hitokoto

葛木坐一言主神社

hitokotonushi




  祭  神:葛城之一言主大神 幼武尊
  説  明:平成祭礼データによりますと、
      「本社は雄略天皇が葛城山で狩りをされたとき、はじめて顕現さ
       れた神を奉斎するものであります。その次第が『日本書記』に
       次のように記されています。
       天皇、葛城山にかりしたもう。たちまちにタケタカサヒトを見
       る。来りてタニカイに望めり。かおすがた天皇にあいにれり。
       天皇これ神なりと知しめせども、なおコトサラに問いてのたま
       わく、いずこのキミぞ。タケタカサヒトこたえてもうさく、ア
       ラヒトの神ぞ、まずキミのミナをなのれ、しかるのちに言わん。
       天皇答えてのたまわく、あれはこれ幼武尊なり。タケタカサヒ
       トつぎになのりてもうさく、ヤツガレはこれ一事主神なりと。
       ついにともにかりたのしむ。一鹿をはしりおいて、あいゆずり
       てやをはなち、クツワをならべて馳はす。コトバいやいやしく
       つつしみ、ヒジリのごとくあり。ここに日くれてかりやみぬ。
       神、天皇をおくりたまいて、クメのカワに至る。
       このように、天皇と同じお姿で顕現され、鹿狩りをともに楽し
       まれた神であります。『古事記』も内容は同じでありますが、
      「あはマガゴトも一言、ヨゴトも一言にいいはなつ神、葛城の一
       言主の大神なり」と答えておられる。そのためか里びとは俗に
      「いちごんさん」とお呼び申し、一言の願いであれば何ことでも
       お聞きとどけ下される神として古くから親しまれ、「無言まい
       り」の神として広く信仰されています。
       御鎮座のこの高宮丘は、第二代綏靖天皇の宮址のあったところ
       で、本社から少し北の丘辺に宮址の碑が立っています。そして
       大臣を歴任した巨勢・平群・蘇我各氏の祖にあたる葛城氏の本
       宗の邸宅もこの地にあり、仁徳天皇の后で履中・反正・允恭三
       代の天皇の母后となられた磐の媛の生育された地でもあります。
       その高宮丘の一角にある御鎮座の地を、古くカミタチといいま
       したが、それは神が降り立ったことからの地名であります。
      『延喜式』では名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には官幣に預
       かってきましたが、伝教大師も入唐にあたって本社を祈られた
       ほどの霊験高き御祭神が顕現されたところであり各地の「一言
       主神社」の総本社でもあります。」
       とあります。
  住  所:御所市森脇432
  電話番号:07456−6−0178
  ひとこと:一言主大神は、一言の願いなら何でも叶えてくださる神様だと言
       われています。
       と書くと、「恋!」とか、「縁談!」とか「合格!」などと、一
       言でお祈りしないといけないかと思われるかも知れませんが、こ
       の場合の「一言」とは、「ひとつの願い事」という意味です。
      「○○くんっていう会社の人気者がいて、家が近所だから、私が一
       番チャンスがあると思ってたのに、××子が、入社してきて、○
       ○くんに強烈に近づいていってるし、しかも、××子は私ほどじ
       ゃないけど、結構美人で、スタイルもいいんだけど、でも、仕事
       は、私の方が出来るかな、あとセンスも悪いんですよね〜。でも、
       この間、生意気にもティファニーの指輪してやんの!あれ、10
       万はするわぁ。私も欲しいっちゅうのよっもう。しかも、指長い
       から似合うのよね〜。あぁあ。私もきれいな指になりたいなぁ。
       そだそだ。忘れてた。○○くんとデートできますように。あ、で
       きたら、○○くんから誘ってくれますように!」
       でも、一応、一言です。
       一言主様はいやがられるかも知れませんけど・・・。

                   *****
       安部晴明が流行ってるんで、
      「次は役行者(葛城山などで修行した仙人。空を飛んだり、使い神
       を操ったり。スーパーマン。安倍晴明が陰陽道の始祖なら、役行
       者は修験道の始祖。ただ、絵本の挿絵なんかを見ると大概ガリガ
       りのおじいさんに描かれているところが、ウィークポイントって
       言えるかも?)が来るんちゃうか?」と冗談で言ってたら、本当
       に流行のきざしが見えてきたので、この際書いてしまいましょう。

       雄略天皇と一言主神が出会った時代より、かなり時が流れ、役行
       者が朝廷を驚かしていた時、役行者は、この一言主神を「使い神
      (安部晴明が飼ってたっていう式神みたいなもんです)」として、
       使役してたのだそうです。
       栄枯盛衰がものの理とは言え・・・。しくしく。没落ぶりには、
       涙を誘いますよね。しくしく。

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