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はじめまして、のりちゃんずさん 投稿者:タコポン 投稿日:12月15日 20時06分

九州は宮崎の延岡の大門(おおかど)町にある
御陵神社(ごりょうじんじゃ)さんを一人でも
多くの人に知ってもらいたく書き込みで
紹介させてもらってます。アドレスは
http://www.wainet.ne.jp/~goryou/です
小さな神社さんですが霊験あらたかな神社さんです
どうぞ、宜しくお願いします。初めてなのに
こんな書き込みをして申し訳ございません。
ネットで検索してたらこちらを発見しました。
  • タコポン様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月16日 18時55分

    はじめまして。
    御陵神社のサイト拝見しました。
    実際御陵があるのですね。
    九州の神社については、まだ一社にも参拝してないんです。
    紹介ありがとうございました(#^.^#)

 

道真公の謎 投稿者:那青 投稿日:12月07日 11時28分

道真公とバアル信仰との関係を調べていたら、
なんだか、またこの掲示板の過去ログに当たってしまいました。
 
知り合いに聞いてみると、
道真公は後に織田信長に転生しているらしいのですが、
この話の元ネタか何か、ご存知無いでしょうか?
 
道真公の話を他にも色々と調べているので、
何か面白い情報が在ったら、教えて下さいませ。
 
ところで、ここで良く出て来る、香香背男ですが、
個人的には、結局討ち取られず、
香取の地に住み着いたと云う説が気に入っています。
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時14分

    バァル信仰ですか??
    キリスト教は、土着の神々を悪魔にして行きましたが、バフォメットやバァル神は、その中でも、有力な悪魔とされてますね。
    もともとは、フェニキアの神様でしたっけ?
     
    確か、バァルってのは、「地主」とかそういう意味じゃなかったでしたっけ?
    私の頭の中では、道真公よりも、大国主・・・大名持の神様に近いイメージがあります。
     
    道真公と信長の転生の話は、私は知らないんですが、見ておられる方でご存知の方がおられましたら、教えてくださいませm(__)m
     
    香香背男神、香取移住説ですが、香取に住み着いたということは、その前までは、どこにいらっしゃったのでしょうか?
    やはり、大甕のあたりでしょうか?
    としたら、「後退」したどころか、大和朝廷寄りに一歩近寄った場所に移住したといえそうですね(゜.゜)
  • 牛頭天王とか 投稿者:那青 投稿日:12月08日 01時04分

    バアル信仰は古くは紀元前1300年ぐらいまで遡る、
    中東方面での信仰ですね。
    フェニキアでは、魚の姿で語られる神様ですが、
    牡牛や仔牛、果ては牛頭人身の姿で語られる事も多いです。
    (最近仕入れた情報によるとYHWYの父神にあたるらしいです)
     
    日本には、ミトラ神(摩多羅神)や、
    スサノヲ(牛頭天王)と云った形で入って来ていますね。
     
    聖書を読んでいると出くわす「偶像を拝んではならない」
    と云う記述は、このバアル信仰の事を指しているみたいです。
     
    で、天神社に行った事が在る人ならば、
    あの牛の置物を見て、関連を疑わない人は居ないでしょう?と云う塩梅です。
     

    ……この辺の話は、もう少し深く調べてから、
    きび太朗氏のMLにでも書いてみます。
    (牛種と竜種の話も絡んで来るみたいです) 
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月08日 17時14分

    聖書で言う「偶像」は、バァル神のことだったんですか。
    私が持っている「聖書物語」の挿絵では、確かに、その偶像は、「牛」でした。
     
    「牛頭天王」と「道真公」の関わりなんてのも、考えたことありませんでした。
     
    道真公と牛の関係については、いろんな説があるようですが、どれもイマイチ決め手にかけますもんね。
    道真公の誕生日(もしくは、大宰府左遷の日)が、丑の月・丑の日だとか。
     
    那青さんの調査の結果、楽しみにしてます(#^.^#)
  • 道真公と聞くと 投稿者:QUBO 投稿日:12月08日 19時18分

    ついつい書き込んでしまう(条件反射)
     
    千葉県八千代市大和田には、時平神社があります。
    3社現認しています。この祭神「時平」とは、かの
    有名な藤原の時平公。道真公を大宰府に左遷した人です。
     
    他の土地はイザ知らず、大和田では天神社は存在しません。
    最近この大和田の地に転居しました。
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月09日 16時59分

    お?ということは、時平公と、その大和田は、関係が深いってことですか?
    時平公は、道真公の祟り(?)で、結構短い生涯だったのですよね?
    千葉県に任じられてたことがあったんでしょうか?
     
    時平公は、天下のプレイボーイ。
    もしかしたら、千葉に恋人でもいたとか(笑)
    それで、ちょくちょく千葉まで通ってたんだったりして。
     
    「少将滋幹の母」
    で、谷崎は、時平のことを、「笑い出すと止まらない」というかわいらしさもある人物だった、と書いてます。
     
    時平公も、実際に会ってみたら、結構いい人だったのかもしれないですね。
     
    女の目から見ると、時平公は、ちょっと興味魅かれる事物です(#^.^#)
  • >香取の地に住み着いた 投稿者:日雲ん 投稿日:12月11日 01時35分

    >と云う説が気に入っています。
    はじめまして。これ↑は何で読まれましたでしょうか?
    以前、学研の「神道の本」の“抹殺された神々の謎”というページで、
    同じような説が出ているのを見かけたんですが、その出典が書いてなく、
    どこから出た説なんだろうと、ずっと疑問で……?
    学研で読まれましたでしょうか? それとも別の本で?
    別の本でしたら、是非ご紹介下さい。
     
    因みに、学研のにはこう↓書いてあったんですけどね。
    「だが、天津甕星は抹殺されず、東国の香取に鎮座したという。」
    その前に紹介されているあらましが、書紀第二の内容なので、まさか、
    「この時、甕星を征する斎主をする主を斎の大人と言った。
    この神は今、東国の楫取の地においでになる」
    という文章を読み間違えたとか、そんな物凄い初歩ミスではあるまいな?
    とかも思ったりしたんですが、まさか腐っても専門書で、
    そんな馬鹿なことがあろうとも考えにくく……?
    誰が何処で言い出した説なのか、そういう伝承が地元にあるのか、
    非常に気になっております。
     
  • ひくももも 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月11日 14時46分

    そういや、この部分、旧事記ではどないなってたっけ(^^ゞ
     
    う〜んと、日本書紀の第二と似てるけど、
    「是時齋主ノ神號ス齋之大人此神今在東國カ(手へんに口耳戈)取地」
    ってなってて、「この時の齋主」が、香香背男を征するためのものかどうか、微妙な気がする。
    ちょっと強引かもしれないけど、どこにも
    「香香背男が倒された」とはないし。
     
    ここらへんから来る解釈だったりして。
    まぁ、香取の地に行って、そういう伝説があるのかどうか、調べられたらそれが一番なんすけど(~_~)
  • >日雲ん様 投稿者:那青 投稿日:12月12日 05時44分

    思い切りうろ覚えなのですが、
    何処かのサイトで見たような記憶が在ります。
    …正確には、香取以南の地に逃れたとか、
    そんな記述だったと思います。
    (学研の赤い本も一応持ってはいますが)
    役に立たなくてゴメンナサイ。
     
    四月から始めた御朱印帖が香取神宮から始まっているのも、
    何かと縁在っての事なのだろうなと思っています。
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月12日 17時02分

    なんにしても、南に移住したんですね。
    とするとやっぱり討手から逃げたのではなく、一歩近づいたことに。
     
    面白いです。
     
    この伝承、私も、注意深く探してみますです(#^.^#)
  • 続・那青様 投稿者:日雲ん 投稿日:12月12日 18時28分

    どうも有り難う御座います。
    流石に学研がただの勘違いを載せたなんて話ではないようですね。
    東国の星信仰の神社でフツヌシを祭神とする神社が少なからずあることと絡んでくると面白いのですが……。
    何か見つかりましたら、管理人様にこの場を借りてご報告致しますね。
     

  • 管理人様 投稿者:ぺくもん 投稿日:12月12日 18時37分

    あのよー?(態度違いすぎ)
     
    本殿より先にタケハヅチを参る慣わしがあるのって、香取だった? 鹿島だった?
    すまんけど、どっちだったか確認してもらえる……?
  • 横から 投稿者:QUBO 投稿日:12月12日 19時35分

    ぺくもん CHYAN
    鹿島でやんす。
    神宮で門番みたいになって祭られてます。
    タケミカヅチの一の子分タケハヅチ
    ミカさんの端っこだから「ハ」なんて
    虚説を唱えてます。
  • 習志野の旦那様 投稿者:ぺくもんCHYAN 投稿日:12月13日 11時19分

    あ、で、いいんですよね? ありがとうございます。
    巨大な勘違いをしてたかと、ちょっと動揺してしまいました。
    時に、「ハ」の虚説って鹿島神宮が唱えてるんですか?
  • ぺしもん 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時10分

    あの世?
    まだいきたくござんせん。
    ま〜だま〜だ、こっちに居座るざます。
     
    ところで、この質問は、香香背男が移住したから、タケハヅチを祀る・・・っていう発想??
    にゃるほどね〜〜・・・でも↓
  • QUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時10分

    ありがとうございます〜(#^.^#)
    QUBO様がいてくださってよかった〜〜〜(#^.^#)ほほほほほほ。
     
    タケハヅチがタケミカヅチの子分・・・。
     
    でも、大甕倭文神社の由緒などを見る限り、タケミカヅチの神様よりも、タケハヅチの神様の方が、「智恵」に優れてたとなってますよね。
     
    「青は藍より出て、藍より青」かったんでしょうかねぇ(~_~)
  • 女将様 投稿者:ぺくもんCHYAN 投稿日:12月14日 02時18分

    >ところで、この質問は、香香背男が移住したから、タケハヅチを祀る・・・っていう発想??
    あ、いや、そうではなく……
    「鹿島でタケハヅチを先拝ってことなら、その界隈では、
     タケミカヅチよりタケハヅチの方が“地元の神さん”
     的な捕らえられ方をしてたんちゃうかなあ」
    って思ってたんだけど、それを香取と勘違いしてたんなら、
    話は全然ちゃうことになるじゃない?
    ワシはタケハヅチはタケミカヅチとカカセオの間の立ち位置に
    いたんじゃないかなあ、と思ってたので……。
    まあ、いずれもその神名で語り継がれた存在ってことだけど、
    大和朝廷サイドとカカセオサイドの両方と血縁があったとか、
    何かそういう……? つまり、
    @ここで語られているタケハヅチはカカセオと共に元から東国にいた。
    Aそのタケハヅチを介することによって、初めてカカセオ討伐は成った。
     タケハヅチなしには、「タケミカヅチ」の東国入りはなかった。
    Bだから、鹿島神宮ではタケハヅチを先に参拝する。
    ――ってことかと。
     
    「鹿島と香取」「鹿島とタケハヅチ」「タケハヅチとカカセオ」
    といった関係性を見渡した時に、さらにそこに
    「香取とカカセオ」
    というものが出て来るのならば、これは相当重要な話……。
     
    しかし、本当にカカセオが香取に〜っていう伝承でもあるんなら、
    ますます『物部と星』が気になって参りますわなあ。
     
    >タケハヅチの神様の方が、「智恵」に優れてた
    鉄の靴で蹴り割ったとか、そういう力づくの武力征伐的なものと、
    果たしてどっちが古い伝承なのやら……?
  • ぺくぺく 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月14日 18時44分

    しつこく蒸し返すと、旧事本紀の記述を無理やりに読めば、
    「実は、香香背男こそが、イワヒヌシ」
    と読めないこともないよねぇ?
     
    でもって、日本書紀で、「大己貴の幸魂・奇魂」の登場の仕方。
    「不思議な光が忽然と海を渡ってきた」
    これまた無理やり読もうと思えば、この神は「星神だったかも?」ってな事も何とか考えられるし。
     
    そうすると、大洗・酒列磯前神社で語られる、海からやってきた大物主神と少彦名神とは?
     
    この二神は光ってはなかったのやろか?
     
    「日本の神々」によれば、斉衡三年は、藤原氏による、香取・鹿島の祀り替えがあった年だというしね。
  • えーと 投稿者:QUBO 投稿日:12月14日 21時39分

    千葉の民話だと、カカセオを討ったのは
    香取神宮に祀られている神となってます。
    カカセオがいたのは、香取よりも海側
    外房の方だったと思います。
    図書館で千葉の民話を読み漁っていた頃
    の記憶なので、出典不明で、申し訳ないす。
     
    習志野から大和田に移ったテツです
  • >無理やりに読めば 投稿者:ぺくぺく 投稿日:12月14日 22時20分

    >「実は、香香背男こそが、イワヒヌシ」
    >と読めないこともないよねぇ?
    いや、読めないんじゃないかしら……。
    つか、「この時の齋主」じゃないんじゃないの?
    「この時」は前の文の、
    「カカセオ言うのがおるから誅しますわ」と言った時点を
    指してるんであって。
     
    >これまた無理やり読もうと思えば、この神は
    >「星神だったかも?」ってな事も何とか考えられるし。
    大物主、東国、星神といった辺りのネタで問題にするなら、
    むしろ栃木の大平山の方ではないかと。
    ここの星信仰は実に謎めいている上に、奥宮が大神神社で、
    禁則地か何かそういう扱いになってた筈。
    気になるんだが、まだマトモに調べてないっす。
     
    >そうすると、大洗・酒列磯前神社で語られる、
    >海からやってきた大物主神と少彦名神とは?
    >この二神は光ってはなかったのやろか?
    資料が手元にないので、確認出来ませぬな(;w
    ただ、送ったファイルにあったと思うが、磯前の二神は
    久慈川を下って栃木から入った信仰じゃなかろうか、
    ってな見解もあるわね。
    そっち方面は今ひとつ良う知らん……。
     
    >斉衡三年
    それより前の状態がもう少し解ればなあ……?
    ただ、香取でだけ鳥の贄とか奉納してるみたいだし、
    香取と鹿島じゃ祭祀の仕方が随分違ってたんじゃないかしら、
    とか思われんでもないのう。
     

     

     

  • 大和田の旦那様 投稿者:ぺくぺく 投稿日:12月14日 22時23分

    >カカセオがいたのは、香取よりも海側
    海の民だったように言われることありますねえ。
    千葉の方でも、カカセオのことを「コウラザメ」って呼ぶことあるんでしょうか?
  • 時平人気な大和田のQUBO様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月15日 17時05分

    ↑長い!!
     
    さて、千葉の民話だと、カカセオを討ったのは、香取神宮の神様なんですね!!!
    とすると・・・。
    タケハヅチの存在は無視されてるか、もしくは!!!
    タケハヅチ=イワヒヌシ(フツヌシ)
    ということにもなるのでしょうか??
     
    こういう、民話って、地元の方の話がなければ、知りえません。
     
    これからも、情報、お願いしま〜〜す(#^.^#)
  • ぺっくん 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月15日 17時06分

    あら、読めない?
    ちぇ〜〜〜〜〜っす。
    あぁ、そうか。
    どっちかというと、QUBO様が教えてくださった、「フツヌシがカカセオを討った」という話になるのか。
     
    話に聞いただけだけど、栃木の大神神社ってのも何気に魅かれるね。
    でも、中部地方って、ほんと、新幹線で、一気に通り抜けただけだからなぁ。
     
    磯前の二神が栃木関係だとしたら、やっぱ「星」が絡んでる可能性は、思慮にいれんといかんかも?
    う〜〜〜〜〜〜〜む(゜.゜)
  • ★絡みの話 投稿者:那青 投稿日:12月15日 19時22分

    話が逸れますが、鹿島神宮の御朱印に、
    北斗七星をモチーフにした道教系の符の印が付随しているのが、興味深いなと思っています。
     
    あと、星絡みと云う事で更に話が逸れますが、
    住吉三神はオリオン座の三ツ星を指しているのではないか?
    と云う仮説を以前、住吉大社の神職の方から聞いた事が在ります。
  • 那青様 投稿者:日雲ん 投稿日:12月16日 03時44分

    某御朱印に強いサイトに行って見てみましたら、
    「……あら、本当だ」
    存知ませんでした。有り難う御座います。
    昔に北辰祭とかやってた関係かとは思いますが、
    廃絶したんだから大した重要性はなかったんだろうなと
    捕らえてたんですが、そうでもなかったのかも……?
    太陽と月を象った大きな飾り物を出す祭りとか、
    今では失われてしまったものも色々多いようで……。
     
    住吉とオリオンについては、大阪と福岡じゃ温度差が
    全然違うみたいです。
    大阪の方じゃ乗り良くその説について話して下さりましたが、
    福岡の方では、
    「研究者が勝手にそう言ってるだけで、
    当社では全くそのようには考えておりません」
    とケンもホロロでした(;w
     
    単に神職さんのキャラの違いだったのかも知れませんが。
  • 女将ん 投稿者:日雲ん 投稿日:12月16日 03時53分

    >「フツヌシがカカセオを討った」
    千葉でそうなのは、地元の神さんがまず前面に立つんだろうね、どうしても。
    で、茨城では……タケミカヅチよりタケハヅチが立ってる。
    これは……やっぱアレなんかしらねえ?
     
    ただ、茨城でのタケハヅチは水戸光圀の時代にかなり様変わりした可能性があるけれども。
    吉川神道とか本格的に勉強せんといかんのかなあ……。
  • 質問 投稿者:那青 投稿日:12月16日 04時59分

    御朱印帖って裏表使って良いモノなのでしょうか?
    丁度片面終わって、
    遠出(でも関東圏内)しようかと思っている処なので……。
     
    >日雲ん様
    鹿島神宮は本殿が北を向いていると云う、
    かなりレアな社なので、北辰信仰の形跡は、
    今でも見る事が出来ると言えるかも知れません。
     
    三時過ぎにオリオン座の三ツ星を見ていたら、
    その左を流星が横切って行きました。
    なんか良い感じです。

 

安井金毘羅宮 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月08日 19時33分

↑拝見しました。
すいません、これ先週から載ってますね(^^ゞ。
見落としてました。
 
崇徳天皇はそれこそ大河ドラマで初めて「平家物語」を
やった時(新説という事と原作名から「新・平家物語」に
なってました、つまり清盛がナント善玉!:笑)、
メチャクチャ苦悩の王子様として登場します。
 
「なぜっ、なぜ私は父帝に愛されないのだぁぁ〜!」
というアレです。約束通り「胤が違うから」ですが(笑)、
そこはボカしてやられたのと子供だったから判らなかった。
 
ゆえに影響を受けた私は、両親に疎まれた時は「祟って
やる〜〜〜」と思う事にしたのです(爆)。
 
保元・平治で勝ち組に入った源氏つーのは、正直ちゃんと
判っとらんでした(笑)。タメになったでやす。
 
あと……敵味方が何しろ一緒に祀られるって傾向は、元は
神社なんですかねっ(笑)。
 
平家がらみついでに、「新・平家物語」というのはつい
最近まで(もしかしたら今でも)厳島あたりだったかで、
そゆ名のお菓子がご当地で売られてたハズ。
 
これが「源氏の白、平家の赤を象徴して」として、赤い包み
と白い包みにお菓子が入ってるんですね。平家の地元と
しては、これに何となく違和感を感じた、と友達は言って
ましたが、何しろ大河ブーム。お構いなしにこうした商品
を作ったワケです(笑)。
 
ついでに言うと、大河ドラマがまたコレなんですよね。
敵も味方も撮影の前に、揃ってにこやかに記念撮影とか
するんですわ(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月09日 17時01分

    毎週見てくださってありがとうございます(#^.^#)
     
    安居金毘羅宮は、本当に有名みたいで、私が社務所でしゃべくってた15分ほどの間に、7名の女性が入れ替わり立ち替わり参拝されてました。
     
    「縁切り」って、結構需要が高いのかもしれないですね。
     
    崇徳上皇については、雨月物語の印象が一番強いんですよね(^^ゞ
    祟る力では、平将門公と肩を並べそうなすごい人という(爆)
     
    で、敵味方が一緒に祀られるパターンってのは、ムチャクチャ珍しい!!というわけでもないんですが、理由はいろいろあると思います。
     
    もともとは別々に祀られていたのだけれど、後々の神社の合祀で、一緒に祀られることになった、とか。
    安居金毘羅さんの場合は、どうでしょうね。
    源頼政公は、鵺退治の英雄でもありますから、崇徳上皇との確執は関係なく、祀られちゃったのかも。
    そこら辺の事情は、聞きもれてしまいました(^^ゞ
     
    ある神社の宮司さんのお話を伺ってた時に、
    「神社のはしごをするならば、その御祭神が、仇同士になる神社をはしごしないほうが良いですよ」
    といわれたことがあります。
     
    やっぱり、自分と敵になる神様が祀られた神社に行ってきた人間を、歓迎しない神様もおられる・・・かもしれない・・・とか(笑)
     
    そんなことを考えたら、この神社は、まさに仇同士の神様を一緒にお祀りしているわけで(^^ゞ
    懐の深い神社なのかもしれないですね(~_~)
  • 縁切り 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月09日 23時22分

    ↑の需要の高さって、もしかしてリストラしたいけど
    出来ない社長さんとかも来るのかしらっ(笑)。
     
    まあしかし、家庭内暴力やイジメで悩んでる人なんかは
    切実な悩みですよね〜。縁結びの比ではないかも。
    また、「借金(取り)と縁が切れますように〜〜」とか
    今のご時世、縁切りの方が多いのかも?
     
