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日吉大社

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  祭  神:大山咋神 大己貴神
  説  明:創建は、神代。
       祭神の大山咋神は、神代より、この地に鎮座する地主神
       で、東本宮に祭祀されています。
       御神名の「クイ」というのは、山の樹木やその麓の田畑
       の五穀を「グイグイ」と伸ばし育ててくださる御神徳を
       差したもので、稲の神・大年神と、水の神・天知る迦流
       美豆比売の御子であることから、五穀豊穣及び家庭日常
       生活の守り神とされるのだそうです。

       大己貴神は、西本宮に祭祀されています。
       天智天皇七年(西暦668年)大津京遷都にあたって、
       大和国三輪山の大神神社から御神霊をお迎えし、国家鎮
       護の神として祀られた、国土開拓・統治の神様です。

       日吉大社は京都の表鬼門に当たり、京都御所の鬼門・猿
       ケ辻、東京赤坂の日枝神社などに代表されるように、国
       家鎮護・方除けの神として祀られ、さらに、天台宗(比
       叡山延暦寺)の護法神、或は加護神として祀られ、現在
       でも、全国約3,800余社の護分霊社を有しています。
  住  所:滋賀県大津市坂本5丁目1−1
  電話番号:077−578−0009
  ひとこと:写真は「山王鳥居」この神社独特の鳥居です。
      「古事記」下つ巻「大歳の神の系譜」から文章を抜粋しま
       しょう。

      「また天知る迦流美豆比売に娶ひて生みませる子、大香山
       戸臣(おおかぐやまとみ)神。次に御年神。次に奥津日
       子(おきつひこ)神。次に奥津比売命、またの名は、大
       戸比売(おおへひめ)神。こは諸人のもち拝く竈の神な
       り。次に大山咋神。またの名は、山末の大主神。この神
       は近つ淡海の国の日枝の山にます。また葛野の松尾にま
       す、鳴鏑を用ちたまふ神なり」

       つまり、古事記編纂時期には、既にこの神社は、でん!
       と聳え建っていたのでしょう。

       大山咋神が鏑矢に化して、妻乞いをしたというのと、同
       じような話が、大三輪の大物主神にもあります。
       溝咋玉櫛姫に矢に化けた大物主が求愛するのです。
       また、鏑矢に化して玉依姫と結婚し、できた子供は、賀
       茂別雷神。
       下鴨神社では、この「鏑矢の神様」を、賀茂建角身命と
       お呼びしているのです。
      「賀茂建角身命」??八咫烏の君ではありませんか? 

       さて、話は変わります。なぜ既に鎮座されている「大山
       咋神」と似た性格の大物主神と同一神とされる「大己貴
       神」を勧請する必要があったのでしょうか?
       しかも、「大神神社」の主祭神は、「大己貴神」ではな
       く、「大物主命」。
      「大己貴神」は「大物主命」の「奇魂」もしくは、「幸魂」
       だと説明されていますね。

       なぜ、主祭神ではなく、配祀されている方の「大己貴神」
       を勧請したのでしょう?

       大三輪族・賀茂族、共に奈良盆地を睨んで栄えた部族で
       すね。

       仲が良かったのか、悪かったのか?
       両方とも強大な勢力であれば、睨み合ってはいても、表
       面上、手を繋いでいたのかも知れません。

       三輪族の祭祀する「大神神社」には、三輪族の崇拝する、
      「大物主」を、そして、比肩する勢力の賀茂族の「大己貴
       神」を配祀することで、和睦を図ったなんてことは・・。

       そして、日吉大社の主祭神・大山咋神は、賀茂族が信仰
       する神であることを考えれば、ここで、賀茂族は、自分
       達の「大己貴神」だけを、大神神社から勧請した・・・
       なんてね。本当のところはわかりません。

       最後に、この神社の神使は「猿」です。
       なぜ、この神社の神の使いが猿なのか、ということは、
       実はよくわかっていないようですが、日本では古くから、
       山にすむ猿を山の神の化身であるとする素朴な信仰が各
       地にあり、日吉大社の周辺の猿もそのように、扱われて
       きたみたいですね。

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