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再来年の・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:06月12日 00時32分

大河ドラマは、宮尾登美子判「平家物語」を
下敷きにした「義経」だそうで・・・・
キャストはまだ決まってないようですが、
誰が義経演じるんざんしょ(^^;
私、義経といえば、どーしても、ちんちくりんの
イメージがあって、ナイナイの岡村君あたりが
ビンゴなんですけど・・・・
  • それだけは・・・ 投稿者:北山の素浪人 投稿日:06月12日 00時35分

    ヤメテェ〜〜〜!
     
    >ナイナイの岡村君
     
    やはり、日本って役者の層が薄いのでしょうか?
  • な、なんで。。 投稿者:anne猫 投稿日:06月12日 01時10分

    平家中心の平家物語原作なのに、義経主役なら源氏中心になるやんか! 
    義経中心にするなら 義経主役の原作もってくればいいのに 前の「太平記」も主役が足利だったし!
    なんかね。。
    義経は本当は色黒で背が低かったらしいから岡村君でもいいんでない
    彼の演技力と器用さは買うけど 劇団四季でもSMAPでも上手に踊ってたよ!
    でも世間の認識が許さないから美景をもってくるでしょうな
    平氏の武将が気になるな〜
    知盛なぞ誰がするのか(平家びいきだったりするの私は。。)
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 07時49分

    私には、加えて、頭がでかかったというイメージがあります。
    岡村クン、ぴったりです。
    彼なら、スタントなしで、鵯越もやってくれそうだし。
    鞍馬山での修行時代も、本人が・・・それはいくらなんでも無理か(^^ゞ
  • 素浪人様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 07時51分

    あ・・・あれ?
     
    そいえば、こないだ、神戸の住人は、「源平に思いいれがある」とおっしゃってましたね。
    やっぱ、義経公には美形をお望みですか?
     
    でも、岡村くんってよくよく見たら、そこそこ整った顔してませんか?
    ・・・だめ(~_~)??
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 07時57分

    そういえば、「平家物語」なのに、義経主役ってのは・・・?
     
    もし、耳なし芳一が、義経主役の平家物語を歌ったりしたら、その場で耳どころか、頭ちぎられてたかも(^^ゞ(←グロい想像??)
     
    私が岡村くんをいいと思うのは、あの負けず嫌いさ。
    負けず嫌いさが微塵もなければ、役者さんなんかできないとは思うのですが、彼はそこらへん、すごい徹底してると思うです。
     
    学生時代はいじめられたこともあるみたいだし、「逆境に負けない」とことか、「頑張りすぎて(?)周りから浮き上がっちゃう」とことか(笑)、ぴったりだと思うんですけどねぇ。NHKだしなぁ(~_~)
     
    平氏の武将かぁ。
    安徳天皇は誰がするんでしょうね。
  • 来年は 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月12日 17時59分

    香取が近藤先生だったりしますからねぇ。
    ナイナイ岡村の義経いいと思いますねぇ。
     
    >安徳天皇は誰がするんでしょうね。
    多分誰も知らない方がするのでは(笑)だって7歳やし。
    私的には後白河院が気になります。
  • 平家物語か 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月12日 22時03分

    なるほど〜。前から松たかこが主演臭い噂を聞いてたのですが、
    何の役なのかな〜?
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 22時24分

    え?
    キャスト決まったんですね・・・。
    ・・・・みてきました。
    香取くんが近藤勇で、江口洋介が坂本竜馬(^^ゞ
    へぇえええ。
     
    しかし、沖田総司が藤原竜也ってのは結構イメージです。
    ただ、子母沢貫さん(あれ、字、変ですね?)によると、沖田総司は、色黒で口が大きかったとか。ついでに背もでかかった。
     
    香取くん、外見は、沖田総司の方がぴったりなような(~_~)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 22時26分

    えええ?
    それじゃ、
    平家物語で、主役が義経。
    で、主演が、松たかこということに(笑)?
     
    義経って紅顔の美少年ってことになってるから、女性が演じるのもありかもしれませんね。
     
    う〜ん、でも・・・素直に考えたら、松たかこは、静御前ですかねぇ(~_~)
  • 竜馬におまかせ、新撰組編 投稿者:Naomi 投稿日:06月12日 22時38分

    >松たかこが主演だったら、やはり、二位の尼
    平時子さんかな?静御前のイメージはわかないなぁ(^^;
     
    >坂本竜馬・・・江口ですかぁ、映画でおりょうさんの
    愛人役やってたと思うけど、三谷つながりで、鈴木京香
    出るかな?けっこうファンです(^^)
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月13日 08時23分

    おりょうさんの愛人・・・。
    そないなお方がおらはったんどすか?!(驚きのあまり、変な京都弁)
     
    私はまたおりょうさんは、竜馬一筋かと思ってました。
     
    司馬遼太郎の「竜馬が行く」では、おりょうさんは、「美人だが同性にはあまり好かれないタイプ」とされてました。
    竜馬の危機には自分の命をなげうってでも飛び出す果敢さを持ちながらも、どこかぬ〜ぼ〜〜とした印象のあった女性だとかなんだとか。
     
    そういう女性が愛人。
    う〜〜〜む、う〜〜〜む、う〜〜〜〜〜〜む。
    想像できない〜〜(^^ゞ
     
    そういえば、近藤勇には、ラブロマンスがあるんでしょうか?
    それこそ、土方とのロマンス(笑)しか、聞いたことないんですが(例:筒井康隆著「我が名はイサミ」)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:06月13日 17時24分

    松たか子は二位尼が似合うと思います。静は仲間・・・今年も出てるしなぁ。
     
    近藤はなんか遊んでたイメージがあります。土方は「もててもててしょうがないんですよー」という手紙を送っていたらしいですが。
  • DVDの 投稿者:聖林の素浪人 投稿日:06月13日 21時09分

     デッキを購入してから、よく映画を見るようになりました。ビデオのときはそうでもなかったのですがネ。
     邦画も洋画も分け隔てなく見てるつもりですが、どうしても洋画の方に傾いてしまいます。予算的なスケールもあるのでしょうが、やはり監督の技量や役者の層の厚さの違いが大きいのでしょうか。邦画にはもう少し【大人の】映画を期待したいのです。何か、垢抜けない田舎くささを感じるのです。映画人も役者も、どこかオタク的な楽屋受け世界に甘んじてるような気がします。今、世界的に評価の高い日本のアニメに対して、『アニメなんかしょせんサブカルや!ホンマモンの演技を見せたろうやないかい!』というぐらいの気迫の演技・演出に、お金を出して堪能しに行きたいものです。しかし、大人というとすぐアダルト系に繋がるのも底の浅さやな〜。やはり『層』の薄さなのでしょうか?・・・それは置いといて。
     オカムラ君が義経だったら、ヤベッチは何の役するの?
    チリコさんは意外と好きなんやけど・・・どこが?・・・あの、二の腕が!・・・フェチでした。
    <(__)>uso,uso!
  • ナイナイ版「義経記」って見てみたいかも 投稿者:Naomi 投稿日:06月13日 22時25分

    >のりちゃん
    一応、映画の中の話ですよ(^^;
    タイトルは「竜馬の妻とその夫と愛人」で、江口が
    竜馬そっくりのおりょうさんの愛人という・・・
    来年の大河では、そっくり、がとれるわけですね(^^;
    実際のおりょうさんの晩年は、坂本竜馬の妻
    (内縁だけど)ということを鼻にかけ、生き残りの
    海援隊隊士等に生活費をせびる、さびしいものだったとか
    竜馬が生きてたら、日本の歴史もだけど、おりょうさんの
    晩年も違ったものになったと思います(;_;)
     
    >素浪人さま
    うちは、結構、邦画を見るほうで、今まで見た中では、
    「楢山節考」とか「大誘拐」が気に入っております。
    あと、1964年作の「怪談」も、今観ても秀逸です
    いずれもDVDでゲットしにくいものですが、
    機会があれば、ご覧になることをお勧めしますぞ(・_・)b
    ちなみに、やっぱ、やべっちは「頼朝」どのでしょう(爆)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月13日 22時32分

    新撰組は「もてた」とかいう話を聞きますねぇ。
    確かにあの浅黄色の装束は、「粋」だったのかも?
     
    さて、静御前。
    関係ないけど、「ドラえもん」のしずかちゃん。
    フルネームを「源しずか」って云うんですね。
     
    ってことは、のび太が、義経?
    う〜〜〜む(^^ゞ
  • 聖林の素浪人様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月13日 22時47分

    私は、あんまり映画を見ないんですが、
    「蒲田行進曲」
    はごっつい好きです。
     
    あの手の切なさは、アジア映画にしか出せないんじゃないか、と密かに思ってるのですよ。
    小説でも日本の小説と海外の小説では、日本のものが、「心理描写」に重点を置かれているのに対し、ヨーロッパ(特にキリスト教国)のものは、「物語」に重点を置かれえいるような気がします。
    日本のものは、主人公の行動よりも、その行動にいたるまでに辿った心理的軌跡に力を入れて描かれているような。
     
    映画でも同じようなことがいえないか、と思います。
     
    映画やドラマで嬉しいのは、最近、舞台俳優さんの活躍が目覚しいこと。
     
    惜しむらくは、舞台俳優さんって、アップにして、「二枚目ですっ!!」と言い切れる役者さんが少ない。
    舞台の上であんなに格好いい(反論アリ)古田新太さんも、テレビでは、「変なおっさん」だし(T_T)
    舞台役者さんの中では超ハンサム級の(反論アリ(T_T))槍魔・・・じゃなくて、生瀬さんも、テレビでは普通のおじさんだし。
     
    願わくは、メイクの技術がもっと発展して、古田さんが超二枚目に・・・ならないか(^^ゞ
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月13日 22時56分

    あぁ、映画の中でのお話なのかぁ!!
    いやぁ、結構びっくり仰天してしまいました(^^ゞ
     
    しかし、私たちが思い描くお龍さんは、きれいで凛々しい、というようなものですが、現実のお龍さんの晩年は寂しいものだったのですね。
    幕末に、どっちにどう転んでもおかしくなかった時代、人は「安定した将来」を求めてはいなかったのかもしれませんが、「晩年」にスポットをあててみれば、また違ったものが見えてくるかもしれません。
     
    ナイナイの義経記。
    ヤベっちは、「烏天狗」なんかどうでしょう?
    ・・・って、なんか、こうなるとコントになっちゃうかなぁ(^^ゞ
  • おぉ〜 投稿者:朱天 投稿日:06月13日 23時41分

    色々発表されてるみたいですね。私はこの中なら
     
    江口洋介:坂本竜馬
     
    が結構はまってるように思います。なかなか楽しみですね。
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月14日 09時09分

    私も結構楽しみにしてるんですよ。
    若い人に人気の俳優さんばかり集めているようで、どの顔ぶれもなかなかの演技派っぽい。
    久しぶりに、大河を見るかも。
     
    問題はストーリーですが・・・。
    三谷節(というのか?)は出るんでしょうか?
    出て欲しいような、怖いような。
  • 斎藤一が 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月14日 13時48分

    オダギリジョーらしいですね。
    佐久間象山が石坂浩二で。
    どうも斎藤一は「るろうに剣心」の「悪・即・斬」のイメージが強いです。
  • 石坂浩二 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月14日 22時32分

    いやぁ、いいんじゃないでしょうか。
    るろうに剣心はどんなのか原作もアニメも見てないんで、よくわかりませんが、斎藤一もよくわかってないのでトントンです(?)
     
    なんにせよ、どんどん配役がわかっていって、わくわくしますねぇ!
    女性陣はどうなっておるのだろう?
  • 一さんは。。 投稿者:anne猫 投稿日:06月15日 14時57分

    本人さんの写真が残っていますが。。
    ぎょろ目でどっちかというと テレビの「壬生義士伝」で演じた竹中直人さんに似てますので るろうに剣心の一さんみたいなきれなが目のあんなかんじではないです 今思えば あのマンガも子供っぽい絵でしたね  少年雑誌のわりには。。 当時は アニメの方もよく見てました 
    私は、白土三平や サイトウプロのおっさん臭い絵の方が好みです
    だから少女漫画家が書く歴史物や新撰組ものはちょっと受け付けないのは私は年くってるからか、自身がおじん臭いのかな?
      
  • 猫様 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月15日 16時46分

    私もどちらかというと劇画調の方が好きですね。つげ義春とか好きです。
  • ニュースでやってたけど・・・ 投稿者:Naomi 投稿日:06月15日 20時58分

    京都ホテルの前に、新撰組を顕彰する石碑が
    出来たとのこと・・・・
    いいのかなぁ・・・このホテルって、もと
    長州藩の藩士を祀った祠もあったはずなんですが(^^;

 

なんで、共時性 投稿者:hiro2 投稿日:06月10日 07時16分

今回の神社周りは、須佐神社(佐田町)は初めから予定に入れてましたが他はまったく決めずに、当日の朝に同行してくださった「わらべ」のお上さんの友達にモーニングコーヒーをしながらどっかいいとこない?の乗りで決めました。
 
 神魂、真名井の主宰神がどなたかも知らずに行ったものだったのですが。。後で考えてみたら御父神、御母神、姉の天照(行ってから判ったのですが、須佐神社の対面に天照社があり立派な社でした)、弟のスサノオとお見事な系譜。
 
そうなんだーと思いながら納得のさて帰阪かなと「わらべ」のなかの神棚の部屋で今回の出来事の一連の話をしていたところ「お上さん」が「えーっ」と神棚を見て驚くので、どないしました?と聞くと、今回出雲にいく2日ほど前に神棚のお札を整理したそうなのですが(以前から気になっていたので一度すっきり整理しはったらと僕が意見させて戴いていたのですが)何にも考えずに整理したんやけど。。
 
観てみると真中に須佐神社のお札、右横に天照、そのまた右に金山彦の命の木札(このお札はこの古民家の先住の方が祀っていたものを、お上が感謝の意味でおいたらい)。もちろん誰なのかは知らずに。この後大阪に帰ってからネットで調べて又ビックリこくのですが・・・。
 

そして須佐神社をはさんで左には熊野大社のお札、その横は神魂の近くの縁結びの神社(すいません。ど忘れしました)で、へえー偶然とはおとろしー、とか言ってたんですけど!そして後で金山彦の命が天照のお兄さんだと知って、またまた、げー!とか思ったりしたわけです。
 
ここのお上は、意図的にこんなことをする人ではないのでてっいうか、出来ない人なので・・・。不思議!!!!
  • ご祭神 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 08時06分

    参拝した神様が親子関係だった、っていうことはよくありますよね。
     
    それは、どうしても、「ある神様の一族」を祀る人々は固まって居住しておられる可能性が高いため、ある地域の神社をぐる〜っと廻ると、家族全員に参拝できる、ということがあります。
    また、イザナギ神・イザナミ神の御子はムチャクチャ多い(100柱以上おられるかも)ので、天照大神と兄弟関係の神様もすごく多いんですよ。
  • 出雲王朝 投稿者:hiro2 投稿日:06月15日 20時22分

    けっこう頻繁に関西・関東行き来していたけど
     
    関 祐二さんの縄文人国家=出雲王朝の謎
     
    一部を除いて、なんか判るような気がします。
     
    おおっ!今度は丙盾と浅間が呼んでる!
  • 丙盾と浅間 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月15日 21時54分

    日本中、行かなくちゃいけないところだらけですね(~_~)
     
    縄文人国家=出雲王朝説は知らないので、よくわかりませんが、楽しみは探せばいろいろありますね。

 

新スレ 歴史のお時間 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月08日 22時57分

QUBO様
まぁ、当の500年の間に生きていた人々にこの話をしたら、
「縄文人やら弥生人やら分類すんのは、あんたらの都合やろ。わしらは、わしらじゃ!」
とかいわれるかもしれませんね(^^ゞ
 
しかし、縄文時代と弥生時代の定義を、「大辞林」で見てみると、
縄文時代は、「縄文土器を作った時代」
弥生時代は、「弥生式土器を作った時代」
なんですね(~_~)
 
土器が基準・・・。
文化とはなんぞや?
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月08日 23時01分

    安吾の「二流の(これ、如水が主役なのか、秀吉が主役なのかよくわかんないんですよ。つまり、如水と秀吉のどちらが「二流」だと安吾は言っておるのか)」では、つかまったのも、警戒されたのも如水の計算のうち、というように描かれてたと思います。
     
    海援隊の「二流の人」は知りません。
    どんな歌なんですか?
  • 今日の新聞では 投稿者:朱天 投稿日:06月08日 23時24分

    古墳時代も繰り上がるとか、そうすると記紀の世界内に入ってくるのでは?なんだか相当お騒がせな研究発表になってきてますね(笑)
     
    >如水
    軍師よりは野心のある一戦国武将だったのでは?軍師って王佐の才とかいって、主人がNo1になる事のみに執心する人ですよね。如水は後で自分の息子にも言ってるように天下を狙ってた感があるので、私の中ではちょっと軍師ではないです。でも、好きです(笑)
  • うをおおお 投稿者:ひくもん 投稿日:06月09日 02時23分

    何かめっさ久しぶりの気がするです、逆浦島です。
    ワシは、ワシはもう……ふんがっふっふ。
     
    >文化とはなんぞや?
    内面的には「世界観」、外面的には「様式」とかゆってみたりして。
     
    でぃわ、また逝って来ます……ワシは、ワシはもう……!
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月09日 08時21分

    えぇええっ??
    古墳時代も?
    しかし・・・。
    現実の古墳時代と記紀の古墳時代は、すでに整合性ついてないんじゃないかと・・・(^^ゞ
    まぁ、無理やりつけておられるムキもあるようですから、多少変っても、強引と無理やりがなんとかするのではないでしょうか(なんのこっちゃ)。
     
    如水の天下。
     
    よく知りませんが、三人の天下人って、三人が三人独特な「華」があるように思います。
    てか、カリスマ性っていうのかなぁ?
     
    如水の「華」はどんなもんだったと思います?
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月09日 08時24分

    むっちゃ短い、刹那の帰還なのね〜(T_T)
    そして、また行ってしまうのね。
     
    縄文の世界観と弥生の世界観!
    私としては、それぞれの文化がいつ始まったかよりも、そっちの方が知りたいわい。
     
    そんじゃ、また行ってらっしゃ〜〜い(^.^)/~~~
  • そうだそうだ 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月09日 20時01分

    ↑そもそも、お后選びが元だったかも。グリムの話なんですね。
    私は何か普通の民家みたいな所でやった試験だった気が
    してたんだけど、じゃあ王宮か何かで募集したのかな。
    (でもそれじゃ、お姫様然とした人が来そうですよね)
     
    で、縄文と弥生って、土器が基準なんですね。
    それでヤケにそこだけ自信たっぷりゲにNHKは言ってたのかも。
    「遺跡では縄文のも弥生のも土器が発見され、協同生活
    されてた痕跡があって、どうちゃらこうちゃら」
    って(^_^;)。
     
    もっとも混血の根拠は骨でしたけど。
  • 海援隊の「二流の人」 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月09日 21時28分

    関が原の時に一生懸命九州をまとめてさぁ天下とりへ!!!と思った矢先に三成敗北を聞いた如水が自分は所詮二流の人よ、フッと寂しく笑う、そんな歌です。まぁ海援隊ですから「世界へ船で漕ぎ出して全部見てくる」みたいな本当に夢見たいな歌詞もあるのですが(笑)
    それでも最後に自嘲する如水が想像できて私は好きですねぇ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月09日 22時40分

    ええ。
    お姫様然としたニセモノがたくさんやってくるので、困っちゃうんですよ。
    「ほんもののお姫様をどうやって見分ければいいんだ(T_T)」
    って。
     
    でも、豆ベッドの実験でわかるのは、
    「金持ちかどうか」であって、
    「お姫様かどうか」ではないような気もします(~_~)
     
    縄文式と弥生式土器。
     
    でも、実は、私、どっちがどっちだか、見分けがつきません(^^ゞ
    縄目がついてるのが縄文式・・・と習ったんですが、どれが縄目なのか。
    弥生式の土器にも「これは縄目です」と言われたら、「本当だぁ」と納得しちゃいそうな後が・・・。あれ?
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月09日 22時44分

    海援隊の「二流の人」も、如水のことを唄ってるんですね。
    てことは、メンバーの誰かが、安吾ファンと見た(笑)
     
    関係ないけど、如水の家紋って、蝶ちょじゃなかったでした?
    彼は飛びたかったんでしょうか?
    なんちゃって(#^.^#)
  • 豆ベッド 投稿者:mind 投稿日:06月09日 23時01分

    > そもそも、お后選びが元だったかも。グリムの話なんですね。
    > 私は何か普通の民家みたいな所でやった試験だった気がしてたんだけど、じゃあ王宮か何かで募集したのかな。
     
     私の記憶違いでなかったら、豆ベッドのモチーフは、グリム童話に何度か出てくるのです。その中に、のりちゃんの言ったのもあれば、舞台が民家のもあった気がするッス。
  • 如水の華 投稿者:朱天 投稿日:06月09日 23時29分

    やっぱり知性という事になるのかな。ただの知性じゃなくて年をとるにしたがって、老成して人の感情のひだまで見透かせるような頭脳になっていった点でしょうか。でも彼はどーしても暗い部分があって、陰険だったり、家臣に疑心暗鬼になったりしているので天下人というのは厳しかったかもしれないですね。
     
    のりちゃん様のいうカリスマ性があまり無い気がするのです。
  • mind様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 08時12分

    へぇ〜、それじゃあ、豆ベッドのモチーフは、ドイツだけじゃなく、あちこちにあるのかもしれませんね。
    私は、岩波文庫のグリム童話集を持ってるんですが、他に豆ベッドのモチーフがあったかどうか・・・覚えてないです(^^ゞ
     
    てことで、こないだ購入した、講談社+α文庫の「世界の民話事典」で「豆」をひいてみると・・・。
    おぉ、「豆ベッド」は、インドにも全く同じモチーフの有名な童話があるらしいです。
     
    考えてみれば、布団の下に置くのは小石でもなんでもいいはずなのに、わざわざ、豆にしているってのは、「豆」に意味があるのかもしれませんね。
    同「事典」によれば、豆は活力の象徴であり、霊力の象徴でもある、とか。
    なるほど・・・。
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 08時21分

    並すぐれて頭のよい(洞察力のある)人って、陰険にならざるを得ないってところもあるかも。
     
    不安ってのは、一度抱いてしまうと、どんどん増殖することもあるじゃないですか。
    如水が頭のよい人であればあるほど、その増殖のスピードは速いかも。
     
    でも、家臣に疑心暗鬼にならなかった武将って、いるのだろうか?
     