    よく縁結びの神様は、自動的に悪縁も切ってくれるとか、
    夢見の神様(これは観音さまか?)も、悪い夢を見たら
    良い夢と取り替えてくれるんだとか聞くんですが、
    切る方とと結ぶ方が別に意味付けされてるのは、何かお参り
    してて、スッキリしそうですよね。
     
    私は天皇家の人で祟るとなると、誰よりも先に崇徳上皇を
    知ったんですよ。「え〜っ、天皇なのに祟る?」と当時は
    大変にショックでした(笑)。
     
    実は本当の子ではないから、と言った筋立ては当時の流行
    (?)でもあったようで、あの頃のいろんなドラマで使わ
    れてた覚えがありますが、実は「天と地と」の謙信も幼少
    期はそうだった、という筋立てでした。お父さんが年行っ
    てから若いお母さんを娶って生まれたから、って事で。
     
    敵味方同志というのは、実は私、前はわりと気にしてたん
    ですよ(^^ゞ。教会(キリスト教)で神社とか参拝したら
    アカンげな事を言われた事があってね。その影響は強かっ
    たと思います。
     
    しかしよく考えたら「誰が祟ってる」とか言うのは、主に
    遺族とか、生き残った人達なので、祟った事にされてる人
    は案外あの世で「違う〜〜〜」と叫んでるかも?(笑)
     
    で、こっちではもっぱら「成田山と神田明神は同じ年に
    行っちゃイカン」しか聞かないです。他にも組み合わせの
    マズイ例があったら教えて下さい(まだ少し気になるので)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月10日 15時49分

    個人的な感想ですが、「縁切り」が有名な神社の側には、「色町」がある場合が多いかもしれません。
    安井金毘羅宮では、そうは書かれてませんでしたが、
    大阪にある、「高津宮」の「縁切り坂」には、「芸妓が、いやな旦那との縁を切るために、この坂を願いを込めて上り下りした」と書かれています。
     
    芸妓にとっては、旦那はいくらいやでも「客」。
    結構切実だったのかもしれないですね〜。
     
    良縁結びと縁切りですが。
    確かに、悪い縁がくっついたままでは、良い縁も来ないかもしれません。
    破壊がなきゃ、創造がないって発想は、シヴァ神にも通じますね。
     
    で、祟る天皇ですが、もう一方有名な、「祟道天皇」がおられます。
    こちらは、桓武天皇に、平安遷都をさせたほどですから、これまたすごいですね。
     
    ただ、崇徳上皇も、祟道天皇も、「祟ったから天皇の名を贈られた」わけで、祟ってた時は、まだ「天皇」じゃない・・・ともいえますよね(^^ゞ
     
    で・・・。
    本当の子じゃないから不遇な扱いをされたのなら、これは、「継父物語」と言っていいかも(~_~)
     
    最後に、はしごしちゃいけない神社ですが。
    これは、特定されてるわけじゃありませんし、これについては諸説あるみたいです。
     
    他にも
    「神様は、人間と比べると、とても高次の存在で、『仲たがいする』などということはありえない。仲たがいなどという次元の低いことは、人間レベルで起きること」
    という意見も。
     
    ただ、これにも反論があって、
    「神様といっても、道真公のように、もとは人間であった方もおられる。としたら人間と次元が違うというのも変では?」
    と。
     
    てことで、私レベルでは(笑)、これに結論は出てないです。
     
    また、「神様はしごダメ説」の宮司さんも、具体的な神社名を出されなかったです。
     
    ただ、はしごしちゃいけない神社の場合、「なんか、この鳥居くぐっちゃだめだ」という感覚が起きることもある・・・とはおっしゃってました。
     
    私はそういう経験ないので、なんともいえないのですが(^^ゞ
    感覚を研ぎ澄ませておけ、ということかもしれません。
  • ちょっとご無沙汰してました 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月13日 03時54分

    ↑どうにも修羅場ってまして(笑)、いや〜師走ですなぁ。
    早く済ませたい事に限って長引いてしまうという(^^ゞ。
     
    色町の縁切り願望が多いというのは納得ですね〜。
     
    で、祟道天皇は、「大原野神社」にも出てましたね(゚.゚)。
    この辺りの時代はかなり知識が怪しいのですが(笑)、
    映画「陰陽師」に出て来た親王だったかしら? 皇位継承
    の事が祟りの発端と聞いた覚えはあるのですが……。
     
    ついでに「大原野神社」の話に及ぶと、つい最近気付いた
    事なのですが、日本語で自分を指す「ワシ」って言葉。
    これってもしかして中国語の「我」の発音に似てないかな〜と。
     
    いや、中国語はホント、聞きかじり程度しか知らないの
    ですがね(^^ゞ。
     
    で、祟る神については、これもかなり自分の想像が入って
    るんですが、むしろ「祟るから祀る」という概念自体が、
    仏教(つまり後世)の影響かな、とか思ったり……(^^ゞ。
     
    つまり祟る主体が人間という発想自体が、「成仏できない
    程、この世に執を残したのだから、その死後手厚く供養し
    てあげないと」って考えから来た感じがするんです。
     
    人間に、こう生きろ、こう考えろ、という教えって、元々
    この国にあったのだろうか。むしろ病や天災をはじめとし
    た災いや不幸に、人々は純粋に「困った事が起こりません
    ように」と祈っただけなんじゃないか、と(^^ゞ。
     
    であれば、人が死んだら何かしてくれるなんてのは、
    せいぜいご先祖が子孫に(もっと直接的に祖父母や両親が
    子や孫に)加護を与えてくれる程度にしか思ってなかった
    んじゃないかなぁ、なんて……。
     
    だって生きてる時、それ以上の事が出来てたワケではない
    から、死んだ途端パワーアップするというのは、無理な
    発想という気がします。
     
    それは子や孫の顔や思考を知ってる親や祖父母なら、その
    子や孫の願いや状況を知っていてくれるから、ゴチャゴチャ
    お経なんか唱えなくても「わかってらい」と守ってくれる
    けど、そうじゃない……特に言葉の通じない外国の神だと
    まず言葉を覚える(つまりお経を唱える)所からしないと
    伝わらないと思うのが道理。
     
    でも仏教が入って来るにつれて、死んだ人間を、それが祟る
    要素の想像できる人でも供養しなきゃいけなくなった。
     
    その時、元からある発想に近づけるのには「昔、荒れる神
    というのがいたけど、まあ、あんなような物だ」として
    広めた人(当然仏教関係者)でも居たのかな、なんて
    思ってます。
     
    しかし元からある「荒れる神」つーのは、ご先祖とかじゃ
    なくて、海(津波や荒れ海)、山(雪崩れや火山や山火事)、
    空(落雷や台風、雪や雹)だったりなんかして(^_^;)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時08分

    本当に12月は忙しいですよね〜〜〜(>_<)
    新しい年に向けて、体壊さないようにしてくださいね!!
     
    祟るから祀る。
     
    記紀には祟った神様の話がいくつも出てくるんですが、
    確かに、言われてみれば、記紀編纂の時には既に仏教は入ってきてるんですよね。
     
    それ以前の神道の姿は、なにしろはっきりした文献がはっきり残ってるわけではないので、想像するしかないのですけれども、確かに、神の正の力を分けていただくことが中心だったかもしれません。
    もちろん、大風や大雨を止めてくださいとお願いすることは日常的に行われていたでしょうけれど、これも、「祟るから祀る」というのとは違うかもしれませんね。
     
    大体、「祟る」という考え方って、人間的かも(笑)
     
    祟道天皇は、「陰陽師」に出てきました。
    萩原聖人が演じてた・・・真田博之が、「ちょっと待ってくださいよ〜」と泣きを入れた、あの親王様です(笑)。
     
    で、そうですよね。
    生きてる時にそれほどの力がなかったのに、死んでから大きな力を発揮するわけがない。
    という発想はよく耳にします。
     
    恨みを残して死んだ人間が祟るという考え方は、「あの世」というものに、巨大な力を想像しないと、納得できない考え方ですよね。
     
    崇徳上皇や崇道天皇のような、皇室は、こじつければ、「天照大神の子孫」で、神と近いから怖いんだ、ともいえないことはないですが・・・(^^ゞ
    考えてみたら、菅原道真公も土師氏。天照大神の子供である、アメノホヒの命の子孫ですね。
     
    神道では、人は死んで、「神上がる」なんていいます。
    これが、いつごろからの考え方なのかは、わからないのですが、死んだ人間は「神」になるからこそ怖い、と当時の人々が考えたのだとしたら・・・。
    神道的ではあるんですが、どうなんでしょうねぇ??
  • 思い出した(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月13日 18時47分

    早良親王でしたっけ(^^;)!!
    真田に泣きを入れられるボンボンは……(笑)。
     
    あれって恐らく「愛は恨みに勝つ」って筋立てだったので
    しょうけど、どうも雅な公家文化を背景に想像してしまう
    せいか、「女が出て来た途端に一族への忠誠を捨ててしま
    うの図」にしか見えず……(汗)。
     
    (日頃は皇家大事&藤原撃退を謳ってるくせして、テメェ
    は父帝の女と不倫しちゃう、例の平安長編恋愛小説が
    トラウマの元と思われる)
     
    火葬というのが仏教の伝達とともに入って来た、という
    記述にアチコチで出会うのですが、死者が地下でなく、
    天に上るという発想は、煙が想像させるのかなと思います。
     
    で、神道には道教だけでなく仏教も入り込んでるのでは
    ないかと思いますが、司馬遼太郎さんの対談集で司馬さん
    は、日本人は元々、非常に仏教的要素の強い土壌を持って
    いたので、入って来た時、わりとスンナリ受け入れられた
    方ではないか、と言ってました。
     
    あまり端的に要約しちゃうのもどうかと思いますが、諦め
    という感覚と、仏教の悟りの感覚の近さを話しておられた
    覚えがあります。
     
    地下にある先祖が天に上るなんて、絶対にありえない、と
    いう具合には、強く抗わなかったのかもしれませんね。
     
    で、何年も長生きすると自然と神となる、というのなら、
    これは道教……少なくても中国の発想ですね。亀や蛇など
    動物でも、仙人の修行をして長生きしたら神性を帯びる、
    という考えですね。
     
    仏教になると、死後時間が経つにつれ、なぜか位(?)が
    上がったりして仏様に近付くってな感じだったかな。
     
    日本は何でも合理的な部分をヨシとする感じがするので、
    顔を見知ってる親や祖父母、せいぜい曽祖父母あたりは
    家の地下とかで同居するのだけど、それより前になると
    何らか自然の神様の一種になってるんだろう、ぐらいには
    考えていたかもしれませんね(笑)。
     
    「陰陽師」でも描かれてましたが、やはり昔の反逆者を
    必要とする反動勢力にとっては、祟るぐらい強い存在で
    いてほしいってのはあったかもしれませんね。
     
    しかしそれはやはり、かつては同じ勢力の恩恵を受けて
    いた人の「かつての栄光を取り戻したい」という発想で
    あって、はじめから関係なければずっと関係ないのかも
    しれません。
  • ズレたカキコでごめんなさい。 投稿者:セラフィム 投稿日:12月13日 21時03分

    すみません、話題をぶり返します。私のお山にも「縁切り神」なる祠があります。ご利益があるのか、縁切りの需要が多いのか、たくさんの縁切りの札を祠に奉納しています。ややこしそうなので、関わらないようにしています・笑。先輩行者に聞くと、「愛人との縁が切れますように」という不倫ネタが多いそうです・爆。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:12月13日 21時30分

    崇道天皇はだうかわかりませんが、崇徳天皇は可哀想ですよね。
    「伯父子」なんて呼ばれて負けて、供養のために書いた血入りの経文も「だめ」なんていわれたら、彼じゃなくたって「今日煮込めた思いを地獄の釜に放り込んで呪いに変えてやる!!!」とおもっても。

 

阿漕平次 投稿者:北畠具顕 投稿日:12月11日 21時36分

どうも信じてもらえなかったので、100%真実だという事を言いに来ました(笑)。
というのは冗談で伝説的な話なのでこちらでもしてみようかなと思って。
 
昔阿漕の浜に平次と言う親孝行な漁師がおりました。母の病気に悩んだ平次は神宮の贄をとる阿漕の沖でヤガラという魚をとって食べさせる事を決意します。闇にまぎれて漁をしているうちはよかったのですが、ある嵐の晩それでも量に出た平次の笠が風に飛ばされてしまったのです。その笠が浜につき、お上に密漁がばれて平次は簀巻きにされて海に放り込まれてしまいます。その日以後、闇夜の晩には沖のほうで漁をする平次の亡霊が見られるようになりました、とさ。
これが後に能や浄瑠璃にもなった話です。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月12日 17時01分

    「あこぎな奴め!」の語源ですね?
     
    伝承を聞く感じでは、「阿漕」なのは、「平次」ではなくて、平次を罪人として殺してしまった役人達ですね。
     
    でも、事情を知らなきゃ、確かに平次は、単なる密猟者だし。
    事情を知ってたって、あまり度重なってしまえば、見捨ててはおけないしねぇ。
     
    役人さんも、損な役回りですね(笑)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:12月12日 20時29分

    >「あこぎな奴め!」
    もしかしたら密告した奴がいたかもしれません。
    そうすると、闇夜の晩にはそいつも海にいたことに・・・。阿漕なやつですな(笑)
     
    あと、ヤガラが効果があったらしいのですが、あの細長い魚の何処にそんな効き目が、と思ってしまいます。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月13日 17時07分

    伊勢ではヤガラも獲れるのですね(゜.゜)
    ちくしょ〜〜〜!!!
     
    阿漕なのは具顕殿だ〜〜〜い(T_T)

 

(@¥@)フゥーっ! 投稿者:セラフィム 投稿日:12月09日 21時11分

 皆様、お久しぶりですぅ。ここん所、忙しくてバタバタしていまして、カキコできませんでした。なんか、色々と盛り上がっているみたいで・・・。時期を外しちゃった興味ネタもいっぱいありげに・・・。うーん、ざんねーん!これからもヨロシクです。
 修験道ネタを一つ。覚えることがたくさんあることを改めて、判りました・爆。なんかね、祝詞集も使えるようにならんといかんみたいです(覚えるんじゃないですよ、使えるようになるんですよ。ここがミソ。)来週、師匠と一緒に山伏衣装を買いに行きます。これを手に入れた時、のほほーんとした私は窮地に立たされるようです(;^_^A アセアセ。
 それでは、のりちゃんさんを始め、皆様、さようなら・笑。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月10日 15時46分

    忙しいとこ、占いありがとうございました〜(#^.^#)
     
    祝詞を「使う」んですね。
    でも、「覚える」とは違う???
    でも、覚えないと、使えなくないですか(゜.゜)??
    「覚えただけではダメ」
    ということでしょうか?
     
    山伏衣装もそろえるんですね〜。
    次のオフには着てきてください!!・・・って、ダメかぁ(^^ゞ
  • いえいえ・・・。 投稿者:セラフィム 投稿日:12月10日 22時28分

     今年じゅうに送らないと、と思って頑張りました・笑。そうなんですよ。一応覚えていてても、いざ!神前になると上がって言えないんです・爆。
     そーですねー。修験道系の神社、お寺なら大丈夫だと思いますよ。妙見山はちょっと・・・。かなり勇気が要ります・核爆。
     山伏衣装を着ると、護摩の時の「役」が周ってくるんですねー。タダでさえ、覚えることが多いのに。この「役」の台詞が尋常でないほど、ややこしい。山伏問答なるものもあるんですよー。同期の人は、早速衣装を揃えて、先輩行者から本一冊手渡されて、「正月にやってもらうから、覚えておいて。」なんて言われたそうです。怖いです・笑。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月11日 14時45分

    うわ、そんなにいきなり、「役」が回ってくるもんなんですか。
    緊張しますね〜(^^ゞ
     
    衣装については、冗談ですから〜(~_~)
     
    山伏問答なんてのもあるんですね。
     
    「問答」と聞くと、落語の「こんにゃく問答」しか思い出せない私ですが・・・。
    なはははは。
     
    これから、覚えることがたくさんで大変そうです。
    応援してま〜す!!

 

新スレ 伝染るんです 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月06日 16時21分

こたつ様
「邪視」については、日本でもそういう感覚があったんじゃないかと思います。
「籠目」って言うでしょ?
籠が「邪視除け」になるっていう考え方があったと聞いたことがあるんです。
澁澤龍彦によると、「邪視」という言葉は仏教用語だそうで、とすると、インドにも邪視の信仰があったのではないか、と。
 
エジプトでもそういう考え方があるそうですし、結構こういう感覚は世界的なのかもしれません。
 
ラフカディオ・ハーンの「人形の墓」でも、「不幸な人が座ってその体温が残っている場所に座ると、その不幸が伝染する」という考え方が出てきますよね?
これなんかは、「視線」の力ではありませんが、「不幸が伝染る」という感覚は、「邪視」と似ているような気がしますです。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月06日 16時22分

    ホタテもあります?
    くそ〜、本当にいいなぁ。
    主婦なんで気になるとこですが、鯛1匹の値段の相場はどれくらいですか?
    配送料がかからない分、安いんだろうな。
    新鮮な上に、安いかぁ・・・。
    一ヶ月くらい転勤しないかなぁ?旦那(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月07日 01時46分

    エジプトの話と言うとよく思い出すのは、お弔い(お通夜
    でしょうね)の時、エンエン喋り続けなくてはならない、
    という習慣。
     
    沈黙すると悪霊が来る、と言うんですね。
    これなんか言霊っぽい感じしますよね。
    ただ発想的には、むしろ逆かな?(悪霊ってのが死者の霊
    なのか、死者にとりついた別物なのかによりますけど)
     
    「不幸が移る」は日本のオーソドックスな信仰ですよね。
    身代わり観音(地蔵)とか、人がたのお祓いとか。
     
    「人形の墓」は、これも恥ずかしながらハーンのこの話で
    知った風習なんですよね(^^ゞ。もっともこの話は子供の
    頃に読んだのですが。
    これも考え方は「身代わり」ですよね。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:12月07日 16時38分

    アッパッパ貝ならあります。どうみてもホタテなんですが・・・。
    鯛の値段は・・・スイマセンわかりません。なぜならば親戚が漁師の為貰ったり食べさせてもらったりするので値段考えた事ないんです(笑)。
     
    はっ、のりちゃんの目が鋭くなってきた!!
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時04分

    沈黙すると悪霊。
     
    関係ないのかも知れませんけど、みんなでわいわいしゃべってて、急に沈黙が訪れたりした時、
    「悪魔が通った」
    って言いませんでした?
     
    「悪魔が通ったから沈黙が訪れた」のか、
    「いきなり沈黙したから悪魔が通った」のかはわかりませんけど。
    ちょっと似てますね。
     
    「人形の墓」については、実は、近所でそういうことがあったんです。
    まず、母親が事故で亡くなり、父親がその後、荒れてしまって結果的に亡くなってしまいました。
    で、年配の方がご遺族に、「1年のうちに2人が亡くなったのはよくない、もうひとつ形だけでもいいから、墓を作るべきだ」と奨めた、と聞きました。
    ご遺族といっても、確か、20歳にならない女性と、その弟でしたから、結局どうしたかは知らないです。
     
    でも、お墓2つは縁起悪いという考え方は、
    「2度あることは3度ある」
    という考え方を知っていたので、結構単純に納得した覚えがありますです。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時05分

    ゆ・・・許せん!!
     
    まぁ、私も、近所の農家で安くて農薬の少ないお野菜は買えるんですけどね。
     
    でも、なんか、野菜と魚だったら・・・。
    魚のほうがお徳な気が・・・ちょいとだけ・・・するなぁ。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:12月08日 22時03分

    めったに食べませんから野菜のほうが絶対御得です。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月09日 16時58分

    そうかなぁ?私の方がお徳かしら??
     
    ・・・なんかごまかされてるような気がする(^^ゞ

 

最近の廻りブーム 投稿者:しょうちゃん 投稿日:12月07日 01時59分

お久しぶりです。
最近、廻りでは甲野善紀氏ブームです。
NHKの市民大学「古の武道」がヒットしている見たいですね?
「なんば歩き」か・・
  • しょうちゃん様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時06分

    NHKで、古武道の講座をしているんですね。
     
    なんば歩きってのは初めて聞きましたが、古武道と歩行の方法ってやっぱ関係あるんですね。
     
    そういえば、今、「美・ウォーク」とか言って、歩き方でダイエットするってなのが流行してるみたいですね。
    時代は、「ウォーキング」なんでしょうか(~_~)
  •  投稿者:しょうちゃん 投稿日:12月07日 20時51分

    今の日本人の歩き方は、明治政府が、西洋式軍隊を導入する時取り入れ、学校教育で国民に徹底的に教育したものです。それ以前の日本人は手と足とが同じ方向に出されておりました。つまり右腕と右足、左腕と左足。今の歩き方は、とても体にひねりを作りアンバランスだそうで、また右脳、左脳のバランスが悪く、鬱になりやすいのだとか?昔の歩きかたは人の気配を消す歩き方なんですと?(桑田投手は彼に体の使い方を学び復活し、サッカープロ球団は正式にコーチを頼んだとか)
  • しょうちゃん様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月08日 17時13分

    今、本屋でパートしてるんですが、今日、「なんば歩き」についての本が入ってきました。
    帯に、「なんば歩きをしている時に考えたことは、爆笑物が多い」なんてことが書かれてましたが、それ
     
    は右と左の脳のバランスがよいからかもしれないですね。
     
    明日から、私も、手と足を一緒に出して歩いてみようっと(#^.^#)

 

新スレ 武将の人格 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月06日 16時20分

こたつ様
もう、随分昔、「徳川家康」という、4時間くらいのテレビ番組を見たことがあるんです。
それでは、信長がまだ幼い家康(てぇか竹千代ですね)に、優しい表情を見せる場面があったのが強く記憶に残ってるんです。
光秀にあんなに冷たかった信長が、家康にはなんでこんな優しいんだろう?と(^^ゞ
 
今川への人質を奪っちゃったからだったのかしらん(~_~)
 
家康は決して戦が上手かったわけじゃないんですね。
豊臣との戦でも、一旦和平をもちかけて、
「国家安康」の鐘でいちゃもんつけた・・・なんて、決して、「正々堂々と戦で勝った」とは言われてませんもんね。
 
となったら、部下を大事にしないと、誰もついてこなくなる・・・とか、そういう計算もあったのかなぁ(~_~)
 
三天下人のうち、信長は、運も味方する戦上手ですよね?
秀吉もまた、知略に富んだ戦上手?
 
