- 道真公の謎 投稿者:那青 投稿日:12月07日 11時28分
- 道真公とバアル信仰との関係を調べていたら、
なんだか、またこの掲示板の過去ログに当たってしまいました。 知り合いに聞いてみると、 道真公は後に織田信長に転生しているらしいのですが、 この話の元ネタか何か、ご存知無いでしょうか? 道真公の話を他にも色々と調べているので、 何か面白い情報が在ったら、教えて下さいませ。 ところで、ここで良く出て来る、香香背男ですが、 個人的には、結局討ち取られず、 香取の地に住み着いたと云う説が気に入っています。
- 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時14分
- バァル信仰ですか??
キリスト教は、土着の神々を悪魔にして行きましたが、バフォメットやバァル神は、その中でも、有力な悪魔とされてますね。 もともとは、フェニキアの神様でしたっけ? 確か、バァルってのは、「地主」とかそういう意味じゃなかったでしたっけ? 私の頭の中では、道真公よりも、大国主・・・大名持の神様に近いイメージがあります。 道真公と信長の転生の話は、私は知らないんですが、見ておられる方でご存知の方がおられましたら、教えてくださいませm(__)m 香香背男神、香取移住説ですが、香取に住み着いたということは、その前までは、どこにいらっしゃったのでしょうか? やはり、大甕のあたりでしょうか? としたら、「後退」したどころか、大和朝廷寄りに一歩近寄った場所に移住したといえそうですね(゜.゜)
- 牛頭天王とか 投稿者:那青 投稿日:12月08日 01時04分
- バアル信仰は古くは紀元前1300年ぐらいまで遡る、
中東方面での信仰ですね。 フェニキアでは、魚の姿で語られる神様ですが、 牡牛や仔牛、果ては牛頭人身の姿で語られる事も多いです。 (最近仕入れた情報によるとYHWYの父神にあたるらしいです) 日本には、ミトラ神(摩多羅神)や、 スサノヲ(牛頭天王)と云った形で入って来ていますね。 聖書を読んでいると出くわす「偶像を拝んではならない」 と云う記述は、このバアル信仰の事を指しているみたいです。 で、天神社に行った事が在る人ならば、 あの牛の置物を見て、関連を疑わない人は居ないでしょう?と云う塩梅です。
……この辺の話は、もう少し深く調べてから、 きび太朗氏のMLにでも書いてみます。 (牛種と竜種の話も絡んで来るみたいです)
- 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月08日 17時14分
- 聖書で言う「偶像」は、バァル神のことだったんですか。
私が持っている「聖書物語」の挿絵では、確かに、その偶像は、「牛」でした。 「牛頭天王」と「道真公」の関わりなんてのも、考えたことありませんでした。 道真公と牛の関係については、いろんな説があるようですが、どれもイマイチ決め手にかけますもんね。 道真公の誕生日(もしくは、大宰府左遷の日)が、丑の月・丑の日だとか。 那青さんの調査の結果、楽しみにしてます(#^.^#)
- 道真公と聞くと 投稿者:QUBO 投稿日:12月08日 19時18分
- ついつい書き込んでしまう(条件反射)
千葉県八千代市大和田には、時平神社があります。 3社現認しています。この祭神「時平」とは、かの 有名な藤原の時平公。道真公を大宰府に左遷した人です。 他の土地はイザ知らず、大和田では天神社は存在しません。 最近この大和田の地に転居しました。
- QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月09日 16時59分
- お?ということは、時平公と、その大和田は、関係が深いってことですか?
