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お盆 投稿者:北畠具顕 投稿日:08月11日 21時27分

ご先祖様がみんな帰ってきます。
私はこの時期になると肩口に女の人がいるとよく言われます。
なんなんでしょうかねぇ。全く。
成仏ならお寺のほうに行っていただかないと(笑)
  • お盆にですか? 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月12日 08時42分

    その女性は、ご先祖様でしょうかねぇ??
    顔が具顕殿にそっくりとか、そんなことはありません?
    私はま〜〜〜〜ったく見えないので、どんなにたくさん
    うようよしているらしき場所へ行っても、なんにもあり
    ませんけども。
    具顕殿も、毎年女性に肩を間貸ししても、特に何も、不
    調がないのなら、大丈夫??
    なんだろうか?????
    どうなんでしょ?
  • 人に聞くと 投稿者:北畠具顕 投稿日:08月16日 20時47分

    別嬪さん(笑)らしいのです。
    ここ2、3年は見える人間とあってないので
    わかりませんが確かに何かいるかも?と思うときは在ります。
    ご先祖様に妙齢で亡くなった方はいるかなぁ、と思いましたら曾祖母が祖母を生んですぐ亡くなってるんですね。
    それで私は曽祖父の生まれ変わりといわれています。
    ひいばあちゃんなのかもしれません。
  • 別嬪さんでひいおばあちゃん 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月17日 12時39分

    だったら、全然怖くはないですね(^^ゞ
    今年のお盆も帰ってきておられたんですかねぇ?
     
    子供のころ、家族でキャンプへ行った時、トンネルの出
    口に女性が立っていて、
    「なんであんなとこに女性が?」と思ってたら、す〜っ
    と消えてしまった、という事件(?)がありました。
    あまりにもはっきりしてたし、みんなが見てたので、こ
    れが心霊体験だという気がしないんですが、あれ、よく
    よく考えてみたら、お盆の話でした。
     
    お盆、やっぱり帰ってこられるのですかねぇ?

 

ハネられました 投稿者:日雲 投稿日:08月13日 13時21分

ううっ、コンパクトにサワリだけ書いたつもりだったのに、それでもハネられた……!
長くなるよー、これはきっとまた長くなるよー!?
でも、責めるならツボ突き上手の某城主様を責めて下さいね(笑)。じゃ、まずは、
>特にミシャグチ神については、神様というより、精霊?
とされてますよね。
これだけいっときましょう。
うーんと、石や笹によりついて、空飛んで遊んだりするものとして見れば確かに精霊的ですが、しかし「昔は部族のリーダーのことをミシャグジといった」といった趣旨の守矢氏の古記録を見ると、祖霊的とも言えます。そうすると、これは他地域の神霊観とそう大きく違わないのではないかとも思われてきますね。
これがことさらに精霊的だと見られるようになったのは、
 ●狩猟祭祀のありようがどうも縄文っぽい感じがする
 ●国津神のタケミナカタより古い
 ●縄文時代はアニミズム信仰なんでしょ?
――といったところから、予断的にイメージが形成されてしまった感は否めないと思われます。
そもそもが、ミシャグジが本当に諏訪本来の地主神であったかというと、これ自体が怪しい。なぜなら……
                     【つづく】(またかい)
  • かえすがえすアホよのう 投稿者:日雲 投稿日:08月13日 13時40分

    ううっ、別スレになってしもうた……!
    ええい、だったら続き書いちゃえ。
     
    さて、話が飛ぶようですが、明治維新まで、伊勢の外宮で「伊勢神楽歌」というのがあったんですよ。その中に「さんくうしの歌」というのがありまして……
    これは「ミシャグジ=サグジ=三宮司=さんくうし」と転化したミシャグジのものだとされているんですが、その一節に、こういうのがあるんです。
    「さんくうし大菩薩の本山は西の国とぞうけたまわれり」
    大菩薩号を与えられている、こんなものが果たしてただの精霊か?
    西の国? 伊勢から見て諏訪は北東だぞ?
    諏訪現地にも、天竺がどうしたとかいう方から来た、という伝承があるそうで、
    (何で読んだのか失念。資料も手元になし。どなたか、こういう伝承が載っている本をご存じないでしょうか?)
    ミシャグジ研究の草分けの今井野菊さんもそのように見ておられます。つまり、「タケミナカタ流入以前に渡来してきた族がいた」ということですね。
    私的には、「ソソウ神」という蛇神が諏訪本来の神だったと思っています(諏訪明神は蛇体、という伝説が沢山ありますが、ここから来ているのだと思う)。
    そこに「西」からの渡来民がやって来て、ミシャグジ信仰が成立(ソソウ神とミシャグジの神婚を展開する祭がかつてあった。現在は廃絶)。
    この両者が同族化して出来たのが守矢氏で(その姓がついたのは勿論ずっと後代ですが)、そこにやがて出雲系の族が流入、これがタケミナカタ伝説として語られた。
    その後に、大和朝廷系も入ってきて……と、大雑把にはこうした感じだったかなあ、なんてところでしょうか。
    いっぺんに書くとグダグダになるんで、とりあえずこの辺で。
  • 複雑だの 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月13日 18時56分

    >日雲さま
     
    >このツボ付き上手!
     
    お客さん、凝ってますね〜(^。^)。 *揉み揉み*
     

    >のりちゃん
     
    かなり昔の事なので、果たして自分が行ったのが諏訪大社だったかどうかも怪しいです(笑)。
    でも特に敏感って事は無いです。鈍い時もあるし、あと何と言っても「自分に関係のない(こういうのって波長が合う合わないって言い方が適当かしら?)空気には鈍い」という気がします。
    私の場合、神社に行ってビビンと来る事って、ホント数える程しかありません。どっちかと言うと川に感じやすい(^^ゞ。なぜ川かは不明(笑)。
    で、ビンビン感じる場所と言えば、やはり神田明神(笑)。
     
    >さて、ミシャグチ神
     
    そうそう(^O^)! こたつも「きゃーっ!」と思いました。
    建御名方神はただでさえ追われてそこまで来たので、先住民族と徹底的に争うまでの気持はあまり無かったのではないでしょうか。
    ただ……鉄の輪。もしかしてモレヤ族もその前は出雲から来てたり(笑)。二重落人現象。これなら争いになるのもちとわかるゾよ。
     
    元々建御名方神の一族はワニ(サメ)族で、月族とは仲が悪く、出雲においては互いに争っていました。しかしその時は勝ったワニ(サメ)族に同族争いが起き、同族争いに負けた方のワニ(サメ)族は月族と同じように信州に落ちていったのでした。
    当然先に来た月族は「お前なんか来るな」。「そんな事言わないで負けたモン同志仲良くしようよ」。
    一方、信州に逃れず征服されてしまった月族は現地に残って月の輪まつりを伝え、やがて物部氏となるのでしたーーー。 *めでたし、めでたし*
     
    なんちゅう簡単なことで済めばいいんですけど、どうでしょう(笑)。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月14日 09時06分

    ハネちゃいました?
    字数などの制限はしてないんですが・・・。
    せっかく書いていただいたものをハネちゃうなんて、こ
    の掲示板めっ!!め!!!
    叱っておきましたので、お許しを。
     
    さてさて、ミシャグチについてのいろんな伝説(という
    のかな)ありがとうございます。
    ミシャグチ神も、タケミナカタ神より以前に諏訪に到来
    した神様だとしたら、どんな民俗だったんでしょうね?
     
    それに、ソソウ神が蛇だとした場合、大己貴命との関連
    を考えちゃうんですけど。
     
    大己貴命もよく蛇神として現れますし、息子のアジスキ
    タカヒコネの神も、蛇神である、と、高鴨神社(アジス
    キタカヒコネ神が鎮まったとされる神社)の宮司さんは
    おっしゃってました。
     
    もしかしたら、諏訪から蛇神を祭祀する民族が、出雲に
    流れて、出雲から諏訪に再来した人々が連れてきたのが、
    タケミナカタ神とか?
     
    ん〜〜〜、話がわからんようになってしまう。
     
    それにしても、「石や笹に降りてくる」というのが、ミ
    シャグチ神を想像するときに、イマイチピンとこないん
    ですよね(^^ゞ
    でも、石の上に降りてくる、笹でできた舞台のようなと
    ころに降りてくる、と考えたら、確かに、ミシャグチ神
    も他の地域の神様とあまり変わりないかも。
     
    それにしても、ミシャグチ神とソソウ神の神婚のお祭、
    復興されないですかねぇ。
    すっごい見たい。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月14日 09時14分

    川ですか。
    私は、この季節、川に惹かれます。
    だって、鮎のシーズンだから・・・って全然違うやろ!!
    すいませんm(__)m
     
    製鉄って、どこが一番早く始めたんでしょうね。
    たたら製鉄というと、「出雲」と思ってしまうんですが、
    例えば、岡山の吉備津彦の温羅(鬼とされていますが、
    本当は、製鉄技術を持った朝鮮の王子だとされてます)
    退治の話を聞くと、結局日本海側なら、どこでも、大陸
    から製鉄の技術が入ってくる可能性はあった、ように思
    えてきます。
     
    そうすると、「鉄の輪」を飾りとするモレヤ派は、日本
    海側のどっかの地域からやってきたのかも?
    西の日本海側っていうと・・・。
    やっぱ出雲か???
    ででで・でも、日本に限定することはないですよね。
    西方といえば・・・。ん、インドか!(←ちと遠すぎま
    すね(^^ゞしかも西方浄土なんて観念が日本に入ってき
    たのは、いつだろう・・・)
  • 長くなるぞ、その@ 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 10時20分

    >こたつも「きゃーっ!」と思いました。
    そ、そうかい? ぢ、ぢゃあ、お爺ちゃん調子に乗ってみようかな。
    でも、これどっから答えていけばいいんだろう(^^; なら、まずは、
    >ミシャグチ神も、タケミナカタ神より以前に諏訪に到来
    した神様だとしたら、どんな民俗だったんでしょうね?
    そうッスね。ハッキリさせておかなきゃいかんのは、あくまでミシャグジ信仰は、諏訪という特殊な環境下で独自に
    発展していったもので、元々の「西」からのものは、そのままミシャグジ信仰とイコールにはならん、ということでしょう(間違いなく「西」から来た者があった場合は、ですが)。
    諏訪土着の縄文信仰をA、そこに流入した「西」からのものをB、タケミナカタとして語られている出雲系のものをC、大和朝廷系のものをDとしたら、最低限A×Bなのがミシャグジ信仰で、そこに×C、×Dの影響もあって、「生き神様」という変異的な因子も生まれて来た挙句、13世紀まで仏教の流入を拒み続けたという、極めて閉鎖的な空間の中、ある種、純粋培養されていったというのが、実際のミシャグジ信仰だと思います。
    ですから、純粋なB=「西」から来たものを探すなら、「ミシャグジ信仰と共通点を持つが、それとは別の姿のもの」を求めねばいかんことになるでしょう。
    西から来といて、諏訪にしか入らなかったというのもヘンですからね。他のところとも血族化している可能性は極めて高いはずです。
    つまり、B=「西」から来たものが、いわゆる出雲文化圏と血族化したら、また大和朝廷系と血族化したら、それぞれに応じた形で、しかし、かなり古層の部分にミシャグジと共通したものを秘めている、といったことになる筈です。言い換えれば、
    「出雲系のここの信仰と、大和系のここの信仰と、諏訪のミシャグジ信仰を並べると、この部分が酷く共通するなあ」
    というものがあれば、それがBの原像に近いものだ、ということになるんではないかと思います。
    そういう探し方をしなければならないので、これは容易なこっちゃございません。とにかく、ハッキリしているのは、
    「ミシャグジだけ見ていては、ミシャグジは解らん」
    これだけは間違いないと思います。
     

  • 長くなるぞ、そのA 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 10時47分

    >それに、ソソウ神が蛇だとした場合、大己貴命との関連
    を考えちゃうんですけど。
    ですよね……しかし、です。
    あのー、とある女性学者様が「蛇」についての本を書かれてですね、その中でとにかく蛇は男根だと。
    「一に男根、二に男根!」
    みたいに、ええい、お前は男根か!? とワケの解らない突っ込みを入れたくなるほど、男根にこだわってらしたんですが、でも、どうも私、東国の蛇神は女神だったんじゃないかと思うんですよ。
    夜這いをかける三輪の蛇とか、酒と若い女好きのヤマタノオロチとか、これはなるほど男根的でしょう。
    けど、東国の「頭に蛇を巻いている巫女(?)の土偶」とか、日光の地主神的な存在として出てくる大蛇は「女峰山」に住んでいるとか、この辺から見ても女神っぽい。
    考古学には暗いのですが、何か縄文中期の終わり頃から、すでに西と東は文化的に違った、とか前に聞きましたが、
    だとしたら宗教=神観念も違っていたはずで、私は蛇神の
    性別にも、それが現れているんじゃないかと。
    即物的に姿形だけ見れば、蛇は男根風に見えるかも知れませんが(そう見るのが西のセンス?)、その動きを見たら
    女性的な感じがしませんか(そう見るのが東のセンス)?
    前、縄文土器の展覧会を見て圧倒され(縄文中期の甲府辺りには世界アート史上Best10に入る大天才がいたと思う)、しかし、一体どういう風に世界を見ていたら、こんなものを作り出すセンスが形成されるのだろう? と、必死に製作者の主観を追体験しようと試みたのですが、したら、どうも、
    「ゴッホに近いセンス……?」
    と思われました。油絵じゃ解り難いけど、素描を見ると、ゴッホは世界を「まがまがしくも官能的に、うねり、流動するもの」として見ていたことがハッキリ解る。多分、縄文人もこんなだったんだろうと。
    言い換えれば、「運動性」に極めて高い感受性を持っていた。だとしたら、蛇が女に見えても、これは致し方なし。
    ――これは全くの私見ですので何ですが、割と自信を持ってます。完全に右脳系の人間なので。
    ですから、この蛇=ソソウ神は、出雲のそれとは違うと思います。
    東国の女神、そういう見方もあるということだけ、提示させといて頂きます。
     

  • どうしよう、もうBだ 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 11時21分

    >「石や笹に降りてくる」というのが、ミシャグチ神を想像するときに、イマイチピンとこないんですよね(^^ゞ
    これは「御神体」や「幣はく」と考えれば、普通の(?)神様とほぼ同じなんじゃないですかね。
    >それにしても、ミシャグチ神とソソウ神の神婚のお祭、復興されないですかねぇ
    無理でしょうねえ……明治維新と、戦中戦後の云々で、祭りのやり方ももう伝わってないみたいですし。
    尤も、伝わってたところで、竪穴式住居みたいな中で延々籠もって秘儀としてやってたらしいですから、どっちにしろ見れないかも知れませんけど(ただ、これを原型とした祭は他の場所に今も伝わってるかも)。
    >そうすると、「鉄の輪」を飾りとするモレヤ派は、日本
    海側のどっかの地域からやってきたのかも?
    >ででで・でも、日本に限定することはないですよね。
    >西方といえば・・・。ん、インドか!
    今井野菊さんなんかは、大陸のどっかからと見てますね。この場合の「西」は海外です。
    研究者によっては、諏訪前宮の御頭祭と「旧約聖書」のイサク伝承との類似から、イスラエルの民としたりもしてますね。この場合、ミシャグジの語源は「イサク」だということになっています。
    これ、なるほど確かに似てます。けど、よしやそれが本当に旧約聖書をネタとしていたとしても、ただの「刺激伝播」かも知れず、それをもって「生身のイスラエル人自身が渡来した」とは言えませんが。
    私は各地の伝説や祭から、古代の東国一円のそここで「人身御供」が行われていたのではないかと思っています。
    で、ミシャグジとからんで、「それを信仰するようになってから、長男の代わりに鹿を供えるようになった」という伝承なんかもあるそうで。
    つまり、B=「西」から来た人々が、「旧約聖書」に極めて近い趣旨の教え(?)をもってそれを止めさせ、動物供儀に変えた、と見ることも可能と言えば可能なのですね。
    が、それだったら、Bの人達が「そういう逸話を聞いたことがある」ってだけでいいんですよ。何も当のイスラエル人自身が来る必要はない。
    ここんとこはまだまだ藪の中です。「西」が国内か海外かも解りませんし、ましてやイスラエルと絡んでるかどうかなんて決められません(日ユ同祖論者の方々には、秦氏イスラエル人説に続く大ネタになっているようですが)。
    ただ、今のとこ、「西」について、国内の何処かを具体的に仮説として提示された方はいらっしゃらないようです。現段階では、まだ「海外説」しかないみたい。
    こういう点も含めて、流石に「謎の神」ですね、ミシャグジ。
  •  投稿者:ツボ突きこたつ城主 投稿日:08月14日 19時23分

    >のりちゃん
     
    製鉄として見ると、確かに話はやたらと広範囲に及ぶ
    感じがしますね(^_^;)。
    日雲さまと話して来た通り、単純に「月信仰=出雲」
    と決め付けられない以上、「月の輪=鉄の輪」でも
    ないでしょうから、共通項は「輪」だけにとどめた方が
    無難かもしれません。
     
    ただ「建御名方命は手に藤の蔓を」の方はこじつけよう
    もある気がするんですよね〜。物部氏と一緒に蘇我氏と
    戦った中臣氏って、後で朝廷に取り入って「藤原氏」に
    なっちゃうでしょー?(笑) 一応藤原の里を領地に
    したからだって言ってはいるけど。

    http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/huziwarasi.html
     
    >日雲さま
     
    >とある女性学者様が「蛇」についての本を書かれて
    >「一に男根、二に男根!」
     
    吉野裕子だったり。。。
     
    >諏訪土着の縄文信仰をA、そこに流入した「西」から
    >のものをB、タケミナカタとして語られている出雲系
    >のものをC、大和朝廷系のものをD
     
    これはわかりやすかったです(^^)。
     
    >縄文中期の終わり頃から、すでに西と東は文化的に
    >違った、とか前に聞きましたが、
     
    わ〜、スゴイ前!
    それぞれの土地で全く同じ伝播で同じ種族の訪れを受け
    たとしても、その中から「何を残したか」によって、
    信仰の形態は違って来るかもしれませんしね。
  • だんこんだんねん 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月15日 08時48分

    ・・・じゃなくて、日雲様
    確かに、「雨月」に出てくる「蛇精」は、女性ですね。
    もともとどこの地方に伝わるお話を脚色したのかは、わ
    かりませんが、確かに蛇が女性っぽいという見方も自然
    にできますね。
    あ、確か、嫉妬した女の手が蛇に変じるという話もあっ
    たな。どこで読んだかなぁ?
     
    ただ、それが「西と東」でわかれるかどうかは、はっき
    りと確信はできませんが、「西」の私は、蛇は男っぽい
    と思う・・・かも。
    でも、これはフロイトの説の影響が強いんですよね(^^ゞ
    蛇は男根・ピストルも男根・刀剣もちろん男根・鍵、男
    根・オベリスク?男根!!!
    え〜〜〜い、この、男根がぁ!!
     
    う・・・、まぁ、しかし、ソソウ神と出雲(もしくは大
    三輪)の「蛇」とが違う、と、私も思えてきました。
     
    大体、蛇ってのは、どこの国でも、「悪」にせよ、「善」
    にせよ、神格化(?)されてますから、蛇を神様にする
    のは、全く不思議なことじゃないですもんね。
     
    んでもって、「西」が「イスラエルである」という説ま
    であるんですね。
    そういえば、
    「釈迦もキリストも日本で修行したんだいっ」と主張す
    る古代(?)文献もありましたねぇ。
     
    ただ人身御供に関しては、東国だけじゃぁない、と思い
    ます。
    だって、八股の大蛇の櫛稲田姫なんて、間違いなく、人
    身御供ですし。
    私は参加したことないですが、奈良の倭文神社のお祭に
    「人身御供」ってのがあるのは見逃せないです。
    どっちかというと、「人身御供の習慣」の違いを見るよ
    り、例えば、「美しい女性を人身御供にする」のか、
    「長男など、その族にとって重要な人間を人身御供にす
    る」のか、などの違いを見ると、西・東で分かれたりし
    て・・・。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月15日 09時14分

    藤原氏のルーツって、いろいろ言われてるんですよね。
    ズバリ、物部の残党だ、なんて説もあったりしますし、
    蘇我氏の残党である、なんて説も。。。
    確かに、一時期、日本のトップだった(と思われる)、
    物部氏・蘇我氏共に歴史から姿を消してしまうわけで、
    それを考えると、それまで力のなかった中臣氏がめきめ
    きと力をつけてくるのは、どちらかの氏の残党だからだ、
    という考えもとっぴじゃないですよね。
     
    確かに、「いるか」「えみし」「うまこ」などという名
    前で、日本書紀に登場する、「野蛮な氏」(と、日本書
    紀編纂者が見せたがってるの)は、蘇我氏で、蘇我氏が
    滅ぼしたとされる物部氏は、「守屋」とか、普通の名前
    ですもんね。
    ここらへん見ていくと、藤原と物部の関係は、強そうに
    も思いますね。
    としたら、「タケミナカタが持った藤の輪」は、「藤原
    氏の支援、と考えると楽しいかも??
     