その次にくる家康が、「戦略よりも、優しさ」。
で、それが結局一番長持したってのが、なんとなく面白いです。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月07日 01時33分

    家康の人質時代は、今川家ではヒドイ扱いを受け、織田家
    では「信長の孤独を癒した弟のような」とかいった具合に
    描かれる感じがしますね(笑)。
     
    これは、今川に敵対し織田に靡いたその後を描きやすい
    から、というのと、信長の命令で今川筋から嫁いだ妻と
    その間に生まれた子を死なせたからでしょうが(笑)、
    よく考えたら、「子供時代のトラウマから、信長に逆らえ
    なかった」でも話は通りますね(笑)。
     
    家康が勝った戦が、秀吉との戦いだったりします(笑)。
    小牧長久手の戦いと言います。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月07日 17時03分

    昨日図書館に行ったら、「国盗り物語総集編 前編」がありましたぁ(#^.^#)
    早速借りてきましたよ〜。
     
    でも、総集編見たら、最初から全部見たくなりましたよ(^^ゞ
    いきなり忍びが出てきて信長狙うんですけど、
    「この忍びはなに?」
    てな感じで(^^ゞ
     
    平さん、若い頃は爽やかな男前だし(#^.^#)
     
    それにしても、今見たら、ムチャクチャ豪華なキャストですよね。
    竹脇無我が、出てきて一瞬で死んじゃうし(~_~)
     
    さて、家康は、秀吉に戦で勝ってるんですね。
    ここらへんも、家康は信長とものすごく親しかったから、それを知ってた秀吉は、「気持ちで負けてしまった」と言えないこともないかも(笑)

 

新スレ 道教・神道・仏教・景教・回教 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月30日 12時38分

・・・あとは思い出せない〜〜(^^ゞ
 
>具顕殿
日本の僧侶は、肉・魚も食べますしね(笑)
戒律の厳しいタイの僧侶から見たら、「あんなん僧侶ちゃう!」という感じかもしれないですね。
 
そういやぁ、タイへ行った時、僧侶から御守りを購入したんですが、お釣りを、投げつけられました(笑)
まぁ、女に触れちゃいけないんだからしょうがないけどさ〜〜〜〜〜・・・(^^ゞ
 
宝塚の男役さんに男装してもらって、タイの僧侶から御守りを買ったら、僧侶はどうされるでしょうね?
・・・こんなことしたら、バチあたりですけどね。絶対。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月30日 12時39分

    む、そうきたか!!
    んじゃ、「中庸」は、甕から甕へ水を移すことを教えた書物だ!!(←しつこい上に、タロット知らなきゃわからんネタを(^^ゞ)
     
    「月を刺す指」
    もとい、
    「月を指す指」
    ってのは、スッキリと「なるほど」と感じられる言葉ですね。
     
    しかし、仏教において、「月」てのはなんでしょうね?
    「解脱」になるのかなぁ。
    でも、実際、身近な仏教的感覚における「月」は、「極楽往生」な気もするし(^^ゞ
    月を見るのは、なかなか難しいってことですね(~_~)
     
    で、大黒さん・恵比寿さんが商売の神様になった経緯も、そういえば謎ですね。
    恵比寿さんについては、モデルが「ヒルコさん」なのか、「スクナヒコナさん」なのか、「コトシロヌシさん」なのかによって人生は違ってきますが、「スクナヒコナ命」以外の二方は、不幸な人生だということになりますね。
     
    不幸な人が、自分の苦しみを、他の人が感じないように、と幸せを運ぶ神様になる・・・てな感覚からかもしれませんね。
    貴船神社には、「(醜かったため、ニニギ尊に実家へ帰された)岩長姫が、『こんな悲しみを他の女性に味合わせたくない』と、恋愛の守護神になった」という伝承を持つお社があったりしますし(~_~)
     
    で、聖書については、よく知らないんですが、かなり早期に日本に輸入されたって話は聞きます。
     
    例えば、聖徳太子が「厩戸の皇子」って呼ばれるのは、どうもキリスト様の影響らしい・・・とか。
    もっとも「キリスト教」という言葉はなくて、「景教」って言うらしいんですけどね。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月30日 17時29分

    >聖書
    あれだけなんでもかんでも輸入してたんですから入ってこないわけないですよね。でも根付かない。知識層にも受け入れられなかったんでしょうね。
    「神が一人?あほうな事を」てな感じだったんでしょう。
    国学者の平田篤胤もキリスト教の知識を持っていて「日本の唯一神はミナカヌシだ」と主張してましたね。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月01日 13時29分

    天御中主=唯一神は、道教の影響だと思ってました(^^ゞ
    天帝=天御中主・・・って。
     
    でもまぁ、「神が一人」ってのは、なかなか不便な話ですよね(笑)
  • むむっ(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月01日 22時04分

    ほんじゃ「詩経」は、詩を朗読する人を拝む宗教について
    ……キリが無いっすよ〜〜〜(笑)。
     
    でもタロットは判りますよ。節制でしょ?(笑)
     
    解脱については実の所よぉわからんのです(笑)。
    前読んだ司馬遼さんの説明では、悟るのはすぐ出来るが
    その後その境地を継続するのが難しい、として安国寺恵瓊
    のことを書いてたような……?(違う坊さんだったかな)
     
    で、恵比寿については、七福神関係の本とか見ると、
    殆どヒルコさんについて書かれてる感じがします。
    つまり「捨てられる神もいれば、拾われる神もいる」と。
    (普通は捨てる神と拾う神だと思うんですけどね)
     
    恋に破れた者が、それがゆえに恋の守り神になってくれる、
    という感覚、これも八雲が不思議がった話ですが、心中
    した男女の墓には恋に悩む人が大勢参拝するとかで。
     
    結局、同病相憐れむとでも言うか、死んだ人なら判って
    くれるちゅう所にあるんでしょうかね。
     
    で、話をまとめちゃうワケじゃないけど、やはり「神様が
    一人なんてイヤ、私だけの神様が居てネン」とかいう所に
    「やおよろず」な土壌があるのかも?(笑)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月02日 16時43分

    タロットわかってもらえてよかった(笑)
    「節制」の別のタイトルは、「中庸」になってたもんで(^^ゞ
     
    橋本治氏が、「宗教なんて怖くない」という本を書いてます。
    ・・・いや、この本は、例の人まねする鳥と同じ名前の宗教が問題起こした時に書かれた本なんですけどね(笑)
     
    そこで、橋本氏は、「解脱を知るには、まず、カーストを知らなければならない。カーストは、生まれ変わり、死に変わるという考え方である。次の世でよい生活をするためには、今、修行をつまなければならない。解脱とは、『もう輪廻しない』ということなのである。本当は」と書いておられました。
     
    カルマを脱ぎ捨て、もう輪廻しなくてもよくなるという考え方が、そもそもの仏教である、と。
     
    なかなか一言では説明しきれないもんですね。解脱。
     
    私なんかは、もう一回生まれ変わって、もう少し成長したいような気がしちゃいますけどね(^^ゞ
     
    「恋に破れたものが、それゆえに恋の守り神」
    「赤い婚礼」ですよね。
     
    ヘルン先生が、「なぜ、恋に破れて心中をした人に、人は恋愛成就の願い事をするのか」と質問すると、質問された人は、「この二人はえらい苦労をしたからです」と答える。
     
    大阪に「露天神社」という神社があります。
    有名な、「曽根崎心中」の二人が祀られているのですが、ここもやはり、恋する男女が参るみたいです。
     
    「苦労した人だから、他の人の苦労もわかってくれるハズ」
    こういう感覚は、「自分と気の合う神様にお願いしたい」というこたつさんのおっしゃる「私だけの神様にお願いすんねん」に繋がるのかもしれません。
     
    しかし・・・、自分と気の合いそうな神様・・・と想像したら、「山姥」とか「鬼子母神」とかがすぐ浮かんできてしまいました(爆)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月02日 18時41分

    こないだ読んだ八雲の話には、横浜の寺で坊さんと法談義
    をして、今は末世だからもう成仏は出来ない時代になった
    と説明されてました。成仏=菩薩になる、であれば。
    つまり我々は極楽にも行けないと(^^ゞ。
     
    ってなわけで輪廻したら、その時はまた宜しくです(爆)。
     
    はいはい。曽根崎心中。その後の恋の守護神とされてる話
    を私も聞いた事があります。
     
    >しかし・・・、自分と気の合いそうな神様・・・と想像
    >したら、「山姥」とか「鬼子母神」とかがすぐ浮かんで
    >きてしまいました(爆)
     
    あら、じゃあ、ウチはのりちゃんを祀らないと(爆)。
  • 自分と気の合いそうな神様 投稿者:北畠具顕 投稿日:12月02日 22時10分

    うーん、ヒルコ(笑)もしくは黄泉に行った後のイザナミ(爆)もしくは黄泉から帰ってきたばかりのイザナギ。
    こんなところかなぁ。
  • のりちゃん様 投稿者:なにがし 投稿日:12月03日 00時40分

    >まぁ、女に触れちゃいけないんだからしょうがないけどさ〜〜〜〜〜・・・(^^ゞ
    >宝塚の男役さんに男装してもらって、タイの僧侶から御守りを買ったら、僧侶はどうされるでしょうね?
     
    勝手な解釈ですが、そもそも仏教っていつも自分を見失わず平静を保つために修行するんだと思うんですね。それは欲があるからみんな仲良くできないからで、ある種の欲を消し去るための修行だと思うんです。エッチは欲ですが、これは純粋に愛し合うもの同志であればいいのですが(お互いをいつくしみあえる境地であるから)、これが単なる欲求であれば浮気に繋がったりとかするのでダメなんです。
    さて本題ですが、男と言うのはなかなかこの悪い方のムラムラを抑える事ができない。きれいな人をみてムラムラしなければいいんですがね。私にはできません。で、悟りを目指し修行しているお坊様は、女性から離れる事により性欲などを抑えようとするんでしょうが、がんばって性欲がある程度抑えられるようになってきているのに、美人な人に触ってまたスタートに戻ったらいやでしょ。のりちゃん様が美人だからお坊様もスタートに戻ったらやばいと思ったんじゃないでしょうか。その僧侶修行がまだまだたりませんな〜。でも欲の中でも性欲が一番制御しにくいかも知れませんね。エヘっ(^^;)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月03日 17時13分

    んじゃ、輪廻して生まれ変わったら、お互いわかるように、ヘルン先生の話をあちこちでしまくりましょう(笑)
     
    しかし、末世っていつから言い出したんでしょうね。
    19世紀の最後・・・世紀末には、「ええじゃないか」が流行ったんじゃなかったでしたっけ。
    20世紀の最後は、アンゴルモアの大王でしたよね。
    21世紀の最後には何が流行るんでしょう。
    その頃は、さすがに、もう、私も旦那もこたつさんご夫婦も、生まれ変わった後ですかねぇ(^^ゞ
     
    曽根崎心中の舞台となった、「露天神社」ですが、縁結びの御守りがよく売れてるようです。
    最後は哀しい結末でしたが、「恋を貫いた」ということに共感されるのかもしれないですね。
     
    で、のりちゃん神ですが、御供えは、上等のお酒でよろしくお願いします(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月03日 17時13分

    なるほど(笑)
    それでは、これから、三貴子を生むのですね。
    楽しみです(笑)
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月03日 17時16分

    タイのお坊さんは、自分がムラムラしようがしまいが、とにかく、女性に触れたら、今までの修行は台無し、一からスタートになっちゃうみたいです。
    それが、どんなにおばあさんでも(~_~)
    こないだ、トリビアの泉だったか、なんかそのような番組でやってたのですが、タイのお坊さんは、飛行機に乗るとき、最初に搭乗できるんだそうです。
    これは、人ごみなどで、女性を目にする機会を減らすためだそうな。
    タイの仏教の教義についてはよく知りませんが、かな〜り禁欲的なんでしょうね。
     
    さて、一番制御しにくい欲ですが・・・。
    私の場合は、どうも、食欲です(^^ゞ
     
    藤子不二男Bさんの漫画で、
    「性行為を見られるのは恥ずかしくないけれど、食事を見られるのはすごく恥ずかしい」という世界の話があります。
     
    「性行為は、次世代に子孫を残すための、利他的な行為だから恥ずかしくないけれど、食事は自分だけを生かす為の行為だから恥ずかしい」
     
    と説明されてました。
     
    とすると、食欲を抑えられない私は、なにがしさんとは比べ物にならない程、修行がなっとらんみたいです(^^ゞ
  • 末世思想 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月03日 20時52分

    ↑自体は平安期にはあったんじゃないでしょうか。
    平等院は関係なかったかしら(^^ゞ。
     
    ただ末世をいつから、というのはワカランです(笑)。
    昔の人間は寿命が長かった、が根拠ですから、私達の知る
    人類(先史時代を抜いて)は全て違うんでしょうね(^^;)。
     
    のりちゃん神はワンカップ大関ですね。はいわかりました。
    お願いは、一生お酒にコト欠きませんように〜〜(^∧^)。
     
    横レスですが……。
    女性に触ると……は、マハバラタですね(笑)。
    これも……いつから出て来た観念ですかねっ。
     
    ただマハバラタでは、これは確か「祟り」なんですよ。
    交配してる鹿をウッカリ射殺してしまったから。
    そして女性と交わると、とされてる話と、触るだけで、
    とされてる話があったハズです。後者は確かに厳しいですね。
     
    あと、食欲は無駄で性欲はヨシ、というのは、何とも
    合理的(?)ですね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月04日 16時51分

    世知辛いことを言えば、「末世思想」で儲けてる人はかなりいるでしょうね。
    「末世が来るから、すべてを寄付して極楽へ行こう」
    みたいな宗教って、毎末世ごとにでてきてるような気が(^^ゞ
     
    で、のりちゃん神は、ワンカップだと5パーセント、純米酒2合だと、10パーセント、純米酒5合だと15パーセント、純米吟醸酒2合だと20パーセント、純米酒一升だと25パーセントという具合に、叶う率が変わってまいります。
     
    純米吟醸一升を御供えなさることをお奨めいたします(~_~)
     
    で、タイのお坊さんが女人に触れないのは、マハバラタからですか。
    しかも、祟りで(^^ゞ
    それが今の世にも通用するってのがすごいかも。
     
    で、食欲と性欲ですが、
    特に女性は、食べなきゃ、いくら生殖したって、無事に出産までこぎつけないでしょうから、結局は食べなきゃいけないんでしょうけどね(笑)
     
    ただ、
    「なぜ人は、性行為を見られるのを恥ずかしがるのか」
    という疑問にはつながるかもしれません。
     
    以前、ちょっとお話したんですが、どこかで、ある仙人が、弟子に、
    「私が食事をしているところを見るのはかまわない。性行為を見てもいい。ただ、排便中は決して覗くな」
    と言ったという話をどこかで読んだ覚えがあります。
     
    弟子がうっかり排便中の仙人を見てしまったところ、
    仙人は、髪の毛を逆立て、櫛を口に咥えたというような凄まじい姿だった・・・とかなんとかそういう話だったと思うのですが。
     
    何を恥ずかしいと思うか、というのは、これもまた文化なんでしょうね。
  • 免罪符 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月04日 22時01分

    ↑ですよね(笑)。21世紀が来る前に儲かったハズなのに
    人マネする鳥の名の集団が起こした事件によって(笑)、
    世間はシラけてしまい、景気も回復しませんでしたね。
    全くもう〜〜。
     
    >純米吟醸一升を御供えなさることをお奨めいたします(~_~)
     
    はい! 持参致しました。まずは一献(^^)。トクトクトク。
    あーーっ、のりちゃん余所見してるからこぼしちゃった!
     
    マハバラタ自体が、出て来た頃には既に何らかの観念が
    出来上がった後という感じがするので、女性に触ると何か
    良くない事が起こるという事象がまずあって、それを祟り
    と解釈するか、修行と受け取るかの違いに過ぎないんで
    しょうね。。
     
    中国とかモンゴル辺りに北上すると、何となくこの辺り
    ってチャランポランになってる感じがするんですが、
    では中東あたりでしょうかねぇ。。
     
    食事か性行為か排便か……。そういや日本では「出産」
    でしたよね(^^ゞ。
    それこそマハバラタでは「入浴」だったりします。
     
    西洋の女性は裸身を隠す時は上半身で、東洋では下半身
    なんて話も聞きましたね。
     
    挨拶の仕方でも、接触の多い少ないで尊敬度が違って
    来たり……。日本は古来「見る」だけで失礼なんですよね。
    西洋じゃ抱き合うのは内輪だけとしても、女王様にも
    手にキスしたりしますものねぇ。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:12月04日 22時21分

    >>純米吟醸一升を御供えなさることをお奨めいたします(~_~)
     
    >はい! 持参致しました。まずは一献(^^)。
    城主さま、御酒だけはちときつい(笑)肴に伊勢志摩の取れたて海鮮などはいかがでせう?イセエビ鮑にタイにアジ、そうそう遠海物のカツヲやトンボもありますよ。海老や貝は残酷焼(とってきたまま火の上に乗せる)でおいしくいただきましょう。
    ・・・生臭はまずかった?。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月05日 17時37分

    あぁ、免罪符!!
    マルチンルターに殴られてもいいから、今からでも一儲けしたいもんですね(笑)
     
    女性に障るとよくない・・・ってのはなんなんでしょうねぇ、しかし。
     
    ふと思いついたんですが、「邪視」ってのがあるじゃないですか。
    見られるだけでも、不幸になる・・・っていうの。
     
    あれも中東あたりですよね。
    トルコなんかでは、邪視除けの御守りってかなりメジャーみたいですし。
     
    「触るだけで」「見られるだけで」というのは、何かかなり強力な魔術師の存在を感じないでもないのですが・・・。
    ちとオカルトに走りすぎでしょうか(^^ゞ
     
    「見るなのタブー」
    ギリシャ神話でも、「入浴」ですよね。
    確か、月の女神アルテミスの入浴を見てしまった狩人が、鹿に変身させられて、自分の猟犬たちに殺されるという話があったと思います。
     
    日本では、確かに、「出産」もありますが、「機織」ってのもあります(夕鶴)。
    あと、「魚女房」って話もあるんですよ。
    これも子どもの頃に読んだので、原典が何かはわからないのですが、猟師が魚を助けると、その晩、美しい女性がやってきて、「奥さんにしてくれ」と。
    この女性が作る味噌汁が、なんともうまい。
    どうやって作るのか知りたいと思っても、女房は、「作ってるところを見たら、出て行きます」といって、絶対見せてくれないんですよ。
     
    この話のオチは、なんともお下劣なんですけどね(^^ゞ
    猟師が、そっと覗き見ると・・・。
    女房は鍋にお尻を突っ込んでました、ってんです(~_~)
     
    つまり、味噌は・・・かいな!!!
    魚が出す味噌ならおいしいんでしょうか(^^ゞ
     
    で、純米吟醸、お姉ちゃん、もう一本追加してや〜。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月05日 17時39分

    生臭OK!!
    海賊汁がいいっす!!
    おいしかったです〜〜〜(T_T)
    もう一回食べたい!!
     
    しかしいいなぁ。伊勢。
    海老も鮑も鯛もですか。
    ちくしょ〜〜〜。
     
    つねってやる!!!
  • 中東の邪視 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月05日 19時29分

    ↑ってのは初耳です(゚.゚)。やっぱこの辺りから東の文化
    なんでしょうかね。見たらダメとか言うのは。
    ギリシャ神話は西洋の物じゃなくて、ありゃオリエントだ
    っつー話を前に聞きましたし(笑)。
     
    ただマハバラタでは、見られた方が人間で、見る方が神様、
    だから見られた女性は神の子を妊娠してしまう。
    しかし「神の子」なんて大威張りは出来ないわけで、
    こっそり出産して川に流してしまうんですね。
    この辺りが違いますかね〜(笑)。
     
    しかし味噌製造機の妻! それって最高にイイ奥さんなん
    じゃないですか?(笑)
     
    取ってきたまま火に乗せて炙る!
    うひょ〜(*o*)! 聞いただけで生唾! ゴックン!
     
    ではでは、美味しい海産物を肴に、いっただっきま〜す(^O^)!
    ゴクゴクゴク〜!
  • だからもってきたじゃん(笑) 投稿者:北畠具顕 投稿日:12月05日 22時33分

    サザエを忘れてた(笑)あれもおいしいです。
    苦い部分がなんともいえない。
    さぁこれでもてるものは全て持ってきましたよ。
    じゃぁ私も一杯っと。

 

「石井神社」 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月25日 21時35分

↑拝見しました〜☆ミ
 
う〜ん。カカセオの話、こう「蹴っ飛ばしたら他に飛んで」
と書かれると、やっぱ何かの比喩に思えて来るものです
ねぇ(^^ゞ。自然現象だけとは言いにくいような……。
 
でも隕石というのも「なるほど〜」でした。
 
星から隕石が振って来る、というのは、昔でもそんなに
想像することが難しくないんじゃないかな?
ほら。地球が丸いってのも、実はみ〜んな知ってたとか
言うじゃないですか〜(^^ゞ。
 
でも隕石に絡めて何かを物語ろうとした、というのなら
あるかもしれませんね。誰かに咎められても「いや、
石が降ってきたアノ事件の事ですよ〜、やだな〜(^^ゞ」
とか言い逃れやすいしね(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月26日 16時20分

    カカセオの逸話は、確かに、いろんな側面があるように見えるんですよ。
    「固い」「大きい」「石」てなると、例えば、ニギハヤヒが天下ってきた、「岩船」なんてものも想像しちゃって、すると、「海洋民族の首長」だったのかな?なんてことも考えられます。
     
    で、それを攻撃しようとタケハヅチが追いかけたら、船の上から砲弾を撃ってきた。
    タケハヅチはびっくりしたけども、とにかく敵は沖へ出たわけで、
    「放逐いたしました」
    と報告した、なんてことも考えられます(~_~)
     
    カカセオの石は、現在残ってないみたいだったんですが、もし残ってたら、
    「火山製の石です」とか「隕石です」とかわかるのに、残念ですね(^^ゞ
  • あれあれ? 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月26日 20時57分

    大甕倭文神社のご本殿の乗ってる岩は(゚.゚)?
     
