祭 神:天忍日命 説 明:境内の案内によれば、 「大伴氏の祖神・天忍日命を祀る由緒ある神社であったが、明治の 末、一須賀神社に合祀された。 古代この地方に住んでいた大伴氏の支族が、その祖神を祀ったの であろう」 とあります。 住 所:大阪府南河内郡河南町大字山城402 電話番号: ひとこと:この神社は、式内社ではないのですが、由緒の古い神社のようで す。 天忍日命は、天孫・瓊々杵尊が天降った時に、付き従った神様の 一柱です。 日本書紀の一書(第四)を引用しますと、 「高皇産霊尊が、真床覆衾をもって、天津彦国光彦日瓊々杵尊にお 着せになって、天磐戸を引きあけ、天八重雲を押し分けてお降し になった。そのとき大伴連の遠祖、天忍日命、来目部の遠祖、天 木患津大来目をひきいて、背には天磐靫を負い、臂には高鞆をつ け、手には天梔弓・天羽羽矢をとり、八目の鏑矢をとりそえ、ま た柄頭が槌のような形の剣を帯びて、天孫の前に立って降って行 き、日向の襲の高千穂の、櫛日の二上峯の天の浮橋に至り、うき じまのたいらにお立ちになって、膂宍の空国を、丘続きに求め歩 いて、吾田の長屋の笠狭の崎につかれた。ときにそこに一人の神 があり、名を事勝国勝長狭といった。そこで天孫がその神に問わ れるのに、『国があるだろうか』と。答えていう『あります』と。 そして『勅のままに奉りましょう』と。それで天孫はそこにとど まられた。その事勝国勝神は、伊奘諾尊の子で、またの名を塩土 翁という」 要約すれば、天忍日命は、大来目という神様を率いて、天孫を後 に守りながら、高千穂の浮橋に降り立ち、そこから「開いてる国 はないかなぁ」と探していたら、塩土翁がやってきて、「おおせ のままに国を差し上げましょう」と言った、と。 で、この塩土翁は伊奘諾の子供だった・・・つまり、瓊々杵には、 大伯父にあたるんだぞ、と。 そういうわけですね。 またか。 つまり、塩土翁も「天孫」なんですよね。 なんで、「天孫」が、九州を治めてるんなら(だって、治めてる んじゃなければ、国を差し上げることなんかできないから)、大 己貴命を脅して国を取り上げる必要ないじゃないの。 おっかしぃよなぁ。 まぁ、その手の矛盾は山ほどあるので、ここでは追及しないでお きましょう。 ちょっと気になるのは、「膂宍の空国(そししのからくに)」で すね。 「膂宍」は鹿の角。 「空国」は、読んだとおり、虚しい国という意味らしいのですが、 音が、「からくに」「韓(漢・唐)国」に通じることです。 何しろ場所は九州。朝鮮半島とはご近所ですよね。 そうすると、こういう風にも読めるわけです。 「鹿の角のように細長い韓国の半島を、丘(島)を渡りながらやっ てきて、笠狭の崎に辿り着いた」 とすると、天忍日命が押し頂いてお連れした瓊々杵は、朝鮮半島 からやってきた、と、読めないこともないですね。 「高天原」は中国大陸だった、と。 塩土翁も中国大陸から先着した支配者だった、と。 十分ありえる話ですよね。 地図を見ているといつも思うんです。 対馬って、まるで朝鮮半島から滴り落ちた雫みたい・・・って。 古代、人が、朝鮮半島から、ぽとりぽとり、と、たくさん滴り降 ってきていたのかもしれませんね。