    タケミナカタ神が、タケミカヅチ神(藤原氏)に殺され
    そうになった、としてるのは、考えてみれば、古事記と、
    物部氏の「先代旧事本紀」なんですよね。
    つまり、藤原氏の神様にタケミナカタ神が追われて、諏
    訪へやってきた、と、物部氏も書いてる。
     
    タケミナカタ神が物部氏の神様で、タケミカヅチが藤原
    氏の神様だという考えにたてば、このことは、どういう
    意味持ってくるか、ですよねぇ。
     
    それこそ、藤原氏とつるんでたタケミナカタ神が、モレ
    ヤ神を倒して、その後、藤原氏のタケミカヅチ神がやっ
    てきて、「俺さ、ヤマトを治めるから、タケミナカタは
    諏訪治めてくれな」と決め付けた、それが、古事記・旧
    事紀にでてくる、「国譲りの条」だとか???
     
    う〜〜ん・・・・うわ〜〜〜〜!!!!!
    わからん(^^ゞ
  • 蛇塚 投稿者:日雲 投稿日:08月15日 15時09分

    こたつ城主様>それぞれの土地で全く同じ伝播で同じ種族の訪れを受けたとしても、その中から「何を残したか」によって、信仰の形態は違って来るかもしれませんしね。
    まさしく、ですね。なので、
    日雲>「出雲系のここの信仰と、大和系のここの信仰と、諏訪のミシャグジ信仰を並べると、この部分が酷く共通するなあ」というものがあれば、それがBの原像に近いも
    といってみたところで、やっぱりそれは「近い」だけで、いわゆる「証明」にはならんでしょう。ただ、「視座」「視点」を与えることは出来るかも知れない――
    そういうつもりでコツコツ調べてんですけどね。
     
    のりちゃん様>奈良の倭文神社のお祭に「人身御供」ってのがあるのは見逃せないです。
    そうそう、この倭文神社、蛇塚のあるとこですよね? 前に5分くらいだけ行ったんですけど(バス時間がなくて、ダーッと参拝して、ダーッと写真とって、ダーッとゲートボールのおじいおばあにお話伺って、あんまりダーッとしてるからおじいおばあに笑われながら、ダーッとバス停に駆け戻って、途中でその横をバスが追い抜いていったが、バスは待ってくれた……バスん中で汗だく。リュック背負ってたから、気絶寸前……)。
    で、よく解んなかったんですけど、これ倭文神社本殿の祭りなんですか? それとも蛇塚の方? 
    「大和の伝説」って本を読むと、「今昔物語」なんかに出てる「猿神退治」譚の蛇バージョンなんですよね。
    この伝説をベースに語られている祭って、
    「その後、人身御供はやめて、鹿を供えるようになった」
    っていう動物供儀の始まった理由とされているか(諏訪系神社の一部や、美作の中山神社など)、
    「その後、平和になったので、悪猿を倒してくれた犬に御礼を言いに、土地の娘達が毎年、着飾って宮に参拝するようになった」
    っていう、練り嫁参の始まった理由とされているか(玉名市・犬薬師、鶴岡・椙山神社など)が大概なんですよ。
    「猿神退治」自体はメジャーな話なので、沢山の神社の由緒(伝説)になっていすが、それに基づいた祭があるっていうのは全然別次元のことで、より重要性を増してくる。
    そこで蛇塚なんですが、これ、祭に蛇がモロに出て来るんですよね? が、「猿神退治」に欠かせない犬は出ない。で、十二の人形を、お供え物に刺して、のちに燃やす?
    どうも、ここだけ毛色が違って、解釈に苦しんでたんですよ。強いてより近いものを探せば、鳥羽の方のサンキジン(今は大山積神社境内)。
    ここも蛇で、たしか人形が絡むんですけど、これ元はミシャグジなんですよ。だから、諏訪系? でも、大きな萱か
    なんかの蛇って……別の信仰も混じってるのか……?
    >人身御供に関しては、東国だけじゃぁない 
    ええ、かとも思うんですよ。ただなんかこう……東の方が、マナ板祭とか、どうにもあからさまな感じがして、「こりゃあ言い逃れは出来んな」っていう(^^;。西はまだ「言い逃れの余地、若干あり」みたいな感じが(笑)。
    蛇塚。ここも謎ですね。でも、解くべく奮闘してみる価値はあるのかな。倭文本殿と絡むんだったら、アメノハヅチオの謎を解くためにも。
    >藤原氏とつるんでたタケミナカタ神が、モレヤ神を倒して、その後、藤原氏のタケミカヅチ神がやってきて…
    これについては、また今度。
  •  投稿者:ツボ突きこたつ城主 投稿日:08月15日 18時03分

    >のりちゃん
     
    >「いるか」「えみし」「うまこ」
     
    これって元は良い意味だったのに変な漢字を当てたのか、
    もうこの音から言って捏造チックな事が行われたのか
    いつもわからない所。聖徳太子=蘇我馬子説まである
    ようで、頭の中がいつもグチャグチャ(笑)。
     
    また、藤原氏から何らかの因縁がついたとなると、
    藤の蔓ってのがいつから伝わってる話なのかにもより
    ますが……。↓
     
    >「俺さ、ヤマトを治めるから、タケミナカタは
    >諏訪治めてくれな」
     
    コレ、何か気に入ったなぁ(笑)。
    そこで兄弟に突撃インタビューを試みてみました!
    「いやいや、そんな人聞きの悪い。出て行けって言われた
    から逃げて来ただけですってば〜。わっはっは〜」
    ……声が聞こえてきそうだー(笑)。
     
    >日雲さま
     
    古代史でこれ言うのはタブーかもしれないけど(夢の
    カケラも無い話になるので(^_^;))。日雲さまの前に
    言ってた聖書ネタの「刺激伝播」。これって私も多い
    にありえたと思うんですよね。
     
    今話題になってる人身御供も、そもそもこの話のきっかけ
    になった(もうずいぶん前だけど)箱根神社にも「御供」
    って名の供物を祀る祭りがあるのですが、その話の時
    も「元は人身御供では(^_^;)」という話が出たのです。
    (繰り返しになりますが、箱根では赤飯が大量に
    お供えされます)
     
    ただ私は「そうだとして、もしかしてヤマトノオロチ
    伝説のマネだったり……(^_^;)」なんて思ってる部分
    否めないです。
    すごくよく出来た話が現存してたりすると、我も我も
    と他の地域でマネして作られた伝説ってありそうで。
    人の足より早いのは「人の口」。
     
    ただ、箱根の出て来る龍神と弁天はともかく、
    少なくても江ノ島の方は古そうだな、とは思います。
    開化、景行、安康、武烈なんちゅう名が出て来るから。
    まあ縄文なんちゅう時代になると届かないけど(^_^;)、
    蛇と女神伝説の伝播ではあるんでしょうね。
  • すんまへん 投稿者:ツボ突きこたつ城主 投稿日:08月15日 18時07分

    ヤマトノオロチ
    ↓訂正
    ヤマタノオロチ
  • こたつキャッスル様 投稿者:日雲 投稿日:08月16日 03時17分

    >古代史でこれ言うのはタブーかもしれないけど(夢のカケラも無い話になるので(^_^;))。日雲さまの前に言ってた聖書ネタの「刺激伝播」。これって私も多いにありえたと思うんですよね。
    ええ。ていうか、来てたら来てたでいいし、来てないなら来てないでイイと思うんですけどね、別に。
    けど、あれ、何で日本人て、特にことユダヤ・イスラエル関連に関しては、あそこまで熱くなるんでしょうね? 好きモノ側にしても、嫌う側にしても。何かほとんど感情レベルで反応してるように見えるんですけど……。
    何で? むしろ、そっちの方に興味覚えます。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月16日 11時01分

    まだ倭文神社は、参拝してないんですよ〜(話振ったく
    せして)。
    すいません〜〜〜。
     
    ただ、蛇と人身御供の話で思い出すのは、
    お伽草子の、「天稚彦物語」。
    この物語では、人身御供に出された美女は、殺されずに
    蛇を天稚彦の姿に戻して、妻となるでしょう?
    美女と野獣とか、プシケー物語みたいに。
    そうすっと、人身御供を要求する魔物は、必ずしも、退
    治される必要もない、ということもあるかもしれません。
     
    倭文神社の蛇が、退治されたのかどうか・・・。
    やっぱし今度参拝しますです〜〜。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月16日 11時09分

    >聖徳太子=蘇我馬子説
     
    却下!!!きゃっか、きゃっか、却下!!
    いや、単に、「日出処の天子」のイメージが強くて、や
    なだけなんですけどね(^^ゞ
     
    タケミナカタとタケミカヅチが兄弟っての、なかなか、
    話が広がりますよね。名前もちょっと似てるし(爆)。
     
    乱暴な兄・タケミカヅチと、優しい弟・タケミナカタの
    物語。
    タケミカヅチが、自国の良民を苦しめるのを見たタケミ
    ナカタは、「兄さん、僕の財産から好きなものをあげる
    から、良民の税金を減らしてあげてよ」とお願いしまし
    た。
    タケミナカタは、「ほぉ。んじゃ、お前の嫁さん、ごっ
    ついべっぴんや言うやんけ。ヤトメさんもらおか〜」
    「そんな横暴な」
    「でも、ヤトメさん、力強いタケミナカタさんの方が、
    素敵やって言うてたで〜」
    「ヤトメに聞いてみましょう」
    「そうしましょう」
    「ちょうど今湖に氷張っててええがな、競争やで」
    「わかりました!」
    ということで、御神渡は、実は、兄弟神の競争した後な
    のでした。チャンチャン。
  • 全部読んでないんですが… 投稿者:あかがね 投稿日:08月16日 12時51分

     長すぎるもんで…(核爆)というか私はお諏訪さんには全く無知なもんで。
    関東にはあちこちありますが、商売の神様程度の認識で…。
     鹿島神宮には国譲りの匂いしないですしね。東国開拓の祖って感じです。
     
     さて、縦の物はみんな男根に、横の物はみんな女陰に見えた…?というのを
    象徴主義(クリムトとか?)の説明に見かけたことがあります。
    世の中のすべてがHに結びつくという…中学男子生徒か…(意味不明)
     考古学者の佐原真氏(つい最近亡くなられた)も縄文土器を解釈するのに、
    「蛇は男性、猪(あるいは鹿)は女性の象徴」と語っておられたような。
     
     しかし、そんな一義的なもんでもないですよね。確かに。
     清姫だって鐘に逃げた安珍を蛇になって追いかけてたし。
     
     人身御供は大昔は何処にでもあったんでは?
     ただ、西の方が早い時期に埴輪とかにかわったのに、東のほうでは
    結構遅くまで隠然とやってたようなイメージがありますよね。
    伝承の仕方が生々しいのもその辺にあるのかなぁと。
  •  投稿者:ツボ突きこたつ城主 投稿日:08月16日 22時10分

    >日雲さま
     
    >ユダヤ・イスラエル関連
     
    単に物珍しいだけだと思うんですが(^_^;)、根深い事
    を言うと、未だにキリスト教世界へのコンプレックス
    からって人も多いんじゃないでしょうか。
    しかし今って、もうそういう時代じゃ無い気もする
    けど(笑)。記紀すら知らない私みたいのも多いし。
     
    >のりちゃん
     
    実は私も最初に「厩戸=馬子」(言われてみりゃ、
    これも音が近い:笑)と聞いた時は、「トコロテン」の
    両者が頭の中で合わさってパニックでした(笑)。
     
    >御神渡は、実は、兄弟神の競争した後
     
    それって……多分に『風と共にひび割れ』(←今できた)
    の影響を受けてませんかね(^_^;)?
    そして戦われる古代版・川中島合戦!(爆爆爆爆)
     
    >あかがね様
     
    お久し振り(^^)。
    「何でもH」はブームもあったと思うんですよね(笑)。
    まあ心理学ブームがそれに乗った事は否めないけど。
     
    ただ、私も東の方が人身御供って言うか何と言うか、
    荒々しい祭祀方法が多いと思っていたんですが、
    人身御供に関してはわりと西にも多い事を最近知って
    (ココで知った事もあったかな?)わりと驚きました。

 

Cはまたハネられた…… 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 12時00分

ぢ……ぢゃあ、この辺にしておきましょうね……(^^;
  • って、またやっちゃうし…… 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 12時03分

    ううっ、また別スレに……!
    ハネられると、完全に元に戻るのね……。
    で、焦って手近にあるボードに書くと、別スレに……。
    あ〜あ〜、グダグダになって……。
    これじゃデストロイヤーだわ。マジでごめんなさい……。
  • あっ、わかったわかった! 投稿者:日雲 投稿日:08月14日 13時03分

    そっか、何だ、このレス板、消してもらえばいいのか。
    で、ツボ突き女王様とかには、Bの方に返信でナニして頂いて。そうよ、そうすればグダグダにならんのだわ。
    すいません、のりちゃま、これ消してくだちゃーい!(誰だ俺)
  • どもども 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月15日 08時13分

    面白いので、このままに。うっふっふ。
    な〜んて。
    そうなんですよね。
    この掲示板、編集・削除ができないんですよね〜。
    CGIいじくれば、編集・削除ができるようになるんです
    けど・・・。
    その前に壊してしまいそうで、こわいのっ!!
    てことで、いまいち仕様が不便なんですが、お許し〜。

 

諏訪大社 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月12日 20時57分

↑拝見しました。神社のいわれだけでエライ長さ(・・;)。
 
途中にリンクされてたHPも拝見したのですが、
「建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪を掲げて戦った」
の記述が個人的には面白かったです(^^)。
 
下のスレッドで(というか幾つスレッド立て直した
だろう:笑)さんざん話した月の輪を思い出しました。
守矢は「洩れ矢」から来たのですね〜。私も前、
物部氏と関係あるのかなって思ったのですが、これ、
よく言われる割に関係を見出せないという話も聞きました。
 
私は諏訪には行った事があり、神社にも行ったのですが、
その先の旅程に興味の対象があったせいもあって、
上社に行ったのか下社に行ったのか、今イチ覚えて
ないのです(^_^;)。
 
しかし御柱祭りはよく話に聞きます。「怪我が出ないのが
不思議なぐらい」という記述がありましたが、実際には
必ず毎回怪我人が出るそうです。多分あれだと、
死人も出てるんじゃないでしょうかね(^_^;)。
  • 何故、そこを付かれる(笑)? 投稿者:日雲 投稿日:08月13日 01時12分

    いや〜ん、今度は諏訪ッスか?
    またツボにモロハマりしてしまったわ。
    このツボ付き上手!
     
    でも、またあんまり長くなってもアレだろうかと思いますので、何かもし知りたいことでもあったら、答えられることは答えます、くらいにしておきますね。
     
    >多分あれだと、死人も出てるんじゃないでしょうかね(^_^;)。
    ……そうみたいですね。
  • すいません 投稿者:日雲 投稿日:08月13日 01時13分

    「突き」だな。馬鹿。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月13日 09時28分

    本当は、神社の栞から、もっと抜粋したかったのですが、
    キリがなかったので、前宮・春宮・秋宮に分けました(^^ゞ
    なにしろ、長野の神社は始めてだったので、珍しいこと
    だらけで。
     
    こたつさんが参拝された神社って、長い回廊がありまし
    た?あれば、上社の本宮です。
    本宮は、全くもって鈍い私でさえ、「うわ、すっごい神
    様の気配がする」と口に出してしまったほど神聖な雰囲
    気が満ちてました。
    敏感なこたつさんなら、きっとすごくその雰囲気を感じ
    られたんじゃないかと思うんだけど。
     
    モレヤ神と物部氏については、本当のところ、どうでし
    ょうね。
    実際問題、何を調べてても、「物部氏」が出てくること
    は多いんですよ(大洗磯前神社のご祭神についても、実
    はそうでした)。
     
    なにしろ、物部氏自体も神秘と謎に満ちてるので、とり
    あえず、「物部氏関係だ」と言っておけば、「違う」と
    いう証拠はないだろうってな感じかもしれません。
     
    私は、物部氏のお膝元で暮らしているので、どっちかと
    言うと、物部贔屓なんですが、神社について調べてて、
    「物部氏との関連」が云々されていると、思わず、眉に
    つばつけちゃうのでした。
     
    それよりも、以前話題になった、「ミシャグチ」神が、
    諏訪の原住神様だと、ここで初めて知って、思わず、手
    を打ってしまいました〜。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月13日 09時49分

    え?質問していいですか?
    となると、やっぱりモレヤ神とミシャグチ神のことが知
    りたいなぁ!!
     
    特にミシャグチ神については、神様というより、精霊?
    とされてますよね。
    でも、諏訪大社の祭に深く関わっている、と。
     
    今まで、神社参拝して、宮司さんにお話を伺ったり、祝
    詞をあげていただいたり、少しはしたんですけどね。
    御祭神以外の神様が深く関わってくることって、少なく
    とも、私がお話を伺った神社では、なかったんです。
     
    例えば出雲で見れば、原住の神様であった、「大己貴命」
    をお祀りしていますよね。
    外来の神様が出雲にやってくる前から出雲大社は存在し
    ていたとしても、祀り替えがされなかった。
    つまり、祀らなくちゃ、祭り上げなくちゃいけなかった
    という考え方ができますよね。
     
    その点、諏訪大社は、そうする必要がなかった、という
    ことで、やっぱりタケミナカタ神の到来は、無茶なもの
    ではなかったのじゃないか?と思われます。
     
    「祭神・タケミナカタ神」と、「祭に関わる・ミシャグ
    チ神」の関係って、どんなもんなんでしょう???

 

民話! 投稿者:3号! 投稿日:08月13日 00時20分

のりちゃんの語り口がおもしろくて・・・
あんまり怖さが無かった笑。
まったくおもしろいんだからー。
あのじいさん弁、どこでマスターしたんだ??
  • う 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月13日 09時06分

    すまない。怖くないよね。やっぱ。
    「月夜の埴輪馬」は、ほんと、実家のすぐ近所で起きた
    怪談だもんで、「ばっちり河内弁じゃん」と、書き始め
    たんだけど、言葉って難しいねぇ。
    自分でも、「これは大阪弁ですらない」と思ってしまっ
    た(T_T)
    じいちゃん言葉かどうかもわからぬ。
     
    あのお話は、日本書紀では、10行ほどのショートスト
    ーリーなのだけど、わざわざあの逸話を正史に載せよう
    としたのはなんでなんだろう、と考えると、また面白い。
     
    そんなことを考えると、日本書紀の編纂者は、結構、シ
    ャレが通じたのかもね。

 

そろそろ星の神様V 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月09日 09時48分

こたつ様
 
ううっ。
確かに、少年(青年)漫画にありがちなパターンかも(^^ゞ
特に取り得のない、優柔不断な主人公が、謎めいた美女
に誘われて、なんだかすっごくモテちゃって。ふっふっ
ふ〜〜ってやつですね??
まぁ、少女漫画も、大体同じパターンですし、人間っつ
うのは、努力せずに、楽しい思いをする話が好きなのか
も(#^.^#)
 
私も、毎日ごろごろして、上げ膳据え膳で暮らしたい〜。
・・・って、ただでさえ、「太った〜〜」と大騒ぎして
るのに、ごろごろしたら、もっと太るってか?
それに、十分、ごろごろしてるかぁ・・・(^^ゞ
 
浦島太郎にしても、天の羽衣にしても、リアルに想像す
れば、結構「娯楽小説」かもしれませんね。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月09日 10時28分

    なるほど。
    天御中主を北極星に見立てるのと一緒ですね。
    吉田神道って、最高神を、国常立尊としているんですね。
    最高神を「星」と見立てるとは・・・。
    考えてみれば、太陽は天照大神。月は月読命とはっきり
    あてがわれているけれど、星の神様は、はっきり書かれ
    ていませんから、「これが星の神様です」と後付で説明
    するにはもってこいなのかも。
     
    摂津名所図会では、「太白 磐裂 根裂」になってるん
    ですか。
     
    太白=大将軍=封じ込めなきゃ怖い神様って考え方は、
    平安時代の貴族にはすでにあったんでしょうね?
    太白を祀る神社って、例えば、「大将軍」と名前のつく
    神社に多いような印象がありますし、もともとは、「封
    じる」という意味で祀ったんでしょうか。
     
    やっぱりこの「星宮」の創建年度は聞いておかないと、
    わかりませんね。
     
    「太白」という、いわゆる悪神に、根裂・磐裂という、
    「生命の根元」神を合わせて祀ったというのも、納得し
    かねるし。
     
    いや、それとも、根裂・磐裂が、「水」の性質を現す神
    と見るならば、「金」の性質を持つ太白の神様を合祀す
    れば、相生の関係という見方をするのか?
     
