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おひさです 投稿者:Naomi 投稿日:05月02日 21時01分

ゴールデンウィークだというのに、マイパソの
システムファイルが壊れました(号泣)
Cドラをフォーマットして、ウィンドウズを
入れなおしたさ・・・・
でも、細かいところはまだまだ作業せにゃならん
ご亭主どの〜、パソコン守護の神社ってないですかねぇ?
  • 大変ですね 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月03日 07時53分

    データのバックアップはとってありました?
    私も、今壊れたら、えらい目に合うなぁ・・・。
     
    ところで、パソコン守護神ではありませんが、以前こたつさんに、神田明神に、「IT御守り」なるものがある、と教わりました。
    上京の折には、お試しあれ(~_~)

 

あなたのソバがいい? 投稿者:素浪人 投稿日:05月01日 23時40分

蕎麦では、まだありますゾ。
たまたま貰った蕎麦粉を、ヨッシャァ〜いっちょ打ってみまひょ!と、真似事(かなり慎重にネ)をやったことがあります。・・・が、見かけは良かったのですが、茹でて食すと、ムムム〜なんじゃこりゃ!と、蕎麦とはかけ離れた代物になってしまいました。どなたかウンチク教えてね。
  • 蕎麦打ち 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月02日 07時48分

    私もやってみたい!!
    しかし、力持ちそうな素浪人さんでも、おいしい蕎麦になりませんでしたか?
    コツがあるんだろうなぁ。
     
    一応検索してみると、
    http://www.sobako.co.jp/sobauti/a/a_fcook.htm
    はかなり詳しく、蕎麦の打ち方が載ってますね。
     
    http://www2e.biglobe.ne.jp/~soba/teuti2.htm
    もすごい!!
     
    う〜〜〜む・・・た・・・大変そうだなぁ(^^ゞ
  • ご指南 投稿者:素浪人 投稿日:05月02日 18時24分

    ありがとうございます。素浪人のうちにリベンジしてみますネ。近所の東急ハンズに行けば、粉その他が揃っていますので便利、便利。出汁は、天麩羅は・・・、おっさんにはムリじゃいっ!買ってくるねん。
  • なぬ? 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月03日 07時51分

    麺は手打ちで、つゆはできあいの?
    いかんいかん!!
    そんな羊頭狗肉なことでは、折角の麺が泣いちゃうぞ!
     
    汁を作るのなんて、麺をうつのに比べたら、全然簡単です。
    だしこんぶは、好みによりますが、2人前なら、15センチくらいにカットしたわかめ一枚で十分でしょう。
    表面の粉を軽く拭いて、カップ2杯分くらいの水に入れ、火をつけます。
    この時、わかめに切れ目を入れるか入れないか、という話があります。
    私は、たくさん入れますが、本職さんは入れるとぬめりがでる、ということで、そういうことはしないみたいです。
     
    さて、お湯が沸騰しそうになりましたら、こんぶは取り出します。
    本格的に沸騰したら、かつおぶしを入れます。
    大体、一握り。
    浮いてきたら、掬います・・・なんですが、私はこれがめんどくさいので、100円ショップなんかで売ってる、ダシ袋(不織布でできてます)を使います。
    で、最後にもう一回かつおぶしを入れ、掬う。
    その次に入れるのは、お醤油。
    量は好みですから、入れては軽く味見をし・・・を繰り返すのがいいと思います。
    おしょうゆ差しに入ってる醤油なら、まずくるりくるり、と鍋の上で2回ほど回転させる感じで入れてみてください。
    それで味見をして、また増やす。という具合で入れていってください。
    で、最後に味醂。
     
    文字にするとめんどくさそうですが、全然大したことありません。
    ただ、てんぷらは・・。
    買ってくださいね(^^ゞ(おいおいおいおい)

 

えと 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月26日 04時35分

何処に何を書いたらいいのか判らないけど、適当に(笑)。
 
本日家からあまり遠くない天台宗のお寺に行ったのですが、
屋根のご紋が菊の紋の中に三つのお星様がありました。
目を凝らしてよく見ると、三つとも八角形のお星様だった
のですが、これはひくもん様でしょうか?(笑)
あまり見た事のないご紋だったのですが、何か謂れでも
あるのでしょうか。ご存知なら教えて下さい。
(菊紋の中に入ってる点が、何だかやたらと不遜な感じが
致しました:笑)
  • 菊に三ツ星 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 09時11分

    それらしきものを見つけることができなかったのですが、
     
    http://www.hpmix.com/home/yamaka/A2_1.htm
    によると、三ツ星は、オリオン星のことで、中国では「将軍星」と呼んだとか。
    菊=天皇家+三ツ星=将軍
    とは・・・、なかなか剛毅じゃあありませんか(~_~)
     
    でも、八角の星ってそれ自体が珍しいですね。
  • すびばせん 投稿者:ひくもん 投稿日:04月27日 06時09分

    ひくもん、いきなりの風邪で寝込んでおります……。
    頭ボケてるせいか、どういうご紋なのか、形が想像出来ません……。
     
    ふんがっふっふ。
  • う〜ん。 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 08時41分

    なんとか見つからないものか、とネット上探してみましたが・・・。
     
    だいたい、「八茫星」も、「オクタグラム」も、それらしいのがひっかかってこないんです〜〜〜(T_T)
    八角星で検索すると、でてくるでてくる・・・香辛料のサイトが・・・(^^ゞ
    八角って、私は使ったことありませんが、結構メジャーな香辛料なんですね。
     
    ただ、ひとつだけわかったのは、八角星って、アゼルバイジャンの国旗に使われてるそうです↓
    http://www.h3.dion.ne.jp/~pekochan/kokkikokka/kokkiasia/kokkiazerbaijan.htm
     
    菊って、天皇家をあらわしてるけど、同時に「日本」も現してますよね。
    八角星は、日本ぽくないから、その融合を意味してるのかも?
     
    う〜ん。
  • 幾らか持ち直しました 投稿者:ひくもん 投稿日:04月28日 13時37分

    まだ扁桃腺がハムスターの頬袋になっておりますが、
    コロッケパンを美味しく食べられるようになったので、もう平気。
    星が三つって、「品」の字みたいに収まってるんですかね?
    昔から天台宗のお寺なら、星がらみの修法が色々あるようなんで、そういうことからかな?
    千葉なら、妙見がらみ?
    お寺の由緒や履歴が解らんことには、それ以上の見当もつけられませんが、菊花紋と重なってるってのは、面白いっすね。
    天皇=北天だった頃の某かに因ってるんでしょうか。
  • まあまあっ! 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月28日 19時51分

    ひくもん様、ハムスターちゃんになってたのねっ(#^.^#)。
    (何処をどう読めばそう解釈できるのだろう)
     
    そうでぃす!「品」状態になってましたっ!
    千葉ではありますが、我が住居は下総であります。
    (すいません、妙見信仰って下総もアリ(^_^;)?)
    お寺には「高柳山」と号されてました。
    地域的には戦国期に高城氏の領地内ではなかったかと
    思います。高城氏は千葉氏の傍流の傍流です(笑)。
     
    千葉→馬加千葉→原→高城
     
    とかように分かれていったようです。
     
    >天皇=北天だった頃の某かに因ってるんでしょうか。
     
    素晴らしく恐れ多くも、ありがちな事かもしれません(汗)。
     
    八角星、珍しいのか〜。
    じゃあ八角形をしてるだけで星じゃないのかな〜。
    ただの家紋として見ると、丸っきりオリオン三ツ星状態よっ!(笑)
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時22分

    コロッケパン!!
    おいし〜よねぇ!!
    栄養学的に考えたら、炭水化物×炭水化物×炭水化物×脂!
    つぅ、むちゃくちゃ偏った食品ではあるけど(~_~)
     
    でもまぁ、食欲は健康のバロメータだもんね。
    一日も早い本復をお祈り申し上げm(__)m
     
    >天皇=北天
    あぁ、そうか。
    そういう考え方もあるのか。
    北極星って、いろんなものを具現してることであるなぁ(^^ゞ
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時28分

    千葉氏の話、以前、伺いましたよね。
    えぇっとえぇっと。
    http://www.norichan.jp/bbs/new/bbs321-340.htm
    千葉氏が、平将門の子孫だ、という話題でした(~_~)
     
    ものすごく勝手な意見を言えば、平将門公が、菊&北極星という、天皇の位にこだわったのは、妙に納得しちゃいます・・・。
    なんか、こういう考えって、いけないかなぁ?
  • (・ω・)ハムスタア 投稿者:ひくもん@げっ歯類 投稿日:04月28日 23時19分

    >妙見信仰って下総もアリ(^_^;)?
    つか、妙見系の神社は下総の方が多いです。
    妙見神社、星神社、星宮神社、天御中主神社等々、
    通称も含めて「妙見」の名を持つ神社を平成祭データCDからピックアップすると、
    下総28社、上総7社、安房2社って風になるです。
    この中には、いわゆる千葉氏系の城鎮護や武神としての妙見信仰ではなく、
    栃木や茨城にあるものと同じ関東全域に見られる水神としての星信仰であろうと思われるものも多々ありましょうが。
    仏閣を含めると、もっと色々あると思いまつよ。
     
    とか言いつつ、星紋に見えたそれは実は八方手裏剣で、
    「き……菊の御紋に突き刺さっとる……!?」
    とか、なってたりしてませんでしたでしょうね……?
  • あと、どうも一個 投稿者:ひくもん 投稿日:04月29日 02時56分

    気にかかるのが、
    >馬加千葉
    「ばかちば」……?
  • ちゃんのり 投稿者:ひくもん@若い衆 投稿日:04月29日 03時10分

    >炭水化物×炭水化物×炭水化物×脂!
    ああ、何かそう猛りながら行進したくなるよね!
    右足! 左足! 右足! 立ち止まって脇腹ムニッ!
    左足! 右足! 左足! 再び立ち止まってムニッ!
    そのやうな永久運動アクションで、猛々しい面持ちで、腹から声出して、
    「炭水化物、炭水化物、炭水化物、脂っ!」
    って、練り歩きたく! 
    出来れば、少なくとも数十名で、
    ザッ、ザッ、ザッ!(ムニッ)
    ザッ、ザッ、ザッ!(ムニッ)
    っていうマスラヲめいた四拍子を轟かせてのう!
    よっしゃ、ついて来い若い衆!
    日本男児の練り具合を見せつけてくれようぞ!
    「コロッケパン祭り」
    の横断幕の下を、揃いの白褌も眩しく、雨天順延にて!
    (順延かい)
  • 関西人の知らない関西名物 投稿者:あかがね 投稿日:04月29日 08時15分

    そういえば(どういえば?)コロッケそばって知ってますか?
    会社の同僚と話していて私が「関西人は御金を払ってまで外でそばは食べない(嘘)」と言っていると、
    「関西ではコロッケそばが名物なんですよね」との指摘を受けました。
    いかにもありそうな気がしますが、見たことないです。
     
    天むすとか、炭水化物+脂、好きですからね。大阪人。
  • コロッケパン祭り 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 09時07分

    コロッケパン白褌と勝負すべく、行進してくるのが、ジャムパン赤フン。
     
    「炭水化物!炭水化物!糖分!!ビタミン!」
     
    ビタミンCで見事に美白された肌と赤い褌の対比を見せびらかしながらやってくんのね。
     
    コロッケパンもジャムパンも雨にぬれちゃうと、パワーがなくなっちゃうので、その場合は、ジャムおじさんに顔を取り替えてもらわにゃならんのが、ちょっとめんどいんだけどね〜。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 09時15分

    コロッケそば?
    しらんなぁ。
    http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0102/P001042.html
    をみると、コロッケそばは、東京は銀座で発明されたようですぞ。
     
    関西でも「出石そば」はうまいですよね〜。
    私は、温そばは、大晦日以外食べませんが、ざる(特に天ざる)は、むっしょ〜に食べたくなることがあります。
    でも、黒いのはやなの。白いの。
     
    ってなると、うちでは食べられないので、食べにいくことに。
    でも、大阪って、おいしい蕎麦屋さん、あんまりないですよね。
    うどん屋さんは、たくさんあるのに!
     
    てんぷらって、それだけで、炭水化物+脂なんだけど、それにうどんつけたり、そばつけたりするわけで。
    それをおかずにご飯食べるとなると、もう、えげつないですよね(^^ゞ
    でも、おいしいんだな、これが。
  • ひくもん 様 投稿者:QUBO  投稿日:04月29日 14時29分

    となり町のことなので、横から失礼
    >馬加千葉 …「ばかちば」……?
    バカチバではありません。現在の地名は、幕張(まくはり)
    馬加千葉の殿様がいて、千葉一族のトップにもまりました。
    本当は傍流だったんですが。それで地名にもなったようです。 
    千葉市の海沿いで、一番東京に近い処です。習志野市の隣。
    東京湾の深奥部分です。今は幕張メッセで有名?
     
    駅名も「幕張」「京成幕張」「幕張本郷」「京成幕張本郷」など
    馬を加える → マ+クワリ となったらしい。
     
    船橋市三山の二宮神社は、延喜式の寒川神社に比定されます。
    その二宮神社は、七年に一度大祭を行ないます。これを
    始めたのが馬加殿様。バカ殿ではなく、マクワリの殿
    (実は私も3年前はバカ殿だと思ってました:冷や汗!)
     
    二宮神社について神奈備神名帳HPは下記
    http://www.kamnavi.net/en/simofusa.htm
  • 忘れ物 投稿者:QUBO  投稿日:04月29日 14時38分

    二宮神社は、あの菅原道真を左遷した藤原時平公をお祀りしています。
    近くに時平神社もあり、全国的には大変珍しいです。
    近所に、特に雷が多くは落ちていないようです。
     
    左遷程度で雷なら、今のリストラ=退職者の怨念はどうなるのか?
  • >馬加殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 23時25分

    まるで狙ったような表記(~_~)
     
    しかし、藤原時平を祀っているのは、ほんと珍しいですね。
    藤原時平は、私にとっては、菅原道真公を陥れた人物、というより、「少将滋幹」から母親を奪った人物、という印象の方が強いのですが、どっちにしても、あまりいい印象の人物とはいえないですよね。
    でも、女性から見たら、魅力的な人物だったんでしょう。
     
    それにしても、今ふと気づいたんですが、谷崎潤一郎が、「少将滋幹の母」を書いたのは、佐藤春夫への「妻譲渡事件」より20年ほど後のことなんですね。
    谷崎は、藤原国経に自分を重ね合わせるようなことがあったんでしょうかねぇ?
     
    そんな谷崎は、国経から妻を奪った時平を、「無邪気で明朗闊達な一面がある」と書いてます。
     
    二宮神社では、時平をどんな風に紹介してるんでしょう?
  • そばばばーん 投稿者:あかがね 投稿日:04月29日 23時33分

    >のりちゃん様
     
    見たところコロッケそばは東京の創作洋食である。と。
    うちの後輩(北海道出身)がいい加減ぬかしてたようで。
     
    出石そばは一度だけ食したことがあります。
    不揃いで小分けにされた冷たい蕎麦だったような。
    私はうどん派で蕎麦はとろろをかけないと食べられなかったりします。
     
    そういや、にしん蕎麦は関西のものなんですよね。
  • コロコロコロッケ! 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 23時47分

    その後輩さんには、罰として、コロッケうどんでもご馳走してもらってください。
     
    でも、確かに、コロッケと麺類って合いそうなんですけどねぇ。
     
    あかがねさんはうどん派。
    なら今度大阪帰ってきたら、「のら屋」に行ってください。
    羽曳野市役所の前に店ができてます。
    いや〜、麺がしこしこつるつるでうまいのはもちろんなんですけどね。
     
    「わがままセット」を頼むと、
    ざるうどん4皿(一皿半玉分)orぶっかけ(冷・温、大盛りも可)orカレーうどん(大盛りも可)or釜揚げ(もちろん、大盛り可)を選べて、それにてんぷら(えび天を含めた5種類以上)と、赤米おにぎりがついて、なんと、お値打ち価格880円!!
     
    絶対お奨め!!
    確かに、並びますが、回転がいいので、列の割りには待ち時間短いです。
     
    あと喜志にある「讃岐屋」も、安くておいしいです。
    寿司もうまいんだなぁ、これが。
     
    ・・・こんな風に、大阪じゃぁ、おいしいうどん屋さんは、結構あるんですけどね。
    蕎麦屋さんは、ほんっ・・・・・・・っとに!!ないんですよ。
    なんとかしてください。
     
    にしん蕎麦、旦那が好きなんで、年越し蕎麦には入れますけどね。
    甘い蕎麦ってのは、なんか、反則でしょ?
    ねぇ?
  • QUBO様 投稿者:ひくもん 投稿日:04月30日 03時15分

    げげ〜ん!?
    幕張って元はそう書いてたんですか……!?
    わたしゃまた何かで野営の陣でも敷いたかの、
    何かそういう有名な話があるんだろうかとか。
    ちょっとびっくり……!
     
    そういえば、寒川神社といえば、神奈川の方だと
    日月星が社紋でしたが、そちらでもそうなんですかね?
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月30日 03時18分

    ウチの周囲は江戸時代までは真言宗の勢いが強かった
    ようなんですが、徳川の治世になってから勢力は減ら
    されたようで、そのかわりってワケじゃないでしょうが
    どうも平将門関連は優遇されてた感じします(笑)。
    朝廷の力を封じ込めたい幕府の意志の現れではないかと。
    菊花紋がオッケーだったかまでは判りませんが。
     
    >千葉氏が、平将門の子孫だ、という話題でした(~_~)
     
    ありがとうございます。詳しくは以下を↓
    「城主のたわごと」:http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/tawagoto/2002/tawagoto-09.htm
     
    また馬加氏についてですが、QUBO様の仰る通りです。
    幕張は「まくわり」ですが、馬加は「まか」と読むようです。
     
    これは長くないのでhttp://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/itiran/tibaken/04.htm
    真中あたり「題名:千葉県の戦国時代」より(^_^;)。
     
    ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
     
    まず享徳のころ(1452〜55)、千葉介だった千葉胤直は、一族の馬加康胤と重臣の原胤房(小弓城主)に千葉城を追われて自刃し、馬加康胤が千葉介になります(馬加千葉氏)。
     
    敗れた千葉胤直の甥は、上杉氏の支援を受けて市川城にいるんですが、これが今度は、馬加や原らと宜しくやってた古河公方、足利成氏に攻められ、兄弟そろって武蔵の国に逃げます。これが太田道灌とともに豊島氏を攻める(江古田沼袋の乱、1477年)千葉自胤です。
     
    やがて、古河公方、足利成氏と上杉氏が和睦すると、馬加千葉氏は孤立して、太田道灌に攻められて敗れます。
     
    次に永正年間(1504〜21)、やっと真里谷武田氏の登場です。武田恕鑑は足利義明を担ぎ、原氏を攻めて小弓城を乗っ取り、足利義明はこれよりこの城を"小弓御所"にし、"小弓公方"として、里見氏、酒井氏らを従えます。武田氏や酒井氏が里見氏の麾下となったのはこの辺りかと思います。真里谷武田氏は久留里城を持ってましたが、1537年、この城には里見氏が入ってます。
     
    すると原氏は、こんど古河公方の足利晴氏を担いで対抗。小田原の北条氏綱とも組み、武田と里見を国府台に攻めます(第一次国府台合戦、1538年)。義明戦死。武田と里見も敗退。
     
    小弓城には原氏が復帰。原氏や馬加千葉氏はもちろん、味方だった武田氏も酒井氏も、この後は里見氏を離れて北条氏に属しますが、里見氏だけは北条氏と戦いつづけ、しまいには上杉謙信まで引っ張り出す騒ぎになるのでした。
     
    ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
    以上
     
    最近うどんが流行ってるそうですね。私は前は蕎麦より
    うどん党だったのですが、今はすっかりソバ党に。。。
    ……で、日曜日美味し〜いトロロ蕎麦食ったばかり(^。^)。
  • ころっけそば 投稿者:ひくもん 投稿日:04月30日 03時19分

    好きぃ。
    何かジャガの部分がダシ吸い込んでトロトロになって。
    ω ←っていう、にゃんこ口な気分になる。
    関西、ソバ屋ないみたいねえ。
    金沢も食事は関西圏だからそうだったけど。
    ソバが美味しいと思ったのって、関東出てからだったもんな。
    で、こっちは美味いうどん屋が本当に少ないと。
  • おいしいそば 投稿者:anne猫 投稿日:04月30日 07時33分

    出石はこの前いったけど、あのツユに生卵をいれるのがどうも苦手です
    最近では福井の今庄のそばが一等おいしかったです
    昔、食べた白山からスーパー林道を抜ける途中にあった一揆そばというのもおいしかったけど。。。
    大阪はうどんはおいしくてもそばはいまいちという店が多いと思うので店に入ってっもうどんを注文してしまいます
    コンビニで売ってるキンレイの冷凍うどんがおいしいですわ!
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 08時03分

    さては、炭水化物好きね?
    私は、サクサクだった衣が汁を吸い込んで、ぶよびょぶぃよ〜〜んとなるのが、ど〜も戴けないので、なにしろ暖かい麺類に揚げ物を入れたのは、あんまり食べません。
     
    トンカツを、卵とじにすんのもあんまり。
     
    唯一、例外は、カツカレー!!!
    カレーをたっぷり含んだ衣が、それでもまだ、かりかり感を残してて、続いて口の中に肉汁が・・・。
    く〜〜〜、く〜〜〜〜、く〜〜〜〜〜!!
     
    で、私も、蕎麦がおいしいと思ったのは、東京で白い蕎麦と出会ってからだったかも。
    その時、私と友達は、なんの予備知識もなく、東京と大阪のだし汁の違いのことも知らず、麺のお店に入ったのだけど、私が頼んだのは、天ざる。
    友達が頼んだのは、きつねうどん。
     
    これだけでも、食に関する私の勘がどれだけ優れているかわかるというものでしょう。
    友達とご飯を一緒に食べてて、こんなにくっきり明暗が分かれたのは、始めてでございました。
     
    しかし・・・。
    白い蕎麦食べたくなってきたよ〜。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 08時14分

    「馬加」は、「まか」なんですね。
     
    それにしても・・・間抜けな感想かもしれませんが、戦国時代って、本当に、昨日の味方は今日の敵。
    逆もまたしかり、なぁんですねぇ。
     
    歴史にIFはないっていうけど、もし、・・・って言いたくなりますね。
     
    おいしいトロロ蕎麦、いいなぁ!!
     