時平公は、道真公の祟り(?)で、結構短い生涯だったのですよね? 千葉県に任じられてたことがあったんでしょうか? 時平公は、天下のプレイボーイ。 もしかしたら、千葉に恋人でもいたとか(笑) それで、ちょくちょく千葉まで通ってたんだったりして。 「少将滋幹の母」 で、谷崎は、時平のことを、「笑い出すと止まらない」というかわいらしさもある人物だった、と書いてます。 時平公も、実際に会ってみたら、結構いい人だったのかもしれないですね。 女の目から見ると、時平公は、ちょっと興味魅かれる事物です(#^.^#)
- >香取の地に住み着いた 投稿者:日雲ん 投稿日:12月11日 01時35分
- >と云う説が気に入っています。
はじめまして。これ↑は何で読まれましたでしょうか? 以前、学研の「神道の本」の“抹殺された神々の謎”というページで、 同じような説が出ているのを見かけたんですが、その出典が書いてなく、 どこから出た説なんだろうと、ずっと疑問で……? 学研で読まれましたでしょうか? それとも別の本で? 別の本でしたら、是非ご紹介下さい。 因みに、学研のにはこう↓書いてあったんですけどね。 「だが、天津甕星は抹殺されず、東国の香取に鎮座したという。」 その前に紹介されているあらましが、書紀第二の内容なので、まさか、 「この時、甕星を征する斎主をする主を斎の大人と言った。 この神は今、東国の楫取の地においでになる」 という文章を読み間違えたとか、そんな物凄い初歩ミスではあるまいな? とかも思ったりしたんですが、まさか腐っても専門書で、 そんな馬鹿なことがあろうとも考えにくく……? 誰が何処で言い出した説なのか、そういう伝承が地元にあるのか、 非常に気になっております。
- ひくももも 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月11日 14時46分
- そういや、この部分、旧事記ではどないなってたっけ(^^ゞ
う〜んと、日本書紀の第二と似てるけど、 「是時齋主ノ神號ス齋之大人此神今在東國カ(手へんに口耳戈)取地」 ってなってて、「この時の齋主」が、香香背男を征するためのものかどうか、微妙な気がする。 ちょっと強引かもしれないけど、どこにも 「香香背男が倒された」とはないし。 ここらへんから来る解釈だったりして。 まぁ、香取の地に行って、そういう伝説があるのかどうか、調べられたらそれが一番なんすけど(~_~)
- >日雲ん様 投稿者:那青 投稿日:12月12日 05時44分
- 思い切りうろ覚えなのですが、
何処かのサイトで見たような記憶が在ります。 …正確には、香取以南の地に逃れたとか、 そんな記述だったと思います。 (学研の赤い本も一応持ってはいますが) 役に立たなくてゴメンナサイ。 四月から始めた御朱印帖が香取神宮から始まっているのも、 何かと縁在っての事なのだろうなと思っています。
- 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月12日 17時02分
- なんにしても、南に移住したんですね。
とするとやっぱり討手から逃げたのではなく、一歩近づいたことに。 面白いです。 この伝承、私も、注意深く探してみますです(#^.^#)
- 続・那青様 投稿者:日雲ん 投稿日:12月12日 18時28分
- どうも有り難う御座います。
流石に学研がただの勘違いを載せたなんて話ではないようですね。 東国の星信仰の神社でフツヌシを祭神とする神社が少なからずあることと絡んでくると面白いのですが……。 何か見つかりましたら、管理人様にこの場を借りてご報告致しますね。
- 管理人様 投稿者:ぺくもん 投稿日:12月12日 18時37分
- あのよー?(態度違いすぎ)
本殿より先にタケハヅチを参る慣わしがあるのって、香取だった? 鹿島だった? すまんけど、どっちだったか確認してもらえる……?
- 横から 投稿者:QUBO 投稿日:12月12日 19時35分
- ぺくもん CHYAN
鹿島でやんす。 神宮で門番みたいになって祭られてます。 タケミカヅチの一の子分タケハヅチ ミカさんの端っこだから「ハ」なんて 虚説を唱えてます。
- 習志野の旦那様 投稿者:ぺくもんCHYAN 投稿日:12月13日 11時19分
- あ、で、いいんですよね? ありがとうございます。
巨大な勘違いをしてたかと、ちょっと動揺してしまいました。 時に、「ハ」の虚説って鹿島神宮が唱えてるんですか?
- ぺしもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時10分
- あの世?
