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平群神社

heguri




  祭  神:大山祇神
  説  明:境内由緒記によりますと、
      「御祭神大山祇神は山野を司る神で、平群氏の祖武内宿祢が神功皇后
       と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願し、この地に祀ったと伝う。
       のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ、
       今日に至る。
       延喜式神名帳に『平群神社五座(並大、月並、新嘗)』とあり、神
       宮寺としても龍華山西宮密寺があった古い社格の神社である。」
       だそうです。
  住  所:奈良県生駒郡平群町西宮617番地
  電話番号:
  ひとこと:由緒記の内容によれば、「戦勝祈願」の為に、大山祇神を祀ったの
       がこの神社ということになります。

       しかし、大山祇神が武運の神様というのが、ちょっと意外に思いま
       す。

       大山祇神ってどんな神様なのでしょう?

       一番有名なのは、木花開耶姫のお父さんだということでしょう。
       そして?
       櫛稲田姫のおじいちゃんだということもあります。

       両親は伊邪那岐命・伊邪那美命。

       名門の出であり、美貌を誇る一家長。
       しかし、天神であるにしては、「地祇」の「祇」という字があてら
       れています。

       しかも、木花開耶姫にしても、櫛稲田姫にしても、地に降りてきて
       いるわけで、どうも、高天原に坐します神ではないように感じます。

       高天原を追放されたのは、素盞鳴尊。
       地(葦原中国)を譲る談判に降りてきたのは、天穂日命・天稚彦・
       武甕槌・経津主などとなっていますが、それより前に、地に降りて、
       地を治めていたのが、大山祇神である、ということになっちゃいま
       す。

       しかし、それはおかしい。

       もし、そうならば、国譲りの談判は、大山祇神にすればよいわけで、
       大山祇神ならば、天照大神にとっては、兄妹。
       交渉もスムーズに進んだはず。

       なのに、赤の他人であるはずの、大己貴命に国譲りの交渉をするの
       は、なぜか?

       一つには、大山祇神には、地上における権力はなかったのじゃない
       か?ということです。

       地上に分譲住宅を持っていたけれど、本籍は高天原。
       しかし、娘・孫が、地上で腰を据えているのに、分譲住宅では、ち
       と狭過ぎる。

       とすると、この説は却下。

       他に考えられるのは、大山祇の神には別名があるということ。
       しかし、素盞鳴尊が高天原を追放された時に、既に、櫛稲田姫とい
       う孫がいたことを考えると、伊邪那岐命・伊邪那美命より何代か前
       の神様ということになります。

       しかし・・・。そうなると、もっとおかしいですよね。
       そんな昔の神様が地上を治めていたのなら、尚更、大己貴に地上を
       譲ってもらう必要なんかありません。

       ということで、この説も却下。

       とすると?
       大山祇神は天神ではなかった。
       しかし、大己貴が治めていた葦原中国と違う「国」を治める長だっ
       た。
       大己貴は、武力行使の前に、国を譲ったけれども、大山祇神はもそ
       っと平和的に自分の国を譲ったのかも知れません。

       そこで、「義兄弟」として、伊邪那岐命・伊邪那美命の子に加えら
       れたのかも。

       なんていう説が挙げられます。

       これが一番自然なんですが・・・。
       一番、記紀の記述に反する考え方なんですよね〜。どないしましょ?

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