    そういえば、滋賀県坂本、日吉大社のそばに、「鶴き(七みっつ)そば」というおいしい蕎麦屋さんがありました。
    雪の降る寒い日だったんで、ひよって暖かい穴子そばを頼んだんですが、おいしかった(#^.^#)
     
    今度、あそこでざるそば食べたいなぁ。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 08時21分

    出石もお城跡ありますよね!
     
    で、そばに入れる卵って、うずら卵でしたよね?
    私も卵は入れません。
    そのかわり、わさびとねぎはたっぷり入れます。
     
    おいしい蕎麦屋さん、探せば見つかるんだろうなぁ。
     
    茨木市においしい蕎麦屋さんがあったのを覚えてるんですが、もっと近所でないかなぁ?
  • ひくもん  様 投稿者:QUBO  投稿日:05月01日 09時25分

    二宮神社の神紋は九曜星です。
    ちなみに二宮神社の七年祭り(三山七年祭り)に集まる神社で、三代王神社(千葉市武石:ほとんど幕張)も九曜星です。祭神は天種子命。中々珍しい神社名、祭神だと思います。
    天種子命は、中臣=藤原氏の先祖だし、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)で、菟狭(宇佐)津姫と結婚したりしてるけど、単独でお祀りする神社は、あまり聞かないです。三代王神社と云う名も珍しく、何となく日向三代を思わせます。残念ながら、私には詳細不明。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 21時58分

    天種子命・・・。
    初耳でした(^^ゞ
     
    関東のことは全然知りませんが・・・。
    う〜〜む、もっと知りたい!!
    教えてくださいね(#^.^#)
  • QUBO様  投稿者:ひくもん 投稿日:05月01日 23時41分

    情報、どうもありがとうございます。
     
    うーむ、寒川は星と絡むのか……?
    神奈川の寒川神社は八方避けで有名らしいので、
    その辺の中世以降のネタからでしょうか……?
     
    『続日本紀』の延暦十年九月十八日のところに、
    讃岐国寒川郡の凡直千継なる人物の先祖を「星直」といったという記事が出ていたので、
    「寒川と星って関係あるのか?」 
    と思ったことがあったんですが、
    しかし、寒川郡に寒川比古を祀った神社も見当たらず、
    郡名の寒川と、神名の寒川に関係あるのかどうかも
    よく解らず……?
    というか、そもそも寒川比古って、どういう方? っていう。
    神社CDでは、祀ってるのは、千葉と神奈川と新潟と滋賀だけみたいですね。
    新潟と滋賀は合祀扱いでショボイ感じなので、
    実質、千葉と神奈川……郡名の寒川とは関係ないんでしょうね、きっと……?
     
    しかし、天種子で九曜紋てのもよく解りませんが。
    突飛なことを言えば……
    宇佐地主神の北辰神社から受け継いだとか(;−− ?
  • 寒川比古神社 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月02日 07時30分

    一度は参拝したい、と思ってるんですけどね・・・。
     
    ふと、「漢辞海」で、「星」をひいてみました。
     
    「星」ってもともとは、「晶」の下に「生」がついた文字だったんですね。
    「晶」は純粋な光を意味し、「生」は「音」。
    一説に象形文字といわれるらしい。
     
    なんか、文字の世界でも、星ってややこしいっぽいですね(^^ゞ

 

美味いもん 投稿者:hiro2 投稿日:04月30日 08時51分

この一年ぐらいかよってる「蕎麦」屋さんです。
あつかましくもここの一室で隔週でhealingしています。蕎麦を打つ人、湯がく人、つゆを作る人、盛り付け、配膳する人の気持ちひとつで味が変わってしまいます。
 
例えば朝の出掛けに身内とけんかしたとしてその日に使った食材はマイナスのEGが、たんまり入りますので不味いのはもちろん、食材や山菜も3日ぐらい日持ちのするものが1日で腐ったりします。配膳の手前までパーフェクトでも、持っていく人の波動が荒いとその瞬間に味が落ちます。
 
ここはそれを全スタッフが解っていますので「うまい」のです。関西人としては当然のごとく「白蕎麦」です。お近くにおよりの節は是非!
http://www.nichiko.com/warabe.htm
 
大阪市内では、お初天神うらの「夕霧そば」が有名です。
  • メモメモ。。。。。 投稿者:anne猫 投稿日:04月30日 18時39分

    でも電話番号が0847ってどこでしょうか?
  • 分水嶺  投稿者:hiro2 投稿日:04月30日 20時30分

    岡山と広島の県境に近いかも
    甲奴(こうぬ)町と読みます。造り酒屋日本一の
    瑞冠とかもあり酒と蕎麦ばっちりです。ちょうど日本海と太平洋側に分かれるところでもあります。
    ここの須佐神社と武塔神社もすんごいんです!
  • hiro2様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 21時39分

    本当においしそうな蕎麦屋さんですね。
     
    人が発するエネルギーについては、全然わかりませんが、人の気持ちにより料理の味が変わってくるってのはわかります。
    私自身、ムカついてるときに作った料理は、塩辛くなります(^^ゞ
     
    そして、作る側の精神状態以上に大事なのは、食べる側の精神状態じゃないか、なんて思います。
    滅入ってる時には、どんなおいしい料理も、魅力半減しちゃいますもんね。
     
    広島県はちと遠いので、なかなか食べに行く機会はないかもしれませんが、当地へ行くことがあれば、寄ってみたいと思います。
     
    ところで、この辺りに、武塔天神を祀った神社があるんですね。
    あ、でも調べてみたら、ご祭神は、素戔鳴尊となってますね。
    祇園絡みなんでしょうか?
    それとも別系統?
     
    なんにせよ、「武塔」という名前を冠する神社は、珍しいですね。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 21時40分

    興味津々ですね?
    広島県はちと遠いですが、近場でおいしいお蕎麦屋さんを見つけたら、教えっこしましょう(#^.^#)
  • そのとおり 投稿者:hiro2 投稿日:04月30日 23時11分

    武塔さんには櫛稲田姫と八王子の命が合祀されています。
    healingに行くたびに須佐神社に拝礼にお伺いいたします。
     
    以前はこの地方一帯の中で祗園社のお祭りは大変な賑わいを見せていたようです。須佐の神輿が武塔の社に輿入れするのはそうかんでしょうね(有名な行事です)。性懲りもなく寄進の品々の中に渡来系の特に秦氏にまつわる人名やゆかりのものを発見したときは一人悦にいっている私です。
     
    この櫛稲田姫命縁の武塔さんで9/13日にaikaさんのhealing voiceコンサートが開かれます。
    「観月の宴」。このイベントにもし参加できた方は幸福でしょう。なんせ境内にたたみを引いて酒宴を張るのですから。倭の神々と共に・・・。
     
  •  投稿者:hiro2 投稿日:04月30日 23時19分

    武塔さんと須佐神社は50メーターぐらいしか
    離れていません。
     ここをある方が個人でお借りして去年手作りで「観月の宴」を催しましたが、畳・かがり火・酒・ふるさと・倭ごころそんな凄い一時でした。
  • ふ〜む 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 08時03分

    とすると、須佐神社と武塔神社は、もともとひとつの神社かもしれませんね。
    本社とお旅所、とか。
     
    もともと、素戔鳴尊は、牛頭天王とも、武塔天神とも同じ神様だ、などと言われていますが、祇園縁起に登場するのは、牛頭天王の方ですよね。
    武塔天神は、確かに、疫病除けの神様ではありますが、祇園絡みで、牛頭天王を差し置いて、武塔天神の名が出てくるのがなんとなく、興味深いです。
     
    といっても、牛頭天王や、武塔天神については、知識がないんですけども。
  • ご明察 投稿者:hiro2 投稿日:05月01日 08時33分

    そうなんです。確か以前は(今も?)スサノオの神輿が
    氏子さんが総出で武塔の櫛稲田姫のところまでいく
    お旅どころなんだそうです。そこで何日かおとどまりになるそうです。今度来週行きますから詳しく聞いてきます。
  • 武塔神社 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 21時53分

    が、別荘なんですね。
    で、そこに奥さんがいらっしゃる。
    そういうパターンって結構あるのでしょうか。
    報告お待ちしておりますm(__)m

 

ボイス 投稿者:mind 投稿日:04月28日 02時01分

 無料鑑賞券をもらったので、韓国製恐怖映画『ボイス』を観ました。(^^)/ 苦情殺到で、放映中止になったCM、怖かったですねー。>子供がでてくるの
 
 予想通り、そこはかとなく『リング』をパクってましたが、なかなか面白かったですよ。ただし、怖かったのは最初の方だけで、謎解きの回想シーンが多くなる最後の方は、恐怖映画と言うより、火曜サスペンス劇場みたいだな、と思いました。
 
 一緒に観た人が、「韓国人の女優は綺麗だ。」と何度も言ってたけど、まぁ、この映画はそれだけにつきますね。
  • 子供が叫ぶシーン 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 08時20分

    やたらと怖かったですね。
    最近、あのシーンが流れないと思ったら、放映中止だったんですか(^^ゞ
    やっぱり、「怖すぎる」から??
     
    恐怖映画と子供って、ある意味定番ですよね。
    ポルターガイスト、エクソシスト、etc。
    確かに、大人には見えないものが子供には見える・・・なんてことはありそうですけどねぇ。
     
    1歳ちょっとの甥っこが、何もないところを見て、きゃっきゃ喜んだり、反対に大泣きしたりすると、
    「何がいるんだ〜〜〜〜〜!!」
    と、ちょっと怖くなりますしね(~_~)
     
    で、出演してた女優さんは美人だったんですね?
    んじゃあ、テレビで放映されたら、見てみよう・・・いや、恐怖映画を大画面で見る気がしないんで(^^ゞ
  • あのCM 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月28日 10時58分

    放送中止になったのですか・・・。確かに怖かったですなぁ。
    携帯電話見ただけで怖くなりますが(笑)
     
    やっぱり子供は恐怖心をそそりますねぇ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時04分

    おぉ、そうだ。具顕殿は、恐怖を解りあえる仲間でしたね(笑)
     
    昔、携帯電話を買ったばかりのころ、
    「○○病院」から、よく間違い電話がありました。
    どうも、その病院のお医者様が、名簿に間違って記載されたようなのですが、
    留守番電話に、
    「△△先生!至急電話くださいっ!!」
    なんて入ってたりすると、どうしたもんかと(笑)
     
    違う意味で、恐怖でした(~_~)
  • Re 投稿者:mind 投稿日:04月28日 22時48分

    > 最近、あのシーンが流れないと思ったら、放映中止だったんですか(^^ゞ
    > やっぱり、「怖すぎる」から??
     
     そうです、そうです。夜、あの子役が夢に出て寝られなくなった子などが、続出したそうです。映画会社は、いい宣伝になって、内心、「しめしめ」と思っているに違いないっス。(笑)
     

    > 恐怖映画と子供って、ある意味定番ですよね。
    > ポルターガイスト、エクソシスト、etc。
     
     『シャイニング』とか…。こういう怪奇と子供≠フ嚆矢になったのは、1936年頃に製作された『フランケンシュタイン』あたりかな。
     それはともかく、小学校にあがる前の子供って、たまに妙に無機的な感じがしませんか。黒目がちな目でこっちを見ながら、くすくす笑ったりして…。
     そういう子供のもつ不気味さ怖さを、映画はうまく使うことがあるんですね!『ボイス』もそうだし、有名な『シャイニング』の双子の少女とかもそうっス。
  • 今恐怖で思い出したけど 投稿者:anne猫 投稿日:04月29日 00時00分

    クラッシックのCDでヒルデガルト。フォン。ビンゲン(バッハよりもずっと前の女性修道士)魔女と呼ばれていた人のを機械にいれっぱなしにして忘れると夜中の2時になるとタイマーもかけていないのに大音響とともに鳴り出すという恐怖がありました(一回だけじゃなく何回もありました)
    他の音楽CDは入れ忘れてもそういう現象は起こらなかったのに。。。。。
  • mind様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 08時52分

    あの子役の表情って、怖さのレベル的には、「チャイルドプレイ」のチャッキーと、同じくらいかもしんないですね。
    いや、チャイルドプレイは見てないんだけども、あの人形、むちゃくちゃ怖かったんで。
    夢にでてきたらいやなもの、のアンケートとったら、大人でも上位にきそうですよね(・・・そんなことないかな(^^ゞ)
     
    子供って、基本的に表情豊かという思い込みがあるもんで、無表情になったら、妙に怖いんですよね。ギャップで。
     
    何か理由があって、神社に参拝することにした。
    時は、逢魔ケ刻。
    細長く、木々の陰濃い参道を歩いていくと、前からシャツに吊りズボンという、いでたちの男の子が、静かに歩いてきた。
    目の前までくると、彼は、無表情な顔を上げ、
    「行きはよいよい、帰りは怖い」
    と、はっきりした声で告げ、ニッと笑って、行ってしまった・・・なんてことがあったら、わたしゃ、そのままうちへ逃げ帰りますとも。えぇ。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 09時00分

    機械が絡むミステリーですね。
    しかし、夜中の2時ってのが、やだなぁ。
     
    それで思い出しました。
    私がまだ実家にいたころのことです。
    当時、父親がインドネシアに単身赴任してたので、母親と祖母が2〜3週間ほど家を開けることが結構ありました。
    弟は大学の側で下宿してたんで、その間は私一人。
    めんどくさいんで、電話やらなんやら、全部枕元に集めてました。
     
    で、当時、夜中にやってる深夜番組をみるために、タイマーをセットしてたんですが、それが壊れちゃったんで、電話のモーニングコール機能を使って、1時半に電話が鳴るようにしてたんですよ。
    で、母と祖母が帰宅。
    電話は、もともと祖母の部屋に置いてあったんで、そこに戻りました。
     
    しばらくして・・・。
    祖母が暗い顔をして、
    「呪われてるんかもしらん」
    と。
     
    事情を聞くと、毎晩1時半に電話が鳴るんだとか。
    電話をとると、妙に明るい女性の声で、
    「午前一時、さんじゅっぷ〜ん」
    と繰り返すんだそうで・・・。
     
    早速モーニングコール機能を解除しましたが、祖母は、何が起きたかわかってなかったみたいです(^^ゞ
    ごめんよ〜。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:04月29日 23時26分

    >恐怖を解りあえる仲間でしたね(笑)
    はい、グラフの座標にしたら同じ方向にいると思います(笑)。
    携帯電話ですが、親父の携帯の番号になぜか借金取りから電話がかかってきて(笑)困った事があります。車をローンで買うと系列のローン会社から借りるらしいですね。
    私がその会社に電話して怒ってあげましたけど。「何の間違いかしらんけどお宅の顧客管理ミスだ」といってやりました。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 23時40分

    昔、クレジットカードと、その引き落とし先の銀行の解約をした時、年会費の引き落としの月にかかっていたので、「年会費を落とそうとしたら、銀行口座が解約されてる!」と、督促状がきたことがあります。
     
    私も、年会費のことが気になってたので、解約する前に、クレジット会社に確認をとっていたのですが、その時は、「引き落としにならないようにも、銀行の解約は早めにしてください。そうしないと、年会費を返還しなくてはならなくなるので」といわれてたので、その旨電話することにしました。
     
    んでも、そういう督促関係課って、ドス効いたおっちゃんが多いんですね(^^ゞ
     
    事情を説明すると、
    「あぁん??ほ〜。ま、それじゃ督促状破っちゃっていいっすよ」
    という返事でございました。
     
    おばさんとなった今ならば、名前確認して、こってり苦情を言うところなんですが、その頃はまだ若かったんで、相手の雰囲気に呑まれ、
    「あ、わかりました」
    なんて答えてしまった自分が口惜しい(^^ゞ

 

はじめまして 投稿者:hiro2 投稿日:04月26日 22時51分

昨日「木花咲耶姫命」の検索で呉津彦神社を知り、今日
早速明日香の栗原まで行ってきました。「木花咲耶姫」が何故ここに祀られているのか?ほんでなんで「スサノウ命」の妃神「稲田姫命」の御子神「八王子の命」が合祀されているのか?周りの表札はやっぱ渡来神のゆかりの名字の感じだがそれにしても・・・。
 情報ありがとうございました。古代の村社会での「木花咲耶姫命」の存在や使命は個人的にかなりあたっていると思いますよ。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 23時28分

    ありがとうございます(#^.^#)
    hiroさんは、ヒーリングをされてるんですね。
    私は、鈍感で、精神的なことに関してはよくわからないながら、神様と精神は密着に結びついていると思います。
     
    さて、木花開耶姫なんですが、いろんな表記があります。
    関西でもいくつかの神社で「主神」として祀られているようです。
    例えば、当麻山口神社では、大山祇命・天津彦火瓊瓊杵命と共に、ファミリーで祀られているようです。
     
    また、開耶姫のお姉さん・岩長姫は、貴船神社でも祀られているし、茨城県でも祀られていて、一体どこが出自なのかわかりませんね。
     
    また、ご存知かもしれませんが、元伊勢・京都府加佐郡大江町にある皇大神社では、天照大神の仲介役として、岩長姫が登場しています。
    もしよければ、一度ご参拝ください。
    また、いろいろ教えてくださいね(#^.^#)
  • ルーツ 投稿者:hiro2 投稿日:04月27日 01時05分

    いえいえお恥ずかしい。個人的には日ユ同祖諭に興味を持っていまして・・・。祗園社(八坂神社)に代表される
    渡来神の神社に興味ありです。7世紀以前の多民族国家としての日本の歴史に関するものは神話の中に没してしまっていて・・・。当麻(たいま)でしたよね!いつか行ってみます。ニニギノ命でしたっけドライな方!?
  • 渡来系 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 08時59分

    どこまでが渡来系とするか、ってなかなか難しいところですよね。
    あまり詳しくないんですが、例えば、秦河勝を「渡来系」と呼ぶかどうか。
     
    関西は、いろんな技術者が大陸からやってきていますから、彼らの神様を祀っていた神社もかなりあるようです。
    例えば、河内にある「飛鳥戸神社」は、「こんき王」という渡来系の神様が祀られています。
    奈良の「於美阿志神社」の祭神は、「阿智使主」という、これまた渡来系の神様のようです。
    また、いろんな事情で、祭り替えをされたけれども、もともとは渡来系の神様を祀っていた、という神社も結構あるようです。
     
    ただ、日ユ同祖論をあまりよく知りませんので(主人が、「大阪に約束の地があるねんで!・・・河南(カナン)町!!・・・ぷぷぷぷぷ〜〜〜!!」などというしょうもないことを言ってましたが、これは、違いますよね??)、どれがそれにつながる「渡来系」なのかは、さっぱりわかりませんが(^^ゞ
     
    木花開耶姫を祀る神社で大きなところを忘れていました。
    宇治にある、「縣(あがた)神社」です。
    こちらの方が、交通の便はよさそう。
    暗闇祭りは、京都三大奇祭に数えられていたと思います。
     
    で、そうです。瓊々杵尊は、ニニギのミコトです。
    奥さんが、一晩で妊娠したからって、「他の男の子供ちゃうんか!」というような神様ですからねぇ(~_~)
    ドライというより、感情的なんじゃないかと(^^ゞ
  • 木花開耶姫命 投稿者:梦宇 投稿日:04月27日 19時12分

    しつこく神武太平記ですが(^^;
     
    神武天皇20年、天皇は東国巡幸の折、富士山に登り、現在よりは低く広かった山頂の池の北に国饒志邇々岐命と高照木花咲屋比売命を祀る霊木(ひもろぎ)を植えられた。
    …と記されているのですが、当時の富士山が山頂に植林できるほど低かったというのは信じられませんね。
     
    更に天皇は筑波山にも登られ、太古この筑波島に降られた饒速日命が創建した天照大神と国饒志邇々岐命・高照木花咲屋比売命が祀られている神社に参拝されました。
    …という筑波山神社の現在のご祭神の筑波男神はイザナギノ命・筑波女神はイザナミノ命になっていますね。
     
    ちなみに、この初代ニニギノ命の妃・高照木花咲屋比売命はアヂスキタカヒコネノ神の御子で、高照妙霊芽命とも申し上げます。
    そして、五世ニニギノ命の妃となったのが、大山住国勝日子(おほやまずみくにかつひこ)の娘・神阿多津日女命(かむあたつひめのみこと)で、又の名を子之花咲弥日芽命と申し上げ、↑の一晩で妊娠したお方です。
     
    …で、姉の磐長姫命は、妹の産んだ皇子たちを養育して、三世ホホデミノ命の御世の末に神避られたそうで、やっぱり長生きをされたようです。
  • う〜む 投稿者:hiro2 投稿日:04月27日 21時31分

    夢宇さん含蓄のあるお話ありがとうございます。
    木花散流はなんか許せないな〜。
    お山とお水とお酒に縁起しているんですよね!
    この一族は!
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 22時11分

    げげ、ニニギの命は一人じゃない、と、なってるんですね。
    それは・・・、ややこしい(^^ゞ
    もう、私、日本書紀読むだけでも、頭こんがらがるんですよね。
    「え〜〜っと、この神様は誰の子供で・・・」
    なんて。
     
    大体、日本書紀でも、重要な神様の一人である、大己貴が、素戔鳴尊の子供なのか、代目の子孫なのか、はっきりしてくれ!!
    と叫びたくなります(^^ゞ
     
    きっと、私が神武太平記読んでも、理解できないような気がする(T_T)
  • hiro2様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 22時16分

    >お山とお水とお酒に縁起
     
    そういえば、大山咋神も、山と水と酒に関係してますね(~_~)
  • hiro2様 投稿者:梦宇 投稿日:04月28日 00時39分

    確か木花知流比売は古事記に一ヶ所名が出ているだけで、他の書には載っていないと記憶しているのですが、山と水と酒に関する話があるのですか?
  • 酒の神と竈の神 投稿者:梦宇 投稿日:04月28日 01時15分

    神様の名前と相互関係を覚えるのは難しいですね。
    だから、同じ書物を何度も読み返すことになります。
    大山咋神は山と酒の神様ですが、かまどの神様と兄弟というのも興味ありますね。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 08時11分

    あ、やはり、何度も読み返しておられるんですね。
    少し、ほっ(#^.^#)
     
    大山咋神は、日吉大社の神様としてよく知られていますが、上賀茂神社の玉依媛命に妻問いして、別雷命という息子をもうけていますよね。
    ここらへんもひっかかります。
     
    あと、ど〜〜〜〜してもひっかかるのが、日吉大社が大神神社から勧請したのが、荒魂の大己貴神であること。
    大神神社から勧請するならば、なぜ、和魂の大物主神ではないのか?
    ということなんですけど・・・。
    これに関しては、定説があるかもしれませんね。
     
    ところで、大山咋神とかまどの神様との関係、梦宇様はどのように考えておられます?
  • 大神神社 投稿者:ひくもん 投稿日:04月28日 13時48分

    って元々は大物主一柱だったんでしょ?
    年代は忘れたけど、大己貴神、少名彦の順で一つずつ合祀されてったって。
    今でもお祭りの時なんか、大己貴神や少名彦は摂末社と変わらない扱いで、あくまでメインは大物主って風になってるってモノの本で読んだけど……。
    大津京に遷都する時に分祀したらしいから、その頃なんかはますます「大神神社といえば大物主」だったんではないのかな。
    何で大神神社を分祀しようと思ったのかは、よく知らないけども。
  • ぱっきょ! 投稿者:hiro2 投稿日:04月28日 21時53分

    皆さんの話に不昧な私は頭パッキョ状態。
     
    木花咲耶姫をもし愛したら、やっぱり末永く
    生きて欲しいし、美人薄命はいかがなものかと・・・。
     
    鞍馬山行ってきました。本殿前と魔王殿なかなかの
    power spotでした。
    貴船もまわって良い波動の中チョッと元気
    やっぱり山全体にそれなりの・・・。
     
    もう一度普通の日に出掛けよう。お経オタクの一段が
    先々で拝んでるのでなんか・・・。
     
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時07分

    うん。でしょ?
    だから、余計になんで、日吉大社は、大己貴を選んで、勧請したのか、わかんないんだよね。
    素直に大物主ではなんでいかんかったんやろか?
     
