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藤森神社

fujimori





  祭  神:素盞鳴尊 別雷命 日本武尊 応神天皇 神功皇后 武内宿禰
       仁徳天皇 天武天皇 舎人親王 早良親王 伊予親王 井上内親王
  説  明:栞によりますと、
      「当社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された、
       皇室ともゆかりの深い古社です。
       本殿は正徳二年、中御門天皇より賜ったものです。
       特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝
       運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)又、競馬ファ
       ンの参拝者で賑わっております。」
       とあります。
  住  所:京都市伏見区深草鳥居崎町609
  電話番号:075−641−1045
  ひとこと:淀競馬場の近くに、「勝負運」「馬」の神様。
       参拝者は多いことだと思います。

       12柱の神様が祀られていて、所謂「御霊さん」が見えます。
       しかし、御魂修めのためなのなら、「早良親王」じゃなくて、
      「崇道天皇」にした方がよいのでは・・・(^^ゞ

       どちらかというとあっさりした栞の内容ですので、初めて見た、
      「伊予親王」と「舎人親王」がどのような方か、調べてみたいと思
       います。

       伊予親王は桓武天皇の皇子です。
       母親は藤原吉子。藤原氏ですね。
       だから、順風満帆の人生かと思いきや。

       桓武天皇の没後、藤原宗成が謀反を起こします。
       ところが捕まった藤原宗成が、「首謀者は伊予親王」と「告白」
       したからさぁ大変。
       伊予親王は身に覚えのないところで、「反逆の首謀者」のレッ
       テルを貼られてしまいました。

       時の平城天皇は、調べもせずに、異母弟を大和国川原寺に幽閉。
       伊予皇子とその母吉子は、ハンガーストライキをしますが、効
       果なく、地位を廃され、自害します。

       この時代のこと、当然、平城天皇は、「伊予親王は祟るに違い
       ない」と確信。
       雨が降っても、風が吹いても、太陽が熱くても、
      「伊予親王の祟りだよ、伊予親王がやってんだよ!」と怯え、嵯
       峨天皇に譲位。

       かくして、伊予親王は、御霊神社に祀られることになり、後世
       まで「御霊」として語り継がれるのでした。大迷惑。

       実際、伊予親王の祟りの具体的な内容は、残っていないようで
       す。

       ただ、彼が無実であったことは、彼の死後はっきりしたようで、
       そのことが平城天皇を追い詰めたのかも知れません。

      「舎人親王」は、天武天皇の皇子。母親は、天智天皇の娘。新田
       部皇女。つまり、草壁皇子と同じような親戚関係ですね。
       また、謀反人とされ、殺された大津皇子とも。
       さぞかし、危うい人生だったのかと思いきや。

       60歳で天然痘で没。
       ん?
       崇道尽敬皇帝と追号。
       うへ?
       最終的な地位は、太政大臣。
       ぬな?

       あ、第七子の大炊王が天皇に即位したんですね。あ、後の淳仁
       天皇なんですねぇ。

       また、日本書紀を編纂した一人なんですね。
       雲一つない人生じゃないですか。

       この神社の祭神メンバー、豪力な神様達と強力な御霊神たちの
       間で、この平和な神様は、居心地悪くないのだろうか???

       なんで、この神様がこのメンバーの中に混じっちゃったのだろ
       う・・・???

       まさか・・・。
       追号の、「崇道尽敬皇帝」が、「崇道天皇」とごっちゃになっ
       た・・・なんてことは・・・。

       まさか、まさか、まさか・・・。まさかね。 

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