祭 神:加夜奈留美命 説 明:「出雲国造神賀詞」には、大穴持命が国土を天孫に譲って出雲の杵 築へ去るにのぞみ、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の 守護とすべき事を誓う言を記しており、その中に「賀夜奈流美命の 御魂を飛鳥の神奈備に坐せて」とあり、これが当社の創始とされて います。 また、天長六年(西暦829年)三月、高市郡賀美郷甘南備山の飛 鳥社が同郷鳥形山に遷されたとき、加夜奈留美神の本霊は旧地に、 留まったといわれています。 住 所:奈良県高市郡明日香村栢森358 電話番号: ひとこと:加夜奈留美命は、「大神分身類社抄」によると、高照姫の別名であ ると言われています。 大穴持命の子女ですから、その可能性は充分ありますね。 さて、「出雲国造神賀詞」の前後を見てみますと、「大穴持の和魂 を大物主櫛甕玉(くしみかたま)と称して大御和(三輪)に、阿遅 須伎高孫根を葛木の鴨の神に、事代主をうなてに、賀夜奈流美命の 御魂を飛鳥の神なびに坐せて鎮め祭る」 なのですが、 「先代旧事本紀」にも、同様の文章があるようなので、見てみましょ う。 巻第四「地祇本紀」 「味金且高彦根神、倭国葛上郡高鴨に坐す神捨篠社と云ふ。 妹、下照姫命。倭国葛上郡雲櫛社に坐す。 都味歯八重事代主神、倭国高市郡高市社に坐す。亦は甘南備飛鳥社 と云ふ。 妹、高照光姫大神命、倭国葛上郡御歳神社に坐す。」 ちょっぴり場所が違うようですね? 阿遅須伎高孫根・味金且高彦根神(あじすきたかひこね)について は、奈良県御所市鴨神字篠にある、「高鴨神社」に鎮めたというこ とで一致していると考えてよいと思います。 事代主・都味歯八重事代主神は、橿原市雲梯(うなて)町にある、 「河俣神社」なのか、奈良県橿原市曽我町にある「高市神社」なのか? どちらの神社も祭神は、事代主命なのですが、橿原市雲梯も、昔は 高市県の中にあり、神社の古さなどから、この「河俣神社」の方が ありえそうです。 では、先代旧事本紀に記されている、女神の鎮座地を見てみましょ う。 下照姫は、「雲櫛社」というのがわからないのですが、葛上郡で下 照姫を祀っているのは、奈良県御所市名柄にある「長柄神社」でし ょうか? 高照姫は、奈良県御所市東持田にある「葛城御歳神社」に鎮座され ている、と考えてよいでしょう。 とすると・・・加夜奈留美命は、下照・高照、どちらの姫でもない 可能性もありますね? さて、ここに記紀や旧事本紀より古い、「ホツマツタヱ」という文 献があります。 これによりますと、素盞鳴尊の姉にワカヒメという女神がでてきま す。この神の別名が「シタテル姫」だと言うのです。 これは、そのまた姉にあたる、「アマテル」に対応しているためだ といわれていますが、この女神は、 「たねはたね うむすぎさかめ まめすめらの そろはもはめそ むしもみなしむ」という、「稲虫祓い」の神歌・正式名称「ワカの 歌」を歌い、虫を追い払ったと記載されているんです。 この「ワカ姫=シタテル姫」から、和歌の奥義書である「雲櫛文 (クモグシフミ)」を授かり、「シタテル」の名前を頂いたのは、誰 かといいますと、アメノワカヒコの妹(妻じゃなくて、本当の妹) オクラ姫なんです。 記紀では、下照姫は、天稚彦の妻なんですが、ここに「雲櫛」とい う名前が出てくるのは偶然じゃないでしょう。 ワカヒメに関しては、昼間に生まれたため「ヒルコ」という名前が ついて、三才で岩樟船に乗せて捨てられた・・・なんて話もあり、 語りたいことは一杯あるんですが、次の機会に。