    ・・・家康公は、人を疑ったりする人柄じゃなかったかもしれないな、とは思うけど、信長公も秀吉公も最後は、疑心暗鬼になってたっぽくないですか?
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:06月10日 19時28分

    >関係ないけど、如水の家紋って、蝶ちょじゃなかったでした?
    私の知る限りでは蝶ではなかったような気が・・・(笑)確か藤巴ですよ。昔幽閉されたときに牢獄から見える藤の花に勇気付けられて脱出後に家紋にしたとか・・・。
     
    >信長公も秀吉公も最後は、疑心暗鬼になってたっぽくな>いですか?
    うつけの場合は「信じられる人」より「自分を信じる人」を集めたような気がします。
    太閤の場合は最後血族のどんどん消える中幼子を守りたい一心で盲目的になったかな?と思います。
     
    如水は・・・・最後までひがみ屋さんだったんでしょうねぇ。太閤に疑われ、治部に見下され、内府に警戒され・・・
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 21時57分

    あれ?
    姫路城では、蝶々の家紋がいっぱい刻んであったのですが、確かそれに、「如水の家紋」っていう解説がついてたように思ったのですが・・・(^^ゞ
     
    なるほど。
    太閤は、秀頼に対して盲目になっちゃった、というのは、わかりますね。
    臨終の時も、最後の最後まで、秀頼公のことを心配してた、とか。
     
    あんな最期を迎えるとは知らなかったんでしょうね。
  • グリムと如水(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月10日 23時02分

    素晴らしいスレッドだと思った(笑)。
     
    昔々、如水が本当のお姫様を探していました。
    如水はベッドの下に豆を入れて試してみましたが、
    そこにやってきたお姫様は実は荒木村重で
    (気持ち悪いよ、この話っ(^^;)!)、
    如水はまんまとお姫様に捕まって幽閉されてしまいました。
     
    そうして日が経つ内に、ベッドの下に入れておいた藤の種
    (豆はどうなったの(^^;))から芽が出て膨らんで、
    ハ〜ナが咲いて、ジャンケンポン!
     
    ってワケ判らん(^^;)。
     
    随分前ですが、如水が藤の花に感銘を受けた話を都合よく
    改竄して(笑)、「藤音」という名の女性が出て来る
    少女漫画がありました。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月11日 07時59分

    なぬっ?
    如水を幽閉したのは、荒木村重?
     
    荒木村重公といえば、神戸市にある走水神社のご由緒の中にある、「永禄十年荒木摂津守村重花隅の要害に依る築城に際し、社地はこの搦め手に当たるので」という文章を読んで、「村重(の)、花隅の要害に依る築城に際し」ではなく、「永禄十年荒木摂津守村重花隅の、要害に依る築城に際し」と読んでしまった武将です(長い割りには、面白くもない説明をしてしまいました)。
    つまり村重花隅という武将がいると思いこんでいたら、ぜんぜん違った・・・という印象しか残ってなかった武将でした(^^ゞ
    こたつさんに指摘されなきゃ、未だに「村重花隅」と覚えていたところでした(~_~)
     
    その武将が如水を幽閉してたとは・・・。
    知りませんでした。
     
    しかし、少女漫画になってるなんて、黒田如水って、結構ファンが多いんですね。
    「黒田如水」で検索して探してみたら、一発目にあがってきた、「黒田如水」のサイトは、物悲しく切ないBGMが流れてて、
    「ほぉ〜、如水のイメージはこんなかぁ」
    と、感じ入ってしまいましたぁ(~_~)
  • そうでした、そうでした 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月11日 17時34分

    覚えてます(笑)。説明板とかの文章って、区切れが
    無くて文章繋がっちゃうんだろうな、なんて話をしました
    よね(^_^;)。それ、悪いのはのりちゃんじゃなくて、
    書いた人だと思いますよ(笑)。
     
    当時秀吉らを使って毛利攻めを行っていた信長にしてみれば、
    摂津なんて目と鼻の先で謀反を起こされては大変なので、
    何とか村重を説得しようとして、光秀(の娘は村重の息子
    に嫁いでいる)を行かせたりするんですが効き目がなく、
    黒田官兵衛を行かせるのですが、官兵衛の地元の上司の
    小寺氏というのが、裏で村重と繋がっていて村重に官兵衛
    を捕えさせるんです(^^;)。
     
    村重は本願寺門徒だったとも言われ、本願寺が信長に
    逆らって毛利側についた事が、彼の謀反を促したとも解釈
    されてます。
     
    少女漫画は、
    「蒼い旋風」(三浦浩子著/小学館:プチセブンコミックス)
     
    これは男女の恋愛物語なので、そうナニでもないですが(笑)、
    通常、如水が女性に人気がある所以は、恐らく竹中半兵衛
    との純愛物語(という事になっている(^^;))にあるのでは
    ないでしょうか(汗)。
  • 如水と半兵衛といえば 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月11日 18時51分

    如水が「秀吉が領地をくれるって文書まで出したのにくれないのだよ!!!」とこぼした時に半兵衛がその書類を焼いて「こんなもの気にせんと働いてればそのうちくれるから」と諭した話を思い出します。
  •  投稿者:hiro2 投稿日:06月11日 19時42分

    弥生人は親知らずのない人が多くて、縄文はしっかり
    親知らずまで崩出しているケースが多いのです。
    (歯の話)現代人の歯並びの悪いのは、縄文のリベンジと
    考えておりやす!
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月11日 21時57分

    つまり、如水は、村重への「最後の手段」だった、ということになるんですかねぇ。
    光秀の娘。
    「ガラシャ夫人は有名なのに、有名じゃない娘もいる」の娘でしょうか(笑)?
     
    ガラシャ夫人は有名な美女だったのですから、姉妹もやっぱり美人だったと思うのですが、村重にはその美しさは通じなかったんですかねぇ?
    それとも、実は意中は、如水にあったとか(はっ?如水と半兵衛の純愛・・・に影響されてしまったか?)
     
    以前、こたつさんに、戦国時代の衆道は「よい趣味」に近かったというようなことを教えていただいたと思うのですが、ちょっとニュアンス違いましたっけ(^^ゞ?
    なんにせよ、現代よりもずっとおおっぴらに同性同士の「友情」があったと思うのですが、その中でも「人気の二人」ってのがあるんですね。
     
    やっぱ「純愛」ってのがポイントでしょうか(~_~)。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月11日 21時59分

    そのエピソードを聞くに、如水が「頭はよいが、どちらかというと内向的」なのに対し、半兵衛は、「人格者」だった、という感じでしょうか?
    ちょっと違うのかなぁ。
  • hiro2様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月11日 22時01分

    なるほど。
    歯並びや歯の数も、弥生人と縄文人は違うんですね。
     
    ところで、縄文人は、親知らずがはえてて、歯並びがいいのでしょうか?
    それとも、親知らずがはえてて、歯並びが悪い?
     
    私は、歯並びが悪くて親知らずがしっかり生えているのですが(^^ゞ
  • そうか 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月12日 22時02分

    縄文弥生もあったんだっけ。。
    (↑書いてみて、人名っぽいと思ったアホな私)
    これまで入れると、さすがに童話としては破綻しそう(笑)。
     
    >光秀の娘。
    >「ガラシャ夫人は有名なのに、有名じゃない娘もいる」
    >の娘でしょうか(笑)?
     
    そうそう、でもちょっと、うんにゃうんにゃ。
    ガラシャの姉には違いなかろうけど(母が一緒かは不明)、
    境遇が似てると言えるのは、むしろお市の方かな〜?
    (初婚相手が負けて実家に引き取られ、再婚相手が家来筋
    だが、やはり負けて死ぬ)
     
    村重と如水……それっぽい仕立ての小説もあるゲに聞きました(汗)。
     
    如水と半兵衛のエピソードは、半兵衛の方が先に秀吉に
    仕えて、信長の性格を知っていた所にあると思います。
  • 縄文弥生 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月12日 22時21分

    えっと、どこからどうなったんでしたっけ(←あかんがな)。
     
    なんにせよ、「豆ベッド」の話は、世界的に分布されているようで、インドでは非常に人気のあるモチーフである、って話でした。
    でも、「豆」じゃなければ、もっと広い世界で語られてるかもしれませんね。
    南米では、「とうもろこしベッド」とか(笑)
     
    (政略)結婚相手が死んで、再婚して、その相手も・・・っていう戦国の女性は、結構いるんでしょうか?
    政略結婚以外の結婚って、ほとんどなかったのだろうか?
    という気もちらりとしてきました。
     
    今昔を読むと、平安時代の結婚も、結婚は「生活のため」という要素が強かったように感じますが、その場合、女性は、生活力のある(自分の生活を安定させてくれる)男性を「頼りになるお方」と恋に近い感情を抱き得ますよね。
    戦国時代の政略結婚では、女性は、どのように感情の処理をしたんだろう。
     
    やっぱり、「この人は私の祖国を安定させてくれる頼もしいお方」
    う〜〜〜ん(-"-)なんか想像できない〜〜〜。
     
    村重と如水。
    私と同じこと考えた人もいるんですね(^^ゞ
  • 当時の結婚は 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月13日 22時43分

    ↑戦国期に限らないと思うけど、特に戦国期は「就職」の
    意識かなり強かったと思いますよ(^^;)。
    今だってまず相手の履歴や経済力から入る女性って少なく
    ないでしょ(笑)。それと同じよ。
     
    で、好いた惚れたで行っちゃうケースも当然多かったと
    思います。その場合は「まず夜這いありき」が前提ですね。
     
    ただしそれが声高々と「有名」の条件にまでなったのは、
    江戸時代からの文化でしょう(^^;)。芸能人の走りみたい
    な雰囲気ね。平安期にもあったでしょうし、いずれ動乱の
    時代の流行ではないと思います。
  • そういえば、 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月14日 09時06分

    現代でも、結婚のこと「永久就職」なんて言い回ししますね。
     
    しかし、戦国期のイメージ、私はもう一度作り直さないとダメそうです。
    なんか、こう、お城があって、門の前には、いかめしい門番がいて・・・というイメージなんですよね(^^ゞ
    だから、「戦国期にも夜這いがあった」となると、門番に眠り薬を飲ませて、眠らせ、高圧電流(ヲイ!)を飛び越え、高層にある姫君の部屋まで壁をよじ登り・・・という、図を想像してしまいましたぁ〜〜。
     
    平安時代の(貴族の)結婚は、もうほとんど夜這いですよね。
    今昔を読んでいると、「ちらりと見えた娘がかわいかったので、その晩忍んでいった」という場面が何度も登場します。
    私は間抜けにも、「光源氏だけじゃないんだぁ」と感心してしまうことシキリ。
    当たり前ですよね(~_~)

 

友の会? 投稿者:QUBO  投稿日:06月10日 08時46分

ナニ?
ワー!
オバチャンの会!!
 
「なにわのおばちゃん」
んーッ強ソーヤノ―
 
ソソクサ…ソソクサ…(←遠ざかる足音)
  • 「プチ」ですって(~_~) 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 09時37分

    でも、強いですよ〜〜〜(#^.^#)
  • 今まで、 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 12時55分

    猫さん、Naomiさんの3人で不定期に集まっては、本や資料(や、漫画)を貸し借りしたり情報交換したりしていたのですが、人数が多いほうが、集まる情報も資料も多いだろうし、なにより楽しいに違いない、と考えて、メンバー募集中です。
    よろしくお願いしますm(__)m

 

共時性 投稿者:hiro2 投稿日:06月09日 21時13分

島根の神魂神社、真名井神社、佐田町須佐神社回ってきました、須佐神社のたたずまいが良かったですよ。
 天照社も立派でした。
  • 出雲 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月09日 22時28分

    行きたいんですよねぇ。
    日帰りで行ってこれる距離だったらなぁ(~_~)
     
    神魂神社には、むか〜し参拝したことがあります。
    どんな気配がありましたか?
  • 魂 投稿者:hiro2 投稿日:06月10日 06時15分

    今回行ったところは全てそうでしたけれど
    一切朱色(ベンガラ)はなくて簡素なたたずまいでした。
     
    神魂はイザナミ、真名井はイザナギ、須佐は特にスサノオの魂をお祭りしているということで個人的にも行かなければならないところでしたので・・・。
     
    翌日甲奴町の須佐神社に「魂」のご挨拶の参拝に伺い、すぐ近くにある、男鹿山(オンジカ)という麓に建設予定の「むすひ村」建設に伴うご挨拶に登山したのでが・・・。
     
     30分ぐらい前から稲光、雷鳴が鳴り出してせかれるように頂上に上ったところ、昇っているときは止んでいたものが頂上に到着するなり真上で「はよせい!」とでも言いたげな雷鳴(同行した者が座り込んでしまうほど)。
     
    急いで祭壇を作って、海のもの、山のもの、お米、豆、水で周りを清めてお酒を注いで「祈願」してさあ一服と思ったら「さっさと降りろ」とでも言いたげに今度は「雨」ざーざー!
     
    出発した麓の「わらべ」というお蕎麦屋のお上さんに後で
    聞いたところ、我々が(3人)行っている間じゅう、稲光雷鳴、雨とおまけに雹まで降っていたそうです。6月ですよ!「わらべ」に戻ったとたん全てぴたっと止んでました。
     
    この間、1時間半ぐらいだったかな?!まあ僕自身は始めからぜんぜん恐怖感はなくむしろ先導して下さっている感じがして安心していました。さすが!さすが!の「荒ぶる神」、スサノオのpowerを見せつけられました。一仕事終わったかなみたいな・・・。
     
    「村」づくりとは別にヒーリングセミナーを須佐神社内の祗園会館というところをお借りしてする(6/29)ことのご挨拶とお礼も兼ねたものだったので・・・。なんか当日すんごい「光」が・・・!
     

     
  • 参考までに 投稿者:hiro2 投稿日:06月10日 06時22分

    http://www.nichiko.com/warabe.htm
     
    蕎麦好きにはけっこう有名らしいですよ。
    僕は好きってほどじゃないですが・・・。
  • 社殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 08時00分

    静かな色合いだったんですね。
     
    しかし、「山へ入ると天候が変る」という話はよく聞きますね。
    まぁ、もちろん、山は天候が変り易い場所なんですけど。
     
    それにしても、須賀宮のスサノオの神様も「荒ぶって」おられましたか(~_~)
  • わらべ 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 08時17分

    以前、「すごくおいしい店」って紹介していたいたお店ですよね。
    興味深々なんですが、場所が遠すぎるのが難ですね。
     
    出雲へ行くことがあれば、寄ってお蕎麦をいただきたいですね。
  • 読み返してみると 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月10日 09時35分

    なぁ〜んか、無粋ですね、私。
     
    私も、神社参拝の折、「神からのメッセージ」を受け取ったと、感じることがあります。
    ですから、hiro2さんが、「スサノオのパワーを感じた」とおっしゃる気持ちは、わかります。
     
    ただ、神と自分との間の感覚は、とても個人的なもののように思いますし、また、「メッセージ」は、その場にいなかったものにはすごく実感しづらいものですよね。
     
    しかも、人間(というか、私だけ?)てのは、「謎解き」が好きです。
     
    で、ついつい謎解きにしちゃうんですよね。
    別スレの「共時性」にしても、イザナギ命・イザナミ命・天照大神が、祭壇で飾られることの非常に多い髪であることや、金属神である金山彦神と、出雲たたらの関係などを。
    無粋ですねぇ(^^ゞ
     
    神からのメッセージや共時性と感じられる素晴らしい体験は、胸に秘めておかれるのが得策かもしれません(~_~)

 

新スレ 寺社、今むかし 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 08時43分

>こたつ様
 
なるほど。
ということは、早雲があちらこちらの寺社を整備した、ということは、それだけの「癒し要員」が存在したということですね。
んで、読んでて思ったのですが、例えば、「医療や救済に従事する人」がいない、もしくはサボってるけれど、そこの住民は切実に心理フォローを求めている場合。
要員を派遣するところまではしなかったんでしょうか?
 
昔の村をイメージするのは難しいですが、例えば、医者はいるけど、施設がない場合と、施設はあるけど、医者がない場合を比べてみると、施設がなくても、河原とか辻など、なんとか医療行為をできないことはないけれど、医者がいなくちゃ、どうしようもないですよね。
 
医者がいて、整備された施設のある村があれば、そのどちらもない村の人は、そこまでやってきて治療行為を受けることができたんでしょうか?
村と村の交流ってのは、どこまで自由だったんでしょうね。
 
しかし、祭神をどうこうすることにより、求心力を高めるよりも、施設を整備することの方がよっぽど効果がある、ということはなんとなく、わかりました。
 
あと、関西と関東の違いってことについて、関西に住んでる私が見た感じを言いますと、関西は、「神武天皇の時代から、先祖代々この地に住んでる」と主張される家柄の方もおられるように、
「土地」と「血筋」の関係が濃い場合があります。
そういう土地(血筋)の方は、自分達の先祖神様を熱心に祀ってこられたでしょうし、そうであれば、祭神変更があれば、そのダメージはかなり大きいと想像できます。
 
ただもちろん、そればっかりではないでしょう。
傾向として、関西の方が関東よりも、祭神にこだわった、ということくらいはいえるかも。
 
んで、平氏は王様になってよくて、源氏はダメってのは、すごいですね。
ただ、征夷大将軍は源氏しかなれない・・・と社会科で習いましたが(うろ覚えなので弱気)、それに対抗して、「そっちが軍事のトップなら、こっちは政治のトップだもんね!」と、平氏が主張したとか・・・。
 
あ、そういえば、平氏って、滅亡したわけじゃないんですね。
こうやって、伊勢氏とか、織田氏に脈々とつながっている(改竄はあったにしろ)。
 
源平合戦に参加しなかった平氏、源平合戦で生き残った平氏の数って、実際どれくらいいたんでしょう?
平氏の子孫は、その生き残りの数に見合うもんでしょうか?(とまたややこしい質問を・・・)
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 08時44分

    早雲は伊勢氏だそうだけど、伊勢のあたりでは評判はどうなんでしょう?
    (え?伊勢氏と伊勢は関係ないとか?)
     
    家康と北条氏の施政・祭神なんですが・・・。
     
    加門七海さんって人の「大江戸魔方陣」という本がありまして。
    私はこの本、全然受け付けなかったので、すぐ古本屋に出してしまって今手元にはないのですが(^^ゞ
    この本の要旨は、江戸が作られるとき、天海僧正が、徹底的に「徳川氏を守るために」神仏包囲網を築いた、というものでした。
     
    この本を読んだ当時は、私自身、神様に対する知識も浅くて、ただただ「眉唾」と思っただけなのですが、今思い出すと、前のスレで話題になった、「タカヒコネ」の神様が江戸幕府にとって主要な神社(東照宮のことだったかなぁ?)に、祀られてることや、その他ヒントになることが結構載ってました。
     
    今になって、タカヒコネの神様は、ヤマトタケルに援軍したという話があることを知ったので、「ということは、家康公(天海僧正)は、家康公をヤマトタケルに見立ててる?」などという推理もちょっぴりできたり。
     
    家康公の個人的嗜好とは関係なく、天海僧正が、祀り替えをどんどん行っていった、という可能性は、あるかもしれないですね。
  • のりちゃん 様 投稿者:QUBO  投稿日:06月05日 16時14分

    「征夷大将軍は源氏しかなれない・・・」
    たしか豊臣秀吉「藤原氏」の末を名乗った。
    だもんで、征夷大将軍にはなれずに、「関白」にしたそうです。
    昔覚えていたが、今では出所不明です。
  • QUBO様 投稿者:あかがね 投稿日:06月05日 19時19分

    「源平藤橘」と繋がりがないと偉くなれないので、
    落ちぶれ貴族の養子にしてもらいに行ったものの
    思いっきり断られ、新たに「豊臣」姓を作ったと聞いた事があるような。
    つまり、「豊臣」と「源平藤橘」は概念的に同格というか。
    (徳川家康は公式には源家康になるわけで。)
     
    同じく出所不明なのですが…。大昔の歴史読本だったか。
  • 秀吉は 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月05日 20時00分

    足利義昭の養子になって将軍になろうとしたのですが「馬鹿にするない」と断られ、藤原氏の養子になったのです。
     
    昔から羽柴太政大臣豊臣秀吉だとおもうのですがどうやったかなぁ。なんで「とよとみのひでよし」といわないのでしょうねぇ。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 23時06分

    関白は、誰でもなれるんですね?
    でも、なんで、征夷大将軍は、源氏しかなれないんでしょう。
     
    だって征夷大将軍って、言ってみれば、軍部のトップ!でしょう?
    血筋より強さじゃん!
     
    ・・・って思うのが素人の浅墓さなんでしょうか(^^ゞ?
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 23時10分

    なるほど。
    そういう考え方もできるわけですね。
    言ってみれば、「親方株」を持ってない力士が勝手に相撲部屋を始めちゃうようなもん?
     
    全然違う(^^ゞ?
     
    なんか、10年くらい前、豊臣秀吉は足軽出身ではなく、よい家柄の跡取りだった、なんて話しが流行りませんでした?
    いや、流行はしないかもしれないけど、そんな話がでてきませんでした?
     
    でも、豊臣秀吉の魅力は、足軽から天下人になったという、出世物語にあるんでしょうね。
    最近とんと聞きません。
    いえ、私は、聞きません。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 23時13分

    断ったのは足利義昭公でしたか。
    って、この人物、信長にさんざコケにされた人じゃありませんでしたっけ?
     