    なんか、意味深・・・と思うのは、考えすぎかもしんないけどね(^^ゞ
  • hiro2様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時17分

    あ、hiro2様は、木花咲耶姫を研究対象としても、個人的にも、好きなんですね?
    確かに、木花咲耶姫=桜は、薄命の象徴のように描かれていますが、彼女自身が薄命だった、という記録はないみたいです。
     
    梦宇様もおっしゃってますが、木花知流比売は素戔鳴尊の息子・八嶋士奴美と結婚した、ということが古事記に記載されているだけで、他には特に逸話のない女神ですね。
    木花咲耶姫と同一神であるという説もあるようですが、この女神も短命だったという記述はないみたいです。
    花は散っても、また次の年花は開きますから(~_~)
    短命と限ったものではないかもしれません。
     
    木花咲耶姫は、美しいだけでなく、火中出産など、激しい一面も持ち合わせた女神ですね。
    女からみても、魅力的です(#^.^#)
  • >素直に大物主では 投稿者:ひくもん 投稿日:04月28日 23時27分

    >なんでいかんかったんやろか?
    つか……分祀当時から「大己貴」名義やったの?
    後になってから日吉大社側が、
    「要するに大己貴さんと一緒な神さんなんやろ?
    この辺じゃ、大物主よか、
    大己貴さんお祭りした神社の方がようけ聞くで。
    ほんなら、こっちの方がええやろ」
    みたいに名称変更したとか……ないのかな……?
  • 名称変更 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 08時40分

    栞みる限りでは、はじめっから大己貴だったようなんだけども。
     
    日吉大社って、東本宮と西本宮があって、西本宮のほうに大己貴命が祀られてんのね。
    雰囲気で判断しちゃぁいかんけど、「同じ神様やろ」とかで、名称を変更したような、気軽なイメージじゃないんだけどなぁ?
     
    う〜〜ん・・・。
    今度聞いてみよ。
  • 水分の神々 投稿者:梦宇 投稿日:04月29日 20時28分

    又々のことですが、神武太平記には大阪の坐摩神社創建にまつわる話も載っていますので、その一部を要約してみました。
     
    神武天皇11年の夏、大和・河内・木幡(山城国の当時の国名)の河川が枯れ、浪速の長島(上町台地)の井戸水も尽きて、島民は和泉国まで飲水を取りに行くような状態になりました。
    そこで、朝廷では可美真手命を霊座(たまくら)として降霊を行ったところ、大土之御霊(おほつちのみたま)の神が降られ、墨坂の戦跡の穢れ祓いが不充分だったため、宇陀を水源とする河川の水量が細り、大年神、御年神、竈神の力が衰え、旱魃になったとの宣託がありました。
     
    それで、神武天皇は真知思兼命(ましりおもいかねのみこと:神代の思兼神にあらず)という物知りの臣に相談したところ、真知思兼命は、「ご宣託は真理です。御年神とその御子である若山咋神・若年神・夏之男神・秋之女神・久々年神たちは田畑を水分(みくまり)され、奥津彦神とその御子である生井神・栄井神・綱井神たちは民の竈を守られ、香山神(かがやまのかみ:古事記の大香山戸臣神)・大山咋神・波比岐神・阿須波神たちは高山・短山(ひきやま)の水分をされます。そして、これらの神々はすべて水分の神である高淤加美神の厳之現霊(いづのあらひ)に坐します故に、これらの神々を祀り年祈(としごひ:豊作祈願の祭・祈年祭)なし給え」と答えました。
     
    …ということは、竈の神というと火のイメージがあって、奥津彦神・奥津比売神は燠津彦神・燠津姫神だと、私も思っていたのですが、その火の神の子が井戸の神というのが興味深いです。
    竈で煮炊きするには水も必要ですからね。
    ようするに、この書では、↑の神々を、山に振った雨が伏流水となって井戸から汲まれ煮炊きに使われるまでの過程の守護神と解釈しているようです。
  • 生井神・栄井神・綱井神 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 23時33分

    この神々もいろいろと謎の多い神様ですよね。
    大己貴命と、八上姫の間に生まれた、木俣が産湯を使ったのが、この神々の名を冠する井戸だったですよね。
     
    恋敵に破れた母に木の間に置き去りにされた息子、木俣についても、いろんな伝承があるようですが、その産湯になった井戸の神々が、大阪だけでなく、もちろん出雲と、継体天皇に関係の深い福井の神社(名前は失念してしまいました・・・)にも祀られていたのを覚えてます。
     
    その神々は、民の竃を守る神とされているんですね。
     
    水も産湯も、生命の源。
    竃で作られる食べ物も、生命の源ですね。
     
    そう考えたら、不思議はないかもしれません。

 

新スレ いい男さん達 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 08時44分

イセツヒコという名前は注目したことがなかったので、三人の意見を纏めると、
 
・飛んで逃げる時に、夜なのに辺りを昼のように明るく照らして行った
・八風にのって飛んで逃げ、諏訪に到った
・別名、出雲健子
・タケミナカタの後から諏訪入
 
ということなんですね?
 
風土記逸文に登場するようなので見てみると、この神が去った時の様子を、
「夜更けになって大風が四方に起こり、大波を打ち上げ、太陽のように光り輝いて陸も海も昼のように明るくなり、ついに波に乗って東に去った」
としてますね。
 
とすると、台風というだけでは説明しきれないような。
 
夜を昼のように明るく照らすものってなんでしょうねぇ??
 
別名が出雲健子(天櫛玉ってのも)ってことは、出雲とも関連がありそうですね(←そのまんま(^^ゞ)。
ふと、鉄を溶かすときのスパークの明るさをイメージしたんですが、それが風に乗って飛んでいくというのは、ちょっと、変ですよね。
 
ZOUさんのおっしゃるように、一つ目一本足といえば、一本タタラを思い出しますが、確かに、台風被害の多い伊勢の人にとってみれば、そんな空想上の化け物よりも、台風の方が怖いでしょうね。
 
でも、一本タタラという妖怪が作り上げられてくる過程で、台風のイメージが混じりこんだという可能性はないでしょうか?
 
台風と一本タタラが全く別のものだ、とする必要もないような気が。
 
最後に、
伊雑宮の裏紋=六茫星説
 
六茫星って、いろんな別名があって、日本では「籠目紋」なんぞと言われてますよね。
五茫星は、「晴明桔梗」。
穿ってみれば、両方とも、「星」という表現を敢えて避けているような印象がなきにしもあらず。
 
・・・考えすぎかなぁ?
  • 一目連 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 19時30分

    今月、たまたま「ムー」を購入してたんですが、「一目連」なる妖怪について掲載されてましたので、転載しますね。
    (いいのかなぁ?ま、いいでしょ)
     
    一目連−三重県多度町・愛知県
    俗に台風を妖怪視したものといわれる。一つ目の妖怪とさえるが、容姿は判然とせず、一方で、その正体は一目龍とも、天狗ともいわれている。
    三重県桑名で語り継がれた妖怪であり、出現と共に暴風雨を引き起こし、三重沿岸から愛知県にかけて暴れ回ったという。
     
    「風の神あるいは鍛冶の神ともいわれる。」
     
    一目連は多度神社の摂社、一目神社に祀られているが、この神社は御社殿の扉を設けない珍しい構造になっている。
    愛知県では、その昔、不意の強風が吹くと「一目連が来た」と表現した。
    なお、異説ではあるが、「一目散に逃げる」とは、この妖怪から必死に逃げたことから始まったともいわれる。
  • ……? 投稿者:ひくもん 投稿日:04月24日 21時58分

    あのー、野辺のタンポポのように素朴で可愛い疑問なんですけど、
    台風って、飛行機とか使って上から見下ろさなくても、「一つ目」に見えるもんなんでしょーか?
     
    ツムジ風は一つ目に見えるわね。
    それが大きくなった竜巻も、「目」は見えんけど、
    「同じ一つ目野郎がやってるに違いない」
    って類推は出来そう。
    けど、台風が、それがさらに大型化したものだって認識はあり得たのか……?
    海沿いとか視界の開けるところだと、「目」に入ってしまえば、四方がグルっと雲の壁に覆われてて、今、「目の中にいる」って風に見えるのかな……?
     
    何か……どうなんだろう……?
    今だったら、「一つ目=台風」って言われても解るけど……?
  • ZOU様 投稿者:ひくもん 投稿日:04月24日 22時02分

    >瀧原宮は伊勢津彦神を祭っていたと本で読んだことがあります。
    マヂっすか。考えたこともなかったです。
    何処からそうなるんでしょう……?
    口伝か何かでしょうか……?
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 22時51分

    「目」が見えるかどうかはわからないけど、例えばさ。
    暴風吹き荒れていたのが、ふと静まり返る。
    おかしい、なんか変だ。
    という思いから、どうも台風には「目」があるらしい。という想像に行き当たるということは十分考えられるんじゃないかな。
     
    子供のころ、そういう経験をしたことがあって、非常に不気味な感じがした覚えがありますです。
    その時、周りに雲があって、自分達の上空だけが青空・・・ということを確かめた記憶はないんだけども。
    どうなんだろ。
    見える範囲で、「目」が確認できるのかな?
     
    ただ、それが「一つ目である」ということまでわかるかどうか??
     
    でもさ、北極星が動かないことも、北斗七星がその周りを回ることも、昔の人は、「観察のみ」で知ってきたわけで。
     
    台風が一つの目を中心に荒れ狂うことも、経験的に知ってたんじゃないかなぁ。と思うです。
  • 一つ目小僧 投稿者:あかがね 投稿日:04月24日 23時52分

    各地に伝わる一つ目伝承に関しては谷川健一氏の「青銅の神の足跡」という有名な本がありますね。
    いっときオオ氏の出自に興味を持ち、手にした本でしたが
    要旨としては
     
    @金属製錬を扱う一族には、たたらを踏み、溶鉱炉(?)を覗く作業により、隻眼ちんば(問題発言?)になる作業者を神格化した神がいて、
    A一族が衰退したのち神はただ恐れられるだけの妖怪に零落してしまった
     
    というような話だったような気がします。
    他にも銅鐸の謎とか面白い話が載っていたのですが、一貫して柳田國男の常民(とこたみ)だったか稲作中心主義だったかからの視点から取りこぼされる部分にアプローチをかけているということで面白かったです。
    って柳田國男に詳しい訳でもなんでもないのですが。
    (そういう意味では一目連を台風の神と解釈するのも如何にも稲作中心的と思えなくもないですね。)
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 08時08分

    一本ダタラなんかは、まさに、製鉄の民の神様の零落した姿・・・なんぞという話を聞きますよね。
    ただ、単に「零落した」というだけでなく、製鉄には、何か暗い影があるような気もします。
     
    お寺の鐘を造るために、子供を、とか。
    実際、製鉄現場では、人死にもよく出たでしょうしね。
    そこらへんが、製鉄の神を妖怪化した理由の一つになってる可能性もありそう。
     
    ところで、「一目連」の説明で、ちょと面白いのは、「製鉄の神であり、一方台風の神である」という説明になってること。
    両方とも一つ目だから、合わさったのか、それともそれ以前に何か関わりがあると見られてたのか?
    どっちでしょうね。
  •  投稿者:ZOU 投稿日:04月26日 00時07分

    >瀧原宮は伊勢津彦神を祭っていたと本で読んだことがあります。
     
    あい。トカゲさんご推薦の「エミシの国の女神:風琳堂」に出ていました。大宮町史にそのように書かれているそうです。
     
    瀧原宮・伊雑宮・荒祭宮・・・伊勢の別宮はどれも怪しいです。平たく言えば先住神を封じて皇大神を祭った・・・
     
    台風に関する日雲さんの疑問はごもっともだと思います。一つ目神は一本足のことが多いようですが、台風は足は関係無いですもんね。一本ダタラもダイダラボッチ(タタラ法師)も先住神ですよね。
     
    >製鉄には、何か暗い影があるような気もします。
     
    同感です。
  • もう一度 八風 投稿者:QUBO  投稿日:04月26日 01時25分

    八風山は、信濃と上野の国境。一方八風峠は、伊勢と近江の国境。
    八風峠には、八風大明神が祀られていたのですが、明治になって
    多比鹿神社に合祀されました。
    多比鹿(タヒカ)神社は、田光(タヒカ)。三重県三重郡菰野町です。
    菰野町のHP
    http://www.town.komono.mie.jp/k-backno/komono451/rekishi1.html
     
    ひくもん 様
    台風の目は、直径が50km程度。小高い、見通しの良い処にいたら、周りの雲の壁が見えたのではないでしょうか。そそり立つ雲の壁は恐ろしく、畏怖したのではないでしょうか。
     

  • ZOU様 投稿者:ひくもん 投稿日:04月26日 02時05分

    ソースありがと御座います。
     
    >瀧原宮・伊雑宮・荒祭宮・・・伊勢の別宮はどれも怪しいです。
    そう言や、荒祭宮がアラハバキだったって話も。
     
    >平たく言えば先住神を封じて皇大神を祭った・・・
    としたら、瀧原宮にしても伊雑宮にしても、あれだけ離れたところにありながら、
    摂末社でなく、別宮扱いになるっていうのは、よほどのお宮だったってことなんでしょうかね。
    イセツヒコが祀られてたっていうんなら、さもありなんな感じですが。
  • QUBO様 投稿者:ひくもん 投稿日:04月26日 02時17分

    ああ、何かやっと状況が解ってきました、ありがとう御座います(;^^
    といいつつ、星馬鹿はリンクの末尾にある天白の文字にフラリと。
    ほええ〜、この神社も天白さんだったのか。
    と、平成祭データで多比鹿神社を見てみたら、御祭神は、
     
    >多比理岐志麻流美神
     
    ……き……聞いたこともない。
    データ上では、全国でここにしかお祭りされてないようですが。
    どなたか、この神様ご存知でしょうか……?
  • 姐さんコミでもういっこ 投稿者:ひくもん 投稿日:04月26日 02時34分

    台風の目って、海沿いに住んでたら、海上を進んでくそれが割りと見られるもんなのかも……?
    目からイイ感じで距離を置いてたら、一面の暗雲の中に、白っぽく光るようにボコッと穴が開いてるように見えたり……するような気もして来ましたが。
    この形だったら、目の部分は楕円形に見える訳だから、より「目」なカンジに見えるのかも……?
    内地で建物がボコボコ建ってるとこに暮らしているからなかなか見られないけど、行くとこ行けばそう見えるのか……?
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 09時27分

    え〜〜っと、別宮だけですか?
    本宮は(~_~)??
    なんてことはまぁ、おいといて。
    大宮町だけでなく、町史を見ると、面白い情報が手に入ることは多いですね。
    ただ、現地まで行かなきゃ、閲覧できないことが多い上に、分厚いんだ、これが(^^ゞ
     
    ただ、瀧原宮が伊勢津彦を祀っていた神社だとしたら、伊勢津彦の勢力の具合が伺えますね。
    そんな大きな力を持つ神様を追いやったのは、どんな勢力・・・っていうと、伊勢神宮を作った勢力なんでしょうね(~_~)。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 09時30分

    田光(タヒカ)とは、何気に気になる地名ですね。
    井戸から出てきた、尻尾の光る人物が、井光であることを考えると、田圃から出てきたどっかが光人物でもいらっしゃったのかな?
     
    それにしても、伊勢津彦の逃走経路に、太白が分布してる、とは、八風に乗った明るい光とは、金星に関係があった、という見方があったということでしょうか?
     
    でも、金星って確かに「明星」なんだけど、昼間のように、てのは大げさですよねぇ。
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 09時39分

    >多比理岐志麻流美神
     
    手持ちの「日本神名事典」では、
     
    「多比理岐志麻流美神(たひりきしまるのかみ)・記
    大国主の五世の孫。父は甕主日子神。母は淤加美加美の女比那良志昆売。比比羅木之其花麻豆美加美の女活玉前玉比売加美を妻として、美呂浪神を生む。名義不詳。」
    となっております。
     
    どの登場する神様の中で知ってるの、大国主神だけだぁ(^^ゞ
     
    ってことで、古事記の系譜を見て見ますと、もともと、大国主神と、鳥取の神(八島牟遅神の娘)の子供から始まる系譜の五世目みたい。
     
    鳥取神ねぇ・・・。
     
    大国主と鳥取神の子孫が三重に。
    ふぅん。
  • 亀レスすまぬ 投稿者:ひくもん@亀飼主 投稿日:04月28日 13時55分

    ああ〜……って読んでみても、思い出さない……。
    系図を見返しても、全然引っかかるとこがない。
    何でこれが天白なのだろう?
    っていうような「意味不明天白」は他にもあるけど、
    これは群を抜いて意味不明度が甚だしい。
    菰野町……また何かのついでに行きにくいとこやのう。
    カモシカ専門の動物園とかあるところじゃなかったか?
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 22時35分

    http://www.town.komono.mie.jp/
    なんか、温泉あり、自然あり、の魅力満載のところみたい(~_~)
    三重県っていえば、それこそ、イセツヒコ関係と一緒に周れるかも?
    交通の便がどうか、が問題かなぁ?
     
    系図、まず名前がすらすら読めないよね(^^ゞ
  • これはどうか 投稿者:ひくもん@獣フェチ 投稿日:04月28日 23時08分

    http://www.gozaisho.co.jp/
    シロイワヤギが見てみとうて(ж′д`
    あと、実際行ったら、何気にチョロQ欲しなるかも知れん。
    って、思っ切し話題ズレとんな。
  • >シロイワヤギ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 08時35分

    こりゃ、どうせみるなら、冬に行ったほうがよさそうだね。
    冬毛のふさふさが、豪勢な感じ。
     
    でも、チョロQ完売間近かぁ〜〜。
    ん〜〜〜・・・。
     
    しかし、あまご御膳のあまごが、一夜干になってるのはなぜかね?
    あまごは、塩焼きが一番うまいっちゅうに!
     
    あぁ、もうすぐ鮎漁解禁だぁ。
    わくわく、わくわく!!