    う〜〜〜〜〜む・・・聞いてみます(^^ゞ
     
    うさぎの島渡りの話、私は実は、ポリネシア民話の方を
    先に知ったんですよ。
    挿絵もちゃんとあって、ウサギがサメの背中を飛んでい
    る絵でした。
    だからでしょうか。
    因幡の白兎を読んでて、「ウサギがワニの背中を」とあ
    っても、アタマに浮かぶのは、ウサギがサメの背中を飛
    んでる絵なんですよね〜。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:08月09日 18時59分

    >日雲さま
     
    すいません。「磐裂、根裂」って何ですか(^_^;)? これも記紀に出て来る神様か何か? いや〜全く個人的に、
     
    >「何、星の神。よっしゃよっしゃ。そんなら国常立にしときなさい。悪いようにはせん」
    >「よっしゃよっしゃ。それも星の神さんや。だから、国常立」
     
    この二つに大笑いしてしまった、こたつ城主であります(笑)。そして突っ込みを入れてる日雲さまにもっと(爆)。
     
    >十三夜に「ワニの串刺し」は関係ないからなあ(^^;
     
    実は私も、祭りの言われの中で「十三夜」だけが妙に浮いて感じられました(笑)。後付けなのか、「実は十三夜の発祥はここからだ!」のどっちかと言うと、やはり後付臭い感じが……(^^;)。
     
    >実際にモノを見てみたいです。
     
    主人が言うには「あんなの見る程の祭りじゃないっ」なんですが(^^;)、このシト、月山富田城についても「あんな所には何も無い、お花見に行って弁当食うだけのトコ」とか言ってて、実際行ったら、彼の言う「お花見広場」は城跡のず〜っと下の方にある広場に過ぎず、私がその上に上っていこうとすると「ソコから先は山があるだけ」と断言して一緒に行きたがらなかったのです。
    ところが私だけが「じゃ一人で行く!」と上って行ったら、立派な遺跡が……(^^;)。
    良くも悪くも、地元で今イチちゃんと史跡や伝承の類に熱を入れない土地柄なので、凄かったり凄くなかったり、どちらにせよ、何が出て来るかは保証の限りではありません(汗)。
     
    >はっ! も、もしかしたら……!?     【つづく】
     
    な、何があるのーーーー\(>o<)/! 隠岐島に????
     

    >のりちゃん
     
    >特に取り得のない、優柔不断な主人公が、
     
    それよ(^^;)。銀河鉄道333と同じ(爆)。
    今でもコレっぽい詐欺の手口が後を立たない所を見ると、今でも立派に息づいている伝統の手法だと思います(笑)。
     
    ワニ。本当にワニだったりアナコンダが出て来ると、神話の世界はジャングルクルーズになってしまうでしょうね(^^;)。
    しかし「腹から足が出て来た」って記述に、思わず「ジョーズ」を思い出した私は、必ずしも日本古代の様子が想像できてるワケでもありませんが(笑)。
  • 根裂・磐裂 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月10日 08時11分

    この神様達は、生まれてくるときに母親のホト(陰部)
    にヤケドを負わせてしまった、火の神であるカグツチ
    を、父親のイザナギがトツカの剣で切り払った時、し
    たたる血から生まれた神様達です。
    つまり、二重に死に関わってるんだけど、(イザナミ
    は、ヤケドがもとで絶命)なぜか、生命の根元の神様
    とされてます。
    「血」から生まれた神様であることと、同じく血から、
    クラオカミ・タカオカミの神々(雨乞いで祈られる)
    が生まれているところから、根裂・磐裂の神様も水の
    神様かな?と思ってます。
     
    銀河鉄道・・・。
    メーテルほど、謎めいた美女ってのもそうそういない、
    とは思いますけど、あれも考えてみたら、確かに、浦
    島太郎の変形でしたね。
     
    ふぅむ。
    漫画を、「浦島タイプ」「天羽衣タイプ」なんて分類
    して、本で発表したら、もしかしたら、売れちゃうか
    も・・・。なんてふと考えてしまいました(^^ゞ
     
    しかし、足が腹からでてくる程、でかい、ジョーズの
    ようなサメを、古代の人々はどうやって捕まえたんで
    しょうね。
    それこそ、「ジョーズ」ですね(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:08月10日 19時17分

    おおっ(・・;)、災いの子を切った血から生まれた因果の
    あるお子さん達だったのですね。何で双子なんだろう。
     
    ところで無駄話(楽しかったケド)をしている内に
    出ましたな。「大洗磯前神社」。読みましたゾ。
     
    そうか。敦煌からモンゴル人がサーフボードに乗って
    きた年だったのですな。φ(。。)mメモメモ、と。
    (↑スイマセン。今「クレヨンしんちゃん」見ながら
    書いてるんです)
     
    >わかりませんが、年号がはっきり残っているこの神社
    >の縁起。この年に「何か」があったのは、多分
    >間違いないと思います。
     
    848年ね〜。翌年の戸隠神社の縁起とも関係あったら
    いいなっと(#^.^#)。
  • コウラザメとは!? 投稿者:日雲 投稿日:08月10日 19時26分

    【前回までのあらすぢ】
     ワニを串刺しって何だろう? それが月の輪とは一体?
     ワニといえば、因幡の白ウサ。並びに、旦那に「恥ずかしい秘密」がバレてしまったトヨタマヒメが有名だが……。
     ワニといえばサメ。隠岐の島。はっ、も、もしかして……!
     
    ――という訳で、仕事の修羅場で40時間ほど寝ていない
    ボケ頭でちゃんと書けるかどうか怪しい日雲で御座いますが、星しかない私のことですから、これもやっぱり星がらみです。
    他にも、サメがあったことを思い出しまして……コウラザメ、というのがあるんですよ。
    で、これが何かと申しますと、すでにVまで来てしまっているレスの発端になりました、例のカカセオのことなんですね。
    茨城の方では、カカセオの異称? として、「コウラザメ」というのがあるんです。
    で、一方、隠岐の島の一角には星神島という無人島があって、ここはカカセオを祀るところと言われているんです。
    って、いや、勿論、だからといって、「隠岐島のコウラザメ=因幡の白兎神話のワニザメ」なんて言うつもりはありません。のりちゃん様が書いてくださってたように、原型と思われるポリネシアの神話に、すでにサメが出ていますから。
    星神島の祭神にしたって、いつからカカセオとするようになったか、甚だ怪しいところです。日本の神話で星の神といえば、普通それしかないから、そういうようになったというだけで、元は漁猟民の素朴な星信仰の祭祀場だったのではないかなあ、と思っています(雨乞いの神様だったようですが)。
    ただ、その一方、伊勢神宮の別宮になっている伊雑宮というのが志摩にありますが、ここにも民間レベルではある種の星信仰があるようで、その伊雑神のお使いが「七本ザメ(七匹のサメ)」と言われてるんですね。これもサメ。
    で、或いは、「海民の星信仰においては、サメというのが重要なモチーフになっていたのかな?」、とか思ってみたりしまして。
    という一方、翻って、祟る星神=天白は「月の輪クラに宿を召される神」だと前に申しましたが、この姿の原型は、恐らく、かの妙見菩薩の図像にあろうかと思われます。
    妙見の姿には何パターンかあって、その立ち位置については、「カメに乗る」「竜に乗る」「月輪に座す」が代表的なもので(千葉はカメがほとんどのはず)、星神・天白の姿は、この「月輪に座す」から取られていることは、多分、間違いないでしょう。
    また、天白と月の輪の両方に「祟り」が多いのは、この前にレスしたとおりで、さて、こうしたことどもを考え合わせると、
    「『月の輪』に『サメ』を描く」
    「『サメ』を描いた燈篭(?)を『月の輪』と呼ぶ」
    というのは、あながち見当はずれなことではないのかな、と。
    ぢゃ、どうして串刺しになんかなってるの?
    これは、やっぱりさっぱり解りません。もしかしたら、こたつ城主様の仰るように、マジで何かの歴史がそこに秘められているのかも……?
    うーん、【つづく】とするほどのものじゃなかったかしら。
    いや、何かちょっと長くなりそうだったので(^^;
     
  • いわさく・ねさく 投稿者:日雲 投稿日:08月10日 19時51分

    あららら、書いてる間にこたつ城主様が。こんばんは。
     
    もう一つ、磐裂・根裂について書いておきます。
    記紀の記述については、のりちゃん様の解説どおりですが、それを星の社に祀るということについては、「釈日本紀」という鎌倉時代の書物に、
    「イザナギがカグツチを切った時に、滴った血から生まれた磐裂、根裂、磐筒男、磐筒女、フツヌシの五神を星神と見る」
    というような記述が出てあるんですね。曰く、
     
     ●磐裂=歳星=木星
     ●根裂=蛍惑=火星
     ●磐筒男=太白=金星
     ●磐筒女=辰星=水星
     ●経津主=鎮星=土星
     
    ――こういう見方が、あったんです。
    ただ、じゃあ住吉大社の星宮には何で火、木、金しか祀られてないの? 水と土の立場はどうなってるの? 
    となると、何だかわかりません。その信仰の発端のありようも解りません(だから、気になって……)。
    ともあれ、そんなんで磐裂・根裂を祀る星神の社は、意外と多いです。関東を始め、岡山とか四国とか。
    星系神社の祭神としては、天御中主、カカセオらと並ぶメジャー神です(ったって、星系神社自体がマイナーなんですが)。
     
    ああ、寝不足なもんで、今日は笑いの一つも取れずにすいません。
    あと、長くなっちゃったことと(^^A
    ぢゃ、寝まぁす。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月11日 08時19分

    そ〜おなんですよ。
    モンゴルから、サーフボードに乗った大きい人と小さい
    人からなるデコボココンビが、大洗海岸にやってきたん
    です。
    あっしかも、大きい方の人物は、白い袋をかついでて、
    立派な福耳でしたっ!!
     
    なんていう嘘ならば、なんでこんなにスラスラでてくる
    んだろう・・・(^^ゞ
     
    戸隠神社もいっかい参拝してみたいです。
    そうしないと、こういうでたらめも思いつかなくて・・
    ・ねぇ。
     
    盆休みに入りましたね。
    どこ行っても、人ごみだろうなぁ。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月11日 08時48分

    40時間の追い込みを終えて、ゆっくりお休みになれま
    したか?
     
    サメと星の関連。
    興味ひかれますね。
     
    戯言を言えば、兎は、中国・日本では、「月」ですね。
    サメの上を飛んで島へ飛ぶ兎っていうモチーフは、(元
    はポリネシアの伝説かもしれないけど)そういう目で見
    ると、星を渡っていく月?
     
    また、インドネシアの悪星神で、「ラーフ」ってのがい
    ますよね。
    「触星」と日本には訳されているようですが、この神の
    首が太陽や月を食べるため、日食・月食が起きるといわ
    れています。
     
    このラーフが太陽や月を食べている絵を見ると、やっぱ、
    ジョーズを彷彿とさせるんですねぇ・・・。
     
    ラーフの絵、ネットには見つかりませんが、ヒンズーの
    神話を描いた画集を見たら、きっとあると思います。
     
    それから。
    「釈日本紀」手元にないんで、全く知りませんでした。
     
    根裂・磐裂・磐筒男・磐筒女・経津主命は、確かに、一
    族ですよね。
     
    この一族に5惑星をあてはめた理由ってなんなんでしょ。
     
    この一族の中で、一番重要な役どころを果たすのは、な
    んといっても、経津主命。
    この経津主が、葦原中国の鎮圧に成功したから、「鎮星」
    だとか?(^^ゞ
    まさかねぇ。
  • ぐっすり 投稿者:日雲 投稿日:08月11日 10時35分

    >40時間の追い込みを終えて、ゆっくりお休みになれま
    したか?
    いやあ、寝た寝た。爆睡しました。
     
    >この一族に5惑星をあてはめた理由ってなんなんでしょ。
    よく解らないんですが、隕石=磐とかから、星を岩とするような見方があるようで、その辺から来た牽強付会ではないかと思うんですけど……?
    ただ、住吉の星宮の三柱について付記しておきますと、岡山〜広島とか、高知を初めとした四国辺りに「三つの尖り石」を御神体にすることがある星信仰があり(「三体妙見」とも言う)、単純に数上の問題からでしょうか、折に宗像三神と同体とするような伝もあったりしてるみたいで、どっかこの辺のものが元だったのかも知れません。
    で、御祭神名を何にするかいなとなった時に、前記の神様達が選ばれて、その後によっしゃよっしゃの吉田さんスジがとおいでになられたのか、どうか……? 
    (ていうか、別に吉田さん「よっしゃよっしゃ」なんて言ってないし)
     
    >戯言を言えば、兎は、中国・日本では、「月」ですね。
    ううっ、そりゃそうですね? 星馬鹿なので、兎=月は完全に失念しておりました。いや、何かなくもないかも知れませんよ。戯言ではすまないかも。
     
    そういえば、昔、TVで浦島伝説の源流はここにあるんじゃないか、っていう番組をみましたが、あれどこだったろう? ポリネシアのどっかだったかなあ?
    何か浦島に似た伝説のある南の島があって、その竜宮城に相当する「現実の場所」が島の近くにあるんですよ。で、そこは入ってはイカン、語ってはイカンみたいな強いタブーになってて、でも取材班が海中ソナーで調べたら、何やら怪しげな柱のようなものが何本も立ってて、挙句にサメがウヨウヨ泳いでてって、そのあまりにベタな「海洋アドベンチャー」な舞台設定に、見てて爆笑した覚えがあります。
    あれ、どこだったっけなあ?
  • ううっすいません 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月11日 12時50分

    「ラーフ」インドネシアの神話と書いてしまいました。
    よくよく見てみたら、ヒンズー全体(という言い方でい
    いんだろうか??)にある神話でした。
    正しくは、ビシュヌが退治した悪神・ラーフの首が、星
    となって、隙あらば、太陽や月を食べようとしている、
    ラーフが太陽を食べると、日食に、月を食べると月食に
    なる、という話です。
     
    ここでふと思い出したのが、「大祓祝詞」
    速開都比売は、罪を持ち「加加呑みてむ」というくだり
    です。
     
    「香香背男」の「かか」は、この「かかのみてむ」の、
    「かか」と一緒ってことはないでしょうか?
     
    太陽や月を「かか」呑んじゃう神様だから、「カカセオ」
    なんて。
    としたら、カカセオとラーフのつながりは、グンと。
    って、ラーフとカカセオのつながりは、もしかしたら、
    誰か他にも唱えてる人がたくさんいたりして。
    だとしたら、すいません(^^ゞ
     
    んでもって、住吉三神と、宗像三女神を同一と考える説、
    私も聞いたことがあります。
     
    宗像大社の三つの島の配置は、オリオンの三ツ星とは、
    対応してなかったでしたっけ??
     
    最近、エジプトの三大ピラミッドが、オリオンの三ツ星
    の位地とほぼ対応している、という話は読みましたが・・・。
     
    などと考えると、もう、なにがなにやら。
     
    南の島の龍宮城ってのも、これまた魅かれる話ですね。
    でも、確かに、海の底に別世界がある、という発想は、
    厳寒の地のものじゃないような気もします。
     
    ・・・そういえば、ニッポンも、「黄金の国」「桃源郷」
    また、「蓬莱山」などとみなされていたかもしれないん
    でしたね。
     
    あやややや〜〜。
    お〜〜〜い、誰か収拾つけてくれ〜〜〜い。
     
    われながら、話がまとまら〜〜〜〜〜んっ!
     
    それにしても、爆睡できてなによりでした。
    私は、お盆に入ったので、これから、お互いの実家です。
    爆睡ならぬ、爆酔にならんようにせんと・・・。
  • おお、戻ってしもうた。 投稿者:日雲 投稿日:08月12日 11時58分

    >ラーフとカカセオのつながりは、もしかしたら、誰か他にも唱えてる人がたくさんいたりして。
    いえ、少なくとも、私は存じませんが……ていうか、そもそもあんまり語られていません(苦笑)。
     
    >「香香背男」の「かか」は、この「かかのみてむ」の、
    「かか」と一緒ってことはないでしょうか?
    「かか呑み」って何でしょうか? 語感からすると、何か鶴とかサギが、魚を「カッカッ」て丸呑みしてるようなイメージですが……ヘビがハグハグワシワシ呑んでいくとか。
    名前から解きほぐすのは難しいでしょうねえ……見られている説としては、出雲の加賀の潜戸とかの「カカ=輝く様」説。或いは、ヘビの古名ではないかという説あたりですか。
    私はあとの方の「カ」を「〜の」意として、先の「カ」を鹿島(香島)・香取の「香」として、「香の瀬男」だろうかと思ったりしたこともありましたが(この辺の星は水域に祭られることが多いため)……結局、鹿島とか香取の元ってどうだったんだろう? ここが解らないと、それも解らず……。
     
    >お〜〜〜い、誰か収拾つけてくれ〜〜〜い。
    えー、という訳で、結局、元の「鹿島の原像」の謎に戻ってしまったことですし、そろそろアゲましょうか(^^;
     
    お気をつけて、無事にお戻り下さい。
    また私に何か書けることがあれば書かして頂きます。
    琵琶湖、いつ行けるかなあ……? 
  • ペルセウス座 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月13日 09時01分

    流星群のピークが昨日の晩だったということで、夜中、
    旦那に連れていってもらいました。
    合計10ほどの流れ星をみたでしょうか?
    30分から45分ほど夜空をぼんやり眺めていて、日本
    の神話に、星神様が色濃くでてこないのが不思議でした。
     
    「かかのみてむ」は現代語訳を見ると、「がぶがぶと飲
    み込んでしまう」となっていたと思います。
    つまり、「かか」は、擬音と見られているんでしょうね。
     
    確かに、サギが、魚を、「かっかっ」かも(^^ゞ
     
    鹿島・香取の元・・・。
    香取のご祭神は、カカセオを討つ時の斎主、「イワヒヌ
    シ」様ですからねぇぇえええ。
    星と無関係なはずはないんでしょうが。
    わからん(^^ゞ

 

旧七夕祭り 投稿者:泰造 投稿日:08月11日 23時53分

大阪は天王寺区の堀越神社では、
15日19時から七夕祭りを行うとか?
近くて、その日予定がない方は行ってみたら?
  • 堀越神社 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月12日 08時54分

    といえば、ご祭神は、崇峻天皇ですね。
    一見、七夕祭とは、あまり関係なさそうな気もするので
    すが、四天王寺との絡みでしょうか?
     
    堀越神社ならば、阿倍野駅・天王寺駅からもすぐですね。
    予定がなければ。

 

星の神様U 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月06日 08時41分

長くなっちゃうので、新スレでm(__)m
 
>こたつ様
香香背男で面白いのは、日本書紀の中でも、最後まで天
神に逆らった、とされていたり、タケミカヅチとフツヌ
シ神が、「天にいる香香背男をまず倒して欲しい」と、
希望したりするんです。
一番最後に残ったのか、一番初めに倒されたのか、とい
うのが、日本書紀の中で矛盾しえ描かれてるんです。
ありがちな話ではありますが、ここだけに登場する神様
なのに、トップとトリを勤めるのは面白いな、と思いま
す。
それにしても、将門公も天女と結婚したという伝説があ
るんですね。
やっぱり、関東のことを知ろうとしたら、将門公は必須
ですね・・・。ほんと、何も知らないので、何か一冊で
も本読まなきゃ。
 
ちなみに、琵琶湖には、天女と漁師の間に生まれた子供
が長じて、菅原道真公になったという伝説もあります。
 
天女ってのは、中国でいう「麒麟」みたいなもんなのか
なぁ??
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月06日 08時50分

    関東の話はわかりませんが、大阪の北にある、「星田妙
    見宮」のご祭神は、「神道にては天之御中主神。仏教に
    ては北辰妙見大菩薩。陰陽道にては太上神仙鎮宅霊神」
    と、なっています。
    天にあって動かない北極星が、天御中主神とされたのは、
    わかるのですが、「星神」といわれて、天御中主神を、
    思い浮かべる人はあまりいらっしゃらないだろうな、と
    思います。
     
    また、この妙見宮は空海が修行していたときにこの山に
    北斗七星が降臨したのが縁起だそうで、北極星やら、北
    斗七星やら。
    神道やら仏教やら陰陽道やら。
    なにやら、もりだくさんな気配のあるお宮です。
    あまり妙見さんにはお参りしていないので、よくわかり
    ませんが、確かに地方によって、星に対する考え方は、
    違うようですね。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:08月06日 19時01分

    >のりちゃん
     
    一番最初に討伐しようと思い立った敵でありながら、最後まで討伐しきれなかった、という事かな。戦記として描くのに「結局制服しきれませんでした」では、無駄な血を流したことになりますから(^^;)、討伐過程で服属させた部分だけ書いたとか?
     
