祭 神:鴨八重事代主神 説 明:延喜式神名帳の「高市御縣坐鴨事代主神社」に比定される、八重 事代主神の本拠地とも言われる神社です。 摂津の住吉大社から畝傍山の埴土を取りにくる「埴使の神事」に 際して、当社で装束を整えたことから、近世には、「装束の宮」 とも呼ばれたのだそうです。 住 所:奈良県橿原市雲梯町689 電話番号: ひとこと:「出雲国造神賀詞」には、 「大穴持の和魂を大物主櫛甕玉と称して大御和に、阿遅須伎高孫根 を葛木の鴨の神に、事代主を宇奈堤に、賀夜奈流美命の御魂を飛 鳥の神なびに坐せて鎮め祭る」 とあります。 鎮め祭るというと、言葉はきれいですが、そこが彼等の御陵=墓 であるという意味でしょう。 出雲の国譲りに際して、上記の神々は、皇室を守るため、それぞ れの場所に鎮まったわけなんですが、高天原に出雲の国を譲った 神々が、大和(奈良)までわざわざやってきているのがなんとも 不思議な気がしませんか? さて、事代主命は、「言代主」とも書かれるように、託宣の神様 であると考えられていまるようです。 事実、出雲の国譲りに際しても、父・大物主に代わって、答えて いますし、神功皇后の三韓征伐の際にも助言をしたようです。 そして一番有名なのは、壬申の乱の時のことでしょう。 天武天皇元年七月のことを日本書紀で見てみましょう。 「金綱井に集結した時、高市軍の高市県主許梅(たけちのあがたぬ しこめ)は、にわかに口をつぐんでものを言うことができなくな った。三日の後、神懸かりのようになって言うのに、『吾は高市 社にいる事代主神である。また身狭(むさ)の社にいる生霊神で ある』、そして、神の言葉として、『神武天皇の山陵に馬や種々 の武器を奉るがよい』といった。さらに『吾は皇御孫命(大海人 皇子)の前後に立って、不破までお送り申して帰った。今もまた 官軍の中に立って護っている』と。また、『西の道から軍勢がや ってくる。用心せよ』と言い終わって、醒めた。 それで急いで、許梅を遣わし、御陵に参拝させ、馬と武器をたて 奉った。また御幣を捧げ、高市・身狭の二社の神をお祀りした。」 高市の皇子・高市県主・高市御縣坐鴨事代主・・・。 「高市」のオンパレードです。 というより、この事件があったから、この皇子を「高市」と呼ん だのかも知れません。 そこで、ふと思い出したのですが、桜木神社の由緒には、天武天 皇がこの神社に非常に縁があり、信仰も篤かったと書かれていた ことです。 桜木神社の祭神は、大己貴命・・・。事代主のお父さんです。 日本書紀の作者は、大己貴命→事代主命親子と、天武天皇→高市 皇子に何か関連を見出していたのでしょうか?