 

きょうは 投稿者:hiro2 投稿日:04月27日 09時41分

鞍馬から貴船に行ってみようと思っています。
レイキの臼井先生が霊示をうけたところらしいですけど
私個人はレイキを受けたことがありませんので
まあ門外漢ですが・・・。
 
職業柄、骨格にも興味がありまして原日本人に近い
代表は沖縄の湊川原人とアイヌにあるようですが
縄文期より大陸からの流入があり稲作と共に渡来したのが弥生人とされますが、もっと以前より始まっていると思いますが、聖徳太子以降日本にやってくる人々を「帰化人」と呼ぶようです。
 
「秦」氏に関しては「秦氏のなぞ」と言う書籍が少し前に出ましたので興味がお有りでしたら立ち読みでもしてください。平安京は秦一族が設計したのは結構有名ですね。
 
渡来人も朝鮮ルート、雲南ルート、ロシアルート、ベトナムルート(歯の形なんかや特殊なウイルスの遺伝子なんかで解るんですよ)あと古くはムールートなんてのもあります。何処にも記録はありませんが!
  • 貴船神社 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 22時08分

    いいですね。
    川の流れが涼しくて、ほっとするでしょう?
    私は「レイキ」というものを知りませんが、いろんな人があの神社でいろんなことを感じられるみたいです。
     
    秦氏についての本、推薦ありがとうございます。
    秦氏について調べなくてはいけないことがあったら、探してみます(~_~)
     
    文化人類学の授業で、「日本神話の源流」という本を読んだ覚えがあります。
    そのころは、神社について何も知識がなかったのですが、ポリネシアからやってきたというのもありましたよね。
    実は、私は、自分の祖先は、ポリネシアからやってきた、と思ってます(^^ゞ
  •  投稿者:hiro2 投稿日:04月28日 06時58分

    プロフィールを拝見する限りそのようには・・・。
     
    それと鞍馬山時間が足りなかったので今回はあきらめました。ジュンク堂で時間をつぶしすぎて・・・。
    「人ごみ」もうっとおしいので平日にいこうと思います。
  • 鞍馬山 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 08時01分

    去年の7月ごろ、貴船から鞍馬へ山越えをしました。
    川床も始まって、かなり混む時期だったと記憶しているのですが、山の中はそれほどの人はいませんでした。
     
    ただ、貴船から登るのならば、「鞍馬奥の院」からまださらに登りなので、ちょっと騙された気分になりますよ。
  • へっへ! 投稿者:hiro2 投稿日:04月28日 22時41分

    ご指導ありがとうございます。鞍馬から貴船に下ったので楽でした。ただケーブルは乗らなかったので少し汗かいたかな。貴船から上がってくる外人さん(男2人、女1人)野郎2人は駆け足で上っていて、女の子は少し跡からとぼとぼついていってたけど、なんだな〜男ってやっぱ馬鹿やね〜
    男って万国共通だな!
  • hiro2様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 08時30分

    鞍馬から登りましたか。
    鞍馬側から登ると、根っこの多い道が歩きづらいでしょ?
    で、確かに、あの山は外人さんが多いですよね。
    最初に急ぎすぎて、途中でバテ気味の私が、ずんずん登っていると、外人さんのカップル(この二人の場合は、女性が前を歩いて、男性が後ろからフォローしてました)を抜かすことになってしまい、その際、
    「ストロング ボデー(だっけかなぁ?)」などと褒められたもので、途中でバテるわけにもいかず、途中で旦那に荷物を持ってもらってしまいました(^^ゞ(←バテとるんやがな)

 

これまた 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月26日 04時42分

↑ここにイキナリ書いていいのかなぁ。
 
前に書いた石和の物部神社ですが、石和には南朝の遺臣
伝説があるようで、やはりかなり南朝にゆかり深い土地
のような気がします。後醍醐天皇が一の宮に指定したと
言う御室山から来たのだから、まあそうなのかもしれない。
 
で、何と言いますか、物部氏の先祖の饒速日を祀るに
当たっての言い様が、やたらと「天皇家を多くの支流を
持つ一族として古来から軍事を持って支えたから」って
トコを強調してて、ふと、「もしかして後醍醐天皇の
頃、どどっと物部氏あるいは饒速日を祀る神社が増えた、
なんちゅう事は無いかな」と想像致しました。
 
考えれば、これってとってもありがちな事で、後醍醐天皇
はあちこちの海とも山ともわからぬ勢力をお味方に
持った不思議な天皇で、何か特定の自分の血筋に由来
する神様を祀らせるより、「ずっと天皇家を軍事を
持って守った」なんちゅう、しかも神格性を帯びた神様を
祀らせる方が、政治的には上手かったかな、等と思いました。
 
どうなんでしょうね。
  • 後醍醐天皇 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 09時20分

    その辺りの歴史になると、もう全然わかんないのですが、確かに、味方の顔ぶれを見ると、ユニークですよね。
     
    ただ、饒速日尊=物部氏を祀る神社が増えた理由は、地方によって全然違うんじゃないでしょうか。
    うちの近所のように物部氏の本拠地に、饒速日尊や物部氏の神社が山ほどあるのは全然不思議じゃないとして、(物部氏の滅亡による祀り替えで、当時より減っているくらいだと思います)、その祭祀の理由が、「神武天皇に恭順した偉い神様だから」などと、記紀寄りの表現になってることも、これまたよくあり、こちらの方が疑問なのでます。
     
    物部氏は、全国に本拠地があったと言われていますから、全国に物部氏の神社があるのは、これまた不思議じゃないとして、その理由が、「天皇家を支えたから」なのか、「物部氏の本拠地だから」なのか、は、その土地の歴史の裏づけとらないと、即答できないことの方が多いような気もします。
    でも、後醍醐天皇やら、後の天皇やらが、忠臣の心理操作をするために、「忠臣」饒速日尊を祀ったということも、あった可能性は十分ありそうですね。
     
    ただまぁ、忠臣と言われると、すぐさま思いつくのが饒速日尊かどうか、といわれると、どうかなぁ?
    それこそ、神武天皇の中心といわれたら、すぐさま思いつくのは、やっぱり、道臣命とか、椎根津彦でしょうから。

 

ご無沙汰しとります。 投稿者:てつ(TigerShark) 投稿日:04月25日 21時40分

すっかり閑古鳥がないている某掲示板を何気にさかのぼってふとリンクをクリックしたら。。。
というわけでご無沙汰してました。
あの掲示板のメンバーでこちらにきている方は他には
いらっしゃるのでしょうか?
ここではまじめに挨拶して帰ります。^^;
  • お久しぶりです(~_~) 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 22時50分

    別人格で運営しておりますm(__)m
     
    そのせいか、古いお友達は、あまりここにはいらっしゃらないですね〜。
    虎鮫さんが、2番目。
    ってことで、大歓迎!!
     
    まぁ、私もあの頃より、随分落ち着いてしまいましたが・・・(ほんまかいな)(^^ゞ

 

新スレ 御霊降ろしの書物など 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 06時58分

梦宇様
常陸の国のまだ東ですか。
私は関西以外の神社をほとんど知らないのですが、関東にも、ナガスネビコを思わせる、神社の由緒やらご祭神やら、が結構散見できるみたいですね。
今まで、私は、ナガスネビコは、討たれたのではなく、逃げ延び、東で活躍したのかもな、と思っていたのですが、「神武太平記」では、逆なんですね。
 
そして、この物語だと、ニギハヤヒの行動は極めて自然だといえるかも。
ただ、ニギハヤヒも天神の子である、というエピソードはないんですね。
 
関係ないことをふと思い出したのですが、「大洗磯前神社」と「酒列磯前神社」のご由緒によれば、ご祭神・大名持命と少彦名命は、海から到来したんでしたね。
あのあたりの地形なんかを考えると、東からやってきたということになりそう。
もしかしたら、「美豆足国」が、二神の故郷だったりして??
  • ハワイ諸島の運命 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 13時04分

    道臣命の霊示が正しいと仮定すれば、美豆足諸島は太平洋プレートに乗って西進し、日本海溝に近づいて沈んでいったのでしょう。
     
    現在のプレートテクニクス理論によると、ハワイ諸島もミッドウェー諸島も同じ運命をたどるらしく、事実、ミッドウェー諸島の西には過去に沈没した島々が日本海溝にまで点在し、これを天皇海嶺(てんのうかいれい)と呼んでいます。
    ただ、美豆足諸島は比較的大きな島々であったため、徐々に沈みながらも、日本海溝近くまで西進してきたのでしょう。
     
    しかし、プレートテクニクス理論が提唱されたのは1960年代に入ってからで、道臣命在世記が書かれた1928年ではないのです。
     
    少彦名神は朝鮮群島(半島ではなく群島)に渡られた須佐男之命の末の子で、兄神たちが開拓されている国々の実状を見ようと、鶴に乗り大空を翔けているうち、地球上の陸地は日本列島を基点として西方へ末広がりに形成されてゆくことを悟り、このことを兄・八嶋士奴美神に知らせようと、日本にやって来ました。
    しかし、時すでに大国主四世(古事記では六世)の時代になっていたため、初めは言葉も通じなかったものの、賢い少彦名神は直ぐに言葉を覚え、両神は協力して国土の経営をされたということです。
     
    さらに、饒速日命についての記載もありますが、長くなりますので、またの機会に…。
  • 補足すると 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 13時11分

    当時の地形は、朝鮮群島の西方に浅瀬のような陸地が点在し、まだ大陸は形成されていなかったということです。
    荒深道斉氏の一連の著述によると、地球上の地殻変動の歴史は、現在の地質学の年代推定より一桁以上も短くなっています。
  • そういえば 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 23時25分

    ムー大陸だか、レムリア大陸だかは、実は日本の側にあった、という予言がありましたね(^^ゞ
    確か200何年かに、再び浮上する、という予言だったように記憶してますが、それからすると、外れちゃったのかな???
     
    なんにせよ、古代に文明を誇っていたが、沈んでしまった島。
    美豆足諸島にはロマンがありますね。
     
    しかし、梦宇様、その一大長編、ストーリーをよく覚えてらっしゃいますね。
    「愛読書」というだけある、というか、すごい記憶力というか。
    感服です(#^.^#)
  • 順不同のレスで 投稿者:梦宇 投稿日:04月22日 03時00分

    申し訳ありませんが、荒深道斉氏の著作・忍日伝天孫記(おしひのつたえてんそんき)にはムー戦争とアトランティス戦争のことも載っています。
     
    その一節、西極常夏島(にしはてとこなつじま:アトランティス)は大西洋のプレートの境界上にあったため、島の中央で噴火が起こり、島が東西に分かれ、その割れ目付近から沢山の宝石が出て、それを両島民が奪い合い、その騒乱が反乱となり、世界を相手の大戦争に発展しました。
    そして、40年の戦乱の後、反乱の首謀者は捕らえれ、「子々孫々まで罪を償え」と一族もろとも死海のほとりに追放される話です。
     
    もちろん、プレートテクニクス理論もホロコーストもない戦前の著作です。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時25分

    とすると、アトランティスは、「東」ではなく、「西」にあったのですね。
    とすると、美豆足諸島とはまた別。
    日本近海を攫ったら、かなり高度な文明を持っていた島がたくさんあるかも?
    なんて思わせますね。
     
    ところで、そのお話を伺う限り、アトランティス島は、まだ現存しているということでしょうか。
    反乱の首謀者は滅んだとはいえ、島自体は滅んでないということになりますよね?
     
    「海の底に沈んだ高度文明」
    というのは、人類共通の「太古の記憶」に記録された「事実」なんでしょうか。
    それとも、「人が夢に見やすいロマン」なんでしょうか。
  • もちろん 投稿者:梦宇 投稿日:04月22日 22時32分

    アトランティスは10100年余り前に起こった戦争の後に沈んでしまいます。
     
    西極常夏島ことアトランティスは、西経30度から50度、北緯20度から40度付近の海嶺上にあった、ニューギニアよりも大きな島であったと推定されます、
    そして、島の中央部にプレートが噴出して東西に分かれて行く境界がありましたので、島がプレートに乗って東西に分かれて行くに従い、海嶺からずれてきますので、ついに東西に引き裂かれつつ沈没して行ったわけです。
     
    しつこいようですが、この物語が記された昭和8〜9年当時にプレートテクニクス理論は存在しませんでした。
    しかし、西極常夏島の沈没の様子がプレートテクニクス理論通というのが不思議です。
     
    また、太平洋にあった東広野常夏国(ひがしひろぬとこなつのくに)は曾てその名のごとく広い大陸でしたが、2万年前の頃、一度国が乱れた後、徐々に陸地が低くなり、13400年余り前の頃にはすでに群島となっていました。
    そして、その頃再び国が乱れ、皇軍は苦戦の末に反乱を鎮圧しますが、島々の沈下は止まず、12000年程前の頃には完全に海中に没してしまったと記されています。
     
    つまり、ムー大陸は一夜にして沈んだのではなく、数千年のあいだに徐々に徐々に水没していったと記されているのです。
    ムーの人々は残っている島々に移住しつつ、子孫を残す魂の力が衰え、苦しむこともなく滅んでいったということです。
  • ちょっと整理させてくださいね 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 22時52分

    まず、西極常夏島はアトランティス。一万百年前に沈没。
    東広野常夏国は、ムー。一万二千年前に沈没。
    共に、「忍日伝天孫記」に登場する、ということですよね?
     
    忍日伝天孫記という題名からして、天孫について、忍日命が伝えた書物ということですよね?
    とすると、天孫が活躍したのも、一万年程度昔ということに?
     
    そして、神武太平記では、「美豆足諸島」と呼ばれている諸島は、ムー大陸が沈下し、群島となってしまっていた姿の可能性もありそうですね?
     
    いえ、その二つの書物が共に真実ならば、ですが(^^ゞ
     
    でも、なぜ、ムー大陸の人々は、日本列島までやってこなかったのでしょうね。
    魂の力が衰えたことで、滅亡を覚悟した、ということなのでしょうか。
  • 1万年ではなく 投稿者:梦宇 投稿日:04月24日 00時25分

    天孫降臨以来179万年間の記述です。
    ですから、霊示通りの橿原宮跡が発掘されたら、人類の歴史は根底から覆ってしまうわけです。
     
    忍伝天孫記には、ムーが沈み行く理由と、ムーの民が滅んで行く理由を述べていますが、その理由は荒深神道学を少々でもかじらないと理解できませんので割愛いたします。
     
    神職の階位検定試験に必要な神社本庁の神道学は「暗記する」知識ですが、荒深神道学は「悟って行く」道ですので、掲示板では説明し切れないのです。
    悪しからずご了承下さい。
  • 私が 投稿者:梦宇 投稿日:04月24日 01時56分

    荒深道斉氏の著作に魅かれるのは、古事記や日本書紀を何度読み返しても判らないことに対し(その是非は別として)即答が得られるからです。
     
    一例を挙げれば、何処の神社の神職さんにでも「宗像の三神について教えて下さい」と訊ねても、何の資料も見ずに即答できる方はまず居られないと思います。
    …と言いますのは、記紀をご覧になればわかるように、三神の御名が似通っている上に、古事記・書紀の本伝と各別伝に載っている御名がそれぞれに異なっているので、どなたがどなたやら皆目判らず、三神の御本社である宗像大社すら色々検討して三社の御祭神を決めたという経緯があるのです。
     
    しかし、荒深道斉氏は三神の御名と鎮座地を沖津宮はタキリヒメノ命・中津宮はタキツヒメノ命・辺津宮はタコリヒメノ命と明記し、その三柱の神を総称をイツキシマヒメノ神と申し上げると述べています。
    そして、荒深神道学をかじれば、何故宗像の三神はこの御名と鎮座地なのかということも理解できます。
     
    まあ、言ってみれば、古事記・日本書紀・古語拾遺などを読み返してアレコレ考えているより、「先に答えを見ちゃえ」ということで、道斉氏の古典解説を読んでいるのです。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 08時44分

    なんと179万年ですか。
     
    えぇっと、人類の発生は、約600万年前と言われているんですね?
    最古の人類に関する記事は今まで何度も読んだことがあるはずなんですが、年数を始めて意識しました(^^ゞ
    600万年の歴史を考えたら、その間に何があったかを想像しきるのは、至難の業ですし、それこそ、「歴史が繰り返し」ている、という想像もしたりして。
    即ち、180万年前と同じく、この先に、世界を統一する実力者が出る、と。
     
    私は、古代史に関しては「答えを知る」ことより、いろいろ想像して楽しむ方が好きなので、明確な回答がある書物にはあまり魅かれないかもしれません。
     
    それに、想像するだけなら、古事記・日本書紀・古語拾遺・先代旧事本紀・その他の古文書があれば、十分で、安上がり、ということもあるかも(^^ゞ

 

はじめまして 投稿者:もののべ 投稿日:04月21日 01時38分

今日初めて訪問しました。お諏訪さまのページがあって嬉しかったです。とゆうのも、私の一族は上諏訪で代々
氏子の代表をしておりまして苗字も当然(?)「守屋」です。たまに近所がどこも守屋なので(ついでになんとなく風貌も似ていて)
気持ち悪いですが、神聖な諏訪の地をお守りして幾星霜。誇るべき名前なのでしょうね。
最近自分のルーツじゃないですが物部の守屋に興味を覚えまして勉強しています。守屋家の親族は皆
自分の祖先は物部の守屋だと当然の様に思っているみたいですが、どうなんでしょうね。
出雲大社に思い入れがある人も多い様ですが、遠すぎるし関係無いと考える人も多いみたいです。
一族の大切なお山、守屋山は蛇神様をお祭りする雨乞いの山でもあるので、個人的には京都の貴船神社などに近しいものを感じたりしております。
でわ更新楽しみにしています。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月21日 08時03分

    モレヤ神については、私は全く勉強不足で、教えていただきたいことが、山のようにあります。
    どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
     
    私は、血筋的には、守屋公とは全く関係がないのですが、彼のお膝元に住んでいるため、親近感を持っています。
    子供のころから、3度(物心ついてからは2度)引っ越していますが、どこもここも、物部氏とは関係が深いんです。
    でも、物部氏は、系列氏がとても多くて、ただ、「物部氏」だけをキーワードにすると、何がなんだかわからなくなってきたりもします。
    本当にすごく広い範囲で、物部氏は活躍していますものね。
     
    出雲大社と守屋家の関係とはどのようなものだと考えてらっしゃるのですか?
    出雲の神々と物部氏は、「関係がある」とおっしゃる方と「ない」とおっしゃる方がおられるようですが、それぞれの意見を詳しく伺ったことがないんです。
    聞いても理解できないかもしれないし・・・とほほ。
     
    最後に守屋山は、雨乞いの山なのですね?
    どのような儀式をするのか、伺ってもいいですか?
     
    京都の貴船神社、奈良の丹生川上神社並びに天河弁才天など、雨乞いと山(というより山合や、山裾を流れる川なのかもしれませんが)に関連する神社は、多分たくさんあるでしょうけれど、それぞれが違う儀式で雨乞いを行っていたんでしょうか。
    それとも、すべて、どこか似ていたんでしょうか。
     
    興味はつきません。
  • サイト主様 投稿者:ひくもん改め日雲 投稿日:04月21日 12時42分

    このスレのみ、フォーマルに「日雲」で行かせて頂きます。
  • もののべ様 投稿者:日雲 投稿日:04月21日 13時10分

    はじめまして。横レス失礼致します。
    私、諏訪前宮参拝をきっかけに、日本全国の星信仰の神社を巡ることとなりました日雲と申します。
    >守屋家の親族は皆自分の祖先は物部の守屋だと当然の様に思っているみたいですが、どうなんでしょうね。
    このお言葉、私の調査研究にとりまして、極めて興味深いものでした。
    諏訪前宮の氏子様方にとって、物部守屋が如何なる存在として実際に捕えられているのか、といったようなことは、文献や短い参拝や滞在時間ではなかなか調べられることでは御座いませんし、また、
    >守屋山は蛇神様をお祭りする雨乞いの山でもあるので、
    この点も興味深く拝見させてせてていだきました。
     
    初対面からいきなりと色々ご質問させていただく訳にも参りませんが、前宮と本宮の中間付近の斜面上にあります北辰神社についてなど、お伺いしてみたいことは本当に沢山御座います。
    ことに、もしかしたらここから諏訪前宮と秩父の関係について、ある程度の解明のメドが立つのではないかと若干興奮気味ですらあります。
    (時に、秩父神社の地主神的な位置に、かつて「神宮司」という祠が祀られ、またその神体山とされた武光山に、「大蛇窪」という大蛇の住むという洞穴や、「雨乞い岩」という
  •  投稿者:日雲 投稿日:04月21日 13時24分

    祭の祀場があったこと、さらにはその武光山にあった神社群の祭祀を任されていたのが、物部守屋の裔であるとの伝承を持つ「守屋氏」であったこと、ついでに武光山の北麓に「大星神社」というお宮もあったこと(全国的に見て極めて珍しい社ですが、茅野市内にもございますね)、などは御存知でしたでしょうか? 秩父の一部には、「我々は諏訪から来た」という口伝も残っております)。
     
    私は日光二荒山や秩父と、諏訪前宮には極めて深いつながりがあったかと見ております。
    諏訪守屋が解らねば、東日本の古代は解るまい、と。
     
    >誇るべき名前なのでしょうね。
    ハタから見ております分には、そのようにしか思われません。
    ともあれ、以後、お見知りおき下さいませ。
    よろしくお願いたします。
     
    (途中で送信を押してしまったようで、変なところで解れてしまいました。すみません)
  • 知らないことだらけで。。。 投稿者:もののべ 投稿日:04月22日 00時17分

    管理人さま、日雲さま>
    昨夜は深夜にお邪魔致しました。ところで、ご質問を頂戴しまておきながら申し訳ないのですが、余りというか、殆ど詳しいことは私にもわからないのです。年も若く、現在は諏訪も出ていますもので。(近いですが)逆に教えて頂きたいことが満載なんですが。。。
     
    で、頼りなく聞きかじった範囲でお答えするにしても、正直皆様の方が詳しいです。実際氏子などしておりましても、国造家の方々とは違い民間信仰レベル及び年中行事に近いものがあり、余り皆意味など考えていない思われますので。その辺ご了承願います。
     
    まず出雲族と守屋の関係についてですが、これはどうも微妙です。よく古事記などの云われから出雲族と諏訪古民との関係が言われるそうなのですが、余りそのことについて言う人はおらず、「出雲は出雲、諏訪は諏訪」という感じの方が多いようです。郷愁みたいなものは一切無いですね。興味がある。位の感じでしょう。但し、「上諏訪の守屋家は神域をお守りする別格の古族だ!」といったようなよくわからない選民感覚は殆どありませんので、国造家一族の方とはその辺からしてちょっと違いますでしょうね。生活密着型ですし。個人的には(感覚ですが)超古代に似たようなルーツを持つ別々の一族かと思います。
    また、物部との関係も突っ込まれたら「正直わからん!」という感じでしょう。(すみません)ただ父などはなんだ先祖かもしれないので(一応)敬うように!と教えられたと言ってます。いい加減ですね。ただそれは現実の御山や蛇神様のお世話が大変なので、ルーツや由来のよくわからない古事記の世界にまで気が回らないということかと思います。また特に上諏訪においてはそれで良いのかな、と。日々の生活に根付いた信仰に関しては、それこそ根っこは物部氏を遥かに遡る古代信仰かと思われますので。そちらのお守りを絶やさずこつこつやって行くのが第一番の大事でしょう。そういった観点に立ちますと、御柱も諏訪大社も、ごく最近の出来事、モニュメントに過ぎないという気がする守屋家の今日この頃です。
     