    「ほりのぶゆき」って漫画家がいるんですが、彼の「せんごく」って漫画は読んでたんです。
    いえ、あまり歴史の勉強にはなりませんが、これでは、義昭公は、三白眼で、ごく印象に残るお顔をしてらっしゃいましたです(^^ゞ
  • そういや 投稿者:朱天 投稿日:06月05日 23時39分

    >こたつ様
    小太郎ちゃんが江戸で暴れたとか聞きますし、北条出身者の組み込みは少ないですね。家康の名門好きは確かに(笑)吉良・結城・宇都宮・那須とかですよね。
     
    >伊勢での伊勢氏
    そもそも伊勢長氏を知ってる人が少ないですし、伊勢氏となればさらにでしょう(笑)とてもご当地ゆかりの家なんて認識はないですよ。
     
    >秀吉の養家
    九条家だったはず。そうとうお金積んだらしいですけどね。征夷大将軍は清盛も北条家もなりたいと思わなかった気がするので、源氏以外で最初に望んだのは秀吉かしら?朝廷の解答は「前例が無いから」だったはず。
     
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:06月06日 03時20分

    戦乱によって一度現れた構図を、何らかの統一政権が一色に塗り潰していった歴史は、古代の関西にもあったかと思えなくないですが、少なくても後北条氏と同盟勢力の間柄は、稀有な共和的連携だったようで、この辺りは土壌というものもあるかもしれません。
     
    小田原評定と言うと、時間ばかりかかって無為に落城を早めたと悪口を言われがちですが、話し合いでの解決という理想に立てば、結論を先送りする事態も多々生まれ、当然時間がかかりそうです(^^;)。
    小田原(後北条氏の本拠)近くの遺跡だった覚えがあるのですが、古代においても、縄文弥生に区別なく人々が知恵を出し合い、ともに力をあわせて協同生活を営んだ痕跡が見付かるそうです。
    こういう土壌で育まれた関東武士は、いかな為政者に対しても、なまなかな屈服どころか、いつも一言多い連中ばかりが多かった想像はできます(笑)。
     
    後北条氏によく言われる事は城作りの技術であり、流通も盛んで、これをあちこちの同盟国が学んだり真似して、周辺諸国は敵対勢力まで含め、恐るべき短期間の内に、一大城郭ブームが巻き起こります。甲信・東海・関東地区の城跡は遺構を調べるだけで、そのブームの前と後ろに明確な差が如実に現出できるとまで言われています。
     
    恐るべき勢いでガンガン山城を作る過程において、どれも素材は天然の山ですから、当然のごとく城には守り神が必要になりますし、恐らくその後の平城時代に観念論に落ちた宗教観に比べれば、もっと自然への畏敬に近い形で、祈願されたのではないかと想像します(となれば祭神は「その山」であって、借りて来た名はますますどうでも良い事に(^^;))。
     
    で、医療ですが、後北条氏では、二代氏綱のころ、宋からだったか、薬と医学を伝える名士が都づてで呼び寄せられた記録があるそうです。「ういろう」の元だという事でした。
     
    しかしこれほど判ってないジャンルは無いようで、何らかタブーで書籍にするのが躊躇われるのかと疑った時期もあったのですが、どうもよくある「死者と穢れがドッタラコッタラ」という問題に直結して考えると途端に破綻しそうでして(笑)、単に守秘義務から(余命幾ばくも無い、と乱世の為政者は公表できません)もあったでしょうし、家伝秘伝によって文書が残されなかった可能性も高いでしょう。
     
    ただ一部の高名な医道者を用いるのは為政者のみで、大抵は医者と薬売りは一緒にされてる感もあり、黒田如水や小西行長は「薬売りの倅」と武士に大変バカにされたようですから、尊敬される職業だったとも思えません。もっともこの両名は西の人ですが。
    また、医療への考え方が現在とは全く違うだろうという点で、医者が居なければ医療にならないという考え方が存在しなかったから、医者自体が出て来ないのかも、とも思います。
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 08時11分

    なるほど・・・。
    とすると、「源氏じゃないとダメ」ってのは、
    「え〜〜、秀吉が征夷大将軍になりたがってんのぉ?いろいろやりたがる男だねぇ。断りたいなぁ。断りたいけど、理由思いつかないし、『前例がない』ってつっぱねちゃえ!」
    てな経緯だった可能性もあったりして?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 08時27分

    >縄文弥生に区別なく人々が知恵を出し合い、ともに力をあわせて協同生活を営んだ痕跡
     
    小学校の授業で習ったことなんで、今はどういわれているかわからないんですが、
    「移住が普通であった縄文時代は、統率者の存在は不可欠ではなかたけど、土地に定着する必要がある(そりゃそうだ(笑))弥生時代は、おのずと統率者が現れざるを得ず、身分・貧富の格差ができてきた」
    というようなことを教わった覚えがあります。
     
    小田原あたりは、その身分・貧富の格差が小さかったのかもしれませんね。
     
    今にして思えば、小学校1〜2年生の時の担任の先生は、
    「結局、ずる賢い人間が首長となった。今いう『いい家柄』の人たちはそういうずる賢い人間の子孫なわけで、偉そうにされる覚えないね!」
    とおっしゃってましたし、3〜4年の時の担任は、
    「世界中見ても、2000年以上、同じ家柄が王の地位についている(万世一系の考え方を差してるんでしょう)国は日本しかない。良政をしいてきた証拠だ。」
    と自慢そうでした。
     
    ・・・こういうことはよく覚えてるんですけどね(^^ゞ
     
    どんな出来事も照明の当て方によって、見かたが違うってことなんでしょうね(~_~)
     
    医療に関しては、あまりよく知られてないんですね。
    そういえば、頼まれて鍼灸院のサイトを作ったことがあるんですが、「この治療方法は、松平家でも重用された」ということはおっしゃってました。
    でも、具体的に誰がどのような診察を受けて、というようなことは、全く聞かなかったです。
    確かに、為政者の健康状態は、公にできないのかもしれません。
     
    で、最後に薬売りなんですが、今昔とか日本霊異記なんかを読んでいると、いわゆる「こつじき(食べ物を乞う)坊主」が登場します。
    彼らは町から町へ、村から村へと渡り歩いて、薬を売ったり、霊的治療(?)をしていたようです。
    薬売りがあまり尊敬されなかったのはそういう事情もあるのかもしれませんね。
  • のりちゃん 様 投稿者:QUBO  投稿日:06月06日 14時02分

    亭主「関白」の方が、「誠意」大将軍よりも身分は上。
    だから、「関白」の方がなれないのです。
    秀吉が、「関白」になれたのは、「藤原」さんだからです。
    「将軍」よりも、もっと血筋は大事です。
     
    でも将軍になると実入りがいい。
    最近話題にならなかった、芳賀健二?「誠意大将軍」も、
    梅宮「関白」パパと同じくらい稼いだそうですが。
     
    どうしてかと言うと「将軍」は、遣唐使なんかもそうだけど、「節刀」をもらえます。「節刀」をもらえると、天皇に代わって、全てのことが出来る。政治の権力全て=裁判権、立法権、行政権の三権全てを持てます。つまり敵を殺していい。部下を殺してもいい。税金を集めてもいい。酒池肉林でもいい。まあやりたい放題になるわけですね。
    QUBO(公方)といえば、本当は将軍のことなのに、やりたい放題とは縁遠い世界、亭主「関白」も夢のまた夢。
    現実はキビシー!
  • こたつ 様 投稿者:QUBO  投稿日:06月06日 14時13分

    > 黒田如水や小西行長は「薬売りの倅」
    小西行長は「薬売りの倅」だったと思うけど
    黒田如水は、備前福岡の城主で、その福岡から
    博多に福岡を造ったんじゃあなかったでしょうか。
    なんか秀吉に自分の城を譲ってゴマすったような?
    (うろ覚え、間違ってても手打ちにしないで)
  • のりちゃん 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月06日 20時36分

    如水のジイサンだか親父だかが目薬売って稼いだんですよ。
  • 北畠具顕 様 投稿者:QUBO  投稿日:06月06日 20時47分

    > 目薬売って
    なるほど、そうか。家伝の目薬売ってましたね。
     
    そう云えば、秀吉も針を売って歩いたとか、
    伊勢新九朗(北条早雲)の油売りとかあったな。
  • 一週間経つの早いな〜 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月06日 21時00分

    ↑もう金曜日(汗)。早いなぁ……。
     
    身分の格差についての東西の差は、まあ元はそうかもしれませんね。
    どっちの先生の仰るのも、日本全体を見渡せば、あんまり当たってないかも(^^;)。他ではそうした対立自体が希薄じゃないかな。
    あと、そうだ。縄文が稲作してなかった、は今では否定されてるそうです(^^;)。地域差はあるでしょうが。
     
    関東を見る限り、将門の子孫だとかが多いのも、朝廷への反動と言うよりは京への対抗心からであって、恐らく元は、少しでも天皇家の系譜を持ってる人がカッコイイからだと思いますよ(笑)。
    万世一系も、今でこそ上から押し付けられた改竄系譜と罵られますが、上からと言うよりは、下からの要望ですらあった気がします。何しろ東京に朝廷が来たのは明治からで、そりゃあ当時は単純に物珍しかったでしょうし(笑)。
     
    これは前にNHKで見た番組のウケウリですが、西では争いがあったものの、東では縄文と弥生はナァナァ混血しまくったようで、同じ弥生人でも東に来て土着化した人も多そうですし、神話でも追い出されて来た人が居ますよね。
     
    何しろ長い時間かけて山に住む人が少数となって行ったのは間違いないことで、殆どは農耕民になったでしょうから、関東で何らか神が増えた地点があったとしら、それは通常は住まないハズの土地を一時的に大規模開拓して、どっと大勢が住んだ山から、という事になりますし、江戸期になるとそれら山城は廃止令が出ますから、山という広大な土地、城という巨大な施設から、ゾロゾロ大勢の神様が降りて来たと思います。
     
    補足すると、「城」と言うと上層階級者のみ住む場と勘違いしそうですが、戦国期の山城は、戦闘となれば農地からも上って行って籠り、難を避けたりともに戦ったりしますから、為政者と領民が違う神様を祀るのは、何せ非常事態ですし、ちょっと考えにくいものがあります(^^;)。
    のりちゃんが言うように戦は命懸けですから、戦闘要塞に祀られる神への信仰は、ちょっと通常の祈祷とは違う、むしろ異様なほど熱狂的だったことも間違いないと思います。
     

    >QUBOさま
    如水の父が目薬を作って、御師が売りさばいて富を集積したようです。
    ただ如水はともかく、行長の悪口言うのは、加藤福島あたり尾張衆ではないかと思いますけど(笑)。
    秀吉に城を譲った話は、姫路城とは違いますか? 福岡は祖父の時代だったかな。
  • トロトロ書いてたら 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月06日 21時01分

    ↑目薬への回答がダブッちゃった(^_^;)。すいません。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 23時10分

    関白・摂政・征夷大将軍・太政大臣。
     
    なんとなく「偉そう」な役職名を並べてみました。
     
    なんとなくイメージ的に、関白と摂政はくっつくんですが、摂政も藤原氏のもの?
    というか血筋が大事?
     
    油売りといえば、斎藤道三。
    武将も、いろいろ苦労してますねぇ(~_~)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 23時12分

    如水と、秀吉の関係については少しだけ知ってます。
    坂口安吾の「二流の人」では、秀吉は、「家康より如水が怖い」と言った、とか。
     
    名参謀ですよね。
     
    如水は「緻密」な人間だったんでしょうか?
    私は雑な人間なもんで、憧れます。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 23時37分

    「血筋」への・・・信仰っていったらなんか違いますが、不滅の憧れみたいなものは、あるかもしれませんね。
    だから、「ご落胤伝説」とか多いですよね。
     
    身分のない貧しい出の人間が統率者として成功し、権力を持つ。
    そして調べてみたら、実は、正しい血筋の人間だった。
     
    御伽草子なんかはほとんどそうです(~_~)
     
    一寸法師の両親も、実は、天皇の孫だったかな?
    三年寝たろうも、そうなんですよね。
     
    将門公も、天皇家につながる血筋だったから、たくさんの人間が彼に従ったってのは大きいでしょうね。
     
    今、マトリックスを見てたんですが、主人公の「ネオ」も、コンピュータのなんかをうんじゃかんじゃした偉い人の「血筋」とかなんとかそういうことみたいだし。
    (あっちいったりこっちいったりしてたので、ちゃんと筋を追えなかったんで、間違ってても、笑ってすませてください(^^ゞ)
     
    ふと思うのですが、為政者は、その領民にとって、「神」に近い存在だったかも、と。
    っていうより、領民や部下の武士達に「神様」と思われるような為政者が、成功したんでしょうね。
  • そういや 投稿者:朱天 投稿日:06月07日 00時45分

    鑑定によって弥生時代が随分繰り上がるとか言う話が最近あったような気が・・・。そうすると土台が変わるので歴史とかも色々影響出てくるんですかね。
  • 確か 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月07日 07時07分

    縄文時代も繰り上がったはず。
    もし、それが確実なこととなれば、いろいろ影響がでてくるんだろうけども、記紀の記録では、「人間界」の歴史は、2600年くらい前からしか記録されてないので、神話の世界には、そんなに影響ないのではないかと(~_~)
     
    ・・・どうなんだろ。わかんない(^^ゞ
  • 高貴な御方 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月07日 19時09分

    子供の頃、ナントカ姫という外国の童話を読んだのですが、
    それは「私こそ本当のお姫様です」と表れた娘を家に泊め、
    何枚も厚い敷布団でフンワカさせた寝台の一番下に、
    小さな豆粒を入れたら、その娘が「腰が痛くて眠れなかった」
    と答えたので、本当に「本物のお姫様だ」という話でした。
     
    いや〜、子供心に「な、な、何の話だかワカラン(・・;)」
    と意図されたメッセージが飲み込めなかったのですが、
    要するに高貴な人を崇めるか、あるいはバカにする逸話
    だったのではないかと(笑)。
     
    こゆ具合に、サラリと残された伝承や史料の類って、
    どっちの可能性もアリで読まないとイカンのだろうが、
    皮肉か本気かワカラン事も多い気が(笑)。
     
    >縄文と弥生の繰り上がり
     
    そうなのか(笑)。そういやNHKも、そこんとこは
    ビミョーにボカしてたよなぁ。
  • グリムですね 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月07日 22時07分

    記憶では、そのお姫様は、結構ずうずうしくて、泊めてもらうというのにあれこれ注文をつけて、わがままを言いまくってたんですが、読み返してみたら、そうではありませんでした。
    題名は「えんどうまめの試験」。
     
    「お嫁さんが欲しいよぉ」
    という王子様のために、王様が、「ほんものの王女様で、うちの王子と結婚したいものは、名乗り出るように」というおふれを出すんですね。
    ところが、ニセモノばかりがやってくる。
    そこへやってきたのが絶世の美女。
    本人は、遠い国からわざわざやってきた本物の王女だと云うけれど、証拠がない。
    「ホンモノの王女であることをどうやって見抜けばいいんだろう」
    と王様が困っていると、お后さまが、
    「おまかせください」
    と、えんどう豆を何重にもふわふわのお布団を重ねた下に三粒置いておくんですね。
     
    つまり、これって、主役は「智恵者のお后様」なんですねぇ。
     
    将門公も、「高貴な血筋」を揶揄する見方はあるんでしょうかね(^^ゞ?
    今となっては祟りが怖くて、そんなことできなさそうですけど(~_~)
     
    藤村助教授の事件の際、「古代」の図鑑類が、安く出回ったみたいです。
    大幅に書き換えなくてはならないから回収するしかないけど、捨てるくらいなら「わけあり」で安く・・・ってことかも?
    縄文と弥生の繰り上がりについては、まだ単なる仮説だと思いますけど、これが実証されたら、またそういうおいしい目があるかなぁ、などと、せこいことを考えています(^^ゞ
    そんな甘くはないかなぁ。
  • 繰り上がり 投稿者:QUBO  投稿日:06月08日 09時56分

    そうなんですよね。「繰り上がり」!
    いままで優秀な小学6年生だと思ってたら、突然普通の中学1年生。
    中学生ならこのぐらい出来てアタリマエみたいで。
    これって変だよね。   妙に納得できない。
     
    縄文晩期に「米造り始まる」だったはずなのに、500年遡るなんて。
    弥生時代創早期(こんな表現かどうか知らないが)なら、
    「稲作しててもあたりまえ」のように感じてしまう。
     
    何となく「縄文人の手柄」が、横取りされた感じだな。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:06月08日 17時33分

    のりちゃん
    >摂政も藤原氏のもの?
    そうですよ。他にも大臣になれる家とか大納言になれる家とかそういう風に家柄で決まってくるのです。
    如水は「軍師」とか言われる割にはそんなに緻密じゃないと思います。敵の説得に行ったら捕まって牢屋に入れられたり、信長が死んでショックを受けてる秀吉に「天下とりのチャンスです」とか言って警戒されたり。
    でも官兵衛好きなんですよ、私。海援隊の「二流の人」という歌も気に入っています。
     
    弥生が繰り上がっちゃう話。
    せっかく米作りは縄文晩期からと覚えなおしたのに・・・。

 

NHK 投稿者:QUBO  投稿日:06月05日 00時31分

は、皆からお金を貰っている。だからサービスもしている。
 
例の番組<再放送>
平成15年6月6日(金) 0:15〜 0:58 総合 全国(近畿のぞく)
平成15年6月8日(日) 8:00〜 8:43 総合 近畿ブロック
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/syoukai/p0305.html
 
解説を読むだけで、大体のイメージはできそう。
  • 再放送 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 08時06分

    ビデオ予約しときます。
    でかけるんで(#^.^#)
     
    しかし、聖徳太子って、「五か条のなんちゃら(うろ覚え)」とか、「十二なんちゃら(ほとんど忘れてる(^^ゞ)」など、国内の政治について中心に習ったような気がするんですが、外交の面も忘れてはいけないんですね。
     
    あと、聖徳太子が、仏教だけじゃなく、儒教も学んだとは知りませんでした。
     
    本当にいろいろやる人だったんですね・・・。
     
    空いてるビデオテープ探さなきゃ。
  • 脇から 投稿者:あかがね 投稿日:06月05日 19時14分

    「五か条のなんちゃら」は坂本竜馬起草じゃなかったでしたっけ。
    同じくうろ覚えですが。
    太子のは17条憲法?
  • え゛? 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月05日 23時04分

    あれれ?私ってば、飛鳥時代のことを考えてたのに、頭は、明治維新にタイムスリップしてたの?
    困ったなぁ、トレンディなんだからぁ、私はぁ(#^▽^#)
     
    うるさいってば、そういうことにしといてってば。
    ほっといてよ〜〜〜っ(>_<)!!
     
    ・・・しかし、なんで、こう、さくっと検索すればかかなくてすむ恥をかくかなぁ。
    やっぱり、どこまでも貪欲な「お笑い魂」がそうさせるのであろうか。
    う〜〜〜む。マンダム。う〜〜むう〜〜〜む・・・。
  • えと 投稿者:朱天 投稿日:06月05日 23時45分

    明治維新時が五箇条のご誓文じゃなかったっけ(未確認)?
     
    聖徳太子は冠位十二階の制と十七条の憲法です。ネットで確認したから(オイ)だいじょうぶです(笑)
  • そうみたい 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月06日 08時08分

    五箇条のご誓文が、明治維新(T_T)
     
    意味はわからないけど、言葉だけは覚えてたなぁ。意味ないじゃ〜〜ん(>_<)
     
    聖徳太子も、憲法と位を決めたことは覚えてたよぅ。
    でも、それが十二と十七だったなんて・・・。
    五と十二くらいだと思ってたよぉう。

 

ごめん(^_^;) 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月03日 01時17分

私って来るの久々ですか?(爆)
何だか凄く話題が遠のいたような豊富になったような。。
読みきれなかったので、目に付いた物のみでスイマセン。
 
>のりちゃん
>こたつさんに、「加茂氏」について、詳しく説明してねっ!!
 
これと、ですね。
 
>ひくもん様
>「ヤマトタケルねた」が流行って、その人達がそう触れ回ってたような
 
これって違うスレッド(流れ)だったりする(^^;)?
 
スイマセン。前に見た時、ワカタケルがどったらこったら
のスレッドがあって「あ、ワカンナイや(^^;)」と読まずに
居たらこのような事態に……(笑)。
 
とりあえずヤマトタケル行きますが(いいのかな)。
 
パッと歴史を見返して流行った(だろう)と思える地点は
後北条氏ではないでしょうか(^^;)。
 
後北条氏は北条氏の跡を狙って北条氏になったという噂が
あります(噂じゃなくて実際そのハラだったに違いないけど:笑)。
 
つまり関東は一時期鎌倉幕府が都してたのですが、これは
源氏です。その後、実質政権を握ったのは北条氏です。
これは平氏です。
 
その後この北条氏を倒して出て来た新たな源氏政権足利氏
は京都に都します。この京の政権に心の底では「ふん!」
と思っていたのが坂東武者達です。
 
坂東武者達の心を捉えるのに適当なのは、都に君臨する
足利氏の源氏とも違い、しかしかつて鎌倉に威勢を張って
いた政権、つまり北条氏という事になるわけです。
 
東征のシンボルと言えば、一般的には坂上田村麻呂じゃ
ないかと思います。征夷大将軍です。家康なんかは
縁起を担いでこれの戦勝祈願だかした神社とかわりと
大事にした感じです。家康は無理やり源氏になって、
征夷大将軍をやってます。
 
後北条氏が坂上田村麻呂を避けて(笑)、祀れるとすれば
もっと前の時代という事になります。
それで行き着くのはヤマトタケルだったのかな、と。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 08時33分

    勝手にこたつさんを召喚しておりました(笑)
     
    ところで、後北条氏がヤマトタケルを信仰してた、というような香りというか、雰囲気はあるんでしょうか?
     
    源頼朝公は、八幡様を信仰してたといいますし、上杉謙信公は毘沙門天というように、ほとんどの武将は、贔屓の(?)神仏を決めてたところがありそうですよね?
    あ、信長公は別だけど・・・。
     
    そういうのって、ある程度、解明されてるもんでしょうか?
     
    家康公が、坂上田村麻呂公を大事にしたという話は知りませんでした・・・っていうか、征夷大将軍になるのが悲願だった家康公が、初代征夷大将軍を祀る・・・。
    なんか、すっごい直接的(笑)
     
    ヤマトタケルって、戦のうまい神様、しかも知略にも長じているわけですから、いろんな武将に祀られてよいように思いますが。
    実際はどうだったんでしょうね?
     
    こたつさんのおっしゃるように、「本当はこの神様を祀りたいけど、あいつが信仰してる神様だから、やめとこ。」
    なんていう話も十分ありそうだし(~_~)
  • 東と北の英雄 投稿者:QUBO  投稿日:06月03日 10時57分

    正義の味方ヤマトタケル
    弱いものの味方、対抗勢力・平将門。
    東北では坂上田村麿とアルテイ
    その後が八幡太郎義家で、もっと北へ行くと源義経でしょうか?
    八幡太郎義家は、祭られていない。悪政を行なったのかな?
     
