祭 神:姫蹈鞴五十鈴姫命 説 明:姫蹈鞴五十鈴姫命は、人皇初代の神武天皇の皇后です。 住 所:奈良県橿原市畝傍町字唐院69 電話番号: ひとこと:姫の出自は、日本書紀によると、三嶋溝厥耳(みしまみぞくいみみ) 神の女玉櫛媛と事代主神の間に生まれたとなっています。 天皇が皇后を求めた時に、「ある人」が、「家柄が優れ、容色もすば らしい女性」として薦めたのがこの姫です。 古事記によると、大物主神が、三島の湟咋の娘・勢夜陀多良比売(せ やだたらひめ)と丹塗の矢に化けて交わって生まれたとしています。 表記は、比売多多良伊須気余理比売。 古事記では、神武天皇は、先に日向・阿多の小椅君の妹・阿比良比売 という后がいて、多芸志美美命・岐須美美命という皇子までいるので すが、皇后とするには、不満だったようです。 そんな時に、大久米命が、「大物主の娘で美人がいる」と薦めたのが、 比売多多良伊須気余理比売だったようです。 この姫が、大和の高佐士野で七人の乙女に混じって遊んでいる時、大 久米命が、天皇に、「この七人の中の誰をお召しになりますか?」と 尋ねているのですが、天皇には、すぐ、どの乙女が、大物主命の娘か わかったのだそうです。 なぜでしょうね? 優れて美しかった・・・のでしょうか? 大物主命は、今現在では、七福神の一柱・大黒様と同一視されていま す。 大黒様の姿を見ていると・・・・・。 なるほど、比売多多良伊須気余理比売は、非常な福耳だったのか!! ・・・ってことはないでしょうね(^^ゞ 神武天皇は橿原で即位され、そこに宮を造営された、と記されていま す。 皇后・姫蹈鞴五十鈴姫命がこの地に祀られているのは、夫の側にいた いがためなのでしょうか。