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伏見稲荷大社

fushimiinari





  祭  神:宇迦之御魂大神(下社 中央座)
       佐田彦大神(中社 北座)
       大宮能売大神(上社 南座)
       田中大神(田中社 最北座)
       四大神(四大神 最南座)
  説  明:栞によりますと、
      「当社は全国各地でおまつりされている稲荷社の総本宮で、御鎮座は、
       和銅四年(西暦711年)二月初午の日と伝えられている。
      『山城国風土記』の逸文に『秦中家ノ忌寸等の遠祖・伊呂具秦公の的
       にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、その留った山の峰に“稲”
       が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった』とあり、また
      『神祗官勘文』や『年中行事秘抄』などに引く『稲荷社禰宜祝等甲状』
       には『この神は、和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐して
       より、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた』とある。
       さらに社記『十五箇條口授伝之和解』には『元明天皇の和銅四年二
       月壬午の日に、深草の長者・伊呂具秦ノ公が勅命をこうむって、三
       柱の神を伊奈利山の三ヶ峰に祀ったのにはじまり、その年は五穀が
       大いにみのり、蚕織なって天下の百姓は豊かな福を得た』と伝えて
       いるが、いずれにしても、ここ深草の郷は欽明天皇即位前紀(六世
       紀前半)『深草住』いの、山背大兄王自害にかかる『深草屯倉』の
       存在(皇極天皇紀十一月条 西暦634年)など古くから、秦氏と
       は極めて深いかかわりをもつ。加えて、稲荷山麓に、これら秦氏が
       付貫されるはるか以前に経営されていた弥生後期の『深草遺跡』の
       存在とも考え合わせると、信仰の起源は相当古くさかのぼると考え
       られる。
       御神号
       わが国最古の文献の一つとされる山城国風土記の逸文には、イナリ
       を『伊奈利』と書いている。
       イナリとは、イネナリ・イネニナルのつづまったもので、人間生活
       の根源であった稲によって、天地の霊徳を象徴した古語とされてい
       るが、『伊奈利』を稲荷と記録されている最初のものは、類聚国史
       の淳和天皇の天長四年(西暦827年)正月辛巳の詔であるが、扶
       桑略記の和銅六年(西暦713)五月甲子の条に『諸国郡郷名著好
       字、又令作風土記』とあることよりすれば、風土記勧進のときには、
       すでに『稲荷』なる“好字”が用いられたとも考えられ、風土記に
      『伊奈利』とあるのは、その原史料にあった古い用字法が活用された
       ものと思われる。
       御神徳
       社記に、当社は『衣食住ノ大祖ニシテ万民豊楽ノ神霊ナリ』(稲荷
       谷響記)と、また『上ハ天子ヨリ下ハ万民ニイタル幸福豊楽ノ神明
       ナリ』(神号伝併後附十五箇條口授伝之和解)とある。
       平安の昔から、稲荷山が民衆信仰の“お山”であったことは、女流
       日記文学の第一にあげられる『蜻蛉日記』、あるいは清少納言の
      『枕草子』、また和泉式部の筆によってしのぶことができるす。
       今日では、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の
       守護神として、あまねく信仰をあつめ、そのご神威は日本の津々浦
       々はもとより遠く海外にまで及んでいる。
       沿革
       淳和天皇の天長四年(827年)丁未辛巳、天皇の御体が不健の為
       占を求められたところ、先朝の御願寺(東寺)の塔木として稲荷神
       社の樹を伐られた罪たたりであることがわかり、朝廷は早速、当社
       に使いをつかわされた。そしてこのとき、初めて『従五位下』の神
       階がさずけられ、爾来年とともに累進し、ついに天慶五年(西暦9
       42年)『正一位』の極位にのぼった。この間、承和十二年(西暦
       845年)には『名神』に列し、また延喜式(九二七撰)では、
      『名神大社』とみえ、ついで村上天皇応和三年(西暦963年)には
       皇城の巽(東南)の鎮護神と定められ、後朱雀天皇の長暦三年(西
       暦1039年)には二十二社の上七社にくわえられた。
       また、後三条天皇の延久四年(西暦1072年)に、はじめて当社
       と祇園社とに行幸があり、これを『両者御幸』と称し、歴代の慣例
       となって鎌倉時代にまでおよんだ。さらに、中世、熊野信仰が盛ん
       になるにつれ、稲荷明神が熊野参詣の道中を守護する誓いがあると
       の信仰がさかんになり、当社に『護法送り』を修する風習があって、
       熊野御幸の還御には、必ず奉幣の儀が行われていた。
       明治四年五月に官幣大社に列格し、昭和二十一年一月に宗教法人法
       によって『伏見稲荷大社』と改称し、今日にいたっている」
       などとあります。
  住  所:京都市伏見区深草藪之内町68
  電話番号:075−641−7331
  ひとこと:伏見大社のお山には、滝がたくさんありました。
       そもそも「伏見」は、「伏水」だったそうで、水所なんですね。
       