    歴史の経過とその土地の英雄の「時代」を考えると面白い。
    田村麿伝説は、神奈川や千葉にはないんです。
    やはり古い英雄ほど京に近い処で活躍している。
     
    ヤマトタケルが往かなかった処は、次ぎの田村麿が活躍した地域。
    大和からもっと遠い場所で、活躍しかいます。
    で,八溝山のあたりまで来て帰った、と自説に勝手に導いています。
    勿来の関、白河の関は、ちょうどこの近辺なのです。
     
    こたつ様> 後北条氏がヤマトタケルを信仰してた、というような香り…
    魅惑の大人向けの香り…ググッと惹き付けられます。
     
    のりちゃん様> 播磨国風土記、50Pある?
    私の持っているのは、平凡社ライブラリー(吉野裕 訳)です。
    同じかな?これなら播磨国はP70からP122までで、
    「大汝命の子の火明命は…」はP77終わりから2行目から、です。
  • 後北条氏 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月03日 20時31分

    後北条氏がヤマトタケルを信仰……はしてなかったと思います(^^;)。五代の当主のうち、一人や二人は「カッコイイ」と個人的に思ってた人は居たかもしれませんが。
     
    後北条氏の隆盛は、関西は愚か関東でもあまり伝わってないかもしれませんが、後北条氏があらわれるまでの関東の武士統率は、せいぜい鎌倉幕府以来の御家人がチラホラ、その後は、鎌倉や堀越や古河などの公方が、京の足利氏からちょっと別荘を持ちに来る程度、これらの目付け(?)的立場で乗り込んで来た関東管領上杉氏が勢力を張り、これに対抗する構図で古河足利氏が地元の侍達を巻き込んだりで、関東は戦乱時代を迎えます。
     
    こうして、鎌倉の周辺に武家統率地場を形成していた程度だったのを、戦乱という図式をもって、ようやく関東一帯が地図に登場して来るようになります(それまで関東人が何をやってたのかは殆どわかりません:汗)。
     
    これらを統一して(一度あらわれた勢力地図を一色に塗り潰して)いったのが、後北条氏です。
    関東の寺社の歴史を各所で読むと、神様仏様はグリコのオマケで、だいたい後北条氏の時代がチョロと前書きに書かれ、その後を引き継いだ徳川の江戸時代をエンエンと書き綴るのがザ・パターンです。
     
    私が、関東にヤマトタケル祀りが多いのには後北条氏が関係するだろうと言うのは、このあたりが根拠であって、「どこの神社にその痕跡が」となると困ります。なぜなら関東において寺社とは、人の役に立って初めてナンボ。外国の神様(ヤマトもインドも大して違いはありません)はどうでも良く、寺社で残され明記される神様以外の名の方が重要です。
     
    しかし恐らく後北条氏の前後は、そう大きく変わってないんじゃないかと思ってます。
     
    後北条氏は早雲が初代です。早雲は伊勢氏です。まあ平氏ではありますが、その後に続いた後北条氏にとっては、平氏・源氏以上に、あるいは自分達の信仰母体が何かよりも、早雲以来の家系を繁栄させる事が一番大事です(この辺りは、元々地元にいた、信玄の武田氏などとはちょっと事情が違うかもしれません)。
     
    戦国期になると人心教育みたいのをモットーにする領主(例えば戦国大名)が出たもので、家訓とか自分が治める国の法律を自分で作る傾向があらわれますが、早雲もそうした(教育熱心な)領主の一人でした。人が村を捨てて逃げるのを防ぐ(逃げた民が自分から戻って来たくなるような、例えば民間への医療に熱心だったり、泥棒には厳しく対処したりの)政策を立てたと聞きます。
  • 長くて(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月03日 20時34分

    ↑途中でハネられました(^_^;)。つづき。
     
    後北条氏は関東に入って来て、鎌倉をはじめ、神社やお寺をずいぶん保護します。これは家康にしてもそうなんですが、外からやってきてその土地を治めるという事は、ただ制圧し(た事にし)て京に帰ればいい(その前の)為政者に比べれば、非常に地元に気を使う事なのです。
    特に鎌倉(以来の関東)武士というのはプライドが高いですから、これを勢力に組み込む事には苦労がつきまとったと思います。
     
    家康も北条氏の領土にも多少は気を使ったでしょうが、まあ私なんかはかなり無茶な遣り方だったという想像をしてます(笑)。「伊勢(早雲)がつき、(後)北条がこねし関東餅、座して食うのは徳川なり」です。
    比べて、四代かけて徐々に勢力を伸ばして来た後北条氏は、最初の頃はそりゃあ気を使っただろうと思います(^^;)。名族伊勢氏の名を廃し、改めてまで地元に媚びたワケですから(笑)。
     
    よくよく北条早雲の伊勢氏をその後に廃した理由について、元が怪しいからじゃないかという話がありますが、その真偽の程は置いといて(笑)、伊勢氏の名を使い続けて問題があったとは、私はあまり思ってないです。
     
    放っておくと廃れてしまう寺社を整備し、たくさんの寄進をして立て直し、人を配し、神様っぽい伝説なんか聞き出して書き留めたり、随分がんばったんじゃないかと。
    祀り変えと言うと良くない印象ばかりあるかもしれませんが、土地も人も非常に荒れ果てれば、良からぬ信仰がはびこる村があると、「ちょっと指導」ぐらいのノリは多少はあったかもしれませんけど(^^;)。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 22時26分

    77ページ・・・あったぁ!!
    わぁい、ありがとうございます。
     
    そうか、この「火明命」が下照姫だと?
    う〜〜〜ん、すっごい魅力的(#^.^#)
     
    しかし、もしそれが本当だとしたら、天稚彦はさぞかし恐妻家だったでしょうね(^^ゞ
     
    QUBO様が揚げてくださったお名前。
    ヤマトタケル・平将門・坂上田村麿とアルテイ、そして義経。
     
    平将門公以降は、征した側も、征された側も、祭られてるように思います。
    ・・・アテルイは、祀られてないかな・・・。
     
    でも、ヤマトタケルが征した人々は、祀られてるんでしょうか?
    と、ちょっと気になりました(~_~)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 22時45分

    すいません。管理人は、長文大歓迎なんですが、掲示板ちゃんってば言うこと聞かなくて(なら、仕様を治せよ、という話しですが・・・(^^ゞ)
     
    >伊勢(早雲)がつき、(後)北条がこねし関東餅、座して食うのは徳川なり
     
    家康公が幕府を開く以前に、「伊勢氏」「後北条氏」という「均し役」がいたんですね。
     
    私は本当に、参拝したことのある神社についてしか知らなくて、茨城へ行った時に、「神社の成り立ち」や、「祀り替えの事情」など、土地によっていろいろあるんだなぁ。
    という感想を持ちました。
    それは、いつの時代でもそうで、土地の治め方なども、その土地柄などによって全く違ってきて当然ですよね。
     
    北条早雲が、寺社を建て直したのも、理由は一つじゃないでしょうね。
     
    まずは、「そのことによって、人望を集めるため」っていうのがあるでしょうね。
    「信心深かったから」という理由ももちろんあるでしょう。
    自分の祖先を祀り、敬う気持ちは、現代人よりも戦国の武将の方が強かったんじゃないかと想像しますし。
    そして、いつ命を落とすかわからない戦国武将ならば、神仏の加護を願う気持ちは強いでしょうから。
     
    そして、どうしても考えてしまうのは、
    「その寺社に自分達に関わる伝説を付加して、少しでも早く土地に慣れ親しもうとした」
    ってことですね。
    悪いくせかもしれませんが。
     
    「祀り替え」については、こたつさんのおっしゃるとおり、
    そのままでも十分存続していくであろう神社を、なんらかの政策で強引に祭神変更をしてしまう場合
    だけでなく、
    荒れている寺社を建て直し、その時に自分の崇拝する神仏を主に持ってくる
    という場合も十分あり得ますね。
     
    その場に居合わせることはできないので、統計をとれば、どっちが主流かはわからないですね。
    他にもいろんな理由ややり方があったろうし。
     
    どちらかを見分ける鍵は、「なんらかの祟り除けが講じられているかどうか」なんてのもあるかも。
    とか思いつきました。
     
    こういう視点で今まで見てなかったから、これから、この点も注意してみようかな。
  • こたつ様 投稿者:QUBO  投稿日:06月04日 11時11分

    長くて読むの大変でした。(笑)
    書くのはもっとず〜と大変。ありがとうございました。
    「権力者が変わると、祭神も換えられる場合が多い」ですかね。
    こたつ城主様も2ッや3ッ換えらたのかな。
     
    のり姫!
    なぜか、誤解されているような。
    > 火明命=下照姫説、
    前にカキコんだ「チッちがいまする。 マッスル姫!」は
    > 火明命=下照姫説、
    にかかります。
    火明命は、火明命ですう・うッ・うッ・う〜ッ
    下照姫とは無関係の話題でおじゃりまする〜。
     

    > 建稲種命 風土記に登場します?
    さあて?まろは風土記では、見てはおじゃらん。
     
    どこだったか考えたら、神社の伝承です。
    尾張氏系図には載っていると「思います」
     ↑ 未確認:誤解しないでね
     
    あの神奈備さんのHP
    參河國、吉良に
    幡頭(はず)神社。 愛知県幡豆郡吉良町
    http://www.kamnavi.net/en/mikawa.htm
    尾張の国、知多郡にも
    羽豆(はず)神社。愛知県知多郡南知多町大字師崎
    http://www.kamnavi.net/en/owari.htm#tita
     
    この両神社(祭神は建稲種命で共通、発音も同じ)の存在は、尾張氏が、知多半島右側の海を、当時牛耳っていた。そう考えるのに有力な状況証拠ではないでしょうか。(と、思い込んでる)
    高いところから見張っていて、航海の安全確保や、不審船の拿捕をしていたんじゃあないかな。それでヤマトタケル支援の為、水軍を提供した。ミヤヅヒメはついでで(ついで説はそーっと小声です)本当は水軍を借りる交渉に、伊勢からでかけたんです。
     
    マピオンの愛知県(イメージできますか?)
    http://www.mapion.co.jp/html/map/web/admi23.html
    師崎(もろさき)は、知多半島の最先端、「もろ先」です。
    師崎の斜め右上に吉良があります。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:06月04日 21時08分

    早雲自身は伊勢氏を名乗り続け、北条となったのは子の氏綱からです。平氏なので、北条氏を名乗ってすごく変でもありませんが、伊勢氏は代々作法典例を務める家柄で、庶流であっても、早雲は若い頃、京で将軍家に仕えていた(申し次衆)とさえ言われてます。
     
    ところが、その後の後北条氏は、上杉、今川、武田のように上洛を目指した気配もなく、秀吉に対してもそれだけは固辞し続けたため、結局滅ぼされてしまう程、同盟勢力から成る(前北条氏以来の)東国独立政権にこだわり続けます。その理由は……。
     
    早雲が駿河に現れたきっかけは甥の補助の名目に始まりますが、その名が下克上として知られたのは、茶々丸殺害という東国の足利氏を敵に廻す事件を起こして以来です。
    あからさまに「東を征伐しに来ました」では大義不足に過ぎます。
     
    家康も西の豊臣家への対抗上、関東豪族の力が必要なのは同じ事情ですから、自家の家名や宗教にこだわるゆとりは無く、寺社への手配りも全ては政治的だった筈です。
    しかし「征夷大将軍」でも、鎌倉幕府並の「源氏の統領」でも問題ないでしょうし(出自はともかく)、朝廷も認めてくれたわけです。
     
    その点、長く同盟勢力に支えられる反動勢力だった後北条氏は、人がついてこなければおしまいです。また千葉氏が近くまだ勢力を張ってた時代、平将門をネタには使いにくい気がします(将門が流行ったのは江戸時代じゃないかと思い始めてたり……(^^;))。
     
    で、ヤマトタケルの話でしたっけ(←おい)、時代も遠い分ボンヤリした辺りに収まるし、土地にこじつけて(相模に来てますよね)、こんなアピールは出来たかも、とは少し思いました。
    「攻めには来たのですが、もう元の鞘には帰りませんから、一つ宜しく(/^_^;)」
     
    さらに、前北条時代にも流行ってたら都合いいなとか、この方式で、似た臭い事情の武家はみんな当たらずとも遠からずかな、なんて思ったり(笑)。
     

    >のりちゃん
    >どうしても考えてしまうのは、「その寺社に自分達に関わる伝説を
    >付加して、少しでも早く土地に慣れ親しもうとした」ってことですね。
     
    付加までしたかはともかく、特定の逸話やシンボルを強調した事は考えられるんじゃないでしょうか。
    最初は石ころや祠からスタートした神社、最初は神社(神殿)だったけど今は祠や木しか残ってない。少なくても前者は誰かが手を入れたのでしょう(^^;)。
     

    >QUBOさま
    昨日はカーソルが勝手にドドッと一番下まで選択しに行っちゃう現象が何度も起きて(汗)、何書いてんだか、自分でもワケわからなくなりましたよ(笑)。
     
    権力者が変わると祭神が変わるか……どうでしょう? 権力らしい権力があったかに寄りますし、そもそも「神に名が必要か」でもあり(^^;)。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月04日 21時57分

    え?
    あ、そういうことかぁ!!
     
    >尾張氏の祖といわれる火明命、実はこの神様
    >同名の神様=海幸彦ではない。
    >「シモテルヒメ」ムフフ!!
     
    と、つなげて読んでおりました。失礼。
     
    建稲種命は、熱田神宮のご由緒に登場するのですが、記紀にはでてこないし、どこに詳しく載ってるかなぁ?と思ってたんです。
    旧事紀に登場するんですね。
     
    当時、このあたりの海がどこまで広がっていたのか、知多半島は、もう陸地になっていたかどうかで、随分違ってくると思うのですが、熱田神宮の由緒を見ていて、このあたり、随分広い範囲、尾張氏の勢力範囲だったんじゃないか、と、私は思いました。
     
    で、尾張氏系図
    神奈備さんのところに、やっぱりありました。
    http://www.kamnavi.net/ym/yamakei.htm
     
    そうか。
    尾張氏って、饒速日尊の系統なんですね・・・。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月04日 22時26分

    なんか、がらりと話題を変えるようですが、こたつさんは、平氏って、どう思います?
     
    ・・・って変な質問ですが、少なくとも平清盛公は、兵庫県の福原(でしたっけ)に強引に遷都しようとしたり、自分が「日本の王」になりかわろうとした気配があるんじゃないか、と、思うんですが、どうでしょう?
     
    その点、源氏は、「日本武士の長」を目指した、ということは?
     
    なんでこんなことを聞くかというと、「武士の長」と「大王」。
    目指すものが違えば、信仰する対象や、信仰の方法も違ってくるように思うんです。
     
    武士の長が目標ならば、源氏のように、「八幡様」=武勇の神様を味方につけて、戦に次々勝っていくことを考えるけれど、
    もし、大王になることが目標ならば、自分の家柄や、自分自身を崇拝の対象にしたがるのじゃないか・・・と。
     
    伊勢早雲の目的が、単に東国での自分の影響を定着させるために、地元の心象をよくした、なのか、実はもっと深遠で、「いずれは、自分が東国を中心に日本の帝王に」だったのか。
    なんて、妄想をしてしまいました。
     
    中国の皇帝にしても、日本の天下人にしても、天下を手に入れてしまえば、次に望むのは、「不老長寿」か、「神の地位」なのではないか、と(^^ゞ
     
    漁夫とその女房の昔話みたいに。
    (一応どんな話かを説明すると、ある漁夫が金色の魚を釣り上げると、その魚は、「なんでも願い事を叶えるから助けて欲しい」といいます。
    漁夫は、それじゃあ、と、魚を逃がすのですが、家に帰ってその話を妻にすると、「じゃあ金持ちにして欲しい」といいます。
    魚にそれを告げると、「もう願い事は叶っています」
    家に帰ってみると、豪邸の中でソファーにふんぞり帰った妻が、
    「やっぱり王様にして欲しい」
    魚は、「もう願い事は・・・」
     
    最終的に妻が、「神様になりたい」と願うと、二人は元の貧しい漁夫とその妻に戻っていました・・・というもので、世界中に同じモチーフの民話があるようです)
     
    人は、最終的に「神になりたい」と願うもんなんでしょうか?
     
    ・・・話がそれましたが、伊勢早雲も、政治的な意図ありぃの、ちょっとした色気ありぃの、ってのが、最終的には正解かも?
    どうでしょう(#^.^#)
  • やっと絡めそうな話題が 投稿者:朱天 投稿日:06月04日 23時35分

    ありがとうこたつ様(笑)そういや早雲はいまいち目標がはっきりしないですね。打倒足利、打倒三浦、打倒上杉ってやってるうちに人生まっとうしちゃってるし。
     
    家康は北条氏と同盟関係にあり、しかも婚姻関係まであってちょっとした友好勢力だった部分を最大限利用するのが労が少なくて実りが多いと判断したので、北条氏の施政や祭神を継ぐのを選択したというのはないかなぁ?征服よりは後継の方が楽ですもんね。
  • のりちゃん 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月05日 05時07分

    >北条早雲が、寺社を建て直したのも、理由は一つじゃないでしょうね。
    >まずは、「そのことによって、人望を集めるため」っていうのがあるでしょうね。
    >「信心深かったから」という理由ももちろんあるでしょう。
     
    家康もそうなんですが、この時代の寺社の役割とは「荒れ果てた村人の保護をする事」なんです。行政で言えば「福祉」が相当します。私の言った「人の役に立ってナンボ、神様はグリコのオマケ」というのは、そこに居て医療や救済に従事した人が居れば成り立っただろうが、居なかったら(あるいはサボッてたら(^^;))、そんな寺社を再建してやる謂れはありませんし、だいたいそんな寺社に税を使う為政者は暴君です(^^;)。
     
    それと現在の福祉に欠けている点として重要な事は、寺社とは「民の心の拠り所」として機能しなくてはダメなんです。説法が上手いとか、薬を売りに来る業者が境内に来て、病人のいる家族を慰めてくれるとか(怪しげな祈祷者ってのも一応中に入ります(^^;))、何らかそういう心理的フォロー機能ではないかと思います。
     
    信長が寺社仏閣を焼いたのはコレが機能してない事を理由にしてるのでしょうが、まあだから焼いていいかどうかはまた別問題かもしれません(^^;)。文化遺産を一時に消滅してしまえば「心の拠り所ごと消す(ちなみに日本で偶像禁止が行われた事はありません)」わけで、やってる事が矛盾してしまいます(笑)。
     
    ただし関西地区は寺社が多すぎて、「民の心の拠り所」がソフト面よりハード面のフォローに偏りがちではあったと思います。悪政という話が出ましたが、この上さらに寺社建て三昧をやらかした足利義政なんてのは、あまり良くは言われません(^^;)。
     
    そういや信長も平氏です。平氏は王様になって良くて源氏はダメだとか、前教育テレビだったかで聞いた覚えがありますが、これは……どうなんでしょうね(^^;)。その根拠らしき事を調べましたが、どうも「平氏は桓武で先に出たから」ってんですが、ホンマかいなそりゃ(^^;)。
    しかし、平氏出の方々の方が、いささか下克上が多い事は否定しません(笑)。恐らくハナから「自分の家系ならやっていい」という自負はあったと思われますし、むしろ「下克上したいから平氏になっとこう」と系図を改竄して世に立った物なのかもしれません。だから前北条も後北条も、今イチ系図の出所がハッキリしないのかも。
     
    源氏の特徴は「骨肉の争い」、平氏の特徴は「同族愛」です。源氏は家族を犠牲にしても上下関係を真っ当する美徳を持ってる感じがしますし、平氏は逆に家族同族とは争わないですが、自分ンチの世話を社会に押し付けがちな点が見受けられるかもしれません。
     
    で、早雲が神を目指したかどうかですが、朱天さまも言われる通り、「上には厳しく(打倒ナントカな人生)下には優しい」という、気のいいオイチャンの典型みたいな人なんで、おだてれば木に登った可能性は考えれますが、まあやらないでしょう(笑)。
     
    もう一個ヤマトタケルが流行る理由を考えると、「勝つためなら何をしてもいい(そういう話だよね、あれは(^^;))」という考え方が流行った時代があったかな、と。
  • 朱天さま 投稿者:こたつ城主 投稿日:06月05日 05時08分

    北条氏の後をどう引き継いだかについては、若干身分制の問題が絡むかと思いますので、そこには触れずに済ませますが(^^;)、祀り換えという程やったかはともかく、箱根を見る限り、恐ろしく徳川万歳に作り変えられてる感じはしなくもなく、同じ滅亡吸収勢力としては、武田の方が重んじられた感じは否めないです。北条の残党ってのが盗賊となって江戸の市中を荒らす話は、江戸期に少なくない感じもしますし……。
     
    ただし徳川幕府としてはともかく、家康という人は伝統マニアで、古い家とか古い寺社とか、やたらと保護したがるんですよ(苦笑)。だから祀り換えなんちゅう事はやらんのではないかと(笑)。やられたかなぁ、と匂うのは……むしろ里見氏(^^;)。。

 

めがね 投稿者:みのり 投稿日:06月02日 16時13分

最近パソコンのし過ぎで
目がわるくなりました
今日めがねを買います
私に似合うかな?
  • めがね 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月02日 22時43分

    慣れるまで、肩凝ったりしますけどね(^^ゞ
    って、中一のみのりさんは、肩凝りなんて、まだ知らないかも?
     
    めがねにもいろいろあるみたいだから、似合うめがねを探してくださいね。
  • めがね 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月03日 17時03分

    よく見えるからといって度のきついのにするとかえって見えすぎて目がちかちかしますからね。多少ゆるいのを掛けられる事をお勧めしますよ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 22時20分

    そこらへんの兼ね合いが難しいですよね。
    コンタクトだと、きつめでも大丈夫なんですが。
  • コンタクト 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月04日 15時51分

    私特異体質(笑)でしてコンタクトにすると目の下(くまが出る部分)が真っ赤になってかさかさになるのです。困ったものです。
    サングラスがかけられる!!!と思ってコンタクトに下のに体に支障があるんじゃぁねぇ・・・。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月04日 21時55分

    痛そう・・・(^^ゞ
    でも、コンタクトは、「異物」ですから、できればしないほうがいいんでしょうね。

 

「新しい」と「古い」 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 10時07分

勝手「新」スレ
1、石神
「石神」信仰は、縄文に遡りそう。そうとう古い。
2、水配り、雨乞いの神
縄文所代に水配り(水争い)は、無かったと思う。
日本では、飲み水が無くなる話はない。田に引く水が無い話だけ。
稲作、水田農業社会になって、どの田に優先的に水を回すか。
その結果で、米の出来不出来が決まるから、大変な争いになる。
近年でも水を争い、死者が出ている。で、比較的新しい神様でしょう。
 
3、ヤマトタケル
ヤマトタケルは、どうみても古墳時代人。馬に乗っていた可能性もいわれている。これは当然もっと新しい。
 
>> 東北地方のヤマトタケルの神様は、かなり後世になってからの付会だ・・・と聞いたような・・・。
> 東北は知らんけど、秩父なんかにあったヤマトタケル伝承は、やっぱ結構新しそうだったですよ。
 
この「新しさ」は、いつ頃の新しさかなあ?
 
