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新スレ 河童も「童」 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 12時00分

HAL様
河童ときましたか♪
河童が「ひょうずべ」というのは知りませんでしたφ(..)
河童といわれると、私は、オオナモチ神よりスサノオ神との関係をまず思い出してしまいました。
 
キュウリを輪切りにすると、五つ木瓜に似てるでしょう?
そのキュウリを、なんで河童が好むか。
色からだけの連想じゃないんじゃないかな、と。
あと、キュウリを輪切りにすると、五つ木瓜だけじゃなく、徳川葵紋にも似てるという話もありますね。
葵紋というと・・・、比叡山の大山咋神(もしくは下鴨神社の御祭神)ですかね(笑)
・・・とすると、オオナモチ神とは当然、繋がってきますね(~_~)
 
んで。
河童が木偶の変わったものだとする話。
その木偶を作ったのは確か、左甚五郎だという話しですよね。
 
左甚五郎といえば、日光東照宮ですね。
そうすると、またフダラク信仰とかに話しが戻りますかね(^^ゞ??
ただし、そこに「徳川家康の墓」というのを考えると、やっぱり葵紋との関係を感じます。
 
・・・かなりトンデモですけどね(笑)
 
あと、もっとトンデモになるかもしれませんが、「川」と「土木工事」という二つを考えると、茨田連杉子と、武蔵強頸の人柱事件を思い出します。
私は、「タイマノケハヤ」は、生贄だったと思ってますから、ここらへん、無関係とするのは惜しいですね(笑)
 
で、菅公とスクナヒコナ命については、むっちゃくちゃ気になってます。
菅公とスクナヒコナ命というより、天神とスクナヒコナ命といった方が正しいですけど。
でも、今「天神」といえば、まずは菅公を思い浮かべますから、全く無関係じゃないです。
 
で、オオナモチ命&スクナヒコナ命の関係は、風土記では妙に親密ですよね。
なにしろ、「一緒に」してるし。
 
で、出雲臣の祖先は、アメノホヒ命ですよね。
アメノホヒ命ってのも不思議な神様ですよね。
高天原から出雲に寝返った。
が、出雲が高天原に平定されると、出雲の王の祭祀のことを、高天原から任命されるんです。
 
出雲に寝返ってるんだから、高天原から任命されるというのは納得が行きません。
もし、スパイなのならば話しは別ですけど・・・。
そういう感じでもないですよね?
 
私はどちらかというと、アメノホヒ命が、高天原からやってきたことと、スクナヒコナ命がタカミムスビ(カミムスビ)命の手から零れ落ちたこととが似てるなぁということを考えてしまいました。
「零れ落ちた」って表現はなかなか意味深。
 
とすると、アメノホヒ命とオオモノヌシ命の関係と、スクナヒコナ命とオオナムチ命との関係も、何かあるのかもしれません。
  • 河童の川流れと流し雛 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 18時34分

    のりちゃん
     
     私の住む旧宝飯郡は、天王社密集地で、天王社の祭礼には、かっぱ巻きは、いかんという話はよく聞きます。
     木偶が河童に変わった話は、江戸時代では、左甚五郎、奈良・平安のころだと飛騨の匠、さらに古い伝承だと竹田の番匠となっています。
     奈良のころの逸話としては、春日神社の造営にあたり、飛騨の匠が木偶を作り、猿沢の池に投げ込んだところ河童に化け霊験を現したので兵統神(ひょうずべかみ)と崇めたというのがあります。
     左甚五郎と河童の逸話としては、甚五郎が欅の木を計り間違え、横木を通したまま川に捨てたところ河童になったというのがありますね。
     私は、横木を通した欅について、河童は、腕が抜けるという話から前に紹介したページのアマガツを想像しました。
     また、川あるいは池に木偶を流したというモチーフは流し雛を連想させます。
     
     茨田連杉子の「茨」の字から私は、茨城童子を連想しました。
     茨城童子といえば、一条戻橋の話がありますね。
      ある夜、源頼光の四天王の一人・渡辺綱が一条戻橋付近を通りかかると美しい娘がいた。娘は、綱に五条まで送ってほしいと頼む。綱は、娘を馬に乗せ五条方面に向かう。
      五条にさしかかると娘は、綱の髻を掴み、たちまち鬼の姿に変り、綱を愛宕山につれさろうとした。綱は、髻を掴んだ鬼の腕を切り落とすが、鬼は、そのまま愛宕山に飛び去った。後日、鬼は、老婆に化けて腕を取り返しにきた。
     という話です。
     
     腕を取り返すという逸話は、前回書いたように河童伝説のひとつの類型です。
     また、河童には、馬の尻尾を掴み沼に引きずり込むという、いわゆる河童の駒引伝説もあります。綱の馬に乗り綱の髻を掴み愛宕山に飛び去ろうとした茨城童子の逸話には、河童伝承が投影されているように思います。
  • 記紀の出雲神話はほんとに出雲のことか? 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 18時35分

     アメノホヒを含む国譲逸話について記紀をみてみますと、書紀でスクナヒコナが常世の国に去ったのが、出雲の熊野の岬、また、フツヌシとタケミカズチが降ったのが出雲の五十田狭、古事記では、スクナヒコナが大国主の下にやってきたのが出雲の美保、アメノトリフネ神とタケミカズチが降ったのが出雲のイザサの浜とされていますが、そもそも、一般に出雲の国譲りといわれる逸話の書紀での表題は、葦原中つ国の平定であり、天孫ニニギが天降ったのは、南九州ということになっています。
     前回、記紀の流れから大国主は、出雲を譲ったようにとれるとしたのは、大国主が譲ったのが出雲だと断定できる記載がないからです。
     家康は、死してなお、江戸及び関八州に睨みをきかせるため、日光山に東照大権現として祭るように遺言します。
     仮に大国主が譲った土地が出雲(現在の島根県東部)であるとするなら、そこに大きな社を構えて祭られていること自体、不自然ではないでしょうか。
     江戸時代ですら、睨みをきかせるため、関八州の日光に家康は祭るように遺言をしています。譲った国の土地に、死してなお、そのまま神としてまつられること自体が考え直す必要があるように思います。
     つまり、杵築大社(出雲大社)が鎮座する出雲国(現在の島根県の東部)を大国主が譲ったとするには、疑問があるということです。
     丹波一宮は、出雲大神宮(京都府亀岡市)といわれ、元出雲だといわれます。旧郡でいえば、桑田郡です。
     垂仁紀八七年条に丹波国桑田村の甕襲の飼犬・足往が、牟士那を喰い殺したとき牟士那の腹から出てきた八尺瓊勾玉が、物部十市根大連が管理していたとの記載があります。
     一方、垂仁紀二八年に物部十市根大連を出雲に遣わし、神宝を点検させ、これを管理させた旨が書かれています。
     つまり、丹波の桑田で見つかった八尺瓊勾玉は、出雲神宝のひとつであると考えられます。そして、この桑田には、出雲大神を祭る元出雲・出雲大神宮が鎮座します。
     このように、考えれば、大国主が譲った土地は、丹波であると考えるのが自然ではないかと思います。
     先代舊事本紀は、火明命は、丹波に天降り、そこからさらに、河内の哮峯に天降ったとされています。
     一方、スクナヒコナが去ったあと、オオモノヌシが大国主の下にやってきます。
     海の彼方から来たことは判りますが、どこに着いたのかは、書かれていません。
     大国主が元々、丹波におり、丹波を譲ったのすれば、オオモノヌシは海の彼方から丹波にやってきたことになります。そして、オオモノヌシは、その後、三輪山に祭られます。
     河内の哮峯ではありませんが、丹波から近畿に移動した火明命の逸話と重なるものがあります。
     前にオオモノヌシ=ホアカリとしたのは、こうしたことが前提となっています。
  • 菅公は、天女の子を考える 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 18時37分

     哮峯に天降った火明命は、一般に別名のニギハヤヒの名で呼ばれます。根拠は先ほどの先代舊事本紀です。
     記紀の記載によれば、ニギハヤヒは、神武東征までは、先住者のナガスネヒコと協調関係にあります。
     出雲の臣の祖アメノホヒを思わせます。
     そして、アメノホヒの後裔の野見宿祢は、垂仁紀三二年で、ヒバス姫の死に際し、殉死を止めて、埴輪を造ることを提言します。
     なぜ、ヒバス姫の死に際し、殉死を止める旨を提言したかは、書かれていません。
     このヒバス姫は、丹波道主王の娘とされています。
     殉死は、その人物と親しい人や家臣が、その人の死に際し、一緒に黄泉へと旅たつものです。
     ヒバス姫の死に際し、ヒバス姫の家臣たちは、野見宿祢の殉死廃止の提言を素直に受け入れたでしょうか?
     私は、野見宿祢自身が殉死の当事者であったのではないかと考えます。
     つまり、出雲の臣といわれる野見宿祢も丹波ゆかりの人物だと考えます。
     私は、国譲り逸話には、幾つかの東漸逸話が合成されていると考えています。
     また、先代舊事本紀の火明の丹波降臨逸話についても火明という単一の人物とただ一度の渡来ではなく、丹後半島に渡来してきた外来の技術をもった人々の記憶がひとつになったものではないかと思います。
     つまり、記紀の記載を額面どおりに信用してアメノホヒを高天原から派遣された神ではなく、丹後半島に上陸した神の一人と考えるべきではないかと思うのです。
     天神とは、地祇にたいする言葉です。先代舊事本紀の火明の丹波降臨逸話をはじめ海の彼方からやってきた神が天神なのです。
     菅原道真=天神というのも、こうした経緯で理解すればいいのではないかと思います。
     スクナヒコナも古事記では、波の穂からアマノカガミ船に乗ってきたとされていますから、火明命やオオモノヌシと同様に天神ということになります。
     そのように考えれば、菅公にスクナヒコナが投影されていても不思議ではありません。
     また、菅公が天女の子という逸話についても、天女といえば、丹波が本場ですし、近江北部の天女逸話は、丹波の影響だといわれています。
     出雲臣=丹波臣と考えれば、これも納得がいきます。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月14日 17時31分

    本当だ、茨木童子も「茨」ですね。
    確かに「腕が抜ける」というモチーフは、河童も、そして、鬼にも共通しますね。
    で、必ず「取り返しにくる」。
     
    ただ、河童は、取り返しにきた後、薬を渡したり、何か「報恩」をしますよね。
    鬼にはそれがない。
    その違いにも要注目かも。
     
    で、HALさんの出雲=丹波説、承ってますよ(笑)
     
    ニギハヤヒ命に関しては、丹波っていうより、丹後半島にその伊吹を強く感じるんですけど、どうもHALさんの話を聞いてると、丹後も「丹波」に含めて考えておられるみたいですね?
     
    ちょっと違うかもしれないんですけどね。
    丹後半島にある、「鐘伝承」には、妙にひっかかってます。
     
    「鐘」が祈雨と深く関連してるって話しなんですけど。
    すいません、詳細は、
    http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/sakiji.htm
    これ、「鐘」ってなってますけど、「銅鐸」の名残じゃないのかな?
    なんて。
     
    銅鐸と縄文文化ってのの関係については、いろいろな研究があるみたいですけど、
    私は知りません(^^ゞ
     
    HALさんの、丹波=出雲説に何かひっかかりません?
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月15日 11時09分

     鬼と河童の違いは、河童は、薬を渡して勘弁してもらうが、鬼は最後には財宝まで略奪されちゃう。
     
     私は、丹波に丹後も含めています。というのは、国造本紀の丹波の項に、和銅六年(七一三)に丹波の国を割いて丹後の国を置くと記載されているからです。
     
     佐伎治神社拝見しました。
     欠字の部分ですが、若狭は確か国内神名帳が残っていたと思いますから、最初の部分は、「若狭国神名帳(正or従)三位砕導明神」となると思います。
     その後に出てくる「考證」は、伴信友の「神名帳考證」のことでしょう。
     
     銅鐸と鐘ということですが、より直接的な以下のような話があります。
     愛知県の東、東三河に宝飯郡御津町大字金野というところがあります。この金野は、金割村と灰野村の合併により、金野村の名がつきました。
     金割の地名由来譚について、源平合戦の頃、この金割の地に鎮座する熊野神社の地に武蔵坊弁慶が国分寺(豊川市八幡町:金割から東に五キロ)の鐘を持ってきた。ところが、鐘が国分寺が恋しいと鳴るため、弁慶が怒って、この鐘を叩き割った。以来、中山邑は、鐘破(かねわり)と呼ばれるようになった。
     明治の神仏分離以前は、熊野神社の奥の院は、竜嶽山中仙寺でした。中山邑は、この中仙に因むものではないかと思います。
     一方の(三河)国分寺にもこれに対応する鐘の逸話が残っています。
     現在、国分寺にある鐘には、元々、乳が八〇箇あったが、現在は、二〇数箇しか残っていません。これは、弁慶が、この鐘を陣鐘に使おうとして、鐘割村まで引きずってきたが、鐘が国分寺が恋しいと鳴るため、弁慶はこれを聞いて怒り打ち捨てたためだといわれています。
     この金野や八幡からは、三遠式銅鐸がいくつも出土しています。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 17時50分

    なるほど!
    確かに、「鬼」は最後に殺されて宝まで奪われてますね。
     
    佐伎治神社の欠字部分について、HALさんの指摘、「後記」として追記させてくださいね。
    看板の文字については、現場では読めたのに、撮影に失敗して読めなかった!
    ということもよくありますが、この神社については、現場でも読めなかったんです。
    助かりました(#^.^#)
     
    で、鐘の伝承に弁慶が出てくるんですね。
    弁慶という人物も、もしかしたら「鬼」の系譜なのかもしれない。
     
    なにしろ義経公という人物は、いろいろひっかかります。
    太平記で、大森彦七のところに化けて出た楠木正成公は、二度目に後醍醐天皇他総勢七名で彦七の前に現れますが、その時はなぜか、義経公も一緒にやってきます。
     
    それに伝説では、義経公に武術を教えたのは、烏「天狗」ですよね。
     
    また「吉野」に隠れ住んだことにも気になります。
    吉野は修験者の聖地です。
    修験者とは、忍者と無関係じゃないでしょう。
     
    その義経公に付き従った弁慶というのは?
     
    ここで思い出すのは、弁慶の伝説。
    うろ覚えで申し訳ないのですが、お寺に預けられたけれど、乱暴で〜・・・。
    という話しがありましたよね。
    これって・・・酒呑童子とそっくりじゃありませんか?
     
    銅鐸については、HALさんの方がずっと詳しいと思うのですけど、ここに「弁慶」の名前が出てきたことに、そそられます(#^.^#)
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月15日 22時30分

     忍者と修験道については、六神通(神通力)というのがありますね。この中の神足通なんていうのは、水の上を歩くとかですし、天眼通、天耳通なんかも忍法に通じるものがあります。
     
     北海道での弁慶伝説、特に地名逸話などには、アイヌ語ペンケ=同じような山や川があるときの上手のものに由来するものがほとんどです。
     北海道からは弥生土器が出土していません。縄文土器―続縄文土器―擦文土器と続きます。
     つまり、弥生人の影響がないと考えられます。
     後にオホーツク文化などの多少の影響はあると思いますが、上述のように弥生人の影響を受けていないことから縄文人が使用していた言語は、現在のアイヌ語に近いものだったと考えられます。
     八幡の北は、平尾と呼ばれる地です。平尾といっても全然平らな土地じゃない、どちらかって言うと崖が多い。
     この崖のことをアイヌ語でピラといいます。金野の字にもトコサブとカタカナで表記されているところがあります。このトコサブは、北海道の月寒(つきさむ)の語源と同じものだと考えられます。
     そのように考えますと、三河国分寺の鐘の話で弁慶が登場するのは、地名としてペンケというようなところがあった可能性もあるのではないかと思います。
     
     酒呑童子(伊吹童子)は、越後弥彦山で生を受け、比叡山に登りますが、比叡山から追放されますね。
     酒呑童子が生を受けた弥彦山には弥彦神社があり、弥彦神社の祭神は、火明命の子・天香具山命です。
     ここで、火明命がまた登場することになります。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 23時23分

    六通力って、具体的にはどんな力ですか?
    水の上を歩くのが、「神足通」
    んじゃ、「天眼通」は、いわゆる、千里眼ですか?
     
    北海道へ行った時、いわゆる「縄文壁画」を見ました。
    北海道は「縄文前期」「縄文後期」があって、弥生時代がない・・・と書いてありました。
    つまり、多分、縄文時代の半ば頃くらいかに、本州との間に海が入ってきたのかな?と私は勝手に思って
     
    たんですけど。
     
    アイヌ語については、一冊だけ本を読んで頭ひねってそのままになってます(笑)
    でも、カムイユーカラはいくつか読みましたよ。
    フクロウの神様、オオカミの神様・・・。
    少し、ネイティブアメリカンの神様を思い出しました。
     
    で、伊吹童子って、酒呑童子の「お父さん」ってことになってません?
    伊吹明神は八俣の大蛇の化身ってことで、むちゃくちゃそそられてるんですけど。
    で、ここでまた火明命が関わってくるのか・・・。
     
    火明命=伊吹
    香具山命=酒呑童子
    っていう話になったりとかしますか???
  • 水に流す。 投稿者:ノウダラ 投稿日:05月16日 02時02分

    河童(水の精霊)、水少童、「童」と言えば僕は一寸法師かな?
     
    河童は、山・水の神と考えられている地域があり「ガンタロ」「ヤマタロ」と呼ばれていたようです。
     
    流し雛で使う人形は、穢れを移した「呪具」だったそうで・・・
     
    掲示板でいろいろあったみたいですけど、水に流しましょう 
     
    僕は、ここの掲示板が一番好きだから・・・
  • 月童 投稿者:那青 投稿日:05月16日 10時45分

    元出雲について少し、
    以前は、長野(諏訪湖の本当の湖底)説を考えていたのですが、
    最近は「常陸の國」説をデッチあげようかと画策しています(ヲイヲイ
     
    茨城周辺で情報集めをしていると、
    それらしい話が創れそうな感じがするのですが、
    ・・・まぁこの辺はフィクションとして、
    書いてみるのも面白いかもと思いました。
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月16日 16時16分

     六神通の「天眼通」は、千里眼で正解です。
     「天耳通」は、地獄耳
     残りの三神通は、他心通(読心術=読唇術)、宿命通(過去未来が見れる)、漏尽通(過去未来だけでなく、地獄極楽往来のパスポート)
     九字なんていうのも修験道と忍法の共通項ですね。
     
     ところで、烏天狗って山伏の姿をしていて背中がどうなっているか見えませんが、顔は、河童に似ていませんか?
     
     津軽海峡はいつだったかな
     いずれにしても、今から六千年前から三千年前の縄文時代中期から後期は、地球が温暖で極地の氷が溶け現在より五から十メートルほど水面が高かったです。
     
     アイヌ語については、知里真志保さんの「アイヌ語地名辞典」っていうのは、値段も手ごろで、意外と読みやすいのではないかと思います。
     別のスレッドで「北氏の説を読んでみます」ってのりちゃん書いているけど、あれは、頭ひねるどころか捻じれます。
     
     ユーカラっていうのも記紀成立以前の語り部なんか近かったように思います。
     ネイティブアメリカンの言語もアイヌ語と同じく抱合語に分類されますよね。
     
     酒呑童子(伊吹童子)としたのは、話しの混乱があるのか、伊吹童子が比叡山から追われたとするものも幾つかあるからです。
     
     火明命=伊吹、香具山命=酒呑童子というのも面白いですが、酒呑童子の棲家ってどこでしたっけ?
     大江山でしたよね。
     で、大江氏の本姓は、菅原氏と同じく土師氏でしたよね。
  • ノウダラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月16日 19時39分

    「水少童」って言葉は始めて聞きましたφ(..)
    「わたつみ」と読むのでしょうか?
     
    同じ「水」でも、昔の人の「川」に対する気持ちと「海」に対する気持ちは随分違ったでしょうね。
     
    でも、海にも「小さい童」は住むということになりますね。
     
    考えてみたら、
    「ヤマツミ」の神は大人の神様のイメージですが、
    「ワタツミ」の神様は、なぜか小さい少年のイメージですね。
     
    でも、「河童」が「ヤマタロ=山の神」と見られるのなら山の神も子供・・・てことになりますか(^^ゞ
     
    一番好きでいてくださってどもありがとうございます(#^.^#)
    私は、「いろいろある毎日」が結構好きです。
    だから、掲示板でも「いろいろある」でしょうけど、皆さんが、人に敬意を持ってくださってる限り、「いろいろ」は、それがどんな形であろうとどんな色であろうと、悪いものじゃないな、と思います。
    これからもよろしくお願いいたしますm(__)m
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月16日 19時39分

    出雲、常陸の国説面白そうですね。
    常陸の国については、紀伊の国との関連性も考えられますし、何かすごく面白そうだと思ってます。
     
    是非、まとめて発表してください。
    待ってます。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月16日 19時40分

    つ・・・つまり、六神通って、仙人みたいな人が持ってる力のことですね(笑)
    地獄極楽にいける・・・あ、そういえば、小野たかむら(字忘れました(^^ゞ)が、地獄とこの世を行き来してたんでしたっけ。
     
    彼は修験者だとかそういう話を聞かないけど、どういう人だったんでしょう。
     
    烏天狗と河童というのも、気づかなかった。
    烏天狗が河童に似てるというより、河童が鳥に似てるんですよね。
    それを考えると、「人形が河童になった」という話しと、「魂が鳥になる」という話は根底で繋がってるのかも。
     
    ユーカラは、語り部さんの口から聞いたら、全然イメージが違うのでしょうね。
    私が読んだのは、「翻訳物」だから。
    ああいう、リズムと独特の韻をもっているものって、直接聞くと、魂に訴えかけてきませんか?
    一度聞いてみたいですね。
     
    大江氏と土師氏については、全く知らなかった!!!
    ってか知らないこと多すぎますけど、私(^^ゞ
     
    それにしても・・・。
    土師氏って・・・。
  • 鹿島神宮 投稿者:那青 投稿日:05月18日 02時00分

    とりあえず、
    茨城ネタを攻めるのは、
    鹿島神宮と云うか、
    はじめの鹿島神(おそらく葉槌より前)
    を再考察してみる必要がありそうです。
     
    私一人では、持ちネタに限界があるので、
    日雲様辺りのお知恵を拝借したいと考えているのですが……。
     
    ちなみに、
    道真公と将門公も(もしかすると安倍晴明も?)
    常陸の国とは縁が深いのが、
    今のところ気になっています。
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月18日 16時08分

    葉槌神ですか?
    葉槌神(倭文神)は、いろいろとっかかりがありそうですね。
    鹿島神宮の現在の御祭神・武御雷神についても、常陸では、記紀とは違うイメージで描かれている逸話がありそうでした。
    まとまったら教えてくださいね。
  • 忍者と修験者 投稿者:セラフィム 投稿日:05月18日 19時23分

     忍者と修験者については、研究家で意見が分かれるようです。忍法と修験道の秘術とはルーツが同じで、発生現場には山伏が介在していた、という専門家。いやいや、渡来人がもたらしたモノが、忍術で、修験道とは別物、という専門家。はたまた、忍者は、呪禁道や道教の世俗化がもたらした産物とする専門家。ともあれ、忍者と修験道の接点は、かなり緊密なモノを感じますね。山伏は、戦国時代には、かなりスパイとして暗躍していたようです。特に当時の山伏は、太刀や剣を所持していたようで、その名残は作法の各所に見られます。また、現在の山伏の掟(?)にも「山伏間の絆は、親子の絆より深い。」とか、「親の死に目会えなくても、師の言付けは守れ!」とか、口伝心授というような完全な秘密主義的な事があります。こうした現在の掟も、ある意味、スパイとしての約束事のような気がします。また、手傷を負った山伏は、山伏間で「処分」されたようです。地名に「アコウ」や「阿」の文字が付く、峠や山間は、そうした戦闘能力の失った山伏の「処分場」だったようです。
  • はじめの鹿島神 投稿者:ひくもん 投稿日:05月18日 21時41分

    掲示板はお久しぶりです。
     
    那青様>はじめの鹿島神(おそらく葉槌より前)
       >を再考察してみる必要がありそうです。
    いやあ、その必要性については同感なんですが、
    これについては私はサッパリ解らんです(;w
    場所的に海から陸から色々入って来そうですし、
    タケミカヅチ以前の鹿島神というものが、
    特定の神格に一本化出来るものかどうかも解りませんし。
    何か前に、
    「鹿島神宮にポリネシアの祭りと酷似した
     棒を使った祭が伝えられている」
    みたいなTVを見ましたが、あれなんかどうなのだろう?
    (確かに似てるっぽくはあった気がしましたが)
    あと鹿島人形なるものを流すとか何とか、何かしらこう、
    「春日大社とは随分趣の違ったもの」が散見されますよね。
    その辺りに鹿島の古層っぽいものがあるんかな、
    くらいには思いますが、しかしやっぱり解らんです。
    カカセオを考える上でも避けて通れないところかと思うので、
    チラチラとは見てみましたが、「お手上げ音頭」を
    一しきり踊らねばならぬくらいにお手上げでしたね。
    結構、廃絶した祭なんかもあるようですし。
     
    そう言えば、カカセオ=タケミナカタ、っていう伝承とも、
    後世の「見解」ともつかぬものが茨城の方にありましたね、確か。
    「見解」であろうと、あまり突っ込んで追いませんでしたが、
    古出雲=常陸ネタには使えるかも……?

 

伊和都比売神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月12日 23時23分

↑縁結びですかぁ……。
「自分が苦しんだから、他の人には苦しませたくない」と
いう悲劇パターンには、なるほど、貴船神社の岩長姫の
「フラレたパターン」と、露天神社の露天神社の「愛を貫
いて心中した男女パターン」の二つがありますよねぇ〜
(゚▽゚)。
 
どっちも「自分の恋愛がうまくいかなかった」わけで、
ハーンやのりちゃんの言う通り、「他人の恋愛がうまく
いかせる力があるの?」って感じしますよね!
やっぱりのりちゃんの言う通り、「救って欲しいと」より
「わかって欲しい」が前提になってるんでしょうか。
どっかで神様と仏様が一緒になっちゃったか、あるいは
元々一緒だったか(^^;)、何しろ「死んだ人に悩みを打ち
明けて、慰めて貰う」って感覚が、どっかにある証拠ですよね。
 
あ、でも、「逢いたい」という思いがたくさん募ると、
逢えるようになる(縁結びの神様に思いが届くって意味
なのかな)という話なら聞いた事があります。
これは岩長姫パターンには当てはまらないけど、
心中タイプなら当てはまりそうですね。
 
だから「一緒に祈ってやる人」がいると、早く適うのだ
とか聞きました。
私が聞いた信仰の対象は、確かお地蔵さんだったような……(^^ゞ。
でもお地蔵さんに関わらず、わりとよく聞きません?
1人で祈るより沢山で祈る方がいい、とかいうの。
あと、たくさん思うと夢で会えるとか。相手の夢に出る
とか(笑)。これ平安時代ごろでしょうかね、発端は。
 
でもそうか〜、幸せな夫婦の神様って、意外と居ないん
ですねぇ(^^ゞ。
じゃ、幸せパターンだと、「もてもて恋愛エキスパート」
タイプに頼むのが、一番強力なんでしょうかね(笑)。
でもこれだと、恋愛や結婚つーより、何か違う意味あい
になっちゃいそうな……(笑)。それはそれで揉め事の元って気も(汗)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 12時01分

    人はどういう願い事をするか・・・というのを統計とってみたら、
    「恋愛関係」が抜きん出て多いんじゃないかな、と思うんですよね。
     
    そりゃぁもちろん、神社に行くと、「受験の成功」とか「交通安全」とかいろんな御守りがあるわけで。
    願い事は多種多様だろうな、と思うんですけど。
     
    でも、「交通安全!」と必死になって願う人は、何か事情がある場合を除いてそれほどいないと思うし。
    受験の成功は、受験の時だけですよね(笑)
     
    だいたい、受験ってのは、そこそこ自分にあった学校を選んでることが多いでしょうから、ある程度のところまでは自分の努力次第ってことは、誰だってわかってると思うんですよ。
     
    でも、恋愛だけはそうはいかないでしょ?
     
