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伊都伎神社

itsuki





  祭  神:淤母陀流神 妹阿夜訶志古泥命
  説  明:淤母陀流(おもだる)神とその妹・阿夜訶志古泥(あやかしこね)
       命とは、神代七代中の第六代にあたる神で、偶生の神であるとなっ
       ています。
       偶生・・・というので、偶然なった神様という意味かと思えば、そ
       うではなく、偶数(二柱)で生まれた神という意味です。
       日本書紀では、「面足尊」「吾屋惶根尊」と表記されています。

      「古事記伝」には、「面の足と云ふは、不足(あかね)処なく具はり
       ととのへるを云ふ。面を云ひて、手足其の他も皆凡て満足(たれ)
       ることはこもれる御名なり」とあり、妹と共に、大地の表面が完成
       し、それが、「あやにかしこし(阿夜訶志古泥)」と美称されたと
       言うような意味になるのだそうです。    
  住  所:兵庫県氷上郡市島町中竹田1659−1
  電話番号:
  ひとこと:この当りは、もう、出雲の神々の領域ですね。
       丹波の「竹田祭り」は、かなり古いお祭りですが、これには、一宮
       神社・三宮神社・出雲二宮神社・伊都伎神社・上加茂神社・中加茂
       神社の神輿が参加します。

       上加茂・中加茂・出雲二宮・・・。出雲系の民を連想する社名です
       ね。

       さて、神代七代とありますが、これは、陰陽の気が相交わって生ま
       れた神々なので、男神・女神の両性となっている、と日本書紀にあ
       ります。

       日本書紀は、「一書に曰く」が多く、ややこしいので、ここは、ひ
       とつ、古事記の表現を見てみましょう。

      「昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、天の
       御中主の神と言いました。次の神様は高御産巣日の神、次の神様は、
       神産巣日の神、このお三方は皆お独りで御出現になって、現実の姿
       形を隠して現しませんでした。次に国ができたてで水に浮いた脂の
       ようであり、水母のようにふわふわ漂っている時に、泥の中から葦
       が芽を出して来るような勢いの物によって御出現になった神様は、
       宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)の神といい、次に
       天常立の神といいました。この方々も皆お独りで御出現になって形
       をお隠しになりました。
       以上の五神は、特別の天の神様です。
       それから次々に現れ出た神様は、国の常立神、豊雲野の神、宇比地
       邇の神、須比智邇の女神、角杙の神、活杙の女神、意富斗能地(お
       おとのじ)の神、大斗乃弁(おおとのべ)の女神、淤母陀流の神、
       阿夜訶志古泥の女神、それから伊邪那岐の神と伊邪那美の女神とで
       した。この国の常立の神から伊邪那美の神までを神代七代と申しま
       す。
       そのうち始めのお二方はお独り立ちであり、宇比地邇の神から以下
       はお二方で一代でありました。」
       わかりやすいですね。

       つまり、国常立神と豊雲野の神は、両性具有であったのでしょう。
       そして、もう一つおもしろいのは、この神代七代は、地が成り立っ
       て行く姿を現した神名であるということです。

       国常立神は、言うまでもないでしょう。
       豊雲野は、豊は大の意、雲は篭もる・組むに置き替えられ、群がり
       固まるという意味なのだそうです。
       宇比地邇・須比智邇については、宇比は泥・須比は砂。泥と砂で、
       大地が形を成してきた状態でしょう。
       角杙神・活杙神は、「角」「活」「杙」全て、芽生えを意味する文
       字で、大地に植物が芽生えてきたことを表すのでしょうか。
       意富斗能地・大斗乃弁は、大地が完全に凝固したという意味になる
       のだそうで、「じ」は、男性を表し、「べ」は女性を表す接尾語に
       あたるそうです。
       そして、淤母陀流・阿夜訶志古泥は、大地が完成したという意味で、
       全てが具わったことを表しています。

       それじゃぁ、伊邪那岐・伊邪那美は?
       そう、彼らから新しい、神々の物語が始まります。

       こうやって見てみますと、聖書の影響が感じられますね。
       地球(国)が作られるのに、7日(代)のうち6日かかった。
       7日(代)目は、お休みである。なんて。

       ちなみに、もののついでですから、聖書の創世記を引いてみましょ
       う。
      「初めに神は天と地を創造された。
       さて、地には形がなく、荒漠としていて、闇が水の深みの表にあっ
       た。・・・
       神は『光あれ』と言われた。光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
       夕となり朝となった。1日目である。
       次いで、神は『水の間に大空が生じ、水と水に区分あれ』といわれ
       た。大空を天と呼ばれた。
       夕となり朝となった。2日目である。
       次いで神は『天の下の水は一つの場所に集められて、乾いた陸地が
       現れよ』と言われた。水の集まりを海と呼ばれ、乾いたところを地
       と呼ばれた。
       そして、神は、『地は草を、草木を生えさせるように』といわれた。
       夕となり朝となった。3日目である。
       次いで神は『天に光が生じ、昼と夜を区分するように。それらは、
       しるしとなり、季節・日・年のためとなる』といわれた。そして大
       きい光を昼のために小さい光を夜のために支配させた。
       夕となり朝となった。4日目である。
       ついで神は、『水は生きた魂を出だせ、地は天を生き物が飛ぶよう
       に』といわれた。
       そして神はそれを祝福して言われた。『子を生み地に満ちよ』と。
       夕となり朝となった。5日目である。
       次に神は言われた『私に似た様に日とを造り、あらゆる生き物を服
       従させよう』。そして、男性と女性を造られ、『子を生み地に満ち
       よ』と祝福された。
       夕となり朝となった。6日目である。
       神は満足され、7日目は全ての業を休まれた」

       まぁ、ちょっとはしょりましたが、キリスト教の神は、日本の神が
       していない、動物・人間の創造まで6日でされていますね。

       まぁ、日本の神様の方がのんびり屋さんだったんでしょう。
       人間を造ったりするのは、もっとゆっくり楽しみながらしましょう
       ・・・ということで、この後も、嫉妬したり、強引なプロポーズを
       したりという、神々の人間(?)模様が展開されるんです。

       日本の神々がのんびりされてて、本当によかったですね。

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