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るみ子の酒。 投稿者:3号! 投稿日:04月25日 11時31分

おお、少し前、テレビでやってたなあ!
わざわざ漫画家の方がこのるみ子さんのために
ラベルを描いてくれたとか・・・。
 
今朝、JRで「全国日本酒名鑑」みたいな本を
一心に読んでる女性がいました。
横から「のりちゃんって知ってる?」と
言いたい言いたい言えない言いたい!!で
もぢもぢしておわっちゃった。
  • そんな立派なお酒だったのか! 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 08時49分

    いや、結構いい値したみたいなんだよね。
    っちゅうか、なんの関係もなければ、あの値段であのラベ
    ルだったら、私は買わないっていうくらいの値段。
    しかし・・・。そうか、そのるみ子さんって、どんな人か
    知らないけど、るみ子さんが作ったお酒なのかな?
    じゃ、本当に添加物まったくないお酒なのかなぁ。
    でも、あの香りが・・・。なんかなぁ。
    邪魔になる香りだったなぁ。
    (あぁ、ボロくそいってるなぁ。すまん)

 

あまりにも長いので・・ 投稿者:石野真琴 投稿日:04月24日 23時35分

 あまりにも長くなりそうなので、別にレス立てます。こたつ様、その他の皆さんのレスが嫌だと言っている訳ではありません。御立腹されませんように・・
>ミーハーで非常に申し訳ないのですが、「ヒカルの碁」をこないだ読みましたら、信長が本能寺で打たれる前、二人の碁の名手に御前で打たせていたところ、珍しい、三コウができた、といわれているとか(石野さんは、将棋うちさんですよね。囲碁の話ですいません)。
これなんかは、後世の付会かもしれませんが、武将の最期
の直前に、「大凶」の予兆があった、なんていう逸話は、
探せばいっぱいあるような気がします。
 
 初代の本因坊光悦だったかな・・。「三こう」はあまりにも珍しく滅多に生まれる事がないために、吉凶は別としても無勝負というルールが生まれるきっかけになったとか。
 囲碁のルールを知っていれば解ると思うのですが、囲碁のルールは実にシンプルです。将棋のように駒毎に動きが違うというような事はなく、白と黒の石を線の交わる交点に置くだけです。ルールとしては「こう」に関係するものだけだと思います。
 
>はれ物ができた・・・とかいうのもそうですが、こうやって皆さんにお話を伺っていると、戦の勝ち負けを決めるのは、本当に「天」だという感じが、今の私達より、ずっと自然だったんでしょうね。
 
 これは武田信玄の例ですが、結構はれ物が出来て、出陣をのばした例があるみたいです。すべてが神というのも考え過ぎかも知れませんが、当時の人々に取っては、それが普通だったのかもしれません。
 
>またまた話はそれますが、その点、秀吉の一夜城なんかは、自らの工夫で、天を動かそうというような積極性がみられて、がちがちの武士にはない柔軟さがあったのかな、と、思いました。(一夜城って、単なる伝説なのかも?)
 
 一夜城に関しては、いくつの説があるみたいです。墨俣の一夜城は、城ではなくてせいぜい小さな砦程度だが、秀吉の人使い、築城の名人の片鱗であるとか。
 小田原の一夜城は、城からはその築城の様子を隠しておき(布で覆ってと言うような感じで)、夜中にその城を外すと、そこには一夜城ができあがっていたとか・・
 
 
  • 長すぎて・・ 投稿者:石野真琴 投稿日:04月24日 23時35分

    長すぎて、蹴られました・・続きです。
    >真田の山家神社、興味深いです。
    山岳信仰って、本当に古い古い信仰の形だと思います。
    それが、修験者を生んだのか、また全然ルートが違うのか
    はわかりませんが。
     
     これは私の勝手な想像ですが、もっとも古く自然発生的に生まれた山岳宗教が仏教に抑圧され、小乗仏教として伝来した密教がやはり大乗仏教に押しやられたとき、この二つが結びついて山岳密教が生まれる土台となったのでは無いかと・・山岳密教の修験者が、山伏となったのではないかな・・
     真田家のルーツ的な事は、この宗教的な部分を調べると、なにか出てくるのではないかと思っています。
     
    >またまた話がそれます。
    この間、柳生十兵衛が修行したという岩場に行ったのです
    が、ここを歩くだけでも大変・・・と思いました。
    つまり。
    現代人から見たら、ほとんどの戦国武将は、「忍者みたい
    に身軽」だったんじゃないかな?と。
     
     現代の我々から考えると、明治以前の人々、江戸期とそれ以前の人間は、根本的に違うのだろうと想像しています。生まれてからその一生で、馬に乗ったり駕籠に乗る事はあっても、その距離はごくわずかで。ほとんど生まれてから死ぬまで、自分の足で歩き続けたのです。江戸から大阪に行くのでさえ、ひたすら歩くしか無いのだから・・今の私たちには想像もつかないぐらい、歩く事に抵抗が無かったのでしょうね。
     人類が生まれて600万年とか、そのうち599万年と九千九百年は、自分の足で歩く生活していたのです。自転車を含めて日本ではわずか百数十年も、今のような電車や自動車、自転車を使った生活はしていないのです。
     ちなみに、わらじで歩く場合、今のコンクリートやアスファルトの道でなく土の道では、それほど疲れないとか・・、この辺は石川先生の受け売りですが
     
    >修験者や山伏を使って情報操作したり、情報を集めたりした武将って結構いたのでしょうか?
    楠正成もそうだったということですが。
    真田幸村・楠正成・・・。
    なんか、共通点が(^^ゞ
     
     修験者や山伏、僧侶などは、戦国時代でも結構自由に行き来出来た。つまり他国に入って情報を得る事に、あまり制約がなかったと言われています。これが商人であったり職人であったり商人だと、色々と結構面倒だったのではないでしょうか。もちろん武士では難しい・・・だから修験者となって情報収集したのだと思います。
  • 蹴られた傷は大丈夫ですか?(^^ゞ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 09時05分

    囲碁は確かに、ルールといえるルールはないのですが、そ
    の反面、定石などを覚えないと、なかなか勝負にならない
    という面もあるなぁ、と思い始めてます。
    奥が深い、ということかもしれません。
     
    現代の私達にとっても、「これは、偶然とするには、あま
    りにもできすぎてる」と思うようなことってありますよね。
    私は、勘・感どちらもあまり鋭くはない、っていうか、多
    分鈍いのですが、「符丁」というものを感じることがあり
    ます。
    例えばこれから、大事をなす、という時に、ある単語が、
    読む本・電車の中吊り広告・ふと見た看板に出てくる。
    そして、事が終わってから考えれば、その単語は、とても
    大事なポイントだった・・・なんてこと。
    そんなことがあると、超自然的な存在を少なからず意識し
    てしまいます。
    古代の人にとってはもっとそうだったでしょうね。
     
    こじつけかも知れませんが、足で地面を踏む、というのも、
    呪術的に意味がある、という考え方もあったと思います。
    あちらこちらを行き来した人たちは、そうやって自分の印
    を地面に押して歩いた・・・なんてのはないでしょうか?
     
    山伏が、関所を通るのに楽だった、とはこたつさんから、
    以前うかがったことがありました。
    それで、山伏なんですね。
    (いろんなことが繋がるのに、時間がかかる私の頭よ)

 

石和より帰陣 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月19日 21時14分

↑してからも、実は別の話題に加わってたワケですが(笑)、
のりちゃんが行けなかったもんだから、こちらの情報も一つ。
 
石和川中島合戦戦国絵巻に行って参りました。
山梨県は甲府の隣、石和町という所で行われる合戦祭りです。
戦なんで、鎧着て戦うワケで、全然神社ネタには絡まない
のですが(^_^;)、
一つだけ、もしかして関係あるかな、と思ったのは、
武田軍と上杉軍に分かれて戦うのですが、(ちなみに
ご存知の方も多いとは思いますが、川中島合戦とは、
武田信玄と上杉謙信が戦った合戦名であります)
この両陣営とも、総大将を中心にして、出陣の儀式
というのを行います。
 
武田本陣では、信玄を中心に、「三献の儀」。
これが毎度、私の参陣する上杉軍からは遠くて見えない
のですが、今年は10倍ズームのデジカメを持参した
ため、目では何やってるのか見えにくかったのですが、
何となく撮った写真に、偶然信玄に兜を被せる所が
見えました。
 
王冠の授与式みたいなモンですね。
あと三献というのだから、恐らく結婚式の時の固めの
盃みたいなモンではないか……と。
 
一方上杉軍では、武てい式というのを執り行います。
こちらは自分の居る陣地ですから、わりとよく見えます。
総大将(謙信)が清めた水を上杉の各隊の大将達の持つ
竹筒に配り、各々がありがたく受け取って飲む。
それだけです。
 
儀式には、鮑や勝ち栗など、要するに結婚式か結納の
時に見かけるような品々と、やはり一応祭壇みたいのが
ありまして、そこに供物が捧げられていました。
 
これより死を賭して戦いに赴く武将達にとって、
総大将(信玄と謙信)とともに、こうした儀式に
出られる事は最高の栄誉であり、これをもって戦場への
手向けとした、という具合の説明がナレーションで
されるんですね。
 
もう何度も出場してますので、何度も見てるワケですが(^_^;)、
最初にこれを見た時は、「おおっ、鎧を着たまま、
神様の儀式に参加してる、カッチョイイ!」なんて
思う反面、本当に戦国期の武将達にとって、鎧姿のまま
参拝なんて事は既に当たり前で、そうした血なまぐささ
をとやかく言う雰囲気ってのは、皆無となってたんだ
なぁ、とか思いました。
  • レポートありがとうございます 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 09時15分

    戦の前に儀式を行うというのは、知りませんでした。
    でも、心情的によくわかりますね。
    戦国の戦では、大勝した側の軍でも、何百人という死者が
    出たのでしょうし。
    三献の儀は、総大将と、各々大将達が交わすのでしょうか?
     
    自分の結婚式で、三献の儀をやった時は、
    「足りない〜〜!!」と思ったものですが、多分、戦前の
    三献の儀は、もっと大きな盃でするんでしょうね。
     
    武てい式も、総大将から「力水」を頂くということでしょ
    うか?儀式の意味ははっきりわからないけれど、その水を
    頂く大将達がこの水を「あり難い」と思って飲むだろうこ
    とは想像できて、面白いですね。
     
    さて、神前に鎧姿のまま・・・のことなんですが。
    そもそも今、限られた神社で、言われる「タブー」っての
    を言い出したのは、最近じゃないか、と思います。
    神式の葬式ってのもあるのに、死者の穢れがタブーのわけ
    ないですしね。
     
    神様同士も随分殺し合いをしてるわけですし、自分達がや
    ってきたことを人間がするのを見て眉をひそめるほど、神
    様ってのは度量が狭くないでしょう(^。^)
     
    タブーうんぬんって言うのは、神様の度量じゃなくて、タ
    ブーを気にする、人間側の度量の狭さなんだと思います。
     
    (といって、神社の鳥居壊したり、本殿汚したり、そうい
    うのは、絶対ダメですけどね。)
  • あれかな……? 投稿者:河内判官大夫 投稿日:04月21日 00時58分

    いはゆる、
    「御旗、楯無、ご照覧あれ!」
    と云ふ武田家名物の儀式とは違うものなのでしょうか?
     
    この三献が後代、水盃とかになったのやもしれませんな。
  • 御無沙汰しております 投稿者:石野真琴 投稿日:04月21日 14時01分

     管理人、のりちゃん様、大変御無沙汰しておりました。
     三月から異様に忙しい日々を過ごしております石野真琴です。最近では話題が難しくて、なかなか参加出来ません・・
     さてここで、こたつ城主様が、「三献の儀」と「武てい式」を紹介されておられますね。この「三献の儀」は戦国時代では比較的良く行われた出陣の儀式の一つだと言われています。三献は昆布、勝栗、打鮑の三種を肴に、三度に分けて土器で酒を飲む儀式です。これは出陣に際して勝事を祈る儀式です。最後に土器(かわらけ)の杯を石に叩き付けて割り、出陣することになります。
     この後にそれまで横にしていた旗を立てる、旗上げの儀式もあったと言います。
     三献の儀式は、前田軍でも行っていたというので、武田軍だけの儀式ではない事は間違いないです。
     さて、知っている範囲で言えば、土器を割るのはその割れ方で吉凶を占ったと言いますから、占い形が伝承された形態では無いかと思います。
     
     戦国時代はまだまだ神と人が共存していた時代であると言えます。ごくわずかな偶然が生死を分かつ場合があります。わずか一歩前に進んでいた為に矢にあったとか。矢を避けたとか、当たり所が良かったとか。悪かったとか。このような偶然を、神意と解釈し、神に幸運を祈ったのではないかと思うのです。この話はまたどこかで・・
     
     武田家の当主が先祖伝来の甲冑である楯無鎧(たてなしよろい、伝承は・・忘れた)と御旗(みはた、伝承は家祖新羅三郎の兄源頼義が、後三年の役か、前九年の役の際、後冷泉天皇より賜ったとされる、源氏の日の丸)の前で、自分の決意を先祖代々の魂に捧げる時に、「御旗、楯無、ご照覧あれ!」と叫び、これにより重臣や家臣の進言を退け、自分の意見に従う事を強要したと言います。この「御旗、楯無、ご照覧あれ!」は、武田家当主が先祖への誓いを立てる言葉であると言えます。大河ドラマではこれが一種の儀式のように撮影されていましたが・・どうなんでしょうねぇ。
     
  • 横から失礼します 投稿者:ぷち 投稿日:04月22日 03時33分

    皆さん御存知かもしれませんが…
    私が、何某神社の宮司さんから聞きかじった、結婚式で
    行われる"三献の儀"(神酒ハイタイ)についての豆知識です。
     
    まず、現在お式で行われる主な方式は、
     一番上の杯を、新郎→新婦→新郎の順
     二番目の杯を、新婦→新郎→新婦の順
     三番目の杯を、新郎→新婦→新郎の順
    …と言う風に、3つの杯を3回ずつ使い、3度に分けて
    飲むのです。
     
    多くの一般の人が神前式を行う様になったのは、
    明治天皇のご成婚で影響を受けてからで、それまでは、
    人前式が主流だったそうです。
    この形式は江戸時代位からのもので、
    当時は、新郎と新婦の間に、今でいう仲人さん(一人だけ)
    の席があり、三人並んで出席の人の方へ向いて座り、
    なんと"三献の儀"をその三人で行ったらしいです。
    (どの様な順番かまでは、忘れてしまいました)
     
    …"3"は安定しているので結婚や、結束を固めたりする
    のに向いてそうな感じがしますね。(高鴨神社のレポート内の"9回"というのも3に関係がありそうですねぇ)
  • 判官殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 09時49分

    水盃ってなんですか?
    もしかして、盃で水を飲むの?(←そのまんまやんかいっ!)
    それも、武士のセレモニーですか?
    私、本当に、皆さんに教わって始めて、昔の戦争は、いろ
    んな儀式やまじないごとに彩られてたんだって知りました。
    本当に、それは、ちょっとした間違いで大将も落ちてしま
    うからなのでしょうね。
    今の戦争は、大将は、ぬくぬくとしてる戦争だもんな。
    やっぱり違うと思うですだよ。
  • 石野真琴様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 09時57分

    いつも、ありがとうございます。
    石野さんのレポートは、誠実な人柄がにじみでてて、我が
    身を振り返って「お手本にせねば」と思います。
     
    さて、昆布・勝栗・打鮑を肴にした、ということは、お酒
    の方も結婚式で飲まれるような形式だけのものでなく、結
    構な量を飲んだということでしょうね。
     
    また、土器を割って占ったということなんですが・・・。
    もし、これが「凶」と出ても、やはり戦場には赴くのです
    ね。覚悟を決めて・・・?
    負けだと思っていても、赴いたのでしょうね。
  • ぷち様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 10時05分

    三献の儀は、人前結婚でも行われていたんですね。
    神前結婚の場合は、仲人の代わりに仲介者としての神様が
    いらっしゃるので、新郎と新婦の間だけで盃を交わすけれ
    ど、人前結婚の場合は、仲介者を合わせて儀式をするので
    すね。
    3という数字は陽数だから、というのもあるでしょうね。
    3×3=9は、最も大事な陽数で、
    易で、陽の爻を「九」と呼ぶのも、そういう意味なんでし
    ょうね。(ちなみに陰の爻は、「六」です)
     
    私は神前結婚だったんですけど。
    予行演習がなかったんですよ。
    ぶっつけ本番で説明もロクになかったので、廻ってきた盃
    をくくくい〜〜〜〜〜っと飲み干してしまいまして・・・。
    旦那は、形だけ口をつけるということに(^^ゞ
    私が飲み干してしまった時の巫女さんの焦った顔。
    忘れられません(^^ゞ
  • 儀式の裏側(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月23日 17時17分

    水盃は、なぜ水になっちゃったのか私も知りたいんですが、
    「死を直前にした盃」という具合に、よく時代小説には
    出て来ますね(^_^;)。
     
    江戸期の時代物で見るシーンとしては、何か失敗したり、
    主君(暴君とか)に死を賭して諌言するなどの時、
    よく家族で水盃をかわして家を出る、なんちゅう具合。
     
    つまり「もう生きては帰って来ない最後の盃」みたいな
    具合に使われてるのを見掛けます。お酒だと酔っ払って
    大事を成し遂げられないからでしょうかね?
     
