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兵主神社

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  祭  神:大己貴命 八千戈命 葦原醜男 大物主命 清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命 
  説  明:境内案内板を転載します。
      「創建
       宝亀五年(774)一月播磨掾を拝した岡本修理太夫は大和国岡本邑より当地
       に赴任し、延暦元年(782)正月当社附近の森地四町余を開き神社の造営に
       着手し、同三年甲子六月十四日、兵主神社を勧請す。
       氏子
       多可郡黒田庄町の内大字岡喜多大門津万井福地大伏及西脇市浦江の七大字を氏
       子地区とす。
       其他
       延喜式神名帳により延喜五年(905)式内社に指定。明治六年(1873)
       十一月郷社。対象八年十二月縣社指定され、昭和二十年終戦と共に社格廃止。
       昭和五十八年(1983)三月勧請千二百年祭執行。」
  住  所:兵庫県多可郡黒田庄町岡372−2
  電話番号:
  ひとこと:掾を漢辞海で調べてみると、「地方の長官に属した役人の通称」となってます。
       つまり、播磨掾とは「播磨地方の長官」と理解してよいでしょうか。

       播磨地方の長官であった岡本修理太夫が、(多分)自分の生れ故郷であった、
       大和国岡本邑より、兵主神社を勧請した。

       奈良県にある兵主神社といえば、奈良県桜井市にある「穴師坐兵主神社」しか
       思い当たらないのですが、桜井市に「岡本」という地名があったかどうか。

       手持ちの地図には、残念ながら「岡本」という地名はありませんでした。

       さて、御祭神を見てみましょう。
       大己貴命・八千戈命・葦原醜男・大物主命は、同神とされていますね。

       日本書紀 一書(第六)にはこうあります。
      「大国主神は、大物主神とも、また国作大己貴命ともいう。また葦原醜男ともい
       う。また八千戈神ともいう。また大国玉神ともいう。また顕国玉神ともいう。
       その子は皆で百八十一柱おいでになる」

       別名がいろいろあるのはよいとして、181人の子供??
       一度に6匹くらい産むわんちゃんでも、101匹が限度(?)だっつぅに・・・。
       やるねぇ・・・。

       ま、それはそれとしまして、一柱だけ、ここに名が挙がらない御祭神がおられ
       ます。

       その名は、清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命。
       ・・・聞いたことがあるような、ないような(笑)

       日本書紀 一書(第一)にはこう書かれています。
      「素戔鳴尊が、天から出雲の簸の川のほとりにお降りになった。そして稲田宮主
       の簀狭之八箇耳の娘、稲田姫をごらんになり、妻屋を建てて生んだ子を、清の
       湯山主、名は狭漏彦八嶋篠とつけた。あるいは清の繁名坂軽彦八嶋手命という。
       また清湯山主、名は狭漏八嶋野という。この神の五代の孫は大国主神である。」

       つまり、ご祭神の最初の四柱は同一神。
       そして、最後の一柱は、その五代祖先である・・・と。

       しかし、ちょっと待ってくださいよ。
       先代旧事本紀 巻第四「地祇本紀」にはこうあるんです。

      「乃ち、詔て曰はく『吾清々之』とのたまい彼處に建宮たまふ。時に其地より雲
       立騰る。因て御歌を作曰ふ。
       夜句茂多菟伊弩毛夜覇餓岐菟磨語(やくもたついづもやえがきつまご)
       味爾夜覇餓枳菟倶盧贈廼夜覇餓岐(メにやえがきつくるそのやえがき)
       廻(は)
       乃ち、相與遘合して妃と為し生所る児は大己貴神なり。
       亦名八嶋士奴美神、亦名は大国主神、亦名は清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠、亦
       名は清之繁名坂軽彦八嶋手命
       亦名は清之湯山主三名狭漏彦八嶋野。」

       と、なると。
       ここの御祭神は、みな同じ神様・・・ということになります。

       なんだか、あまりにも、「念が入りすぎている」という気になります。

       また、反対に、この神は、ざっとここだけ見ただけでも、十一の名を持つとい
       うのに、その中の五つだけを抽出したのはなぜでしょう?