    琵琶湖の天女と漁師の話って、元は浦島太郎って事は無いかな(^_^;)。
     
    あと、星に神仙思想が絡んで来るのは関東でも同じですが、これも何となく後付けっぽい感じがします。この辺り、上手く論じる能力に乏しいのですが、どことなく古事記や日本書紀に出て来る神さまを連れて来る時と同じく、「ま、何かテキトーに頭に乗せておくか」みたいな、どっか「いい加減」な雰囲気をこちらでは感じるんですよ(^_^;)。
     
    >日雲さま
     
    アマツミカボシ(^_^;)。
    三日月を思い出しますね(笑)。山陰では月を拝むのが風習だそうで、祈る対象は、新月、満月、三日月といろいろ説があるそうですが、山中鹿之助だけが祈ってたわけではないようです。ちょっと脱線しました。
     
    将門伝説によく思うのは、結局将門が全てのブラックホールになったな(^_^;)、という事。それで言うと「久留里記」なんかは、「合体の究極の姿」って感じがして、それまでそれなりバラバラだったものを、東は東で勝手に『日本書紀』(聖書って噂も:笑)を作ったのかな(^_^;)、と思うぐらい、ごった煮によく出来上がってる感じがします(笑)。
    恐らく仲が悪かった勢力が各々あったんでしょう。古代の西日本みたいに。
     
    恐らく日雲さまは千葉と相馬についてはご存知でいらっしゃるでしょうから、久留里記に突然出て来た三男坊「東少輔」についてだけ(^_^;)。
     
    これが久留里城の創設者というわけで、これを出したいがために兄ちゃん二人を担ぎ出して来たのかもしれませんが(笑)、この三男が浦田の妙見社に城の郭についてお祈りしてたら、「浦田の峰に城を作り『久留里』と名付けなさい」とお母さんが出て来て言うのですよ(^_^;)。築城してる間じゅう3日に一度は雨が降ったので「雨城」=「うじょう」とも「あまき」とも言うそうですが、これは恐らく「万喜」なんでしょう。前にここで「元は『馬城』ではないか」という話も出ました。私もそう思います(笑)。
     
    このあと東少輔の孫が千葉との同族争い(って事になってます(^_^;))に敗れ、久留里城は俵藤太の孫の物になります。だからこの地に関しては、「アンチ将門」の社が創建されても不思議は無いかも……。
     
    ただ、秩父の話は「これが何なの?」と言われたらそれまでだよな〜、と思いながら何となく出してみたのが真相でして、龍神様と妙見さまの結婚は知りませんでした。すごく収穫です(^^)。ありがとうございました!
  •  投稿者:日雲 投稿日:08月07日 05時11分

    のりちゃん様
    >大阪の北にある「星田妙見宮」のご祭神は…
    ここの星信仰の元は光仁天皇の奥さん筋の百済な方々の道教信仰が元だったのではないか、とか言われているようですが、だから、「○○では××」とか、習合を片っ端から挙げられたのですかね?
    行ってみたいんですよねえ、交野。近畿界隈で、大阪だけ行ってないんですよ(千葉といい、大阪といい、有難いことです(笑))。
    星マニアとしては、住吉大社もやっぱり気になるところですし。
    解らないことがあったら、質問させて下さいね。
     
    こたつ城主様
    >山陰では月を拝むのが風習だそうで…
    有難い脱線です(笑)。
    これは極端に言うと、大和で太陽を拝むように、山陰=出雲では月を拝む、という風に捕らえてもいいんでしょうか?
    (あんまり定型に収めようとするのも、誤りの始まりでしょうが)
    星のこと以外は全然無知なもので……でも、そうだとしたら、私的にはこれはかなりの収穫なのですが。
    とある「?」への仮説として、「出雲族は月を拝した」なんて風習でもあってくれると有難い(?)のだが、なんて思っていたところだったので……これについて、何か読める文献はありますでしょうか?
     
    >結局将門が全てのブラックホールになったな…
    武内宿祢なんかもそのクチですね。大メジャーな方々は、なかなか梃子ずらせて下さいます。
     
    >久留里記に突然出て来た三男坊「東少輔」についてだけ…
    ええ、まさしく三男坊さんだけ存じ上げませんでした(笑)。
    有り難う御座いました、これも勉強になりました。
  • ごめんない、もう一つ 投稿者:日雲 投稿日:08月07日 05時58分

    >琵琶湖には、天女と漁師の間に生まれた子供が長じて、菅原道真公になったという伝説もあります。
    これは琵琶湖の東(岐阜県側)のものでしょうか?
    この辺の天神信仰はちょっと面白いですよ。
    菅原道真以前の天神なんですが、岩船に載って光体が琵琶湖を渡ってきたとか、何やらニギハヤヒ風の趣で(何バージョンかあって、勿論、後には道真とも習合)。
    さらにはそれの発展形でか、イエス・キリストが飛んで来たとか(笑)。
    これは多分、上記の岩舟天神伝説と、安土界隈の信長時代のキリスト教とが絡んだんじゃないかと思うのですが。
     
    >琵琶湖の天女と漁師の話って、元は浦島太郎って事は無いかな
    可能性は十分あると思います。元というか、羽衣伝説と浦島伝説が一緒になっちゃったようなことでなら。
    どちらも丹後地方が日本国内での源泉でしょうし、それぞれの伝説発祥の血族的な筋も遠くないでしょうし(同一ですらあるかも知れない)。
    上記の岩舟天神信仰も、籠神社のホアカリ=ニギハヤヒが本当だとすれば、丹後が源泉の可能性もあります。
    いずれにせよ、これは丹後というキーワードが重要になってくる伝説なのではないでしょうか。
    また、羽衣伝説も、浦島伝説も、どっちも星的要素を持っていますし、光体というのも……ええ、星マニアなんですよ(苦笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月07日 09時29分

    ごめんなさい、書き方が悪かったですね。
    日本書紀って、ストーリーが、いくつもあるんですよ。
    「こういわれている」
    「でも、ある一書にはこう書かれている」
    「そして、また他の書には、こう書かれている」
    ってな具合に。
    で、「本書」には、香香背男は、最後まで残ったとなっ
    ていて、「一書(第二)」には、香香背男は天にいて、
    一番はじめに討たれた、となっています。
    二つの説があったんでしょうね。
     
    天の羽衣と浦島太郎。
    浦島太郎も、天の羽衣も、ヴァリエーションがやたらめ
    ったら豊富ですもんね。
    日本書紀の中にも浦島太郎の話があるんですが、ここで
    は、浦島太郎が大亀を釣り上げると、亀はたちまち美女
    になった、となっていますから、羽衣乙女と似ていると
    思います(羽衣乙女は、羽衣を纏うと鳥になってしまう、
    というような話もありましたよね)。
    でも、どっちも話がいろいろありすぎて・・・。
    どっかで繋がってる可能性は高そうですね。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月07日 09時47分

    ご存知だと思いますが、大阪で「星」関係といえば、
    天棚機比売大神を主祭神とする「機物神社」があります。
    また、大阪市内に、「三光神社」がありまして、ここの
    祭神は、天照大神・月読尊・素戔鳴尊の三貴子が揃って
    いて、武内宿禰も祀られています。
    でもって、長寿の人であるところの武内宿禰は、寿老人
    に見立てられていまして、そういう意味では、「北極星」
    と関係がある、と言えるかも??
    どちらにしても、「三光」で、「太陽・月」が祀られて
    いるわけで、素戔鳴尊をもう一つの光=星とされている
    可能性は高そうです。
    住吉大社も、また近々行く予定がありますので、
    「ここんとこ見てきて欲しい」とか、
    「ここんとこの写真が欲しい」などありましたら、おっ
    しゃってくださいね(#^.^#)
     
    でもって、羽衣道真伝説は、琵琶湖の中にある竹生島へ
    向かう高速船の中で流れるアナウンスで聞きました。
    ということは、北の湖に伝わる話じゃないかと思うんで
    すが、すいません。詳しくは、わかりません。
    しかし、キリストが飛んできた、とは・・・。
    見た人はさぞかしびっくりしたんじゃないかと(^^ゞ
     
    さて、ご存知かも知れませんが、「籠神社」には、珍彦
    椎根津彦の像があります。
    亀にまたがって釣竿を持っています。
    ・・・そう、まさに、「浦島太郎?」と思うような像な
    んですよね。
    確か、浦島太郎は、「古代、UFOに乗った人物の話だ」
    っていう、珍説がありました。
    磐船伝説も、考えようによっては、UFOのことかもしれ
    ないし、羽衣天女も、宇宙人?
    それこそ、どこかの星からやってきた宇宙人が、古代、
    丹後半島に定住した・・・。
    なんて(^^ゞ
  •  投稿者:日雲 投稿日:08月07日 12時04分

    うん? あれ? 俺、もしかしてアマツミカボシは「古事記」とかって書いちゃってなかったか? 
    と、今さら不意に思いまして、そんな馬鹿なまさかと見返してみたら、
    ドーン! うわー! やっちゃってるー!
    すいませーん、両方「日本書紀」ですー!
    「最初に討たなきゃ」とされたのがミカボシで、
    「最後まで残った」のがカカセオですー!
    ぼ……ボケとる……!
    取り急ぎ、この件のみ(汗だく)。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:08月07日 19時11分

    >日雲さま
     
    >大和で太陽を拝むように
     
    こっちをむしろ知らないので(^_^;)、そう比較対象に出来るか……自信ありませんが。
    「山陰」と大雑把に書きましたが、南條範夫さんの小説『出雲の鷹』に、「月山に上る月を拝むのは、この富田城の人々の風習になっている。昇る太陽に向かって柏手をうって拝む風習は全国的に拡がっていたが、月を拝むというのはあまり聞かない。いかにも山陰地方の城下町らしい風習である」とありました。
     
    これは創作なのかもしれませんが、月山の麓の安来には、「月の輪まつり」という起源の古い祭りがあるのは確かで、南條さんはこれをモチーフにしたのかな、と思っています。
     
    意宇郡安来郷の条の語臣猪麻呂が天武二年(674)7月13日に娘がワニに食われ、この仇討ちを行い、ワニの腹から娘の足を取り出し、塚に葬ったそうです。ただ古墳から掘り出された人骨は男性のものだったそうですが(^_^;)。里人は娘の命日が十三夜だったのでその日には昼夜わかたず躍ったそうです。
     
    これが元禄12年(1699)ころから華麗な行列が繰り出される祭りとなり、行列の神体にワニを串刺しにした形の灯篭(月の輪)が添えられるそうです。
    文献は「郷土資料事典」島根県(人文社)でしか私は知りません(^_^;)。
     
    安来は主人の実家があるのですが、おばあちゃんなどは月を見ると拝みますよ(笑)。でもこれは、山中鹿之助の伝説から縁起でも担いだのが始まりかなぁ(^_^;)。田舎の老人は何を見ても拝むのかと思ってました(笑)。
     

    >のりちゃん
     
    なるほど(^_^;)。最初に討たれた説と、最後に討たれた説に分かれるんですね。わかりました。
     
    浦島太郎ですが、こないだ新聞連載を読んでたら、竜宮城は韓国の方ではないかと書いてありました(笑)。
    あれって最初は、戻って来て玉手箱を開けたら老人になってしまい……というくだりは無かったらしいです(^_^;)。それだと教訓話にならないので、だんだん話が付け足されたって書いてありました。
    で、最初は古代のポルノ小説だったとか(笑)。
     
    住吉の神様は、前に矢を運んで来た鶴の話をしてくれましたよね。これも星の神様なんですか?
     
    >天棚機比売大神を主祭神とする「機物神社」
     
    織姫さま?
     
    武内宿禰が寿老人ってのは……初耳です(^_^;)。福禄寿が南極老人(とか老子とか)ってのは聞きましたが。
  •  投稿者:日雲 投稿日:08月07日 22時57分

    こたつ城主様
    >月山に上る月を拝むのは
    ああ、月山ですか……となると、これは
     「月信仰が先にあったから月山の名が出来た」のか、
     「月山の名があったから、月信仰が発生した」のか、
    どっちが先か調べなきゃいけませんね。しかも、この「月」って、
     
    >安来には、「月の輪まつり」という起源の古い祭り
    ――の方でしたか。月の輪……これはまた手強い(汗)。
    以前、岡山に調査旅に出かけたんですが(星信仰強し)、
    旧美作の内陸部辺りで盛んなんですよ、「月の輪信仰」。
    で、この辺じゃほぼ完璧に祟り神になっている。
    何でかは不明。「月の輪」信仰の発生源も、語源も不明。
    やっぱり、そう簡単に「出雲=月信仰」とは行かないか……うーん……ちなみに、
     
    >とある「?」への仮説として、「出雲族は月を拝した」なんて風習でもあってくれると有難い
    ――とした、とある「?」というのは、諏訪の三光信仰はどうやって成立したのだろう? ということについてだったんですが、では、
     
    のりちゃん様
    >大阪市内に、「三光神社」がありまして、
    三光信仰は、星信仰に輪をかけて難しいんですよう。
    日・月・星である以上、星が一通り解らなければ、必然的に三光も解らない訳で……例えば、栃木の太平山神社では、
    「日=イザナギ」「月=オオナムチ」「星=天孫太神」
    なんて解釈になってるんですね。星が天孫って何だろ? 
    挙句、ここには六十三社の末社があって、その内の「下二十一社」をまとめて星宮と通称し、でも、「具体的にどんな神様を祭ってるかは昔から秘密」なんて……謎。
    多分、この栃木の三光の源流は諏訪にあるんじゃないかなあと思っているのですが、その諏訪から伊勢にかけて、「天白」というこれまた謎の星神があって、その姿は、
    「月の輪クラに宿を召される星神」
    という形態を取ることが多いんですが、これはこれでまたやたらと祟る。
    そうすると、「月の輪」「祟る」「星信仰の盛んな土地」と、美作界隈の月の輪と天白に類似した要素が並んできて、これは果たして底通するものはなかったのか、とか。
    で、最初に戻っちゃうという……む、難しい(^^;
     
    >住吉大社も、また近々行く予定がありますので…
    >ありましたら、おっしゃってくださいね
    え、本当ですか。ぢ、ぢゃあ、お言葉に甘えちゃおかな。
    私としては、断然、摂社の「星宮」なんですが(やっぱりかい)。
    こちらの由緒とか、本社との関係のあり方とか、何か異称はないかとか……出来ますれば、そういう辺りを見て来ていただけますと……いずれ、行こうとは思っておりますが。
    あ、それから「住吉大社神代記」を活字化して全文読める本って、何か御存知でしょうか?
    住吉大社と猿楽の関係を調べたいんですけど、どこから手をつけていいかも解らないんですよねえ……。
     
    あ、それとあと一個、
    >羽衣道真伝説は〜北の湖に伝わる話じゃないかと
    羽衣伝説は余呉湖が有名ですから、あんまり南の方ではないのでしょうね。そう遠くないうちに、滋賀の方へは行く予定ではいますので、行けたら調べてみて来ますね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月08日 10時40分

    浦島太郎が、ポルノ?
    ん〜、すると、鯛や平目の舞踊りってのは、ストリップ??
    浦島太郎の話、確か、風土記逸文にあったなぁ、と探し
    てみたら、ありましたありました。
    丹後風土記逸文。
    これにポルノらしきものがあるかな?と読み直してみた
    んだけど、それはなく、ただ、通常乙姫とされる姫の名
    前は、「亀姫」で、門の前で浦島太郎を案内するのは、
    8人と童子で、そのうち七人は、「昴」で、もう一人は、
    「畢(あめふり)星」だと自己紹介してます。
    竜宮が天にあった、とここではしてるんですねぇ。
    初めて気づいた。
     
    住吉の神様が星の神様だと言えるかどうかは、諸説があ
    ると思うんですが、まず、住吉三神は、
    表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神です。
    これが、オリオンの三ツ星のことだ、と言う説がありま
    す。
    また、この「筒」は星のことだ、という説も。
    例えば、金星のことを、「夕づつ」「朝づつ」と言うん
    です。
    ということくらいしか知らないんですけどね。
     
    んでもって、武内宿禰が寿老人とするのは、三光神社だ
    けなのかも知れません。武内宿禰の長寿にあやかって、
    ということらしいです(^^ゞ
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月08日 11時00分

    日=イザナギ 月=オオナムチ 星=天孫太神ですか。
    あやや〜〜〜。それは〜〜〜〜〜。ん〜〜〜。
    頭ん中で革命がおきちゃいましたよ(^^ゞ
     
    ただ、「天孫」太神の「太」
    「天白」の「白」で、「太白」ですね。
    祟りというのと、「太白=金星」ってのは、しっくりく
    るように思いますが、ちと強引か。
     
    さて、住吉大社、「星宮」ですね。
    了解っす。
    ただ、先輩を案内する約束ですので、先輩の予定に左右
    されます。
    秋ごろになるかも知れませんが、お待ちくださいね。
    ご存知かもしれませんが、手持ちの「略記」によると、
    星宮では、国常立命を祀っているんです。
    三筒男命を祀る住吉大社で、ことさらに、「星」を冠す
    る宮に国常立命を祭神とするのは、なんとなく、不思議。
    住吉大社神代記、前文読める本については、参拝した時
    に聞いてみますね。
     
    滋賀の伝承についても、楽しみにしてます。
  • えーーーー! 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月08日 19時42分

    >日雲さま
     
    月の輪ってそんなモノだったんですか(*O*)?!
    祟り神かぁ……。
    祭りって縁起のイイものって感じがするけど、そもそもこの祭りの起源ってよく考えたら「復讐劇」だから、祟りの威力は充分あるかも!(笑)
     
    こういうのってワニ族(←何だか知らない(^_^;))と戦った月族の勝利の証とかがベースにあるのかなぁ。何だか楽しくなってきたゾ!(一人ノリかっ?!)
     
