祭 神:八宮神社:熊野杼樟日命 素盞鳴尊 六宮神社:天津彦根命 応神天皇 説 明:八宮神社: 「当社のご祭神は、天照大御神が素盞鳴尊と剣玉を交換して誓約 の際にお生まれになった五男神の一柱で、神功皇后の三韓から の帰途、巡拝された一社です。 当社は橘通の、旧県警庁舎の所に鎮座されていたのですが、明 治四十二年に旧神戸市役所を当社鎮座地に新築したため、現在 の楠町3丁目、大倉山南東の地に移転されました。 素盞鳴尊を御奉祀せられましたのは、紀朝臣でありまして、紀 朝臣は後、紀伊国造となり素盞鳴尊と御祀りせられたものと伝 えられております。 旧八部郡坂本村鎮守として奉斎。厄除守護神として、名高い神 様です。」 六宮神社: 「当社のご祭神は、天照大御神が素盞鳴尊と剣玉を交換して誓約 の際にお生まれになった五男神の一柱で、神功皇后の三韓から の帰途、巡拝された一社です。 当社は現在の楠寺の前に鎮座されていましたが、明治四十二年 十二月に、楠高等小学校の新設により、八宮神社の御社殿に合 祀されました。 坂本村に皇別坂本臣紀朝臣が御住みになっておられましたので、 坂本臣紀朝臣は武内宿祢の末孫でありますので、御先祖の武内 宿祢の御仕えせられていました応神天皇を御祀りせられたもの と伝えられています。出雲系の神様ですから、御一緒に祀られ たものと考えられます。厄除けの守護神として、古くから厄年 の人の参詣が絶えません。 旧八部郡坂本村鎮守として奉斎。」 とそれぞれ栞にあります。 住 所:兵庫県神戸市中央区楠町3丁目4−13 電話番号:078−341−6920 ひとこと:いや〜〜〜、神戸八社巡拝してよかった〜〜〜。 神戸って、出雲王国の勢力下だったんでしょうね。 六宮神社の説明、「出雲系の神様ですから、御一緒に祀られ」 とは、天津彦根命と、応神天皇のことでしょうか? 天照大神の息子と、応神天皇を、出雲系の神様と言うとは! 度胸あります。偉いです!! 天津彦根命について、記紀では、その後のことは何も書いてあ りません。 大体、この天津彦根という名前なんですが、なんの性格も見え てこない名前です。 天津彦根火瓊々杵根尊・天津彦日子穂穂手見命・天津彦日子那 芸佐建鵜加夜葺不合命。 それぞれ、瓊々杵尊(ににぎ)・火々出見(ほほでみ)・鵜葺 草葺不合命(うがやふきあえず)の別名。 「天津彦根」や、「天津彦」を頭に頂く神名は、特に、皇祖神に はじぇんっじぇん珍しくありません。 というよりも、天照大神の息子・忍穂耳命→の息子・瓊々杵尊→ の息子・火々出見命→の息子・鵜葺草葺不合命と続く中で、忍 穂耳命だけが、「天津彦」の冠を頂いていないのですね。 正式名称(?)の、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」の中にも 「天津彦」の文字は見えません。 考えられることはいろいろありますが、実は、忍穂耳命と天津 彦根命は、別名同神であるってのが一つ。 実は、皇祖系の神々は、天津彦根命から出てるんだけど、何ら かの理由があって、忍穂耳命系としなくてはならなかったんじ ゃないかってのも一つ。 んでもって、天津彦根命は、出雲系? ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん・・・。 八宮神社の御祭神・熊野杼樟日命と素盞鳴尊は、誓約時の登場 人物で、別段珍しい顔合わせではありません。 しかも、それぞれ、熊野三山のうち、熊野杼樟日命は、熊野那 智大社の祭神。素盞鳴尊は、熊野本宮大社の祭神ですから、紀 朝臣が紀伊の国造りになったというのなら、縁は深そうです。 というよりも、何故、素盞鳴尊が支配していた根の国・紀伊に 熊野杼樟日命が祀られているのか、と考えたら? 「出雲系の神様ですから、御一緒に祀られ」たのかなぁ?