祭 神:高皇産霊神 神皇産霊神 津速産霊神 説 明:御由緒を転記します。 「社伝によれば第十代崇神天皇の御代の御鎮座で、後の記録に留められるものでは 鎌倉時代初期、後堀河天皇の貞応元年(1222年)陰暦七月、当時の郷民や當 麻宗正らによって大規模な御社殿の御造営が行われたことが、現存する棟木銘に 明記されている。 御祭神は、古事記・日本書紀にみえる造化の三神である高皇産霊神・神皇産霊神 の二柱と天児屋根尊の祖父神である津速産霊神の三柱である。 本居宣長は『神の道は、高皇産霊神・神皇産霊神のお働きにはじまる』と『玉鉾 百首』に著している。当神社の神様は、その『産霊(むすび)』の神様で、もの ごと成就・念願達成・縁結び・合格祈願等に御神徳のあらたかな神様である。 また、当地『高田』の地名は平安時代初期『蓼田郷』と称していたが、天神宮の 主祭神『高皇産霊神』の『高』と『蓼田』の『田』とをとって『高田』と称せら れるようになったとも伝えられている。」 住 所:奈良県大和高田市三和町2−15 電話番号:0745−52−3382 ひとこと:「天神社」というと、「あ、菅原道真公が御祭神ね?」と思いませんか? この神社は違うんですね。 でも、「天神社」とは「天神のお社」なわけです(~_~) 天神とは、「天の神」なわけで、高皇産霊神 神皇産霊神 津速産霊神は、天神 である、ということなのですね。 さて、実は、「津速産霊神」という神様の名前は初見でした(^^ゞ 記紀には登場しないのです。 それではどういう神様か、というとですね・・・。これがなんとも・・・。 ここに、2冊の本があります。 1冊は、大倉精神文化研究所「神典解説」。 もう1冊は、岩波文庫「古語拾遺」。 「神典解説」の上巻「古語拾遺」の「天地開闢」の章には、こういう文章がありま す。 「天地が初めてわかれたとき、天中(おおぞら)に御出現になった神の御名を、天 御中主神と申し上げる。此の神の御子に三柱の男神があって、長兄を高皇産霊神、 次を津速産霊神、次を神皇産霊神と申し上げる」 次に岩波文庫「古語拾遺」の同じ箇所を見て見ますと、 「天地割判くる初めに、天の中に生れます神、名は天御中主神と曰す。次に、高皇 産霊神。(古語に、多賀美武須比といふ。是、皇親神留伎命なり。)次に、神産 霊神。(是皇親神留弥命なり。此の神の子天児屋根命は、中臣朝臣が祖なり)」 違う・・・(T_T) 「古語拾遺」と一言で言っても、いろんな書物になって残っているでしょうから、 どの書物を持って現代語訳されたか、というのが違うのかも。 わかりませんが、岩波文庫の「古語拾遺」では、天児屋根命は、神産霊神の子供。 大倉精神文化研究所の「古語拾遺」では、津速産霊神の曾孫。 なんにしても、中臣氏は、天地開闢の時に、天御中主神の次に生まれた(もしく は、天御中主から生まれた)神々の子孫である、ということになりそうです。 神社新報社「日本神名辞典」によれば、御由緒にある「天児屋根尊の祖父神であ る津速産霊神」の典拠は、どうも、「新撰姓氏録」にあるようです。 「津速魂命」 を引いてみると、 「津速産霊神ともいふ。天神。事蹟不詳。その曾孫に天児屋根命がゐる(姓氏録)。 神速玉命の別名(古史伝)」 と説明されています。 御由緒では、津速産霊神は天児屋根命の「祖父」。 新撰姓氏録では、天児屋根命は津速産霊神の「曾孫」と、一代ズレがありますか ら、もしかしたら、この神社独自の社伝があるのかもしれません。 しかし、よくよく考えてみたら、天児屋根命も不思議な神様なんですよね。 全国的に祀られてる神様ですが、記紀の中では、天照大神岩戸隠れの時に、祝詞 奏上したこと、そして、瓊々杵尊降臨の時に付き従ったことが記されているだけ です。 つまり、「キャラが立ってない」んですよね。 彼がここまで有名な神様となったのは、どちらかというと、「中臣氏(藤原氏) の祖神」という、「子(孫)の七光り(???)」的な要素が大きい・・・かも しれない・・・かも(笑) まぁ、それはともかく。 つまり、この神社のご祭神は、「古語拾遺」の影響が大きいのかも。 としたら、高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神は、三兄弟・・・という発想に なりますから。 古語拾遺は、忌部氏の文書です。 この高田市と忌部氏・・・。 何か関連があるのかもしれないですね。