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伊香具神社

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  祭  神:伊香津臣命 
  説  明:境内案内板を転載します。
      「御祭神『伊香津臣命』は天児屋根命第七代孫であり、この神様が当伊香郡開発
       の始祖として、この地に祭られたのは、伊香郡が古代豪族伊香連の根拠地であ
       った故と思われる。
      『近江風土記』に収録された羽衣伝説では、伊香刀美という人が伊香小江で水浴
       していた天女と夫婦になり、四人の神々をもうけたと伝えているが、この伊香
       刀美こそ『伊香津臣命』と同一でないかと思われる。
       その後九世紀後半に、当神社神官伊香厚行が菅原道真公との親交深く、貫平七
       年(895年)には、菅公自筆の法華経、金光明経が奉納され、同時に宇多天
       皇より『正一位勲一等大社大明神』の勅額を贈った。そして、伊香郡四十六座
       中の大社(延喜式内社)として明神大社に列せられた。
       のち、建武三年(1336年)、足利尊氏が朱印状を寄せて正月、五月、九月
       の年三回、国の平安を祈る祈祷を依頼した。しかしながら織田信長が天下を支
       配するや、その領地は没収され、更に賤ケ岳の戦で社殿、宝物等はことごとく
       焼失した。
       当社正面の鳥居は三輪式と厳島式を組み合わせた独特の形式で、かつてこのあ
       たりまで入江であったことを示すものである。また背後の山は伊香山と呼ばれ、
       中腹の大岩のかげに天児屋根命を祭る祠が鎮座している。」
      「当社の祭神は天児屋根命五世の孫伊香具臣命にして創立は天武天皇白鳳十年以
       前なり。
       古伝に、当社祭神始めてこの地に来たり給うや田園未だ開けず国群と別れず困
       って子孫に告げて曰く、吾天児屋根命の命を伝えて皇孫に侍従し、久しく宝器
       を守る。尚この地に止りて永く属類を守るべしと。是により号して伊香郡と言
       うと。蓋し当社の起源古きを知るべし。延喜式明神大社にして往古より伊香大
       社を称し実に当郡の総社たり。
       されば歴代の御叡信篤く、特に門無天皇慶雲二年神地千石を賜い、清和天皇貞
       観元年三月従四位下、当閏三月従四位上を授けられ、宇多天皇寛平七年菅原道
       真公の奉遷に依って正一位勲一等大社大明神の菅公自筆の勅願を賜い、また菅
       公も当社を崇敬し、自ら法華経金光明経を書して寛蔵に納むと。建長三年九月
       大社の鐘を鋳し、建武三年十一月足利尊氏朱印二百石を寄せ、毎年正五九の祈
       祷を行う。この祭、今に伝わる。当時の隆盛察するに余りありというべし。然
       るに星霜移りて元亀中、織田信長社領地を没収し、天正十一年賤岳の兵火に罹
       りて祠廟旧記多く烏有に帰せしも、慶長十三年社殿の再建、寛永十三年神宮寺
       の造営あり。正徳年中漸く旧態に復す。現境内は実に千五百八十七坪にして背
       後の香具山には奥の宮天児屋根命鎮座し、老樹鬱茂森森たり。明治九年十月郷
       社当三十二年十月縣社に加列す。
       当社例祭は醍醐天皇昌泰二年初めて四月二十四日に勅定せられし後歴し来りし
       が、旧幕の頃より四月六日に変更し以って今日に至る。」
  住  所:滋賀県伊香郡木之本町大音688
  電話番号:
  ひとこと:というわけで、この神社は、天羽衣伝説と深い関わりがあります。

       余呉町役場で購入した「天女伝説のふる里」という冊子によりますと、
       余呉湖に伝わる羽衣伝説は、四つの資料に記されているようです。
       すなわち、