    >栃木の太平山
     
    行った事があります(^_^;)。ハイキングでしたが、偶然「謙信平」ってトコを見付けて妙にはしゃいだ記憶があります。
     
    >「日=イザナギ」「月=オオナムチ」「星=天孫太神」
     
    何となく字の感じから行くとお星様がイッチャン偉そうな(^_^;)。
     
    >え、本当ですか。ぢ、ぢゃあ、お言葉に甘えちゃおかな。
     
    え、余呉に行くんですか。じゃあお言葉に甘えて(←何も言われてないだろがっ!)、「文右ェ門」って宿がわりとお薦めですゼ(^。^)。↓ココ
    http://www2.cny.ne.jp/kankou-y/YOGO_BUNEMON_01.html
     
    >のりちゃん
     
    ポルノはちと言い過ぎだったかも(^_^;)。
    最初は単なる楽園ストーリーだった、という事のようです。それが桃源郷みたいなのより、どっちかと言うと、「仕事サボッて妻や子を置き捨て、美女に誘われて一人気楽な旅に出たら、辿り着いた島では歓待されて」という筋で、当時貴族の間で好んで物語された、という具合だったような。
    普通は家を捨てて……となると、出家でもするのでしょうが、そこをやっぱ、女を取っかえ引っかえの部分が良いんじゃないでしょうか(^。^)。
     
    >表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神です。
    >これが、オリオンの三ツ星のことだ、と言う説が
     
    あ(^_^;)、前にもそう聞きましたよね。ごめんなさい。そうでした。
    じゃあ将門の三人の息子もコレのマネなんでしょうね。
  • も、もしかしたら……!? 投稿者:日雲 投稿日:08月09日 02時33分

    のりちゃん様
    >住吉大社、「星宮」ですね。了解っす。
    すーいません、本当に。お手隙だったら、くらいでいいですからね。ごめんなさいね、どうも。
    >星宮では、国常立命を祀っているんです。
    とかいいつつ、ちょっとここも気になってるんですが。
    「摂津名所図会」という、江戸時代の情報誌では、祭神は太白、磐裂、根裂の三神になってるんですよ(磐裂、根裂というのは、栃木を始め、各地の星系の神社でよく祀られている神様です)。
    で、一方、星信仰の社で国常立を祀るというのは、これは割とあることなんです。吉田神道という吉田さんが始めた神道で(説明になってねえ)、ここでは国常立=根源神=北極星の観念が強く持たれ、一頃は政治的な権力も結構持ったので、「何、星の神。よっしゃよっしゃ。そんなら国常立にしときなさい。悪いようにはせん」みたいに、全国各地に影響力を広めていったりしてた訳です。折には、虚空蔵菩薩=金星をも、「よっしゃよっしゃ。それも星の神さんや。だから、国常立」って、それ北極星じゃねえぢゃん、みたいなことまでしてて。
    でも、住吉の星宮って、18世紀末の段階でまだ磐裂とか三神を祀ってたんだから、ここの国常立っていつからなのか……吉田神道の影響にしては、遅い(新しい)ような気がするんですが……まあ、御参考までに。
     
    こたつ城主様
    >月の輪ってそんなモノだったんですか(*O*)?!
    いや、純然たる信仰対象にしてるところもあるかも知れませんよ? 岡山だとそうだというだけで。ただ、他地域でも「月の輪古墳」という名前を目にしたりしますから、何らかの禁忌を伴う観念は広くあったようには思いますが。
    それから、
    >里人は娘の命日が十三夜だったのでその日には昼夜わかたず躍ったそうです
    とありましたのは、明らかに後付ではないかと。
    十三夜という、お百姓さんの月の信仰は全国に広くありまして、これとくっつけられた――つまり、安来のそれは「十三夜参り」と「月の輪」がいつからか一緒になってて、お婆ちゃんが月にお参りしてたのは、前者の方からきた信仰であろうかと。十三夜に「ワニの串刺し」は関係ないからなあ(^^;
    >ワニを串刺しにした形の灯篭(月の輪)が添えられる
    ……本当にこれ何だろう? メッチャ気になりますね。
    実際にモノを見てみたいです。
    >こういうのってワニ族(←何だか知らない(^_^;))と戦った月族の勝利の証とかがベースにあるのかなぁ。何だか楽しくなってきたゾ!(一人ノリかっ?!)
    いや、一緒にノラせていただきたいところですが、どうノレばいいだろう、これ?
    ワニといえば、因幡の白ウサギのワニがまず想起されますが……
    あとは山幸彦の奥さんの豊玉姫もそうか……
    ワニって、サメのことで。因幡の白兎の舞台は隠岐島。サメ。
    はっ! も、もしかしたら……!?     【つづく】
     

 

へいへいほ^^v 投稿者:女衒陀世 投稿日:08月07日 19時05分

千葉の市原にある、根田神社=俵藤太が将門追討祈願成就で建立、を検索しててー再建されてましたね^^v偶然来ました。
サイト充分満喫しました。筑波嶺には実家がありますが、石鹸が泡たちません。硬水なんですね・・知られておりませんが、豊穣米は素晴らしく旨い米です。冷めても美味しく戴けるといえば、御わかりいただけるかと??
閑話休題、、。。ところで、サイトの阿み神社の裏に根田の遺跡があるように、お見受けしましたが、どうなんでしょうか?根田について、調べておりますので、ご教授いただけるかしらん??
m<(・・)>m よろぴく^^v
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月08日 10時27分

    女衒・・・ですか(^^ゞ?
    HNにどんな由来が?と、ちょっとワクワクしちゃいま
    した。まさか、「ぜげんだっせ〜」とお読みするとか?
    さて、根田神社ですか。俵藤太が建立ということは、阿
    弥神社の方が古いですね。
    ・・・と思ったら、根田って、貝塚が出てるんですね。
    確かに、阿弥神社の案内板には、神社と根田貝塚の関係
    をにおわせるような表現がありました。
    根田貝塚あたりに居住していた人が崇拝していた神様を
    祀ったのが、阿弥神社である可能性はあると思います。
    ただ、古いことでもありますし、資料ではそれを確信で
    きるようなものはありませんでした。
    女衒陀世さんは、根田のどういうことを調べたいですか?
    具体的にわかれば、もしかしたら、何かお力になれるか
    も?

 

あまりにも暑いので・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:08月07日 00時07分

先週の土曜日に福井県の小浜まで行ってきました。
日中はともかく、夜間は大阪と比べると、
はるかに涼しかったです(^^)
小浜といえば、若狭一ノ宮ですね。
日帰り温泉でだらだらしてたせいで、
夜間になってしまったけど、いってきました。
ちなみに、ここは、上社の若狭彦神社と下社の
若狭姫神社に分かれます。
御祭神は、上社が若狭彦神で、この神は山幸彦こと
彦火火出見尊、下社は若狭姫神で山幸彦の妻、豊玉姫
と、されてます。
遠敷明神とも称され、式内社です。
上記のことは、ここに集う皆様の方が、きっと、
詳しいと思いますが(^^;
 
私的には、上社の若狭彦神社のほうが、清々しく
神々しい感じをうけました。
下社の若狭姫神社は、人里の中にあること、
両社の社務所がおかれているせいか、人懐っこい
感じでした(^^)
小さいながらも、陰陽石があったり、そのせいか、
子授けに験あり、と謳っているのも、人懐っこく
感じた理由ですね、きっと・・・
若狭といえば、お水取りとの関わりや、丹生、水銀との
関わり、古代の渡来人等々、いろいろ、そそるものが
ありますね。
まだ行ったことがない。行きたいな、という方には
一度、行かれることをおすすめします(^^)
  • 小浜 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月07日 09時18分

    小浜には、義妹の実家があるんですよ。
    甥っこが生まれた時(義妹は長男は実家で出産した為)
    に、訪れたことがあるんですが、甥っこの誕生日が、な
    んと、2001年の1月1日。
    正月早々だったので、ゆっくり観光してられませんでし
    た。残念。
     
    若狭彦・若狭姫神社、私も行ってみたい神社です。
    お水取りの水が、地下で若狭まで繋がっている、と、初
    めて耳にした時、「うっそ〜〜〜」と思ったもんですが、
    それを確かめるためにも、是非行きたいですっ!!
     
    福井は、日本海側にありますし、古代、いろんな人が、
    海を越えてやってきたと思います。
     
    若狭彦・若狭姫も、渡来の人々が奉祭する神様だったの
    かもしれませんし、興味いっぱいですね(#^.^#)

 

晴明神社・・・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:07月29日 00時12分

先日、京都の晴明神社に久しぶりにお参りにいって来ましたが、世にマスコミとブームの力、恐るべし(^^;
この、炎天下のなか、いやぁ、いるわ、いるわ、観光の人・・・
以前は、観光ルートから離れてるため、観光客って少ししかいらっしゃらなかったのに、
それがいま、あなた、観光バスが横付けで停車して今まで、晴明氏のことなど、知らなかったよーなおじさんやおばさん達が参拝しているではありませんか!
おかげで、私ら夫婦、参拝中にもかかわらず、押しのけられて、お参り中止を余儀なくされたのでした(ToT)
自分の好きな、神社や神様がメジャーになるのはうれしいんですけど、なんとなく、釈然としないのは、
きっと、例えて言うなら、自分の好きなインディーズ系の
バンドが、いきなり、メジャーデビューして、トップアーティストの仲間入り・・・
みんな、大騒ぎ
それを、横目で見ながら、私なんて、○○(お好きな
バンド名をお入れください)が、インディーズのころから
ファンなのにぃ、と、ぼやくのに似てるかも(^^;
一時的な、ブームで終わらないことを、大きなお世話かもしれないけど、祈るばかりです。
社務所、改築中だし・・・
  • 晴明桔梗のペンダント 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月29日 09時16分

    水晶でできていて、晴明桔梗を彫り込んであるといった、
    決して安くはなく、お洒落とも言いがたい御守りなんで
    すが、結構たくさんの参拝客が購入して帰られるとか。
    去年、私が参拝した時は、まだ寄進の募集をされていま
    したが、もう、受付は終了してました?
    もし終了してたのなら、改築する費用は既にできている
    のかもしれないですね。
     
    うちに、水木しげるさん著の、「今昔物語」の漫画版が
    ございます。
    勿論、安部晴明の逸話も収録されてまして、水木しげる
    氏の描かれる晴明様は、ねずみ小僧にひげを生やし、目
    を大きくしたようなお顔でございます。
     
    安部晴明を初めて絵柄で見たのが、この漫画なもので・
    ・・。熱狂はできぬのです。ワタシ。
    いくら、素敵な晴明様が世の中に氾濫しようとも。
    私の晴明様は、ひげねずみなんですものっ!!
  • 黙ってられなくて(笑) 投稿者:sola☆ 投稿日:07月29日 17時54分

    のりちゃんひどいなあ。
    ひげねずみはないですよぉ。
  • いやいや(笑) 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月29日 23時19分

    水木しげる氏の絵による、晴明様像の話ね(笑)
     
    関係ないけど、安部晴明の次に、役小角が流行るかも?
    と想像していたんだけど、残念ながら、まだ役小角の
    波はきてないねぇ。
  • 心配しすぎ。 投稿者:あかがね 投稿日:07月31日 19時10分

     役小角来ますかね。
     GWに吉野から山上ヶ岳を経て、和佐又山まで一泊二日で
    歩きましたが、御盆にその続きを歩きます。
     和佐又山→大普賢岳→行者還岳→弥山→八経ヶ岳→釈迦ヶ岳
    と二泊三日で縦走して前鬼から下山します。
     名前を見ただけでも修験の道…。
     
     ブームになると奥駆道も混雑するかなぁ。
    南部奥駆道(熊野本宮まで。三泊四日予定)も早めに予定組まないと。
  • 実は(^_^;) 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月31日 19時25分

    テレビドラマの「陰陽師」見ています(爆)。
    五話完結だと思ってたら、まだ続きをやりそうな気配?
     
    役小角ってドラマでやるとしたら、配役誰になるかな(^_^;)。
    何かちぃと怖い人みたいなイメージあるんだけど、
    案外ハンサムな人とかがやるといい?(笑)
  • 趣味に走って・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:07月31日 23時38分

    わはは、テレビの「陰陽師」の晴明さまって、
    「ヒカ碁」の佐為みたい、と思っちゃいました(^^;
    それはそうと、実写で役小角ですかぁ・・・・
    できれば、体育会系で、男前、若すぎず、老けすぎず
    がいいですね(^^)
    となると、阿部ちゃんがいいです、私(趣味バリバリ)
    小角さま、といえば、1300年遠忌の特別展示で
    観た行者像のなかに、ややたれ目で、志村けん氏に
    似ているのがありまして・・・・
    のりちゃんの晴明さまじゃないけど、あの、その、
    えーと、ということです(^^;
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時09分

    う〜〜〜む、確かにすごい地名が揃ってる(^^ゞ
    一日で廻れる距離なんですか?
    (調べろ!と言う話なんだけど、ほら、今、旅先だか
    ら。教えて、おしえて〜〜!)
     
    まじめな話しちゃうと、こないだ吉野の金峰山寺に車
    で行った時、
    「ここがブームになって、車がたくさんきたら、雰囲
    気壊れちゃうなぁ」と思ったんですよ。
    だいたい、細い道多いから、すごい渋滞するに違いな
    い。
     
    役小角は、地元意識で、親近感があるんだけど、彼の
    時代がきてほしいよな、きてほしくないよな・・・。
     
    でも、安部晴明なら、晴明桔梗がシンボルだけど、役
    行者の場合、なにをシンボルにしたらよいかしらん?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時14分

    テレビの陰陽師、見てはないんだけど、三上博が安部
    晴明をしているんですよね?
    ち〜っと意外だったんだけど・・・。
    つぅか、三上博は、孔雀王も演ってるじゃないですか。
    お坊さんか、陰陽師かどっちかにして〜!
    と(^^ゞ
     
    役行者・・・役所宏司の名前が浮かんだんだけど。
    はっ!「役」つながりだからかしら。
    ん〜、今日暑いなか、2時間ほど歩いたから、頭が疲
    れてるのかも・・・。
    でも、こう、ぼろぼろの作務衣は似合いそうですよね。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時18分

    阿部ちゃん、いいですね!
    いいともの「いい男さん」に出てた時は、
    「固そうな人やなぁ」という印象しかなかったんです
    が、最近、演技に渋みがでてきましたよねっ!!
     
    Naomiさんが挙げられた、役小角を演じる役者さんの
    条件に加えて、
    「長髪が似合う」ってのをいれてくださいませ。
     
    ・・・長髪の阿部ちゃん・・・。
    GOOD!!!ヽ(^。^)ノ
  • ロンゲの阿部ちゃん 投稿者:Naomi 投稿日:08月01日 21時57分

    孔雀王といえば、阿部ちゃんも演ってましたね。
    孔雀といえば、孔雀明王、役小角さまにご縁が深い・・・
    うーむ、孔雀つながり?
    うちのだんなは、ロンゲの阿部ちゃんて映画の
    「ヤマトタケル」のツクヨミやんか、とわめいてました
    ネタ、わかる方、います(^^;
     
  • 役行者は賀茂一族 投稿者:泰造 投稿日:08月01日 23時05分

    役行者が賀茂一族の出であるのは有名?
    それは置いておいて、金峰山寺がブームにならなくても、
    うじゃ〜って車が連なるのを見てみたいなら、
    春・桜の時期に行ってみて下さい。
    見れますから。
  • 見たくないっす(笑) 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時19分

    そういえば、桜のシーズンの吉野は、想像するだに、
    人ごみですね。
     
    役行者が加茂一族であるというのが有名なのかどうか。
    どうでしょう?
     
    日本霊異記には、「加茂の」って明記してあったよう
    に記憶してます。
    (うち帰ったら、もいっかい調べます)
    でも、「加茂氏」である、といいながらも、「一言主」
    をこきつかってるように書いてあるんですよね。
    ん〜。矛盾している。
  • ツクヨミ 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時22分

    わかんないっす。
    ヤマトタケルの映画ってあったんですね??
    むか〜しの東映映画で、「スサノオ」ってのがあった
    みたいです。
    確か萬屋欽之介(字、違うかも)氏がスサノオを演じ
    られてたような???
    ぜんぜんちゃうかったら、すいませんm(__)m
  • 奥駆道 投稿者:あかがね 投稿日:08月03日 00時03分

     和佐又山から前鬼へは書いた通り、二泊三日の行程です。その間テント且つ自炊で行こうと思っとります。お盆は山小屋も混雑しているでしょうし、何よりお金が浮きます。荷が重くなりますが…。
     
     しかし金峰山寺に車で行かれましたか。
     やはり吉野神宮から金峯神社くらいは歩かないと(笑)。風情ありますからねぇ。見所満載。というか道が狭すぎ(爆)
  • 自炊かぁ 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月04日 09時04分

    子供のころ山(つぅかキャンプ)で食べる料理ってい
    えば、カレーだったんだけど、今は、事情が変ってき
    てるんでしょうね?
    何を作られます?
     
    金峰山寺から、吉野神宮まで、歩いたこと、そういえ
    ばないなぁ・・・。
    小学校の林間学校はバスだったし。
    こないだ行った時は車だった。
    見所見ないのは、損してるかも??
  • カレーかぁ 投稿者:あかがね 投稿日:08月05日 18時13分

     カレーは今でもキャンプの黄金メニューです。
     しかし洗剤使用不可な山中においては汚れが大きいので、
    汁を飲み干せる即席ラーメンに一歩を譲ります。
    (ラーメンだけでは栄養が無いので乾物を一杯ぶち込みます。)
     でもレトルトのカレーを持ってって、レトルトを湯煎で温めつつ、
    口を開けて中にサ○ウのご飯を放り込んで食べたことがありますね。
     なんかサバイバルな感じがしますが、汚れ物を出さないという
    意味ではご家庭でも使えるかも(嘘)
  • バテバテで、ご無沙汰です 投稿者:香具 投稿日:08月05日 23時26分

    横からすみません。おヒサでやんす。
    役の行者のお話しが出ていましたので・・・。
    各地の木像を見ると厳しそうなお姿ではありますが、黒須紀一郎氏の伝奇小説シリーズ『役小角』(作品社)は、りりしくてカッコイイ兄ちゃんです。これ読んで葛木が好きになった単純読者ですが、古代史エンタテイメントもいいです。厳密には史実と異なるでしょうが、登場人物とその相関関係を知るには手っ取り早いもんでした。
  • カレーで黄金 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月06日 08時20分

    確か、うん○のこと、「こがね」っていいませんでし
    たっけ?・・・は、いいとして。
     
    宇宙飛行士が、宇宙で食事をする時に人気の高いメニ
    ューは、レトルトカレーなんだそうです。
    日本人宇宙飛行士が始めて宇宙に持っていって、それ
    から火がついたんですって。
    レトルトカレーのパウチの中に、フリーズドライの米
    をほうりこんでかき回して食べるとか。
     
    あかがねさんの発想、宇宙で使えるかも?
    ほかには、他には??
  • 香具様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月06日 08時26分

    写真サイト、たちあがったら、教えてくださいね。
    さて、私も歴史エンターテイメント、というか、歴史
    を題材とした漫画には、テストなどの際、お世話にな
    りました(#^.^#)
    未だに、聖徳太子の関係の人物について、少しはわか
    るのは、「日出処の天子」のおかげですし、歴史じゃ
    ないけど、源氏物語に関しては、「あさきゆめみし」
    がなきゃ、テスト受けられませんでした。
     
    黒須紀一郎氏の小説は読んだことがありませんが、探
    してみます。
    カッコイイ兄ちゃんの役行者。
    ちと楽しみです(#^.^#)
  • HNかえよっかなぁ 投稿者:こがね 投稿日:08月06日 20時24分

     あかがねです(爆)
     黄金のカレー、と書いててちょっと不安を感じたけど相手は淑女だし
    まさか来ないだろうと思いましたが大甘でしたね(再爆)
     フリーズドライは山屋でもよく売ってますが高い。真空パックの倍します。
    当然軽いんですけどね。しかしFDは水分ゼロな訳ですよね。当然。
    それを水でなくてカレーのルーで戻すとどんな味になるんでしょう。
    というか戻るんでしょうか?山で失敗すると泣くに泣けないしなぁ。
    下界でそんなリスキーなカレーを400円以上もかけて食べる気にもならないし…。
     
     山の食事はFD(高い)、缶詰(空き缶が鬱陶しい)、乾物(レパートリーに乏しい)、
    生物(初日限定)、即席もの・粉末もの(栄養価不安)を組み合わせる。
    といったところでしょうか。
     長期とか集団だと普通の米を持っていくようですね。これも乾物といえば乾物。
    基本(?)は米類に缶詰やら乾物を炊きこむ方法ですかね。ひじき・ワカメ雑炊とか。
    麺類に餅を入れるのもよく聞きます。
     
     私は大した山には行きませんので、腹持ちのことしか考えません。
     味と栄養は二の次、三の次ですね。
  • 私もHN変えようっかなぁ 投稿者:淑女 投稿日:08月07日 09時11分

    のりちゃんです( ̄^ ̄)
    カレー&FDライスという組み合わせは、
    「宇宙で食べるからこそ、おいしい」
    なのかも(^^ゞ
    ただ、一応、カレーでライスは戻ると思うんですよ。
    理屈だけど、とにかく、ライスに水分が戻ればいいん
    ですよね?
    カレーソースって、かなり水分入ってますから、ただ、
    時間はかかりそうな印象ありますね。
    印象、だけど。
     
    栄養価のことを考えれば、FDは、かなり栄養が残って
    いるんでしたよね?
    宇宙食もいってみれば、FDになるんですね(でも、高
    いし、まずかったけど)。
     
    ふと思ったんだけど、ゆで卵のカラを剥いて持ってい
    くってのはどうでしょう?
    冬山なら、3日くらい持つんじゃないかなぁ。
    一応、完全栄養食だし(ビタミンCだけ足りなかった
    ハズ)。
     
    レトルトカレーにFDライス、とりあえず、いつの日か、
    実験してみます。
    んで、結果報告しますんで、お楽しみに(?)