    こたつなんて、前はカカセオとかニギハヤヒとか
    タケハヅチなんて名を聞こうものなら、「ぐひょ〜!
    わっかんね〜!」だったんですが、お陰でだいぶ字に
    対する苦手感は克服されて来たなぁ〜(^^ゞ。
     
    で、ニギハヤヒは岩舟に乗って来たの(゚.゚)?
     
    火山の例えは、箱根なんかだとそうだと思うんですよね〜。
    これはホント単純に現地に行くと、なんですけどね。
    芦名湖では竜神様を祀ってるけど、ありゃ〜火山だろって。
    竜が口から火を噴いただの、すごい昔からの伝説だし、
    赤飯を大量に供物にするなんてのも、火山や土石流で
    亡くなった犠牲者を思わせるし。
     
    そうだ。温泉が近くにありました?
  • 大甕神社の石 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月27日 15時04分

    あ、それが「カカセオが化けた」という石で、「宿魂石」と呼ばれるものなんですけど、ただ、「カカセオが化けた岩」ってのと、「カカセオが乗ってきた岩」ってのが混同しちゃう可能性は十分あると思うんですよ。
     
    多分(^^ゞ
     
    ニギハヤヒは、岩船に乗り、「タケルガミネ」に降り立ったとされてます。
    ただ、その「岩船」も、「岩のように頑丈な船のことだ」だの、「実は、半島のことだ」だの、「宇宙戦艦大和のことだ(嘘)」だの言われてて、実際、「岩の船」であると、素直に解釈することはあまりないようです(笑)
     
    そういえば、口から火を吐く竜なんてのは、確かに、「火山」を思い出させますね。
     
    石井神社や大甕神社のあった場所に温泉は・・・。
    なかったと思うのですが・・・。
     
    なにしろ、ばたばたと参拝したのでもしかしたら見逃してるかも。
     
    で、ややこしい名前についての免疫ですが(笑)
     
    私は、反対に、「源」とか、「平」とかの苗字がつくと、誰が誰やらわからなくなります(^^ゞ
     
    これも、勉強しなきゃですねぇ(~_~)
  • どーも近藤です 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月27日 20時35分

    ↑じゃなくて(^^;)!
    すっかり「混同」してました〜〜〜〜(笑)。
     
    スイマセン、スイマセン。ちゃんと聞きますねっ。
    「化けた石」と「乗って来た岩」ってのは、前後関係で
    言うと、「乗って来た」方が先ですよね?
     
    で? で?
    ニギハヤヒが岩に乗って来たというのは、きっと記紀あた
    りの記述なんでしょうが、カカセオも乗って来た岩が
    あるって事ですか?(←今イチよくわかってない)
     
    温泉は、こたつがその辺り行く事があったら探してみます。
    ただこないだウチに来た、安いお宿のチケットには、
    茨城県の温泉もあったんだよな〜、確か。
    期限までに使えないと思って、捨てちゃったかもな〜。
    う〜ん。取っておくんだった。
     
    「平」「源」「藤原」に気付くようになったのは、私も
    わりと遅かったですよ(^^ゞ。武将の手紙とか博物館で
    見ても「うぉ〜字が全部繋がっちゃって、判んねぇ」と
    今でも思うもの(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月28日 16時33分

    あ、カカセオが、「岩に乗ってきた」という伝説は、今のとこ、聞いたことないです。
    ただ、「岩に乗ってきたカカセオ」が、「岩になったカカセオ」に変わっちゃった可能性もあるかなぁ?
    と勝手に想像しただけでございます(笑)
     
    ニギハヤヒについては、日本書紀に乗ってますだ。
     
    考えてみたら、ニギハヤヒは物部の祖神。
    茨城あたりも、多分、昔物部氏の勢力が強かったと思うんですよ。
    なにしろ、香取神宮のご祭神は、「イワヒヌシ(フツヌシ)」。
    物部氏の匂いが強いんです。
     
    としたら、カカセオが岩船で・・・って想像は、もしかしたら強ち外れてないかも??
     
    温泉については、よろしくお願いしますm(__)m
     
    源・平・藤原。
    そうですよね。
     
    しかもまた、親兄弟で、同じ漢字使うことが多いんだ(^^ゞ
    源氏で言えば、
    「為朝」「頼朝」「頼政」。
    なんか、こう・・・。
    ややこしくしようとしてる??
    と言いたくなるくらいの名前です(T_T)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月29日 00時59分

    >「岩に乗ってきたカカセオ」が「岩になったカカセオ」に
     
    にゃ〜るほど。うんうん(^^)。前に物部氏って多くの神様
    を集めた一族かも?とかの話がありましたよね、そいや。
     
    物部自体は服した(?)もんだから船に乗って来た事に
    なってて、もちっと征伐しきれなかった一部については
    「石になったぁ〜!」ってなオチならあるかも(笑)?
     
    飴と鞭。
     
    >「為朝」「頼朝」「頼政」。
     
    わかります(^^;)。いっぺんに覚えようとすると嫌気が
    差しちゃうんですよね〜。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月29日 17時00分

    伝承なんて、伝わってるうちに、どんどん形を変えてしまいますもんね(^^ゞ
    浦島の話でも、検証済み(笑)
     
    物部については、いろんな表情を見せます。
     
    昔、武士的な性質を持つ人々を「物部」と呼んだ。
    それが、いつの間にか、ひとつの「物部氏」という氏族として扱われるようになった。
    てのがあるかもしれません。
    あくまでも私の勝手な思いつきですが。
    としたら、「物部氏ってなに?」ってとこから始めなきゃいけないんですよね〜。
  • もののふ! 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月30日 01時08分

    ↑ですかっ。なるほど〜(゚.゚)。
     
    んだ、んだっ。武士と書いて「もののふ」と読むなんて、
    なんとな〜く納得してちゃイカンですね(^^ゞ。
     
    古代とは言え、いや、混乱要素の多い古代だからこそ、
    武力統率集団の必然性は高いハズですものね。
    それならば「一族が多い」のも凄く納得行きますし、
    蘇我氏との対立では戦を司る一族として描かれますしね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月30日 12時35分

    物部は、「軍事」を司った、という話もありますし、一面で、呪術的なものもかなり受け継いでるということになってます。
    「物部」=「武士」という考えから、「武士」を「もののふ」と読むんだ、と教わりましたが、「物部」=「呪術師」という感覚から、「呪術師」を「もののふ」って話は聞かないです(^^ゞ
     
    ただ、古代においては、戦は、呪術合戦という面もあったかもしれないですね。
    呪力の強い方が勝つ、なんていう感覚もあったかも。
     
    戦国時代の武将も、例えば源氏が八幡様とか、上杉謙信が毘沙門天とか、各々の信仰はあったと思いますが、反面、「自分が倒した相手の怨霊」や、「騙まし討ちにした相手の怨霊」を恐れたり封じ込めたりするようなことはあったんでしょうか?
     
    平将門公の時代より後に、「怨霊封じ」という感覚があったのかどうか、全く無知なんです(~_~)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月01日 21時50分

    「物部=もののふ」は、戦乱から歴史を見る私としては
    大いに触発される話ですわ(笑)。タメになった〜〜。
     
    で、前もお話した事がありましたが、戦国時代になると
    時代が下りすぎて、騒乱はあっても、それが元の宗教母体
    を崩すほどの概念にはなりにくかった時代ではあるかと
    思います。
     
    が、その一方で、だからイキナリ近代思想になったワケ
    ではない点は、これはもしかしたら西洋以外の殆どの国が
    そうだったのかもしれません。
     
    と言うワケで、自分が倒した相手の怨霊を恐れる、という
    感覚は当然あったと思いますし、そうとしか受け取れない
    (文献などにその根拠は記されてなくても)すなわち
    恐れの余り狂態を催す人も居たわけですね。
     
    よく言われる話ですが……小早川秀秋なんかはそのように
    言われがち(あるいは描かれがち)の武将ではないかと
    思います。
     
    この人物は関が原を迎えるまでは、石田三成の西軍に属し
    ておきながら、イザ戦陣となると謀反を起こすワケです。
    それによって家康は大勝利。ご存知のごとく天下を取る
    大きな布石をこの一戦で勝ち取ります。
     
    秀秋は一番の功労者でありながら、その後すぐに病没した
    事から、祟りだ、心因性の病気だ、周囲から裏切り者扱い
    を受けて発狂した、と取りざたされて今日に至ってます。
     
    これはとりもなおさず、この時期の怨霊に対する考え方が
    「殺したから」では既になく、「恨みを買ったから」に
    大きく変わってる点ですね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月02日 16時35分

    おお、やっとお役にたてたかも(笑)?
    物部氏については、いろんな説があるようなんで、また、何か面白い発見があったら、ご報告しますね(#^.^#)
     
    さて、武将が恐れたのは、「殺した敵」ではなく、「恨みを買った」「裏切った」相手の怨霊だった、というのは、すごく面白いです。
     
    確かに、戦争になれば、「殺したら怨霊に悩まされる」なんて考えてられないですよね。
    倒した相手の怨霊よりも、「自分が寝返ったことにより惨敗した男」の恨みを怖がるというのは、よくわかるような気がします。
    勿論、「卑怯な手で殺した相手」のことは、やっぱり恐れたんじゃないか、と思いますけど。
     
    小早川秀秋本人は、「怨霊が恐ろしい」と言ったことはあったのでしょうかねぇ?
     
    日和見主義といえば、やっぱり、筒井順慶を思い出さずにいられないのですが、彼が怨霊を恐れたというのは、今んとこきいたことなくて。
     
    でも、戦国武将になると、誰でも、ひとつやふたつ、後ろめたいことが出てきそうですよね(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月02日 18時28分

    秀秋自身がどうだったかは判らないと思いますけど、
    彼は小早川を名乗りながら、実は秀吉の甥にあたり
    (その妻ネネの甥)、言ってしまえば豊臣一族。
     
    家康の方がむしろ「イザとなると味方してくれないかも」
    と焦った相手とは言えるかもしれません。
    だから家康は、秀秋の陣に鉄砲を撃ち掛けて、その内応を
    急がせた(脅した)とよく言われます。
     
    恐らくは、秀秋自身の恐れよりは、こいつを味方につけた
    家康の手管に世間は驚いたのだろうと思います。
     
    しかし祟りとか言われる根拠は、関が原で勝敗が決まるや、
    負けた石田三成の居城に攻め寄せ、さんざんに殺しまくった
    とか伝えられてる点でしょうね(笑)。
     
    これは〜〜〜、戦だから仕方がない、の範囲を超えてる
    仕業に確かに見えなくないですよ(^^;)。また家康に命じ
    られたっちゅうより自らの意思でとも伝えられるので、
    いかにも、相手が非戦闘員となるや露骨にやった、という
    印象を生むのでしょう。。
     
    筒井順慶は……どうでしょうね(^^;)。元々光秀の方が
    謀反を起こしたワケですから、これは悩んでても仕方ない
    部分があるように思えますが。。
     
    戦国時代は単なる裏切りは「日常のこと」で(笑)、
    それを武略と呼んで「騙される方が悪い」ぐらいの時代。
     
    どっちかと言うと、その後「泣かず飛ばず」になったり
    する事によって「祟りを恐れた」とか言われてしまった
    のかもしれませんね(笑)。
     
    物部情報、楽しみにしてます〜〜♪
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月03日 17時12分

    なるほど。
    秀秋自身が怨霊を恐れたというよりは、周囲が、
    「あれは、怨霊の祟りに違いね〜べ」
    と取りざたしたというのが正解っぽいですね。
     
    武将自身が怨霊をすごく恐れたという例はあります?
     
    それにしても、勝敗が決まっているというのに、石田クンの居城に攻め込むなんて、許せん(爆)
     
    しかし、戦国時代に「祟りを恐れて」攻めることを躊躇したりしてたら、それこそ「臆病神にとり憑かれた」といわれかねませんね(^^ゞ
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月03日 20時31分

    怨霊を恐れたかどうかは、本人にしか判りません。
    「恐れる」と言葉で言ってても、どこぞの寺社勢力に
    媚びてるだけかもしれませんし(笑)。
     
    「信仰が篤かった」レベルなら上杉謙信などはそうです。
    しかしジャンジャカ殺してます(笑)。
    子供の頃、敵から逃れるために人を騙して衣装を取り替え、
    そのためにその子が殺されたってな逸話が確かあったと
    思います。
     
    これなんかは怨霊を恐れてたら、とても出来ない事でしょう。
     
    どちらかと言うと、のりちゃんの言う通り、臆病風に吹か
    れる己を戒めた時代なんでしょうねぇ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月04日 16時50分

    「敵に塩を贈る」
    なんぞといわれて、人格者のイメージのある謙信公が、人を犠牲にして助かってるんですね(^^ゞ
    しかも、騙して!!!
     
    「私は、これから大義を果たすべき人間だ、御前はそうではない、だから、御前が私の身代わりになることは、当然なのだ」
    などと言ったんでしょうか(~_~)
     
    日本書紀の英雄、ヤマトタケルも、敵に対して、
    「お互いに刀を交換っこしようよ」
    と持ちかけて、竹光を渡し、
    「やっぱ、勝負しようぜ」
    と、挑みかかった話が出てきます。
    (もちろん、相手は竹光なんですから、タケルくんの圧勝です)。
     
    「勝てば官軍」
    とは、昔から言えることなんですねぇ(爆)
  • 謙信のイメージ 投稿者:こたつ城主 投稿日:12月04日 21時39分

    ↑と言うのは、総合すると実はかなりのブレがあります。
    家康がどっかで影武者に替わったというのと同じぐらいに
    謎と考えていいんじゃないかな、と私は思うのですが。。
     
    しかし家康と似てる点を唯一あげるなら、「本人より周囲
    の悲願によって祭上げられた」点でしょうかね。
     
    家康はその誕生からしてそのような要素があったと思います。
    謙信の場合は、ちょっと成長するまで周囲は気付かなかった。
    で育ってみたら、「コイツに越後をまとめてもらおう」
    と周りは思った、という感じですかね。
     
    子供を身代わりにした逸話も、謙信をあくまでも軍神とし
    て見たいか、それとも宗教人として見たいか、によって
    変わって来るのだろうと思います。
     
    謙信は幼少の頃から動乱に巻き込まれて、家来におぶさって
    逃げ惑ったなんて時期もあったんじゃないかと思います。
    特にお父さんが殺された後ですね。
     
    強い大将となって貰いたければ、こうした武略は謙信自身
    の手柄としたいでしょう。
    しかし慈悲深い政治家であって欲しければ、死ぬと知ってて、
    子供の方が進んで身代わりとなった、なんて逸話になる
    んでしょうね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月05日 17時36分

    子どもの頃読んだ「謙信公の話」は、もう、美談ばっかで(笑)
    そういうイメージの強い武将なんだと思います。
    「天と地と」も、そういうイメージの謙信公の話ですよね?
     
    家康公については、彼の「名言」を、ちょっと調べたことがあったんですが、
    http://www2.cnet.ne.jp/ahgama/index.asp
    ここに詳しいです。
     
    で、見てみると、「なかなかの苦労人」って感じですよね。
     
    「労せずして得しところの宝は、
    身の仇となる」
    なんて・・・。
    ちと堅苦しいけど(^^ゞ
     
    謙信公の場合も、「人格者」と人が賞賛したくなるような何かを持っておられたのでしょうね。
    多分(^^ゞ
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:12月05日 19時12分

    幼少の頃、家康が今川に人質に行く時、その途中で家康を
    織田家に横取りされてしまうんですよ。
    むろんそれじゃ今川家に言い訳できませんから(笑)、
    家臣が腹を切ったりするんじゃなかったかな。
    つまりそこでチャンバラになると、家康の命も危ないから
    家来が一人「すいませんねぇ、こうなっちゃいました」と
    腹を切って、スンナリ家康を織田家の人質に渡すと。
     
    三方が原の合戦ちゅうのでも、家康は信玄にボロ負けに
    負けて、家来の夏目ナニガシという人が家康の兜と取り替え、
    身代わりになって突っ込み、敵がそれを追い掛ける隙に、
    家康はコソコソと城に逃げ帰るわけです(^^;)。
     
    しかし家康に関しては「自分の知恵で身代わりを立てた」
    とは決して言われないんですね。
     
    これは後になって、覇道と王道の違いだとか儒教的に解釈
    してみたりするのですが、要するに戦に負けの多い人は
    「優しさ」が売りとなるわけです(^^ゞ。
     
    これに対して、武田信玄の影武者、謙信の身代わり逸話、
    真田幸村にも影武者説がありますが、要するに戦に強い人
    は、「自分の知恵で身代わりを立てた」と言われる事が、
    まあ「カッコイイ」わけですよ(^^;)。

 

新スレ お山の僧侶たち 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月26日 16時19分

>セラフィム様
「当山」「本山」の「山」は、大峰山だったんですか。
やっぱり、役行者は偉大な人なんですね。
 
大峰山は、小学校の林間学校で行ったのが最初だったと思います。
私は女なので、詳しくは知りませんが、確か希望すれば、「覗き」も体験できたと思うんです。
 
希望した子はいなかったようですけどね(^^ゞ
 
で、「犬鳴山」は、当山山ではないんですね。
ここでも、やはり、いろいろな宗派があるんでしょうか。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月26日 16時19分

    道教も仏教もよく知らないのですけど、道教の「経典」ってのは、どれになるんでしょうか?
     
    キリスト教は、「聖書絶対」って感じがするじゃないですか。
    イスラムも「コーラン絶対」ってイメージがあります。
    仏教は、「経典」はあるけど、すごく種類が多い。
    道教は・・・。
     
    「経典」よりも「修行」で覚えるっていう点では、仏教と道教は、どこか似てるのかもしれないですね。
     
    最澄は、なんやかんや言っても、「都の鬼門護り」を任されたわけですし、「役人」としてならば、よい人生だったのかもしれないですね。
     
    ただ、「修行者」としては、もしかしたら不本意だったのかなぁ。
    「人がよかった」ような気はしますね(^^ゞ
  • 口伝 投稿者:なにがし 投稿日:11月26日 19時28分

    真言密教ではいんどの発音を重んじた部分があったようです。発想は、いんどの神様をよぶのに?いんどに近い発音でおがむのがよい、とのことだったと思います。これはかんじでは表現できないんだそうです。つまりいんどごが読める人でないと本を借りても意味がないんでしょうね。
  • 犬鳴山 投稿者:なにがし 投稿日:11月26日 19時37分

    天野大社を出発した葛城先達は、犬鳴山にて新客の潅頂を授けたようです。聖護院(天台系)では、犬鳴山で峯中修行、中津川の行者堂で潅頂を行った、とあります。
  • 道教の経典 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月26日 20時15分

    えーと、「道徳経」とか「抱朴子」になるんじゃないでしょうかね。
    もっとも老子が解いた物ではなしですしね。
  • そうそう 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月26日 21時03分

    具顕卿の答の通りだと思う。
     
    ただ道教って「思想=宗教」にしちゃうから「道徳経」に
    なるんであって、実践的には「道徳経」を読んで仙人に
    なれるかって言ったら全然なれないから(^^;)、抱朴子かな〜?
     
    ちょっと経典って発想自体があわないかも?
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月27日 15時08分

    「インド語」ですか(^^ゞ
    どんな言葉かも想像つかないっす(T_T)
     
    「ナマスティ」くらいしか知らないし。
     
    あ、もしかして、「真言」も、もともとはインド語なんでしょうか?
    だとしたら、いくら真言を覚えても、インドの発音ができなければダメ・・・とかありそうですね。
     
    で、犬鳴山と天野山は、もしかしたら、ご縁が深いのでしょうか?
    だとしたら、なにがしさんとセラフィムさんのご縁ってのも、なんだか不思議に思えてきますね(゜.゜)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月27日 15時10分

    老子は伝説の人である可能性もあるらしいですね。
     
    もし、老子が実在して、何か本を書いていたら、今日の道教はかなり違ったものになってたかもしれないですね・・・。
     
    で、「易経」は、「陰陽五行」になるんですかねぇ?
    もう、ここらへん、全然わかりません(T_T)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月27日 15時12分

    道教は、「経典」という発想が合わないのですね。
     
    そういう意味では、日本の神道ともどこか近いのかも。
     
    神道でも「古神道」になってくると、口伝が重要になってくるでしょうしね。
     
    キリスト教や、イスラム教のように、「経典がすっごい大事」な宗教ってのは、もしかしたら、却って珍しいのかもしれないですね??
  • のりちゃんさま 投稿者:なにがし 投稿日:11月27日 20時01分

    >「真言」も、もともとはインド語なんでしょうか?
    そうだとおもいます。いんどでできたんでしょうね。だるまさんもインド人ですよ。お経は漢字ばかりですが、いんどの発音に近い音の漢字をあてただけだったと思います。でも、のばす音は漢字では表現しきれないみたいです。
     
    >犬鳴山と天野山は、もしかしたら、ご縁が深いのでしょうか?だとしたら、なにがしさんとセラフィムさんのご縁ってのも
    のりちゃんさま、勘違いされてますよ。天野大社は和歌山、天野山は大阪です。天野山はお酒もありましたよね。思い出されました?ちなみに、天野山金剛寺のご住職さまは親戚でございます。よだんですが、お酒に弱い私は、酔って金剛寺にゆき、目的の丹生神社にのぼれずかえってきてしまいました。お酒にまつわる神社の神主の血筋ですのに(^^;)なさけない。お酒につよくなりたーい!のりちゃんさまはもとから酒豪?
  • あ、易経はね 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月27日 20時51分

    ↑四書五経として覚えるといいかな?
    四書=「大学」「中庸」「論語」「孟子」
    五経=「詩経」「書経」「礼記」「易経」「春秋」
     
    これってわりかし中国の典型的素養って感じで、
    「出典ホニャララによる」とか言うのによく出て来るんで
    覚えておくと便利かも。
    (論語・詩経・礼記・易経あたり多い気がする)
     
    で、うんうん、道教と神道って近いんじゃないかな?
    どっちも土着って点もあるし、互いに交流して混ざってる
    部分も少なくない気がするけど〜〜〜、どっかな?
  • どちらかっていうと 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月27日 21時10分

    儒教のほうが宗教ぽくないか、と思いますね。
    結局は「天」という神様を拝んでるわけだし天命が絶対的な考え方でしょ?
    道教は神道と似てますね。人でも神様になっちゃうし。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月28日 16時34分

    おおお、失礼しました(^^ゞ
     
    天野山は、丹生高野大明神社のある、あのお山ですね。
    勘違いの帝王ですね、私。なはははは〜〜〜(>_<)
     
    さてさて、ここで、ふと疑問。
    天野大社というお名前は、「天野山」との関連からつけられたのでしょうか?
    それとも、天野大社と関係が深いから、「天野山」という名前になったのでしょうか?
     