「新」スレも 時間がたてば 「古い」スレ
 
「美人妻の会」と「新妻の会」どちらに心惹かれる?
アッ!いかん。舌禍事件になって、弾圧を受けそう。
  • 自己レス 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 13時27分

    私ヤマトタケルこだわり。正しくは弟橘姫(新妻)オッカケです。
     
    陸奥の国、風土記逸文に
    「八槻の郷」の項目があり、これが八溝山そば。
    八溝山は、常陸の国では一番高い山です。八溝山は、【八人の土蜘蛛がいて、八ヶ所の要害の地…】と云う風土記の表現とピッタリ一致。今八槻には八槻都々古別神社神社があり、JR水郡線(すいぐん:水戸と郡山を結ぶ)近津(ちかつ)駅のすぐ側です。
    馬場都都和気神社も、元々はいまの棚倉城跡に鎮座。両神社は、今よりもっと近い処にありました。
     
    常陸風土記には「倭武天皇」の表現もあるし、ヤマトタケルの行った北限(日高見の国)は、この八溝山近辺ではなかろうかと思っています。
     
    東北のヤマトタケル伝説、少なくとも風土記以前に存在しています。
  • >この「新しさ」は 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 13時39分

    >いつ頃の新しさかなあ?
    えーと、すんません、資料の本が山にうずもれてて、何処にあるんか見当たりませんので、細かいとこは正確じゃないかも知れませんが(;w
    で、あくまで秩父だけの話で、よそはどうだか本当に知らないんですけれども(;;w
    秩父に関しては、江戸時代に入ってからとか、もうそんな世界です。
    というのは、秩父神社の御神体山とされる武甲山は、今までに何度も名前が変わってるんですけども、
     
    嶽山→秩父ヶ岳→武光山→妙見山→武甲山
     
    だったかな? 若干うろ覚え気味ですけれども、ともあれ、現在の武甲山の名の由来は、
    「ヤマトタケルがこの山にやってきて甲冑を埋めた。よって武甲山」
    っていうもので、往時には山頂にヤマトタケルを祀る社もあり、当然この社の創建とも絡めて語られてた訳ですが、しかし、どうもこの「武甲山」名義は「妙見山」名義をさかのぼらないらしい。
    じゃ、この「妙見山」という名前はいつついたのかと見ると、秩父神社が武田勢の兵火にあって全焼し、徳川家康の寄進によって社殿が再建された時――この時、付近にあった妙見社を合祀して、以来、秩父神社は「秩父妙見」とも呼ばれるようになった訳ですが、「妙見山」名義は、この合祀&再建を遡ることはちょっと考えにくいんですね。
    そいで、「武甲山」名義はそれよりもっと新らしいとなると、これはもう本当に。
    ただ、これはあくまで「山の名義」に関わる伝承なんで、その伝承の発生と、山頂にあった神社の創建が本当に同時期かどうかは、必ずしも確かではありませんが。
    あと、何でそう思ったのかは忘れましたが(汗 何かその頃のその界隈の修験者の間で「ヤマトタケルねた」が流行って、その人達がそう触れ回ってたような、そんな気配があったんではないかとか、調べてた頃に思った記憶が……?
    本当によその土地のタケル伝承については知りませんし、のり姉たまの言ってる「かなり後世」がここまで酷く新しいものかも解りませんが、秩父はそんな感じでした。
  • あ、書いてるうちに 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 13時41分

    QUBO様が……
     
    >東北のヤマトタケル伝説、少なくとも風土記以前に存在しています。
    わはははは! それじゃあ、秩父の話とは違いますねえ!?
    し、失礼致しました。
  • 訂正 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 14時17分

    2番目の私の自己レスの真ん中あたり、
    馬場都都和気神社(誤り)
    馬場都都古和気神社です。
    まちがいを訂正。
    古いのを忘れてはいけませんね。
     
    武蔵の国二ノ宮、金佐奈神社(カナサナ)が、私の注目神社。
    向かってくる炎に、草を薙いで逆に火を着ける。このとき倭姫からもらって、袋に入れて持ち歩いた火打石を使いました。この火打石も霊力があるようで、武蔵の国を静めるために、この地に埋めた伝説があります。
     
    ちなみに弟橘姫は、上総の国で二ノ宮、橘神社(橘木神社)としてお祀りされています。そんなに偉いとは、調べだす前は知らんかった(…小声でポソッと…)
  • ひくもん様 追加 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 20時31分

    >> 東北は知らんけど、秩父なんかにあったヤマトタケル>> 伝承は、やっぱ結構新しそうだったですよ。
    > わはははは! 
    しまった。東北で返してしまった.
     
    秩父に付いては、「後世の付会」に賛成。
    秩父は、八重思兼系の勢が強くて、突破してないと思います。
    一応天神系だから、争わず平和的に通過しただけかな。
    信濃攻略後は、昼神峠を楽勝で突破。(ここも思兼さんの勢力範囲だが、同系統でも別れていたのか?)ここでは思兼さんは賢い神なので、形だけ抵抗したのでは?と思ってます。武蔵の国南部では、仮に通っていても、争ってはいないと思いますよ。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 22時57分

    お〜う。
    そうですねぇい(外人さんの口調で読んでください)。
     
    確かに、「古い」「新しい」だけでは、非常に曖昧。
    基準点がなければ、話に一貫性がでてこないですよね。
     
    ってことで、基準点は、基本的には、「記録にあるよりも」ってことで。
    あ、あくまでも、私の「新しい」「古い」だけですが(^^ゞ
     
    ただ、私はほんとに、関西以外のこと(いや関西のことも、だけど)は、よくわかってないので、「関東以東のヤマトタケル云々」は、「そういう話を聞いたことがあるような気がする」レベルで、はっきりしたことはいえないのです。
    しかし、ヤマトタケルという人物(神様)も、一体全体、本当に一人しか存在しないんでしょうか?
    しかも「大和の武」。
    「征夷大将軍」などの、役職名にも思えるお名前。
    いや、もちろん、個人名としてあっても、全然おかしくないですけど。
     
    ただ、茨城の加波山神社には、
    「日本武尊の御東征(現在の東北地方を平定)に当たり、加波山に登り、三神(天御中主神・日の神・月の神)を祭り」
    なんて話がでてきます。
     
    この文章を読んだ時、「ヤマトタケル」という名前は、「大和からいらっしゃった、すっごい偉い武将」って意味だったのかもしんないなぁ??
    なんてことをほろりと思ったことを思い出しました。
     
    >「美人妻の会」と「新妻の会」
    私自身は、美人妻だったことも、新妻(らしい妻)だったこともないんで、どっちが勝っても、関係ないっす(@_@)
  • 風土記のヤマトタケル命 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 23時10分

    そういえば、確か、「天皇」と称されてましたね。
     
    愛されておられたんだなぁ・・・ってことなんでしょうね(#^.^#)
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 23時17分

    あ・・・、地名だ、いっぱい地名がでてきた!!
     
    私、せめて、社会科をまじめに勉強しておけばよかったなぁ。
     
    とにかく、地理でも歴史でも(倫理社会でも・・・ボソ)社会科が苦手で苦手で(T_T)
    暗記科目のない、社会科のない世界に行きたい、と(>_<)
     
    でも、今思えば、歴史は(地理はやっぱり暗記科目だと思う)暗記科目じゃないですねぇ。
    あぁ、あの頃、「歴史は暗記しなくても頭に入るもんだ」と教えてくれる人がいたら・・・(責任転嫁(笑))
     
    まぁ、そんなわけで、地名がいっぱい出てきただけで、及び腰になるのだけど、
    「妙見山」かぁ・・・。
     
    これも、全国に「妙見山」はいくつある(あった)んだろう。
     
    星を見るために、山に登るという行為は、昔の人もしてたんだろうか?
     
    関係ないけど(アンド自慢だけど)、毎年8月の私の誕生日には、旦那が星を観に、山の方へ連れていってくれます。
    ネオンいっぱいの大阪で信じられないほどの流れ星や星が見えるですよ〜。
  • やまとたける 投稿者:あかがね 投稿日:06月02日 00時06分

    古事記しかしらないのですが…
    日本武尊(古事記だと倭建命だったか)って筑波あたりで引き返したんじゃなかったでしたっけ…。確かに都都古別神社(奥州一ノ宮?)他自分がたまたま行った所だけでもちらほら由緒に出てきますが。
    そして日本武尊は帰路が結構不思議ですよね。古事記には長野県を経由した旨だけ触れてますが、神社の由緒を拾うと群馬のかなり北の方の武尊(ほたか)山やら秩父の方(両神とか宝登山とか武蔵御嶽神社とか)、山梨の酒折宮とかかなり色々寄り道してるんですよね。(自分がたまたま行ったことあるとこだけですが)
    寄り道というより後世の付会に脈絡が無かっただけかもしれないですが…。
     
    …というか書きながら読み直してると、古事記の記述は相模(足柄)まで行って次はいきなり甲斐(酒折宮・甲府)まで飛んでますね。そこでの歌の中で「新治・筑波」が出てくると。コレだけじゃ何のことか良く分かりませんね。
    日本書紀(とか風土記)だともっと詳しいのでしょうか。
     
    そもそも「ヤマトタケル」って「日本太郎」的な名前ですからね。固有名詞として考える方が無理なのでしょうが…。のりちゃんさんの言うように。
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月02日 08時22分

    あ、関西も関東もネイティブなあかがねさんだ!(←軽微なプレッシャー?(笑))
     
    日本書紀の大和武尊「東国征時」立ち寄り処をピックアップしてみると、
    伊勢→駿河→相模→上総→陸奥国→蝦夷の支配地(北海道???)→日高見国→常陸→甲斐→武蔵→上野→碓日坂→信濃→美濃→尾張→能褒野
     
    ということで、随分北まで行かれた、とされてますね。
     
    んで、「風土記」はどうだったっけ?
    と開いてみたら、
    「信太の郡」
    の章で、「黒坂命が陸奥の蝦夷を征討し、事が終わって凱旋した。多歌の角枯の山まで来たとき、黒坂命は病を得てみまかった」とありました。
     
    この黒坂命、「多氏」とされてるみたいですよ。
    常陸国風土記には、「茨城の郡」にも登場します。
    ・・・って知ってたかも・・・で、話がそれちゃいましたね(^^ゞ
     
    常陸国風土記「多珂の郡」章では、ヤマトタケル命は、「倭武天皇」とされてます。
    んで、弟橘姫の逸話がでてくるので、これは、あの「ヤマトタケル命」のことを差してると考えていいと思います。
    確かもっと、お名前がでてきたような記憶があったんですが、今すぐにはちょっと見つかりませんでした(~_~)
     
    確か茨城県の「大戸神社」の案内板にも、「倭武天皇」と記載されてた記憶がありますから、関東の方では、「やまとたける」は、「天皇」だったのかもしれません。
    というか、「やまと」「たける」という名前は、「日本の勇気ある人」みたいな意味にとれますから、そのまま「天皇」をあらわす尊称にも受け取れますし、そこらへん考え出すと、泥沼にはまりそうです(>_<)
     
    しかし・・・。
    いや、関係ないんだけど、銀行なんかに於いてある帳票の書き方見本。
    大概銀行の名前を苗字に、下の名は「太郎」になってましたよね。
    例えば「住友銀行」なら、「住友 太郎」とか。
     
    UFJ銀行とか、どうしてるんでしょうね(^^ゞ
     
    ・・・って、ちょっと気になって検索したら、すぐ見つかりました。
    http://matsuri.site.ne.jp/column/200210.htm#20021006
    やっぱりみんな気になってるんじゃん(笑)
  • 思い込み 投稿者:QUBO  投稿日:06月02日 09時09分

    まずヤマトタケルの西征は無いと思います。
     
    西に行って熊襲を討った話とかは、在ったとしても別人だとは思っています。まあ同じ話が別人で語られるので、西征は無いと思いますね。ただ四国阿波国の風土記逸文にも、倭建天皇は出てきます。四国には渡っているかもしれないな。(またまた四国の話ですねえ)
     
    問題は東征
     
    東は調べれば調べるほど、足跡が濃いんですよ。
    複数はありえますし、付会も多いと思います。でもね〜、例えば弘法大師があちこちに出没する話は有るけれど、実在でもある。同じように、核になる濃いヤマトタケルは、実在じゃなかろうか。なんて思い込んでいます。
     
    付け加え(付会?)
    陸奥国=蝦夷の支配地=日高見国で、八溝山周辺のこと。これは新説かな。
    基本的には「旧東海道を往って、旧東山道を戻った」ただし、山梨からは寄り道(迂回)した。と考えるとスッキリします。元々旧東海道には武蔵の国は入っていない。だから相模の国から上総の国へは、海を渡るのが普通のルートだったんです。伊勢からも船で渡る。だから「海道」なのかな。
  • 海道を往く 投稿者:QUBO  投稿日:06月02日 12時01分

    東海道は、まさに海の道。船が無ければどうしようもない。
     
    ではヤマトタケルが使った水軍は?当然尾張海部氏。
    この水軍の大将は、タケイナダネ(建稲種)。
    ミヤヅヒメのお兄さん。東国での戦いの後、帰路船から落ちて、
    亡くなられ、そのことを聞かれたヤマトタケルが嘆かれ、その場所に建稲種を祀り出来たのが内内神社。
    デートのとき「往きはいっしょで、帰りは別々」になるのは、喧嘩別れをしたときなんかが多いけどね。「もう東山道(やまみち)を往くから、船は先に帰っていて」と気楽に返したのだろうか?
  • 建稲種命 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月02日 23時08分

    風土記に登場します?
    熱田神宮に参拝した時、「どこに登場する神様だろ〜」と探したんですが・・・。
    そうか、風土記かぁ!!
     
    ところで、ちょっとQUBO様のおっしゃってる話と違うのかもしれませんが、私もヤマトタケル命は、複数だと思います。
    西征・東征とかそういうのじゃなくて、
    「古事記」と「日本書紀」のヤマトタケルは別人。
     
    日本書紀のヤマトタケルは品行方正で、乱れひとつない英雄ですよね。
    よく、古事記のヤマトタケルを日本書紀は美化している、というような話を聞きますが、私は、そうではなく「別人」ではないのか?と思います。
     
    例えば、父親・景行天皇に、「兄に言い聞かせない」と言われて、
    「ぶんなげて、手足を軽く折って菰にくるんで、うっちゃっておいた」
    くせに、父天皇には、
    「やさし〜く言い聞かせましたよ」
    とからりと言ってのけるヤマトタケル命には、「英雄」というより「トリックスター」の役割が見えます。
     
    クマソに対して女装で近寄り倒すというのも、「トリックスター」の一面が見えません?
     
    生理中のミヤズ姫と絶妙な和歌のやり取りをするあたりも、何か、「吉四六話」を読むような爽快さがあります。
     
    その反面、弟橘姫の献身愛などは、シリアスですよね(この話は古事記にもありますが)。
     
    私は、「どの地を征したか」で、複数のヤマトタケルを見る・・・というほど地理に明るくないのですが(T_T)
     
    エピソードで観ても、ヤマトタケルは一人じゃないように思いますです。
     
    しかし。
    QUBO様がお好きだという(でしたよね?)弟橘姫。
    どういう女性だったんでしょうか。
    彼女の犠牲で、海神の怒りは収まったというくらいですから、かなり霊性の高い女性だったように思うのですが。
     
    QUBO様はどう思われますか?
  •  投稿者:ZOU 投稿日:06月03日 01時13分

    >ヤマトタケルは一人じゃないように思いますです。
     
    ちゅうことはよくいわれますが、小碓(オウス)として考えると一人ですよねえ・・・? ヤマトタケルの事跡の中にオウスの事跡は含まれるんやろか。
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 08時23分

    オウスとしての事蹟というと、お兄ちゃんにうっちゃりかましたりした話ですか(笑)??
     
    ヤマトタケルが一人じゃないってのは、よくいわれることなんですね。
    知りませんでした。
     
    でも、神話に登場する英雄って、少なからずそんな感じがありますよねぇ。

 

ちょっと息抜き 投稿者:Naomi 投稿日:06月02日 19時41分

神社紹介の関目神社の、のりちゃんのコメントを
読んで、はじめて「太陽にほえろ」の山さんの
殉職を知ったわたし・・・・
いまさらですが(;_;)
  • だ〜(T_T) 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月02日 22時58分

    私の説明ではちゃんと伝わらないでしょうが。
    あの静かな最期。
     
    ほんと、山さんらしい。
    でも、むちゃくちゃ切ない最期でしたぁ(>_<)
     
    いろいろ逸話の多い、「太陽に吠えろ」ですが、やっぱり印象が強いのは殉職の回ですよね。
    お涙ものは嫌いだけど。
     
    Naomiさんは、ひいきの刑事さん、いました?
  • マラソンの心のテーマは「太陽にほえろ」 投稿者:Naomi 投稿日:06月03日 00時16分

    うーむ、ごひいきといえば、故沖雅也さん演じられてた
    「スコッチ刑事」でしょうか(*^^*)子供心にも気障なんだけど、カッコよく見えました。と、いうより沖雅也さんの
    ファンなだけなんですが・・・・(^^;
    印象に残る殉職シーンは、やはり「ジーパン刑事」
    友達と殉職シーンの名せりふ「なんじゃこりぁ!」は
    よく、真似してました(^^;
  • 沖雅也さん 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月03日 08時21分

    「太陽に〜」もよかったけど、180度イメージ転換してた、「俺達は天使だ」が、大好きでした。
     
    太陽に吠えろ、のスコッチは、陰があって、心臓が右にある・・・なんていうユニークな特徴までついてましたが、「俺達は」の沖さんは、元気いっぱいでしたよね。
    彼も「美人薄命」を地で行く人でしたね。

 

新スレ 爆走中! 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 10時01分

>QUBO様
なるほど。
つまり、タカヒコネさまは、飛んでっちゃって不在だったか、もしくは、はじめから、国を受け継ぐ権利がなかったので、「別に誰が葦原中国を治めても、わしには関係ないし〜」とばっくれてた。
と。
 
としたら、タカヒコネ様がもらってた所領地、どこだと思います?
四国?
 
まぁ、どっちにしても、出雲神話を見てると、儒教的な要素からはかけ離れてますね〜。
父親を敬ってないわぁ(^^ゞ
 
で、ででっ!!
尾張氏の祖・火明命=下照姫説、
とくとくと述べてくださいませな!!
聞っきた〜〜〜〜〜い!!
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 10時02分

    土佐神社のご祭神、「公には一言主、一説ではタカヒコネ(都合のよいように意訳)」ってなってるんだ・・・。
    う〜〜む。
     
    一言主の神様ってのもまた、謎が多い神様だもんね。
    葛城では、どうも「至高神」であった感じが強いのに、出自が全く(かどうかはわからないけど、少なくとも私は知らないっす)不明だし。
    葛城あたりに鎮座する神様は他にもたくさんおられるのに、なんで好き好んで役行者は、一言主神を使役したか?ってのも、考えてみりゃぁ謎だし。
    う〜〜〜ん。
     
    やっぱ、土佐にも行きたいなぁ(T_T)
     
    で、天海僧正。
    そうね。
    以前、天海僧正と風水のことやらでお話聞いたことあったけど>こたつさんに
    加茂氏と家康については、つっこんで聞けなかったんよ。
    自分が加茂氏について、よう説明せんかったんで(~_~)
     
    ってことで、ひくもん、こたつさんに、「加茂氏」について、詳しく説明してねっ!!
     
    こたつ様、よろしくお願いいたしますm(__)m
  • のり姫、ごむたいな 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 10時30分

    > 尾張氏の祖・火明命=下照姫説、
    > とくとくと述べてくださいませな!!
    チッちがいまする。マッスル姫
     
    尾張氏の祖・火明命は、播磨国風土記に出てくる火明命で、
    古事記なんかに出てくる火明命=海幸彦ではない、でゴザール。
     
    海幸彦さんは隼人で、天皇家の護衛役をやってます。
    犬の遠吠えをやったり、隼人の盾をもって、警護してます。
    それよりは
    大汝命の息子のほうが、国獲り物語に合うかな?程度の話です.
    同姓同名の異人(異なった人)ではないでしょうか。
     
    「加茂氏」といえば、「賀茂」「鴨」エブリボディー
    えーっと…
    あちこちと養子縁組?名前をバラ蒔いてます。
    功績のあった人に、「うちの名前を使っていいよ」と
    関係ない人(一族)にも名を分けています。
     
    賀茂建角身(カモタケツノミ)さんは、海を渡ってきて
    カモ姓を別けてもらったのカモ。
  • >ひくもん、 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 13時49分

    >こたつさんに、「加茂氏」について、詳しく説明してねっ!!
    無理。(二文字)
    だって、現地に行ってない本で読んだだけのことは、流しソーメンのように、滑らかに涼やかに脳から流れ去ってゆく私ですもの。
    「カモ」言われても、最初に思い浮かぶのは、中学の時のクラスメートだったり。
    「天海」言われても、最初に思い浮かぶのはラーメン屋だったり。
     
    だから、「無理」(TдT
  • ひくもん 様 投稿者:QUBO  投稿日:06月01日 14時28分

    > 「天海」言われても、最初に思い浮かぶのはラーメン屋
    ご立派
    私は「カモ、天海とくると」つい
    「天海祐希・杜けあき」をセットで思い出し…
    そう云えば二人で鴨南蛮たべるのかな…
    賀茂神社、伊勢でもないのに、斎宮が…
    ああっ!やはり、「無理」(TдT
  • 加茂氏 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月01日 15時43分

    伊勢にも加茂氏がいて戦国時代国司から暦の頒布権を認められたとかどうとか。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 22時36分

    一体、「火明命」って、何人いるんでしょうね?
     
    って、何気なく見てたら、「葛木坐火雷神社」でいただいた栞に、
    「天香山命
    この神は天照国照火明命の御子で、またの御名を石凝姥命とも申し上げ」
    という一文が。
    石凝姥命の話題の時にでてくればよかったですね(^^ゞ
     
    あと、同名異人の多い名前で、
    「火雷命」
    っていう神様もおられますよね。
     
    御霊にも数えられているけれど、正体がイマイチ不明・・・と。
     
    話がそれてしまいましたが、「播磨国風土記」にでてくる火明命。
    シタテルヒメを感じる何かがあるのですね?
    それは?
     
    えぇっと、播磨国風土記・・・。
    あ、50ページある(^^ゞ
    どの項にでてきます?
    一度、読んでみま〜す。
     
    で、かも。
    そっか、そうすると、賀茂氏ってのは、もう、複雑怪奇ですね(T_T)
     
    建角身さん、もし海の向こうからの旅人だとしたら、どこからの人だと思います?
    多分でかい体の人だったでしょうから・・・。
    う〜〜〜ん、ガリバーの国?(←なんか間違ってるぞ〜)
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 22時39分

    うん。
    わかるよ。
    文字だけの知識って、それはそれは、すっきりきっぱり、あっさりと、おいとまされてしまいますわねぇ。
     
    その時は、「うん、ちゃんと覚えたぞ!」とか思ってるんだけども、他の事象との関連がうまくつかめてないもんで、結局使えないという(T_T)
     
    でも、かといって、その地に足を運べばちゃんと覚えているか、というと、そうでもないところが、私のいいところなんだけどね♪
    どれもこれも平等に忘れなくちゃ、というこの心意気!
    あぁ、心意気や潔〜〜〜しっ!!
     
    ・・・ええのんか?こんなん(>_<)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 22時41分

    >暦の頒布権
     
    へぇ〜。
    ということは、一時期とはいえ、伊勢の賀茂氏発行の暦ってのがあったんですね?
    なんか・・・、興味深い話だなぁ。
     
    戦国時代っていえば、もう、伊勢には、「皇祖・天照大神」が、ご鎮座ましましていましたよね?
    そのお膝元で加茂氏が・・・。
     
    あ、加茂氏って、陰陽道の大家でもありましたね。
    そっち方面でしょうか(^^ゞ??
  • のりちゃん 投稿者:北畠具顕 投稿日:06月02日 19時47分

    伊勢とは言っても今で言う松阪のほうでしてね。
    弘法大師の建てたお寺付近にいたらしいのですよ。
    水銀がいっぱい取れるところでねぇ。
    大学の助教授が「水銀をもりたい奴がいるんだけどなぁ・・・・」と真顔で言ってたのを思い出しました。
    誰に盛る気だったのか・・・。
  • 水銀 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月02日 22時52分

    水銀って、即効性はないですよね?
     