       米どころで、水どころ・・・とくりゃ、酒がうまいはず・・・とい
       うようなことは、今回置いておきましょう・・・(^^ゞ
       おいしい水でおいしいお米を炊けば、そりゃおいしいご飯が食べら
       れるよね・・・ということも、置いておきます。

       さて、「餅の的説話」は、ご存知でしょうか?
       栞からの抜粋にもありますが、手持ちの「風土記」から前文転記し
       てみましょう。
      「風土記にいう、伊奈利と称するのは、秦中家忌寸らの遠祖伊侶具の
       秦公は稲や栗などの穀物を積んでゆたかに富んでいた。それで餅を
       使って的として弓を射たので、餅は白い鳥になって飛びかけって山
       の峰に居た。その白鳥が化して伊禰奈利生いた。遂に社名とした。
       その子孫の代になって先祖のあやまちを悔いて、社の木を根こじて
       引き抜いて家に植えてこれを祈り祭った。いまその木を植えて、息
       づけば福が授かり、その木を植えて枯れると福はない、という」

       つまり、木を使った占いがされていた、ということがわかります。
       現在でもその祭はされているんでしょうか?

       え〜〜っと。
       二月の初午に行われる初午祭で、験の杉が授与されるんですね。
       これを田に植えて、根付けば豊作。根付かなければ不作。

       ん〜〜〜。しかし、根付いたらいいとはいえ、毎年杉の木が田圃に
       生えていったら、肝心の田圃の面積が減りませんかぁ??

       この伏見稲荷大社の山には、あちらこちらに、小さな祠や、鳥居が
       奉納されています。
       なんで??
       どうもですね。
       よくビルの上や、工場の敷地内に、お稲荷さんがあるでしょう?
       あれ、みたいでした。

       工場が移転したり、もしくは、なくなったりするとき、「神様」は
       もとおられた、「伏見稲荷大社」にお戻りいただくんでしょうね。

       不謹慎なことを思い出してしまいました。
       こどものころ、「こっくりさん」やりませんでしたか?
       あれには、いろんな作法があるようですね。
       紙に「はい」「いいえ」そして、五十音、鳥居を描きます。
       そして、十円玉を鳥居のところに置いて、その上に指を乗せ、こっ
       くりさんを召喚するというのが一般的だと思いますが、どうでしょ
       う?

       十円玉じゃなく、割り箸を3本、やぐらのように組んで、その上に
       手を乗せる方法もあるようですが、紙の上に書く言葉や模様はほぼ
       同じなようです。

       こっくりさんは、「狐狗狸」さんだ、と教わりませんでしたか?

       狐で鳥居と言えば、お稲荷さんではないでしょうか?

       一体こっくりさんっていつ、どこで、誰が始めたんでしょうね。

       親しい人が亡くなった時、「夢でもいいから出てきて欲しい」と、
       思うことは、あると思うんです。
       もう一度話しがしたい、そう思った時、人間ってのは弱いもんです
       からね。
       なにか方法があるんじゃないか?
       そう思ってしまうこともあるでしょう。
       恐山のイタコさんに口よせしてもらうのも、手でしょう。
       でも、他に通信手段はないのか?
      「そこにいるなら、何か合図をしてくれ」
       そう思うこともあるでしょう?

       まぁ、そういうことから始まったんじゃなかろうか?と想像してい
       るんですが、その伝言役(?)が、鳥居にいる「狐や狗や狸」とい
       うのが面白い。

       あの世にいる友達と話がしたいなら、「こっくりさん」なんていう
       一般名称は必要ないはずだし、お告げが聞きたいなら、狐や狗や狸
       ではなく、「神様・仏様」に聞く方がよいわけで。

       ワンクッション置いて、霊感のある(と思われる動物)に中継ぎし
       てもらおうというのはなぜでしょうか?

       偏見や勘違いかも知れませんが、どうも、信仰が自然に近ければ、
       近いほど、ワンクッション置いた、動物を信仰の対象としているよ
       うな気がします。

       中国では、四方を守るのは、青龍・白虎・朱雀・玄武という「動物」
       ですし、
       ネイティブアメリカンも鷲・熊・バッファロー・ねずみを四方のト
       ーテム(守護神)としています。

       つまり、人間は自然に近ければ近いほど、動物を恐れたんじゃない
       でしょうか。

       とはいえ、狐も狗も狸も、よくみると、とても愛らしい顔をしてま
       すけれどね。

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