    盃を叩き割るのも、「二度と帰って来ない(割ったら
    二度と使えない)」という意志の現れ、という具合に、
    何しろ「決意」を示すものとして表現される事が多い
    ように思えます。
     
    江戸期以降になると、こういう忠誠心みたいのは当たり前
    という感じになるかもしれませんが、戦国期なんて、
    いっぺん戦場に出てしまえば、そのまんま敵方に寝返る
    なんちゅう事もよくありましたから(^_^;)、人質に
    残して行く(つもりはなくても結果的にそうなる)
    家族とは、勝っても負けてもこの世の別れになる可能性
    は強かったのですね(^_^;)。
     
    このように考えると、戦に勝つためとだけ考えると
    「どうしてそんな不吉な事を?」と思える作法も
    ちょいとあざとい裏が生臭く見え隠れするのですね(笑)。
     
    大将の戦い方というと、信玄と謙信は非常に対照的
    でして、これがよく言われる信玄と謙信の一騎討ち
    (むろん後世のフィクションであります(^_^;))に
    その性格の違いがよく現れています。
     
    信玄は床机に座ったまま軍配で迎え撃つ。
    謙信は馬上自ら切り込み、敵の武将に刀を奮う。
     
    こんな事が本当にあったのではなく(^_^;)、信玄は
    軍議を重んじますが、あくまでも総大将というものは、
    本陣から兵士達に命令を下し、彼らの成果を評価して
    最終的な論功行賞の責任者として「動かざる事山の如し」存在としてうってつけの武将であったと。
     
    一方の謙信は、戦は臨機応変さを要するので、先に
    細かく作戦するより(つまり軍議を重ねるより)
    皆が付き従う気になった総大将が自ら馬上で先頭を切り、
    軍を鼓舞し、兵士達はただ、それについていけばいい、
    という一種のカリスマ性を持った武将だったと。
     
    さて三献の儀ですが、私の結婚式も神前だったのですが、
    これは元々姉が教会だったので、二度目の私は親族に
    サービスせにゃならんと(親族の中で女性が少ない
    ので、数少ない花嫁姿には親族のアホな期待が集まるん
    ですね:笑)、それだけの理由で神前になったわけで
    すが、緊張してたのかリラックスしてたのか、私は
    三度とも一気飲みをしてしまい、親族一同「この後、
    まさか、ガチャンと割って、出陣じゃあ! と叫ぶの
    では……」と心底恐怖に怯えた模様であります。
  • おお、こたつ様 投稿者:石野真琴 投稿日:04月23日 23時58分

     三献の儀式で、土器を割って吉兆を占うと言う言葉で、誤解を生んでしまいましたか?
     戦国時代の三献の儀では土器を割りますが、もはや吉兆を占うのは、形式だけとなっていたものと思われます。
     実際の手順としては、出陣する前に、軍議、陣触れ、出陣の儀式と旗揚げとなります。この群議の前に、軍師が吉凶を占って、出陣に適した吉日を選んでいたと言います。従って、土器の割れ方云々がどうあろうと、吉日なのですから出陣したわけです。
     さて、軍議の前に籤を引いた例としては、明智十兵衛じゃなくて、日向守光秀は、本能寺で織田弾正忠じゃなくて、右大臣信長を殺す軍を起こす前に、籤を引いたが大凶であったとか・・。
     軍議に先立って、自分の決意を神社に奉納する習慣もありました。この奉納した書状が今でも残っていて、当時の習慣などを伝えてくれています。
     もっとも戦は相手がある事ですから、こちらの都合に従って攻めてきてはくれません。それでも吉日を選んで出陣する所に、この時代はまだのんびりしていた事が解ると思います。また、吉日が決まっていても、相手の動き次第では出陣を延期した事例もあります。はれ物が出来たとか、目が腫れたとか、明らかに時間稼ぎの理由があったり、母親が急死して延期したした場合もあったようです。
     
     まえに紹介した真田の山家神社(やまがじんじゃ)は、延喜式内社と紹介しました。この神社の本尊は信仰上は白山とよばれる、信越国境にそびえ立つ四阿山(あずまやさん)であるとされます。この神社は素朴な山岳宗教の神社なのです。
     ここに信濃に残った山人つまり縄文人と、真田家との関係が想像できるわけです。
     また真田は、忍者使いとして世に知られますが、その理由の一端にこの神社を奉っていた事が上げられます。山伏、山岳密教を信仰する人々は、諸国を巡って情報を集めていたとも言われるのです。
  • 水さかずき 投稿者:河内判官大夫 投稿日:04月24日 01時22分

    ちと調べてみませう……。
     
    1.「水盃」で調べる

    >風水・水盃【大】 価格 1,500円 (消費税別・送料別)
    >方法が新しくなりました!
    >友達にメールですすめる.お気に入りに追加. ...
    何だこりゃ?友達にすすめてどうすんじゃぁ(爆)!
     
    >●開運水盃
    水盃で開運?ううむ……。
     
    2.「水杯」で調べる

    >船水杯
    >横水杯
    >菊水杯
    ……?(゚_。)?。競艇かぁ!
     
    3.「水さかずき」で調べる
    ふぅ。やっとマトモなのがでてきました。
     
    >酒の代わりに水を用いて飲む別れの杯。
    >再会を予期できない時などにする。
    と云ふことですが。どうも不吉な意味にとられて
    ゐます。
     
    しかし、もともとは「安全を誓う」とか、つまりは
    「生きて帰る」と云ふことのための儀式であった
    やうです。
     
    そして、戦国時分では盃を地面に叩きつけて砕いて
    しまふわけですが、これは「(盃が)地に帰る」と
    云ふことで、つまりは「帰る」の意味がこめられて
    ゐるのださうですわ。
     
    しかし、なんで「水」なんかは判りませんでしたぁ。
    酒だと、「もぅ一杯、もぅ一杯」とか云ふやつが
    出てきて収拾がつかんことになるからでせうか(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 08時55分

    ちょっと話がそれちゃうかも知れないんですが、うちは、
    ばぁちゃんがいたので、すごく迷信にうるさかったんです
    ね。鍋から湯を湯のみに注ぐ時、逆手で注ぐとすっごい叱
    られる・・・とか。
    その中に、盃に水を入れて飲むとすごい怒られたことがあ
    ったのを思い出しました。
    子供のころは、理由なんてわかりませんから不思議でした
    が、「死を覚悟した時に飲む飲み方」だったんですね。
     
    信玄と謙信については、「塩を贈る」の逸話が有名ですが、
    謙信については、とかく、美談が多いような感じを、あま
    り詳しくない私は受けてます。
    ・・・時代劇なんかでも謙信を悪に描いたものってありま
    すかね?
     
    ただ、総大将が先陣切って戦に望むってのは、大将にカリ
    スマ性があればあるほど、万が一(ってぇか、先陣切って
    たら、可能性十分あるけど)自分が倒れた場合のことを考
    えると、これは、あまり良い大将と言えない気もしますが。
     
    上司にするなら、こういうタイプがいいですけどね(^^ゞ
     
    んでもって、こたつさんも一気飲みでしたか(笑)
    うちの親族は、さすがに、「出陣じゃぁ」の心配はしてい
    ませんでしたが、
    手の甲で口をぬぐい、「ぷは〜〜っ!」って言うんじゃな
    いか、と心配したようではありました(爆)
  • 石野真琴様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 09時13分

    ミーハーで非常に申し訳ないのですが、「ヒカルの碁」を
    こないだ読みましたら、信長が本能寺で打たれる前、二人
    の碁の名手に御前で打たせていたところ、珍しい、三コウ
    ができた、といわれているとか(石野さんは、将棋うちさ
    んですよね。囲碁の話ですいません)。
    これなんかは、後世の付会かもしれませんが、武将の最期
    の直前に、「大凶」の予兆があった、なんていう逸話は、
    探せばいっぱいあるような気がします。
     
    はれ物ができた・・・とかいうのもそうですが、こうやっ
    て皆さんにお話を伺っていると、戦の勝ち負けを決めるの
    は、本当に「天」だという感じが、今の私達より、ずっと
    自然だったんでしょうね。
     
    またまた話はそれますが、その点、秀吉の一夜城なんかは、
    自らの工夫で、天を動かそうというような積極性がみられ
    て、がちがちの武士にはない柔軟さがあったのかな、と、
    思いました。(一夜城って、単なる伝説なのかも?)
     
    真田の山家神社、興味深いです。
    山岳信仰って、本当に古い古い信仰の形だと思います。
    それが、修験者を生んだのか、また全然ルートが違うのか
    はわかりませんが。
     
    またまた話がそれます。
    この間、柳生十兵衛が修行したという岩場に行ったのです
    が、ここを歩くだけでも大変・・・と思いました。
    つまり。
    現代人から見たら、ほとんどの戦国武将は、「忍者みたい
    に身軽」だったんじゃないかな?と。
     
    修験者や山伏を使って情報操作したり、情報を集めたりし
    た武将って結構いたのでしょうか?
    楠正成もそうだったということですが。
    真田幸村・楠正成・・・。
    なんか、共通点が(^^ゞ
  • 判官殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 09時18分

    わはははっははははは!!
    朝から笑いをありがとう(^O^)
    しかし、その「風水水盃」ってのは、ちょっと興味ひかれ
    ますね。
    やっぱ、
    「水杯を西南の方角においておくと、金銭運アップ!」
    とかで、札束風呂に入ってる写真とかが載ってたりしまし
    た??
    (私、あの手の広告読むの、好きなんですよ。悪趣味な)
     
    しかし、もともとは、「無事帰る」という意味の儀式が、
    「別れを覚悟する」という風に変わって行くというのは、
    ・・・面白いですね。
    いや、ままあることでしょうけどね。
     
    水ってのに、どんな意味があるか・・・。
    いや、よくわからないけど、「死出の水をとる」って言う
    でしょう?
    あれとなんか関係あるのかも知れませんですね。
  • いやいや(^^ゞ 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月24日 20時28分

    >石野真琴さま
     
    誤解はしてないです(^^ゞ。元は本当に占いだったと
    私も思います。
     
    かわらけ投げってのが、琵琶湖の竹生島(都久夫須麻)
    神社ってトコにありますが、あれは恐らく盃を割って
    吉凶を占う事が原形であったと思います。
     
    ちょっとこの件で笑い話があって、ウチのこたつ亭主、
    ここに行った時、これを「かわら投げ」と読み間違えて、
    「スゴイな! 瓦を投げさせるんだ!」と勘違い
    しちゃったんですけどね(笑)。
     
    のりちゃんは行った事があるから知ってるかもしれないけど、
    お金を払って、境内から投げさせてくれます。
    ちょっとしたストレス解消ですね(笑)。でも
    投げた結果が下に飛んでっちゃって残骸が他のと
    混ざるんで(汗)、形を見分ける事は出来ませんが。
     
    >判官さま
     
    水盃も盃割りも、吉凶はたしてどっちの概念が先か、
    私も判らないです(^_^;)。
     
    しかし割れた器が地に帰るという事に、「死(人も
    死ぬと地に帰る)」を重ね合わせれば不吉には違いない
    とは思うんですよね。モチロンこれは、死を絶対に
    いけないもの、とする現代人の感覚で捉えてはいけない
    でしょうけどね。
     
    これは、それこそ石野さまの管轄ではありますが、
    真田の六文銭にしても「三途の川の渡り賃」と言われる
    所以は、そうした不吉さを「武勇」に摩り替えた理論
    で、やっぱり武士にとって「死を賭して戦う」事で
    日頃の不条理(背反したりする行為(^_^;))を清算して
    いたのだろう、と私は想像します。
     
    あと、泥棒だったか職人だったか、仕事前に酒を飲む
    流派と、終わるまでは一口も飲まない流派とあった、
    とか前に聞いた事があるんですが、これは恐らく、
    元は武道ではないでしょうかね(^_^;)。酔拳みたいのも
    あれば、私の通ってた道場では禁酒でありました。
    穀物や刺激物の導入に関してもいろいろありますしね。
     
    >のりちゃん
     
    秀吉で有名なのは、中国大返しの時(信長が本能寺
    に倒れ、これの仇討ちに引き返してくる途上)、
    姫路城で占い師だったかが戻り凶と占う話ですかね。
    秀吉はこれを「マズイ」と思ったのか(笑)、「この
    城には二度と戻らないと言う事は、つまり勝つという
    事(買ったらもっとデカイ城が手に入るって意味か)
    だ」と豪語して出て行き、光秀を倒すんですね(^_^;)。
     
    こゆ事って多かったと思います。死をどう捉えるかは
    現在と違うとは思いますが、やっぱ死んだり負けたり
    するのは嫌だったでしょうから(死ぬのは良くても
    無駄死には嫌だよね)、やっぱ将にとって、人の心を
    どう持って行くかは重要だったんでしょうね。
     
    座っていれば神に見える人も、馬上にあれば神に見える
    人もいて、何しろ人が神にならなきゃならなかった
    時代。乱世とは、そういうものかもしれませんね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 08時49分

    はっきり覚えてないんだけど、ある作家(名前忘れた)が、
    雑誌の記者に「悲観主義者と楽観主義者の違い」を尋ねら
    れて「ウィスキーがボトルに半分残っている時に、『あぁ、
    もう半分しか残ってない』と考えるのが悲観主義者で、
    『まだ半分も残ってる』と考えるのが楽観主義者である。」
    と答えた、なんていう有名な逸話があります。
    たしか、バーナード・ショウと読んだと思うんだけど、最
    近記憶が・・・(こればっかり)
    あと、こんな格言もあります。
    「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のもので
    ある」
    誰の言葉かは忘れました。
     
