祭 神:菅原道真公 野身宿禰 説 明:野身宿禰は、土師氏の祖神様です。 土師氏と言うと、文字どおり、土器を専ら作っていた氏族だと思わ れるでしょうが、古墳を造ったのは、主に土師氏だといわれていま す。 垂仁天皇のころまでは、殉死の習慣がまだ残っていました。即ち、 天皇や皇后、親王などが亡くなった時、死者の魂がさびしくないよ うに、側仕えの者も一緒に生きたまま埋められていたのです。 垂仁天皇の叔父、倭彦命が亡くなった時、生き埋めにされた人達が 苦しむ声を聞いた天皇は、「これは良くない習慣だ」と、野身宿禰 に相談したのだそうです。以前から殉死の習慣を悪しき習慣だと思 っていた野身宿禰は、すぐに進言します。「それでは、こうなさい まし。人形を作り、生者の代わりに埋めるのです」。 そう、これが埴輪の始まりです。 「これは名案!」と膝を叩いた天皇は、野身宿禰に「土師」姓を賜り、 土器づくりの為の土地を与えたということです。天晴れ、野身宿禰! また、菅原道真公は、土師氏の出身です。 住 所:大阪府高槻市天神町1 電話番号: ひとこと:白水社「日本の神々」には、「菅原為理が、道真廟に参拝した後、 この地で突然神輿が動かなくなり、占うと、“この野身の里の山上 に、土師氏の祖神、野見宿禰の廟がある”と菅神が告げたため、こ の地に野身宿禰を祀る神社を創建した」旨が社伝に書かれていると あります。 で、訪問してみますと、大きく、「上宮天満宮」。 それは、いいんですよ。別に。でも、野身宿禰をどこに祀ってある のかなぁ。もともとは、ここは「野身神社」だったわけだし・・・。 勿論本殿にも、菅原道真公と並んで祀られてはいるのですが、野身 神社としての形跡もないの?? うろうろ探した結果、ありました。「野身神社」。 本殿と対座するように、ひっそりと。 後に、天神信仰(所謂天神は、高天原の神様を指すんだけど、この 場合は、菅原道真公=雷神=天神を指します)が流行した為(そん なに昔からお受験が盛んだったってことでしょう)片隅(鳥居の外) に追いやられてしまったようです。 神輿を止める力はあっても、神社の移動を止める力はなかったんで しょうか。 全く道真くんってば、先祖は敬わなくちゃ。だぞ!