 

ピンクのトカゲさま 投稿者:Naomi 投稿日:07月28日 23時39分

ピンクのトカゲ様、初めまして&レスが遅れて
申し訳ありませぬm(__)m
教えて頂いたHP覗いております。
楓淋堂さんの、見識と考察の深さに、ただ、脱帽
するのみです(^^;
止杼侶支比売が、瀬織津姫につながる、とは、
確信できませんが、ほかにも埋もれてしまった
神や姫神は多いのだな、という感を持ちました。
まったく、勉強不足だな(^^;
  • Naomiさま 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:07月30日 02時44分

    瀬織津姫の名が現れるのは、大祓祝詞で、この大祓祝詞が、最初にあげられるのが、六六九年、佐久奈度神社においてです。
    そして、大祓祝詞は、天智の重臣・中臣金により創作されるわけです。
    瀬織津姫の名は、この大祓祝詞とともに中臣金が、各地の水の女神の総称として創作したものと考えられます。
    Naomiさまが仰る止杼侶支比売も瀬織津姫の祖型の水の女神だったのではないかと思います。
    記紀創作の最大の命題は、持統の正当制の主張であり、持統(祖母)から孫への皇位継承の前例として天孫降臨神話が創作されるわけです。
    この過程において男神で日神のアマテルは、女神、かつ皇祖神アマテラスへと変更され、アマテルに象徴される日神かつ男神と対で祀られていた水の女神が抹殺されるわけです。
    持統―不比等により隠された神を明かすことが、本来の日本の神祭りを明かすことになるわけです。
  • 3日かんがえました(^^; 投稿者:Naomi 投稿日:08月01日 21時20分

    瀬織津姫が,中臣氏が各地の水の女神の総称として
    創作したものであるならば、中臣氏、後の藤原氏が、
    水の持つ霊力を自分たちのもとへ集約しようとした
    とも言えるのではないでしょうか?
    確か、皇族出身の女が、日(火)を祀るのに対し、
    藤原氏の出身の女は水を祀るという説もあるらしいし(^^;
    (記憶違いだったらごめんなさいm(__)m)
    神祀りは、火と水が揃わないと成立しないものですしね。
    藤原氏、水の祓いの力をかなり重要視してたのでは。
  •  投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:08月02日 14時25分

    まず、中臣金が大祓祝詞を創作した前後の歴史を見てみます。
    六四五年に乙巳のクーデターにより中大兄(後の天智)と中臣鎌足が権力を握ります。
    中臣金は、鎌足の従兄弟ということになっています。
    鎌足が死去する六六九年にはじめて大祓が行なわれます。
    クーデターにより権力を手にした天智ですが、六七一年に死去し、その一年後、天智の後継者・大友は、天武に敗れます(壬申の乱)。このとき近江側についた中臣金は、処刑され、また、鎌足の子・不比等は、養父(田辺史)が近江側についたことから、天武朝では、干されます。
    天武朝で、急に祭られだす神に竜田の風神と広瀬の大忌神がいるわけですが、この広瀬の大忌神は、風神と対で祀られる水神であり、忌神=祓神なわけですから、瀬織津姫と同神としてもいいかと思います。
    そして、六八六年の天武の死去とともに、天智の娘・持統が権力を握るわけです。
    天智―天武―持統と言う歴史的時間の流れの中で、瀬織津姫の扱いも異なっています。
    そうした中、その後の日本のあるべき姿(権力側から見た)を決めたのが、持統―不比等です。
    記紀というのは、過去において、持統―不比等にとって、都合のいい歴史小説であるとともに、同時代からみれば(それ以降も)、小説ではなく、あくまでも「歴史書」として読まれるものでなければならず、将来に向かっては、政策方針を書き記したものでもあったわけです。
    日本の信仰の根底にあるのは、井沢元彦も指摘するように魂鎮(たましずめ)です。
    現代にいたってもこの魂鎮は、盆行事として残っています。因みに、仏教の目的は、解脱=悟りを開くことであり、仏教の教えの中には、先祖供養はありません。
    この魂鎮という土着信仰から怨霊信仰が生まれるわけです。そして、神社というのは、権力により無念の死を遂げた霊が天皇(権力)に祟らないための鎮魂システムなのです。
    権力(持統―不比等)により名を消された神は、当然、怨霊になるから、神祭りをやらなければなりません。
    天皇(権力)が望む神祭りとは、自分らに祟らないようにという非常に自己的な神祭りなわけです。
    因みに、靖国についても無念の死を遂げた人々を英霊として奉ることにより裕仁に祟りをなさぬようにというのが本質です。A級戦犯についても、あくまでも明治憲法下では東条らは代理人であり、代理人が処刑され、本人(裕仁)は、のうのうと生きている。そのままにしておけば、A級戦犯は、怨霊になり裕仁に祟るから英霊として奉らなければならないわけです。
    藤原氏について、考慮しなければならないのは、「神隠し」をした一方の持統の子孫は、称徳で絶えたということです。
    この事実は、当時から見れば、藤原も絶えると、当事者は、深刻に悩んだであろうし、従来以上に神祭りを行なったことが推測されます。その中で、自分らのやった卑劣な「神隠し」はあくまでも隠しとおす。これが、藤原氏の中で神祭りを秘儀化した理由です。
    また、称徳に代り皇位についた天智の直系・光仁―桓武も藤原氏以上に神祭りの秘儀化を推し進めました。
    これが、現在に残る権力者の神祭りです。これを一つづつ引き剥がしていくことが「隠された神」を明かす「神明し」であり、本来の日本の神祭りの姿を証すことになるのです。
  • 勉強不足ながら 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時29分

    「ホツマツタヱ」という書物があります。
    偽書であるとも言われていますが、
    伝承が正しければ、記紀よりも古いのだそうです。
    この神話では、「アマテルカミ」は男神で、奥さんは、
    「セオリツヒメ」とされています。
    Naomiさん、もし、興味をもたれたら、
    http://www.hotsuma.gr.jp/
    で現代語訳が読めます。
    長いのですぐには読めませんが、時間を見て、読んで
    みられるのもいいかもしれません。
    「記紀とは違う神話」を読むことができます。
  • お礼です 投稿者:Naomi 投稿日:08月06日 22時44分

    >>ピンクのトカゲさま
    持統天皇と藤原氏による神隠しのご教示
    ありがとうございますm(__)m
    奈良、飛鳥時代について、ある程度は知ってるつもり
    だったけど、この頃の為政者たちが、神祀りについて
    手出ししてたということを、あまり、深く考えてなかっ
    たですね(^^;
    なにしろ、神祀りのシステムは、すでに出来あがってた
    もの、と、考えてたんで・・・・

    現在、うちにある持統天皇について書かれた
    資料を読んでますが、なかなか、手ごわくて、
    夏の宿題、といった感があります(^^;
     
    >>のりちゃん
    「ホツマツタエ」ですね。
    以前、本の方で読もうかなぁ、なんて思いながら、
    本屋さんで、怪しい本の欄にあったんで、
    そのまま、うっちゃてた覚えがあります(^^;
    現代語訳のHPがあるとは、好都合(^^)
    何分、遅読なんで、言われる通り、読むのに
    時間かかると思いますが、トライしたいと
    思います(^^)
    教えてもらわなかったら、ぜんぜん、考えが
    いかなかったと思うので、助かりました
    ありがとうございますm(__)m
  • ほつまつたゑ 投稿者:ZOU 投稿日:08月07日 00時36分

    http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html
    ここでしたら五七調のままで読むことができますよん。
     
    ほつまつたゑの場合、原伝承があったとしてもかなり変形されているそうです。例えば神名については五七調に合わせるためにこうなってました。右がホツマね。
     
    いわれひこ→イワワレヒコ
    ひとことぬし→ヒコトヌシ:ヒトコトヌシ
    ほあかり→ホノアカリ
    たかくらじ→タカクラシタ
    みけいりぬ→ミケイリ
    おおものぬし→オオモノヌシ:ウモノヌシ:モノヌシ
    くにのみやつこ→クニツコ
    あがたぬし→アガタシ
    剣根・かつらぎのくにのみやつこ→ツルギネ・カツキクニツコ
    かむぬなかわみみ→カヌカワミミ:カヌナガワミミノミコト etc・・・
     
    ストーリー的に原伝承の変形をどこまで解くことができるか、で、それが記紀以前にさかのぼれるかというのが問題になるんでしょうね。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月07日 08時54分

    この「ツタヱ」の中に出てくる女性は、なんだか自立し
    ている人が多いんです(#^.^#)
    自分からプロポーズしたり。
     
    そういう意味で、「新しい書物」なのかなぁ?と思った
    り、
    「原始、女性は太陽だった」なんていう、らいてう女史
    の言葉を思い出したりしています。
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月07日 09時00分

    ありがとうございます。
    五七五調の文章って、のるまでは、なかなか頭に入ら
    ないんだけど、ノッてくると、結構すらすら頭に入る
    んですよね。
    しかし、五七五調にしようとすると、名前が長すぎる
    と、確かにまずいですね。
    そういう工夫があったとは全く気づきませんでした。
    実際のところ、読んだイメージは、記紀の伝承の辻褄
    を合わせている、という印象を受けまして、ツタヱの
    方が原典だ、とは思えなかったのですが。
    ストーリーとしては、好きなものが多いんですよ。
    辻褄があってるから、頭に入りやすいですしね(^^ゞ

 

新スレ(笑)2 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月01日 22時26分

鹿島神宮なんですが、箱根神社ではのりちゃんしかレス
くれないのに(チキショー:笑)、鹿島になった途端
みなさんの反響が多いので、私も(折れて:笑)
のりちゃんの「鹿島神宮」を読み返しました。
(やっぱキーワード検索、こういう時にいいよ(^。^))
 
で、気付いた事。(全く的外れだったりして:汗)
 
>1.星神香香背男は東国の支配者であった。
 
コレって何ですか?(爆)
古事記とかに出て来るシト?(爆爆)
 
鹿島の神様って元は星の神様だったんですか?
 
いや〜個人的に、馬と星の神様は東国のシンボルだと
思っておる上、星の神様は、記紀なのか何なのか
知らないけど、私としては「お日様の神様を祀る人々
に嫌われて東国で根を張った」感じがしているので、
興味があります。
 
おしまい(汗)。。
  • はじめまして 投稿者:日雲 投稿日:08月01日 23時35分

    こたつ城主様、お初お目にかかります。
    >コレって何ですか?(爆)
    >古事記とかに出て来るシト?(爆爆)
    すいません、全くの新参者なもので、文中の(爆)の含みがよくわからないのですが、こちらの方で「香香背男好き」とかいうキャラでもついてらっしゃるんでしょうか。
    >個人的に、馬と星の神様は東国のシンボルだと思っておる上、
    非常に興味があります。
    どうしてそのように思うに至られたのでしょう?
    また、星については私も同意しますが、馬とは?
    馬については全く調べていないのですが、これは星と馬が要素的に絡む、並存している、ということなのでしょうか? それとも別個のシンボルとして?
    あまりに沢山あって過去ログ見てないのですが、こうしたことについてレスを立てられたことがあるのでしょうか?
    あるようなら、是非、探して読みたいのですが……。
  • こちらこそ(^^ゞ 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月02日 16時06分

    日雲さま、はじめまして(^^)。
    「(爆)」は、古事記や日本書紀の神様の名前を私があまり知らないからで(^_^;)、こちらの皆様には「そんなこと今更」という質問かも? という含みです。
     
    馬と星は、私が千葉県に住んでるのでその視点から(^^ゞ。上総・下総・安房ではかなり昔から各地で放牧が営まれていますし、馬に関わる地名も多いですが、馬加、相馬といった名になると、いずれも平将門の子孫という事になってる氏族から出ています。
     
    千葉の相馬氏は「月星」を、やがて福島に渡った相馬氏は「九曜」を家紋にしてますが、共通の家紋として「繋ぎ馬」があります。この家紋は、将門が居た当時からあったわけではないようです。土着の何らかの期待(あるいは信仰)がこの家紋を作らせたのではないかと思っています。
     
    むろん証拠があるわけではありません(^_^;)。それを踏まえて頂いた上で、参考までに↓
    http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/kikaku/tanabatauma/top.htm
     
    同様に、かなり昔から海から人が渡って来た事もわかっています。安房の地名は阿波から来たとも聞きます(これは館山城で知りました(^_^;))。
     
    海洋民族と放牧(騎馬?)民族に共通する事として、山を頼りに旅をするのではなく、星(方角)を手掛かりに広い海原や草原を渡り歩く、と大学の先生に教わりました。
    両方がいっぺんに一緒に来たわけではないでしょうが、共存する上で「星」は共通項になる気はします。一方、農耕民族は「星」よりも「太陽」をありがたがる気がします。
     
    定住が絶対でない人達は、定住したい人達が追い出せばどっかに行く気もします。しかし千葉にまで来たら、その先に行く場所はありませんし、攻め込まれたら海に逃げれば、又戻って来られます。完全な島ではありませんから、囲まれて海上に孤立する事もあまり無い気がします。こういう土地では、しつこく放牧が行われて土地に残った気もします。
     
    この事についてのレス……どうだったろう(^^;)。ちょっと覚えてません。スイマセン。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時42分

    星神香香背男ってのは、葦原中国(出雲)を、タケミカ
    ヅチ・フツヌシが平定に行った際、最後まで抵抗した、
    などと描かれている、「強敵」です。
    が、鹿島神宮の由緒略記には、
    「(タケミカヅチとフツヌシが)未開の東国に入っては
    星神香香背男を討って国中を平定された。」
    と、「東国」とはっきり書いてあるんですね。
    それで、私は、「星神香香背男って東国の支配者だっ
    たとは知らなんだ」とびっくりしちゃったんです。
    ので、鹿島の神様は、現在、タケミカヅチのミコトです
    が、それ以前のご祭神が、「星の神様」だったかどうか、
    は、鹿島神宮の由緒にはっきり書かれているわけじゃな
    く、よくわかりません。
     
    関係ないけど、今日、常陸国の国府があった、石岡市へ
    行ってきました。
    ここには、「日天宮」と、「月天宮」が現存しています。
    が、「星天宮」は、現在、名前しか残ってないそうです。
     
    時間の都合で、日天宮しか参拝できませんでしたが、
    日天宮のご祭神は、天照大神。
    としたら、月天宮のご祭神は、月読命でしょうか?
    で、星天宮は??
    ちょっと気になってます。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時48分

    はじめまして。
    星神香香背男について、詳しいというわけじゃないの
    ですが、軍神である「タケミカヅチ」が倒せなかった
    神様を、織物の神様であるところの「タケハヅチ」が
    倒したというのに、興味を持っています。
     
    「星神香香背男が東国の神様である」としている、鹿
    島神宮の由緒の内容は、完全にではありませんが、
    http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/kashima.htm
    に転記してありますので、よろしければ、御覧くださ
    いね。
  • どうもありがとうございます 投稿者:日雲 投稿日:08月03日 01時03分

    こたつ城主様、のりちゃん様、どうも有り難う御座いました。
     
    こたつ城主様
    ああ、千葉の方でいらっしゃいましたか。
    それなら、なるほど納得です。確かに星と馬ですね。
    まだ見てないのですが、千葉県の妙見信仰には、各神社の立地調査みたいなものを詳しくまとめた報告書があるそうで……いつか読まなきゃ読まなきゃと思いつつ。
     
    のりちゃんさま
    >「日天宮」と、「月天宮」が現存しています。
    >が、「星天宮」は現在、名前しか残ってないそうです。
    茨城にもそんなものがありましたか。存じませんでした。どうも有り難う御座います。勉強になりました。
    関東の星信仰はなかなか奥深くて難しいですね。
    鹿島の由緒の方も、拝見させて頂きました。
    数年前行った時は、古代史云々には全く興味がなく、単に実家の方の鎮守の本社としか思っていませんでしたので、由緒も何も頂いて来ませんで(苦笑)。
    こちらもどうもお陰さまでした。
     
  • ご実家の鎮守様でしたか 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月04日 09時12分

    私は、生まれも育ちも大阪なので、関東の信仰につい
    ては、まだぜんぜんピンとこない状態です。
    とりあえず、平将門公については知識を仕入れておか
    ないとなぁ・・・と調べてはみたんですが、あまりの
    伝説の多さに、ギブアップ状態です(笑)
     
    鹿島神宮、ご実家の鎮守の神様なのでしたら、是非、
    また機会があれば、ご参拝くださいね。
    そして、何か発見があれば、是非教えてくださいませm(__)m
  •  投稿者:日雲 投稿日:08月04日 22時32分

    >関東の信仰については、まだぜんぜんピンとこない状態です。
    一体、生粋の東国人が書いた古代文書なんて、どのくらいあるんでしょうね。もっぱら伝承と祭祀と考古学から、パズル的に読み解いていくしかないようです。
    鹿島神宮もまた行きたいです……が、あまり大きな声では言えませんが、実は香取神宮の方が好きかも(笑)。
    あ、カカセオとタケハヅチについては、「茨城の民俗」という郷土史談会会報の23〜25号に、地元の伝承とか色々載っていますよ。よそ者では、なかなかこうは行きません。
  • パズル 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月05日 09時11分

    古代、民族がどのように移動して、どういう風に定着し
    ていったか、を、想像してみますが、古代の人って、私
    達の想像以上に体力もあったろうし、移動の技術もあっ
    たかもしれないし、頭だけで想像するのにも限界があり
    ますね。
     
    東国人の古代文書、もしかしたら、鹿島や香取神宮の奥
    深くに隠されていたりして・・・。
    なんて、香取神宮や鹿島神宮の「表向きの栞」を読んで、
    考えてしまいました。
    単に想像ですけどね(^^ゞ
     
    「茨城の民俗」読みたいけど、大阪じゃ、なかなか読め
    ないでしょうね?
    取り寄せできるんでしょうか。
    図書館なら置いてそうだけど、大阪の図書館で、閲覧で
    きるかなぁ??
  • 図書館サービス 投稿者:日雲 投稿日:08月05日 12時23分

    「茨城の民俗」ですが、茨城県立図書館では他地域の図書館への貸し出しもやっているそうですよ(今年の春ごろ、現地まで出かけたら、そんなことを言われました)。
    私は東京都と神奈川県の境に住んでいるのですが(一応東京都だけど、家の前の道を20m歩くと神奈川になる)、最寄の市立図書館には、送ってくれるようです。
    大阪まではどうなのか……は知りませんが、東京にも郵送みたいな形で送るんでしょうから……?
    一度、茨城県立に問い合わせてみたら如何でしょうか。
    取り寄せの手続き自体は地元の図書館で行います。
    借りられる期間は、到着してから2週間とかいってたかな?
    まあ、駄目なら、線引いたり書き込みあったりしてますが、私もコピー持ってますので、孫複写でもよければ、送りますけど。
    あ、「茨城の民俗」に載ってるのは、古市巧氏の
     「『鬼越』考 −星神天香々背男命についてー」
    というものと、その「続」「続々」です。
    借りれるようなら、「茨城県神社誌」なども参考になります。
     
  • 検索で 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月05日 16時42分

    ↑いろいろ調べたら、星神香香背男が出て来るのは
    日本書紀(゚.゚)? 国譲りの所ですよね?
     