    秀吉は、意思的な楽観主義者だったのかな?と思いますね。
    意思的に、「神」になろうとした、とも言えるかも??
    現代社会でもそうですが、こういうリーダーにひっぱられ
    る団体は、伸びると思います。
     
    竹生島神社の「かわらけ」投げ、私もやりました。
    で、私も、「瓦投げ」と勘違いしてたので、ちっちゃいお
    皿を2枚渡されて、脱力しました(^^ゞ
    私が行った日は雨だったので、余計に視界が悪く、どこに
    飛んで行ったのかさっぱりわかりませんでした。
    私と一緒に島に上がった団体は、ほとんどがお寺目当てだ
    ったらしく、神社は私一人しかいなくて、宮司と結構お話
    をゆっくりできて、よかったんですけどね。
    でも、経営のことを考えると、少し心配になったのでした。
     

 

蛇足ですが… 投稿者:ぷち 投稿日:04月23日 03時38分

色々あるかもしれませんが、結婚式で、杯のお酒を飲み
干すのはむしろ良い事だと思いますよ。(色んな意味で)
 
ほとんどの御新婦サマは重い"打ち掛け"を着ておられ、
手を動かし難い事と、お酒が苦手な方が多いという事か
ら、"形だけ"にしてあるのだと思います。
 
…飲み残しの時の対応は、神社や神官さんの方針などで
色々あります。(人によってやり方が微妙に違う)
 
*飲み残した時、毎回中身を必ず空にして渡す
    (そのまま渡すと、間違ってそれを飲んでしまう
     人がいる…特に新郎さん。)
*飲み残しがあっても、特に差し支えが無ければ
そのまま渡す
(必ず空にするのは、二人は夫婦なのになんか変
なので…という処と、時間短縮命の処)
*飲み残しが無くても、必ず毎回捨てるマネをする
(これを様式化している処と、飲み残しがバレな
い様にするカモフラージュ)
 
…それと、お神酒を注いだ後、なかなか飲まない御新郎
サマに、声を掛けるかどーか…と、又どういう風に?と
いうのも違いマス。(ココは巫女任せの処がほとんど)
 
「どうぞ」…又は「お召し上がり下さい」と言うのですが、
言ってしまうと、次も声を掛けられるまで待ってしまう
人が居る→ヘタすると、9回共、声を掛ける事になる…
ビデオをしてると後から見た時オカシイ…ので、声を
掛けない!で居ると、ずーっと待っておられるので、
 
"時間短縮命の方針"の処では、間髪入れずに「どうぞ」と
言い、(この際9回共言うのを覚悟してます)
"優雅さ命の方針"ならば、まったりと待ち、気付かなけれ
ばやさしく「どうぞ」と言い、それでも気付いてくれない
時には「お召し上がり下さい」とハッキリ言います。(や
さしく言うと、なぜか伝わらナイ)
 
巫女側からみたタブーは
"両手が自由に動く人が、片手しか使わない"事。
参列者の人で
"ビデオ等の撮影を勝手にする"事(禁止の所があったり
するので、事前に確認してればOK)
私語や、携帯電話の音(切っておく)
泣いたり、グズる子供をそのままであやす。
(タブーらしいので、直ぐお外へ。)
…など、マナーが悪かったり、"祝詞"を邪魔する事です。
 
他に、必ず守って欲しい事があれば、事前に伝えられたり
その都度教えてくれたりします。
例えば、"玉串奉天"の時のお作法。
玉串の扱い方や、二礼二拍手一礼、神前まで進んだ場合
の帰り方(新郎は左回り、新婦は右回りで、向き合う様に)
…等です。
 
また長くなってしまいました。すみません。
  • 結婚式 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 09時33分

    緊張してらっしゃるから、「どうぞ」と声をかけられるま
    でどうしたらいいのかわからずぼ〜っとしてしまう人が多
    いのでしょうね。
     
    うちかけも重いし、しめつけられてる胸は苦しいし、鬘は
    重いし痛いし・・・(^^ゞ
    少なくとも花嫁にとっては三重苦だし。
     
    私の結婚式の時は、色直しの度に写真撮影だったのですが、
    私の後に写真室に入ってきた新婦さんは、息絶え絶え、今
    にも倒れんばかり、といった風情でした。
     
    多分、式の間中も、苦しくて苦しくて・・・だったのだろ
    うなぁ・・・と。
     
    花嫁さんは、披露宴でも食事を残しがちなようですが、そ
    れは、緊張のせいもあるけど、和服で締めつけられて苦し
    くて、食べることができない、というのもあるんだな、と
    その時思いました。
     
    なんでこんな風に他人事みたいに書いてるのかというと、
    そうです。私は、披露宴のご馳走は平らげましたし、次々
    やってくるお酌の波を全部飲み干したからです(^^ゞ
    でも、巫女さんも大変そうですね。
    一世一代の晴れ舞台をサポートするんですもんね。
     
    さて、ぷちさんの教えてくださった、「タブー」。
    すごくよくわかります。
    どれも、「タブー」というよりは、神様に対して敬意があ
    れば、できないことばかりですよね。
    (私はうっかりいつも携帯の電源を切るのを忘れてて、式
    が始まってから切るのですが・・・)
     
    神様に対して敬意があって、忌中の人と、
    別にさわりはないけれど、神様を信じていなく、マナーも
    悪い人、ならば、当然、前者を神様は喜ばれると思います。
     
    でも、どうでしょう。
    忌中の人はやはり鳥居をくぐってはいけないという神社も
    あるのでしょうか?
    母が修学旅行で伊勢神宮に参拝したとき、忌中の人は鳥居
    から中に入れなかったということなんですが、現在も同じ
    でしょうか?
    でも、神社でお葬式もあるのに・・・。
    そんなことはないですよね?
  • どうでしょう? 投稿者:ぷち 投稿日:04月24日 08時25分

    私は「神社庁」関係者では無いので、そちら側の正確な事
    は判らないし、「忌中」の期間等、全然知識はありません
    が…
    正直、我々は「忌中」でも関係ナイ様です。
    数年前、私の親がこの世に居なくなった時も変わらず「お
    祭り」でご奉仕しました。
     
    →でも、知り合いの神社の奥サマの場合、ご自分の実家
    に不幸があった時、数ヶ月「物忌み」らしき事をしたそう
    です。(多分ご実家の方へ戻っておられた)
     
    神サマは"ケガレ"を嫌いますね。("清め"は大好き)
    という事で「忌中」を嫌うのは、"ケガレ"を嫌う事でしょ
    うか。
    そして、"死"が穢れというよりも、
    "死をもたらす正体不明のモノ"が穢れなので、
    例えば"血"も"ケガレ"ですね。
    "血"=不浄("死体"=黒不浄…イケニエ)だし、女性の生
    理も"月の障り"といったりしてますね。
     
    神道のお葬式は"ケガレ"を払うという意味だと、聞いた
    事があります。
    逝く人を見送ることの他に、残された人にまで"ケガレ"
    (死)が及ばないようにするためのモノ…なので、「忌中」
    の人はまだ穢れているので、ダメなのかなと思います。
  • 穢れは 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 09時33分

    私にとっては興味深いテーマなんです。
     
    穢れってなんだろ?とか。
    でも、神様が嫌っておられる「穢れ」を人間が持って鳥居
    をくぐった場合、神様は怒られるかなぁ・・・なんて。
    ちょっと甘えた感覚を持ってます。
     
    ヤマトタケルは、(古事記では)、東夷を征伐した後、婚
    約者のところへ帰ってきて、彼女が月経中であったのに、
    「ま、いっか」と・・・え〜〜〜〜〜っと、おこなってま
    すよね(^^ゞ
     
    反対に、アジスキタカヒコネの命は、死者と間違われて、
    烈火の如く怒ってますよね。
     
    神様によっても、考え方は違うのかも知れませんね。
     
    ぷちさんのお話によれば、神社によっても、考え方は違う
    ということですよね。きっと。
     
    神社神社で違うのであれば、参拝した神社で尋ねてみるの
    もよいかも知れません。(でも、初対面の社務所の方に、
    「月経中や忌中も参拝してもかまいませんか?」と聞くの
    は勇気がいったりして・・・)

 

お酒のラベル 投稿者:3号! 投稿日:04月23日 15時37分

お酒も着々とUPしてますね。にこにこ。
お酒の背景の、のりちゃんの日常生活(たんすとか
たたみとか)を垣間見てほくほくしてます笑。
あのラベル、ワインみたいにとっておいてるのかな?
なかなかラベルだけでもおもしろいね。
  • ラベルはねぇ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 08時44分

    一時期とってたんだけど、最近はやめた(^^ゞ
    写真に残してるから、いいやって。
    ラベルはがすのって結構難しいんだよね。
    なんだか、ラベルはがしようの便利グッズもあるようだけ
    どねぇ。

 

ご祈祷効いたでしょ? 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月21日 16時33分

阪神勝ったでしょ?神風吹いたでしょ?
私すごいでしょ?>のりちゃん
  • 恐れ入りました 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 09時46分

    いや、まじで、阪神があんな圧勝するとは思いませんでし
    た・・・。
    具顕殿、なんかあったら、ご祈祷お願いしますね。m(__)m
  • 今年の阪神 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月23日 08時06分

    すごいですね。
     
    星野監督を恋い慕うおばちゃまのパワー炸裂で、
    経済効果もうなぎのぼりとか、
    関係ない北海道人も注目してしまいます。
     
    ぜひ優勝していただきたいです。
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 09時35分

    お帰りなさい。
    阪神が強いと大阪は盛りあがるようです。
    うちの父も弟も、別にファンじゃないはずなのに、テレビ
    中継は必ずチェックしてます。
     
    優勝したら、それはすごいことに・・・。
    ここは、具顕殿に頻繁に祈祷してもらわねば(^^ゞ

 

石和川中嶋合戰繪巻速報版の御報せ 投稿者:上杉影虎 投稿日:04月22日 20時33分

こんばんは、上杉影虎です。ご無沙汰しておりますが如何お過ごしでしょうかな?
謙信之館に於いてとりあえず寫眞のみの速報版が完成出来ましたので御覧になってみてくだされ。
来年こそは共に参陣致しましょうぞ。
宜しく御願い致しまする。
  • 早速 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 09時22分

    拝見しました。
    前日、大宴会だったのですね。
    ところで、影虎殿自身の写真がなかったのですが・・・?
    カメラ構えてらしたんですね(^^ゞ残念。

 

大変御無沙汰です 投稿者:石野真琴 投稿日:04月21日 14時14分

 いやいや、掲示板も盛り上がってますね。戦国の方では石和合戦の話題で持ちきりですが・・
 エッと、今年も石野真琴は石和合戦に参加してきました。のりちゃんさんも、来年当たり時間があれば、参加してみたらいかがでしょう。もちろん観戦だけでも良いと思いますが・・
 関東で有名な神社は、諏訪大社、鹿島大社、他にもいくらでもあります。個人的に是非とも紹介してほしい・・無理かな・・小さな神社ですが一応延喜式内社でもある真田の山家神社とか・・。
 巫女神楽の話題など、実に興味が尽きません。あんまり知識がないので、ROMしているだけですが。
 また、参加できそうな話題があれば、参加させて頂きます。
  • こんにちは 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 09時44分

    大変お忙しそうだったので、私もROMしていました。
    石和は、参加したい、と思っていたのですが、ぎりぎりに
    なって、4月一杯は家から離れられなくなりまして・・・。
    (でも、もう少しでそれも終わりだいっ♪)
    来年は、旦那と参加したいな、と思ってます。
     
    関東でも、伊豆諸島は式内社がとても多い、と話に聞いた
    ので、是非行ってみたい、と思っています。
    でも、足掛けじゃなくて、じっくり廻ろうと思えば、1週
    間ほどかかるでしょうねぇ・・・。
    私は有名な神社も嫌いではないのだけれど、小さくても、
    ユニークな神社はもっと好きです。
    真田の山家神社とは、どんな由来があるんでしょう?
    変わった名前ですね。

 

巫女神楽 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 08時49分

ぷちさん、長くなったのでこちらで。
報告が遅れたのですが、先日参列した、高鴨神社の春季大
祭では、巫女神楽が奉納されました。
扇と鈴を持って舞われたので、これが扇四方拝というもの
かな?と思ってみてました。
(ぷちさんのお蔭で予習ができて、ラッキーでした(^O^))
秋の大祭でも奉納されるかどうかわかりませんが、前もっ
てわかったら、連絡しますね。
ちょっと不便な場所にある神社ですが・・・。
 
さて、大蛇と龍。
この関係は難しいですね。
大蛇側は、「八俣」がおりますし、
龍側は、「九頭」がおります。
数では龍の勝ちっぽいんですが、どちらも似ているという
結論も出せそうです。
 
蛇を龍の眷属と見る考え方がどっかの地方にあったような
記憶がうつろにあるんですが・・・。
ちょっと記憶が定かじゃありません。ごめんなさい。
 
でも、タカオカミの神様や金龍の神様は、大蛇の舞いを、
喜んで見てらっしゃるように思います(^O^)
  • 拝見しました! 投稿者:ぷち 投稿日:04月21日 01時07分

    高鴨神社の春季大祭のレポート素晴らしかったです!
    まるで、自分も祭礼の場に居るように感じました。
     
    →"鈴と扇"を同時に持つ舞は幾つかありますよ。
    @鈴扇(御殿の正中で立ち、後、その場で左右左と回る)
    A扇四方拝(体の中心で両手をクロス〜両手を上から下
     へ大きく回す…を繰り返しながら、縦横斜めに四方又
     は八方を歩き回る)
    B片吾妻(始め両手を上から、交互に左右の下へ動かしな
     がら、後ずさり?する。鈴を上から下へ鳴らし、同時に扇
     をクルクル回しながら、御殿を四角く歩き後斜めに歩
     きまわる)
    途中で鈴と扇を持ち替えたりする舞は…
    C相舞(2人か4人で舞う。左右の巫女同士で入れ替わり
     後、基の位置に戻り、鈴扇を早く舞う)
    D浦安の舞(始め扇だけを持ち舞う。後、浦安鈴に持ち替
     え、舞う)
    …などです。
     
    @〜Cは浪速神楽で、基本的に大阪(〜神戸)の伝承神楽
    です。(但し、舞易いのか、他の地方の神社等でも奉じられ
    る様です。←大阪に習いに来られるらしいです。)
    Dは昭和生まれで、神社本庁指定?の舞で全国規模です。
     
    ……高鴨神社さんは奈良なので、浪速神楽でないかもしれません(社伝神楽の可能性もアリ)
  • 見てくださってありがとう 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月21日 10時08分

    自分ではちょっとふざけすぎかな?と思ってたんです。
     
    舞いは、多分@の鈴扇に近い舞いだったと思います。
    二人の巫女さんが、鈴と扇を持ち、回転しておられました。
    (でも、自分の足のしびれが気になって、結構上の空だっ
    たから、ちょっと違う点があったかもしれません)
     
    お祭りの時、ぷちさんは、正座したままお祭りが進行する
    のを待っているんですよね?
    すごいなぁ。
    ・・・って感心する場所が違いますね(^^ゞ

 

はじめまして 投稿者:ぷち 投稿日:04月06日 17時20分

本職の巫女さんではありませんが、とある巫女神楽の勉強?をしている、大阪在住の者です。皆さん"神社"がお好きなのですね〜。ところで巫女神楽には興味がおありですか。勉強中で知らない事が多いので恥ずかしいですが、"日本の、巫女さんが舞うお神楽"は、どんなのが、どれだけあるのでしょう?出来れば観たいので、ご存知でしたら教えて頂けますか。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月07日 08時34分

    巫女さんの書き込みは始めてかも(^O^)
    こちらこそいろいろ教えてくださいね!
     