    どちらも、弘法大師と関係が深く「天野」と名前がついている。
    「天野」という名称にも何か深い意味がありそうな気がしてきますね。
     
    さて、真言もインド語なんですね。「日本語」じゃないことはわかるんですが(笑)
     
    最後にお酒について。
    なにがしさんは、お酒飲むと気分悪くなる方ですか?
    それともお酒が回るのが早いだけ?
    気分が悪くなる人は無理して飲まないほうがいいって言いますね。
    日本人はもともとアルコール分解能力が弱い人が多いとか。
    すぐお酒が回っても、ただ「気持ちよくなるだけ」ならば、少しずつ酒量を増やせば、強くなるかもしれないです。
     
    なんにせよ、「適量」が大事なんですけどね〜〜〜(自戒)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月28日 16時34分

    四書五経ですね。
    ・・・しかし、どの書物にどんなことが書いてあるか、想像もつきません(^^ゞ
    「孟子」は「引越しのノウハウ」ですね。間違いありません。(←大ボラ)
     
    神道と道教。
    道教といっていいかどうかわかりませんが、
    「北斗七星」や、「北極星」の信仰なんかは混ざってますね。
    まず最初に現れた神・「天御中主」と「北極星」は同一視されたり。
    いや、もともと、「天御中主」という神自体が、中国の影響で後世造られた神だと言われてますけどね(~_~)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月28日 16時34分

    おお、道教と神道は似てますか。
    具顕殿が言うならば、多分そうなんでしょう(笑)
     
    儒教は・・・。
    なんとなく堅苦しいイメージが強いです(笑)
    もともと孔子の考えはそうじゃなかったのかもしれませんが。
    いちいちうるさいですよね(爆)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月28日 20時23分

    >孔子の考えはそうじゃなかったのかもしれませんが。
    うちの親父がよくこういうのです。
    「お釈迦様の言った事を今やってるわけじゃない」
    そうなんですよね。
    きっとキリストもマホメットも釈迦も孔子も老子もあの世で「それは私の言ったことと違うんでないの?」と思ってるはず。
  • ええ 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月29日 05時01分

    そして「春秋」は、衣替えに関わるノウハウを記した書物
    だったハズですよ、確か(←超デマッ!)。
     
    で、そうそう、具顕卿に言われてしまいましたが(笑)、
    儒教は4大宗教だったかの中では、「神」の概念の欠落
    した一風変わった宗教とか習って、私も長い事、そう
    思ってたんですが、確かに「天」という名の神様は何も
    かも全てお見通しだったり、皇帝だって神様の意に沿わ
    なければリストラされるなんて点では、キリスト教とか
    と変わらないのかもしれません。
     
    あと、人が神様になってしまうというのも、具顕様の
    言われる通りですよね。これも中国では当たり前チック
    な発想なんですね。
     
    そいや、道教と言ってイイと思いますが、関羽は非業の
    死を遂げた武将でありながら、いつの間にか商売繁盛の
    神様になってるワケですが、こないだのりちゃんの来た
    神田明神も非業の死を遂げた平将門を祀る、商売繁盛の
    神社でしたな(笑)。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月29日 17時02分

    あはははは。
    そうですね。
    よく言われるのは、お釈迦様は、女人も成仏すると言われてるのに、タイ(日本も)の仏教では、お坊さんは、女性に触れただけでも修行が台無しになる、など、女性に対して冷たいと。
     
    どんなにいいこと言っても、伝える人が勘違いしてると、いかんってことですかね〜(^^ゞ
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月29日 17時02分

    そして、「礼記(『れいき』で変換すると、『霊気』って一発目に出る私のパソコンって(T_T))」は、おじぎの仕方ですね!!・・・もういいって??(^^ゞ
     
    儒教も、「天」という考えはあるんですね。
    じゃ、天網恢恢・・・ってのは、儒教的な思想だったのかなぁ?
     
    関帝は人気のようですね。
    大阪にも神戸にもあって、両方とも参拝しました。
     
    私は、中国式のおみくじの引き方が面白くて(~_~)
    最後に木片を投げて、「おみくじの内容が正しいかどうか」を占うってのがいいですよね。
     
    もし、「正しくない」と出たら、何度でも引きなおしていいわけですから。
     
    ただし、「正しくない」と出易いように木片を作っておけば、何度でもおみくじをひいてもらえるわけで、商売繁盛ですね(笑)
     
    で、同じ非業の死にしても、菅原道真公が学問の神様はわかるのですが(博士だったから)、考えてみたら、なんで、武将が「商売繁盛」なんでしょうね(~_~)??
    「武運長久」とかならわかるんだけども??
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月29日 22時59分

    タイだったかのお坊さんが日本の出家が妻帯しているのを聞いてえらい怒ったとか。
    親鸞様も罪なことをなされる。そういえば親鸞はどうも聖書を読んだことがあるみたいです。そこからあの一途な浄土信仰が生まれたとか。そういうと日蓮も読んでるんでしょうかねぇ。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月30日 01時22分

    「大学」はやっぱり全国の大学の偏差値リストを記して
    いたのでしょう。(←もうやめとけって(^^;))
     
    >どんなにいいこと言っても、伝える人が勘違いしてると、
     
    仏教でコレについて言ったのは、ダルマさんだったかな。
    違ったっけ。。何しろ禅宗(曹洞・臨済)だった覚えが……。
     
    すなわち「経典とは“月を示す指”に過ぎない」と。
    月について悟らないと意味ないのに、指の良し悪しを幾ら
    述べても不毛だっちゅう事ですね(これはほぼホント)。
     
    非業の死を遂げた武将が「商売繁盛」にされる点について
    は、ボンヤ〜リとしか説諭されてない事が多いです。
    つまり「謎」と言っていいんじゃないかと思いますよ。
    長い間の変遷なのか、古くからどこかの底流にあった思想
    (感覚)なのか、実の所、ちょっと興味無くも無いです。
     
    大黒サンや恵比寿サンもそうですよね。
    祟る事や悲運の人生というものが、本来なら人を遠のか
    せる要素に満ちてるハズなのに、人が来るように仕向け
    ている感じがします。
     
    聖書が西洋であれだけ流布されてるのに、日本に全然伝わ
    らなかったってのは、よく考えたら妙な話ですよね(笑)。
  • すいません 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月30日 01時28分

    >“月を示す指”
     
    「月を指す指」でした。すいません(^^ゞ。
  • 天野 投稿者:なにがし 投稿日:12月03日 00時49分

    >どちらも、弘法大師と関係が深く「天野」と名前がついている。「天野」という名称にも何か深い意味がありそうな気がしてきますね
     
    詳しくは分かりませんが、問題はその地名がいつからのものなのかですね。「天野大社」は丹生都姫神社を地元の人がそう呼んでおり、「天野という地にある官幣大社(旧)」ぐらいの意味だと思います。多分。天野山は地名なのか、それともお寺の山号?なのか、それによってまた変わりますよね。ただ、確か高野山のお坊様が丹生総神主の夢?お告げ?かなにかで、この天野山金剛寺に来たと言う話があったような気が。すいませんうろ覚えで。インターネットで調べてみます。m(_ _)m
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月03日 17時11分

    つまり、天野大社があった場所も、「天野」と呼ばれていたということでしょうか。
    でも、どっちにしても、「丹生総神主」さんのお告げで天野山へいらっしゃったというのならば、やはり、「天野山」と「天野大社」の関係はとっても深そうです。
    そのあたりの歴史は、もうとても古くて、詳らかにはわからないのでしょうけど、興味深い話ですね。

 

インド語ってのは(;^_^A 投稿者:まゆり 投稿日:12月01日 12時48分

古いレスで申し訳ないです。
で、インド語というのはありません。
インドは地方が変わればヒンズー語であったり、ベンガル語であったり確か公用語だけで20以上の言語があったと思います。そんでもってインドの共通語はなぜか英語です。
真言やお経なんかはサンスクリット語ですね。
私のハンドルもサンスクリットで「孔雀」を意味するマユーリーヤから頂いています<(_ _)>
  • 20以上!! 投稿者:のりちゃん 投稿日:12月01日 13時31分

    頭どうにかなりそう(^^ゞ
    ありがとうございます。
    ということは、サンスクリット語も、その20以上の言語のうちの一つなんですね?
     
    私は日本語(標準語)も、ろくにしゃべれないので・・・。
    インドでは生活できないかも〜〜〜(T_T)

 

南無諸天善神 投稿者:セラフィム 投稿日:11月23日 14時37分

||ヽ(*゚▽゚*)ノミ|Ю タダイマァ♪。本日、得度式を受けてまいりました。お受戒、法名そして袈裟を頂いて参りました。いやー、これからが大変ですわ。何が大変かといいますと、覚えることが山ほどあります。でもって、寒行があるそうです(さむーぅ)。まぁ、ボチボチ頑張って行きます・笑。
  • おかえりなさい 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月23日 19時46分

    おめでとうございます。
    これから大変でしょうが、着実に頑張ってくださいね(#^.^#)
     
    風邪など召されませぬよう。
     
    また、いろいろ教えてくださいませm(__)m
  • おめでとうございます 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月24日 00時15分

    修行というのは辛いのが当たり前ですからね。これからが本番だと思いますよ。頑張ってくださいませ−。
    私も禊や祝詞に悩まされましたからね。
  • ありがとうございます! 投稿者:セラフィム 投稿日:11月24日 09時26分

     具顕様、のりちゃん様、嬉しい言葉の書き込み、有難う御座いますっ!頑張りますので、宜しくお願い致します。 そうそう、同期の修験者が8人もいました。北海道から来た人がいましたよー。そんな話していたら、「九州」の人もいるよ、って話が出ました。いやー、ご縁なんでしょうね。私は近くでご縁があって、幸せ者です。 
     
     
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月24日 16時50分

    禊に悩むっていうと、手順とか、そういうことですか?
    祝詞は、読み上げるだけで大変ですから、記憶するとなるとなおさら大変でしょうね〜。
     
    種類も多いし(笑)
     
    大祓祝詞ひとつを記憶するだけでも大変そうだ(~_~)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月24日 16時52分

    北から南から集まってきておられるんですね〜。
    仏様とのご縁も結ばれて、人とのご縁も結ばれたんですね。
     
    大変でしょうが、ともに苦労する仲間がいるとなると、嬉しいですね。
     
    私も、いろいろ楽しい話が聞けそうで、ちょっとわくわく(#^.^#)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月24日 20時19分

    >手順とか、そういうことですか?
    和歌を歌いながらする部分があるのですが一日で三つ覚えろといわれて四苦八苦した覚えがありますよ。
     
    祝詞は覚えちまえば簡単なのです。しかも日常的に唱えるのは祓詞と大祓、神拝詞くらいです。問題は明治大帝御製を覚えなきゃいかんのです。10首もあるから大変でした。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月25日 15時58分

    和歌ですか・・・。
     
    子供の頃、百人一首やらなんやらを国語の授業で丸暗記させられたのを思い出しました。
    今でも、十首くらいならば、暗唱できますけどねぇ(~_~)
     
    「覚える努力」よりも、「忘れない努力」の方が大切だという気がしますね、たははは。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月25日 20時25分

    >「覚える努力」よりも、「忘れない努力」の方が大切だという気がしますね、たははは。
    一番悪いのは「答えが書いてあるものがある」ということですねぇ。なきゃ暗誦できるくらい覚えるのでしょうが、あるばっかりに「みりゃいいや」と思ってしまうのです。
  • そうですね! 投稿者:セラフィム 投稿日:11月25日 21時15分

     具顕様。そうですね。書いてあるとついつい安心してしまいますよね。
     御真言なんて、日常生活で使わないでしょ。覚えてもすぐに忘れるんですねー・爆。私は、いつも御真言を独り言のようにブツブツと復習してますよ(周りから見れば、すごく怪しいんだろうな、きっと。)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月26日 16時18分

    テスト勉強をしてると、それ、しみじみ思いますよ。
    やっぱり、重要なとこは、かくしておいて、暗記する、などの、受験生にはおなじみの手が有効です。
    とはいえ、重要箇所に線引いただけで、安心しちゃうところもありますけどね(~_~)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月26日 16時18分

    高校が、プロテスタント系だったんです。
    で、主の祈りは、毎朝唱えてたんですよ。
    ・・・えぇ、今では、すっかり忘れました。
    「天にまします我らの父よ」
    以外思い出せません(笑)
    やっぱり、繰り返し唱えなきゃだめですねぇ(~_~)

 

(*≧∇≦)ノこんばんわぁ♪ 投稿者:セラフィム 投稿日:11月17日 21時30分

 日曜日は、お山の「戸閉式」で護摩供に参加してきました。いやー、良い修行をさせてもらいました。あんなに素敵な修行をさせてもらっていいんでしょうか?という気分でした。
 で、今週末は修験道の得度式です。緊張しますねー。こんな奴が得度なんてしていいんだろうか、なんてね・笑。これからが、いっぱい覚えることがあって大変です(;^_^A アセアセ。
 
 そうそう、占いの件、もう少しお待ち下さいませっ!ボリュームが多くて、一気に占えませんでした(;^_^A アセアセ。もうしばらくお待ちをっ!
  • おめでとうございます 投稿者:まゆり 投稿日:11月17日 23時08分

    って、まだはやいですか?得度ということは勧請(字が違うような・・・・)ってやつをするんですよね。
    楽しみですね(^_^)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 16時46分

    ひとつひとつ積み上げておられますね〜(#^.^#)
    大丈夫。セラフィムさんは、よい修験者になられると思います。
     
    これは、私の感想ですが・・・。
    修験者さんにしても、お坊さんにしても、明るいのが一番だと思いますわ〜〜〜(~_~)
     
    占いはいつまででもお待ちしとります(#^.^#)
  • まゆり様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 16時49分

    灌頂・・・ですかね(^^ゞ
     
    そういえば、キリスト教でも、「油」を注ぎますよね。
     
    「メシア」って、「油注がれた者」という意味じゃなかったでしたっけ?
     
    液体を注ぐってのは、どんな意味があるんでしょうね?
  • セラフィムさま 投稿者:まゆり 投稿日:11月18日 23時25分

    灌頂・・・ですね(^_^;)
    確か自分と縁を結ぶ仏様を決める儀式でしたよね?
     
    油を注ぐと言うことは、神から選ばれたものであることを示すんだそうです。
    洗礼は、一生に一度の禊ぎみたいなものですが、モーセが水から引き上げられたことや、紅海をわたったことなどから、死から引き上げられると言う意味になると思います。(あやふやな信者だ・・・・<(_ _)>)
  • きゃあ! 投稿者:まゆり 投稿日:11月18日 23時27分

    上のコメント、のりちゃん宛でした(T^T)
    すみません<(_ _)>
  • まゆり様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 16時56分

    あぁ、モーセから来てるんですね。>油注ぎ
     
    考えたこともありませんでしたが、紅海を渡るという行為も、「水から引き上げる」という考えに繋がるんですね。
     
    「死から引き上げられる」ということは、「不死」を意味するんでしょうか?
     
    審判の日に甦る・・・ってことになるんでしょうかねぇ??
     
    キリスト教も、研究したら、いろいろ興味深そうです。
  • (@^▽^@)ありがとー 投稿者:セラフィム 投稿日:11月19日 22時25分

     まゆり様。大丈夫ですよー。心得ています・笑。そうなんです。灌頂の意味をよくご存知で。因みに灌頂とは、元々結縁する人の頭に智慧の水を注ぐ行為をいうらしいです。へぇー、洗礼にはそんな意味があったのですか。知りませんでした。
     のりちゃん様。 (*≧∇≦)ノこんばんわぁ♪。明るい修験者を目指しますっ・笑。お山の先生たち(修験者)はユーモアたっぷりの方ばっかりですよ。たまに寒くなることを仰る方もいますが(;^_^A アセアセ。ただ、若手が少ないので、これから修験道の担い手として伝統とか文化を背負うのは大変だなー、と感じています。まぁ、ボチボチと頑張って行きますよ。あっ、それからやっと占いの方、完成しました。あと皆様に要点を書いて送るだけです。それから、前回のオフ会は神様のお導きだ、ということを占いで確信できましたよ(私が何より驚いています)。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時34分

    そうですね。
    次の世代に何かを伝えるというのは、嬉しいことだけど、責任感じちゃうことですよね。
     
    でも、かたくるしくならず、修行楽しんでくださいね。
    大変だとは思いますが(^^ゞ
     
    占い、楽しみにしてます。
    お導きだと感じる「何か」があったんですね。
    それは、なんでしょうか、「ご縁」が占いに出るんですか?
    それとも、参加者の未来に、何か同じ図が見えたということでしょうか?
     
    私もむか〜〜し、ちょっとだけ占いに懲りましたが、ツールによって、見える図が違ったりしますよね。
     
    どの占いによってどんなものが見えるのか、それに注目してみるのも楽しいかもしれないですね。
  • 修行 投稿者:なにがし 投稿日:11月22日 13時40分

    セラフィム様 
    修行するときは、する前に目的を説明してくれんるんですか?修験者にも真言宗とか天台宗とかあるんですか?
     
    話はかわるんですが、本日竹内信夫著「空海入門」(ちくま新書)¥720を読んでたんですが、真言密教の奥深さを知りました。他仏教との違いや曼荼羅の大切さ、最澄との関係悪化の根底がわかったような気がしました。ちなみに代表する1文を拝借すれば、恵果より空海は「真言秘密の教えは経典とか注釈書には明らかには述べられていないので、図像を使わなければ伝えることができない」と告げられたそうです。もしかしたら今の真言密教は日本文化と融合して変わっているかもしれませんね(想像)。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月22日 15時38分

    空海と最澄の関係についてなんですが、
    司馬遼太郎さんの「空海の風景」は面白かったです。
     
    一緒に唐に渡りながら、「最新の仏教である」「密教」を学んできた空海に対し、「日本では最新だけど」「唐では古臭くなってしまった」「天台宗」しか学んでこなかった最澄は、「密教を私にも教えてください」とお願いした・・・と書いてあります。
     
    司馬氏は、「最澄は素直な人柄だったらしい」と述べておられますが、
    空海は「素直な最澄」に対して、かなり嫌味なことをします。
    つまり、ぺーぺーの修行僧と一緒に最澄を教えるんですね(~_~)
     
    でも最澄は、その嫌がらせに全然気づかない。
    空海は、「いつになったら、イライラして、怒り出すだろう?」と思ってるのに、最澄はけろりとしてる(笑)
     
    よく、空海は天才で、最澄は秀才だ、なんて話しがありますが、最澄の人柄は「天才的」といっていいほど、よいものだったのかもしれないですね(#^.^#)
  • 基本的に 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月22日 19時52分

    天才肌の嫌いな私は空海よりも最澄のほうが好きだったりします。
    肝心かなめのところで「本は貸さないよーん」といわれた最澄の悔しさを思うと・・・・・。
  • 天才だろうが秀才だろうが 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月23日 19時39分

    私より優れていることは間違いないのですが(~_~)
    努力が嫌いな私は、「努力する人」よりも、「努力しないでなんとかなってる人」の方が、楽そうで羨ましい気はします(^^ゞ
     
    まぁ、「1%のひらめきと、99%の汗」が大発明を生むとかなんとかそういう話ですから、努力しないわけにゃぁいかんのでしょうけどね(~_~)
  • **ヽ▼o・ェ・o▼ノ** ピカチューー 投稿者:セラフィム 投稿日:11月24日 09時15分

    見ない間にカキコして頂いてますね。有難う御座います!えーと、まずは質問の答えなんですが、修行の目的は一応大雑把にひょっこりと教えて頂けます。ただ、これをすれば、こんな効果がある、みたいな説明は無いですね。修験道はある程度宗派に分かれています。真言宗系は「当山派」といいますし、天台宗系は「本山派」と言います。御嶽山なんかは神道系の修験です。因みに本山系の山伏衣装の方がカッコイイです。
    最澄と空海で盛り上がってますね・笑。お二人とも私よりうんと先を行ってらっしゃるので、とやかく言えないのですが。あえて言いますと、最澄は細かくて律儀な性格、空海は大雑把でいい加減な性格、だったと思うんです。まぁ、正反対な性格だからケンカ別れしても仕方が無いでしょうね。ただ、空海は挫折したりして苦労している分、「たぬき親父」だったと思いますよ。だから、「ワシの弟子になったら、本貸したるでー」といったのだと思います。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月24日 16時44分

    セラフィムさんは、「当山派」なんですね。
    しかし、かっこいい山伏衣装ってのを見てみたい気もします(笑)
     
    それにしても「当山」と「本山」ってのが面白いですね。
    両方とも、「うちの山」という意味に受け取れる言葉なんですが・・・。
     
    空海と最澄を比べると、「エピソード」という点では、空海の方が断然多いですよね。
     
    性格の違いはわかりませんが、空海の方が、
    「山師」
    的な要素は強かったんじゃないかと・・・(^^ゞ
  • 空海と最澄(1) 投稿者:なにがし 投稿日:11月24日 22時40分

