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夜疑神社

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  祭  神:布留多摩命
  説  明:御由緒書を転載します。
      「当社は弥生遺跡で有名な『天の川』のほとり、天の川低湿地の小高い所に鎮座
       している。天の川沿いに池尻・大町・小松里・箕土路・下池田・中井・荒木・
       吉井など、氏地内の各所で弥生遺跡が出している。
       殊に池尻・中井に於いては縄文遺跡が確認されている。
       また時代が下って池尻を中心に古墳群・氏子地域内全域にわたって条里制の遺
       構がある。八木の地は肥沃で水利も良く、古くから拓けた所であった。
      『陽疑』『楊貴』『八木』などと表記されたこともあるが、いずれも『やぎ』と
       読む。
       鎮座地の『中井』は、『和泉志』に『旧名 中八木』と記されており、八木の
       中心=八木一族居住の本拠地であったと思われる。
       当社の創建は定かでないが、延長五年(927年)成立の『延喜式』に『夜疑
       神社』と記されており、また主祭神の布留多摩命については、弘仁五年(81
       4年)成立の『新撰姓氏録』に『八木造。和多罪豊玉彦の児、布留多摩命の後
       なり。』とあり、奈良時代以前にこの地を治めていた八木一族が、祖神をお祀
       りしたのが起源と考えられる。境内より天平・平安を始め、鎌倉期の古瓦が出
       土した事もあり、約1300年前には当社も栄えていたようだ。
       旧来、当社は中井村一村の氏神様であった。
       明治41〜42年に各字(村)持ちの氏神様を当社に合祀して以来、八木郷の
       総氏神様となった。」
  住  所:大阪府岸和田市中井町2−7−1
  電話番号:0724−45−2191
  ひとこと:布留多摩命というお名前を始めて見た時、
      「ふるたまのみこと?物部氏関係??」
       と思ったのですが、どうもそんな単純なもんじゃないんですね。

      「ふる」と物部氏の関係についても、もちろんそんな単純なものじゃなく(笑)
       物部氏と縁の深い石上神宮のご祭神、「布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯
       魂大神」の中に、「ふるのみたまおおかみ」の名前が見えることや、

       石上神宮に伝わるとされる「布留の言」。
      「ふるべ ゆらゆらと ふるべ」
       も、有名です。

       が、この神社の御祭神である、布留多摩命は、和多罪豊玉彦の児とされている
       とのこと。

      「和多罪豊玉彦」とは、「わだつみとよたまひこ」と読めばよいのでしょうか?
      「わだつみ」で、「とよたま」というと、ホホデミ命、いわゆる山幸彦の奥さん
       であるところの、「豊玉姫」を思い出すのですが、どうでしょうか?

       とすると、豊玉彦神は、ホホデミ命のことか、それとも、豊玉姫の父のことか。
       籠神社の社伝と考え合わせると、やはり、物部氏との関連は、無視できないの
       ですが・・・。

       岸和田市ホームページに、そのヒントとなる昔話が掲載されていました。

      「轟(とどろき)川・天(あま)の川周辺の話」にある、
      「夜疑神社と唐臼」と題される物語です。

       ここでは、布留多摩命は、豊玉姫命の妹。
       つまり、豊玉彦神は、豊玉姫命の父神である、ということでしょう。

       ちょっと面白いのは、「唐臼」の伝承です。
       実は、「神様が誰かに会っていたところ、鶏が鳴いたので、朝だと思い、慌て
       させられたので、その地方では、鶏を飼わなくなった」という伝承は、あちこ
       ちにあるようです。

       私が知っているのは、藤井寺市にある道明寺地域の伝承。
       菅原道真公が伯母である覚寿尼と会っていたのに、鶏が鳴いたから、この地方
       では鶏を忌んだ、というのです。

       たとえば、和漢三才図会には、こうあります。
      「学寿は菅丞相の伯母である。菅神左遷の時、当寺(道明寺)に行って終夜別れ
       を惜しんだ。暁になって鶏鳴が喧しかったので、菅神は一種吟じた。
        なけばとて別れを急げ鳥の音の聞こえぬ里の暁もがな」

       また、出雲地方では、事代主命が・・・という同じような伝承があるというの
       を、出雲地方の伝承で読んだのですが、図書館で借りた本なので、すいません。
       詳細は、未確認です。

       ここでは、菅公と、鶏の関係に注目してみたい。
       なぜなら、岸和田のある泉州には、菅公の荘園であった「桑原」があるからで
       す。

       さて、ちょっと話しがズレます。
       この神社のご由緒には、「弥生遺跡で有名な『天の川』」という文言が出てき
       ますよね。

       ・・・天の川という地名は残ってるのでしょうか?
       ないよ〜、ないよ〜(T_T)

       ・・・と騒いでおりましたら、旦那が知ってました(笑)

       私の持っている地図に川名の表記はないのですが、
       阪南港から、岸和田市新港町に注ぎ込み、途中地下をくぐりつつ蛇行しながら
       久米田池み注ぎ込む細い川。
       それが天の川なんだそうです。
       流れの途中に「牛神公園」。
       そして、弥栄神社がありますね。
       弥栄神社は、牛頭天王と関係深い神社ですから・・・やはり、「牛」ですね。

       しかも、この辺りは、「牛神社」と呼ばれる神社が点在するんです。
       この「牛」というのがなんなのかはわかりませんが、ここに天の川伝説がある
       のならば、「牽牛が連れていた牛」かも?

       そして、牛といえば・・・。
       そう。天満宮には、必ずと行って良いほど、牛の像が置いてあるでしょう?
       菅公と牛というのもまた、なぜか深い関わりを持っているんです。

       つまり何が言いたいかというと、この神社の伝承を見ると、
      「物部氏」そして、「菅原道真公」という「キーワード」が隠されてるように思
       える・・・ということなんですね。

       ただ、どう繋がるかは、わかりません。

       物部氏は、「もののふ」という言葉と関係が深いといわれます。
      「もののふ」とはつまり「武士」のこと。

       翻って、菅公は土師氏出身の学者です。

       土師氏とは、古墳造りに関係が深い氏族。
       初代相撲取りである野見宿禰公を祖とします。
       その氏出身の学者である菅原道真公と、武士の祖である物部氏。

       どう関わるのか全く見えませんよね(^^ゞ

       ただ、無理に考えるとしたら、です。
       両方とも「死」に関わりが深い、ということでしょうか。

       んなことを考えるとですね。

       この神社の社名の漢字表記。
      「夜疑」「陽疑」「楊貴」という文字が、な〜にやら、微妙に語りかけてきませ
       んか?

       え?寝不足ちゃうかって?
       ・・・い〜え、私は、一日8時間以上寝てますっ(爆)!!


        *********************************

       さて、ここで問題です。

       上記文章の中で、私は、小学校レベルの「常識」があれば、ありえない間違い
       を書いてます。

       その部分を指摘してください(T_T)

       答えはコチラ

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