    さて、巫女さんが舞う神楽ということなのですが、私は、
    全くわからなかったので、「どうだろう?」と検索だけし
    てみました。
    んで、纏まってるので、ここ↓
     
    http://www.city.buzen.fukuoka.jp/tokushuu/00_sep/kagura_enmoku/kagura_1.htm
     
    そもそも、神楽は、宮廷神楽と里神楽に分類され、さらに、
    里神楽が、巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽
    の4系統に分類されるということですね。
    これは私の想像ですが、伊勢神楽・出雲神楽ともに、どん
    どんアレンジが加えられ、地方によって様式はさまざまな
    ようです。
    ってことは、巫女神楽も、いろんな種類があるのかも。
     
    さて、巫女神楽をご覧になりたいとのこと。
    京都三大祭、春日若宮のお祭りで八乙女による巫女舞が奉
    納されると書いてありますね。
    参加されては如何でしょうか。
    12月ですから、まだ先ですけどね(^^ゞ
    http://www.cam.hi-ho.ne.jp/nobuchi/onmaturi.htm
    に次第が載ってます。
  • ありがとうございます 投稿者:ぷち 投稿日:04月08日 08時09分

     春日大社若宮おん祭りは観てみたいお祭りです。(毎年用事ができて行けないんです…) 
     社伝神楽で巫女さんの舞が確実にあるのは、
      大阪の住吉大社、
      奈良の春日大社(長唄舞?など)、
         大神神社(うま酒三輪の舞など)
      伊勢神宮(多分、倭舞)
    などなど、大きな神社では祭典やご祈祷の一部に組み込
    まれていたりするようなのですが…
    春日大社では、一般の人もお神楽が観れますが、他の神社などでは、どうなのでしょうか?
    →どなたかご存知でしたら教えて下さい。
     "巫女神楽"で検索してもかなりあったので…
     
     神楽が奉納されるというので、京都の城南宮で秋に行
    われたお祭り(何のお祭りだったか…)を数年前に観に行
    きました。"浦安"の二人舞でそれは美しい舞でした。(曲
    はなぜかテープでした)
    終わった後、舞姫さんにお話を伺いました→城南宮に入
    って2.3年の巫女さんから選ばれ、6月位から奈良の橿
    原神宮でみっちりお稽古をしていたそうです。
     他にも奈良(何処の神社だったか…)へ笹百合のお祭り
    を観に行きました。お神楽は大神神社の巫女さんが出張して、舞われました。すごい人だかりでほとんど見えず終いでした。
     
     大阪には里神楽"浪速神楽"があります。(大阪天満宮は
    このお神楽です。その他、大阪の多くのお宮ではお祭り
    などで舞われます)
    兵庫県(神戸)にも同じ様な(曲、舞共に少し異なる)お神
    楽があります。
    京都の伏見稲荷さんにも似た(同じ?)お神楽があったそ
    うですが今では絶えてしまった様です。
    →"浪速神楽"については、大阪府神社庁でビデオを貸し
    て頂きました。浪速神楽にも流派がいくつかありますが
    ビデオに収録されているのは"富永流"で、佐備神社の太
    平千代子先生が指導されたそうです。
  • さすがにお詳しいですね。 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月09日 09時56分

    限られた人しかお祭りに参加できない神社っていうのは、
    却って珍しいと思います。
     
    特に、秘密裡に祭事を行う必要があるのはどういう場合か、
    と考えると、呪術的要素が強い場合じゃないかなぁ?と、
    思います。
    ほら、風水で、地を穢す時、その土地を観光地化させて、
    気を乱すという手があるでしょう?(多分、あったと思う
    んですが、勘違い・記憶違いだったらごめんなさい)
    それと一緒で、不特定多数の人間が集まることによって、
    場が乱れるような願い事をする場合のみ、見物人を限るん
    じゃないでしょうか。
    ・・・という気がします(^^ゞ
     
    とすると、ほとんどの祭りの場合、特定の人の為の願い事
    をするためのものではないし(豊作でありますように、と
    か、今年もよい年でありますように、とか)、特別に、内
    緒で行う必要はないんじゃないかな?
    と素人考えながら、思います。
     
    さて、
    http://members.tripod.co.jp/maikiko/index_m.html
     
    こちらの管理人さんは、どうも関西の方らしく、巫女神楽
    についてもお詳しそうです。
    (ただし、紹介されているのは、ぷちさんが教えてくださ
    った神社ばかりですが)
     
    私は面識がないのですが、掲示板で質問されてみては、ど
    うかな?って思います。
    なんだか、質問のたらい回しみたいで恐縮なんですが。
    うちのHPも、またよろしくお願いしますねm(__)m
     
    また、神楽じゃないのですが、
    近鉄南大阪線「布忍」から最寄りの「布忍神社」の夏越し
    の大祓えでは、舞と横笛が奉納されていました。
    (去年のお祭りはレポートしましたので、よろしければ、
    このサイトの、布忍神社のページを見てみてください)
  • ご丁寧にありがとうございます 投稿者:ぷち 投稿日:04月09日 12時25分

    早速アクセス致しました。→非常に美しい舞姿の数々…
    でした。(実は以前にもアクセスしていましたが、休止中
    だったのです。でもでも、5月で閉鎖されるそうなんです
    …)お祭りの様子も写っていたので、一般に公開されてい
    るのですね。(機会があれば)是非観に行きます!
     
    "祭典"(祝詞奏上や、御神楽、総代さん達の玉串奉天等)
    は、神社のお祭りの中で行われる、重要な式典で、公開し
    ない…というより御殿の中で行うものなので、関係者し
    か観れないという神社もあるのです。
    神社によっては祭典中のお神楽を、御殿の外に用意され
    た場所で奉じるという所もある様ですが…
     
    本当は自分の教わってるお神楽についての事や、ご奉仕
    させていただいてる神社の数々(神社占いでヒットして
    驚きました。)、又、どこの神社では何祭りにお神楽が奉じ
    られるのか…なーんて、言いたくて言いたくてしょうが
    ないのですが、お神楽の先生に迷惑が掛かる事になるかもしれないので、先生のお許しを得て機会があればどん
    どん発表?しますね。
  • わくわくっ(^O^) 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月10日 08時24分

    発表、すっごい楽しみにしてます。
    実は、最近まで、お神楽にこんなにいろいろ流派がある、
    なんてこと知りませんでした。
    また反対に、各神社で舞われている、お神楽が、「流派」
    に基づいているとも知りませんでした。(神社オリジナル
    だと思ってました)
    舞いの中の所作にどんな意味がある、とか教えていただけ
    たら、すっごい嬉しいです(^O^)
     
    あと、ぷちさんが、神楽を舞われるお祭りがあれば、教え
    てくださいね。
  • 先生の許可はまだですが… 投稿者:ぷち 投稿日:04月11日 11時30分

    "舞の所作"については、舞によって、色々あると思いマ
    ス。〈のりちゃん〉さんがどんなお神楽をご存知なのか
    わからないので、長くなりますが、大阪で一般的な浪速神
    楽についてお答えします…
     
    浪速神楽の中でも、多分有名な"剣の舞"(魔除けの神楽)
    採り物(持つ道具)は剣…これは日本刀の様に反った形です。
    →ちなみに"八雲"(所によりオロチとも言う)は二人舞で、
     採り物は一人が直刀(両刃)で、一人が布製の蛇さんです。
     ドラマを感じませんか?
     スサノオノミコトさんが、ヤマタノオロチを倒し、そ
     の亡骸から、"剣"(草薙の剣)をとりだす…
     浪速神楽には、"神楽歌"というものがあります。
     それは、短歌の形で、舞の曲の前や、曲調が変わる時等、
     舞っていない時に楽人(伶人)さんの一人が、読み上げる
     ものです。(普通のお祭には無いカモ)"八雲"では…
    八雲たつ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を
     …の後、曲が流れ、舞い始めます。説明書きによると
     『二人の巫女が各々採り物を持ち、一曲目はただ捧げ
     持って舞い、』…
    み剣のみいつ尊し八尾わたるやまたのおろち切り払うらし
     …の後『直刀の鞘を払って双方共だんだん激しく、退
     治するが如く舞う。神話に由来する神楽』…です。
     
    "剣の舞"の歌は…
    @ひさかたのあめにあがりしむらくもの剣は今もよよにつたえき
    『剣を捧持したまま"式"(定番の舞の形)を舞い、』
    Aしげりける道くさなぎの剣こそやまとたけなる神のみこころ
    『剣を抜いて舞い、更に早拍子で振りながら激しく舞う』
    …これもドラマですねぇ。
    ビデオでは正式な形をされていますが、大体の神社では、
    神楽歌無しで、Aの歌の後の舞から舞始める様です。
    (但し、祭典等では、歌は@だけで舞は全部されます。)
    Aの歌の後の"剣の舞"の所作の説明は…
     始め、剣を少し見上げる。→よく切れる剣だぞ…
     中程、激しく振り払う→魔物と戦って、切り倒す…
     最後、くるくる回る→意味は判りませんが、浪速神楽に
     非常によく出てくる所作です。左右左と回るので、きっ と厄除けとか、神様への礼節という事でしょうか…
    激しく、ドラマチックな舞です。
     
    次に、一寸マイナーな"鉾の舞"(国つくりの様子)です…
    採り物は、鉾…鉾先を下に、腰の位置で右手に持ちます
    曲も、"剣の舞"とほとんど同じです。
    @久方のあめよりおろす玉鉾の道ある御代は大やしまくに
    Aこの鉾はいづこの鉾ぞあめにます豊岡姫の宮の鉾なり
    …この舞も@の後"式"を舞い、Aの後から"剣の舞"と同
    じ形で舞います。剣は鞘を腰の位置で左手に、剣を右手に
    持ちますが、鉾は左手をかざし(顔の前位の所で斜めに拝
    む様な感じ)、右手に鉾を持つので、見た感じ、左右逆に
    なります。…曲調が激しくなる所の所作の説明
     中程、鉾を両手で持ち直し鉾先を下に、かき混ぜる様に
     まわす→まさに国つくり!!
    *神楽歌は、流派によって多少違う様です。
     
     ☆代表的な舞では他に、
    "庭の舞"(鈴神楽、別名、鳳凰の舞!)/"鈴扇"
              →"式"といわれる様式の舞
    "湯立"(献湯)→御殿の前で舞われます。
     ☆知る人ぞ知る舞
    "胡蝶吾妻舞"→左右の手にそれぞれ扇を持ち、クルクル
           回す。扇が蝶の様にキラキラと綺麗な舞。
    "磐戸開"→天の岩戸の神話に基く神楽。
    …等々。長くなってしまったので、上記5座は詳しく説
    明してません。もし良ければ又書き込みマス。
     
    以上、わかりにくい所はありませんか?
    ちなみに、私のご奉仕させて頂いてる神社には、クラオ神
    様が小さく祭られていマス…判っても、ナイショにして
    下さいね。
  • すごい! 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時34分

    おもしろいし、興味をかきたられました。
    ふと思ったんですが、「八雲」。
    これって、オロチ退治が主眼のようですが、「八雲たつ」
    の和歌が読まれるということは、素盞鳴尊と櫛稲田姫の結
    婚もその舞の中に織り込まれてるということなのでしょう
    か?どんな時に奉納される神楽ですか?
    魔除けってことは、正月とか、そういう節目でしょうか。
    う〜〜まだまだ質問はつきないのですが、あまりいろいろ
    質問すると、自分でもパニクるので、これだけ・・・。
    教えてくださいm(__)m
  • 長々とすみません… 投稿者:ぷち 投稿日:04月12日 11時18分

    "八雲"の"歌"ですが…(櫛稲田姫の)お家を、オロチさん
    がぐるぐると(八重の垣が出来る位)周りをとり囲んでし
    まってどーしよう…という状態だよ〜と、聞いたことが
    あります。この歌の後、舞始めるので"ヒーロー登場"と
    いう事なんだな〜と受け取ってマス。(すみませんが本当
    の所、どうなのかわかりません。精進しマス。)
     
    それと…これはマイナーなお神楽なので、めったに奉じ
    られないと思います。("剣の舞"の採り物の説明として
    "八雲"にふれたつもりだったのデス。)
    なぜなら→採り物が特殊だからです。(蛇さん)
    普通、神社には"神楽鈴"は常備されており、"剣"も奉じら
    れる機会が多いのでなんとか用意されています。
    規模の小さな神社では"鉾"まで用意できるのは少ない様
    です。→なので、ニーズにもよりますが、奉じられるお神
    楽も限られてきます。
     
    ちなみに…『原則と例外』という感じになりますが、
    お正月に奉じられる『原則』は
    "四方拝"(この舞の曲は、他の舞にもよく使われている)
    "扇四方拝"("四方拝"と同じで、さらに左手に扇を持つ)
    で、説明書きには「宮中の元旦四方拝に因んだ舞」とあり
    ます。『例外』は…
    "鈴神楽""剣の舞""鉾の舞"など、ポピュラーな舞です。
    →"四方拝"は単調で長ーい(しかもまったり)せいか人気
    が無いようです。神様へのお神楽なんですケドね。
    『定番』は、"湯立て"でしょうね。何処でもされてるみ
    たいですね。→神社によっては、1日と15日の例祭?
    月並祭?で、必ず"湯立て"をされるという所もある様です…
  • φ(..)厶厶 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月13日 09時42分

    お話が具体的で、わかりやすいです。
    ごめんなさい。八雲自体は、よほど大きな神社でしか、舞
    われないのですね。
    それにしても、お話の通りだとしたら、
    私が妻娶りの歌だと思っていた、
    「八雲立つ」は、オロチと体面した時の歌だという解釈を
    されていることになりますね。
    そうだとしたら、興味ひきます〜〜。
     
    これは、お話に聞くだけじゃなく、私も巫女神楽を見学に
    行かねば。
     
    扇四方拝。
    話しに伺っただけで、すごく華麗そう。
    (でも、まったり、ですか(^^ゞ??)
    もしかしたら、巫女神楽の場で、お会いするかもしれませ
    んね(^O^)
  • ご無沙汰デス 投稿者:ぷち 投稿日:04月19日 11時38分

    ”八雲”…神社によると思いマス。
    ちなみに、私が主にご奉仕させて頂いてる神社ですが
    小さ〜な神社なのですが、"蛇さん"があるので、た
    まーに、舞います。
     
    →でも、クラオ神や、金竜神がおまつりされているの
    に、いーのかな?なんて思います
    …"龍"と"大蛇"は別?
     
    巫女神楽に興味がおありなら、大阪府神社庁で浪速神楽
    のビデオを、解説メモ付で貸してくださいますので、ま
    ず、御覧になられてみては??(但しかなり、まったり)

 

お神酒って・・・。 投稿者:3号! 投稿日:04月19日 00時50分

純米なの??
先日、大神神社でいただいたんだけど、
なんだか立派な器で、今だ開封するのが
恐れ多い。キュウキュウ。←恐縮中。
  • 大神神社は 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月19日 09時19分

    酒蔵の神様でもあるから、そうかもしれない・・・。
    でも、純米酒じゃないこともあるし、神社によるかな。
     
    献じられたお酒を徳利に入れて、参列者にくださる神社も
    あるし(これなんかだと、誰がどんなお酒を献じたか、で、
    純米酒だったりそうじゃなかったり)、ワンカップを前も
    って業者から購入しておいて、それを神前にそなえて、最
    後にそれを配ってくださる神社もあるし。
     
    大神神社のはどんなのか知らないので、呑んだら教えてね!

