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勝部神社

katsube





  祭  神:物部布津神(天火明神 宇麻志間知命 布津主神)
  説  明:天火明神(饒速日命)は、瓊々杵尊の兄君であると説明されてい
       ます。天降られるに際し、天祖より天璽瑞宝十種を授けられ、病
       気平癒・開運・厄除けの御神徳があります。
       宇麻志間知命は、天火明神の御孫であって、十種の瑞宝を受けて、
       中洲国(日本)の開拓につとめられました。特に、神武天皇の東
       征に際し武勲を立てられたといい、病気平癒・健康長寿の御神徳
       があります。
       布津主神は、神世の昔、天孫降臨に際し、武甕神を従えて国土鎮
       定の大業成就をされ、必勝祈願・百事成就・国家鎮護・民生安穏
       の御神徳があります。
  住  所:滋賀県守山市勝部1丁目8−8
  電話番号:077−583−4085
  ひとこと:さて、さて、この度、「先代旧事本紀」を手に入れました。
       確かに、「巻第五」宇摩志麻治命が、神武天皇が橿原に宮を造ら
       れた際、神事を行っておられます。

       じゃ、日本書紀にはどう書いてあるかな??
      「饒速日命は、三炊屋姫と結婚して、可美真手という子供まで作っ
       てます」と出てるだけ??あ、そう。

       古事記では?
      「饒速日命は、登美依流姫を娶して宇麻志麻遅命を生んだ」あぁ・
       ・・そうですか。

       こと左様に、「ウマシマジ」君は軽く扱われています。
       そりゃぁそうだよねぇ。記紀編纂時にもう物部氏は滅んでいるわ
       けで、よいしょする必要も(え?じゃ、何氏をよいしょしてるん
       だって?・・・いや、特定はしませんが、「天児屋根命」って、
       なんか唐突な神様だと思いませんか?なぁんてね♪)ありません
       し、物部氏の最盛期は、所謂「朝敵」だったでしょうからね。

       喩え活躍したとしても、故意に無視したくなるのもうなづけます。

       しかし、「布津主神(日本書紀では、経津主)」は、ある程度、
       日本書紀でも活躍しています。
      「葦原中国の平定に経津主神に行かせようと、神々が相談している
       と、武甕槌神が、『なぜ、経津主神だけなんだ』と文句を言った
       ので、武甕槌神も一緒に行かせることにした」と。
       旧事本紀でも同じような表現が取られています。

       この神と物部氏との関連はよくわからないのですが、ただ、物部
       氏の宗廟(そうびょう)・石上(いそのかみ)神宮の祭神であること
       から、深い関連があることが偲ばれます。

      「日本書紀」「古事記」「先代旧事本紀」三大古文献と呼ばれた、
       それぞれの書物が、「誰のために編纂されたのか」を考えながら
       読んでいけば、何か、見えるかも知れません。

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