    なにしろ、違う人格を相手にするわけなんで、「ある程度の成功率の予測」なんてのが不可能に近いじゃないですか。
     
    んでもって、微妙な人間関係において、相手に自分の気持ちを伝えてしまったら、その後ギクシャクすることも多いだろうから、成功率がある程度高いなら自分の気持ちを打ち明けようなんて考えちゃうと、迷宮に入り込んでしまいますしね(笑)
     
    ・・・とはいえ、私はあまり恋愛で悩んだことがないんですよ(^^ゞ
    結構、「惚れた」と自覚するのが速いし、自覚したら、黙ってられないので、すぐ口にするし。
    結果が出るのが速いんです。しかも、まだそこまで思い詰める前に告白しちゃうので、ダメだったら諦めるのも速いです。
    悩んでる隙がないです(笑)
     
    ・・・だから、人の恋愛相談を受けると、ど〜もダメですね。
     
    「どうしたらいいと思う?」
    「あ〜?とりあえず告白したら?」
    「失敗したらどうすればいいの?」
    「ん〜。諦めたらぁ?」
    「もういいわっ!!」
     
    てなことに(^^ゞ
     
    私みたいなタイプの神様がいらっしゃったとしたら(いらっしゃらないと思うけど(笑))「縁結びの神」には向かないかもしれないですね・・・。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:05月13日 23時42分

    現在多い恋愛の悩みは「片思い」とかだと思うんですよ。
    でも岩長姫がニニギに片思いしてたかどうかは判りませんし、
    心中物の場合は、両思いが前提だと思うんですよ。
    どっちも「添い遂げられなかった」悲劇であって、
    今の人々が気にするような悩みじゃないから、厳格に言えば
    どれもこれも、今風の恋愛成就には不向きかも〜〜(笑)。
     
    あと、のりちゃんが「思い当たる(夫婦の)神様がいない」
    と言った「仲睦まじさ」も、昔の人の話で「いいな〜」
    と思う夫婦は居なくないけど、縁結びの神様にされてない。
     
    と考えると、今風の神様を探したらいいんじゃないかな(笑)。
    そうすれば、のりちゃんに「どうすればいい?」なんて
    言って来る人も減るよ、きっと。
     
    と言っても、今すぐ思い当たらないんだなぁ、これが。
     
    真田信幸の奥さん、まだドラマ「真田太平記」には出て
    来ないけど、小松殿という女性がわりとアツアツ夫婦の
    カガミと言えるかも。
     
    夫信幸と舅昌幸が関ヶ原を前に袂を分かった時、信幸が
    留守中の城に、昌幸が門前に来て「孫に逢いたい」と
    小松殿に頼むんです。小松殿は武装して槍を向けてこれを
    拒否したそうです。
     
    どっちかと言うと、恋女房と言うより賢夫人という感じ
    ですがね。
     
    他には、これも上と同じ松代の人ですが、今度は江戸時代
    の人で恩田木工頭という人がいて、窮乏した財政を改善
    するために、特別に藩に抜擢された、八代将軍吉宗に対する
    大岡越前みたいな立場の人です。
     
    まずは自分が質素な生活をすると、細々と生活の仕方を
    決め、最初に妻女を呼んで「離縁」を申し渡すのです。
    妻女が驚いて理由を聞くと「自分が質素な生活をすると
    奥さんだけ贅沢にしてるわけにはいかないだろう、すると
    自分のような質素な暮らしぶりを強いる事になる、それで
    は不憫だから」と説明するんですよ。
     
    妻女は「自分も一緒に質素な暮らしをするから離縁しない
    でくれ」と頼むんです。
     
    「あ、そう、じゃね」と去って行かなかった妻もエライけど(笑)、
    「俺が決めた事なんだから従うに決まってる」としなかった
    恩田木工もエライと言うか……まあ普通こう言われたら、
    「くっそ〜贅沢してぇ」と思ってても言えないでしょうけどね(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月14日 17時32分

    今、神道集ってのを読んでると、結構「仲睦まじい夫婦」が、最後にそれぞれ神様になる・・・ってな結末になってるんですよね。
     
    考えてみたら、御伽草子でも、ものくさ太郎が夫婦そろって神様(おたが大明神・あさい権現)になってますけど、これがまた縁結びの神様じゃないんですよね(笑)
     
    やっぱり仲睦まじい夫婦ってのは、相談しがいがないんでしょうか(^^ゞ
     
    真田太平記では、小松殿って、紺野美紗子が演じるんですよね(旦那が、真田太平記のガイドブックを持ってた(笑))。
    渡瀬信幸と、紺野小松殿って、お似合いだなぁ。
    それなら縁結びお願いしたいかも(笑)
     
    つまり「憧れるカップル」になら縁結びお願いしたいってことですよね。
    つ、つまり、「憧れるカップル神」ってのが・・・ないのかも・・・。
     
    まぁ、記紀では、一夫多妻だから、女性としては、どんなに「仲睦まじい夫婦」でも、どっか「憧れない」要素は強いですからねぇ・・・。
     
    もっと現代になれば、例えば、
    桑田啓祐&原夕子夫妻なんて、結構、縁結びのご霊験ありそう(笑)
     
    でも、芸能人の「鴛鴦夫婦」って、いきなり離婚したりするからなぁ(^^ゞ
  • え〜(゚.゚) 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月14日 21時46分

    ↑なかよし夫婦がそれぞれ神様になる例はあるんですね。
    よく考えたら、神話の神様(記紀って事になるか)だって
    特に揉めた記述のない神様は夫婦円満だったのかもしれ
    ませんよね。
     
    でも、夫婦円満いがいの何か別のこと(武功をあげたとか
    非業の死を遂げたとか)で神様の座をゲットする事が多い
    のかもしれませんね。
     
    >「憧れるカップル神」
     
    何か悲しい出来事がないと、そもそもお話に残りにくい
    というのがあって、さらに「憧れ」を突付く要素に
    「悲恋」という、何か「必死な恋愛」が無いとイカン
    ちゅう事ですかね(^^ゞ。
     
    あ、そうそう。紺野美紗子さんです。今も「弥生」ちゅう
    のが出て来てるでしょ〜(^。^)。やっぱお母さんが山の手
    殿だから、どっか凛々しいというか勝気な感じの女性に
    憧れるって事ですかね〜(笑)。
     
    芸能人で言ったら、山口百恵が既に縁結びの神様級に言わ
    れてる感じがします(笑)。
    ところで、ものぐさ太郎は結婚するんですかっ(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 08時34分

    そうそう、憧れる対象ってのがね。
    それなりの「ドラマ」が必要なのかもしれませんよね。
    な〜んの波乱もなくくっついて、生涯円満でした・・・じゃあだめなのかも(笑)
     
    ロミオとジュリエットなんて、
    あれ、3日か1週間かのむっちゃくちゃ短い時間に起きた出来事なんですよね?確か。
    昔、シェイクスピアのそのまんま翻訳したのを読んで、セリフがあんまりにも長いので、うんざりした覚えがありますが・・・。
    (バルコニーの下で、あんなに長い独り言云う男がいたら、きしょいわっ!!・・・って(笑))
     
    まぁ、そういう波乱万丈さが必要なのかもしれませんね。
    「恋愛の神様」になろうとするには。
     
    私は恋愛の神様に憧れないかも(爆)!!!
     
    で、ものぐさ太郎ですが・・・。
    結婚するんですよ、これが。
     
    太郎がまず見初めるんですが、当然女は相手にしない。
    が、太郎は和歌とかがうまくて、女が見直すんですね。
     
    まぁ、頓知で結婚できたってことですかね(笑)
  • むか〜し 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月16日 00時41分

    ↑「君の名は」つうドラマがあって、私も細かくは知らな
    いけど、何しろ好きあった男女がエンエン擦れ違う話だ
    そうで、このドラマを見たいがため、放送時間に銭湯が
    カラになる(銭湯全盛時代ですな)という伝説まで残して
    いるんですが、ウン十年ぶりに朝の連続テレビ小説で
    リバイバルしたら、視聴率最低だったという……(笑)。
     
    時代設定じたいは、終戦当時あたりにセットされてたと
    思うので、今は携帯もあるから、擦れ違いなんか起こりっこ
    ない、とかいう物質的問題ではなく、今はもうウケない、
    という典型だったんでしょうね(^^;)。
     
    恋愛が一大ブームの時代ってのはある程度過ぎたのかも
    しれません。昔のドラマにはこれでもかってぐらい、
    「恋の障害」ってありましたが(白血病とか身分違いとか(^^;)、
    今は「恋が障害」ってコトも多いお寒い時代なのかもね。
     
    ものぐさ太郎のお話、ありがとうございました〜☆ミ
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月16日 19時37分

    「マチコ巻」
    って言われても、
    「食べ物のこと?出し巻とか、ナルト巻とか?」
    って言っちゃう世代ですもんね(笑)
     
    確かに、時代の「ブーム」は今は、「恋愛」じゃないような気はしますね(笑)
     
    ドラマとかでも、
    「悲恋(赤いシリーズとか)」
    「スポ根」
    「青春モノ」
    てなのが、私の子供の頃から、次々ブームになってきましたが、今はなんなんだろ。
     
    ただ一つ言えるのは、いつの時代でも、「食べ物」の話題は絶対出てくるよな〜・・・ってことでしょう
     
    か(笑)
     
    私、あんまりテレビ見ないほうだと思うんですけど、
     
    月曜日のSMAP&SMAPの、「ビストロ」は、大概見逃さないし(笑)
    木曜日の「どっちの料理ショー」もほとんど見逃しませんね( ̄^ ̄)
    ・・・だから、たまに「デザート対決」だったりすると、その1週間、志気が下がるんですよ(^^ゞ
  • 私は 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月16日 21時08分

    恋愛の神様にはなれませんなぁ。
    女性に合わせてしまいますから。
    女性が男の人に甘えたいタイプの時にこっちも向こうに甘えてしまうんですね(笑)。女性がピシッとした付き合いをしたいときには必要以上に壁をつくってしまうし。
    あ、そうか。死ぬときに「俺をあがめたら恋愛上手くいくぞ」とか言って死ななきゃいけませんね(笑)目の病気の人がそうやっていってたような。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月17日 16時35分

    なるほど。
    「似たものカップル」になっちゃうわけですね(笑)
    「恋愛うまくいくから、我に祈れ」
    っていう、臨終の言葉か・・・。
    その話は知りませんでした。
     
    私としては、
    「幕をひけ!喜劇は終わった(パクリ)」
    って言うつもりだったんだけど(爆)
    「我を祈れ」
    もいいかも(笑)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月17日 22時41分

    >「似たものカップル」になっちゃうわけですね(笑)
    必要以上に疲れますです。これは。なんというか・・・もう、今思い出しても疲れる(笑)。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月18日 16時10分

    わはははは!!
    うちの夫婦は、結構、「全然似てない夫婦」なんで楽ですけど(笑)
    正確に言うとですね。
    ・・・わ・た・し・は、楽です(爆)

 

女人解禁 投稿者:ZOU 投稿日:05月12日 23時44分

時にはこんな話題も・・・
 
先日の皇太子の発言ですが、奥さんを守ろうという意味で周りの批判をしたのであればちょっと見直したという感じです。皇太子も人の子ということなんでしょう。
http://www.asahi.com/motion/TKY200405100305.html
 
雅子さんのストレスの原因の一つに、皇位継承に関することがあるのではと思います。皇室に入った女性は、「キャリアや人格はどうでもエエから男の子を産め!」という圧力があったのかも。
 
とはいえ、皇族内で今上の孫の代での男子はいませんので、皇室典範を改定するか何かで女性の天皇を認めなければ(それはたいへん大きな問題であるにしても)、男系の天皇は空位になるか断絶する可能性が高いでしょう。
 
で、それほど遠くない将来に女性天皇が現れるとしますと、それは女人禁制を説く他の宗教に影響を与えないでしょうかね。日本を代表する宗教的司祭者が女性になったとしたら、例えば大峰の修験の女人禁制やお相撲さんの土俵の女人禁制に変化が出てくるか、ちと興味があります。
 
個人的には、神道の司祭が女性になろうが、ブードーやゾロアスターの司祭の年齢性別がどうであろうが特に意見は持っていませんが、事の成り行きには興味がわきます。長い期間が必要でしょうけど。
  • 解禁 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 07時26分

    ZOUさん
     
     私は、ZOUさんと異なり、公人としての発言として不適切な発言だと思いました。
     この発言に関わらず、種々の報道などで皇室―民間という言葉が使われています。
     民間人が、自分の嫁さんについて発言したのならともかく、そうではないのです。
     外交官をやりたかったなら、皇室に入らずに、外交官を続ければよかったわけですから
     それこそ、皇室に入れば、どうなるか、外交官試験に合格しているぐらいの才女ですからわかっていたはずです。
     極端な言い方をすれば、それこそ「自己責任」です。
     
     さて、そもそも現在の天皇制は、ポツダム宣言受諾により国体の護持(天皇制の廃止=天皇の処刑)をどのようにするかという中で生まれたもので、連合国内では、天皇処刑の意見の方が上回っていました。
     それを、現在のイラク統治と同様、アメリカの単独の意見で占領統治の手段・手法として存置されたものです。
     当時は、天皇処刑か否かという二者択一での選択でしたが、現在は、そうした状況とは別の判断も可能です。
     
     ZOUさんは、皇室典範を改正して、女性も天皇になれるようにとの意見のようですが、成人の皇太子妃にして重圧を感じているのです。
     また、皇太子の妹でさえ、いまだに貰い手がありません。
     生まれながらの女帝のプレッシャーを考えれば、それこそ全人格を損なうものになるおそれもあります。
     
     ここは、ひとつ天皇制という制度と皇室という実体を分けて考える必要があるのではないかと思います。
     天皇制は自然消滅しても皇室という実体がそれとともに消滅するわけではありません。
     天皇制という「公」としての側面がなくなれば、皇室に好意を持つ人の献金・寄付などは、いまより自由に行えるようになると思います。
     数年前に皇后の実家の取り壊しが話題になりましたが、天皇制という制度がなくなり、皇室という実体に対しての対処なら、いろいろなことが出来たと思います。
     
     ZOUさんは、神道の司祭と規定していますが、より正確には、稲作儀礼の伝統保持者というのが正確な表現かと思います。
     この稲作儀礼は少なくとも千数百年の伝統があり、それがある程度正確に伝えられていると考えられますから、世界遺産にあたるものです。
     儀礼のような無形のものが世界遺産に登録できるか否かは判りませんが、少なくとも人間国宝にはなります。
     私は、天皇制という制度より伝統文化継承者として皇室を存続させることの方が、皇族という一人間として自由な生活をおくれるのではないかと思います。
     
     今回の皇太子発言により、他の省庁より宮内庁がさらに秘密主義であることが露呈しました。
     行政改革という面から宮内庁縮小を考えてもいいのではないかと思います。
     また、「解禁」ということであれば、宮内庁縮小とリンクしますが、管轄の陵墓の調査を含め、これも宮内庁管轄から科学技術省や地方公共団体に管轄を委譲させることこそ「解禁」につながると思います。
  • 訂正 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 07時41分

     科学技術省(庁)ではなく、文部科学省でした。
     
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 12時01分

    私は、思いっきり、「奥さん守ろう」とした、と受け取ってしまいましたが(笑)
     
    ただ、実際は、皇太子様の表現のように、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動き」なんてぇ上品なもんじゃないだろうなとは思ってますけど(笑)
     
    私には皇太子様は、思いっきり、人間らしい人物に見えます。
    少なくとも、側近の方々よりは、言葉にもイキイキとした力を感じますね(^^ゞ
    ・・・ただまぁ、皇太子様を「人の子」と表現しちゃうと、いろいろいかんかもしれないのが難しいとこで(笑)
    わはははは。
     
    で、女人禁制への影響ですが、どうでしょうね。
     
    多分、女人禁制って、もともとは意味があったと思うんですよ。
    でも、それって、その時の社会的な事情というか、「雰囲気」によるもので、現代では、あてはまらないことも多いと思うんです。また、反対に現代でも、十分あてはまることもあるでしょうし。
     
    この現代において、「女性にはケガレがある」とかおっしゃる方もおられるでしょうし、人間の差別意識というのは、奥が深いと思うんで、簡単には論じられないと思うのですが。
     
    差別をなくすには、まず意味・理由のある区別と、意味・理由のない区別=差別を、まずは分けないといけませんよね。これが難しい。
     
    次に、人(自分)の中の差別意識を認めなくてはなりません。
    差別があるのに、ないものとしてしまっては、それを「なくす」ことはできませんから。
    でも、これは、もっと難しい。
     
    私とて、何気なく口にした言葉に、自分でも意識しなかった差別が含まれてることに気づいて愕然とすることがあります。
     
    差別は「する方」が、意識して直さないと、なくならないと思いますから、
    自分が差別をしていることにかたくなに気づこうとしない態度や、気づいても頑固に治そうとしない態度は是正するように努めねば。
     
    「自分が差別してることを気づかずにすむために、いろいろ理屈をつける」
    って、やってしまいガチなんですけどね。もちろん私も。
    それは、人は「変わる」のをめんどくさがるからというのもあるんじゃないかな、と思います。
     
    ・・・てなことを考えまして、女帝誕生が女人禁制に影響を及ぼすかといえば、影響が出はじめるまでにも、ZOUさんのおっしゃるとおり、「長い期間が必要」だと思います。
     
    長い期間をかけても変えていかなくてはいけないことは、一杯ありますよね。
    そりゃ、私がどうこうしたってそれが変わるとは思いませんけど、
    とりあえず、私自身、「これは変えなくちゃいけないことなんだ」と思うことについては、意識し続けようと思います。
    それでどうこうなるとは思いませんけどね(~_~)
    でも、それをやらないと始まらないですから。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 12時05分

    掲示板という場を考えて、語気を抑えてくれて、ありがとう(~_~)
     
    でも、まず疑問。
    雅子さんの自己責任って、なんに対する?
    今回の公務というか、海外訪問を休むことについて生じる、公費の損失ということならば、今回、雅子様は、渡航の意思があったことは明らかですから、責任は、それを拒絶した宮内庁にありますよね。
    また、ご自身外交をできないことに対するならば、まず「損失」が生じてないから、「責任」ってのはあたらないような。
     
    しかし、生まれながらの女帝としてのプレッシャーか・・・。
    確かに、なんでも、改革一発目はすっごいプレッシャーですよね。
    それを、生まれながらに有無を言わせず押し付けられるてのは、キツいなぁ。確かに。
    ただ、それが、男性だったら、「今までの天皇も男性だから、あなたが始めてじゃないよ」ということだけで、楽になりますかね?
    男性でもプレッシャーはすごいと思いますよ〜。
    でも女帝論については、全く知識がないので、パス(笑)
    とんでもなくトンチンカンなことを言ってしまいそうな気がする・・・(^^ゞ
     
    で、今回の皇太子様の発言により、宮内庁や、天皇家に対する意見はいろいろあるみたいですね。
    天皇家に対する批判もやはりあるようです。
    でもそれを聞いてると、なんだか、天皇家の人々を、「公の人」の部分でしか見ていないと思います。
    でも、「公」の部分と「私」の部分は表裏一体ですし、一人の「人」を、手にとってしげしげ観察できるもののように論じることはできないと思います。
     
    でも、議論するには、議論の的を「こういうもの」と仮定しないと無理ですよね。
    だからこそ、私は、「人」「人格」を的にした議論は、無意味だと思います(笑)
     
    今回皇太子様がおっしゃってる言葉の中でも、
    「雅子様に対する人格否定」ってのは、許せませんね(-"-)
     
    行動に対しての批判・否定はありえる・・・というかあってしかるべきでしょうけど、人格否定とはなにごとぞ。
    「こういう行動はこれから慎みましょう」という否定は当然あるでしょうが(強制はしてほしくないけど)、「こういう行動するってことは、あなたこういう人格ですね?まぁ、ひどい!」てな議論は、全く不愉快です。
    あほいうもんがあほなんじゃ!(笑)
    私達は、同じ愚を繰り返さないでおきたいもんですね(~_~)
     
    HALさんの、宮内庁改革に関する意見は面白いです(笑)
     
    ただ、それこそ、これはそんな簡単になんとかなるもんじゃないでしょう?
    年金改革だって、国民の意見が反映されるなら、あげなことにはならんでしょう(笑)
    つぅか、てめ〜らの恩給削れよっ!!
    という意見が少しは反映されるハズ・・・。
     
    と考えれば、今回の皇太子様の発言。
     
    もし、もしも、皇太子様が、HALさんと同じ意図を持ってたとしたら。
    宮内庁の改革を考慮に入れられて、あの発言をしたのだとしたら、
    むちゃくちゃ素晴らしい一手だったと思いませんか?
  • 塗中に尾を曳かん 投稿者:HAL 投稿日:05月13日 12時44分

     まず、自己責任というのは、皇太子妃についてというより、皇太子の発言に対しての比重が高いです。
     皇族である前に一人の人間であるという視点は大事だと思います。
     しかし、現行制度の中でのあの発言は、いただけないと
     
     さて、荘子外篇秋水篇五に「吾まさに塗中に尾を曳かんとす」という有名な言葉があります。
     どんな話かというと、
     荘子が濮水で釣をしていると、楚王の命を受けた二人の大夫が訪ね「宰相になっていただきたい」と
     荘子は竿を持ったまま振り向きもせず、ひとつ聞きたいが、「楚国には死んで三千年にもなる神亀(占いに浸かった亀の甲羅)があり、絹で包まれ、箱に納めされ祭らていると聞くが、その亀は死んで甲羅を拝まれているのと、塗中(泥の中)に尾を曳きずりながら生きていたときとどちらが幸せであったと思うか?」
     大夫曰く「それは、生きて塗中に尾を曳いていたときであろう」と
     荘子曰く、「ならば、早く往け。吾も塗中で尾を曳きずっていたい」と
     天皇制という制度の中での皇族は、楚王の神亀といえるのではないでしょうか?
     皇族も一人の人間として人間らしく生きるべきと望むなら、天皇制という制度は、必要ないと考えるのが当然の結論ではないでしょうか?
     皇族を楚王の神亀のごとく絹の衣で包み、玉でできた器に納めておくべきとするなら話は別ですが、皇族である前に彼らを一人の人間としてみるなら、私は、憲法改正により第一章(天皇条項)を削除し、皇室典範も無効にすべきだと思います。そして、待遇としては旧宮家のように、文化面では、梨園のように接すべきではないかと思います。
     その上で文化継承及び維持のために補助をするのがよいのではないかと思います。
     なお、公職選挙法で被選挙権について制限を課すなど当面は一定の政治的発言及び行動についてはシバリをかけるべきだと思います。
     
     女性解禁あるいは女性と穢れについては、私は、和泉式部が熊野を参拝したときのことを思い浮かべます。
     和泉式部が熊野を参拝した折に詠んだといわれる歌は、
      晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき
     これに対して、熊野神の返歌は
      もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき
     私は、女帝を作るより熊野神のおおらかさが女性解禁につながると信じています。
  • つづきちゃん 投稿者:ZOU 投稿日:05月13日 21時56分

    HALさんご無沙汰でーす(^^)/
    のりちゃんどもっす。お元気そうで。
    私の発言、前半の皇位継承についてはHALさんが、後半の女人禁制については、のりちゃんが女性差別を交えてレスをつけてくださいました。
     
    それにしても、“自己責任”“貰い手が無い”、わーっはっは、楽しませていただきました。座布団5枚ですね。
     
    HALさん> ZOUさんは、皇室典範を改正して、女性も天皇になれるようにとの意見のようですが、
     
    いえいえ、私の意見というのは存在しないのです。コトを伝えようとしただけなんですよ。他サイトからの情報ですが、皇族で子を生むことができる年齢の女性は、貰い手が無い女性を別にすればマサコさんかキコさんくらいだとか。なのでこのままでは、男系で考える限り皇統は絶えるでしょう。女帝を認めず、皇位が空位になる期間を認め、その後に男子の誕生を待つのもテでしょうが、典範を改定せず様子を見るのが一番面白い気がしますね。「天皇制は自然消滅」していくでしょう。気の長い話ですが。
     
    HALさん> ZOUさんは、神道の司祭と規定していますが、より正確には、稲作儀礼の伝統保持者というのが(ZOU注:長くなるので略させていただきますm(__)m改変の意図はありません)少なくとも人間国宝にはなります。
     
    ここのところがたいへん面白く、納得できるんですよ。まず、稲作技術ではなく稲作儀礼ということですから、天皇の執り行う儀礼は稲作に対する物理的な力にはならないわけです。
     
    次に儀礼の伝統保持という点では、歌舞伎や能・狂言などの古典芸能と同じ道をたどるということになりますね。それはHALさんのおっしゃることの先例とすることができます。古典芸能も、その多くは、神事の場において神に奉納するものだったといいます。それが現代に残るような形で、見せる技術を昇華させ発展してきました。また古典芸能の多くが、もとは賎民・被差別民の伝える芸であったことも大事かと。
     
    稲作儀礼を残すには、見せる技術として何らかのパフォーマンス化をするべきでしょうし、その技術の保持者として人間国宝にするというのは一理あると思います。「皇族という一人間として自由な生活をおくれる」という意見に賛成!
     
    男系天皇制を守ろうとすれば、一夫多妻制にでもしなければどうしようもないみたいです。あっちでもこちでも節操無く子を作ろーっての(^_^;)
  • もひとつ 投稿者:ZOU 投稿日:05月13日 21時56分

    さてさて、「自己責任」とは、皇室に入るにあたっての自己責任として理解しました。
     
    のりちゃん>・・・ただまぁ、皇太子様を「人の子」と表現しちゃうと、
     
    のりちゃんも言ってるじゃないですかあ。あはは(;^_^A
    私もあえて言ったんですよね。神の血筋なんてインチキくさいものがあるはずがありません。ただ、あの発言は、確かに公人としては不適切だったのかもしれませんが、皇太子が、私たちのような庶民と同様の感覚の持ち主だということが分かって面白かったんです。
     
    のりちゃん>・・・てなことを考えまして、女帝誕生が女人禁制に影響を及ぼすかといえば、影響が出はじめるまでにも、ZOUさんのおっしゃるとおり、「長い期間が必要」だと思います。
     
    あと2〜3世代の期間ですねえ。見届けたいものです。
    じつは天皇が男性であるのは、天皇が祭りを捧げる神が女性神であるからという説があります。とすれば、女性の天皇が立った時点で、天皇制は宗教的意味合いとしては破綻する可能性があります。けれども現時点では天皇の孫に男子はいません。現在は、天皇家始まって以来の危機であるという意見があります。このあたりは、天皇制批判派・擁護派、どちらさんにもお考え頂きたいものです。
     
    で、まあ、女帝が立ったとしても、形式的にはなーんも変わらんでしょう。その儀礼に(不特定多数の人間に与える)心理的な影響力はあるかもしれませんが、物理的な力は無いのですから。この心理的な影響というのは考えようでどうにでもなり、また、伝統的なものでも改変の余地があるでしょうから、女人禁制に将来の女帝誕生を含ませて考えると・・・
     
    「女人禁制に意味は無い!」と言ってやりたいです。
  • 論戦には加わりませんが(笑) 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月13日 23時15分

    要は女帝を認めると「他姓」に王統が移るということを宮内庁はとても気にしておるんだと思いますよ。
    有史以来、日本には「皇配殿下」の制度がないから「万世一系」が崩れると思ってるんでしょうね。
    女帝を容認せずに行くとしたら
    @共和制に移行してしまう(手っ取り早いですね)
    A旧宮家を皇族に復帰させる(しかし血統上東久爾宮以外は意味がないような気がする)
    の手が考えられますね。
    ま、立憲君主制のほうがいいと私は思ってるんですけどね。
    しかし、このまま皇統が続かないとすれば「護憲派」とか「革新」の人たちってさぞ困るでしょうねぇ。憲法をいじらない以上邪魔だと思ってる「世襲の天皇」を創出しなくちゃいけないんですから(笑)
  • 大嘗祭公開して欲しいですね 投稿者:HAL 投稿日:05月14日 17時22分

     ZOUさん
     
     推敲せずに書いてごめんなさい。「ZOUさんが、いってるような皇室典範を改正して、女性も天皇になれるようにとの意見も巷ではあるようですが」と訂正させていただきます。
     稲作儀礼というか、ズバリいえば、大嘗祭ですね。
     「神道の司祭」というのを訂正させていただいたのは、天皇と神道がかかわるのは、明治以降だからです。
     明治までは、天皇の葬礼は仏式ですし、御寺(現泉湧寺)の檀家だったんですから
     それに、目的は口減らしにあったとはいえ、門跡制度なんていうのもありましたし、法皇なんていうのも何人もいますね。
     見せる技術としての何らかのパフォーマンスということですが、大嘗祭なんて、変なパフォーマンスやらずに、今までどおりのを公開すれば、陵墓発掘調査が、考古学的価値を有すると同様に民俗学的にすごい価値があると思います。
     まぁパフォーマンスというより、天皇が死んだときだけでなく、アトラクションとして年に一回、いや月に一回ぐらいやってもらいたいですね。
     「あっちでもこちでも節操無く」っていうの週刊誌ネタでナマズの殿下の噂がありましたね。
  • 憲法改正で困るのは天皇制崇拝者 投稿者:HAL 投稿日:05月14日 17時23分

     北畠さん
     
     「他姓に王統が移る」ということですが、皇族になれば姓はなくなるのですから、「他姓に王統が移る」っていうのは、気にするまでもないことです。
     私は、天皇に姓がない(姓を捨てた)のは、易姓革命から逃れるため、別の言い方をすれば、将来にわたり「万世一系」という虚構を担保するためだと考えています。
     ですから、天皇家が姓を持たなければ、「万世一系」が崩れるという心配もないと思います。
     歴史的に天皇の配偶者でない女帝を見ると、元正、考謙(称徳)、そして、江戸時代にも一人いたと思いますが、すべて生涯独身ですね。
     心配するとするなら、こうした不文律があることではないかと
     「憲法をいじらない以上邪魔だと思ってる「世襲の天皇」を創出」しなければならないとのことですが、なにも憲法をいじる必要はありません。
     ちょっと、古い話ですが、現在は削除されましたが刑法200条というのがありました。尊属殺重罰規定というやつです。現行刑法は、明治時代に制定されたものであり、明治憲法下での家族法では、家父長制度が基本となっていましたから、一般の殺人に比べ、父母や祖父母を殺害した場合には、罪が重くなるというのが、尊属殺重罰規定です。しかし、現行憲法では、14条1項で法の下の平等を定め、尊属殺重罰規定は、法の下の平等に違反するということになりました。
     最高裁判例が出ても三権分立が原則ですから立法府が改正(削除)しなければ、無効や効力を有しない法令もそのまま存置されます。
     立法府(国会議員)の職業病然とした怠慢からか、刑法200条が削除されたのは、家父長制度を否定した現行憲法及び家族法の制定からかなり年月を経た最近のことです。
     皇室典範一条は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを承継する」と規定しますが、この皇統を承継する者がいなくなれば、なにも憲法をいじらなくても憲法第一章の天皇条項はそもそも天皇という実体がないわけですから効力がないわけです。
     こうした実体のないものを対象とする法令や条項は、具体的な法令名は、思い出せませんが、五万とあります。
     むしろ、憲法を改正すると、困るのは、天皇制崇拝者の方ではないかと思います。 
     現行憲法は、明治憲法の改正手続きを踏んで改正されています。明治憲法下での主権は、天皇にあり、それが改正後に国民主権となっています。天皇主権という原理の下で、その原理を変更して国民主権となったことについて、法的に、どのように説明するかという問題があります。
     法的矛盾があるものを法的に説明するというのは土台無理な話ですが、諸説ある中で、私は、憲法学者の故宮沢俊義教授の「法的革命説(八月クーデター説)」が、そこそこ論理的に説明がされているのではないかと思います。
     法的には、明治憲法の改正手続きを踏み国民主権とした現行憲法をさらに改正した場合、法的に明治憲法及び改正前の憲法の関係を法的にどのように解釈するかという問題が出てきます。
     こうなると、少なくとも「朕は」ではじまる「前書き」は、意味を持たなくなり、主権が国民にあることが明確になります。
     これは、たとえば、憲法の内容を全く変えず、条文の順番を変更しただけでも同様の結果となります。
     クーデターでも起こし、厳戒令下で現行憲法を廃止し、新たに憲法を制定するならともかく、現行憲法の改正という手続きを踏む以上、天皇の法的地位が現在より高くなることはありえません。
     ところで、北畠さんは、立憲君主制がいいと仰っていますが、参考のために理由を聞かせてもらえませんでしょうか?ください。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月14日 17時28分

    荘子の言葉と、現行の天皇制度については、おっしゃることよくわかります。
     
    ただ、誰がどうやって、「尾を曳きずって自由に泳ぎまわる亀」に戻すのでしょう?
     
    改革をするときに、
    ことが成った後の絵図面を描き上げることはとても大事なことだと思うのだけれど、
    そのことをなすためにどうするか、という具体的な行動がなければ、それこそ絵に描いた餅ですよね。
     
    あの皇太子様の発言は、ご本人にどういう意図があったかはもちろんわからないけど、結果的には、具体
    的な一歩となりえたのではないでしょうか。
     
    「改革」をする時に、「現行制度」にこだわってられないのはしょうがないんじゃないか、と。
     
    少なくとも、あの言葉で、宮内庁はなんらかの変化をしなくてはならなくなったんじゃないでしょうか。
    それは、HALさんにとっても歓迎すべきことじゃ(^^ゞ?
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月14日 17時29分

    >天皇が男性であるのは、天皇が祭りを捧げる神が女性神であるからという説
    そそられるな〜、それ(笑)
     
    「神にとって異性」が祭祀主として相応しいという考え方が面白いです。
    つまりやっぱり、
    「神の嫁」「神の婿」ってことになるのかなぁ。祭祀主は。
     
    で、話しがややこしくなりますが、私は女人禁制=女性差別だとは思いません。
     
    例えば、ある男性が、
    「ボクは修行のために、性欲を断って、生命維持に必要な以上の食欲も絶つ。でも、女性見たらムラムラ
     
    くるから、家に籠もるよ。だから、女性は絶対入ってくるな!電話もだめ!テレビはもちろんみない。新
     
    聞も女性の写真が載ってるから見ないぞ!」
    と言ったとしたら、「頑張ってくださいね」とは言ったとしても、「差別だ!」とは言わないです。私は
     

     
    「女人禁制」って、もともとはそういうもんだったのじゃ?
     