    >千葉県の妙見信仰には、各神社の立地調査みたいな
    >ものを詳しくまとめた報告書があるそうで……
     
    それはよく知らんのですが、「久留里記」では将門と
    羽衣天女が結婚し、長男千葉、次男相馬、三男東少輔
    という子が生まれ、やがて天に帰った女房をしのんで、
    将門が妙見社を立てたコトになってます(汗)。
     
    まあ普通は天女だとか菩薩(あるいは弁天)が結婚
    するのは龍神さまだと思うのですが、妙見は北極星
    ですし、龍はカッコが北斗七星に似てるので、結婚
    してもいいかもしれません(汗)。
    それが何となく将門になっちゃったのかも……(^_^;)。
     
    ところで、
    金王八幡宮:http://www.folkdomain.net/mode/shibuya/sy01konnou.htm
    (渋谷区の神社モーデ:http://www.folkdomain.net/mode/shibuya/shibuyatop.htmより)
     
    ここに、八幡の元の八つの旗の内、源頼信から日と月の
    二つを河崎氏が賜り秩父の妙見菩薩に奉じたあと、月の
    旗だけ渋谷の地に奉じたという話があって、これも、
    「どうして日と月を分けたのかなぁ(^_^;)」と思った
    事がありました。私は八幡の他の6個を知らないのですが、
    これにも星は出て来ないのかなぁ。
  •  投稿者:日雲 投稿日:08月06日 05時48分

    >星神香香背男が出て来るのは日本書紀(゚.゚)? 国譲りの所ですよね?
    そうです。「古事記」の方では、アマツミカボシという名になっています。
    >「久留里記」では将門と羽衣天女が結婚し、長男千葉、次男相馬、三男東少輔という子が生まれ…
    これは知りませんでした。千葉県だけまだ全く調べていないもので……私的には非っ情に面白いです。
    >将門が妙見社を立てたコトになってます。
    関東地方の妙見社は、もうキッパリ二つに分かれているようです。将門創建の社と、アンチ将門の社と。
    群馬の花園妙見とか、その分社との伝えもある秩父妙見なんかは、将門を討てたのは妙見菩薩の御神徳による、という風に、将門と敵対していた方が創建した話になっています。親にせよ、反にせよ、大半が将門がらみといってもいいんじゃないでしょうか。
    >普通は天女だとか菩薩(あるいは弁天)が結婚するのは龍神さまだと思うのですが…
    お説の通り、秩父神社(秩父妙見)なんかでは、社の妙見様(女性)と、古来から秩父神社の神体山だと崇められていた武甲山に住む竜神様(男性)が結婚する、という祭を例大祭にしています。
    が、この神婚のモチーフは秩父神社に妙見が合祀されるずっと以前からあったらしく、元は「神社のある森の女神と、
    山の男神が結婚する」というものだったのだそうです。その上に妙見が乗っかって、アレンジし直されたんですね。
    ですから、「久留里記」の創建伝説も、本来、将門とは全然関係なかったものと、将門が結びついたものかも知れません。あんなにキャラ立ちしている人はいませんからね。無理やりにでも顔を出して来る(笑)。
    また、千葉県の関東平氏系の妙見信仰社の中にも、「元々は妙見じゃなかった別の星神の社」というものがあった可能性は極めて高いです。それが後に妙見社に変わった、というのが。
    栃木から茨城にかけて、日光などを源流にした星宮神社というのが二百数十社あります。これは関東平氏の軍神・北方守護としての妙見とは全然違い、開拓・農耕・治水に関係します。元々、どっちだったのかは、立地から調べるしかないでしょうね(だから、前記の調査資料が重要になってくるのです)。
  • 図書館のサービス 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月06日 08時15分

    って、嬉しいですね。
    なにしろ、全国にあるわけだし。
    一度、最寄の図書館で問い合わせてみます。
    ありがとうございました。

 

新コンテンツ 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月05日 11時59分

神社参拝といいながらも、地元の人や神社の方にお話
を伺っていると、その地方のおもしろいお話を聞くこ
とが結構ありまして。
有名な話もあれば、あまり知られてない話もあります。
そんなわけで、「民話紹介」を立ち上げました。
好きな民話や童話を東西、国内外を問わず、無責任に
紹介していくことになるか、と思います。
 
おもしろい民話をご存知の方は、是非是非、ご一報く
ださいませm(__)m

 

どこいくねん! 投稿者:かもやん 投稿日:08月02日 21時25分

電車とバスなぁ・・・
お出かけですかぁ〜〜〜?
今年の祭りの模様UPしてますから、お帰りになったら見てくださいね〜〜
  • 帰ってきました 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月04日 09時01分

    帰ってきたら、弓削神社の祭礼は終わってました。
    藤井寺でふとん太鼓がでるお祭りは、秋祭りなので、
    祭り、参列してきますよ!!
     
    写真、拝見しました。
    ちょっと叙情的でいいですねヽ(^。^)ノ
     
    はぁ・・・。
    6日間の旅行から帰ってきたら、2キロも体重増えて
    て、今、すっげ〜ブルーです。とほほ。

 

夏休み 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月30日 05時21分

1週間ほど、パソコンを開けない日が続くかも知れませ
ん。
掲示板のレスも遅れますが、ご容赦をm(__)m
  • んなわけで 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時58分

    明日の朝から、明後日の朝まで電車とバスに揺られま
    す。
    レスが遅れる失礼、ご容赦m(__)m

 

収集不能につき(^_^;) 投稿者:こたつ城主 投稿日:08月01日 22時18分

↑新スレ(笑)。
皆様、私が書き散らしたアチコチのスレッドにレス頂いて、
本当にありがとうございました。(私は管理人か?:笑)
 
神田明神、一応お神輿では将門さまが真中で後の二神は
ワキを固めてるだけですので、将門サマがイッチャン
偉い事は子供の目にも明らかです(笑)。
しかも大黒と恵比寿は正月にはコスプレして愛嬌を
振り撒いてますが、将門公にはこんな事はさせてません
ので、ココについては東国庶民の根強い(根深い?:笑)
支持がそのまま受け継がれているように感じられます。
どうかご安心下され。
  • コココ・コスプレ(笑)? 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時53分

    将門公の首塚の近所の会社では、誰も塚にお尻を向け
    て座ることにならないよう、学校の教室のような席の
    並びになっているという噂さえあるくらいなのに(^^ゞ
    コスプレは、ないでしょうねぇ(大汗)。
     
    地元の方ならではのレポートありがとうございますぅm(__)m

 

神社ネットU 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時32分

>とかげ様
説明ありがとうございますヽ(^。^)ノ
 
確かに、本来その土地に祀られていた神様を言葉は悪
いですが、追い出して、時の権力者の都合のよい祭神
を祀る、もしくは、本来の祭神を違う名前で呼ぶとい
うことは、神社がそこに建てられた意味を考えると、
「歪み」ですね。
 
ただ、なんてのかな。
コリクツを言うと、明治以降の神社のあり方しか知ら
ずに、ただひたすら神社を大事にするというのも、ア
リ、だと思うんですよ。
それを、「歪んだ神社感」って言っちゃうのは、なに
かしっくりこないんですよね。
 
その人が神社を、「歴史の証明をする場」と見るか、
「信仰の場」と見るかで、何がまっすぐか、ってのは
違ってくるから。
 
うちのばあさまなんか、空海上人の像を見ながら、
「弘法大師は、高天原にござします」と、念仏唱える
人なんですが(多分、高野山にござします、の間違い
だろうなぁ)、それは、「信仰の気持ち」としては、
アリだし、歴史などを考えるときは、「大間違い」で
すよね。
 
そういう意味では、現在の時の権力者によって、「歪
められた」神社のあり方も、「信仰する人」にとって
は、歪みじゃないし、本来のご祭神を大事にされる方
には、「大いなる歪み」だし。
 
とかげさんは、その歪みを正そうとされてるでしょう?
私には、難しくてできないことです。
大変だと思いますが、がんばってくださいね!(^^)!
  • 歴史は繰り返す?様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時54分

    ・・・じゃなくて、あかがね様(笑)
     
    大洗磯前神社、茶話室というか、参拝客の休憩室があ
    ったりして、
    「ビーチの側の神社だなぁ」って感じはありますが、
    本当に、ロケーションもいいし、くつろげる神社です
    よね。
    電車の本数が少ないのがちょっと難かなぁ、とは思う
    けど、日本列島の最も東にある神社の一社でしょうね(#^.^#)
     
    さて、確かに、私のうちの鎮守の神様は、1000年
    以上前に、あまりにもたくさんの客神様をお招きしち
    ゃった神社です(T_T)
    氏子総代さんとお話してた時、総代さんでさえ、ご祭
    神十柱、全てを覚えておられないことを知りました。
     
    これもまた、神様に、人間の都合に無理やり合わせて
    いただいた例ですよね。確かに。
     
    歴史見るに、そういう事件が何度あったのでしょう?
     
    っていっても、権威者の都合でどうこうしたっていう
    例では、イギリスのヘンリー8世でしたっけ。
    自分が離婚したいもんだから、国教をカソリックじゃ
    なくしたんじゃなかったでしたっけ。
     
    それに比べたら、まだ、日本は、ましかも(^^ゞ
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時57分

    鹿島神宮も是非参拝していただきたいんだけど、足を
    伸ばされるなら、是非、香取神宮も。
    建物も古くて素敵なんだけど、雰囲気がなんだか、す
    ごくよかったんですよ。
    ちょっと離れてますけれど、できれば、是非(#^.^#)
  •  投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:08月01日 18時54分

    香取、昨日、風琳堂主人がいったようです。今日は、鹿嶋に行ったと連絡がありました。
    鹿嶋と香取がよんでるんでしょうか?
  • 風琳堂主人様も? 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時15分

    ご縁ですねヽ(^。^)ノ

 

箱根に行ってきました☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月22日 22時24分

↑題名、下にあったあかがね様の真似(笑)。
 
前にここで鎌倉の蛇と竜の話をしたけど、箱根でも箱根神社内に九頭龍神社ってのがあって、同じような伝説がありました。
 
ガイドブックに書いてあるのと、境内の看板にあった話がちと違う気がするけど(^_^;)、ガイドにあったのだと、「竜に捧げる人身御供を哀れんだ」だし、境内の看板では「毒竜の被害を知った」なのですが、何しろ上人さまが竜を鎮めて、さらに祀ったそうです。
 
ここには一社相伝の祭り方があって、神社の神人が芦ノ湖に舟を漕ぎ出して行き、赤飯をお供えする行事のようでした。
  • 箱根の山は天下の剣 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月23日 10時13分

    くらいしか、箱根についてのイメージはない私です(^^ゞ
    ここの龍は、毒竜だったんですね。
    どうも、龍って、神聖なる動物のハズが、日本の伝説
    に登場する龍って、ヒールばっかみたいな気がするなぁ。
     
    良い龍っていうと、辰の子太郎のお母さん(?)くら
    いしか思い浮かばないです。
    なんでだろ?
     
    赤飯をお供えするお祭。
    お赤飯は、人身御供の代わりかなぁ。
    赤いし・・・なんて考えてしまいました。
    ほら、鬼子母神が、人間の子供の代わりにザクロ食べ
    るって話があるでしょ?あれと一緒で。
    ちゃうかなぁ???
  • 悪い龍 投稿者:あかがね 投稿日:07月23日 12時05分

     ドラゴンはみんな悪者ですよね。
     中国では天子の象徴でしたっけ。
    爪の数でまた違うのでしたっけ。
  • 神社で買った本によると 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月23日 18時40分

    ↑最初は羽衣の天女が舞い降りて、しばらくして龍が住み着いて、火を噴いたり水を噴いたり大暴れするので、萬巻上人って人が(この坊さんは鹿島神宮でも似たような地鎮祀りをしたようです)、駒ヶ岳に籠って祈念し、やがて下りて芦ノ湖の龍神を封じ込めたとか。
     
    火山の噴火でもあったんでしょうかね(^_^;)。江ノ島の弁天&龍神も噴火でとつぜん現れた島にまつわる伝説なので。どうも人が飲み込まれるとか毒竜ってのは、コレっぽい気が……。
     
    その後、駒ヶ岳が一番イイんだけど、駒ケ岳は険しくて村人が簡単に出入りできないから、元箱根に最初は掘建て小屋からスタートし、徐々に村人の協力で箱根神社にしていったそうです。
     
    だからその秘伝の祀り方は萬巻上人の直伝で、陸で雅楽や巫女舞いをやるのは華やかにやるのだけど、大量の赤飯を作る段階も未公開。湖水に三艘の舟(屋形船みたいに綺麗な舟です(#^.^#))を漕ぎ出して、赤飯を捧げるやり方も一切口伝だそうです。
     
    この赤飯、のりちゃんの言う通り(何でわかったのかな(゚.゚)?)、「御供」と言うそうです。普通これほどの大きな祀り事となると、野菜や海産物、果物などのたくさん供物を捧げるのが多いのが、ここの祀りだけが「赤飯」だけなんだそうです。
  • 龍の爪 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月24日 09時30分

    こないだちょうど3号さんに教えてもらったとこ。
    http://www.ffortune.net/symbol/12si/s05/ryu.htm
    に載ってました。
     
    多分日本でも、天子の象徴だったと思うんですよ。
    そもそも、「逆鱗に触れる」というのは、天子の怒り
    にだけ遣われることばだった、と聞いたことが。
     
    んでもって、ほれ、皇太子は、「東」宮。「春」宮。
    「青龍」に関連づいてる単語で呼ばれるでしょ?
    ・・・と勝手に思ってるんだけどなぁ。
    大ハズレかもしれません。
  • 天女(弁天さん)と龍の組み合わせ 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月24日 09時44分

    意外なような、納得なような???
     
    火山の噴火と龍って、確かに関連ふかそうですね。
    RPGの世界でも、龍は洞穴に棲んでて、その周りに
    溶岩が・・・とかありそう(私はRPGは、ポケモン
    しかやったことないけど)ですね。
     
    そうすると、最初に現れた天女はなんらかの天体現象
    なのかしらん?
     
    それにしても、箱根神社のお祭。
    秘伝だと言われると、気になりますね。
    その「御供」をしなければ、何かが起きるということな
    んでしょうけど、何が起きるんだろう。
    もしかしたら、全国各地に、「絶対絶やしてはいけない」
    お祭ってのが結構あるのかも。
     
    んで、なぜ「赤飯が人身御供の代わり」と思ったか、は、
    「あてずっぽう」というやつです(^^ゞ
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:07月24日 21時10分

    >そうすると、最初に現れた天女はなんらかの天体現象
    >なのかしらん?
     
    あ、そうそう。私もソレが知りたくなりました!
    羽衣伝説まずありきで、その後、龍神が出て大暴れ
    されて、それが鎮まるのにつれて、元の天女崇拝が
    今度は弁天崇拝に変化するっていう流れは何となく
    納得なんだけど(例えば火山とか地震や津波とか、
    そんな災害があれば尚更)、そもそも天女が降臨
    するのは何の暗示(^_^;)? と思いました。
     
    箱根の「筥根山縁起」によると、箱根神社の創建は
    上古の頃だそうで(つまり年代不詳:笑)、それでも
    ヤケにハッキリと人名が出て来ます。すなわち聖占上人
    という人が駒形(駒ケ岳でしょう(^_^;))神仙宮とし、
    その後、利行上人、玄利老人などの仙人(!)が続いて
    祭祀を伝えたとあるそうです。
    この後に、その祭祀によってという事なのでしょうが、
    天女が舞い降りて楽園状態になると(笑)。ちなみに
    こちらの羽衣伝説は誰かに羽衣を隠されて、妻やら
    養女やらにさせられるって話は無いそうです。
     
    玄利老人のあたりから時代はややハッキリしてきて、
    すなわち斎明天皇の頃と(^_^;)。
     
    で、龍神が出て、萬巻上人が来るのは宝字元年(757)
    である……と。こうなってました。
     
    >全国各地に、「絶対絶やしてはいけない」お祭
     
    うん。何でも祭祀の仕方はかなり厳重な口伝だそうで
    鹿島神宮もそうなんでしょうね。本の著者は、「萬巻
    上人は、弘法大師(空海)や伝教大師(最澄)に匹敵
    する宗教家・修行僧と言われていい」と言ってます。
     
    ま……しかし、所詮は東国ですからね(笑)。
    都近くの宗教家に比べてランク落ちせざるを
    得なかったのでしょうが、偉業に関して差は無いかも
    しれませんね(笑)。
  • 上古の昔 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月25日 09時44分

    箱根は、一種の桃源郷だった、という風にとれません
    か?
     
    また茨城方面に旅行する予定になったので、その近辺
    の神社について読んでいたら、「鹿島神宮が、春日系
    の祭神に無理やり変更させられたのに反発して」なん
    ていう文章が何度かでてきたんですよ。
     
    関東の神社については、全く知識がなかったので、鹿
    島神宮で祀り替えがされた・・・ということは、薄々
    気づいてたくらいでしたが、どうやら本当に祀り替え
    はあったようです。
     
    そうすると、新しい勢力がやってくるまでの、平和な
    桃源郷状態を壊しにきた毒龍とは、もしかしたらその、
    新しい勢力のことだったかも知れませんね。
     
    んでもって、調停役を務めたのが、萬巻上人というこ
    とかも??
     
    とか思うけど、そういう空想よりも、毒龍が噴火で、
    天女が大雪とかの天体異常であった、とか考える方が
    ずっと楽しいんですよね(^^ゞ
     
    暑い日が続くもんだから、天女が大雪、なんて思っち
    ゃうけれど、実際大雪が降ったら、天女とは思えない
    かぁ・・・。
     
    それにしても・・・。
    雪降らなくていいから、せめて気温5度下がってほし
    いです。ふぃ〜〜〜。
  • あ、そうそう(^_^;) 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月25日 17時31分

    桃源郷です。そのような記述になってるそうです。
    それでスイマセン。「春日系」って何ですか(^_^;)?
    祀り変えって事は、もしかして萬巻上人がソレに相当
    するのかしら。つまり萬巻上人が祀り変えしたのかな。
     
    箱根神社は箱根神社で、市杵嶋姫命が祭神なんですが、
    これも水の神様なんで、弁天さまや羽衣天女の伝説と
    一緒に祀る分にはいいんだけど、明治政府が「神仏を
    分けろ」とウルサイので、市杵嶋姫命を祭神にせざる
    を得なかったそうで、本の著者は不満そうです(笑)。
    そりゃそうでしょうね(^_^;)。九州の女神を地元の
    トレードマークにするなんて(苦笑)。
     
    >んでもって、調停役を務めたのが、萬巻上人というこ
    >とかも??
     
    ふむふむ。面白いですね、それ(^^)。
    都からも雅な人が来て別荘地みたいに利用してた場所
    だったのかもしれません。そこに現れる荒くれ集団!
    萬巻上人が上った駒ケ岳には、まだ別荘地の仙人(?)
    でも住んでいて、「あの連中の欠点はコレコレこうだが
    誰も説得できないんだ」とこぼしたとか(笑)。
     

    で、恨まれてもオッケーな旅人が嫌われ役を買って出た。
    荒くれ集団どもは「わかったよ、天女勢力も仲間に入れ
    てやるから、勘弁してくれろ。でも名前を変えて貰え
    ないかな、仲間に言い訳できないから」なんて……?
     
    萬巻上人「江ノ島あたりで流行ってる『弁天』に名前を
    変えさせるよう交渉してみる」とか?
    ありがちっ!(笑)
  • 春日系ってのは 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月26日 09時37分

    藤原氏の氏神さんです。まさに都からの雅な人ですね(#^.^#)
    タケミカヅチ・フツヌシ・アメノコヤネの各神々です。
     
    それまでどんな神様をお祀りしていたのかは不明なん
    ですが、大洗磯前神社の現在のご祭神(オオナモチ・ス
    クナビコナの神様)が、海の向こうから渡来した、とさ
    れる年が、鹿島神宮の祭神をタケミカヅチ(春日風)に
    変質されたことを怒った、那賀国造と同属の磐城国造や
    陸奥の鹿島社の神官たちによる関の閉鎖から数年後なん
    だそうです。
    つまり、かなりの反発が地元ではあったようです。
     
    オオナモチ・スクナビコナの両神が、天女とされるのは
    イマイチ、ピンとこないんだけど、タケミカヅチが、龍
    ってのは、結構、しっくりきます。タケミカヅチって、
    雷の神様だから。
    あ、そうじゃなくて、この天女・毒龍伝説は、藤原氏側
    から見たもので、
    「もともとわしらの別荘地で、わしらの神様祀ろうとし
    たのに、地元の毒龍どもが反発しよった。それを萬巻上
    人が治めてくれはった。あっぱれあっぱれ」っていうお
    話なのかしらん。
     

    萬巻上人が来る宝字元年(757)は、その大洗磯前神社
    のご祭神が渡来した嘉祥元年(848)より90年くらい前
    ・・・あれ?
     
