスケヨリヒメ見て歌うたうやん、
     
    かつがつも いや先立てる 兄をしまかむ
     
    って、この「かつがつも」って気が進まないが…って意味らしいです。神武すっごい失礼やと思うんですが(笑)
  • 単純にスケベです 投稿者:江良 投稿日:11月18日 23時31分

    のりちゃん様 後醍醐天皇は,鎌倉幕府末期に幕府から
    注意されながら四年近く「ダキニ天法」を使ったとされ
    ます。彼のブレーンの「文観」が立川流中興の祖と呼ば
    れていますから関係が深そうですよ。
     
    神八井耳命 多氏も文句言わなかったんですかね?特に
    古事記には多氏も関係あるのに...このネタは掘り下げ
    たいですね。興味津々。
     
    八坂入彦の娘・弟媛 読み直します。楽しみ
     
    フロイト そんな高尚なモノじゃございません。ウブな
    小学生なころに,本気で007なろうとしていたスケベで
    す。女の三種の神器は正解ですね。
     
    海老珍様 さすがです。飯豊皇女陵は,隠しネタだった
    んですが,古墳好きな京女の海老珍様」には隠せなかっ
    たですね。海老珍様の妄想聞きたいです。
     
    毅岳様 修験のベースは,山の宗教ですよね。修験の山
    自体が女人禁制ですよね。その修験と陰陽和合の立川流
    が結びつくのが不思議ですね。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 12時28分

    いや、それよりも、景行天皇ですよ。
    弟媛を誘い出すために鯉の池なんか造っちゃったりまでしたのに、弟媛が、
    「私性交好きじゃないし〜、醜いし〜、お姉さんの方が美人だし〜。」
    って言った途端、
    「んじゃ、お姉さんにする」
     
    って、そりゃないんじゃないの(笑)
     
    ただ、弟媛は、「姉は貞潔」って言ってるじゃないですか。
    つまり、裏を返せば、弟媛は、処女じゃない。
    少なくとも、
    「赤ちゃんは、コウノトリさんが運んでくるの?ママ?」
    なんていうようなねんねじゃない。
     
    景行天皇がこだわったのは、次のどれですかね?
     
    1.性交が嫌い
    2.醜い
    3.処女じゃない
     
    少なくとも、人が彼女を美人だと噂するくらいですから、2番は、嘘だと思うわけですよ。
     
    とすると、景行天皇は、彼女の性交嫌いか、処女じゃないことにひっかかったのかも(笑)
     
    ま、どっちにしても・・・・・・ま、いいか(笑)
     
    神武天皇は、大体、イスケヨリヒメを嫁にする動機も、
    「身分の高い嫁さんが欲しい〜」
    ってことでしょう?
     
    う〜む・・・。
    女の敵ですな(-"-)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 12時32分

    あ、やっぱりそういう話があるんですよね?
    確か、ダキニ天は、霊験あらたかだけど、その分の報酬がごっつくなかったでしたっけ?
    はらわた喰うとかなんとか。
    それくらい、倒幕の悲願があったんでしょうね。>後醍醐天皇
     

    >神八井耳命
    タギシミミ命とか、いろいろな「へたれ」が出てきますよね。この時代。
    体がすくんだ末に弟に位を譲る・・・というのは、まぁ、へたれなりに恰好よいのかなぁ??
    ・・・ようわかりませんよね(^^ゞ
     
    八坂入彦娘弟媛は、日本書紀の中でも、特にツッコミどころの多い話だと思いますだ。
    お楽しみに(#^.^#)
     
    ・・・でも、私は、雄略天皇が一番ツッコミどころの多い天皇だと思う・・・。ファンです(~_~)
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月19日 17時24分

    後醍醐天皇は,倒幕がよほどの悲願だったんでしょうね
    。ダキニ天は肝臓食べます。それを恐れずに実行する天
    皇ですからね。よく知らないんですけど,おくさんが凄
    かったらしいですね。後醍醐天皇の時代が長続きしなか
    った理由が悪妻が原因と聞いた事あります。
     
    記紀のへタレ 不思議ですよね。神八井耳命の子神の建
    磐龍命は神様らしい神様なんですけどね...
     
    八坂入彦娘弟媛 なんだかなぁ...話ですね。
     
    雄略天皇 自分も大好きです。さすが武王ですね。良い
    意味でも悪い意味でも権力者らしいキャラですよね。
    結果が武烈天皇...この方も,つっこみいれやすいです
    よね。
  • おぉっ! 投稿者:毅岳 投稿日:11月19日 22時51分

     なんか、白熱してますねーっ。まず、後醍醐天皇に持護僧として、「文観」なる僧侶が付いていました。まぁ、この人が「ダキニ天法(立川流)」を修したそうです。さて、この辺りが面白いんですよ。じゃ、南朝方の修験者及び僧侶が、ダキニ天を修しているんか、ってことなんです。この辺りは、不勉強でよく判りません(残念!)。
     山岳宗教の根底には、やっぱり、男女和合の思想はあります。立川流のような生々しい形じゃなくて、もっと神秘的な方向で捉えている感じがします。それは、「生まれ変わる」という視点が濃い感じがします。
  • 和合じゃないけれど・・・ 投稿者:かまど 投稿日:11月19日 22時56分

    そういや、高野山霊宝館(仏像など高野山の宝物展示館)に二頭の象さんが抱き合ってる像があったなあー。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 07時49分

    阿野廉子ですね>後醍醐天皇の奥さん
    彼女は、北条討伐のあと、褒賞に口を出し、功績のあった武家より公家を優遇しました。
    結果、足利尊氏らの武士が離反することになりました。
    また、自分の子(村上天皇)を皇位につけんがため、功績もあり、人望も篤かった護良親王をなきものにしようと謀ります。
    というわけで、確かに、後醍醐天皇の御代が短い原因の一つは、間違いなく、彼女ですね。
     
    で、雄略天皇は、小子部スガルの話しとか、赤猪子の話しとか、童女君の話しとか、やたらと人間っぽくありません?
    「一夜で孕んだ」と怒ったところは瓊々杵尊と一緒ですが、家臣にたしなめられて、子供を認知するところなんかは、
    「家臣が疑うといけないから、まず私が疑って見せたのだ」
    な〜んて聞き苦しい言い訳をするよりずっと可愛らしいと思いませんか?
     
    その他にも、「私は失敗なんかしませんよ〜」と言った猪名部真根に対して、
    「それでは、絶対失敗するなよ」
    と、彼が作業する前で、采女に相撲をとらせたり、なんか、やたらとプリチーです(笑)
     
    奥さんにもよくたしなめられてますよね?
    かわいいなぁ。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 07時49分

    生まれ変わるですか?
    つまり、陰陽思想ってこと??
     
    ふぅむ・・・なるほど、南朝方の修験者及び僧侶が・・・ですか。
    確かに、後醍醐天皇に見方したからと言って、立川流の・・・なんていうか、術を修したとは限りませんもんね。
    なるほど、なるほど・・・それは面白い視点かも。
    とりあえず、23日に、南朝フリークさんと一緒に出かけるんで、ちょっと聞いときます。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 07時50分

    いわゆる、歓喜仏ですね。
    バンコクに「お守り横丁」ってのがあります。
    地元の人達が集まる場所なので、日本人観光客には有名ではないようですが、そこに行くと、一つ100円くらいで、いろいろなお守りが購入できます。
    その中に、やっぱしありましたよ。歓喜仏。
    裏返して見ると、ちゃ〜んと、男根が女陰に挿入されてます。
    職場で「お土産〜♪」と配ったんですが、みんな引くかと思いきや、大うけでした。
    あったく・・・。
     
    仏教の世界では、片方が観音様かなんかなんですよね?
    で、悪神に、「歓喜を与える代りに改心せよ」・・・だったっけ。
     
    とりあえず、そういう理由で、「合体」してはるらみたいで。
     
    なんか、「改心させるために体を与える」なんて、豪気ですよねぇ(笑)
  • ちょうど 投稿者:海老珍 投稿日:11月20日 10時08分

    昨日万博公園のみんぱくのインドのところで合体のを何点か見てしまいましたわ。
    歓喜天、大阪だと生駒の聖天さんですね。二股大根が絡み合ってるモチーフもそういうこと?
     
    八坂入彦の娘・弟姫
    そっか、ホンマに。ネェさんのことをあえて貞潔ですから、って言うことないですよねー。やっぱ怪しいわ。この人。やってないのに望みませんっていうのより、青のネェさんばりに、やってみたけどもうよろしいわ、っていうほうが納得かな?(たいがい下品な話題かと・でもスキスキ)
     
  • 歓喜天も怖いよぉ 投稿者:江良 投稿日:11月20日 16時53分

    のりちゃん様 後醍醐天皇の奥様ネタありがとうござい
    ます。かなーり駄目悪妻ですね。メモしときます。
     
    雄略天皇 一言主との出会いは,古事記と日本書紀のど
    ちらが正しいのでしょうね?
     
    毅岳様 そうですね。金剛・胎蔵をモチーフにして,生
    まれ変りの行事がある修験もありますよね。自分が読ん
    だのは出羽三山の話ですけど,でも,ダイレクトな立川
    流を混入するのは凄い話ですよね。葛城修験の人達が,
    どこで立川流のプレイしていたんでしょうね?
     
    かまど様 その像も陰陽和合像では?歓喜天と抱き合う
    仏は十一面観音だったような...
     
    海老珍様 二股大根はビンゴです。歓喜天を祀る時に使
    うケースもありました。そういえば後醍醐天皇も歓喜天
    法を使う話がありましたよね。故網野善彦氏の異形の王
    権でしたっけ?
    歓喜天の好物は大根でした。歓喜天・ダキニ天のマニア
    の人が教えてくれました。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 18時16分

    長くなりましたので、新スレ 一女の道に移動します。

 

はじめまして 投稿者:風月 投稿日:11月17日 09時14分

おはようございます。
風月と申します。よろしくお願いします。
 
銀の海金の大地という本を久しぶりに読み返していましたら
懐かしくなり、パソコンで「日子坐王」や「真若王」で
検索していてこちらに辿りつきました。
御神神社が載っていてビックリしました。
私は地元民なのです。
といっても年に一度も行かないのですが…  A^_^;)
色々と興味深い事が書かれていて、とても面白かったです。
ありがとうございました。
また遊びにこさせて下さいまし。
では失礼致します。
 
あ、内容とはあまり関係ないのですが、2004年10月より、
野洲郡野洲町は、中主町との合併の為、『野洲市』と
なりました。
滋賀県野洲市、です。
一応お知らせ致します。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 12時35分

    ありがとうございます!
    そうなんですよ。
    平成の大合併で、住所の変更が山ほど!
    ・・・もう、何がなにやらわからず、全く手をつけておりません(^^ゞ
     
    滋賀県は、寂びたといいますか、落ち着いた雰囲気の神社がたくさん鎮座していますね。
     
    中でも、御神神社は、とても穏やかな雰囲気の神社だったと記憶しています。
     
    でも、平将門の化身(?)であるムカデがここの山に巻きついていたとされるわけですから、平将門公と何か関係があるのでしょうね。
     
    これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    また、地元のお話も聞かせてくださいね。

 

新スレ 欠史の謎(トンデモ風味) 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時34分

かまど様
伝説の本や民話の本は、宝箱ですね。
そこにいろいろな発見があるように思います。
 
もし、コピーが見つかれば、是非、見せてください。
 
以前、猪田神社に参拝したとき、宮司さんが、
「昔は文字の読み書きが出来る人は少なかった。だから、伝えたいことは、分かりやすい物語にして、後世に残るようにした」
というようなことをおっしゃってました。
 
百合野社の伝説も、いろいろな意味を含んでいるのでしょうね。
後世の私達の心にいろいろなことを訴えかけているのでしょう。
 
簡単にかんがえれば、百合野社は、狩場明神の墓・・・というようにもとれます。
ちょっと古墳のようでしたし。
 
でも、私がひっかかっているのは、「百合」です。
なんで百合なんでしょう。
 
百合の花って、一体、何を意味しているんでしょうね。
 
西洋では、百合はマドンナの象徴ですけど・・・(~_~)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時35分

    本当の歴史を見れば、欠史10代とか、1代とかいうどころの話ではないと思うんですよね。
    記紀(旧事紀も、多分)が編纂された時、為政者に都合が悪い歴史は、無視されたでしょうから。
     
    だから、丹治氏の家系図に出てくる26代にしても、記紀とはま〜〜〜ったく違う顔ぶれかもしれませんしね。
     
    基本は抑えつつ、記紀に惑わされないようしとけば、まぁ、そこまでトンデモにはならんかと(^^ゞ
     
    どだろ。
     
    日子坐王。
    奥さんの一人(?)に、沙本之大闇見戸売がおられますよね。
     
    そう。垂仁天皇の妻となった、狭穂姫のお母さんですよね。
    狭穂彦・狭穂姫の話しは・・・多分、記紀中で一番美しい恋物語の一つだと思います。
    垂仁天皇は、女にとってはツボな天皇ですわ。
    優しいし、頼りにもなるし、どこか健気でもあるし。
    殉死を廃止させるという、気高さもある。
     
    記紀中で一番魅力的な天皇だと思ってます。
     
    安閑天皇陵、実家の側にあるんですが、蔵王権現と習合する話しもあるんですか・・・。
    蔵王権現は、確かに、流行神に入るかも。
    役行者が流行らせた神ですね(笑)
     
    伊勢御師は、要チェックですね。
    覚えておきます!
  • ツボな天皇 投稿者:海老珍 投稿日:11月14日 17時04分

    垂仁天皇わかるわかる!膝枕したいよねー、殺せんよねー、泣いちゃうよねー、素直になっちゃうよねー。それに許してくれるんだもの…ツボやわ。
     
    謎の1代
    >基本は抑えつつ、記紀に惑わされないようしとけば、まぁ、そこまでトンデモにはならんかと(^^ゞ
     
    そうですよねー、これは話の流れには当てはまらないとは思うけど『風土記』にあえて惑わされてみるとしたら
    常陸国風土記には倭武天皇、播磨国風土記には宇治天皇や市辺天皇っていう表記が…これはひつぎの皇子って意味らしいけど。
     
    そうそう、もともと蔵王権現だったのが安閑天皇っていう神社けっこう多くありません?なんでそうなるのでしょう。安閑天皇って継体天皇の子供ですよね。
     
    あ、そういえば以前テェタレ様が継体天皇と修験道のこと少し触れておられましたが、そういうのとは繋がってくるのかなぁ。。。
     
  • 必死な電波 投稿者:江良 投稿日:11月14日 19時02分

    欠史一代 あくまで記紀の記載されている人物で限定す
    れば武内宿禰なんていかが?天皇(崩御)=新天皇即位
    では,ないのですが仲哀天皇から応神天皇までの期間が
    長いので応神天皇のパパ説のある武内宿禰!神功皇后の
    方が,すっきりしますね。後代になりますが蘇我馬子が
    大王という石碑があったそうですね。正確には蘇我馬子
    の後の二文字が故意に消されて「大王」と書かれていた
    なんて話もありましたね。
     
    垂仁天皇 倭姫のパパですね。良い大王ですよね。個人
    的には仁徳天皇の次に好きですね。
     
    海老珍様 風土記を出されるとつらい!播磨国風土記は
    きがつきませんでしたが,常陸国風土記は,気にしてい
    ました。日継ぎの皇子説ですね。地方の大領主を天皇と
    言ったのかもしれませんね。常陸の隣に毛野国がありま
    した。古代の関東で最も発達していたのが「毛野国」で
    すから,毛野国の領主が大王でもおかしくないのかも?
     
    安閑天皇 全国で百社以上ありますね。蔵王権現と習合
    される,もしくは祭神変更(蔵王権現から安閑天皇)に
    なるのは,主に明治初期からのようです。どのような理
    論で安閑天皇=蔵王権現になったのか知りたいですね。
     
    かまど様 秩父に「丹生」姓の人物がいましたよ。にゅ
    うではなく「たんしよう」と読むのですがね。
    秩父の三十四観音の霊場の十七番目の寺の管理人が丹生
    姓でした。(創健者は壬生)近くの諏訪神社の管理人だ
    ったのですが,寺の管理も兼ねるようになりました。
    この「丹生」さんは,秩父神社の妙見宮に奉職していた
    「妙見宮社人」を本職にしていました。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月14日 21時27分

    >もし、コピーが見つかれば、是非、見せてください。
    昨日見つかりました。 
     
    >百合野社は、狩場明神の墓・・・というようにもとれます。
    丹生家信の御廟といいますのでお墓なんでしょうね。丹生都姫神社のどれかの冊子の始めのページに絵図があります。確かそこにもかかれているかと思います。丹生氏の立場で言えば「家信はそこで亡くなり、空海上人がそこに葬り、狩場明神と命名した」ってな感じでしょうか。丹生氏では家信が亡くなった事を「岩隠れ」と書いています。
     
    >百合の花って、一体、何を意味しているんでしょうね。
    そうなんですよねー。何かあると思うんですが、ヒントが全くなくて、想像も膨らます事ができません。 
     
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:11月14日 21時41分

    >秩父に「丹生」姓の人物がいましたよ。
    もしかして一族でしょうか?丹生って名前以外と多いですよ。丹生谷とか。東京大学史料編纂所のデータベース検索して遊んでたら、島津武士団の各家の由緒書きの中に丹生系ってありました。系って何?と結局分からず。大分にも丹生姓ありますよ。データベースの丹治青木氏系図には始めに「あるいは丹生」って書いてました。著者の考えが入らない方が史料的にはいいんですけどね。断定できれば別ですが。いずれ地名でも苗字でも何でもいいので丹生サミットでも開きたいですね。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時04分

    >膝枕したい
    そうそう。
    んで、おでこにかかった柔らかい(と決め付ける)前髪なんかをくりくりしたい(#^.^#)
    もちろん、小刀振り上げたりせずに。
     
    >風土記
    そういや、常陸国風土記では、大和武尊も、「天皇」ってなってますよね。
    ど〜も、ある程度東に行ったら、大和武尊は、「天皇」だったという認識に間違いなさそうに思うんですが。
    どないでしょうね?
     
    >もともと蔵王権現だったのが安閑天皇
    へぇ!
    そうなんやっ!!!
    いや〜、全く気付きませんでしたわ。
     
    言われてみれば、滋賀県にある「金峯神社」。
    社名はいかにも・・・だけど、ご祭神は、廣國押建金日命・・・安閑天皇ですな。ほぉ。
     
    この天皇の御陵は、おもっきし物部氏の勢力範囲にあることや、大連が、大伴氏と物部氏と関係があることから、どうも、物部氏や大伴氏との関係は深そうだな〜くらいのことは思ってましたが。
     
    修験道との関係・・・。
    継体天皇からの絡みですかね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時05分

    武内宿禰!!
    彼が天皇になってたとしたら・・・仲哀天皇崩御の秘密は、ますます、クサイですな(笑)
    確かに、仲哀天皇崩御から、応神天皇即位までの間の空白は、長いですね。
    応神天皇崩御から仁徳天皇即位までの空白期間があれだけ問題げに書かれていることを考えると、確かに不自然かも。
     
    >蘇我馬子
    邸宅跡らしきものが甘樫の丘で発見されましたが、まぁ、間違いなく、馬子は、大王だったんじゃないかと思えますよね。
     
    王家が別の勢力により滅ぼされるというのは、戦の時代にあって、自然なことでしょうが・・・。
    でも、それを隠すところがあざといですよね(笑)
     
    江良さんは、仁徳天皇がお好きなんですね。
    磐姫が留守の時を狙って、八田皇女を輿入れさせたことはどう思います(笑)?
    ここらへんのくだりは、なんか、すっごく人間的で、私はついつい笑っちゃうんですけどね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時08分

    御廟というと、なんか建物を想像しますが、あの場所に、建物が建ってた・・・と想像すると、なんかしっくりきます。
     
    「岩隠れ」とはまた興味深い言葉ですね。
     
    岩に隠れた・・・といえば、天照大神を連想します。
    なぜ、「岩」に隠れたんでしょうね。
     
    百合の花って、岩場に咲くイメージがありますか?
     
    英語で、谷間の百合っていえば、すずらんのことですよね。
    バルザックの小説「谷間の百合」では、この谷間の百合(これ、絶対誤訳だと思う(笑))は、敬虔なクリスチャンで、横暴な夫に従順に仕えて、年下の男を(無意識なんかもしらんけど)誘惑しながらも拒否する・・・という、女から見ると全く喰えね〜女性のことを意味していますが・・・私はこの小説や、狭き門みたいな、純潔の乙女を描いたキリスト教文学が大嫌いなんで、かなり偏見入ってますけど(笑)。
    ま、とにかく、西洋では百合は純潔の象徴なのだと思います。
    日本で、「岩場の百合」って言ったらなんでしょう(笑)
     
    ほんと、百合の花のイメージってどんなんでしょうね?
     
