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手宮厩稲荷神社

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  祭  神:稲荷大神
  説  明:平成祭礼データによりますと、
      「小樽稲荷神社は、元禄3年(今より300年前)に津軽青森在の
       中島某が、招請ご創祀されたのが始めとされている。その後近江
       商人西川家がこれを受け継ぎ、ヒョウガ崎(現古代文字崖上と思
       われるが定かでない)に亨和3年に遷座改築する。
       安政3年改築するが神社としての社格がなかったようである。
       明治8年村社と公称するが、明治13年鉄道開設のため境内地を
       止むなく手宮遊園地(現手宮2丁目鉄道官舎付近)に遷座され、
       明治27年9月高島郡手宮裡町32番地と番地を改められ、境内
       地は明治13年6月で644坪とあり氏子数は3,200戸余り
       であった。金刀比羅神社は、ご創祀年月日は不明であるが慶應元
       年5月焼失し、明治3年に再建されている。明治31年4月社殿
       外5棟を改築することになったが明治38年小樽繁栄よろしかる
       べきであるが、神社付近日夜喧噪にして神域神威を汚す恐れがあ
       るとして、浄応寺付近1,000坪を確保し郷社敷地用として名
       義を書き換え基本財産認可願いを提出。
       明治42年4月25日手宮の大火災に被災し、明治42年手宮公
       園隣接の北側にして高台清潔にして人家増殖の憂慮もなく小樽区
       内のことにてすばらしき処として現在地(福井県右近家)の土地
       を含めて購入し明治43年7月竣工遷座、金刀比羅神社は明治4
       3年9月に遷座された。明治45年例祭日を6月9日より三ケ日
       間と決定した。
       大正元年10月4日社名稲荷神社より小樽市稲荷神社と改称され
       た。
       大正8年6月神饌幣帛供進神社に指名され、昭和6年3月郷社に
       列格された。
       昭和21年宗教法人法により登記完了。昭和52年遷座70年記
       念の小樽稲荷神社営繕期成会を発足し昨53年事業完了奉告祭を
       執行された。」
       とあります。
       手宮厩稲荷神社は、小樽神社の跡地なようです。
  住  所:北海道小樽市手宮公園内
  電話番号:
  ひとこと:平成祭礼データ中に、
      「ヒョウガ崎(現古代文字崖上うんぬん)」という記述があります。
       この古代文字というのが、かなり面白い。
       北海道には、縄文壁画が残っている洞窟がなんと2箇所もありま
       す。
       平成16年まで工事中で今回残念ながら見学にいけなかった、
      「フゴッペ洞窟」
       小樽市の西隣。余市町にあります。

       そして、もう一つが、この稲荷のすぐ南にある、「手宮洞窟」な
       のです。

       おもしろいでしょう?

       社会科の授業で縄文時代は何年から何年までだと習いました?
       紀元前10000年から、紀元前600年ごろ、と習いましたよ
       ね。

       でも、これは、日本列島すべてにあてはまるわけじゃありません。

       だって、文明の担い手が、一時期に一度に日本列島中で発生する
       わけじゃありませんから。

       どこかに、文明の担い手がやってきて、そこから、南下する。北
       上する。そうやって文明は広がっていったのです。

       ですから、日本列島の北端(縄文初期・北海道と本州はまだ陸続
       きだったとか)である北海道に、縄文文化がやってくるのは、少
       し遅れます。
       大体、紀元前6000年ごろから、縄文土器が作られ始めたよう
       です。

       本州では、紀元前600年ごろから、弥生文明が華開きますが、
       北海道には、弥生時代はありません。
       紀元前500年ごろから、「続縄文時代」に突入します。
       そして、この手宮洞窟や、フゴッペ洞窟の壁画は、この続縄文時
       代に描かれたといわれているようです。

       オーストラリアは、昔大陸と地続きでしたが、次第に大陸から離
       れ、孤島(島というほど小さくはないけれど)となった為、有袋
       類という、オーストラリア独特の動物が生まれてきました。

       北海道は、昔、本州と地続きでしたが、海峡ができたため、本州
       と切り離され、そして、独自の文明が華開いたんじゃないでしょ
       うか。

       おもしろいな、と思うのは、壁画に描かれている人物像です。
       角らしきものがあったり、羽らしきものがあったり。

       これは、この辺りの人たちの祭りの場面を表していると言われて
       います。

       だとしたら、人々は祭で、つまり、神々との交信の場で、交信の
       為に、角をつけたり、羽をつけたりして、獣や鳥に擬しているの
       ですね。

       動物を神様のお使いとみなしたのでしょうか。それとも、動物自
       体が神様だったのでしょうか。

       さて、この稲荷の名前は、「厩稲荷」。
       小樽稲荷神社は、3度も遷座していますが、すべて、この洞窟の
       ある、手宮公園に近接していますね。

       もちろん、こじつけるつもりはないのですが、この壁画の祭祀の
       様子と稲荷・・・。

       ちょっと面白くなってしまいました。

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