祭 神:月讀尊 月讀尊荒御魂 伊奘諾尊 伊奘冉尊 説 明:栞によりますと、 「月讀宮におまつり申し上げる月讀尊は天照大御神の弟神であります。 外宮の別宮月夜見宮の御祭神と御同神でありますが、月夜見宮では 「月夜見尊」の文字が用いられております。 月讀尊の御事については、日本書紀(元正天皇養老四年<720年> 奏進)の上巻に、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の御親神が、天照大 御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国(よ るのおすくに)をお治めになるようにと、ご委任になられたと記さ れております。 また、日本書紀では、月讀尊はその光彩が、天照大御神に亜ぐもの であるとたたえております。天照大御神の御神徳は、『その光華明 彩、六合(あめつち)のうちに照り徹るほどでございます』と、太 陽にたとえて表されておりますので、月讀尊の御威徳は、それにつ ぐものとして、月になぞらえて、おたたえしたものと拝されます。 皇大神宮の第一の別宮である、荒祭宮に、天照大御神の荒御魂がま つられ、豊受大神宮の別宮多賀宮に豊受大御神の荒御魂がまつられ ておりますように、月讀宮にならんで、月讀尊荒御魂がまつられて おります。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を『和魂(に ぎみたま)』と申し上げるのに対して、時にのぞんで格別に顕著な 御神威をあらわされる御魂のお働きを『荒御魂』とたたえます。 伊佐奈岐宮、伊佐奈弥診やにおまつり申し上げる伊奘諾尊、伊奘冉 尊二柱の神は、大八洲国(おおやしまのくに)即ち日本の国土及び 山川草木をお生みになられたのち、天の下の主たる天照大御神をお 生みになり、つづいて月讀尊尊をお生みになられた二柱の御親神で ありますことは、申すまでもありません。 以上の四別診やの御神名には『尊』の文字が用いられておりますが、 これは、日本書紀巻第一で、神々の御事をのべるにあたり、『至っ て貴きを尊といい、そのほかを命という』と注記しているもので、 日本書紀の文字づかいに従っております。 次に『別宮』と申しますのは、本宮との間柄を示す御称号でありま して、皇大神宮、豊受大神宮を『本宮』とするのに対し、あたかも 本家に対する分家の意味で別宮と称するものであります。 別宮の『宮』は宮号と称し、天皇の思し召しにより、古くは勅書を もって、のちには官符をもって定められたものであります。これを 『宮号宣下』と申します。云々」 とあります。 住 所:三重県伊勢市中村町 電話番号: ひとこと:皇大神宮から、五十鈴川駅に向かって歩いていると、鳥居が出現し ます。 「別宮」ですから、参拝しなきゃ。 と、鳥居をくぐります。 鳥や虫の声が、グン、と、耳に迫ってきます。 空気は森の空気のように、酸素がたっぷり含まれていることを感じ ます。 もしかして、不思議の国に迷い込んでしまったの? とおたおたしていると、やっと、宿衛屋が見えてくるんですね。 「別宮」なのに、私が知ってる、ほとんどの神社よりも、広いんです(T_T) さて、月読命について、見てみましょう。 記紀では、日本書紀の中の保食神殺しの他は逸話のほとんどない月 読尊ですが、「山城国風土記逸文」に、こんな話がでてきます。 月読尊が天照大神の勅を受けて豊葦原の中つ国に降り、保食神のも とにおいでになった。その時一本の湯津桂の樹があった。そこで月 読神はその樹に依ってお立ちなされた。その樹のあったところを、 今も桂の里と名づけている。 桂の樹は、生命の木とされたのだそうです。 そして、月と桂は、関連づけられていたことが、この一文から伺え ます。 そのものずばり、「月桂樹」という樹があることからも、月と桂の 関連は、垣間見えますね。 余談ですが、この月桂樹。 ギリシャ神話では、太陽の神・アポロンの思い人・ダフネーが変身 した樹であるとされています。 アポロンにからかわれたクピド(キューピット)が、金の矢でアポ ロンの胸を刺し、ダフネに恋をさせると同時に、鉛の矢でダフネの 胸を刺し、アポロンを忌み嫌わせるんですね。 つまり、金の矢は恋の矢で、鉛の矢は拒否の矢なんです。 ん〜〜、からかわれた仕返しにしては、きっついですね。 でも、アポロンは自信満々な太陽の神ですから、いやがるダフネに 頓着せず、一方的に追いかけます。 ダフネにすれば、うっとうしいことこの上ない。 大っ嫌いな男から逃げられるなら、樹にでもなっちゃうわよっ!! と、月桂樹の樹に変身するのです。 つまり、月桂樹は太陽と関連づけられているのですね。 日本では、月と。 ギリシャでは、太陽と。 それぞれ関連つけられた月桂樹は、果報者ではあります。 さて、しかし、そこで。 山城国では、月は、生命力の証だと見られていたかも知れない、と なりますと、ちょっと興味をひかかれますね。 あくまでも二元論で、考えてください。 太陽と月 生命と死 陽と陰 動と静 夏と冬 それぞれを、同じグループに分類しなさい。と言われたら、 太陽・生命・陽・動・夏を同じグループに。 月・死・陰・静・冬を同じグループにわけるのじゃないでしょうか。 月を生命の象徴、と、素直に結びつけるのは難しいように思いませ んか?何か一工夫ないと。 そこで、目を引かれるのは、「月読尊は、桂の木に依って立たれた」 という一文です。 月が依っているのは? 太陽じゃないですか? もしくは、地球です。 月は地球の重力と月の重力から発生する引力により、地球につなぎ 留められ、太陽の光を反射することで光ます。 そんなことを考えると、この桂は、地球そのものということかも? とすると、この桂の生えている、山城国は? 地球の中心? ん〜。この逸話を作った時代、その地方の人が月が地球の衛星であ る、ということを知っていたとするならば、ですが。 この「桂」の地方には、もしかしたら、もしかしたら。 「我こそ地球の王」と名乗る豪族が支配していたのかも知れませんね。 んでもって、だからこそ、伊勢神宮の「別宮」として、その「月読 尊に関連づけられた豪族」をお祀りしたのかも、しれません。 天照大神の弟にして、太陽の次に輝くものとされながらも、逸話が ほとんどない、月読尊。 伊勢神宮を祭祀した人々にとって、恐れるべき存在である豪族が、 祭祀する神様であった、そう考えるのは、大きく外れていないよう な、気がしてなりません。