    偉大なお二人ですがそんな人だったかは私は詳しくないので分かりませんが、最澄は忙しいあまり密教を学ぶのに本だけでしようとした部分があったとおもいます。その原因は朝廷関係の公務にあったんじゃないでしょうか。でも、最澄は密教の基本である「真言秘密の教えは経典とか注釈書には明らかには述べられていない」を理解していても実行できなかったんじゃないでしょうか。
  • 空海と最澄(2) 投稿者:なにがし 投稿日:11月24日 22時50分

    私が空海なら、密教の真髄になればなるほど口伝、修行が大切になってくるのに、それができない状態で、つぎの段階に進めないと判断します。だから大事な、それも解釈を間違えば違う方向にいく理趣経はかせなかったのではないでしょうか。違う方向からみれば最澄はその段階まできていたとも言えます。ただ最澄には修行する時間がなかった。空海の弟子になる時間もなかった。真言密教は本では理解できないから弟子になるしかないんです。
  • 空海と最澄(3) 投稿者:なにがし 投稿日:11月24日 23時08分

    最澄は非常に勉強熱心です。その伝統は比叡山に継承されていきます。最澄は多分すべての仏教を学び日本1の仏教家になりたかったんじゃないでしょうか。そして、極めたかったんじゃないでしょうか。
    最澄が広く浅くであれば、空海は狭く深くなんだと思います。
    昔聞いたことがありますが、法然や親鸞にみられる他力本願の仏教は日本独特だそうです。確かに仏教は基本的には自力本願だと私も思います。自分を律して、どう生きていくかです。しかし、他力本願は農民など修行できない人々を救ってもきました。どちらが悪い、よいという話をしているのではなく、時代によって進化してきていると言うことです。
    空海も最澄も目標は同じだったと思いますが、最澄が真言密教を極めるにはあまりにも時間がなかったんだと思います。
     
    もしかしたら、空海と親戚かもしれないなにがしでした。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月25日 16時02分

    空海と血縁関係があるかもしれないんですね。
    羨ましいです(#^.^#)
     
    密かに、「阿部晴明」の次に来るのは、「空海」だと思ってるんです(~_~)
    誰か、空海を美形にして漫画化してくださらないでしょうか。
     
    さて。
    確かに、最澄は忙しかったのかもしれませんね。
     
    ・・・これは、素人の考えですが・・・。
    本当に、最澄が、すべての仏教を学ぼうとしてたのならば、それはかなり無茶だったような気がします(~_~)
     
    仏教にしてもキリスト教にしても、その他の宗教にしてもそうですが、その宗教が生まれた「背景」がありますよね。
    例えば、インドに、「カースト」がなければ、仏教は生まれてなかったと思います。
    しかし、お釈迦様の時代にカーストは存在し、仏教が生まれた。
    そして、その教えは、いろんな国に輸出され、その国独特の教えが生まれた。
     
    「歎異抄」に、
    「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
    という有名な一句がありますよね。
     
    これは、ムチャクチャ「大乗仏教」的な考え方だと思います。
     
    でも、クリスチャンであるはずの、遠藤周作氏の作品は、この
    「いわんや悪人をや」
    の精神が溢れている気がします(とはいえ、私は氏のエッセーを読んで、「この人、ニセモノかも」と思った覚えが何度かありますんで、遠藤周作氏に傾倒するつもりはないっす)。
     
    宗教的なものと、「土壌」が、「教え」の本質を支える部分は大きいと思うんですよ。
     
    そういう意味では・・・。
    最澄が、最澄の立場で理解できる仏教以外も学ぼうとしたのならば、
    「そんなムチャな!!」
    というような気がします(^^ゞ
     
    それよりは、「素直な最澄は、真言宗を『すごい』と思ったので、教えて欲しかった」と理解する方が、私的にはしっくりくるかも。
     
    でも、正解は、最澄にしか、わからないんですけどね(~_~)
  • 空海と最澄 投稿者:セラフィム 投稿日:11月25日 21時05分

     そうそう、最澄さんは、真言密教にかなり憧れていたんだと思いますよ。だから、自分の弟子を空海の元へ送り勉強させていましたしね。で、このお弟子さんは、お師匠さんである最澄の元を去って、真言宗に改宗してしまうんです。これに最澄さんは激怒されるんですね。ここが空海さんの大雑把でいい加減なところなんですね。「師匠を変えさしたら、最澄さんに失礼になるなぁ」と考えずに「ワシに付いて行きたい!?かまへんよー」と二つ返事してしまうんです。空海さんを南無大師遍照金剛っていうでしょ?あれは、「お大師さんに付いて行きます〜。」という意味なんですよ。で、お大師さんも「ええよー、ついておいでー。」という人柄だったんですね。
  • 当山派と本山派 投稿者:セラフィム 投稿日:11月25日 21時07分

    さすが、のりちゃんさんっ!歴史のポイントを押さえていらっしゃいますねー。そうなんです、当山派も本山派も「大峰山」を巡って争っていたんですよ。しかも、天台系の本山派は比叡山派と三井寺派とに別れて対立していましたから、実質上「大峰山」を巡って三つ巴の争いをしていたようです。犬鳴山は葛城山系で修行していましたので、この争いはカヤの外だったようです。一応、犬鳴山は真言宗だということで、当山派の衣装です。でも、当山派では無いようです。看板にも「葛城修験根本道場犬鳴山」となっていますので、別のようですね。
  • 最澄と空海か 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月25日 21時28分

    口伝でなくても教えられないと言うと、どっちかってぇと
    道教に近く感じる話なんですよねぇ。
    何となく道教と仏教って、最終的に目指す所が近い感じが
    するんですが、道教は書いて字の如く、最終地点に行く
    までの「道のり」を示してるとでも言うか。
     
    その延長線で言うと、パッと知りたがる者は一番厄介、
    というのは何となく頷けるのですが、逸話だけだと最澄、
    可愛そうだなぁ、といつも思います(笑)。
     
    ところで弟子を取られた最澄はそれを怒ったのかな?
    (何となく「弟子がそそられるのなら面白そう」
    とか思っちゃうオッサンって気もする:笑)
  • 間違え 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月25日 21時30分

    すいません。
    口伝でなくて「は」教えられない
     
    の誤りです(^^ゞ。

 

はじめまして 投稿者:三寛 投稿日:11月23日 22時42分

はじめまして
神社占いをしたところ、道明寺天満宮でした。
ここは、毎年初詣に行く、神社なのでビックリでした。やっぱり、なにか、御縁が、あったのでしょうか?
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月24日 16時48分

    「神社占い」をしてくださったのですね(#^.^#)
    ありがとうございます。
     
    種明しをしますと、この占いは、質問により、ある程度の神社に絞り込まれますが、最終的にどの神社に行き当たるか、は、cgiにより「ランダム」に決められます。
     
    つまり、まさに、
    「どれにしようかな 神様の 言う通り」
    状態なんです(~_~)
     
    私に「ご縁」のことはわかりませんけれど、600以上ある、当サイトの神社の中から、道明寺天満宮に行き当たったというのは、単なる偶然じゃない、とも思います。
     
    ステキなご縁を楽しんでくださいねm(__)m

 

はじめまして 投稿者:孝霊天皇 投稿日:11月22日 23時04分

最近鏡作や大神神社に知らないうちに参りに行ってしまいます。仏滅にはいかないほうがいい。悪い霊に憑かれてる人がいます。霊感強くて声が変わるときあります。やはり日本は神の国です。
  • はじめまして 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月23日 19時45分

    神社に、無意識に参拝されてるんですね。
    私は、歩いて15分以内の場所に、かなりの数の式内社がある地域に住んでます。
    ので、結構知らないうちに、由緒ある神社に辿り着いてしまいます(~_~)
     
    神社とよいご縁を結んでくださいね。

 

新スレ あなたは霊を見たか?! 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 16時35分

いや、見たくないんですけどね(^^ゞ
 
>こたつ様
 
「溜め込む前に口に出すことをしない」
という考え方は、
「日本人の微笑」
にも出ていますね。
 
自分の不幸を、微笑を持って人に話す日本人。
ハーンは、同じ小文の中で、老武士が誇りを傷つけた主人に対して、一言も文句を言わずに切腹した話を載せてます。
 
もちろん、ハーンはそれを、「死ぬよりも、口に出して文句を言うべきだ」と、非難しているわけじゃなく、「控えめな態度と、強い誇り」を賞賛してるようなのですが。
 
それを考えると、ハーンが最初、
「生霊になるほど思いつめてしまった女性」を庇うのはよくわかりますよね。
 
でも、面白いのは、「同じ日本人」が、
「溜め込むからいけないんだ」
と言うのをまた納得するところ(#^.^#)
 
最初の老武士や、自分の悲しみを微笑で話す婦人の心に秘められていたのは、「恨み」じゃなくて、「悲しみ」。
生霊になった女性が秘めていたものは、「恨み」。
 
「悲しみ」は攻撃にならないけど、「恨み」は攻撃になるから・・・と説明されたら、素直に「なるほど」と思ってしまいそうです。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 16時37分

    そうですか、「大丈夫」と思うことですか(笑)
    そ〜れができれば、悩まない〜〜♪
    ですけど〜〜〜(T_T)
     
    私も大概のことは「なんとかなるさ〜」と思って忘れちゃうタチなんですが、幽霊だけは、それができませぬのです(^^ゞ
  • 浦島太郎 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月18日 20時30分

    ↑をハーンが愛した事を妻のセツは証言してますが、
    ハーンの記述では、この伝説がいかに忘れがたいかが
    強調され、しかも驚かれてます(笑)。
     
    すなわち「浦島太郎の嘆きばかりが強調されるが、なぜ
    その後の乙姫の嘆きについては書かれてないのか」と。
     
    『東の国から』に載る作品には、日本と西洋の女性観の
    違いがアチコチで書かれてますが、このトップに書かれた
    『夏の日の夢』には、まさにその最初の疑問らしきこの
    問いが登場するのです(笑)。
     
    すなわち神との約束を破って玉手箱を開けた上、彼ばかり
    同情され神にまで祀られた不思議について(笑)。
     
    西洋では一度でも神にそむくと、永遠に生き長らえて苦し
    み続けなくてはならない(プロテウスやアトラスの事で
    しょうかね)。その上……。
    「都合のいい時に安楽往生するなどということは、我々
    西洋人には許されていないことである。ましてや、死んだ
    あとで、のちの世の人から神として祀られるなんて事は、
    とうてい思いもよらないことだ」
    と来るのです(笑)。
     
    それでも尚且つ長い時間を語られて来た、そのこと自体に
    何かヒントがあると締め括り、「この同情は恐らく自分へ
    の同情だろう」と(笑)。
     
    これを読んだ時は何が言いたいのかよく判らなかったの
    ですが、戦死に臨んでアッケラカンとしてる日本青年の
    様子にこの時の問いの答に相当しそうな物が出て来ます。
    (『願望成就』という作品です)
     
    青年は死ねることを「千載一遇のチャンス」と喜び、自分
    の写真をハーンに渡して戦地に赴くのです。
    「死んだ者は自分を慕ってくれる者が必要なのです」と
    言い残し……要するに「供養してくれ」と押し付けるわけ
    ですね(笑)。
     
    西洋では子がいる親は死ぬ事を躊躇うが、日本では子が
    出来ないで死ぬ事を嘆く、と言うんです。これも子が供養
    してくれると思えば死ねるって事ですね(笑)。
  • 私が感じる霊 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月18日 21時27分

    悪いこともないので悪いのには当たってないと思うのですが。
    風もなく静かな室内で「ブルッ」ときたらまずいるみたいです。
    お風呂で髪を洗っている時のあれとも違う感じです。本当にスーっと涼しくなります。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 16時51分

    確かに、浦島太郎は、自分勝手に玉手箱を開けて、勝手に極楽往生して、しかも神様になったわけですよね。
     
    しかし、目を転じてみれば、乙姫様が、太郎に玉手箱を預けたことに何か意味はあるのじゃないか、と思えてきます。
     
    「開けてはいけないもの」ならば、渡さなきゃいいじゃにの、と。
    それを敢えて渡す乙姫の気持ちを考えると、そこに何か裏があるんじゃないか、と(笑)
     
    太郎が故郷へ帰りたいと言った時、風土記では、乙姫はこう嘆いてます。
    「私と永遠の契りを約束したのに、両親を恋しがるのですか?」
     
    そして、故郷へ帰すと約束し、玉手箱を手渡します。
    でも、乙姫はこの時分かってたはずなんですよ。
    太郎の両親はとっくに他界してるってこと。
     
    それを隠して、玉手箱を手渡す。
     
    こりゃ〜、いけずぅにすぎませんかねぇ?
     
    確かに、ギリシャの神々も、ちょっとしたことで機嫌を損ねて、天空を支えさせたり、ハゲタカに内臓をむしらせたりさせてますから、乙姫もそうなのかもしれませんが・・・。
     
    なんとなくそうではない気もします。
     
    なぜならば、浦島太郎にはいろんな異本があるけども、その中に、太郎は煙を浴びておじいさんになり、その後鶴になった。
    乙姫は亀になって、夫婦で長寿の神とされた・・・てなのがあるからです。
     
    つまり、太郎は、竜宮にいる限りは、「ただの人が仙界の女房を娶った」というだけなのですが、一度玉手箱を開けることにより、神に進化するわけです。
     
    つまり、玉手箱は、「通過儀礼」ではなかろか、と。
     
    そして、ヘルンさんが看破しているように、日本人は、「死」さえも、「通過儀礼」と考えてたのかもしれないですね。
    「神」上がるための。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 16時52分

    スーっと涼しくなる?
    ・・・・・・。
    経験ないです(~_~)
     
    こんなに鈍感なのに、こんなに鈍感なのに、怖いという。
    こんな私に怖がられて、霊もさぞかし迷惑だろうなぁ(^^ゞ
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月19日 19時05分

    >こりゃ〜、いけずぅにすぎませんかねぇ?
     
    言われてみれば確かに(笑)。
    これ、ヘルンさん(八雲)の生前に言ってみたかったです
    ね〜。なんて答えるか聞いてみたい。(どなたか降霊して
    下さいませんか?:笑)
     
    神々がちょっとした事で機嫌を損ねるについては、ヘブライ
    思想だとヘルンさんは言ってました。
     
    神が人間を試すために試練を与え、宿題を片付けるために
    何かを犠牲にする。その犠牲の選択の仕方で、九州では
    学生達に猛反発を受け(笑)、息子には「ヒドイ神様だ、
    スサノオの方がいい!」となじられる。
     
    なのに自分一人がスサノオの読んだ句から名を頂戴する。
    その結果、世の中の神社の多くは彼の名を刻んでいるわけ
    で、ヘルンさん、アナタ、浦島を非難できないよ(笑)。
     
    (もっとも八雲の名にしたのは、浦島への疑問を書いた
    時より後ですが:笑)
  • こんばんは 投稿者:セラフィム 投稿日:11月19日 22時16分

    (*≧∇≦)ノこんばんわぁ♪。霊ですか〜?私は見たことは無いですねー。チャイニーズゴーストストーリーに出てくるような幽霊はちょっと逢って見たい気もしますが(;^_^A アセアセ。幽霊を見れるようになる方法、っていうものを知っていますが、試そうとは思いませんね・笑。
     浦島太郎で盛り上がってますねー。思うんですが、こうした神様からの「今の幸せを大切にしたければ、こんなことしちゃだめですよ。」という条件提示って昔話に多いですよね。「鶴の恩返し」なんかにもありますよね。これって、「神様からの贈り物を断るとそのしっぺ返しは結構大きいよ」っていう意味じゃないでしょうか?そんな気がしました。
  • 鶴の恩返しといえば 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月19日 23時02分

    あれは鶴じゃなくってコオノトリらしいですよ。
    本当ならまた絵本は嘘を書いているってな話ですな。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時21分

    ご機嫌を損ねる神様ってのにもいろいろありますよね。
     
    ギリシャ神話の神様や、日本神話の神様は、ご機嫌損ねても、「みんなのこと困らせてやる〜〜」ってな感じじゃありません?
    天照大神の岩戸隠れも、太陽が隠れちゃぁみんなは困るんだけど、当の天照大神はどっちかというと、「拗ねちゃった」って感じに近いような気がします。
    ヘラの嫉妬も、強烈だけど、何か人間的ですよね。
     
    でも、ヘブライの神様・・・エホバのことになるんでしょうか・・・は、町ごと滅ぼしちゃったりして、なんか、こう・・・、人間味が薄いような(^^ゞ
     
    言われてみれば、ヘルンさん、自分の名前を冠した神社が全国にあることをご存知だったんでしょうかね(笑)
     
    東京に住んでたんですから、多分、気づいてはいたんじゃないか、と想像します(神田明神の付近に2社もあったんですもんね(#^.^#))。気づいた時のヘルンさんの動揺を想像するとちょっと面白い(~_~)
     
    でも、ヘルンさんが、浦島よりも乙姫に同情したのは、節に対しての思いがあったのかもしれないですね。
     
    異郷にきて妻を娶り、故郷に帰ろうとした浦島と、家族を大切に思い、異郷に住み着いたヘルンさんと。
     
    なんとなく、ヘルンさんの浦島への思いは、ただ非難だけでなく、何か共感のようなものもあったのじゃないか、と想像してしまいますが、そんなこと言ったら、ヘルンさんに怒られちゃうかなぁ(^^ゞ
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時25分

    昔ね、「幽霊を見ることができるようになる修行」ってのが、子供向けの怪談本に載ってたんです。
     
    まず、真っ暗な部屋に入り、磁石を天井から吊るす、そして、片目をつぶり、じ〜〜〜っと磁石を見詰める。
     
    すると、何かもやもや〜〜〜っとしたものが見えるようになる。これで、幽霊が見えるようになりました。
     
    っていうものです。
     
    今、幽霊は「電磁波」の影響で脳に描かれる架空の像である・・・なんて話になってますけど、これって、そんなに昔からのことじゃないですよね?
    考えてみたらこの本は、それよりずっと前に、「幽霊」と「電磁波」の関係を看破してたわけですねぇ。
     
    ちなみに私は、「何か見えたような気がした」と思ったのですが(この頃は、まだ幽霊を見てみたいという気があったんですね(^^ゞ)、冷静に考えたら、片目で暗がりを凝視し続けたことによる、「疲れ目」だったみたいでした(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時31分

    へぇ〜〜。
    コウノトリですか。
    ってことは、何かそのモデルになるような話とか昔話がどっかに伝わってるんでしょうね。
     
    想像ですが、「コウノトリ」って発音しにくいじゃないですか?子供には(笑)
    それで、「ツル」になったんじゃないか・・・と(^^ゞ
     
    どうでしょう?
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月20日 22時22分

    チャイニーズゴーストストーリーは、所々笑えるけど、
    ホント一筋に美しい話ですよねぇ。最後ちょっと泣けます。
     
    で、浦島太郎って私は知らなかったのですが、書記に
    ハッキリ時代が載ってるんですね(^^;)。
    雄略天皇22年に居なくなったって記述があって、淳和天皇
    の天長2年に帰って来たって。
    (「日本の良さを海外の人に教えられる」ではなくて、
    日本の書物の記述まで教えて貰ってる私:汗)
     
    あと、これは八雲が書いてる事じゃないのですが、
    「苛められてたカメを助けた御礼」や、「玉手箱を開けた
    らただ年を取る」とかは、かなりの後付だそうです(^^;)。
     
    原典は八雲も言う通り、年を取るってより、安楽往生した
    わけで、平安期だったかには、貴族の間で快楽小説として
    持て囃されたって話も聞きましたし、のりちゃんの言って
    おられる通り、極楽往生だけでは足りず、二人して鶴と亀
    になってあの世で結ばれるってなエンディングもある。
     
    何しろマジでひたすら浦島に都合の良い話に違いは無い
    です(笑)。それじゃ子供に語れないんで、いろいろな
    教訓が付加されたのでしょう。
     
    あと八雲の名については(スサノオについても)、あちこ
    ちの神社の紹介をする中で、当然のように八雲の名のある
    神社が出て来て、その説明すらしてますから、「ワタシ
    知らなかったデス、神様怒る、心配」とか言っても、
    それは通らないです(^^;)。>ヘルンさん
     
    乙姫への同情は、セツへの同情とともに、自分の母親への
    哀憐もあるんでしょうね〜(八雲の母は夫の国に連れて
    行かれて苦労したあげく離婚した人なので)。
  • あなたが……蜘蛛だったのですね 投稿者:那青 投稿日:11月21日 01時31分

    ひとつ上のこたつ城主さんのレスに、
    偶然「乙姫」と「哀憐」と云う知り合い2人のハンドルが見てとれたので、
    このスレにも書き込んでみます。
     
    前出の哀憐さんの話ですが、
    今年21になる彼女は、
    幼少の頃から奇妙なモノが結構見えていたそうです。
     
    暗い部屋などに行くと、
    小人さん達がパレードしている姿が見えたようで、
    当時の彼女は相当怖かったそうです。
    (場違いなレスを書いたかも知れませんが、御容赦願います)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 15時04分

    そうなんです。日本書紀に載ってるんです。
    それよりすこ〜し時代は下りますが、風土記(とはいっても丹後国風土記は現存していないので、風土記逸文ですが)には、かなり詳しい内容が記載されています。
     
    これによると、カメはいじめられたわけではなく、釣り上げられたことになっています。
    そして、そのカメが乙姫様(風土記では、亀姫となってますが)に変身するんです。
    玉手箱という名称は出てきませんが、「玉くしげ」は登場して、それをあけるとおじいさんになる、というくだりも出てきます。
     
    ヘルンさん、八雲神社の存在は知ってたんですね(笑)
    でも、「自分の名前を冠した神社」という認識はなかったのかもしれません。
    「自分が名前を頂いた、スサノオの神様のお社」と。
     
    で、乙姫への思いですが・・・。
    そう、考えてみたら、やはり縁の深い女性・・・名前が出てこない(^^ゞ
    えぇっと、新聞社の同僚の女性ですね。
    彼女も、海を越えて行ってしまったんでしたね。
     
    ヘルンさんにとっては、海を越えた向こうの国は、大事な女性が行ってしまった彼方なのかも。
    そして、だからこそ、セツや家族からは離れず、帰化したのかもしれませんね。
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 15時08分

    絡新婦の理?
     
