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吉備津神社

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  祭  神:大吉備津彦大神
       日子刺方別命 倭飛羽矢若屋比賣命 千千速比賣命 
       大倭迹迹日百襲比賣命 御友別命 若日子建吉備津彦命 中津彦命
       日子寤間命 
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「御祭神は第七代孝霊天皇の皇子にましまし、第十代崇神天皇の御代に吉備
       の国に下られ、温羅という悪者を平らげて平和と秩序をきづき、この地に
       宮をいとなまれて吉備の国の人々のために殖産を教え・仁政を行い給い、
       長寿を以てこの地に薨去せられました。
       社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸し給うた時、御創建になったもの
       で、後、延喜の式の定まるや名神大社に列しやがて一品の位になられまし
       たので一品吉備津宮、また三備(備前・備中・備後)の一の宮と称せられ、
       昔から産業の守護神としてまた長寿の守り神として全国の人々から深く信
       仰せられている。」

       境内案内板を転載します。
      「吉備津神社案内
       記紀によれば、崇神朝、四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定し
       て平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られた大吉備津彦大神
      (五十狭芹彦命)を祀る山陽屈指の大社、仁徳期創建で、『延喜式』では名
       神大社、また、最高位を与えられ、一品吉備津宮とも称えられる。古来、
       吉備国(備前・備中・備後)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交
       通安全の守護神・延命長寿の霊験あらたかな神として朝野の信仰があつい。
       吾国唯一の様式にして日本建築の傑作・吉備津造(比翼入母屋造)の雄荘
       な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説のモデルなどで著名。」
      「矢置岩の由来
       社伝によれば、当社の西北八キロの新山に温羅といふ鬼神あり、凶暴にし
       て庶民を苦しむ。
       大吉備津彦命は『吉備の中山』に陣取り、鬼神と互に弓矢を射るに、両方
       の矢、空中に衝突して落つ。そこに矢喰宮(旧高松町高塚に現存)あり。
       また中山主神は鬼神の矢を空中に奪取す。当社本殿の中に祀る矢取明神は
       すなはちそれなり。この戦のとき大吉備津彦命、その矢をこの岩の上に置
       き給いしにより矢置岩と呼ぶと。
       旧記によれば中古より矢祭の神事あり。願主は櫻羽矢または白羽の矢を献
       る。神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。のちその矢を御蔵矢神
       社に納むる例なりき、と。この神事いつしか中絶せしが、昭和三十五年、
       岡山県弓道連盟の奉仕により復活され、毎年正月三日、ここに矢立ての神
       事を斎行することとなれり」
      「鳴釜殿鳴動神事の由来
       社伝によれば御祭神に退治せられた鬼『温羅』を祀る処と伝えられる。
       縁起によると或夜、吉備津彦命の御夢に温羅の霊が現れて、『吾が妻、阿
       曽郷の祝の娘・阿曽媛をしてミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ。若し世の
       中に事あらば釜の前に参り給はば幸あれば裕かに鳴り、禍あれば荒らかに
       鳴らふミコトは世を捨てて後は霊神と現はれ給へ吾が一の使者となりて四
       民に賞罰を加へむ』と告げた。これ神秘な釜鳴神事のおこりである。
       今日も『鳴釜の神事』が行われており、鳴動の音の大小長短により吉凶禍
       福を卜するのである。
       江戸時代の林道春の『本朝神社考』や、上田秋成の雨月物語『吉備津の釜』
       などに紹介され、神秘な神事として天下に有名である。
        うずなへる 神のひびきに鳴る釜の
         音のさやけき 宮ところかな 重胤」  
  住  所:岡山市吉備津931
  電話番号:086−287−4111
  ひとこと:もう10年以上前、私は一人でこの神社に参拝したのです。
       特に、理由はありません。
       ただ、当時私は年に一度ほど一人旅をしていて、その年の旅行先が、たま
       たま岡山だったこと。
       雨月物語の「吉備津の釜」を読んで、夜寝られなかった経験を持つこと。
       観光協会から送ってくださったパンフレットに、この吉備津神社の鳴釜神
       事について書かれていたこと。

       ・・・などのいくつかの要因が重なって、
      「鳴釜神事をこの目で確かめてみたい」
       と思ったわけでした。

       そんなわけで、特段願い事のなかった私は、無難なところ(?)で、「良
       縁祈願」で、釜占をお願いしたのでした。

       鳴釜神事(釜占)の次第は簡単です。
       ・まず、神前でご祈祷していただく
       ・御釜殿で護摩を焚いていただく
       ・ご祈祷の内容が叶うならば釜は鳴動し、叶わないならば鳴らない。

