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日置天神社

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  祭  神:天御中主神 菅原道眞
  説  明:境内看板によりますと、
      「日置山遺跡
       日置山遺跡は、日置天神社境内とその周辺を指し、かつてはタニシの
       貝塚として知られていたが、昭和57年の発掘調査により、中世の貝
       層をはじめ、溝・土坑などが確認された。また、日置郷の開発のため
       に破壊された古墳(方形墳)と考えられる遺構を検出した。
       このように、日置山遺跡は古墳時代から中世までの複合遺跡で、周辺
       には、日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われる。
       日置天神社
       日置天神社には、惟喬親王(844〜897)が交野ケ原で遊猟した
       とき、愛鷹の姿が見えなくなったので、日没を惜しんで、『日を止め
       置かせ給え』と天神に祈願したという伝承がある。
       中世におけるこの付近は、東高野街道筋に発達した集落(日置郷)と
       して賑わい、社寺が甍をきそっていたという。しかし、南北朝期の動
       乱に際し、たびたび戦禍に見舞われ、十四世紀中頃には民家・堂塔と
       もに灰燼に帰したと伝えられる。その後十六世紀中頃、真宗八世蓮如
       の六男・蓮淳を招いて当地を寺内村(招提寺内村)として再開発した
       おり、当社を寺内鎮守として再建したと伝える。」とあります。
       平成祭礼データを転載します。
      「上代において高野街道の日置山麓より大乗にかけて松林中に日置の里
       あり、其氏神として平安朝の交野の原に起こりし拝天の思想により天
       神を祀りしが如く、小祠がこの頃建立されたらしい。曽て清和天皇の
       皇子惟喬親王が渚院を中心として交野の原に遊猟し給える時、日没を
       惜しみ暫く日を置かせ給えとこの天神に祈願せられ、日置天神社(へ
       きあまつかみのみや)と称する事になったと伝えられている。天文年
       間(1532〜1554年)、蓮如の子蓮淳(れんじゅん)によって
       招提寺内村の構営さるるや松林の中にこの遺跡を求めて氏神とした。
       現在の社殿の規模は慶長六年(1601年)八月十三日に三間と五間
       の拝殿、木造の鳥居が建てられたに基づく。御祭神は天津神なるが故
       に天御中主神なりと考えられて仰ぎ祀る事となり、更に貞享年間(1
       684〜1687年)に菅原道真を合祀した。
       社殿は元禄年間(1688〜1705年)の再建で、宝永年間(17
       04〜1710年)、拝殿前の両石灯籠を建立した。元文年間(17
       36〜1740年)、石の鳥居になる。元禄の社殿は丹色を塗りしが、
       後白木造りと改められた。
       祭事は毎月十六、七日。
       江戸時代には毎月二十四、五の両日村民はこの社に集い雅遊(がゆう)
       して天神講と称した。当時境内は老松鬱蒼たりと詩歌に詠まれている。
       明治五年、村社に列せられ、同四十年八月、神饌幣帛料供進社に指定
       せられた。
       境内八百五十八坪(二八三一平方米)。
  住  所:大阪府枚方市招堤南町2−28−1
  電話番号:
  ひとこと:「平安朝の交野の原に起こりし拝天の思想により」とあります。
       平安時代とは一般的に、794年から、1192年の間を指すようで
       すから、惟喬親王が「日を止め置かせ給え」と、天神に祈ったのは、
       まさに、「拝天思想」の隆盛期だったといえそうです。

       さて、「天神」とは、広い範囲を指す言葉です。


       まず、天(高天原)に坐します神々を「天神」と呼びます。
       つまり、天御中主尊(国常立神・可美葦牙彦舅尊)から始まる神々の
       ことを指します。

       そして、いわゆる「天神様」。
       菅原道真公のことですね。

       しかし、まぁ、菅公が亡くなったのは、延喜3年、西暦903年のこ
       と。
       彼が「天神様」と呼ばれたのは、死後のことですから、惟喬親王が、
       祈ったのは、天御中主尊に始まる、天の神々だったのでしょう。

       しかし、「拝天思想」という言葉も、理解するのが難しいですね。
      「天」といっても、いろんなものを指しますから。

       中国にも「拝天思想」という言葉があるようですが、中国・道教えに
       は、「天帝」という、天を支配する神がおられます。

       翻って、日本の神々で天を支配する神というとどなたになるのでしょ
       うか?

       高天原の最高神は天照大神。太陽神。
       しかし、主催者は、高産霊神。大木の神様だともいわれます。
       天に一番に生まれでたのは、天御中主神。北極星に擬せられます。

      「太陽を止め置かせたまえ」

       この3神のうち、どなたに祈れば一番霊験あらたかだと思いますか?

       そりゃぁ、天照大神でしょう?
       でも、それならば、祈りの言葉は、
      「天照大神よ、いますこし、地上に留まりたまえ」
       になりませんか?

       天御中主神は、もし、この神が星の神ならば、祈りの言葉は、
      「天御中主神よ、いますこし、到来を遅らせたまえ」
       かなぁ?

       とすると、天を主催する、高産霊神に祈るのが一番霊験がありそうに
       思うのですが、この神社の神様は、天御中主神となっています。

       つまり、天御中主は、北極星に擬せられるといっても、「星」と見ら
       れている、というよりは、「天の中心に坐す神」と考えられている、
       という方が近いようなのです。

       北極星は、動かないので、「天の中心」と考えられているんですね。

       だから、まず生まれ出た、天御中主命は、北極星に擬せられるわけで
       す。そして、だから、太陽や月、星。天にあるものすべてを司る神で
       ある、という発想にもつながるのですね。

       だから、惟喬親王が、「太陽よ沈まないでくれ」と、北極星の神様に
       祈っても、なんらおかしくないのですが・・・。

       そういうつながりがわからなければ、すご〜く、不思議ですよね(~_~)

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