    でも、男性を「百合」と喩えるのは、あんまり海外では見ないかもしれませんね。
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月15日 19時29分

    仁徳天皇 素晴らしいですね。善政を行い,民に畑仕事
    と機織を勧める発言も素敵ですね。それでスケベ!男の
    中の男ですよ。最後に奥さんに謝る所も素敵です。
     
    安閑天皇 この時代って,物凄く荒れた時代だと思いま
    すよ。宣化天皇・安閑天皇・飯豊皇女って不幸の匂いが
    するような気が...
     
    武内宿禰 あやしいですよね。仲哀天皇の死に方も変で
    すしね。蘇我馬子のご先祖様。馬子が葛城の土地をくれ
    って推古天皇に言っていましたよね。武内宿禰って誰が
    モデルなんでしょう?
     
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:11月15日 19時47分

    かまど様 秩父三十四所の十七番目の「定林寺」の管理
    人が「丹生兵部持」です。ここから引用します。
    近世におけるこの堂(定林寺)の管理者は「丹生(たん
    じよう)」を名乗っている。たとえば明和元年には「丹
    生隼人」,天明元年には「丹生出雲」,文政十二年には
    「丹生隼人」(いずれも松本家「御用日記」などの名前
    が確認できる。これら丹生姓の代々の管理者(別当)は
    ,秩父神社(近世では「妙見宮秩父神社」と称してた)
    の,つまり妙見宮に奉職していた「妙見宮社人」を本職
    としていた。しかも自分自身は諏訪神社を持ち,観音堂
    をも管理していたのである(その諏訪社は現在,十七番
    堂の左手前に鎮座している。また丹生姓の人物は明治維
    新を迎えた時点で「林」の姓に変わった。明治中期秩父
    を離れて北海道に渡ったと伝えられている)。
     いずれにしても,この丹生姓の人々が重要な鍵を握っ
    ていたに違いない,これは私の確信的な推定である。
        「秩父大祭」 千嶋寿著 182ページ引用。
     
    丹生サミット 地名の方が人(研究者)が集まりそうで
    すよね。でも,丹生姓の系譜も見たいですね。
    おまけ情報を二つほど,徳島県の那賀郡鷲敷町の八幡社
    (元は丹生神社)の宮司は「丹生」さんです。
    もう一つ,中世の若狭国に「丹生」姓の人がいましたよ
    。若狭も丹生の地名がたくさんありますからね。
  • 伊勢 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月15日 22時58分

    もうすぐ初穂曳きがはじまりますよ。
    この土日はためし引きでどこもかしこもワン鳴りが響いてます。
    伊勢は道が狭いのでなかなか移動が難しいですね。
    お木曳き、川曳きと陸曳きがありますんでどっちがどうなるのやら(笑)
  • 伊勢つながり・・・ 投稿者:毅岳 投稿日:11月15日 23時41分

     先日の日曜日、お伊勢参りを友人に連れてって貰いました。猿田彦神社、内宮、外宮の順番に参拝して参りました。本殿での祝詞奏上は、神主さんが傍にいらしたので、凄く緊張しました。
     神話と史実について。このスレを読んだ瞬間、グラハム氏の「神々の指紋」を連想してしまいました。のりちゃんさんの仰る「宮司さんのお話」、すごく感じますねぇ。すごい出来事を神話や物語という形に代えて、現代に口伝えされているかもしれませんよね。口伝えと言えば、修験道の世界もそうです。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 11時50分

    仁徳天皇も辛かったと思うんですよね。
    菟道稚郎子に、「妹を頼む」とか言われちゃって。
    でも、奥さんは、「浮気はさせへんで」って睨むし。
     
    あ〜〜、男大鷦鷯、どないする!?
     
    ってな感じですよね〜。あぁ〜、辛い!男はつらいよ。
     
    飯豊皇女といえば、福井県に、青海神社っていう神社があるんですよ。
    名前からピンとくると思いますが、飯豊皇女と関わりが深い神社です。
     
    ここで、飯豊皇女が禊をされたというんです。
     
    海で禊・・・というと、なんとなく、男性を思い浮かべちゃうんですよ。
     
    イザナギ命もそうだし。
    女性が海で禊・・・というと、やっぱり、即位したんですかねぇ?
     
    なんとなく。
     
    >武内宿禰のモデル
    よく言われるのは、神功皇后との関係を考えるに、
    不比等公の分身だとか言われますよね(笑)
     
    でも、そもそももともとの、蘇我氏の子孫としての武内宿禰公のモデルは・・・誰なんでしょうね?
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 11時50分

    いいなぁ、伊勢が地元っていいなぁ。
    伊勢は今が訪問どき・・・のようですね。
    う〜む。
    タイミング合わせて、うちらも訪問するかなぁ。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 11時51分

    お伊勢さんに参られたんですね。
    祝詞を奏上されたんですね。
    個人的には、毅岳さんの声、すごくいい声だと思うんですが、声よりも気持が大事なんでしょうね。
     
    >神話と史実
    文字がない時代にあっては、長く語り継がれようと思えば、人々の口に上りやすい、面白い話にしなくちゃいけないわけで。
    神話には、意味があると思うんですよね。
    ただ、もしかしたら、ある程度、物語のパターンというのはあったかもしれないと思うんですよね〜。
    例えば、「人身御供といえば、蛇でしょ、猿でしょ」
    てな感じで。
    だから、「蛇」「猿」にはあまり意味がないのに、受け取る側は、「あ、蛇の話しだ!」と蛇に注目しちゃったりして、本題から逸れちゃう・・・みたいな。
    難しいですよね〜。
    だから、あんまし固執しないようにしないとね〜。
  • 電波弱めで 投稿者:江良 投稿日:11月16日 21時46分

    のりちゃん様 青海神社行ってみたいですね。写真で見
    ると良い感じ。では,ことらも,奈良に多神社(名神大
    )の境外摂社に「姫皇子命神社」(摂社ですが式内社)
    がありますよね。現在は祭神が違いますが,元々は,飯
    豊皇女を祀っていたという噂があります。
    飯豊皇女って,面白いですよ。
     
    北畠様 神宮式年遷宮と諏訪の御柱って似ているんです
    かね?諏訪にも,お木曳き・川曳きと陸曳きありました
    よね?どちらも直接見てみたいなぁ。
     
    毅岳様 友人を案内ですか...じゃあ毅岳様が猿田彦です
    ね。口伝じゃないんですけど,葛城修験の役行者堂に立
    川流の絵画があるって噂を知っています?本で読んだん
    ですけど本物は見た事ないんですよ。
  • 青 投稿者:海老珍 投稿日:11月16日 23時09分

    のりちゃんの神社紹介「青海神社」拝見いたしました。こういう所があるんですね。すっごい興味もちました。それにしても「牛の舌餅」っていろんな神社でお供えされるみたいですね。餅だけに気になってきました。
     
    江良様
    私が神戸にいた頃、勤めてたところが「青木」って書いてね「おおぎ」って読むとこだったんです。青が「おお」で多神社のおお…こういう繋がりってどうですか。
    あ、それからスケベは男の中の男かぁ(笑)
     
  • 江良様 投稿者:毅岳 投稿日:11月16日 23時25分

     葛城修験の行者堂に「立川流の絵画」ですか、初耳です。凄く興味がありますので、何処の行者堂なんですか??葛城修験と「立川流」との接点に興味あり、です。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時27分

    新スレ 青
    に移動します

 

応神は誰の子? 投稿者:曲学の徒 投稿日:11月16日 15時15分

応神は誰の子。
この謎は古代史好きにはたまりません。
貴女の武内宿禰が怪しいという説、興味深く読みました。
多くの人が応神の父は、武内宿禰でないかと疑っています。
 
武内宿禰が応神を伴って、敦賀の気比大神に会いに行きます。
無事、気比大神の信任を得て、大和に帰還した際の神功の歓迎ぶりは、わが子の帰還を喜ぶというより、武内宿禰を歓待すると言う感じです。
神功と武内宿禰は『できている』と思わずにはおられません。
しかし私は応神の父は武内宿禰ではないと思います。もちろん仲哀ではありません。
 
仲哀急死の場面で、住吉大社神代記はとんでもないことを記している。
『是夜天皇忽病發以崩〔之〕於レ是皇后與大神有密事。俗曰夫婦之密事通』
(この夜、天皇たちまち病を発しもって崩れる。これここに皇后と大神密事あり。俗に夫婦の密事を通わすという)
私は応神の父親は、この住吉大神だと考えています。それでは住吉大神とは何者。応神は神の子なのか?。
いつかこの謎に挑んでみたいと思っています。
 
応神出生の謎について関連する私のHPです。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/2-6hayameta.htm
  • 曲学の徒様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月17日 07時26分

    神話は面白いです。
     
    神話を「歴史」として見ることもできるし、
    神話は「物語」として、そのストーリーを楽しむこともできるし。
     
    私は、神話を基本的には物語としながらも、「歴史にあった何事かを伝えようとする物語」と思ってます。
     
    そういう意味で、
    歴史として見るならば、まず、
    「神功皇后・武内宿禰・応神天皇は実在したのか?!」
    ってところから始めねばならず、大変ですよね。
     
    私は、楽しんで、記紀や神社を見ていますが、学術として研究されてる方は、本当〜に、狭く深くにならざるを得ないみたいで、ものすごく、深いもんだな〜と思ってたところです。
     
    でも、住吉大神の子供だという考えは、ロマンがありますね。

 

こんばんは。 投稿者:毅岳 投稿日:11月12日 23時02分

 のりちゃんさん、こんばんは!今回は、本当にありがとうございました。めっちゃ、嬉しいです。のりちゃんさんの「力」無くしては、無かった話です。
 判らない内容で、すみません・・・。先日、僕のお店が、読売系「ほんわかテレビ」の取材を受けたんですわ。で、そのキッカケを作って頂いたのは、のりちゃんさん力作のネット広告&HPでした。取材の内容は、テレビをご覧下さいませ。因みに、毅岳は緊張して放映日を聞くのを忘れていました(僕は、しばらく、夜10時半からの「ほんわかテレビ」を見続けることになります・笑。)
 のりちゃんさん、本当にありがとうございました。
  • 記念あげ 投稿者:江良 投稿日:11月13日 01時16分

    毅岳様よかったですね。神奈川の自分は,視聴できませ
    んが,応援していますよ。次に関西に行った時には,毅
    岳様のうどん食べたい!
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時25分

    放送楽しみにしてます(#^.^#)
    私も毎週見ますね!
     
    タイミングよかったですよね。
     
    実際、紹介記事を書くのも、最初から知り合いの宣伝したら、怒られるかな〜・・・と躊躇してたんです。
    でも、仕事主さんにお話をしたら、
    「ええがなええがな」
    ということで、書かせていただけたんですよ。
     
    この躊躇の期間がなかったら、こんなうまいタイミングになりませんでした。
     
    ほんと、いろいろな場面で、神様のご配慮を感じますです(#^.^#)
     
    >江良様
    皆さんには、はしぐちうどんのURL
    http://www.asahi-net.or.jp/~dy4t-hsgc/
    でございます。
    これも宣伝までm(__)m
  • ジューシーおあげ 投稿者:海老珍 投稿日:11月13日 14時36分

    毅岳様、そういういきさつがあったんですか。ええ話やー。
    お店のHP拝見させていただきました!
    ほんま、行きますね。まずは「ほんわか」チエックしますわ。
     
  • 毅岳様 投稿者:かまど 投稿日:11月13日 14時51分

    うどんとね、カツ丼とね、玉子焼きとね、大根おろしとね、冷奴とね、カキ氷(ブルーハワイ)とね、ロールキャベツ食べたいです。日替わりも捨てがたいなあー。
    では、アゲアゲ!!
  • ポーチドエッグ風ミンチカツあげ 投稿者:江良 投稿日:11月13日 23時15分

    腹減った...カツ丼・名水コーヒー 欲しい。あげあげ!
  • まとめて 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時33分

    海老様
    ほんわか、チェックしなきゃですね。
    うんまいですよ〜。
     
    かまど様
    カツ丼にミニうどんがついてますよ。
    うまいです。
     
    江良様
    うん。うまいですよ。
    一度、皆で食べに行きましょう。
     
    計画、立てますかねぇ・・・。
     
    ビデオも録画しときますね(#^.^#)
  • 放送予定日 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 13時19分

    よみうりテレビに問い合わせてみました。
     
    11月27日(日)に放送予定だそうです。
     
    チェックだ!
  • ハラペコキング 投稿者:海老珍 投稿日:11月14日 17時15分

    江良様っていつもお腹空いてません?(笑)江良様の右手のアイスモナカが私は忘れられない。あれはかわいらしかった(笑)
    私もかまど様同様食べたいメニューでいっぱいでしたわ。
    のりちゃん様、問い合わせしてくれてありがとーー!!
  • ばれていたアゲ 投稿者:ハラペコキング 投稿日:11月14日 19時09分

    デブ屋として,ハラヘリは仕事ですから。はしぐちうど
    んの写真を見たらハラヘリキングに変身です。
    毅岳様の勇姿が見たいあげ。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 11時58分

    私はほとんどのメニューを食してます( ̄^ ̄)
     
    「HP用の写真撮影」と称して、食べまくりました(笑)
     
    一番印象に残ってるのは、カツ丼ですね〜。
    うまいし、ボリュームあるし。
     
    あと、メニューにはないけど、きんぴらがGOOD!
  • ハラペコ江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時03分

    ビデオ録画しときますね。
    毅岳さんは、そのまま飲んでもうまい日本酒を、料理酒代りに使うんですよ。
    だから、むちゃうま!
  • ありがとうございますっ! 投稿者:毅岳 投稿日:11月15日 23時33分

     こんばんは!皆さん、ほんまにありがとうございます。なんか、この書き込みを見て、めっちゃ勇気を貰いました。ネットの繋がりでこれだけの幸せをもらえるなんて・・・。この幸せの幾分か、をウチの店に来るガキンチョにプレゼントします。いつの日にか、このガキンチョがその幸せを本当に大切な人々にプレゼントして貰えたら、と思います。本当に、ありがとーっ!!!
     
     追伸:のりちゃんさん、問い合わせして下さったんですね。めっちゃ嬉しいです。
  • 毅岳様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 11時49分

    感謝とか幸せとか、分け合えるのが良いですよね。
    なんちて、ほほ。
    ハッピーに行きましょう。

 

百合野社 投稿者:かまど 投稿日:11月13日 06時38分

のりちゃん様、おはようございます。
百合野社無事見つかったんですね。お疲れ様です。
坂道大変でしたでしょ!狭いし、急だし、分かれ道迷うし。エンジンがウーンってうなりませんでした?
今は舗装されていい道ですが、昔ならほんと大変な道ですよね。そして、百合野社から更に進むとすぐ天野ですね。傘ありました?
アップされるの楽しみにしてますね。その時に詳しくレスします。日野西先生の論文の引用もね。
では。神様のご加護があってよかったですね。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時29分

    いや〜、途中で旦那が、
    「RPGのダンジョンみたいやな」
    と呟いたほどの、ややこしい道でした。
     
    でも、旦那の「勘」は、かなりのもので、分かれ道で停まることなく、丹生狩場明神まで辿り着きました。
    そこからが、迷ったのですが、親切な方に助けられました。
    ほんと、ありがたいです。
     
    傘、預かっていただいて助かりました(#^.^#)
     
    ・・・では、アップ、なんとかきばります(^^ゞ
    資料が少ないんで、何をどうすればいいやら・・・って感じなんですけど(T_T)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月13日 14時49分

    >分かれ道で停まることなく、丹生狩場明神まで辿り着きました。
    すばらしい!さすがぷ様!!
    私は始めて行った時は父と。2回目は自分で歩いて感もあたり間違わずに。しかし、3回目は車で行って分かれ道2回間違えました!まだ迷わず行ける自身はありません。
     
    >資料が少ないんで、何をどうすればいいやら・・・って感じなんですけど(T_T)
    日野西先生の論文送りましょうか?「皮張大明神縁起」の。
     
    そうそう、百合野社にお酒おいてありましたよね。瓶でした?200CCぐらいの。銘柄覚えてます?
    19日に和歌山に帰るんですけどね、もし、私が供えたものなら回収してこないといけないんですよね。百合の社にいこうかどうか迷い中なもんで。それも歩きで。修験の道ですわ。あそこでかつらぎ修験は2ヶ月の廻峰行の大詰めなんです。泊まって翌日?護摩をたき、そして、天野へ駆け込みます。総勢100人以上の修験者があの狭いところで護摩をたくのです。このあたりは、丹生津姫神社の冊子か、高野山オフ会にお渡しした資料にも書かれているかも?
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時32分

    帰りに気付いたんですが、大きい路が出来ていましたよ。
    旦那は、「次は迷わない」と言ってましたが・・・。
    どういう風に、何を目指せば良いのか、何かコツがないか聞いときます・・・って、ここを見てますから、知ってたら書き込んでもらいますわ。
     
    日野西先生の論文、拝見させてくださいm(__)m
    住所などは、メールにてお知らせします!
    でも、それを踏襲してもしょうがないので、神社紹介では、全く別のことを書いちゃうかも(^^ゞ
     
    百合野社に供えてあった「玉の光」だったと思います。
     
    あそこも修験の要地なんですね。
    それも、かなり興味深い話しです。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月14日 22時05分

    >でも、それを踏襲してもしょうがないので、神社紹介では、全く別のことを書いちゃうかも(^^ゞ
    それでいいと思いますよ。のりちゃん様の味なんですから。ってどんな味?辛口?毒味?いえいえうまい味、うまみでしょうか。
    あくまでも神社の縁起の資料がないかと思ってカキコしただけですから。ただ、その縁起も解説ないとその背景も分からないですし、もしその解説がなければ丹生氏でないと、どの部分が作り話で、どの部分が事実でと言う事も分からないと思います。なにせ尾ひれはひれがついていますので。 
     
    >百合野社に供えてあった「玉の光」だったと思います。
    おおーっ!さすがのりちゃん様。やっぱり呑み助!銘柄まで確認されているのでは、と期待通りでした。
    で、やっぱり「玉の光」でしたか。あれは私が5月に実家に帰った時に家信の命日が5月3日なのでお供えしたものです。さすがに神様や仏様に供えてあるものはたばり難いですから、まだありましたか。やっぱり回収して来ねば。 
     
    >あそこも修験の要地なんですね。
    とっても関係が深いですね。修験者と狩場明神との関係も深いですが、あの土地あるいは人々と高野山の関係も深いです。
     
  • 丹生・狩場明神への道 投稿者:ぷ 投稿日:11月14日 22時38分

    かまど様、こんばんは。
    高野神社までの道は分かりますか?三谷の方から県道13号線を西に向かってくると喫茶「英」というのがあり、そこを左折します。交差点があり右折して山に登る道を行くと高野神社です。(交差点を直進すると丹生狩場神社)
    高野神社を越えて登っていくと右に滑走路かと思うような太い道があるので入っていきます。すぐに狭くなります。右にカーブして左にカーブしてしばらくすると集落があります。集落を抜けると三叉路があり直進は下り、左折は登りです。ここを左折します。しばらく行って林を抜けると三叉路があります。ここは右折です。直進すると民家に入りそうな感じです。右折して道なりに進んだところで三叉路があります。直進すると左側に白いラブラドールレトリバーがいますが、左折して登り道に行きます。道なりに登っていくと丹生・狩場明神です。ラブラドールレトリバー辺りからも鳥居が見えてます。
     
    愚妻>「次は迷わない」
    迷ってないので、こんなこと言ってないですよ。
  • ぷ様 投稿者:かまど 投稿日:11月15日 02時15分

    >高野神社までの道は分かりますか?
    さすが、見逃しておられるのではと思っていましたが、チェックされてますね。
    多分行けば思い出せると思うのですが、今は全く思いだせません。ぷ様行った道記憶に残ってるんですね。すごい!あたしゃ下から順にイメージでけません。途中途中はイメージできるんですが。
    よって、すいません!三叉路がどこの三叉路か思い出せませんので、せっかくの詳しい説明なのですが、わかりましぇーん(T^T)ぐすん。
     

  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時02分

    んじゃ、メールで住所お知らせしますね〜。
    すいません。お手間とらせますm(__)m
    急ぎませんので、どうぞよろしくお願いいたします。
     
    私の味ですか?
    ・・・う〜〜〜ん・・・。
    自分では、いかの塩辛みたいな味を出したいと思ってるんですけどねぇ。
    なかなか練れなくて。
    まだまだ若いかのぅ。
     
    玉の光は、飲んだことあるんですよ(笑)
    そうかぁ、かまどさんが供えはったお酒なら、私が代りに回収したのになぁ(そして、飲んだのになぁ)。
     
    撤饌のお酒は、何か美味しい・・・ということを、神職さんから伺ったことがあります。
    やはり、神様に捧げられているうちに、何かが変わるのかもしれませんね。
     
    >修験
    資料、まだちゃんと読めてないんですよ。
    大会でいただいた論文の感想を先にやってたら、もう手が一杯で(T_T)
    早くちゃんと読まなきゃ〜〜・・・でも、もう、頭パンパンっす(>_<)
    脳みそのハード増設したいよ〜〜。
  • ぷ 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 12時03分

    よう覚えてんなぁ。
    でも、
    「次は迷わへんな」
    って、言うたよ〜ん。
     
    思い出さしたろか(-"-)?