    なんか、偶然ですね。
    こないだ読んだところです。
    犯人はかなり前からわかってたんですが、最後まで読んでも、肝心の「動機」がイマイチよくわかりませんでした(笑)
    鈍すぎでしょうか?
     
    さて、お友達の哀憐さんのお話ですが、その方が御覧になったのは、「霊」なんでしょうか?
     
    小さな小人・・・なんていうと、「妖精」を思い浮かべますね(笑)
     
    同じ「この世のものではないもの」でも、妖精だとなると、途端にロマンティックになるから不思議です(笑)
     
    ただしケルトでは、妖精も霊と同じく、人間にとっては恐ろしいもののようですが・・・。
  • エリザベス・ビスランド 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月22日 03時22分

    ですね(笑)。後のウィットモア夫人。
     
    「日本の面影」の脚本、山田太一氏は「八雲」は
    「ハウン」と読める。つまり「ハーン」だからと解釈して
    ましたね。小泉の名跡を継ぎ、次男にはセツの養父母の
    稲垣姓を継がせながら、ハーンの名は消えてしまいます
    からね(^^ゞ。唯一残るべき「呼び名」でさえ「ヘルン」
    等と役人に間違って書かれましたから(笑)。
     
    で、勢い「後付け」に加えてしまいましたが、年を取る
    シーンは「夏の日の夢」にも克明に描写されてました。
    ただ我々が童話に紹介された教訓物には、安楽往生が
    抜かれてたと思います。
     
    ヘルンさんに「そう簡単に死ぬワケに行かない」と書かれ
    た事を、案外後の人が気にしたのかな?(笑)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月22日 15時32分

    そういえば、「ヘルン文庫」なんてのが存在しますよね。
    決して「ハーン文庫」じゃないとこがミソでしょうか(笑)
     
    ただ、「ハーン」というのは、ヘルンさんの先祖からの名前ですが、「ヘルン」というのは、もう、ヘルンさん個人だけを指した名前になると思います。
    どちらが後世に残ることが、本人には嬉しいかなぁ、と思えば、後者かな?と。
     
    だって、ヘルンさん、母親に対しての愛情は感じられても、父親に対して・・・は、あまり・・・・・。
     
    どうでしょうね(^^ゞ
     
    「夏の日の夢」に出てくる童話ってのが、「浦島太郎」ですか?
    そこでは、安楽往生も描かれてるんですね。
     
    確かに、子供の童話には、そういう描写は抜かれてますね。
     
    でも、こないだ本屋で手に取った「カチカチ山」には、しっかり「ばば汁」って名称が出てきました。
    ・・・勇気有るかも(笑)
  • 妖精眼 投稿者:那青 投稿日:11月22日 23時03分

    >のりちゃん
    彼女の見ていたモノは妖精でしょうね。
    幽霊の見える人と妖精の見える人と云うのは、
    少し脳の構造が違うみたいですね。
    (じゃあ自分が見ているモノは何か?と云う疑問が残りますが……)
     
    >こたつ城主さん
    >これですか?
     
    そうですね。
    少し前に某ちゃんねるに叩かれたらしくて、
    現在は開店休業中の様なモノですが。
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月23日 19時44分

    脳の構造ですか。
    私はどっちも見ないのですが、「どっちも見ない脳」ってのもあるんでしょうね(笑)
     
    妖精も幽霊も見たことはありませんが、「蜃気楼」も「オーロラ」も同じく見たことはありません。
     
    これはきっとその場面になれば、私の脳でも見られると思うので、是非、いつか見たいと思ってます(#^.^#)

 

「大甕倭文神社」 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月17日 19時34分

↑拝見しました〜。
これ実は、ちょっと楽しみにしてたりして(#^.^#)。
 
いつもは説明文の所、ちょっと読み飛ばしちゃったりする
時があるのですが、これはかなりジックリ読みました。
 
何か……神社の文の割に、わかりやすいような(゚.゚)?
(頭から読んでいくとスラスラと判るのですが、これは
私が関東人で少しは馴染みでもあるからかしら?)
 
でも質問(笑)。
 
香取・鹿嶋の2人の神様ってのと、武葉槌命・武甕槌命は
違うペアなんですか?
 
あと、のりちゃんの最後の問い掛けですが、私は何となく
こんな感じに捉えました。
 
武葉槌命は、製塩と織物の技術を伝えた人でしょう?
一方カカセオは、前もちょっとここで話したけど、やはり
「アラレ降る」に相当するアイヌ語からして、私は自然を
祀った神の名か何かじゃないかと思えて来ました。
 
自然は克服しないと産業のタシにはならないから、それで
「人間によって征伐された」事になったんじゃないかしら。
ヒントはやはり神社の方の「それでも何度か祟った」で
そう感じました。
 
つまり人工の力をもってしても、どうしても災害(寒害じゃ
ないかな)は来るのだけど、何度も何度もそれを克服すべく
頑張ったので、人として尊敬されたのが武葉槌命で、
それを取り巻く大きな自然を崇拝する信仰形式は相変わらず
残ったので、その象徴としてカカセオ。
 
違うかなぁ?
  • 香取・鹿島の神様は、 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月18日 16時45分

    それぞれ、経津主(イワヒヌシ)神・武甕槌神です。
    一般的に、国土平定の神様というと、この二人の神様の名前が出てくると思います。
     
    でも、栞では、経津主神の名前は、最初出てこないんですよね。
    なんでかなぁ。
     
    武甕槌(タケミカヅチ)神、武葉槌(タケハヅチ)神の名前は似てますよね。
    もともとは、この二神が何か、対照的な対だった可能性はあると思います。
     
    で、カカセオ寒害説。
    それを唱えている方もおられると思います。
    自然現象を「神」と見た日本人ならば、それも十分ありえる話ですよね。
     
    ただ、カカセオの伝説(岩に変じた・高天原からの両雄を撃退した)を見ると、なんとなく人間の血が通った伝説なような気がするんです。
     
    何かの比喩じゃあないような。
     
    でも、「何度か祟った」というのが、「それでも寒害が続いた」という意味、という考え方は、目からウロコかも。
    祟り=御霊という考えに固まってるからかなぁ。
     
    新しい発想をもらっちゃいました(#^.^#)
  • 香取の神様は 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月18日 20時47分

    ↑経津主(イワヒヌシ)神というのですか(゚.゚)。
    出て来ませんね〜。「イワ」は「岩」かしら?
     
    新しい支配者がやって来ると、ゴタゴタは当然あったので
    はないでしょうかね。一種の右翼とでも言うか、ヨソ者へ
    の警戒心ぐらいは少なくてもあったと思います。
     
    だから塩や織物の作り方と交換でちょっと靡く、と(笑)。
     
    しかしアラレなんか降って、作物や塩田(かな?)に被害
    をもたらすと……
    「ヌシ、この始末、どないしてくれるんやぁ〜!」
    「ワテらは、しゃらくさい塩作りだののお陰で、他の作物
    は作っとらへんのやで〜〜」(なぜに関西弁?)
     
    「ひぃぃ〜! 何とかします、故郷で聞いた天災封じは、
    え〜と」
     
    「しゃらくさいわ! この岩で封じこめたる!」
    ドッス〜〜ン!
     
    「ワ〜、パチパチ。スゴイスゴイ(何しろ誉めとかないと)」
     
    一方、都への報告にはこう書くワケです。
    「野蛮人どもは私が全部征服しましたです、はい(^_^A)」
  • イワヒヌシは 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月19日 16時42分

    「祝い主」と解されることが多いと思います。
    まぁいってみれば、「神主」とか神に仕える職種ですかね。
     
    ので、タケミカヅチの神様が武力で、フツヌシ(イワヒヌシ)の神様が呪術で国土を平定した、なぁんて解釈もあるようですが、実際んとこどうでしょうね?
     
    さてさて、「征服・実はやっと受け入れてもらえただけ説」に、一票。
     
    いやまぁ、このカガセオとタケハヅチの争いがそれだ、と決めるわけじゃないんだけど、そういう話のすり替えは、ありがちな気がします(^^ゞ
    特に、古代においては、
    「征服しました」
    という知らせを受けた大和朝廷が、「そんじゃ調べに行くべか」と思っても、そうそう簡単に、茨城まで確認に行くことはできなかったでしょうからね。
     
    「言ったもん勝ち」
    ってのはあったのじゃないか、と(笑)
     
    ・・・ってことを踏まえまして、こほん。
     
    ワタクシがこの間、蓮の上に座っておりましたらば、池の下に、カンダタという男が見えましたの。
    それで、蜘蛛の糸垂らしてやりましたのよ、ほ〜〜ほほほほほ。
    ・・・なんのこっちゃ(^^ゞ
  • おおっ、祝い主! 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月19日 18時50分

    ↑言われて気が付くな、ってほど簡単な答でした〜(^^ゞ。
     
    で、今思い出したんだけど、私が前によく行ってた長野の
    松代に「祝神社」ってトコがあって、土地の人に「イワイ
    神社はどこですか?」って聞くと(地図には漢字しか書い
    てない)、「ああ、〇〇〇ね」と答えるのが、私の読みと
    だいぶ違うんです(^_^;)。
     
    長い間「??」と思ってて、若干は方言調の発音も混じっ
    てるんで、いつも聞き取れず、地元の人に改めて
    「スイマセン、あれ、イワイじゃないんですか?」と聞く
    と、いかにも恐縮して「イワイでもいいんですよ」と
    答えるのです(汗)。ええみんなが。。。
     
    いやっ、そうじゃなくて、私はちゃんと平仮名になった
    字を見たいのであって……と頑張った所(笑)、「ハフリ」
    と書くのだと教わりました。「ホウリ」と発音します。
     
    長々と何を言おうとしてるかと言うと、「祝」を「イワイ」
    と読むのは「岩」と関係あるのかな、という事(^^ゞ。
     
    戦況報告を偽るってのは、マジで歴史が古いのかも(笑)。
    いや、もしかして日本の伝統とすら言える気がする。
    秀吉の大陸征伐にその一端が窺える(笑)。
  • 祝うの語源 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時13分

    どうなんでしょうねぇ?
    ただ、香取神宮によれば、「イワヒヌシ」は「伊波比主命」と書きます。つまり、正しくは、「イハヒヌシ」なわけですよね。
    岩は・・・「イワ」と表記するんじゃないでしょうか?
    ここらへんは、万葉カナとかに詳しい人に聞かないとよくわかりませんが、「イワ」と「イワヒ」とは、語感が違うよ〜な気もします。
     
    ただ、祝いが「岩」と関係あるという指摘は、面白いです。
    天の岩戸騒ぎも、はたから見たら、岩の前で大騒ぎして祝ってるように見えるでしょうし・・・。
    それが「太陽復活」の意味を持ってるなんてのは、まさに、「岩」と「祝い」の関連を感じさせますよね。
     
    で、「ハフリ」ですが、「祝(はふり)」という役職があるんですよ。
    ご祭神は誰でしょう?
     
    有名な祝さんがいらっしゃったのでしょうか?
  • で 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月20日 14時14分

    >秀吉の大陸征伐
     
    そのもっと以前に、
    「神功皇后の三韓征伐とミマナ支配」
    なんてのがあります(^^ゞ
  • 祝神社は 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月20日 21時51分


    http://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/jinjya/j_iwai.html
     
    ここのようです。
    しかし中には稲荷社も地鎮社(松代群発地震かと)も、
    あと大黒恵比寿も祀ってるんですよ(゚.゚)。
     
    松代は寺社の類が異常に多い町ですが、中でもここは
    町の中心部のせいか、二年参りにアチコチの寺社に行った
    最後、締め括りに寄ると、焚き火を焚いて最後まで賑わって
    いるので、ここであったまって宿に帰るんです。
     
    すると、大黒と恵比寿の絵の描かれた薄紙をくれます。
    それを枕の下に入れて初夢に備えるのです(^^)。
     
    岩については、石を「イワ」と読ませたりしますよね。
    長い時間保つ事を祈って「祝う」だったのかな〜〜?
     
    >「神功皇后の三韓征伐とミマナ支配」
     
    その時代から偽報告?!(その頃のは流石に知らないです(^^ゞ)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月21日 14時49分

    祝神社のサイト、拝見しました。
    お諏訪の神様を祀ってるんですね。
     
    それで、「祝」。
    どういう「祝」だろう・・・と、ちょっと不思議な感じです。
     
    二年参りの締めくくりを勤める神社なんですね。
     
    私は、毎年奈良の神社に二年参りをするのですが、今年、二上神社で締めくくりの参拝をしたら、日本酒飲み放題でした。
    来年も、そこへ行こうと思います。
     
    「岩」は、昔は、岩を依り代にしてた話もありますね。
    言われるまで考えたこともなかったけど、「祝い」という音と「岩」。
    何かあるかもしれません。
     
    こういう発想って、どっぷり浸かってると案外出てこないんですよね。感謝です(#^.^#)
     
    で、ミマナ支配ですが、教科書問題でいつももめる話題じゃないでしょうか。
    ミマナって、朝鮮半島にあったとされてるんですよ。
    今では、「日本によるミマナ支配はなかった」という考え方の方が主流かもしれません。
     
    ただ、秀吉の場合と違うのは、「ミマナ支配があった」と言い張ったのは、「征伐にいった神功皇后本人」ではなく、後世の大和朝廷だってことでしょうか(笑)
    神功皇后は、「私そんなこと言ってないも〜〜〜ん(T_T)」
    って思ってるかもしれません(笑)
  • いやいや(^^ゞ 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月22日 03時05分

    ↑2年参りの締め括りに決めてるのは私らだけで、
    地元のご老人や若い子なりに、「この順序で廻るのが幸運」
    とかいうのがあるようですよ(笑)。
     
    それと、どこの寺でおでんを食って、喉が渇くから、どこ
    の神社でお神酒を飲んで、どこどこの景品は荷物になる
    から最後の方に廻すとか、廻り方が毎年変化するし、
    寺社の方でも廻ってくる人々の道順を見て、「じゃウチは
    今年はコレだ」とか……(笑)。
     
    教科書問題で揉めてるのはコレでしたかっ!!(^^;)
    この事になると、毎度物凄く大量の文を読まされたり、
    面倒をかけられる割に、いつまでも根本が判らない。
    せめて教科書を買えればいいんだけどね。
     
    ネット歴ウン年。今初めてちゃんと教わりましたっ。
    これまで生きてて良かった(爆)。
     
    なるほど、なるほど。なぜ揉めるのかまでよく判りました。
    感謝致します。
     
    コメントは特に無いですが(笑)、向こうにあっても無く
    ても誇張報告はあったでしょうね。それこそわかりっこ
    無いもの(^_^;)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月22日 15時31分

    お寺っておでんも売ってたりするんですね。
    あ・・・屋台か(^^ゞ
    私達夫婦が参る神社は、そんなにメジャーじゃないので、特に屋台とか出てないんですよ。
     
    何年か前に橿原神宮に参ったら、すんごい屋台でした。
    なにがすごいって、数もですが、値段も(-"-)
    焼き鳥1本500円たぁ、何事だい!!
    確かにでかかったけども。
     
    で、教科書問題は、多分これだけじゃあないとは思います。
     
    面白いのは、ほんの30年ほど前までは問題にされなかったことが、今は当然のごとく、「これは嘘」とされるってことかも。
     
    子供の頃、「歴史は変わらない。だから一度覚えたら、もう新しく覚えなくていいんだ。楽な学問だよ」と言われて、歴史の勉強をすることを強要された覚えがありますが。
     
    ・・・変わるじゃん。思いっきり(T_T)
    あぁ、勉強しなくてよかった??

 

新スレ 旅と怪談 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 15時37分

>こたつ様
 
お〜〜〜、台本には、社名まで映ってたんですね(゜.゜)
次、お会いした時には、是非是非台本も見せてください(#^.^#)
 
見せていただいた本は、想像していたよりもモダンで(~_~)
本棚に揃えておきたい感じでしたね。
 
それだけに、入手が困難な本がいくつかあるのは、残念です。
・・・とか言いつつ、「全部そろってますよ」と言われたら、「いや、ちょっと高価だから、少し考えます」とか言うとは思いますけど(^^ゞ
 
そういえば、二人で、
「根津神社って、根津甚八と関係あるのかなぁ?」
という話もしてましたよね(笑)
蓋を開けてみたら、根津甚八とは関係なさそうで、もっと身近(と勝手に思ってる)な、ハーンと関係があったんですけど。
 
こたつさんは、戦国のことを、いろいろ説明してくださったし、私も知ってる神様のことについては、いくつか説明できたし、お互いに勉強になりましたね(#^.^#)
 
二人でガイドの商売をしたら結構いけるかも・・・(爆)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月11日 15時40分

    九字ですか・・・。
    確か、芦屋道満さんの紋」を空中で描けばいいんですよね?
     
    でも・・・。気休めじゃいやだぁああああ!!
     
    てか、本当に、見たことないのに、なんで怖いんだろ(^^ゞ
     
    一回見ちゃったら、
    「なぁんだ、あんなもんか」
    と、怖くなくなる気はするんですが。
     
    一度見るまでが、怖い。
     
    ・・・堂々巡りとはこのことですわ(T_T)
  • 社名は 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月11日 20時45分

    ↑何か会社名みたいだねっ(笑)。
     
    本は結局「日本瞥見記」が三社ほど当たったけど答は絶版
    だらけで、今四社目を当たってるけど、どうもここも在庫
    ストックより取り寄せが主流っぽいから、諦めて古本屋
    サイトで検索しました。で、ありました!(最初から古本
    を当たればよかった(^_^;))
     
    そうそう。根津の由来を調べないとね……。
    禰津となるとこれまた神職系だと思うのですが。。
    しかし根津甚八さん自体は、恐らく真田十勇士から
    でしょう(笑)。真田十勇士は信州の豪族から名を取った
    名前が多いです。
     
    >二人でガイドの商売をしたら結構いけるかも・・・(爆)
     
    客が全部逃げて、吉本が買い取りに来たらどうしましょう(汗)。
     
    神田明神では、最後の籠祖神社のご祭神が猿田彦サンで、
    「それまでに廻った各社で、願い事の合致する神様が
    居なかった場合、最後に万能の猿田彦さんが待っててくれ
    るのは気が利いている」と教えて貰いました(^^)。
    こたつは頭が良くなりました。
    (具顕さまが言ってたと、のりちゃんは言ってました:爆)
     
    だから、のりちゃん、怖い時も猿田彦サンだよ(^^)v。
     
    ちょいと神田明神の各社の案内をば↓
    http://www.kandamyoujin.or.jp/
  • (=´ω`=)にゃん 投稿者:セラフィム 投稿日:11月11日 22時45分

     こんばんは。邪気祓いに九字はやばいですよー。九字は悪霊に対する「最後通告」の意味なんです。悪霊に「かかって来いっ!この先、どーなっても知らないぞ。」と言っているんですね。弱い悪霊は、「ひぇーっ」と言って逃げるそうですが、性質の悪いモノは、逆ギレするそうです。
     邪気祓いには、清めの塩とお米、そしていつも信仰しているところのお守りが一番無難です。更に般若心経の写経を持てば、最悪の事態は無いと思われます。(これで憑かれたら、ご縁が在った、ということで供養してあげましょう・笑)
     ちなみに「臨兵闘者皆陣列在前」の九字は、「臨む兵、闘う者、皆陣裂れて、前に在る」の意です。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 17時24分

    古本屋サイトっていうのもあるんですね!
    こたつさんに教えてもらったんで、今までいくら探しても見つからなかった本を検索・・・。
    あったぁ!!
    2冊もあった!!
     
    2冊もあるとなると余裕がでてしまって、
    「まとめて買った方が郵便料金安くつきそうだし」
    と、まだ注文してません(^^ゞ
     
    で、
    ・根津甚八(真田十勇士の方)が、本来は、禰津氏と表記したこと
    ・神官の家柄だったらしいということ
     
    を教えていただいたので、一応、
    「禰津」と「神社」で、検索してみたら・・・。
     
    こたつさんの議事録が出てきました(#^.^#)
     
    ただし、禰津神社というのは、出てきませんでした。
    禰津甚八のおうちが奉仕していた神社はなんというんでしょうね?
     
    ただ、
    http://www.geocities.co.jp/Outdoors/9864/beginnersrack.htm
    なサイトを発見しました。
     
    諏訪大社と関係が深かったんですね。
    諏訪大社と忍者かぁ。
    なんか、わくわく(#^.^#)
  •  投稿者:のりちゃん 投稿日:11月12日 17時25分

    セラフィム様
     
    おお、「ちゃんと伝授されないで、九字を切ると地獄に落ちる」という話(ちょっとニュアンスが違ってるかも?)を、オフでも教えていただきましたね。
     
    「私は今背水の陣であんたに向かってるぞ!!」という意味だ、と受け取ればよいでしょうか?
     