       まぁ、八嶋士奴美神・清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠・清之繁名坂軽彦八嶋手命・
       清之湯山主三名狭漏彦八嶋野というお名前は、音的にも近いです。

      「のりちゃん」と呼ぶのか「のりたん」と呼ぶのか、「のりりん」と呼ぶのか、
       の違いと似たような感じ・・・とも思いますので、それでかもしれません。
       いや、のりたんとかのりりんという呼び方が恥ずかしいとかそういうことは、
       この際忘れてください。ただただ、「似てる」と言いたいだけですからね。

       しかし、大国玉神・顕国玉神の名は、「大国主神」と似てるといえば似てます
       が、「わざと外された」という感が、多少ではありますが、あります。

      「国玉」という御名に何があるのでしょうね?

       さて、「兵主」です。

       兵主神社と相撲には関係が深いんですよね。
       この神社にはその傾向は見えませんが、桜井市の穴師坐大兵主神社には土俵が
       あったりしますし。

       元祖力士といえば、野見宿禰公と當麻蹴速公。
       日本最初の相撲は、相手を殺すまで行われたわけで、當麻蹴速公は背骨を折ら
       れて亡くなってしまうんですけどね。

       この野見宿禰公は、埴輪を発明して、土師氏という氏を賜りました。
       道明寺の看板では、「土師氏は古墳造営を担った氏である」と説明されていま
       した。

       この土師氏がね・・・。一筋縄ではいかないんです。
       この土師氏の末流に、菅原氏や大江氏がいます。
       そう。菅原道真公は、「古墳造営軍団」の末裔なんです。

       菅原道真公が天下の祟り神とされたのは、彼の氏が、「死」に関わるものだっ
       たからだ、と私は思っているのですが・・・。

      「ひょうすべよ 約束せしを 忘るるな 川立ち男 氏は菅原」
       という歌がある、ということを教えていただいたんですよね。

       調べて見ると、京極夏彦氏の「塗仏の宴 宴の支度」に出てくるようです
        
       ひょうすべとは河童のこと。
       これが、「兵主部」から来てるなら??

       そもそも河童は相撲好きだとされています。

       土師氏と河童といえば、苦しいですがこういう話もあります。
       にしてつニュース「河童の住む川に」

       つまり、巨瀬川には、巨瀬入道という河童の総大将が棲むというのです。
       そして、巨瀬入道とは、なんと平清盛の化身なのだと。

       妻である二位尼という河童と出会うと大洪水が起きるという話も興味深い
       ですがね。
       やはり、「平清盛の化身」というところが、かな〜り面白い。

       なんとなれば、平氏は桓武天皇を源流とします。
       そして桓武天皇の母である高野新笠は土師氏。
       つま〜り、平清盛公は土師氏の流れを汲んでると、そういうことになりま
       す。

       と、言ってもね(^^ゞ
       土師氏の流れと、天皇家の流れとどっちが色濃いか、と言われたら後者で
       あろうような気もしますが・・・。

       ただ、土師(菅原)氏と河童とは、かなり強い関係があると言えるように
       思いますがいかがでしょう?

       河童といえば、川の神・川の精・川の妖怪。

       そして、川で泳ぐ子供達の「尻子玉」を抜いて溺れさせるという、タチの
       悪い・・・というには余りあるイタズラをします。
       言葉を変えれば、「川での死を司る」

       その上、相撲好き。

       土師氏の属性とも言える、「死を司る」「相撲」に、「川」を加えたのが
       河童の特性・・・か??

       この「川」という特性はどこからやってきたのでしょうか。

       もともと土師氏が、「川」と関係が深かったのか、それとも、川と関係の
       深い氏族と土師氏が手を組んで、それが、河童と表現されたのか。

       関西で、「相撲」と関係が深い土地があります。
       當麻と交野です。
       當麻は當麻蹴速公との関係が。
       交野は野見宿禰公が相撲に勝ったことにより賜った・・・と「片埜神社」
       のご由緒にありました。

       そして、この二つの土地にはまだ共通する点があります。
       それは、「七夕」。
       當麻には、「七夕神社」がありますし、交野市は七夕伝説発祥の地とされ
       ています。

       御伽草子の七夕物語は、川の精と関係が深いです。

       この場合川の精(主)は蛇ですが・・・。
       どうも、土師氏・河童は、相撲・川・死などのキーワードで深く関係して
       いるようではあります。

       そして・・・。
       河童と兵主に関係がある、とするとですね。

       御祭神の中に、大国主神の別名である、「大国玉神」「顕国玉神」が抜か
       れている理由はわかるかもしれません。

       つまり・・・。

      「(尻子)玉」は抜かれちゃうのさ〜〜・・・・・・


       ・・・・・・・・・・

       ・・・・・・・・・・ 

       ・・・・・・・・・・すいません・・・・・・・・・・

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