祭 神:天津兒屋根命 説 明:平成祭礼データによりますと、 「吉田本、金剛寺本とも走田神社。妙見社とも稱せられてゐた。 創建年代不詳。古くから妙見菩薩が合祀されてゐたが、明治の神佛分 離の折り、これは海印寺寂照院に移された。明治十六年の明細帳に記 された由緒書では「鎮座傳記不詳。御局上ヶ知神社。除地妙見社九百 三十年餘以前責字年中勤請之由申傳。造立之年數不分明。社地東西拾 五間南北九間、外ニ境内有之旨元禄五申年ニ取調書上ヶ候。尚慶應四 辰年三月右之趣書上ヶ候。後去ル明治十年六月ニ至リ社號改テ延喜式 内走田神社ニ確定セラル前明治六年六月村社ニ公定セラル」となつて ゐる。」 とあります。 長岡京市観光協会による看板には、 「奥海印寺・長法寺両村の産土神。式内社で『延喜式』にのる乙訓郡九 座の一つである。 祭神は、天児屋根命・武甕槌神・経津主神・姫大神の春日四柱を祀る。 かつては、『妙見社』と言われ、寂照院の鎮守であったが、明治以降 正式に『走田神社』と呼ばれるようになった。社名の『走田』は、初 穂をつくる田を指し、早稲田の守護神であったであろう。なお、正月 十三日には、御千度詣りや、弓講が行われる。また、明治初め頃まで 同じ祭神を祀る小倉神社(大山崎町円明寺)の神輿がこの社まで渡御 し、その道がまだ古老たちによって語り継がれている。」 とあります。 住 所:京都府長岡京市奥海印寺走田3 電話番号: ひとこと:なんで、妙見社で、春日四神? いや、もともと、春日四神を祀っていた走田神社に、妙見菩薩信仰が 入ってきたのでしょうか。 それとも、もともと妙見信仰のあった走田神社・寂照院が、神仏分離 の時に別々になって、走田神社は新たに、春日四神を勧請した、とい う経緯なのでしょうか? 長岡京市が栄えたころ、藤原氏も徐々に力をつけはじめましたから、 その流れで、藤原氏に関連の深い、春日四神が祀られ、それとは別に 妙見信仰があったのかもしれません。 社名の「走田」が、「早稲田」の守護神であった、とあります。 「走田」は、「はせた」と読むんですね。 つまり、この説明だと、この神社は、妙見様のお社であり、天児屋根 命のお社であり、その上に、田圃の神様のお社でもあった、というこ とになりそうですね。 稲作が中心になった日本では、人々は、田圃にどれだけたくさんの神 様を見出したことでしょう。 撒いた種を烏にほじくられないように守ってくださる神様。 種から芽を出してくださる神様。 すくすくと稲穂を成長させてくださる神様。 ほどよい雨を降らせてくださる神様。 害虫から稲穂を守ってくださる神様。 風害その他の天災から稲穂を守ってくださる神様。 つつがなく刈り入れをすまさせてくださる神様。 などなど。 もしかしたら、妙見様や、天児屋根命は、これらの働きのうち一つ 以上を担う神様として信仰されたことがあったという可能性もありま すね。 例えば、天児屋根命は、祝詞の神様。 ホツマツタヱでは、歌(回文)によって、害虫を祓った話がでてきま す。歌や祝詞には、害虫除けの力がある、と考えられていたのでしょ うか。 とすると、天児屋根命を、害虫除けの神として信仰したかもしれませ ん。 そして、妙見様。 妙見様は、北極星、もしくは北斗七星のことですね。 中国では、北斗七星は死を司ると考えられていました。 こんな有名な話があります。 一人の少年が道を歩いていると、向こうから歩いてきた男性が、 「かわいそうに」 と呟い行ってしまうのです。 気になった少年がその男性を追いかけて理由を聞くと、 「おまえには若死にの相がでている」 とのこと。 驚いた少年が、なんとか寿命を延ばして欲しい、と頼むと、男性は、 「卯の日になったら、酒一樽と、鹿肉一斤を用意して、刈り取った後の 麦畑に行きなさい。畑の南側に生えている桑の大木の影で二人の老人 が囲碁をしているだろうから、そっと近づいて、酒と肉を置きなさい」 と教えます。 少年がその通りにすると、果たして囲碁を打っていた老人二人は、肉 を食べ、酒を飲んだあげく、少年に気づいて、 「何をしているんだ」 と怒るのです。 少年が、男性に教えられたとおり、黙ってお辞儀をすると、南側に座 っていた老人が、 「お酒と肉をもらったのだから、この少年のことはなんとかしてやろう」 と言いますが、北側に座っている老人は、 「寿命は決まっているのだから、ダメだ」 と。 それでも、南側の老人はとりなして、寿命を書いた本を見てみると、 その少年の寿命は十九歳となっていました。 そこで、南側の老人は、「レ点」をつけて、十九を九十にしてくれま した。 少年が喜んで家に帰って、かの男性にことの顛末を告げると、その男 性は、 「南側に座っていた老人は南斗。北側の老人は北斗だ」 と教えてくれたのでした。 南斗が穏やかで優しく、寿命を延ばしてくれる老人として描かれてい るのに対して、北斗は、厳しく死を司る老人として描かれていますね。 また、エスキモーは、人は死ぬと、その魂はワタリガラスになり、北 極星へ飛んでいく、と考えられていたようです。 星は、「死」のイメージを色濃く反映するのかもしれません。 そんな妙見様と田圃。 ちょっとつながりが見出せませんが、案外身近なところにヒントがあ るかもしれません。 私が子供のころ、祖父に聞いた諺に、 「宵の明星が綺麗に見える日は、明日は晴れるよ」 というものがあります。 星は、お天気を計るバロメータだったのかもしれませんね。