まだいきたくござんせん。 ま〜だま〜だ、こっちに居座るざます。 ところで、この質問は、香香背男が移住したから、タケハヅチを祀る・・・っていう発想?? にゃるほどね〜〜・・・でも↓
- QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時10分
- ありがとうございます〜(#^.^#)
QUBO様がいてくださってよかった〜〜〜(#^.^#)ほほほほほほ。 タケハヅチがタケミカヅチの子分・・・。 でも、大甕倭文神社の由緒などを見る限り、タケミカヅチの神様よりも、タケハヅチの神様の方が、「智恵」に優れてたとなってますよね。 「青は藍より出て、藍より青」かったんでしょうかねぇ(~_~)
- 女将様 投稿者:ぺくもんCHYAN 投稿日:12月14日 02時18分
- >ところで、この質問は、香香背男が移住したから、タケハヅチを祀る・・・っていう発想??
あ、いや、そうではなく…… 「鹿島でタケハヅチを先拝ってことなら、その界隈では、 タケミカヅチよりタケハヅチの方が“地元の神さん” 的な捕らえられ方をしてたんちゃうかなあ」 って思ってたんだけど、それを香取と勘違いしてたんなら、 話は全然ちゃうことになるじゃない? ワシはタケハヅチはタケミカヅチとカカセオの間の立ち位置に いたんじゃないかなあ、と思ってたので……。 まあ、いずれもその神名で語り継がれた存在ってことだけど、 大和朝廷サイドとカカセオサイドの両方と血縁があったとか、 何かそういう……? つまり、 @ここで語られているタケハヅチはカカセオと共に元から東国にいた。 Aそのタケハヅチを介することによって、初めてカカセオ討伐は成った。 タケハヅチなしには、「タケミカヅチ」の東国入りはなかった。 Bだから、鹿島神宮ではタケハヅチを先に参拝する。 ――ってことかと。 「鹿島と香取」「鹿島とタケハヅチ」「タケハヅチとカカセオ」 といった関係性を見渡した時に、さらにそこに 「香取とカカセオ」 というものが出て来るのならば、これは相当重要な話……。 しかし、本当にカカセオが香取に〜っていう伝承でもあるんなら、 ますます『物部と星』が気になって参りますわなあ。 >タケハヅチの神様の方が、「智恵」に優れてた 鉄の靴で蹴り割ったとか、そういう力づくの武力征伐的なものと、 果たしてどっちが古い伝承なのやら……?
- ぺくぺく 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月14日 18時44分
- しつこく蒸し返すと、旧事本紀の記述を無理やりに読めば、
「実は、香香背男こそが、イワヒヌシ」 と読めないこともないよねぇ? でもって、日本書紀で、「大己貴の幸魂・奇魂」の登場の仕方。 「不思議な光が忽然と海を渡ってきた」 これまた無理やり読もうと思えば、この神は「星神だったかも?」ってな事も何とか考えられるし。 そうすると、大洗・酒列磯前神社で語られる、海からやってきた大物主神と少彦名神とは? この二神は光ってはなかったのやろか? 「日本の神々」によれば、斉衡三年は、藤原氏による、香取・鹿島の祀り替えがあった年だというしね。
- えーと 投稿者:QUBO 投稿日:12月14日 21時39分
- 千葉の民話だと、カカセオを討ったのは
香取神宮に祀られている神となってます。 カカセオがいたのは、香取よりも海側 外房の方だったと思います。 図書館で千葉の民話を読み漁っていた頃 の記憶なので、出典不明で、申し訳ないす。 習志野から大和田に移ったテツです
- >無理やりに読めば 投稿者:ぺくぺく 投稿日:12月14日 22時20分
- >「実は、香香背男こそが、イワヒヌシ」
>と読めないこともないよねぇ? いや、読めないんじゃないかしら……。 つか、「この時の齋主」じゃないんじゃないの? 「この時」は前の文の、 「カカセオ言うのがおるから誅しますわ」と言った時点を 指してるんであって。 >これまた無理やり読もうと思えば、この神は >「星神だったかも?」ってな事も何とか考えられるし。 大物主、東国、星神といった辺りのネタで問題にするなら、 むしろ栃木の大平山の方ではないかと。 ここの星信仰は実に謎めいている上に、奥宮が大神神社で、 禁則地か何かそういう扱いになってた筈。 気になるんだが、まだマトモに調べてないっす。 >そうすると、大洗・酒列磯前神社で語られる、 >海からやってきた大物主神と少彦名神とは? >この二神は光ってはなかったのやろか? 資料が手元にないので、確認出来ませぬな(;w ただ、送ったファイルにあったと思うが、磯前の二神は 久慈川を下って栃木から入った信仰じゃなかろうか、 ってな見解もあるわね。 そっち方面は今ひとつ良う知らん……。 >斉衡三年 それより前の状態がもう少し解ればなあ……? ただ、香取でだけ鳥の贄とか奉納してるみたいだし、 香取と鹿島じゃ祭祀の仕方が随分違ってたんじゃないかしら、 とか思われんでもないのう。
- 大和田の旦那様 投稿者:ぺくぺく 投稿日:12月14日 22時23分
- >カカセオがいたのは、香取よりも海側
海の民だったように言われることありますねえ。 千葉の方でも、カカセオのことを「コウラザメ」って呼ぶことあるんでしょうか?
