祭 神:表筒之男命 底筒之男命 中筒之男命 神功皇后 説 明:創建は、貞観十一年(西暦869年)九月十五日。 栞には、 「住吉大神は昔、日向の橘の小門の憶原というところに、お出まし になりました大神で、伊邪那岐大神のお子様の表筒之男命・底筒 之男命・中筒之男命の三柱でございます。伊勢神宮の天照皇大神 の御兄弟神に当られる神様です。 神功皇后が三韓征討の時に皇后みずから、住吉三神を守り神と奉 り、進まれ、遂に三韓の王等を降伏、国におもどりに成る途中、 この田蓑嶋に立ち寄られ、勝ち戦を祝われ、三神を奉られ後に、 神功皇后も加わり四柱となる。これを住吉四柱の大神という。 時の御船の鬼板を神宝として今も奉祀されている。」 「天正十四年(西暦1586年)、徳川家康公がこの地に立ち寄ら れ、多田の廟(現在、池田市多田神社)に参詣の時、田蓑嶋漁夫 等、漁船をつかって、神崎川の渡船を勤めた縁により、漁民等に は、『全国どこで漁をしても良し、又、税はいらない』という特 別の褒美をいただき、漁業の一方、田も作れと命じられ、その意 をもって田蓑嶋を佃と改め、後、寛永八年(西暦1631年)田 蓑嶋神社内に、徳川家康公が奉られることになった」 と記載されています。 住 所:大阪市西淀川区佃1丁目18−14 電話番号:06−6471−5416 ひとこと:日本書紀の「神功皇后紀」によりますと、 「軍に従った、表筒男・中筒男・底筒男の住吉三神は、皇后に教え て言われるのに、『わが荒魂を穴門の山田邑に祭りなさい』と。 穴門直の先祖、践立(ほむたち)。津守連の先祖、田裳見宿禰が 皇后に申し上げて、『神の居りたいと思われる場所を定めましょ う』と言った。そこで践立を荒魂をお祀りする神主とし、社を穴 門の山田邑に立てた。」 とあります。 田蓑と、田裳見に関係があるのかどうかはわかりませんが、音が 似ているところを見ると、無関係ではない、かも知れません。 田裳見宿禰は、住吉大社では、「初代宮司」とされていますので、 穴門の山田邑とは、今の大阪市住吉区にあたるのでしょうか? 山田・・・だったのですね。 さて、田裳見宿禰なのですが、この人は、祖先を、火明命として います。つまり、天皇家から見れば、「分家筋」ということにな りますね。 そんなことを考えたら、14代天皇・仲哀天皇の皇后、神功皇后 のころまでは、王族やその側近は、ある一族でびっちり固まって いたのかも知れません。 ある一族。その一族こそが、私の祖先である。 結局、それでもめるんですけどね(^^ゞ