仔猫の里親さん見つかりました

ご配慮・ご心配、ありがとうございました。
仔猫(命名・ジェーン)は、
無事、優しい里親さん家族の一員となりました。

これは、里親さんが送ってくださった写真です↓

neko

手足をのび〜っとさせて、平和に眠ってます(#^.^#)

私達夫婦が仔猫を送り届け、御宅を去った後、
ほんのしばらく、鳴きながら私達を探してくれたんだそうです。

2度目に訪問した時は、すっかり「このうちの猫」になっていて、
伸び伸びとそれはそれは幸せそうにしていました。

たくさんの方にご心配いただき、
いろいろなご配慮・提案もいただき、
ジェーンも、私達夫婦も幸せ者です。

本当にありがとうございました。







neko

5月20日。
仔猫を保護してしまいました。

うちには鳥がおり、狭い我が家では共存できないこと、

毎春、数え切れないほどの仔猫が死んで行き、
この1匹を保護することでどうなるものでもない、
すべての捨て猫を救うことなどできるわけがない。

ということなどなどは、重々わかっているのですが、

いつも通る神社の前で、
にゃぁにゃぁ鳴いている仔猫の目が、目やにで開いていないのを見て、
どうにも放っておけず、病院に連れて行き、
今、家にいます。

お医者様がおっしゃるには、風邪だそうで、
お薬をいただいて飲ませたところ、目やには一日で止りました。
ちょっと瞳うるうるですが、お目目はもうパッチリです。
多少鼻づまりは残っているようですが、くしゃみはやみました。

生後1ケ月くらいの(多分)女の子。

多分、飼い猫の子供なのだと思います。
人間に対して警戒心がなく、
家に来てすぐは、抱っこしていないと寝ませんでした。

少し安心したのか、家に来て2時間ほどで、
一人でも眠るようになりました。

neko


一晩寝ると、すっかり元気になって、
私が見ていると、あちこち歩き回っては腕の中に戻り、
また歩き回っては戻り、を繰り返してます。

どうでもいいのですが、ムカつくのは、
拾ってきた当日は私にべったりだったのに、
旦那が家にいると、旦那の方ばっかり寄っていくことです(笑)

文鳥も同じで、
旦那と私がいると、旦那の方ばっかり寄っていきます。

なぜ(笑)??

neko

neko

旦那や私が忙しくて、そばにいられないときは、
諦めてダンボール(もしくは隅っこ)に戻って寝ちゃうようです。

痩せておらず、がっついてもないこと、
私が保護した時、自分から私の腕に抱きついてきたこと、
などから、捨てられて間もない仔猫だったと思います。

模様などから(旦那曰く)アメリカンショートヘアーの仔猫みたいだし、
1匹だけで大声で鳴いてたので、
風邪ひいたから捨てられたのかも・・・。

また、
ここぞ、とばかりに可愛さを主張する仔猫たちの中にあっては、
この子の控え目な性格は、「地味」に見えたのかもしれません。

でも、ご飯を食べる時、
「うにゃ」「んなぁ」
と、小さな声をあげたりして、いじらしい乙女の風情があります。

neko


猫じゃらしで遊ぶ時は、
どれだけ高い場所にそれがあっても、
きっと飛び上がって捕まえようとするチャレンジ精神もあります。

眠そうな表情になってきたら、
ダンボールに寝かせて、お腹をポンポンと叩くと、
前脚を交互に「もみもみ」させながら寝ます。

「んな」「み」と声をあげるので、
「うん」「なに?」と相槌を打っていると、
大きく寝返りを打ち、お腹を見せて寝てしまったりします。

そんな時、寝付いてすぐにその場を離れようとすると、
気付いて、起きてしまう、寂しがりやさんです。

一人で寝付いた時は、人が側にやってくるとすぐに目を覚まし、
「んなぁ!」
と近寄ってくる、愛想良しさんです。

そのくせ、一旦深い眠りに入れば、お腹の脂肪の具合を探ろうが、
あばら骨の具合をぐりぐりしようが、全く起きない、
なかなか度胸のある肝っ玉ぶりでもあります。

子供の体力はすごいもんですね。
本当に、たったの一晩で、
拾ってきた日の大人しさが詐欺のように元気になりました。

でも、次の日、公園に連れて行ったら、
「また捨てられる」と思ったのか、
手足をちぢこめてしまいました。

neko

結構記憶力あるんですね(笑)
捨てられた恐怖が、心に強く刻み込まれているように感じます。

トイレの場所は一発で覚えました。

一度だけはおもらしさせてしまったのですが、
猫トイレを用意して、
そこにおしっこの匂いが染み込んだティッシュを入れておいただけで、
どこにおしっこをすべきなのか、わかったようです。

うちの2階には、文鳥がいるので、2階の部屋には入れていません。

階段を登れるようになって、最上段まで駆け上るのですが、
ドアが開いてないので、諦めて、素直に下りてきます。

それでも、私達が2階にいると、
気付いたら、階段の中段で大人しく丸まって寝ていたりします。

人が・・・本当は親が・・・恋しいのですね。

でも、状況を察して、我慢しているのでしょうか、
鳴きもせず、静かに階段で丸まっています。

扉が開く音を聞きつけると、
耳をピッとたて、丸い目をこちらに向けてきます。

私が階段を降りるといそいそと後を追いかけて来て、
私が廊下に胡坐すわりをすると、ひょいと脚の間に潜り込み、
私の腕にすがり、寝付いてしまいました。

neko


きっとずっと私のことを待っていたんでしょう。


・・・これが、里親さんがメールくださる直前、
2005年5月21日22時までの仔猫レポートです(笑)

