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白親神社

hakuchika





  祭  神:白親大神
  説  明:案内板によりますと、
      「白親大神は、昭和二十五年頃、この清州地区に大きな災害があり、位
       後災害のないことを祈願して、この地区の信仰心の厚い方々がこの地
       区にお祭りされたものです。
       伊勢の天照大神と猿田彦大神とともにお祭りされております。
  住  所:大阪府柏原市清州
  電話番号:
  ひとこと:案内のように、新しい祭祀の神社ですが、災害が二度と起こらないよ
       うに、との願いを込めて神様を祀る。というのは、昔から変わらぬも
       のと思いますので、紹介します。

       天照大神・猿田彦大神を尻目に、災害よけとして主に祀られた、白親
      (はくちか)大神とはどのような神様でしょうか。

       記紀には、この名前は見えません。

       ヒントは、「清州」という地名かも知れません。
       韓国の忠清北道の道庁所在地も、「清州(ちょんじゅ)」と言います。
       交通の要地だそうです。

       そう言えば、「白親」を「はくちか」とは、日本語では読みません。

       なんと言っても、古代、この辺りは渡来人がたくさんやってきていま
       す。
       もしかしたら、もっと哀しい歴史があるのかも知れませんが、勉強不
       足にも詳しく知りません。

       昭和25年といえば、昭和16年に始まった第二次世界大戦が、終わ
       って5年後。

       日本は敗戦国として、復興しはじめたころでしょうか。
       そこで、韓国に焦点を絞って、白親を見ましょう。

       古事記によると、瓊々杵尊が、高千穂の峰に天降った時、彼は、
      「此地は韓国に向かい、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕
       日の日照る国なり。」

       と言ったとあります。

       ここで、「韓国」という言葉が出てくるのは興味深いところですね。

       また、神武天皇に、「東に良き処あり」と進言したのは、これは日本
       書紀ですが、塩土爺です。

       さて、この側に、柏原神社があります。
       この神社の祭神は、塩土爺・白鬚大明神です。

       また、「斯羅(しら)」という名前が、姓氏録に見えます。
      「漢王の後裔・百尊の孫。皇極天皇の時、河内下山田の邑田を与えられ
       て居らされた。文書をよく理解するので田辺史となる」
       とあります。

       河内下山田の村というのはどこだったのでしょうか?
      「下」とついているということは、少し水源に近かったのかもしれませ
       んから、もしかして、この柏原市近辺かも知れませんね。

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