 

久須斯神社 投稿者:落王 投稿日:11月12日 21時09分

初めまして。宇陀の落王と申します。
神社を検索したりして何度か拝見させて頂いておりますが、書き込みは初めてだったと思います。急にお邪魔してすみません。
遅ればせながら「久須斯神社」を拝見しました。吉野方面へ行くときはいつも通っておりましたが狛犬の撮影に一度、立ち寄ったきりです。神社のことを興味深く拝見しました。
「笛吹と大井」の神を合祀されていますが、笛吹は数百メートル南にバス停が残っていました。参拝されていたおじさんに「大井」を聞くと、少し北部の位置を教えてくれました。この神社に近い場所から合資されたようですね。今日は夕日に染まる鳥居を眺めて吉野から帰りました。
>海老珍さん、HN戻ったのでしょうか?
  • 訂正 投稿者:落王 投稿日:11月12日 21時10分

    合資→合祀
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時18分

    私も何度か訪問させていただいております。
    また、海老さんからもお噂は何度か(#^.^#)
     
    情報ありがとうございます。
    ひゃ〜、近所にあったのですね。
     
    恥ずかし(^^ゞ
     
    ということで、この情報、後記に追記させてくださいね。
    また、お名前から、落王さんのサイトにリンクを貼らせていただいてますが、もし、問題あれば、お知らせください。
    (今、なぜかFTPが、不具合を起こしたので、昼から、更新作業します)
     
    近所にバラエティ豊かな神々を祀った神社があったとなると、神社が・・・というより、吉野・三茶屋あたりは、いろいろな地方から人々が集まった場所である、ということなんでしょうね。
     
    ありがとうございました。
    今後もよろしくお願いいたしますm(__)m
  • ようおこし〜 投稿者:海老珍 投稿日:11月13日 14時30分

    って私がいうのもなんですがー(^^)
     
    >私も何度か訪問させていただいております。
    また、海老さんからもお噂は何度か(#^.^#)
     
    なんちゅうてるかは、のりちゃん秘密やでー(笑)
    落王さんには日頃から仲良くさせてもらっております。
    彼のお人柄はこちらに凝縮↓↓
     
    http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/4823/
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時31分

    内緒ね、内緒!
    ・・・などというと、どんな噂をしてるのかと思われそうですが(笑)
     
    「感じの良い方だ」と聞いております。
     
    サイト、たまに拝見してたんですが、今日、確認したら、様変わりしていますね。
    サイトの模様替えって大変ですよね(^^ゞ

 

新スレ 流行神 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 07時17分

海老様
抜き参りとかで、命落とす人も結構いたでしょうね。
まぁ、社会現象になってたんなら、割と施しを受け易かったのかもしらん・・・とは思うけど。
しかし、断ったら禍が降りかかるかも・・・って、それ、誰が言い出したんでしょ(^^ゞ
あれって、伊勢のお札が空から降ってきたのがそもそもの始まりっていうけど、誰が降らしたのか、ほんま、妙な現象ですよね。
 
で、ケチらんかった人の最たるものが、お釈迦様の前世だと言う兎ですよね。
なにしろ、自分の命を投げ出したわけで。
 
そんで、偉い人に生まれ変わって、また人々に奉仕する・・・と。
ケチらんすぎたら、また大変ということでしょうか???
 
化粧水、私は、ニベアしか使てませんねんけど、地黒が幸いして、シミが目立ちません。ウォッホン。
海老さんは色白いから、却って大変そうや〜(~_~)
 
>オチつけないかんのかい!落ちつけ!あたし。
 
オチは必要でしょ。
私なんか、オチなかったらどこで話が終わったか、わからん時ありますもん(~_~)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 07時17分

    宇佐から石清水に八幡神が勧請された時、巫女が先導したんでしたっけ。
    ものすごい騒ぎだった、と、何かで読んだんですが、そうやってお祭騒ぎにすることで、
    神の受け入れを準備したんでしょうね。
    確かに、用意周到かも(~_~)
     
    八幡信仰については、くだんの八幡神社の宮司さんは、
    「高野勢を牽制するために、八幡神社を高野山に向けてどんどん建てた。高野勢の旗印は丹生神社、朝廷側の旗印が八幡社だった」
    とおっしゃってました。
     
    いろいろな事情があったんでしょうね。
     
    コラーゲンとかコエンザイムQ10とか。
    なんかいろいろありますよね。
    ほんとに効くんですかね(^^ゞ??
     
    どうも、テレビとかに乗せられてる気がする・・・。
  • 空から御札 投稿者:海老珍 投稿日:11月11日 16時37分

    オフダよりオサツのほうがええなぁ〜。
     
    施しっていうたらお遍路さんとかやんね。
    伊勢の御札をまいたのは伊勢神宮の下級神職で「御師」っていう人らがいたみたいやよ。
    そいうことはこれまで考えたことがなかったし、乱痴気騒ぎになる人の心理って面白いな、っていうか怖いなぁと思って少しキーワード検索してみました。
     
    「志多羅神」っていうのがあったんだけど、江良さまがゆっておられたのはこれのことでSky?
     
    色白くないで、腹はけっこう黒いで、あ、知ってた?(笑)
    ホンマに、化粧品っちゅうもんはメディアに踊らされます。最近「アンチエイジング」ってよく耳にするけど、「若返り」ってことかいな?
    そういえば数年前に「コウジ酸」を含む美白化粧品に発がん性…とかいうてたけど、あとから大丈夫や…と聞いたような、いいのかアカンのかようわからんのだけど、そういうのの極端なのがかつての「伊勢白粉」ってやつ?水銀塗ってんですよね、怖いですねぇ。
     
  • 難しいスレ・タイだぁ 投稿者:江良 投稿日:11月11日 18時32分

    のりちゃん様 八幡が高野山を牽制は,そそる話です。
    普通の神社と違い,皇室の神社ですから階級も違うんで
    したよね。誰か賢いブレーンでもいたのかな?
    宇佐八幡の神主家は,和気清麻呂を神様みたいに尊敬し
    ているそうです。
     
    海老珍様 YESそうです。「志多羅神」でした。調べたら
    けっこう古い。それも二回起きてるんですね。志多羅神
    は,結局「石清水八幡社」に納まったのが意味深!
     
    伊勢御師 そうか彼等ですか...伊勢御師って独自の伝承
    を持っていたんですよ。家々によって違うようですが,
    「ホツマツタエ」に似ている伝承とか...けっこう不思議
    な集団ですよね。ツアーコンダクターの元祖のような集
    団と思いきや,怪しい人々ですね。でも,何でお札をば
    ら撒いたんだろ?
     
    アンチ・エイジングと伊勢白粉を結びつける海老珍様の
    センスは素敵だわぁ。化粧品は,けっこう妖しいブツを
    使う話ありますよね。
    数年前に亡くなった「白いカリスマ」の方いらっしゃま
    したよね。美白と健康を売りにしていましたが,ガンで
    亡くなった,という噂がネットで流されていましたね。
    何故か,この話を思い出しました。
  • 八幡さんと丹生明神 投稿者:かまど 投稿日:11月11日 20時52分

    >「高野勢を牽制するために、八幡神社を高野山に向けてどんどん建てた。高野勢の旗印は丹生神社、朝廷側の旗印が八幡社だった」
     
    高野山真言宗は勢力拡大していくわけですが、その拡大の文句として、「空海は丹生津姫より土地を譲ってもらった」ということがあるんです。丹生都姫は応神天皇より北は紀ノ川、南は有田までかなりな広範囲をもらった事になってるんです。これを盾に領地拡大していく訳ですね。ようは、「その土地はもともと丹生明神の土地なんだから、つまり高野山真言宗の土地なんだ。だから返して。」と言うことでしょうか。そんな事いっても普通は返さないですよね。で訴訟合戦になるんですね。友淵八幡宮は石清水八幡宮の領地でしたが、結局高野山の領地に組み込まれます。
    おそらく、紀伊の西の土地は、高野山から領地を守るために、領主達が八幡さんを旗頭にして一致団結したんでしょうね。高野山は時代によってスポンサーが違いますが、1200年までなら仁和寺(天皇家)、1200年後は鎌倉幕府、戦国時代以後は豊臣、徳川といった感じですね。かなり驚異だったと思います。
    八幡さんが旗頭にされたころは、応神天皇は八幡神とはとらえられていなかったんでしょうかね?それとも「応神天皇から丹生明神へ土地が譲られたのなら、もともと応神天皇の土地なのだから、領地を渡す必要がない」と訴えていたのでしょうか?
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 09時07分

    私もお札のがいい。
    青いのじゃなく、茶色い方(笑)
     
    で、お札は、やっぱり人為的に撒かれたんですね。そりゃそうか(笑)
    しかし・・・なんか・・・あざとい(^^ゞ
     
    でも、それに涌き立ってしまうというのは、そういう世相だったんでしょう。
    確か、世紀末ですよね。この時も?
     
    腹、私はそれほど黒くないし〜・・・でも、出てるけど〜・・・くすん(T_T)
     
    白粉については、怖い話し聞きますよね(^^ゞ
    遊女の肌はぼろんぼろんだったとか。
    そりゃ、水銀をあんなに厚塗りしてたらまぁなぁ・・・。
    水銀にも毒性の強いのと弱いのがあるみたいですが、命には関わらなかったんでしょうか?
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 09時08分

    八幡神と高野山勢力については、和歌山の八幡宮の宮司さんに伺いました。
    和歌山での、高野山勢力と八幡勢力のいざこざが、京都での東寺と石清水とのいざこざに、発展することは少なくなかったそうで。
     
    現在では、八幡宮の宮司さんが集う集まりもあるようで、情報交換も頻繁にされてるようですよ。
     
    伊勢御師とは始めて聞く名称ですが、「伊勢」を冠する集団が、独自の伝承・・・しかも、ホツマツタヱに似た伝承を持つとは興味深い話しですね。
     
    面白いです。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 09時08分

    >応神天皇と八幡神
     
    言われて見れば・・・。
     
    柏書房の「日本の神様読み解き事典」で、「八幡神」をひいてみますと、
    扶桑略記の欽明天皇の時代に、
    「八幡大明神筑紫に顕わる(中略)吾は是れ日本人皇第十六代誉田天皇広幡八幡麿なり云々」
    とあるようですから、扶桑略記によれば、筑紫に現れた時点で、誉田(応神)天皇=八幡神という認識があったということになりますよね。
    ただ、十六代というのが気になりますね(^^ゞ
    誰が一人多いのか。
    日本書紀では、第十五代のはず・・・。
     
    しかし、丹生津姫と応神天皇の関係は、興味深いですね。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月12日 10時01分

    >高野山勢力と八幡勢力のいざこざが、京都での東寺と石清水とのいざこざに、発展することは少なくなかったそうで
     
    恐らく年代が1200年以降の話なんでしょうね。もともと高野山は仁和寺の支配下にありました。1200年ごろに高野山は鎌倉幕府と繋がり、仁和寺より独立、天野も仁和寺から高野山の支配下になります。支配されたのがいいのか、わるいのか分かりませんが。
    確か高野山が勢力拡大し始めたのは独立して以降だったと思うんですよね。ですから、真言宗と八幡さんではなく、高野山と八幡さんの構図だと思うんです。恐らく。
    この裏で、高野山側にどんな人達(武家、公家)がついていたのか?八幡側(領主・豪族連合)にはどんな人達(武家、公家)がついていたのか?そんなこと調べてみると面白そうですね。高野山が勝って高野山の領地に組み込まれたところもありますが、組み込まれなかったところもあるので、ある程度お互いの力関係は拮抗していたのかも知れませんね。で、その訴訟をどこが判定したのかも。
    丹生氏からしてみれば、石清水八幡宮は宮司が紀氏ですから、親戚筋になるので、丹生明神が旗頭になったのは複雑な心境だったかも知れませんね。
    うーん、漠然とした歴史の中にも人間模様が見えてくると更に面白くなりますね。大河ドラマが面白いのはだからでしょうか?
     
    >日本書紀では、第十五代のはず・・・。
    丹生氏、丹治氏の系図でも、確か宣化天皇が29代になっていたと思います。確か28代ですよね。一人多いんです。だれか抜けてるのか、抹殺されてるのか?おおーっミステリー!!!
  • たぶん 投稿者:江良 投稿日:11月12日 15時20分

    中世の寺社は,神領・寺領を得る為にあの手この手を使
    いました。高野山も独立後に各地に飛び回りました。僧
    や下級僧(寺人と言います)・神人・芸能(下級陰陽師
    も含む)を各有力寺社は保有し,領地獲得に奔走しまし
    た。高野山は熊野街道を北上するように寺領を拡げるの
    を石清水八幡が焦って,八幡を建立させたのでしょう。
     
    高野山は丹生津姫を旗印にしたのは,皇室の先祖である
    八幡に対抗する為じゃないでしょうか。ここからが電波
    丹生津姫を天照大神の妹神にしたのは,八幡に対抗する
    ための捏造では?
     
    一人足りない 応神天皇が十六代なら神功皇后をカウン
    トしてるのでは,ないですか?
    丹生・丹治氏の場合は,飯豊皇女をカウントしているん
    じゃないですかね。
     
    伊勢御師・白粉 彼等は豪邸に住んでいましたよ。明治
    に入り解散させられるまでは,凄かったです。江戸時代
    の彼等の家並みを描いた絵画を見た事ありますけど半端
    ない。ちなみに,一部の伊勢御師は「倭姫」を伊勢の大
    神の嫁神と云っていました。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:11月12日 21時21分

    >丹生津姫を天照大神の妹神にしたのは,八幡に対抗するための捏造では?
    その可能性はあると思います。いつからそう言われてるのか分からないんですよね。
     
    >石清水八幡が焦って,八幡を建立させたのでしょう。
    八幡を建立させたのが石清水八幡宮の荘園だけなのかですね。この時代が鎌倉幕府の時代であれば、領主達が対抗のために朝廷側と結びついたとか。あるいは高野山より鎌倉幕府と結びついている武士集団であれば、高野山の訴えも退けられたかも知れませんね。この時代の力関係知ってみたいですね。この地域の豪族達はどんな人達だったか知りたいですね。もともとの領主だったのか、鎌倉幕府より送り込まれたものなのか?結構鎌倉、足利時代に各地に関東武士が派遣されてますからね。調べるのは難しいかもしれませんが、面白そうではあります。なかなか裏を読んでいくと言うのは面白いですね。大河ドラマ義経の後白河法皇と鎌倉幕府の駆け引きみたいですね。
     
    >丹生・丹治氏の場合は,飯豊皇女をカウントしているんじゃないですかね。
    神功皇后をカウントせず、飯豊皇女をカウントしたと言うことですか?飯豊皇女をカウントしたのは江良様はどうしてだと思われます?
    応神天皇が16代だと、宣化天皇は29代になりますから、応神天皇より前に一人いたんじゃないかと思うんですよね。その一人は確かに神功皇后かも知れませんね。存在感が大きいですもんね。
     
    寺院、宗教集団を維持していくのは大変だったんでしょうね。大きくなればなるほど大変。高野山もそのために領地を拡大して行こうとしたのかも知れませんね(個人的にあまりいいこととは思ってないのですが、何か時代背景があったのでしょうかね〜)。明治になって、領地のなくなった高野山は、寺院の数が半分とか2/3になるんですよね。今も大変なんでしょうね。重要文化財になっても修理に全額でないですし、予算とれなければ修復もできませんしね。その額が数億ともなると、檀家のレベルではどうすることもできないんですよね。今はお寺も神社も苦労してますよ。檀家や氏子も減ってきてますし。
    個人的には言いたいことはたくさんあるんですが、過激になるかもしれないのでやめときます。のりちゃんずの掲示板にはあまりふさわしくないかと判断しましたので。ちなみに、2ちゃんねるでは私の仏教論は結構うけいれてもらえたんですよ。(^0^)v
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月12日 21時37分

    >腹、私はそれほど黒くないし〜・・・でも、出てるけど〜・・・くすん(T_T)
    えーっ!!!そうなんですかー!!!それはビール腹?日本酒腹?焼酎腹?すいません。忘れた頃にぶり返して。
     
    >遊女の肌はぼろんぼろんだったとか。
    そうだったんですかー。今でもだいぶ肌に優しくなったとはいえ、化粧品は合う合わないありますもんねー。女性はそうなってでも美しく見せたかったんでしょうかね。あっ、遊女の話だった。
     
    >水銀にも毒性の強いのと弱いのがあるみたいですが、命には関わらなかったんでしょうか?
    確かに純粋な水銀は危ないかも知れませんね。でも現在の日常生活で怖いのは水銀でも有機水銀が危ないんですよ。無機水銀はさほど蓄積されないからなんですけどね。動物の体は有機物でできているので、それと同じような成分は、体が同じ仲間と判断して吸収蓄積するんです。だから魚に取り込まれ、その魚を人間が食べて、それが繰り返されて蓄積され、あるところで症状が出てくるんです。
    あとは、その風土に慣れているかです。水銀の多い地域で住んでいる人の髪の毛に含まれる水銀量は、他の地域の人より多いんです。通常なら症状が出てもおかしくない地域もあるそうですが、そこの人はまったくお元気な方ばかりだそうで。そこで住み慣れた人は順応してるんでしょうね。あとは山の中なので有機水銀ではないのかも知れませんね。有機水銀はだいたい工業的に生成されますから。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:11月13日 01時13分

    中世から江戸時代まで,有力な寺社同士の争い(裁判)
    は,ほとんど結論(判決)を出せず,寺社同士のやりた
    い放題でした。たまに分かりやすい判決が出ても敗訴し
    た寺社が神輿を持って暴れていたから手を付けられませ
    ん。有名な裁判では,伊勢の内宮vs外宮・上賀茂神社な
    vs貴船神社などが有名です。
    八幡建立は,石清水八幡だけでなく,反高野山の領主な
    ども建立した可能性がありますね。熊野街道に高野山と
    仲が悪い延暦寺系統の神社(日枝・八坂等)を建立する
    より八幡の方が安全ですからね。神社ランキング第二位
    (一位は伊勢)で,皇室の祖神で源氏の氏神ですから,
    大っぴらに喧嘩しずらいでしょ。まぁ,当時の土地所有
    者のリストを調べないと分かりませんが...
     
    一人足りない天皇 応神天皇以前の皇室で天皇(大王)
    と云えるほどの存在は神功皇后でしょう。あと,一人
    日子坐王がいますが,マニアックなのでパス。
    もう一人の飯豊皇女(飯豊青皇女など計七つな名前があ
    ります)古事記と日本書紀で系譜が違うのですが,雄略
    天皇の崩御の後に有力な後継者が存在しない為に,中継
    ぎとして天皇になった可能性のある皇女です。記紀にも
    それを匂わす記述があり,先代旧事本紀では,はっきり
    と天皇になったと書いているそうです。
     
    廃仏毀釈 正確には「神仏分離」は,神社・寺の両方に
    ダメージを与える酷な政策でしたね。寺の被害ばかりが
    クローズ・アップされますが,神社にも苦痛を与える結
    果になりました。当時の仏教は,宗教というより,今の
    総合商社に似た集団ですから,攻撃される理由は,山ほ
    どありました。でも,一番嫌いなのは,廃仏毀釈初期に
    暴れていた「平田派」の連中が酷いですね。
    寺社が今でも苦労するのは,悲しい事ですが,ドイツみ
    たいに税金で保護も賛成しがたいし...良いアイデアない
    のかな?
     