    ただ後世、志の低いお坊さんが、
    「女に触れるからダメなんで、男ならOK。なんとなれば、女は不浄だからさ!」
    と都合よくいいわけしたので、差別っぽくなったのではないかと(笑)
     
    差別は女性差別だけじゃありませんよね。
    むしろ「名前のない差別」が世の中には溢れています。
    名前がないから、それが差別だということに気づかない人も多いと思います。
     
    だから、差別をなくすには、「これはだめ」「あれはだめ」と言ってるだけじゃだめだと思うんですよ。
    もっと、皆が「考える」ようにしないと。
     
    「これは差別だ」と気づくようにしないと。
     
    ・・・と、私は↑で、書いたつもりでした(^^ゞ
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月14日 17時30分

    ほほ〜〜〜φ(..)
    結局そういうことなのか。
    つまり、女帝になっちゃったとした場合、お婿さんは、皇室からに限定するんならOKなんですね(笑)
     
    日本書紀編纂の時みたいに情報が少なければ、いろいろ裏技が使えそうだけど・・・。
    ・・・。
  • 参戦っ! 投稿者:セラフィム 投稿日:05月14日 22時01分

     ウソ、です。すみません・爆。皆様、色々と議論していらっしゃるなー、傍観しておりました。すごーく、冷静な意見なんですが・・・。今回の皇太子様の御発言で、いわゆる、明治あるいは、江戸以降の日本の「イエ社会の崩壊」がついに皇室まで来たんだなぁ、と実感したことです。つまり明治政府下では、家父長制度に代表できるように、個人の存在以前に「イエ」の存在を重視されてきたワケでして、そのイエの前では、個人の感情は基より、考えや意見すら、言えない状況でした。でも、戦後、本格的に西洋文化が入り、イエが、集団的、伝統的、序列的な意味合いから、男女の恋愛(若しくはそれに準じた)婚を基礎とした核家族化に象徴される、夫婦を機軸とした意味合いが強くなったと思います。もちろん、西洋的な教育を受け、他国との交流も深い、皇室では、そうした核家族的な近代家族を具現化するのは、時代の流れ的に仕方のないことだと思います。確かに、皇室という「公人」の立場、特に日本の伝統を包括する立場の人が、西洋的な発想で言動することに訝しく思うこともありましょうが、それは、あくまで古き良き伝統に郷愁を感じる程度のことだと思います。
     これは私的な意見ですが、今回の皇太子様の御発言は、すごく立派だ、と思いました。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月14日 23時48分

    HAL様
    まぁ尊属殺人のなくなった過程などはどうでもよろしい。
    別段そんな事には興味もさらさらないですしね。
    「憲法も所詮は法である」わけですから法律で無意味にするのも別段かまいません。
    はっきり言って皇室がなくたってお飯が食べられたらよろしい。
    八月革命説を採るのもご自分のご自由なわけですからおっしゃるものかまいませんが、私は何もそんな事言ってませんが。
    はっきりと私の文をお読みいただきましたか?私は何も自説を披露したわけではありません。宮内庁はこう思ってるんではないでしょうかねぇといっただけです。そこのところ勘違いのないように。
     
    それと立憲君主制がいいといった理由ですね。
    「汚れてない」国家元首を確保することに都合がいいと思ってるだけです。
    私が不倫したアメリカ大統領や反対派を武力弾圧するイラク大統領より純粋培養の国王、皇帝、天皇を抱えていたほうが都合がいいと思ってるだけです。
    「イギリスは醜聞だらけじゃないか」なんてことは言わないでくださいね。「個人の権利の抑圧だ」なんていわないでくださいね。
    人間というのはいたって利己主義な生き物なのでこんな勝手な意見をもっているだけです。程度の低い右翼の方は「不忠者」とののしるでしょうし程度の低い左翼の方からは「反動主義」といわれるんでしょうが、そんなこと気にしてられませんからね。
     
    それと、私に話し掛けていただくのなら「短文」にしていただけませんか?
    HALさんより無知で低脳なわたしは読むだけで疲れてしまいます。「簡潔に重点を」書いていただけると助かります。
    もうひとつ、文章はちゃんと読んでいただけませんか。私はとある一つの意見を紹介したに過ぎません。私の思想のように言われたらどえらい迷惑です。
  • もうひとつ 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月15日 07時37分

    いっておかなければなりませんかね
    「憲法を無意味にする法律を作れる」などと「日本国憲法を遵守します」という宣誓をする公務員の私にはしないでくださいね。
    いくらそういう例があろうが個別法で憲法は殺せるんだというような論法を取る方とお話するわけにはいきません。
    国家の基本法を軽視する方とお話すると不愉快になります。あらかじめいっておきますが「憲法も法である、だから改正してもよい」とはおもっていますがかといって個別法で実質的な改正をするんだと言う姑息で卑怯な論法は私はとりません。
    私はもうあなたにはレスしないのであなたも私には話し掛けないでください。ということで
    「それと、私に話し掛けていただくのなら「短文」にしていただけませんか?
    HALさんより無知で低脳なわたしは読むだけで疲れてしまいます。「簡潔に重点を」書いていただけると助かります。
    もうひとつ、文章はちゃんと読んでいただけませんか。私はとある一つの意見を紹介したに過ぎません。私の思想のように言われたらどえらい迷惑です。」
    この文は削除したものとお思いください。
     
    そういえばこういうかたがいました。とにかく著作権法を全文書き込む奴がいたんですよ。鬱陶しい事この上なかったですね。その上「掲示板で荒らしの文章を掲載するのもけすのも管理者の自由だ」といいながら人が荒らしの謝罪を受け入れその記事を消すと「何で消した?お前は犯人とグルだな」と言うとてつもなく嫌なやつでありました事さ。
     
    単なる世間話です。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 08時10分

    確かに、うちのば〜様時代の人には、
    「信じられない!」
    な発言だったみたいですね(笑)
     
    うちのば〜様も、「家柄」と結婚させられたクチだから。
     
    ただ、ほら、なんて〜のかな。
    昔の「お殿様」は、言いたいことも言えなかったって云うじゃないですか。
     
    下手なこと言ったら、部下の何人かが切腹しちゃうから(笑)
     
    そういう意味では、今回のご発言、時代が時代なら、切腹する人がかなり出たでしょうね。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 08時26分

    喧嘩になったらやだから、早めに間に入っておこっと(笑)
     
    確かに、HALさんは、この話題において、人の意見ちゃんと読んでないと私も思う。
     
    正直、「あ・・・暑い・・・(^^ゞ」と思った。
     
    内容も矛盾してるな、と思った。
     
    HALさんは、自分の言いたい話題になると人の意見をちゃんと吟味せずに、自分の言いたいことを書き連ねるくせがあると私も思う。
    それは具顕殿が「世間話」とした事件ではもっとひどかった・・・んですよね(笑)
    少なくとも、私や具顕殿の目にはそう見えた。
     
    が、ちょっと待って、具顕殿。
    具顕殿もよくHALさんのを読んでみてください。
     
    別にHALさん、具顕殿に論戦しかけてるんじゃないんですよ。
     
    具顕殿の話題に絡んで自分の意見を述べてるだけ。
     
    で、最後に、
    「参考までに」
    具顕殿の意見聞いてるだけですよ(笑)
     
    お互い、相手の文章をちゃんと読まずに書くと、つまんない喧嘩になっちゃうので(笑)
    レフェリー入ります。
     
    でも、今回、喧嘩売ったのは、正直、具顕殿だと思う(笑)
    誤解した気持ちもわかるし、私が早めにフォロー入らなきゃいけなかったんだろけど、すいません(^^ゞ
     
    でも、HALさんも、過去のことがあるから、「喧嘩早い」っていうイメージが自分にある、と自覚して、誤解受けないためには、すごい努力した方がいいかも。(←勝手なことをバシバシ言ってすいません(^^ゞ)
     
    HALさんに本名のHNはやめてくれって言ったのは、それが「固い」印象だからです。
    名は体を表すっていうから、柔らかくなって欲しいなぁ〜。と(笑)
     
    でも、HALさんも、私がうるさく言うからか、柔らかい言葉遣いを心にとめてくれてるな、と思います。
     
    長文なのは、確かに、「見ただけで疲れる」というのはわかります。
    でも、私は、短くシャレのめしてるけど、どうにでも取れるような文章で、しかも挑発するような文章だともっと困ると思います。
    何か相手に言いたいなら、なるべくちゃんと説明しようとしないと。
     
    ・・・ただ、HALさんの文章は、長くて説明は多いけど、文章が硬いというか難しいから、理解しづらくて、結果的に、「詳しい説明」と受け取れない・・・というのもわかる。
    他の話題については、HALさん、すごく分かりやすい文章心がけてくれてるなぁ、と思ってるんですけど、今回のこの話題については、ちょっと難しい(笑)
    暑くなっておられるんだな、と思った(笑)
     
    ってことで、具顕殿も、難しいかもしれないけど、できるだけ先入観棄ててみてもらえたら嬉しいかな、と。
     
    ・・・全然レフェリーになってないかぁ??
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月15日 11時01分

    のりちゃん
     
     お手数おかけしました。
     まず、わかりやすい文章っていうことですが、法律論そのものがわかりづらい。
     まして、現行憲法と明治憲法の法的関係なんていうのは、ほかの憲法解釈では判りやすく書いている学者さんでもなんかよくわからない。
     そんな中で、法律論にしたがって、法律行為と事実行為(この区分にしてもはじめてみたときは私もよくわからなかった。)に分けて考えてみるというのが、この件の話の前提になっています。
     自分では、自分では人の意見を読んでいるつもりでしたが、そのようにとれましたか?
     「暑く」って表現ともかかわると思いますが、タブーへの挑戦の気負いのようなものはあります。
     のりちゃんは、北畠さんが喧嘩売ったと理解しているようですが、関係のない「世間話」を持ち出しているあたり、これもタブーへの挑戦の気負いではないかと思います。
     で、自分の意見というのも二つあると思うんですよ。
     ひとつは、自分の信条(主義主張)のようなもの、もうひとつは客観的な解釈のようなもの
     これが、厳密にこれはこっちだって分かれるものではないですが
     さて、ここで、整理してみます。
     これは、北畠さんの投稿に対するレスで気がついたのですが、宮内庁は、独身の女性が即位しても前例からすれば、結婚が出来ず、遅かれ、早かれ、「皇統」は絶えると考えているのではないか?
     そして、今回の皇太子発言の発端もこうした宮内庁の期待と皇太子妃の考えの相違に基づいているのではないかということです。
     ZOUさんへのレスの時点では、これは気がついていませんでした。
     で、自己責任は、皇太子の発言の比重が高いとしたのは、いわゆる帝王学を期待されている者の発言ではないという点から判断したものです。
     さて、私の意見(主義主張に近い方)は、憲法上規定されている現在の天皇制より、そうしたシバリのない家元制度のような形で文化継承者として存続させた方が、皇族である間瀬に一人の人間として彼らを見るなら幸せではないかということです。
     一方、北畠さんに対するレスでの意見は、客観的解釈に近いものだと
     万世一系だとか他姓云々より女帝が即位してもいずれ、皇統は途絶えるということが宮内庁の心配している点ではないか
     つぎに、天皇という実体が消滅したときの憲法の第一章の扱いについては、削除されなくても法的に問題がないという点
     そして、憲法改正をした時点で主権が国民にあることがいまより明確になり、それに伴い天皇の法的地位が下がるのではないかということです(これは推測)。
     最後の点については、保守派といわれる人たちの間で、憲法改正論議が盛んに行われている割に実際に憲法改正手続きにはいたらないのはなぜだろうとの素朴な疑問から発したものです。
     そのことについては、解説されたものをみたことがありません。
     私は、宮沢俊義教授の「法的革命説」をわからないながらも読んでみて、このことと関係するのではないかと思った次第です。
     
     さて、改革の具体的行動(泥亀に戻す)ということですが、これは、「本人がやぁあめた」っていうのが一番すっきりするのではないかと思います。
     これは、非常に難しいことだと思いますが
     確か、義満の時代に「やぁ〜めた」っていた人がいたような記憶が
     で、私が解釈しているように、憲法改正手続きを経た時点で、国民主権が明確になるとするなら、憲法改正手続きというのも一つの方法ではないかと思います。
     憲法の内容を変えなくても日本国憲法の表題を日本憲法に変えるだけとかの  
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月15日 11時02分

    北畠さん
     
     上述のように、私は、北畠さんの意見(解釈)に対して、そうじゃなくて、こう解釈できるのではという意見(解釈)を述べたつもりです。
     あなたの意見(解釈)に対し、あなたの思想のように言った箇所が私には思い浮びません。
     そのような箇所があれば、訂正させていただきたく思いますので指摘願えませんでしょうか?
     逆に、私は、個別法で憲法を無効に出来るなどとは思っていません。天皇という実体がなくなれば、憲法第一章は、削除しなくても効力を有しないといっているだけです。
     行政法上に当然無効というのがありますね。これと同じ考えです。
     また、私は、憲法を軽視したことはありません。憲法が謳う個人の尊厳の尊重は、常に頭の片隅ではなく私の頭の中心に据えてあります。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 17時48分

    いや〜、言いたい放題言って失礼しました(^^ゞ
     
    私が「矛盾してる」と思ったのは、
    「今回の皇太子様の発言」が「現行制度」の点に立って「いただけない」。
    でも、「現行制度」は変わらなくちゃいけない。
    って二つのことが、相容れないと思ったからなんですよ。
     
    天皇家の人々が
    「や〜めたっ!」
    ってもし言うとしたら、「現行制度上」は、とんでもなく「いただけない」ですよね。
     
    そういう意味で、
    「HALさん、皇太子様が何やっても、『いただけない』って言うでしょ!!んも〜あっついんだから!!」
    と思ったんですね(^^ゞ
     
    でも、確かに、今回の話題について、語調が固いのは、法律の話しだからですよね。
     
    失礼しました〜〜〜m(__)m
  • 勘違いのないように 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月15日 17時58分

    いっておきましょうか。
    「皇統が絶えようが、憲法が象徴である天皇を設定している以上は別王家を立てなければならない」ということです。
    必要がないなら憲法改正して国体を変えてしまえばいいだけの話です。
    なにも判例で無効化することはないのです。無論法令でもです。
    憲法の一部を無効化する、というあなたの言い分は憲法を遵守するという宣誓をしてお飯を食べてる私の入れるところではありません。憲法を頂点とする法を道具に私は生きています。ここがご理解いただけないのですからこれ以上あなたと私は話しても無駄です。
    ですのであなたの問いに対しても返答しません。
     
    別にあなたに他意があるわけじゃないし、ここの掲示板の趣旨には沿いません。管理人さんにも大迷惑をかけてしまいました。ですのでこの話はもうなかったことにします。
     
    で、東宮の発言についての感想を言いましょう。確かそういう風に話が始まったはずですから。
    個人としては「優しい人やな、だんなとしては」とは思いました。
    が、公人としては「報道に恨み言いう前に宮内庁怒鳴りつけて、状況打破するほうが筋じゃない?」と思いました。雅子妃殿下は行く手険しき道を選んだのなら東宮はもっと支え方があるんじゃないの?と思いました。そこまでの覚悟がおありでないならそれこそHALさんの言うように皇室に入らなければよかったわけですからね。
    と思いました。
  • 1 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月15日 18時49分

    現在、国王を持つ国の多くが長女継承を決めてますから、特に男尊女卑が理由ではなく、男尊女卑であった時代の前例を覆すキッカケが掴めないだけ、と想像します。だからそれを法律に定めない理由は、もう絶対に子を生めない年齢になってからでもいい、と考えられてるからではないでしょうか。
     
    が、そう悠長では立ち行かない事情もあり得ますよね。もし重大な人権侵害が裏にあるなら、訴訟という具体的方法を取れない立場では、確かにマスコミに訴え、マスコミを通して国民全部に言い聞かせる以外無いとも思います。
     
    皇太子妃の海外渡航のご希望については、未だその具体的な根拠が示されてません。どこの紛争に心を痛めておいでといった、外交官なら当然あって然るべき心底のみならず、例えば紀子妃殿下は沖縄にかつて興味をお持ちだったり、手話を学んでおられたり、何かなさりたい事の片鱗が窺える要素がおありでしたが、どういう国に関心をお持ちとか、どこの文化に傾倒が深いといった、類するお話すら一切ありませんでしたよね。
     
    個人のキャリアや人格、将来への希望がどうでもいい、とまでは言いませんが、この空前絶後の不況のさなかに「血税を使って海外に行きたい」では、問題ではありますよ(^^;)。「望みを適えるためだけに国民を利用した」事になりますから。
     
    が、思うに、この「ご希望」というのは、核心の部分を外した形で出た話ではないかな、と。具体的なこと(つまり嘘)を言ってしまえば、後から取り返しがつかなくなるので、適当に言葉を濁されたのかな〜なんて「想像」してます。
     
    そもそも「産め産め」と言われるプレッシャーは「人権侵害」でしょうか(^^;)?
    何を言われても産みたくなければ産まなければいい事ではありませんか。今回の皇太子様のご発言を拝見して、少なくても妻を縛り付けたりスタンガンで脅したあげく、強姦してまで子を産ませる男性には、とても思えませんよね?
     
    それより想像する限り思い当たる重大な人権侵害とは、「子を産みたくても産めな」かったり、「結婚したくても出来ない」ことではなかろうかと。
    皇太子妃に男子出生を期待される余り、他との比較や、他の妃や皇女の出産に待ったがかかるとしたら、これはかなり重大な人権蹂躙には思えます。
     
    しかし仮にこの通りの事情であったからと言って、現在の皇太子夫妻に一体何が出来ますか。しかも、弟宮ご夫妻や妹宮の不名誉にあたらぬ形を取るとなれば、いかに困難のつきまとうものであるか。
  • 2 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月15日 18時52分

    そう考えれば、皇太子様は「一家の家長」として発言されたとも想像できます。それを「イエ制度」と言うか「家族愛」と言うかは、私には言い分ける術もありませんけど(笑)、マスコミや宮内庁が「攻撃」され、国民が「訴えを受理した」のではなく、我々国民全てを「訴えたかった」のかもしれませんから、我々が彼らを擁護してるかのような口ぶりで出て来ちゃいけませんぜ(笑)。
     
    ただ「人格否定」という言葉が内部を批判してるのであれば、国内に限らず王室に嫁ぐ方に、お金持のお嬢様とか、気位の高いお姫様とか、何しろワガママなタイプが多かったのかもしれません。だから皇室周辺の典例には、そうした人を抑える方向で練られた部分が多いのではないでしょうか。生身の声で何かを言っても、全て「ほどほどに聞き流す」といった風潮はあるかもしれません。
     
    この傾向が行き過ぎて、皇室の心に適わぬ方向に政治が軍事が暴走するという向きも、長くこの国を支配しましたが、一概に「聞き流し」を「陰湿」「冷徹」と決め付けては、この国はあっちゅう間に王制国家になりますよ(汗)。
    あくまでも今回の事は「急事に体制が追い付かない不備」を見抜くべきではないかと思ってます。
     
    女人禁制については、私は女性なので「女だけの、ヒ・ミ・ツ(^。^)」という場には喜んで駆けつけますし、殿方には「ダメダメ〜、オ・ン・ナだけ」と積極的に言いたいクチなので、特に女人禁制を男性にだけ強いませんねぇ。やられたらやり返せばいいだけの事じゃないですか(笑)。
     
    また、生まれながらの女帝は人格を損なわれ、男帝なら人格を損なわれない理由を教えて下さい。女帝の結婚も、別に男宮のお妃選びと大して変わらないんじゃないでしょうか? なんで婿を皇室からに限定すんのよ?(汗)
     
    女帝を容認すれば済む事なので無意味には思えますが、共和制にすると男帝のままで行ける、という点がちょっと判りません。説明頂ければ幸いです。
    一方、旧宮家の復帰という点は、私も以前は軽くそのように考えた事がありましたが、これは多分、相当ややこしい問題の発端になる気がします(汗)。
     
    その他、憲法の改正で困るのが左翼とか右翼とか(って事よね?)の辺りは、何か実りのある展開になると思えないので関わりませんが、立憲君主制ってんですか? 良く知りませんけど、今のままがいいです。
  • 3 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月15日 18時55分

    少なくてもフセインが逮捕された時、日本の国民は天皇に救って貰ったもんだよねぇ、イラク人は可愛そうだな、と思いましたし、このほどの人質救出でも、天皇陛下の「助けてね」に頬を緩ませて、コロリと言う通りになってくれたり、「アメリカ、天皇に弱いから〜、チョロイなぁ」と私なんか笑ったもんです(笑)。
    このような「外交」なら、是非お願いしたいもんです。
     
    ところで、確かに関係の無い事でいきなり文章が増えてますよね(笑)。私も長文を立てる方なので、人の事ばかり言う気はないですが(^^ゞ、自分が関わってるスレッドではご遠慮願いたいですね(特に日光関連スレッド:爆)。
     
    また稲作については、稲作民とか何らか一部だけの勲章であってはならないから、万世一系が(無理やり)編み出されたのだと思うわけで(笑)、まあ今はその役割は終えたと見て宜しいのではないかとも思いますが、あまり経緯を取り違えて話されるのは関心しません。またその是正(だよね?)を、後で荘子で説明するのが、また長いってば(^^;)。
     
    ただし、大嘗祭の文化伝統継承や陵墓の調査について、皇后の実家取り壊し事件については、なるほどと思いました。ボランティアとか寄付にせよ、別の形が取りうるとは思えました。
     
    ちょっとビックリして、慌てての介入なんで、私も読み落としがあれば勘弁(笑)。
  • とりあえず 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 19時30分

    ややこしくなっちゃうといけないので、とりあえず管理人が収めちゃいますね(~_~)
     
    具顕殿からは、先ほど個別に、
    「『憲法一章無効』ついては、どうしても相容れないので、この件については、もう不問にしたい、が、他の話しでは、盛り上がりましょう。皇太子様の発言自体については似た感想だから。」
    という気持ち、承りましたし(笑)
     
    HALさんからも、「全くもめるつもりではなく、誤解を受けるような表現をしたのなら申し訳ない」という旨承ってますので。
     
    「他の話しでは話しができるのに、この点だけは、この人の意見は受け入れられない」
    ということはよくあることなんで、まぁ、とりあえず、この件については、お二人のお話は終わってもらおうと思います。
     
    すいません、こたつさんが折角入ってくださったのに(^^ゞ
     
    ただまぁ、この点については、いろいろな論点があるんで、一度、場を直して、また盛り上がってもいいかも。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 19時36分

    この手の話題は、女性だけで盛り上がると、むっちゃくちゃ盛り上がりそうですよね〜(笑)
     
    んで、
    >そもそも「産め産め」と言われるプレッシャーは「人権侵害」でしょうか(^^;)?
     
    についてなんですけど、
    結局これが進展して、
    「お世継を生めない女はうんぬん」
    になった時に始めて、「人権侵害」になると思います。
     
    今回の皇太子様の発言では、
    「人格否定」
    ってなってますが、
    そこに、「お世継生めない女うんぬん」があったかどうかは、わかりませんね。
     
    でも、「あったんじゃないの?」と、想像する人が多いから、今、宮内庁は対応に追われているのか、と(笑)
  • ちょっとだけ逆らわせて 投稿者:HAL 投稿日:05月15日 19時59分

     せっかく管理人さんが納めてくれましたが、ここの部分も私は、北畠さんの誤解が解けると思いますから一言だけ
     私が、尊属殺重罰規定を持ち出したのは、もう少し適切な例の記憶があいまいだったからです。
     あいまいな記憶では、伝染病か何かの法令だったと思います。
     あいまいな記憶ですから、ちょっとアレンジして、書くことをお許し願います。
     たとえば、ある伝染病の予防接種を受けなければならないという法令があったとします。
     しかし、この伝染病が撲滅された。
     法令にあるから予防接種を受ける義務があるか?
     また、法令が削除されていないから、もう一度、この伝染病のウィルスを作り出さなければいけないか?
     私が言いたかったのは、このことです。そして、上の北畠さんへのレスにも書きましたが、無効化するではなく、その条項あるいは法令に効力がなくなるというのも上記伝染病の法令の解釈のようなことです。
     私も近い将来法律で飯を食おうと思っています。上記解釈間違っていましたら、ご指摘願います。
     
     で、北畠さんの皇太子発言についての公人として筋が違うというのは、まったくもって私も言いたかったことです。
     代弁ありがとうございます。
  • やっとカキコでき(^_^;) 投稿者:ZOU 投稿日:05月15日 22時53分

    HALさん、北畠さん、そしてのりちゃん、今回はどうもややこしいスレを立ててしまい申し訳ありません。発端の責任は私にありますので、どなたも穏便に引かれますようお願い致します。
     
    HALさん・北畠さんや、セラフィムさん・こたつ城主さんのご発言は、どれも、無知な私にとって今後の思考の糧となる大変重要な情報を含む発言であります。
     
    なんだか、またアゲてしまうことになりますが、今回の私の書き込みにて最後とされますように。以上、ご迷惑をおかけしました。
    のりちゃんごめんなさいm(__)m
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 23時20分

    おおお。そういう意味だったか(笑)
    今わかりました(笑)
    少なくとも、私には、HALさんのこのレス、勉強になりましたわφ(..)
     
    HALさん、試験前なのに、一生懸命、誤解解こうとしてくださってありがとう(#^.^#)
    ってことで、とりあえず、私も今日は三度めの登場ですわ(笑)
    でも、もう寝る(~_~)
     
    HALさんも試験頑張ってね。
  • ZOU様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月15日 23時22分

    いいえ、決してややこしいことになってるわけじゃないです(笑)
     
    正直、最初、この話題みたとき、もっとややこしい話しになると予想してたんですが、思ってた以上に皆さん、大人でした(~_~)
     
    人は誰でも自分の意見があり、それをクチにしますし、
    それに対して、「絶対相容れない」と思う人がいるのは当然です。
     
    今回、具顕殿はHALさんの一部の話に拒絶反応を示されたけれど、
    でも、
    「他の話しでは、盛り上がりましょう」
    とおっしゃってますし、
    HALさんは、「それでも誤解を解きたい」とおっしゃってます。
     
    こたつさんもすぐ、フォローに入ってくださいましたし。
     
    正直、「みんな大人だなぁ」てのが私の感想です(笑)
     
    でもまぁ、いろんな人が、この話題に関しては、頭悩ますみたいなので、とりあえず話題は終わらせ、スレ下げちゃいますね。

 

GWも終わり・・・ 投稿者:セラフィム 投稿日:05月05日 21時47分

 GWも今日で終わり・・・。どんなGWでしたか?私は、お寺の行事、師僧のお護摩に忙しく、結局、バタバタした休みでした・笑。神社、仏閣の参拝はできませんでした。そうそう、伏見稲荷の師僧に連れてってもらいましたよー。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月06日 18時19分

    私は休みが終わってちょっとほっとしてます。
    なにしろ、休み中は食ったくった。
    体重が怖いよ〜。
     
    さて、伏見稲荷にはどんな感じを受けられました?
    お忙しいでしょうけど、ひとつひとつ、セラフィムさんの目でいろんなことを感じ取ってくださいね。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月06日 21時42分

    お仕事・・・・でございました。
    そして今日が休み。やってられん(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月07日 16時22分

    お休みはどうでした?
    でも実際のとこ、GWはどこも混み混みですから。
    休みがずれる方がうらやましいような気もしますけど・・・。
    世間が休みの時働くのって、気持ちいいけど、でもちょっと寂しいですよね(^^ゞ
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月08日 22時25分

    店がすいてる、というのと連れと行くというのとどちらがいいかってことになるんですけど。それこそ一長一短でねぇ。
  • 伏見稲荷・・・ 投稿者:セラフィム 投稿日:05月08日 23時16分

     伏見稲荷は、本当に信仰のお山、って感じがしました。あの鳥居の多さと言い、あの祠の数と言い、何よりも迷路な道!師僧に連れてって貰った祠の所在が、イマイチ記憶にありません・汗(いろんな所を歩いたからなぁ。)師僧は、ここで霊感を開眼されたそうです。
     のりちゃん様、色々ありましたが、特に進展は無しでした・笑。まぁ、果報は寝て待て、というか・・・。そうそう、偽行者が伏見にはいましたよー。師僧が、こそっと「偽者や」と・・・。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月09日 17時00分

    う〜〜〜・・・確かに(^^ゞ
    うちの場合、私が年中休みなんで、旦那はいつ休みでも「連れと一緒」なんですけどね(~_~)
    共働きの時は、二人の休みが合わないと困りました。
    確かに、一長一短(>_<)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月09日 17時01分

    滝も多いでしょ。
     
    伏見のお山には「クダギツネ」もいるんですよね、確か(笑)
     
    本当に、ニセモノとホンモノがあるかどうか、私にはよくわかりませんし、誰がそれを区別するのか知りませんが、セラフィムさんは、どうぞ「ホンモノ」になってくださいね(#^.^#)
     
    で、いろいろあった件ですけど(笑)
    焦っても進展しないときは進展しませんし、
    何もしなくても、どんどん進む時はあっという間に進みますよ。
    こういう問題は、周りの動きを見るよりも、自分の心をじっと見詰めてください(#^.^#)
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月10日 23時59分

    暇に任せて北畠親房の「神皇正統記」なぞ読んでいたのですが神代のところで
    「なぜウガヤフキアエズまでは何万年という治世で神武から100年単位なのか?それは・・・・神道というのは奥が深いからねぇ。あ、イワナガヒメの呪いのせいかもしんない」などと至極適当な事が書いてありました(笑)。
    まこと神道とは奥の深いことよ・・・。
  • 大山 投稿者:那青 投稿日:05月11日 00時47分

    遅くなりましたが、
    GWは丹沢山系の大山にハイキング&神社仏閣巡りに行っていました。
     
    山頂からの眺めは、
    晴れているのに、何かの力に邪魔されているが如く、
    江ノ島さえ見えませんでした。
    まぁ、代わり? にUFO写真が撮れたので、
    良しとしておきます。
     
    ところで、セラフィムさんに質問ですが、
    修験者の方って良くUFOを見るものですか?
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時20分

    わはははははは!!
    な・・・なんともそれは(笑)
    しかし、北畠親房公といえば、阿倍野神社のご祭神。
    神様がそうおっしゃってるのですから、正しいのでしょう(~_~)
    そうかぁ、イワナガヒメの呪いは、ニニギ尊・ホホデミ尊・ウガヤフキアエズ尊には効かなかったんですね(笑)
  • 那青様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時20分

    UFOの写真ですか!
    それは、MIBにお気をつけを(笑)
  • 那青様 投稿者:セラフィム 投稿日:05月11日 20時05分

     残念ながら、UFOにはご縁がありませんねぇ。だから、MIBに付狙われることはありません・笑。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月11日 22時45分

    よく呪いの言葉で「子々孫々の後まで」とか「7代先まで」とかいいますよねぇ。
    あれと一緒ではないかと。
    後、彼の場合結構神代は大陸の何の時代か?ということを推敲してます。
    曰く
    「バンコがでたのはホホデミ治世の末期である」
    「フキアエズ治世835667年に釈迦誕生」とか。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月12日 17時48分

    わははは。
    とはいえ、「UFO(Unidentified Flying Objects)」ならば、よく見ますね、私(笑)
    目悪いんで、飛んでるものはあんまり確認できないです(爆)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月12日 17時48分

    えええ?
    そんなことになります?
    しかし、ホホデミ治世の末期に、「世界の卵(バンコって卵じゃなかったでしたっけ?中国神話ですよね?)」が生まれたとは・・・、高天原ってどこにあるんでしょうか(笑)
    む・・・むちゃくちゃやなぁ・・・そう考えると(笑)
  • でも・・・。 投稿者:セラフィム 投稿日:05月12日 20時27分

    のりちゃん様へ
     
     たまに、記憶を無くしていることがあるんですよー。その時は、MIBの人に「パシャッ!」ってされて、記憶を消されているんでしょうかねぇ。あっ、言い忘れましたが、その時に限って、お酒を呑んでいます・爆。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月12日 23時32分

    どうも南北朝期は日本が中国より先に出来た事になってるんじゃないかな?
    親房ほどのお方が「多分そうでしょう」なんて不確実な事は言わないでしょう。
    バンコは日本以外の世界の親なのです(笑)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 11時55分

    あ、そういえば、私は、多重人格症なんですよ。
    第二の人格は、エロ親父なんです。
    大概、お酒飲むと、第二の人格にとって変わられるんですけどね(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月13日 11時56分

    わははははは!!!
    ただ、ひとつわかるのは、親房公は、日本書紀を、「正史」と信じておられた、ということですね。

 

新スレ 相撲と雛祭り 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月10日 17時17分

HAL様
縄文文化(と決め付けてよいかどうかはわかりませんが・・・)と、麺類の関係、面白いです!!
いや、HALさんがおっしゃってるのは、麺類じゃなくて、
「米ではない穀物」とオシラ様や、出雲・信州。
ということなのでしょうけど。
 
麺類っていえば、
蕎麦から作られる蕎麦(昔は、麺ではなくて、蕎麦がきだったでしょうけど)。
小麦から作られるのは、スパゲティ・うどん・素麺・冷麦・中華麺。
米から作られる、フォーや、ビーフン。
 
などがありますね。
 
こうやって見ると、小麦から作られるものがすごく多いなぁ・・・。
それだけ小麦栽培は世界中で行われていたんでしょうね。
 
米栽培の方が麦栽培よりも盛んだというのは、世界的に見れば、特異なことなのかもしれないですね。
 
・・・で、今まで、麺類は、シルクロードを経て、西から東へ、もしくは東から西へと運ばれ、で、中国から日本へやってきた、と思ってたのですけど・・・。
 
もしかしたら、違うかもしれないですね。
 
考えてみれば、なぜ、人は穀物を「麺」に加工したんでしょう?
確かに、乾麺にすれば、保存性はいいですけど、保存性のためならば、穀物をそのまま保存しておいてもいいはずですよねぇ?
 