       ただ、この釜占の、吉凶の出方については、本によって説明が多少違いま
       す。

       雨月物語では、占う内容が凶ならば、釜は鳴らないことになっていました。    
       案内板の文章を読むと、社伝では、「吉ならば裕(ゆた)かに、凶ならば
       荒らかに鳴る」とあるようです。

       つまりは、「温羅(釜)」の発するメッセージを、自分の心で聞き取るべ
       し、ということでしょう。

       さて、10年前、私は御釜殿で、阿曽媛さんと対峙していました。

       私としては、それほど思いつめていたわけではなかったのですが、

       一人旅。しかも祈願内容が「良縁祈願」。

       客観的に見ると、かなり「切羽詰った」状況だと感じられたのでしょうか。

       阿曽媛さんに、
      「では、ご覚悟はできておられるのですね」
       と改めて尋ねられて、かな〜〜〜りびびってしまいました(^^ゞ

       結果的に、釜は裕かに鳴り響き、その後、私は今の旦那と知り合ったわけ
       です。

       ということで、今回は、「お礼参り」を兼ねて、家内安全の祈祷と釜占を
       お願いしに参りました。

       祈祷所から御釜殿までは、長い回廊で繋がっています。
       この回廊を歩きながら、「答え」を聞く覚悟が固まってくるわけです。

       でも、中には、この回廊を渡りきる勇気を持てずに、途中で帰ってしまう
       方もおられるのだと聞きます。
       それだけ、この「釜占」に対して、篤い信仰があるということでしょう。

       御釜殿は、吉備津彦命の御釜を模しているので、大きなしゃもじなどがか
       かっています。
         
      「撮影禁止」と書かれていたので、神職さんに
      「神事の後なら、撮影させていただいてもよいでしょうか?」
       と尋ねましたら、
      「そうやって、一声かけてくださるなら構わないのですよ。ただ、このよう
       にお断りしておかないと、神事中に入り込んで撮影される方もおられます
       ので・・・」
       と。
       サイトへの掲載許可もくださいました。

       なんでもそうなのですが、「マナーを守る」ということは、とても大切な
       ことだな・・・と自戒を篭めて。

       印象に残ったのは、神職さんがおっしゃった、
      「温羅は生前は悪人でしたが、死んだ後大事に祀られて良い神様になられた
       のです」
       という言葉。

       生きている人間が大切に祀るならば、荒ぶる神も救いの神になってくださ
       るという考え方は、日本神道の大きな特徴だと私は思っています。

       これを、
       神様のご加護をいただこうとするならば、まずは自分が良い行いをするべ
       きなのだ・・・と、説教臭く理解することもできますし、

       どんな者でも、心の中に良い種を持っているのだ・・・と、孟子よろしく
       穏やかな目で微笑んで理解することもできます。

       また、
       人間関係も、人と神様の関係も同じ。
       愛すれば愛されるのだ・・・と、学校の先生のように理解しても良いか、
       と。

       とにかく、「絶対なる悪」や、「絶対なる善」はない、という考え方は、
       日本神道の素晴らしいところなんじゃないでしょうか。

       さて、大吉備津彦大神は、記紀では、孝霊天皇の皇子であるとなっていま
       す。

       しかし、吉備に於いては、特に有名だと思われる、温羅との戦について、
       記紀には記されていません。

       古代の歴史を自分の目で実際に見てくることは出来ませんから、正解はわ
       かりませんけれど、
       吉備津彦命は、吉備王国の英雄・王様だったのではないでしょうか。

       そして、記紀編纂の時に、「英雄」を、大和朝廷における天皇の皇子とし
       て紹介した。

       そんな気がします。
       吉備における吉備津彦命の活躍は、この吉備津神社における「矢置石」や、
       矢喰宮における「矢喰岩」、吉備を豊かに流れ、往古は温羅の血が流れた
       とされる血吸川・・・などなど。
       この吉備においてイキイキと語られているからです。

       この吉備津彦命と温羅の戦は、桃太郎物語のモデルとなったと言われてい
       ます。

       昔読んだ「桃太郎物語」では、桃太郎は鬼を退治してそれで終りでしたが、
       この「吉備津彦命と温羅の物語」では、最終的に、二人は和解しています
       ね。

       古代の戦は、現代に住む私達の想像とは違って、もっと穏やかで大らかだ
       たったのかも知れません。       

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