    とすると、ちと違うかなぁ。
    萬巻上人、おっかけてみたくなってきました。
    (頭の中には、ハンサムで穏やかな萬巻上人像が固ま
    りつつあるのだった。あぁ、悪いクセだ)
  • ありがとうございました〜☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月27日 18時40分

    春日系の神様の説明、
    ありがとうございました〜(#^.^#)。
     
    都に近い辺りから文化を持ち込んだ勢力があったと
    しても、それが藤原氏の勢力とも限らない気はします
    し(どっちかって言うと、現政権下でやってけなく
    なったから東に来た感じがしたりして(^_^;))、
    まだ平安時代にもなってない700年代ごろ、箱根も
    そうだけど、白山系の神社でも同じような龍神&女神
    伝説はあるそうで、この頃全国的な規模でこんな話が
    流行ったんじゃないでしょうかね。
     
    のりちゃんの言う大洗磯前神社(って、ごめん、
    どこ(^_^;)?)の神様が鹿島神宮にやってきた頃と
    なると、もう立派に平安時代に入ってますから、
    ちょっと事情が違うかもしれません。萬巻上人の方が
    前です。
     
    で、ちょっと先走りして話すと、箱根や江ノ島では
    龍神(九頭龍)は暴れ神で、弁天さまとは別の場所に
    それぞれお祀りしてあるのに対し、竹生島では平家の
    時代(とこれまた時代はかなり下りますが)、平氏が
    僧侶に案内されて竹生島を訪れて海女を見付け、
    「神の居る島に女人が出入りしていいんか」と言うと、
    僧侶は龍神に、海女は弁天に姿を変え(^_^;)、
    「女だからって居たらアカンなんてのは、ココの常識
    を知らん奴の言い様じゃあっ!」と諭すそうで(笑)。
     
    他には白山神社でも、神様に会いに行くと怖い龍神が
    出て来たので、「約束が違う〜(TOT)」と言うと、
    「おや、こいつは失敬」と女神さま(十一面観音菩薩)
    に化け直してくれる。この二つについては、すっかり
    混合されて一緒に祀られてるそうで、そこが箱根や
    江ノ島とは違う点だ、とこう著者は言ってます。
  • 風土記 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月28日 08時54分

    にもしかしたら、この伝説について何か載ってるかも。
    と調べてみたんですが、残念ながらそれらしき記述は
    ありませんでした。
    風土記を作れという命令が朝廷からあったのが、713年
    のことだそうですから、箱根の山についての記述があ
    るか、と期待したんですが。ん〜残念。
     
    白山の、龍神様、ユーモアのある神様ですねぇ。
    「でも、僕、男色家なんです」ってお願いすれば、美
    少年の神様にも化けてくださりそうで素敵っ♪
     
    竹生島は日帰りで行って来れる距離ですので、また行
    くことがあったら、物語採取して帰ってきます。
    ここは、織田信長が弁天様を勧請しにいった話でも有
    名ですよね。
    お武家様の崇敬が篤かったんだなぁ。
  • 年代順に言うとね 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月30日 18時30分

    717年、
    白山に泰澄和尚って人が来て、九頭龍にあい、
    文句を言ったら十一面観音に姿を替えた。
     
    で元々この辺りは川の氾濫が多くて、九頭龍ってのは、
    火山じゃなくて洪水現象かもね(^_^;)。
     
    736年、
    こうして白山信仰は有名になり、泰澄は天皇(聖武)
    に呼ばれて都に上り、はやり病の調伏を祈祷。
     
    740年、
    都のはやり病はおさまったが関東がまだっていうんで、
    泰澄は箱根に来て、温泉を見付けてあげた(笑)。これが
    箱根温泉の一番最初だから地名が「湯本」。
    ちなみに湯本には「白山神社」がありましたよ♪
     
    749年、
    伊豆熱海の海中がいきなり沸騰して(汗)、海中の魚が
    みんな煮上がって死んだ。噂を聞きつけた萬巻上人が、
    熱湯を陸に上げ(驚)、温泉にしてあげた(笑)。
     
    757年、
    芦ノ湖の暴れ龍と萬巻上人の対決。
     
    とこんな具合(^_^;)。
  • あ、それで 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月30日 18時52分

    ↑のりちゃんの言ってる鹿島神宮の祀り替えの頃だけど、
    848年って言うと、戸隠神社の龍伝承の頃に近いかも。
     
    849年、行者が山を上って独鈷を投げ、投げた先に
    行って法華経を唱えてあげたら、九頭龍が出て来て、
    「仏の財を盗んだカドでこんな姿になりました。
    ありがたいお経を聞いたら成仏できそうです」
    と御礼を言い、戸に隠れたから戸隠神社になったとか。
     
    ここもご飯を供物に捧げるんですよね。あと梨だって。
  • 戸隠神社の龍 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月31日 16時31分

    仏様の財を盗んだんですね。
    それでもって、お経を聞いたら、成仏(?)できる、
    と。
    もう、なんだか、好奇心のかたまりみたいなんだけど、
    どんな仏様の財を盗んだのか、気になってきました。
    龍が盗むようなものなのだから、人間には扱えないか
    しらん。
    それにしても、この龍が「仏」になったお姿は、どん
    な「仏様」なんでしょうね?
     
    今日は、大洗の方(場所は、茨城県の東端です)へ、
    行ってきました。
    ビーチなんだから当然だけど、日陰がなくて・・・。
    またまた真っ黒に〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
    鏡見るのが怖いです。とほ〜ん。
  • ちゃうちゃう 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月31日 19時32分

    ↑犬の事ではない(笑)。
     
    >龍が盗むようなものなのだから、人間には扱えないか
    しらん。
     
    どうも戸隠の伝説見る限り、元々龍だったわけじゃ
    ないんじゃないかな(^_^;)。罪を犯して龍にさせられた
    みたいな感じに受け取れるんだけど。……って事は
    人間?
     
    仏様の物盗んで龍になれるなら、これからどっかの
    寺行って洗いざらい盗んでやるさっ!(笑)
    な〜んて私だったら思うけど、この伝説には「龍には
    なりたくない」という否定的な部分が含まれてますよね。
    どうも萬巻上人にしても、とりあえず仏法で封じ込め
    られる対象として登場しますね、龍は。
     
    今日はウチの方も暑かった(^_^;)。
    そうか。のりちゃん、また茨城に居るんだ。
    鹿島だったか香取だったか、子供の頃行った時、
    それこそスゴイ龍神様チックな大きな像を見た
    覚えがあるんだけど。全部カラーでかなり生々しい
    感じだった。祭りの時に神輿かなんかに使う物では
    ないかと思うんだけど。
  • 変身オプション 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月01日 17時02分

    「この仏具を盗むと、変身オプションをお楽しみいた
    だけます」
    って、なんか、宣伝になりそうですね(#^.^#)
     
    そっか。少なくとも戸隠神社の龍さんは、なりたくて、
    龍になったわけじゃないんですね。
     
    鹿島の龍神様チックな像、もしかしたら、船ですか?
    海の上のお祭りは、結構華やかそうです。
  • お初お目にかかります 投稿者:日雲 投稿日:08月01日 18時54分

    すみません、全くの新参者で御座います。始めまして。
    横入り失礼させて頂きます。
    一つお伺いしたいのですが、
    >「鹿島神宮が、春日系の祭神に無理やり変更させられたのに反発して」なんていう文章が何度かでてきた
    というのは、具体的にどういった文献にあったか、ご紹介頂けませんでしょうか。
    そういう風には私も聞き及んでおり、元々の御祭神がいかなる神様であられたかということはともかく、そうした変更があったのなら、その経緯のあり様だけでも解からないかな、何かイイ本はないか探さなきゃな、と思っていましたもので……メジャーな神社ほど文献が多いために、どれから手をつけたものか。何か、その辺のことについて、興味深げな記述のあるものが御座いましたら、ご紹介頂けると有難いのですが……。
    >大洗磯前神社の現在のご祭神(オオナモチ・スクナビコナの神様)が、海の向こうから渡来した、とされる年が、鹿島神宮の祭神をタケミカヅチ(春日風)に変質されたことを怒った、那賀国造と同属の磐城国造や陸奥の鹿島社の神官たちによる関の閉鎖から数年後…
    という見解を出された本など、是非読んでみたいです。
    尤も、大洗などの出雲信仰は、栃木県のものが那珂川沿いに下ってきたものではないか、という地元研究者の見解などもあるようですが(志田諄一「常陸五山の山岳信仰」)。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:08月02日 19時12分

    私が読んだのは、
    白水社発行の「日本の神々 関東」です。
    大阪在住なので、関東の神社については、暗く、この
    本以外には知らなくて申し訳ないのですが。
     
    もしよろしければ、ぜひご一読ください。

 

お久しぶりです 投稿者:石野真琴 投稿日:07月29日 00時24分

 のりちゃん様、お久しぶりです。実に暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
 この掲示板、繁盛しているようですね。これものりちゃん様の勉強の賜物でしょうか。
 私の思うに、神社と言うのは実に身近にありながら、意外と興味を持たずに、見逃しやすいと言う存在なのでしょう。それでいて調べ始めると実に奥が深い。いくらでも調べる事がありそうです。
 では、また顔を出しますね。
  • こんにちは! 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月29日 09時26分

    相変わらず、お忙しそうですが、お体はいかがですか?
    暑い日が続きます。無理なさらないでくださいね。
     
    昔は、村に一社、鎮守の神様がおられたんだと思います。
    今では、「鎮守の神様」という言葉自体があまり聞かれ
    なくなっちゃいましたけど。
     
    こないだ、この辺の鎮守の神様の前を通ったら、高校生
    らしい人がレポート用紙片手に神社に参拝していました。
    夏休みのレポートかなぁ?
    「何調べてるの?」と声をかけたいのをぐっと我慢する
    のが大変でした(^^ゞ
  • むかし? 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:07月30日 02時30分

    村に一社というのは、明治の神社合祀以降のたかだか百年そこそこのことじゃなかったですか?
    それと、現在の様に神官が管理し祝詞があげられというのも明治の神仏分離以降のことです。
    庶民の信仰としての神社を考える場合、これらのことは少なくとも考慮しなければ、何も見えてこないと思います。
  • なるほど 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月30日 05時13分

    でもね、
    「村の鎮守の神様の」
    って謳われる昔の日本の姿ってのも、嫌いじゃないん
    ですよ。私は。
  • 祭神の住基ネット 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:07月30日 12時29分

    好き嫌いは別として、明治以来変容された歪な神社の姿です。
    いわば、歪な明治国家が行なった祭神の住基ネット化です。
  • 三重県なんかは 投稿者:北畠具顕 投稿日:07月30日 19時59分

    神社統廃合の最優秀県なので
    ほとんどまとまっちゃってちんまりしています。
    やってよかったのか悪かったのかと言う事はともかくとして反対した南方熊楠の先見の明は大したものです。
    うちのまちでは合併したもののすぐ分離した神社があります。
  • 横槍失礼。 投稿者:あかがね 投稿日:07月30日 20時55分

     村に一社というのは比較的昔からあったと思うんですよ。
     共同体のよすが。祭りの単位。
     
     ただ、その「村」という共同体が近代国家(明治政府)の元に
    再編成されていった時代には相当な軋轢が合ったと思われます。
     つまり行政組織としての村役場をがんがん合併させた
    (これ自体はま、しょうがない気もします)のと同時進行で
    神社も合祀させていった。と。
     
     今の姿をどう考えるか。というのは大変に難しいですね。
     神社合祀はある段階で町村合併について行けなくなったわけで、
    北畠氏のいうような例も多々ありますしね。
    (河内の古市の高屋神社なんかも確かそうだったような)
     
     しかし今となっては「村」という共同体自体が粉々になってますからねぇ。
     氏子地域ブロックが隙間無く日本列島を埋め尽くしているという考え方が、
    どの程度古いものなのかは別にして、「鎮守の森」を見出すのが難しくなって
    いるのも確かなような気がします。
     
     私個人は現住地の氏神様には天気の良い日やふさいだ日やらには行って
    ぼーっとしてきますけどね。たまに行くと良いところですよね。
  • 神社台帳ネット 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:07月31日 03時04分

    >村に一社というのは比較的昔からあったと思うんですよ。
    あかがねさんのこの発言自体が、端的に祭神の住基ネット化を表しています。
  • トカゲ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月31日 16時23分

    トカゲさんのように、女神の源流を探していらっしゃ
    る立場の方が、現在の神社の祭祀について、「違う」
    と感じられるのは、わかる気もします。
    が、いろんな考え方があります。
    私に関して言えば、式内社だけに興味があるわけでは
    ありません。
    明治に入ってから創建された神社も興味深く見ていま
    す。
    私は、古い神社の「歴史」にも興味を持っていますが、
    それだけじゃあ、ありません。
     
    私はどちらかというと、神社になじみのない方にも、
    神社に興味を持っていただけるように、と考えてサイ
    トの運営をしています。
    ですから、できるだけ、神社の方や氏子さんのお話を
    伺うようにしています。
    すると、宮司さんや氏子さんによって、
    「神社のを祭神の由来や神社の歴史」を熱く語るかた
    もいらっしゃれば、
    「神社がどれだけ崇敬されてきたか」を熱く語るかた
    もいらっしゃいます。
    「神社の歴史や、神様の源流などについては、わから
    ないけれども、とにかく、神社を大事に思ってる」と
    おっしゃる方もいらっしゃいます。
    それは、人の考え方それぞれです。
    トカゲさんだって、ご祭神がわからなくても、毎日神
    社の境内を掃除し、崇敬心を持ってらっしゃる方もす
    ばらしいと思うでしょう?
     
    ですから、私には、明治以降の神社のあり方も「歪ん
    でる」なんて、とってもじゃないけど思えません。
     
    トカゲさんの気持ちもわかるんだけれど、私は私のや
    り方で、ゆ〜〜〜っくりやりますね。
  • それからお願い 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月31日 16時38分

    トカゲさんのサイトの掲示板は、知識の深い方ばかり
    ですが、私のサイトは、管理人が、さっぱり知識があ
    りません(^^ゞ
    また、管理人の私は、掲示板は、誰が見てもわかるよ
    うな内容にしたい、となるべく努力(だけですが)し
    ています。
    できれば、
    >発言自体が、端的に
    という書き方じゃなく、なるべく具体的に書いてくだ
    さい。
    よろしくっヽ(^。^)ノ
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月31日 16時42分

    南方熊楠といえば・・・。
    粘菌!!・・・くらいしか知らない(T_T)
    でも、書き方から想像するに、合祀などの、神社の恣
    意的な遷座などに反対されたんですね?
    頭のよい人だったんですね。
    10分の1でいいから、分けて欲しいぞっ!!
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:07月31日 16時53分

    今、つくばにきています。
    で、今日は大洗磯前神社・酒列磯前神社に参拝してき
    ました。
    この神社は、それこそ、鹿島神宮の祀り替え(といっ
    ても、明治の、じゃなくて、8世紀の、ですが)の穴
    埋めで、創建された、という説もあるみたいですね。
    あかがねさんは、参拝されました?
    どう、感じられました?
     
    私は、まず、「広いな〜」「涼しいなぁ」と・・・。
    全然あかんやん!!
     
    祀り替えや合祀をしたものの、その後、村人の願いに
    より、神社が再建された、という神社は、記憶にある
    のは、「為志神社」ですね。
     
    神社が村の人の心の支えになっていたから、というこ
    となんでしょうね。
  •  投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:07月31日 18時28分

    一村一社がむかしからのことと錯覚させること自体が、神社合祀は、祭神の住基ネット化だということです。
    祭神の住基ネット化ということを補足すれば、上から行なわれ、都合のいい情報だけを残したということです。だから、歪といっているわけです。
    熊楠が現在生きていたら、住民基本台帳ネットワークなるものにおそらく反対したでしょう。
    俺なんか地の人間ですし、祭礼参加することによって神社と関わってきた人間ですから、いま氏神の境内にある末社は、元は、あそこにあったとか知ってますが、余所から来て、元の鎮座地を探るとなれば、祭礼のときの幟などを頼りにするしかありません。
    そうした意味で明治という国家は非常に歪だといっているわけです。
    それと、女神の源流は持統の姐御の三河行幸解明の副次的なもので、本流は、穂の国の神の復権です。
    そういう意味で式内社など延喜のむかしから歪にゆがめられた社だと思っていますから、ことさら、式内社にもこだわりません。
  • 愚見をもう少し。 投稿者:あかがね 投稿日:07月31日 19時00分

    >蜥蜴様
    >>村に一社というのは比較的昔からあったと思うんですよ。
    >あかがねさんのこの発言自体が、端的に祭神の住基ネット化を表しています。
     
     これは端的に「昔」をどの程度に捉えるか。と言う問題に帰するのでは?
     少なくとも明治以降は制度化されてしまったわけですからね。
    実態とか良い悪いとかは別にして。江戸時代のことはちゃんと押さえてないんで
    甚だ弱いですが。でも複数の村にまたがる祭りなんかも一杯あったでしょうしねぇ。
    一村一社は理念形に過ぎないのかもしれない。ステレオタイプに洗脳されてますか。
     ただ、蜥蜴さんの言う「昔」はすごい古そう…(笑)
     
    >のりちゃん様
     両磯前神社は大好きな神社です。海を見渡す丘に鎮座する御社。
     ただ江戸時代に極右の黄門様が再興した神社ですからねぇ(爆)。
    でも雰囲気は良いです。
     
     あと、鹿島神宮の祭り替えというのにちょっと。
     鹿島・香取の神格がいかなるものだったかというのは大変難しいですが、
    春日大社を創設するにあたり利用されたせいで、本家のほうまで藤原氏の
    氏神化してしまったという話ですよね。
     神田明神の祭り替え事件などに比べると根が深そうですが…
  • 年輪 投稿者:こたつ城主 投稿日:07月31日 19時21分

    ↑のような部分があるんじゃないかな、神社に関わる
    歴史って。それと明治に関わらず、住基ネット化した
    事は何度もあったりして(^_^;)。それこそ古代から。
     
    ところで鹿島神宮の祭り替えの話を聞いて、私も鹿島
    に行きたくなりました(^O^)! 上に書いたのにも
    (ごめん、エライ長くなっちゃったけど(^_^;))
    戸隠神社の由来と一年しか違わない事がわかって、
    何となく興味津々。
     
    ところで、神田明神の祭り替え事件って何(゚.゚)?
    聞きたいです。
  • あかがね 投稿者:歴史は繰り返す? 投稿日:08月01日 00時42分

     住基ネットというと江戸時代の国民皆檀家制度(?)の方がしっくり来ます。個人的には。
     それはさておいても、ま、国府に総社を造ったりしたのも同じような文脈で捉えられるでしょうか。国司神拝とか。官の都合による神祇政策。
     そう言えばのりちゃんさんとこの氏神さんって河内の国衙跡地に建つ総社じゃなかったでしたっけ?まさに平安の大合祀!(笑)
     
     神田神社の件というのは、明治天皇が親拝されるにあたり、逆賊だからなぁってことで別殿へ遷して、かわりに大洗磯前神社(今日のりちゃんさんが行って来たところ!)から少名彦命を勧請した。という話です。
  •  投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:08月01日 07時26分

    あかがねさん
    昔をどの時点でとらえるか確かにそうですね。
    ただ、神社という元々は、土着信仰に発するものを捉える場合、たかだた百年は、やはり最近のことだと思います。
    こたつさん
    あかがねさんの神田神社の件をもう少し補足すれば
    将門の死から三百年以上経った徳治2(1307)年、将門塚の傍らにあった荒れ果てた社を時宗の真教上人が修復し、将門の霊を祀ったのが、神田明神のはじまりとされています。
    これが、明治7(1874)年、エンペラー・睦仁が神田明神に参拝すると言い出し、神社側は、将門公の霊を別殿に遷し、その後、将門公が祭神として返り咲くのは、それから110年後です。
    エンペラー・睦仁が何故、神田明神に参拝すると言い出したかは、記録に残されていませんが、エンペラー・睦仁が東京の神社に参拝したのは、神田明神と東京招魂社だけです。
    エンペラー・睦仁の真意は、将門追い出しにあったと思います。
    これ一つをとっても明治国家が如何に歪な政策を取ってきたかが解ると思います。
  • 考え過ぎでは? 投稿者:あかがね 投稿日:08月01日 13時00分

     神田明神はもともとそういう(京都のさらし首を持ち帰ったとか、飛んできたとか)
    歴史を持つのはその通りです。
     ただ、本当のところは知りませんが神田明神は家康らに江戸城の守護とみなされて
    いたともいいますし(で神田明神の天下祭りには幕府の補助金が出たり、神輿が城内を
    に寄ったりしたとか)、幕府の江戸城を皇居としたわけですから、一定の敬意を払って
    いたとしてもそう不思議は無いと思われます。
     じゃ、何で将門を追い出したのか?という話になりますが…。
    ま、歪んでいるのは確かですね…。
     
     考え過ぎというと、明治天皇が国津神、それも出雲系の神を重視しているという噂も
    ありますよね。神田明神に氷川神社など。
     ま、考え過ぎですよね。
  •  投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:08月01日 19時03分

    あかがねさん
    エンペラー・睦仁が、国津神、それも出雲系の神を重視しているという話し始めて聞きました。
    エンペラー・睦仁は、即位の前日に讃岐の崇道上皇陵に勅使を送っていますよね。
    崇道上皇といえば、天皇に祟りをなす最大の怨霊神です。
    エンペラー・睦仁が、出雲系の神を重視したとなれば、この崇道上皇陵へ勅使を送ったのと同じような発想からじゃないかと思えます。
    つまり、出雲の国譲りは、記紀に書かれているようなものではなく、天皇家が祟られるほど、むごい仕打ちをしたということになるかと思います。

 

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