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花垣神社

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  祭  神:天兒屋根命、經津主命、武甕槌命、比賣大神
  説  明:沙石集には、
      「昔、一条天皇の中宮、彰子が興福寺の東円堂のあたりにあった奈良
       の八重桜の評判を聞き、皇居の庭に植え替えようとした。
       桜を荷車で運び出そうとすると興福寺の僧が『命にかけてもその桜、
       京へは運ばせぬ』と行く手をさえぎった。その話を聞いた彰子は、
       僧たちの桜を愛でる心に感じ入り、桜を持ち出すことを断念した。
       この後、彰子は毎年花のころに『花の守』を遣わし、宿直をして桜
       を守るよう命じたう。」
       と書かれており、また、この『花の守』は、ここ、上野市与野の里
       人から選ばれたのだそうです。
       なぜならば、奈良の八重桜は、もともと、与野の庄にあったもので、
       聖武天皇の御代に、奈良に献木されたものだからなのだそうです。
  住  所:上野市小田町予野
  電話番号:
  ひとこと:この神社の祭神なんですが、これは明治に合祀された、乎美祢神社
       の祭神4柱なんですね。
       もともと、花垣神社も、同じ4柱の神々を祭祀していたのか、それ
       とも、他の神を祀っていたのを、合祀の時、になんらかの理由があ
       って外してしまったのか、ちと分りません。

       合祀される際に、どのように神社を合わせたのかは、地域によって
       いろんな事情があるようなのですが、大きい神社に、小さい神社を
       遷したと考えるのが自然ではないでしょうか。

       しかし、合祀された側の、乎美祢神社は、延喜式内社。
       歴史から言えば、こちらのほうが古いんですね。
       なぜ、花垣神社の方に神様を集めたのでしょう。

       一つ考えられるのは、芭蕉がこの地を俳句に詠んでいるからかも、
       知れません。

      「一里は皆花守の子孫かや」

       なんて。

       花垣という社名なのですが、そもそもこの「花垣」という地名が起
       きたのは、一条天皇の中宮彰子が、花守をこの地から選んだ時から。

       ということは、一条天皇が即位した、西暦986年から1011年
       以降の創建でしょう。

       さて、西暦1235年、藤原定家が編纂した小倉百人一首に、中宮
       彰子に仕えた伊勢大輔の歌が入っているのを、ご存知でしょうか?

      「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」

       彰子が愛した八重桜を、その彰子に仕えた大輔が歌にしているので
       すね。

       私達現代の人間は、八重桜よりも、染井吉野を「桜」と思っていま
       せんか?
       でも、実は染井吉野は、明治初年に、東京染井村の植木商が広めた
       ものなのです。
       ですから、江戸時代より前の日本人にとって、「桜」と言えば、山
       桜か、この八重桜なんですね。

       私個人の好みで言えば、やはり、桜は、染井吉野がよいです。
       風が吹くと、「ぼよんぼよん」と枝を揺らせるだけの八重桜よりも、
       さらさらと花びらを散らす染井吉野の方が風情があるでしょう?

       染井吉野が山に満開になると、山全体がうっすら桜色に染まるのも
       葉っぱが、花の後に出る、染井吉野なればこそです。

      「桜の樹の下には何が埋っている?」と聞いたら、多くの人が、「死
       体」と答えるのではないでしょうか?

       梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編は、こんな風に始まり
       ます。

      「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
       これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにも見
       事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信
       じられないので、このニ、三日不安だった。しかしいまやっとわか
       るときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じて
       いいことだ。」

       梶井基次郎を不安にさせるほど美しく咲くのは、やはり染井吉野で
       はないでしょうか?

       坂口安吾の「桜の森の満開の下」で、何をも恐れぬ盗賊が、背中に
       背負うた我が妻を鬼と勘違いしてしまったのも、空をまピンクに染
       める、満開の染井吉野の森の下ならば、致し方ないことではないで
       しょうか。

       でも、そんな、美しく恐ろしい「桜」を、知っているのは、明治以
       降に生まれた、私達だけなんですよ。

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