       1.雑話集
       2.日本地誌体系
       3.天神社縁起
       4.桐畠太夫縁起

       この4つの物語のうち、雑話集を除く三つまでが、天女の産んだ子供こそが、
       後の菅原道真公であるとしています。

       例えば、桐畠太夫縁起ではこう記されています。

      「(天女が空に帰ったので桐畠太夫は天女を追って天に昇り、稚児を捨てていっ
       た、 その後)その時三歳に成る稚児岩の上に置捨られる。流石有徳の人の仰
       である。その子の泣声は経文の響ありと菅山寺真寂坊阿闍梨尊元和尚聞わけ給
       う不思議なことあり、人をもって尋ねられるに果して其子泣居。哀成かなと忽
       抱上寺に帰る。右岩の名を泣岩と云う。湖水六七町北西方にあり。伝えによる
       と尊元和尚童子の清き姿を見、これただの人にあらずと喜び可愛がり育て給う
       五歳の春、鶯の声を聞き謡う。その後菅原是善卿、菅山寺に登らんと欲し、光
       る余呉の湖水を望み見、即ち歌って云
        余呉の湖来つつなれけん乙女子が
           天の羽衣 干しつらんやは
       それより菅山寺に登り宿留あって、太夫の童子を見たまう。
       その容姿の立派なこと人に秀れている。是善卿尊元和尚に云。この子を養子と
       なし都へ伴なって帰り給う次第に成鳥するに随い智徳を増し(後略)」

       つまり、天女がこの地の男と結婚して子供を生んで後、天に帰り、子供は捨て
       られるわけです。

       その子の泣き声に経の響きがあると拾ったのが、菅山寺の尊元和尚。

       菅山寺でその子を見て、養子にしたのが、菅原是善卿。

       というわけです。

       羽衣天女の伝承は、駿河美保が有名ですし、沖縄にも「銘刈子」という伝承が
       残っていたりして、全国的に残る物語のようです。

       が、その子供が菅原道真公であるとするのは、この余呉だけでしょう。

       ただ、その理由としては、この神社の由緒にある、

      「当神社神官伊香厚行が菅原道真公との親交深く」

       が鍵なんでしょうね。
       菅公死後、菅公を哀れむ感情は、民衆のうちにかなり根強かったようですから。

       とはいえ、菅公が、菅原是善卿の実子でなかったとされているのは、興味深い
       ところです。

      「神道集」にある、「北野天神の事」と題された物語の中でも、菅原道真公は、
       是善卿の実子ではないとしているのです。

       平凡社の「神道集」から、少し引用してみましょう。

      「さて菅相院というのは菅原の院のことである。菅原の院とは菅相公是善の家で
       ある。
       その相公がまだ在世当時のことであった。南庭に五、六歳くらいになる子供が
       歩いてゆくのを、相公、ご覧になって、近寄って見ると、容貌美麗、おそらく
       只者ではあるまい、と想像された。
      「そなたはどういう方ですか。なぜここへ来て遊んでいるのです?」
       と尋ねると、この子は、
      「どこといって決まった住居もありません。父もないし、母もいません。相公さ
       まを父親にいたしたいと思います」
       と答える。それを聞いた相公は、くり返し喜んで抱きしめ、あれこれと存分に
       歓待するのであった。」

       菅原道真公とはどういう人物なのでしょうね。

       菅原氏は、土師氏の末裔です。
       土師氏は力士の元祖である野見宿禰公を祖とする氏で、古墳を造営する技術者
       軍団であったとも言われます。

       河内観心寺には、大江時親公が楠木正成公に兵法を教えたという寺伝が残って
       いるということで、寺務所の方に尋ねたら、
      「土師氏は兵法の大家ですから」
       となにごともないように教えられました。
       大江氏も土師氏の末裔なんです。

       古墳の造営・・・つまり、死の秘密を握る兵法の大家。
       それが、土師氏だとも言えるかもしれません。

       そんな土師氏が生んだ、多分、最高の有名人。
       それが菅原道真公なのです。

       さて、話しは変わります。

       伊香津臣命は、この地を根拠とする豪族の祖である、とご由緒では説明されて
       います。

       そして、天児屋根命を祖とした、と。
       天児屋根命は藤原氏の始祖。
       つまり、由緒の通りで考えると、伊香津臣命は藤原氏の流れにいたことになり
       ます。

       また、摂社である「一ノ宮」には、天押雲根命が祭られていました。
       天押雲根命といえば、春日大社の御祭りで祭祀される神様。
       天児屋根命の御子神である、と説明されています。
       暗闇で行われる神渡りの祭りは、謎に包まれていて、興味を持つ方が多いです
       よね。

       でも、不思議です。

       菅原道真公が朝廷一の賢者でありながら、生前右大臣にまでしかなれなかった
       のは、藤原氏ではなかったからだと言われます。

       道真公が太宰府に左遷されたのは、藤原時平の讒言がもとでした。

       つまり、道真公と藤原氏のそりは悪かったはずです。

       なのに、藤原氏を祭る神社の神官と親しいとは・・・。

       伊香津臣命は本当に、天児屋根命の末裔なのでしょうか?
       そして、天押雲根命は?

       そしてなによりも。

       天から降りてきて、天へ戻っていった天女とは。

       一体なんなのでしょうね。       

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