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蒲田神社

kamata





  祭  神:宇賀御魂大神 別雷大神
  説  明:栞には、
      「遠い遠い昔、摂津の国の蒲田の里に暮らしていた人々は、この地に
       二柱の神様をお迎えしてお祭りしました。土地を開きお守りくださ
       る別雷大神と、生活の基盤となる衣食住をつかさどりお守りくださ
       る宇賀御魂大神です。神様は里の人たちの心の支えとなり、その霊
       徳を仰ぎ感謝の祈りを捧げながら、日々の仕事に励みました。おか
       げさまで里は豊かで、代々守り伝えられてきたのでした。
       別雷大神については、このようなお話も伝えられています。
       今から千年あまり前の藤原時代前期の頃です。京都の上賀茂神社の
       ご祭神である別雷大神のご分霊をお乗せして播州へお渡りになる船
       がありました。ところがこの地を通りがかった時につむじ風にあい、
       この蒲田の杜で一時停まって風除けをされました。このようなご縁
       があって、当社にもお祭り申し上げることになったとのことです。」
       とあります。
  住  所:大阪市淀川区東三国2−18−12
  電話番号:06−6391−2995
  ひとこと:祭神、宇賀御魂大神は、倉魂神(うかのみたまのかみ)とも、宇賀
       神(うがじん)とも、一緒にされます。
       倉魂神も宇賀神も、穀物の神様の性格がありますから、それでいい
       のかも知れません。

       さて、宇賀神は、通常人頭蛇体で現れます。奥さんとされる弁天様
       の頭上に乗っていることもあります。

       奥さんの弁天様も、「蛇」ですね。
       世界的にみて、蛇って、(雌雄の意味ではなく)男なのでしょうか?
       女なのでしょうか?聖なのでしょうか?邪なのでしょうか?

       まずは、フランス語をひいてみましょう。
       蛇=「serpent」男性名詞
       ほう。じゃ、イタリア語は?
       蛇=「serpari」男性名詞
       やっぱり男性なんですね。最後にドイツ語いきましょう。
       蛇=「Schlange」・・・女性名詞です。
       フランスもドイツもキリスト教圏ですよね。
      「悪魔」は、フランスでは男、ドイツでは女ってこと??かな?

       聖か邪か・・・となりますと、

       まずキリスト教においての蛇を思い付くでしょう。
       アダムとエバを唆した蛇は、完全に、邪です。
       地を這わなくてはならなくなった、神に呪われた者なのですから。

       蛇で次に思い付くのは、ケルト神話のミッドガルドの蛇でしょう。
       世界樹の根に巻き付いていて、終末が近づくと、出てくるといわれ
       ます。

       冠をつけた蛇「バジリスク」も見たら死んでしまうという恐ろしい
       蛇ですね。

       次に、エジプトでは、ファラオの冠にコブラ(ウラエウス)がつい
       ていることとからも分るように、「脱皮する=生まれ変わる」蛇は、
       再生のシンボルなようです。
       また、パピルスに書かれた「難破した船乗りの話」では、
       島の主・予言者としての大蛇が描かれており、蛇を聖なるものと見
       ていたことがわかります。

       ギリシャ・ローマではどうでしょうか?
       蛇は、医薬の神・アスクレピオスの杖に巻き付いています。悪いも
       のではないのではないか?と思ったら、ゴルゴン三姉妹中、一番凶
       悪な、メデューサの髪は、蛇でできている、など、恐ろしいイメー
       ジもあるようですね。

       アジアに移ると、インドの蛇神・ナーガは、幸運をもたらす聖なる
       蛇。よい印象を持たれているのですね。

       中国の女渦と伏義は、人頭邪体の夫婦神で、特に女渦は世界や人間
       を作った大地母神です。日本のイザナミ・イザナギを思い浮かべま
       すね。

       さて、最後に日本です。
       神話の中では、素盞鳴尊に退治される八俣の大蛇が有名ですが、そ
       れ以降の蛇はいろんな性質が見えます。

       一つは、聖なる蛇。弁天様や、宇賀神を蛇と見るように、神として
       見られていた側面があります。
       蛇を家の守り神としている旧家もあったようです。

       反対に邪なる蛇なのですが、これも二つ以上の顔があるようです。

       手負いの蛇は執念深いから、蛇を傷つけたら、必ずとどめをささな
       いとならない、と言います。仕返しに来ることを恐れたのですね。
       このように、執念深さ、という意味の「邪」を蛇は象徴します。

       それに、嫉妬した女性は、なぜか蛇になるようです。
       京都の「摂取院」の伝説にも、夫の浮気に苦しんだ妻が蛇に化し、
       夫の首から離れなくなったため、夫(浄往)は出家したとあります。
       子のない病身の妻と夫の話しもよく見られるモチーフです。
      「跡継ぎを私は生めませんから、どうぞ私と離婚して妹と結婚してく
       ださい」と夫に頼みつつも、どうしようもない嫉妬から、蛇と化し
       てしまう・・・なんて。
       近松浄瑠璃で有名な、紙屋治平の妻・おさんも、「女房の心には、
       鬼が棲むか蛇が棲むか」なんて言ってますね。こちらも、夫・治平
       を、遊女お春に譲ろうとした妻の葛藤を描いた話しです。

       そして、形からの連想でしょう。蛇は、淫乱である、と考えられた
       ようでもあります。
      「雨月物語」の「蛇淫の精」なんぞは、その典型でしょう。
       蛇が美女に化けて、夜な夜な男と関係を結び、精を奪うのです。
      「今昔物語」にも女陰にみとれた蛇の話しやら、桑の木に登っている
       娘に絡みついてことをなした蛇やら、もう、すけべ〜な蛇がわんさ
       か出てきます。
       しかし、このどすけべ蛇ですが、「雨月」では女性、「今昔」では
       男性ですね。
      
       う〜〜〜ん、執念蛇は女性で、えっち蛇は女性も男性も?不公平だ。

       しかし、雑多なイメージ。
       日本人にとって、蛇は、「口縄(口のついた縄とでもいう意味?)」
       なんて気安い動物なのかも知れないですね。

       私にとって蛇は、「共食いする」というイメージが強いです。
       宇能鴻一郎の「西洋祈りの女」という小説があります。
       あ、宇能氏の小説といっても、「あたし、見ちゃったんです」的な
       小説じゃなく、芥川賞受賞作ですからね。残念ながら(^^ゞ
       この小説の中で、主人公は、病気がちの庄屋娘に買ってもらう為に、
       蛇を何匹も獲って、おこづかい稼ぎをしています。
       ところが、「西洋祈りの女」の登場のため、蛇の買い上げはストッ
       プしちゃうんですね。
       しょうがないので、主人公は、何匹も蛇が入った、その籠をうっち
       ゃったまま忘れていた、ある日、ふと籠を開けてみたら・・・。
       さぁ、どうなってたでしょうか?
       答えは、本屋さんでね(^O^)

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