    その他のご質問、特に日雲様のお話はちょっと難しくて。。。すぐにはなんともお答えできませんです。ただ私の親族にも何人か秩父住民がおり、古諏訪宜しく庭で猪を飼ったりしてるということだけは申しあげたいと思います。内容の全く無い長文失礼しました。勉強して出直してきます。
  • 帰ってきた日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時33分

    もう、どんな名前でも(笑)
  • もののべ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時39分

    もののべ様の感覚では、出雲族と、守屋族は、
    「似てるけど、ルーツは違う」
    っていう感じなんですね。
    そういう、当事者の方の「感覚」って、すごく参考になります。
     
    もし聞いてよければ、「お山」「蛇神様」のお世話とは具体的にどんなことなのか教えていただいていいですか?
    お山のお世話というのは、考えるだけでも大変そうですね。
     
    でも、お話を伺っている感じでは、「守屋山」は、もののべ様のご親族や地元の方にとって、すごく大事なお山なんだろうな、と感じます。
    お山は、すごく大事にお世話されているんだろうな、と思います。
     
    この掲示板は、管理人がいい加減な性格なので、時には(というかほとんどそうですが)、話が脱線しきって、「ここはどこ?」というような話題になってしまうことがあります(^^ゞ
     
    どうか、固く考えずに、気軽に書き込んでくださいませませm(__)m
  • 私も横スレ 投稿者:QUBO  投稿日:04月22日 01時41分

    もののべ 様  はじめまして
     
    建御名方命は、私の大好きな神様なので横スレ
    だいぶ考え方は違いますが、ご容赦ください。
    日雲さんにならい「QUBO こと 習志野のてつ」ここだけ
     
       建御名方命と洩矢神ストーリー
    出雲の国譲り(出雲覇権戦争)に敗れた建御名方命は、信州上田から進入。信州連合の長を兼ねる、土地の神である(生島足島神社に坐)生島足島の神に、一年がかりで懸命に奉祀し、信州の地に住むことを認められました。ただし「まあできるものならやってみなさい。止め立てはせんよ。」程度であった。
    さて上田から諏訪にきてみると、地元の洩矢神は怒っていた。『信州連合の長「生島足島の神」が認めたとて、わしは認めないぞ。来るなら力ずくで来い。』
    諏訪神(建御名方命)と洩矢神(モレヤの神)の争いとなりました。
    争いは建御名方命の勝ちでした。だが出雲の国譲りとは、この先が違います。
    建御名方命は気はやさしくて力持ち。とてつもなくいい男なのです。
    建御名方命は敗れた洩矢神に言いました。「共にこの地と民を豊かにしようではないか。」
    その男気に洩矢神はまいりました。「恐れ入りました。私はあなた様の部下となりましょう。」
    かくしてモレヤ一族代表は、諏訪神を祀る第一の神官(神長官)となり、一方建御名方の子孫の長は、現人神として祀られる事になりました。
     
    洩矢神 → 神長官 守矢 → 守屋 となったのです。
     
    私の考えでは、物部守屋が生まれるより遥か昔の話です。場合によっては縄文晩期の終わり頃か、弥生前期(2300〜2200年前)だと思います。
    海洋民系稲作農耕開拓一族と、金属精錬一族の争いと共存の話と、勝手に解釈しています。
  • もののべ様 投稿者:日雲 投稿日:04月22日 02時34分

    >勉強して出直してきます。
    いえいえいえいえ、どうぞマターリとごゆっくりなさってってください、こんなむさくるしいところですが(あっ、口滑った)。
    >民間信仰レベル及び年中行事に近いものがあり
    こういうことが何より重要なので御座います、その時代時代その都度都度の体面などに歪まされずに、諸々が「正確に残る」場合が少なくないですから。
    それに、地元では常識ということが、意外と本には載っていなかったりもするものですし。
    例えば、守屋山が雨乞いの山であったとかいうことなど、随分色々読んだつもりだったのですが、私は読み聞きしておりませんでした。
    「守屋山に雲がかかったら雨が降る」
    とかいう伝承があるなどといったことは読んでおりましたが、「雨乞い」の記述にはこれまで出会っておりませんで、それで、
    「おかしいなあ、諸々考え合わせると、雨乞いやってなきゃおかしい山なんだけどなあ?」
    と訝しんでいたところだったので、かなり、
    「キタ――――!」
    という感じだったのです。
    >現実の御山や蛇神様のお世話が大変なので
    というあたりなども、もうすでにして若干身を乗り出し気味ですし。
    「蛇神様」をお祀りするお社が今もあるのでしょうか?
    (ミシャグジ様のこと……?)
    >私の親族にも何人か秩父住民がおり、古諏訪宜しく庭で猪を飼ったり
    って、もう、耳寄り情報満載なんですけれども……(TдT
    そのお家の氏神様はやはり諏訪神社になるのでしょうか?
     
    ――と、あまり畳み掛けてお聞きするのも失礼に当たりましょうから、あまりはしゃがないようにさせていただきますが、とにもかくにも、
     
    >そちらのお守りを絶やさずこつこつやって行くのが第一番の大事でしょう。
    というスタンスで、どうぞこれからも諸々お守りゆき下さいますよう、赤の他人では御座いますが、よろしくお願い申し上げます。
  • のり姐タマ 投稿者:日雲ん 投稿日:04月22日 02時41分

    >むさくるしいところ
    ウ♪ソ♪ ステキよ〜♪ ビバビバよ〜♪(意味不明)
  • てつ様 投稿者:日雲 投稿日:04月22日 02時45分

    >洩矢神 → 神長官 守矢 → 守屋
    ここの展開に、どう「物部」が入るかですね。
    モリヤつながりだけで「物部守屋」が想起されて、
    そう想起されただけで、守屋山山頂に物部守屋祠が作られたり、
    北辰神社に「物部」姓の名が刻まれた灯篭が寄進されるところまで行くものかどうか、という。
    (燈篭は
  • またやってしまいました 投稿者:日雲 投稿日:04月22日 02時50分

    (燈篭はそう古い物じゃないようでしたが)
    どこかの時点で「物部」と「守屋」が揃った状況が出来たから、
    そんなら「物部守屋だろう」となったのではないかと、
    私などは思うのですが……しかし、どの時点でどう「物部」が絡んだのか、が解らないんですよねえ。
     
    ところで、ノートPC買い足しまして、それで打っておりますので、ミスタッチが多くなっております。
    それで間違って送信しちゃったりするんですが、
    ご容赦下さいませね、殊に管理人様。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時36分

    「習志野の〜」様とすべきか、と悩みましたが、投稿者名にてレス(~_~)
     
    建御名方神と、洩矢神の争いの結果、この二種族が共存できたというのが、素敵ですよね。
    どういう経緯で、この二神が、友情を結んだ(友情というより、主従関係を結んだという方が正しいのかもしれませんが)かは、想像するしかありませんが、この想像は、なにか心地よいものがありますね。
     
    建御名方の神は、国譲りの場面でも、大石を掲げて登場するなど、何か、豪快でさっぱりした気性を思わせます。
    この神様と信頼関係を結んだ、洩矢神も、さっぱりした気性の神様だったんでしょうね。
  • 日雲様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時42分

    >ビバビバ
    どうせなら、ビバノンノンにしといて。
     
    >守屋山に雲がかかったら雨が降る
    全然関係ないかもしれないけど、高野山の「七不思議」として語られる、
    「金髪碧眼の人が入山すると雨がふる」
    という伝説を思い出しました。
    「金髪碧眼の人」というのが、単に、海外からの旅行者という意味で言われるのか、それとも、何かを「象徴」しているのかはわからないけど。
     
    高野山は、雨乞いの山ではないかもしれないけれど、弘法大師は、雨乞いでも有名だし、彼が雨乞いの儀式にしようした宝珠が埋まっている場所でもあるし。
    なんとなく、同じような匂いを嗅いでしまうのですが。
     
    >ミスタッチ
    それを責めることができる管理人は、この掲示板にはおらんしぃ・・・。
  • 建御名方命 投稿者:QUBO  投稿日:04月22日 11時20分

    のりちゃん 様
    >この想像は、なにか心地よいものがありますね。
    そうでしょう。この優しさに縄文的なものを感じます。
     
    「気はやさしくて力持ち、建御名方命は良い男。」パート2
    天孫族に攻撃され、出雲を出た建御名方命は、人気者でした。
    敗者であるにも係わらず、多くの人々に慕われていたのです。
    建御名方命が直接率いた諏訪族以外に、二古族が従いました。
    「北からの攻撃は、私共が防ぎます。」… 安曇系穂高一族。
    「西からの攻撃は、私共が防ぎます。」… 吉備系阿智一族。
    阿智族が守ったのは東山道の最大の難所であった神坂峠です。
    念のため、付従ったのは、その大きな一族の一分派です。
    大部分は天孫系に付き従っています。
     
    後日談があります。
    信濃国は、大和政権に従わない為、攻撃されます。日本武尊です。
    日本武尊は、西と北の2方面を避け南の甲斐国から攻撃します。
    失敗して方向転換。神武東征の逆バージョンです。
    東の群馬方面からの突入に成功。そのまま東山道を尾張方面に
    向かい、途中昼神たる阿智一族も撃破したのです。
     
    著名な某掲示板の神名帳、阿智神社をご覧下さい。
    http://www.kamnavi.net/en/sinano.htm
  • 石和の物部神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月22日 19時34分

    当事者の方の意識だけは本から得られない情報だから貴重
    ですよね。ご当地出雲でも「本家本元ウチの!」という
    気負いは全く無いのですがね(汗)。
     
    >雨乞い
    漫画ネタで非常に恐縮ですが、『日出る処の天子』に
    石上神社の神宝として七支刀が出て来て、確かこれを
    使って布都姫が雨乞いをやったと思う。。。
     
    >石和、物部神社
    さて、山梨県石和の物部神社に行って参りました。
    石和自体は平地なんですが、北の駅を超えると山があり、
    その登り口に神社はありました。神社に向かう前に
    「延喜式内物部神社」という石碑があり、さらにお社に
    続く石階段を登って参拝して来ました。
     
    説明版によると、山梨の郷、御室山に鎮座していた物を
    移したそうです。古今集に「神垣の御室の山の榊葉は
    神の御前に茂り合いけり」と詠じられ、後醍醐天皇が
    延喜制度を制定した折、一の宮に指定されたそうで、
    そう言えば今回の石和訪問で一番に訪れたほうとう屋
    には、大きな柱に「一の宮」という札が沢山貼られて
    ました。
     
    他に神社に奉納された和歌が四句ほど書いてありました。
     
    前に紹介に預かった神奈備さんの(だっけ(^_^;))
    全国物部神社表みたいのでも、山梨県にはあまり無かった
    ので、うん、天皇の命令でも無ければ無いものなのかな、
    とは思いましたが、一の宮の地名がココに起因してたのは
    流石に知りませんでした。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 22時33分

    元宮ひろしの「赤龍王」でしたっけ。
    劉邦の物語。
     
    劉邦は、民衆から愛され、遂には、項羽を破ったんでしたね。
    建御名方神も、さぞかし民衆から愛されたでしょうね。
     
    阿智族・・・というか、思兼命については、かなり興味を持ってます。
    思兼命を「阿智彦」と呼ぶのは、「ホツマ」だけでしょうか?
     
    思兼命=蟻通神=阿智彦
    丹生都姫=ワカ姫
    だとしたら、
    「丹生と蟻通がワンセットになっているように見受けられるのはなぜ?」
    という疑問にひとつの答えが出るのに。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 22時44分

    そうそう。
    「日出処天子」で、七支刀をもって雨乞いの儀式をするというシーンがでてきましたね。
    よくわからないんですが、古代から中世に於いて、一番頻繁になされた祈祷は、雨乞いかもしれませんね。
    その他によくされた祈祷は、
    「疫病除け」や、「病気平癒(実力者の)」なども考えられますが、干天は、不作の原因になり、不作による食料不足は、疫病の流行の引き金になったでしょう。
    そうすると、疫病除けに先駆けて、雨乞いの儀式をし、それが叶わなければ、疫病除け・・・という順序になることが多かったんじゃないかな?と想像します。
     
    ただ、雨乞いをするエキスパートも存在したと思うんですよね。
    「ここで祈れば、雨が降る確率が高い」
    「この一族が雨乞いの儀式をすれば、よく雨が降る」
    などと。
     
    それが、奈良で言えば、丹生川上や、天河、など。
    京都でいえば、貴船など。
    そして、今回教えていただいたように、諏訪ならば、守屋山だったりする、ってことじゃないかなって思ってます。
     
    ところで、物部神社は、もともと「御室山」に鎮座していたんですね?
    「御室山」って、「ミムロヤマ」って読むんでしょうね?
     
    奈良の側に住んでる人間としては、「ミムロヤマ」って言われたら、「大三輪山?」って考えちゃうんですけど・・・。
    大三輪山の別名は、「ミモロヤマ」ですから。
    なんか関連あるのかなぁ?
    考えすぎかなぁ・・・。
     
    なんにしても、レポートと写真、楽しみに待っておきま〜すヽ(^。^)ノ
  •  投稿者:ZOU 投稿日:04月22日 23時48分

    >「蛇神様」をお祀りするお社が今もあるのでしょうか?
    (ミシャグジ様のこと……?)
     
    というあたり、みなさんの御意見を私も大変興味深く読ませていただいております。
     
    >大三輪山の別名は、「ミモロヤマ」ですから。
     
    御室山・御諸山・三室山・・・同じようなものですね。「室」が入ると『蛇の室(ムロ)』みたいに蛇に関連付けられて解釈される場合もありますね。
     
    ZOU@蛇神ファンでもありました。
     
    ところでイセツヒコは諏訪に関係してるんでしょうかね?「風土記逸文」では諏訪に吹っ飛んでいったようですが、その後は??
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 08時05分

    「ムロ」=蛇の室っていう考え方もあるんですか?
    知らなかった。
    大三輪山はもちろん蛇神様と関連がありますが、物部神社が鎮座していたという、御室山はどうなんでしょう?
    波牟許曽神社の案内板に、「蛇神といえば物部」というような言い回しの説明があったのも、気になってるんです。
     
    でも、蛇って、神秘的で、「これこそ神様だ」と思う人はたくさんいそうにも思うんですけどね・・・。
  • ZOU様 投稿者:ひくもん 投稿日:04月23日 21時37分

    風土記だと、諏訪というより信濃ということのようですが、どうしたんでしょうね、本当に?
    信濃に点在する伊勢臭いものと言えば、伊雑宮の分社が想起されますが……?
     
    しかし、飛んで逃げる時に、夜なのに辺りを昼のように明るく照らして行ったということをもって、
    「伊勢土着の太陽神だったのであろう」
    とする見解がまま見られますが、
    「夜に光って飛ぶんなら流星と違うんか」
    ――と、本気で思っている訳でもないんですが、あまりに誰も出さない見解なので、一回くらい言ってみておきたかったりして。
     
    時に、伊雑宮にも民間の星信仰があるようなんですよね。
    現在の皇大神宮別宮としての「天照皇大神御魂」とは異なった形で。
    神宮としては認めていないが、民間にはある、と、神宮の人が言っておりました。
    この辺には何が秘められておるのやら……?
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 22時21分

    >皇大神宮別宮としての「天照皇大神御魂」とは異なった形で
    ってことは、天照皇大神御魂(荒魂のほう?)も、星神と見る信仰があるということ?
     
    天照大神の荒魂っていうと、神宮皇后を先導した場面の印象が強いけど、海で先導するのは、「星」だからかな?
     
    そこらへん、キリストが生まれたときに、博士らを先導した、「ベツレヘムの星」の影響もあるのかなぁ?
    それとも、星が何かを先導する、というのは、あちらこちらで見ることができるモチーフなのかな?
  • >天照皇大神御魂 投稿者:ひくもん 投稿日:04月23日 22時45分

    >(荒魂のほう?)も、星神と見る信仰があるということ?
    あ、違うの違うの。
    どう云うたらいいんかな、状況としては、
    「実際は祭神不詳」
    というに近いっつったらいいのか……?
    現在、伊雑宮に掲げられてる祭神は、こんなこと言うたらアレかも知れんけど、要は、
    「皇大神宮サイドの見解」
    なのね。で、一方、民間にはその見解とは異なる、
    「何らかの星信仰」
    があるらしい、っていう。
    例えば、伊雑宮はお田植え祭りで有名だけど、この時に出るでっかいウチワには、
    「太一」
    って書かれてるのね。
    通常、太一といえば北天のことを言うんだけど、
    「皇大神宮サイドの見解」
    では、これも天照皇大神のことだ、ってなるわけ。
    この「太一」の見解が異なるが如くに、「伊雑宮」の祭神についての見解も異なっている――という風に、私は現状を捉えておりますけれども。
     
    じゃ、因みに、伊雑宮にある民間の星信仰ってどんなんだ? っていうと、これは未調査。
    その信仰スジの地元の実力者さん的な人もいらっしゃるらしいけど、まだお話伺いに行っておりませんで。
     
    ついでに言えば、伊勢外宮から内宮にかけて、ダビデ紋(六茫星)の刻まれた石灯籠がズラリとあるってよく言われるけど、これが作られた時、発注者が石工さんに、
    「これは伊雑宮の裏紋だ」
    って説明したって話があって、その辺、ちょっと気にかかるわね。
    六茫星は八星信仰のある国東半島の山でも雨乞いの時に使われてるし、ある種の星信仰のマークだったのかな? とか。
     
    って、この八星信仰についても、まだ未調査なんですけども(;−−
  • ZOU様 、日雲様 投稿者:QUBO  投稿日:04月24日 00時10分

    ふっふっふっ。
    これはまだ内緒話ですが、特別にお教えしましょう。
    (内緒=アホクサとご理解下さい)
     
    伊勢津彦は八風にのって飛んで逃げ、諏訪に到った。
    その地の主へと挨拶にきた伊勢津彦に、建御名方命は言った。
    「東のほうは空いてる。あの辺をあげるよ。うまくおやりなさい。」
    この一言で、伊勢津彦は毛野国との国境の地をもらった。
     
    上信越自動車道(関越自動車道上越線)の群馬と長野の県境に
    「八風山トンネル」が有ります。伊勢津彦は、八風を起こし、
    諏訪から更に飛んできたのが、この八風山辺り。
     
    ゴールデンウィーク等には渋滞をおこし、交通情報のニュース
    になっています。渋滞の車の中で「空を飛べたらなー」と妄想を
    起こしやすいところです。(←八風の影響:ウソです)
    駅弁の「峠の釜飯」で有名な横川も、すぐちかくです。
    実は、前に書き込んだ日本武尊の侵入ルート(群馬から長野へ)の可能性大。
     
    阿智一族の守った神坂辺りも、中央自動車道「網掛けトンネル」、「恵那山トンネル」と続く処です。峠越えであれば、大変な難所でした。
    難所であるが故に、現代はトンネル化したのでしょう。
  • ひくうもおん様 投稿者:ZOU 投稿日:04月24日 00時27分

    >信濃ということのようですが
     
    おっと、そうでしたか。感謝ですm(__)m
     
    >夜なのに辺りを昼のように明るく照らして行ったということをもって、
     
    やっぱ、台風でしょうか??
    志摩半島の先っちょの波切神社には一つ目一本足の伝承があって、ワラジ流しの神事まであるわけですから、こりゃタタラかダイダラボッチかなと思ってたんですよ。で、以前に波切の神主さんにそのことを聞いたら「台風です!」と言い切られてしまいました。あっちの人って台風に何か一言あるのかなあ・・・?
     
    >「太一」って書かれてるのね。
     
    こうなると、民俗学者の「陰陽五行」の吉野裕子氏の出番でしょうね。σ(^_^)あの本は読んでないんです・・・(^_^;) スマセン。
     
    >ダビデ紋(六茫星)の刻まれた石灯籠
     
    神奈備さんちでこの話が出てましたが、こうなるとさらに裏がありそうですね。で、伊雑宮と並ぶ別宮の瀧原宮は伊勢津彦神を祭っていたと本で読んだことがあります。伊雑も瀧原も裏にはもっと何かありそうですね。
     
    ところで、たしか伊雑宮をお好きだとおっしゃってたのは日雲さんでしたっけ? 実は私には磯部の血が八分の一ほど流れてまして、ちと気にかかったんです。それと伊雑がらみでヘンな夢を見たことがあるんで、あらためてUPさせて頂きますね。
  • 青草なんですか? 投稿者:ZOU 投稿日:04月24日 00時39分

    QUBO様
    うわあ、興味深い話があるんですね。
    たしかにタケミナカタの方が先行して諏訪入してますよね。知人(QUBOさんも御存知の方)はタケミナカタのことを出雲武雄かもと見当をつけたんですが、対してイセツヒコは出雲健子。なぜか似てますねえ・・・
     
    >「恵那山トンネル」
     
    トンネルを抜けると・・・
    高速料金がはね上がるのであった(^_^;)

 

神さまってなんでもあり 投稿者:ZOU 投稿日:04月18日 00時48分

櫛玉比女命神社のスレに続く話なんですが、話題が変わりそうなのであらためます。
 
タカミムスヒの名が出ましたので少し。
こいつを含む造化三神ってよく架空だといわれますよね。道教の影響とかなんとか。その延長で、ある精神分析学者は日本神話の「中空構造」を言ってるんです。ほら、造化三神でもアメノミナカヌシは動きが無い、三貴子でもツクヨミは(あんまり)動きが無い、火中出産三神でもホスセリは動きが無いなどなど、日本人の精神性の分析ですね。
 
ところで、邪馬台国九州説の論者で、アメノミナカヌシを「ナカ国」の王という人もいるし、「古代**正史」ではタカミムスヒをオオヒミコムチの愛人だとか言ってたんじゃなかったっけ(^_^;) はたまた高木神という名から、のりちゃんが言われるように「エッダ」みたいな巨木信仰があったと見る人もいるし。
 
スサノヲだってそう。記紀のスサノヲと風土記のスサノヲは別だとか、いや、あっちに書いてない部分をこっちに書いただけだとか、アメノフユギヌがもう一人のスサノヲだとか、朝鮮半島の王がこっちに来たとか、まてよ、句奴国王じゃないの?とか。
 
ニギハヤヒなんか「大和の国魂」という人もいれば(国魂が子を造るかい!)、私みたいに、トミビコに食わせてもらってたスパイ野郎だと思うヤツもいるわけです。
 
神さまの解釈って、超越者として存在するか、人として存在したか、またはどっちみち架空かなんて、結局どうにでも考えられるんでしょうね。もちろん敬うも敬わないも自由でしょう。なんでもあり!
 