    白粉 伊勢の水銀を扱う家では,長男など息子にには,
    家業を継がせずに,養子を取って(主に娘の旦那)家業
    を継がせる話がたくさんあります。儲かるけど危険性の
    高い商売だったようです。
     
    PS かまど様の「仏教論」読みたいです。メールで読み
    たいなぁ。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時23分

    今日、丹生津姫神社で預かっていただいていた傘を受け取りに行って来ました。
    そして、その前に、百合ノ社に参拝してきました。
     
    百合の社が、狩場明神が百合に姿を変えた場所だという伝承、何か文字になっていますか?
    丹生津姫神社の神職さんにも伺ったのですが、原典が何かはちょっとわからないようでした。
     
    しかし、百合ノ社は、何か心惹かれる神社で、その前で手を合わせていると、木々がものすごく騒ぎました。
    ・・・しかし、さぶかった(^^ゞ
     
    >歴史上の人間模様
    面白いですよね。
    それに、人間の心だって、一筋縄では行かないでしょう?
    「なんでこんなことしたの?」
    って聞かれたら、一応、一つの答えを出しますが、実際は、いろいろな気持が入り混じって、その行動になったわけで。
     
    だから、いろいろな見方が出来るんですよね。
     
    >欠史一代
    丹生氏、丹治氏、そして、宇佐八幡の歴史では、誰かもう一人、天皇がいた・・・そう考えると、面白いですね。
    抹殺されたと考えるか、それとも、自ら姿を消したのか。
    自ら姿を消したとかんがえるほうが、ミステリーの度合いは増しますね(#^.^#)
     
    >腹
    脂肪です。
    純粋な脂肪です(T_T)
    うわぁあああああああん!!
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時24分

    なるほど。
    丹生津姫と天照大神の関係に関しては、イロイロな電波妄想が湧いちゃうところですよね(^^ゞ
     
    >神功皇后か飯豊皇女
    確かに、宇佐八幡は、神功皇后。
    丹治氏は、飯豊皇女・・・というのは、考えられる話なんですが、それに限定しちゃうと想像が脹らみませんから(笑)
     
    それに、記紀にすべての神が登場しているわけでは、決してありませんし。
    もしかしたら、記紀・古文書の類からすべて抹殺された神かも・・・と想像することもできますよ〜。
     
    ・・・ま、そうなってくると、もう、デンパに近いですけどね。
     
    ま、それは置いておきましょう。
     
    伊勢御師は、お金を持っていたのですね。
    その、どうも「金持ち」というのが、ひっかかるんですよね。却って。
     
    で、倭姫を「嫁」としたということは、彼等は、伊勢の大神を男神と考えていたということでしょうか。
    それもまた・・・なるほど、ホツマツタヱに近いわけかぁ・・・(@_@)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月13日 14時29分

    >百合の社が、狩場明神が百合に姿を変えた場所だという伝承、何か文字になっていますか?
    狩場明神が消えたあとに百合の花が咲いていた、だったかな?すいません、伊都の伝説という本だったと思います。以前掲示板でカキコした時はコピーあったのですが、今探したらないんですよね。実家にかえらんと正確な話はできませんが、伝説・伝承ですので、昔話みたいなもので、ある事実に関して作った、作り話ですよ。
     
    >純粋な脂肪です(T_T)
    いえいえまだまだ大丈夫ですよ!
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月13日 23時10分

    欠史一代 うーん難しいですね。記紀に全ての皇族が記
    載されていない可能性は否定できませんね。特に本流か
    ら外れた系譜はカットされていますからね。
    ただ,記載されている人物の中では,応神天皇以前なら
    神功皇后と日子坐王の二人でしょう。神功皇后の説明は
    不必要ですが,日子坐王は,天皇家の本流に外れながら
    例外的に系譜が全て記載されているために,天皇に準ず
    る力の持ち主と考えられます。ただ,息長水依比売を妻
    にしているため和邇氏が挿入させた話説もあります。
    丹治氏に限らず,天皇(大王)に即位したのに,カウン
    トされない可能性があるのは,飯豊皇女だけなんですよ
    (宣化天皇以前ですけど)。
    記載されない人物で,カウントされない人物の時代は,
    やはり雄略天皇の時代から宣化天皇の時代までが可能性
    が高いと思いますよ。記紀の記述も混乱が激しいですか
    らね。三韓の歴史書にも日本国内の混乱を記述していま
    すしね。
     
    意味がわからないけど,面白いのが宣化天皇の兄の「安
    閑天皇」が蔵王権現と習合している話がありますね。
    蔵王権現はスレ・タイの「流行神」に入るような気が...
     
    伊勢御師 伊勢詣で流行させた人たちは彼等伊勢御師で
    す。まめに仕事するんですよ。各家に持ち場があり,ち
    ゃんと毎年回るんですよ。その時に大麻とか伊勢暦を配
    って,伊勢講の宿泊地の確保等を行っていました。
    伊勢詣は,元々は初稲を貰うのが目的だったそうです。
     
    百合の社 アップ待ってますよ。
  • 書き忘れ 投稿者:江良 投稿日:11月13日 23時30分

    仲哀天皇の時代から応神天皇の時代も混乱期の可能性あ
    ります。神功皇后・応神天皇の時代を王朝交代説で説明
    する人もいますね。この場合は応神天皇のパパは,仲哀
    天皇ではなく別の人になるそうです。
     
    今回の自分の説はツマンナイよぅ。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 12時29分

    新スレ 欠史の謎(トンデモ風味)
    に移動します。

 

オフ会の忘れ物 投稿者:かまど 投稿日:11月05日 21時29分

こんばんは。
先日のオフ会の後、のりちゃん様が作って下さったレジメに目を通していると、あっ!掲示板で「当日お話します」と書いて言うの忘れてた。
ということで。
 
丹生津姫と高野明神(狩場明神)は親子と言う説と、夫婦と言う説があります。なぜかははっきり言って分かりません。でも、こんなことかなあって話はあるんです。
 
親子説
高野山と言うお山は、骨のぼりと言う風習に代表されるように、遺髪や爪など死者の一部を納めた所なんです。この風習がいつからあったかがポイントなんですが、熊野でもこの風習があるという事は、空海が高野山に来る以前よりあったのではないかと思われます。となると、高野山は地元の人々の祖霊が眠る場所だったんです。空海は高野山を開創するにあたりそういった祖霊を高野明神として、もともとの地主の神様である丹生明神と一緒に祭ったのではないかと思います。いくら地主の神である丹生明神を祭るからと言って、自分たちの先祖の遺品を葬ったところに寺を建てられて地元の人はいい気はしませんよね。つまり、高野明神は祖霊なんだと思います。という事は、地元の人々にとって丹生明神は母神様であると考えれば、高野明神は子供達となるわけです。
私の考えなので正しいと思わないで下さいね。そういう風にも考えられるということで。
 
夫婦説
高野明神は別名狩場明神と言われます。これは同神異名と考えているかも知れません。しかし、私は違うと思っています。それは、先ほど書いたように高野明神はもともと祖霊を祭った名前であると思われるからです。では、狩場明神は?私は狩場明神は空海の時代、丹生津姫神社の総神主であった丹生家信(丹治より養子で来た人)だと思っています。ある部分この人も死ねば祖霊ですから、高野明神に含まれるわけなのですが。高野明神と関連する事象が、丹生家信の命日と関係しているのは、その裏づけになるかも知れません。
さて、なぜ夫婦かという話に戻しましょう。
空海の時代、丹生氏には女の子しかいませんでした。照千代ちゃんです。彼女は25,6歳で家信と結婚するんですが、当時の25,6と言うと多分遅い結婚だったと思うんです。という事は父の丹生照元も神事の継承を照千代に伝授していたかも知れません。また、養子に入った家信も養子に入って2年で総神主になるのですが、どこまで伝授されていたかも疑問です。
伝説の中に空海への丹生明神からの神託なるものがあります。これは巫女からされるのですが、先ほどの背景から考えると、神事伝承された照千代ちゃんが巫女となり丹生明神の神託をした可能性があります(本当なら家信が神託を聞かないといけないのですが)。つまり、照千代ちゃんは丹生明神みたいに見られ、その旦那の家信くんは空海から狩場明神の名前をもらった訳です。でもって、丹生明神と狩場明神は夫婦と当時は見られたのかも知れませんね。
 
いやあー、忘れててすんませんでした。あははは・・・(^0^;)
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時29分

    なるほど、親子と言っても、「みんなのお母さん」が丹生明神、「お母さんの子供達が亡くなって神になった」が高野明神。
    という、非常に広義での親子ではないかってことでよろしかったでしょうか(←この表現、初めて聞いた時すっごい違和感感じたんですが、今は平気になったなぁ)。
     
    高野明神とは、非常に広い範囲を指す神・・・というより、まさしく「祖霊」なんですね。
    狩場明神は、丹治家信公を神格化した神である、と。
     
    ところで、今日、高野山の日野西眞定さんの講義を拝聴したんですが、その中で、「金剛峯山建立修業縁起」(『密教文化研究所紀要』第十一号・武内孝善)を引用されていました。
    そこには、「大和国宇知郡偶一人ノ〜」とあり、
    赤くて身長が八尺あり、青衣を着て、骨高くて筋が太く、弓矢を持ち、大小の黒犬を従える人物が和尚(空海?)を案内した。
    となっているんです。
    この空海を案内した人物は、狩場明神と重なりますが、大和国宇知郡の出?
    えええ?
    という感じでした。
     
    丹治家信が大和宇知の出だっていう話って、ありましたっけ?
    聞いたのに忘れてるのかしら(^^ゞ??
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月06日 11時30分

    >非常に広義での親子ではないかってことでよろしかったでしょうか
    そーでーーす。だから何の神様でもいいのです。祈る人が農家なら農業の神様ですし、鉱山師なら鉱山の神様です。自分達を守ってくれる母なる神と私は思っています。母は偉大なんです!
     
    >今日、高野山の日野西眞定さんの講義を拝聴
    おおーっ!なかなか拝聴できないのですが、そうですか。うらやましいー。高野山の重鎮ですね。偉い方です。今も維那(ゆいな)かな?高野山の最高位になるのではないでしょうか。高野山関連の本によく出てきますね。
     
    >「金剛峯山建立修業縁起」
    日野西先生はよく引用されるようですね。
     
    >そこには、「大和国宇知郡偶一人ノ〜」とあり、
    「南山の犬飼」と出てきませんでした?南山とは高野山。これより空海を案内したのは犬飼の神とし、高野山では狩場明神と同一神としています。確かに奈良県五条の犬飼という所で出会ったとされていますね。
     
    >この空海を案内した人物は、狩場明神と重なりますが、大和国宇知郡の出?
    南山の犬飼と名乗っていますので、紀ノ川より南に住んでいたと見るのがいいかと思っています。吉野もそうですが、紀ノ川(吉野川)より南は北とは文化が違い、紀伊半島という広大な範囲の文化となります。山人と言われる人々の文化です。
     
    >丹治家信が大和宇知の出だっていう話って、ありましたっけ?
    ありません。出身は大和国志摩庄、つまり今の奈良県明日香村島庄です。ここからどのルートで三谷まで行き来したかですが、丹生谷?などを出て紀ノ川沿いに大和宇知を通り、どこかで紀ノ川を渡ったんだと思います。出会いではなく私は大和宇知で待ち合わせしたのではと思っています。確か現国道24号線は空海当時も東西のメインストリートだったと思います。
    丹治氏系図には好犬山って出てくるようです。これは高野山なのかと思っているのですが。ちなみに高野山は昔々は姑射山とも言ったみたいですね。となると丹生家信の行動範囲は奈良明日香から吉野・高野山という事になります。
     
    日野西先生はどちらかと言うと、家信=狩場明神説派と認識してたのですが、違うのかな?どんなお話されてました?
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月06日 20時55分

    学術会員になられたんですね。ビックリ!
    あれって資格とかいらないの?
    で、のりちゃん様は皆さんの前で発表されたの?どんな発表されたの?
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月07日 08時00分

    なるほど。
    丹生津姫命は、言葉通り、「母なる神」。
    母という言葉は意味深いです。
     
    さて、日野西眞定さんの講義、山岳修験学会の学術大会における研究発表という形で拝聴したんですよ。
    なので、その時間は、20分ほど。
     
    テーマは高野山の葛城入峯ということで、狩場明神についての言及は、「大和と高野は関係が深い」という文脈で軽く触れられたにとどまってました。
    ただ、引用された文章を見て、一人で興奮してたというワケで(^^ゞ
     
    で、確かに、「南山の犬飼」と出てきます。
    明日香村島庄という具体的な地名までわかっているんでしたっけ。
    そういえば、明日香というのは、以前教わりましたね。
    そうか・・・待ち合わせしただけか(^^ゞ
     
    ところで、好犬山とは面白い地名ですね。
     
    昨日、学術大会が開催されたのは、犬鳴山ですが、この犬は、可哀想な最期を遂げてます。
    ご存知でしょうが、飼い主を蛇害から守るために吠え、それがために飼い主に殺されたというものです。
     
    この犬と飼い主の話しは、日本各地に残るようですが、狩場明神は、犬を大事にされた・・だから、好犬山・・・とか(^^ゞ?
     
    で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ??
    えぇっと、学会によると思いますが、私が参加させていただいてる山岳修験学会は、特に資格については言われませんでした。
     
    私が発表したのは、「一言主神と葛城修験」というようなタイトルの、ごくごくうすっぺら〜〜〜〜〜〜いものです。
    正直、
    「折角参加するなら、なんかせんかったらもったいないやんか!」
    というだけのことで参加したので、本当に、やっつけ内容です。
    が、あまりのレベルの違いに、却って肩に力が入りようがなく、中身が薄いのに、態度はでかいという(笑)
     
    最期の懇親会で、いろいろな方とお話させていただいたのはすごく楽しかったです。
    勉強しよ〜〜〜っと。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月07日 20時38分

    >丹生津姫命は、言葉通り、「母なる神」。
    私の勝手なイメージですので、のりちゃん様はのりちゃん様の丹生津姫大神をイメージされて下さいね。
     
    >テーマは高野山の葛城入峯
    天野社の話出てきませんでした?高野山オフ会でお渡しした資料は日野西先生の公演の時のものですが、そんな話ではなかったです?
     
    >明日香村島庄という具体的な地名までわかっているんでしたっけ。
    推定です。丹治氏系図(太田亮氏著「姓氏家系大辞典」より)に家信の祖父家景の時、大和国志摩庄にゆえありて籠居す、とあります。現在の地図で調べてみると明日香村に島庄と言う地名が残っています。その前に何かの本で調べたんですが忘れました。ただ、その子家義が豊前に赴任したと言う話もあり、また丹治氏系図自体の信憑性も本当は考えないといけないのですが。
     
    >そうか・・・待ち合わせしただけか(^^ゞ
    いえいえ、私がそう思っているだけで・・・。
     
    >狩場明神は、犬を大事にされた・・だから、好犬山・・・とか(^^ゞ?
    おおっ、そのような発想はありませんでした。なるほど!
     
    >で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ??
    実は私もその場にいたんです・・・。うそです。何故分かったかはちょっと考えるとなーんだって分かりますよ。自分の胸に手をあてて考えて見ましょう!
     
    >私が発表したのは、・・・
    えーっ、どんな内容ですか?聞きたかったなあー。HPにアップされないんですか?質問とかされました?
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月08日 15時46分

    日野西先生の講演は、ほんと勿体無いくらい時間が短かったので、空海が葛城に足をはこんだとかそういう資料がほとんどでした。
     
    で、質問もしたかったのですが、講演が時間オーバーだったので、質問タイムはありませんでした(T_T)
     
    天野社も葛城との関係を明示するものあります?
    でも、資料は、かまどさんから頂いたものと、多少重なってました。
     
    >明日香村島庄
    一度訪ねてみますね。
    明日香は興味深い土地ですね、本当に。
     
    で、ふと思い出したんですが、
    林羅山の著作に、本朝神社考ってのがありますよね。
    これの、中之四『富士山』。
    これねぇ、一応、本を持ってますが、漢文そのままの上に、筆書きしたものをコピーしたような感じなんで、ちょっと意味を取りづらいんですが、たまたま、これを子供用に平易な文章にしたものを図書館で見つけたので、それに従うと、竹取の翁媼の住まいは大綱村となっています。そして、翁は鷹を媼は犬を飼っていた、と。
    で、かぐや姫が去った後、富士山を浅間の大神と号し、翁は愛鷹明神・媼は飼犬明神と祭られた、なんて話しになってるんですね。
     
    犬飼という言葉がここでも出てきたので、興味を惹かれました。
    鷹も犬も狩猟の友ですよね。
    狩場明神と直接の関係はないと思いますが、面白いな、と思います。
     
    で、発表の内容ですが・・・。
    ほんと浅いというか、常識的に、日本書紀・古事記・日本霊異記、続日本紀の中から、一言主神・役優婆塞についての記述を抜き出して、なぜ、一言主神が、「一言」にこだわるのか。なぜ、一言主神は、他ならぬ子孫である役優婆塞によって縛られたのか・・・という話しなんですが、結論はとってもトンデモなので、次にお会いした時に、笑われないように、睨みを利かせながらお話させていただきますわ・・・。
    文章だけでは、迫力だされへんもん(笑)
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月08日 23時06分

    >日野西先生の講演は、
    日野西先生は五来重氏のお弟子さんになるんだったかな?高野山のお坊様でありますので、各寺院の空海の書物や天野などの地元を徹底的にフィールドワークされた方であります。そのため、この方のお話や書物は他の方の者と比べると格段の差を感じます。論文を全部集めたいぐらいです。
     
    >天野社も葛城との関係を明示するものあります?
    先日のオフ会で、寒さのあまり実は行き忘れてた所があります。それは葛城修験の碑伝(ひで)?です。高野山オフ会の時お渡ししたのがその資料です。丹生都姫神社で購入の冊子にも記述があります。高野山No.2のお坊さんが参加するほどの、2ヶ月におよぶ廻峰行です。天野社を出発し、かつらぎ山脈の西の加太?から東へ東へ二上山あたりまで歩きます。丹生都姫が葛城修験の親神様と言われる由縁であります。
     
    >>明日香村島庄
    >一度訪ねてみますね。
    確か石舞台があったと思います。天野まで歩いたとき気づかれました?天野近辺も石文化なんです。何か共通点がないかと思っています。私もいづれ行こうと思っています。そうそう、確か空海が天皇から高野への行く途中の宿舎として賜った弘福寺(川原寺)がその近くの方にあったと思いますよ。
     
    >一言主神・役優婆塞についての記述を抜き出して
    なかなか真っ向勝負ですね。私なら突っ込まれるのがいやなので、人が調べないようなところを発表しちゃいます。でもって、うまく新発見なんかあればラッキーなんて、そうはうまくはいかないですよね。
     
    >犬飼という言葉がここでも出てきたので、興味を惹かれました。
    犬飼ってつけやすいですよね。多分ここほれワンワンの飼い主も犬飼と言っていいですよね。狩してる人はみんな犬飼でしょうし。坂上氏も名前が犬飼だからといわず、犬を飼っていたから犬飼と言ったほうが説得力があると思うのですが・・・。丹生氏も犬にまつわる神事や伝承が多いですよ。紀氏は酒殿神社で白犬を供えますし、丹生氏は天皇に犬を献上してますし、狩人ですしね。丹生家信なんかは犬山師であったとかかれていますから。
     
    >で・・・、なんで、学会員になったってわかったですか(^^ゞ??
    なんでか分かりましたか?
    ヒント
    私は「映画マスク」に出てくる犬に似てると思います。
    もうー、答えいっちゃったかな。これで分からなければ、のりちゃん様は以外と鈍感ですよ。がんばって考えて見てくださいね。ふふふ・・・
  • 余談 投稿者:かまど 投稿日:11月08日 23時21分

    さきほど、東京大学史料編纂所のデータ検索で「竃門」で遊んで検索してたら、うちの家系図がありました。ご興味ありましたらご覧下さい。
     
    http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/tosho/tosho.html
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月09日 13時19分

    そんじゃ、学会報に、日野西先生の論文が発表されたら、なんらかの形で、お渡ししますね。
    どういう順番で論文が発表されるかは知らないんで、もしかしたら、発表されることがない可能性もあるのかもしれませんが・・・(^^ゞ
     
    >2ヶ月におよぶ廻峰行
    やはりかつらぎ山脈と関係が深いんですね。
    葛城二十八宿でも、加太が一番・・・だっけ、かなんかなようですし。
    二上山が最終地点というのも興味深いです。
     
    石舞台のあたりは、わりとよく通ります。
    あのあたりが島庄なんですね。
     
    >真っ向勝負
    いや〜〜〜、なんというか、誰にでも分かるように、自分の考えをまとめた方がいいのか、と勘違いしてまして(^^ゞ
    実際他の人の発表聞いて、
    「ひぃ〜〜〜えぇえええええ」
    って感じでした(笑)
    まぁ、そもそもは、「とりあえず、顔を覚えてもらお」くらいのつもりだったんで、そういう意味では、まずまずの成功と言ってもいいかも(~_~)
     
    人が調べないことを調べるのは意義のあることだと思うんですが、人気のある分野で発表すると、いろいろ教えていただけるので、勉強になりますよ。
     
    私は、菊水紋について少し言及したんですが、
    「菊水紋の分布をご存知ですか?」
    と質問をいただきました。
    その方は、ご自身の家紋が菊水紋ということで、分布を調べられたそうです。
    千葉あたりまで分布しているとか。
     
    惜しいのは、懇親会で詳しくお話を伺おうと思ってたら、その方は懇親会に出席されなかったんですよ〜〜。
    あ〜〜〜〜〜、こんなことなら、休み時間に名刺交換だけでもしとくんだった!!あああああああ!!!
     