    水銀を飲んだ場合、すぐ牛乳をがぶ飲みすればよいそうです。
     
    科学的に言えば、「ナボナの毒」では、人間は死なないそうです。
    ただし、耳に傷があれば別だそうです。
     
    てことで、その助教授に「水銀ではなかなか人は殺せないですよ」と・・・
    そんな問題じゃないか(^^ゞ
     
    丹生と加茂の取り合わせは、なんかそそりますねぇ・・・。
    いや、「具体的にどこが?」といわれると困るんですけど。

 

ちょっとだけ 投稿者:Naomi 投稿日:05月31日 01時30分

アラって、確か、タタラ場で精錬している時に出る、
不純物のかたまりをさす、という説もありますよね?
アラハバキって、アラを吐くからアラハバキだとか
  • しまった! 投稿者:Naomi 投稿日:05月31日 01時32分

    ひくもさまのスレッドにつけるつもりだったんですが、
    私もやっちゃった(^^;
    うーん、ごめんなさいm(__)m
  • ♪ボ〜クらは 投稿者:ひくもん@勇み足 投稿日:05月31日 02時24分

    みんな〜生〜きている〜♪
    生きているから、そういうこともあるんですよのうっ!
    では、こっちは「アラ」関係スレということで(仕切るな)。
    アラハバキ……埼玉の大宮神社の摂社とか、神奈川の山奥の地元で「アラハバキ」と呼ばれてる愛宕神社とか、行ったことあるんですけど……ワタシには感じるところゼロでした(TдT
    どういう神様なのか、全然解らんですね。語呂のキャラが何やら立っとるのう! っていうばかりで。
     
    ところで、フタラがらみで、大変衝撃的な「アラ」説があるんですよ。
    現地に調べに行った時、郷土史の本で見つけてしもうたんです……!
     
    「フタラ神=アラー説」というのを……!(効果音雷鳴)
     
    その結論しか紹介されてなかったから、論旨はわからんのですけど、嗚呼、全貌が読んでみたい……!(TдT
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 09時16分

    そんじゃ、ひくもん提案の通り、ここは、「アラ」スレッドってことに。
    「アラ」も、いろいろとっかかりがありそうですしね〜(#^.^#)
     
    で、私は本当に関西以外のことはよくわかってないんですが、アラハバキの神様を祀っている地域と、「製鉄」は、深い関係があるってことでしょうか?
     
    まったくの素人考えなんですが、「アラハバキ」っていうお名前を始めて聞いたときに、パッと浮かんだイメージは、
    「掃除に便利なもの」
     
    それは、
    「あら、はぼき?」
    じゃ〜〜〜っ!!
    つっこんで、つっこんで!!早くはやく!!
    じゃないとオチないよ〜〜〜(>_<)
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 09時41分

    そういやぁ、「日ユ(ダヤ)同祖論」ってのは聞くけど、「日イ(スラム)同祖論」ってのは、聞かないね〜。
     
    つぅか、「アラーの神様」に対する認識ってすごく低いやね。日本人は。
     
    カソリックや、プロテスタント系の学校は結構あるけど、イスラム教系の学校って・・・、あるんだろうか
    いや、そっりゃあるんだろうなぁ。私が知らないだけで。
     
    いや、しかし、マホメットさんも、確か日本に修行にきぃはったんちゃうかったっけ?
    いや、「竹内なんちゃら」とか言う本にあるらしいんだけども。
     
    そんときに、「アラーの神様」を持ち込んだんやろうねぇ。
    いや、全然、不思議じゃないやん?
    ・・・やん(T_T)??
  • アラまあ 投稿者:QUBO  投稿日:05月31日 12時23分

    アラハバキと言うとすぐにアキハバラを思い出してしまう。
    秋葉原じゃ電気だよ…トホホと思っていました。
    でもアキハバラは秋葉原、もともとはアキバッパラ
    秋葉の原で、昔火事があって、火除けの為秋葉神社
    を勧進。で秋葉神社があったから付いた名前でした。
     
    通常は秋葉神社でお祀りしているのは「火之迦具土神」
    なんだ、正しかったんだ。
  • >つっこんで 投稿者:ひくもん 投稿日:05月31日 16時34分

    >つっこんで!!早くはやく!!
    ……うーんと……Naomi様へのレスだから、Naomi様がツッ込むのよね。
    Naomi様、早く何とかしてあげて下さい!
    のりちゃまが、のりちゃまが壊れちゃうようっ!(TдT
     
    >「日イ(スラム)同祖論」ってのは、聞かないね〜。
    諏訪とかの三光信仰(日月星)をアラブのそれと絡めて考える人もいるみたいだけど、無茶よね。主神が違っちゃ、幾らなんでも。
     
    >「竹内なんちゃら」
    ミナミの帝王?
    「竹内文書」ではキリストもモーゼもやって来たよね。
    見に行ったよ、モーゼの墓。実家が割とご当地だから。
    「モーゼの墓」と「UFOがよく見られる」っていうんで、町おこししてんの。
    モーゼワインとか、モーゼジャムとか色々あるのよ。
    GHQが調査に来たらしいけど……不思議な時代だったのね。
     
    QUBO様>秋葉神社があったから付いた名前でした
    あ、やっぱそうなんですかあ!?
    秋葉社でもあったのかね? と思ったことはありましたが、それじゃ「アキバハラ」になるから違うか、って。
    家電の神様に性格変わったりしませんかね……?
  • 大魔人もアラハバキ 投稿者:Naomi 投稿日:05月31日 18時06分

    >ひくもどの
    えっ、え、えー、のりちゃんへのつっこみは、ひくもさん
    の役目だと思ってたぁ!私?のりちゃんにつっこむなんて
    そんな、関西人妻の会(爆)を追い出されるようなこと
    よーしません(^^;
    >のりちゃん
    はぼき、今ならこの高枝きり鋏もついて、たいへん
    お得な5800円、5800円となっております、てか?
    すいませんm(__)mこわれてください・・・・
    >QUBOさま
    関西では、火伏せの神様というと、愛宕神社が有名です
    が、山の中なので、家電量販店はないなぁ(^^;
     
    アラハバキについて、ネットで検索してたら、こんなん
    あたりました。
     
    <A href = "http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/History.html">Sekioka e-Institute of History</A><BR>
    <A href = "http://www.asahi-net.or.jp/~dw8k-wtri/">歴史の箱庭へようこそ</A>
     
    アラハバキと製鉄の民については、星野之宣氏の「宗像
    教授・・・」シリーズでも触れてますが、歴史ビギナーの
    あっしには、冥府魔道へ赴くがごとしです(^^;
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 21時21分

    神社参拝を始めたとき、一番初めに買った神様関係の本は、柏書房の「日本の神様事典」という本でした。
    それにはこうあります。
     
    「密集した木造長屋に住んでいた江戸庶民は家事を最も恐れていたので、火難除けの秋葉信仰は大いに広まり、秋葉山三尺坊権現を勧請することが各地に流行した。各地順送りにこれを祭祀し、大変な勢いで江戸府内に伝播するところであったが、その形勢に恐れをなした徳川幕府は、貞享二年に禁令を発して止めさせた。しかし、JR山の手線の駅名に『秋葉原』というなお残っているくらいで、各地に『秋葉山大権現』と刻まれた石碑や、秋葉神社を名乗る神社が現存しているのは、禁令だけでは庶民を押さえつけることができなかった証左であるといってもいいだろう」
     
    幕府が禁令出すほどだったそうです(~_~)
     
    いやぁ・・・。
    すごいなぁ、アラハバキ・・・じゃなくて、秋葉原。
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 21時25分

    あら、モーゼさんもいらっしゃってたの?
     
    十戒を書いた石盤も持っていらっしゃったのかしら?
     
    しかし、確かモーゼさんって、民衆が金の牛を拝んでるのを見て激怒したんじゃなかったっけ。
    日本なんかにきたらあんた、
    お日様みては、
    「なんまんだぶ」
    お月様見ては、
    「うさぎさん、ぺったんこ」
    お星様見ては、
    「織姫さま、かわいいお嫁さんになりたいですぅ」
     
    などと、偶像崇拝しまくりの日本にきちゃぁ、気が休まる閑なかったのではないかと
     
    ところで、GHQって、何を調べてたんだろ?
     
    なんか、あちこちで「GHQが調べにきた。なんかすごい秘密があるに違いない」てな話を聞くようなんですが。
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 21時33分

    >こわれてください・・・・
     
    ガ〜〜〜ン!!
    そんな、ツッコミのないボケなんて、火をつけてもつけても煙しかでないマッチ売りの少女みたいなもんよぉおおおお!!!(←最後の絶叫)
     
    ぐわらぐわらぐわら・・ぐら・・・・・。
     

     

     
    かさかさかさかさこそかさこそ・・・(←なにもない大地を風が吹き抜ける音)
     
    ・・・で、でも、ちょっと好き。
    ハボキと、高枝切り鋏の組み合わせ(#^.^#)
     
    なんで通販の「おまけ」って、こう、使い途のないもんばっか・・・ぶつくさ。
     
    んで、私は、秋葉神社と愛宕神社は同源だと思ってたんです。
     
    日吉神社と日枝神社が同じように。
     
    でも、ちょっと違うんですね。
    愛宕神社は京都の愛宕神社が本源。
    秋葉神社は静岡の秋葉山三尺坊大権現が本源みたいです。
     
    前者は神道系。
    後者は仏教系・・・といえるかも?
     
    で、アラハバキについて、ありがとうございます。
     
    サイト拝見しました。
    謎の多い神様だけに、なかなか目を見開いてしまいそうな意見もあるようですねぇ(~_~)
  • 関西人妻の会 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 04時20分

    ……その会を出されては、こっちで引き受けるしかござんせんね……やむを得まい!
    のりちゃま! 潔く壊れなさい! (そっちかい)
     
    >ところで、GHQって、何を調べてたんだろ?
    ? さあ……何か「マヂっすか!?」とか思ったんかね?
    当時はあっちのユダヤ人の間でも、日ユ同祖論ネタは盛んだったっぽいしのう。
     
    >「GHQが調べにきた。なんかすごい秘密があるに違いない」
    「モーゼの墓を調べに来ちゃったGHQ」っていう段階で、まずGHQの質の方を疑って欲しい気がするが。
    まあ、当時の妙なオカルティックな熱気の中でのことだろうから、今の空気の中で安易に裁く訳にもいかんけども。
    でも、面白かったよ、モーゼの落書きとかあって。
    あれ見たら、ユダヤ教徒さん絶対に全員ヘコむわ。
    吉田戦車っぽかった。
  • みんな冷たい(T_T) 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 09時35分

    サクッとつっこんだりぃな。
    ほんまにもぉう。
     
    しかしやね。
    >当時はあっちのユダヤ人の間でも、日ユ同祖論ネタは盛ん
    マジ?
    日ユ同祖論て、日本人が勝手に言うてるだけちゃうのん?
    もし本当に、アメリカにいるユダヤ人が、「わしらは日本人と出自を同じくするかもしらへん」と考えてたんだとしたら、アインシュタインの胸中やらいかに?
    とか考えてしまうねぇ。
     
    自分らを迫害するヒトラーさんと、自分の姿をふと重ねてしもたりはせんかったんやろか?
    とか、
    同源なのに、ヒトラーさんと手を組んだ日本人に対しての憎悪ってのはどんなもんやったんやろか?
    とか。
     
    ところで、当時のオカルティックな熱気って、具体的にはどんながあった?
    そこらへん、全然無知。私。
    おしえてぇ、おにいたま、んぱぱ〜。
  • >日ユ同祖論て 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 14時25分

    >日本人が勝手に言うてるだけちゃうのん?
    いやいやいや、ユダヤ人の方がずっと熱心なくらいだと思うよ。
    ていうか、ユダヤ人側が出した説に、日本人側が飛びついた、って感じなんじゃないのかな。
    日本人にとっては別にどうでもいい話だけど、彼らにしてみりゃ「十部族は何処に行ったか」っていうのは、わりと切実な話なんだろうし(「ユダヤ教徒」に限るけど)。
    タイトルは忘れたけど、一昔前のユダヤ教の辞典か何かじゃ、十部族の項を見ると、ほとんど日本の話だけで埋め尽くされてるとか、そんなだったらしいよ。
    向こうのラビさんが書いた本とか読むと、「もうちょっとまじめに研究されてもいいのになあ?」って。
    むしろ、日本の好事家がいい加減なことゆって足引っ張ってんじゃねえか、これ? とか。
     
    >アインシュタインの胸中やらいかに?とか考えてしまうねぇ。
    日本びいきな人だったらしいしねえ。
     
    >ところで、当時のオカルティックな熱気って、具体的にはどんながあった?
    いやもう、ルドルフ・シュタイナーとか、アレイスター・クロウリーとか、出口王仁三郎とか、ちょっと方向変えれば、ユングとかも含めて、キャラの立ってる人がやたら多かった。
    「ルネサンスの頃は何であんなに才能が続出したの?」
    っていうような感じで、オカルティストが山のように。
    そっち方面と、二次大戦方面を一緒に頭の中に放り込むと、何やらクラクラしてくるよ。
    「な……なんちゅう時代だよ」
    って(;w
  • 十部族 投稿者:のりちゃん 投稿日:06月01日 22時19分

    そういや、なんかそういう話もあったっけか(^^ゞ
     
    なるほどなぁ。
    辻褄合わせにゃならんもんねぇ。
     
    聖書って、「預言書」でもあるから、聖書に載ってる言葉は絶対だもんね。
     
    >ルドルフ・シュタイナーとか、アレイスター・クロウリーとか、出口王仁三郎
     
    うえ、あ・・・、窓開けてきてよかですか?
    あっつ〜〜ぅ。

 

横入失礼(しかも暴論) 投稿者:ひくもん 投稿日:05月30日 17時27分

QUBO様>あんな山奥から補陀洛渡海(ふだらくとかい)は無いよね。
同意でごじゃります。
私が気になるのは、延喜式以前は「二荒神」としか出て来てないそうですが、これは、
@二荒の神
A二の荒神
――どっちだったんだろう? ということなんですが。
大己貴、田心姫、味耜高彦根のいわゆる「日光三社権現」の祭神名は、
江戸初期をさかのぼることは難しいそうで、それ以前は、
大己貴、建御名方、高志河沼姫を祭神としていたらしく、
『神祇宝典』(1646)には、
「本宮の神が建御名方、新宮の神が大己貴、これらニ柱はどっちも荒神だから、『二荒』」
という社家の説を掲載しており、これで見るとAなんですよね。
さて、どっちなのか?
 
という一方、星狂いとして若干気になるのが、栃木の星信仰からの視点。
その源流を探ると、日光男体山=旧称・二荒山の星宮か、
(勝道上人入山の際に出迎えた地主神とも言う)
それとも鹿沼の方の石裂(おさく)山か、に至る。
このどちらが先かは、何とも言えない状況です。
で、その一方、大きく目を転じて、兵庫県赤穂の大避神社の表記を見ると、
これが「大荒」「大裂」とも書く。
「裂」と「荒」――で、ここは星信仰の要素が何気に強い。
そんで栃木の星信仰の古層の名に付くのも「荒」と「裂」。
トンデモな見解ですが、
 
「『二荒』の読みは本当に元々『ふたら』だったのか?
 後に『ふたら』→『にこう』となったように、
 (別の読み)→『ふたら』のステップはなかったのか?」
 
★仮説:「『二荒』とは『ニ柱のサク神』ではなかったか?」
 
……無茶苦茶ですかね……?
 

 

 
  • はっ、やってもた……! 投稿者:ひくもん@勇み足 投稿日:05月30日 17時29分

    すまぬ、お館様。別スレになってしもうた。本当にすまぬ。
    まあ、トンデモ説だから、区別されていいか(;w
  • ということで、QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 23時13分

    知りませんでしたっ!!
    知りませんでしたぁあああ!!
     
    あぁ、やっぱり私は関西のこと以外はまったくわかってぬわああああああぁあい!
     
    日光にタカヒコネの神様が祀られてるよし、高鴨神社の宮司さんから教わっていたのですが、二荒山の名前の由来になるかも?なくらい重要な祀られ方をしてるとは、知りませんでした。
    あぁ、日光の方も要注目だぁなぁ。
     
    んで、つまり、陸奥にも、重要な神としてタカヒコネの神様が祀られているのですね?
     
    最近、下照姫に注目しておっかけてるんです。私。
     
    んで、疑ってること。
     
    タカヒコネの神様は、本当に大己貴命の息子なんか?
     
    むしろ、大己貴命が崇拝してた神様なんちゃうん?
     
    ・・・ということなのです。
     
    「出雲國造神賀詞」の中に、
    「皇御孫ノ命の静まり坐を大倭國と申して」
    という一文があるでしょう?
    この「皇御孫ノ命」って誰?
     
    「高御魂命の、皇御孫の命に、天の下大八嶋國を事避しまつりし時」
    という文章から見ると、瓊々杵尊?
     
    でも・・・、大和=大己貴とその息子達が鎮まった場所だとするならば、瓊々杵尊は、大和の国に鎮まってないはず。
    ということは??
     
    ワカヒコだったりして〜。
    ひいては、その「再生した姿」。
    タカヒコネの神様だったりして〜〜〜。
     
    ・・・と。
     
    タカヒコネの神様って、「加茂大神」という名前で祭られているでしょう?
     
    それが、たま〜に、「加茂皇大神」と「皇」という文字が入るんですよね〜〜。
     
    ・・・で、さらに!!
    と続けたいとこなんですが、それ以上はまだ纏まってないので、また今度(~_~)
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 23時20分

    「荒」「裂」
    共通したイメージがあるような気もするけど、イメージで見てはいけないのかなぁ?
     
    関東の方の神社については、ほんと全く何も知らないので、それが乱暴な意見かどうかわかんないけど、もし、「二荒」が、「二柱のサク神」だったとした場合。
    その「サク神」は、どなたとどなただと思う?
     
    実は、私は、カカセオとタカヒコネの神様はつながるんじゃないかと・・・。
    え?
    根拠?
     
    う・・・・・ちょ・・・、直感・・・(T_T)
  • のりちゃん 投稿者:ひくもん@勇み足 投稿日:05月31日 01時03分

    「のりちゃん」とか言ってみますた。わはは。って、何で笑う?
     
    >その「サク神」は、どなたとどなただと思う?
    まず疑うべきは――ミシャグジ(ミサク神)かと。ていうか、他に思いつかんす。
    根拠は前にも書いてると思うけど、おさらいすると、
    @男体山山頂から大量の鉄鐸=諏訪前宮の宝鐸と同じものが大量出土していること。
    A日光二荒山神社の例大祭で『鹿の頭』の奉納があること。
    B煩雑なので略するけど、「七井戸」などその他にも細々と諏訪前宮と共通する要素が散見されなくもないこと。
    C勝道上人(秦河勝の息子ともされる)が入山した時に出迎えたのは「星の神」と「蛇の女神」であり、これは「ミシャグジ=星」「ソソウ神=蛇神」という説が正しければ、「星&蛇」の組み合わせとなり合致すること。
    D群馬の方に、「日光には建御名方の母神がいる」との言い伝えがあること。
     
    Dは「母神に会いに行こうとした建御名方がこの地を通った時に、女を見初めて云々〜」といった伝説があるんだけども、これをもし以下のように解釈したら――
     
    a:これは諏訪からの人的移動の史実を伝えた伝承である。ただし、建御名方本人ではない。建御名方の末裔の実力者が通ったのであって、これが後に「=建御名方」と語り継がれるようになったものである。
    b:この推測がもし正しかった場合、「建御名方の母」も「建御名方の末裔の母方」ということになり、するとにわかに前宮の守屋系がクローズアップされることになる。
    というのは、「洩矢神社由緒略記」に、
    『神裔洩矢神には1男1女があり女は多満留姫といい建御名方命の第2子出早雄命に嫁し』
    とあって、つまりその末裔達からすれば、
    『父方=建御名方系/母方=守屋系』
    とも認識されたかも知れんからである。すなわち、鉄鐸や鹿頭奉納を伝える日光にいた「母」というのは、この守屋系だったのではないか、とも考えられる次第。
     
    つまり、
    イ:「ミサク神&ソソウ神」のスジがいたところに、
    ロ:やがて諏訪のツテで建御名方の末裔が入って、このため祭神が「建御名方&高志沼河姫(+大己貴)」になり、
    ハ:さらにタカヒコネの要素が入って、現祭神になったんではないか、と。
    じゃ、タカヒコネはいつどのようにして入ったのかとなると、これはワシには解らんかったっす。
    江戸初期をさかのぼることは難しいっていうのは、文書記録上見出せないというだけで、このことをもってフィックスともしがたいし。
    だから、ロとハの順序は逆かも解らん(別ルートから)。
    けど、この辺はもう……突き止めがたいのと違うかな……?
     
    ただ、念のために言っておくと、
    >「(別の読み)→『ふたら』のステップはなかったのか?」
    っていうのは、これは本当にトンデモよ。類説なんか見たこともない(;w
     
    >実は、私は、カカセオとタカヒコネの神様はつながるんじゃないかと・・・。
    個人的にはめっさソソられますのう(w
    一つ、突っ込んでみてたもれ。こっちは高鴨とかが全然ピンと来えへんしね(T_T)
  • ひ・・・ひくもんさま♪ 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 09時08分

    きゃ〜、「さま」つけちゃった〜。テレテレ。
    なんか、「お返し」をせんと・・・(~_~)
     
    えぇっと、私は反対に、諏訪と日光の地理的な関係が全然わからないんだけども、諏訪から日光へのルートはどういう風になってるんでしょか?
     
    で、自分の興味あることばっか聞いて申し訳ないけども、タケミナカタの神様が、日光で祀られるようになったのは、「建御名方の末裔の実力者の移動」が、理由かな?
    と、あげてくれた5つの要素から想像つくんだけど、タカヒコネの神様が江戸時代以降とはいえ祀られるようになった経緯ってのは、ある程度、推測されているのかなぁ?
     
    タケミナカタの神様が祀られたのが、「その末裔の移動」だったら、タカヒコネの神様も、「末裔の移動」が原因かしらん?
     
    そういや、「徳川家康=加茂族説」ってのがあったっけ?
    「葵の紋」だし・・・とかなんとか。
     
    「日光にタカヒコネの神様を遷座させた、この神様の末裔」てのが、家康公だった、とかだったら、ちょっと面白いね〜。
    ・・・いや、これこそトンデモなんでしょうけど。
  • @おどろく 投稿者:QUBO  投稿日:05月31日 12時47分

    ちょっとヤバイかな?
    と思っていたら、「ひくもん地雷」爆発あっ!やってしもうた。
    「近津」や「星」は使わないようにしてたんですが。
    @いう間にこのレスの多さ! @おどろく
     
    えーと、とりあえずひとつ
    のりちゃん 様 > 疑ってること。
    タカヒコネの神様は、本当に大己貴命の息子なんか?
     
