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大井神社

arashiyamaoi





  祭  神:宇賀霊神 大綾津日神 大直日神 神直日神
  説  明:説明書きには、
      「延喜式内社
       大堰川の守り神、また商売繁盛の神として古来住民の信仰が厚い。
       また、秦氏や角倉了以の信仰も厚いものがあった。
       創立年月日は未詳であるが、『延喜式神名帳』(西暦927年)や、
      『三代実録』貞観十八年(西暦876年)七月二十一日条(山代大堰
       神、並従五位下)に記載がある。おそらくは秦氏の葛野大堰造営
      (八世紀初頃)と密接な関係があろう。
       明治十年三月二十六日に村社に列格され、今日に至っている。現在
       の社殿は、野宮神社の旧社殿を移築したものである。」
       と記載されています。
  住  所:京都市右京区嵯峨渡月橋
  電話番号:
  ひとこと:大綾津日神・大直日神・神直日神は、すべて、伊邪那岐命が黄泉の
       国から帰ってきて、禊をした時に化生した神様です。

       日本書紀では、
      「伊邪那岐命が黄泉の国から帰ってきて、橘の檍原で禊をされた。
       上流は流れが速く、下流は遅いため、中流ですすぎをされた。
       それによって生まれた神を、八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
       という。次に生まれた神を、神直日神。その次に大直日神を生まれ
       た。」

       日本書紀の一書では、
      「伊邪那岐命が橘の小門で、禊をされた。
       水に入って、磐土命を吹き出し、水から出て、大直日神を噴出した。
       また水に入って、底土命を、水から出て、大綾津日命を噴出した。」
       と、なっています。

       また、古事記によると、
      「伊邪那岐命が禊をすると、まず八十禍津日神と大禍津日神が現れた。
       この神々は穢垢によって現れた神で、その禍を直そうとして、神直
       比神と大直比神が現れた。」
       と書かれています。

       先代旧事本紀も古事記と同じ表現になっています。

       つまり、穢れを直す神であるのでしょう。

       さて、現在の祭神は、宇賀霊神。
       宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、素盞鳴尊と神大市姫命の
       御子で、穀物神なのですが、この神社の祭神は、どちらかというと、
       仏教神であるところの「うがじん」ではないでしょうか。

       すべての衆生に福徳を授け、菩提に導くと信じられたと言い、姿は、
       白蛇。そんなことから、弁天様と夫婦であるとか、同一神であると
       言われています。

       つまり、河川の神様なのです。

       蛇は、畏怖される存在ながらも、信仰の対象ともなっています。
       雨上がりの虹を、古代の人々は、「蛇」であると思いました。
       確かに。
       昨日、午前中に大雨が降り、昼頃一旦晴れた空に、大きな弧を描い
       て、虹が出ていました。
       円にすればかなり大きな円になるであろうその虹の両足は、ほぼ水
       平で、それは、水面に背中だけを出した蛇のぬめぬめした質感と、
       てらてらした光を放ち、今にも、片方の空の端から鎌首を持ち上げ
       そうでした。

       それを畏怖すべきなのか、尊いと崇めるべきなのか、私は即座に、
       答えが出せません。

       虹蛇の鎌首が持ちあがった時、その口は、宇賀霊神のように福徳を
       巻き散らすのか、毒液を吐き出すのか。
       現時点では、想像がつかないからです。

       この大井神社がある、大堰川は、福徳を授ける河の神・宇賀霊神に
       守られた、清い川です。
       この川が、毒液を吐き出す毒蛇にならないように、守っていて欲し
       いものですね。

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