私はのりちゃんと対象的に「説」ばっかり読んでるので、んなこと考えてしまいます。
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時47分

    カバラに、完全なる人である、「アダム=カドモン」が、下層に降りてくるにつれて、肉体を身に纏った、私達人間と「近く」なってくる・・・というような考え方がありますよね。
    多分、ZOUさんの方がお詳しいと思うけど。
     
    それとはちょっと違うけど、「神様界」ってのも、いろんな「層」がある。
    それはもう、人が考える「神様界」分だけある。
    というような感じで受け止めております。
     
    って、カバラというより、パラレルワールドに近いかも?
    そう考えれば、どの「神様界」も、実在するわけで(^^ゞ
     
    まさに、「なんでもあり」。
     
    どの「神様層」を選ぶかは、好みに応じればいいと思います。
     
    私は、ヘタレなので、できるだけ、神様みんなが仲良くしてるところがいいなぁ、なんて。
     
    神様達による、戦国時代も面白いですけどね(#^.^#)
  • カバラのように 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 15時29分

    人類が霊的な存在から徐々に肉体を固めてゆくという説は、荒深道斉氏の著作にもあり、皇孫ニニギノ命は天之磐座(あめのいはくら)を離れます時は光身(ひみ)であり、天之浮橋に立たせます時は風身(ふみ)に凝り成り、高千穂の奇古峯(くしふるたけ)に降り立たれた時は霞身(みみ)となられたと記されています。
     
    しかし、なお幽身(かくりみ)に坐して、大祓詞にあるように天之御蔭(あめのみかげ)日之御蔭(ひのみかげ)という幽対のまま現世を治めること80万年、御世を御子・日高日子穂能邇邇岐命(ひたかひこほのににぎのみこと)に譲り、神避られました。
    そして、天上に昇られた初代ニニギノ命は地球神界の最高神として地球の統治されていると記されています。
     
    ニニギノ命こそ地球の最高神であるという話は、本邦スピリチュアリズムの草分的存在である浅野和三郎氏が記した「霊界通信・小桜姫物語」にも載っています。
     
    小桜姫というのは、戦国武将・三浦義光(義意)の妻であった方です。
    姫の死後、姫の霊が三浦の地を台風の災害から守ったことを感謝した地元民は、現在の三浦市三崎町の諸磯神明社境内の若宮に姫をお祀りしました。
    そして、その小桜姫が浅野和三郎夫人の口を借りて語った話をまとめたものが「霊界通信・小桜姫物語」で、この本は今も売られています。
  • 対ではなく 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 15時42分

    体です(^^;
     
    戦国武将・三浦道寸(義同)、その子・荒次郎義意、義意の奥方・小桜姫は実在の人物で、その三浦氏を滅ぼしたのが北条早雲ですから、これを大河ドラマにすれば面白いと思います。
     
    ただ、小桜姫が死後霊界で修行する段になれば、キリスト教徒や仏教徒から非難轟々の声が上がるでしょうから、やっぱりNHKでは放映できませんね。
  • 小桜姫物語は 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 15時53分

    途中まででしたら、
    http:www.paperbirch.com/sakura/
    で読むことが出来ます。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 23時31分

    い・・・いろいろありますねぇ。
    私、教派神道についての知識が全くないので、「ひみ」→「ふみ」→「みみ」への変化というのが、珍しいものなのか、いろんな教祖様がおっしゃってることなのか、知らないのですが、なにやら、神と御子と精霊・・・の関係を思い出します。
    霊感やら、直感やらいうものを全く持ってない私なのですが、キリスト教にしても仏教にしても、「霊的な世界」は、どこか似ているのでしょうか?
     
    小桜姫物語、また機会見つけて拝見します・・・。
    なんか頭こんぐらがりそうで(^^ゞ
  • 神様といえば 投稿者:QUBO 投稿日:04月20日 23時54分

    ユダヤ教の神と、キリスト教の神は、同一の神?のようだ。
    イスラム教で言うところの神も、唯一神であるなら、
    同じ神様の違う名前と言うことなのだろうか?
    それとも元祖と本家のように、お互いに唯一と言い合っている?
    つまり全然別物(元は親戚)なのか?
    はたまた、のりちゃん説「パラレルワールド」か?
     
    一神教が、多神教より進んだ宗教などと、だれが考えたのだろう。
  • 一神教? 投稿者:あかがね 投稿日:04月21日 00時27分

    ユダヤ教の神も最初は沢山いたという話を聞いたことがあります。
    もっと言うと部族の数だけいたという。
    政治的に統合する過程で一神化した…と。
    ギリシャとか日本は統合し切れなくて並列化している訳で、
    それが中央集権化の進み具合を反映しているのであれば、
    一神教の方が多神教より「進んでいる」というのは
    一つの考え方として成り立つかもしれません。
    無論他にも宗教と言う非合理的な概念を評する尺度なんて
    無数にあるわけで優劣を論じることなぞ無意味そのものでしょうが。
     
    一神教にしても本当は人の心の数だけ神はいると思うのですがね。
    …などというのは無神論の考え方なのでしょうか…。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月21日 07時47分

    一神教同士は、やはりどうしても相容れることはできないでしょうねぇ。
    同じ名前の神様を崇拝している国同士でも、その理解の仕方によって、対立したりしますから、単純じゃないですよね。
     
    ただ、私は宗教同士の争いは、神様同士の争いではなくて、権力者が神様を利用して争ってるだけにしか見えないんで(^^ゞ
     
    宗教は人をある程度洗脳する、というのは、客観的に見れば、ある程度事実のようですが、洗脳してるのは宗教じゃなくて、その宗教によって利益を得ようとする一部の権力者だ、とも思いますです。
     
    てなことを考えれば、エホバもキリストもアッラー(敬称略)も、どっか神様の国で、お互いにお茶でも飲みながら、
    「やれやれ、かなんで」
    とかおっしゃってるかもしれないですねぇ。
     
    やれやれ。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月21日 07時52分

    多神教が一神教に統合されていくのが、「政治的」な策略だったとしたら、必ずしも、それが「進化」でもなさそうではありますよね。
    人間の「進化」が「進化」ならば・・・っていうかlベクトルの向きが、時間の向きと同じならば、「進化」だし、ベクトルが真の意味での宗教の完成と同じ向きならば、もしかしたら、退化かも?
    なんにせよ、進化か退化かは、人間にはわからんでしょうね。
     
    人の心と同じだけ宗教はあるってのは、(多分、熱心な一神教の信者さんには怒られるでしょうけど)私も同じように感じます。
    同じ教会に通う、同じ程度に熱心なクリスチャンの方々に個別に話しを聞くと、話が食い違ってる・・・なんてこともありますし。
    でも、その二人が、「どちらが正解」とさえ言い出さなければ、OKなんだような。
    ・・・なんていうと、やっぱ不信神だといわれちゃうかなぁ(^^ゞ
  • 旧約聖書を 投稿者:anne猫 投稿日:04月21日 08時50分

    読破しようとしていつも途中でこの神さまはなんかな〜と思ったり、登場人物があまり性格よくないな〜と思ったりしていまだほっぽりだしております
     
    誰かがゆってたけど宗教って氷の塊みたいなもんで溶けたらひとつになっていきつくところは皆同じなんだって?
    むづかしいことはよくわからないけど、歴史好きの私には外からながめる癖がついてるので中にはいりこんで宗教にのめりこむことはないでしょう
    お寺や仏像、キリスト教のイコンとか美術史的に見て単純に「美しい!」と思っちゃうというか節操がない?
  • 多神教? 投稿者:あかがね 投稿日:04月21日 17時57分

    「進んでいる」かどうかというのは複雑多様な宗教をたまたま何か一つの数直線に載せることが出来た時に、その右か左かで「進んでいる」とか「いない」とか言うだけでそのうちのたまたま一つのものさしが絶対化できるなどというのは、それこそ「宗教的」な考えです(意味不明)
    時系列とか発展とか言うのであれば、「汎神論」とか「無神論」が一番進化した姿であるような(爆)
     
    神道が「多神教」だというとこれも一様に信じられない部分があります。
    だって各村には村の、一族には一族の神様がいますよね。で、争いもある。宗教だけが原因かどうか分かりませんが。そうしてみると神道(というか日本教)はなりそこないの一神教なのではないかという気もしてしまうのです。
    ま、政治的統一がいくら進んでも一神教にはならずにヒエラルキーが出来るだけかもしれませんが、とにかく共存というのは疑わしい部分が残ります。
     
    だいたい神様のご神威というやつが、それを奉る一族やら村の勢威とパラレルであるということ自体が胡散臭い。これは卵とひよこなのでしょうがないといえばそうなんでしょうが、いずれにしろ「宗教の存在意義」が非常に生臭い「世俗」に引きずられる現実がありありです。
     
    …えらい批判ばっかしみたいなんですが、個人的には「多神教の神道」というやつを信じたいし、21世紀的な宗教のあり方のモデルとか言ってよいしょしたい気持ちなんですけどね。歴史を見るといろいろあるってことで。
  • 根が縄文なもんで・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:04月21日 21時26分

    基本的に我が家は、無神論者というか、宗教無節操な
    環境なのですが、最近は考え方が変化してきて、
    アニミズムって古くて新しいなどと思ってます。
    神社巡りや、きれいな自然、天候の変化の不思議などに
    出会うときなど、訳もわからず感動したり、ハイになったり・・・そんなときって、自然に人間以外の不可視の
    存在を思ったりしませんか?
    私は、神さまとふれあうって、こんな感じなのね、なんて
    思ってますが(^^;
    現代人より、五感の感性の鋭かった古代の人々なら
    なおさら森羅万象に神を見たのではないでしょうか?
    時代とともに素朴なアニミズムから、民を統治する為の
    宗教になっていっても全てのモノに神を見る、ということは、普遍だと思います。
    最近、いろんな分野の方(おもにアーティスト系)の
    あいだに、ネオアニミズムとでも呼べそうな動きが
    ありますよね(^^)
    私もその動きに、一票といったところです(笑)
     
    基本、宗教って、自分を高め、善き方向へ成長する為の
    ツールだと思うんですが、どうでしょ(・_・)?
     
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時30分

    旧約聖書で、まずはじめにひっかかるのは、
    「どうして、エホバは自分の『創造物』を試したりするのか」
    ってことですね。
    そこに、なんとなく、非常に「人間的」な、絶対神を見てしまうんですが、最高神を「人間的」と
     
    評したら、クリスチャンの方に叱られそうです(^^ゞ
     
    で、確かに、教会の装飾も、お寺の建築物も、綺麗ですよね。
    同じく節操のない私は、「それでい〜じゃん」と思うんですが・・・。叱られるかなぁ(~_~)
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時31分

    「一つのものさし」かぁ。
    キリスト教は、ユダヤ教御用達のモノサシを否定したところから始まった、と言えるかもしれない
     
    し、日本の仏教の宗派のいくつかも同じように、何か他のものさしを否定するところから始まって
     
    いるようにも見えますね・・・って、多くを知りませんが。
     
    日本中の神道が、記紀によりある程度統一されてしまうまでは、日本の中の神々はそれこそ多種多
     
    様の顔を持っていたんでしょうね。
    地域ごとの、氏族ごとの神様がいたでしょうし、その神様も祖先神の場合もあるだろうし、まさに
     
    自然を崇拝している場合もあるだろうし。
     
    それを完全に取り戻すことは無理でしょうが、幸い、今の日本は(少なくとも建前は)信教の自由
     
    が保障されてます。
    人それぞれが、既成の宗教にとらわれず、自分の感じる・思う神様や仏様を信じている今の状態は
     
    、その時代に似てる、といえないこともないかもしれません。
     
    まぁ、たまに、人間の手により、物騒な神様を創造されることもあるようですけども・・・。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時31分

    自分を高め、善き方向へ成長するためのツール。
    宗教がそういうものだと考えたら、素敵ですね。
     
    私は、情けないことに、少なからず、
    「困った時の〜・・・」
    になりがちです。
     
    そして、自分が身も世もなく手をねじり合わせて、神様にお願いしているその願い事を客観的に見
     
    る時、「人間てのは、思ってる以上に単純明快だな」と思ったりもするのです。
     
    超自然的なものへの畏れや、信仰を素直に冷静に見るとき、人間というものが、世間で言われてい
     
    るよりずっと、善良なものだ、とわかる、なんて側面もあると思います。
     
    宗教を「ツール」とするならば、皆が、よい方向に利用できればな、と思いますです。
  • お姉さま方 投稿者:ひくもん 投稿日:04月22日 03時11分

    単純に美しいと思えるものを、信条と異なるからそう思わないというのは、これはハッキリと
    「野卑」
    といって良いことかと想ふです。
    「宗教」が戦争を起こしたりするのでは御座いません、
    「野卑」が起こすのです、あれは絶対。
     
    時に、聖書に「雅歌」という恋愛歌を収録した章(?)がありますが、
    それについて昔々の著名なユダヤ教のラビさんが、
    「聖書は何処をとっても聖なるものだが、
    殊に『雅歌』は至聖所だ」
    とかっつったそうで。
    何かラビの立場でこういうこと言える人はいいなあ、
    と思ったりもしたですね。
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時49分

    雅歌って、恋愛歌を収録してたんだ。
    http://kyoto.cool.ne.jp/yamato400/hist1.html
    を見ると、結婚式で歌われた歌なのか。
     
    チャペルウェディングでは、牧師さんが、お話をしてくださるけれど、
    「神に誓ったのだから、夫婦としてせにゃならん」
    というようにお話される牧師さんもいらっしゃいますが、
    「神様に誓ったのだから、きっと幸せになれますよ」
    というようにお話される牧師さんもいらっしゃいました。
     
    同じ神様に仕える方でも、神様に対する考えはちょっとずつちゃうんだな、と感じたもんであります。
  • 手前味噌で恐縮ですが 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月22日 19時18分

    http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/shohin/tour/siseki/139.htm
     
    ここに、小桜姫のお話が……。のりちゃんも居たッス(笑)。
     
    以下に転載
    ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
     
    ↑413「小桜観世音」と、414「諸磯神明社」。
    永正年間との事ですので戦国期ではあります。ただ、最初は観音信仰が始まりなんですね。それが江戸期になって、小桜姫の墓に祈ったら嵐がやんだ、という伝説があって社が作られ、「神」とされたようです。
     
    ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
    以上
  • のりちゃま 投稿者:Naomi 投稿日:04月22日 21時14分

    えらそーなことを書きこんだけど、私も
    1年365日、困ったときの神頼み人間です(^^;
    ただ、時々これは神様のなせる技、といった瞬間に
    出会う時があり、そんな時だけは、純粋に神様の
    存在を信じますね(^^)
     
    結婚式・・・一応教会であけましたが、神父さまが
    外人さんで、誓いの言葉以外は、英語だったので、
    何を言われたのかは、私ら夫婦の読解力では理解
    できませなんだ(爆)
     
    雅歌・・・作家の田辺聖子さんも、「文車日記」という
    本の中で触れられてます。
    この本、日本の古典などについて書かれたエッセー集
    なのですが、日本語ってきれいだな、と気付かせて
    くれます(^^)
     
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 22時16分

    思い出しました(^^ゞ
    確か、まきこ氏周辺の話題から始まったような。
    なるほど、まず、観音様として信仰されて、その後、生きている人間の口を借りて、霊界を語った、というわけなんですね。
     
    関係ないけど、「小桜」っていい名前だなぁ。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 22時26分

    すいません。もしかしたら揚げ足取りになるかも。
    神父さんってことは、カソリックですか?(一応解説すれば、牧師さんは、プロテスタント。神父さんは、カソリックと決まってるんだそうです・・・と、クリスチャンの人から教えてもらいました)
    カソリックって、プロテスタントと比べて格段に厳しいイメージがある(確か、イギリスの王様が、離婚したいがために国教をカソリックからプロテスタントに改宗したなんて話もあるくらいですもんね)んですが。
    それは、お二人が選ばれたんですか?
    それとも、式をあげられた会場がたまたまカソリックだったんでしょうか?
     
    カソリックの結婚式って見たことないかも。
    ・・・とはいえ、人前式も、仏式も、儒教式も見たことはないのですが(^^ゞ
     
    私は、そのころまだ神社について何も知りませんでしたが、ただただ「綿帽子がかぶりたい!」というだけの理由で、神前結婚でした。
    リハーサルもなにもなく、ぶっつけ本番だったので、三々九度のお酒を、「くい〜〜〜っ」と飲み干してしまい、母親が嘆いておりました(~_~)
  • 私のお式なんてイージーなもの(^^; 投稿者:Naomi 投稿日:04月23日 13時26分

    ひょっとすると、神父さま、じゃなく牧師さまかも?
    というのも、最初、式場に使うホテルをおさえたのですが
    神式、人前式、チャペル式・・・の3択で、だんなの
    お兄さんが神式で挙式したので、今度は、チャペル式が
    見たい!と、だんなの身内からリクエストされまして
    そのホテルの教会で挙式しました。
    特に希望を出さなかったので、どちらがくるか、ホテルが
    提携している、神父さま牧師さま次第だったようです(^^;
    ほんとは、教会で式を挙げよう、と思ったら、式の前に
    日曜礼拝とか、聖書教室とか、通わないといけないんです
    よねぇ・・・ぜんぜん、行ってません(爆)
     
    ちなみに、韓国式でやろーかなぁ、などと意見だして
    みたのですが、めんどくさいよ〜の一言で、却下されましたの(^^;
  • やっぱり! 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 22時07分

    「韓国式で」という意見だされたんですね?
    いや〜、実は、Naomiさんが、普通にチャペル式の結婚てのが、ちょっと意外でした(失礼かしらん・・・すいませんm(__)m)。
    とかいいつつ、私も普通に(いろいろネタはあるとはいえ)、神前結婚なんですけどね。
     
    私も、インドの結婚式とか、バリの結婚式とか、写真で見ると、
    「こういう結婚式あげてみたかった!!」
    と思うのですが、結婚前に、母親に口をすっぱくして言われた、
    「ウェディングドレスを着ておかないと、絶対後悔するよ。」
    は、まだ、実感してません(笑)

 

よく考えると 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月21日 22時55分

去年でアテルイが死んで1200年も経つんですねぇ。
アテルイが祭られてもいいような気がしますが、そうもいかないんでしょうねぇ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時30分

    そうだったんですか。
    大阪の茨木市に、確か、彼のお墓があったはず。
    お参りしてこようかな。
  • アテルイは 投稿者:梦宇 投稿日:04月22日 01時57分

    河内の杜山で斬られていますが、その杜山の場所は不明とか…。
    また、坂上田村麻呂ゆかりの清水寺境内には碑が建っていますが、茨木市に墓があるのですか?
     
    さて、アテルイの好敵手・坂上田村麻呂に関して、しつこく道臣命の登場です。
    …で、命曰く、
    「苦労して皇国の穢れを祓い清めたのに、また外国から邪霊が入ってきたので、再生して穢れを祓いたいが、それが叶わないので、人に憑って真理を説きたいと思ったけれど、みな自分の霊力に耐えられず死んでしまう。また憑依に耐えることのできた北畠親房も自分の導きに唐心(からごころ)を交えて真理を説き得なかった。それで、幽界にいた田村麻呂の魂を美濃の神野の村の産土神にお願いして生まれ変わらせたのが汝・荒深道太郎なのだ」
     
    つまり、田村麻呂は帰化人の子孫だが、更にその先祖は道臣命だというわけです。
    また、荒深道太郎(道斉)氏の先祖は明智光秀で、光秀は小栗栖では死なず、雲水となって諸国を巡り、関ヶ原の戦いで東軍に加わって戦死したそうです。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時19分

    確か、磯良神社の側に首塚がある、と聞いた記憶がどこかであったのですが、今改めて調べてみると、墓・首塚は、枚方市にあるんですね?
     
    地理音痴ゆえ、「とにかく、大阪の北!!」と記憶してたのかも。
     
    東北の英雄が、遠く離れた大阪に小さく眠っているというのは、何か物寂しくもありますね。
     
    さてさて、「神武太平記」では、生まれ変わりも語られるんですね。
    そうすると、道臣命は、何度も生まれ変わって、江戸時代末期は、尊皇攘夷のリーダーとして生まれてたのかもしれませんね。
  • すいません(^^ゞ 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 08時20分

    「神武太平記」ではなく、「忍日伝天孫記」ですね。
  • アテルイのお墓参り 投稿者:ZOU 投稿日:04月22日 23時23分

    もう、アテルイネタこそからませていただきます。
    アビヒコ・ナガスネヒコに並んでアテルイも大ファンなので。
    うちにもあるんですよ。アテルイと片埜神社。お墓伝承地はココです。http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/aterui.html
    ともあれ、「夷」の視点でものを見ているので、征夷するヤツは嫌いだったりしますσ(^_^)
     
    片埜神社は、
     
    >「とにかく、大阪の北!!」
     
    ではなく、大坂城の鬼門封じだそうです。
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 08時01分

    あ、実は、ZOUさんのサイトで、アテルイのお墓の場所、確認しました(#^.^#)
    なぜだか茨木だと勘違いしてたんですよね。
     
    片埜神社はまだ参拝してませんし、アテルイのお墓参りを兼ねて、参拝しようかしらん。
    写真で見る限りは、小さな石碑のように見えますが、すぐ見つかりますか?
     
    大阪城の鬼門封じの神社やお寺は、いくつかありそうですね。
    いくつくらいあるんだろう?

 

鉄輪のはなし 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月18日 17時53分

あ、ものすごく下のほうで「陰陽師」の話をしてたのですが。
鉄輪が能だかなんだか担ったのにはセイメイ出てきてたような気がします。違ったかなぁ・・・。
  • 私も 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 23時06分

    そんな気がしてきました(^^ゞ
    で、↓
    http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kanawa.html
     
    おおあた〜りぃぃい!!ドンドンドン!!
     
