祭 神:大名持大神 少名持大神 天香山大神 恵比須大神 説 明:栞には、 「御祭神、大國主大神は、國土開拓・縁結びの大神で、またの御名を 大名持大神として少名持大神とともに病気平癒守神医薬の神として 健康を守ってくださり、また金刀比羅大神として車の守護・交通安 全の守り神であり、恵比須大神と共に商売繁盛・福徳開運の神とし てあがめられ、生命財産を守ってくださる兵庫の守護神であります。」 「当神社は聖武天平十八年(西暦746年)に兵庫の守護神として鎮 祭され、延長五年(西暦927年)撰進された「延喜式神名帳」に よると兵主神社は全国に十九社あり、丹波國一社として登載された 「式内社」であります。 公家武家丹波但馬播磨等をはじめ各地の人々の崇敬厚く、特に戦国 時代からは疱瘡の守護神として主上御疱瘡の時、または皇子誕生の 際には内侍局より御代参を立てられました。近衛関白家は代々崇敬 厚く、左大臣近衛信尹は外戚の縁により慶長十年五月二十六日心願 の為参拝、神前に『祈るかひあるにつけても藤原にかかる契りや春 日部の郷』の歌を献詠、数多の寄進をされております。 その時の行列は、「御長刀一振、御供廻り刀さし八人、立笠一、都 合十人、台傘一、挾箱二、鳥篭二、竹馬一荷」であったといわれて おります。 文化十一年、内大臣近衛基前は自筆の鳥居額「兵主社」を寄進され ましたが、その時京都より沿道の住民が人夫になって御供をしまし た。 また嘉永二年、近衛忠熈は其子忠房の疱瘡安全祈願を行い、程なく 全快され、その報賽として種々の献上物があり、今に神社宝物とし て保存されております。」 と記載されています。 住 所:兵庫県氷上郡春日町黒井2967 電話番号:0795−74−0392 ひとこと:ここで、特筆すべきは、二柱目のご祭神名です。 「少名持大神」。 栞に、大名持大神と共に病気平癒守神医薬の神・・・と記載されて いるところを見ると、少彦名命のことでしょうね。 この二柱の神はとても仲が良く、お互いが病気の時、看病し合った り、力を合わせて、出雲国造りをしたりしていますね。 少彦名命は、神産巣(かみむすび)神の息子(日本書紀では、高皇 産霊(たかみむすび))の息子、蔓芋の莢を半分に割って作った船 に乗れるくらいの小さな神様です。 この神様の登場と退場は、日本書紀の記述がおもしろいのです。 まず、登場。 「高皇産霊神がおっしゃるには、『私には、千五百の子供がいるが、 そのうちいたずら好きなものがいて、私の手のひらからこぼれてし まった。』その神が少彦名命である」 次に、退場。 「少彦名命は、大己貴命と共に、国を大方作られた後、粟島へ行かれ、 粟茎の上に上ると、茎にはじかれて、常世の国へ行ってしまわれた。」 落っこちたり、はじかれたり(^^ゞ 自分で意図して出かけられたわけではないようですね。 いつも、ひょっこり現れて、ひょっこり去って行く・・・。 物語の中でこういう登場・退場をする人物を他に思い浮かべてみま しょう。 シンデレラの魔女。 眠り姫の(最初に魔法をかけた)魔女。 ムーミンのスナフキン(笑)。 不思議の国のアリスの兎。 かちかち山のうさぎ。 ずらっと見てみると、物語のきっかけとなったり、物語の転記とな ったりする、「トリックスター」的な存在であることがわかります。 少彦名命もそうなのでしょうか。 そもそも、「大」己貴命のところに、船に乗ってひょっこり、「少」 彦名命という神様が現れるということに、どんな意味があるんでし ょうか? 大きな名を持っている神様のところに、少ない名の神様が現れ、国 造りのきっかけを与え、あと少しというところで去って行くという ことに? 仕事の上のパートナーっていうのは、コンパスみたいなものかもし れない、と思います。 中心点を動かない軸と、その周りできっちり仕事をこなす、ペン軸。 多分、少彦名命は、中心軸だったんでしょう。 これがなきゃ、円を書くための筆は下ろせないし、円も書けない。 でも、傍目には、なにもしてないように見えるっていう。 つまり、なにがいいたいか? 夫婦のうち、片方が、なにもしてないように見える場合でも、必ず、 中心軸になる働きをしてるもんなんだよ・・・っていう・・・。 いや〜〜〜、ぶたないで〜〜〜〜〜(>_<)