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高龗(おかみ)神社・脇浜戎大社

wakihama




  祭  神:高龗(おかみ)大神・事代主命
  説  明:境内案内板を転記します。
      「海神である高おかみ大神を祭り、八大竜王社とも呼ばれる。創建は不明であるが、
       古来より雨の神として崇敬され、かんばつの年に祈れば必ず霊験があるとされてい
       る。
       当社の沖合八町(約800m)ほどの浅瀬に竹を立て、老若男女が雨乞い踊りを奉
       納したといわれる。
       脇浜戎大社は事代主命を祭り、『脇浜のえべっさん』として信仰を集めている。次
       の各社が当社に合祀されている。
       鹿島神社・八幡神社・大神社・市杵島神社・戎神社(以上脇浜より)。
       厳島神社・八坂神社・八坂神社・八品神社・菅原神社(以上畠中より)。
       嘉治穂神社・出口神社・鹿志摩神社(以上加治より)。
       八坂神社・春日神社・神前神社(延喜式内社)(以上神前より)」
  住  所:大阪府貝塚市脇浜3−34−1
  電話番号:0724−22−5598
  ひとこと:浅瀬に竹を立てて踊りを舞うという雨乞いの踊りにも興味を惹かれますが、私がこ
       の神社に参拝したのは、実は、この神社に合祀された「神前神社」について、よく
       知りたかったからなんです。

       いや、残念ながら、社務所はお留守でしたし、近所の方ともお会いできなかったん
       で、お話を伺うことはできなかったんですけどね〜(T_T)

       さて、なぜ、私が神前神社に関心を抱いたか。
       和漢三才図会のこんな一文が原因なんです。

      「神前神社 神崎村(貝塚市畠中)にある〔延喜式内に載る〕。
       今は畠中村領にあるという。俗に妙見と称する(祭神は少彦名か。現在は貝塚市脇
       浜の高おかみ神社に合祀)」

      「神前(崎)」で、「妙見」。
       そして御祭神はなぜか少彦名命。

       海の側ですから、海から寄り着いた神である少彦名命が祀られるのはわかるような
       気もしますが、それがなぜ、「妙見」??

       日本書紀の中の一節を思い出します。

       大己貴神と少彦名命が国土を造った後のことです。
      「その後、少彦名命が、出雲の熊野の岬に行かれて、ついに常世に去られた。また粟
       島へ行って、粟茎によじ登られ、弾かれて常世郷に行かれたともいう。これから後、
       国の中でまだ出来上がらない所を、大己貴命が一人でよく巡り造られた。ついに出
       雲国に至って、揚言していわれるのに『そもそも葦原中国は、もとから荒れて何も
       ない広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。けれども私が皆くだき
       伏せて、今は従わないという者はない』と。そして『今この国を治めるものはただ
       私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか』と。そ
       のとき不思議な光が海を照らして、忽然として浮かんでくるものがあった。『もし
       私がいなかったら、おまえはどうしてこの国を平げることができたろうか。私があ
       るからこそ、おまえは大きな国を造る手柄を立てることができたのだ』と。この時
       大己貴神は尋ねていわれるのに、『ではおまえは何者か』と。答えて『私はおまえ
       に幸いをもたらす不思議な魂・・・幸魂・奇魂・・・だ』と。」

       この後、この不思議な神は、大三輪に鎮座し、大三輪の神となるのですが。

       少彦名命が去った後、不思議な光と共に海からやってきた神。

      「私がいなければ国を造ることなんかできなかったでしょ?」
       と言った神。

       この神は、少彦名命と決して無関係ではないでしょう。
       少彦名命が変じた神か、もしくは、少彦名命自身か?

       そして、その神は光ながら海からやってくるのです。

      「妙見」とは星・・・北極星(北斗七星)のことです。

       ならば、少彦名命を「妙見」社で祀ることに不思議はありません。

       この辺りでは、少彦名命は、「星神」という認識があったのかもしれません。

       さて、それでは、
       少彦名命を「星神」という目で見ながら、彼の事蹟を追ってみましょう。

       まず、少彦名命は、父(母)親である、高(神)皇産霊神の手から零れ落ちたと
       されてますね。
       彼が星神だとしたら、どういう意味があるのでしょうか。

       高皇産霊神が「空」だとして、その子供達が「空の星」だとしたら、少彦名命は、
       流れ星ということになるのではないでしょうか。

       現在の私たちは、流れ星を見ると、「三回願い事を言わなくちゃ!」と、ウキウ
       キしますが、大己貴命の時代、流れ星はどのようなイメージがあったのでしょう。
       吉兆か?凶兆か?

       次に、少彦名命は、大己貴命と一緒に国土を造ります。
       これは、星に国土を形成する力があったと考えられてたということ?
       それはなんとなく考えづらい。

       ただ、国土が出来上がった後、大己貴命が、少彦名命に、
      「この国のできはどうだろう?」
       と聞いたということが日本書紀には出てきます。

       つまり、国土創造は、このような手順で行われたのかもしれません。
       少彦名命が助言をし、大己貴命が実際に国土を造る。
       少彦名命がまたそれを評価する。

       それならば、「未来を占うために星神の託宣があった」と理解できるでしょう。

       そして、退場。
       少彦名命は、粟島へ言って、粟茎に弾かれて常世の国へ行った。

       これまた不思議な退場ですが、その後、海から明るい星がやってくるのですね。

       これは、「神の再生」かも。
       
       ご存知の通り、「春の星座」「夏の星座」「秋の星座」「冬の星座」なんてのが
       ありますよね。

       春の星座は、夏の半ばになると海の下に消えてしまい、また次の春になると、海
       から昇ってくる。

       少彦名命の退場と再登場はこれを意味しているのではないでしょうか。

       としたら、少彦名命は、一年中見える星ではなかった。
       ・・・どうでしょう?

       同じ出雲を舞台とした神話に、「再生の物語」ではないか、と言われているもの
       が、もう一つあります。

       アメノワカヒコが死んだ後、そっくりな神が現れるのです。
       その名は、アジスキタカヒコネ。大己貴命の息子です。

       この神は、死人と間違われたことを怒って、喪屋を切り裂き、飛び去ってしまう
       のですが、やはり、「去ってしまう」というんですね。

       出雲では、「一旦去り」「またやってくる」者に、何か神聖なものを見ていた、
       そんな可能性があるかもしれません。

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