    そっか。
    晴明って、あちこちで活躍してるなぁ(~_~)
  • 記憶が正しかった 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月20日 17時24分

    よかったよかった。たまに書き込んだ後、不安になるときあるのですよ。
     
    陰陽師が出てくる話って結構ありますねぇ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 23時33分

    私は、結構間違ってても、
    「うわぁ〜〜〜はっはっは」
    で済ませてしまうので、いつまでたっても正しい知識が身につきません(^^ゞ
     
    ここんとこ、宇治拾遺やら、今昔やらを読んでいますが、「陰陽寮」の博士が登場する物語、ほんとたくさんあります。
    平安時代の夜はたくさんの魑魅魍魎が跋扈してたんでしょうねぇ。
  • 道満は 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月21日 23時04分

    なんか智徳法師と同一人物だという話があるそうですが・・・。
    なんか格が違うようなきもしますが別の話では知徳も結構凄い術者だったみたいで。
  • 今、ちょうど 投稿者:anne猫 投稿日:04月21日 23時15分

    平岩弓枝さんの「平安妖異伝」を読んでるんですが道満(頼光さんの父上だったんですね!)がでてきます
    道長と樂所の不思議な少年との説話なんですが、頼光の娘の話は泣けました。。。
    おもしろいよ!
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時29分

    今昔とかを読んでると、
    「平安時代って、すごいお坊さんばっかだったんだなぁ」
    と、感心するほど、「奇跡譚」が多いです(^^ゞ
    行基和尚もそうですし、本当にいろんなすごい術者が出てきますよね。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 00時30分

    え?知りませんでした。
    頼光って、源頼光ですか?
    道満って、苗字は、「芦屋」。
    頼光は、源姓じゃなかったでしたっけ。
    でも、この時代、いろいろありそうだから、なんか事情があったのいかなぁ。
    う〜む、いろいろありますねぇ。

 

櫛玉比女命神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月11日 21時32分

↑拝見しましたー☆ミ
 
長髄彦とその妹姫と神武天皇の話は知ってたんですが、
これに饒速日尊が絡んでたのを知りませんでした。
 
記紀通りに解釈すると、饒速日尊は神武天皇に仕えて
欲しかったのに、長髄彦が逆らったという事に……?
 
う〜〜〜〜ん。。。
 
あっ、わかった!
饒速日尊は「媒酌人」だったのでは?(爆)
  • このネタ、からむからむ 投稿者:ZOU 投稿日:04月12日 00時50分

    私も拝見しましたー・・ってまた出るかあ・・しつこいなあσ(^_^; もう、ニギハヤ嫌いでナガスネファンの私は出てこずにおられない。こたつさんとはぜんぜん解釈が違ってきます。では行きますね。
     
    ニギハヤヒを大和の国魂だって言ったのは折口さんでしたっけ。他所からやってきたニンゲンのくせに、そんなわけないでしょう。(たぶん)九州からやってきて、ちゃっかり義理の弟におさまっちゃって、で、「庇を貸して母屋を盗られる」だけならまだしも、命までとっちゃったんですから。ナガスネヒコが哀し過ぎますよねえ(;_;)
     
    ナガスネヒコは、「紀」ではニギハヤヒに、「旧事紀」ではウマシマジに殺されています。櫛玉比女命神社って安産祈願もやってるでしょ。あの前の道は良く通るんですが、あそこを通るたびに思うんです。ここで安産祈願なんかやっちゃ、生まれてきた子は叔父殺しになっちゃうぞーって。
     
    ああもう、こだわり過ぎでしょうかねえ(;^_^A
     
    下のスレ・・「うちのワンコが」・・
    パッとみると“ワ”が“ウ”に見えちゃって・・・
  • 大和の歴史は 投稿者:梦宇 投稿日:04月12日 01時53分

    謎また謎で、天孫系だ出雲系だと単純に割り切れるものではないですね。
     
    じつは、私の「愛読書」のひとつが「神武太平記(原題:道臣命在世記)」っていう、昭和3年頃に書かれた「神武天皇とその兄弟の世界統一の物語」なのです。
    「大和平定」と違いまっせ、「世界統一」だっせ。
     
    時は西暦紀元前1100年以上前、殷の紂王の暴政によって多くの難民が大和に逃れてきて、その混乱に乗じた長髄彦が「われらがニギハヤヒノミコトこそが本物の天孫でっせ」と宣伝して叛乱を企て…というところから始まり、ミケイリヌノミコトの南北アメリカ大陸平定に至る長〜い物語です。
     
    …で、その物語には橿原宮の規模について、具体的数値を挙げて説明してあるのです。
    もしも、もしもでっせ、畝傍山の周辺を発掘して、物語の通りに、高さ3mの石玉垣とか、直径3mの柱跡が出てきたら、人類の歴史は根底から覆ってしまうのです。
     
    その橿原宮は周囲15000m、山城国から奈良坂付近の田畑を除き橿原宮の周囲まで人家が立ち並んでいたそうで、それが本当なら、何処を掘っても人家の遺跡が出てきますね。
     
    まあ、日本は色々な制約があって、遺跡の発掘がママならないので、なかなか古代史論争に決着がつきませんね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時09分

    ここらへん、なんか、しっくりこない話なんですよね。
    説得力がないというかなんというか。
    それで、いろんな憶測を呼んでいるようです。
    私的には、男どもの思惑にはあまり興味はひかれないんですが、板ばさみ姫様の気持ちを想像すると、いろんなドラマが浮かんできて、わくわくします(#^.^#)
     
    お市の方については、いろんな小説家が題材にしてるみたいですから、ミカヤ姫も誰かが取り上げてくれないでしょうかね?
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時16分

    >生まれてきた子は叔父殺し
     
    え?ハムレット??(←全然違うっ!!)
     
    そう。あの神社「安産祈願」ってのを全面に押し出してるみたいですね。
    道路に一番近いところに、安産祈願についての看板が出てたと思います。
    なんででしょうね?
    御炊屋姫は確かに、子供を産んでますが、特に安産だった、という逸話があったとは聞かないんですけど。
     
    私は、女なもんで、あくまでも御炊屋姫にこだわると、ナガスネビコの死後、彼女はいったいどうしたんでしょうねぇ。
    ほんと、気になります。
    こないだ、「女戦士」という話を教えていただいたので、ちょっとほっとしてますけどね。
     
    で、もって、ZOUさん、うんこ話お好きなんですか?
    私は、好きです(爆)
     
    吉田戦車が、「子供のころに、『ウンコラマン』などという漫画を描いていた」とどこかに書いてたのを見て、「あぁ、同志よ!」と思ったくらい(~_~)
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月12日 09時23分

    そんなごっつい話もあるんですね!!
     
    まぁ、イエスキリストも仏陀も日本で修行した、と主張する古文献もありますし、大和による世界平定が、古代にあったというのは、本当かもしれません・・・??
     
    しかし、面白いなぁ。
     
    で、神武天皇が後醍醐天皇ならば、楠木正成にあたるのは、道臣命になるんですねぇ。
    そうかそうか。
    それも面白いなぁ。
    真田太平記では、秀吉が後醍醐天皇、真田幸村が楠木正成ってことになるんでしょうか?
     
    記紀を見る限り、どうも神武天皇は女性にもてたという感じがありませんから、どっちかというと、神武天皇は、後醍醐天皇より、秀吉に似てるのかも(゜.゜)
  • チョッとだけ… 投稿者:梦宇 投稿日:04月13日 16時18分

    戦後の言論自由の時代になって、数多くの「古文書」が世の中に出てきました。
    もちろん、戦前から伝わっていたり「発見」されていた文書も色々とあって、それぞれに「信者」がいますね。
     
    「神武太平記」はそういう古文書ではなく、いわゆる自動筆記で記された霊述書なのです。
    もちろん、著作権の関係でネットで内容を公開することは出来ませんが、その冒頭部分をチョッとだけ…
     
    「吾(われ)道臣(みちのおみ)今人が禍心に今を誇りて、古(いにしへ)を軽んじ下素見(さげしみ)するを、片腹痛み思ふが故に、汝(いまし:著者荒深道斉氏)が正身(まさみ)を借りて吾が現世にありし三千年(みちとし)前の正事(まさこと)を、言霊(ことたま)和(に)ぎして汝に談り感(し)らしむるを悉く言見(ふみ)せよ。
    吾道臣は神山所威余彦火々出見命に専ら奉へありしにより、吾談る事は其御世の古世見(こよみ)ともなるべし。汝現心(あらみたま)を鎮めよ。三千年前の古霊(ふるたま)の来(を)り談るを怪しと思ふな…」
     
    …ということで、道臣命が著者にも理解できるように、記紀の時代の言葉で語っています。
    現在、書名をネット検索しましたら、古書店で入手可能ですが、大体この手の本は高いですね。
     
    ちなみに、この書では神武天皇は道臣命の姉の子で、つまり叔父・甥の関係なのです。
    そして、神武天皇76年、127歳の天皇と169歳の道臣命は他の臣下6名と共に現身(うつしみ)のまま帰幽しています。
    …で、話はそこで終わらず、タギシミミノ命のクーデター事件へと続くのです。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月13日 23時36分

    なんだか、すごく面白そうですね。
    つまり、その物語は、道臣命が、著者の体を借りてかいた、「自伝」ということになるわけでしょうか。
     
    ほんと、神社関係の本は、どれもこれも高いです。
    ジュンク堂などで、神道関係の本棚を見ると、欲しい本がぞろぞろあるんですが、値段みて、声にならない悲鳴を(笑)
     
    その本では、タギシミミの命のクーデターをどのように描いているのか、気になりますね(笑)
  • タギシミミノ命のクーデター 投稿者:梦宇 投稿日:04月14日 01時53分

    日本書紀では、三人の兄を失った神武天皇は手研耳命と共に進軍して行くのですが、神武太平記では手研耳命は東征には加わらず、筑紫の守りに就きます。
     
    そして、神武天皇は大和のヒメタタライスズヨリヒメを皇后に迎え、その子カムヌナカハミミノ命を皇太子とし、筑紫にいる手研耳命の反乱を心配し、大和へ呼び寄せます。
     
    そして、神武天皇は崩御するのですが、なおも手研耳命のことが心配で、道臣命に「彼も連れて来るんだった…」と言って、道臣命に長男を迎えに行かせます。
     
    道臣命が現世に着いてみると、案の定手研耳命はクーデターを企てています。
    そして、兵を引き連れ皇居に入り、カムヌナカハミミノ命(綏靖天皇)に「皇位をゆずれ!」と強要します。
    しかし、事前に道臣命から策を授けられていた天皇は「皇太后の意思に従います」と手研耳命ひとりを宮殿内に誘い込みます。
    そして、皇太后の対応に怒った手研耳命が剣を抜くや、背後に控えていたカムヤヰミミノ命が矢を放ち、手研耳命は即死し、道臣命は手研耳命を連れて幽界に戻ります。
     
    もちろん、記紀共に手研耳命を殺したのはカムヌナカハミミノ命と伝えていますが、神武太平記ではカムヤヰミミノ命が射殺しています。
    また、神武太平記では、カムヤヰミミノ命は東征開始の年の生まれで、この事件のあった綏靖天皇4年には数え97歳、その兄手研耳命は100歳を超えているわけで、まあお元気なことです。
     
    以上が話のあらすじですが、本では下巻の199ページから218ページまでがこの話になっています。
  • 記紀では 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 08時16分

    神八井耳命が、皇位を継ぐはずで、手研耳命を倒したのは、沼河耳命。結果、皇位を継いだのは、沼河耳命。
    「太平記」では、
    沼河耳命が、皇位を継ぐはずで、手研耳命を倒したのは、神八井耳命。それでも皇位を継いだのは、沼河耳命。
     
    このあたり、記紀の記述を読むと「なんとなく矛盾してらぁ」と思う部分なのです。
    神八井耳命が、弟に皇位を譲るための理由として、手研耳命の反乱を持ってきてるんだけど、説得力なくて(笑)
     
    その点、大から弟が皇位を継ぐはずで(この時代は末子相続だった、と言いますから、なんの不思議もありません)、兄はクーデター鎮圧に協力した。
    という方がすっきりしてますね。
  • ぬおっ! 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月15日 03時23分

    土日ボ〜ッと外出などしてたら、知らない間にこんなに
    レスが……(・・;)。。。皆様ありがと。
     
    ふむふむ。饒速日尊は媒酌人をするには、住所が遠すぎる
    って事かな?(全然違ってたり:汗)
     
    えっ! 殷の紂王?! ええっ! 長髄彦が「われらが
    ニギハヤヒノミコト」と言ってるって??
     
    きゃーーーっ!\(>o<)/
     
    あ、のりちゃん「真田太平記」の「太平記」だけど、
    私は逆に「太平記」の方をよぉ知らんから何とも言えない
    けど、多分単に「話が長いから」じゃないかと思うんだ(汗)。
    強いてこじつけるとしたら、「兄弟(信之と幸村)が
    東と西に分かれて相争い合う事になった(が、実は裏では
    仲良しこよしでした〜♪)」というトコかな?
     
    太平記って、天皇が居て家臣がいて、忠誠を尽くして云々、
    というのもテーマだろうけど、これをモチーフにする場合、
    東西に分かれて抗争する構図を指す事が多いのかも。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月15日 09時06分

    神武天皇を主役においてみると、
    神武天皇=天神が、大和の王・ナガスネビコに大和を明け渡せと言ったのに、従わなかった。
    だから、同じく天神=ニギハヤヒが、ナガスネビコを退治した。
    ということになるんですが、ここで、「神武=天神」「ニギハヤヒ=天神」ではなかったら、考え方が違ってきますよね。
     
    つまり、大和の王・ナガスネビコのところに、九州から新勢力=神武がやってきて、戦いを挑んだ。
    もちろん、ナガスネビコの方が勢いもあり、強いため、神武側は、惨敗。
    ところが、予ねてより、ナガスネビコの胸中に、スパイとして入り込んでいた男がいた。
    それが、ニギハヤヒ。
    ニギハヤヒは、ナガスネビコを倒し、神武軍に復帰した。
     
    と、まぁ、こういうことが考えられるんですよね。
     
    でも、ナガスネビコが大和の王ではなかった、という話もあります。
    つまり、大和の一勢力に過ぎなかった。
    だから、神武軍が倒すべき相手は、他にもまだまだいたはずだ、と。
    が、あまりにも弱小な軍だった為、大勢力は、相手にせず、「橿原」という、あまり便利ではなく、ちぽけな土地を与えた。
    なんていう話もあります。
     
    まぁ、事実はわかりませんし、そもそも神武天皇が実在したかどうか、怪しいみたいですけどね(^^ゞ
     
    で、「太平記」は、「長い話」を指すんですね(~_~)
    東西に分かれて・・・っていうのは、道臣命のパターンには・・・あてはまるのかなぁ。
    なにしろ「世界統一」の話みたいだから(笑)
  • 媒酌人を探せっ! 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月16日 03時49分

    >予ねてより、ナガスネビコの胸中に、スパイとして
    >入り込んでいた男がいた。
     
    そういう事か!
    まあそれならギリギリ神武の絡む余地はありますかねぇ。
    ただやっぱ……。
     
    長髄彦の妹は政略結婚で饒速日尊に嫁ぎましたが、利害が
    一致せず、長髄彦と饒速日尊戦いあって長髄彦が敗れました。
    そこへたまたま、偶然ひょっこり通りかかった神武天皇。
     
    ……これが普通な気がするんだな(-_-;)。
     
    あっ、わかった! 神武が媒酌人!(爆)
     
    ……で、すいません。道臣命って誰ですか(^^;)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 08時32分

    確かに、その方が、自然ですね。
    その場合は、「時間」にごまかしがある、ということになりますね。
    私は、どっちかというと、「ナガスネビコは殺されなかった」説を唱えたいです。
     
    九州から神武天皇がやってきた。
    「大和の土地を少しくださいな」
    とお願いすると、「橿原なら余ってるから、どうぞ」とわけてもらえた。
     
    それだけのことだったんだけど、それじゃぁ、なんか肩透かしだから、幾多の戦いを乗り越えて、強力でずるい敵を、味方の力で倒し、という物語を作った、と。
    なんか、そういう方が、「好み」(笑)
     
    道臣命は、神武天皇に付き従った人物です。いわゆる、「忠臣」。
    いろいろエピソードがありますが、なんとなく、「呪術者」っぽいイメージがあります。
    巫女の扮装をして神事をとりおこなったり、「そえうた」と、「さかしまごと」で、新しくできた宮のわざわいを祓ったり。
     
    大伴氏の祖ということになってます。
     
    うちの近所にある、「伴林氏神社」の説明には、「うちが、全国唯一道臣命を祀っている神社です」と書いてありますが、どうも、他にも、この神様を祀ってる神社は結構たくさんありそうです(^^ゞ
  • 戦争と祭礼 投稿者:梦宇 投稿日:04月16日 21時07分

    昔は祭政一致でしたから、天皇も大臣も「占い」や「神憑り」なんかをしていますね。
     
    日本書紀にも、神武天皇が道臣命に
    「今高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を以て朕(あれ)親(みづか)ら顯齋(うつしいはい)を作(な)さむ。汝(いまし)を用いて齋主(いはひぬし)と為して、授くるに嚴媛(いつひめ)の號(な)を以てせむと…」
    と、勅(みことのり)された記述がありますが、要するに、神武天皇自身が霊媒となり、高皇産霊すなわち降霊をして、顯齋つまり神霊を招き、道臣命が祭主となって祝詞を奏上せよとの勅命なんですね。
     
    高皇産霊とは中心より周囲へ膨張する力のことですが、地球のような天体では、宇宙空間すなわち天空から天体へ降下する力となるので、天空より神霊を招き降らすことも高皇産霊というのです。
    顯齋とは神が実際に人に憑り神意を顕(あらわ)す祭のことです。
    道臣命はもちろん男性ですが、当時神に奉仕する役を嚴媛と称したようです。
     
    …てなことで、この時代はお祭をしながら戦争、いや戦争をしながらお祭もしていて、「神武太平記」にはこの辺も詳述されています。
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 22時20分

    「政」を「まつりごと」と読むのも伊達じゃないって感じですよね(~_~)
     
    ところで、高皇産霊を、「天空より神霊を招き降らすこと」などの、「中心より周囲へ膨張する力である」という説は、「道臣命在世記」のものですか?
    それとも、また他の書物ですか?
     
    高皇産霊神が何であるのかってのは、なかなか面白く、難しいテーマですよね。
    高天原の主催者なのに、最高神ではない。
    日本書紀では、頻出の神様なのに、天地開闢のシーンでは、「一書」にのみ登場する。
     
    この神様を描いた絵画て、そういえば見たことがありません。
    そんな理由からか、なんとなく、イメージしづらい神様であります(~_~)
  • 同名異神・同神異名 投稿者:梦宇 投稿日:04月16日 23時57分

    荒深道斉氏が道臣命や更なる古代霊の霊示によって書き表した本は「神武太平記」を始め何冊もあり、道斉氏はその霊示によって独自の宇宙進化論を展開しました。
     
    そして、50音の言霊(ことだま)の意味で神名の意味を解読し、高皇産霊と神皇産霊の働きが宇宙空間と地球のような天体とでは逆になるというような、普通では思いつかない説を唱えています。
     
    それから、宇宙開闢の時に現れた造化の神・高皇産霊尊と天孫降臨の時の高皇産霊尊は別の神で、天孫降臨の時の高皇産霊尊・高木神は須佐之男命であると説いています。
     
    それは神皇産霊尊についても同様で、大国主神のところに出てくる神皇産霊尊も須佐之男命で、同じ神が高天原と根堅洲国に存在するというのも、普通では考えつきませんね。
     
    いずれにしても、それらの説の真偽は、神武天皇の橿原宮跡が神武太平記の記述通りにあるのかないのかで総て決まるわけです。
  • 難しいけど楽しい 投稿者:朱天 投稿日:04月17日 01時03分

    こういう話は好きです。真実かどうかはともかくとして楽しいです。
     
    ただ私は神様の名前が読めなかったり覚えられなかったり読んでるうちに誰が誰だかわからなくなったりするのです(苦笑)
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 08時03分

    大国主神のところに出てくる神皇産霊神というと、スクナヒコナの登場シーンですか?
    ってことは、大国主神とスクナヒコナ神は、少なくとも縁つながりということに?
    ううう、や・・・ややこしい(^^ゞ
     
    高皇産霊神と神皇産霊神については、今まであまり注目していませんでした。
    ただ、高皇産霊神が「高木の神」という別名を持つことから、「世界樹」的なものなのかなぁ?
    くらいのことは考えていましたが、具体的にイメージしたことなかったです。
     
    でも、スサノオのことだ、という説は、私は始めて聞きました。
    でも、スサノオも、なんというか、ややこしい神様だからなぁ(~_~)
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 08時06分

    そうでしょう、そうでしょう。
    神様の名前って、ただでさえ読みにくいのに、いろんな表記がありますからね。(てか、当て字なんだろうけど)
    でも、こういう壮大な話は、真偽はともかくとして、わくわくしますよね(#^.^#)
  • 神社関係の本が高いのは 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 15時43分

    あんまり売れないからであります(笑)。
    八幡書店なんかがこの手の本をよく出しますね。
    面白いんですが、複雑すぎてわからなくなります。
  • ということは 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 21時54分

    爆発的に売れれば安くなるわけですよね。
    誰か、「神主」とかなんとかいう、色男漫画描いてくれませんかね(~_~)?
  • のりちゃま 投稿者:Naomi 投稿日:04月17日 23時34分

    うっきゃあ!色男漫画というところを
    男色漫画、と、おもいっきり読み違いしてました(*^^*)
    こんな私は神罰必定だな・・・きっと
    でも、あったら、若いおじょうちゃんたちに
    売れる、と思いません?思わないか・・・ちっ(^^;
  • 神社関係の本といえば、 投稿者:梦宇 投稿日:04月18日 00時16分

    ↑の八幡書店と山雅房ですが、やっぱり高いですね。
     
    それで、先ほど八幡書店のHPを覗いたら、小谷部全一郎著「成吉思汗は義経なり」の復刻本が出ていましたので、即注文しました。
     
    それで、今度の復刻本には追録として↑の荒深道斉が源義経の霊を降ろし、小谷部は静御前の末裔であると語った実録なども記されるようですが、小谷部全一郎は静御前の末裔(つまり義経の末裔)だと語っているのは道臣命だと思うのですが…。
    まあ、本が届けば判ることです。
     
    更に言えば、道臣命らの霊は義経は神武天皇の兄・稲飯命の霊統を受け、曾て稲飯命の子・咲国押日別命(さきくにおしひわけのみこと)がユーラシアを平定したのと奇しくも同じ道筋を辿り進撃して行ったと語っています。
    そして、愛親覚羅氏も義経の後裔すなわちラストエンペラー溥儀さんは義経の子孫だったのです!!
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 09時11分

    男色漫画で、「神主」!!
    ううううううううう〜〜〜〜〜ん、好み(爆!!)
     