それを考えれば、出雲、諏訪の蕎麦。アマテル神と素麺の関係も見えてくるかもしれませんね。
 
低湿地帯と右手・右足、左手・左足を同時に動かす歩き方の関連、よくわかりました(#^.^#)
ありがとうございます。
確かに、反対側の手と足を出す動きは、ふんばりがきかないですね。
 
相撲の起源というものもよくよく見詰めると、ものすごく面白いですね。
  • 粉食の文化 投稿者:HAL 投稿日:05月10日 19時07分

    のりちゃん
     
     稲作可能な場所で、同一の面積で米と小麦を栽培した場合、米の方が沢山(カロリー的に)採れるというのを前に本で読んだことがあります。
     南アジアから東南アジア、さらに極東において、米が栽培されたという理由のひとつは、ここにあると思います。
     最近の発掘で水稲栽培は、長江下流域の河母渡、良渚あたりが起源とされ、黄河文明に先立つといわれています。
     他の穀物と比べ、米というのは、粉にしなくても食べれるというのが特徴かと思います(麦飯というのもあるが)。
     麺職を含め、粉食というのが、米以外の食物を主食とする場合の摂取の形となります。
     麺は、黄河流域で発明されます。現在のうどんと同様のものか否かはともかく、饂飩は、空海がもたらしたといわれますね。讃岐うどんは、その空海がもたらした饂飩を発祥とするっていいますね。
     一方、西洋での麺食といえば、イタリアのパスタが浮かびますが、イタリアでパスタが生まれるのは、元=蒙古帝国のころです。中国の麺とどのようなつながりがあるかは具体的にはわかっていませんが、マルコ・ポーロあたりが関係しそうです。
     
     粉食という点からみると、日本に石臼が渡ってくるのが奈良時代だったと思います。当時は、テンガイという名で呼ばれていたと記憶しています。
     一方、小麦を主食とする西洋では、粉にする技術が発達します。オランダの風車も小麦粉を作るためといわれますし、産業革命も小麦粉を大量に作るためといわれます。
     粉という点からみますと、磁気テープなども均一の粉を作ることが基本となりますし、女性のファンデーションなども均一の粉を作る技術ですね。
     さて、上述のように、米以外の穀物は、粉にする必要があります。
     日本に水稲が渡来する少し前ぐらいには、ヒガンバナの球根が食されていたようです。ただ、これは、そのままでは毒があるようで、粉にして水にさらしました。
     またドングリなども粉にして水にさらして渋を抜き食していました。
     石臼は、日本には、まだ伝わっていませんでしたが、のちの薬研のようなもので粉にしていたようです。
     縄文遺跡からもドングリなどを粉にして練って固めて、焼いてクッキーのようにしたものが炭化して出土していますね。
     こうした粉食の伝統があった地域が麺食を受け入れたと考えられるのではないかと思います。
  • 横綱の起源と住吉大社 投稿者:HAL 投稿日:05月10日 19時08分

     東富士関までは、横綱審議会でなく、相撲司・吉田追風家から横綱免許状が発行されていたことまで話しました。
     東富士関は、第四十代です。初代は、明石志賀之助、二代目は、綾川五郎次(?〜1765)、三代目は、丸山権太左衛門(1713〜49)です。
     この丸山は、寛延2(1749)年、八月に吉田家から横綱免許状が発効されています。
     では、初代の明石は、横綱免許状が発効されているかといえば、不明です。なぜ、明石が初代とされるかの根拠は、宝暦年間(1751〜63)に書かれた「相撲鬼拳」という資料に、「明石志賀之助と申す関取、高のありし、日下開山(天下一の相撲取り)これなり」のようです。
     二代の綾川については、四代目の谷風梶之助(1750〜95)と五代目の小野川喜三郎(1758〜1806)が、同時に吉田家から横綱を許されたときに、勧進元をつとめた浦風、伊勢ノ海が幕府に提出した書類に「その儀は先年、丸山権太左衛門、綾川五郎次と申す者ども右横綱伝授申請候儀に御座候」と書かれていたことが根拠になったようです。
     初代の明石は別として、以来、四十代の東富士まで、吉田家から横綱免許状を発効された者が歴代の横綱となります。
     吉田家のほかに、京都の五条家も横綱免許を発効していましたが、五条家のみから横綱免許を発効された者(たとえば、明治時代の大碇)は、相撲協会は公認していません。
     さて、四代目の谷風梶之助の通算成績は、258勝14敗15預16分5無勝負です。この谷風が現役を去るころに現れるのが雷電為右衛門(1767〜1825)です。
     雷電の通算成績は、254勝10敗14預2分5無勝負と谷風を上回り、史上最強の関取といわれています。
     しかし、この雷電、歴代横綱の名を残していません。
     雷電が横綱になれなかった理由は、諸説ありましたが、このころは、大関が最高の地位にあり、横綱は、大関の中で特に強豪にあたえられた称号に過ぎなかったからです。
     番付にはじめて横綱の文字が登場するのは、明治23年のことです。
     現在でも楽日には、これより三役揃い踏みが行われます。そして、結びに勝った者には、「大関に適う」と行事が名乗りを上げます。
     つまり、横綱は、大関の中で特に強い者の称号であり、横綱を締めての土俵入りを許された者ということになります(ただし、最初のころは、横綱が一人で土俵入りをし、現在のように太刀持ち・露払いを従えるようになるのは天保年間)。
     横綱土俵入りでは、化粧回しの上に注連縄用の綱が巻かれますが、この「横綱」の起源について、住吉大社の相撲神事に求める説があります。
     摂津名所図会の「住吉大社、9月13日に相撲会があり、犢鼻褌の上に注連を纒ひて手合す」というのが、それです。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時19分

    あ・・・、すいません、米や麦以外って、粉にしないと食べられないのですか?
    こないだ、黍をもらったんですよ。
    2キロほどあるんですが、半分は黍団子にしてみました。
     
    苦労したわりには・・・でした(^^ゞ
     
    んで、普通に蒸してみようかなぁ?と思ってたんだけど、それは、もっとまずいのか(笑)
    どないしよう・・・。
     
    詳しくありがとうございましたm(__)m
    ヒガンバナの根を食べたってのは知りませんでした。
    そう、子供の頃、あの花を活けてた水は絶対飲んではいけない、と教わりました。
    死ぬことはないですけど、お腹壊すんですって。
     
    で、また、関係ないとこで疑問をもっちゃったんですけど(^^ゞ
    日本で「穀物を粉にする」といったら、おっしゃるように碾き臼を思い出しますよね。
     
    でも、西洋の水車って、「搗く」んじゃなかったでした?
    挽くのと搗くのでは、出来上がった粉にかなり違いがでませんかね?
     
    そこらへんになんかこう、ひっかかりを感じたんですけど。
     
    で、相撲ですが。
    横綱って言葉も考えてみたら、不思議な言葉ですね、確かに。
    「横の綱」って??
    って。
    それが、「注連縄」のことだ、と考えると、これは・・・。
    そして、その起源が、住吉大社だというわけですね??
     
    う〜〜・・・なんか、ぶっとんでしまって頭が真っ白(笑)
     
    住吉大社はやっぱ何度か参拝しなきゃな〜〜〜・・・。
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月11日 17時59分

    のりちゃん
     
     米以外の穀物は、粉食にした方が、消化吸収がよいというのは、何かの本で読んだことがあります。
     それと、小麦は、グルテンとかいうタンパク質を含んでいますよね。あれは、粉にして水を加えると粘りがでます。
     小麦以外には、この成分が入っていないから、パンにしたり、麺にしてもパサパサになってしまいます。
     ヒガンバナについては、愛知大学の総合郷土研究所長の有薗教授が「ヒガンバナが日本に来た道」という本で、ヒガンバナは、元々、栽培植物であった旨を書いています。
     搗臼というと粉というより精白に使ったのではないでしょうか?
     碾臼の歴史については、「粉の文化史」という本に詳しく書いてあったのですが、しまいなくして見つかりません。
  • 住吉大社と土師神 投稿者:HAL 投稿日:05月11日 18時00分

     「摂津名所図会」は、「犢鼻褌の上に注連を纒ひて手合す」に続けて、「これ即ち三韓退治の体を表す」と記します。
     なぜ、これが「三韓退治の体を表す」のかは、「摂津名所図会」の文面からではわかりません。
     一方、吉田追風家では、「本朝相撲之司吉田家伝」において、住吉大社の相撲神事に用いる注連について「横綱とは、嵯峨の時代の弘仁年中(810〜23)に、住吉大社の相撲会で、近江国の住人「はじかみ」という力士に一人も勝つことが出来ないことから、当時の行司の志賀右左衣門尉が、住吉大社の注連を「はじかみ」の腰に纒はして、対戦相手がこれに手を掛けることが出来れば、「はじかみ」の負けにするとのルールを定めてみたが、誰一人として「はじかみ」が腰に纏った注連に手を掛けることが出来る者はいなかった。これが横綱のはじまりである」旨を記します。
     吉田追風家は、文中の行司・志賀右左衣門尉を系図上の遠祖としています。横綱については、第41代・千代の山雅信(先々代九重、現九重の第58代横綱千代の富士貢の師匠)からは、相撲協会の認定によりますが、行事については、立行司・木村庄之助&式守伊之助は、現在でも、確か吉田家の弟子という形をとっていたと思います。
     「摂津名所図会」と異なり、「吉田家伝」においては、横綱が腰にまく横綱の起源となる住吉大社の相撲神事の注連について、「はじかみ」という力士に勝てるものがなく、腰に注連を纏わせそれに手を掛けれれば勝ちとするというハンディキャップ・マッチによるものとしています。
     「摂津名所図会」より話の筋が通っています。
     そして、その起源となった力士の名が「はじかみ」とされています。「はじかみ」とは、おそらく「土師神」のことでしょう。
     この「はじかみ」という力士は、吉田家伝においては、近江の人とされていますが、これは、相撲節ではなく、住吉大社の相撲会でのことです。
     相撲節の最手(「ほて」と読む。最も強い力士のことで、後の大関(横綱については、前回既述)にあたる。)をつとめた力士として、陸奥の真髪成村、丹後の海常世、駿河の私市宗平、越前の佐伯氏長、甲斐の大井光遠の名が今昔物語(巻23)などの古典に記されています。
     しかし、吉田家伝でハンディキャップマッチにもかかわらず、無敵を誇る近江のはじかみなる力士の名はこれらの古典には、登場しません。
     住吉から近江といえば、淀川を遡れば、さほどの距離ではないかもしれませんが、相撲節でもないのにそれほど遠方から住吉の相撲会に出場したかとの疑問があります。
     むしろ、はじかみ(土師神)の名から大和川を遡ったのりちゃんの御膝元の神社紹介にもある土師神社あたりが妥当ではないかと思います。
     また、続日本紀延暦九(七九〇)年一二月三〇日は、土師宿祢諸士ら毛受(もず)=和泉国百舌鳥野(もずの)の系統の土師氏に大枝(後に大江)の姓を与えたと記載しています。
     そのように考えると、住吉大社の相撲会でハンディキャップマッチを行った「はじかみ」は、吉田家伝が言うように近江の人というより、河内、和泉あたりの土師氏の者であったのではないかと思います。
  • 粉食文化っ! 投稿者:セラフィム 投稿日:05月11日 20時27分

     ちょいと、カキコします。えーと、粉食文化、特に麺文化は、南北の緯度10〜50度の範囲に分布しているようです。つまり小麦の産地=麺文化発祥の地のようです。パスタ、ラーメン、うどんの文化的繋がりは判りませんが、日本の「うどん」の起源は、奈良時代まで遡ることができるようです。当時の文献に、「索餅」「餅飩」という「トンスイ」を連想させるような、麺っぽいものが輸入されているようです。本格的に記述されるのは、「延喜式」です。ここで「饂飩」と記述されているようですが、本来の「うどん」ではなく、きし麺やそれ以上の幅広の麺だったようです。
     江戸期に入ると「うどん」は縁起モノの食べ物になり、「運うどん」とか言って、「ハレ(晴れ)」の食べ物になったそうです。その名残が、年越し蕎麦だそうです。蕎麦について書きますと、日本における産地が、安曇、浅間山、小諸、群馬県吾妻群、など関東中心なんですよね。これは、寒冷地、山岳地、シラス系の土壌など、稲作に不適合な地域に当ります。蕎麦は、植えてから40日目で採集可能ですので、これらの地域でも十分二期作が可能なんです。でもって、関東では蕎麦が広く流通したようです。
     さて、うどんの方はと言えば、「讃岐」ですよね。この地域では、瀬戸内海性気候の為、稲作に十分な水源の確保が難しかったようです。多少の水利の悪さでも育つ麦作が主流になったようです。関西はうどん!という文化を作り上げたのは、安土桃山期から江戸中期にかけてのようです。讃岐からの麦、菱垣廻船などの東回り航路をつたって、北陸産の昆布、カツオが流入して、うどんの出汁と麺を確保したようです。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月12日 17時49分

    ヒガンバナってそんなに古い植物だったんですね・・・。
    考えてみたら、いかにも古くからありそうな雰囲気(あの蝋細工のような花びらが)ではあるのですけど。
     
    さて、「はじかみ」とは面白いですね。
     
    で、HALさんがおっしゃる土師神社ですけど、9月1日、「八朔の日」に、子供相撲が行われます。
    大童は現れるんでしょうか(笑)
     
    さて、土師氏の一人であるとされる菅原道真公ですが、この人物が土師氏であるというのは、すごく興味深いことではありますよね。
    この人物については、「神道集」の「北野天神のこと」では、菅相院の南庭に忽然として現れたとなっていますし、
    琵琶湖湖北地方には、羽衣女房の子供であるという伝説もありますよね?
     
    あと、ヱビス信仰について研究しておられる「民間信仰共同研究会」という会があるそうで、そこのメンバーの、テェタレさんが、その報告書を貸してくださったんですが、
    そこに、夙川学院短期大学の高島幸次教授が執筆された「民間信仰と民間説話−天神信仰の場合」と題されたレポートが載っていました。
     
    そこには、ちょっと面白い記事がありました。
    「菅原道真公が小男である」という伝承があるそうなんです。
    「小鼓説話」というらしいのですが、つまり藤原時平ともう一人の男に挟まれて菅公が歩いているとき、時平が、「三人で歩くとまるで小鼓のようだ」と笑ったというんです。
     
    多くの説話では、菅原道真公は、「神の子」「天女の子」らしく、容姿美麗とされていることが多いと思うのですが、ここでは「小男」であったと。
     
    私は、この話に「スクナヒコナと天神」の関わりから興味を持ったんですけど。
    土師氏=力士という感覚があったとするなら。
    そして、菅公が土師氏であるという認識が常識的なものなら。
    菅公=小男ってのは、力士とスクナヒコナとか童の関係をやっぱり強く感じるんですけど。
     
    話しはそれましたが、横綱の語源、つくづく興味深いです。
    やっぱり、腰に注連縄をしてたんですね。
     
    それは、なぜでしょうか・・・?
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月12日 17時50分

    私、うどん大好物なんですよね〜。
    「のらや」にはよく行きます(これって地元ネタってことになるのかな・・・)
    で、運うどんですか(笑)
    運がよくなるんですね?
    で、その「名残」が、「年越し蕎麦」てのがなんかおかしい(笑)
    地方にいけば、「うどんがハレのもの」の名残が残っている場所も結構あるかもしれませんね。
     
    うどんも蕎麦も、もともとは、どっちかというと「どて」っとした(笑)
    現在の麺みたいなのとは違い、練り物っぽいみたいな感じだったといいますよね。
     
    「麺」になるのは、結構最近になってからのことかも??
  • 相撲・河童・木偶 投稿者:HAL 投稿日:05月12日 18時56分

     のりちゃんは、土師神―菅公―スクナヒコナと、攻めましたか。
     では、こちらは、スクナヒコナの相棒のオオナモチで攻めてみますか。
     相撲と民間伝承ということになれば、思い浮ぶのが河童が相撲が好むことですね。
     さて、この河童の異称として「ひょうずべ」があります。
     「ひょうずべ」は、漢字で表せば、「兵頭部」になるかと思います。
     兵頭部とくれば、兵頭神ですね。一般に兵頭神は、大国主(オオナモチ)だといわれています。
     兵頭神と兵頭部は、主神と随神、あるいは、神とそれを奉じる民のような関係なのではないかと思います。
     記紀の流れでは、出雲の大国主(オオナモチ)は、国を譲った神とされています。
     一方、菅原氏の本姓は、土師氏、土師氏は、相撲の祖・野見宿祢が、丹波のヒバス姫の死に際し、殉死を止め、埴輪を作ることを提言したことから賜ったと垂仁紀に書かれています。
     そして、野見宿祢は、出雲の臣の後裔だといわれています。
     記紀では、スクナヒコナと大国主(オオナモチ)の関係は、いまひとつイメージがわきませんが、のりちゃんがいうように、菅公にスクナヒコナのイメージが投影されているなら、国譲りをした出雲の大国主(オオナモチ)と、出雲の臣の後裔の菅公に投影されたスクナヒコナが一緒に国造りをしたというのも納得がいきます。
     民間伝承では、河童は、相撲を好み相撲をとろうと持ちかけますが、結局は負けてしまいます。下手の横好きなのかもしれません。
     そして、そして、負けた河童は、腕を抜かれ、それを取り戻しに来ると
     河童は、取り戻した腕をつなげることが出来たといわれます。これなど、後の忍者などとも関係しますが、接骨技術に優れていたということの比喩だと考えられます。
     また、打ち身や捻挫の家伝薬には、相撲に負けた河童から授けられたとするものも多いですね。
     つまり、河童にもスクナヒコナのイメージが投影されています。
     
     河童と相撲ということになれば、せっかく、「相撲と雛祭り」のタイトルのスレッドを立ててくださったんですから、雛祭りまではいけませんが、木偶に触れさせていただきます。
     河童については、木偶に呪法かけ、土木工事を手伝わせ、工事から開放された木偶が河童になったとする説があります。
     菅原氏と同様、土師氏を本姓とする大江氏は、巨大古墳のある百舌にいたとされます。埴輪をはじめて造った土師氏は、古墳の造営にも関わっていたと考えられます。
     古墳の造営は、土木工事です。つまり、河童も土師氏と関わってくることになります。
     
     そば切については、前に調べたことがありました。 江戸時代に入ってから、最初の朝鮮通信使の来訪の少しあとぐらいでした。
     私は、そばをそば切りで食すようになったのは、冷麺(ネンミョン)の影響があると考えています。 

 

矢宮神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月05日 02時21分

↑拝見しましたー☆ミ
レポを楽しみにしてたのに、いざアップされたら読むのが
遅れちゃって(>_<)。
 
この頃ウチの亭主が「熊野に行ってみたい」と言うんです。
神武天皇が来てヤタガラスが迎えに出た辺りが、現地に
行くとスゴイのだと新聞で読んだそうです。
何がスゴイのかは知りません(^_^;)。きっと「風光明媚」
という事ではないかと思います。古代の史跡が残ってる事
への感動より、神話が生まれる大自然のスゴさが残ってる、
と亭主には読み取れたようです。
あるいは、ウチの近くに熊野神社(熊野系も含め)が多い
ので「サブリミナル効果」も少しあるかもしれません(笑)。
 
さて、矢宮神社のご神託のお話、全文読めて嬉しいです(^^)。
読んで私が思った事は、「この神社を祀る人々は、織田軍
から逃げ延びた人達じゃないかな」という事でした。
そのために干潮を利用したかどうかは判りませんけど(^^ゞ、
よく何かの災難を受けた者達が集団で他の土地に移り
住んで、そこで新たな先祖になって、自分達の守り本尊
を祀ったりする話がありますよね。
 
のりちゃんも指摘してる通り、「死を恐れないから無敵
だった」かのように思える一向門徒ですが、伝説の人
「雑賀孫市」に該当すると言われる「鈴木重秀」。
その鈴木姓が「日本で一番多い姓」になった背景に、
一向宗と雑賀衆の勢力が取り沙汰されるとか。
 
雑賀党には内紛もあったようですし、孫市はその後の
雑賀攻めの時には、既に織田勢力の下にいた秀吉に降っていた、
とも言われます。
のりちゃんの言う通り、織田側に都合のいい話とも言える
かもしれませんし、雑賀側にも織田側に与したり、織田の
侵攻から逃げ延びて各地に散らばった人も大勢いたのでは
ないかと思います。
この神社のご由緒に、和泉国、淡路国、阿波国、讃岐国
からも多くの参拝客が来たとありますが、中には一度は
他国に避難した人達も居たりして?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月05日 13時21分

    熊野ですか。
    もう、世界遺産に登録されちゃったんでしたっけ。
    そうなってしまったら、ちょっと雰囲気が変わるかもしれないなぁ、とは思いますが・・・。
    なんにせよすっごくいいところでしたよ(#^.^#)
     
    熊野三山もいいんだけれど、私は、「玉置神社」が一番でした。
    参拝したとき、たまたま雨が降ってて、神社につく直前に止んだんです。
    そんなわけで、霧がふんわりとかかってて。
    それが、山の中なんで、濃いところと薄いところがあって。
    そんなところに太陽の光が刺してくると、ふわ〜っと、そこだけキラキラ輝くんです。
    すごく幻想的でした。
    それが、いつ行ってもその雰囲気だってわけじゃないのが残念なんですけど。
     
    で、矢宮神社です。
    確かに、信長公との戦の前からこの神社があったわけじゃなく。
    戦で生き延びた人々が、この神社を作ったのだ(つまり、神社の創建年代は、推古天皇の時代ではない)としたら、少しは納得がいくかも?
     
    実際の雑賀衆の八咫烏への思いはどんなもんだったのでしょうね。
    八咫烏って言うと、現代では、「サッカーのユニフォームについてるの」というくらいの認識になっちゃうと思うのですが、もともと古代は、独自の宗教というか、呪術様式を持ってたと思うんですよね。
    それが脈々と孫市の時代まである程度は残されてた可能性も。
    それと一向宗との関わりとか。
    実際には、いろいろややこしい兼ね合いがあるんでしょうね。
     
    それを考えるには、まだまだ脚を運ぶ回数が足りません(笑)
    「八咫烏」の流れが、すべて雑賀衆になったわけでもないでしょうしね。
     
    で、雑賀攻めの時、孫市が秀吉に降っていたという話しは面白いです(@_@)
    としたら、「織田側」に都合のよいと思われるこの伝承は、「織田側についた雑賀衆の理屈」である可能性もあるんですね・・・。
     
    う〜む(~_~)
  • あ〜 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月06日 20時39分

    玉置神社がその辺りでしたか(^^)。前に霧の話でお聞き
    した事がありましたねっ。濃霧というのも幻想的ですが、
    霧の濃淡や薄日の差す光景も神秘的ですよね〜。
     
    前に島根の義妹が「出雲は田舎で何も無いけど、
    雲が綺麗だ」と自慢してた事がありました。
     
    雲とか霧って、何か神の到来を感じさせる雰囲気があり
    ますよね〜(^^)。私も熊野あたり行ってみたくなりました。
     
    矢宮神社の伝えですが、やがては攻め込まれたわけですから、
    「干潮の間に攻めて来なかった」という、つまりは
    「時間差」に何かエッセンスがある感じがしました。
     
    「どうせ攻め滅ぼされた」のなら、その霊験は一時的な
    ものに過ぎませんから、「一時的でも助かった」事に
    感謝するとしたら、「逃げ延びるまでの間が貴重だった」
    という感じが少ししましてね(^^ゞ。
     
    この手の伝説って、火山とか津波とか、天災に絡んで伝わ
    るなら判るのですが、人災という所が珍しく思えました。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月07日 16時21分

    玉置神社の栞を一部引用。
    「神武天皇東遷の際熊野に上陸後八咫烏に先導にて、この宮にて兵を休めたと伝えられています。」
    迎えに出たあたり・・・とは違いますけど、ご縁の深いところですね。
     
    出雲は「八雲たつ」出雲ですもんね。
    夕焼けの空で、雲が紫に光って、むちゃくちゃキレイな時がありますよね。
    光の加減で虹色に光ったり。
    雲がキレイってのは、なんだかいいですね(#^.^#)
     
    矢宮神社の伝説で、確かに、「結局は攻め込まれた」んですよね。
     
    と、そこに注目してみたら、「一日だけ攻め込まれなければいい」という事情があったのかもしれませんね。
    その日一日凌げば、誰かを逃すことができた、とか。何かを隠すことができた、とか。
    後者かな?
    ここは鉄砲がたくさんあったはずだし・・・。
     
    どうでしょうね(笑)
  • さらに、栞を一部引用(笑) 投稿者:ノウダラ 投稿日:05月07日 18時42分

    7世紀後半、役行者が大峰山を開いて修験道の本拠地となります。玉置山は、大峰入峰修験の順峰逆峰双方向の拠点として栄え、山伏姿の修験者の往来が増えてきます。
     
    玉置神社の巨木群には圧倒されますね。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:05月08日 01時57分

    うんうん、「何かを隠す時間稼ぎ」ってのもポイント高い
    ですよね。この辺りは富豪な地域だったでしょうからね。
     
    何かそう考えると、一向宗だからって何しろガムシャラに
    戦うより、しなやかな生き方を選ぶ方向が幾つもあった
    感じがしますね。
     
    だいたい一向宗てのも、死を恐れなくなったのは戦いに
    借り出されてから以降であって、肉食妻帯OKな点が
    広範囲でウケたポイントじゃないのかな(爆)。
     
    秀吉に降った孫市の説も、ヤタガラスを祀った土地に
    相応しく、こっちに光明があるとなったら、遠慮なく
    そちらにつくという姿勢はあったと思います。
     
    「尻くらえ孫市」読んでも、ラストはああだけど、どっか
    そういう「しなやかさ」を描いてる感じしますよね(笑)。
     
    あと全然関係ないんですが、紀州と尾張って、江戸時代は
    親戚関係でもあり、ライバル関係でもありますよね(゚.゚)。
    どちらも徳川親藩ですものね。
     
    あ、そうそう、私的には、熊野に惹かれるイメージには、
    「巨木群」とか言うのかなりポイント高いです〜(#^.^#)。
  • ノウダラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月08日 16時50分

    そうか。
    修験者にとっても要所なんですね。
    玉置山の空気は、澄んでいてなおかつ柔らかいというような(笑)
    心惹かれる場所ですよね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月08日 16時50分

    確かに浄土真宗って、信仰するには、「楽」だといえますよね(怒られるかなぁ(^^ゞ)。
    少なくとも、滝に打たれて、「うやた〜!」とか叫ばなくてはならない・・・なんてのよりは、楽。
    それで、ウケたってのはあるかもしれませんね(笑)
     
    権勢に対して柔軟に対応するってのは、「主君を持たない」「お金次第でどちらにでもつく」という描き方されてましたよね>「尻啖え」
     
    で、江戸時代の紀州については、吉宗公が出た・・・ということから、結構栄えたでしょうね。
    城下町とかもゆっくり散策してみたら、名残を楽しめるかも。
     
    最後に、和歌山って「木」が重要なポイントなんですよ。
    「紀の国」っていうけれど、本当は、「木の国」なんだそうです。
    ついでに言えば、「肥前」「肥後」などのある「肥の国」も本当は「火(阿蘇山)の国」なんだとか。
    そう考えると、和歌山の木が「由緒ある」ものに思えてきますよね(#^.^#)
  • 木の国・火の国 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月08日 23時55分

    ↑あ、そうそう、私もこれよく聞きます(#^.^#)。
    いやまあ、単純に憧れの根源を言えばズバリこれですわ(爆)。
    雑賀は行った事ないんですが、高野山には二度ほど行き
    まして、由緒のあるお寺とか史跡とかも行ったハズなのに
    覚えてるのは(さすが子供と言いますか:笑)「何しろ
    木がたくさんあるトコ(#^.^#)」だったのです。
     
    亭主もよく「やっぱ一度は行かないと〜」と言います。
    って、話が雑賀からズレて来たぞ〜〜(笑)。スマソ(^^;)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月09日 17時02分

    憧れますよね〜(#^.^#)
    「火の国」とか「木の国」とか言われたら(~_~)
     
    「水の国」ってのもあるんでしょうかね(さすがに「土の国」「金の国」はなかろうけど(^^ゞ)。
    滋賀県は、「淡海の国」ですから、それに近いですよね。
    そういう風に考えると、国名ってのは味があっていいですよね〜。
     
    そういえば、大阪には「泉の国」もあるんだった。
    どこの泉だろう?
     