    >犬飼
    探してみたら、「犬飼」という名称はどれくらいメジャーなんでしょうね。
    >紀氏は酒殿神社で白犬を供えますし
    これは、生贄なんですか?
    狩場明神が連れていたという犬とは関係ないんでしょうか?
    もし、関係あるとしたら、狩場明神のお供である犬を殺しちゃうというのは不思議ですから、狩場明神とは関係ないんでしょうね?
    犬を供えるっていうのもあるんだ・・・。
    天野には「犬」が深く関係してそうですね。
     
    >家系図
    こんなサイトもあるんですね。
    へぇえええええ。
     
    うまいこと、かまどさんの家系図には行き当たりませんでしたが(検索の仕方が下手なのだろうか(T_T))、うちの母方の実家も珍名なんですよね〜。
    googleで検索しても、3つくらいしかヒットしない。
    ここで調べられないだろうか・・・。
     
    で、発表のこと、どこで分かったか、分かりました。
    はっはっは(^^ゞ
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月09日 20時02分

    >そんじゃ、学会報に、日野西先生の論文が発表されたら、
    是非是非宜しくお願いいたします。
     
    >「菊水紋の分布をご存知ですか?」
    うーん、菊水丸なら・・・。
     
    >探してみたら、「犬飼」という名称はどれくらいメジャーなんでしょうね。
    以外と地名なんかにあるのでは?大分にも丹川、丹生神社などある近くに犬飼という土地があります。
     
    >で、発表のこと、どこで分かったか、分かりました。
    さすが、のりちゃん様。ではお体お大事に!
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月10日 13時42分

    菊水紋は、楠木正成公の家紋ということで有名なんです。
     
    http://www.matie.jp/kiku04.html
     
    こんなの、見たことありませんか?
    この家紋は、葛城では古くからよく使われてた家紋なんだそうなんです。
     
    んでまぁ、役行者と楠木正成公との関係を示す一つの証拠として、提示したんですね(^^ゞ
     
    >丹生の側に犬飼
    かまどさんから、犬と鉱山師の関係を教えていただきましたよね。
     
    丹生と鉱山の関係は、強そうですし・・・。
    鉱山と犬の関係に絞っても面白そうですね。
     
    一眠りして、汗をかいたら、すっきり治りました。
    いやぁ、若いなぁ(・・・すいません)。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:11月12日 21時46分

    >こんなの、見たことありませんか?
    ごめんなさい。ありませーん。
    菊水紋ってほんとに、菊と水の紋なんですね。なんかきれいな紋ですね。結構好きになりそうなご紋でございます。
     
    >>明日香村島庄
    石舞台があり、丹治=石文化のイメージと繋がってしまうのですが、丹治氏の始祖とされる宣化天皇の子供に石媛っているんですね。だからといって何もないのですが石繋がりで書き込んでみました。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 08時21分

    菊と水の意匠は結構あるようですが、どれも綺麗ですよね(#^.^#)
    是非、好きになってください。
     
    丹治と石の関係。
    そういや、「石」と名に入る姫は結構いらっしゃるかもしれませんね。
    仁徳天皇の奥さんにも石姫っていらっしゃいますし。
    こちらは、葛城の出だとなっていますが・・・。
     
    葛城も、石の文化を感じます。

 

宣伝です 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 07時21分

毅岳さんのお店、「はしぐち うどん」が、大阪ほんわかテレビで紹介されるようです。
 
放送日などは不明ですが、話しを聞くに、多分、
「ほんわか国勢調査 (ほんこん調べ)」
のコーナーかと。
 
法螺貝吹いたり、腕毛見せたりしたそうなんで・・・多分カットされることはないかと思います(爆)
 
「ほんわか国勢調査 水間(貝塚?)」の日がいつかはわかりませんが、チェックしといてくださいね〜!
  • おめでとうございます! 投稿者:かまど 投稿日:11月11日 20時55分

    >大阪ほんわかテレビ
    関西テレビ?関西だけ?
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 09時09分

    多分、関西ローカルだと思います。
    よみうりテレビの番組で、関西では、結構な人気番組です。
    ビデオ録画しときますね!

 

新スレ ハッピーアネゴーン 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月02日 13時00分

海老様
あ・・・気多・・・(^^ゞ
素でボケてしまった(笑)
 
鉢を飛ばしたって話しは、どういう意味があるんでしょうねぇ?
上記澁澤龍彦によれば、マルコ・ポーロも、飛ぶ鉢について書いてるそうなんですよ。
クビライ・ハンの食卓では、杯が空を飛んで、クビライハンの前まで飛んでいくんだとかなんとか。
 
でも、クビライ・ハンよりも泰澄の方が古いし・・・。
 
>喫茶おほげつ
中央から、「う゛ぇええええ」って声が聞こえてくる喫茶店はいややなぁ(^^ゞ
  • 鉢飛ばし 投稿者:江良 投稿日:11月02日 20時18分

    当時の文学の約束言葉じゃないでしょうか?鉢を飛ばす
    =最高の術者みたいなもんで(電波すかね?)
    泰澄・浄蔵・命蓮は伝説が山ほどありますしね。寂照は
    知りません(スイマセン)
    浄蔵は天神になった道真公も嫌がるほどの術者ですし,
    (安部清明で有名な「戻り橋」の話は浄蔵の話の方が古
    いような記憶があります)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月03日 16時33分

    あれ、浄蔵でしたっけ?
    道真公の霊が時平のお祓いに行くなと懇願した人物ですよね?
    で、2度までは断るけど、3度まで依頼されたら断れないとかなんとか。
     
    大鏡でしたっけ?原典は。
     
    寂照は、今昔にも出てきたと思うんですが、あんまり有名ではないですよね。
     
    で、戻り橋は、晴明の式神が棲んでいたという話しよりも、茨木童子の話しがまず思い浮かびます。
    「魔物」にご縁の深い場所のようで。
     
    浄蔵の話しってどんなんですか?
  • 間違いでした 投稿者:江良 投稿日:11月04日 23時01分

    のりちゃん様&海老珍様 失礼しました。
    純粋に「飛鉢法」という呪法でした。けっこう記録が残
    っています。名前があがった僧は「飛鉢法」をマスター
    した術者という意味のようです。ただし,レベルの高い
    術のようです。
     
    浄蔵は明日書きます。失礼します。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月05日 04時29分

    飛鉢法という呪法があるんですね!
    う〜〜〜ん・・・恰好よくはないネーミングですが・・・(^^ゞ
     
    でも、やっぱり結構記録が残ってるんですね。
     
    それって、なんの術なんでしょう?
    仏教?修験?神道?それともカピタンの術とか???
     
    誰が始めたんでしょう?
    なんのために?
     
    いろいろ疑問が涌きますね。
     
    浄蔵について、待っておりますm(__)m
  • 北野天神縁起でした 投稿者:江良 投稿日:11月05日 15時02分

    飛鉢法は仏教の技のようです。護法神を媒介に行う術と
    解釈されています。「発心集」の中で浄蔵が飛鉢法で他
    の坊主が使う飛鉢法に負けた後に,もてなしてもらう話
    があります。今昔物語にも,同じ話があり名前は,出て
    きませんが,やはり浄蔵が負ける話のようです。
     
    北野天神縁起。藤原時平が病で苦しんで,天竺の薬・陰
    陽師の祈祷も駄目で,文章博士の三善清行は,自分の息
    子の浄蔵に加持祈祷させました。三善清行が時平の所に
    見舞いに行くと,時平の両耳から蛇(青竜説もあり)が
    出てきて,道真公が仏から復讐の許可をもらっているの
    で浄蔵の祈祷を止めるように清行を説得。息子の浄蔵を
    時平の屋敷から連れ出して数時間後に時平は亡くなった
    そうです。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時23分

    発心集は、まだ読んでないです!
    浄蔵が負けちゃうんですね。
    浄蔵って、すごい法力を持ったそうなんでしょうが、何かこう、「スーパーヒーロー」としては描かれていないような気がしません?
     
    で、北野天神縁起は、私は読んでないので、多分、浄蔵と菅公の話しは結構あちこちに引用されてるんだと思いますが、藤原時平の類縁が、菅公に絡んで死ぬ話しは、どこか、茶化した感じがありません?
     
    確か、聞き間違いで死んでしまった人がいましたよね?
     
    孫の保忠が病気にかかった時、祈祷僧が「宮毘羅大将」と読んだのを、「おまえを縊る」という意味に受け取って、気絶しちゃった・・・なんて話しが、大鏡に載ってます。
    どうも・・・、ちょっと・・・、同情というよりは、ちょっと含み笑いを感じます(^^ゞ
  • かわいそうな浄蔵 投稿者:江良 投稿日:11月06日 11時56分

    浄蔵は,凄腕の呪術師とされながら,スター扱いされま
    せんね。上手く決めるのは戻橋の話位ですね。
    理由は,父親譲りの性格が原因?父の三善清行は優秀な
    人物ですが,生前の道真に出した手紙は,嫌味と嫉妬混
    じりの手紙で,性格悪い人と思った事があります。
    浄蔵も腕は良いけど慢心の術者と書かれる事が多いです
     
    >管公に絡んで死ぬ話しは...
    やはり道真に同情的だったのでしょうね。藤原氏は嫌わ
    れていたのでしょうね。摂関家は特に評判悪い!
    関西では,流行神が出てくるときに道真公が絡む話があ
    りましたよね。道真=庶民の味方という図式が早くから
    できていたのでしょうね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月07日 07時57分

    あ、そういう話があるんですね。
     
    三善清行って、化け物屋敷で化け物を退治した話しがありますよね?
    沙石集だったかな?
    最近読みました。
    図書館で借りた本なので、今手元にないんですけどね・・・。
    沙石集は面白いものが多かったので、岩波から是非復刊して欲しいもんです。
     
    三善清行は度胸もあったし学もあったが、性格悪かったと(笑)
     
    どんな内容ですか?
     
    浄蔵については、慢心と書かれていることが多いんですか。
    でも、考えてみたら、菅公は父の清行に嫉妬まじりの手紙をもらっても、息子の浄蔵に、祈祷をしないように頼みに行ったわけで。
     
    そう考えると、浄蔵がものすごく優秀だった、ということになりますね。
     
    >藤原家
    私が一番初めに、時平に触れたのは、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」でした。
    これは、女房を奪われた老いたるの基経と、その息子・滋幹の、美しき母に対する思慕を描いた作品で、私が最も好きな小説のひとつです。
    ただ、谷崎の時代、まだ、この「滋幹の母=平中にクソ喰らわせた侍従の君(今では定説のようです)」とはされていなかったのか、滋幹の母はただただはかなげに美しく描かれていて、時平は、どちらかというと、「老醜の大臣から美しい妻を逃した色男」というように描かれていました。
    大鏡からも、時平が笑い上戸で、しばしば笑いが止らなくなったという話しを引いてました。
     
    そんなわけで、藤原時平に対しては、それほど悪い印象を持てずにおります。
     
    >流行神
    関西においての流行神って例えばどの神ですか?
    道真公は確かに、いろんな伝承に残ってそうです。
     
    なんか、質問ばっかですいませんm(__)m
  •  投稿者:江良 投稿日:11月07日 20時17分

    三善清行は本当に優れた人物ですが,道真への手紙は,
    長年の付き合いから助言しますが,学者は出世しない方
    がいいとか長々と書いていた記憶があります。道真は
    地方の行政にも詳しくて,純粋な学者とは,いえないの
    に嫌味な手紙だなぁと思いましたよ。人によっては,親
    切な手紙と言うかもしれませんけど...
     
    浄蔵も優秀な人物でしょう。頭脳明晰で術者としても,
    大家ですからね。「発心集」でも,自分以上に「飛鉢法
    」を出来る人物はいないと思い込んでいます。(結局は
    負けるんですけどね)
     
    藤原時平 自分もお世話になっている「延喜式」をまと
    めたのが時平ですね。政策には明るいけど,融通が利か
    ない人物と云われています。荘園制度の改革も彼の手柄
    ですが,これは道真公の功績というのが本当というのが
    真相のようです。
     
    流行神 うーん資料が出てこない。いつの時代か覚えて
    いないのですが,関西に大量の神輿が発生して,その神
    輿に書かれている神様が意味不明だったんです。その中
    に「北野天神」の神輿もあって,政治家とかが驚いた話
    です。結局,大量の神輿は滋賀か京都の何所かに廃棄さ
    れていたそうです。
    まぁ北野天満宮の由緒も「流行り神」に似ていますね。
    最初は,多治比文子(巫女)に道真公が北野に祀れとい
    う託宣が始まりですからね。彼女は,北野に祀れなくて
    自宅に祀っていて,評判を聞いた人達が道真を北野に祀
    られるのが北野天満宮の始まりですからね(多治比文子
    は途中で外されたようです)。
     
    あかがね様 二荒山に登山は中止です。というか,十月
    二十五日から登山できないんですね。かわりに二荒山の
    周辺の神社に詣でることになりました。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月07日 22時29分

    江良さま
    しらんうちにスレが変わってた。合併でバタバタしてる間に・・・。
    どうもはじめまして。
    北畠はHNですので、ちっとも源氏の血は流れておりません(笑)。
    伊勢はいまお木曳きに向けて驀進中です。
    うちのまちでも、木やり隊が編成され、毎週練習してます。
    これも奉曳車の維持が難しく(神宮も市もお金出さないらしいですが。市は当然でしょうけど。)て。1回ひくだけで心棒が3本ほどいかれるそうで。
    なかなか大変だって話を聞きます。
  • 北畠様 投稿者:江良 投稿日:11月08日 00時30分

    あらためて,はじめまして。かっこいいHNですね。てっ
    きり本物の後裔の方かと...
    伊勢は,神宮式年遷宮の準備ですよね。神宮が銭を出さ
    ないのは驚きです。(まぁ市は仕方がないですね)
    でも,みんなで支えるのが伊勢の心意気ですね。東京・
    神奈川では,あまりない光景です。(神田明神は別)
     
    来年は絶対に伊勢に行くので,色々教えて下さい。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月08日 15時48分

    なるほど、学者は出世しないほうが・・・微妙だ(~_~)
     
    それ、菅公が出世する前でも微妙だけど、出世した後のことなら、微妙じゃなくて明らかな嫌味ですね(笑)
     
    >結局は負ける
    たははははっ!!
    つまり、人気のない人物だったということでしょうか。
    昔のドラマなんかでも、大概、主役のライバルは美形で頭脳明晰、でも最期には失敗しますもんね(笑)
     
    >時平
    大鏡では、会議の時、時平がしきっちゃって、菅公の口を挟ませないので、ある日、菅公が一計を案じ、部下におならをさせるんですよ。
    そしたら、時平が笑い転げてしまって、しゃべれなくなってしまった、と。
    それで、菅公は自分の思うように会議を進めることができた・・・なんて話しが載ってます。
    そういうことを聞くと、そうそうやな人物でもないですよね。
     
    あと、彼は、多分当代きっての色男ですよね。
     
    平中と競ってた・・・といいつつ、平中より頭一つ分くらい抜きん出てたような印象があります。
     
    「流行り神」
    つまり、その時代に流行った神様ということでしょうか。
    そういう意味ならば、菅公自身が流行り神ですよね(~_~)
     
    しかし、ここに多治比氏の名が出てくるとは・・・。
     
    二荒山って、山開きの時期が決まってるんですか。
    夏だけなのかぁ。登山するなら前もって調べないとダメですね。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月08日 15時48分

    そういや、伊勢は遷座に向けていろいろな行事があるんですよね。
    伊勢って・・・一泊するには近く、日帰りするには遠い場所なんですよね。
    でも、行事に合わせて参拝させていただこうかなぁ。
     
    合併は大変ですよね(^^ゞ
    私も、どこがどうなったか、追いつきませ〜〜ん(T_T)
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月09日 15時13分

    流行神は新興宗教みたいなものです。だから,日本最初
    の流行神は「秦河勝」に退治された大生部多が祀った
    常世虫が日本最初の流行神でしょう(記録が残る話)
    江戸末期の「ええじゃないか」も流行神ですね。この「
    ええじゃないか」に近い動きがあった時に「北野天神」
    も絡んでいました。
     
    浄蔵 自分は読んでいないのですが,浄蔵ネタ二つ。
    八坂寺(法観寺)の塔が傾いたのですが,浄蔵が祈り直
    しの祈祷をしたら,夜に風が吹きこの塔を揺り動かし,
    翌朝には,塔が真っ直ぐになっていた。
    もう一つは,平将門征伐です。浄蔵が明王に将門征伐を
    祈祷すると明王像から矢が飛び出し,次の日の将門が
    討たれたそうです。
     
    二荒山 事前に調べる方が良いですね。あんなに標高の
    高い山とは思いませんでした。二荒山神社奥宮が頂上に
    近い場所にあるそうです。勝道上人(秦河勝の息子説が
    ありますが,時代が合いません)が拓いた奥宮は,来年
    以降に参拝に行きたいです。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月10日 13時42分

    なるほど。
    そういや、以前、とある八幡神社に参拝したとき、宮司さんが、
    「八幡信仰も、最初は、流行の信仰宗教だった」
    というようなことをおっしゃってたのを思い出しました。
     
    信仰の流行が、一時的に盛り上がって廃れるか、今まで残るか、は、朝廷が絡むか絡まないか、の違いかもしれません。
     
    八幡神信仰や、天神信仰は、前者。
    常世神や、庚申待ち信仰などは、後者といえるかもしれませんね。
     
    浄蔵って、将門公征伐に関係してたんですか。
    知らなかったです。将門公征伐は、俵藤太一人の手柄となってると思ってました。
    へぇ〜。
     
    二荒神社、そうですね。やはり昔の人が奥宮を置いた場所に参ってみたいもんですね。
    私も機会があれば、是非。
  • ええじゃないか 投稿者:海老珍 投稿日:11月10日 15時07分

    なんだかお久です。
    「ええじゃないか」ってね、行く方はいいけど社会秩序が乱れるっていう意味ではええことないですよね。着の身着のままで行っちゃう「抜き参り」ってやつ。道中で施しを受けられる。断ったら災いがふりかかるかもです。
    ほんと江良様のおっしゃられるように大生部多の常世の虫の話もそうですね。財宝を投げ出すんですよね。
    ケチったらあかんってことですやろか。まるでウチが使うてる安モン化粧水みたいやんか、効果なしやわ。(笑)
     
    そういやぁ、流行神のように秩序の乱れには関係しないけれど「蘇民将来」もケチらんかったしなぁ。「弘法の水」これもそんな感じ?
    ただ流行るだけならええのだけれど、「ええじゃないか」みたいなやつにに「マレビト」的な対応が流行ると、それはええことないじゃないかいなる。やろね。
     
    ちなみにうちの顔に化粧水の効果がなくたって社会の秩序は乱れへんし〜(のりちゃん、どお?これ、ちゃんとオチてる?)
     
  •  投稿者:海老珍 投稿日:11月10日 15時11分

    わは、
    >ええことないじゃないかいなる。
    いなる、じゃなくて、になる。
    噛んでるしー。オチもあったもんじゃないよなー(爆)
    ちゅうか、オチつけないかんのかい!落ちつけ!あたし。
  • 流行り神 投稿者:江良 投稿日:11月10日 18時59分

    八幡も流行り神ですが,かなり用意周到な神社ですよ。
    聖武天皇が大仏を造る時に,聖武天皇の夢枕に立って,
    私(八幡神)も大仏建設に強力しようと云いました。
    九州の宇佐か香春に大神氏が乗り込んで,乗っ取りに近
    い形で支配権を確立しました。辛島氏と秦氏がやり込ま
    れたんですよ。鎌倉以降の八幡神は流行り神ですね。
    でも,権力者の介入が見え隠れしますね。
     
    海老珍様 おひさです。一般人から涌いてくる「流行神
    」は,傍若無人ですから怖いですよね。時代の曲がり角
    にくるとヘンテコリンな神様が出てきますね。
    ええじゃないか運動は,伊勢のお札がばら撒かれて発生
    したんでしたよね?犯人誰でしょう?
     
    化粧水では,ないのですが,今流行の「コラーゲン」愛
    用者って凄いじゃないですか。もし,コラーゲンが効果
    がないって話になったらプチ・セレブな女性達は暴動を
    起すんじゃないんでしょうか。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 07時15分

    新スレ 流行神 に移動します。

 

お尋ねします 投稿者:らいこ 投稿日:11月04日 14時42分

はじめまして。サイトの沢山の記事拝見させて頂きました。興味深く、大変勉強になりました。最近 民俗学などに興味を持ったのですが、儀式や生贄について詳しくかかれているサイトもしくは本をご存知でしたら教えて下さい。よろしくお願いします。
  • こんにちは 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月04日 15時42分

    ご質問ありがとうございます。
    儀式や生贄について。生贄というのは、人身御供に限らないのですね?
     
