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雙栗神社

saguri




  祭  神:天照大神 素盞鳴命 事代主命 応神天皇 比咩大神 仁徳天皇
       神功皇后
  説  明:境内案内板によると、
      「当社は貞観元年(西暦859年)正月ニ十七日に、従五位下の神位
       を賜い延喜の制には小社に列せられ、また、『延喜式神名帳』にも
       山城国久世郡雙栗神社三坐と記されてあり、古くから神社の存在し
       ていたことがわかる。
       延宝四年(西暦1676年)の奥書を、持つ『椏本八幡宮縁起』に
       よると、応二年(西暦1162年)当宮に勅使が立てられ、勲一等
       を受け、神田を賜い、椏本一品八幡大菩薩と号し、橘氏をもって神
       司と定められたという。
       その後明治十五年(西暦1882年)に至って、雙栗神社と旧号に
       復されているが、創建時の本殿の形式については明らかでなく、古
       記に応保二年に造営され、明応三年(西暦1494年)には屋根の
       葺替えを行ったと記されており、現本殿はこの明応三年に建立され
       たものと考えられる。」
       とあります。
  住  所:京都府久世郡久御山町大字佐山小字双栗55
  電話番号:0774−43−2622
  ひとこと:社名の「雙栗」は、地名から見るに、「双子の栗」とでも言う意味
       なのでしょうか?

       しかしとりとめのないご祭神の顔ぶれです。
       いろいろな神社が合祀された結果なのでしょう。

       この辺りは、「宇治」の間近です。

       ということは・・・。
       ご祭神のうち、応神天皇・仁徳天皇は、この地名の起こりとなった
       人物とご縁が深いのです。

       その人物とは、菟道稚郎子命。
       うじのわきいらつこのみこと、と読むのです。

       山城国風土記逸文にはこうあります。
      「宇治
       山城の風土記にいう、−宇治というのは、軽島の豊明の宮に天の下
       をお治めになった天皇の子の若郎子は、桐原の日桁の宮を造って宮
       室となされた。それでその御名によって宇治と名づけた。もとの名
       は許乃国という。」

       軽島の豊明の宮に天の下をお治めになった天皇とは応神天皇のこと
       です。

       そして、菟道稚郎子命は仁徳天皇の弟であり、応神天皇の秘蔵っ子
       でした。
       そんなわけで、菟道稚郎子命と仁徳天皇は帝位を譲り合い、弟は、
       自殺することにより、帝位から逃亡したのでした。

       そんな事情がある土地に、「双子の栗」。

       団栗の背比べとは言いますが、栗が背比べしたらどうなるんでしょ
       うね。

       菟道稚郎子命と仁徳天皇のように、どちらが優れているかの決着が
       着かずにずっと背比べし続けることになるのかも知れません(ただ
       し、この兄弟の場合は、お互いに相手より背を縮めようとしている
       んですけどね)

      「雙栗」「双栗」の語源は、実は、いろんな説があります。
       地元豪族「葉栗」氏の「はぐり」が訛ったのだとか。
      「羽栗」「殖栗」という郷があり、この神社はこの両「栗」の氏神だ
       ったからだ、とか。

       私は、「菟道稚郎子命」「仁徳天皇」の二つの栗が並んで、譲り合
       ったことに因んだ地名だ、と考えることにしときますです。

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