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高須神社

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  祭  神:豊受大神 猿田彦命 大宮姫命 大物主命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「慶長14(1609)年、鉄砲鍛冶芝辻利右衛門は、徳川家康から鉄張の大砲を作る事を命ぜられ、
       銃身一丈(約3m)、口径一尺三寸(約39cm)、砲弾重さ一貫五百匁(約5.6kg)の大砲を作り
       まhした。これは、わが国で作られた最初の鉄製大型大砲でした。
       その後、慶長19(1614)年の大坂冬の陣のときにも、1000挺の鉄砲を急いで製造するようにと
       いう徳川家康からの命に応え、その功労により、元和元(1615)年高須の地(当神社付近)を
       賜りました。
       芝辻家は、自らと堺の鉄砲鍛冶の繁栄を願って、この地に稲荷明神を勧請して当神社を建てま
       した。豊受大神・猿田彦命・大宮姫命・大物主命を祀っています」
  住  所:大阪府堺市堺区北半町東3‐5
  電話番号:
  ひとこと:この地には以前、高須遊郭があったようです。
       ここからまだもう少し南には、乳守遊郭もありました。
       堺は昔から港町でしたから、旅人を癒す歓楽街があったのでしょう。
       
       遊女と言うと現代では悲しい女性のように考えられがちですが、中世ではそうでもありません。
       高貴な上人を心服させた遊女もたくさんいます。
       その一人である地獄太夫はここ、高須の遊女だったとか。
       その肝っ玉ぶりに、一休禅師は、
      「聞きしより見て恐ろしき地獄かな」
       と、感嘆したと伝わります。
       むちゃくちゃお酒が強かったそうですよ(笑)
       
       乳守遊郭といえば、住吉大社と深い関係があります。
       神功皇后が三韓から帰国の折、道中を守護してくれた海神を住吉で降ろして祀りました。
       そして神田を寿ぐ神女を長門から呼び寄せるのですが、彼女たちは田を寿ぎつつも、高須で春
       を鬻いだのです。
       
       神を歓待するのなら、神女です。
       では神とは何か。
       貴き存在を神とするのならば、貴人の愛人もまた、神女と言えるかもしれません。
       遠方から冨を携えてやってくる旅人の一晩を慰める遊女もまた、神女だったのかも。
       
       義仲忌に、巴御前のことを考えていまして、
      「あれ?巴御前って白拍子なんだっけか?」
       と思ったもので、お参りしてみました。
      「御前」は女性への尊称ですが、名前に御前をつけて呼ばれる白拍子以外の女性って、誰かいま
       したっけ?
       
       巴御前が実在したかどうかはわかりませんが、義仲とは乳兄弟だったとも言われます。
       そうであるならば、彼女は兄のをなり神、守護神でもあったはず。
       
       女って、すごいよね。

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