    霊に対する対処法は、人により説がそれぞれで、どれが一番効くか、は、自分で試してみないとダメなのかもしれないですね・・・。
     
    でも、その「試す時」が来て欲しくないわけですが。
     
    ・・・やっぱり、エンドレス(爆)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:11月12日 18時09分

    >一度見るまでが、怖い。
    多分そうなんでしょうね。想ってたとおり怖かったら良いんでしょうけど(笑)期待はずれなら嫌になりますね(爆)むなしくなるかも・・・。「何でこんなの怖がったかなぁ。」って
  • 2冊か…… 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月12日 22時27分

    ↑余裕のありそうな無さそうな数ですね(笑)。
     
    私は頼んでしまったトコが、例によって、単に出版元に
    確認するだけっちゅう事が注文の後で知れたので、万が一
    にもダブらないとは思うんですが、既にキャンセルも出来
    ない状態なので、古本の方が在庫ナシになったらヤベェ、
    と思いながらも、早く断って来〜いと、気を揉むばかり
    です(^_^;)。
     
    根津神社の根津は、どうも禰津氏と関連があると言うより、
    http://www.castanea.jp/yanesen/shinjin2.htm
    ここによると、地名の由来は神話がらみですね(^^ゞ。
     
    で、禰津氏の方ですが、
    http://www2.harimaya.com/sengoku/html/un_nezu.html
    こちらが詳しいです。
    あと、よくウチに来られる紫さまが非常に詳しいです。
     
    根津甚八さんは、まあ間違いなく真田十勇士でしょうが
    (役者さんは家柄より自分の演じたい役柄にこだわるで
    しょうから)真田十勇士自体は、信州の禰津氏に由来が
    あると見て、まず間違いないと思います。
     
    問題の根津神社と禰津氏。これは……幾ら江戸期に講談で
    真田十勇士が流行ったとは言え、信州繋がりと見るよりは、
    どっちかと言うと、信州の禰津氏も根津神社と同じ神話の
    言われを同根に根拠立てている、と関係を繋ぐのが正解
    かと(^^ゞ。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 18時37分

    そう、なりそうな予感があります(笑)
     
    でも、私は霊感がないので、幽霊が見えない。
    だから、いつまで〜も、怖いのですねぇええええ。
    あぁ、不毛だ>幽霊にとっても
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 18時46分

    注文しないでよかった(^^ゞ
     
    今日、出先でふと立ち寄ったブックオフに、ありました。
    探してた本!
    今までどんなに探してもなかったのに!!
     
    注文してたら、500円ですが、送料も時間もかかる。
    その点、本屋で見つけたのは、300円でした。
    勝った( ̄^ ̄)(←なにに勝ったんだろ・・・)
     
    さて、根津神社とヤマトタケルの関係はとても深いそうですね。
     
    私もまだちゃんと調べてはないんですが、「国の根たり、国の津たり」と言った・・・というのは、面白いですね。
     
    「津」ということは、このあたりまで海だったということでしょうか。
    しかし「根」ってのはどういう意味だろう。
     
    「根の国」とはまた、違うんでしょうねぇ??
     
    根津氏についてもありがとうございました。
    見る限りでは、禰津氏と根津神社の名前は、偶然一致しただけの可能性も十分ありそうですね(^^ゞ
     
    しかし、神社の名前一つで、話題がかなり広がりました(#^.^#)
    こういうのも、なかなか楽しいですね(#^.^#)
  • 今日やっと 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月13日 22時04分

    ↑「在庫がありませんでした」の報告が来ました(^_^A)。
    古本屋サイトに注文した所です。これも無かったり(汗)。
     
    江戸時代より前は江戸城のすぐ傍まで海だったそうなので
    「津」の方は海の可能性は高いですよね。あの辺りの神社
    には、古いものでは、昔は島の上に祀られてたなんて所も
    あるようです。
     
    「根」の方ですが、「根本」という意味で使われたのが
    いつ頃からかによりますよね。「根の国」と言った頃から
    同じ意味で使ってたのなら、やはり「国の底力たらん」
    あるいは「国の中心たらん」の意味なのでしょうが……。
     
    幽霊の話に相乗り(^^ゞ。
    ヘルンさんの「石仏」(「東の国から」から)に、死霊は
    夜にただ出るだけだが、生霊は昼でも彷徨い出て、人を
    死に至らしめる、と書かれてました。
     
    幽霊なんかより生きてる人間の方が怖い、とはよく聞く事
    ですが、この概念ごと霊とされてたのですね(^_^;)。
  • 九字の後が本番。 投稿者:セラフィム 投稿日:11月13日 22時33分

     九字を切った後が「本番」になるらしいです。九字を切って、結界を張って、憤怒の仏様(お不動様など)を召喚するそうです。憤怒の仏様が現れた時点で悪霊は消滅するそうです。九字には「消滅したくなったら、どっかに行きなさい」って意味なんですね。で、凡人は結界も張れないし、憤怒の仏様も呼べないので、悪霊から袋叩きに遭うワケです(;^_^A アセアセ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 17時07分

    よくよく考えたら、「ね」という音が、「根」となったのは、(伝説が本当ならば)それほど昔じゃないかもしれないですね。
    漢字なんてのは、ヤマトタケルの時代よりは後に入ってきたんだろうし・・・。いや、記紀を信じるならば、ですが。
     
    としたら、「ね」は「禰」かもしれないし、「子」かも、「音」かも、もしかしたら、「寝」かも!!!
     
    ・・・なわきゃないか(^^ゞ
     
    さてさて、「石仏」に出てきたのは、多分、「青い衣の女」の話ですよね?
    今昔が原典だと思います。
     
    ちぃと気味悪いのは、この女性が、にっくき男のところへ案内してくれた主人公を、後日、「あの時ほど嬉しかったことはありませんわ」とにこにこして歓待するところで(^^ゞ
     
    つまり、「あの憎い男をとり殺せたことほど嬉しいことはない」と言ってるわけで・・・。
     
    いくらなんでも、そりゃないやん?
    と・・・。
     
    反対に面白いのは、この青い着物の女は、その後鬼になるでもなく、自殺するでもなく、ふつ〜に暮してるところですね。
     
    やっぱり、人間、いけしゃぁしゃぁとしてた方が勝ちって気はしますねぇ(爆)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 17時11分

    なるほど(~_~)
     
    つまり、なんの訓練もないものが形だけ真似ると怪我するぞ、という、言ってみれば、現実世界にも十分通用する理屈ですね(^^ゞ
     
    しかし、現実も同じってことになると、多分、「九字」も、「御守り」も「塩」も、相手の強さによって、効かない場合がありそうですね。
     
    とすると、これより強いなにものかにぶち当たった場合は、もう、不運としかいいようが・・・。
     
    でも、反対に、現実的にもそこまで強い人間がいないのと同じように、霊的なものも、そこまで強いものは、そうそうおらんということで。
     
    ・・・まぁ、あんまり心配しないでおこうかなぁ・・・(^^ゞ
  • 古い日本 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月15日 02時36分

    古本屋からは「配送します」の連絡が来ました(^_^A)。
     
    「ねる(寝る)」は結構古そうな感じがしませんか?
    わりと人間生活の根源行動だし、こゆ言葉を変えちゃう事
    ってあまり多くない気が……。
     
    すると元は「寝ず」だったり(笑)。
    「不」など否定語を先につける漢語に、日本語は従って
    ないから、「だったりして〜」と(笑)。
     
    生霊の話は「青い衣の女」の話ではありましぇん(^^ゞ。
    子の出来ない家に入った女性の話で、子が産まれたら納得
    づくで家から出されるのだけど、それを自分でも気付かず
    に恨んでたため、その家の当主が死んでしまうって話。
     
    へぇ〜(゚.゚)と思ったのは、人への恨みは誰にも話さず
    お腹の中に溜めておくと消えないもので、体から出て来て
    人を取り殺すのだとか。
    普通人の悪口とかいって遠慮するものだと思ったけど、
    昔はそれで生霊になるぐらいなら、人に話した方がマシ、
    と思われてたんだ〜って事でした。
    変な話、合理的かな〜とも。
     
    でも、のりちゃんの言う話も面白そう〜。
     
    案外日本の古い習慣とか知らないものですね〜。
    外から来た人に教えられるってのはまさにこの事(笑)。
     
    あと、ドラマに出て来た熊本の盗賊と老女の逸話は、
    「生と死の断片」に出て来ました(#^.^#)。
  • 寝ず 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 17時58分

    ・・・もともと、根津甚八が、神官の家柄なのであれば、まさに「寝ず」の修行とかしたかもしれないですね・・・。
     
    これって、新説!!??
    ・・・てなわきゃないでしょうけどね(^^ゞ
     
    で、ヘルンさんが紹介した生霊は、「青い衣」じゃなかったんですね。
    ハーンの著作に、青い衣の生霊について書いたものがある、と聞いてたので、早とちりしてしまいました。
     
    しかし、腹にためて生霊になるよりは、ぱっぱと悪口言っちゃうほうがましっていう考え方は、結構好きかもしれません(^^ゞ
     
    「王様の耳はロバの耳」
    ですよね。
     
    でも、ヘルンさんは、結構うちに秘めたんじゃないかしらん。とも。
    ただ、それは、旧友の西田千太郎とかに手紙で気持ちを明かしたりして、気持ちをどこかで昇華してたのかもしれませんね。
     
    うちの旦那は、私のグチやら自慢話やらを嫌がらずに聞いてくれるので、私は生霊にはならずに、今んとこ済んでるようです(~_~)
    旦那のグチは・・・聞いたことないなぁ・・・あれ??
  • ヘルンさんは 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月15日 21時29分

    ↑その女が世間の人にあしざまに言われる事については
    それなり反論してました。
     
    が、最初反論が開始された時は「出産だけが目的で女を
    道具のように扱うのは……」という、多少なりとも
    キリスト教の国から来た人らしい内容かと思ってたら、
    想像に反して(^^ゞ、その反論はこうでした。
     
    「生霊とは自分でも意識せぬウチに彷徨い出てしまうのだ
    から、本人に対して責任追及できないのではないか」と。
     
    つまり……彼は丸っきり日本人の生霊に対する考え方には
    すっかり慣れ親しんだ上で意見を言ってるに過ぎない(^^ゞ。
    当時の西洋人から見たら、「言ってる事が理解できない」
    っつーぐらい奇妙な論法でしょうが、彼自身は何の疑い
    もなく「日本人の霊意識」に同化しきって、同じ土壌に
    立ってしまってるんですね(^^ゞ。これには正直驚きました(笑)。
     
    それに対して「お腹に潜ませているのが良くないのであって」
    と言った世間の反応があり、それに対して「なるほど」
    と道理に納得したような結論を出してます。
     
    つまり少なくても『東の国から』を書いた頃、熊本に居た
    頃ですが、その頃までは、内に秘めている事を美徳とは
    思ってたのかもしれません。
     
    実際過去の苦しみや恨みごとをなるべく言いたがらないと
    いう証言が子の一雄氏からは出てます。
     
    黙って耐える美徳については、他の著述にも現れていると
    思います。が、それゆえに幽霊となってしまう事も納得し
    ていたのでしょうね(笑)。
  • 生霊 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 19時34分

    面白いですね。
     
    生霊になった女性を、
    「無意識のうちに生霊になってしまうんだから、その女性を責めるのはおかしい」
    という理屈も面白いのですが、それに対して、
    「表に出さずに溜め込むのが悪いんだ」
    という反論が面白いです(#^.^#)
    そして、それに納得するヘルンさんも。
     
    ヘルンさんが、それに納得することで、少しでも、「溜め込」まず、ちょっとずつでも発散できるようになったのなら、この「生霊」の話は、ものすごくプラスだったと言えるでしょうね。
     
    キリスト教は、どちらかというと、「耐え忍ぶ」ことを礼賛する宗教なように感じますが、アミニズム的な宗教は、どちらかというと「無邪気」な感じがします。
     
    日本の神話などを見ていても、子供がガイコツを拾ってきて遊んでいるので、大人が、「なんてバチあたりなことをするんだ!」と怒ったら、そのガイコツが「せっかく楽しく遊んでるのに邪魔するな!」とすごく怒った・・・なんてのがあります。
     
    この話なんかも、ヘルンさんが聞いたら、とても喜んでくれそうな話だと思うんですが・・・(^^ゞ
     
    なんとなく、けろりんぱ、と無邪気なんですよね。
    そういう神話を作ってきた日本人には、生霊になるほど溜め込んでしまうことは、「なんてつまらない」ことだったのかもしれないですね。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月17日 19時22分

    日常よくある擦れ違いの風景として「後でそんなに怒るの
    なら、なぜもっと前から」という論調が聞かれますよね。
     
    そして又「その時にはどうしようもなかった」「言ったけど
    誰も聞いてくれなかった」なる被害者の反論が続くのが
    これまた非常によく見掛ける遣り取りです。
     
    ところがこれって、もしかしたら、他の民族にはあまり
    ない遣り取りなのかもしれません。また逆に、日本では
    かなり古くからある感情のもつれ方であり、かつまた
    長く残った感覚なのかもしれません。
     
    ストレートにこの事象についてではなく、全く別の話に
    ついてですけど、八雲は当時の日本人が非常に古代の
    ギリシャ人に根底的に近いと論じるのですが、その正否に
    ついてはともかく、「長い時間変わらぬ感情を持ち続けた
    民族」とは八雲が何かと言うと持ち出す理論です。
     
    そして、そこがどの民族より貴重であると。
    (民族の「天然記念物」なみに:笑)
     
    ガイコツの話、八雲は喜ぶでしょうね(笑)。
    (私も今喜んでますが)
    キリスト教=「耐え忍ぶ」の話も「なるほど」です。
     
    確かに戦役に借り出される日本人の誰もに全く悲壮感が無い
    事を八雲は驚いてます(笑)。舞い上がるように死にたがる
    という具合に見えた感じです。
     
    仏教の、辛い現世より新しく生まれ変わる事への希望に、
    若干ヒントを得たようですが、その根底には「霊魂が一つ
    じゃなく、寺では仏、神社では神になる」と戦死する事が
    楽しみで仕方ない状態を、戸惑いと感動をもって書かれて
    いました。涅槃にも行く癖に、家の守り神になって、
    相変わらず家族と暮らしてる、という感覚が古代ギリシャ
    人に近いのだそうです(笑)。
  • 霊を見ない方法 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月17日 20時16分

    「いない!!!」といいきって寝てしまうのが一番ですよ。
     
    話は変わりますがなまじ神職なんぞを取っていると一緒に泊まる人は2パターンです。
    「なら大丈夫!!」と安心する人。
    「呼び込むんじゃ・・・」と心配になる人。
    どっちにしても期待されても困ります(笑)。

 

レポ拝見(笑) 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月12日 22時43分

↑ごめんなさい! その下になっちゃった「佐伎治神社」
も読みかけてはいたんですが(^^ゞ、レポが出たので、
当事者としては(笑)、言わずにはおれない。
 
拝見しました〜〜〜(≧▽≦)!
面白かったです! 写真使ってくれて嬉しいです〜!
 
それから意外や、あんな車中の(バカ夫婦の)会話を
載せて頂けるなんて、凄く光栄です〜〜〜(≧▽≦)!
 
あの時、やっぱり神田の「やぶ蕎麦」を外したのは正解
ではなかったかと思います(笑)。亭主「へぎ蕎麦屋は
行った事ないから」とは言ったものの、あの後「やはり
任せて良かった」と「犬らしく」喜んでおりました(笑)。
 
美味しかったよね(^^)。天ぷらと刺身で迷ったけど、
今度刺身も食べておくね(笑)。
 
ではでは、何かレポもそちら任せで申し訳ない(^^ゞ。
ウチでも宣伝(?)して下され〜〜〜(笑)。
  • お言葉に甘えて 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月13日 18時50分

    写真、たくさん使わせていただきました(#^.^#)
     
    編集の都合上(?)1ページに纏めたかったので、ちと縦長になってしまいましたが(^^ゞ
     
    へぎ蕎麦は、本当においしかったです。
    蕎麦屋では、私も旦那も、いつも天ざるを頼むんですが、蕎麦にも天ぷらにも満足することって、そうそうないんですよ〜。
     
    刺身もおいしかったら報告してくださいね!!
    電車で行かれたならば、ご亭主様とお酒をいくつか飲んで、これもレポートしていただけたら、もっと嬉しいです〜(#^.^#)
     
    「影虎」は、辛口でおいしかったですよね(#^.^#)
  • オフ会は良いよね 投稿者:北畠具顕 投稿日:11月13日 21時43分

    私も近々「北畠オフ」をやりますが、楽しいですよねぇ。
    最初こそよそよそしいが慣れて来たら遠慮なくものが言えるのも普段から息がぴったりだからだなぁと思います。
     
    しかし、腕組みしている女性は何かしら「怖い」のはなぜでせう?(笑)
    過去の苦い経験からか(爆)?
  • 確かに 投稿者:こたつ城主 投稿日:11月13日 22時12分

    ↑蕎麦と天ぷらのどっちかしか覚えてないものですよね。
    あそこのは季節のせいか、キノコが美味しかった(#^.^#)。
     
    私は最初「八海山」を頼もうかと思ったんですが、
    「景虎」! 美味しかったです〜(#^.^#)。
     
    さて、遅れ馳せながら「佐伎治神社」ですが(笑)、
    これまた「金→水」なんですね(゚.゚)。
    前もここでちょっと書いた「夜叉が池」にも、鐘をつかな
    いと、洪水が来てしまう話がありましたが、これって
    わりと各地に多い伝説なのかしら?
     

    >具顕さま
     
    ふっふっふ。私達が「怖い」と皆に知らせるために亭主に
    撮らせたのですよ〜〜〜(^。^)。苦い経験に加えて下さい。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 17時13分

    お、腕組みした女性に、痛い目に合わされた経験が??
     
    私達はとぉおおっても優しいから大丈夫ですよ〜〜(笑)
     
    さぁさ、いらっしゃああああああぁあああああ〜〜〜あい。(←もっと怖いかも(笑))
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月14日 17時18分

    えのきの天ぷらって始めて食べたんですよ。
    おいしかった。
     
    八海山というお酒も飲んだことないです。
    次飲んだら、お味の方、感想聞かせてくださいね(#^.^#)
     
    さて。
    釣り金と洪水。
    言われてみれば、夜叉が池もそうでしたね。
    繋がりませんでした。
     
    釣鐘と雨OR洪水の話は、日本海側が多いのかな?
    と勝手に思ってたのですが、夜叉ケ池は、岐阜県。
     
    この二つを繋げる伝説か何かが根本的にあるのだとしたら、その伝説はどういうルートを辿ったのか、興味ありますね。
     
    とはいえ、鐘ついて云々は、泉鏡花の全くの創作である可能性もあるわけですが・・・。
     
    岐阜県もまた、未踏の地です(T_T)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月15日 03時00分

    へぎ蕎麦は最初は世田谷で食べたのですが、越後蕎麦屋で
    久保田とか八海山とかはわりと飲んでました〜。
     
    >夜叉ケ池は、岐阜県。
    > 
    >とはいえ、鐘ついて云々は、泉鏡花の全くの創作である
    >可能性もあるわけですが・・・。
     
    ならば原典は福井なんじゃないですか?
    映画では「福井」と紹介されてた覚えがあります(^^ゞ。
    鏡花の時代には岐阜と思われてたけど、その後民俗学者が
    調べたら出所は福井と知れたとか……。。
     
    こゆ事って結構ありますよ。私も前に千葉県の大原の城に
    行った時、昔小説に書かれた時にはハッキリ判らずに
    歴史とかちょっと間違って描かれた作品を知りました。
     
    http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/tawagoto/2002/tawagoto-11.htm
    ↑ここにちょっと触れてますが、江見水蔭の『海中桜』。
    江見水蔭は明治2年(1869)〜昭和9年(1934)の、
    泉鏡花、樋口一葉などと並んだ新進作家、との事です
    から、この時代には歴史や伝承を好みの紹介をするのが
    流行りだったのかもしれませんね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月15日 18時03分

    え?
    舞台、福井になってたんですか?
    ということは、福井にも、「夜叉ケ池」があるのかなぁ。
     
    私が知ってる夜叉ケ池は、
    http://www.mirai.ne.jp/~godokita/yasya/index.html
    に紹介されているもので、泉鏡花の物語とは、ちょっと違ってます。
    鐘のくだりは出てきません。
     
    とすると、やっぱり鐘と水伝説は、日本海側に多いということになるかも??
    ちょっと、わくわくしてきました(#^.^#)
    他にもあるかなぁ。
     
    >『海中桜』
    覚えてます(#^.^#)
    偶然のすごい出会いってのはあるもんですよね。
     
    そのご本をくださった方にとっても、多分、こたつさんご夫婦との出会いは、すごく良いものだったと思うんです。
     
    ・・・ちょっと違うんですが、夏休になると、近所の神社を高校生くらいの子が周って熱心に御由緒をメモしたりしてるんですよ。
    多分、課題を提出するんでしょうけどね。
    そういうのを見ると、
    「なんか知りたいことがあったら、聞いて?知ってたら、資料とか持ってくるよ〜」
    とか言いたくなっちゃって(^^ゞ
    でも、それやると、危ないおばさんに見えかねないので、ぐっと我慢してます(~_~)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:11月15日 21時37分

    http://www.vega.or.jp/~bazil/junkvideo/tibet_in_japan.htm
     
    ↑ここによると、夜叉が池の舞台は岐阜と福井の県境との
    事ですね(゚.゚)。
     
    http://www.asahi-net.or.jp/~zg9t-okd/japan/kitakinki/yasha.htm
     
    ↑ここではそれに滋賀県も加わってるようですが。。
     
    今度「高校生」のフリをして、のりちゃんに「え? 資料?
    宜しくお願いしま〜す!」と声を返してみようかな(笑)。
     
    それこそ……危ないオバサンそのものだ〜( ̄∇ ̄;)。
  • なんと 投稿者:のりちゃん 投稿日:11月16日 19時39分

    福井県にもまたがってるんですね!!
    ということは、やはり、鐘と大雨の伝説は、日本海側に多く残されてるのかも。
     
    ありがとうございます〜〜〜m(__)m
     
    で、資料ですが(~_~)
    結構、お年を召した方(多分定年を過ぎた方だと思います)も、結構神社巡りをしてらっしゃいます。
    でも、そういう方には却って声をかけづらいですね。
     
    私よりず〜〜〜〜っと詳しそうだから(^^ゞ
     
    こたつさんくらいの年齢ならば、気軽に声かけちゃうかも。
     
    それで、また情報交換できるお友達が増えたら嬉しいですしね〜(#^.^#)