    出雲風土記の賀茂の神戸『天の下をお造りなされた大神命の御子』
    同じく三沢の郷『大神大穴持命の御子』となってます。
    正確には、風土記ではアジスキタカヒコ(阿遅須伎高日子)です。
      もっとも大穴持=大己貴は?です。
     
    ネがねー(無いの江戸なまり)ので寝つかず(ネ付かず)
     
    次に
    阿遅須伎高日子(アジスキタカヒコ)は神話の原型か?説
    出雲風土記にはこんなことも書いてある。
    『あごの鬚が八握になってもまだ夜昼となく哭いて…お言葉もしゃべれなかった。…船に乗せて…』となってます。
    これで十握の剣もってるんで、
    スサノウさん
    言葉しゃべらないで船にのるのは、
    ホムチワケさん
    壊したものが飛んでいって喪山になった話は、天の岩戸の扉と同じで、
    タヂカラオさん
    と色々な神様神話の原型、大元みたいな神様
     
    おまけの付け加え
    「関東の方の神社」ではなく四国の神社
    土佐の国、土佐郡でも、都佐坐神社・土佐神社として、神名帳の大社になって祀られています。
    ― by神奈備さんの神名帳HP ―
    http://www.kamnavi.net/en/tosa.htm
  • のりちゃんちゃんこ 投稿者:ひくもん@また長文 投稿日:05月31日 16時14分

    >諏訪から日光へのルートはどういう風になってるんでしょか?
    めさめさ大雑把に言うと、群馬を通るのと、山梨〜埼玉を通るルートがあるかと。
     
    >タケミナカタの神様が、日光で祀られるようになったのは、「建御名方の末裔の実力者の移動」が、理由かな?
    単純に「諏訪の神さんなら建御名方やろ」ってだけだったとも考えられなくもないけど、一応前述のような伝承もあることだし、って感じじゃないかなあ。
    因みに記しておくと、往時には「建御名方、大己貴、事代主」の三柱だったこともあるのね。
    日光は本宮(旧社)、新宮(現在の二荒山神社)、滝尾神社(女峰山の女神を祀る社)の三つからなってて、そのために三柱の神様が祀られる事になってるの。
    さかのぼってみれば、寄り添って立つ「男体山」「女峰山」の男女ニ柱への信仰があったのが最初だったんだけど、男体山の社が旧社地から現社地に移転した時に(新宮)、旧社地にも社を残し(本宮)、また新社地の近くに女峰山を祀る社も出来たから(滝尾神社)、三つになった。これが日光二荒山神社のあらまし。
    で、滝尾神社=女神である以上は、「男2・女1」でなきゃおかしいんだけど、「男3」としていた時期もあったの。
    (現在の祭神は大己貴、田心姫、タカヒコネの三柱。建御名方と一緒に、女神=高志沼河姫説は飛ばされてる)
     
    そいで――スッカリ忘れてたんだけど、愛媛の方に「宇都宮神社」っていう二荒山神社の分社があるんだったわ。ここの由緒を見ると、
    『五十八代朱雀院の御宇承平八年(934)、伊予掾藤原純友退治の時、橘遠安の従者宇都宮という者、下野国宇都宮庄より渡り来て、河野家の幕下となり、この地に移る』
    っていう結構古いものなんだけど、ここの祭神は「大己貴、建御名方、事代主」の男3になってる。やっぱり古くはタカヒコネは入ってなかった臭いことが知れる。
    因みに、この界隈には現在6社ほどの分々社が出来てるんだけど、基本的に全部上記の男三柱(一社、主祭神・大己貴、配神・建御名方ってニ柱になってるとこもあるけど)。
    つまり、滝尾神社を「女神」だとした場合には「高志沼河姫」、これを無視した場合に「事代主」、って風になってたと見ていいんじゃないかと――いずれにせよ、大己貴と建御名方はフィックスだったと。
    で、ついでに書いてしまうと、建御名方が本宮(旧社地)で祀られてたってのも、何気に気にかかるところで。
    この近くには星宮や、女峰山の蛇神=深沙大王を祀る社があって、それらと諏訪神が一体になってたって気配がなくもない。
    という訳で、タカヒコネは「江戸時代より前にはなかった」とは断言は出来ないものの、だからと言ってあったとはし難い。
    やはり、大己貴〜建御名方のスジの社だったとした方が無難、という次第――で、
     
    >タカヒコネの神様が江戸時代以降とはいえ祀られるようになった経緯ってのは、ある程度、推測されているのかなぁ?
    ということについては――
  •  投稿者:ひくもん@長文その2 投稿日:05月31日 16時15分

    調べに行った時、諏訪ネタの収集にテンパッてたので、そっちはあんまり調べてないッス(;w
    だけど、見かけた覚えはないなあ……? そいで、
     
    >「日光にタカヒコネの神様を遷座させた、この神様の末裔」てのが、家康公だった、とかだったら、ちょっと面白いね〜。
    ……いや……これはオモロイかもよ。
    確かにトンデモ風味ではあるけど、笑っては過ごせんかも。
    というのは、江戸初期以降、滝尾神社では女神を祀るっていうのが採用(復活?)されてる訳だけど、すでに記したように、建御名方と一緒に沼河姫も飛ばされて、田心姫になった。
    この田心姫はどう考えたって、タカヒコネ導入を前提としてるよね。
    三柱中のニ柱を飛ばしてまでタカヒコネを入れたというのは、よほどの理由があったと考えた方が……そのタイミングが、
    「日光東照宮の建立後間もなく」
    というのは……いや、考えたことなかったわ、これ。
    東照宮か。ものすご単純な展開なのに、気づかなんだ。
    「家康とカモ信仰」とかってどうなってんのかね?
    ワシはそっちは非常に暗いんですが。
  • ドドーン(;w 投稿者:ひくもん地雷 投稿日:05月31日 16時19分

    小さい頃、「軍人将棋」でやたら地雷を踏んでたことを思い出しますた。
    「軍事将棋」かな? どっちだろ? 知ってますか、軍人将棋。「スパイ」とかいるの……。
  • 下照姫 投稿者:mind 投稿日:05月31日 19時55分

    > 最近、下照姫に注目しておっかけてるんです。私。
     
     下照姫は、アメノヒボコの妻だった、という説があるっス。この妻は、新羅にあった沼のほとりで、昼寝中の女が、ほとに日光が射して赤玉を生み、その赤玉から生まれたっス。だから、下照姫のことは、ほんとうはシモテル姫と言わなければならないっス。うっぷっぷ。 ─── スンマセン。もうしません。
     
     下照姫は、アメノヒボコの妻だった、という説がある> これは本当の話だけど、でも根拠はわすれてしまったっス。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 21時40分

    土佐にもっ!!
    あかん、私、四国はまだ未踏です。
     
    金毘羅山にも行きたいと思っているのですが・・・。
     
    それにしても、いわれてみれば、タカヒコネさまってば、いろんな神様の要素を持ち合わせてらっしゃりますね。
     
    鬚が伸びるまで泣き喚いていた神(人物)はすべて出雲に関係がありますね。
    スサノオは、出雲国造り。
    ホムチワケは、出雲の神様に祟られてた。
    そして、タカヒコネさまは、出雲の地主の息子(ただし、私は疑い中)。
     
    私が一番気になってるのは、「タゴリ姫」という有力な母親を持ちながら、国譲りの時に顔を出さなかったことなんですよね。
    (なんか、「仲介役をした」なんて説もあるようではありますが。)
     
    怒りっぽくて、力のある息子に意見聞かないなんて、おっかしぃなぁあ?
     
    と。
     
    しかし、タヂカラオの神様との関わりは、言われて始めて気づきました(#^.^#)
     
    そういやぁ、タヂカラオの神様も、出自がよくわかんないですよね?
  • ひくもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 22時00分

    んはぁ〜。
    「大己貴命 建御名方命 事代主命」
    という顔合わせが、ちと面白いっす。
     
    こういう顔合わせでお祭しようとした人の顔を想像しちゃうご祭神陣(笑)
     
    それにしても、タカヒコネの神様が関東以東で祭られ始めたのは、それほど古いことではないかもしれない・・・ということですね。
     
    陸奥のタカヒコネの神様にしても、「ヤマトタケル」が関わってるんですよね。
    東北地方のヤマトタケルの神様は、かなり後世になってからの付会だ・・・と聞いたような・・・。
    思い違いかも。
     
    とすると、やっぱりタカヒコネの神様を連れて行ったのは、誰か、ということに興味が。
     
    ん・・・んで。
     
    >「家康とカモ信仰」
     
    知らん。
    ただ、葵のご紋が、共通するという話は聞いたことが。
     
    あと、ほんと、神社参拝始めたころ、高熱がでたときに、
    「江戸幕府が天皇家を有名無実のものにしたのは、太古、天皇家によって、「有名無実」にされた氏族の末裔では?・・・加茂氏?」
    なんてことを思いついて、そのまま、オカルトやミステリに含蓄の深い先輩にぶつけたら、
    「あぁ、そんな説、どっかで聞いたことあるよ」
    とかる〜く言われましたです。
     
    ので、徳川と加茂の関係については探せば結構あるかもね。
     
    家康公につぃては、天海僧正絡みになってくるんだろうねぇ、多分。
    とすると、手ごわそうだぞ〜〜。
  • mind様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 22時04分

    アカル姫ですね?>ヒボコの奥さん。
     
    大阪の比売許曽神社は、もともと「赤留姫」をお祭していましたが、今のご祭神は、下照姫になってますよね。
     
    それは、下照姫=赤留姫である、という説が有力だからなんでしょね。
     
    なんで一緒だとされるんだろ〜?
  • んで、 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月31日 22時06分

    「シモテル姫」
     
    つっこんであげないっ!!
    うぷふ〜。
  • そしてまた暴論 投稿者:QUBO  投稿日:05月31日 23時39分

    ひくもん 様
    「軍人将棋」ですね。
    「地雷」は「工兵」に負ける、でした。
    土佐の「星」地雷は避けたつもりで、あえて
    土佐神社(土佐一宮)には触れなかったんですが…
     
    のりちゃん 様
    > (タカヒコネが)国譲りの時に顔を出さなかった
    これは光って飛んでいってしまったから。
    紀では「二丘二谷の間に映る(てりわたる)」
     
    高天原での葬儀を切り倒し蹴飛ばし壊して、
    元に戻りにくいから、そのまま飛んでズラカル。
    「トンズラ」きめこんだんですね。
    本当は、末子相続で、年上なので既に他の地を
    財産として分けて貰っていた、だと思っています。
     
    播磨国風土記では、
    大汝命の子の火明命は、父である大汝命の乗った船を風波を巻き起こして追いかけ、バラバラに壊してます。(姫路の名前のきっかけ事件)
    それほど強い神様でも、国譲りの時には顔を出さないです。
     
    そしてまた新たな暴論
    尾張氏の祖といわれる火明命、実はこの神様
    同名の神様=海幸彦ではない。
     
    「シモテルヒメ」ムフフ!!
    本当はこちらの方が暴論
    暴(バク:さらす。暴露論)
  • QUBO様 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 03時56分

    わははは、工兵! ありましたねえ!
    って、何がおかしいのか良く解りませんが、笑ろてしまいました。
     
    で、土佐の星なんですけど、すいません、何か判然としないんですよう。
    ていうのは、それまで調べに行った場所では、
    「長野では諏訪!」「埼玉では秩父!」「栃木では日光!」「岡山では中山!」「九州では宇佐と阿蘇か!?」
    という風に、ここがその信仰の中心地だったのではなかろうかと、類推を進める際のよすがとなるメジャーなポイントがあったんですけど(それが正解かどうかは別としてですが)、高知ではそうした社や地域がどう〜も見つからないんですよ。
    言葉は悪いですが、ただダラダラと民間信仰的に夥しい数が点在するばっかりで、実力ありげな中心地がない。
    前もってそれが見つからなかったので、現地に行けば見つかるだろうか? と、それを課題にして出かけたんですが、それでも全く見当たりませんでした。
     
    一方、土佐神社ですけど、これが元々タカヒコネであったかどうか、私にはよく解りませんです。
    葛木カモ系であることは100%間違いないんでしょうが、『延喜式』なんかでは祭神は載ってませんし、『土佐風土記逸文』には、
    「祭神は一言主尊で、その祖は未詳、一説によるとタカヒコネ」
    とかいう風に書いてあるようですし。
    何で流された先が土佐だったのか? という疑問はありますが、文献で調べた限りでは土佐神社には特に星臭さは見当たらず、だもんで参拝にも行かなかった、という……。
     
    ただ、愛媛県のごく一部に密集する星信仰系イワサク神社が葛城の修験道と直結してるらしい、というのは、高知県を後にした約3日後に現地に行ってから知れましたから、或いは土佐神社界隈でも精査していれば、何か見つかったのかも知れません。
    けど……どうも良く解らんのです。何か茫漠としていて、つかみどころがない、というか。
    もうちょっとその方面で郷土史家さんの研究が行われていれば、アレだったのかも知れませんが……むしろ参考になったのは、福島県在住の「星さん」が自分の苗字に興味を持って星信仰を調べてるうちに高知まで足を伸ばしたっていう、その調査レポートの方だったり(これは福島県立図書館で入手)。
     
    ということで、この場をお借りして――頑張ってくれ、高知県民! と。
    そんで白皇(白王)神社の謎を解いてください。 
    あれはどういう神社なのか、気になって気になって……。
  • のりぷりん 投稿者:ひくもん 投稿日:06月01日 04時05分

    >タカヒコネの神様が関東以東で祭られ始めたのは、それほど古いことではないかもしれない・・・ということですね。
    古きゃ古いで個人的には面白いんだけど、正直、飛びつき難い、って感じっすかね、今んとこ私的には。
    日光に限った話だし、知らないネタがゴロゴロ転がってるかも知れませんけど。
     
    >東北地方のヤマトタケルの神様は、かなり後世になってからの付会だ・・・と聞いたような・・・。
    東北は知らんけど、秩父なんかにあったヤマトタケル伝承は、やっぱ結構新しそうだったですよ。
     
    >>「家康とカモ信仰」
    >知らん。
    三文字かい(;w
    って、ツッコミでも五文字あるぞ。
     
    >家康公につぃては、天海僧正絡みになってくるんだろうねぇ、多分。
    >とすると、手ごわそうだぞ〜〜。
    ……じゃ……おコタ様に任せるか?

 

隠し子? 投稿者:QUBO  投稿日:05月29日 00時28分

アマテラスパパラッチ。またはレポーター
アマテラスには隠し子?がいた!
 
いろいろ考えた末「天若日子」(天稚彦)ではと結論しました。
父親「天津国玉神」は、息子の葬式以外何処にも出てきません。
非常に影が薄い。一方母親(これが問題です)は不明。
 
大国主に国譲りを迫った先輩「天菩比神」は、天忍穂耳命と兄弟。
天照大御神と須佐之男命の誓約によって生まれた神さまです。
その偉い天菩比でさえ、3年で次の役に交代させている。
 
偉い天菩比の、その跡を継がせることができる。これは偉い。
しかも8年間我慢してる。もっと偉い。かつ特別に可愛い。
母親はすごく偉いはず。=アマテラスしか有り得ない。
 
あくまで創作ゴシップです。
  • ギリシャ神話のゼウスは 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月29日 08時25分

    金の雨になって、ダナエに降り注ぎました。
    んで、その結果、ペルセウスができました。
     
    さて、我国の最高神、天照大神は、金の光となって、すべての神に降り注ぎました。
    その結果、八百万の神々が生まれたのであります。
     
    確かに、稚彦は、謎が多いですよね〜。
    なんで、国譲りの交渉という大役を任されたのか。
     
    葬列の鳥たちも気になります。
     
    マザーグースの「誰がコマドリ殺したの?」
     
    誰がおくやみ受けるのか?
    それは私、と鳩が言った。
    愛ゆえ深い、この嘆き
    わたしがおくやみ、受けましょう
     
    誰がお棺を運ぶだろう?
    それは私、ととんびが言った
    もしも夜道でないのなら
    私がお棺を運びましょう
     
    天若日子のお葬式
    河雁が死人の食べ物を持つ役とし、
    鷺が放棄を持ち、
    翡翠が料理人、
    雀が臼搗き女、
    雉は泣き女と定めた。
     
    まぁ、魂は鳥になる、と考えられてたからというだけかもしれませんけどね(~_~)
  • 名前だけの父親 投稿者:QUBO  投稿日:05月29日 17時19分

    天津国玉神さん、名前はすごい。
    名前だけなら大国玉よりも偉い。
    でも実際は(神話上は)息子の葬式に出てくるだけ。
    しかも息子が生き返ったと、赤の他人にすがりつく。
    ただの情けない取り乱しお父さん。
    普段はなにをしていたんでしょう?
    天若日子命は変わってるけど、もっと変ですね。
     
    で、実は赤の他人ではない。
    母親がいっしょなので瓜二つ。
    後世の人が判るように、ヒントを残した。
    こんな芸能レポートいかが?
  • ん? 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月29日 21時32分

    えぇっと、話整理していいですか?
     
    若日子と瓜二つっていうと、アジスキタカヒコネ(漢字変換がしんどいので、カタカナで(~_~))命ですよね。
    タカヒコネの神のお母さんは、多紀理毘売命ですよね?
    若日子のお母さんが、多紀理毘売命。
    多紀理毘売命は、スサノオの娘・・・だけど、天照大神とスサノオの誓約で生まれた神様。
     
    つまり、多紀理毘売命は、スサノオの娘じゃなく、天照大神の娘・・・という?
    (宗像神社では、その説をとってるみたいですね。・・・で、日本書紀の一書(第一)もその説をとってますね)
     
    それとも、タカヒコネのお母さんも天照大神・・・という?????
     
    なんにせよ、タカヒコネの神様ってば謎が多いからなぁ。
    こっちを探ってみるのも面白そうですぜ!!親分。
     
    いっちょ頼みます。
  • まちがい 投稿者:QUBO  投稿日:05月30日 01時49分

    味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)が、と若日子瓜二つ。
    若日子さんが、味耜高彦根の叔父さん。
     
    「孫なので、叔父さんと似ていた」に訂正です。
     
    若日子さん、不遇な亡くなり方で、葬儀も壊されましたが、
    キチンと石見の国(島根県)美濃郡に祀られています。
     
    延喜式内社
     菅野天財若子命神社(スカノノアメノタカラワカコ)
    神奈備さんの神名帳HP
    http://www.kamnavi.net/en/iwami.htm
     
    > こっちを探ってみるのも面白そうですぜ!!
    あっしもそう思いやす。なにせネタは仕入中なんすが、
    今一つひねりに欠けておりやして…(>_<)!… 。
    すんません。m(__)m のり親分。
  • 天若日子を祀る神社 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 07時58分

    天稚彦を祀る神社って、そうそうないですよね。
    私が参拝した神社の中では、「高鴨神社」だけです。
     
    で、やっぱり、つまり、宗像三女神は、天照大神の娘説をQUBO様はとられてるんですね?
     
    しかし・・・なんていうか、五男神と三女神は、天照大神と素戔鳴尊の二神の協力で生んだわけで(^^ゞ
    8柱とも、二人の子供ってわけにはいかないのかなぁ?
    とも思いますよね。あの神話。
     
    天稚彦と味耜高彦根の関係については、いろいろ説があって、味耜高彦根とは、稚彦が再生した姿である、とも言われてますよね。
    私は高鴨神社がとても好きですし、味耜高彦根の神様にも、かなり興味を持っているのですが、資料が断片的な気がします。
     
    どんなネタが集まってるかだけでも、教えて教えて!!
    うっふん、マリリンよ〜〜ん♪(ここは、色っぽい声で読んでね♪)
  • のりちゃん 様 投稿者:QUBO  投稿日:05月30日 11時07分

    ちょっとだけよ〜♪(色っぽいつもり♪)
    アジスキタカヒコネ
    ◎ 十握(トツカ)の剣でワカヒコの喪屋を切り伏せました。
    切った剣は、大量(おほはかり)別名神度劍(かむどのつるぎ)
    名前をもつ(霊力のある)剣、しかも十握(トツカ)の剣をもつ。
    偉いんじゃ!
     
    妹の下照比売が歌った歌(ヒナブリ)。
    「天(あめ)なるや  弟棚機(おとたなばた)の  項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)  御統に  穴玉はや  み谷 二(ふた)渡らす  阿遅志貴高日子根神ぞ」
     
    日光二荒(フタラ)山の名は、「二(ふた)渡らす」から付けた。これをもっと詳しく捻りたいけど、出来てない。でもあんな山奥から補陀洛渡海(ふだらくとかい)は無いよね。海から離れ過ぎ。
     
    ついでにもう少し
    アジスキタカヒコネさん、この日光から鉾を持って、福島へ日本武尊を助けに行きます。日本武尊は感謝感激、都都古和気神(陸奥国一宮)としてお祀りします。
    鉾を持ってくのは、父である大国主以来の伝統でしょうかね?
  • じゃぁ、 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 23時02分

    新スレということで、ひくもんさんのスレに移動しますね。
     
    ・・・私もちと、トンデモな話を書きたいので(^^ゞ
    うふ、うふふ・・・。
    笑って許してくださいねぇえええええm(__)m

 

モックンの聖徳太子は美しかった(*^^*) 投稿者:Naomi 投稿日:05月27日 22時47分

>>素浪人さま、
確かに時代考証に苦労したあとがうかがえるドラマ
でしたね(^^;
特に、聖徳太子の時代の歴史は、いまだに諸説紛々で
史実と伝説の組み合わせが大変だったと思います。
実際、古代史のドラマというのは、天皇家の歴史にも
いやでも関わるので、いろいろ配慮するのが、大変とは
思うけど、それでも、観たいのが心理ですね(^^;
個人的には、大化の改新、とか、壬申の乱とかが
ドラマで観たいのですが、やっぱり、ダメ(^^;?
  • 大化の改新 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 23時18分

    私も見たいです。
     
    特に、入鹿の首が中臣鎌足を追いかけたっていうクダリがあるでしょう?
    そこが見たい(笑)
     
    壬申の乱もいいですね。
    勢田大橋を挟んで、睨みあう叔父と甥。
     
    わくわくしますね。
     
    この頃になると、万葉集に残っている和歌で、ある程度、歴史上の人物の恋模様などが推理できるみたいで。
     
    かなり、しっかりとしたストーリーが描けるんじゃないでしょうか。
     
    配役で一番気になるのは、やっぱり「額田大王」の役ですね。
    知的で思慮深く、美人。
     
    ・・・う〜〜〜〜〜ん・・・。
    難しい。
  • 壬申の乱といえば 投稿者:QUBO  投稿日:05月28日 06時39分

    のとき、負けた大津皇子(明治になってから弘文天皇)は、
    上総望陀郡小川村(今の君津市)に逃れてきて亡くなられた。
    その跡を追って妃の耳面刀自(ミミモトジ)がやってきたが、
    急病で、わずか20歳で、お亡くなりになった。
    なんて話が千葉に残ってます。
     
    弘文天皇を祀る白山神社、その裏に前方後円墳があります。
    耳面刀自をお祀りする内裏神社と内裏塚古墳もあります。
    また耳にちなんで33年に一度「御神幸祭」があり、通称
    「お浜祭り」といいます。
    前回が昭和46年(1971年)なので、なんと今年が33年目
    この11月にお祭があるんですよ。
    「千葉の観光まるごと紹介」のHP
    http://www.kanko.chuo.chiba.jp/search/shousai.asp?id=1802
     