    すいません。私は基本的に、神社のご由緒以外の知識はほとんどありません。
    あとは、記紀や旧事本紀・古語拾遺など。
    それから、今昔や古本説話などの古典を読むくらいで、学者さんの本はほっとんど読んでないのです。
     
    ですから、私がいえるのは、生贄やその名残の儀式を残している神社ですが、
    このサイトに記載されている中では、
    奈良市の倭文神社・葛城市の海積神社・門撲神社などでしょうか。
    あと、愛知の兎足神社で、猪の生贄をやめて、雀十匹に変えたという話は、今昔に出てきます。
     
    多分、他の皆さんの方がずっと詳しいと思いますので・・・。
     
    ご存知の方、どうぞ教えてくださいm(__)m
  • ありがとうございます。 投稿者:らいこ 投稿日:11月04日 23時59分

    のりちゃんさま お返事ありがとうございます。
    奈良市の倭文神社・葛城市の海積神社・門撲神社を
    調べてみます。
    できれば人身御供がいいです。儀式の詳しいやり方とか・・・ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
    ひきつづき情報お待ちしております。
  • 掲示板のぞきましたら。。。 投稿者:ローズマリー 投稿日:11月05日 00時20分

    鳥越 憲三郎 (著)の「稲作儀礼と首狩り」雄山閣出版という本があります。アマゾンコムでも検索できます。
    民俗学的にきちんと書かれていると思います。
    御参考までに。
  • らいこ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月05日 04時32分

    こんにちは。
    海積神社に関しては、神社のご由緒というよりは、太田地区の案内板に、人身御供の名残について書いてありました。
     
    バス停のそばだったと思います。
     
    わりと、「郷土民話」などを読むと、どうやら人身御供の名残らしい民話に行き当たることがあります。
     
    でも、儀式のやり方などは、さすがに(民話なので)わからないですが・・・。
     
    どこにどんな伝承が残っているか、という意味では、各地の民話は結構お勧めかもしれません。
  • ローズマリー様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月05日 04時37分

    情報を、ありがとうございます。
    「稲作」と「首狩り」という言葉を取り合わせた本があるんですね。
    首狩りと言っても、日本の首狩りは、いわゆる私達が思い浮かべる「首狩り」とはちょっと違うのでしょうね。
    最近、古典ばかり読んでいるので、現代の研究本は全く読めていませんが、一度図書館で調べてみます。
     
    私も生贄には関心がありますので。
     
    情報、ありがとうございましたm(__)m
  • 稲作儀礼と首狩り 投稿者:ローズマリー 投稿日:11月05日 08時50分

    のりちゃんさま、
    この本では中国の稲作、高床式の文化を持つ「wa」という発音の種族に共通する習俗について論じています。首を大切に祭りそれが蛇神に変身して守護するというようなものです。
    日本にも名残が見られるということです。
     
    民話で言えば、昔テレビの「日本昔話」の番組で、岐阜の「中山さん」で人身御供にされそうな娘の身代わりに猟師が神社に出向くと、サルの神さまが現れた話がありました。今昔物語だったでしょうか。
    いつまでも印象的に覚えていました。
    この話も本に載っていました。
  • ローズマリーさま のりちゃんさま 投稿者:らいこ 投稿日:11月05日 16時20分

    ローズマリーさま のりちゃんさま
    お返事ありがとうございます。
    「稲作儀式と首狩り」「郷土民話」近所の図書館にあるようですので読んでみます。貴重なご意見ありがとうございます。
  • ローズマリー様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時24分

    全く勉強不足ながら、首が蛇神に・・・というのは、初めて知りました。
    首とまでは行かなくても、ハワイのビショップ美術館を訪れたら、歯を埋め込んだ食器などがたくさん展示されていました。
    館員さんのお話では、歯は魔除けになるとか。
    これも、同じ発想なのかもしれません。
     
    中山さんのお話。
    猿神退治は、日本中に流布しているかもしれません。
     
    猿神に生贄を出していたのを、英雄が犬を伴なって、猿神を退治する、という話しは、有名なのは、
    まず、今昔における「美作の国の神、漁師の謀に依りて生贄を止めた語」巻第二十六 第七に出てくる、中山神社の猿神退治だと思います。
    これは、岡山県の話しですが、
    犬に関する猿神退治として有名なのは、次に「しっぺい太郎」伝承があると思います。
    「しっぺい太郎」というのが近江に住む犬の名前で、猿はこの犬を恐れたとされています。
    私が覚えているのは、東北での話しですが、確か、愛知県にもしっぺい太郎伝承があったと聞いたと思うんですが・・・。
    すいません。ちょっとその原典を見つけることが出来ませんでした。
     
    個人的に、猿神退治に犬が関わってくることに興味を持っているのですが、
    「犬」が何を意味するか、ということになると、答えは多数出すぎて、絞れません(^^ゞ
  • らいこ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時27分

    また、何か発見がれば、是非教えてくださいね。
    お待ちしてます。
     
    忘れていましたが、大阪府寝屋川市木屋町では、「ヒトミ祭」という行事が残っているようです。
    http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/tomorogi.htm
    に記載していますが、
    「なま団子を人の形に作る」
    ということから、
    「ヒトミ」は「瞳」ではなく「人身」ではないかと思います。
  • のりちゃんさま 投稿者:らいこ 投稿日:11月09日 02時31分

    ヒトミ祭の記事読ませていただきました。
    かなり興味深い内容でした。調べてみます。
    とりあえず図書館で大塚英志さんの本や妖怪百鬼などの民話集のようなものを見つけて読んでみたのですが、やはり残虐な行為とされているためか細かく儀式について書かれてはいませんでした。こういう本には大抵「遠野物語」の事に触れてありますが、こういうものや昔話は少しファンタジーすぎるというか・・・。柳田さんより現実的な考え方をされている民俗学者さんをご存知ないですか?
  • らいこ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月09日 13時22分

    私は本当に、学術本を読まないので、どんな方がどんな考え方をされているかなど全くわからないのですが、儀式について細かく載っている本がご希望なんですね?
    あるのかなぁ・・・。
     
    一時期、人身御供に関することに興味を持って、知人達とも情報交換をしていましたが、儀式について詳しく載っている本の話題は出てこなかったと思います。
    あたりをつけた場所に行って、フィールドワークをした結果を情報交換してたという感じなので。
     
    ヒトミ祭についても、あたりをつけた場所の図書館で資料を探したら、やっぱり見つかった〜♪という感じでした。
     
    例えば、岡山県にある中山神社は、今昔にも載っている、人身御供が行われていたとされる神社です。
    ここでフィールドワークをしたという人が言うには、虚空蔵菩薩を祀ったお寺が、中山神社から4〜5`くらい離れてる場所の山の上にあり、それが、中山神社の奥の院であると。
    そこのご住職さんのお話はかなり興味深かったそうです。
     
    私も今年の夏、この神社に参拝しましたが、時間がなかったので、ほとんどお話が聞けなかったので残念でした。
  • のりちゃんさま 投稿者:らいこ 投稿日:11月10日 03時26分

    丁寧にアドバイスして頂いてありがとうございました。
    とりあえず近くの図書館や神社にあたってみます。
    失礼いたします。
  • らいこ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月10日 13時43分

    頑張ってくださいね。
    調査結果が出たら、また是非教えてくださいm(__)m

 

牛轉・塵輪鬼伝説の謎 投稿者:柳老子 投稿日:11月08日 07時49分

岡山県の牛窓伝説の謎に挑戦しております。
お暇なときに、ご訪問いただけたら幸いです。
前島、タラソセラピー是非ご訪問ください。
 
牛窓・前島散策
牛轉・塵輪鬼伝説の謎
 
http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp/new_page_40.htm
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月08日 15時53分

    いろいろな資料を調べておられますね。
    今ちょっとバタバタしているので、ちゃんと読めてはいないのですが。
     
    で、本朝神社考ですが、私が思っているのと同じものならば、現代思潮社から出版されてます。
     
    ただし、現代語訳はついてませんので、読解にはかなり苦労しそうですが(^^ゞ

 

東北の神社を 投稿者:kamome 投稿日:11月06日 12時42分

東北は神秘なところが多いのですが、東北各地の神社情報が少なく、種々情報提供をしてくださいませんでしょうか。
  • kamome様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月07日 07時58分

    こんにちは。
    東北は、出羽三山もあり、神秘的な場所だと思います。
     
    が、大阪在住の私にはなかなか訪問できない場所でもあります(T_T)
    私は基本的に、自分が参拝した神社を紹介する・・・というスタンスなので、サイトにて更新できるのはいつになるかわからないのですが・・・。
     
    具体的な神社の名前がわかれば、資料をあさるくらいならできるかもしれません。
     
    どういった情報をお探しですか?

 

賭け嫌い稲荷  投稿者:天々宇知栗 投稿日:11月06日 09時10分

 のりちゃん お久・・・(^^ゞ
丹生都比売神社への伝説オフ 盛会だったようで
オメデトウございます
 鉱山師・空海の鉱山探しの霊場巡礼や 丹生と丹(水 銀!) ・・・の関係はともかく
 相撲と稲荷社・・・の関係は? 奉納相撲の意味  は?(四方・六方を清浄する 祭祀の露払いの意味  が有るんでしょうか)
先日 篠山の稲荷ではなく寺で! 米俵を持つ狐の石像を見つけました。 寺に五穀豊穣を祈る・・!なにかが有るのも珍しいのかも?
 負け嫌い稲荷社の 近くだったので 此の稲荷伝説 を一箇所に纏めてみました。機会があれば全ての稲 荷社(京都府側へも)を・・・    
http://kirinosato.fc2web.com/DENSETUsasayama-.htm
  • 天々様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月06日 10時33分

    URL、正しくは、
    http://kirinosato.fc2web.com/DENSETUsasayama-2.htm
    ですね。
     
    諏訪神社と飛の山三四郎稲荷の伝説はおもしろかったです。
     
    八坂刀売命が蛇だったということでしょうか?
    この女神は、関西ではあまり見かけません。
     
    7巻半・・・。
    俵藤太が退治したムカデが、三上山を七巻半としたという伝承を彷彿させますね。
     
    でも、八坂刀売命は守り神なんですね。
     
    丹波の伝説は、登場人物の名前も面白いです。

 

新スレ オオゲツ・ニュウ・ヤマ 2 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月02日 13時01分

あかがね様
登山靴じゃなくても大丈夫でしょうか?
アイゼンは、下手につけると、ただ歩き難いだけですしね(^^ゞ
 
経験的に、下着の替えはあった方がいいですよね。
タオルに穴を開けてかぶっておけば、汗をかいたら引き抜けばいいですし、その後、山でゆっくりできると思います。
夏に弥山に登ったんですが、汗で体が冷えて、さぶくてさぶくて。
折角、天河神社の奥宮でゆっくり参拝しようと思ったのに、30分ほどでさっさと下山することになりました〜
(T_T)
もったいな〜い。
 
二荒山は、憧れますが、上下5時間。
登り3時間くらいでしょうか。
結構な登りですね。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月02日 13時01分

    >陰謀体質
    わはははははっ!!
    ただ、私が思う、一番の陰謀体質氏は、藤原氏だと思う。
     
    特に平安時代以降、讒訴の影に藤原氏あり!
     
    と思いませんか?
     
    二荒山の感想聞かせてくださいね(~_~)
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月02日 20時03分

    渡会氏の陰謀体質は平和なモノで,対荒木田氏のためだ
    けに発動される陰謀体質です。
    藤原氏...六韜をガキの時から読む家系ですからね。藤原
    氏の陰謀体質はあいさつみたいな感じでしょうね。
    まれに良い人が出たみたいですが...
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月03日 16時33分

    荒木田氏・・・。
    すいません、知りませんでした。
    渡会氏と何かで張り合ってるんですね?
    つまり、蘇我氏と物部氏みたいな(笑)??
    ただし、私は、蘇我氏と物部氏が反目してたという日本書紀の記述をかなり疑ってるんですけどね。
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:11月03日 23時39分

    荒木田氏は伊勢内宮の実質支配権を持っていましたから
    ,金持ちの渡会氏は,常に外宮(渡会氏)の方が内宮よ
    り上と色んな工作を行いました。
    でも,大中臣氏が荘園を新たに作ろうとすると,荒木田
    と渡会は共同で妨害したそうです。
     
    蘇我氏と物部氏は疑うべき話ですよね。日本初の宗教戦
    争という考えには反対です。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月04日 11時49分

    なるほど。
    外宮が、内宮より上という話しは、どこかで聞いたような記憶がありますが、度会氏から出た話である可能性が高そうですね。
    現在は、外宮の側にはなんにもないんですよ。
    「ちょっと昼ごはんでも食べっかな〜」とぶらぶらしたんですが・・・まぁ、ないことはないんですが、選択の余地がない(^^ゞ
    その点、内宮は、おかげ横丁がありますし、人が集まって来易いですよね。
     
    私の小学校時代の修学旅行は、お伊勢参りでしたが、確か、外宮には参拝しませんでした・・・(T_T)
     
    蘇我氏と物部氏。
    本当に反目していたのなら、少なくとも、旧事本紀にそれららしい記述があっても良いように思うんですよ。
    それに、日本書紀に出てくる、いがみ合いの始まりも、なんか・・・うっそ〜〜ん・・・て感じで。
    日本書紀編纂者にとって、この二つの氏の仲が良かったら都合が悪い事情があったんじゃないか、と、そう疑っちゃうんですよね〜(笑)
  • しつこく山ネタ。 投稿者:あかがね 投稿日:11月05日 01時22分

    …失礼します。
     
    >のりちゃん様
    登山靴なくても山に登ることは出来ます。
    以前百名山中最僻(失礼)との呼び声高い奥会津の平ヶ岳の登山口で靴を忘れてきたことに気づき、今更取りにも戻れず断念も出来ず、スニーカーで登ったことがあります。
    その時の感想ですが、
    ・登りは足が軽く非常に快適
    ・下りはショックを靴が吸収せずダイレクトに腰・膝に来る(下山後しばらくしてぎっくり腰になりました)
    ・ぬかるみ、岩などでグリップが利かないので非常に足元不安定
     
    といった具合で功罪あるなといった感じでした。
    通の中にはどこでも運動靴ってのもいるようです。
     
    替えの下着は絶対に必要とまでは言えないのですが、悪天とか病気とかで下着が乾きづらく(登山用品店で売ってるような速乾性のものであれば歩行中でも結構乾きます。山用語で着干し)なってきたときには非常に有効ですね。
    着替えるだけで随分リフレッシュできます。
    山頂とか高いところで長めの休憩を取るときなどもいいのですが、現実問題着替えにくいのでたえず薄くて軽いものを何でも良いから携行しておくのがお勧めです。(最悪雨具でも良いくらいです。)
     
    お伊勢さんについては吉野裕子さんの本で読んだくらいですね。
    殆ど忘れましたが、祭祀に関しては相当起源が新しそう。との推察が印象的でしたが。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月05日 04時47分

    私は、山はくだりが嫌いですっ!!!
    登りは、ひぃひぃ言っても、とにかく前向きに進めば良いだけで、割と煩悩を忘れることが出来ますが、下りは景色楽しむ余裕もありません。
    周り見回そうもんなら、すべってころんで、うぇ〜んになるので、足元しか見ません。
    ということで、私みたいな人間には、登山靴が有効なんでしょうね。
     
    もしくは両方持っていって、登りと下りで履き分けるとか(笑)重いかしら???
     
    速乾性の下着。
    実は、母親のを借りて行ったことがあるんですが、やはり乾ききりませんでした。
    私が汗かきだからでしょうか(T_T)
    確かに、着替えの場所を確保するのは難しいですね。
    トイレがあれば良いですが、ない場所も多いでしょうし。
    そういえば、弥山の頂上にはトイレはありませんでした。
    でも、私はちゃんと用を足しましたが・・・(@_@)
     
    >祭祀に関しては相当起源が新しそう
    関西は、割と、「塗り替えられ」てる感じがしません?
    もともとは古い儀式や伝承があったけれど、それが割りと徹底的に塗り替えられてる感じ。
    お伊勢さんは、思いっきり朝廷の手が入ってるでしょうから、元の儀式がどれだけ古くても、今ある儀式は新しい・・・ってことかもしれないですね。
     
    そういう意味で、お伊勢さんって、「作られてる」感じがしちゃうのかも。
     
    実際参拝すると、清々しい場所だと感じるんですけどね(#^.^#)

 

新スレ オオゲツ・ニュウ・ヤマ 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時19分

>江良様
横からすいません。
江良さんの、海老さんへのイメージってどんなん(笑)?
オオゲツヒメのイメージって、豊満な女性だったので、
「へぇ?」
と思ったんだけども。
 
オオゲツさんのイメージなのならば、これから海老さんが出してくれるご飯には気をつけよっと(笑)
 
坂上氏について、社史に・・・ありました。
なに読んでたんだろ〜(T_T)
 
そうですか。田村麿公も注目しないといけないですね、本当に。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時25分

    かわいいっ!!オオゲツさん、かわええわぁ。
     
    ところで、子供の頃に読んだ物語に「魚女房」というのがありました。
    「おばけ文庫」というキャッチーなタイトルのシリーズものの中に掲載されていたのですが、内容は、各地で採取した妖怪民話を紹介したまじめなもの。
    現在の私の郷土民話好きに大きく影響しているシリーズです。
    大阪府立中央図書館に行けばまだ閲覧できるはず。
     
    で、魚女房とは、どんな話かというと、(子供の頃の記憶なんで、ディテールが違うかもしれませんが)
     
    ある日、男は魚を助ける。
    その夜男の所に、綺麗な嫁さんが来た。
    この嫁の作る味噌汁が絶品であったので、男はその作り方を聞いたが、嫁は笑って教えない。
    男は、ある日、出かけるふりをして、屋根裏に隠れて、嫁が味噌汁を作るところを見た。
    すると・・・嫁は、味噌をお尻でかき混ぜ初めて、それを出汁に入れたのである!!!
    男は嫁を離縁しましたとさ。
     
    というのがあります。
     
    これ、嫁はお尻で味噌を混ぜたと書いてますけど、実際はその味噌とは、・・・から出したアレなはず!!
    (私というやつぁうんこネタが、海老さんが乳(首)ネタを愛すると同レベルに好きやねん)
     
    丹後国風土記。
    これ、羽衣天女の別バージョンですな。
     
    オオゲツヒメの話は、天神から見た地祇の話ですわね。
     
    奈具の社については、地球人から見た天女。
     
    魚女房は、人間から見た魚。
     
    つまり、どれも「異世界の住人」。
    そして、見るなのタブー。
     
    こりゃぁ、案外、イザナミ命もイザナギ命にホトで湧いたウジ(雷か?)くらい食べさせてたかも(笑)
     
    そう考えると、イザナギが橘の小門の阿波岐原で生んだとされる神々も、実際はイザナミ命のエキス入りってことになりますやんか。
    ・・・この発想、いただき〜!!!
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時27分

    はい。神社史を見直して、あ、坂上氏が勢力伸ばしたって書いてある・・・とやっと気付きました(T_T)
    うっかり者ですね(^^ゞ
     
    寺社との結びつきがステイタスだというのは、ある種、「氏を確固とさせる」ということもあったんでしょうか。
     
    豊臣秀吉が自らを藤原氏としたように。
    徳川家康が源氏を名乗ったように。
     
    >噛み噛みブェ〜
    唾液も醗酵してりゃ、もう唾液じゃないんでしょうが・・・。
     
    いつだったか、旦那に、
    「ススコリ(応神天皇のために酒を醸した人物)って男性かな?女性かな?」
    と聞いたら、
    「女!」
    と即答されました。
    「でも、ススコリっていう名前は男性っぽ・・・」
    と反論しかけたのですが、かぶせるように、
    「お・ん・な!」
    と厳しい声で遮られたのでございます。
     
    普段は温厚な主人でございますが、この時は妙に目が座っていて、大層恐ろしゅうございました・・・。
  • ちなみに 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時42分

    今、「魚女房」で、GOOGLE検索したところ、どれもこれも、女房は裸になってお湯をくぐった・・・つまり、自らが出汁ネタとなったと書いてあって、尻で味噌を混ぜたという話は見つかりませんでした。
     
    でも、そんな献身的なだし汁を男は飲まず、女房を離縁してしまうわけで、やっぱちょっとおかしい。
     
    それにこの話に関しては、
    「とっても印象深かった」
    ため、記憶違いしていると、自分では思えないんですよね。
     
    ということで、次に図書館へ行ったら、原典にもう一度当ってきます。
  •  投稿者:うーん 投稿日:10月28日 19時03分

    海老珍様のイメージ...母性とチャイルディッシュの要素
    がいい感じでブレンドされた女性...なイメージです。
    (誉め言葉ですからね,誤解しないでね)
     
    坂上氏 関東にも出張っていますよ。浅草の浅草寺は,
    坂上氏(たぶん)と土師氏が造ったんですよ。未だに
    その子孫は浅草寺の利権を持っていて祭りの上がりの
    うち,いくらかは配当として貰っているそうです。
    武蔵七党の丹党にも「坂上氏」はキーパーソンになって
    いる可能性が高いと思っています。子の権現も坂上氏な
    ら,ますます面白い話になります。
     
    魚女房 復活した日本昔話では,取り上げられない話で
    すね。原典お待ちしています。
  • オホゲツ・プレイ 投稿者:海老珍 投稿日:10月28日 20時27分

