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蟻通神社

aritoshisenshu




  祭  神:大国主命
  説  明:栞によりますと、
      「開化天皇 紀元93年 弥生中期 創祀 五穀豊饒 国土開発の神
       として祭られた。」
      「古墳中期(紀元4〜5世紀)朝鮮、新羅国から優秀な技術集団が渡
       来した。仏教、土木建築、衣服、美術、学問、牛、馬等を一緒に持
       ってきた。彼等は支那、隋の文化を持っていた。
       また、新羅国の守護神である牛頭天王を祭った。日本では、牛頭天
       王は、素盞鳴尊に習合された。いわゆる『根の君』である。
       彼等は、鉄製の鋤、三叉鍬、u字型鉄製鋤、鍬をもって、土木工事
       の知識技術を活用して樫井川の流域を開拓して整然とした耕地を作
       った。大井堰、上之郷、兎田、長滝、安松、尾かもとにいたる条理
       制の農地を作った。六町四方の農地の連続形体である。
       上流では、大井堰明神として新羅王・億斯富使主(おしふのおみ)
       を祭り、蟻通明神は、国土開発の神として祭られた。
      『日の神』である天照大神と、『根の神』素盞鳴尊が結合されて、日
       根神社・日根郡と呼ばれた。
      『お井堰さんのお渡り』と呼ばれる日根神社の御渡御『枕幟祭』は、
       大井堰より岡本・船岡山にいたるお渡りで、675年天武天皇三年
       の大井堰明神創祀に始まる。後刻の豊饒を祝うお祭で、『枕』は、
       米俵の表徴である。蟻通神社の氏子から見れば、『二重氏子』とな
       り、神道学では、有名である。」
       などとあります。
  住  所:大阪府泉佐野市長滝814
  電話番号:0724−65−0897
  ひとこと:丹生と名前がつく神社の末社に蟻通神社があったり、和歌山県伊都
       郡かつらぎ町にある蟻通神社は、丹生の大社・天野大社の側にある
       などなど。
       丹生と蟻通の関係は、興味深いものがあります。
       この神社の場合は???と見ますと、ありました。ありました。
       天野神社。
       蟻通神社から、北にワンブロック挟んで、ほぼ真北。約1キロ弱の
       ところにあります。

       なんでこうも対になってるのかなぁ?
       とこの宮司にお尋ねしましたところ、
      「お二方共、紀州に縁の深い神様。都から紀州に通じる道には、天野・
       蟻通神社がぽつぽつありますよ。」
       とおっしゃっていました。
       ここ、蟻通神社も、都から紀州に通じる、「熊野街道」に面してい
       るのだそうです。

       しかし、それだけではなんとなく納得できません。

       ひとつ面白いと思ったのは、栞に説明があります。
      「日」の神と「根」の神で「日根」野という地名になったというくだ
       りです。

       根の神はわかります。
       古代の日根野地域に、牛頭天王(根の君)を奉祀する集団が渡来し
       たから、なのですね。

       しかし、日の神は?その辺りの説明がなされていませんね。

      「天野明神」たる丹生都姫命は、日の神、天照大神の妹とも、天照大
       神の若い頃の名前である、とも言われます。
       そんなことから、丹生都姫命を「日」の神と慕ったのでしょうか?

       しかしそうなりますと、今度は、「根」の神たる牛頭天王の社が、
       近辺に見つからないところが気になります。

       ただ・・・。
       実は泉佐野には、「牛神」を祀った祠がたくさんあります。
       これは、牛頭天王信仰の名残なのかも知れません。

       ただ、しかし、そうしますと、蟻通神社が1つだけ浮いちゃいます。
       私としては、根=蟻通の根拠が見つかれば嬉しいんですが・・・。

       牛頭天王(素盞鳴尊)と、この蟻通神社の祭神、大国主命との関係
       は、非常に難解であると思います。

       あるところでは、大国主命は、素盞鳴尊の娘・須勢理姫の夫として
       描かれます。
       しかし、あるところでは、素盞鳴尊の6世孫が、大国主命である、
       としているのです。

       また、素盞鳴尊は根の国(黄泉の国)の主ですが、大国主は、幽界
      (かくりよ)の支配者です。

       大国主は出雲国造りの主として崇拝されていますが、その出雲にて、
       猛威を振るっていたオロチを退治し、安定せしめたのは、素盞鳴尊
       です。つまり、最初の国造りの土台を築いたのは素盞鳴尊である、
       といえるのではないでしょうか。

       勿論、だからと言って、素盞鳴尊=大国主命だ、なんていう無茶な
       ことを言うわけではありませんので、ご安心を(^^ゞ

       ただ、素盞鳴尊というのは個人名を表しているように思います。
       それに反して、大国主命というのは、位を表していると思うのです。
       つまり、総理大臣とか、大統領とかと同じように、大国主命という
       名称があったのではないでしょうか?
       そして、初代出雲大国主命が、素盞鳴尊であった、くらいの可能性
       は、あるかも知れませんね。

       そうすると、もう一つ気になる符合があります。
       六十四卦をご存知ですか?
      「――」が陽の徴。
      「−−」が陰の徴。
       この徴6つの組み合わせを「卦」と言い、六十四種類の卦があるの
       で、六十四卦というのですね。
       この内、6つの徴(爻)が全て陽の場合、これを「乾為天」と呼び、
      「天・陽・父・龍」などを意味するのです。
       反対に、6つの徴が全て陽の場合、これを「坤為地」と呼びます。       
       意味するところは、想像がつくでしょう?全て反対です。
       地・陰・母そして、動物は?
       牛を意味するのです。

       丹生と名のつく神社は、祈雨の霊験で有名なところが多く、龍の神
       様とのご縁を感じます。
       そして、蟻通の祭神が、「牛」なら?
       まさに、「乾為天」と「坤為地」ではないでしょうか?

       ・・・こじつけですけどね。

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