    ・・・・・話しは逸れましたが、熊野へ行くならば、木も大事ですが、「那智の滝」も必見ですよ〜。
     
    ・・・この滝を見て、あまりの女性的な美しさに、仙人が空から落ちた(久米仙人みたいなもんですよね)という話しをどっかで読んだ覚えがあるんだけどなぁ・・・。
    捜しても、見つかりません。
     
    三島由紀夫だったと思うんだけども・・・。
  • いつも横合いから 投稿者:あかがね 投稿日:05月10日 00時10分

    すいません。GW、熊野に行きそこなったあかがねです。天気も体調も今一だったもんで…ごろごろしてました。
     
    和泉の由来は式内和泉井上神社です。
    このHPにも解説ありますよ(笑)
     
    あと「粟の国」とか「黍の国」もありますね。
    あんまり憧れないかなぁ(爆)
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月10日 17時16分

    がび〜ん。
    和泉井上神社でしたっけ(^^ゞ
    わ・・・忘れてた(T_T)
    すっかり忘れてた。くく〜〜(>_<)
     
    ところで、「阿波の国」って「粟」だったのですか?!
    しらなんだ〜、しらなんだ〜〜〜。
    でも・・・ちょっと憧れる(^^ゞ
     
    で、岡山へはいつ帰ってこられるんですか?
    憧れなくても、黍の国とはご縁ができましたね(笑)
  • 阿波〜安房 投稿者:ノウダラ 投稿日:05月10日 17時35分

    そして多くの人が、黒潮に乗って阿波の国から安房の国へ渡りました。
  • あわあわ 投稿者:匿名希望 投稿日:05月10日 18時02分

    そういやそうですね。次の任地は黍の国でした。
    吉備真備とか和気清麻呂とかの故郷でしたっけ?(適当)
     
    阿波から淡路を経て安房へ。ってのは聞いた事ありますね。
    ま「泡の国」には憧れありますが(下品)。
  • 那智の滝! 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月10日 18時58分

    ↑でしたかっ。日光の華厳の滝に行った時、滝に身を投げ
    た人の碑があって、「あれ? どっかで聞いた覚えが……
    確か三島由紀夫関係だったような??」とか亭主に言った
    んですが、全然場所が違ってましたねぇ(^_^;)。。<ヤベ
     
    しかしメゲずに行きます(笑)。(またどんどんズレますけど)
     
    http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/hujimura.html
     
    これが華厳の滝の事件です。この後も自殺者が後を絶た
    なかったと言うから、仙人と言うより心霊スポットじみて
    いますがね(笑)。
     
    しかしこの記事(当地(日光)に行った時には知らなかった
    のですが(^_^;))、読みようによっては、小泉八雲の授業
    は面白かったが、その後を引き継いだ夏目漱石の授業が
    つまらなかったから自殺したみたいで、しかも夏目漱石の
    文学にその後やたらとあらわれた自殺とか心中とかに
    それとなく影響を与えたゲに書かれてる点、ちょいと注目
    していい話なのかもしれませんね(笑)。
     
    さて、吉備が「黍」に由来するというのは、桃太郎の黍団子
    で有名なようで、でも「粟」に関しては、「じゃ、阿波も
    “粟”だったりしてねぇ〜(^。^)」とか冗談で言ってたの
    ですが、これもまさかホントだったとは……(汗)。。
     
    安房が阿波の音を変えただけ、というのは、千葉県の資料館
    とかでは、わりと当たり前っぽく書かれてますね(笑)。
  • ノウダラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時17分

    阿波斎部君が真っ先に思い浮かびますね。(あわ〜あわ)
    彼らが持っていったのは、桑や麻やらの布だといわれますが、実際は、あわも持っていったんでしょうね(笑)
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時17分

    OLやってた時、会社からそれほど遠くないところに、泡の国がありましてね。
    裏口から入っていくおば・・・ねぇちゃんの姿も、時々見かけました(笑)
     
    で、和気清麻呂って、黍出身でしたっけ?
    称徳天皇の時代って、岡山県からいろんな人材がやってきた時代なのかなぁ?
     
    やっぱり手土産はきび団子だったのかしらん・・・って意味不明(T_T)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月11日 17時18分

    華厳の滝だったかも(笑)?
    イマイチ自身ないんですよ、最近、
    「どっかで読んだ覚えがあるけど、どこでだったかわからないし、詳細(それも肝心なところ)が思い出せない!」
    ってことが増えました(T_T)
     
    まず、この滝と仙人の話し。
    あと、やっぱり仙人の話しで、弟子に「いつどこにふいに入ってきてもとがめないが、用便中だけは絶対に見るな」といつも言っていたが、
    ある日、弟子がついうっかり、師匠がトイレに入っていることに気づかずトイレの扉をあけてしまったら、
    顔を朱に塗り、口に櫛を咥えて髪を逆立てている師匠がそこにいた・・・って話なんですよね。
     
    これは、澁澤龍彦の本で読んだんじゃないかと思うんですが、この人の本って、(私には)当たり外れが激しくて、いらないと判断した本は、どんどん人にあげちゃったもんで、調べがつかなくて(^^ゞ
     
    で、教えてくださったサイト読むと、確かに、
    「漱石の授業は無味乾燥で評判は悪かった」
    って書いてあって、
    哲学青年・藤村操が、
    「厭世観を抱き自殺」
    って書いてあるところを見ると、なんかこの二つに関係があるげに読めますよね(笑)
     
    私、内田百閧フ文章ってひとつも読んでないんですが、なんか、あの人のエッセーとかでは、漱石宅での出来事が楽しく書かれてる・・・と聞いたんですけどね(^^ゞ
     
    「粟」ってのは、私も知らなかったけど、他にもあるんでしょかね?
     
    あ、もしかして、「薩摩」って、「さつまいも」から来てるのか?(←反対だっつぅの(笑))
  • 前後関係 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月11日 20時11分

    ↑が不明で恐縮ですが(^^ゞ、漱石は実は大学で無理やり
    講習を取らされてた(でも時間の組み合わせの都合で取っ
    ただけの授業だったから、殆どヤル気が無かった)ので、
    変に知ってたり、変に知らなかったりで、どっちが先か
    を確かめる力も無いまま書きますと、家に学生だか書生
    だかを連れ込んで、楽しくやってた時期があるそうで、
    この動機がどうやら「学生との付き合いも必要と悟った」
    みたいなトコだったような……。。
     
    推測するに、八雲の後を引き受けて評判が悪かったり、
    自殺する学生が出たりで、「こりゃ何とかせねば」と思う
    前段階があったのではないかなと(^^ゞ。
     
    よくオヤジ課長とかが、場を受け持たされたはいいが、
    課内がバラバラで、部下が反目しあってたりで
    何かとやりにくくて、その内によくやるじゃないです
    か「懇親会」ての(笑)。あれじゃないかな〜?
     
    仙人の便所覗きの話は知らなかったです(^^ゞ。滝がこの
    話に絡んで出て来るのでしょうか。
     
    で、華厳の滝は私の勘違いだと思いますよ(笑)。
    前に三島由紀夫が死の前に、何かの謎に取り組んでいた、
    という話をテレビでやってたんです。その時たまたま、
    過去に起きた、華厳の滝の自殺事件も話のついでに取り
    上げられたのではないかと思います。
  • のりちゃん様 投稿者:ノウダラ 投稿日:05月11日 23時27分

    和泉市和気町に、和気神社がありますね。
    和泉府中界わい以前はもっと活気があったんですが・・・
     
    「泡の国」ぼくも、”仕事”で出入りしていました。(*^_^*)
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月12日 05時31分

     吉備といえば、江戸時代に邪教とされた宗派の本山があるところですね。

 

新スレ 鎮魂と女神 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月06日 18時24分

HAL様
あ・・・くくりひめ(菊理媛)も絡んできちゃうのですね。
そういや、考えたことありませんでした。
この御祭神には、あんまり馴染みがないんですよ、今のところ。
 
で、年の初めにあたる大晦日と、ターニングポイントである夏越しの日は、今でいうお盆、「祖霊迎えの日」だったというのは、どこかで神職さんから教わった覚えがあります。
 
お盆に行われるお祭って、今では盆踊りが有名ですよね。
以前、「日本の面影」という小泉八雲のドラマで、八雲が日本の盆踊りを「ワンダフル」と見詰めるシーンがでてきました。
 
私は河内の人間なので、盆踊りって言ったら河内音頭で、「されえ〜んや〜〜」と賑やかなことこの上ないイメージがありますが、「日本の面影」の中の盆踊りは全然違いました。
多分山陰地方の盆踊りだったと思うのですが、真っ暗闇の中でお面をつけた人々が太鼓に合わせてしずしずと踊るのです。
 
HALさんは、いろんな資料から教えてくださるのに、私はドラマと漫画で申し訳ないんですけど・・・(笑)
今市子さんという漫画家さんの作品に「百鬼夜行抄(尾白・尾黒というかわいい文鳥の使い魔が出てくるんですよ(^^ゞ。うちの文鳥ほどかわいくはないけど(爆))」という漫画の中で、
「盆踊りでお面をかぶるのは、踊りの輪の中に死霊が混じっていてもわからないようになのだ」
という話しが出てきます。
 
「日本の面影」の中の盆踊りはまさに、死霊が混ざっていてもおかしくないような雰囲気でした。
 
先祖の霊を迎える方法はいろいろあったのでしょうね。
 
「コトリノツカイ」については・・・。
私、生贄よりも「鳥取氏」との関連を考えてしまいました。
弓の強いスカウトさんが、「コトリノツカイ」ですよね?
とすると、弓の名手が「小鳥」なのか、それともスカウトされる力士が「コトリ」なのか、それとも、スカウトを命じる人(誰だろう)が「コトリ」なのか。
 
そう考えると、ウタリ神社の生贄の雀も、「単なる生贄」じゃない気がしません?
何かのお使いをするために、魂を肉体から離すんじゃあ?
 
藤原氏については、今のところ、あんまり頭にありません。
ただ、「天児」「屋根」というのは面白いですね。
天児って、這子(地方によってはサルボボって言うんでしたっけ)のことですよね?
あの人形も・・・。
何か深い意味があるんでしょうか?
ホツマツタヱにも、「天児のこと」っていう章が、確かありましたよね?
 
う〜む、いつもながらまとまってませんね、すいません(^^ゞ
  • のりちゃんさま 投稿者:なにがし 投稿日:05月06日 22時17分

    盆おどりは確かに死者の魂を向かえるか、送るかの儀式が変化したものだったと記憶しています。うちの実家ではささをもって踊りますが、ささは確かより代だったと思います。
    そういやあ、実家では盆踊りを神社でもやりますが神仏集合のなごりかなあ?
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月07日 08時23分

    のりちゃん
     
     小泉八雲については、私も彼の作品を活字で読んだことがありません。
     小泉八雲(1850〜1904)は、1890年に日本にやってきます。日本にやってくるきっかけとなったのは、1884年にニューオリンズで開かれた万国博覧会で日本の文化に接したことでした。
     これより先、彼は、ニューオリンズで十年間、新聞記者をやっており、この年(1884)に西インド諸島にルポライターとしてわたります。
     日本での彼は、「怪談」などで知られますが、彼の名は意外なところで顔を出します。
     ジャズの歴史などが書かれた本では、最初の方で彼の名=ラフカディオ・ハーンが登場するのです。
     ジャズが誕生するのは、ニューオリンズ、南北戦争(1861〜1860)で南軍が敗北し、南軍の軍楽隊の楽器が放出されたことにより、これらをブラック・アメリカンが手に入れたことにより誕生します。
     彼が、日本に来る前に過ごしたニューオリンズは、ちょうど、ジャズ黎明期であったわけです。
     彼の日記や新聞記事には、ジャズ黎明期のニューオリンズの街が詳しく紹介されていることから、ジャズの歴史を語る上でもなくてはならない存在なのです。
     ニューオリンズで万国博覧会が開かれず、彼が日本文化に触れることがなければ、世界にジャズを紹介した人物、あるいはジャズ研究家としてラフカディオ・ハーンの名が歴史に刻まれたかも知れません。
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月07日 08時24分

     さて、夏越しの日ということになると、大祓ですね。大祓は、中臣祓ともいわれますから、中臣神道とも関係してきます。
     這子(ほうこ)というと、コケシの原型ともいわれますし、天児(あまがつ)、這子と並べますと、「オシラさま」が連想されます。
     オシラ逸話の「馬娘婚姻譚」については、中国の六朝時代の「捜神記」にみられます。
     一方、記紀でもスサノオが機屋に馬の皮を投げ入れるというモチーフが用いられています。
     話がずれますが、ロシア人のネフスキーの研究によりますと、オシラの男神の胴に「天照大神」と墨書されているものがあるとの報告があります。
     
     秀真伝については、私も詳しくありませんが、天児について、アマテラスが川の中瀬で禊を行ったことに起源を求め、アマテラスの子オシホミミの婚姻に際し、、祓戸四神の一人ハヤアキツヒメが天児を造った旨が記載されていると思います。
     皮の中瀬で禊をするアマテラスは、川中に現れたカミを掬い上げる菊理媛のイメージ、そのものです。
     菊理媛については、書紀神代上一書第十で、イザナギとイザナミが泉平坂(よもつひらさか)で争い、イザナギが黄泉の国にとどまる旨を述べたときにイザナギに何かを告げ、イザナギに褒められたとされています。非常に唐突な登場の仕方で、何を告げたかも書かれていませんが、その後、イザナギが川中で禊を行うことから黄泉の穢れに関わっているカミのように思えます。
     秀真の天児の起源について語るアマテラスは、菊理媛のイメージですし、オシホミミの婚礼に際し、新たに天児を造るハヤアキツヒメは、祓えのカミですから、穢れ祓え=鎮魂のイメージですね。
     
     コトリノツカイについては、私は、「小鳥の使い」の字より「子取の使い」のイメージがわきました。
     江戸の勧進相撲などでも童力士(代表的なのは、出羽出身の大童山(1788〜?)、七歳で身長1メートル20センチ、体重70キロを越えていたといわれる。)などの「一人土俵入り」が行われています。
     相撲節は、七夕の日に行われたわけですが、七夕の笹は、祖霊の依代のようなものが原型かもしれません。また、笹に結ばれる短冊についても幣を思わせます。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月07日 16時24分

    ささ、ですか(そういや、「酒」も「ささ」と読んだりしますよね)。
     
    笹の葉さらさら・・・は七夕の歌ですよね。
    笹で船造ったりもしますし。パンダも食べますし・・・って関係ないけど(笑)
     
    笹にも何か深い意味があるのかもしれませんね・・・。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月07日 16時26分

    あ、いえ、小泉八雲については、私は結構好きなんです。
    とはいっても読んだのはすべて翻訳されたものばかりなので、彼の文章にじかに触れたとは言えないんですけどね(笑)
     
    残念ながら、手ごろな値段で手に入る小泉八雲の本は数が限られてるのですけれど、彼の日本に対する理解や思いは、心打たれますよ。
     
    さて、オシラ様と天児・這子ですか。
    私、オシラ様について全然知らないのですけれど、どういう風につながりますか?
    オシラ様って、馬が娘に恋をして、娘を連れて昇天してしまい、その後蚕が天から降ってくる・・・というような筋ですよね?
    天児・・・っていうと、天から降ってきた児(こ=蚕)という意味で繋がるのかしらん。
    で、這子については?
    すいません、また教えてくださいm(__)m
     
    で、今ちょうど捜神記を読んでるんですが、まだその物語りにはあたってないです。
    中国が起源なんですね。
     
    ククリ姫については、いろんなイメージがついてくるみたいですね。
    日本書紀にあんなにいきなり出てきて、しかもかなり重要な役割を果たしているらしい女神。
    気にはなってるんですけどね。
    一度白山に登ってみたいです。
     
    「コトリ」については、確かに「子取り」かもしれないですね。
    としたら、力士=「子」ですね。
    確かに、力士は、「童」と関連が深かったですよね。
    「大童(おおわらわ)」っていう言葉も力士の髻が解けた様子を表した言葉だと聞いたことがあります。
     
    また、「童」といって思い出すのは、やはり「鬼」ですよね。
    そうかぁ・・・話しはどんどん広がっちゃうのですね(^^ゞ
  • ジャズ 投稿者:こたつ城主 投稿日:05月08日 01時37分

    ↑についてはちょっと判らないのですが(^^ゞ、ハーンは
    アメリカにいた時は新聞記者でしたから、演劇など出掛け
    ては、舞台裏に顔を出して役者にインタビューしてた
    そうです。
     
    当時の役者は記者を嫌がるものだったそうで、その中でも
    ハーンは礼儀正しいという事で、役者にウケが良かったの
    だとか(^^ゞ。こういう所、盆踊りにも敬意を表す彼らしい
    一面だなと(笑)。
     
    私生活でも妻(セツ)に積極的に観劇に行かせ、帰って
    来た妻に演劇の話をさせて喜んだとか。後年は「日本」の
    執筆で大層体が衰えてしまったそうですが、「生き続け
    られたら、ぜひ日本の演劇について本を書きたい」と
    言っていたそうです。
     
    すいません、枝葉についてで(^^ゞ。
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月08日 06時59分

    のりちゃん
     
     天児と這子からオシラさまの連想というのは、オシラ祭文(馬娘婚姻譚)ではなく、「オシラ遊び」からです。
     天児と這子について以下のようなページがありました。
     http://www.kougetsu.co.jp/hinamatsuri/amagatu.html
     このページの天児に着物をきせたものなど、オシラを連想させます。
     オシラ遊びは、桑の木などでできたオシラさまの着物を新しく着せ替えるもので、一般に正月の16日に行われます。
      
     一方、馬娘婚姻譚については、四川地方が発祥といわれ、「太古馬記」というのが、原典のようです。
     
     さて、ククリヒメについてですが、のりちゃんもいわれているように、白山の白山権現と同体ですね。
     上述のオシラも白山権現が起源とする説があります。
     また、オシラは、夷(ひな)が語源とする説もあります。
     
     以下のような童力士・大童山の一人土俵入りの図がありました。
     http://tunokuniya.com/taoru/ukiyoe/ukiyoetaoruoodouyama.htm
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月08日 12時06分

     年越しと夏越しが対応するとなると、年越しでは、大晦日に始まり、正月三が日、そして、小正月と行事が続きます。
     一方、夏越しについては、そうした習慣が見当たりませんが、大祓えが大晦日にあたるとすれば、7月7日は、正月の7日に対応することになります。
     正月の7日というのは、節目ですね。
     一方、上記の天児と這子のページには、七夕雛の話が出ています。
     相撲節も7月7日でした。
     7月の中旬には、祇園祭などが行われます。八坂感神院については、牛頭天王の男体の本地と女体の本地については、前にも書きました。
     一方、オシラ遊びは、7月の中旬に対応する1月の中旬に行われます。
     以下のようなオシラ遊びのページがありました。
     http://www.net.pref.aomori.jp/seikan_db/matsuri/geinou_osira.html
     http://www.kitaguninohate.net/sympo/osira_itako.html
     上記のページには、体の悪いところをオシラで叩くと治る旨が書かれていますが、これなどは、天児(あまがつ)に通じるものですね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月08日 16時51分

    へぇ〜、役者にも受けがよかったんですね。
    よくわからないけど、その当時、記者は役者を見下すような態度をとることが多かったのかしらん。
    アメリカでも日本でも、今では役者は「スター」ですけど、日本では昔は、「歌舞伎モノ」って、少なくとも褒めた言葉じゃないですもんね。
     
    ハーンは、日本の絵や美術についてはすごく褒めてますけど、演劇についてはどういう風に書いたか、見てみたかったですね。
     
    能なんかについては、日本人の私よりずっと理解した文章を書いてくれそう(#^.^#)
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月08日 16時53分

    オシラ遊びってのは知らなかったです。
    桑の木の枝に布を巻きつけて「オシラ様」って呼ぶのは知ってたんですけど、
    私、それは、「神」として神棚にでも祀るのかと思ってました(^^ゞ
    それで人形遊びもするんだ・・・。
    しかも、毎年、年の初めに着物を着せ替えるんだ・・・。
    φ(..)
     
    しかし、紹介してくださったサイトの「這子」はちょっと怖いです(^^ゞ
    あの形はかわいいのに、髪の毛をつけると、急に怖くなるもんですね・・・。
    夜に見たら、泣いてしまうかも(爆)
     
    オシラ様も這子も「人形(ひとがた)」というか「形代」として扱われてるんですね。
    「生贄」と、「形代」とって、何か似た雰囲気があるかも・・・。
    考えすぎでしょうか(^^ゞ
     
    白山・・・というか日本海側って、遠くてなかなかいけないんですよ・・・。
    でも、日本海を渡って越の国へやってきた人がまず目にするのは、白山の姿だったろう、という話しは以前聞いたことがあります。
     
    大童山の図ありがとうございます(~_~)
    すごいな、これで七歳ですか・・・。
     
    酒呑童子が「童髪」だったというのも、「大童=力士」と考えれば、かなり納得行くかも。
    そして、「力士」というものが、もともとはなんだったのか、考えさせられますね。
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月08日 17時33分

     書紀の天皇の没年齢が疑わしいことから、古代においては、一年ニ倍暦が用いられていたという説がありますね。
     魏略の「その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を計して年紀となす」なども二倍暦の根拠とされます。
     オシラ遊びのページにも、小正月にイタコの口寄せがあることが書かれていますが、これなどは「盆」の先祖迎えと通じるものがあります。
      民俗学者の宮本常一氏なども「民間暦」で、1月と7月などなど半年後とに対応する民間の年中行事について指摘しています。
     「民間暦」というのは、当然、太陰暦に基づいていたものだと思うのですが、そうなると、7日というと半月、15日といえば、満月になります。
     こういった月齢というのも、いろいろ考える必要があるかも知れませね。
     
     生贄と人形(ひとがた)っていうのは、根の部分で似通ってますね。
     
     相撲については、モンゴル相撲や朝鮮相撲との関係も指摘されますが、現在の日本の相撲の運足を見る限り、南方系といっていいでしょう。
     あの右手と右足、左手と左足が同時に移動する動きは、低湿地帯の動きですから
     大童山、あれで7歳なんですよ。
     太田蜀山人の日記によると、出羽国村山郡長瀞村の百姓のせがれで名を文五朗といい、天明八年二月一五日生まれ、生後九ヶ月で大きな饅頭を平らげ、満一年で胴回りが三尺弱、目方が十貫あったとされています。胴回り三尺弱といえば、一メートル近くですし、十貫といえば40キロ弱ですから、少し誇張してあると思いますが、太田蜀山人の日記に記されるぐらい有名であったわけです。
     大童山文五朗は、十一歳まで一人土俵入りを勤めます。当然相撲はとっていませんが、六年後の番付の西幕尻(十両)に大童山文五朗の名が見えます。
     成績は、9勝1敗26休み、勝った9勝の対戦相手はすべて幕下力士、1敗の相手は幕内の佐渡ヶ嶽、つまり、彼の相撲人生で幕内力士との取り組みは、この佐渡ヶ嶽のみということです。
     こうした怪童力士かずあれど、浮世絵師が競って絵筆を振るったのは、大童山文五朗に勝るものはいませんでした。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月09日 17時00分

    確かに、7日、15日ってのは、「月の満ち欠け」と連動してそうですね。
    とすると、「月読」以前の月の神というか、もっと原初の月の神についても興味が湧きますね?
     
    で、こないだ「ナンバ歩き」というのを教えていただきました。
    右手右足・左手左足を同時に出して歩くと、体が不自然にねじれない・・・ということで、しばらくやってみましたが、すっころびそうになって辞めました(^^ゞ
     
    ああいう歩き方って、低湿地帯の動きなんですか?
    なんでそうなるんでしょう。
     
    で、大童山は、相撲はたいしてうまくなかったんですね(^^ゞ
     
    私達は相撲といえば今の相撲しか知りませんが、今現在のような様式になったのはいつからなんでしょう?
     
    確か、小さい力士がいて、どうしても勝てそうではない相手と取り組む前に油を体に塗りこめた・・・という話しを落語で読んだ覚えがあります。
    つまり、「なんでもあり」だったわけで、現在の力士がそんなことしたら、「国技を汚す不届き力士!」などと非難轟々だと思います。
     
    現在のように相撲が「神聖なスポーツ」になったのは、そう古いことじゃないと思えます。
    なにしろ昔は「相手を殺すため」のスポーツだったわけですし。
     
    格闘技って、本当は、「相手を殺す」のが目的だったんでしょうね。
     
    権力者はそれを眺めて楽しむ。
     
    確かローマのコロッセオでも、殺し合いをさせてたはずです。
    そして、殺しあうのは、「罪人」もしくは「奴隷」。
     
    ・・・とまぁ、そこまでは連想が行くのですが、
    それ以上発展させると、またトンデモチックになってくるので、やめときます(笑)
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月10日 07時46分

     記紀では、月神の記述がほとんどないですね。
     陰暦だと、十五日は、満月と決まってますし、日蝕の起こるのは、一日
     そうなると、月の満ち欠けが太陽に影響を及ぼすという感覚は、今より強かったように思えますね。
     そうした月の影響というのを故意に記述しなかったとも考えれます。
     また、農耕は、陽暦の方がむいているということとも関係するかもしれません。
     記紀神話も農耕、特に弥生以降の水稲栽培を善とする形でスサノオを捉えていますね。
     既述のオシラ講のページ(青函地域大事典)では、オシラ講の日には、麺類、特にそばを食べる旨が記されています。
     現在のような「そば切」の形で側を食するようになるのは、江戸時代以降ですが、オシラ講の日にそばを食するというのは、水稲とは、別の食文化ですから、オシラそのものも弥生以来の水稲農耕とは、別の分化から発したものとも考えられます。
     そばといえば、信州と出雲が思い浮びますが、古事記では出雲のタテミナカタが信州に落ち延びていますね。
     また、これからの季節、そうめんを食す機会も多くなると思いますが、そうめんといえば、三輪に揖保、三輪には、他田坐天照御魂神社、揖保には、粒坐天照御魂神社が鎮座します。
     出雲―諏訪(タテミナカタ)とそば、アマテル神とそうめん、食文化と奉じられる神というのも何か法則があるのかもしれません。
     
     相撲の運足について、子供のころ(と別に限定しなくてもいいのですが)田植え前の田んぼなどの泥の中で遊んだことありませんか?
     泥に足をとられて、右手右足・左手左足を同時に出さなければ、前に進めません。
     それで、低湿地帯のものだとしました。
     
     相撲がいつ現在の形になったかについては、仕切り線ができるのは、確かテレビ中継にあわせて、土俵を広くしたのに伴うものだと記憶しています。
     四本柱もこのときに廃せられ、現在の房と吊屋根になります。
     また、土俵そのものが出来るのも江戸時代に入ってからです。
     それまでは、取り組みの力士を囲む人(これを人方屋という。)のところに押し込まれたら負けとなっていました。
     「神聖なスポーツ」という意味では、明治以降の改革が大きいです。
     現在では、懸賞(あの永谷園の旗)になっていますが、以前には、懸賞ではなく、自分の贔屓の力士が勝つと土俵に物(羽織や明治以降には、ソフト帽)を投げ入れ、その力士の付け人がそれを拾って、投げ入れた人のところに持ていくと、祝儀を渡していました。
     今の大番狂わせのときの座布団の投げ入れのルーツはここにあります。ですから、座布団を投げ入れる人は、ちゃんと御祝儀を用意していなければいけないんです。
     また、現在は、横綱審議会なるものがありますが、第四十代横綱―東富士謹一(1921〜73)までは、吉田家から横綱免許状が出されていました。
     吉田家は、肥後熊本細川家の家臣で相撲司(家元)で吉田追風を名乗っていました。
     因みに、吉田司家から最後の横綱免許状を授与された東富士は、生まれたときに既に6.8キロあったそうで、江戸の大童山を思わせます。
     東富士は、引退後、年寄り錦戸の譲受でトラブルがあり、現役時代から交友があった力道山が旗揚げした日本プロレスに身を投じます。
     
     体に油を塗るというのは、トルコレスリングがオイルレスリングといわれるように体に油を塗りますね。

 

丹生津姫神社のへえー 投稿者:なにがし 投稿日:05月06日 00時50分

のりちゃんさま
丹生津姫神社のあらたな発見がありました。ってか神主さんが解説してくれたんですけどね。
社殿には4柱あるんですが、丹生津姫神社はその並びが、丹生津姫が向かって右端で、順に左へと並んでいます。一番の祭神が真中じゃないんです。それが普通かなと気にもしていなかったんですが、それは普通じゃないんですって。実はもとの拝殿は楼門の右側の建物にあり、確かに中に入ってみせてもらうと、社殿側に扉がついていました。
また、社殿の装飾で、はりの端に彫刻があるのですが、丹生津姫は龍、高野明神は象、気比明神はしし、いちきしま明神は魚とのことでした。
もし、またいくことがあれば注意して見てください。
神社めぐりも神主さんの説明があると助かりますね。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月06日 18時21分

    へぇ〜、向かって右からってことは、神様の側からすれば、左から順に高位の神様が並んでいるということになるんですね。
     
    ・・・で、私的には、順番も面白いのですが、彫刻がすごく面白いです。
     
    よく神社のご拝殿には、
    鳳凰・玄武・青龍・そしてなぜか象?!
    を彫ってあるのを見かけます。
     
    もし、五行陰陽の四神ならば、像じゃなくて白虎のはずなんだけどなぁ・・・とか思って不思議でした。
     
    だいたい日本には象はいないですしね。
     
    で、丹生都姫神社の場合は、獅子や魚の彫刻もあるのですね。
    整理はつかないのですが、なにやらものすごく惹かれます。
     
    神社参拝の時、神職さんのお話を伺えると、本当に勉強になりますよね。
    腰を落ち着けすぎて、その後の予定が狂ってしまうことも、ままありますけど(^^ゞ
    でも、神職さんのお話を伺えなければ通り過ぎてしまうようなことはいっぱいありますし、
    なにより、そういうご縁はやっぱり嬉しいですよね(#^.^#)
  • のりちゃんさま 投稿者:なにがし 投稿日:05月06日 22時08分

