祭 神:天夷鳥命 野見宿祢 大国主命 説 明:道明寺天満宮の元宮です。道明寺天満宮の由緒書によりますと、 「垂仁天皇の32年(西暦3年)、相撲の祖といわれる野見宿祢が、 『はにわ』を造って殉死に代えた功績で、『土師』の姓とこの辺り一帯 を所領地として賜わって以来、遠祖の天穂日命をおまつりしたのが、 土師神社の始まりである。」 とあります。 道明寺天満宮の公式サイトの説明によりますと、 「土師氏は代々この地に住み、天穂日命《あめのほひのみこと》とその 御子天夷鳥命《あめのひなとりのみこと》をその丘に祀り、毎年8月 1日(新暦の9月1日)に盛大な祭礼を行いました。 これが現在でも毎年行われている八朔大祭です。」 と説明されています。 住 所:大阪府藤井寺市道明寺1丁目16−40 電話番号:0729−53−2525 ひとこと:なぜ、この神社が、菅原道真公をお祭した道明寺天満宮となるか、と 言うと、菅原道真公は土師氏なんですね。 桓武天皇の御代に道真公の曾祖父・土師宿禰古人公が、大和国添下菅 原郷の名を取り菅原朝臣を名乗ることを許され、文道をもって朝廷に 仕える家柄となったんだそうです。 さて、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)は、古事記に出てくる神 名で、別名、天鳥船命。 日本書紀では、稲背脛(いなせはぎ=諾否(いなせ)を問う舟という 意味)命と呼ばれる神と同一神とされています。 鳥のように早い船の神で、国譲りでは、建御雷命と共に稲佐の浜に来 てる・・・んですが。ちょっと待てい!!! 出雲の国譲りに際して、高天原から、まず天照大神の御子・天穂日命 を出雲に派遣します。 ところが、天穂日命は、大国主命に心服して、3年たっても復命しな いのです。し方ないので、天若日子を遣わしたら、これも失敗して、 最後に、建御雷と天鳥船命(日本書紀では、経津主命)を遣わしてや っと成功するんです。 天穂日命の子孫は、出雲出身の、野見宿祢一族ですから、多分天穂日 命は、生涯高天原に帰らなかったと思うんですが・・・。その御子、 言ってみれば、野見宿祢のやっぱり先祖に当るし、その頃、出雲にい たと考えられる天夷鳥命が、なんで、出雲国譲りに、高天原側として 行くんじゃい?! ヒントは、出雲國造神賀詞でしょうか。中の一文を抜粋します。 「高天の神王、高御魂命の、皇御孫の命に、天の下大八嶋國を事避しま つりし時、出雲臣等が遠ツ神、天穂比命を、國體見に遣はしし時に、 天能八重雲を押別けて、天翔り國翔りて、天ノ下を見廻りて、返事申 し給わく、 豊葦原の水穂ノ國は、昼は五月蝿なす水沸き、夜は火瓮なす光く神あ り、石根・木立・青水沫も事問ひて、荒ぶる國あり。 然れども鎭め平げて、皇御孫ノ命に、安國と平けく知ろしまさしめん と申して、己ノ命の皇子天夷鳥命に、布都怒志命をそえて、天降し遣 わして、荒ぶる神等をはらい平け、國作之大神をも媚び鎭めて、大八 嶋國の現ツ事・顯事事よさしめき。」 つまり、天穂日命が、出雲の国を下見した上で、息子の天夷鳥命と、 (建御雷ではなく)布都怒志命を出雲の国譲りに行かせています。 ちなみに天照大神の名は出てきません。 これに対して、大穴持命は、 「皇御孫ノ命の静まり坐を大倭國と申して、己ノ命の和魂を、八咫ノ鏡 に取つけて、倭ノ大物主櫛御玉命と御名をたたえて、大御和の神奈備 に坐せ、 己ノ命の御子阿遅須伎高孫根ノ命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、 事代主命の御魂を、 宇奈提に坐せ、 賀夜奈流美命の御魂を、飛鳥の神奈備に坐せて、皇孫ノ命の近き守神 と貢り置きて、八百丹杵築ノ宮に静まり坐しき。」 なのです。 戦った様子がないのはなぜでしょうね。 そんなことから、天穂日命に裏切られたのは、高天原側ではなく、心 酔したと見せかけられて、騙された大穴持命なんじゃ? 天穂日命はスパイ?なんていう想像しちゃったりして。