 

三好そうさん 投稿者:河内判官大夫 投稿日:04月18日 00時51分

「せっぱ!」と答えて、「そら"そもさん"や!」と云ふことはともかく(^o^;。ちょっとだけ補足しませう。
 
そもそもこの三好宗三は三好長慶から見れば叔父さんにあたります。しかし、乱世の常と云ふことで、一門同士でもほとんど敵のやうな関係でして、三好長慶のお父ちゃんの三好元長は、この宗三に裏切られて堺で自害してしまいました。これを根に持った長慶は年長ずるに及んで復仇のために畿内に進出して宗三を目の敵とし、宗三を支持してゐた管領・細川晴元とも喧嘩するに至ったのでした。
 
余談ですがこの宗三の子が三好政康・政勝で、出家して三好清海・伊三、すなわち真田十勇士の一員となったとか云ふ伝説もあります。実際にも90歳に近い年齢で大坂城に籠って討死にしたとか。
 
ところでこの「榎並」と云ふ土地なのですが、「榎並猿楽座」と云ふ一団がゐました。猿楽は基本的に神社を背景としてゐます。彼らの信仰してゐた神様とかと関係してゐたとか云ふのは考えられんでせうかねぇ……?(゚_。)?
  • おぉ〜 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 09時22分

    長慶が、細川晴元を倒そうとした原因がそもそも宗三だっ
    たのですね。
    しかし、ほんま、身内の喧嘩やったのですね。
    この情報、少し整理してから、神社紹介に書かせてくださ
    いませm(__)m
     
    榎並猿楽、確かに、野江水神社の側に、「榎並猿楽発祥の
    地」という碑があるようですね。
    もともと、この一座のお社があった所に、水神社を勧請し
    てきた可能性は十分ありそうですね。
    しかし、もともとの神様が、それじゃあ誰だったか?
    と言われると・・・。伝承に残ってるかな?
    調べてみますです。
     
    情報、多謝です(^O^)

 

うちの掲示板でのお答え 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 19時34分

ぶっちゃけた話、お祓いの方がよろしいでしょう。
 
気分を変える契機になります。気分が変われば運気が変わります。
お札でもいいかと思いますが、お祓いの方をお勧めします。
  • これが下に行っては・・・・ 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 19時38分

    意味がない。書き込む順番って難しい。
  • ありがとうございます 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時59分

    なるほど。御祓いは、気分を変えるという効果もあるんで
    すねぇ。
    確かに、拝殿で御祓いを受けている間、風が唸ったりして
    いれば、それだけで、「私、もう大丈夫!」ってな気分に
    してもらえます。
    はっ私が単純過ぎ?

 

旧事記はともかくあの本は・・ 投稿者:ZOU 投稿日:04月15日 00時43分

野間神社拝見しました。
野間という名は私にとって非常に縁のある名前なので、大変興味深い内容でした。祭神の野間姫命というのは、古代中国の航海神「娘媽(ノウマ)神女のことかもしれません。弁財天とも同一視されることもあるようです。
 
あとね、布留がスサノヲの子供だと言い出しっぺはあの「古代日本正史」だったと思います。あの本で、スサノヲの一族にはフツ・フツシ・フル・ウガ・ミグクルというような蒙古名(あだ名かよお?)がある、などというわけわかめな解釈をして、人格神にその名を当てはめていたと思います。大野七三さんだけでなく、神社の由緒書きそのものもあれに影響されている場合があるようです。
 
旧事記本文でも「ホアカリ クシタマ ニギハヤヒ」なのに、影響されている場合(出雲・日向・大和一族関係系図も含みます)は「ホアカリ クシミカタマ ニギハヤヒ」というように「甕」をくっつけっちゃってるんですよね。影響力強いです、あの本(-_-;)
  • なんだ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月15日 06時19分

    旧事記の中にあるんじゃないんですか。
    探そうと思ってたのに、ちと拍子抜け(^^ゞ
    人の「説」をお金出して買って読もうと思わなかったので、
    あの手の本ぜんぜん読んでないんですが、少なくとも、誰
    の説か、とか、「トンデモ説なんですよ〜」ってことは、
    知っといたほうがよいかなぁ。
    しかし、ミグクルって、蒙古名ということになってるです
    か(^^ゞ
    んでもって、神社の由緒書、「石上神社から饒速日命をう
    んぬん」もその説の影響あるかも、ですか。
    私は神社の由緒書をもとにしてるんですが、それも、いま
    いちなのかぁ・・・。う〜〜〜む。
    やっぱり、いろんな説を読まんといかんか(乗り気でない
    のでアル)。
     
    野間姫については、じぇんじぇん資料がないんでなんとも
    わかんないですが、「野間」という、音が自然に発生する
    名前じゃなさそうですから、「娘媽神女」様が辿り付いた
    可能性はありそうですね。
    中国神話、もっとたくさん読みたいと思ってます。
  • 横から失礼します 投稿者:KAG 投稿日:04月15日 14時19分

    >ZOUさん
    >神社の由緒書きそのものもあれに影響されている場合があるようです。
     
     素直に熱心にご研究されている方の中にもあの本に影響されている場合があるそうですね。いい意味での疑う目を持ちたいものです。私が神奈備先生のサイトに初めてヒットしたのは、このページからでした。
    http://www.kamnavi.net/yamasiro/imeidousin.htm
     
     それにしてもあの本『〜正史』というタイトルには問題があります。誠意を持つならば、試論とか私論という意味の題名で留めるべきだと思いました。商業主義が最優先なのかな。
    『○マト言葉語源辞典』なども、無視放置するには問題があるように思っています。その道の専門家にはきちんと評価を下して、素人が騙されないようガイドする義務を負って頂きたいものです。それでこそ、権威としての名誉があるのではないでしょうか。
     
    >管理人さん
    >人の「説」をお金出して買って読もうと思わなかった
     
    『偉いっ!立派だぁ!その心意気!!』
    心から応援しています。つねづね、参拝された神社についての管理人さんのコメントに、独創的な視点を感じていました。エッセイのような趣きで、斬新なところがいいのです。他の孫引きに影響されずにね。
     もし確実に誤った箇所があれば、読者からの指摘があるでしょうから、他の人の説に見習うことなく、今まで通り『現場で感じたこと』を主体に王道を歩まれることを期待しています。現行のガイドブックよりオリジナリティがありますよ。むしろ集成してご出版を目指して下さい!
  • 古代日本〜〜は、 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 09時32分

    実は、うちにあります。
    旦那の所有物でございますが、なんで、「ある」のに読ま
    なかったのか、という理由は、この手の本が好きじゃない
    からなのですが、なによりも、これが「遺作」である、っ
    ちゅうからなのです。
     
    性格が多少浪花節な私は、「遺作」と聞いちゃぁ、絶対、
    感情移入しちゃうに違いないんですよね。どっかで。
    ですから、どんな内容か、さっぱり知りません。
     
    でも、古代史において、「この神様は本当はこうで、これ
    が正史である」と主張している本は、どれも、眉つばで読
    まないといけないよな、とは思います。
     
    でも、この作者が焦って、読者が誤認しかねない文章を書
    いてしまったのかも知れず、私故人は、それを手放しで責
    める気にもなれません(ほら、感情移入しちゃってる(^^ゞ)。
     
    私自身が、好きなこと妄想して楽しんでるもので、文章に
    する時は、気をつけないといけないな、とは再確認しまし
    たです。m(__)m
  • してやったり! 投稿者:ZOU 投稿日:04月16日 23時56分

    あの本は私も買いたくなかったのですが、とにかく読まねばと思い、以前に図書館で借りて読みました。ですが、あまりにバカバカしかったので疑問点をワープロ打ちして巻末に貼り付けて返却してやりました(^_^;) よーやるわ!
     
    というわけなので、
    >人の「説」をお金出して買って読もうと思わなかった
    あの本に関しては喝采\(^o^)/
     
    同系統の本としてこれもやばいっす! 神奈備さんから。
    http://www.kamnavi.net/yamasiro/imeidousin2.htm
     
    あと、この批判記事は読んでて楽しめます。
    http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/7-rev/7a-seisi-a.htm
  • そんなにバカバカしいですか? 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時50分

    しかし、作者がもうこの世にいないので、問いただせない
    のが惜しいですね。
     
    神社巡りを始めた頃に、そういう「とんでも〜」な本を読
    んでいたら、すっごい影響されちゃってたでしょうね。
    今の私は、とりあえず、いろんな説に少しずつ影響されて
    るので、どっかに深く傾倒しちゃうという状態にはならず
    にすんでる・・・のかなぁ?
     
    反対に、日本書紀を「正史」として、これを元に日本の歴
    史を想像する・・・のは、あたかも正統のように言われま
    すが、日本書紀も「とんでも」だと言えば、間違いなく、
    とんでも、なんですよね。
    物語も、なんか平板で面白くない。
    作者の文学的素養を疑う(なんちて)
     
    そんなことを考えたら、何がどうで何がなんなんだか(^^ゞ
    なんにも言えなくなっちゃうような気もするんで、あまり
    にも無理なこじつけには、「無理あるで」と指摘できるく
    らいの冷静さを持っていられるように努力する、というこ
    とで、どうでしょうか。
     
    かの、サイエンスエンタティナー氏の説を信じている人達
    もいるくらいで、古代史てのは、それだけ面白いってこと
    でしょうね。
    なにが言いたいんだか、自分でも・・・(^^ゞ
  • ♪遺作は気を引くゥ〜 投稿者:KAG 投稿日:04月17日 16時54分

    冗談です、失礼しました。 <(_ _)>
    でも、さすが人情に厚い管理人さんです!
     私も、原田常治氏の『古代日本正史』と『上代日本正史』は持っています。ちゃんと身銭きって買い、読みました。しかし、我が愚脳では、
      ○×△♂♀※∀∞∂∈∴東南西北白癸中!
    という程度の読解力しかありませんので、『ふぅ〜ん』で終わってしまいました。
     
     神一行氏や『ナムジ』の安彦良和氏の著作には、原田氏の『古代日本正史』を参考にされたことを明記されてますね。小椋一葉氏の『消された覇王』も読みましたが、
    『古代の息吹』HP
    http://www3.ocn.ne.jp/~koview/
    ここのプロフィールと著作リストを見て、多少感情移入が・・・(^^ゞ。他に関裕二氏の一連の著作などもありますね。古代史ノンフィクションと謳っていますが、よく判らないので結局、エンタテイメントとして受け取っています。大衆受けしやすい内容と価格の本で、書店でも一般書の棚に並んでいますし〜。
     上記の方々より、さらに本格的に踏込んだ体裁の本が、歴史書の棚にたくさん並んでいますが、なかには負けず劣らず???な内容もありました。
     
     これら作家の方々と、直木孝次郎先生や森浩一先生など
    学者の方々の啓蒙書とは、同列に論ぜられないのは当然です。(直木先生の著作の中には、あの梅原猛氏の本への指摘も、ちゃんとありました。)
     ただ、学者であれ作家であれ、研究の成果や著作を世に問うて、賛同を得たり、反論を受けたりして、批判されることはもっとも大切なことだと思います。それでこそ研究が深まっていき、その分野全体の前進になるでしょう。
     著作を批評することと、その作者の人格を批判することは繋がらない(ようにあってほしい)と思っています。まして愛読者まで連動して批判しているわけではありません。
     感情移入しても『センセ、ここちょっと違うンちゃう?』と語れる『親しさ』があってもいいでしょう。
    『古代日本正史』も賛否両論あって話題になるほうが、原田常治氏も天国で楽しんでいらっしゃるかもしれない、そんな風に考えています。遺作が打ち捨てられてかえりみられないよりネ。
     ・・・などと書き込みつつ、一番無責任に法螺吹き回っているのが自分です。m(_ _)m
     
    日本書紀について面白いサイトがありました。
    佐藤信正氏『日本書紀は唐(中国)が作成した』
    http://www.people.or.jp/~nobumasa/kodaishi/shoki.html
    『東アジアの古代史を考える。』
    http://www.people.or.jp/~nobumasa/kodaishi/
    いろいろな見方があるのは、楽しいことです。
  • 『古代日本正史』と『上代日本正史』 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 19時37分

    私も読みましたよ〜。今は押し入れの中で寝ているはずです。もしかしたら古本屋にいるかもしれませんが(笑)。
     
    私も内容はよくわからないと言う感想しかもてませんでした。
    ああいう本って難しい。
  • KAG様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時55分

    >いろいろな見方があるのは、楽しいことです。
     
    まったくもって、同意見でございますm(__)m
    だからこそ、いろんな意見を「冷静に」聞ける自分でいな
    いとね(^^ゞ
     
    それが難しいんですよね。
    私の場合、
    「えっ!うそうそ、本当?すごいすごい・・・・・なんか
    変ですけどぉ・・・むちゃくちゃ変ですけど・・・さっき
    の感動返せ〜〜〜!!!」(ノToT)ノ ┫:・'.::
    と大騒ぎしちゃうでしょう。わはは。
     
    これまたKAGさんのおっしゃられた、「良い意味での疑う
    目」これを養うように、がんばります(^O^)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時58分

    わはははははは!!
    論理の飛躍がすごすぎたんですか?
    あの手の本って、「よくわからない」と言う感想よりも、
    「それがどうした」っていう感想が多かったりして。
    それも切ないなぁ。

 

烏 パートU 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 09時51分

>こたつ様
月と蛙は、四川漢代の墳墓の壁画に描かれているそうで、
(四川漢代って西暦23年から230年くらいを指すよう
ですね)かなり古いといえるんじゃないでしょうか。
んでもって、そういえば、兎も蛙も両方ぴょんぴょん飛び
ますねぇ。
鳥獣戯画って、兎と蛙ばっかでしたっけ?
なんか、猿が一番多かったような印象があるんですが。
すいません。全然知りません。
でも、鳥獣戯画に頻出する動物は、鳥羽僧正好みなのかも
知れません。
 
黒い鳥と白い鳥を表す部族は、全然知りません。
ただ、古来、鳥は、魂だと思われていた、なんて話しがあ
って、その魂の格が高けりゃ高いほど、色が白くなる、と
なってます。(だから、ヤマトタケルは白鳥なんですね)
そういう見方でいけば、単に、体制側と、反体制側の争い
だったのかも知れませんね。
 
んでもって、烏天狗!
烏天狗の本場(?)は、鞍馬ですよね。
なんか、なんで烏なのかっていう説明を、水木しげるの本
で、読んだ覚えがあります。(学者の説は読まないくせに、
漫画家さんの説は喜ぶ、お軽いワタクシ)
烏天狗って言う名前が出てくるのって、いつからでしょう
ね?
有名なのは、牛若丸の時代ですが。
登場した時代によって、考え方が変わってくると思います。
「熊野の烏」も時代によって捕らえられ方が違うだろうし。
つながりがある可能性はあるでしょうね。
 
しかし、烏って目はつぶらだって、知ってました(^^ゞ??
しかも、すごい懐くんですって。
 
先輩のお話なんですが、烏を飼ってる友達の所で遊んでる
と、烏が焼餅やいて、ぎゃいぎゃい鳴いたとか。
情の厚い鳥なのかも知れません。
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 10時01分

    うちの近所では、アオサギと烏がよく争ってます。
    アオサギって、烏よりかなり大きいです。
    しかも鳴き方が、「アオ、アオ、アオ」なんてかわいい(?)
    ものじゃなく、「ンギャ〜!」とかなり、怖いです。
    そのアオサギが群れをなして、天皇陵の木の上に留まって
    いるところは、はっきしいって、おどろおどろしいです。
     
    烏が近づくと、攻撃をしかけるのですが、その際の、烏の
    身のこなし方は、なかなか颯爽としてて、好きです。
     
    あと、烏って、仲間の危機は、ほっておかないんですって。
    5年くらい前、鉄腕ダッシュが、まだ夜の番組だったころ、
    烏の鳴き真似で仲間を呼べるか?
    という企画をしてたんです。
     
    で、普通に真似しても、勿論ダメなんですが、
    周波数を機械的に変えて、
    「救いを求める鳴き声」に近くすると・・・。
    烏が3〜4羽、どこで助けを求めてるのか、探すように、
    飛んできたんですよ。
     
    いやぁ〜、スンバラスィイですね。
     
    でも、烏が大好きなのか?と聞かれると・・・。
    昔、職場の昼休みに屋上で昼寝してたら、烏が集まってき
    たので、(餌と間違われたのかしらん(T_T))ちょっと、
    怖がってますm(__)m
  • 月と蛙は 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月16日 17時21分

    ↑漢の時代からあったんですね(゚.゚)!
    ギリシャ神話でも中国でも、太陽が男で月が女ですけど、
    ギリシャでは、月の女神のお気に入りは鹿サンでしたね。
    日本で月と鹿の組み合わせと言えば……山中鹿之助
    ぐらいかな(笑)。
     
    山中鹿之助と言えば……これと戦った毛利も三ツ星
    が家紋ですね。のりちゃんの話によく出て来る、
    底筒男命と中筒男命と表筒男命の三兄弟と同じ
    三ツ星です。
    ギリシャ神話では神話に登場する人物が星座になって
    ますが、日本の神話でも、星になってる神様は多いの
    でしょうか?
     
