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田村神社

tamura




  祭  神:坂上大宿禰田村麻呂公 倭姫命 嵯峨天皇 大己貴命 國狹槌尊 大山咋神 
  説  明:ご由緒を転載します。
      「祭神及鎮座由来
       本神社は坂上大宿禰田村麻呂公倭姫命外数神を配祀し奉る。弘仁三年正月嵯峨天
       皇勅して坂上田村麻呂公由縁の地土山に鎮祭せられ勅願所に列せられる。実に本
       社の地は江勢の国境鈴鹿参道の咽喉を占め都より参宮の要衝に当る。古伝鈴鹿山
       中に悪鬼ありて旅人を悩ます、勅して公を派して之討伐せしめられ其の害初めて
       止むと、されば数多の行旅の為め其の障害を除き一路平安を保たしめ給う公の遺
       徳を仰ぎてここに祀らる。誠に御神徳の深遠に亘るものというべきであります。
       厄落としの由来
       田村大神ある夜夢の中に申し給うに、いかに悪しき年に当るとも諸々の災難を除
       かんには社殿前を流るる御手洗川に節分の福豆を己が年の数東に向い祈念をこめ
       て流さば凡ての禍は流れ去るとぞ、之より厄落としとて己が厄災を祓うの慣例と
       なったのであります。
       神矢の由来
       弘仁元年秋九月勅を奉じて鈴鹿の悪鬼を言向け平げ給いて御弓矢を張り給いて申
       し給うに、今や悪鬼もなし之より此の矢の功徳を以って万民の災を除かん。此の
       矢の落ちたる地を吾が宮居として斎祀れと、放ち給えるに本殿前に落ち不思議や
       青々と芽出したるとぞ、現存の矢竹であります。茲に大神の御心を心として神矢
       を謹製す。賽者之を戴き矢の功徳を以って厄災を祓い悪方を除く深き信仰となっ
       たのであります。」
  住  所:滋賀県甲賀市北土山469
  電話番号:0748−66−0018
  ひとこと:実は、この神社は、私と大変にご縁の深い神社でして・・・。
       つまり、私の名前は、この神社で付けていただいたんだそうです。
       そういう意味では、「産土の神様」に近い神様なんですよね。

       どちらかというと、「エミシ」「鬼」と呼ばれた、土着の民に共感を覚える私と
       しては、「悪鬼退治の神」が産土の神様であるということに、すこ〜し、複雑な
       気分だったりしますが・・・(^^ゞ

      「鬼」という言葉は、意味深長です。
       
       物語はいろんな側面を持ちます。
       同じように、人も数多の側面があり、人が紡ぎ出す歴史にもやはり、様々な側面
       を持つのです。

       絶対的な悪だとか、絶対的な善なんてのは、そうそう存在するもんじゃありませ
       ん。
       極端な話し、人類にとっては究極の完膚なきまでの悪であったとしても、地球に
       とってみれば善である・・・という可能性もあるのです。
       それでは、その「悪であり善である事物」は、宇宙の流れの中で生きている人間
       にとって、悪なのでしょうか、善なのでしょうか・・・。
       などという話しになると、頭わやで、もうどうでもよくなったりします(笑)

       だから、「絶対的な悪鬼」というものは、存在しやぁしません。
       ただ、「彼を悪鬼として恐れる人々が存在した」というだけのことです。

       歴史の上で「鬼」と呼ばれた人々を現実的な目で見ると「先進的な技術を持った、
       力のある人もしくは集団」であることがままあります。

       その力を羨んだ人々は、彼らを倒して、その財を横取りしようと思っちゃうわけ
       ですね。
       これもまたよくあることです。

       そして、彼らは、「財持ちさん」の宝を奪った後、
      「あやつらは鬼なのだ。だから退治したのだ」
       と言い訳するわけです。
       んま〜〜あっ、いけずうずうしいったら(-"-)!!

       ・・・人というものは、大義名分を必要とする動物なんですね(^^ゞ

       そして、私が知っているだけでも、
       もう一つ「鬼」と呼ばれる人々のパターンがあります。
       今度は反対に力のない人です。
       疫病など、人間の力ではどうしようもない天災の罪を、弱者に背負わせるのです。
       そして彼らを「鬼」と称して追い払うことにより、厄病などの厄災を祓おうとし
       たわけです。

       こういった発想は、別に日本だけのことではありません。
       ちくま文庫版、フィオナ・マクラウド著「ケルト民話集」の中に、「罪を喰う人」
       という小編が収められています。
       権力者が亡くなると、その生前の罪を清め天国へ行けるように、と、その罪をパ
       ンに移し、それを力弱き人に喰わせたのです。
       そして、その罪喰い人は村を追われました。
       ・・・興味ある方は一度読んでみてください。
       心の底から侘しくなれる作品集です(笑)

       そんなわけですから、鈴鹿山にいた悪鬼も、決して、「完全なる悪」ではなかっ
       たでしょう。
       ただ、旅人を悩ましたということですから、追い剥ぎだとか、盗賊だった可能性
       はあります。
       ただまぁ、「義賊」なんてのもありますよね。
      「盗賊に『義』もくそもありゃせんがな」
       と、子供の頃、教わった記憶がありますが・・・。
       不当に搾取されたものを奪い返す為に、「盗」しかない場合もあるんじゃないか、
       なんてことも思いますし・・・。

       時代によっては、状況によっては、私は、「義賊」ってのは十分ありえると思う
       んですよね。
       
       そんなわけで・・・。
       例えば、当時の権力者達に財を奪われ、山地へと追いやられた人々がいたとして、
       彼らが、権力者を狙って宝を取り返そうとしていたのならば、やはりそれは、
      「悪鬼」とは呼べないような気がします。

       ・・・って、私は、自分の産土の神様に文句つけてるんでしょうか(^^ゞ
       そんなつもりもないんですが・・・。

       なにしろ、退治する側にも言い分はあるはずですから。
       初代征夷大将軍として、武将の信望を集める坂上田村麻呂公ですが、彼だとて、
       悪鬼やエミシと呼ばれる人々を討伐しに出かけるとき、自分の命に保障はなかっ
       たはずです。
      「悪鬼を退治しろ」
       と命じるのは、権力者ですが、
       実際に「悪」を退治しに出かける武将は、決して権力者ではなかったかもしれな
       いのです。

       それどころか、「使い捨て」だった可能性も、じゅ〜〜〜ぶん、考えられます。

       それでも尚、彼らは命を投げ捨てて、「鬼退治の英雄」という名誉を求めねばな
       らなかった。

       そこには、傲慢な「英雄」のイメージはありません。
       重責と重労働を押し付けられて、それでもまだ力強さを保つ「豪の者」です。
       高邁で命惜しみのない「高潔な人物」像さえ髣髴とさせるではないですか。
       きゃ〜〜っ!すっごいステキぃ♪

       ・・・まぁ、見方はそれぞれです(笑)
       
       たま〜に、ですけど、「英雄」よりも「悪鬼」とされた人々の方が、気持的には
       楽だったんじゃないかなぁ・・・なんて考えることもあったりするんですよ。
       もちろん、滅ぼされて嬉しいわけはないですから、気持的には、ですけどね。

       ・・・まぁ・・・。
       見方はそれぞれ、です(^^ゞ

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