祭 神:少彦名命 説 明:境内にあった案内板を転載します。 「信仰 海神・航海・漁業・農業・医術医薬・厄祓いの神様トシテ 由緒 記紀ニ云ク『大国主命、少彦名命ト中津国終始シテ後熊野ノ岬ヨリ常世ノ国 ニ戻リ給フ』ト。十二代景行天皇二十八年、当地静之窟ニ少彦名命を始メテ 勧請祭祀ヲ始メタト伝エル」 住 所:和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2881 電話番号:0735−62−0919 ひとこと:いろいろとお話を聞いてみたかったのですが、参拝時、神社は無人で、宮司 さんのお宅も御留守でした。 この神社のある「潮岬」は、二つの地区からなっており、西側が、「潮岬」 そして、東側が、「出雲」といいます。 この出雲地区に鎮座する神社の名は、「朝貴神社」。 ご祭神は、大己貴命です。 また、この潮御崎神社は、岬の西端にあり、なおかつ、本州最南端の地でも あるのです。 つまり、西側から黒潮に乗ってやってきた人々が最初に到着するのがこの地 である可能性がとても高いということですよね。 伝承では、少彦名命は、出雲の熊野から常世に旅立ったとされています。 この、出雲の熊野と、この潮岬には、何か関係があるのでしょうか? しかし、ここは、西の浜。流れ去る場所というよりは、流れ寄る場所ではな いかという気もするのですが。 さて、私が個人的にとても気になるのが、「静之窟」です。読み方は、「し ずのいわや」でよいでしょう。 同名の地名が、やはり島根県にあります。 そこで、大国主命と少彦名命が、国造りの相談をしたという伝承が残ります から、ご祭神である、少彦名命とはご縁の深い場所。 ですから、少彦名命を勧請するにあたって、静之窟という土地を選ぶのは、 不思議なことではありません。 ただ、それならばなぜ、大国主命は無視されたんでしょうか。 熊野の岬から常世に去ったのは、たしかに、少彦名命だけですが・・・。 そして、実は、私には、もう一つ気になることがあります。 それは、「静」という名称です。 「静」、「しず」ですね。 「しず」という音は、いろいろな漢字に変換されます。 「静」「鎮」そして、「賤」。 「賤女」と書いて、「しずめ」と読んだりしますね。 最初の二つはほぼ似たような意味でしょう。 漢辞海で「静」をひくと、 「ア.動きを止める。動かない状態を続ける。イ.やすめる。落ち着き安定す る。」 となっています。 「鎮」は、 「ア.(ものに圧力をかけて)おさえる。イ.(怖れさせて)おさえつける」 つまり、「鎮」は、なんらかの圧力をかけた上で、「静」な状態にすること と言って良いのではないでしょうか。 では、「賤」の意味は? 「1.値段が安い。2.地位や身分が低い」 とあります。 これだけは、毛色が違う。 しかし、少彦名命という神を介すると、きれいにおさまるような気がするの です・・・。 少彦名命は、国を作った神。つまり、「国」を鎮めて、静かにした神です。 そして、そもそも、この神は、天上にいる親神(高産霊神・神産巣神)の手 のひらから、「こぼれおちた」神です。 「零落」した神・・・そこに、「賤」という文字を重ね合わせてしまうのは、 少し乱暴でしょうか? さて、「静」の反対は、「荒」でしょう。 神には、「荒魂」「和魂」「幸魂」「奇魂」という4つの働きがあるとされ ています。 「荒魂」という語感から、「怒り、祟る魂」という意味に誤解されることもあ るようですが、決してそうではありません。 一般的には、神の活動がいきいきと活発となっている様を、「荒魂」と表現 されるようです。 大辞林で見ると、それに対して「和魂」は、静かで平和をつかさどると、さ れています。 つまり、どちらも、神のありがたい側面の一つなんです。 そうすると、「荒」という言葉の意味は、今現在のイメージと変わってくる わけなんです。 つまり、「荒」とは、どう変化するかわからない状態です。 活発に動いていて、それが正となるか邪となるか、善となるか悪となるか、 定まっていない状態。だけど、力は強い。 「静」とは、「正」「善」の形に落ち着いた状態。 そうも解釈できると思うのです。 そして、少彦名命は、国造り、つまり、「鎮」を成し遂げた神だから、「荒」 を、「静」に押えつけることができると考えられた。 そうは考えられないでしょうか。 本当のところはわかりません。 ただ、潮から社殿を守るためでしょう。 この神社は、四方を石垣で守らていました。 この社地に立って目を閉じると、荒い波の音が聞こえてきます。 ふと上を見ると、強い南国の日差しが。 何か、とてつもなく強大な力がここにある。 そんな気がしてならなかったのです。