    黒い鳥と白い鳥の話は、のりちゃんの言う通り、
    ヤマトタケルと関係があったと思います。つまりは
    白鳥派は黒鳥派に追い詰められたって結末だった
    覚えがあります。
     
    アイヌは、氷が張って、動けなくなった白鳥の足を
    鎌で刈るのを、禁止していたんだそうです。これを
    本州から渡って来る商人とかがやって、揉め事の
    キッカケとなった話を子供の頃に本で読んだ覚えが
    ありました。
     
    今でも捕鯨や毛皮で揉めますが、どの動物を神聖視
    するかで国家対立にまで発展するんだから、結構バカに
    出来ない問題ですよね(^_^;)。
  • カラスって 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月16日 20時11分

    やっぱり人間的なんでしょうか?
    カラス何故泣くの?カラスは山にかわいい七つの子が
    あるからよ〜って、カラスの愛情深さが人間に知られて
    いたんでしょうね。
    それにしても、とんびと争い、青鷺と争うカラス、
    何が目的なんでしょう?
    餌にするとも思えませんが・・・餌かな、やっぱり?
    それとも縄張り争い?
     
    ところで、黒い鳥に追い詰められる白い鳥、
    白鳥の湖だわ〜。
    あ、またバカなことを言ってしまった。
     
    氷が張って動けなくなった白鳥の足を鎌で刈る話、
    私も何かで読んだことがあります。
    ほんとにひどいですよね。
  • 馬鹿話ですいません。 投稿者:あかがね 投稿日:04月16日 22時31分

     最初に謝っときます(汗)
     
     烏の「七つの子」が七歳なのか、七羽なのか?という論争ありましたよね。烏の七歳は人間の何歳やねん?とか七羽のことを七つなんて数え方するか?(仮にも自分の子であろうに)とか。決着のつかない大論争。
     
     また、氷が張って動けなくなった白鳥の群れが池ごと持って飛び立ってしまう笑い話を聞いたことがあります。
     
     だからどうしたと言われればそれまでの馬鹿話…。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時24分

    山中鹿之助の話、どんな話ですか?
    名前から察するに、山の中で鹿と、何かがあったんですか?
    (←そのまんまやん!)
     
    さて、日本の神様で、星座(星)になっているのは、ほと
    んど(記録に残って)ないと思います。
    北極星を「天御中主」と見る考え方はありますが、これは
    多分道教からの転用じゃないか、と思います。
    つまり、新しく輸入した思想です。
    日本人だって、昔は空を見上げながら眠ったのでしょうし、
    星座をつなげるという発想がないわけはない、と思うので
    すが、記録に残さなかったのか、記録を何かに消されたの
    か、とりあえず、現代にまで残ってる資料はない・・・と、
    思います。
     
    たまたま、三筒男神は、海洋の民、住吉氏の崇敬する神様
    で、住吉氏は、体制側として残ったため、この考え方も、
    残った・・・のかなぁ?
    昔のことゆえ、想像するしかないんですが(^^ゞ
     
    ところで、白鳥の足を刈る話。
    それって、本当なんですか?
    落語の世界の話だと思ってました。(落語では、その鳥は、
    鴨だったと思いますが・・・で、春になると、その足から、
    鴨がにょきにょき生えてくる、というオチでした)
    だって、湖が凍ると、春まで溶けないでしょう?
    足を凍らせてしまった白鳥は刈られなくても、生き延びる
    のは難しいように思います。
    でも、その話が本当だとしたら、アイヌは、白鳥を神聖視
    してたということですね。
    気持ちはとってもわかりますです。
  • 烏天狗 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時32分

    忘れてました。
    「太平記」に、没落寸前の、相模入道高時が、鳥や獣が山
    伏姿をした化け物に、「天王寺のをや、妖霊星をみばや」
    と囃された話がでてきますね。
    この鳥の山伏姿をした化け物は、烏天狗の一種かもしれな
    いですね。
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時32分

    はたから見てると、アオサギと烏の戦いは、縄張り争いに
    見えます。
    たまたま、アオサギの群れの側を烏が通りがかっただけな
    んだけど、アオサギが過敏反応をして、おっぱらおうとし
    てるように見えるんですが、それだけ、烏は脅威なのかも
    知れませんね。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時37分

    あの歌の後半、
    「山の古巣へ行ってみてごらん。かわいい目をしたいい子
    だよ」
    「いい子」であって、「いい子達」じゃないところを見れ
    ば、七歳の烏なんでしょう(笑)
     
    「おっかさん、今日は遅いわねぇ」と、晩御飯のしたくを
    している、七歳の烏の娘を想像してみてください。
    あぁ、かわいい(爆)
  • 山中鹿之助 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月17日 14時53分

    ↑は、出陣の前に必ず月に向って手を合わせ、
    お祈りをしたと伝えらてます。それがゆえに現地には、
    鹿之助の「祈月の像」というのが立ってます。
    こたつは鹿之助の像のよじのぼり、一緒に同じ方向
    に向ってお祈りをしました。そのうち写真を見せましょう。
     
    その折、鹿之助が発したと伝えられる言葉が有名です。
    すなわち、
    「我に七難八苦を与えたまえ」
    マゾ武将だったんですね(笑)。
     
    前にここでちょっと話した事があるかもしれませんが、
    山陽では太陽、山陰では月にお祈りします。
    今でも夜に月に向って祈る人はいるようですが、これが
    鹿之助伝説にあやかっているのか、それとも本当に
    もっと古来からこうした風習があって、それに従って
    いるのかまでは不明であります。
     
    住吉の神の話は、前にウチでも教えてくれましたよね!
    そうか……寝返った勢力だったんですね(汗)。
    何となく、こないだ伺った話の底意がわかってきた
    ような(笑)。
     
    白鳥の足切りですが、これは子供の頃に読んだ童話に
    書いてあった逸話で、あくまでもこれをモチーフに
    創作がされている話だったと思いますが、白鳥や鹿を
    殺す時、アイヌが必ず祈りを捧げるのはどうも本当
    にそうだったのではないか、と思います。
    アイヌには文字がありませんから、伝承のみで想像を
    繋げるしかないんですね。
  • 我に七転八倒を与えたまえ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時50分

    だと、吉本の喜劇チックになります(^^ゞ
    というのは、蛇足で・・・。
    そういえば、教えていただきました。すっかり忘れていた
    私・・・。すいません。
     
    住吉氏が寝返ったのか、
    住吉氏がそれまで大王だった勢力をうちまかして、自分達
    が大王になった氏族なのかは、わかりません。
    というより、後者の方があり得ると、思ってます。
    が、ここらへん、記紀では何も書いてありませんので、あ
    くまでも想像なんですが。
    住吉神と、神功皇后が記紀の上でも強く関連づけられてい
    ますから、神功皇后ないしは応神天皇は、住吉氏だったん
    じゃないか、という想像はそれほど無理はないかも知れま
    せん。
    でもって、応神天皇は、神武天皇が実在したとしても、同
    じ血統かどうかは、疑わしいという想像も、そんなに無理
    はないと思います。
    星を自分達の神様とする、外からやってきた勢力。
    それは、どこからきたのかなぁ?と思うと、ちょっと楽し
    くなりますね。
     
    アイヌでは、白鳥と鹿を神聖なものとしていたようだ、と、
    そういうことですね。
    白鳥が神聖に見えるのはなんとなくわかります。
    鹿も。
    やっぱり容姿って大事だわぁ・・・と別のところで感心し
    てしまう私なのでした。

 

烏天狗 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月16日 19時39分

と言うものは平家物語くらいから出てくるみたいですよ。
それまでは天狗ってただの流星の意味らしいです。
 
参考文献は日本呪術全書の修験道の項に書いてありました。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:04月16日 19時40分

    参考文献は、は抜いてください(笑)
  • こんばんわ、みなさん 投稿者:サクラ 投稿日:04月16日 21時42分

    長くなったので、北畠さんの後につけさせていただきました。よかったかなぁ....
     
    月うさぎさん
    そういえば、八咫烏がサッカーの日本代表マークでしたっけ。
    あはは、優勝に導かれたいってことだろうか・・・
     
    マークといえば八咫烏のマークはそうですよね。
    鉄砲名人。雑賀孫市の派手派手の陣羽織が八咫烏だった。
    去年、雑賀鉄砲衆のいた和歌山県の和歌浦という所にいったんですよ。
    今は静かな漁村って感じの港と半島の山々や紀ノ川が、信長の雑賀攻めの時の戦場かって印象に残ってます。
    和歌浦あたりだと、熊野は内なる感じがしますから、やっぱり八咫烏は自然なんでしょうね。
     
    何でも天狗は天の狐だとか....
    調べてみたら日本書紀の舒明天皇の9年に東から西に流れて、雷の音がしたのをあれは流星ではなく天狗だって僧旻が言ったとか...
    天のものだから空を飛ぶのも当たり前なのかな?
    平家物語くらいからですか....カラス天狗さん
    でも同じカラスでもカラス天狗ってちょっとユーモラスな感じがしませんか?
    義経がからす天狗に鍛えてもらったの思い出しますし。
     
    そら飛ぶきつねって言うと私なんかは九尾の狐思い出しちゃって天狗って発想にならないけど(^^)
    ギャンブルに強い猿田彦大神とも言われてますもんね。お参り行かなくっちゃ!
     
    それから、ワタリガラスは食べを導く鳥だとか....
    これはワタリガラスの生態からも、カラスがくちばしで食い破れないえさを見つけたとき、他の動物に獲物のありかを教えて、硬い毛皮を破らせておこぼれをいただくということがあるとのことだから、人が助けられた実話がもとの神話だと思っちゃった.....インディアンの神話。
    きっと、昔、カラスと人間が助け合った時代があったんだろうなぁ...
     
    でも、カラスがおいしかったら、きっと今頃はカラスが保護鳥になってたかも?
    食べたことないのでわからないけど....まずいんでしょうねぇ...
     
    あは、白い鳥黒い鳥の話に「醜いアヒルの子」思い出してしまった。あっ、またずれてしまったかも?s(*^-^)ノ☆ 
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時08分

    天狗・・・「あまつきつね」と読むんでしょうね。多分。
    きつねってくらいだから、多分流星というより彗星でしょ
    うね。これを天狗だと言った僧旻は、この時、中国から帰
    ったばかり。
    ってことは、天狗っていう概念は、この時、中国から輸入
    されたもの、と考えてよいかも知れませんね。
  • サクラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 09時13分

    カラスは、おいしくない・・・らしいです。
    理由が「雑食だから」と聞いたんだけど、なんで雑食だっ
    たらまずいのか、は知りません(^^ゞ
     
    でも、カラスはとても賢いんですね。
    うち、犬を飼ってるんですが、2段階くらいの思考はでき
    ても、3段階の思考はできません。
    カラスは、その3段階の思考(牙の強い動物に獲物の場所
    を教える→獲物にくちばしをいれ易くなる→獲物を食べる
    ことができる)ってのができるんですね。
    そういえば、固いくるみを車道に置いて、車に踏み潰して
    もらって、殻を割るカラスが観察された、と聞いたことが
    ありました。
    やっぱ、頭いいなぁ・・・。

 

鶏の声と言えば 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月08日 19時40分

「夜をこめて鳥の空音ははかるとも、よに逢坂の関は
ゆるさじ」でしたか、函谷関を開けようとして、
家来に鶏の鳴き声をマネさせた、中国戦国時代の
王孟嘗君の話もありましたネ☆ミ
  • 鶏の逸話を探したらいっぱいありそう 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月09日 10時19分

    http://contest.thinkquest.jp/tqj2000/30291/62.html
    によると、清少納言のこの歌は、函谷関の故事を踏まえて
    いるみたいです。
    清少納言らしいですよね(^^ゞ
     
    しかし、鶏の声で朝を知るっていうのは、夜明け=朝だと
    考えていなかったということでしょうか。
     
    私が学生の頃、お隣のお嬢ちゃんが、夜店で買ってきたひ
    よこが、見事に大きくなっちゃって。
    毎朝5時くらいに、ときの声を作ってました。
     
    それがね〜、奥さん、聞いてくださいよ。
    コケコッコーって鳴けるようになるまで、1ヶ月くらいか
    かるんですのよ。
    始めは、「ホ〜〜」としかなけないんざます。
    それが、次は、「ほへ〜、ほへ〜」にかわって、
    「ほへっほ〜」まできたら、あと一息。
    「ほへほっほ〜〜〜」になって、「こけこっこー!」と、
    元気よく鳴くようになるんざます。
     
    コケコッコーでは置きませんでしたが、
    「ほへ〜」の時は、おかしくておかしくて、毎朝5時に、
    起こされてましたです(>_<)
  • 鳥坂神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月10日 13時55分

    ↑を見ての投稿でした(^_^;)、上のは。スイマセン。
    説明しないまま押してしまったようで。
     
    そうですね。清少納言は当時は男性でも知らない中国の
    逸話を知ってるんだ、と暗に自分の知識を誇ったワケ
    です(^_^;)。これが嫌味に映ったか、「さすが」と
    驚嘆させたか、その辺りは想像するしかありませんけど。
     
    鶏ですけど、前に住んでた家のそばで鶏を飼ってる家
    があったようで、何しろ東京の密集住宅地ですから、
    それが何処の家かまでは判らないんだけど、私の
    アパートの住人は皆、鶏の声が聞こえて来ると、みんな
    で顔を見合わせて苦笑するってな雰囲気がありました。
     
    それはなぜか……。
    例えば真夜中、洗濯物を取り込もうと外に出て、灯りを
    つけると、その灯りに反応して「コケコッコー!!」
    なんですね(^_^;)。私はそのたびにこの逸話を思い出し、
    「モノマネじゃなくて、本物の鶏に光をあてたのでは?」
    と疑うのでありました。
  • 鳥違いですけど 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月10日 21時26分

    三千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい
    ってありましたね。
    この歌からいくと朝騒ぐのはカラスなんでしょうか?
     
