- 今年も石和に 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月19日 16時17分
- 今年も山梨県の石和に行って参りました〜。
合戦祭りに出るのが主流なので、どうしてももう一個、 神社巡り等は疎かになりがちなんですが(^^ゞ、去年、 物部神社に行ったというあの場所です。今年は特に神社 には行ってないのですが、祭りの前日に、甲府の武田神社 の前を通り過ぎました。 合戦祭りでは、上杉と武田に別れて両陣営がぶつかりあう 形で戦うものですから、上杉として配属された私は、 本来なら上杉神社(これは山形県米沢市にあります)の ご加護を仰ぐべきなんですが(笑)。 また、この前日に石和に行った後、同じ上杉に配属された 他の隊(上杉・武田ともに幾つかの隊を編成します)の 人からちゃっかり「武田神社」のお神酒を頂戴しました(^^ゞ。 で、宴会の時に皆で全部飲みまして(笑)、だからやっぱ り我々は武田の加護を仰いだと思うのですが、当日は しっかり上杉兵士として戦って来ました。そして最後に 信玄公と一緒に記念撮影したり(笑)。 まあ、そんな週末を過ごしておりました(^^ゞ。
- おかえりなさい(#^.^#) 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月19日 17時51分
- 今年は上杉だったのですね?
去年の敵を今年経験したわけですね(笑) そして、ご加護は、敵方の神様から・・・。 でも考えてみたら、武田信玄と上杉謙信って、「敵に塩」の話しもあるように、むちゃくちゃ「好敵手」だったんでしょうね。 「今日はこっちがボロ勝ちしそう」 と思ったら鉄砲何丁か横流ししたりなんてこともしてたり・・・するわけないか(笑) 楽しい週末だったみたいで、よかったです。 レポ楽しみにしてます(#^.^#)
- そうそう(^^) 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月20日 16時37分
- 一年づつ敵味方をやるもんだから、今年は進行係の人
(は忍者の格好なんかしてます:笑)に「あれ? 去年は 信玄公を守ってませんでした? 裏切り者〜」って斬られ ちゃったんですっ(笑)。 でもその後でその忍者さん、信玄サンと記念撮影させて 下さったり、忍者にしてはイキなはからい〜〜〜(^O^)。 (よく考えたら去年は武田軍だったのに、信玄さんと 一緒に撮影はしなかったと今思い出した:笑) 敵に塩を送る、というのはセレモニーに入ってて、ホントに 上杉軍が塩の入った筵の袋を荷車に乗せて、武田軍がそれを 受け取りに来るんです(^^ゞ。 レポの写真、亭主のノートパソに移しちゃったので、 帰って来たら出して貰わないと(^^ゞ。
- 忍者 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 16時55分
- 忍者って、伊賀ものと甲賀ものが有名ですが、関東だと、どこのものになるんでしょうか(笑)
しかし、常連になりつつあるって感じですね(#^.^#) 来年は誰を守るんでしょうね。 で、敵に塩は、やっぱり重要なエピソードなんですね? その筵の中には、本当に塩が入ってるんでしょうか?? 写真楽しみにしてま〜すヽ(^。^)ノ
- 投稿者:kazu 投稿日:04月20日 22時19分
- のりちゃんこんばんわ♪(こたつ様〜!)
関東で有名な忍者と言えば、やはり北条にかかわっていた「風魔衆」かと思います。風魔小太郎と言う人物(実在ではないかもしれない)が北条氏滅亡後も、関東において徳川氏に対して結構盗賊まがいな事をやっていたらしいと言われています。 でも関東って、あまり忍びが必要としない土地柄だったのかな〜なんて思っちゃいますね。 でも三河から来た徳川は、思いっきり忍び使いだし。そういう意味では関東の古来からの風土を、徳川家康らは変えてしまったのかな〜なんて想像しちゃったりもします。 (脱線してすみません(^^;)
- kazu様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月21日 17時18分
- え?
風魔衆って実在だったんですか? なんか、あんまりにもかっちょいい名前なので(笑) てっきりフィクションだと思ってました(笑) 忍者って、一体どういう風に始まった(という表現は変かもしれませんが)のか。 あと、もしかしたら、関東には、その前身となる職業が存在しなかった、という可能性もあるかも? しれませんね?? 歴史ってのは、いろんな要素で成り立ってるんでしょうね・・・。
- 来年は 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月21日 19時48分
- こたつも忍者のカッコして、忍者サンの後ろから
チョコチョコついて廻ろうかな(笑)。 「敵に塩」の逸話は三国志みたいなモンで、史実としては、 「甲斐が塩不足に陥っているのを、他の武将だったら、 敵地に塩を廻さないで困らせる所を、謙信は、『敵は信玄 であって、甲斐の民ではない』と塩止めをしなかった」 といった程度ではないかと思いますし、その方が謙信の 意識をより的確に感じ取れるのですが、講談的には(笑)、 越後からワッセワッセと塩が送られて来て、それを見た 信玄がジーンとする、という話になってますよね(笑)。 まあ、実際に越後から塩が送られて来るわけですから、 光景としては満更間違ってはいないのですが、「敵に塩を 送る」というと何か 「信ちゃんへ、謙ちゃんより、はぁと(^。^)」なんちゅう 手紙の一つもついてそうで……(汗)。 実際信玄は晩年、謙信は義理だけは裏切らない男だから、 もしもの時にはアテにするよう遺言を書いたとか言われて ますので、泥沼戦争にウンザリして最後は友情モードだっ たのかもしれませんが。 で、忍者。風魔についてはkazu様のお話の通りです。 関東には若干外れますが、山梨(甲州)や長野(信州)に は忍者が大勢おったようです。 信州になると真田忍者、甲州では武田忍者など、地域より 属した勢力の名で呼ばれた感じもしますが、戸隠流、諏訪流 なんてのも聞いた事がありますね。剣術と忍術の区別が よく判りませんけど。 山岳地帯に育ちやすい土壌があるとは言えるかもしれません。 風魔は箱根です。 山の方が修行がしやすいといった事もあるでしょうが、 どちらかと言うと機密性ではないかと思います。 忍者の起源は「わからない」としか言いようがないですが(^^ゞ、 鈴鹿峠の盗賊や山賊の類を起源とする話、応仁の乱の頃、 六角氏が起用したという話なんか聞いた事があります。 でも一般に言う忍者は、殆ど伊賀スタイルじゃないかな。
- こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 15時58分
- >「信ちゃんへ、謙ちゃんより、はぁと(^。^)」
うぉおおお!!想像してしまう!想像してしまう!!! 頭の中では、石坂浩二の謙信が、ちょっとはにかみながら、筆を持ち、さらさらさら・・・と。 で、受け取った勝新太郎信玄は、お姫様すわりをして、 「やだ〜、謙ちゃんたらぁ、もおぅ。じ〜ん、ぐすん」 とハンカチを噛む。 ・・・確かに、講談の世界だ(←どこがっ!!) でも、信玄は、遺書に謙信のことを書いてるんですね。 晩年は気が弱くなっちゃって・・・ってのもあるかもしれないけれども、長いいざこざの中で、相手の胎だけは信用できるようになったのかもしれないですね。 いい話しだけど、「それなら戦争すんなよ」とかツッコむ家臣はいなかったんでしょうか(^^ゞ 忍者は、黒装束に、頭に頭巾をかぶり・・・というイメージですが、本当の忍者はこんな姿じゃなかったんでしょうね(笑) まぁもちろん、闇にまぎれて行動しやすいように、目立たない格好ではあったんでしょうが、忍者のユニフォームを揃えなきゃ、忍者になれなかったってことはないでしょうし(笑)
- どう考えても 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月22日 19時45分
- ↑信玄と謙信て、どっか愛し合ってたんじゃないかな〜、
と思う時ありますよ(爆)。どっちも大した用も無く、 わざわざ遠い信州くんだりまで何回も出掛けていって、 何回も戦う必要あったと本気で思ってたのかいな(笑)。 まあ出掛けるの好きですけどね、どっちも(^^;)。 謙信は何度か京だとか関東にもよく来てますし、 信玄も遠い甲斐から京都目指してますし。
- こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 17時47分
- 確か、謙信公って女色を断ってたんですよね?
いわゆる「やおい」系の同人誌探したら、結構ありそうですね。 「謙信くんと信玄ちゃん」(←なぜか独断で信玄が女役)。 その当時の力関係ってよくわからないけれど、信玄公にしても、謙信公にしても、 天下を狙えるほどの大器・・・ってことになってますよね? 昨日から再放送が始まった真田太平記でもそうなってました。 それが、なんで、二人で仲良く喧嘩してたのか、ってなると、仲を疑いたくもなりますよね(笑)
- 謙信といえば 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月23日 19時59分
- ↑即「やおいもん」と言って過言ではないかと(笑)。
「SENGOKU」という4コマ漫画がありますが、 そこでは信玄は謙信を「謙ちゃん」と呼び、時々「もう 謙ちゃんと戦してあげない!」とヒスを起こし、 ふとカーテンをめくると、そこには涙を流す謙信がいて、 信玄を振り切って逃げて行きます(汗)。それを信玄が 「あっ、違う、違うのよ! 謙ちゃん、これにはワケが」 って、丸っきりですわ(汗)。 あ、そうそう、真田太平記ご覧になられたようで(#^.^#)。 嬉しいです〜!
- 謙信といえば 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月23日 23時32分
- 信玄死去を聞いたときに食べかけのおわんほっぽり出して泣いたんですよねぇ。
あの二人はもはや「同志」ですなぁ。
- こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 13時31分
- 「SENGOKU」
実は私の戦国時代の知識は主にそれからだったりして。 その作家さん、好きなんですよ(^^ゞ でも、この人、太った男性は、そっち系に描く傾向が・・・(笑) 連載の時に読んでました。 単行本も買おうかな〜。 真田太平記は、これからが楽しみですよ〜。 渡瀬さま、かっこい〜〜はぁと♪
- 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 13時31分
- おわんですか・・・。
なんというか、信玄公にとって、謙信公は「生きがい」だったのかも(#^.^#)
- 食べかけの 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月24日 22時18分
- お椀を落として泣くのは、私も数多くの漫画で見た覚えが
……(^^ゞ。これ、それっぽい伝承か記述でもあるのかも しれませんね(笑)。 私も「SENGOKU」好きです(笑)。のりちゃんも読んでた のですね! わ〜い♪ この話ばっかしそーーー!(爆) 真田太平記は、私、上杉景勝が気に入ってます。あと石田 三成(爆)。まだ当分出て来ないのが残念〜(>_<)。 今はまだ渋すぎるような内容だけど(^^;)、ジワジワと回を 追うごとに面白くなって来るので、ご覧あれ〜〜〜。
- こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 08時26分
- SENGOKU好きですか〜(#^.^#)
実は私の「松永弾正」のイメージと、あと、足利義昭公のイメージは、あれから離れないんですよ(^^ゞ 真田太平記は、ビデオに録画してます。 これからが楽しみです(#^.^#)
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