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生根神社

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  祭  神:少名彦命
  説  明:ご由緒を転載します。
      「当社の御創立は不詳なるも住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉祀せられて居り
      (日本書紀では一九〇〇年前)延喜式の神名帳(約千三百年前に制定)においても
       当時の式内官幣大社に列し年四度の官幣に預るとあり。古来有名大社であった文
       献にも多く残っている。特に豊臣時代には淀君の崇敬社にて片桐東市正勝元が奉
       行して現存の御本殿が寄進されている(現大阪府重文、文部省重文申請中)。徳
       川時代においても、徳川綱吉将軍が修理を奉幣している。(住吉大社造営記)古
       来住吉郷の郷社だったが、徳川時代に神宮寺と倶に住吉大社の管理下に入り、後
       明治五年元の如く(住吉郷現住吉区全体)の郷社に戻り、現在においては上記の
       氏子区域の氏神様として多くの参拝がある。       
       又別名「奥の天神」名は住吉大社の奥の天満宮を称したとも云われ、一節には沖
       の天津神(少彦名命)から出た名称(筧博士の説)とも云われている。
       更らに古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であるため、神功皇后も当社で酒を造
       り住吉三神に献ぜられたとあり、「酒祝(さかほがい)の歌」というのが後世ま
       で残って居て当社では春の淡島祭を甘酒祭りと称して郷土の人々が親しんで来て
       いるのもその一つの実証と思考される。もともと薬の祖神である関係上、古来住
       吉の淡島明神との別名のもとに信仰者多く、現在においても四月第一日曜に淡島
       祭を行っている。」
  住  所:大阪府大阪市住吉区住吉2−3−15
  電話番号:
  ひとこと:ご由緒を見れば分かるように、ご祭神・少彦名命は、「淡島様」とも呼ばれてい
       ます。

       また、全国各地にある「淡島神社」の御祭神は、少彦名命であることが多いよう
       に見受けます。
       その理由の一つとして、日本書紀では、少彦名命は、「粟島」にある粟の穂に弾
       かれて、常世の国へと旅立った・・・とされていることが考えられます。

       つまり、「粟島」が「淡島」に転訛したんじゃないかな、というわけです。

       そして、「少彦名命=淡島様」は、妙に、「住吉明神」とご縁が深いのです。

       まずは、ご由緒にもあるように、神功皇后のお酒を通じての繋がりです。
       日本書紀、神功皇后紀には、こうあります。

      「十三年春二月八日、武内宿禰に命じて皇太子に従わせ、敦賀の笥飯(けひ)大神
       にお参りさせられた。十七日、太子は敦賀から還られた。この日、皇太后は太子
       のため、大殿で大宴会を催された。皇太后は盃をささげて、お祝いのことばをの
       べられた。そして歌っていわれるのに、
       コノミキハ、ワガミキナラズ、トコヨニイマス、イハタタス、スクナミカミノ
       トヨホキ ホキモトヘシ カムホキ ホキクルホシ マツリコシミキソ 
       アサズヲッセササ。
       と。武内宿禰が太子のために返歌をお作りして歌った。
       コノミキヲ カミケムヒトハ ソノツツミ ウスニタテテ ウタヒツツ
       カミケメカモ コノミキノ アヤニウタタノシササ。」

       最初の歌は、
      「この神酒は私だけのお酒ではない。神酒の司で常世の国におられる少御神が、側
       で歌舞に狂って醸して天皇に献上してきた酒である。さあさあ残さずにお飲みな
       さい。」
       次の歌は、
      「この神酒を醸した人は、その鼓を臼のように立てて、歌いながら醸したからであ
       ろう。この神酒の何とも言えずおいしいことよ。」
       という訳がついてますが、なんかどう目出度いのかようわかりませんな(^^ゞ

       まぁ、つまり、多分、神功皇后は、少彦名命の「神懸り」によって(神懸かる時
       って、巫女さんも歌い踊りますよね・・・ってこじつけかなぁ)お酒を醸した、
       と。

       そして、この神社のご由緒によれば、そのお酒は、住吉三神に献ぜられたと。

       住吉三神と神功皇后のご縁は深いですからね。

       また、淡島神社を出自とする「淡島願人」の祭文があります。
       江戸時代の随筆集「続飛鳥川」に祭文が載っているようですが、私はこの随筆を
       持っていません。
       ただ、柏書房の「日本の神様読み解き事典」によれば、祭文の内容は、次の通り。

      「淡島明神、鈴をふる願人、天照皇大神第六番目の姫君にてわたり給ふ。御年十六
       歳の春の頃、住吉の一の后そなはらせ給ふ神の御身にも、うるさい病をうけさせ
       給ふ。綾の巻物、十二の神楽をとりそへ、うつろ船にのせ、さかひは七度の浜よ
       り流され給ふ。あくる日三月三日淡島に着き給ふ。巻物を取り出し、ひな形をき
       ざませ給ふ。雛遊びのはじまり、丑寅の御方は針さしそまつにせぬ供養、御本地
       は福一まんこくぞう。紀州なぎさの郡加太淡島大明神、神体堅固の願、折針をや
       る」
 
       御本地が、「福一まんこくぞう」ってなに(^^ゞ??
       淡島様は婦人病快癒のご霊験があらたかだけど・・・、「まんこ」??
       え〜〜っ!?