- 時平人気な大和田のQUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月15日 17時05分
- ↑長い!!
さて、千葉の民話だと、カカセオを討ったのは、香取神宮の神様なんですね!!! とすると・・・。 タケハヅチの存在は無視されてるか、もしくは!!! タケハヅチ=イワヒヌシ(フツヌシ) ということにもなるのでしょうか?? こういう、民話って、地元の方の話がなければ、知りえません。 これからも、情報、お願いしま〜〜す(#^.^#)
- ぺっくん 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月15日 17時06分
- あら、読めない?
ちぇ〜〜〜〜〜っす。 あぁ、そうか。 どっちかというと、QUBO様が教えてくださった、「フツヌシがカカセオを討った」という話になるのか。 話に聞いただけだけど、栃木の大神神社ってのも何気に魅かれるね。 でも、中部地方って、ほんと、新幹線で、一気に通り抜けただけだからなぁ。 磯前の二神が栃木関係だとしたら、やっぱ「星」が絡んでる可能性は、思慮にいれんといかんかも? う〜〜〜〜〜〜〜む(゜.゜)
- ★絡みの話 投稿者:那青 投稿日:12月15日 19時22分
- 話が逸れますが、鹿島神宮の御朱印に、
北斗七星をモチーフにした道教系の符の印が付随しているのが、興味深いなと思っています。 あと、星絡みと云う事で更に話が逸れますが、 住吉三神はオリオン座の三ツ星を指しているのではないか? と云う仮説を以前、住吉大社の神職の方から聞いた事が在ります。
- 那青様 投稿者:日雲ん 投稿日:12月16日 03時44分
- 某御朱印に強いサイトに行って見てみましたら、
「……あら、本当だ」 存知ませんでした。有り難う御座います。 昔に北辰祭とかやってた関係かとは思いますが、 廃絶したんだから大した重要性はなかったんだろうなと 捕らえてたんですが、そうでもなかったのかも……? 太陽と月を象った大きな飾り物を出す祭りとか、 今では失われてしまったものも色々多いようで……。 住吉とオリオンについては、大阪と福岡じゃ温度差が 全然違うみたいです。 大阪の方じゃ乗り良くその説について話して下さりましたが、 福岡の方では、 「研究者が勝手にそう言ってるだけで、 当社では全くそのようには考えておりません」 とケンもホロロでした(;w 単に神職さんのキャラの違いだったのかも知れませんが。
- 女将ん 投稿者:日雲ん 投稿日:12月16日 03時53分
- >「フツヌシがカカセオを討った」
千葉でそうなのは、地元の神さんがまず前面に立つんだろうね、どうしても。 で、茨城では……タケミカヅチよりタケハヅチが立ってる。 これは……やっぱアレなんかしらねえ? ただ、茨城でのタケハヅチは水戸光圀の時代にかなり様変わりした可能性があるけれども。 吉川神道とか本格的に勉強せんといかんのかなあ……。
- 質問 投稿者:那青 投稿日:12月16日 04時59分
- 御朱印帖って裏表使って良いモノなのでしょうか?
丁度片面終わって、 遠出(でも関東圏内)しようかと思っている処なので……。 >日雲ん様 鹿島神宮は本殿が北を向いていると云う、 かなりレアな社なので、北辰信仰の形跡は、 今でも見る事が出来ると言えるかも知れません。 三時過ぎにオリオン座の三ツ星を見ていたら、 その左を流星が横切って行きました。 なんか良い感じです。
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