    ところで、コタツ様、さりげなく語られた、
    真夜中に洗濯物を取り込む女と雄たけびをあげる鶏、
    情景としてはスゴイかも・・・
     
    あ、横からすみません〜
  • あはは、とりどり 投稿者:サクラ 投稿日:04月11日 00時56分

    横レスの横レスごめんなさい。
     
    鶏とカラスはどちらもあまい朝寝を楽しむのには
    じゃまものみたいですね。
    ちなみに私の携帯はメールが入るとカラスの鳴き声が
    「カー・カー」となくのです。
    楽しみなんですけど、このごろあまり鳴かなくなって寂しい限り....
    職場で鳴くと周りの人まで仕事する気がなくなるというつわものです。(だからこそ皆、私のメール着信を待っているという....)
     
    子供のときに
    「鳩ととんびと山鳥と雉と雁がねと鶯が一緒に鳴けば
    ククピンククピン、ピンカラショッケン、ソーラケンケン
    ケンチキチノチンチロリンノホーホケキョ」
    って歌った記憶があるんですけど、この歌ってなんなんだろうか?ご存知ですか?
    三味線が合いそうな節回しなんですけど、そんなの
    思い出してしまいました。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月11日 09時12分

    清少納言って、同性にはあんまり評判がよくないようです
    が、男性にはどうなんでしょうね?
     
    (同じ時代に生きていない)私などから見ると、はつらつ
    とした女性だったのかな?と、好意的に見てしまいますが、
    あの時代の男性もそんな風に彼女を見てたんでしょうか?
     
    しかし、そのニワトリさんは、光を夜明けと勘違いしたん
    でしょうか?
    単に明るくてびっくりしちゃったんでしょうか?
    ニワトリさんにアンケートとってみたいですね。
     
    「あなたが刻の声をあげるのは、どんな時ですか?(複数
    回答可)
    1.朝がきそうなとき
    2.びっくりしたとき
    3.女性にもてたいとき
    4.そのほか」
    なんて・・・(^O^)
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月11日 09時26分

    ちょっと話しはそれますが、(特に、3本足の)烏って、
    太陽と関係が深いでしょう?
    日本では、神武のために、天照大神が八咫烏を遣わしてる
    し、ギリシャでは、アポロンが銀色の烏を寵愛していたし
    (後に嫌われるけど)、中国では、月は兎だけど、太陽は
    烏だし。
     
    で、私は、それは、烏が黒いから、「太陽にいるから、黒
    焦げになっちゃったんだなぁ」なんていう発想からきてる
    のかな?と思ってたんです。
     
    ところが最近読んだ、説は、
    「烏は日出と共に山から里に降りてきて、日没と共に山へ
    帰るので、太陽と関係が深いと思われた」とありました。
    なるほど。これはきれいですね。
    でも、旦那に話したら、
    「鳥は夜目が見えないんやから、ほとんどの鳥が、日出と
    一緒に山から下りてくるんちゃうんか?」といわれてしま
    いました・・・。
    むむぅ。やっぱり焦げてるから、太陽か?
  • サクラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月11日 09時44分

    鳥が一緒に鳴く歌、なんだか、面白くて、検索してみたら、
     
    http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/3634/diary/01_07.html
    がかかりました。(2001年7月18日のところ)
    鳥の鳴き声を覚えるための歌だと説明されてますね。
     
    あと、
    ttp://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/3393/ongakusitu/on.html
     
    では、曲が聞けますね。
    しかし、曲だけなので、歌詞をどうメロディーに乗せるの
    かわからないところが、苦しい(笑)
    おとと、リンクフリーじゃないと書いてありますね。
    始めのhをとっておいて、「紹介」ということにしとこう。
     
    私の「昔懐かし」の歌はなにかなぁ?
    「バナナの歌」かな?
  • 月とウサギは? 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月11日 19時05分

    >月うさぎ様
     
    ふふっ、さりげなさの裏側にある凄さを読み取って
    貰えたなんて……私も案外、清少納言かも(#^.^#)。
    (↑違う、違う、全然違うぞ、コラ!)
     

    >サクラ様
     
    実は……夜中に洗濯物を取り込む原因の一つが、
    カラスだったりします(-_-;)。干しておくとイタズラ
    されるのですが、日中働いている私には何をされても
    職場からは手も出せない。
     
    それで、家に帰るや洗濯機を始動し、その後、乾燥機
    に真っ直ぐ放り込むと……出来上がりが真夜中(-_-;)。
     
    私は(それほどまでは)カラスの居ない千葉に引っ越した
    ので、今は石原都知事が彼らと闘っている模様(笑)。
     

    >のりちゃん
     
    昨日、キトラ古墳をテレビで見てたんですが、下段が
    十二支、中段が四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)、
    そして天井には、ホントに太陽とカラス、月とウサギ
    みたいな動物と蛙みたいな動物が書いてありました(゚.゚)。
     
    この辺り、別の事しながら見てたんで、何の動物か
    ちゃんと聞き取れなかったんだけど、カラスと太陽は、
    のりちゃんの話でナルホドと思ったけど、月とウサギ
    (っぽく見えたんだよなぁ)って、あんなに昔から
    言われてたんだ?
  • うふ 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月11日 20時57分

    こたつ様、
    炬燵少納言とお名乗りあそばせ。
     
    ところで、太陽って中国神話では烏なんですか?
    私の知っている中国神話では、九つあった太陽を男が
    8っつの太陽を弓で射って、1つにした、というんです。
    テイン・シャオ・クアンという中国系画家がその場面を
    描いてまして、といってもシルクスクリーンなんですが、
    とてもいい絵なんです。
    女性ばかり描く人の珍しい男性の絵ということもあって
    印刷でもいいから欲しいと思ってるんですが・・・
    ま、それはともかく、その残った1つが烏になったん
    でしょうか?
     
    月とうさぎ、捨身の仏教逸話しかしりません。
    お釈迦さまになにも差し上げるものがないうさぎが
    私をお食べくださいといって、みずから焚き火に身を
    投げたとところ、お釈迦様がうさぎを哀れみ、月での
    永遠の命をお与えになったというものです。
     
    月うさぎというHN、恐れ多かったかな・・・
  • やまどりのうた 投稿者:サクラ 投稿日:04月11日 23時30分

    のりちゃん、
    ありがとう、そうそうあの唄でした。
    一つずつ音をのせていくとチンチロリンがなかったけど...
    抜いて歌ったら同じでした。
    うーん、何十年来のなぞが解けました。ありがとうございます.(^^)
     
    >炬燵少納言さま
    そうですか。カラスからの脱出で千葉に....
    私の友達も、西船、浦安、龍ヶ崎と脱出していますが
    毎日、日差したっぷり浴びたお洗濯ができてるんですね。
    私の勤め先は一日中カラスが鳴いていますよ。
    もちろん、生ごみの争奪戦は日常のことで、ふたつきの
    ゴミ箱が活躍しておりまする。
     
    カラスをメール音にしたのは、やっぱり熊野の八咫烏が好きだったからなんですね。
    アラスカのクリンギットインディアンの伝承にも出てくるんですよワタリカラスが...熊野の八咫烏につながるようで
    手放せないんです。メル音のカラス。
     
    月うさぎさん
    うさぎが月でお餅をついているという伝承は
    日本古来のものらしいですがこの伝承も好きですよ。
     

     
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時54分

    月と蛙(蟐蛾)は、随分古いですよね。多分。
    でも、うさぎの話しは、どうなんでしょう?
    日本の今昔物語にうさぎと月の話しがでていますので、少
    なくとも、平安時代には日本にこの話しが入ってきていた
    んでしょうね。
    でも、キトラ古墳・・・。
    いや、キトラ古墳がいつのものなのかも私は知らないので、
    (勉強せ〜〜〜〜〜い!!)なんとも言えませんが、どう
    なんでしょう。
    中国の書物、「五経通義」では、この兎は、お釈迦様の前
    世とかではなく、「玉兎」と呼ばれる兎で、搗いているの
    は、お餅ではなく、薬である、としているようです。
    やはり、月に兎は、月の模様からの連想でしょうね。
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 10時01分

    太陽に烏ってのは、やはり中国の「楚辞」などという書物
    などに出てきます。
    それによると、太陽の陽の精気がこりかたまって、烏がで
    きたんだそうです。その烏を「火烏」と呼びます。
    そして、陽の気により出来たものだから、足が奇数の3本
    なのだ、と説明されてます。
     
    太陽を射た話しも、「楚辞」の中にある話しでは、弓の名
    人ゲイ(いや、あの人の名前です(^^ゞ。漢字が出なかった
    もんで・・・)が射たのは、太陽の中にいる烏である、と
    なってるみたい。
     
    その絵、ちょっと見てみたいですね。
    でかい本屋さんに行ったら、美術全集で見てみよう・・・。
     
    あ、ジャイアントピーチ、ハヤカワからは出てないみたい
    でした。
    原文しかないのかも・・・(>_<)
  • サクラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 10時16分

    八咫烏、どういうところに惹かれますか?
    烏は、実は、艶っぽい場面にも描かれてまして。
     
    例えば、近松の「心中天網島」では、心中場面で、烏がた
    くさん飛来します。
    これは、熊野誓紙に誓った「女房を大事にする」ことを、
    治平が破ったため、熊野の烏が怒ってきたのだ、としてい
    ます。
     
    熊野誓紙は主に、遊里の女性とその客の間で取り交わされ
    たようですね。
     
    クリンギッドインディアンの烏の話し、どんなお話ですか?
  • こんにちは 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月13日 12時52分

    太陽を射た男の絵、正確に言うと版画になるんでしょうね、私のもっている画集にのってますので、乗っけて
    みました。
     
    http://members.tripod.co.jp/mooncoral/10suns.htm
     
    すみません、9つの太陽じゃなくて10の太陽でした。
    いつの間にか1つ減らしてました。
     
    実物は一度見たことがありますが、かなり大きいものです。
    たて横、それぞれ85cmくらいあります。
    デパートの展示即売会でみたのですが、一目惚れして
    しばらく前を離れられませんでした。
    わたしにとってはあまりの高額、97万円では、とても
    買えませんでしたが、今なら半額くらいになっている
    かも知れません。
    それにしてもね〜やっぱり高いですよね。
    (涙)
  • 八咫烏 投稿者:サクラ 投稿日:04月13日 21時41分

    こんばんわ
    のりちゃん、八咫烏は加茂県主(かものあがたぬし)の遠祖といわれていますよね。
    神武天皇一行を導いたという八咫烏はカラスを自分たちのシンボルとしていた、部族のことだったのかななんて考えます。加茂も鴨と鳥の名前ですもん。
    カラスをシンボルとした部族がのりちゃんの言う、遊里の女性やや流れ巫女の系譜、漂白の民へと繋がらないかなぁ?
    そんなカラスを自分の祖先と考えているのが、イングリッド、インディアンの伝承です。
    彼らは、アラスカのインディアンでオールドクロア村なんかもあります。
    ワタリガラスはその辺のカラスと比べたらとっても大きくて鷲くらいの大きさとか...
    ワタリガラスは世界の創造、新生、再生の担い手として語られています。
    ワタリガラスを祖先(そう、人間の祖先がワタリガラスなんですよ)にもつ一族はまた、トーテムポールの文化も残したりしています。
    そのほかに熊なんかもトーテムとされてたり...
    熊に襲われて亡くなった星野道夫さん(熊の部族の方の義理の息子になっていたとか)や鎌田東二さんがこの辺は書かれています。
    神武を導き日本創世神話の道案内役とされた八咫烏は他の国の神話とも繋がりそうですよね。
    そして、同じくアラスカのインディアンにある創世神話のカラスに、ちょっぴり思い込みがあるのかもしれません.
    でも、ワタリガラスの伝承は世界的に見るとけっこう冥府の使いってパターンがあったりするみたいです。
    根の国熊野の使いのカラスは日神ともいわれるカラスなのか冥界の使いなのかちょっぴり興味あるんですけど....
     
    月うさぎさん、
    97万円の絵みせていただきました。
    なんかわからないインパクトがある絵ですねぇ。
    うふ、なんか得した気分
     
  • 月うさぎ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 09時10分

    印象的な絵ですね。
    ごまかしの無い色と線で、眼が離せません。
    たしか、この太陽を打ち落とす神話は、日本にも入ってき
    てると思います。(今昔かなぁ)
    それだけ印象に残る神話なのでしょうね。
    そして、神話をモチーフとして描かれた絵は古今東西を問
    わず、たくさんありますよね。
     
    そんなことから、この太陽を打ち落とす話し、他の作家も
    描いてるんじゃないか・・・と。
    それで、並べてためすがめす見てみたいな、と、思いまし
    た。
    人がどんな感性で、この神話を切っているか、見てみたい
    と、この絵を見て思っちゃいました。
  • サクラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 09時20分

    八咫烏は、一般的には賀茂角身って言われますが、事代主
    のことだ、とか、いろいろ言われますね。
    賀茂は、難しいです(^^ゞ
    私もとても興味はあるのですが、線になってくれません。
    ぶち切れの知識がペンディングしたままです。
     
    ただ、江戸時代、遊里でこの熊野の烏の誓紙を、恋仲同士
    で交わすようになったのは、必ずしも遊里と熊野の関係を
    裏付けているものではない、というか、商人達もこの熊野
    の誓紙を使っていた節があり(江戸時代の文化は詳しくな
    いので、はっきりと言えなくてごめんなさい)、こちらの
    方が先ではないかな?と思うので、この線で見るのは、ち
    と難しいかも知れません。
     
    ワタリガラスが国造りに関わっていたという、伝承、興味
    深いですね。
    ネイティブアメリカンの神話というのも一度読んでみよう!
    と思いつつ、今まで見たことないなぁ・・・。
     
    アメリカ・ハワイの文化などについての本は本屋さんにい
    けばたくさんあるんですが、ネイティブアメリカンや、ポ
    リネシア文化については、本当にないですね。(そして、
    あっても高い(-_-メ)・・・)
    図書館で探すのがいいかも知れませんねぇ。
  • 炬燵少納言でございます 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月15日 15時12分

    ↑うふ(#^.^#)。お言葉に甘えまして。
    しかしきっとこの少納言は、冬でなくてもコタツ布団を
    羽織っているのでしょうなぁ。あ、暑い(*o*)!
     
    >のりちゃん
    >月と蛙(蟐蛾)は、随分古いですよね。多分。
     
    聞きそびれていたけど、蛙も古いんですか?
    鳥獣戯画ってありますよね。ウサギと蛙ばっかり
    描いてある絵。あれも月に関係あるのかな。
    なぜ月にはピョンピョン跳ねる動物が関係あるのでしょう。
     
    ヤタガラスで思い出すのは、雑賀孫市です。
    陣羽織だったか紋だったか、八咫烏を使っている話を
    司馬さんの小説で読んだような……。熊野だからなんですね。
     
    前に、日本には古代、黒い鳥と白い鳥を各々象徴する
    部族間で戦いがあったゲに聞いた覚えがありました。
    これも八咫烏と関係あるのかな?
     