    そうですね。そんな機会めったにないからいろいろきくといつのまにやら予定が・・・。
    今回も12時に帰るのが15時でした。神主さんありがとう(^^;)。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月07日 16時23分

    3時間延長ですか(笑)
    よっぽど話が弾んだのですね(#^.^#)
    多分、神主さんにとってもよい時間だったんじゃないでしょうか。
    楽しい時間はすぐすぎちゃいますからね〜。

 

昨日はついてる一日でした! 投稿者:なにがし 投稿日:05月05日 10時59分

のりちゃん様
GWはいかかお過ごしでしょうか?
私はほとんど仕事で、貴重な休みである昨日、実家に帰っていました。目的はある岩の写真を撮ることでした。雨でとれるかと思いながら1時間車を走らせ到着。うまく、雨が小ぶりになり撮影完了。雨もきつくなったところで退却。早く終ったので、予定に入れていなかったのりちゃんご存知の私の地元のぼう神社によることにしました。大きい方ね(世界遺産になるかも)。すると雨で参拝者が少なく、神主さんもやさしい人で、神社の説明を詳しく丁寧にして下さいました。私はこれで帰ろうと思っていたのですが、せっかくきたのだから記帳してよと言われ、書いたところ、素性がばれてしまい、ちょっと聞きたいこともあるので社務所へと招かれ。神主さんと話をしていたところ、もう一人の神主さんも帰ってこられ、さらに話は白熱。最後にうわさしていた地元の歴史に詳しい先生がたまたまこられて(今度南海電車ないにはられる世界遺産の広告をみせによられたみたいで)更に展開。神主にならないかとのお誘いもあり、また4月に東京の神社庁からこれた神主さんがおられたので、手引きも送ってくれるとのこと。推薦もしてもらえるとのことで、話は急展開。いろいろ詳しく教えていただけました。また、地元の歴史調査されている先生とも話しをし、間違っている部分を説明したところ、私が普通にみれると思っていた資料は現在みれないと言うことでした。その資料は現在ぼう図書館にあるのですが、ただ個人のもちものもなので、その人もいないこともあり、現在みる許可がとれないため図書館もそれを勝手に見ることができず、だれもみれない状況だとのことでした。写しもないそうで、それではと言うことでこぴーも送くることにしました。丹生氏の歴史や狩場明神の調査もちょっと展開が変わるかも知れません。丹生氏について、いままでどうしてそんな解釈になるのか疑問に思っていたのですが、その原因も解決しました。
そして、最後についていたのは、帰りの新幹線が満席だったのに3分まっただけで1席きゃんせるになったことでした。
本当に昨日は不思議なほどついてる一日でした。ご先祖さまのお導き、丹生津姫、狩場明神のお導きがあったのだと都合のいい方に解釈しております。でも、本格的に神主になることを考えないといけなくなったし、地元の歴史に本格的に関わっていかないといけなくなるかもしれないので、一日であまりにも急な展開になりすぎて私の心の整理が付いていない状況です。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月05日 13時22分

    すごいご縁でしたね!!
    夢に向かって、ものすごく大きな一歩を進みだされたんじゃないでしょうか。
    人とのご縁・神様とのご縁って、焦って結べるものじゃないけれど、時が来たら、自分でもびっくりするくらいの展開が待ってたりしますよね。
    なにがしさんにとって、「今」がそのご縁の結ばれる時だったんでしょうね。
    お仕事もとてもお忙しいでしょうし、大変なこともいっぱいあると思いますが、どうぞなにがしさんにとって最良の「第一歩」を歩み出してください。
    なにがしさんの持ってらっしゃる資料が、丹生氏についての研究に貢献するというのも、ものすごくうれしいことですよね(#^.^#)
    これもまた、大きなご縁なのだと思います。
    本当によかったですね(#^.^#)
    これからもまた、進展について教えてください。
    楽しみにしてます。
  • のりちゃんさま 投稿者:なにがし 投稿日:05月05日 21時06分

    本当であれば仕事をやめてすぐにでもなりたいのですが、いろいろあってそうもできません。神主だけでめしもくえませんし。
  • 凄いなー。 投稿者:セラフィム 投稿日:05月05日 21時52分

     こういうものを神縁と言うんでしょうね。日頃の信心の賜物だと思います。一層、精進されて、神縁をたくさん結んで下さいね。それにしても、すごいなー。最後の新幹線のキャンセルっていう「お土産」付き、ってのが、ご機嫌ですね・笑。応援しておりますので、頑張って下さいねー。
     
  • セラフィムさま 投稿者:なにがし 投稿日:05月06日 00時28分

    その勢いをかりて本日宝くじがあたっているか確認しに行きましたが、そこまでは神縁はなかったようです。(^^;)
    でも、本日宝くじまたかっちゃいましたから、ご縁があれば当たるかも(^0^)v
    友達にこの話をしたら、神様もそこまではめんどうみてくれないやろと一掃されました。
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月06日 18時20分

    いろいろ制約があるのでしょうね。
    なにがしさんご本人はこれからいろいろとっても大変でしょうけれど、焦らずくじけず、そして無理せず頑張ってくださいね(#^.^#)
     
    んで、宝くじは当たってませんでしたか(笑)
    もし1億あたってたら、すぐにでも会社辞められたかもしれないのにね(~_~)
    ・・・ってことは、当ってなかったのは、「まだ会社辞めんとき〜」という神様のご配慮かも??
     
    大体の場合、「後から思えば」になるのだけれど、
    「あの時、もしもこうしてたら、今の自分はなかったな」
    って思うことがあるじゃないですか。
     
    宝くじの当る当らないも、きっと後から思えば、
    「あの時当って(なかっ)たら・・・」てなことになるのかもしれないですね。
     
    当るも当らないも、きっと神様の思し召し・・・ってことで(~_~)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月06日 18時20分

    セラフィムさん自身も、いろんなご縁をいろんなところで結んでおられるんじゃあ??
    本当に、皆さん頑張っておられるなぁ。
     
    見習わねば(^^ゞ

 

新スレ 温泉ゾフィー 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時41分

順番むちゃくちゃだけど・・・(^^ゞ
 
HAL様
大物主命=火明命だと考えておられるんですね!
とすると、少彦名命=火明命ってことになりますが・・・。
え〜〜〜っ!!!!!!
なんか、こう、う〜〜む(^^ゞ
 
で、日本書紀の編纂は、どの天皇紀がいつの時代に書かれたか、と考えるのは、有効なことかもしれないですね。
でも、最終的に最後に手を加えられた可能性も十分あると思うんですよね。
 
例えば、地上に下ったのが、天忍穂耳命じゃなくて瓊々杵尊だとしたのも、編纂当時はそうじゃなかったんじゃないか、と。
編纂が進んだ時に草壁皇子がなくなったんで、後々に慌てて付け加えたんじゃないか、と。
 
そう考えるともう、ぐっちゃぐちゃ(笑)
 
でも、少彦名命=火明命については、頭の片隅に置いておきます(#^.^#)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時41分

    二荒山神社も高そうな一角(笑)にあるのですね〜(^^ゞ
    で、欧米の方が多いのですね。
    世界遺産は数あれど、都心に一番近いのは日光かもしれませんもんね。
    京都も外国の方が多いと思いますが、3人に1人はいないかなぁ(笑)
  • 日光 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月30日 21時28分

    http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.754964&el=139.6021&la=1&fi=1&sc=3
    ↑これちょっと見て頂けると……。(途中でリンクカラー
    が切れたら、恐れ入りますが下のURLを継ぎ足して
    下さい(^^ゞ)
     
    「1/8000」モードで、東照宮を挟んで左に二荒山神社、
    下に輪王寺が既に見えると思います。
    「1/21000」に周辺を広げると、日光のホテルや旅館の
    並ぶ通り(120号、119号)が見えます。
    さらに「1/75000」「1/15万」を飛ばして、一気に
    「1/30万」に周辺を広げると、「中禅寺湖」「戦場ヶ原」
    が見えて来ます。この「戦場ヶ原」が龍(大蛇)とムカデ
    の決戦地(笑)。
     
    さらに「1/90万」まで広げると、「日光」から
    「中禅寺湖」を挟んだ西側に「片品」という所が見えて
    来ます。
    この「片品」あたりが安く、一泊6000円代で温泉もあり、
    夕朝食つきの宿があります(^^)。
    ちなみにこの「1/90万」のまま、「片品」のちょうど
    下の方に「赤城山」が見えますね(^^)。
     
    こんな位置関係です。
     
    >3人に1人はいないかなぁ(笑)
     
    京都から来た人がそう言ってました(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 17時14分

    地図ありがとうございます。
    こうやって見て始めて知りました。
    日光東照宮と華厳の滝って離れてるんですね(^^ゞ
     
    で、片品が安い・・・とφ(..)
     
    で、こないだ図書館で借りてきた本に赤城明神由来記が載ってました。
    ・・・んが。
    漢文、しかも白文(T_T)
     
    ・・・勘弁してください・・・
    って感じです(笑)
     
    関西で一番外人さん率が高いのは、意外と日本橋(東京で言えば秋葉原みたいなもんでしょうか・・・)かもしれません。
     
    会社が日本橋のすぐ側にあったんですが、よくカタコトの日本語で道を聞かれましたし(^^ゞ
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:05月02日 01時09分

    http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.44.37.920&el=139.30.49.157&la=1&fi=1&sc=5
     
    華厳の滝あたりを中心に「1/75000」で見ると、東照宮の
    近くの二荒山神社以外に、もう一箇所「二荒山神社」が
    見えると思います。ここにはまだ行ってないんです(^^ゞ。
    神社マニアな方なら、きっと見逃さないのでしょうね。
     
    この地図をさらに細かく「1/21000」を見て下さい。
    これに現れる「明智平」と「展望台」を繋ぐロープウェー
    これはちょっと高い(往復700円)けれど、必見だと思い
    ます。ここから「華厳の滝」が、遠いけど絶景状態で
    見下ろせます(^^)。
    「華厳の滝」周囲の「白糸の滝」も一望の元です。
    これを見て「近くでも見てみたいな〜」と思うようだったら、
    改めて「華厳の滝」に向かい、無料で見られる展望台に
    行けば、それでOK。
     
    ちなみに昔やった大河ドラマ「徳川家康」のオープニング
    に出て来る「上流の水流」は、この明智平ロープウェーで
    行く「展望台」付近から、「華厳の滝」の上を写した映像
    ではないかと思います。
     
    展望台の望遠鏡(1回100円だったかな)で見て、「あっ、
    これはあのシーン」と一発で思いました(笑)。
     
    正直な話、東照宮のある辺り(三社並んでますが)は、
    そう感動するって程でもありませんでした(^^ゞ。
    京都で寺院をたくさん見られた方なら大した建築物でも
    ないんじゃないかと(逆に寺院をよく見知ってる人の方が
    感動するって事も有り得ますが)。
     
    しかしこの「華厳の滝」「中禅寺湖」「戦場ヶ原」あたり
    の自然物は「さすが日光だな」と思うに充分な風情です。
    特に古代とか興味をお持ちなら(笑)。
     
    日本橋って東京にもある地名なんですよ(^^)。
    漢文は私も大の苦手です(TOT)!
    祖父が(学者だったので)担当って依頼心があったせいで
    ついに身につきませんでした。
    (亭主がパソ通だから、いつまで経っても身に付かない
    のと同じかも:爆)
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月02日 09時18分

     大物主命、少彦名命、火明命の関係を整理してみます。
     一寸法師では、打ち出の小槌以前=少彦名命、打ち出の小槌以後=大物主命でした。
     大洗磯前神社では、大物主命+少彦名命=薬師如来でした。
     つまり、大物主命=少彦名命といっても、以前と以後、「+」で薬師如来と完全な等価というより同一神の分化と考えられます。
     そして、「+」すると薬師如来になる大物主命&少彦名命の大物主命的部分が火明命に受け継がれているということです。
     ですから、少彦名命=火明命というと、ちょっと誤解が生じるかもしれません。
     
     天皇紀がどういった順番で著述されたかについては森弘達さんの「日本書紀の謎を解く」(中公新書)に詳しく書かれています。
     森さんは、書紀の研究かではなく、元々は中国語の学者さんです。
     書紀の漢文の誤法の率からα群とβ群に分類したのが、森さんの出発点です。
     そして、雄略紀から天智紀は、神代から安康紀に比べ誤法が少ないことから、この部分は、中国語を母国語とする者により著述されたとし、神代から安康紀は、誤法が多く、また、漢籍仏典などからの影響がみられることから中国語がそれほど得意でない日本人の仏教関係者だとの結論をだします。
     森さんは、書記持統五(六九一)年九月四日に「大唐の続守言、薩弘格に銀二十両を賜った」とする記載を雄略紀から天智紀の著述を促す記載だとしています。
     この二名が銀二十両を賜る半月ほど前の八月一三日には、大三輪氏をはじめ一八氏の墓記の提出が命じられています。
     一方、神代から安康紀は、新羅に学問僧として留学した経験を持つ山田史御方の手により著述がされたとしています。
     著述がはじめられるのは、慶雲四(七〇七)年、続日本紀のこの年の四月一五日に山田史御方に学士としての功績としての賞揚されたとの記載を著述を促すものだとしています。
     また、のりちゃんが言うように、最終的な加筆潤色も行われています。
     続日本紀和銅七(七一四)年二月一九日の紀朝臣清人と三宅藤麻呂に国史撰述の詔勅が下ったとする記載がそれです。
     古事記は、この二年前に完成しています。
     古事記序文第三段によれば、古事記は、和銅四(七一一)年九月一八日の元明の詔から、わずか四月あまりの和銅五(七一二)年正月二八日に完成します。
     この四月という短期の編集期間は、漢文で書かれた書紀の神代から推古朝の記載を万葉仮名に直す作業であったと私は考えます。
     つまり、古事記は、書紀のゲラ摺りであり、このゲラ刷りを基に和銅七(七一四)年に加筆潤色が行われたと考えています。
     なお、書紀天武一〇年に記載される帝紀及び旧辞については、「記録校定」とされており、私は、これは、短期間の作業で終わり、天武朝の帝紀及び旧辞と書紀及び古事記には連続性はないものと考えています。つまり、天武一〇年の帝紀及び旧辞の記録校定は、短期間で終了完成し、持統朝に著述がはじめられる書紀とは関係な鋳物だと考えます。もっとも書紀の原資料として天武朝の帝紀及び旧辞や推古朝の天皇記が用いられたものと思いますが
     
     で、付け加えておけば、森説によれば、書紀の著述がはじめられるのは、持統五(六九一)年のことですから、既に草壁は、この世にいませんでした。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月02日 16時04分

    二荒山神社は二つあるんですね。
    山の神社の場合、麓に「遥拝所」があるものが結構多いです。
    山が「ご神体」な場合ですね。
    筑波山神社もやはり、麓と、それぞれの山頂にお社がありました。
    天河神社も、麓の方が有名ですが、弥山頂上にもお社があり、こちらは「奥の院」になってます。
    多分、多くの「お山が神様」な神社は頂上と麓にお社があるんじゃないでしょうか。
     
    で、明智平と展望台を繋ぐロープウェイは必見なんですね。
    でも、もし足で登れるなら、ロープウェイ使わないかも(^^ゞ
     
    で、旦那が得意な分野は身につかないってのはありますね。
    「聞けばいいや」とか思っちゃうからなぁ(^^ゞ
     
    私の場合、方向音痴が直りません(笑)
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月02日 16時05分

    なるほど。
    スクナヒコナ命とオオモノヌシ命は、同体ながらも同一じゃないというわけですね。
    すごく納得。
     
    ただ・・・。
    もんのすごく個人的な感覚なんですけど、分化ならば、同じく「男性性」に分化するってのが感覚的になんかこう、相容れないっていうか(笑)
     
    そうだと考えると、スクナヒコナ命には女性性を感じ取ってしまいます。
    というか、私はHALさんみたいに、整理がついてないからかなぁ。
     
    どうもスクナヒコナ命とオオモノヌシ命もしくはオオナムチ命の関係がまだピンときません。
     
    で、漢文だけでなくても、文章見て、書いた人がどういう人かを想像するってのは有効っぽいですね。
    確か古事記は万葉がなだし、内容も女性的だからってことで、稗田阿礼女性説ってのもありましたね。
     
    私個人の感想としては、あれは女性の作る物語じゃないんじゃないか、と思うんですけどね(笑)
    例えば、サホヒメが垂仁天皇から逃れるために講じた手段。
     
    衣装は腐らせておき、髪はそり、玉は砕けやすく・・・ってな発想は女性のもんじゃないと思います。
    女ならば、もっと直接的な手段を講じるんじゃないか、なんてね。
     
    どちらかというと、日本書紀の中で、
    裏切りを告白したサホヒメに対して、垂仁天皇が「そなたが悪いのではない」なんて言ってますけど、こ
     
    っちの方が女性的な感覚だと思う。
     
    ・・・どうでしょう?
    日本書紀の編者の中に女性がいたってな話は全くありません??
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月03日 10時10分

     本地垂迹は、記紀の成立後にできるわけですが、薬師如来は、手にもつ薬壷から医薬の仏という面と、薬師如来がおわす「東方瑠璃光浄土」から朝日のイメージを持ち合わせています。
     オオモノヌシ神は、直接、朝日ではないけど、「海照らし」と「日」のイメージもあります。
     これがより具体化されたのが、天照国照という概念ではないかと思います。
     この天照国照という概念が生まれるのは、敏達の日祀部をおくとの記載と関わっていると思います。
     
     オオナムチ命については、記紀でもいろいろな名前がついています。元々は別の神がオオナムチ(大国主という普通名称)の下に習合したと考えられます。
     その中で大穴持という女性も「大国主」という名の下に包含されたと考えられ、大国主自体も牛頭天王と同じく、両性具有的な要素を持っています。
     書紀の雄略から天武に記載されている天照大神の記載で、女神と断定できるものはありません。
     また、神代の天照大神の記載にしても完全な皇祖神というイメージはありません。
     「アマテラスの誕生」という本の中で著者の筑紫申真さんは、書紀以前のカミの概念は、海から海岸あるいは川をさかのぼってくるものであったとしています。
     そして、そのカミを迎える一夜妻が棚機女であり、棚機女は、海からやってくるカミの神衣を織ったと
     神代の天照には、そうした神衣を織る棚機女の面も残しています。
     現在のような皇祖神アマテラスの概念が定着するのは、記紀の成立からさらにその後ということになります。
     
     古事記は、前回書いたように書紀のゲラ刷りのようなものです。公開を予定して作られたものではありません。事実、書紀は、成立後まもなく、講義等がされていますが、古事記は、成立以降、かなり後まで一般には知られていませんでした。
     このゲラ刷りは、誰に見せるために作られたか?
     答えは元明女帝ですね。
     私は、稗田阿礼女性説より、こうした古事記の成立過程を考えれば、対象読者が元明という女性であったというのが、その内容を決定するに一番の要因になったと考えます。
     
     さて、日本書紀のサホヒメ物語についてですが、「日本書紀の謎を解く」の中で瀬間正之氏の論文「記紀の文字表現と漢訳仏典」に、『経律異相』という漢訳仏典が古事記のサホヒメ物語の潤色に直接用いられていることが興味深い旨を述べています。
     この説からいえば、古事記の方は、漢訳仏典を潤色に用いたから女性的な色合いが少ないとも考えられそうです。
     
     さて、日本書紀の編者の中に女性がいたか否かについては、編者というより、そもそもの制作依頼者が、持統&元明の両女帝です。
     著述の担当は、前回の森説から引用のとおりですが、続&薩の唐人が銀二十両を賜ったときに書博士の百済善信も銀二十両を賜っています。
     百済善信は、著述者ではないとしても書紀編纂に関わっていたと考えられます。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月04日 12時15分

    もんのすごく正直な話し・・・。
    私は天照大神については、あんまし興味ありません(^^ゞ
    それは、HALさんが言うように、現在ある「皇祖女神=天照大神」の図式が作られたのは、それほど古い時代じゃないから・・・かもしれません。
     
    どっちかというと、HALさんが書いておられるように、
    >カミを迎える一夜妻が棚機女
    これなんですよね。私の興味の対象は。
     
    私は、天照大神と、稚姫、アカル姫、神功皇后、中将姫、下照姫(姫許曽の神)には、同じイメージを強く感じます。
    もちろん違う要素も含まれてるけれど。
     
    以前、HALさんは、「日本最初の相撲は、いわゆる七夕の日に行われた。この日は、山の神を迎える日であり、鎮魂の意味があった」
    というようなことを、どこかで書いてらっしゃいましたよね?
     
    つまり、この場合「力士」は、「生贄」ではないでしょうかね?
    タギマノケハヤは、殺されてますから。
     
    棚機女が海からの神を迎えるのだとしたら、山の神を迎えるのは?
     
    天稚彦物語り(七夕の本地)では、蛇は嫁にする娘を「川の側の小屋」で待たせましたよね?
    「大蛇の嫁」ってのは、つまり大蛇への生贄の暗喩的表現だととったとしたら、「海(川)の神」を迎えるのは若い女性であり、「山の神」を迎えるのは、力のある若い男衆???
    う・・・う〜む。
     
    持統天皇の時代から、三代の女帝を、裏で操ってたとされる藤原不比等公が、そういう「神話」をどういう風に編集し、オリジナルを壊してしまったか、それがなんのためか、それを知るのはオリジナルを復元するための手段とはなると思うんですけど、ものすごく「遠回り」かも、・・・少なくとも私の場合は・・・と思います。
     
    だって、この場合、オリジナルを壊した犯人が誰かってのは、ある程度想像ついちゃいますから、彼らに対して、何かムキになってしまいません(笑)?
     
    そうすると、「オリジナル」からは違う意味でブレちゃう気がするんですよね。
     
    私はかなり感情的な人間なので、どっちかというと、記紀の手にかかってない(とは変な表現ですが)神話の残滓が面白いです。
    ただ、「残滓」でしかないので、これまた感情的になると、妙な拾い方になっちゃうんだなぁ、難しいですね(T_T)
     
    ってことで、これからも、情報交換よろしくお願いしますね(#^.^#)
     
    で、日本書紀に漢訳の仏典の影響があるってのは、何度か教わったような記憶があります。
    天皇に対する賛辞は、仏典というより儒教かもしれませんけど(笑)
  •  投稿者:HAL 投稿日:05月06日 11時49分

    のりちゃん
     
     「山の神を迎えるのは?」ということですが、もう少し「アマテラスの誕生」の筑紫氏の考え方を紹介させていただきます。
     筑紫氏は、原初のカミは、海照らしやってくるカミであるわけですが、これが「天照らし」=つまり、天からやってくるカミに変化します。
     この天のカミが地上に降りてくる順序と手続きを筑紫氏は、「カミは、天かける船で天空をめぐり、目立った山の頂上に降り、そこから、山麓へと向います。山麓には、御蔭木(ミアレキ)が用意されており、ここにカミは憑りつきます。そして、このミアレキを川原に引っ張っていくと、カミはミアレキから離れ、川の中にもぐり姿を現します。そして、棚機女は、川の流れに身を潜らせカミを掬い上げ、一夜妻になった」旨を述べています。
     つまり、海からやってくるカミが天のカミに変わったとき、ある意味で、山から迎えられるカミに変化したといえるかもしれません。
     筑紫氏は、この水の中に身を潜らせる棚機女を「潜姫(くくりひめ)」としています。
     また、伊勢神宮の祭祀について書かれた「太陽と稲の神殿」(小島瓔禮著)には、山の神を迎えることからはじめられる旨が書かれています。
     
     筑紫氏は、折口信夫さんのお弟子さんなのですが、折口氏は、7月7日というのは、中国から伝わる七夕とは、別に祖霊信仰(後に仏教的な色彩が加えられ、「お盆」となる。)に関わり、山から先祖の霊を迎えるという習慣があったとしています。
     その7月7日に行われる相撲は、鎮魂の意味もあったでしょう。四股は、大地を踏み固める動作ですから、古墳の造営などとも関わっていたかもしれませんね。
     また、相撲節のころには、相撲に先立ち賭弓(のりゆみ)が行われ、その成績が優秀だった者が、力士のスカウトを行ったそうです。
     このスカウト役を「コトリノツカイ」といったようです。この響きは、なんとなく生贄を連想させますね。
     
     のりちゃんがいう蛇の嫁になる娘が待った「川の側の小屋」を、折口氏は、「湯河板挙(ゆかわたな)」としています。
     のりちゃんず神社紹介でも取り上げられている「天湯川田神社」の「ゆかわた」です。そして、ユカワタナについては、サホヒメ物語と同様に垂仁紀に書かれています。相撲の起源も垂仁紀ですし、倭姫が天照とともに流浪するのも垂仁紀ですね。
     
     不比等は、鎌足の子とされていますが、この鎌足が藤原の姓を名乗ったというのもいろいろと疑問があります。
     持統の時代に藤原京が造営されるわけですが、ミヤコの名と同じ名を姓にするというのが一番の疑問ですね。
     そして、不比等以外は中臣に復姓するわけですが、鎌足―不比等の本姓が本当に中臣かという疑問もあります。
     不比等以外は中臣に復姓し、神祇の職につきます。中臣神道の本質というのは、祓いではないかと思います。
     中臣氏の祖神とされるのは、天児屋根ですね。一般には、「天」の「児屋根」というふうに区切られますが、中臣神道の本質が祓いにあるのであれば、「天児(あまがつ)」、「屋根」となるのではないかと思います。
     これなんかは、保留にしてある「大忌神」などと関わってくると思います。
     また、筑紫氏は、伊勢大神には、日の神だけでなく、雷や風の神としての神格も内包していたとしています。
     天武は壬申の乱の折、伊勢の朝明郡で「アマテルノオオカミ」を拝んでいますが、龍田神も風の神とされますから、朝明郡で拝んだアマテルノオオカミと龍田神というのも関係するような気がします。

 

帰宅いたしました 投稿者:kazu 投稿日:05月03日 21時26分

昨日、4日間にわたる関西旅行から帰還いたしました。
この4日間は少し暑かったですが、天候も良く良い行楽日和となりました。
念願だった司馬遼太郎記念館、近江坂本などに行くことが出来てよかったです。
  • お疲れ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月04日 12時16分

    GWはどこへ行っても混んでたでしょう。
    楽しいお休みになったみたいでよかったでした。
     
    比叡山には登られたんでしょうか?
     
    ・・・考えてみたら、比叡山って、大掛かりな焼き討ちがあった場所。
    心霊スポットになってもおかしくないのに、そんな話は聞かないですね。
    ある意味、「さすが」かも(笑)

 

ちょっとアンケート 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 18時57分

昨日、テレビをつけるとトリビアの泉をやってました。
 
その時出されたトリビアは、
「9の倍数の、各桁をそれぞれ足すと、9の倍数になる」
というもの。
(例えば、「81」の「8」と「1」を足すと9になる)
 
そんなん小学生でも知ってるや〜ん?
と思ってたら、80ヘェ超えやんの!!
 
確か、小学校か中学校の時に、なんでそうなるか、っていうことまで習ったってば!!
 
例えば、
2475が9の倍数かどうか。
 
2475は、
2×1000+4×100+7×10+5。
これは、
2×(999+1)+4×(99+1)+7×(9+1)+5
と置き換えられ、
999、99、9はそれぞれ9の倍数なんで、何倍しようが、それを足し合わせると、必ず9の倍数。
ってことは、
2×1+4×1+7×1+5
つまり、
2+4+7+5が9の倍数になるならば、
2475は9の倍数になる。
 
・・・って授業でやったてば?
んが〜〜〜っ!
 