    映画化の際は、武田真二と、藤原竜也に・・・って、これは、「魔界転生」の話題の時に出た話でしたっけ(笑)
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 09時14分

    ジンギスカン=義経説って、結構有名な話だと思ってたんですが、唱え始めたのは、その小谷部氏なんでしょうか?
     
    その説を裏付けるように(というか、その説におもねるように、という方が本当は正解なんでしょうが)、北海道には、義経伝説がたくさんありますね。
     
    「判官贔屓」の、日本人には、義経はとても人気で、あちらこちらで、女性にもてまくってますよね。
    (そして、義経はその女性達を捨て去るのであった・・・)
    でも、肖像が見ると、納得いかないんですよね〜。
     
    思いっきり4頭身じゃん!!
  • 三通り考えてみました 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月18日 18時34分

    ↑かたつむりの小さな頭で。
     
    <かなり自然な感じ>
    饒速日尊は長髄彦との戦いに勝って、嬉しがっていました。
    そこへ神武天皇が「スイマセンが宿を貸して下さい」と
    やって来たので、饒速日尊は「ちょうど今日戦いに
    勝った日なので機嫌がいいのです」と持て成してあげました。
    夕飯を食べながら話を聞いて、神武天皇はこの話に自分も
    加えようと思い、自分の入った話を伝えました。
     
    <ちょっと無理な感じ>
    長髄彦と饒速日尊が取っ組み合いの喧嘩をしてました。
    そこへ通り掛った神武天皇は、「喧嘩をするより結婚を
    しなさい」と勧め、自分が媒酌人になって長髄彦の妹を
    饒速日尊に嫁がせました。しかしそうなったらそうなったで、
    「ウチの妹が不幸になってる!」と長髄彦はやはり喧嘩を
    やめようとしませんでした。媒酌人の神武は「まあまあ」
    と宥めに入りましたが、長髄彦にKOされてしまいます。
    これを見て怒った饒速日尊は「こんにゃろ!」と長髄彦を
    ブン殴りました。
     
    <かなり無理な感じ(汗)>
    饒速日尊と長髄彦は義理の兄弟でした。そこに神武天皇が
    やって来て、「君達、自分にスカウトされない?」と
    言いました。雇ってくれるのかと思ってた兄弟は、スカウト
    の根拠が「私は天神の子孫だから」と聞いて……。
     
    あ〜〜〜〜、やっぱりここで詰まってしまうのですが〜!
     
    道臣命は大伴氏の祖だったのですね(゚.゚)。
    男色漫画と言えば『日出る処の天子』(爆)。
    これに大伴氏が出てきて、最後まで崇峻天皇についてるが、
    ホントは昔々から主従だったからなのねん。
     
    朱天さま、私も神様の名前はサッパリよ(汗)。。。
  • 義経北行伝説 投稿者:梦宇 投稿日:04月18日 19時32分

    「義経生存説」は衣川の戦いの直後からあったらしく、吾妻鏡に1190年5月頃鎌倉で「義経が攻めてくる」という噂が流れ、鎌倉に緊張が走ったと記されているそうで、要するに、鎌倉に届けられた焼け爛れた首を義経のものだとは誰も信用していなかったようです。
    それに、頼朝は「義経の首」を見ることもなく、その首は由比ヶ浜に捨てられたそうです。
    つまり、皆がにせ首だって知っていたわけですね。
     
    そして、江戸時代、樺太方面探検をした間宮林蔵は、黒竜江流域の人々から「清王朝は日本人の末裔だ」という証言を得ています。
    でも、まだ明確な「義経=ジンギスカン説」ではありませんね。
     
    1824年、アルメリア人でフィンランドの外交官であったドーソンは「モンゴル帝国史」を著し、そこに「義経=ジンギスカン説」があるそうで、この書の訳本が平凡社から出ていて、機会があれば入手したいものです。
     
    そして、シーボルトは1832年に出版を始めた大著「日本」で「義経=ジンギスカン説」を主張しています。
     
    ちなみに、ジンギスカンの英語表記はGenghis Khanで、源義経の音読みGengikeiと似ていますね。
     
    …で、実際の義経が肖像画通りの容姿だったかどうかはわかりませんが、庶民にまで人気があったことは確かで、各地の社寺旧家に残る伝承・遺品を繋ぐことにより「義経北行」のルートが詳細に判るのですね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 23時16分

    どれも面白いです(#^.^#)
    それを漫画にするなら、2つ目の話は、赤塚不二男さんにやってもらいたいなぁ!!
     
    1つ目の話は、日本昔話で。
    長髄彦の声を、市原悦子さん、神武天皇・饒速日尊の声を常田富士男で。
     
    そういえば、崇峻天皇に最後まで仕えているのは大伴糠手でしたね。
     
    あの漫画で、二人がも少し美男だったら、「何代も前から強い絆で結ばれていた二人」・・・なんていう展開もわくわくするんだけど、あの漫画では、なにしろあの様子だから・・・(^^ゞ
     
    あの時代の人物像をかなり強い印象で残した、という意味では、「日出処天子」の罪は大きいです(~_~)
  • 梦宇様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 23時24分

    そんなに早くから、義経生存説が流布してたんですね。
    もちろん、義経に人気があればあるほど、人々の「生きていて欲しい」という希望は強くなるでしょうから、その希望が、「義経生存説」の信憑性を高めたという可能性はありそうですが。
    義経の首は、かなり不自然な形で扱われたんですね。
     
    ただ、義経が庶民に人気があればあるほど、「遺品」にもニセモノが混じる可能性も高いですよね。
    もちろん、ニセモノを担ぎ出してくる人に悪気はなくても、例えば、
    「これは、すごくえらい英雄の持ち物だ」
    「それは、もしかして源義経公ではないのか?」
    というような話が、
    「親父は義経公のものだと言っていた」
    となり、
    「義経公から拝領したものである」
    と変わることは十分ありそうだから。
     
    どの遺品がホンモノで、どれがニセモノかを見分けるのは大変でしょうね。
    (ってことは、あの有名な義経の肖像画も、ニセモノの可能性、たっぷりですね(^^ゞ)
    でも、だからこそ、義経伝説はロマン一杯なんでしょうね。
  • 昔々 投稿者:梦宇 投稿日:04月20日 00時32分

    常陸国の東400里ほどの洋上に美豆足国(みずたりのくに)という島がありました。
     
    ある時、島で戦いがあり、戦いに敗れた大臣の子が皇国に援けを求め、同志20人と共に船出しました。
    ところが、途中で嵐に遭い、一行は散り散りになってしまいました。
    けれど、その一行のひとりであった長髄夫(ながすねを)は遂に大和にたどり着き、饒速日命に仕えました。
     
    そして、最初は門番であった長髄彦はその賢(さが)を饒速日命に見出され、平群県(へぐりのあがた)を治めるようになりました。
    長髄彦はその任地でも能力を発揮して平群県を豊かにしたので、饒速日命は彼に富彦(とみひこ)という名を与え、妻の妹を娶わせ、内臣(うちつおみ=大臣のこと)として国政を任せました。
     
    ところが、内臣となった長髄彦は国政を専横し、彼の野心を見抜いた饒速日命の長男・可美真手命(うましまでのみこと)を岩屋に幽閉しました。
    そして、饒速日命の次男・内垣彦(うちがきひこ)に自分の娘を娶わせ、生まれた子を内垣奇玉彦(うちがきくしたまひこ)と名づけ、饒速日家に伝わる瑞玉(みずたま)を与えて養育しました。
     
    しかし、皇軍が大和に迫り、警戒が手薄になった岩屋を脱出した可美真手命は饒速日命と内垣彦を伴い、神武天皇(まだ即位前ですが…)に帰順しました。
     
    ついに追い詰められた長髄彦は、その子・志津美彦(しつみひこ)を使者に立て、神武天皇に「真の天神(あまつかみ)の御子なら、その表物(しるし)を見せて欲しい」と申し出ました。
     
    そこで、神武天皇は志津美彦に三種の神器の意義を説いて聞かせ、総てを悟った志津美彦は父のもとに戻りました。
    そして、子と父が「もう降参しよう」「いやや!」と言い争っているところへ可美真手命が現れ、あくまで降服を拒む長髄彦の首を斬ってしまいました。
    志津美彦も父のあとを追って死のうとしましたが、可美真手命が制止して、長髄彦の首とその子を連れて神武天皇に復命しました。
     
    …というのが、長髄彦に関する神武太平記の話です。
    記紀とは随分違う話ですが、ご参考までに…。

 

お久しぶりです。 投稿者:石野真琴 投稿日:04月14日 22時08分

 のりちゃん様、お久しぶりです。お元気ですか?
 もう石和のお祭りまで1週間を切りました。去年は終わってからこれば良かったのにとか書いたような気がします。
 一応まだ時間がありますが、今年あたりお祭り見物にやって来てはいかがでしょう?
 こたつ様たちは高坂隊と言う事で、一回戦場から離れて観客席に行きます。(去年、宮下隊がやりました)この時声を掛けると実にわかりやすいと思います。
 お邪魔しました。
  • お久しぶりです。 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 22時19分

    いつもありがとうございます。
    毎年、行きたいなぁ、という希望があるんですが、
    諸事情により、外泊が難しいんです。
     
    今年もこたつさんのレポートで、石和を楽しもうと思ってます。
    また、お話聞かせてくださいね。
  • 明日、出発です。 投稿者:石野真琴 投稿日:04月18日 20時13分

     そうですか、残念です。いつかお会いするチャンスもあるでしょう。大きな旦那様とわんこによろしく!!
     
     石野真琴は明日出発します、前日泊の予定なのです。
     去年は当日移動で朝四時起きでした、それに比べれば実に楽です。
     
     心配なのは20日の降水率が高いことですが、何とか1日持ってくれればと思います。
  • 石野真琴様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 23時25分

    ご武運をお祈り申し上げます(笑)
     
    雨の中の合戦は、昔も今も大変でしょうから、私も、ここで、晴天をお祈りしています(#^.^#)
     
    私もお会いできる機会を楽しみにしております。
  • すいません。。。 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月19日 02時34分

    饒速日尊と長髄彦と神武の「三角関係」
    (↑記紀を捏造してるのはアナタでは?:汗)
    に血道を上げてしまい、レスが遅れてスイマセン。。
     
    のりちゃん、明日(もう今日だ)私も出掛けます。
    石和では物部神社を見て来ようと思ってます。
    行けないとヤだから、史跡巡りの中では最初の方に廻して
    いるのですが、ちゃんと行けるかは不透明です。
     
    で、スレッド違いネタで悪いけど、行ったら饒速日尊に
    結局真相はどれか聞いて来ます。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月19日 08時59分

    行ってらっしゃい!!
    楽しんできてくださいね。
     
    物部神社でのご宣託結果も、楽しみにしてます(#^.^#)

 

陰陽師2 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 17時56分

の映画作成が発表されましたが・・・・・・、
何故道満がでない!!!!
何で架空の人物を晴明ライバルに使う!!!
ちょっと寂しい気分でした・・・。
  • 1も見てませんが 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 21時57分

    テレビで放映したら見ようと思ってます(^^ゞ
    主役は変わらないんですよね?
    で、原作はあの漫画?
     
    どのエピソードを映画にするんだろ?
    若狭から丹生への水めぐりだったりしたら、あそこやここが、観光地化しちゃいそうで、やだなあ(^^ゞ
    水汚れそう。
     

  • 見たよ! 投稿者:anne猫 投稿日:04月17日 22時27分

    WOWWOWで見ました
    一は金輪のエピソードだったかな?
    でも今でてるマンガの内容では読者の心は離れますというか誰に聞いても×で意味不明?というか 私が頭悪すぎ?  て前のりちゃんもおんなじこといってなかった?
    動物のお医者さんも見たけどチョビがなんで2年たっても子犬のままやねん! 不自然だしあれ見てハスキー犬飼おうと思った人が本当はシェパードぐらいの大きさあるの知ったらびっくりするやんか?
  • 動物のお医者さん 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月17日 22時36分

    見ましたー。古本屋で予習したのと一緒でしたぁ。
    猫様と同じようにハスキーなんで大きくなってないねん!!と突っ込みを入れながらですがね(笑)。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 22時47分

    「かなわ」ですか。
    漫画にあったっけ?
    てか、「かなわ」って、今昔だったか、古本説話の中の物語じゃなかったでしたっけ?
    あれに、安倍晴明絡んでましたっけ(^^ゞ
    あれれ?
    安倍晴明の呪い返しって、鳥の糞のエピソードしか知りませんでした。
     
    漫画の「陰陽師」は、感覚的な言葉をイメージだけで使いすぎだと思うんですよ。私は。
    あの言葉達に意味を見出そうと思えば見出すことはできるけれど、なんで読者がそこまでせにゃならんねん。
    ・・・とまぁ、思うんですよ。
    だけど、結構、あれを面白いと言ってる人も多いみたいですよ。
     
    で、動物のお医者さん、私も見ました。
    私は、江守徹にかなり期待してたんで、出番多くてちょっと嬉しかったです。
     
    で、最後に、「ハスキー犬は飼いにくい犬種です」っていう字幕が出たのは、ちょっとだけ嬉しかったですね。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月17日 22時51分

    確かに、あれはハスキー犬の大きさじゃないですよね。
    でもまぁ、ハスキー犬の認知度はかなり高いから、「あれがハスキー犬の大きさ」という誤解は心配するほどは、ないかも・・・?
     
    でも、動物達の表情、上手に撮れてましたねぇ。
    なんか、技があるのかなぁ?
  • うちのワンコは。。。 投稿者:anne猫 投稿日:04月17日 23時01分

    狆なのに。。。 8k近くあります
    びっくりします
    でかい狛犬が部屋をウロウロしております
    狆って ざ〜ますの奥様が抱いているイメージがあったのにな?
     
    三毛猫かわいかった!
    教授は結構よかったね!
  • タイトル長くてはねられた(ToT) 投稿者:Naomi 投稿日:04月17日 23時24分

    >>動物のお医者さん
    みんな、やっぱりみてましたかぁ(笑)
    つっこみどころも、ほぼ、一緒みたいだし(爆)
    でも、チョビかわいかったっす。
    よく、あんな、そっくりさん探したねって感じ
    再度、ハスキーバブルが起きないことを深く祈ります(爆)
     
    >>映画「陰陽師」1は、ベースは獏版原作だそうですが
    岩崎陽子著「王都妖奇譚」がはいっとったような・・・
    2は、最近、ちょっとダークな役が続いてる?
    中井貴一さんですね・・・WOWWOW落ちを
    気長に待ちます (爆)
  • 私も見ました(笑) 投稿者:朱天 投稿日:04月18日 00時22分

    >動物のお医者さん
    やっぱり皆様と一緒のとこに突っ込んでたり(笑)
     
    私ハスキーが一番好きなんです。中学の時学校の隣のうちが飼っててすっごいかっこいい奴だったんです。しかも頭いいし。でもあるとき逃げ出しちゃって大騒ぎになってました。普段はおとなしい奴だったけど生徒とか噛むといけないとかで先生がおろおろしてました。あれだけ大きいと色々大変なんだろうな。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時23分

    今、まだ育ち盛りですよね?
    かわいいだろうなぁ。
     
    朕って、いいとこの奥さんの・・・というイメージもあるけど、大店の旦那さんのお妾さんが飼っているイメージもあります。
    なよっとした感じで脚を投げだし、火鉢にひじをつき、その手にはキセル。反対の手で朕をなでているような。
     
    それにしても、狛犬のモデルが、朕だという話を最近知りました。
     
    昔、スフィンクス・シーサー・狛犬は同源だ、とどこかで読んだんですが、なんやかや混ざってるんでしょうねぇ。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時29分

    確かに、似てましたね。>チョビ
    青い目がすごく綺麗な子でした。
     
    私は、木曜9時は、「どっちの料理ショー」と決めてたんですが(おいしそうなものを見るだけで、結構幸せになりません?)、とりあえず、動物のお医者さんは、チェックしときます。
    やっぱ、動物ものって強いですよね(^^ゞ
     
    陰陽師2の悪役は、中井貴一氏ですか。
    海パンで腰を振ってるイメージをいつまでも、持って手はいけないのですね(←古いわっ!!)
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月18日 08時33分

    確かに、でかいと、犬側に悪気がなくても、危険な場合がありますよね。
     
    遊ぶつもりで飛び掛ってこられて、転倒・・・とか。
    あまりのでかさに、びっくりして、転倒とか・・・ってこけてばっかや(~_~)
     
    うちの近所でもハスキーを飼ってる家が何軒かあります。
    でも、どこのハスキーも、どことなくおっとりしてて、「動物の〜」にでてくるシーザーのように、落ち着きがなく陽気、というイメージじゃないんですよね〜。
    犬種による性格って、どこまで影響があるんでしょうかねぇ?

 

ありがとう 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:04月15日 19時55分

牛久保八幡社と「うなごうじ祭り」の紹介、ありがとうございます。
五月二五日の日曜の午後のNHKの番組で紹介されるとこの間の上四町の反省会で連絡がありました。
詳しくは、今週末の牛久保全体の反省会で決まるようです。
  • 25日ですね 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月15日 22時15分

    ビデオ撮っておこうかな。
    簡単な紹介しかできなかったんですけど、楽しいお祭でした。
    なにより、主催されてる方々がすごく楽しそうにされてたのが、印象的でした。
    とってもいいお祭だなぁ、って思いましたです。
    今度はゆっくり行きたいですねぇ。
  • 私も拝見しましたー☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月16日 04時00分

    ちょっと楽しみにしてたりして(#^.^#)。
     
    やんよー神って酔っ払って引っ繰り返る人達の事だったん
    ですね! 私はてっきりご神体か何かがあるのかと思って
    ました。(とんだ勘違い)
     
    何度聞いても善政への感謝祭なんだな〜と思います。
    だいたいこういうのって、実は権力者のヤラセみたいのが
    背景にあると思うけど、乱れ酔った所を見せ続ける点が
    本当に幸せを具現化してるように思える祭りですよね〜。
     
    のりちゃん、レポお疲れさまでしたっ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 08時37分

    ヤンヨー神さん達がなにしろ楽しそうで(#^.^#)
    見物客が、拍手をすると、サービス精神たっぷりに、おおげさに倒れてくれるんですよ。
     
    地元の人たちがすごく結束してるのが、よくわかるし、それでいて排他的ではないっていうのが、
    「あぁ、いい祭りだなぁ」
    って感じます。
     
    お祭って、昔の人には、最高の娯楽だったでしょうから、楽しくなくちゃ、嘘ですよね。
  • うれしいです 投稿者:ピンクのトカゲ 投稿日:04月16日 18時57分

    のりちゃん、こたつさん
     
    なんかお祭り褒めてもらってうれしいです。
    詳しい内容がわかり次第、報告しますね。
    のりちゃん、「旨稜奇顕必」の提灯も映ってますね。
  • トカゲ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 22時05分

    映ってました?
    皆さんにはこの文字の意味がわからないでしょうから、トカゲさんに教えていただいた、読みと意味を。
    読みは「むね、みいつは、くしく、ほのかならずこと、かならじ」だそうで、
    意味は、「町内安全」というような意味だとか。
     
    「町内安全」よりも、かっこいいですね(#^.^#)

 

ハムラビ法典 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月14日 15時30分

略奪の合間に持っていった方がいらっしゃるそうで。
日本で言ったら律令がもっていかれたようなものですからねぇ。心が痛みますよ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月14日 22時15分

    まだ、価値のわかる人が持っていったのならば、救いがある・・・というような気もするんですけどね。
    なにしろ混乱してるようだから、破壊されちゃったりしたら、取り返しがつかないですね。
     
    しばらく混乱が続くでしょうけど、よい方向に変わっていけばいいですね。
  • とおもったら・・・・ 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月16日 17時05分

    岐阜県で古墳の堀を破壊・・・・・。
    あれ全部でお墓やんか・・・
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月16日 22時03分

    しかも、「ミス」で、らしいですからね。
    あまりにも、間抜けというか(^^ゞ

 

後記:
こたつさんから、下記の旨連絡いただきましたので、追記します。

「はじめまして(04月21日)」で始まるスレの、「石和の物部神社(04月22日)」で、「後醍醐天皇が延喜制度を制定した折、一の宮に指定されたそうだ」 と書いたんですが、これ、   ×後醍醐→〇醍醐   です。ちょうどこの時期の写真、原寸で取ってあったのがその後のPCトラブルでスパークしてしまい(汗)、圧縮した奴しか残ってなくて確かめようが無かったのですが、その後、壊れたファイルが復活し(見た目は見苦しいままだが、問題の文字の所は見られる)、「又」の字を 「後」に見てた事が判明。 検索で石和の物部神社について載せてる他のサイトを見ても「醍醐天皇」になってるんですよね(^^ゞ。   同じログの「これまた(04月26日)」で始まるスレッドにも、後醍醐天皇と思い込んだまま書き込みしてます。
以上で〜す(#^.^#)