    「魚女房」これって究極のオオゲツ・プレイかも。
    しかし、のりちゃんこういうの強いですねー。これがホントのミソ○ソ一緒!ってヤツ?
    昔話のタイプで分類しているハンドブックひっぱりだして見たら「魚女房」は載ってなかったー。その代わりっていうか「貝女房」ってのが…その女房の作る汁はオシッコで味付けしてました。「魚女房」のほうが悪ノリです。
     
    須須許理…私もなんとなく名前の感じから男性って思ってしまっていました。ぷ様の言うことが正しいかも。
     
    江良様
    はは、イメージ、のことはさておき(汁)
    豊受トリビアどちらも100へぇ〜です。
    道主王の娘は七人でしたっけ。そんな説があるんですか、
    訶梨帝母説、どちらも出どころが知りたいです。北斗七星が関係しますか?
  • かまど様 投稿者:海老珍 投稿日:10月28日 20時37分

    そうです、のりちゃんが言われてるように、私の出すご飯は気ぃつけてくださいよ(笑)
    噛み噛みブェ〜、やっぱし興味ありますか、そうですか、そうですか、(^^)
     
  • 海老珍様T 投稿者:江良 投稿日:10月28日 22時47分

    オオゲツ・スレですが豊受ネタで。
    豊受大神(外宮)が天照大神(内宮)のミケツ神として
    民俗学者の中山太郎氏の論文「さんばい考」の中で,
    「通称,鬼役といわれるお毒見役をつとめるのが外宮の
    性格であり,主祭神アマテラスの御饌のの鬼役であるト
    ヨウケ大神は散飯鬼(さばき)である」と説いた。
    散飯鬼を説明するために,「塵添あい嚢鈔」の(13)に
    ある「散飯」から説明しています。
    「サバ取りは,昔から散飯,あるいは生飯,または三飯
    ,三把などといろいろに書きならわしているが,散飯と
    書くのは日々の食事の上分を取って,あるいは曠野鬼神
    の分とし,あるいは訶梨帝母の食とし,あるいは魂霊神
    の料にあてるが,これらは皆縁がある。あまねく諸鬼に
    及ぼすゆえに散飯と名付ける」。
     
    豊受大神が星と結びつくのは,丹波道主との神話です。
  • 海老珍様U 投稿者:江良 投稿日:10月28日 23時15分

    豊受大神と丹波道主の話は二パターンあります。
    一つは,前にも書いた「丹波道主」の娘が豊受大神にな
    る話(どこの神社が由来か忘れました)と,もう一つが
    丹波道主は食物の神である豊受大神を大切にし,八人の
    の乙女を仕えさせたという話です。これは藤社(ふじこ
    そ)神社の由来に関係あります。
     
    藤社神社は比沼麻奈為神社と籠神社の中のマナイ神社で
    本家争いをしています。
     
    丹波道主の八人娘・八処女・八天女(七もあったかも?
    )は星と関係があるのでしょう。その場合は北斗七星+
    北極星(もしくは死兆星)のシンボルでしょう。
    色々な解釈が出来ますが,伊勢に星信仰が入りこんだの
    は外宮が入り込んでからかもしれません?
    伊雑宮の「太一」も星信仰ですし,複数の星神のような
    祭神が伊勢の中に複数祀られています。
     
    名田庄の藤田氏が伊勢内宮荒魂宮は「北極星」が祀られ
    ていると講演で発言したそうです(自分は金星が荒魂だ
    と思いますがね)
     
    そうそう,丹波道主の後裔が伊勢のなかの「物忌」を
    やっていましたよ。何の「物忌」か忘れました...
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月29日 14時58分

    なるほど。
    つまり、江良さんのオオゲツヒメへのイメージは、母性と無邪気さをブレンドしたものなのですね。
    な〜〜〜んとなくわかります。
     
    浅草寺はよく知らないんですが、浅草神社のご祭神は、土師真中知となってますよね。
    土師氏ですね。
    ここに、坂上氏も絡むんですね。
     
    私は、このご祭神と、常陸国風土記で夜刀神を追い払ったという箭括麻多智との関係が気になってます。
     
    魚女房、あと2週間ほどお待ちください。
    今借りてる本の期限が11月13日でございます。
     
    トヨウケ大神の話、興味深うございます。
    これは、私もお伊勢めぐりをせにゃならんという気になって参りました。
    それから、やっぱり丹後半島は興味深いですね。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月29日 14時59分

    好きこそものの上手なれってやつでしょうか>うんこネタ
     
    で、つっこんだ方がいいのかしら?(汁)に。
    どうなんだろ、小心者だから、迷っちゃって困るぅ〜。
     
    しかし、そんなハンドブックが?
    私は、講談社+α文庫から出ている「決定版日本の民話事典」という文庫本を持ってますが、これには、魚女房の詳細も(タイトルだけは出てる)、貝女房も載ってません。
     
    それにしても、オシッコ・・・(^^ゞ
    発想は魚女房と一緒だぁ。
     
    >須須許理
    音は男っぽいんだけれど、旦那曰く、
    「昔は、女しか酒を醸さなかったはずや!」
    らしいです。
    「ほんま〜?」
    と何気なく尋ねましたらば、
    「当たり前やろ!!!!!」
    と、強い調子で断言されました。
     
    普段は温厚な主人でございますが、この時ばかりは妙に頬が強張っていて、大層恐ろしゅうございました。
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月29日 16時17分

    浅草寺 浅草神社の祭神は土師真中知命・檜前浜成命・
    檜前竹成命の三柱です。檜前が「坂上氏」の先祖の「東
    漢氏」の流れと思われています。これは広く云われてい
    る説なので電波じゃないと思います。
     
    常陸国風土記 友人の家にあるので調べてきます。全然
    結びつかなかったです(反省)
     
    伊勢は面白そうですよね。そして丹後。もの凄く綺麗な
    写真をみてから憧れています。でも,遠いですよね。
    一昨年に福井に行った時に丹後に行こうと思って調べて
    みたら半端なく遠いんで挫折しました。京都駅からの
    アクセスもお世辞にも近いといえないし...のりちゃん様
    行ったことあります?他の人でも行ったことある人が
    宣伝してくれたら気合入れて行くんですけどね。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月29日 19時48分

    また質問です。連投すみません。
    天野社と日前社の一宮論争で高野山からの返答に
    「丹生明神は,豊受大神の叢祠で始まっている」。
    この文の意味がわかりません(無知ですみません)
    かまど様わかります?
  • TとU 投稿者:海老珍 投稿日:10月29日 21時50分

    江良様
    興味深いお話ありがとうございます。
    トヨウケがアマテラスのミケツ神というのは昔に吉野裕子さんので読んだように思います。そこではUでいっておられた死兆生を輔星の名前の方で説かれていたように思います。
    丹後は毎年夏に夜に家を出て、海でキャンプしてフラフラになって帰るんで、主人の元気があまっていたらちょっとづつ寄ってるんですけど、ここ数年は夜の北斗七星を眺めるだけになっていますわ。毎年毎年「待て!」状態のイヌですわ。
    藤社さんも行ってみたいです。行くなら天女が降臨したっていう山?…たしか、そうだったと思いますが、行くなら山も、って思いますけどねぇ。
    お勧めっていったらスーパーにしがきの玉子ドーナツが美味しい!
     
    のりちゃん様
    私が貝女房見たのは『日本昔話ハンドブック』三省堂っていうやつです。
    図書館のほう、たのんます!「おばけ文庫」…かわいい。
     

  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月29日 23時31分

    >天野社と日前社の一宮論争で高野山からの返答に「丹生明神は,豊受大神の叢祠で始まっている」。この文の意味がわかりません
     
    詳しくは私も分からないのですが、どこに書いてましたっけ?これ見た覚えはあるのですが。
  • 待っていました,かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 00時05分

    天野の文化と民俗 第1号(NO.3)の6ページです。
     
    かまど様あいかわらずハード・ワークですか?自分の
    第七感(セブン・センシズ)だと,忙しい予感。
     
    上の文章が一番最初に気になっていたんですよ。他にも
    気になる場所がありますんで,色々教えて下さい。
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月30日 11時01分

    あいかわらず忙しくさせて頂いております。
    昨日も前日夜中3時に現地到着となったためホテルに泊まれず、車中にて4時間ほど睡眠をとってお仕事でした。
     
    >天野の文化と民俗 第1号(NO.3)の6ページです。
    まだコピーできていないのですが、購入できなかった初刊「丹生都姫神社誌」に次のように書かれています。
    1293年の太政官符に、「地神第三代天津彦命佑天野廟分 中略 社者豊受大神開闢之瑞籬也豈非日本最初之草創」とあり、天野神廟は神代の創始と述べているが、神社創建の史料は残念ながら見出せない。
     
    この文章の「天野新廟・・・」以下書かれた方のセンス私好みです。太政官符のもとの情報がはっきりしないんですよね。せめて、伝承でも残っていれば。
     
    つまり、「丹生明神は,豊受大神の叢祠で始まっている」については、丹生津姫のお社は豊受大神が作った
    ってことではないでしょうか?「開闢」はどちらの漢字も「ひらく」「ひらく」ですから。
    一宮争論は鎌倉幕府が高野山へ1289年に問い合わせたのがきっかけですね(日前宮と丹生津姫神社どちらが一宮?ってやつです)。高野山は多分高野山の鎮守である丹生津姫神社を押したんでしょうね。私個人的には知名度から日前宮が一宮だと思っているので、この「豊受大神の叢祠」の部分だけは話を作ったんだろうと通りすごしていました。本当の話かも知れないんですけどね。
     
  • のりちゃん様、海老様 投稿者:かまど 投稿日:10月30日 11時18分

    >唾液も醗酵してりゃ、もう唾液じゃないんでしょうが・・・。
     
    醗酵もお酒の味であればいいんですけど、お酢になったら飲めないかも・・・。よく考えるとお酒はさらさらしてますが、唾液はややとろっとしてますからねー。醗酵してさらっとなるんだろうか?
    口の中の菌は数千?ぐらいあって7歳ぐらいまでに、ある程度の数の種類までに(淘汰されてか)落ち着くんですってね。だから親がキスしたり、他人が食べかけたものを食べさせたりせず、菌が移らなければ虫歯にならないらしいですよ。
    と言う事は人によっては噛んでもお酒にならない場合があったかも知れませんね。あるいはお酢になる人もあったかも・・・。
    そう考えるとお酒って深いですね。
  • 感謝です,かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 14時16分

    >豊受大神開闢之瑞籬也豈非日本最初之草創...凄い言葉
    ですね。元ネタは,どこなんでしょう。高野山の神学で
    しょうか伊勢神道の理論のどちらかでしょうね。
    「祝詞大成」の倭姫の台詞(神詔・神咒)あたりに,関
    わりのある言葉があるかも?
     
    想像以上の答えでした。かまど様,丹生都姫神社の社誌
    楽しみです。
     
    マブに身体に気をつけてください。凄い労働ですね。
  • 海老珍様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 14時37分

    毎夏に丹後ですかぁ羨ましいです。名古屋あたりの人も
    海水浴は敦賀・丹後・丹波あたりまで行くらしいです。
    関西方面の人達は,丹後とか馴染みがあるのですね。
    天女=渡来なんて話もあって,面白そうですよね。あと
    伊勢神宮のコピーみたいな皇大神宮(失礼)も行ってみ
    たいですね。行ったことあります?
     
    デブ屋の自分としては,「ドーナツ」食べたいなぁ。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 16時28分

    丹後・・・。
    私と旦那が知り合った場所なので、宣伝したいのは山々ですが、あまりたくさん参拝できてません。
     
    籠神社は、いろいろ面白いトピックスがありますよね。
     
    私は、個人的に、福井あたりから、丹後あたりに残る、沈んだ鐘伝承が気になっています。
     
    またまた手前味噌ですが↓
    http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/sakiji.htm
     
    私が持っている福井の民話には、鐘と雨に関係する民話が多く含まれていました。
    これって・・・もしかして・・・、失われた銅鐸の使用方法に関係あったりして・・・とか・・・。
    デンパ?
     
    それから、近畿日本海側に残る羽衣天女伝承も面白いですよね。
    余呉湖の伝承では、その天女の息子が菅原道真公だとなってます。
    また土師氏かよ〜って思いますが(笑)
     
    ここに残る神話や民話を一つ一つ拾い上げてみたい、と思う場所です。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 16時29分

    死兆星って、北斗の拳の話だけじゃないんや!
    山があるわけね。丹後にも。
    ちょっと調べてみようっと。
     
    で、ハンドブックは三省堂か・・・。
    探してみます。
    おばけ文庫は、12巻くらいまであって、確か11巻・12巻が落語を特集してたんだな〜。
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 17時09分

    お疲れ様です。
    ほんと、休みなしですね。
    お体大事にしてください。
     
    私は、まだ社史をちゃんと頭に入れてる最中ですが、登場人物が覚えられません(T_T)
     
    >丹生津姫のお社は豊受大神が作った
     
    豊受大神と丹生津姫の関係も深いんでしょうか?
    第三殿に祀られているオオゲツヒメとの関わりでしょうか?
    丹生津姫がお酒を醸して、豊受大神がその肴を・・・。
     
    ・・・想像したら、嬉しいようなちょっと怖いような(^^ゞ
     
    結局、お酒を作るときに、なんで噛むかというと、でんぷんを糖化させるためですよね。
    だから、唾液が無菌状態でも、唾液の成分「ジアスターゼ」さえあれば、酒は出来るようです。
     
    でも、麹菌さえ入手できれば、何もかまなくてもいいわけで。
    麹菌は、天然でも存在するはずですから、偶然にも米に米麹がとりついて、そこに酵母(酵母はどこにでも存在するそうな)がとりつけば、自然とお酒になるわけですよね。
     
    でも、それがどんな味になるかは運次第なので、効率よくお酒を造るには、やっぱり噛むのが一番だったんでしょうね。
     
    で、この人が噛んだらおいしいお酒になる・・・というのは、経験的にわかってたんでしょう。
     
    確か、酵母は糖を使って醗酵するから、糖分が多ければ多いほど醗酵するはずなんですよ、確か、確か。
    だから、醗酵が進んだ(度数が高い)お酒ほど、辛口。
     
    ・・・ちなみに、これは、蔵元で教えていただいた話を、酒好きだけど記憶力がないというアンバランスな脳みそに一端保存して、今引き出した知識なんで、アテになりません(^^ゞ
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 17時40分

    佐伎治神社の話面白いですね。自分は貴船神社の大工が
    金物を穴に落したら,水を噴いた話を思い出しますね。
    水は金気を嫌うからと云われていますね。
    水神を怒らせて祈雨する話は,全国的にありますので,
    鐘と似ている銅鐸で雨を祈願した可能性はありますね。
     
    現・住吉大社の神主さんは,鉄を多く出土するために銅
    鐸を埋めたという説を出しています。
     
    敦賀の常宮神社に古い朝鮮の鐘がありまして,ここ凄く
    良い神社でした。丹後から敦賀の間は興味深い話が多い
    ですね。敦賀の東は浄土宗の影響で民俗伝承が,淘汰さ
    れていますが,調べてみたいですね。
     
    豊受大神と丹生津姫が結びつく話は興味深いですね。
    自分の単純な頭だと,国津神という共通項しか浮かびま
    せんね。このネタは,丹生津姫が神無月に出雲に行くと
    いう伝承からの発想ですから,かなーり電波ですが...
     
    丹波・丹後に行きたいなぁ。
  • のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月30日 19時16分

    >丹後・・・。
    >私と旦那が知り合った場所なので、宣伝したいのは山々
    ふむふむ、丹後で知りあったんですね。でなぜ丹後で?どういう風に?なんか運命的?
  • 江良様、のりちゃん様 投稿者:かまど 投稿日:10月30日 19時31分

    >豊受大神と丹生津姫の関係も深いんでしょうか?
    >豊受大神と丹生津姫が結びつく話は興味深いですね。
    どうなんでしょう?私は今までそのような話は聞いたことがありません。だから作り話かなと素通りしてました。
  • かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 20時29分

    自分も初耳ですよ。ただ,伊勢神道の本を読むと,豊受
    大神は重要な神様のようです(宣伝なんでしょうけど)
     
    倭姫の言葉なんですけど,
    「天照大神は日月と共に寓下(あめのした)に照し臨み
    たまへり。豊受大神は天地と共に国家を守り幸はへたま
    へり」なんて文章もあります。これ加門七海女史の本か
    らの引用ですが,元ネタは伊勢神道五部書です。
     
    高野山が豊受大神と丹生都姫神社を結びつけた理由が知
    りたいですね。まっかくのでっち上げなのか,伊勢神道
    なりの理論からのネタなのか興味ありますね。
     
    空海著と云われる神道書もありますよね。当然偽書です
    が,真言宗の神道理論の可能性がありますよね。偽書だ
    けど読んでみたいですね。
  • 鐘のお話 投稿者:海老珍 投稿日:10月30日 20時40分

    「アネゴーン」には笑ったけれど、すごく興味深いですね。「鐘と雨」頭に入れておきます。
     
    江良様から常宮さんの話がでましたので…
    安易な思い付きかもしれませんが私は常宮さんの常は常世に由来する気がしてなりません。
    御祭神、天八百萬比当ス、この神様は養蚕の神様としても信仰されていたのでは?
    カイコもオホゲツ様から生まれ、またカイコ自身、糸を吐き出す様はまさにオオゲツプレイ。
     
    鐘に天女のモチーフ、たまらないですね。かなり思い入れのある神社の一つです。
     
  • 江良様 投稿者:かまど 投稿日:10月30日 21時08分

    >高野山が豊受大神と丹生都姫神社を結びつけた理由が知りたいですね。
    そうですねー。高野山が結び付けたのか、丹生津姫神社関係者が結びつけたのか?証明できるものは出てこないような気がしてます。
     
    >空海著と云われる神道書もありますよね
    密教系神道の両部神道のことでしょうか?胎ぞう界の大日如来が丹生明神で、金剛界の大日如来が狩場明神ですね。空海死後できてきた神道だと思います。修験とか神道とか真言密教がまぜこぜになってるのではと思っています。私も知りたいですけど、本なんかであるんでしょうかねえー。
  • 海老珍様&かまど様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 22時11分

    海老珍様 常宮神社御存知でしたか。祭神は天八百萬比
    当ス。蚕の女神ですね。もしかしたら,古い太陽神かも
    しれません。茨城あたりに蚕を太陽と結びつける説話が
    ありました。常宮神社は気比神社の奥宮ですね。もう一
    つ常神社が隣の半島にありますね。
    都怒我阿羅斯等を調べていて,天日槍命と同一人物?で
    彼等の通り道に秦氏が分布すると読んで,それで常宮神
    社の祭神が蚕!こいつは秦氏に関係あると行き込んで
    出かけたんですよ。そしたら凄い良い神社で驚きました
    自分も常世に結びつくと思います。秦氏に近い渡来氏族
    が常世氏(赤染氏)でしたよね。
    蚕の女神を始め,色々な女神が死んでから人間に役立つ
    モノを置いていきますね。これはオオゲツ・プレイです
    ね。遠野のオシラ様も死んでから蚕をプレゼントします
    よね。
     
    かまど様 両部神道です。その名も「天地麗気記」です
    。読み方は「カミニモシモニモウルワシキヲモムキヲシ
    ルス」下を噛みそうなタイトルです。『中世神道論』日
    本思想大系一九に入っているそうです。
    空海著と書かれていますが,鎌倉時代初期の真言宗の坊
    さんが書いたと云われています。
    天照皇大神宮鎮座次第と二所大神宮麗気記(天地麗気記
    の中の本です)が特に読んでみたいですね。
  • 出遅れた… 投稿者:あかがね 投稿日:10月31日 07時54分

    ぼけっとしてたらわんさかレスが…。
    スレ名に山もあるので一応遅ればせながら。
     
    >江良様
    関東で宗教がらみの低山といったらやはり筑波山でしょう。
    膝元に住んでいたから言う訳ではないですが、百名山中最低標高を誇る低山の王(?)ですよ。
    低山だけど殆ど独立峰で眺望が素晴らしい。(海・霞ヶ浦・東京、下手をすれば富士山まで)
    上り下りで3時間を見れば余裕です。
    筑波山神社も素晴らしいお社ですし(江戸の鬼門だとかで普請に幕府の手が入っている)、古代の歌垣を偲ばせるかのようにラブホテルも密集してますしね(その話は終わりましたか)。
    北に隣接する加波山もさらに低い上に電波スポットとしてもお勧めです。
     
    南関東は知らないんですよね。伊豆七島の方とかにいい山があるとか聞いたことがあるような気がするんですが。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時36分

    金物を穴に落としたら水。
     
    蛇婿話で、その蛇を退治するのが「針」という話があるでしょ?
    蛇は鉄が苦手だといわれてるからとか。
    蛇は水に属するんでしょうか?
     
    で、鉄を産出するために銅鐸・・・っていうのも面白いですね。
    つまり、銅が鉄を育てる、銅が鉄を生むという発想があったんでしょうか??
     