なのに、一緒に怒りを爆発させようと、旦那に、
 
「あの審査員、算数の時間さぼってたんちゃうか!!ずっと前も、
111111111×111111111=12345678987654321
とかいう、ちょっと考えたら誰でもわかりそうなので、80ヘェ超えてたし!」
と、言ったら、
 
「いや〜、小学校・中学校ではやらんやろ。理系のクラスでしかやらんのちゃう?」
とクールにすかされてしまいました(-"-)
 
皆さん、授業でやりました?
やりませんでした?
私は少なくとも中学校まででやったと思うんですけど・・・。
  • あ、ちょうど(^^;) 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月29日 19時32分

    今回はテレビつけてたらやってたので、所々見ました。
    が、ちょうどこの「9」の計算式のあたりだけ見逃して
    おりました。ニャンニャン(娘娘)女神の辺りは見た。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時32分

    私もなんやかやとうろうろしながら見てたんで、あちこち見逃してます。
    テレビで「にゃんにゃん」を連発してるな、と思ったら「娘娘」でしたか(笑)
     
    ・・・それも、諸星大二郎ファンとしては、別に「へぇ〜」じゃないなぁ(^^ゞ
  • そういえば・・・ 投稿者:セラフィム 投稿日:04月30日 19時46分

     倍数の話は、中学校2年生でやったような記憶があります。でも、授業中のゲームの一環でやったような気がします。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 17時13分

    やりましたよね!
    ほ〜ら!
    1票・・・と(笑)
  • やりましたよ(笑) 投稿者:北畠具顕 投稿日:05月01日 18時08分

    なにせ数字とアルファベットが天敵の私が知ってましたからねぇ。
     
    ニャンニャンは私も知ってたので別段へぇとは・・・。
    司会の髪型で食いつないだようなものですからね(笑)。
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月02日 16時03分

    ね?やりましたよね!
    ほんまにもぉう。旦那てばいい加減なことを言うんだからぁ。
     
    で、司会の髪形って、どっちの司会ですか?
    めがねじゃないほう(笑)?
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:05月02日 16時24分

    授業でやったかどうかが、ちょっとウロ覚えですが(^^ゞ、
    学研の科学と学習とか、何か子供向けの雑誌で読んだり、
    わりと知られてる事って感じはしますよね(笑)。
     
    あと「ニャンニャン」も日本の音で聞くから猫っぽいんで
    あって、「娘娘」女神がニャンニャンと読むのも、
    「あれ? 知らない人が多い事?」とは少し思いましたね(笑)。
    まあ「へぇ」と言う人がいるのは構いませんけど、
    ああいう番組で、あちこちの紀行番組とか出てる人が
    ゲストだったりすると「ホントに初耳(^^;)?」と思う事
    はありますね(笑)。
  •  投稿者:北畠具顕 投稿日:05月02日 22時09分

    >で、司会の髪形って、どっちの司会ですか?
    >めがねじゃないほう(笑)?
    そうそう(笑)前の髪型はかつらだったともっぱらの噂でしたよ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月03日 04時49分

    あぁ、なるほど。「学研」とかであったかもしれませんね。
     
    で、「ニャンニャン」については、他の人が知らないのは全然構わないんですけど、荒俣宏が、10ヘェ以上出してたらいやだなぁ。
     
    確か、「桃太郎」が、五行で見ると、呪術的意味がある・・ってのは、荒俣宏が言ってたのを始めて聞いたんですよね、私。
     
    そういう人が、「ニャンニャン」を知らなかったら、むっちゃうそ臭い(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月03日 04時51分

    確かにあの固め方は怪しい(笑)
    でもあの人の場合、つるっとしてても、似合いそうなのに・・・って全然フォローになっとらん(^^ゞ

 

「造幣局通り抜けオフ」 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月28日 19時44分

を拝見して「心中天網島」のストーリーを知りました。
得したな〜(笑)。
 
要するに本当の悪人は居なくて、みんな擦れ違いで……
という話なんですね(゚.゚)。私こういうの嫌いじゃない
です。よく「悪を描け」とかうるさく言う向きがある
ものだけど(笑)、江戸期はそうじゃなかったのかもね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時18分

    全然関係ない話になりますが、私が苦手な作家の一人に渡辺淳一氏がいます。
    いや、ストーリーもなんなんですが、なにより文章が・・・。
    いや、人のこと言えたもんじゃないと思いつつ、あれはちょっとないんじゃないかと(^^ゞ
     
    まぁ、それはよいとして、苦手ながらもあまりにも話題になったので、とりあえず「失楽園」は読みました。
    で、率直な感想が、
    「心中天網島の粗悪な模倣品じゃん(-"-)」
    でございました。
     
    いつの時代も、
    男には、「理解のある女房」
    女には、「横暴な男の影」
    があると、心中になっちまうのかなぁ・・・なぁんて。
     
    私も、若い頃はこの話、すごく好きだったんです。
    特に、お春が身請けされると知ったおさんが、
    「あの人は、一人で死ぬ気です」
    って治平に迫るところが。
     
    これ、もし、男女が反対だったら、きっと成立しないお話ですよね。
    女側の夫が浮気相手の自殺を察知しても、
    「俺はいいからあいつと一緒になってくれ」とは言わないだろうし、そもそも、相手の男の自殺を察知したりしないと思うわ・・・(^^ゞ
     
    近松門左衛門は、女の心情を描くのがうまいなぁって思いますね(#^.^#)
     
    で、近松浄瑠璃は(それほど数を知ってるわけじゃありませんが)、悪人はあまり出てこないように思います。
    油地獄は、はっきりとヒールが出てきますけど、テーマが「心中」となると、ね。
    どの人の心にも「悲しみ」が描かれてます。
     
    私達は、ハーンの「赤い婚礼」を読んでいるから余計に、心中に対して思い入れを持ってしまうのかもしれませんけどね(笑)
  • 渡辺淳一 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月29日 20時02分

    ↑私も亭主も、たまたま読んだ連載中の小説が性に合わ
    なかったので、その後読んでみようともしておらず(^^ゞ、
    ただ、医者が出て来る小説を書いた時、添削してくれた
    お医者さんが、医療だか医者の世界だかについては、
    よく知ってる作家だとか言ってました。
    が、結局参考にすら読んでなかったり(^^ゞ。
     
    ただ、ちょうど「失楽園」が映画だったかで有名になった頃、
    何しろコレがスゴイという「作家志望」の集まり(こう
    聞いただけで笑っちゃわない?:笑)に行ったんですが、
    何の事はない、「性欲に責任を取りたくない」って筋の
    H話ばっか書いてる不倫願望ムラムラな集まりだった、
    という「ファン層印象」だけが残ってます(汗)。
     
    で、ハーンの話で思い出したのですが「心中天網島」って
    ハーンが海外への紹介を薦めなかった、と私が前に話した
    物語でしたっけ(^^ゞ。←自分で覚えてろよ
     
    そうだとして(違ってたらスイマセン(^^ゞ)、のりちゃん
    の書いた内容を見る限り、まず「心中がブーム」みたいな
    前提が成立しないと、初段階で理解を得られない、という
    構造的な問題はあると思いました。
    つまりキリスト教国では日本への誤解を招く、という
    可能性ですね。ハーンも苦労したのかもしれません(笑)。
     
    男女が引っ繰り返った場合ですが、「男の友情」は美徳と
    されて来ましたから(それはつまり、実は仲が悪い事の
    裏返しなワケですが(^^;))、私は逆に「ありふれた話」
    になる気がします(^^;)。
     
    実際「男の友情」を繋ぎとめるために犠牲になった女性は
    史上でもそう少なくないのではないでしょうか。例えば
    主君と家来が同じ女性を与えたり貰ったりしますよね。
     
    むしろ「これを女同士にしてみたらどうだろう」と発想
    したと見ると、この話は斬新だったかもしれません。
    「あの人を救ってあげて」と妻が夫に頼んだ所で、
    夫がそのために性欲の犠牲になる事はありませんから。
  •  投稿者:anne猫 投稿日:04月29日 21時40分

    私があわなかったのは三浦綾子かな?
    柳美里もあまりあわないかな?
     
    やっぱり 中村うさぎの「極道君シリーズ」が好き。。
  • 渡辺淳一 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月29日 22時28分

    私もあわない(笑)
    何で失楽園が売れたのかさえわからない。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時42分

    「性欲に責任とりたくない」ってのは至言かも(笑)
    まぁねぇ。究極死んじゃえば、責任問われませんね(^^ゞ
     
    で、ハーンが紹介しなかった話、天網島でしたっけ??
    過去ログ繰ってみたんですが、わかりませんでした〜〜(T_T)
    すいません。
    ただ、近松の世話物だった可能性はありますね。
     
    で、キリスト教国では、自殺がまず受け入れられないですから、心中なんてのはもってのほかだったのかもしれませんね。
    もってのほかである心中に行き着くまでのストーリーがどれほど美しくても、理解を得られないのかも。
     
    で、
    「男同士の友情」の犠牲になった女っていわれてみれば、確かに、ありふれてるかも(笑)
    額田大王も、その一人になりますかね。
     
    ただ、
    武者小路実篤の「友情」
    夏目漱石の「心」
    なんてのを読むと、そもそも女の気持ちってものを全く斟酌しないのが普通だったのかな、とも思いますね〜。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時43分

    あぁ、三浦綾子さんっていうか、キリスト教文学が私には合いません。
    といっても、はっきり「キリスト教文学」って匂いがしたのは、
    「狭き門」「緋文字」「谷間の百合」くらいかな・・・。
    どれもこれも
    「あ〜〜〜胸糞悪い!!!」
    でしたわ(笑)
     
    中村うさぎさんは、結構好きです。
    でも、まねはできない(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月30日 17時46分

    わははは。
    渡辺淳一氏が合わないって人多いなぁ・・・(^^ゞ
     
    失楽園を読んだのはまだOLの時だったんで、
    「読む人いたら、あげますよ」
    って言ったんですが、誰も欲しがらなかったなぁ。
     
    高木彬光さんとか、高橋和巳さんとかはすぐもらいてがついたんですけどね(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月30日 21時55分

    ハーンが紹介を薦めなかったのは、やはり「天網島」でした(^^ゞ。
    ハーンに紹介するか相談したのは坪内逍遥ですね(笑)。
     
    これについては、ハーンの「東の国から」「心」を読む
    限りでは、日本人が「野蛮人」と西欧に見られる事に
    反感を持って日本を庇ったから、と私には読み取れるの
    ですが、息子の一雄は、母を捨てた父への恨みや、前夫
    に逃げられた妻セツへの同情を、その心境背景に匂わせてます。
     
    >「狭き門」
     
    意味不明ですよね〜これ(^^;)。。。
     
    額田女王の頃は、どうなんでしょうねぇ(笑)。
    しかし少なくても後世の人は、額田女王を知ってるワケ
    ですから、これを例えにあげて、宜しくやったかもしれま
    せんね。
     
    いろんな例があったと思いますが、パッと思い付くのは
    確か平清盛の母。あと阿野レンシなんかもそうですかね。
    土岐頼芸と斎藤道三。徳川5代綱吉と柳沢吉保もですか。
     
    話は坪内逍遥に戻りますが、不倫文学を読んで激怒し、
    フランス人教師に、恋愛の機微を全く判っておらん、
    と言われたトラウマから、「小説の真髄は不倫だぁ〜っ」
    と主張しはじめるわけですが、きっとハーンは「天網島」
    がヤだったのではなく、そういう坪内の勘違いがヤだった
    のではないでしょうかね(爆)。
     
    だって自分では、たくさんの日本の心中を紹介してます
    ものね(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 17時16分

    あ、坪内逍遥に相談したって話しは教えていただきましたね(#^.^#)
     
    でも、確かに、この物語りと、ハーン自身の父親への感情は重なりそうな気もします。
    治平は、結局、どっちの女性にも悪いことをしちゃった・・・といえるかもしれませんから。
     
    で、「男の友情」の犠牲になった女ですが・・・。
    廉子って、後醍醐天皇の側室でしたっけ?
    どれもこれも、知らない女性ばっかだぁ(^^ゞ
     
    しかし、土岐頼芸と斎藤道三って、みよしの(漢字は深吉野でしたっけ?)のことですか?
    でもあれって、「友情」とはちと違うような気が・・・。
    国盗りだけのイメージですけどね(笑)
     
    坪内逍遥については、彼が翻訳したものを少し読んだだけで、彼の小説は読んでないんですけど。
    まぁ、「報われない恋」ってのを描くと、「それらしく」なるのかもしれないですね(笑)
     
    あ・・・。
    反対に女で友情が壊れた例もいくつかありますね。
     
    谷崎潤一郎と佐藤春夫とか。
    中原中也と小林秀雄とか。
     
    まぁ、女の取り合いで友情壊れたってのも小説になりやすいです・・・わね???(爆)

 

緊急告知! 投稿者:セラフィム 投稿日:04月27日 20時11分

 来る4月29日(祝)、犬鳴山七宝滝寺にて、柴灯大護摩供があります。以前、お伝えしました、「春のパン祭り」じゃなかった、「春の行者祭り」があります・笑。朝10時より厳修致します。あっ、それから餅撒き、ぜんざいの接待、があります。午後から第二陣の護摩供があり、火渡修行もあります。
 
こたつ様
 天狗のお話。細川氏も修験に入れ込んでいたんですか!面白いですね。当時の人々は、呪術で人をどうにかできると思っていた時代だし、そういう人がいてもおかしくない時代ですからねぇ。山伏の呪法で、「飯綱使い」ってのが、あります。まぁ、コックリさんみたなものを飼っておいて、いざ、というときに相手に仕掛けるようです。まぁ、壷毒みたいなものだと思うのですが・・・。
 
のりちゃん様
 そうなんですよー。「かかかか」は笑い声。ちなみに笑っていらっしゃるのは、お地蔵さんもそうです。お地蔵さんの御真言「おん かかかびさんまえい そわか」。
  • 「春の行者祭り」 投稿者:ノウダラ 投稿日:04月27日 23時38分

    見に行こうかなぁ〜
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 16時56分

    29日!
    ぜんざい、餅撒き!!
    セラフィムさんは、何をなさるんですか?
    いけるかなぁ?どうだろ。
    要調整だぁ!
     
    で、お地蔵さんのご真言。
    訳するとどういう意味になりますか?
  • ノウダラ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 16時57分

    是非レポートを!
     
    う〜ん、餅撒きかぁ〜〜〜・・・。
  • お餅撒き 投稿者:anne猫 投稿日:04月28日 17時45分

    5月2日に大阪城で今宮えびすの福娘さん達と
    武者姿で撒いてきます〜
  • うううっ・・・ 投稿者:なにがし 投稿日:04月28日 20時11分

    5月4日に延期できませんよね〜・・・。
  • 猫様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時19分

    ここにも餅撒きが(笑)!!
    福娘さんも参加されるんですね。
    でも、こっちの餅撒きは、競争率めっちゃ高そう(~_~)
  • なにがし様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時20分

    結局うちも、今回はいけませんでした(T_T)
    調整つかなくて〜。
    次の機会を待ちます(>_<)
  • 無事終了! 投稿者:セラフィム 投稿日:04月30日 19時44分

     柴灯大護摩供は、無事、終了しました。今回は、本当に良い護摩を焚くことができました。火渡修行も、火傷者も出さずに無事終了しました。
     これからの護摩供は、8月末、9月下旬、10月下旬(金峯山寺蔵王堂)に厳修されます。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:05月01日 17時13分

    お疲れ様(#^.^#)
    今度は真夏ですね。
    火渡りもあるんでしょうか?
    夏はきつそ〜。
    そういえば、「火走神社」ってのもありますよね。
    こちらも、火の上を神職さんが走るから・・・と、和漢三才図会に書いてました。
    修験と関係あったんでしょうかね。

 

新スレ 温泉セブン! 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 18時22分

HAL様
魚でもなく人でもなく・・・って言われると、「人魚」という言葉を思い浮かべますが、また全然違うも
 
のだったのでしょうか?
「なんとも名付けられなかった」とわざわざ書いてあることが、余計に不思議な感じを受けますね?
摂津かぁ・・・。摂津のどこだろ?
 
・・・で、そういえば、花咲爺さんも桜ですね。
 
この話しって、
桃→白い犬→柳→杵と臼→灰→桜
と姿を変えるんですね。
考えてみれば、柳の木がいくら大きくなっても、それで臼と杵は作れないような気もしますから、犬を埋
 
めて柳の木が生え、それを杵と臼にするというのは、何か暗号があるのかもしれません。
 
で・・・。
小栗判官と有宇中将については、面白いですね。
日光ってのが、イマイチ身近じゃないので、ピンときませんでしたが、小栗判官との共通項を指摘される
 
と、ちょっと興味が湧いてきました。
 
で、他田坐天照御魂神社はまだ参拝したことがありません。
というよりその存在を知りませんでした。
 
天照御魂神については、物部氏が絡んでくるだけに、ややこしくて、ちと敬遠してたり(笑)
  •  投稿者:HAL 投稿日:04月27日 08時08分

    のりちゃん
     
     人魚については、後の八百比丘尼伝承などでも人魚の肉を食べて不老不死になったなどと出てきますから、人魚という可能性もありますね。
     また、応神紀では、敦賀の地名逸話で海豚が登場します。
     昨年は、日本近海にアザラシが来たことが唯一の明るいニュースでしたが、江戸時代などにもアザラシが日本近海に現れ、見世物小屋に人が殺到したなどの記事が見えます。
     
     確かに柳で臼や杵は作れませんね。柳といったら柳行李や力士のアケニぐらいしか思い浮かびません。
     よく言われるのは、柳(楊)は、楊の字が示すように陽、だから、陽の柳の下に幽霊(陰)が出る。
     陰陽説から陰と陽が交互に出ているなんていうことはないんでしょうか?
     
     私も日光はまだ行ったことがありません。後に家康が日光に改葬され、関八州の鎮護となるなど、日光というのは、宗教的に非常に重要な地だと思います。
     家康は、鳳来寺薬師十二神将の申し子といわれていますし、説経小栗もまた湯の峯薬師で小栗殿は蘇生します。
     説経小栗については、蘇生した小栗は餓鬼阿弥とされ、藤沢の上人(一遍)などから時宗信徒が関わっているといわれます。
     一方、家康にもその先祖を世羅田徳阿弥とするなど時宗の影響が見受けられます。
     
     他田坐天照御魂神社については、敏達紀に日祀部を置くとの記載があり、この日祀部が置かれた跡地が他田坐天照御魂神社といわれます。
     伊勢神宮が実際に出来るのは、文武期ですから、実際に天皇家が日神信仰に関わるのは、この敏達が他田に日祀部を置くことを持ってはじまります。
     私は、伊勢の大鹿首あたりが関わっているように思うのですが、まだ、うまく整理できていません。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 16時56分

    え?
    柳が陽???
    なんか、イメージじゃない(笑)
    敢えて言うならば、ししゃも(柳葉魚)が、柳に関連するもので「陽」っぽいイメージでしょうか。
    卵がぱっつんぱっつんに入ってたらなおよし。
     
    しかし、陰陽が交互・・・ってのは考えてもみませんでした。
    でも、陰陽って、「これが陰?」「これが陽?」って意外なものが多くて、見た目では判断できませんね。
     
    日光は一度是非参拝してみたいですね。
    ただ、何かとお金がかかるという噂に、びびってます(爆)
     
    で、他田坐天照御魂神社について。
    日祀部ですか。
    始めて聞く名前です。
     
    考えてみたら、太陽はすごく大事なものですから太陽神が最高の神とする発想はわかるのですけど、「雨」とか「風」みたいに、頻繁に生活を脅かすものではないですよね。
     
    旱は、即ち「雨が降らないこと」なので、雨神信仰に即つながりそうだし。
    日食などはそんなに頻繁に起きるものじゃないし。
     
    敏達天皇の時代に「日」を祀ることが始まったのだとしたら、何か事件があったのかもしれないですね?
    日食かな?
    もしくは、天皇家と「太陽」を結び付けなくてはいけないような政治的な事件とか?
  • 高いですゼ(爆) 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月27日 19時20分

    金かかりますぜ(^^;)、日光。
     
    特に気を付けたいのは(こういう局面になると出て来る
    という:笑)、東照宮。私の場合安い値段は必ず覚えて
    いるのですが「高かった」というのは、その記憶だけで
    充分なので(覚えてるが悔しいという噂もある:笑)、
    幾らだったかはもう判りませんが。
     
    あと、こないだ春にいって悔しかったのは、華厳の滝です。
    これを見る場所が数箇所あるのですが、最初明智平という
    高い場所にいって上から見下ろした時には、確かに凄く
    感動しましたから、このロープウェーに乗らないのは
    幾らお金が勿体無くても損だと思います。
     
    が、華厳の滝の近くまで行った場合は、「滝の下の方まで
    行って近くで見られる」という有料エレベーターは利用
    しない方が無難です。そのエレベーターのそばに、近くに
    寄れる見晴台があって、ここは無料で入れます。これで
    充分です。ええ、「絶対」です!!!!(力説)
     
    ああ、何かちゃんとした話だったのに水を差したかも(汗)。
    スイマセン(^^;)。。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 16時55分

    やっぱ高いですか!!
    で、
    「明智平のロープウェイ」は、乗るべし。
    「滝下エレベータ」は、近寄るべからず!
    φ(..)
     
    なんか、
    「なにかと有料」
    と聞いてます(笑)
     
    何が見たいか、を前もって調べていく必要がありそうですね。
  •  投稿者:HAL 投稿日:04月28日 19時20分

     日祀部を最初に置いたとの記載は、書紀敏達六(五七七)年二月一日の記載です。
     この直前の記載は、前年三月の記載で敏達の子供らが記され、日蝕があった旨は、記載されていません。
     むしろ、敏達の出自によるものかと思います。
     敏達紀の冒頭には、敏達は、欽明の第二子で母は欽明の后の石姫、敏達は、仏法を信じなかった旨が記載されています。
     母の石姫は、宣化の娘である。さらに遡れば、宣化は、継体と尾張連草香の娘・目子姫です。
     この尾張氏の遠祖が火明命ですね。
     他田坐天照御魂神社の祭神の天照御魂神は、天照大神荒魂、天照国照火明命あるいは志貴連祖天照饒速日命とされます。
     つまり、敏達―石姫―宣化―尾張氏という系譜から日祀部を置いたのではないかと考えられます。
     皇祖神アマテラスというのは、持統晩年から元明朝にかけて創作されたものです。
     持統の息子・草壁が死んだ時点(持統三(六八九)年四月八日)で、人麻呂が挽歌を詠んでいますが、挽歌には天照日女尊と出てきます。
     女神アマテラスの萌芽は見られますが、皇祖神アマテラスは、いまだ完成していません。
     つまり、壬申の乱(六七二年)で伊勢北部で天武が祈ったという天照大神は、後の皇祖神アマテラスではなく、アマテルノオオカミ、つまり、天照国照彦火明命と考えられます。
     敏達が日祀部をおいたのは、壬申の乱より百年ほど遡りますから、その跡地に祭られた神は、当然、後の皇祖神アマテラスではなく、日の男神アマテルノオオカミと考えられます。
     一方、薬師については、持統の病気平癒のために薬師寺の建立がはじめられたの記載が書紀天武九(六八〇)年一一月一二日が初出です。
     因みに、この月の一日に日蝕があった旨が記載されています。
     続日本紀文武二(六九八)年一〇月四日に薬師寺の造営がほぼ終わったとの記載があります。
     造営をはじめて十八年の歳月が流れています。
     これは、ちょっと考えられないことです。天武が都を置いたのが飛鳥浄原ということを考えれば、なおさらのことです。
     薬師寺の建立がはじめられるのは、持統が藤原京の造営の地鎮祭を行う持統五(六九一)年一〇月二七日以降のことと私は思います。
     因みにこの月の一日にも日蝕があった旨が書紀に記されています。
     また、この年の八月一三日に大三輪氏をはじめ一八氏の墓記の提出が命じられます。これが、雄略紀から天智紀の著述がはじめられるきっかけとなります。
     一方、薬師寺の造営がほぼ終わったとされる文武二年一二月二九日に多気大神宮を度会郡に遷したとの記載が続日本紀にありますが、これが、皇祖神アマテラスを容れる器=今日の伊勢神宮の完成だといわれています。
     草壁がなくなった時点では、皇祖神アマテラスの概念は完成していませんでした。
     そして、その二年後に書紀の著述がはじめられます。
     薬師寺の建立とアマテラスを容れる器の造営は、同時進行的に行われていたのではないかと考えられます。
     密教では、大日如来と薬師如来は同体という説があるようです。また、天台系では、大日如来=天照大神といわれます。
     この二つの説を結びつければ、薬師如来=天照大神ということになります。
     ただし、この天照大神が皇祖神アマテラスだとは断定できません。
     日の男神アマテルノオオカミである可能性が濃いのではないかと思います。
     付け加えておけば、天照大神を男像で表している絵や像が三輪山などにあります。
  •  投稿者:HAL 投稿日:04月28日 19時33分

     また、那智では、天照大神の本地を十一面観音としています。
     那智の天照大神が皇祖神アマテラスか否かはおくとしても、女神アマテラスであると考えられます。
     そして、牛頭天王の男体の本地を薬師如来、女体を十一面とする説からいえば、密教及び天台系の説を総合した天照大神=薬師如来の天照大神は、男体と考えるべきだと思います。
     那智の十一面観音=天照大神については、又の機会に言及します。
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月28日 19時37分

    日光は建築物を見るなら、東照宮は外せませんので(何せ
    「世界遺産」ですから(^^;))、これは仕方ないとして、
    旅館なんてあまりに高そうで近付けません(汗)。
     
    とは言え、私は日帰りでも行ける距離ですが、のりちゃん
    はそうも行かないでしょうから、車をブンブン飛ばして、
    相当遠くの安宿を探されるのが宜しいかと(笑)。
  • HAL様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時14分

    私としては、天照大神以前の日神が必ずしも天照国照火明命じゃなくてもいいんじゃないか、と思ってるんです。
    そもそも、火明命=太陽神ってイメージ・・・。
    ・・・というより、火明命に関して言えば、農業神だ、という話しの方が、なんとなく納得がいきます。
    ホアカリ=穂赤っていう発想ですね。
    いや、というよりも、まさにこの神は、「最高神」であり「全知全能」って気がします。
     
    だから、HALさんの意見に沿おうとするならば、
     
    ・「最高神・天照国照火明命」という神様がいて、
    ・天武天皇の時代、天照という神を太陽神と設定した。
    ・そして、持統天皇の時代、それを女神ということにした。
     
    という感覚になりますか。
     
    ただ、天照国照火明命が最高神だった!
    といわれると、どうもそれもピンとこないんですよね〜。
     
    HALさんの感触としては、火明命を最高神とした人々の存在を感じます?
    いや、尾張氏や物部氏は、火明命を祖神としている上は、火明命を最高神とした可能性ってのはもちろん感じるんだけど。
     
    でも、全国的に(て言う言い方も変かも(笑))、火明命を最高神とするという気風ではなかったろうと思うんですよ。
    いろんな「最高神」がましまされたのではないか、と。
     
    ならば、私が気になるのは、
    多分、その時代、いろんな氏族がいろんな「最高神」を信仰していたとして。
     
    なぜ、天武天皇〜元明天皇の時代に、最高神として、「天照」神を採択したか。
     
    ということですね。どっちかというと。
     
    どうせ、前身を抹殺しちゃうつもりならば、「大物大神」でもよかったんじゃないかしらん?と。
    どう思います?
     
    しかし、薬師如来と天照大神ってのは、繋げたこともなかったです(#^.^#)
     
    あ、ついでだから、質問しちゃうと、龍田神と、大忌神についてはどう思いますか?
    時代的にも天武天皇の時代だし、龍田神はHALさんには興味深いんでは?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時15分

    そうそうそう!!
    「世界遺産」とかになると、その近所の宿まで高くなるんですよね!!
     
    東照宮っていうより、二荒山に興味があるんで、二荒山の東照宮と反対の麓ってのがあれば、そっちに泊まるかな(^^ゞ
  • 日光には 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月29日 19時31分

    ↑ヒジョーーーに外国の方(特に欧米の方々)が多かった
    です。そうですねぇ、観光客3人に1人ぐらいと言っても
    過言じゃないっす(^^;)。
     
    東照宮と二荒山神社はお隣です。この近辺は、見るだけで
    高そうな旅館の連続。が、龍とムカデの戦ったという、
    戦場ヶ原あたりは、少し車で行きますか。
    中禅寺湖つーとこを通り過ぎて山の方(ってのかな)に
    行きます。
  •  投稿者:HAL 投稿日:04月29日 20時02分

    のりちゃん
     
     天照神が最高神・太陽神となるのは、女神アマテラスの創作以降のことと思います。
     それ以前は、たとえば、古事記で大物主の登場で形容されているように「海照(あまて)らしやってくる神」がアマテル神であったと思います。
     つまり、大物主も火明も異名同体であると考えます。
     それゆえ、他田に日祀部が置かれ、その跡地に天照御魂神社が建立されたと思います。
     つまり、忠臣蔵という劇の中で吉良上野介が高師直であったように、記紀という物語の中では、火明は、大物主として描かれていると思います。
     ホアカリ=穂赤については、粒坐(いいほにます)天照御魂神社などは典型ですね。
     ただ、書紀では、仏教の公式伝来を欽明13(552)年のこととしています。
     そして、仏教伝来により仏閣が建立されたことに影響を受け、社も建てられ、仏典に対抗して神を祭る教典が整備され始めます。
     書紀の仏教公式伝来から四半世紀後に日祀部が置かれます。
     この日祀部が置かれた跡地に社が建立され、他田坐天照御魂神社となるわけです。
     他田坐天照御魂神社がいつ建立されたかについては、定かではありませんが、かなり早い時期と見てよいのではないかと思います。
     粒坐天照御魂神社がこれより先か否かもわかりませんが、おそらく、同時期に建立されたのではないかと思います。
     また、播磨国風土記などでも大物主の記載があります。ちょっと、火明命の関係は複雑ですが
     この複雑さというかブレをどのように解釈するかという問題になりますが、記紀という物語の中では、火明が大物主として描かれていること(あるいはその逆かもしれないが)の反発とも取れるのではないかと思います。
     私は火明あるいは大物主は、海人(尾張氏を含む。)の祖神であると考えます。
     この祖神については、たとえば、ある種の能力を持っていた者がいるとして、そのある種の能力は、代を経るごとに薄まりますよね。
     突然変異の先祖帰りということもあると思いますが、自分より祖父の方がそのある種の能力に優れていた。そして、祖父の話ではさらにその祖父はもっと優れていた。なんてことが祖先は、自分よりはるかに優れていたとなり、その祖先(祖先郡というのがより正確)を神として祭ったのが祖神ではないかとおもいます。
     先ほども書いたように、古事記では、大物主を「海照らしやってくる神」としています。
     一義的には、海人の祖=航海術に長けた先祖神とみることができます。決して最高神という概念はなかったと思います。
     また、ここで現されているように「海照らし」、つまり、女神アマテラスのように天上から天降る(記紀の世界では、天降るのは、アマテラスの孫ニニギだが)は、ありません。
     また、書紀の神代から安康紀の著述が始められるのは、元明の時代と考えられます。
     この神代の巻下の一書第二で大物主は、高皇産霊に屈辱的な制約を強いられています。元明の時代にアマテルノオオカミは、止めを刺された。そして、皇祖神アマテラスが誕生したと考えられるのではないかと思います。
     話のまとまりがなくてすみません。
     さて、確かに龍田神、大忌神については興味があります。
     これは、まだ難しいです。保留させてください。

 

野口神社 投稿者:太鼓 投稿日:04月26日 20時22分

はじめまして 野口神社のへび祭のこと知りたくて 検索していましたら ここに たどりつきました 来月にあるので行ってみようかって思っています よかったら 見所 神事の 開始 終了時間などを 御存知でしたら 御指導お願いいたします
  • 太鼓様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 16時53分

    はじめまして。
    全国のお祭に参加されてるのですね。
    これからも、レポート頑張ってください。
     
    汁掛け祭り(大蛇祭り)ですね?
    私も去年出かけました。
    昼頃に出かけると、既に大蛇は出来上がっていました。
     
    その後大蛇が、町内を巡行するにくっついていき、
    その年の頭屋さんの御宅での祈祷(多分、当屋送りにあたると思います)を拝見させていただきました。
    言ってみれば、これがお祭のクライマックスといえるのではないかと思います。
     
    最後は餅撒き。
    蛇が巡行を終わると、男衆が境内に組まれた舞台の上に上がり、餅を方々にまいてくださいました。
     
    五月五日早朝から神社境内で蛇縄作りが行われるようなので、蛇作りから御覧になりたいならば、朝から出かけられた方がよいと思います。
     
    http://www.yamato-adv.co.jp/maturi/2002_05/5gatu_w.html
    を拝見しますと、問い合わせ先は、
    御所市観光協会  0745-62-3001
    となってますので、詳しいことは電話で問い合わせられたらよいと思います。
     
    レポート楽しみにしています。
  • ありがとうございます 投稿者:湊皇 投稿日:04月28日 18時53分

    さっそくの ご卦並ありがとございます ぜひ 励埖励晩は 佩ってみようと房っています 栂措には 畠忽の お疾とぱ`うお疾謹いので ナd龍を隔っています また よかったら 縮えてください おヲいします
    それから 祇苧紡爺惻稽な もくげんじゅの 拮忖は 直豫倪「ネ菩「C泙ケ それと 祇苧紡爺惻稽は 舞芙になったのは 苧嵶參週です それまでは お紡の ・・が所く ャFに ャF壓の 稽望さんの 囮枠怕は 祇苧紡凡兄屈の片のかたで 舞*蛍・參週舞ツ嘯・なされております そのせいで お疾も 畠悶議にメト・ャ 弌さく だんじりや 下・ハ・弔里任襪茲Δハ お疾は ありません 書でも どちらかと冱えば お紡議なお疾かな・ 畠忽 爺惻稽では よくある ヤ窒セそうです
  • 太鼓様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月29日 17時11分

    道明寺天満宮のことを書いてくださったんですね。
    メールありがとうございました。
    機種依存文字が含まれてたのが、文字化けの原因みたいですね。
     
    そういえば、道明寺天満宮では「天神祭り」を盛大にはやりませんよね?
    鷽変え神事は盛大にされます。
     
    道明寺天満宮は、本当に菅原道真公に縁の深い神社ですね。
     
    だから、「天神」とはあまり深いご縁じゃなかったのかも・・・なんて言ってみたり(笑)
     
    お祭楽しんできてくださいね!

