祭 神:日本武尊 説 明:この宮は、日本武尊をまつる。日本武尊は景行天皇の皇子、もと、 小碓命という。 御父の命により九州の熊襲をうち、熊曽建は死にのぞみ、倭建の 御子の名をおくる。これにより日本武尊と名乗る。再び東国の蝦夷 を討つ。その途伊勢神宮に詣で、叔母倭媛命より、神剣を授けられ 国々の悪神を討つ。帰途伊吹山の神と戦って病を得、伊勢の能煩野 でみまかる。その霊は白鳥となり飛んで河内の志紀にとどまる。 よって御陵を白鳥の御陵という。神剣は草薙剣といい、今は愛知県 の熱田神宮にまつる。 住 所:大阪府松原市別所6丁目 電話番号: ひとこと:日本武尊という表記のし方は、「日本書紀」のもので、「古事記」 では、「倭建」になります。 もともと、「倭」という呼び方は、どちらかというと「蔑称」だっ たようです。 「倭」の成り立ちを、三省堂の「漢辞海」で見てみますと、 「従順な様。『人』から後世され、『委』が音。」と書かれています。 「委」には、「ゆだねる」という意味があります。 そんなわけで、「漢の倭の那の国王」なんてのは、「漢に従属する ち〜〜〜っちゃい国の支配者」くらいの意味なんですね。 その「漢」が、日本に、「支那」という呼称で呼んでくれるな。 と抗議してます。 英語でChina=チャイナ。フランス語でシーナ。 でも、日本では、「しな」と呼ぶことは、公の場では、もうありま せん。 それは、「しな」と言う言葉を日本人が、「蔑称」として使ってき た歴史があるからです。 日本人だって、「倭人」って呼ばれて、いい気分にはならないでし ょうからね。 しかし、まぁ、嘗て、「倭の那の国王」という金印を「ありがたく」 頂いた時代があったのだということは覚えておいた方がよいでしょう。 さて、そうしますと、日本書紀が、「倭建」を嫌って、「日本武尊」 と表記した理由はわかります。 「日本武尊」だと、「あっぱれ、日本の英雄」という感じがしますが、 「倭建」は、「地方の豪傑」って感じですもんね。 そんなことを考えると、熊襲から見て、大和は、「地方」だったの かも知れません。 「その時代は『田舎』であった側から見た、物語」それが、日本書紀 もしくは古事記に記載された、ヤマトタケルのクマソ退治なのかも しれないですね。