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呉津孫神社

kuretsuhiko




  祭  神:木花咲耶姫命
  説  明:案内がないので、「日本の神々」から引用します。
      「『古事記』の雄略段に、『この時呉人参渡り来つ。其の呉人を呉
       原に安置たまいき。故、その地を号けて呉原と謂ふ』とみえ、
      『日本書紀』雄略紀十二年四月己卯・同じ十四年四月戊寅・是月・
       三月条によると、呉国へ遣わした身狭村主青と檜隈民使博徳が呉
       国の謙譲した手末才伎・漢織・呉織および衣縫の兄媛・弟媛らを
       連れて帰国し、これらの呉人を檜隈野に置いたので呉腹の地名が
       起こったという。」
      「現在の祭神は木花咲耶姫命であるが、元来は呉織の祖神を祀って
       いたと思われる。なお、『五郡神社記』によると、檜隈子島寺縁
       起に、子島神社は呉津彦神なりと書かれているというが、『大和
       志』には、呉津孫神社は栗原村にあり、下宮と称すと記されてい
       る。
       中世には、興福寺一乗院庄園の呉原庄が展開、当社は地侍の呉原
       氏によって崇敬された。」
  住  所:奈良県高市郡明日香村大字栗原字的場714 
  電話番号:
  ひとこと:呉津孫(彦)と、人名らしき名前が社名についているのに、ご祭
       神は、「木花咲耶姫命」。

      「日本の神々」の著者が書いておられるように、何かの事情で祀り
       替えされたのかも知れません。

       しかし、なんの事情でしょう?

      「呉」が、「呉・越・楚」並び立っていた時代、つまり、いわゆる
      「三国志」の時代の「呉」だとしたら、日本にいた越や楚の民が、
      「呉の神様にばっかいい顔をさせてたまらん」と、まったく関係の
       ない、女神・木花咲耶姫命を祭神に代えた可能性もあるかもしれ
       ません。

       しかし、三国志って紀元前200年ごろの話なんですよね。
       そうすると、ちょっと無理があるかなぁ。

       しかも、「中世」この神社は「呉原氏」に崇敬された、とありま
       す。

      「呉原氏」が崇敬したなら、その氏と何か関係がありそうな、「呉
       津彦を祀らずに、木花咲耶姫命を祀ったのは、なおさら不思議で
       す。

       何かの意図がある、と考えてよいと思うのです。

       ひどく穿ってみれば、
       呉津彦の神様は、非常に霊験があらたかだった。
       だから、呉原氏は、他の人々に「呉津彦神」に祈らせなかった。

       なんてこともあるかもしれません。
       もう一つ、穿って想像してしまうのは、木花咲耶姫命とは、呉津
       彦神に差し出された、生贄のことなんじゃないのか?なんてこと
       です。

       なぜなら、呉津彦の神様は、「呉織の神様」だからです。
       なぜか、織物には、処女がつきものです。

       もう、これは、妄想以外のなにものでもないんですけどね(^^ゞ

       神話でも昔話でも、織物を織るのは、処女の役目です。

       天の機屋の稚姫・瓜子姫・織姫・夕鶴のおつぅ。
       そして、彼らの最後は?
       殺されたり、愛する人と引き裂かれたり、ぼろぼろになりながら、
       逃げ出さねばならなかったり・・・つまり、魔法を解かれたり、
       ですね?

       ふと思うのです。
       殺されるというのは、彼女の「霊感」が殺されるのじゃないのか?
       と。

       近頃はそうでもないようですが、巫女さんは、「処女である」と
       いうイメージがありませんか?

       どうも、男と交わると霊感は失われるという「迷信」があるよう
       です。

       つまり、彼女らは、織物を織ることによって、神と交信していた
       のだけれど、なんらかの形で、それを終わらせなければならなか
       った。
       それは多くの場合、男と交わることで、だった。

       んじゃないか、と思います。
       機織の乙女の逸話には、レイプを連想させる記述が、つきもので
       すし。

       稚姫が陰部をつむでさすというのは、あまりにもあからさまです
       よね。

       問題は、これらの逸話が、「霊性を失った優秀な巫女に対する同
       情」から生まれたものなのか。
       単に、「優秀な巫女は霊性を奪われる」という「事実」を描いた
       ものなのか、ということじゃないか、と、思います。

       優秀な巫女は、処女性を失わない限り、年老いても、巫女として
       いられるのか、それとも、優秀な巫女は、優秀な巫女だからこそ、
       ある儀式で、その霊性を失わなければならない宿命だったのか、
       なぁんてことです。

       あぁ、妄想だなぁ。

       しかし、優秀な巫女が、なんらかの儀式で、霊性を失い、それと
       引き換えに何か力を得るのだとしたら?

       呉津彦の神様に捧げられて、霊性を失った巫女・木花咲耶姫命は、
       何を得たのか?

       と、考えると、そりゃぁ、村の豊作とか、村の繁栄とかじゃない
       か?と思うわけなんです。

       ここらへん、殺されて、体中から五穀を生じさせた、オオゲツ姫
       も髣髴とさせませんか?

       だとしたら、この祭神・木花咲耶姫命は、村を繁栄させる女神だ
       った、と。
       そんなことを考えてしまったのでした。

       怒られるかなぁ。

       ***
        後記
       このページをご覧くださった方から、下記のような連絡をいただ
       きました。
       ありがとうございましたm(__)m

      「呉は高句麗の「句麗」= 高句麗は朝鮮語で(コクレ)と読み、
       「高(コ)」は苗字のようなものと聞いています
       中国の呉国との年代的疑問も解決します。なお、漢織の漢は朝鮮
       半島南部にあった安耶あるいは安羅、つまり漢人とは朝鮮半島南
       部からの渡来人、また一説には崩壊した漢の朝鮮四郡の人とも言
       われているようです。」

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