今、ジェーンの写真を送っていただいたりして、
ジェーンの幸せを確認できてみると、
なんとなく、このレポートを消すのが惜しくて(笑)

つまり、ジェーンが幸せになったことの嬉しさとは全く無関係に、
こないだまでそこにいた、小さくて暖かいものがいない、
という、ちょっとした喪失感があるわけです。
たった二日しか一緒にいなかったのに(^^ゞ

里親さんが、
「情が移る前に引き取る」
と言ってくださってなかったらどうなってたことか(笑)

ということで、里親さんが見つかった報告とともに、
アルバム代わりに、併記させていただきます。







最後に。

今回、仔猫を保護するにあたって、
あちこちの「捨て猫保護サイト」を訪問しました。

どのサイトも、悲しい命を生み出さないために、
「完全室内飼い」
「避妊手術」
を推奨されていました。

今の状況では致し方ないと思います。

しかし・・・しかし。
実感として、それが本当に猫の幸せだとは、思えませんでした。

確かに、家の中にいれば、病気に感染する確率は低いですし、
交通事故に合うこともありません。

不慮の妊娠もないでしょうし、
不幸な出産もないでしょう。

近所から苦情がくることも、ありません。

が・・・。

野生において、猫がどのような暮らしをするのかと想像すると、
長寿のために狭い家の中に閉じ込めておくことが、本当に幸せなのか、
個々の猫に確認してみない限り、わかりません。

動物は、自分のDNAを残すために機能している・・・という説があります。
それが嘘か本当かはわかりませんが、
人間が、
「生れてくる仔猫は、不幸な命になる」
と決め付けてしまうのも、本当であれば、おかしな話に思います。

野生において、仔猫が生き延びて成長する確率がどれほどのものか、
私は正確なデータを知りません。
多分、それほど高くないことは想像できます。

猫は、野生ならば毎年出産するでしょうし、一度に5〜6匹生れるでしょう。
それで、種の数が爆発的に増えないということは、
多分、生存確率は、1割を満たないのではないかと思います。


誤解しないでください。
「だから仔猫を捨てて、殺してもいい」
というわけでは、決してありません。

今の状況で、生れたばかりの仔猫を捨てることは、
仔猫を殺すことと同じです。

猫捨てではなく、猫殺しです。

生れてきた命を不幸にしないために努力をする。
それは、生命を預かっている人に、
最低限していただきたいことです。

今回、私がジェーンを保護したのは、
不思議なご縁としかいいようのない、
単なる偶然です。

他の人達だってそうでしょう。
人には人の、いろいろな事情があるのです。

私にしても、先住者・・・文鳥と犬・・・の命を危険にさらして、
新しい生命を受け入れることは、本来すべきではありませんでした。

今回、ジェーンを保護したことは、
とても危険な賭けでした。

自戒の意味を篭めて、
私は、今、このことを自分でも確認したく思っています。

もし、里親さんが見つかっていなければ、
ジェーンにも、文鳥のチュッチュにも、
ひどい不便を押し付けることになっていたでしょう。

チュッチュの命を危険にさらすことになっていた可能性も高いのです。


「誰か親切な人が拾ってくれる」
というのは、幸福な想像ですが、
非現実的な想像でもあります。

それは、単に、自分の責任を回避するための、
無責任な想像です。

私が言いたいのは、
今の人間社会が、
あまりにも、人間のためだけに機能しすぎているということです。

野良猫が、野良犬が、生きていくことが出来ない社会。
犬はともかく、猫の放し飼いが問題となる社会。
それを肯定することができないというだけです。

確かに、野良犬・野良猫は、人間にとっては困った存在です。

実家は、野良猫の「ウンチ場所」となっていたため、
毎朝、野良猫のウンチの始末を余儀なくされていました。

仔猫が生れるシーズンには、
帰ってきたら、玄関に鼠の屍骸があって、
ぎょっとしたことは、一度ではありません。
・・・親猫が仔猫にハンティング教育したんでしょうね・・・。

猫の通り道となる家では、
猫のスプレー尿の臭いに悩んでおられました。
猫のおしっこって、臭いんですよね(笑)

野良犬に関しては、
もっと切実なものがあるでしょう。

狂犬病は、今、日本では確認されていないそうですが、
いろんなものを経由して、輸入される可能性は高いです。
狂犬病は人間にも感染しますから、
もし、狂犬病の野良犬に噛まれたら大変です。

それはわかっています。

私が疑問を呈するのは、
「危険な動物については、殺すしかない」
「人間の清潔な生活を乱すものは、除去してしまえ」
という安易な考えについてです。

それは、犬や猫だけのことではありません。

人間が、自然の生態系を壊してしまったのならば、
それを自然に近い形に、技術的にでも戻す努力をすべきだ、
そう、思うのです。

もちろん「安易」ではない形で、です。

例えば。
烏が増えたのは、
人間が生ゴミの始末をきちんとしなかったことに起因しませんか?
ならば、なぜ、もっとちゃんとゴミ出しのルールを守らないのでしょう?

そんな簡単なことを守らずに、烏を捕獲して殺すのですか?

私が言いたいのは、
そんな単純なことなんです。
決して大げさなことではありません。

一人一人の方が、
何気ない自分の行為が、どのような結果を生み出すかについて、
想像力と注意力を払っていけば、
救われる命はきっと増えると思います。

文明社会とは、
人間だけに利するものではない、
私はそう信じます。

とても小さく、力のない声ではありますが、
ここで、簡単に意見を述べさせていただきますm(__)m

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