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相楽神社

saganakaku




  祭  神:足仲彦命(仲哀天皇) 誉田別命(応神天皇) 気長足姫命(神功皇后)
  説  明:境内案内板を転載します。
      「相楽神社は、北ノ庄区・大里区・曽根山区(旧相楽村)の産土神として古くから
       祀られてきた社です。近世までは単に八幡宮と呼ばれていましたが、明治に至っ
       て、平安時代の法典『延喜式』に記された『相楽神社』に定められ、現在の名と
       なりました。
       相楽神社本殿 三間社流造 檜皮葺 室町時代初期
       身舎正面の蛙股の藤唐草・透彫の欄間、妻飾の組物など見るべきものが多くあり
       重要文化財に指定されています。
       末社若宮神社本殿 一間社春日造 檜皮葺 室町時代後期
       各所に古様なつくりが残されており、府登録有形文化財になっています。
       相楽の御田と正月行事
       相楽神社に伝わる年頭の宮座の行事で、月々の降水量を占う『豆焼』(一月十四
       日)、早稲・中稲・晩稲の作柄を占う粥占と稲作の過程を模して豊作を祈る御田
      (十月五日)、竹串に多くの餅を差して花に見立てたものを奉納する餅花(二月一
       日)、年間降水量を占う水試(旧暦一月十五日)などがあります。これらの正月
       行事には中世的な宮座祭祀のあり方がよく残されており、府指定無形文化財に指
       定されています。
       多くの貴重な文化財がある当社は、周囲の環境を変えることなく将来に伝えてい
       るため、境内一帯が京都府文化財環境保全地区になっています。」
  住  所:京都府相楽郡木津町大字相楽小字清水
  電話番号:
  ひとこと:神社のご由緒は、詳しくわからなくて残念なのですが、初めて聞くようなお祭を
       伝えている神社なのですね。

       餅花というのは、お正月に、竹ひごなんかに縁起物を差した飾り物を想起させま
       す。
       しかし、なんといっても、この神社のお祭は、「降水量を占う」ことが重要事項
       なのだということが知れますよね。

       年間の降水量を占い、その上で、月々の降水量を占う。

       つまり、それだけこの辺りでは、農業が盛んだったのではないでしょうか。
       その「農業」の守護神であるこの神社に、「武勲の守護神」であるところの、八
       幡大神(誉田別命)一家が祀られている、というのはちょっと意外です。

       ご祭神でちょっと珍しいといえば、このご祭神のトップに仲哀天皇の名があがっ
       ていることもあげられますね(笑) 

       仲哀天皇は神功皇后の父親であり、応神天皇のお父さん。
      「父・子・母」の順番で神名があげられています。
 
       普通の家族ならば、「父・子・母」の順番で祀られることはさほど珍しくもない
       んですけどね(^^ゞ

       まぁ、現代の女権論者から見ると「なんで母親が最後なのよ!」と言う文句も出
       るかもしれませんが、ちょっと前までは、女性は、「女三界に家なし」などと言
       われて、若い時は夫に従い、老いては子に従うものだ、な〜んて考えられていた
       わけです。

       私はもちろん、その考えに賛成しません(~_~)
       ただ、
      「ちょっと以前までそういう考え方をされていた」
       わけですね。

       リベラリストの狐狸庵先生のエッセーを読んでいたら、
      「女には自分を表現する手段が少ない、と女権論者達は目を尖らせるが、私の母は、
       私を育て、私に自己表現させることで、自分を立派に表現した。女にはそういう
       方法があるじゃないか。」
       という意味のことを書いておられて、
      「とほほほほ〜〜〜」
       と思ったもんです。
       まぁ、狐狸庵先生のお母様はそれで満足してらっしゃったのかもしれないし、そ
       のことは素晴らしいと思うんですけどね(笑)
      「うちの母は満足してたんだから、あんた達も満足しろ」
       つぅのは、かなり乱暴。
       でも、そういう乱暴な意見が、ほんの少し前まで、「リベラリスト」の口から発
       せられて不自然ではなかったのです。

       ・・・とまぁ、話はまたまた逸れましたが、つまり、このご祭神の順番は、古き
       固きちょっと前までの日本の名残が伺えるわけです(ほんまかいな)。

       しかし・・・。

       母が最後に来る理由として、「古き日本の名残」を考えられる、というのは、
       アリ
       とします。

       でも、応神天皇がトップに来ない、というのは、ほんと、珍しいんですよ。

       なにしろ、応神天皇=八幡大神。
       応神天皇は、いつも主役なんです。

       言ってみれば、北島さぶちゃんを差し置いて、歌手の小金沢くんが紅白のトリを
       勤めるような、なんつぅか、そういう不自然さを感じるのですが・・・。
      (この記事をアップしたのは、2005年です。念のため)

       もしかしたら、仲哀天皇をトップにしたのは、ただ単に「父親だから」だけでは
       ないのかもしれません。

       というのは・・・。
       古事記にはこんな記事があるんです。
      「皇后の息長帯比売の命は神懸かりをなさった方でありました。天皇が筑紫の香椎
       宮においでになって熊曾の国を撃とうとなさいます時に、天皇が琴をお弾きにな
       り、建内の宿禰が祭の庭にいて神の仰せを伺いました。ここに皇后に神懸りして
       神様がお教えなさいましたことは、『西の方に国があります。金銀をはじめ目の
       輝くたくさんの宝物がその国に多くあるが、わたしが今その国をお授け申そう』
       と仰せられました。しかるに天皇がお答え申されるには、『高いところに登って
       西の方を見ても、国が見えないで、ただ大海のみだ』と言われて、いつわりをす
       る神だとお思いになって、お琴を押し退けてお弾きにならず黙っておいでになり
       ました。そこで神様がたいへんお怒りになって『すべてこの国はあなたの治むべ
       き国ではないのだ。あなたは一本道にお進みなさい』と仰せられました。そこで
       建内の宿禰が申しますには『おそれ多いことです。陛下、やはりそのお琴をお弾
       き遊ばせ』と申しました。そこで少しその琴をお寄せになってしぶしぶとお弾き
       になっておいでになったところ、間もなく琴の音が聞こえなくなりました。そこ
       で火を点して見ますと、既にお隠れになっていました。」

       つまり、「神のお告げ」を聞くにあたって、仲哀天皇の琴は非常に重要な役割を
       果たしていた、ということです。

       神のお告げを聞くという場面を映画などで見ると、
       巫女さんが榊を持ち、結界の中で手を上げ、手を下げ、舞い祈り、昏倒して神懸
       かる・・・という感じに描かれていることが多いように思うんですが、実際には
       どうだったんでしょうね。

       少なくとも、仲哀天皇の時代には、琴は必要だったようです。
       琴というか、音楽ですね。
       美しい音楽を愛するのは人間だけじゃない、ということなのでしょう。
       そこで琴を奏でた仲哀天皇は、きっと琴の名手だったのでしょう。

       この神社のお祭も、見たとおり、「神からの託宣」を承る祭り(つまり占い)が
       非常に多い。

       だから、仲哀天皇がトップに祀られている・・・というのは、考えすぎでしょう
       ね(笑)

       しかしまぁ、この神社の占い神事で、美しい音楽が聞こえたら・・・。
       それは、きっと仲哀天皇を忍ばせるものなのでしょう。きっと。

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