       ま・・・まぁ、とりあえず、この内容を見るに、「淡島様」は「住吉明神」の一
       の后であったことがわかります。

       そして、最後に。
       御伽草子の一寸法師のモデル(?)は、少彦名命と言われてますよね。
       実は、この一寸法師。住吉明神の申し子なんです。

       御伽草子「一寸法師」のさわりを転記しましょう。
      「中ごろのことなるに、津の国難波の里に、おほぢとうばと侍り。うば四十に及ぶ
       まで子のなきことを悲しみ、住吉に参り、なき子を祈り申すに、大明神あはれと
       おぼしめして、四十一と申すに、ただならずとなりぬれば、おほぢ喜び限りなし。
       やがて十月と申すに、いつくしき男子をまうけけり。」

       この男子が一寸法師なわけですね。

       ですから、この生根神社が、住吉大社のすぐそばに鎮座しているのには、きっと
       深い意味があるのでしょうね。

       ただ、その関係は、

       1.住吉神に捧げる酒を作ったのが、生根神。
       2.住吉神の妻が淡島(生根)神。
       3.生根神が住吉神の申し子。

       と、バラバラです。

       また、生根(淡島)神の性別も、どうやらバラバラです。
       2は、女性ですよね。
       3の一寸法師は、お姫様を奥さんにしてますから、男性でしょう。
       問題は、1です。
       男性でも女性でも良いのですが、神功皇后との関連から、女性ではないかと思い
       ます。

       というのも・・・実は、少彦名命(淡島様)と神功皇后にも共通点がえろ〜多い
       んですよ。

       これまた
       1.うつろ舟で流される
       2.酒(薬)造り
       3.女性病

       1.うつろ舟について。
       少彦名命は、がが芋で出来た船で流れてきたところを大己貴命に拾われました。
       がが芋の船とはいろいろ考えられますが、芋の皮で包まれた、うつろ舟ではない
       か、と思うのと、淡島様は、もろにうつろ舟で流されてますよね。

       神功皇后は、「椎賢比丘筆記」によると、
      「震旦国陳大王の娘たる大比留女。七歳でご懐妊。父王怖畏をなし。汝等未だ幼少
       也。誰人子有慥かに申すべしと仰せければ。我夢で朝日の光が胸を覆った所、娠
       也と申し給えば。皆驚いて。御誕生の皇子ともども空船に乗せられ、流れ着いた
       所を領とし給えとて大海に浮かべられ奉る。」
       と、空船に乗せられて流されているのです。

       2.酒造りについては、先に引用した日本書紀でわかりますよね。

       3.女性病について。
       淡島様は、「うるさい病をうけ」とありますが、これは「女性病」のことのよう
       です。
       また、神功皇后は、「妊娠」で苦労をしています。
       先の「椎賢比丘筆記」でも、父のない子を生んでいますよね。
       そして、日本書紀の神功皇后でも、遠征中に産気づき、鎮懐石で鎮めたという話
       が出てきます。

       つまり、住吉神・少彦名(淡島)神・神功皇后には、ただならぬ関係がありそう
       です。
       ではどんな関係なのかといわれると、かなり複雑そうなんですが(^^ゞ

       ただ、この三者の中で、少彦名命だけが、関係深い「神」もいます。

       それは・・・。
       菅原道真公です。

       というのも、「天神」繋がりです。

       現在「天神」といえば、菅原道真公ですが、菅原道真公が祀られる前、「天神」
       として、少彦名命を祀っていた・・・と思われる神社が散見されるんです。
       
       すぐ思いつくだけでも、
       露天神社・五條天神社・桑津天神社などなど。

       なぜでしょう?
       少彦名命は、神産霊(高産霊)神の手から「零れ落ちた」神です。
       天から零れ落ちた、というところが、「雷」を連想させるのかもしれません。
       それに、天津神系であることは間違いありませんから、「天神」でいいんですが、
       数ある天神の中から、なぜ、少彦名命なのか。

       本当に、少彦名命には謎が多いんです。

       菅原道真公といえば、祟り神の筆頭ですよね。
       その「大いなる祟り神」と、なぜ少彦名命は同一視されるのか。

       一つ面白い話があります。
      「民間信仰共同研究会」の報告書を読んでいると、
       菅原道真公には、「鼓説話」が残されているとありました。
       つまり、菅原道真公が、藤原時平と、他の一人の男性に挟まれていると、鼓の
       ようだ、とからかわれたというのです。
       つまり、菅原道真公は、「小男」ということです。

       少彦名命は手のひらから零れるほど小さな神。
       菅原道真公とは、「小男」という共通点もあるわけなんですよね。

       そして、淡島様の伝承を見るに、淡島様は、「不遇の女性」です。
       罪はないのに、「流されて」しまったという説話は、
       無実の罪で、太宰府に左遷された菅原道真公とも重なりますね。

       少彦名命は、そのひょうきんな雰囲気とは裏腹に、なにやら、水底深くに、
       大きな秘密を抱いていそうな神様なのです。

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