    耳よりも眉が気になって、つばをつけたくなりますね。
  • あれ? 投稿者:QUBO  投稿日:05月28日 07時03分

    そのままだと、佐原の諏訪神社になりますね。
    アドレスを最後まで入れて、コピーしたものを
    上のアドレス欄に貼り付けて、見てください。
     
    「眉につば」なんて書き込んだからたたられたかな?
  • おりしも 投稿者:anne猫 投稿日:05月28日 07時28分

    今夜のNHKの「その時歴史は動いた」は「聖徳太子」ですね 多分ドラマの再現シーンもあるでしょう
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 08時07分

    大友皇子ってどんな人物だったんでしょうね?
    早逝した薄幸の妻・十市皇女は、武市皇子との間に睦まじい関係があった・・・と想像される和歌が残ってますし、壬申の乱では負けちゃうし。
    な〜〜んとなく、華のない人物なんですよね。
     
    高貴な人が敗れた場合、「落ち延び伝説」ってのが残ることが多いですよねぇ?
    代表的なのが、源義経。
    それは、「あの人が死ぬなんで信じられない」という民衆の心理によるもので、つまり、人気のバロメータのように思います。
     
    ・・・そういう意味でも、大友皇子は・・・(T_T)
     
    と思ってたら、千葉には大友皇子が落ち延びてきた、という伝説があったんですねヽ(^。^)ノ
    いやぁ、よかったよかった(#^.^#)
     
    それにしても33年に一度。
     
    72年(でしたっけ??)に一度という祭りも、北関東ですよね?
    気の長い人が多かったんでしょうか?
    それとも、長寿だったのかなぁ?
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 08時10分

    聖徳太子って謎の人物ですよね。
    「聖徳太子」っていう名前は、旧事紀にしか載ってないんでしたっけ?
    どこにも載ってないんでしたっけ??
    すごい功績を残したとされているのに、イマイチ素性がはっきりしない人物ってことになるんでしょうか。
     
    そんな人物をNHKのドキュメント番組(ですよね?)がどういう風に報道するか、面白そうですね。
     
    ・・・でも、私、ど〜も、もっくんが苦手で(^^ゞ
    でてくるとチャンネル替えるんですよ〜。
    再現ドラマになったら、チャンネル替えちゃうかも〜(~_~)
  • 壬申の乱 投稿者:anne猫 投稿日:05月28日 16時05分

    の舞台はちょうど天下分け目の関ヶ原なんですが
    あまりめだたず、地洗い川とか
    遺蹟がひっそりとあります
    この中央の争いはどれぐらい地方に影響があったんでしょうかね?
  • 大化の改新ドラマ 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月28日 16時22分

    個人的には蘇我石川麿を誰がやってくれるのか?というのが楽しみです。後、孝徳天皇(笑)。
  • 孝徳天皇 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月28日 19時47分

    ↑こたつ的には橋爪功さん。石川麻呂は北大路欣也さん。
    弘文天皇の話も出てたけど、松岡昌宏さんがイイ(笑)。
    (今年の大河で、佐々木小次郎やってるけど)
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 22時02分

    うわあああああああ!!
    「歴史が動いた」見るの忘れたぁああああああ!!
    テレビつけたら、子豚がでてたんで、ついついそのまま見続けてしまいましたぁあああ(>_<)
     
    しくしく・・・。
     
    さて、壬申の乱の舞台は、関が原なんですか?
    すいません、知りませんでした(^^ゞ
     
    なんか、勢田大橋っていうイメージばっかり強くて。
     
    あの時代、中央はどれだけ地方に影響力があったんでしょうね?
    まだまだ、掌握しきってなかったでしょうから・・・。
     
    でも、各地に流れていったいろんな豪族の派閥もあったでしょう。
    微妙に影響を与えたでしょうねぇ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 22時06分

    また渋いところを(^^ゞ
     
    石川麿って、温厚な老人っていうイメージが強いんでしょうか?
     
    同じく大化の改新で手柄をたてた、鎌足が、その後どんどん出世していくのに、石川麿は謀反人にされちゃいましたからねぇ。
    中大兄皇子にとって、なんか、恐怖感を与えるものがあったんでしょうね。
     
    孝徳天皇は、いわゆる「お飾り」にされちゃったイメージがありますが(~_~)
    なんというか、特にすごい功績もなかったけど、悪徳もないって感じになるんでしょうか?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 22時20分

    孝徳天皇のイメージ近いかも(#^.^#)。
    わたしは、岸部一徳さんをイメージしてました。
     
    石川麿は・・・はっきりしたイメージがないんですが、敢えて云うなら、伊藤四郎・・・かなぁ(^^ゞ
     
    あと、常処女・十市皇女って、永遠の美少女というイメージもありますが、確か、父親の大海人皇子への密書を魚に隠して届けてたっていう逸話がありましたよね?
    仲間由記恵さんがいいなぁ〜。
  • 聖徳太子も風水師説あったっけね 投稿者:Naomi 投稿日:05月28日 23時15分

    見ました、NHKの「その時歴史が動いた」
    NHKお得意のびみょーにぼかしたドラマからの
    シーン挿入・・・・ご亭主さま、チャンネル変えた?(笑)
    大化のキャスティング、私は鎌足が気になります。
    確か、だいぶん過去に民放が、ドラマスペシャルしてた
    ような気がします。
    そのときは額田王が岩下志麻さんで、というのは覚えてる
    のですが、あとは、忘れてるなぁ(^^;
     
    >>関が原
    ちょっと、トンデモかもしれませんが、風水的に重要な
    ポイントだそうです。なんでも、白山連峰→伊吹山地→
    伊吹山の大龍脈と吉野大峰山脈→鈴鹿連峰→霊仙山の
    大龍脈の強いエネルギーがぶつかりあってる地点とか、
    (お手元に日本地図のある方はご確認を)
    だもんで、対戦する相手のどちらが関が原地域を制するか
    は、非常に重要だったようです。
    一説には、神君家康公の伊賀越えとか、大海人皇子の吉野
    隠遁、東国落ちもそのための伏線だとか・・・
    歴史的事実はともあれ、個人的にはこういう話、
    好きですけどね(^^;
    ま、壬申の乱での地方への影響という点では、万葉集の
    防人の唄ではないけど、税(昔だから、現物ね)の
    引き上げとか、徴兵とかで結構、大迷惑だったと思います
    今も昔も、戦争はろくなことにならんもんです(・_・)b
    一般庶民には・・・
  • あ、 投稿者:朱天 投稿日:05月29日 00時47分

    >テレビつけたら、子豚がでてたんで
    私が見ていたインコとか出てたやつですね(笑)
  • Naomi様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月29日 08時34分

    額田大王、岩下志麻さんでしたか。
    岩下額田は、なんか、あっさり大海人皇子を捨てて、中大兄に走りそう(~_~)
     
    大河ドラマで、北条政子を演じたとき、なんか、許婚かなんかをあっさり裏切って、源頼朝に輿入れするシーンがあったのをはっきり覚えてるんで。
     
    関が原龍脈説って、私も聞いたことがあるように思います。
    えぇっと、中央構造線かなんかが走ってるんでしたっけ(^^ゞ
     
    構造線についてはオーソリティがいらっしゃるんですが、今、むっちゃくちゃ忙しいみたいなんで、今度会ったら聞いときます。
     
    ていうか、つい最近、詳しい話を聞いたような気もするんですが、お酒が入ってたので、ちゃんと覚えてない〜〜〜(>_<)
  • 朱天様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月29日 08時36分

    その通り。
    「命を投げ出して主人を守ろうとしたオウム」
    の話を見ながら、
    「おまえもあれくらいのこと、できるよなぁ?」
    とうちの文鳥に聞いてみましたが、
    全く無視されてしまいました(>_<)
     
    ま、そらそうだわな(^^ゞ
  • 聖徳太子が動いた 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月30日 17時23分

    違う番組になっている・・・(笑)
    どうも上宮は大工の神様というイメージが強いです。
  • 大工の神様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 22時58分

    といえば、鞍造トリは、神様になってないんでしょうか?
    あ・・・仏様になってるのかしらん(^^ゞ?

 

「蹉だ神社」 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月27日 00時56分

↑読みましたー☆ミ
菅原道真に関しては「濡れ衣」「濡れ衣」と聞くけど、
娘の逢引事件は始めて聞いたと思います!
 
逢引はしたけど天皇に謀反はしてない「濡れ衣」なのか、
逢引事件自体が「濡れ衣」なのか、どっちなんでしょ!
 
「勉強しなさ〜い!」と言い過ぎて、娘が不良に
なっちゃったとか(>_<)!
……そして勉強しなくても合格させてくれる神様に
なったとか(笑)。
  • 娘の逢引事件は 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 08時04分

    あくまでも、「菅原伝授手習鑑」の中だけの話なんで、史実かどうかは、わかんないです(^^ゞ
     
    っていうか、当時、菅公やその家族がなにやってもアゲアシとられる状況だった・・・ってのが正解かもしれないです。
    いや、わかりませんけど。
     
    菅公を左遷に追いやった、藤原時平ですが、女性にはかなりモテたみたいで、あの「平中」と並ぶ、色好みだった、と今昔なんかでは書かれてますね。
    あ、そうそう。
    平中が翻弄された、あの女性、時平の侍従だったんです。
     
    解説書なんかを読むと、それだけではなく、この侍従、謀略で時平の叔父から奪ってきた女性でもあるとされてます。
    (谷崎が、「少将滋幹の母」で描いてます。ただ、谷崎は、この「母」と「侍従」は別人としてますけど)
     
    つまり、時平の周りはかなりドス黒い怨念やらなんやらがぐるぐると・・・(^^ゞ
     
    その点菅公は、娘の教育問題ですからねぇ。
    無粋っちゃぁ、無粋かもしれません(~_~)
  • ゴシップ♪ 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月27日 19時48分

    >平中が翻弄された、あの女性、時平の侍従だったんです。
     
    えっ! そうだったんですか?
    (↑アンタそれでも国文科卒?)
     
    この頃の話って、聞けば面白い(自分では読まない)けど、
    出て来る人が誰も彼も藤原サンで、覚えてられない(汗)。
    全くもぉアンタ達はそんなだから、後で「平氏じゃなければ
    人でない」なんて仕返しされるんだからぁ〜!
     
    しかし時平さんが謀略家だったのか、謀略を好むサロンが
    周囲を取り巻いてたのか、そゆ時代だったのか、権力構造
    を意識して読むと、その辺も面白そう〜(笑)。
     
    でも必ず「色絡み」問題で上げ足取られるって点が、時代
    ですかね〜。それだけ恋愛の花が咲いた時代だったのか、
    それとも逆に何をやっても「禁断の」と問題視されやすい
    風潮だったのか。……気になりますね(笑)。
     
    あ、谷崎さんの「少将滋幹の母」は、文学史だったかで
    チョロとあらすじを読んだ気がするのですが、全然覚えに
    無いです。
     
    ナント私の学校では文学史ってやらなかったのです。
    だからその辺りを大学で期待してたのですが、大学って
    自分の好きな所ばかり教えたがる先生が居るじゃないです
    か(^^;)。だからあまりやってないんだよなぁ。(肩書き
    が信用できない、の典型みたいな私です:汗)
     
    でも娘のゴシップなんて、一番言われて嫌な問題だろうから、
    意図する所は、謀反という極刑に値する罪に落とす事より、
    むしろ「染みをつけたかった」だけって感じもするよなぁ(笑)。
  • 時平さん 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 23時09分

    谷崎の「少将滋幹〜」も今昔を下敷きにしてるんです。
    で、要点だけ話すと、時平は、年老いた伯父・国経の妻がもったいないような美人であることを、なんと平中から聞き、下心むんむんで、叔父に近づくんです。
    で、何かと親切にするんですね。
    国経ってのは、まじめだけがとりえの、いまひとつ華のない人物だったみたいで、今をトキメク時平に親切にされて、舞い上がっちゃうんです。
    そこに、時平から、「お正月にお邪魔していいですか?」なんていう申し込みがあったもんで、張り切るのなんの。
    牛とか珍しい楽器とか、考えられる限り豪勢なお土産を用意して待ってるんですね。
     
    でも、時平は満足しない。
    「伯父上はもっと素晴らしいものを持ってるでしょう?」
     
    国経は舞い上がってるんで、時平の計略に気づかず、
    「おう、そうだ。私の持っている中で一番素晴らしいものを差し上げましょう」
    ってなわけで、奥さんを持っていかれてしまいましたとさ。
     
    ・・・むごい(^^ゞ
     
    まぁ、奥さんにしてみたら、国経の妻でいるよりも時平の奥さんになるほうが幸せだったかもしれませんけどねぇ・・・。
    どうでしょう(゜.゜)?
     
    女から見たら、「時平さまのやり方ってば、スマートで素敵!」になるんでしょうか?
    ・・・って、私も女だった(~_~)
     
    もし、私が当事者だったら、
    「私を商品扱いするとはどういう心得じゃ〜〜〜!!」
    と、怒り爆発するところでしょうが、時代的にはこういう扱いが普通だったのかもしれません(-"-)
     
    ・・・と、菅公じゃなく、時平のゴシップばっか説明してしまいました・・・ていうか、菅公のゴシップって、残ってるのかなぁ?
    なんか、叔母さん孝行だったとか、そういう話ばっかな気がする。
    不遇の秀才に対する気遣いかもしれませんけどね(~_~)
     
    娘に関するゴシップも、「菅公はいくら叩いても埃がでないから、娘で」っていう苦肉の策だったような気もしますです(~_~)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:05月28日 19時53分

    >国経ってのは、まじめだけがとりえの
     
    ああ〜、何かココだけ印象に残ってるんです〜。
    谷崎文学でよく出て来る、オロオロするオジサンかなぁ?
    (って読んだ事無いけど)
     
    ……じゃあじゃあ、この話って、谷崎王道で行くと、
    実は国経の目当ては時平?(爆)
     
    >「菅公はいくら叩いても埃がでないから、娘で」
     
    意外と頭のキレる道真が、ゴシップネタにどう反応するか
    楽しみにしてただけだったり……(^^;)。
  • 国経 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月28日 22時30分

    オロオロするおじさん。
    「痴人の愛」のジョージさんとか、「鍵」の旦那とかの印象ですね?
     
    国経は妻に逃げられるまでは、それに近いんですが、その後、絶望からか、すっかり漂泊されちゃって、「死人観」(だったかなぁ?)なんかにハマっちゃうんですよ。
     
    で、滋幹はそんな父親を見て、
    「ちっ。華がないオヤジだぜ。菅公みたいに、派手に祟ってみろってんだい」
    てな感想を抱き、(いや、思いっきり意訳してますけど(^^ゞ)
    菅公の怒りのために、短命の時平一族に、
    「あぁ、美しい人々は、やっぱり薄命なんだなぁ」
    というような憧れを抱いてます。
     
    で、やっぱり(~_~)
    「そんな美しいお母様の面影が忘れられないんだよ〜〜〜!!」
    ってのが、結局は全篇を流れるモチーフですね。
    あぁ、谷崎文学だなぁ。
     
    つぅか、わたし、この物語、落ち込んだ時に読むと元気がでるんですよ。
     
    なんていうか、恥ずかしげもなく耽美しきれるってのがすごいなぁなんて(#^.^#)
     
    まぁ、時平の、菅公イジメが、どういう気持ちからなのかはわかりませんが・・・。
    案外、時平、
    「菅公ってば、全然僕を振り向いてくれないんだもん。どうしたら、僕ちんの気持ち、わかってれるの!!
    あ、そうだ!困らせてやったら、なきついてくるかもしれないな。そしたら、優しい言葉で・・・」
    などと考えてたのかも。
     
    う〜〜〜ん、そう考えたら、そうとしか思えなくなってきた(~_~)
  • 滋幹 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月30日 03時23分

    ↑ってのが、何だかまたスゴイわね(笑)。
    それじゃ菅公の味方なのか敵なのか判らないけど。
     
    こないだNHKだったかなぁ……? 文学者の食った物
    って番組やってて、谷崎はグルメだったらしいわ〜。
    終戦の前の日に、今だったら何十万に値する大金はたいて
    牛肉を買い込んでジャンジャン食ったのだとか。
    要するに「耽美派」という名の剛毅なオジサンなのね。
     
    >>時平の菅公イジメ
     
    あるいは、「幾ら可愛がっても娘なんてのは親に黙って
    男を作っちゃうのよ、虚しいのよ」と知らせたかった
    のかも?(笑)
    どっちにせよ、そういう方向でしか考えにくい展開に
    なって来ましたね〜。
  • 滋幹は谷崎と同じで 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 08時03分

    耽美派なんじゃないでしょうか(~_~)
    美しくないもの嫌いっ!!美人(男でも女でも)好き好きっ!!
    という。
     
    まぁ、それにプラスマザコンということになりますが(^^ゞ
     
    しかし、終戦の前の日に焼肉ばくばくの話は知りませんでした(゜.゜)
    焼肉って、耽美派からはかなりかけはなれてる気がするんですけど〜〜・・・「美しいものとおいしいものは一緒なんだ!」とか言われそうな気もする(@_@)
     
    歴史上の有名なイジメ事件(笑)って、結局「愛憎半ばする」ものが多いような気もしますが・・・。
    時平の菅公イジメに関しも、やっぱそうですかね(~_~)
     
    「好きで好きで仕方ないからいじめちゃうんだよ〜〜」
    とか。
     
    だったら、その後祟られまくった時平は、結局ふられちゃったということになるんでしょうかねぇ(>_<)
    う〜〜む。
    「愛情表現は素直にね」
    ってことでしょうか(#^.^#)

 

 投稿者:hiro2 投稿日:05月30日 00時24分

6/29(日)
とある、神社の境内の中の会舘をお借りして
ヒーリングセミナーを開催いたします。
 
神道系の光も降ろされます。
鳥肌立って、膝、顎がくがくもんです。
ご興味おありの方メールでもしてください。
  • がんばってくださいね 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月30日 07時49分

    ヒーリングとか、癒しというものをよくわかってないのですが、神様の光を降ろしたりもされるんですね(゜.゜)
     
    ヒーラーさんは、かなり体力をお使いになるんでしょうね。
    がんばってください。

 

昔の一万円札の表紙。。 投稿者:anne猫 投稿日:05月29日 13時45分

のりちゃん
大丈夫です 日曜の朝、1週くらいずれて再放送しております
私は見逃したらこれでホローしております
 
前、ゆっていた 物部の神社で城みたいなのってこどの神社だったっけ?
あっ! 逢ったときに明日聞けばいいか!
よろぴく!
  • 明日 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月29日 21時23分

    30分ほどですが、お話できそうで〜す。
     
    で、物部の神社でお城ですか?
    お城の中にある神社とか、城跡の側にある神社じゃなくてですか?
     
    お城みたいな神社・・・(゜.゜)
     
    明日、他のヒント聞いたらわかるかな?
     
    じゃ、よろしく〜。

 

新スレ 太陽と月 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 08時27分

旅人のマントを脱がそうと、月は風をぴゅ〜ぴゅ〜と・・・あれ?
 
>Naomi様
元正天皇・・・。
あ、聖武天皇のお母さんですね?
すいません、私、「続日本紀」は、ほとんど・・・。いや、もう、全然といっていいくらい、読んでないんです(^^ゞ
弓削道鏡関連くらい。
 
だから、元正天皇については、全然知りません。
どんな天皇なんですか?
 
今ざっと見た感じでは、僧侶が仏法から離れることを戒めたり、天皇である自分が間違ったら率直に意見を述べるようにという詔をくだしたり、清廉で生真面目な人柄を感じます。
 
なんにせよ、三代続いた最後の女帝で、しかも、祖母・母親と二代に渡って名参謀を務めてきたと思われる、藤原不比等公が亡くなったのも彼女の代ですから、苦労は多かったでしょうね。
 
とはいえ、持統天皇と元明天皇のイメージは結構わくんですが、元正天皇のイメージは、いまだはっきりは湧かないです。
 
え?持統天皇と元明天皇の配役ですか?
えぇっと・・・
持統天皇=岩下志麻。
元明天皇=かたせ梨乃
ってことでどうでしょう?・・・極妻かいっ!!
  • 素浪人様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 08時28分

    沖縄では、太陽=男性、月=女性という風に考えてたんですね。
    でも、祭祀の現場において、権力は女性にあった。
    ということは?
    つまり、太陽よりも月の方を重要視していた、ということになりますね?
    ってことは、「祭祀」は、昼のものじゃなく、夜のものという考え方があったということかも?
     
    この素浪人様のカキコミを見た限り・・・ですが、
    太陽は「人間」に関すること、「健康」「先祖」などなどを。
    月は「自然全体」に関すること、「穀物育成」などを。
    それぞれ司ってる・・・とは考えられません?
     
    これって、珍しいんじゃないでしょうか?
    普通、反対じゃありません?
     
    穀物を育てるのは、やっぱ太陽でしょうし、先祖や、健康は、満ち欠けに周期を持つ月に関連が深いように感じるんですが・・・。
     
    そう考えると、沖縄の信仰は、役割において、月と太陽が逆転している。
    大和の神話は、性別において、月と太陽が逆転している、という解釈の仕方もできそうです。
     
    いや、だからどう・・・ってわけでもないんだけど〜〜〜(T_T)
    ふと、そんなことを考えましたです。
  • のりちゃま 投稿者:Naomi 投稿日:05月27日 22時27分


    申し訳ありませぬぅ、私、実は、まったく「続日本紀」
    読んでないんですの〜m(__)mでは、何で元正天皇
    知ったかというと、永井路子さんの「新・歴史を
    さわがせた女たち」と長岡良子さんの「天ゆく月船」
    からなんですね(^^;永井さんの方は、歴史に対する
    解釈だからともかく、長岡さんのは漫画です。
    で、上記の中で元正天皇(即位前は氷高皇女)が、実に
    美しく描かれてます。実際「続日本紀」の中でもべた褒め
    なのですが・・・・で、これを映像化したら、夏目雅子嬢
    しかいないな、と・・・・
    んで、元正天皇ですが、聖武天皇のおかあさん、じゃなくて、一代前にあたり、一生独身でした。
     
  • ありゃ? 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月27日 23時31分

    聖武天皇のお母さんじゃなかったでしたか(~_~)
    すいませんm(__)m
     
    あぁ、聖武天皇は文武天皇の皇子・・・つまり、草壁皇子の孫になるんですね。
    ということは、元正天皇は、伯母ですね?
     
    ここらへん、重要な箇所なのに、勘違いしてました(T_T)
     
    一生独身を通した女帝といえば、孝謙天皇がおられますが、こちらは、色恋沙汰が大きくクローズアップされちゃいますもんね。
    その点、元正天皇は、清らかな女帝なのかもしれません。
     
    Naomiさんの賞賛を見て興味がでたので、続日本紀の元正天皇の章をちらちらと拾い読みしてみたんですが、確かに、立派な人柄に思えます。
     
    まず民の利を考え、自分の利は一番最後にする気質の天皇だったように思えます。
    そして、決して奢ってないようです。
    「私が間違っていたら、何度でも諌めて欲しい」と臣下に「お願い」しておられます。
     
    気高く、美しく、控えめでありながら芯の通った考えを持つ女帝。
     
    ・・・年齢的に無理があるかもしれませんけど、私、宮本信子さん、好きなんですよ〜〜。
     
    だめですか(^^ゞ?