祭 神:大物主命 説 明:栞には、 「三角州から進展した尼崎は、海運の要衝であり、また、海の幸(漁 獲)にも恵まれ、『海土ケ幸(あまがさち)』『海ケ崎』と呼ばれ、 今日の、大物・北大物・昭和通り1丁目・2丁目・東大物・西大物・ 中大物・北城内・南城内・東町・初島一帯を指すのであります。 このように古くから形成されていた、この大物の地に、早くから神 社が建てられていたことはうなづけるところで、この神社は恐らく 水路を下る人達の守護神ともなったでありましょうし、この地を通 り、大阪湾から瀬戸内海に船出する人達にも、早くより開けた、こ の大物の地にある『一之宮』に篤い信仰を捧げたことと思われます。 鎌倉のはじめ、大物ノ浦から船出した源義経主従も、自分達の身に ご加護あれかし、と、祈りを捧げたといわれます。この『一之宮』 が、わが大物主神社であり、尼崎における神社の最古のもの・・・ というよりは全国を通じて屈指の歴史をもつ神社であり、尼崎の開 祖神として久しくわれらの祖先の篤い尊崇の対象となって、今日に 至った、信に尼崎市民とは縁の深い格式ある神社であります。」 と記載されています。 延喜式神名帳に、「大物主神社」の名前はありませんが、大化改新 の頃に行われた、条里制から推察すると、その頃既に、「大物」と いう地域が形成され、神社も鎮座していたと考えられるそうです。 住 所:兵庫県尼崎市大物町2丁目7−6 電話番号:06−6401−6069 ひとこと:見ていただいたらわかるように、この神社は地名になってるんです ね。 ということは、かなり古くから、大物主命をお祀りされてきたとい うことなのでしょうね。 さて、大物主命は、「天津神」ではありません。 ということは、「国津神」である、ということになるのですが・・ ・。 「国津神」とは? そう、高天原におられた神々が「天津神」ならば、葦原中国を、太 古から支配していたのが、「国津神」なのです。 つまり、人間が住む、この葦原中国に関しては、先住神なのですね。 地の利も何も、天津神よりよくわかってらっしゃることになります。 海運の要衝に、国津神をお祀りしていることは、理に叶ってますね。 さて、今昔物語に、「美作国神依猟師謀止生贄語」(みまさかのく にのかみりょうしのはかりごとによりていけにえをとどむること) という話があります。物語は、こちら側の話ではなく、「滝の向こ う側」のお話。 猿神のいけにえにされる娘の身代わりになった猟師が、飼っていた 犬たちと一緒に大猿(国神と考えられていた)を退治して娘と結ば れるというものです。 「滝の向こう側」の人達の「国津神」は、実は猿だった、というので すが、昔の人々が、自然を「神」として崇めてきた証でしょう。 また、国を治める豪族を、「国津神」と呼んだ、ともあります。 大物主命は、こちらの「国津神」ですね。 昔の人にとって、「神」は、身近でもあり、手の届かない方でもあ る大事な方だったのでしょうね。