    あと烏天狗っていますよね。鼻が太くて長い天狗と
    違って、ホントにカラスみたいな顔した天狗サン。
    これもコトによると、熊野と関係あるのかな?
     
    質問だらけになっちゃった(汗)。。。
  • こんばんは 投稿者:月うさぎ 投稿日:04月15日 19時32分

    のりちゃん、サクラさん、炬燵少納言様、こんばんは
    烏ってただものじゃないんですね〜。
    今見ても、頭良さそうですもんね。
    八咫烏と聞いて真っ先にサッカー日本代表のマークを
    思い出してしまう私より利口そうです。
     
    黒い鳥と白い鳥ではないですが、我が家の上空では、
    カラスがよくとんびを襲っています。
    とんびの方が、かなり大きいのに襲われて逃げてるって
    不思議な気がするのですが、性格なんでしょうか。
    襲われるとんびはいつも1羽で、襲うカラスは単独犯の
    時も複数犯のときもありますが、逃げるとんびを執拗に
    追う姿を見ると、カラスって獰猛な鳥だということが
    よくわかります。
    獰猛さは勇敢さにも通じるかも知れないですね。
    特別な鳥って感じがしたかも知れないなと思います。
     
    カラス天狗はさまになってもとんび天狗じゃね・・・

 

リンク致したき件 投稿者:lithium 投稿日:04月07日 18時35分

初めまして。lithiumと存じます。
 
さて早速用件ですが、神社を徹底精査なさった貴サイトへ、私の拙い祭りの写真を掲載しているサイトの「お祭り写真館」の「奈良県リンク」から、リンク致したく存じます。
 
貴サイトに於きましては幅広く神社をご紹介なさっており、奈良県関係としてリンク致しますとご趣旨とは異なる印象を閲覧者に与える虞がありますが、何卒ご承認頂ければ光栄です。
 
何卒、よろしくお願い致します。
  • ありがとうございます 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月08日 07時55分

    たくさんのお祭りをレポートされてるんですね。
    これから、奈良のお祭りについて、質問させていただいて
    もいいですか?
     
    リンク、ありがとうございます。
    こちらからもリンクさせていただきたいと思うのですが、
    バナーは用意されていますか?
    もしあったら教えてくださいね。
  • Re:ありがとうございます 投稿者:lithium 投稿日:04月08日 20時44分

    lithiumです。こんばんは。
     
    リンクの件、ご快諾、光栄です。
     
    実際の改訂作業は1w後ぐらいになると思いますので、また連絡を差し上げます。それから、貴サイトが広い地域を扱っていますので、拙サイトのリンクページの閲覧者が貴サイトを奈良県限定情報と誤解しないよう、何とか工夫を考えています。
     
    >たくさんのお祭りをレポートされてるんですね。
    >これから、奈良のお祭りについて、質問させていただ
    >いてもいいですか?
     
    ご遠慮なく。わかることでしたら、お答えしますが余り当てにならないと思います。
     
    >リンク、ありがとうございます。
    >こちらからもリンクさせていただきたいと思うのです
    >が、バナーは用意されていますか?
    >もしあったら教えてくださいね。
     
    こちらこそ、有難うございます。ただ残念ながら、バナーはありません。
     
    なお拙サイト改定時にはまた連絡を致します。
  • 飛鳥坐神社の 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月09日 10時26分

    御田祭りの写真を載せてらしたでしょう?
    私も是非一度は参加したいと思っているんです。
    車の混雑具合(駐車スペースはあるか、など)とか、教え
    てくださいね。
     
    あと、御所市にある、川合八幡神社という神社があるので
    すが、この神社で行われる「ヒキアイモチ」というお祭り
    にも興味あります。
    10月9日に行われるようですので、もしご存知でしたら、
    是非、写真とレポートをm(__)m
     
    それじゃ、こちらからもリンクさせていただきますね。
    バナーは、それらしきものを仮に作らせてくださいね。
  • やっとリンクしました 投稿者:lithium 投稿日:04月14日 22時24分

    のりちゃん様
     
    昨日深夜、やっとのりちゃん様へのリンクを作成しました。
     
    >御田祭りの写真を載せてらしたでしょう?
    >私も是非一度は参加したいと思っているんです。
    >車の混雑具合(駐車スペースはあるか、など)とか、>教えてくださいね。
     
    神社自体の駐車場は「るるぶ 奈良を歩こう」に10台とありますが、どこだったかわかりません。他に、近くに飛鳥寺や県立の「万葉文化館」があり、そこにも駐車場があったと思います。
     
    電車の場合、橿原神宮前が最寄で、バスも30分に一本ぐらいは出ていたと思います。
     
    >あと、御所市にある、川合八幡神社という神社がある
    >のですが、この神社で行われる「ヒキアイモチ」とい
    >うお祭りにも興味あります。10月9日に行われるよ
    >うですので、もしご存知でしたら、是非、写真とレポ
    >ートをm(__)m
     
    情報、有難うございます。御所市へは行ったことがありません。先の話ですが覚えていれば、行くと思います。
     
    >それじゃ、こちらからもリンクさせていただきます
    >ね。バナーは、それらしきものを仮に作らせてくださ
    >いね。
     
    拝見しました。かっこいいバナー、有難うございます。今後とも宜しくお願いします。
     
    lithium
  • リチウムは 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 23時22分

    躁鬱の薬ということで、青とピンクを使ってみました。
    あと、リチウムは燃やすと明るい色で燃えるので、燃やし
    てみました。
    だから、あんまり意味ないのです(^^ゞ
    ヒキアイモチ、私もできれば参加しようと思ってます。
    できれば、その時、お会いしましょうね!!

 

探しています。 投稿者:ひろ 投稿日:04月07日 02時10分

初めまして。以前ギャンブル運や賭博運が向上するように、祈願出来る神社をテレビで紹介していたというのを聞いたのですが、どこの地方でどの神社かさっぱりわかりません。もしご存知でしたら詳しく教えて頂きたいのです。
どうかよろしくお願い致します。
  • 基本的に 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月07日 08時53分

    どの神社でも、ギャンブル運や、賭博運向上祈願をしてく
    ださらないわけではない、と思うです。
    ただ、それで身上つ〜ぶした、とかにならないよう注意は
    受けると思いますし、事情によるとは思いますが。
     
    http://season.biglobe.ne.jp/newyear/spot/index_02.html
    では、鶴岡八幡・岩清水八幡・闘鶏神社をギャンブル運向
    上の霊験あり、としていますね。
    一般的に、八幡さんは、勝運向上の祈願で訪れる方が多い
    と思います。
    闘鶏神社は、名前の通り、源平合戦の時に闘鶏でどちら方
    につくかを占った故事から、この名前になっている、とい
    うことなので、より、ギャンブルに近いかも知れませんね。
     
    テレビで紹介していたのがどの神社かはわかりませんが。
    (ギャンブル運向上の他にヒントはありませんか?)
    ひろさんは、ギャンブルお好きなんですか?
    私は、賭博運を神社で祈願したことはないので、これは自
    分の生まれ持った運なのでしょうが・・・。
    パチンコでも宝くじでも大体、出した分戻ってくるって感
    じです。これってすごいのかすごくないのか(^^ゞ
    多分、勝負師じゃないってことでしょうね。
  • ギャンブルといえば 投稿者:テェタレ 投稿日:04月07日 20時09分

    東京であれば、新大久保の皆中稲荷が有名ですよぉ。
    なんたって、みなあたるのですから。
     
    http://club.pep.ne.jp/~you.hori/kaityuuinari.htm
  • 神様で言ったら 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月07日 22時08分

    猿田彦神はギャンブルの神です。
    と言うかあの神様は基本的にオールオッケーです。
  • テェタレ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月08日 07時59分

    う〜〜む。すばらしい。
    皆、的中するのですね。
     
    そのかし、牡蠣の卸屋さんそのほか鯖の卸屋さんなどは、
    絶対参拝しちゃダメそうですね。
    なんたって、皆、中毒・・・。
    し・・・失礼しましたぁ〜〜。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月08日 08時02分

    猿田彦神ですか?
    猿田彦神なら、あちらこちらで祀られているから、近場を
    探せていいですね。
    しかし、猿田彦神がオールオッケーってのはなんでなんだ
    ろ?
    結婚にOKってのはわかりますね。
    ほぼ初対面でプロポーズして成功してるわけで。
    仕事も、先導役を見事勤めたというので、OK。
    健康も、体が大きく丈夫だから、OK。
    でもギャンブルってのがなぁ。。。
    もしかして、結婚はギャンブルだ!!ってことだったりし
    て(^^ゞ
  • ありがとうございます! 投稿者:ひろ 投稿日:04月08日 18時08分

    みなさん、こんなにもレスして下さるとは思いませんでした。どうもありがとうございます!!!
     
    お恥かしいのですが、猿田彦神というのは、神社の名前ですか?^^; それと近畿地方にありますか?
    またレスお願いします。m(__)m
  • 猿田彦神は 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月09日 10時11分

    神様の名前です。
    お稲荷さんで祀られてることも、ままあります。
    日本では、庚申信仰とも結び付いてるので、庚申堂で祀ら
    れてることもあいます。
     
    私のサイトで紹介してる近畿地方の神社では、
    赤手拭稲荷神社
    荻原神社
    白鬚神社
    葛葉稲荷神社
    賣太神社
    で、猿田彦神をお祀りしています。
    よければ見てみてください。
  • 猿田彦は 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月09日 20時19分

    伊勢が大本です。三重県には猿田彦がまつられている神社が3アリます。
    椿大神社、猿田彦神社、興玉神社です。
     
    >のりちゃん
    猿田彦神は道開きの神様ですから、何か新しい事をしようとするのによいのではないでしょうか。
    祝詞作文の授業のときにいろんな雑祭の祝詞にかかれる神様がどれもこれも猿田彦だった覚えがアリますよ。
    「全部猿田彦かい!!!」と突っ込んだものです。
  • 祝詞作文 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月10日 08時27分

    おおお。さすが神職さん。
    私、祝詞作文っての、面白そうだなぁ、って思ってしまう
    んですが、不謹慎?
    どんな決まりがあるんでしょう。
    例えば、ギャンブル必勝祈願、のご祈祷をするとした場合、
    どんな決まり事にそって、文章を作っていくんでしょう。
    長さに決まりはあるんですか?(質問の嵐)
  • 再び 投稿者:ひろ 投稿日:04月12日 00時07分

    色々な情報ありがとうございました。本当に助かりました。早速祈願してきます。
  • いってらっしゃいませ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時39分

    でも、ギャンブルはほどほどにねぇ〜。
  • のりちゃん 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月14日 21時26分

    >私、祝詞作文っての、面白そうだなぁ、って思ってしまうんですが、不謹慎?
    面白かったりします。好きな講義の一つでした。
     
    >どんな決まりがあるんでしょう。
    一応例文集てのがあるのです。ただそれを丸写しにするのはどうかと思うので、いろいろ工夫はしましたが。
    基本的には最初に神様を呼んでこういう人が来て願い事をするところはこうこうですから願いをかなえていただきますように。
    と言う文を作るのです。
    あちこちの祝詞をくっつけて手もつけられないようになってしまった思い出があります。
  • う〜〜〜む 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 23時20分

    例えば、「のりちゃんに「易」を学ぶ力を授けたまえ」な
    んて祈りならば、どんな名詞使うべきでしょうか。
    なんかすごい興味あったりして。
    願い事ってやっぱり、理不尽なものだとだめでしょう?
    私が道理に添ってるかどうか、自信ないので、なんとも(^^ゞ
    いえないっす。

 

で、今日は火幡神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月10日 14時09分

↑の、のりちゃんの「妄想」ですけど、私も、
 
>アマテラス を 持統天皇
>       オシホミミ を 草壁皇子
>       ホノト を 阿閇姫
>       ニニギ を 珂瑠皇子
 
と思って読んでました(笑)。
 
それにしても、のりちゃんの発想は、やっぱりマハバラタ
の5人兄弟によく似てます。
 
ただ長男は、草薙王子とはちょっと違う受け取り方を
されてます。やっぱり恐妻家ですし、お母さんが女丈夫
ではあるのですが(爆)、どっちかと言うとお母さん
より奥さんの方が圧倒的に強いです。
 
嫌がる夫をけしかけて戦をさせたがるんですね(汗)。
で、これに次男が相乗りして「兄さん、戦しよう」と
同じくけしかけます。
 
中国には王道と覇道という、局部的には相容れない思想
があるようですが、ちょっとこの長男と次男はコレを
彷彿とさせます。王である長男は戦を回避するために
敵にさせ誠意を尽くすのだけど、戦はどうしても必要
だという考えが次男や妻は持ち続ける。
 
見ようによっては長男は腰砕けなんですが、この戦争
(マハーバーラタは“戦記”という意味合いを持ちます)
は骨肉の争いとして、その悲惨さが語り継がれる種類
のものですから、結局は戦を回避しようとする考えの
方が正しくはあるんですね。物語の骨子主張としては。
 
ウチの掲示板でも、ちょっと話した三男ですが、
結局これの子孫が王位につく、という作りも、何処かに
皮肉のような、あるいはリアリズムのような(理想だけ
では世の中は治まらない)いろいろな含蓄を感じます。
  • 余計な字が 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月10日 14時11分

    ↑入ってしまった(汗)。
     
    >敵にさせ誠意を尽くすのだけど
     
    「敵に誠意を尽くすのだけど」
    です。すいません。
  • 王道と覇道 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月11日 09時04分

    素晴らしい王様って、どういう王様なのでしょうね。
    敵にぶっつぶされているようではいけませんから、まず、
    戦は強くなくちゃだめですよね。
    でも、自分の利益のために、やたらめったら戦をしかける
    ようなことでもよくない。
    国民には善政をしいてくれなくちゃ、よい王とは言えない。
     
    マキャベリの君主論も、孔子の皇帝に対する考え方も知らな
    いのですが、想像しただけでも、
    「人にそんな難しいことを押し付けないでちょうだいっ!!」
    って言いたくなりますよね。
     
    そういう意味で、兄弟にした、というのもあるかもしれま
    せん。
    5人も兄弟がおったら、分担して、なんとかうまいことや
    りよるやろ・・・。という発想だったりして(^^ゞ
    違うかなぁ・・・。
     
    私の妄想は、ホノト姫に注目する限り、阿閇姫のことだと
    しか思えなかったんです。
    記紀にもほとんど逸話がないし。(実際、彼女を祀った神
    社の社伝には詳しく載ってるかもしれないんですが)
    実際の阿閇姫は、女帝になるんですけれどねぇ。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:04月11日 20時22分

    >アマテラス を 持統天皇
    >       オシホミミ を 草壁皇子
    >       ホノト を 阿閇姫
    >       ニニギ を 珂瑠皇子
    これは日本書紀の成立に関係あるとも言われてますねぇ。
    つまり、孫に皇位を譲る前例の為にこの話を作ったと。
    この話前にしたことがあったような・・・。
  • ええ(^O^) 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時38分

    具顕殿のお話覚えてます。
    妄想の種にさせていただきましたm(__)m
     
    でも、史実は、神話のようにはいかなかったようですね。
    現実のニニギ(珂瑠皇子)は、長生きできなかったのです
    もんね。

 

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