 

桑津天神社 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月20日 16時50分

↑拝見しましたー☆ミ
鹿の皮を被って来たから鹿子(゚.゚)。知らなかったです。
髪長媛と鹿が結び付くというのも、これまた初耳。
 
髪長媛って最後に藤原氏だったかと結ばれるのとは別に、
応神天皇の頃にもそういう女性が居たんですね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月20日 17時09分

    髪長姫は、もしかしたら固有名詞じゃないかもなぁ・・・とも思います。
    どっかの部族の女首長のことを「髪長姫」と呼ぶ・・・ってことも考えられるか、と。
     
    日本書紀に登場する「髪長姫」は、私が知ってるだけでも二名いるわけですし、それにプラスして道成寺縁起に関わる髪長姫も。
     
    仁徳天皇の奥さんになった髪長姫にしても、道成寺に伝わる「髪長姫」にしても、両方とも、海と関係が深いですよね?
     
    んで、景行天皇の奥さんの髪長姫も、仁徳天皇の奥さんの髪長姫も日向の人だし。
     
    ただ・・・、髪の毛の長い女性って、海に入るとすっごい邪魔になると思うんですよ。
     
    ・・・いや、海の女性だからこそ、昆布たくさん食べて、髪の毛つやつやだったのかな(笑)??
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月21日 19時55分

    子供の頃、髪長麗子という友達がいて、本当に髪が長くて
    それをウチの親は「よく親が伸ばさせる、面倒じゃないの
    かな」と訝しがってました。
    子供だったので殆ど何も考えずに、その友達を美人の代名詞
    のごとく思ってましたが、今考えるとなんちゅう「まんま」
    なネーミング(笑)。
     
    私、道成寺の髪長媛しか知りませんでした。
    平安期には髪の長さだけで美人と言われたようですから、
    (あとはせいぜい声の良さ)どっかまでには髪=女に
    なった事は間違いないのでしょうが、のりちゃんの言う
    通り、決め手は「昆布」かも(笑)。
     
    山姥伝説だったか、山奥で赤毛の怖い女に遭遇し……
    とかいう話を聞いた事があるんですが、単に赤いだけで
    怖いってのも変ですよね(笑)。やっぱキューティクルが
    破壊されてたのかもしれません。ってワケわかんねぇ(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 15時56分

    え?
    髪長っていう苗字に、麗子さんっていう名前だったんですか?
    それは、親も絶対狙ってるな(笑)!!
     
    私が子供の頃なんか、髪の毛が肩についたら、「髪の毛洗うの大変でしょ?」とばかりにジャキジャキ切られました。
    しかも、中学校まで、親が散髪してくれてまして、
    その上、いつも、前髪眉の上2センチまっすぐ。横と後ろの髪、まっすぐ。
    てな「ヘルメットヘアー」。
     
    思春期の乙女には結構こたえる髪形でした(笑)
     
    そうそう。
    平安期の「美女」ってのは、結構いい加減だといいますよね。
    容姿に関わることは、髪の毛の長さとあとせいぜい肌の美しさだった、と聞いたことがあります。
    後は、歌の才能だの、音楽の才能だの。
    つまり、「努力すりゃ、美女と言われる可能性が高い」という時代だったみたいで(笑)
     
    そういう意味では平等と言えるかもしれまえせんが、
    言い方変えれば、「努力せにゃ美人と言われない時代」ってことですね(爆)
  • 正確には 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月22日 19時40分

    ↑漢字は知らないんですよ(^^ゞ。幼稚園だったから、
    音だけしか判らなかった。「神長」かもしれないし、
    「上長」かもしれない。「れいこ」も「礼子」かも。
     
    でもあのロングヘアは目立ってましたね。顔立ちもそう
    悪くないんですが、それより幼児にとっては、ロングヘア
    てのが既に珍しいですよね(^^ゞ。
    そうそう、私もワカメちゃんヘアー決定でしたね(笑)。
     
    それが中学生ぐらいになると、今度は親が髪を切るのが
    面倒になって、校則で肩についたら結ぶ決まりになってる
    のをいい事に「もう中学生なんだから自分でどうにか
    しなさいね」とか言って、そのくせ「中学生で美容院は
    生意気」(単に金出すのを嫌がってるだけ(^^;))だとかで
    いきなりロングに方針変更されたり、全く親の都合のいい
    髪形にさせられてましたわ(汗)。。
     
    平安期の女性って、結構立場強かった感じします。
    女性の悲劇なんて書いてるわけだけど、言論の自由は
    少なくてもあったわけですよね(笑)。
    顔形で判断するなどセクハラって意識強かった時代なの
    かもしれません。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 17時46分

    あぁ、少し納得(#^.^#)
    「神永」って苗字ならば、それほど珍しくないですね。
     
    しかし、その音とロングヘアってのは、やっぱり偶然じゃないと思う(~_~)
     
    確かに、子供がロングヘアだと、いろいろと危険な気もするし、洗うのも大変だし、親がよっぽど子供に注意払える人じゃなきゃ、大変だと想像しますね。
     
    私は、髪質が強い上に太くて量が多くて。
    同じ髪質の母親が、「あんたが髪の毛編んだら縄みたいで可愛くないの!」と、わが経験に乗っ取って言うもんですから、説得力ありまして(^^ゞ
    中学三年生の時、やっと美容室へ行くことを許されて、段カットにしてもらうまでヘルメットでした。
     
    平安時代の女性って、私達は、源氏物語とか、枕草子とか、ある程度ステータスのある女性のことしか知らないですよね。
     
    庶民の女性はどうだったんでしょうね?
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月23日 19時55分

    >しかし、その音とロングヘアってのは、やっぱり偶然
    >じゃないと思う(~_~)
     
    絶対狙ってますよね(笑)。だいたい名前の付け方から
    して何か狙いを感じます。私も名前とロングヘアの魔力に
    騙されていたのは幼稚園まででしたよ。
     
    平安期って、何かヨーロッパの王朝時代を思い出すんです。
    特に香を使って匂いを誤魔化したり、髪なんか年に二度
    しかシャンプーしない癖に、やたらとズベズベ調の衣装を
    身にまとって、やたらと恋の花ばかり咲かせるムードが。
     
    ヨーロッパでも、農家から来た小間使いとか出て来ますよね。
    もちろん農村とかには古い因習とか残ってて、そこは
    男尊女卑だったりしたんでしょうが、結構庶民と貴族の
    垣根っていい加減で、そう堅苦しく身分に縛られてなかっ
    たんじゃないかな(^^ゞ。
    そのかわり、ひとたび生活の基盤が揺らぐと、かなりメロ
    メロにヒドイ事に陥るとでも言うか。
     
    でもこういう世界であったのなら、下手に女はこうである
    事とかいう感覚も薄かったのではないでしょうか。単に
    貞操を守りきれないみたいな危険(つーかこれもセクハラ
    なんでしょうが)はつきまとったとしても。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 13時28分

    確かに、王朝時代と平安時代はどっか重なりますね。
    華やかに見えて、実は疫病なんかをやたらと怖がってたとことか。
     
    あと、有名な話ですが、ベルサイユ宮殿ってトイレがなかったんですよね(笑)
    平安時代の貴族もおまる(櫛笥)にうんこをして、それを下女が棄てにいったんでした。
    そういうとこも似てるかも(笑)
     
    で、平安時代の貞操観念って、今とはかなり違うと思うんですよね。
    源氏なんか、目当ての女を落とすために、その女房をこましまくってますし(笑)
     
    若紫にしても、現代の女性と、ショックの度合いが違うようですし・・・っていうか、ああいう恐怖感ってのは、どこまで原始的なものなのかなぁ?
  • 東郷青児 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月24日 21時52分

    ↑って画家さん、ご存知ですか?
    お菓子(フランセ)の包み紙に描かれてる美人画とか描いて
    る人です。
     
    わりと芸術家からは酷評を浴びてるんですが(笑)、私は
    子供の頃から好きで(むろん菓子の雰囲気からだが:爆)
    絵画展を見に行った時、彼の戦後に目指した美人画への
    意識みたいのを読んで、戦争が終わって、物も金も食べ物
    も不足した時代、自分は何しろ美しい物が欲しかった、
    という内容だった覚えがあります。
     
    でいて「貧乏を耐え抜いて描いた芸術」ってな偉大さは
    カケラもなく、何しろ美しく、嘘と言えるほどファンタ
    ジーなんですよね(笑)。
     
    平安期と欧州の貴族文化って、現実のアラを隠すために
    編み出された物が多いんでしょうね。ハイヒールが作ら
    れたのも、道路のウンコでドレスが汚れるからだそうです
    し(^^;)、スカートをあれほど膨らませたのも、便器に
    座ってるのが外から見えないためだとか(笑)。
     
    恋の花咲く時代というのは、要するに美しさに酔って、
    性欲も美化する時代。貞操観念なんて必要ないのかも(^^;)。
     
    若紫の恐怖ってのは何の事ですか?
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 08時25分

    東郷青児さん、知ってます。
    この人のネタで私が知ってるのは、
     
    街角の似顔絵描きに、自分の似顔絵書いてもらった女の子が、
    「キレイに描いてもらっちゃって恥ずかしいな〜」
    とか言って喜んでたら、その後に描いてもらった友達も、
    「すごくキレイに描いてもらっちゃった〜」
    って喜んでる。
    せいの、で、見せ合いっこしよう、と見せ合ったら、どっちも同じ顔に描いてあって、
    「なにこれ〜(-"-)!」
    と怒ってる・・・後ろで東郷青児さんが、似顔絵描きの格好して苦悩してる・・・という4コマでした。
     
    これなんかは、この画家さんが、「同じ女性の顔しか描けない」ってことを揶揄してるんでしょうね。
    まぁ、私も見分けつきませんけど(笑)
     
    で、若紫の恐怖ってのは、あれですわ。
    お兄様が豹変しちゃうってやつ。
    現代でそういうことになったら、やれPTSDやらなんやら大騒ぎしそうな気もするんですが、若紫は、3日ほどで立ち直ってますし(笑)
    源氏も、「そんな風に拗ねるのは、大変縁起の悪いことです」なんて、若紫の気持ちには頓着してないし。
    そういうもんなのかな〜?って感じですね(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月26日 17時41分

    東郷青児の描いた絵を「自分の似顔絵」と思うこと自体、
    かなり図々しい気もしますね(笑)。
    もっと言っちゃうと、「被写体を必要としない画家」
    という感じもしますしね(爆)。
     
    ただ「同じ顔しか描けない」と言うより、よく言われた
    のは「商業主義」という事だったようです(笑)。
     
    昨日たまたまNHKアーカイブで「写楽」の番組(再放送)
    を見たんですが、歌麿が人間性あふれる女性の姿態を描いた
    のに対し、写楽は役者の化粧をコテコテに塗りたくった
    死んだ表情ばかり描いてて、当時は酷評された、という
    事と、これも芸術と商業主義をテーマにしてたようです。
     
    こういう事を真っ向からテーマにする時代もあったなぁ、
    と、少し前の事なのに、すっかり忘れていたと思いま
    したね(^^ゞ。
     
    で、若紫は初体験の後「ふさぎこんでいた」と書かれてる
    のを読んだ事がありますね。しかし書いたのは女性ですから、
    女性の心理を無視したって事ではないと思います。やはり
    そう大仰な事とは思わなかったのでしょうね。別に刃物で
    脅されたとか、括り付けられたワケでもないでしょうし(^^;)。
     
    貞操観念と反商業主義って何か似てるかも。貞操も芸術も
    「売り物にするか否か」という過剰な意識にするトコがね。
    世の中の衛生状態が良くなると、精神的な汚れとかに
    意識が行くんですかね。バッチイ物に囲まれてると何しろ
    綺麗な物で埋め尽くしたくなるでしょうから、逆にあまり
    頓着しなくなるのかも(笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 18時21分

    商業主義かぁ・・・。
    私は絵を描かないんで、商売を意識するかどうかで絵の質自体がどうこうされるのかどうか、なんてことは全然わからないけど・・・。
     
    例えば小説や漫画なんかでは、「高い精神を持った人だけにわかれば良いのです」的な姿勢を感じると、「けっ!!」と思ってしまったりします(^^ゞ
     
    いや、正直なところ、小説で、その手の「わかる人だけに」という作品を感じたことはありませんが、却って漫画で多いような気がする(^^ゞ
     
    そういうのよりは、「皆さんに楽しんでいただいて、皆さんに買っていただければうれしい」っていう姿勢の方が、好感持てるかなぁっ・・・と。
     
    ちょっと違うけど、「過剰な意識」って言葉を最近結構感じたりします。
    友達の子供が、「自閉症」と判断されたのだそうですが、その割には、「通院などは特に必要なし」なんだそうでした。
    私から見ると、「10人集まれば一人はいる、自分の世界を楽しむタイプ」の子供に見えるのですが、現代的に診断すれば「自閉症」ってことになるみたいです。
     
    考えてみれば、私が成長する間に、結構、「個性的すぎ」な人と出会いましたが・・・。
    お医者様から診れば、立派な病名がつくのかもしれません・・・。
    って、私もか(爆)
  • 漫画はある意味 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月27日 19時30分

    ↑コストが安すぎるってのがあるかも(いいのかな、
    何かどんどん話がズレるけど)。
    あと、さんざん小説とかが世の中に出回った後で出て来た
    遅れた文化形態ってトコも、腐れ文学オタクが入り込み
    やすい点でもあるんでしょうね。結構商業に多い気は
    します。
     
    ただ素人の世界で行くと、文学畑の方が圧倒的に多い気が
    しますね。ゲージツ感がどうこう言い出す輩は。
    文学って字さえ書ければ一見通りますからね〜(^^;)。
     
    過剰意識については、何でも名前つけすぎですよね(笑)。
    前に若者が出て来て何やら主張する系の番組で、若い子が
    「自分は愛を知らない」とか「自己実現」とか「個性の
    追及」とか「迫害」とか次々とヌカすのを見て、
    「何か機械みたいで不気味(^^;)」と思ったのを思い出します。
     
    特に「個性の追求」と「迫害」については、
    それがたかが茶髪についてなんですね(苦笑)。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 16時56分

    話しが逸れていくのは、うちの特長(特徴じゃなくて、特長っす(笑))です( ̄^ ̄)!
     
    生意気なことを言う気はないんですけど、
    「私はアーティストです」って言う態度が見えちゃうとちょっと引きます(笑)
    自分が大阪の人間だからかもしれないんですけど、「芸人魂」みたいなものが好きなのかも。
     
    まぁ、これは、「好み」の問題なんですけどね(^^ゞ
     
    で、確かに、仰々しい言葉(「自己実現」とか「個性」とか(笑))を使うと、内容は大したことなくても、いっぱしのことを言ってるような雰囲気になるんですよね。
     
    私としましても、このサイトの運営につきましては自己の主義主張を表面化すべく、幾多の試練を乗り越え、切磋琢磨に星霜なのでございます!!

 

青面金剛 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月21日 20時01分

↑は猿田彦つながりでしたか。おお〜!(@_@)
(何か別話題な気がしたので、別スレしました:笑)
 
そうです。ウチの方には庚申様もたくさん祀ってあって、
その近くにあるんですよ。ただ青面金剛になると、わりと
城跡とか丘陵に多いんで、ただの民間信仰とも思えず、
ちょいとどゆわけ?と思ってました。
 
猿田彦と言うのも、ウチの方でわりと由緒良さそうな神社
で主祭神になってるケースを見ます。
ただ「猿」繋がりと思わしき痕跡はゼロです(^^ゞ。
 
猿田彦神は、鼻が長いんですか。じゃ天狗繋がりだろう
なぁ。天狗そのものを祀ってる神社はよく見掛けます。
いずれ山岳系て事かな。
  • 猿田彦といえば 投稿者:北畠具顕 投稿日:04月21日 22時51分

    三重県は猿田彦の総本山です(笑)
    ただ、勢力争いが絶えません。
    猿田彦を主祭神とする元一ノ宮かはたまた猿田彦の子孫が立てた神社か?
    この二つは大変仲が悪いといいます。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 15時58分

    猿田彦繋がりっていうか、
    「庚申繋がり」ですね。
    庚申信仰ってのの軸上に、猿田彦神も青面金剛もいるっていうか。
     
    天狗ってのも、実はかな〜り複雑っぽいですけどね。
    猿田彦もありますが、ちょっと前話題になった、大六天が絡むこともあるみたいですし。
     
    以前、具顕殿がおっしゃってましたけど、猿田彦神の霊験って無尽なんですよ。
    一番有名なのは、「道案内」の神ですけど。
    道案内ってことで、どんな道でも案内してもらえる・・・という発想になるのか、
    受験の神ともなり、恋愛の神ともなり、ギャンブルの神という面もあるみたいですね。
    塞の神信仰にも繋がってるし。
     
    そういえば、猿田彦神って、奥さんに殺される(とまではハッキリかかれてないけど・・・少なくとも見殺しにされてる・・・)んですよね。
     
    修験道の山が女人禁制なのは、そのためだったりして(笑)
  • 具顕殿 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 15時59分

    仲悪いんですね(^^ゞ
    しかしまぁ、猿田彦神は、倭姫以前から、伊勢五十鈴川付近を治めてたのでしょうから。
    かなりあっちこっちに猿田彦神のお社はあってしかるべきですよね。
  • なるほど 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月22日 19時54分

    庚申信仰ですか。江戸期に流行したといいますが、起源は
    かなり古い(という事になってる)神社もあるので、
    その前は何だったのかな(^_^;)、と思いますね。
     
    まあ起源と言ってもやはり鎌倉時代ごろですね。頼朝の頃
    の話が、これは東京でもよく説話が残ってます。
     
    天狗と大六天は知りませんでした(^^ゞ。
    天狗・大六天・猿田彦・庚申・青面金剛、どれも別々の
    場所なので、関係があるとすら思ってませんでした。
     
    で、猿田彦は三重が総本山なんですか。
    ちょっと勉強になりました(^^)。
  • 青面金剛 投稿者:セラフィム 投稿日:04月22日 20時51分

     もともと、疫病神だったようです。三猿は、「言わざる、聞かざる、見ざる」ですが、これは「あなたの諸罪を帝釈天には申し上げませんよ。」って意味だそうです。また、青面金剛の縁日は、庚申の日ですよね。この日は、三戸虫が、体内より抜け出して、天帝に悪事を伝え、その禍福によって、寿命が縮められるそうです。中国では、この虫を殺すために、五穀断ちをしたり、呪符を飲んだり、したそうです。神道、道教、仏教が習合した、なかなか面白い神様です。
     ちなみに、青面金剛の御真言は、「おん でいばやきしゃ まんだ まんだ かかかか そわか」です。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 17時48分

    塞の神信仰は、かなり古いです。
    塞の神ってのは、文字通り。
    悪い物(病気など)が入ってくるのを塞ぐ神で、それがなんで後に庚申様とくっついたのか、というと、三尸の虫が天へ登るのを「塞ぐ」って発想でしょうか(笑)
     
    天狗と大六天というか、
    いわゆる山伏さんと天狗の関係。
    山伏さんと大六天信仰という方が正しいかもしれないです。
     
    どれも、それぞれは別者なんだと思いますが、
    大六天は山伏と、山伏は天狗と、天狗は猿田彦と、猿田彦は庚申と、庚申は青面金剛と・・・と繋がってる・・・というような感じです。
     
    いきなり大六天と青面金剛と、って言われたら、
    「そりゃ、全然別者でしょう!?」
    ってことになるかと(笑)
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月23日 17時48分

    中国では、三尸の虫を殺す。
    日本では、告げ口をさせないために寝ない。
    この発想の違いは面白いかも(笑)
     
    で、御真言。
    かかかか・・・ですか(笑)
    なんか、舌噛みそうですね(笑)
  •  投稿者:こたつ城主 投稿日:04月23日 20時10分

    あ、なるほど。元はと言えば、塞の神信仰が古いんですね(゚.゚)。
    これは賽の河原とは関係ないのかな(字が違うだろっ)。
     
    でも悪い方向を封じ込める信仰が古いと聞くと、なるほど、
    納得ですね。庚申と言うと、何しろ断食して夜じゅう
    起きてるという、それこそ江戸期に流行ったスタイルを
    思い出しますが、庚申てよく考えたら「金の兄、猿」です
    ものね。西南を忌んだという事かもしれません。
     
    ウチの方って、方角的には列島の殆どの地域が「西南」に
    属するんですよ(^^ゞ。だいたいのヨソ者は西南からやって
    来るに違いないので、もはや意味は「疫病」はもとより、
    「泥棒除け」程度でも適用されそうですものね(笑)。
     
    そのくせ外界と全く接触無しでは立ち行かないので、それで
    山伏なんでしょうね(^^ゞ。持って来る物はだいたい受け
    入れたって事かも(笑)。
     
    で、見ざる言わざる聞かざる(三猿)と猿田彦、
    言わざると三戸虫(庚申)てのは、これまたナルホド〜
    ですね。この辺りになると何となく江戸時代て感じは
    しますけど(^^ゞ。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月24日 13時29分

    つぅより、賽の河原ってどこから来たネーミングかつ信仰なんでしょうね。
    子供がそこで石積みをするって、なんか尋常じゃない気がしません?
     
    親より早く死ぬことが罪になるって考え方は結構独特な気がします。
    (まぁ、これは、子供が死んで悲しみにくれている親に、「悲しめば悲しむほど子供の罪は重くなるぞ!」というための詭弁だと思いますが)
     
    で、もともと塞の神信仰と方角信仰が関係したかはわかりません。
    とにかく、「道」があれば、そこに「塞の神」を置けという感じみたいで、悪い方角だけ置いて、良い方角は置かなくてよいってのはないんじゃないかと。
     
    祝詞に、「道饗祭」祝詞ってのがありまして、
    http://shinto.vis.ne.jp/norito/mitiahe.htm
    ここに出てくる、「八衝比古・八衝比売・久那斗」ってのがいわゆる「塞の神」にあたる・・・と言っていいと思います。
     
    それが「庚申」「西南」ってなったのは、おっしゃるとおり、江戸時代くらいからって気がしますね〜。
  • 塞の神と賽の河原 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月24日 22時13分


    http://www.infonet.co.jp/nobk/other-folk/sainokami.htm
     
    ここに繋がりがあるゲに出て来ますね(゚.゚)。
     
    これで言うと、ウチ辺りに多いのは(どこでも多かろうが)
    お地蔵さんですね〜やはり。
     
    兄妹の夫婦神というのは、例の大六天の時にもオモダルと
    カシコネのお話で出て来ましたね〜。このサイトの分布で
    見ると、千葉県は外れてますが(笑)。千葉でもあるのか
    もしれません(私は見た事がない(^^ゞ)
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月25日 08時26分

    賽の河原の「賽」も、境界線の意味だったんですね。
    そういやぁ、河原っていうくらいだから、川が流れてるんですよね(笑)
    で、その川は三途の川なのか。
     
    賽の神が、男女の神で表されてるのは、確か信州の方に多いと聞きました。
    かなり地域差があるみたいなんですよね〜。
  • うん信州には 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月26日 17時10分

    ↑道祖神が多いです(^^)。もちろんお地蔵さんも居ますが、
    私の見た限り、お寺の入り口に六地蔵用の屋根があって、
    その中に安置されてた覚えが多いです。
     
    その点、お地蔵さんが道端(特に曲がり角)に居るのは
    ウチの方によく見掛ける気がします。
     
    考えて見れば、道端に神様がいるって事自体、日本に多い
    のかもしれませんね(゚.゚)。「道案内」とかの標識と一緒
    にあるのが、当たり前の光景に思ってましたが、他の国で
    は、門とか入り口とかにいるものなのかも。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月26日 18時23分

    あ、やっぱり信州には道祖神が多いですか?
    信州ってあまり行ったことがなくって。
    最近では道祖神の地域性ってのも曖昧になってきているけれど、
    多分、50年くらい溯れば、地方によって、道祖神とは何かという感覚はかなり違ったんじゃないかと思
     
    います。
     
    で、こっちでは、道祖神もお地蔵様も山道でよく見ますね。
     
    で、道祖神やお地蔵様にあたるものって、他の国でもあるんでしょうかね?
    バリでは、あちこちに神様の祠があったけど、道祖神のようなもんとはちと違うみたいだったし。
     
    キリスト教の国じゃあ、道祖神ってのはないですよね。
    一神教だから、エホバ以外は神様とは言わないのだろうし、まさかエホバが道端で道案内はしてないだろ
     
    うし(笑)
  • こんばんは。 投稿者:セラフィム 投稿日:04月26日 22時09分

     のりちゃん様、こたつ様、こんばんは。えーと、ちょっとカキコしまーす。まず、天狗ですが、有名なのは鞍馬山天狗が有名ですね・爆(でも鞍馬山には、僧正坊っていう大天狗がいるんですよ・笑。)天狗の由来は、法力だけを求めすぎて、仏法を修めなかったために、天狗道に落ちた修験者がなるそうです。死んでも、生半可に仏法を修めているため、地獄に落ちず、傲慢故に天上界にも行けない、魔王だと言う話です。
     ちなみに、青面金剛の御真言の「〜 かかかか そわか」の「かかかか」は笑い声です・爆。訳すると「帰命したてまつる、天の薬叉よ。縛せよ、縛せよ、ハハハハ、めでたし!」となるそうです。変な言葉です・笑。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 16時52分

    え〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!
    かかか、は、笑い声なんですねっ!!!!!!!!
    うぉおおおおおおおう!!
    真言って、おもしれ〜〜〜(爆)!!!
  • のりちゃんトコから 投稿者:こたつ城主 投稿日:04月27日 19時12分

    ↑信州っつったら、東京来るより大変ですものね(^^;)。
    私も道祖神が多いというのは、行くまで知りませんでした。
    道祖神とか何しろ石仏好きの友達が、見付けると「道祖神
    だっ」とはしゃいだので、いつも信州にはその友達と行っ
    てたものですから、印象として「多い」と思ってる部分は
    あるかもしれませんが、それ以来、道祖神には目を配って
    ますから(見付けたら教えてあげよう系で)、やはり多い
    のだと思います。
     
    と言いながら、前は何々県という枠組みを無視して旅行し
    てましたから、どっかいい加減かも(爆)。
    それで言うと、小淵沢付近を歩いた時もよく見掛けました。
     
    山というのは関東よりやはり甲州や信州に多いので、
    それもあるのではないかと思いますが、関東では山でも
    よく地蔵を見掛けます。ウチの方は特に山がありませんから、
    地蔵が道端に……という印象は殊のほか強いですが(^^ゞ。
     
    バリでは所々に神様を祀りますよね。印象的なのは、お供え
    と一緒に何やら飾り付けがされてた事ですね。竹細工で
    しょうか、紙とかもよく使って。あとはお花と果物。
     
    でも道端にあった覚えはあまり残ってないです。道端に
    ある場合は、そこにちゃんと門があった感じがします。
    その門てのは、中に人や寺が必ずしも無くても門だけあって、
    そこにお供えがされてますね。
     
    やっぱり神様が「何の棲家でもないただの道」に、という
    のは珍しく思えるのですが……。(日本の場合、門まで
    作らず、せいぜい屋根だけじゃないですか?(^^;))
     
    セレフィムさま、天狗のお話ありがとうございます。
    お話の「法力」を聞いて、ふっと思い出したのですが、
    確か細川政元(応仁の乱の東軍、細川勝元の子)が
    天狗の面をつけて真面目に修験の修行をしてたと思います。
     
    女色を一切絶ち、かなりの入れ込みようだったと。
    これは飯綱権現か何かだったかしら。
     
    で、「カカカ」と言うのは笑い声なんですね!(笑)
    これは私も驚きました! ちょっと信じられないぐらい!(^^;)
    やはり戦国期に魔王思想ゲなものが流行したんでしょうかね。
  • こたつ様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月28日 16時54分

    あ、そうだ。
    私、関東っていうと、「平野」っていうイメージが強いんですよ。
    だから、「山に地蔵OR道祖神」って感覚はないというのは、納得です。
     
    で、バリの祠は、道端じゃなかったでしたっけ?
    暑くてボケてたかも(笑)
     
    そうですねぇ。
    ほかに道端に鎮座まします神様ってどうでしょうね?
    なんか、中国へ行けばおられるような気もしてきたんですけど(←いい加減)

 

突然且つ私事ですが 投稿者:あかがね 投稿日:04月22日 06時27分

あかがねです。どうもご無沙汰?してます。
突然ですがついにサラリーマンの宿命「転勤」の内示を食らいました。
どこかというと「岡山市」です。駅からも結構近くて(岡山駅から3駅で正味駅前)大阪(実家)へのアクセスは劇的に改善されます。
正直関東の式内社等は東京・神奈川方面を除きほぼまわり尽くしていたので、神社巡りからは遠ざかっていた面もあるのですが、また全く未知の土地ということで腕がなります(笑)
という訳でオフ会へも大分参加し易くなりますので、またなんか企画して下さいな(笑)。
あと、こっちには中国在住の人いらっしゃらなかったでしたっけ?
  • あかがね様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月22日 16時01分

    岡山ですか。
    行って見たい場所、いろいろあるんですよね〜岡山。
    近くて遠い町、岡山。
    ってことで、またいろいろ情報くださいね〜。
     
    そういや、吉備津彦神社にはお礼参りに行かなくちゃいけないんですが、まだ行けてません(^^ゞ
    ・・・今度体育館の裏にでも来ていただいて〜・・・って、お礼参りが違うかな!!
    ・・・す、すいませんm(__)m
     
    この春、いろいろ予定入れすぎて、今財布がピ〜ンチ!!
    なため、すぐにオフ会計画すんのはち〜と難しいのですが、あかがねさんが新しい職場に慣れる時分には、またオフ計画してみましょ〜。
    真夏のオフになっちゃうかな??
  • こんばんは! 投稿者:セラフィム 投稿日:04月26日 21時57分

    あかがね様!カキコを忘れていました・爆。岡山へ転勤されたそうですね。おめでとう!(そうなのかな!?)でも、オフ会に参加できる機会が多く持てますよね。是非、色々とお話して下さいませ。
  • セラフィム様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 16時51分

    そりゃぁ〜、おめでとう!でしょう(笑)
    セラフィム様の得意分野で、何か企画がありましたら、是非、お願いしますね〜!
    なんやかんやとこれからもよろしくお願いしますm(__)m

 

神社のお話 投稿者:kazu 投稿日:04月26日 21時11分

僕、神社とかのお話って全然疎いので、全くお話に加われなくて申し訳ございません。
やはり歴史好きを自認するからには、古代史及び上古のお話も勉強せねばな〜と思っているのですが。
今のところ戦国と幕末〜明治に興味が行き過ぎて手が回りませぬ〜。(^^;
 
なのでのんちゃんのサイトで学べればと思っています〜。
  • kazu様 投稿者:のりちゃん 投稿日:04月27日 16時50分

    いえいえいえいえいえいえいえ、こちらこそ!
    戦国時代については、勢力範囲やら、武将の名前やらがごっちゃごちゃになってて、いろいろ教わることが多いと思います。
    こちらこそいろいろ勉強させていただきます(#^.^#)