    う〜む、興味深いですね。
     
    >豊受大神と丹生津姫
    二方とも、豊穣の女神という感じはしますが・・・。
     
    豊受大神が食事を仕度する神様(ということで、伊勢外宮に勧請されたという話ですよね?。
    丹生津姫命がお酒を醸す神様。
     
    だとしたら、なんか、酒宴にぴったりのお顔ぶれなんですけど(^^ゞ
  • かまど様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時38分

    他に丹生津姫命と豊受大神との繋がりは見出せないんですね??
    う〜む。
     
    で、丹後半島ですが、私達夫婦は、ハムスター仲間だったんです。
    当時(9年前)はまだ、それほどネット人口も多くなくて、ネット上の犯罪もそれほど聞かなかったし、顔見知りの夫婦も参加するということで、単身乗り込んだハムスター関係の泊りがけオフの幹事が旦那でした。
    そしてそのオフの行き先が、丹後半島(カニを食べるオフでした)だったんですよ。
     
    私は、割と一目惚れに近く、旦那を見た瞬間、「この人と結婚する」と思ったんです。
    で、その日のうちにアタックして、3日後には結婚の約束してました。
     
    ちなみに、旦那の私への第一印象は、
    「うわ、この人に言い寄られる!」
    だったそうな(笑)
     
    運命的ですか?どうですか?
     
    私のうっちゃり勝ち・・・という気もしますが・・・。
     
    そのくせ、結婚してからは尻に敷くという。う〜ん、極悪(笑)
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時39分

    アネゴーンって確かに無理からっぽいけど、これ、日本語じゃなく、中国語や、朝鮮語だったとしたら?
    実は、成合寺に残る、「撞かずの鐘」とほぼ同じ話しが、韓国にあるらしいんですよ。
    「エミレーの鐘」っていうらしいんですが(原典はささやななえこさんの漫画だったんですが、題名忘れました(^^ゞ「たたらの辻の」とかなんとかそんなタイトルでした)、エミレーは、「母」という意味だそうな。
     
    ね?「アネゴーン」も意味深になるでしょ??
     
    >常宮&常世
    カイコと言えば、「常世虫」を思い出しますね。
    常世虫の流行を止めたのは、秦河勝でした。
    で、カイコもオオゲツプレイ。う〜〜〜む。
    繋がるやん!
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時39分

    筑波山の山頂からの眺めは良かったですわ。
    私が登った(と言っても時間がなかったんで、ケーブル使いましたが)日は、曇ってたんで、霞ヶ浦くらいまでしか見えませんでしたが、晴れた日は東京タワーまで見えるとか。
     
    大阪に住んでると、ああいう広い平野って知らないですから。
     
    加波山は、お家騒動があるんでしたっけ(笑)
    似たような名前の神社があって、
    確か、片方の神社の栞には、「あの神社とは無関係ですっ!!」って書いてあったような。
     
    大阪ではヒロタや王将が似たような関係ですよね(笑)
     
    伊豆七島にも、確かいくつか式内社がありましたよね。
    伊豆にも行ってみたいのですが、船がね〜。
  • 皆様感謝 投稿者:江良 投稿日:10月31日 18時35分

    あかがね様 申し訳ない。嵐のようなレスの大半は自分
    のせいです。筑波山三時間で済みますか。冬でも挑戦で
    きるのでしょうか?友人から二荒山に誘われているんで
    すけど,あかがね様のお勧め度何点?
     
    のりちゃん様 豊受大神と丹生津姫を結ぶ話はないんで
    すけど,豊受大神も酒を醸します。渡会氏はトヨウケノ
    メは外宮摂社の酒殿の神で,豊受大神と無関係と云って
    いますよ(過去の話ですけど)
    蛇は水です。西洋では火なんですけどね。西洋の龍は
    トカゲさんがモデルなのに対し東洋では蛇が水で龍も
    水になります。(他の解釈もありますけど)
     

  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月01日 13時55分

    あ、豊受大神もお酒を醸すんですか。
    そしたら、豊受大神一柱で、お酒も肴も・・・すいませんm(__)m
    で、渡会氏に関しては、いろいろあるんですね(^^ゞ
    神様の名前って似てるものが多いから、同一だとか同一じゃないとかあるし、ここらへんはいろいろ解釈が分かれそうなところですね。
     
    五行でいう水と、西洋の四エレメンツの水では、何か違いますもんね。
    同じく火も。
     
    龍自体も何か違うような気がします。
    西洋の龍は、まさに恐竜ですよね、あれ(笑)
     
    ここらへんの感覚の違いも面白いな、と思います。
  • こりずに山ネタ 投稿者:あかがね 投稿日:11月01日 18時18分

    >江良様
    筑波山は2月の末に登ったことがあります。
    ちょっとした残雪やら凍結やらがありましたが、アイゼンはいらないですね。でも滑りやすい。
    あったかくして行けば宜しいんじゃないでしょうかね。
     
    二荒山については一度、登拝祭期間(8月頭)に登ったことがありますが、上下5時間くらいかかった気がします。(中宮祠から)
    姿の綺麗な(円錐形)山で難しいことは何にもないのですが、古典的な宗教の山らしく道が山頂までまっすぐついていてその点難儀です。
    ただ奥日光を一望出来る点は魅力でしょうね。
    私はガスの中の行軍で、切れ切れに中禅寺湖の断片を拝しただけでしたが…。
  • あかがね様 投稿者:江良 投稿日:11月01日 20時27分

    和歌山で聞いた山が「二荒山」ですね。道が広いけど,
    真っ直ぐな道と言っていた記憶が...ブルーになる話で
    すね。情報ありがとうございます。今月の中旬あたりに
    行こうと誘われています。(返事は保留)
     
    のりちゃん様 渡会氏は濃いみたいです。何が濃いかと
    いうと陰謀体質と呼んでいます。
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月02日 12時59分

    新スレ オオゲツ・ニュウ・ヤマ 2
    に移動します

 

新スレ 風水??? 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時16分

>海老様
そんだけかいっ(笑)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時18分

    利用しづらいっつぅてもそこまできて利用しない人はあんましおられないんでしょうけどね。
    しかし、何を監視してるんでしょうね?まさか徐福の上陸を監視しているわけでもないでしょうし(笑)
     
    三重は、いろいろ興味深い神社がありますよね。
    うちから三重まで行こうと思うと、早朝に出発することになる(遠出するんだからあちこち周らないともったいないという貧乏根性があるので余計)ので、それほどは頻繁に行ってないです。
     
    >闇に消えた三億円
    ひぇええええ。
    そういう話を聞くと、殺人を犯してまで金品を奪う犯罪者が間抜けだと思う〜。
    三億円事件は、誰も死なず(共犯者もいないようだし)、もう時効になって、の〜びのびなのかもしれないけど、それでも、準備のためにかなりのお金がかかってるだろし、時効まではいろいろ窮屈だったろうし。
     
    >愛宕神社
    一度参拝したい神社です。
    もれなく登山がついてくるし(~_~)
    三角鳥居については、いろいろな説がありますね。
    風水と関係が?
    方角。つまり、角がどちらを向いているか、という話でしょうか?
    また詳しく教えてくださいm(__)m
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月28日 12時19分

    継体天皇と修験道ですか?
    考えたこともなかった〜。
     
    天皇と修験といえば、崇峻天皇を思い出しますけどね。
    皇子が出羽に行って修験の祖になった、と堀越神社のご由緒に書いてありましただ。
  • のりちゃん様 投稿者:江良 投稿日:10月28日 18時50分

    この荒くれ達を扱う「のりちゃん様」乙!
     
    蚕の社 三柱鳥居の方角の話です。単純に北に伸ばすと
    双ヶ丘(五世紀前後の古墳が複数あり,秦氏の古墳と云
    われています)に行き,北東に伸ばすと下賀茂神社か
    摂社の河合神社のある「糺すの森」を通過して比叡山に
    到達します(夏至の朝日の方向)。南西に伸ばせば稲荷
    山(冬至の朝日の方向)。北西に伸ばせば愛宕山(夏至
    の夕日の方向)。そして南西に伸ばすと松尾山(冬至の
    夕日の方向)になります。これは,大和岩雄氏が新聞や
    「秦氏の研究」で発表したネタです。愛宕神社は元々が
    違う場所でして,今の場所に勧請しなければ「(仮)
    秦マンダラ」は完成していません。愛宕神社の由緒を
    読んでも誰が現代の位置に勧請したのか不明です。役行
    者と泰澄の名前が出てきますが,よくわかんないです。
    この話はテェタレ様の方が適任でしょう。
     
    監視 そう津久井湖のラブホの入口の対面に監視小屋が
    あったんですよ。置いてあるだけで無人と思いきや...
    ちゃんと監視人が監視小屋にいましたよ。よほど地元の
    人の反対を押し切ってラブホ作ったんでしょうね。
     
    三重 伊勢に行った事のある人って周りに多いのですが
    みんな誉めますね。来年こそは絶対に行く。
  • 妖怪センチメンタル 投稿者:海老珍 投稿日:10月28日 21時02分

    のりちゃん様
    下駄履いてる…って想像が、思い出しては笑うてくる。
     
    テェタレ様
    >継体大王と修験道
    修験道っていろんな宗教が習合して確立されたものなんですよね。仏教色が強いんですか?奈良時代からってイメージがあったんですが、あ、でも仏教伝来って継体の頃でしたっけ。通説より早いかもしれないんですよね。
     
    継体天皇は謎の大王ですよね。古墳からのアプローチも面白いです。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月29日 14時55分

    太陽信仰との関係と、山と聖域との関係と。
    ぱっと見た感じでは、地味〜な三柱鳥居ですが、かなり精巧な装置だったわけですね。
     
    泰澄・・・単に鉢を飛ばす白山の聖僧としか考えてませんでしたが、愛宕神社ひいては、もしかしたら秦氏との関係が?
    う〜む・・・。
     
    >伊勢
    私は、なんか「作られすぎてる」という感じもするんですけどね。
    綺麗過ぎて(笑)
    でも、確かに、気持の良い場所であると思います。
    なにより五十鈴川の水が好き。
     
    それに、あの付近の歴史には興味があります。
     
    なぜあの場所に、最高位の神社が鎮座しているのか。
    場所にも意味があるに違いないとは思ってます。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月29日 14時56分

    関係ないけど、ゲゲゲの鬼太郎のゲゲゲって、蛙の鳴き声みたい。
    で、ねずみ男は、「びびびのねずみ男」だって知ってた?
    ・・・全然関係ないけど。
     
    継体天皇陵って、確か、今は日本書紀に書いてあるのとは違うって話しになってるんでしたよね?
    宮内庁が、日本書紀の古墳比定を見直す必要がある・・・というような見解を出したことがニュースになってましたけど、そうなると、海老さん達古墳好きにはいろいろチャンスがありそう。
     
    私も古墳にも心を配ってみます〜。
  • 電波攻撃です 投稿者:江良 投稿日:10月29日 16時03分

    泰澄 彼の名前は「秦泰澄」正確に書くと泰澄のパパが
    「秦性」だったと大和岩雄氏の「秦氏の研究」に出てい
    ましたよ(元ネタは発見できませんでした)
     
    継体天皇陵 本物と思われる今城塚古墳は開発で原型留
    めていないらしいですね。こりゃ海老珍様の解説希望で
    すね。
  • びびび 投稿者:海老珍 投稿日:10月29日 22時08分

    ねずみ男はびびびなんやー(笑)
     
    そうなんですよ、今城塚は墳丘ボコボコで、こうなったら宮内庁が何もいってこないうちに早く掘って掘って!って思います。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:10月29日 22時54分

    >三重 伊勢に行った事のある人って周りに多いのですが
    >みんな誉めますね。来年こそは絶対に行く。
    ほかに何もないですから(爆)
    でも、神社に行った感じはします。
  • はじめまして 投稿者:江良 投稿日:10月30日 13時49分

    北畠具顕様 かっこいい名前ですね。北畠の末裔の方で
    しょうか?伊勢は神社しかないかもしれませんが,自慢
    できるものがある事は良いことですよ。鑑賞に良し,推
    理に良し。自分の家の近所の名物は「ヤンキ−」だけで
    すから(実話)
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 16時26分

    ひぇえええ。秦泰澄・・・なんかくどい名前(笑)
    秦氏・・・やっぱり、なんかすごい氏族ですね。
     
    土師氏もすごいが、秦氏もすごい。
    はじとはた。
    う〜〜〜む。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 16時27分

    そう、びびび、なんですわ(笑)
    何がびびびなんかわからんけど。
    ひげを「びびび」って言わせてたような(どうやって?とか聞かないように)。
     
    城塚っていうんですね。
    ほんま、天皇陵ってなったら、手出しできないですからね〜(笑)
    早く調査して欲しいですよね。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月30日 16時27分

    いやいや、ご謙遜(笑)
    おかげ横丁の漁師汁はおいしかったですよ(#^.^#)
    でも、もし、お伊勢さんだけしかなくても、それだけで誇れる場所なんじゃないかと思います。
  • 今城塚です(^^) 投稿者:海老珍 投稿日:10月30日 17時59分

    今、城塚ではなくて、今城塚です。8月に行った現地説明会が第9次調査でした。墳丘がボコボコなのは昔の地震の影響もあるらしいですよ。戦国時代には砦として使われてたとか。城跡ってことですよね。
     

    泰澄さんの、鉢のお話は、信貴山の「空鉢さん」を彷彿とさせますね。
    江良様、愛宕さんの元々っていうのは亀岡の愛宕さんのことでしょうか。
     

  • 海老珍様 投稿者:江良 投稿日:10月30日 18時12分

    今日は休日だからネット散策...つまらない男ですね。
     
    例の古墳ですね。天皇陵の可能性が高い場所が砦...
    レポ感想等を聞かせてくださいね。明治天皇の時代に
    朝廷の人達は神武天皇陵の場所が判らずに,あわてて
    探したんですよね。あまり天皇陵とか大事にされなく
    なっていたのですかね?今の継体天皇陵は徳川光圀の
    大日本史からの推測でしたっけ?だから大事にされて
    いなかったんですかね?
     
    元愛宕 亀岡と云われていますね。もう一ヶ所可能性の
    ある場所があったかも?メール・ボックスの中に書いて
    あるはず...自分のメール・ボックスはメモ代わりなん
    ですが,我ながら酷いんですよ。タイトルに「重要事項
    」てあって,何が書いてあるのか開けてみたら,渡●健
    さんの愛人のリストが書いてあったり...調べてみます。
  • 元愛宕 投稿者:江良 投稿日:10月30日 20時19分

    亀岡の愛宕神社でOKです。何故か篠八幡宮が元愛宕候補
    と偽記憶がありました。たぶん,境内社・乾疫神社が
    印象に残っていたためです。
     
    愛宕を勧請した人物に,慶俊僧都(弘法大師空海の師)も
    いましたね。京女の海老珍様には六道さんこと六道珍皇
    寺の坊さんと言った方が通りがいいですかね?
     
    愛宕は勝軍地蔵で戦国武将から崇敬を受けていましたよ
    ね。今一つわからない場所ですよね。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時31分

    あ・・・今城塚ですか(^^ゞ
    こういう失敗すると、割と記憶に残るんですよね。
    古墳時代から今まで、かなり地震が起きてるでしょうね。
    地震ならしかたないか。
     
    で、鉢を飛ばす僧は、信貴山縁起の命蓮が有名ですよね。
    澁澤龍彦によると、鉢を飛ばす僧は、他にも3名以上いるそうです。
    泰澄(元享釈書)
    浄蔵(古事談)
    寂照(続本朝往生伝)
    だそうな。
     
    鉢を飛ばすという発想は、それほど珍しくないのかも。
    つぅか・・・高僧なら横着せんと自分で托鉢に行くべきだという気も(^^ゞ
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:10月31日 14時32分

    あんまり詳しくはないんですが、名所図会に、古墳ってあんまし書いてないですよね。
    神社とかお寺はあるけど。
    古墳ってあんまり注目されてなかったのかもしれません。
    戦国時代の武将がその上に城建てたりして、古墳の様相はなくなってたかもしれないし(^^ゞ
     
    亀岡に元愛宕があるんですね。
    亀岡はあんまり行ったことない場所です。
    京都は、ほんっと疎遠な土地です。
  • 鉢がブーン! 投稿者:海老珍 投稿日:10月31日 17時04分

    鉢を飛ばすのってやっぱし横着なん?そののりちゃんの発想面白い!他にもそんな僧がいたとは知りませんでした。
     
    今、鉢と違うてハエがブーンで、壁にとまったからキンチョールかけてん、ほんなら狂いもって自らごみ箱に入っていってん!凄いと思わん!  こっちが狂ったわ。
     
    江良様、そんな、つまらない男やなんて(笑)
    京女ちゃいますよ、エセ京女。エセ付きどす。京都10年になりますと近所付き合いも出来ますやん、やっぱりね、京都の地の人はなんかね、ええ意味でも悪い意味でも独特の空気みたいもんがある。そやけど京都のことは京都の人よりよう知ってたりして(^_^)v
    六道珍皇寺、あ!ここも鐘の話が。もうひとつのスレで鐘が話題になってますね。
    あのへんは魔界ゾーン?とかっていわれてますよね、面白いもんがようさんあってちょっと頑張ってチャリンコで。
    主婦のお買い物ゾーン、名前が「ハッピー六波羅」っていうんです。ハッピーって、ハッピーって、ハッピー六波羅って…
     
    それにしても慶俊僧都は、その愛宕の勧請にしても鐘の伝説にしても、何か企んでいたんでしょうか。
     
  • 海老珍様 投稿者:江良 投稿日:10月31日 18時41分

    京都の人って身近に国宝級のブツがあるから興味がない
    って話聞きますよ。慶俊僧都は空海の師匠だけあって
    何か企んでいる可能性ありますよ。
    ハッピー六波羅...何もいえない。京都深いなぁ。
     
    のりちゃん様 古墳は「道の者」が住む負の場所だった
    はずです。「夙の者」が住む負の場所と山口昌男が論文
    で書いていましたよ。あまり重視される場所では,なか
    ったのでしょうね。
  • 泰澄さんて 投稿者:テェタレ 投稿日:11月01日 01時01分

    北陸は何処いってもこの人がいますよねぇ。
    白山しかり、能登の一宮の気多大社の神宮寺の開基も泰澄さんだって。
     
    ちなみに越前二宮の織田剱神社には、護摩堂が現存していて、修験道の匂い、ぷんぷんです。
  • 海老様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月01日 13時57分

    え?うそ、横着って面白い?
    なんか、こう、「飛ばす」って言葉自体が横着〜なイメージあるんだけど。
     
    >ハエ
    私は、昔廊下を歩いてたら、走ってくるゴッキーを踏み潰したことが。
    向こうから、「カサカサカサ〜〜ッ」って来たんで、
    「あ、やばい、このままやったら踏んでまう!」
    とか思って挙動ってふらっとしてしもて・・・・・。バッチシ黒光りの背中に足の裏でブチュッとタッチしてしまった(T_T)
    すごい??すごい???
     
    >ハッピー六波羅
    わははははは!!
    そういうおっさんなネーミングって、誰が考えてるんやろ。
    未だに、「風恋人(ふれんど)」とか「来夢来人(らいむらいと)」とかいう名前の喫茶店を見かけるけど、あれも誰が考えてるんか(T_T)
     
    どんなにお腹すいても、どんなに咽喉が渇いても、絶対入ったらへんねん。
  • 江良様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月01日 13時58分

    古墳ってそうなんですか。
    知りませんでした。
    戦国時代はその上にお城が建てられたりしたでしょ?
    だから、ある意味「良い場所」「要所」なんだと思ってました。
     
    なるほどねぇ。
     
    それじゃ、明治になって、かなり手が入ったんでしょうね。
     
    >慶俊僧都
    チェックしときまっすφ(..)
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月01日 13時58分

    気多大社も泰澄さんですか。
    気多大社も、謎が多いですね。
    応神天皇と名を取り替えたという逸話から、男性神だと思ってたら、女神なんですよね。
     
    織田剱神社。
    ご由緒書いただきましたよね。
    織田信長公のおうちが代々神官してたという。
    修験道ですか。
    ほほ〜〜。
  • のりちゃん様 投稿者:海老珍 投稿日:11月01日 15時58分

    それは気比。気多は羽咋の。あ、そういえば羽咋ってUFOで有名?もしかして泰澄さんの飛ばした鉢ってUFOからきてるかも?なんてね…こんな話全く得意じゃないんやけどねー。
    だんだん、私も横着思えてきました。かっこえ〜、って思ってたんにゃけど、ズボラ。
     
    そっか、のりちゃんもハッピー六波羅のネーミング気に入った?よかった。ん、確かにあのテの名前の喫茶は入りにくいかも。私がもしサ店するとしたら「喫茶おほげつ」にするわ。バックヤードで何やってるかわからへんで〜。ってこのネタはもういっこのスレでした・笑
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月02日 12時58分

    新スレ ハッピーアネゴーン
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